2011年3月28日アーカイブ

2011年3月28日

出荷停止は危機管理になっているか?

 

被災者の一日も早い暮らしの安定と復興を願って、

力を合わせて前に進もうとした矢先、

放射能という、永遠に眠らせておかなければならなかった怪獣が

爆発とともに天空に吹き上げられ、

のたうっては人の善意をあざ嗤い、かき乱し、

私たちの心を被災地から遠ざけていく。

この怪獣は自らを制御することができない、愛をもってしても。

 

いま首都圏の人々は、" がんばろう日本 "  に共振する市民の顔と、

" 放射能への恐怖 "  にうろたえる消費者心理で悶えている。

牛乳やら野菜やら水やら、あちこちのいろんなモノが測定され、

ひとつのサンプルが暫定的に設定された規制値にひっかかると、

出荷停止や摂取制限という形で、一気に 「県」 単位で規制がかけられる。

「食べてもただちに健康危害がおきるものではない」 という解説付きで。

タバコよりリスクは少ない、という記事もあった。

しかし疑心暗鬼は増幅するいっぽうで、つながりが分断されていってる。

 

家族を守りたいと思う行動は当然であり、責めるわけにはいかない。

しかし、いま進んでいる食品規制は、はたしてこれでいいのだろうか。

このままでは相当にヤバイ、そんな気がしてならないでいる。

なんだろう、この激しい焦燥感は。

何か本質的なものが欠落していないだろうか。

風評被害から生産者も消費者も守らなければならないはずの行政が、

風評被害を広げてしまっていないだろうか。

 

悶々とする中で、問題はやっぱこれだよ、と思ったのは、

風向や大気も含めた汚染の状態も無視して、内陸部の会津地方まで、

福島県だからとひと括りにされて何種類かの野菜が出荷制限されたことだ。

 

e11032401.jpg

(3月24日付・朝日新聞夕刊)


福島・浜通り(太平洋沿岸地帯) では、この時期はだいたい風は西よりで、

海に向かって吹いていたと思う。

汚染はけっして規則正しく同心円的に拡がるわけではない。

水であれば、たとえば利根川上流が汚染されれば、

汚染は群馬県という行政区分ではなく、あるいは半径何キロという円でもなく、

水系に沿って一気に東京(河口) へと伝ってくる。

空から降ってくるものの影響を測るのは、単純な直線距離ではなく、

風の向きと力、そして地形だろう。

現場は実験室の中のシャーレではない。

西に100キロ離れた会津地方まで 「県」 という単位で同列に規制する

この判断基準はどこからくるのか。

答えはこれでいいだろうか。 -判断を県という自治体にさせているからだ。

どなたか専門家の方がいらっしゃれば、教えてほしい。

 

この危機は、地球儀を見ながら考えなければならないと思う。

中国から黄沙が飛んでくる季節のうちに、

何としても収束させなければならなかったのだ。 もう無理のようだけど。

 

出荷停止(あるいは自粛) という措置に怒っているのではない。

その規制値に文句を言っているのでもない、今は。

とりあえず疑問は置いて、僕らも従っているワケだし。

ただ、放射能汚染という超ド級の非常事態にあって、

「県」 単位の判断というのは、いくらなんでも稚拙で乱暴すぎないだろうか。

各地の大気モニタリング測定や風をもとに拡散実態を追い、

モノの検査測定値も見ながら、人も含めて規制を指示してゆくべきではないか。

地方自治体の防衛本能に任せる話ではない。

 

非常事態にあっては、行動原理はひとつにしなければならない。

ここでいえば、それは国でなければできないことだ。

「国が情報を集約し、(ひとつの物差しに沿って) 指示する」

こそが必要だと思う。

危機管理の基本だと言ってもいい。

 

すでに県レベルで 「出荷停止」 の判断が異なってきている。

めいめいの小賢しい計算はやめて、行動の目安は一緒にして動かないと、

疑心暗鬼は加速し、必要な人のところに必要なモノが行き渡らなくなる。

 

大地を守る会がいま採用している流通可否判定基準は、

国が出した暫定基準値である。

「そんなんでいいのか!」 というお叱りの言葉も聞こえてきている。

しかし・・・ふだん厳しい安全基準を謳ってはいても、

こういう時に跳ね上がった勝手な行動は慎むべきだと思うのである。

これは自信をもって言ってるわけではなくて、

それしかないんじゃないか、というのがあれこれ考えた結果での、

偽らざる本音である。

 

いたずらに基準をあらそって消費心理を混乱させないために、

行動の基準は一致させて動くことが必要だ、と肝に銘じたいと思うのである。

流通がバラバラに動くと、

生産はゆるいほうに流れ、消費は厳密なほうに流れる。

モノの流れがバラバラになって、対策は後手後手になってしまう。

 

重ねて強調しておきたい。

これは平時の話ではなく、

放射能という、安全を保証する閾値(いきち、しきいち) を明解に設定できない

敵を相手にしている、いままさに進む極めて危険な非常事態での行動規範について、

である。

 

危険度最強レベルの非常事態が進行している。

誰も 「安全です」 と断言できる世界は喪われてきている。

最低ここまでのラインは維持したい、というレベルが国によって示されたなら、

いったんはそれに基づいて行動しよう。

そこに最も多くのデータが集積され

(それは僕らがこれまでやってきたサンプル数の比ではない)、

現状に基づいて適切な判断がそこでされるなら。

しかし、その必死の信頼を担保するだけの判断と指導体制がないとなると、

危機管理システムは機能しない。

みんなが自己保身に走ったら、社会は崩壊する。

 

ここは骨太でいきたい。

ホウレンソウは食べても大丈夫ですか?

-大丈夫です。 僕も食べてます。

  ただし長びけば長びくほど、そうは言えなくなる、という事態が進行しています。

落ち着いた行動が、みんなを守ります。

対策や対応も早くなります。

 

ただ、国や行政の動きがバラバラなままだと、いつまでも紳士ではいられなくなる。

「ここは独自路線で自らの身とみんなを守りましょう」

と叫んでしまう時がきそうで、怖い。

 

せっかく入荷したにも拘らず流通停止にしてしまった 

「くらぶち草の会」(群馬) のホウレンソウをたくさん持ち帰って、

せっせと茹でて、毎日食べている。

草の会の皆さん、僕が食べた分は払います。

 

上に貼り付けた新聞記事。 最後のところで、大地を守る会の生産者である

二本松市の大野達弘さん (NPO 東和ふるさとづくり協議会) が登場して、

語っている。

 

  「安全安心に自信があった品物なのに・・・」。

  地域をあげて無農薬や有機栽培に取り組み、

  山あいの不利な条件を克服する農業を実践してきた。

  県外から新規就農する若者も出てきていた。

  その矢先の原発事故。

  「我々は何も悪いことをしていないのに、なぜこんなことになるのか。

  早く作物が安全だといってもらえるようになりたい」

 



大地を守る会のホームページへ
とくたろうさんブログへ