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採って仕上げるお茶作り

【NEWS大地を守る6月号】八十八夜、その日の仕事

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「ほかの畑からの農薬の飛散の心配のない場所に」と先代が1970年代に拓いた山の上の茶園。下界と隔たれた秘境のような地に、病虫害に強く、山に向いた品種「やまかい」を植えています。

古来、立春から八十八日目に摘んだお茶は、不老長寿の縁起物とされてきました。今年の八十八夜は五月一日。日本農産(静岡県根洗町ねあらいちょう)の二代目、樽井隆之さん(55歳)の茶業にいっそう気合いが入ります。大地を守る会設立当時から親しまれてきたお茶の産地を訪ねました。

一年に一度しかないその日に

「何としても八十八夜のお茶を皆さんに届けたいもんでね」
日本農産・二代目の樽井隆之さんが、生まれたてのまばゆい茶葉を見つめます。私たちが訪ねた4月の終わり、茶畑にはやぶきた種の新芽がぴんと伸びて、収穫が間もなくというところでした。
立春から88日目に収穫する〝八十八夜摘み〞のお茶は、古くから縁起物とされてきましたが、大地を守る会で扱う『新茶・樽井さんの有機八十八夜摘み』も、まさにその八十八夜当日に収穫したものを詰めていることはご存じでしょうか? 
お茶は雨に当たると蒸した段階で黒ずんでしまうため、雨の日は収穫できません。加えて今年は桜の開花も遅れ、木蓮も遅れ、それにならうように茶葉の生長も遅れていました。例年4月中ごろから始まる収穫が、4月の終わりになっても緩やか。
「芽伸びは間に合うか」「天気はどうなる?」と、例年以上に気を揉みながら当日を迎えましたが、茶葉も頑張り、天気も味方してくれて、何とか収穫がかないました。
毎年こうして自然の声に耳を傾けて収穫するお茶が〝八十八夜摘み〞。大変ありがたいお茶なのです。

収穫を迎えたやぶきた種。まだ芽の開かない一番若い芽(一芯)と3~4枚目の葉を採ります。
長さ90mの茶畝を行き来して収穫。伸びた新芽に高さを合わせて刈り取っていきます。

やわらかな新芽を採る

「お茶はね、その日に収穫した茶葉をその日に仕上げるんです。葉っぱがみるい(若い)もんでね、ほんっとにやわらかいんですよ」と樽井さん。
お茶はツバキ科の常緑樹で、摘採期を過ぎた下の方の葉はかたくなり、硬葉(こわば)と呼ばれますが、刈り取る新芽はほよほよとやわらか。華奢で陽の光に透けるほどです。
「春になると桜でも何でも木に新芽が出てくるでしょう。お茶の場合はあの新芽だけを採るんです。置いとくと傷んでしまう。だから乾燥まで一気に仕上げないとだめなんです」
1日の収穫量は1トンから3トン。しかも、新芽は伸びるにつれてどんどんかたくなるため、2週間ほどの間に全てを刈り取らなくてはなりません。ピークの時期は製茶作業が終わるのが夜11時ごろ。それでも翌朝早くから、また畑に出ます。

根洗町から霧山という山の上の畑へ。道中は岩が車を打つ悪路。収穫の際はここを1日4往復します。
霧山の茶畑に着くと、空気が一変。猪や鹿に遭遇することも。
収穫を終えた茶葉が荷台からわっさわっさと降ろされました。新鮮なうちに製茶の工程へ。

だんだんお茶になっていく

「お茶は蒸す工程で8割が決まる」
そう樽井さんが話します。
「蒸せば蒸すほど葉は崩れて水色(すいしょく)は濃くなります。だけど渋みも飛ぶんです。〝見るお茶〞なら浅蒸しですが、うちは形が残るぎりぎりの100秒。深蒸しでやってます」
これ以上蒸すと特蒸しとなる手前。目指すのは見た目ではなく、味と香りを重視した「本質茶」です。
蒸気の中をしっとりと濡れた茶葉が昇っていくと、ここからは「葉打(はうち)」「粗揉(そじゅう)」「中揉(ちゅうじゅう)」と、乾かしながら揉む作業が繰り返されます。
広い工場の中を機械から機械へと駆け回る樽井さん。途中幾度となく、茶葉をつかんでは香りを嗅いでいました。自然のものである茶葉は、気温や湿度で乾き具合も異なります。うまくいっているかを判断できるのは人の感覚だけ。「ちゃんと蒸せたか」「乾いたか」を全工程で見ます。
生の茶葉が、荒茶(あらちゃ)(蒸して揉んで乾いた状態)になるまでは約5時間。荒茶にはまだ香りの奥に生の青さが残りますが、仕上げの火入れを行い、最終の選別と袋詰めに進みます。

蒸気を炊いたトンネルを通って蒸す「蒸熱」の工程。蒸し時間の長さによって、味・香り・水色の基本的な性格が決まります。
蒸したあとのあつあつの茶葉。茶葉によって水分量が異なるため、蒸し具合を触って確認します。
「お茶は人肌で揉め」といわれ熱風で乾かしながら36℃くらいを保って揉みます。「粗揉」のあとは、水分が出て粘り気があります。
形を作る「精揉」は40分。加工終盤になり「今ここでしか嗅げない匂い」と力強い香りを確認します。お茶も機械も大好きな隆之さん。子どものころは宿題そっちのけで工場に入りびたり。機械が動くのをずっと見ていたそうです。

洗わないお茶だから安心を

「飲む前に洗わないお茶だからこそ無農薬で作りたい」。隆之さんのお父さん、故・樽井孝蔵さんの言葉です。
日本農産の歴史は戦後、孝蔵さんが根洗の地に入植したころに遡ります。県内の農家の末息子だった孝蔵さんは、満州から復員したあと、復員者と戦災者40人以上を束ねて三方原台地(現在の根洗町)60ha余りを開墾しました。入植当時は大人の背丈ほどの小さな松と、笹や芒が生えるだけの荒れ地。小屋を建て、ランプで暮らしながら芋類や麦の栽培から始めたといいます。お茶を基幹作物として導入したのは1950年代初めのことでした。(※1)
大地を守る会とは設立当初からの長いお付き合いです。その出会いは、ある医師が提唱していた「医農学」でした。「農業は人の生命を預かる仕事」「害虫を駆除するための農薬が人の体に影響を及ぼさないわけがない」という訴えに心を動かされ、農薬に頼らない栽培に挑戦したといいます。(※2)
先代が拓き、入植から70年以上たった今でも当時のお茶の木がそのまま活躍。太い幹に葉を茂らせて清々しい風味を届けています。
樽井さんの茶栽培は、農薬に頼らないほかに、肥料も少しのたい肥だけ。除草剤を使わない代わりに、お茶の木を覆い尽くす雑草をひたすら取っては地面に落として、土に還します。畑に出る虫は、「目を瞑ってがまん。増えてもがまん。そのうち虫同士が戦ってくれる」と、あるがままに任せて時を待つ。良い意味で自然に委ねるような栽培でした。
そんな畑のあり様に等しく、樽井さんのお茶は、逞しくてやさしい味わいです。注ぐそばからふわっと山の香りが立ち、口当たりはとろんとやわらか。最後にどしっと清々しさが抜けていきます。
6月、今年の新茶の取り扱いが終わりに近づいてきました。胸がすっとする香りに憩い、心和むひとときを味わってみてはいかがでしょう。

除草剤を使用しない畑は目を離すとすぐ「草ぼうぼう」に。枝の間から伸びる草を手で取ります。
左から妻の善美さん、隆之さん、娘の愛さん。大切な相棒、山羊のハイジとゆきちゃんも茶作りに活躍。朝茶畑に出勤して、夕方まで畝まわりの草を食べてくれます。

※1 参考:「自立 38周年記念根洗松開拓誌」1984年(根洗松開拓農協/浜松市)、※2 参考:「家庭画報」1983年8月号(世界文化社)

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大地を守る会編集部

大地宅配編集部は、“顔の見える関係”を基本とし、産地と消費地をつなぐストーリーをお届けします。