学ぶ

山あいの小さな台所

【NEWS大地を守る5月号】人々は根づき、芽吹く

【送料無料】おいしい・便利・安心がかなう宅配!まずはお得に、お試しセット1,980円!
総合農舎山形村の皆さん。ここ山形町に生まれ、または根付き、ベテランから若手までが揃っています。

岩手県久慈市山形町、かつての山形村。町のほとんどが山というこの地で、地元の食材をできる限り使い、余計なものを加えず惣菜を作り続ける惣菜メーカー、総合農舎山形村。数々の試練を乗り越え、ここで暮らし、働く人々に、春が訪れています。

始まりは短角牛から

今年は全国的に平年より気温が高く、関東でもすでに桜が満開になっていた3月下旬。岩手県久慈市山形町でも雪が解け、眩しい黄緑色をしたふきのとうがあちらこちらで顔を出し、いつもより少し早く遅い春が訪れていました。
岩手県北部の内陸に位置する山形町(旧・山形村)は、町の面積の約90%が山林という山間地域。主な産業は林業や炭の生産で、人々は牛を飼い、山に入って山菜やきのこを採り、畑では雑穀や大豆、小麦、自家用の野菜などを育てて暮らしてきました。
この小さな町にあるのが、山形村短角牛をはじめとした地元の食材をできる限り使い、余計なものを加えず惣菜を作っている総合農舎山形村(以下、農舎)です。

町の中心部ではなく、牛舎が多い地域を選んで建てられた総合農舎山形村。

「山形村はこれといったものがないところでした。あったとしても、産業としてやっていけるのか分かりませんでした。村のほとんどが山で農業には向きませんし、昔から牛はいるので有機肥料は作れたのですが……」。そう話すのは、山形村の出身で、現在は農舎の所長を務めている蒲野喜美男さんです。
遡ること1980年。設立したての大地を守る会は、自然な環境の中で無理なく育てられた肉牛を探していました。牛の「日本短角種」の勉強会に参加したところ、岩手県の畜産課の人から紹介されたのが、山形村でした。一方、山形村では、高度経済成長期での産業の誘致や開発などが難しく、過疎化が進んでいました。食材の輸入自由化や大量生産などの波で、取り組んでいた酪農や農業も苦境に立たされながら、地域の活性化を目指し続けていました。牛肉を出荷できれば生産者が収入を得られ、地域の活性化につながると考えた山形村。自然に育てられた肉牛の取り扱いに加え、環境や身体によく持続可能な食を日本に広めるため、地域・第一次産業の活性化に興味があった大地を守る会。双方の想いを胸に、二人三脚の取り組みが始まったのでした。
「大地を守る会の最初の印象は『この団体、大丈夫かなぁ』(笑)。まだそこまでお互いを知らなかったからです。でも、山形村に昔からいる短角牛の食肉としての改良やその取り扱いなどを続けて、また大地を守る会の会員の皆さんが山形村を訪れるツアーを毎年開催して、信頼関係を築いてきました。ツアーで、『こんな大したことないものを出していいのか』とも思いながら、私たちがいつも食べているごはんを用意した時、参加者の皆さんが、『これが文化で、素敵ですよ』と言ってくださったんです。この地域の良さを気付かせてくれたと思っています。こうしてできあがっていった信頼関係の証でもあるのが、農舎です」。
1994年、山形村、山形村短角牛を出荷する陸中農協、大地を守る会の3者が出資した第三セクターとして、総合農舎山形村が設立されました。山形町の地域の活性化、自然環境の保全、第一次産業の復権を目的に掲げ、今日も惣菜作りを続けています。

命の大切さに気づく

朝、この日は牛の大きなブロック肉のトリミング・カットから仕事が始まります。「肉の日としている毎月29日頃は、1度も冷凍していない肉を精肉・惣菜に加工して納品しています。今日はその日ですね」とは、肉のトリミング・カット担当の小笠原誠さん。
バラやウデ、モモなど、さまざまな部位に分けられているブロック肉は、形もさまざま。それぞれの形や脂のつき方などを見て、どの精肉にするのか、どのくらい脂を取り除くのかと考えながら、トリミング・カットしていきます。
肉を見つめ、都度包丁を当てていく手つきは、優しく、丁寧。それでも気付けば、まな板の上に、トリミングされた端材の肉が脂の多さやスジ部分に分けられて、どんどん山になっていきます。
「無駄なく、この端材の肉を惣菜に使います。今日作るのは短角牛プチコロッケです」。
トリミングで出た端材の肉で、脂が多い部分は大きな鍋で溶かしたあと、漉して固めて牛脂にし、身が多い部分は挽いて挽肉にします。それに合わせるのは大地を守る会の生産者のじゃがいもと玉ねぎで、味付けは塩・砂糖・こしょうのみです。
破れたり形が崩れたりしないよう、繊細な手つきで手揚げされたコロッケは、なんといっても短角牛のうまみが濃い! 挽肉だけでなく牛脂も入ることで、こくとうまみがぐんと増しています。
小笠原さんは学校を卒業してからずっと肉のトリミングやカットの仕事についており、農舎にくるまでは黒毛和牛を扱っていたと言います。
「以前はただただ、何とも思わず、トリミングやカットをしていました。でも、農舎で初めて山形村短角牛を扱って、自分の中で変化がありました。牛がどのように飼育されているのかを知りたいと思うようになったんです。今ももっと知りたいと思っています。そして、せっかく生まれて、生きてきたなら、無駄なく食べてあげないと。やることは変わらなくても気持ちが変わったように思います」。
食べ物は命である、自然の摂理の中で自分も生かされている、そうした小さな気付きが、小笠原さんの食に対する想いを少しずつ変えているようです。

山形村短角牛に出会って変化を感じた、肉のトリミング・カット担当の小笠原さん。
部位や形がさまざまなブロック肉を、よく見て丁寧にトリミング・カットしていきます。
トリミングされた端材の肉は、コロッケの材料の挽肉・牛脂として無駄なく使います。
野菜も手切りします。この日のじゃがいもは北海道江別市の金井正さん・修一さんのもの。
この日の玉ねぎは北海道札幌市の大作幸一さん・淳史さんのもの。
おうちに届いて食べる時は、トースターや油で二度揚げもおすすめ。
破れたり形が崩れたりしないよう、繊細な手つきで手揚げします。
挽肉だけでなく牛脂も入ることで、こくとうまみがアップ。

素朴で誠実な人々

山形村短角牛の生産者の一人、柿木敏由貴さんの牛舎に立ち寄ると、子牛がたくさんいて、母牛に寄り添ったりお乳を飲んだりしていました。2・3月は出産の季節。「今朝も1頭生まれたよ。いつ生まれるか分からないから、この時期は寝る時間もなくなるよ」と柿木さん。
5月には、この母牛と子牛たちは山に放牧されます。牛たちは山で夏を過ごし、秋になると牛舎に戻って冬を越します。そして、夏に自然交配した母牛から、また冬から春に新たな命が生まれるのです。この「夏山冬里方式」は、昔から続く山形村短角牛の伝統の飼育方法です。

山形村短角牛の生産者・柿木さんの牛舎には、子牛がたくさん。母牛に寄り添ったり外で走り回ったりと、元気に育っています。


長年、ツアーの担当でお世話になっている谷地彰さんの家では、母・ユワノさんがまめぶ汁を作ってくださいました。まめぶ汁は、くるみと黒砂糖を包んだ小麦団子の「まめぶ」を、ごぼうやにんじん、しめじ、焼き豆腐などと一緒に煮込んだもの。今では久慈のまめぶ汁として知られていますが、もとは山形村で食べられてきた伝統料理です。
「家の裏にある鬼くるみの木から実を採ってきて、ずっと作ってきました。かんぴょうを入れるのを忘れないでね。おつゆの味がしみておいしいの」。まめぶの甘さと醤油味のつゆのしょっぱさが相まって、なんともほっとする味わいです。

長年、ツアーでお世話になっている谷地さんが、まめぶ汁を作ってくださいました。
山形村の伝統料理、まめぶ汁。

岩手県久慈市山形町。ここは伝統継承の地。静かな人々の暮らしは、足りないものがあるようで、必要なものはすべてあります。人々の暮らしの根幹であるもの作りの仕事は、偽りのない誠実さを持って行われ、自然の恵みを都会に住む私たちに分けてくれます。
山形町の人々の想いを胸に、食べてみてください。故郷の親戚が作ってくれたようなあたたかい味。皆さんの食に対する想いを少し変え、優しい気持ちにさせてくれるかもしれません。

農舎の惣菜はこちら
※該当商品の取り扱いが無い場合があります。

大地を守る会編集部

大地宅配編集部は、“顔の見える関係”を基本とし、産地と消費地をつなぐストーリーをお届けします。