2012年8月アーカイブ
2012年8月31日
大地を守る会関連団体、9月のイベント案内
2012年8月30日
緊急院内学習会「消費者が求める食品表示」2012年8月28日
2012年8月29日
うつくしま 福島 応援ツアー
8月20日・21日に、福島県の生産者を訪問する「福島応援ツアー」を行いました。
福島県はカンカン照りの天気で、この夏一番の暑さになりましたが、
福島の美しい景色を堪能することができました。
これは二本松市から福島市方向を望む風景。色鮮やかな花々は地元の篤志家が植えた百日紅。
まだ公開はされていませんが、広い敷地一面に植えられた百日紅は壮観です。
最初の訪問地は、福島市、新萌会・斎藤宏通さんの園地です。
昨年3月11日以降の状況や、除染のご苦労など、これまでの取り組みについてお話を聴きました。
斎藤宏通さん 「この辺り、幹や枝の上の方を削んのよ」
樹皮を削るのは、越冬害虫の対策として、これまでも推奨されてきたことなのだそうですが、
今回、自主的にではなく、強制的に生産者がやらなければならないことになってしまいました。
それでもこの努力によって、数値は大幅に減少しました。
新萌会のみなさんと「幸水」の下での記念撮影
「今年はずうっと雨が降んねくて小ぶりだけど、そのぶん甘味は強くなってっから。」
期待しましょう。
次の訪問地は二本松市の東和地区。この地域の有機農業生産者を支える「たい肥センター」。
代表の白土さんは、上質のたい肥を作って生産者の役に立ちたい、とこの取り組みを始められたそうです。
臭いも無くハエも少なく、こうした施設では珍しい環境です。良いたい肥ができているようです。
羽山園芸組合のみなさんも利用されています。
"東和の自然いい仲間 おらがやさい"
東和地区のみなさんのつながりの強さを感じます。
このうしろの山が羽山。昔からの信仰の山。山頂から富士山山頂が見える最北限の山です。
夕方から夜はバーベキューをいただきながらの交流会。
夕焼けや満天の星を眺めながら、おいしく楽しい時間をみんなで過ごしました。
安達太良山に沈む夕日。左奥に見える三角の山が会津磐梯山。
泊めていただいたのが、「農家民宿 くまさん」
羽山園芸組合の生産者・熊谷耕一さんのお宅です。
自然にめぐまれた里山。斜面を利用しての果樹栽培が盛んな地域です。
寒暖の差がおいしい果物を育みます。左手上方はさくらんぼの園地。
羽山園芸組合代表・武藤喜三さん
ここでも樹皮を削る作業を冬から春にかけて行いました。
メンバーの武藤義朗さんの園地で記念撮影
前列右から二人目は、千葉県の生産者、さんぶ野菜ネットワークの富谷亜喜博さん。
ツアーの記念に、参加者全員の感謝を込めた寄せ書きを贈らせていただきました。
最後にこの地域の取り組みを、「ゆうきの里東和ふるさと協議会」の大槻さんからお話しいただきました。
羽山園芸組会の熊谷耕一さんは、協議会の副理事長もされています。
もともと新規就農者を迎える体制がしっかりしていて、新規就農希望者が多く訪れる地域だったそうですが、
昨年の原発事故以降も変わらず新規就農を目指す若者が多くいるという話を聴き、
また今回実際にお会いして正直驚きました。それと同時にとても希望を感じました。
この地域に特徴的な「山と谷と里」の景観に魅せられた若者たちが移住してきています。
百日紅と羽山
ゆうきの里東和 里山再生プロジェクト
「田畑が荒れれば心も荒れる」といわれます。
私たちは未来の子供達にふるさとの原風景を伝えて人と人、
人と自然のふれあう輝くふるさとづくりを進めています。
有機農業による土づくり、有機的な人との関係をつくり、
勇気をもって挑戦するのが「ゆうきの里東和」の目指す姿です。
今回のツアーは「ふるさと」を感じさせてくれる旅でした。
「ふるさと」の田畑が荒れることのないように、つながりを深めていきたいと感じました。
今回のツアーを快くお引き受けくださり、温かく迎えていただいた、新萌会、羽山園芸組合、
ゆうきの里東和のみなさまはじめ、ツアーにご協力いただいた福島のみなさまに感謝いたします。
どうもありがとうございました。
(CSR推進課 秋元浩治)
2012年8月13日
第22回北海道生産者会議レポート
初めまして、今期から消費者運営委員を務めさせていただく見澤海です。
子ども時代から"大地を守る会"の食材で育ちました。
結婚を機に入会しました。
専門委員会「原発とめよう会」、会員サークル「おひさま会」のメンバーです。
今回が生産者会議デビューです。
よろしくお願いします。
7月19日20日、さわやかな初夏の北海道上川郡当麻町にて、
第22回北海道地区生産者会議が開催されました。
北海道全土から約60名の生産者の方が参加しました。
東京は35℃という暑さでしたが、旭川空港に降り立つと、21℃という爽やかな気候です。
空港から会場へ向かう途中も広大な田畑、青い空と、素晴らしい景色がひろがります。
講演会の前に当麻グリーンライフさんの圃場見学へ。
駅舎の中に事務所があります。
駅舎にて野菜を販売
北海道は、圃場の規模が他の地域とは桁違いだそうです。
ほうれん草 ハウス一つで200坪!!
今、収穫の真最中で人手が足りないそうです。
逆に冬は、雪や寒さで仕事ができないので冬場をどう乗り切るかが大きな課題です。
トマトを加工品にして冬場でも仕事ができるように模索している最中だとおっしゃっていました。
一番景色がいい斜面にあるキャベツ畑
レタス畑
高台の斜面にある畑です。とても見晴らしが良く、素敵な光景です。
珍しい品種のトマト"シシリアンルージュ"
もぎ立てをいただきました。ジューシーでとても美味しかったです。
形は"アイコ"に似ていました。
会場に到着し、講演会が始まります。初めに藤田社長の挨拶です。
その後池田成志先生による「植物共生微生物と農業」です。
共生微生物が農産物の風味、品質に重要であり「おいしさ」の
化学的解明が可能になりつつあるとのお話です。
肥料の成分、メチレン尿素やC1化合物を与えると植物がどう育つかなど化学式での説明が続きます。
私には高校以来の化学式でした。生産者の皆さん真剣です。
農業とは、化学でもあるのだと感心しました。
植物の生育を阻害する悪玉に微生物も共生し、腸内細菌相と同じで善玉と悪玉の割合が重要です。
また、人間も植物と一緒で子どもは最初の離乳食でその子の持つ菌が決まるという話にびっくりしました。
質疑応答では、活発な意見交換がなされました。
皆さんよりよい農作物を作るために試行錯誤しています。
持続的農業生産とは、有用共生微生物との共存(自然の力の本質)との言葉に、
私たち人間も色々な微生物に助けられながら生かされていると(共生)感じました。
講演会後は、各生産者の方から近況報告です。
北海道はここ2.3年雨に悩まされ不作続きでした。
今年は干ばつ気味ですが作柄は順調との報告をうけました。
しかし今年は春先が不安定で、春が短く季節が年々おかしくなっているという話もでました。
また、大都市出身の若者の新規就農者が多く「北海道に憧れてこの土地に来た」という言葉が印象的でした。
近況報告の後は懇親会です。
皆さんお酒を沢山飲みます!
二次会・・・三次会・・・と続きます。タフです。
放射能についての話もしました。
北海道という土地柄、チェルノブイリの子ども達を受け入れていた事や、
放射能についての映画を自主上映した事、福島の子ども達を長期休みの間受け入れている事
・・・とてもパワフルに活動しています。
すごく勉強になるお話しばかりでした。
また、私が子どもの頃に我が家にホームスティに来た生産者の方が、お元気という事が分かりとても嬉しかったです。
今回の生産者会議に参加して、食物を作るという事は、頭も身体も使い本当に大変な仕事だと実感しました。(皆さん日焼けをして格好良かったです♪)
いつも美味しい食べ物を作っていただきありがとうございます。
より一層感謝して食べ物を頂きたいと思いました。
見澤 海
2012年8月 6日
NEWS 大地を守る2012年8月号 今月の数字
NEWS 大地を守る2012年8月号 くらすことつながること
作家。日々の暮らしがその人を育むという思いを言葉に乗せている。著書に『できることからはじめています』、『まいにちのなかにオーガニック』など。3.11を受け「5年後10年後のこどもたちが健やかに育つ会」を立ち上げた。
NEWS 大地を守る2012年8月号 やまけんの大地を守るうんまいもん探訪
1971年、愛媛県に生まれ、埼玉県で育つ。農産品・食品などのコンサルタント会社(株)グッドテーブルズ・代表取締役社長。
『日本の食力? 国産農産物がおいしい理由』ほか。ブログ「やまけんの出張食い倒れ日記(www.yamaken.org)」が人気。
NEWS 大地を守る2012年8月号 山形村短角牛(岩手県久慈市)牧野に、躍る
-美しい日本の風景を守りたい-「山形村」産直31年-
南部赤べこから「短角牛」へ
山形村、牛飼いの歴史
東北地方に牛が導入されたのは、遠く室町時代にまで遡ります。特有の赤褐色から「赤べこ」と呼ばれ、頑強で忍耐強く、沿岸から内陸部へ塩や海産物を運ぶなど、主に荷役に使われてきました。民謡の「南部牛追唄」は、荷を運ぶ牛を追いながら歌われたもの。
そして、山形村で年に数回開かれてきた闘牛は、列の先頭をいく強い雄牛を決めるために、力のあるもの同士で角を突き合わせさせたのが始まりなのだとか。
この荷役牛をつかう「牛方(牛追い)」の多くが山形村から出て、また、山形村は「子とり(繁殖)」の地になっていきます。
稲作に向かなかった山形村は、炭焼きや雑穀作りのかたわらで牛を育て、子牛を売ることで暮らしを立てたのです。当時はもちろん配合飼料などあるわけもなく、夏は山に放して草を食べさせ、冬は牛舎に入れて飼いました。現在も引き継がれる「夏山冬里方式」は、ここから始まったのです。
伝統の闘牛生産者が"勢子"をつとめる
大地を守る会に「牛を売る」
村の命運を託した決断
その後、南部牛は、明治から昭和初期にかけて輸入された「ショートホーン種」を交配、改良されていき、日本固有の肉専用種「日本短角種」となります。西日本に多い黒毛種と違い、「赤べこ」の血を引くだけあって筋肉質で頑強な牛です。
当時の山形村の主な産業は、炭焼き。けれど木炭は、昭和の半ばには他のエネルギーに取って代わられていきます。村の窮地に、新たに取り組み始めたのが、肉牛としての短角牛の飼育でした。
ただ、山形村は昔から繁殖させた子牛を売るのが主体で、肥育して肉牛として売る経験がありません。混乱、そして赤字続きのなか、ある時、「短角牛を買いたい」という団体が現われます。輸入飼料に頼らず、伝統的な「夏山冬里方式」で育てた牛を買いたい。ちゃんとした赤身の肉が欲しい――それが、大地を守る会でした。
当時の大地を守る会は、まだまだ小さな団体でしたが、日本の農業・畜産業について考え、健全に育った牛を探し求めていました。そして出会ったのが、短角牛だったのです。「牛を売って、ちゃんと金を払ってくれるのか」――山形村の当時の担当は悩んだと言います。けれど、本物の牛を育て、それを理解できる消費者に売れるなら......山形村は、決断します。
2012年5月の山上げツアー
「短角牛」の枠を超え
村と付き合う
取り引きにあたり山形村が出した要望は、短角牛だけではなく「村と丸ごと付き合う」こと。単純に、牛を育て、それを売る・買うだけではない関係性ーーもちろん、きちんと育てられた短角牛には正当な評価をし、正当な価格を支払う。でもそれだけでなく、「村一番の名産」以外の、ほかの産物にも光を当てよう、村の経済を支えようと山形村との産直提携が結ばれ、1981年の年末「短角牛」は、初出荷の日を迎えます。翌々年からは、会員が山形村を訪れる「べこツアー」も開始されました。安全で、おいしい食べ物を作る人々、その商品の価値を理解し、買う人々......国内版「フェアトレード」とも言える関係の始まりでした。
以来、山形村と大地を守る会は歩みをともにし、短角牛のほか、共同出資して設立した㈲総合農舎山形村を通じて、ほうれんそうやしいたけなどの農産品・加工品を取り扱っています。短角牛もまた、飼料の完全な国産化をはかるなどの進歩を遂げています。「いわて短角牛」ブランドを冠するなかでも国産飼料100%は山形村だけの取り組みであり、いずれ東北全体へ、そして日本中に広がっていく、そのモデル作りでもあると考えています。
山上げのとき、おどおどする子牛たち
日本の将来のために
今こそ「食べて、支える」
昨年3月、東北は甚大な被害を受けました。東日本大震災、そして、東京電力福島第一原子力発電所の事故。東北の畜産業は、交通麻痺によって飼料が入手できず、多くの家畜を失いました。そんななか、山形町は直接的な被害も少なく、また、生産者自らが飼料作りを手がけてきた甲斐あって、牛の餌に困ることもありませんでした。
けれど、原発事故の影響は、「短角牛の売上低下」という形で、原発から300km以上も離れた山形町にも表れました。「やれることは全部やろう」。震災の翌月には牧草や稲ワラの放射能検査、そして7月には出荷する牛の全頭検査も始め、これまでのところ全頭不検出(放射性セシウム134・137および放射性ヨウ素131が概ね10ベクレル/㎏以下)という結果です。それでも、震災前に比べ出荷頭数にして6〜7割と、短角牛の消費は極端に落ちてしまっています。
東北産の食べ物を食べることを、強要はできません。ただ、「山形村短角牛」は、大地を守る会の、食や第一産業に対する取り組みの象徴です。村ごと付き合うーー山形町との約束を果たすために私たちが出来ること、それは「食べること」ではないでしょうか。商品を買い、食べることが、山形町へのなによりの応援です。そして、生産者をはじめとする山形町の人々に会うことがあれば、ぜひ「食べてます」「おいしかった」と伝えてください。そのひと言が山形町を支え、東北を支え、日本の美しい農村風景を守る、大切な原動力になるからです。
※山形村は2006年3月、旧・久慈市と合併して久慈市山形町になりました。
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