2014年3月19日

「行ってきました!大雪の釜石」―大地を守る会 Meets NEXTKAMAISHI

2月8日~9日に開催した釜石ツアー。
東日本大震災から丸3年を迎え、「復興」や震災への思いは、
特に都市部では遠のいてしまっているのではないか。
被災地を巡るなかで、ひしひしと伝わってきた実感です。

正直、今回のツアーも催行できるのかどうか、直前までとても心配でした。
ところが、ふたを開けてみると多くの方が手を挙げてくださいました。
本当にありがとうございます。
かんたんですが、ツアーの様子をご報告します。

前回の第一弾に書いたように、地域おこし、街おこしには若者が活躍しています。
今回の釜石ツアーでも全く同様でした。今回ご案内いただいたのは、「NEXTKAMAISHI」の
構成メンバーの「三陸ひとつなぎ自然学校」「ヤマキイチ商店」さんなどです。
地域が持つ自然や木材資源、漁業資源などに価値を発見し、地域経済を回すために、
プロボノ的にさまざまなプロジェクトをしかけている総勢60名ほどの団体が
「NEXTKAMAISHI」です。

ツアー当日は、関東甲信越東北のあちらこちらで記録的な大雪に見舞われ、
釜石も例外に漏れず、数十センチの積雪でのお出迎えとなりました。
三陸ひとつなぎ自然学校の代表・伊藤聡さんのガイドで、ツアーのスタートです。

三陸のリアス式海岸は、海岸に出るために一度山を越え、隣の海岸に行くために
また一つ山を越えるという独特な地形です。

ここが津波の被害に遭った街なのか?と一瞬錯覚してしまうほど、周りは山に囲まれています。
実はこの豊富な森林資源が、鉄の街釜石を作るに至る重要な役目を果たしたとのことです(後述)。
 

ひとつなぎ学校.jpg
三陸ひとつなぎ自然学校代表・伊藤聡さん(釜石市出身)

 
津波が起こったときの慟哭を伊藤さんから直接お聞きし、癒えない傷と、しかし未来に向かって
一歩ずつ踏み出ている姿に勇気づけられ、被害の大きかった鵜住居地区で祈りをささげました。

伊藤さん自身、まだ仮設住宅暮らしですが、
釜石の未来のために東奔西走されているバイタリティーに一同感服です。

このツアーは津波震災を肌で感じること、前を向いて動き出した街の姿を体感すること、
そして普通の釜石市を知り、釜石を身近なものにすることを目的の一つに据えていました。
そこで一行は、鉄の街釜石市の原点となっている「橋野高炉跡」に向かいました。

リアス式海岸が遠い海の底から運んできた鉱物の一つが鉄鉱石。
太古から繰り返される隆起運動、それがもたらす地震と津波。
地球の自然現象は人々に恐怖をもたらす半面、生活に必要な物質も運んでくれています。
 

 
橋野高炉.jpg
思わぬ雪中行軍?世界遺産登録を目指す橋野高炉跡

 
日本で最古となる洋式高炉に必要だったのは、木炭でした。
豊富な森林資源を活用して大量の木炭で高燃焼を実現させ、純度の高い鉄を作り上げ、
釜石の港から水戸や江戸に運搬したといわれています。
近代化の中で新日鉄釜石が躍動しましたがそれよりもずっと以前から熱い街だったのですね。

その橋野高炉跡入口のそばで自給的暮らしをされている小笠原静子さんを訪ねました。
自分が食べるモノはできるだけ自分で作るをモットーに、手作りの胡桃餡の餅、
各種お漬けものや山菜、沢の水、山葡萄ジュース、干し柿など、
どれもやさしい味がして冷えた体をホッともてなしてくれました。
 

頭巾姿の小笠原静子さん(右奥)


小笠原さん集合写真.jpg

 
一行が宿泊したのは「宝来館」という旅館でした。

 
宝来館外観.jpg
この旅館は目の前が海岸です。2階と3階の間くらいまで水が上がり、
助かった人々が寒い中3階で身を寄せ合って途方に暮れていたと聞きます。
 
ここの女将さんは、津波で逃げ遅れた人をすくいあげて助け、
自分自身は津波にのまれてしまいました。
みんなが茫然としているなかの第2波で、なんと女将さんは奇跡的に陸に戻ってきて
一命を取り留めたそうです。

一度は失った命、途方に暮れつつも、女将さんは奮起して宝来館を再建することを誓ったのです。
そして見事に今、営業を果たしています。

========次回に続く=========

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