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おいしくて安心なものをこの街から

【NEWS大地を守る3月号】「被災地」を卒業したその先に

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牡蠣やホタテ、わかめの養殖なども盛んな広田湾を高台から見渡す。高田松原と呼ばれる美しい海岸が広がる。

地元の人たちの働く場所を作りたい。そんな思いで陸前高田(岩手県)の再建に貢献してきた「あんしん生活」。こだわりの材料と製法でかき揚げを作り続けている、その現場を訪ねました。

手揚げで心を込めて

フライヤーに浮かぶのは、リングが三つ並んだかき揚げ用の型。左手でタネを計量して手早くリングに投入すると、箸を持った右手で、タネを油の中で混ぜ合わせます。流れるような作業はまさに職人技。株式会社あんしん生活(岩手県陸前高田市)のかき揚げは、「手揚げ」がこだわりです。
ヒーターがある手元の部分の油は170度ほどで、はじめに高温で一気に揚げた後、コンベヤーの上を流しながら低音でじっくりと揚げていきます。
カラリと揚がったかき揚げは、今度はマイナス40度で急速冷凍。原材料の細胞を壊さず、揚げたての品質を保つことができます。ムラなく冷凍するために、同社では3Dフリーザーを用いています。
こうした工夫は素材のうまみを生かすため。オキアミは三陸産、小松菜は南三陸町(宮城県)の星農場のものを使用しています。
「原料はほぼ生鮮食品しか使っていません。玉ねぎの甘みとか、人参のちょっとした土臭さとか、そういったものを感じ取れるように素材感を大事にして作っています」
案内しながら説明してくれたのは、昨年末に社長を継いだばかりの津田勇輝さんです。
「家で揚げ物をやるのって面倒だし、特にかき揚げは手間ですよね。その手間を肩代わりするので、気軽に安心して食べてもらいたい。かき揚げはうちの代名詞のような商品なので、よりよくするためにずっと研究は続けています」
現在では1日5000〜6000パックを製造する規模にまで成長しましたが、ここまでの道のりは決して平坦なものではありませんでした

かきあげの材料は、玉ねぎ、人参、ささがきごぼう、小松菜、小アミです。
野菜は冷凍ものではなく、入荷したものを工場内でカット。新鮮さが自慢。
小松菜は、土作りにこだわる宮城県南三陸町の星農場のものを使っている。
星農園も震災の被害から再建を遂げた仲間だ。津田社長(左)と、星農場の星達哉さん、綾子さん。
1枚ずつ成型しながら丁寧に揚げられる。野菜の甘みとオキアミの香ばしさが引き立つ。
粗熱が取れたらすぐに急速冷凍される。自宅で食べる前にオーブンレンジで温めるとサクサク感が増すそう。

地元の再建に貢献したい

あんしん生活の原点を作ったのは、勇輝さんの母で現会長の津田信子さん。もともとは、陸前高田で保険の仕事をしていました。仕事柄、地域の人たちの不安や悩みを聞く機会が多かった信子さん。保険業のかたわら、地域の高齢者と地元企業を橋渡しし、働く場所を斡旋する活動も始めたのです。NPO法人として認可が降り、いよいよ本格的に活動を開始しようという矢先に、東日本大震災が起きました。
NPO法人の事業は白紙に戻りましたが、「地元の再建に貢献したい。そのためにできることを」との思いで、株式会社あんしん生活を立ち上げました。
創業は13年11月ですが、震災後の混乱の中、数年間は会社を継続するためにどんな仕事も引き受けていたそうです。水産加工の手伝いなど、下請けとして取ってきた仕事が9割以上。
縁があり、天ぷら加工などを行っていた地元企業からノウハウを引き継ぎましたが、販売ルートもなく最初の4〜5年はほとんど自社商品を出せない状況だったと言います。
14年の1月に、現社長の勇輝さんが参加。勇輝さんは大学で福祉を学び、その後気仙沼で福祉の仕事に従事していました。福祉の仕事に思い入れがありましたが、震災後、地元の力になりたいと考えるようになり母の会社を手伝う決意を固めました。
もともと地域の人たちへの仕事の場を作ることが目的だったため、下請けの仕事でもいいと信子さんは考えていたようですが、勇輝さんは自社の商品を売れるようにならなければ会社の将来はないと考えていました。当時の経営陣と何度もぶつかり合いながらも、販路を一から開拓してきました。
「うちの商品をどういうふうに売り込んでいいかも全然わからず、企画書の作り方、営業の仕方、物流の動きなど、周りの方々に頼んで教えてもらいました」
下請けの仕事を発注してくれていた会社、復興支援で地元企業のサポートに入っていた会計士さんなど、様々な人にアドバイスをもらい、励まされながらやってきた勇輝さん。繋がった縁の一つで、大地を守る会とも取り引きが始まりました。

あんしん生活の社屋。この10年で会社の規模はだいぶ大きくなった
笑顔で働くスタッフのみなさんと津田社長(後列中中央)。ミャンマーからの実習生も多く受け入れている。

もしまた津波が来たら

徐々に事業は順調に回り始めましたが、震災が残した爪痕はなかなか消えはしませんでした。
「会社がうまく行っても、どうせまた津波が来たら終わりじゃないか、また何かあったらダメになるんじゃないか、という思いがずっと心の片隅にありました」
なかなか前を向くことができなかった勇輝さんが気持ちを切り替えられたのは、お客さんのレビューがきっかけでした。あんしん生活の商品を楽しみにしてくれているお客さんたちの声を読んで、「こんな気持ちで作っていたらダメだ、胸を張れる商品を作っていこう」と考え直すことができました。
勇輝さんは母・信子さんを「原動力がある人」と表現します。会長に就任し第一線は退いたものの、保険業のほうはまだ続けているとのこと。
「きっかけ作りをし、人と人を繋げてくれるのが会長なんです。地元の人たちが幸せになれるようにという会長の思いで始まった会社です。この10年は、会社が継続していくことだけを考えて一生懸命走ってきましたが、改めて地域に根ざした会社になれるように、認知を広げて雇用の創出につなげていきたい」
震災から12年。三陸の復興は今どんな段階にあるのでしょうかと質問すると、勇輝さんはこんなふうに答えてくれました。
「陸前高田は、震災で有名になってしまった町です。テレビをつけても、被災者、復興という言葉がついてまわり、ネガティブな印象がついている。そのことに私自身は、これじゃいけないという気持ちを感じています。純粋な商品力で、陸前高田でこんなにいいものが作られているんだということを広めていきたい。そのためには私が前向きに引っ張っていかなければと思っています」
被災者から、その一歩先へ。新社長の、未来を見据えたチャレンジが始まります。

被災地最大級の造成工事が行われた陸前高田。かさ上げされた造成地はまだ空き地も目立つ。(下は2015年撮影)

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大地を守る会編集部

大地宅配編集部は、“顔の見える関係”を基本とし、産地と消費地をつなぐストーリーをお届けします。