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自然の味にひたすら手間を足す

【NEWS大地を守る10月号】境港発、俺たちのうまいもの

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【写真左】小倉水産食品 三代目小倉 雅司さん(67歳)
1955年、隠岐島から祖父が移り住み創業。「境港一」と皆が絶賛する商品開発力で「1日1レシピ」を考案。社長自らが手料理でランチをふるまう月イチ社員食堂も始めています。
【写真中】日本食品工業 三代目中西 和夫さん(60歳)
1963年に祖父の代で丸大豆の醤油製造を始めた「みのり醤油」の作り手。7年前に怪我を負って療養していましたが、このたび無事復帰。元気な姿を見せてくれました。
【写真右】福栄 三代目 岩田 謙二郎さん(63歳)
1962年創業。「吉丸」の名の自社船でカニ、イカを漁獲する網元兼水産加工品の生産者。「鮮度の良いものを鮮度の良いまま届けるのが網元の使命」と、自然の味を送り続けます。

簡単な方法を望めば、いくらでも楽はできるでしょう。けれども彼らはその方法を採りません。鳥取・境港から自慢の味を届ける3人の生産者が歩むのは、たとえ面倒でも〝安心なおいしさ〞を貫く道。志をともにする三代目が、互いのもの作りを訪ねます。

スルメイカが獲れなくて

ここは鳥取県の西の端、境港(さかいみなと)市。対岸に島根半島を臨む日本有数の漁港、境港(さかいこう)を擁します。台風が残した雲が北に流れる夏の終わり。波が落ち着いた昼ごろ、1隻のイカ釣り船が港へ戻ってきました。福栄の自社船、第八吉丸です。
「荒れる海を避けて、夕べは一晩沖に停泊していました。板子一枚下は地獄。漁師は命がけでイカを獲っているんです」と話すのは、福栄の岩田謙二郎さん。この日獲れたのは時化の影響で、スルメイカが約200杯でした。「全盛期は1回の漁で2万杯くらい。本当にイカが獲れなくなった」と岩田さんは嘆きます。小倉水産食品の小倉雅司さんも続けて、「昔は水揚げされたスルメイカが市場の先までずらっと並んで100mくらいになったね」と、かつての賑わいを語ります。

鳥取・島根両県の間を流れ日本海に注ぐ境水道。左手が境港で右手の山々が島根半島。
福栄のイカ釣り船、第八吉丸。台風が通り過ぎるのを沖合で一晩待機し、境港に戻ってきました。午後にまた隠岐島方面へ出航。

スルメイカは夏場に日本周辺を群れになって北上しますが、水温の変化や乱獲によって全国的に漁獲量が減少しています。境港でも昨年は211tと前年の半分以下、15年前と比べると10分の1以下に落ち込み、イカを生業とする水産業者を苦しめています(※)。福栄では3隻あったイカ釣り船を1隻に削減。小倉水産食品では先代からの名物、イカの塩辛をやむなく終売としました。

※出典:「境港の水産」令和4年版(鳥取県境港市)

境港の命を生かし切る

やっとの思いで獲ったスルメイカ、福栄では手作業でていねいに捌きます。3人はまず、「吉丸のいか醤油漬」の製造現場を訪れました。
スルメイカの処理は、解凍から皮むきまでの工程を最短で行わなくてはなりません。皮の色が身に移ってしまうためです。耳と胴を包丁で切り分ける作業から始め、機械を通して皮をむき、そうめん状にします。
「こうやって作るんだ」と日本食品工業の中西和夫さんは興味津々。
「一気に捌く機械もあるけれどロスが出るので使いません。通常捨てられる軟骨も手で外して唐揚げにしたり、少しも無駄にしたくないからです」と岩田さん。「命がけで獲った」素材への気概が伝わってきます。
次に醤油漬けの作業に目を移すと「大地いか醤油漬けのたれ」と書かれた箱がありました。
「せっかくの新鮮なイカの味を邪魔したくない」と岩田さんの思いを示すように、足すのはこのタレのみ。日本食品工業が大地を守る会専用に作っているもので、原材料はみのり醤油、三河みりんなどおなじみの顔ぶれです。タレの生産者、中西さんも実際に見て、「会員の皆さんに喜んでいただくには、ここまでしないとね」と納得の面持ちです。

鮮度の良いイカはこんな紫がかった黒い色。立派なスルメイカを捌きながら、身のかたさや色で、鮮度も見分けています。
「捨てるのは目とくちばし、内臓くらいかな」と岩田さん。胴の内側の「腑」と呼ばれる内臓の汚れも包丁でそぎ落とします。
スルメイカとタレを袋詰め。イカ本体のバランスに合わせて耳と胴の割合は2対8で入れます。2種の食感が楽しめて倍おいしい。

次に足を運んだのが、小倉水産食品。見せてくれたのは「あたためるだけ 境港のあじフライ」の工程です。この商品のおかげで、家でフライを作らなくなったという方も多いのではないでしょうか。三枚おろしから衣づけして揚げるまで、私たちの調理の手間を代わりに担ってくれているようです。しかも……。
「衣を厚くするために増粘剤を混ぜたり、化学調味料で味付けしたりするところもありますが、うちではやらん。境港のアジの味を生かしちょるけんね」と小倉さん。衣には米粉を混ぜて食感良く、くさみを抜くためには酢を使いと、知恵を絞って手間を足します。ここでも、自然の味を生かすことが何よりも優先です。

手作業で粉づけした後、衣がつきにくい皮目を上にして機械に通していきます。家庭と同じバッター液、パン粉の順番。
揚げたての「あたためるだけ 境港のあじフライ」。国産米粉を加えた衣は食感がカリッとし、中はふっくら。この日は2万切を製造。
「小倉さんの1日1レシピはすごい。一日一善より難しいよ」と岩田さんも絶賛。試作用ノートには分量と作り方がびっしり。

すみずみまで誠実な醤油屋のカレー

最後に訪ねたのが日本食品工業でのカレー作りです。大地を守る会の調味料を代表する「みのり醤油」の生産者が作るいわば〝醤油屋のカレー〞。2回の夏を越えて長期熟成される醤油のうまみがきいて、皆さんに30年来愛されているルウです。
この日の早朝、7時から作っていたのは赤い箱に入った辛口でした。
「カレーはね。火入れができるかどうかなんです」と中西さん。ルウの製法は、日本食品工業が2007年、当時大阪府枚方市にあった大味研(だいみけん)から会社ごと譲り受けたもの。ボタン一つの操作で量産がかなう蒸気釜とは異なり、直火釜で作る「面倒なやり方」だと話します。
ルウ作りはまず、小麦粉・植物性油脂・調味料を釜に入れ、撹拌しながら熱します。灼熱の製造所でルウを煮詰める2時間半、職人は釜につきっ切り。表面温度を測ってはレバーをひねって火加減を変え、釜を行き来します。この火力調整が火入れと呼ばれ、温度を保つ職人技です。
そうした姿を見て、小倉さんが「焦がさんようにせんといけんしね。暑い中で相当大変だね」と言うと、「直火なんでね」と中西さん。しかも、「材料は生に近い方がおいしい」とりんごピューレやトマトペーストなどの液体系を用いるため、より焦げやすく繊細な作業になります。
「16年で3回あったかな(焦がしたのは)。これができる職人は、うちには2人しかいないんです」と手仕事の厳しさを語ります。
もう一つ、中西さんのところで驚いたのが原材料のこと。何気なく製造所にある調味料を見ると、大地を守る会で扱っているものばかりです。食品表示ラベルには「食塩」としか記載がないのに「おふくろの塩」を使い、「ウスターソース」は「光食品のウスターソース」といった具合。チキンエキスに至っても「まほろばライブファーム」「秋川牧園」の鶏がらを使うなど、すみずみまで徹底し、見えない部分にも隠しごとはありません。「素性のわからないものは使わない」と、誠意のこもった仕事ぶりを覗かせていただきました。

スパイスを加えて1時間の撹拌後、「おいしそう」と釡を覗く3人。この後濾して完成です。
直火窯でのルウ作り。熱いうちに充填まで持っていかないと、まだらになるため、室温が40℃近くになることもあります。年代物の釡も大味研から譲り受けたもの。

食の安心がつなぐ縁

境港が生む〝食の安心〞は、良質な原料の調達から始まっていました。新鮮な魚がなければ魚の惣菜が作れないように、良い大豆なしでは醤油はできず、醤油がなければカレーの味は出せないと、すべては原料から見えない糸でつながっています。
60代となり人生の半分を一緒に過ごしてきた三代目たち。今、イカの不漁に喘ぐように、もの作りの大元である原料の調達がままならないこともありました。そんな苦境も志を持つ者同士で伝手を辿り、協力し合って乗り越えてきたといいます。
境港自慢の味は、厳しい自然環境に向き合いリスクも背負う、尊い仕事で成り立っています。そして、それは同じ思いでつながった縁で支えられていました。大切な価値を改めて心に留めておきたいと感じます。
最後に一つ楽しいお知らせを。3人は今、オリジナルカレーの開発を行っています。この日いただいた試作品は地元名産の白ねぎを合わせた粗ごしの食感が新鮮で、皆の評判は上々でした。もしかしたら近い将来、お披露目されるかもしれません。

日本食品工業のルウに小倉水産食品と福栄のシーフードを使って、開発中のカレー。お皿の中、左上のお団子2つはイカボール。「いるかなぁ」「いらんと思うなぁ」と目下検討中。

「吉丸のいか醤油漬(生食用)」はこちら
「あたためるだけ境港のあじフライ」はこちら
「大地を守る会のカレールウ(辛口)」はこちら
※該当商品の取り扱いが無い場合があります。

大地を守る会編集部

大地宅配編集部は、“顔の見える関係”を基本とし、産地と消費地をつなぐストーリーをお届けします。