放射能対策の最近のブログ記事

2014年4月29日

福島の魚を食べる

 

今夜は広島に来ています。

広島駅新幹線口近くのホテルにチェックインして、

近所にあった地酒と地魚の居酒屋でテキトーな気分になって、

部屋に戻ってパソコンに向かっています。

明日は、中国山地の真ん中で食をテーマに地域起こしを進める

島根県邑南町に向かいます。

 

さて、4月26日(土) の会合ハシゴの締め。

御徒町の寿司処 「しゅん」 で行なわれた 「福島の魚を食べる会」。

この「食べる会」は 2回目で、1回目は所用があって出られなかった。

なんとしても 今度は出なきゃね、ということで

案内をもらってすぐに申し込んでいた。

昨今、土日は平日より忙しい。

 

ゲストで来られたのは、

いわき市漁業協同組合久之浜支所 「熊野丸」 の漁師、

新妻竹彦さん。 

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震災とフクイチ事故から 3年の時間と今の思いを、

淡々と語ってくれた。

今もまだ漁は限定的なもので、週2回の試験操業、

なおかつ魚種もミズダコやコウナゴなど、放射性物質のモニタリング検査で

安全性レベルが確認されたものに限定されている。

東電の賠償は続いているが、

漁師の生きがいが補償されることはない。

このままでは漁師は減り続けることだろう。

 

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農業以上に高齢化が進む日本の沿岸漁業にあって、

福島・浜通りの漁業は優等生だった。

ただ獲って売ればいいというようなやり方ではなく、

資源管理に基づいた 「いい魚をちゃんとした値段で売る」

経営感覚が育っていた。

だから仲買や小売店からも支持され、まっとうな値段で取引された。

それは福島ブランドのひとつだったと言ってもいい。

我々のような団体との産直も必要としないくらいに、

浜通りの魚は高級割烹とかに回っていたのである。

 

それが2011年3月11日を境に崩壊した。

ブランド力と誇りは、お金では補償できない。

しかも彼らを支えたいと心を砕くのは、原発推進派ではない。

ゲンパツは、いざとなったら 「地域を使い捨てる(切り捨てる)」

発想に基づいている。

 

新鮮で美味しい魚をいただきながら話し合っても、

特効薬が見つかるわけではない。

しかし語り合うことこそが大切な一歩であり、

消費者とつながっている実感こそ、いま彼らが願っているものである。

彼らは被害者でありながら、

加害者になってはならないという思いで慎重に操業を続け、

情報を公開しながら出口を探しているのだ。

 

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届いたキチジをベースにした刺し盛をいただく。

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美味い。

いま福島沖は、究極の資源管理状態にあって、

どんどん魚が増えているらしい。

しかし指定魚種以外は、網にかかっても捨てざるを得ない。

漁師のため息は深く、まだ長いトンネルの中を進んでいる。

 

新妻さんは別に我々との取引を求めているわけではない。

ただ消費者の気持ちを知りたいとの思いでこの企画に乗ってくれた。

僕らはもっともっと、ちゃんと話し合い理解し合うことが必要だ。

理論も戦略も、現場を救えなければ意味がない。

でなかったら消費者も未来も守れないのだから。

 



2014年2月21日

ジェイラップ3年間の思いをぶつける、新春講座

 

昨日は朝日新聞の雑誌 『アエラ』 から、

今日は朝日新聞千葉総局から、取材を受けた。

当会が実施してきた放射能対策について、また現在の状況や

今後の展望などについてお聞きしたいと。

久しぶりの放射能系での取材、しかも続けざまにやってきた。

さらには今日の取材の直後、福島大学の先生から、

朝日の記者を紹介したいのだが、とのメールが飛び込んできた。 

どうやら別な記者さんも同様の取材をして回っているようだ。 

戸惑いつつ、 「さっき1時間半、お話ししたところですが」 とメールを返した次第。


おそらくは、「3.11から 3年~」 の特集でも組まれるのだろうかと察する。

メディアのパターンとして、だいたい  " あの日(その日) "  近くなると 

「あれから〇〇年、忘れまじ」 といった特集が組まれたりする。

それ自体を悪く言うつもりは毛頭ないけれど、

直前になって集まって来られると、やっぱちょっとね。

もっと普段に歩かないと掘り下げられないんじゃないの、とは言ってみたくなる。

「記念日扱い」 で済ますと、アリバイづくりにも見えてくるし。

(『アエラ』 の記者さんはかなり粘り強く福島を歩いている方ではあった。)


当事者にとってそれは、切り離されたおとといの話ではない。

今も日々続くたたかいの核にところに、

" 私の3.11 " (あるいは原発事故と放射能汚染) は脈打っている。

たとえば、この人たちの取り組みをずっとフォーカスし続けてみれば、

希望はどこにあるのかが垣間見えてくるはずだ。


 - と、ジャーナリズムへの苦言を前置きにして、

   アップできてなかったレポートの続きにつなげたい。


1 月 25日(土)、米プロジェクト21主催 『新春講座』 の報告を、遅まきながら。

テーマは、「ジェイラップ2013年の取り組みから学ぶ」。

講師は、ジェイラップ代表・伊藤俊彦さん。

場所は、大地を守る会六本木会議室。

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僕らがずっと大事にしてきたアイテム、「大地を守る会の備蓄米」。

作ってくれている生産者団体である 「稲田稲作研究会」 と、

彼らの米づくりを全面的に支え、集荷から貯蔵-精米-販売まで一手に引き受ける

(株)ジェイラップが一体となって進めてきた除染対策は、

この 3 年間ではたしてどこまで到達したか。


昨年(2013年) 産の備蓄米は、我々の通常の測定で

検出限界値(3Bq) 未満まで下がってきているのだが、

ジェイラップではさらに精密な長時間測定を検査機関に依頼し、

炊いたご飯にして 0.2 Bq未満というレベルまで確認している。

これは被ばくの基準とされる年間 1mSv の 10 万分の 1 に相当する。

さすがにここまでくれば、「西の方が安全」 とは言わせないぞ、

という思いが伊藤さんにはある。


福島、いや日本の農産物では、今はもう

食べて内部被ばくを心配するレベルではないだろう、と伊藤さんは考えている。

ただし、継続して測ることが重要である。

また、どういった知識や理解をもって(出荷等の) 判断をしているのか

を見ておくこと(=見える相手であること) が大切である、

も付け加えた。

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さらに、ちゃんと繊維質を摂ることが大事だと、食べ方を語ることも忘れない。

チェルノブィリ後のウクライナでも、黒いパン(全粒粉のパン) を食べよ、

という食事指導がされた。

玄麦のほうが濃度が高くても、排出力と免疫力強化において勝る、

という判断からである。

消化しないものの中にデトックス効果がある。

心配し過ぎて食事のバランスが乱れることのほうが危ない、は正しい。

伊藤さんは、こういった対策の基礎知識を、

小児科医の 菅谷昭さん(現松本市長) や、チェルノブイリ救援・中部の河田昌東さんなど

多くの識者にぶつかりながら吸収してきた。


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さらに伊藤さんやジェイラップ、稲作研究会の人たちのすごいところは、

得た知見や仮説をすぐに実験や実践に結びつけていったことだろう。

とにかく家族を守るために、やれるだけのことをやる。 あとで後悔しないためにも。

一生懸命やって無駄なことはない、と信じて仲間とやってきた。

・・・伊藤節が炸裂し始める。


ジェイラップは、2011年秋の収穫が終わってから、

田んぼの反転耕(天地返し) に取り組み始めた。

有効土層(表土) 15センチと下層土 15センチをひっくり返す作業である。

周りからは、そんなことをしたらコメが作れなくなるとか機械が入らなくなる

といった批判もあったようだが、伊藤さんたちはひるまなかった。

それまでの様々な実験や調査によって、科学的根拠を獲得していたのだ。


水田土壌は畑と違い、耕起作業で放射性セシウムが平均的に分散されない。

セシウムは比重の軽い粒子に付着しやすく、代かきをした際には、

表層の懸濁水のほうが高い濃度になる。

何度やったとしても、水に浮く軽い土壌粒子とともに上に移動する。

そのセシウムはやがて沈降し表土に堆積する。

したがって田んぼでは、表層10センチに9割のセシウムが集積することになる。

この事実を、彼らは自分たちの実験で立証していたのである。


天地返しすることによって、確実に線量は下がる。

そのあと、ゆるくなった田んぼは踏み固めればよい。

その確信のもと、

2011年秋から冬にかけて、まずは仲間の水田 30ha で実施した。

線量の低下を証明し、さらに翌年にちゃんと美味い米が獲れたことで、

地元の農家たちを唸らせた。

2012年秋は 120ha までに拡大した。

そして、「伊藤たちの言っているほうがまともじゃないか」 「ジェイラップにやってほしい」

という住民の声の高まりとともに、行政も認めざるを得なくなった。

2013年の秋には、行政が窓口になり、反転耕の申し込みを受け付け、

ジェイラップに作業を委託するという形にまで発展した。

今では、須賀川市や福島県の除染マニュアルに反映されるまでに至っている。


彼らをここまで動かせたのは、自分たちの農地は自分たちの手で守る、

という矜持のようなものだ。

「 よそから来たゼネコン任せでは、こんなことはやれないですよ。

 彼らは証明されてないことはできませんから。

 でも私たちが示したのは、表土を剥いで仮置き場を作って、なんていう対策は

 不要だということです。」


反転耕によって、空間線量が 40% 減少した。

これは、米の安全性を守るだけでなく、住民の健康を守る(=吸入による被ばくを防ぐ)

ことにもつながっている。

「 空間線量が高くなるのは、春一番が吹く頃と風の通り道。

 通学する子どもたちの被ばくを防ぐためにも、やってよかったと思いますね。」

そういえば、伊藤さんは前に語っていた。

「 いつか孫やその孫に、よくやったと褒めてもらえるだけのことを、やっておきたい。

 なんであの時やらなかったんだ、なんて言われたら、

 オレは死んでも死にきれない。」

彼にはおそらく、先祖から子孫につながる鎖が見えているのだろう。

 " 今はたすべき責任 "  とは、命のつながりを守ることなのだ。


反転耕は地下水の汚染を招く、と批判する学者がおられた。

それに対しても、伊藤さんの反論は説得力がある。

土壌粒子に付着した放射性セシウムは、1年に 1センチずつ、

壊変(崩壊、30年に半減-60年に4分の1~) しながら沈降していく。

300年で100分の1 になった時点で、3メートル沈んだ計算である。

そんな浅い井戸は、そうない。

むしろ 1000分の1 の濃度に下がるまで、がっちりと土の力で封じ込める。

この方法が最も確実でコストもかからないやり方ではないか。

これはまた、土を守り続ける農業をちゃんと持続させることが大切だ、

ということでもある。


行政の後押しを得て、伊藤さんは、あと2年で

 1,100ha の反転耕を達成させる計画である。

点々とやるのでなく、「片っぱしから、面的な展開」 で進めると。

そうすることで上流からの移染もなくなる。

放射性物質を運ぶのは、風と水である。

対策は地域全体で、面的に取り組むことで有効度が飛躍的に高まる。


反転耕を進めるために、ジェイラップでは欧米の大型トラクターを購入した。

タイヤの直径が 1m80cm もあるデカいやつだ。

チェルノブイリ後の除染にも使われたタイプで、キャビンのドアを閉めると

空気圧が高まって外からの埃が入ってこないように作られている。

オペレーターの健康にも配慮した仕様である。

日本には残念ながらそういうものがない。

1台 1200万円、これを 6台 購入した。

誰もが無謀な投資だと指摘した、あるいは笑った。

しかし、伊藤さんの計算はこうである。

日本のトラクターは軽量化が進んでいるため、

だいたい 2,500時間でエンジンの交換が必要になる。

だけどこいつは、25,000時間持つ。

また北海道の畜産農家だと、このクラスの機械を使う。

北海道の牧場に人気のある機種にして、

3年後に半額で売却する買い手を見つけておけば、何とかなる。。。

そして実際に、そうしたのである。

この話には、会場からも感嘆の声と拍手が沸いた。


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問題は、やる覚悟があるか、である。

界で初めて、水田が放射性物質に汚染されるという事態に遭った。

しかしその対策では、世界に貢献できるものをつくったという自負はある。

(活かされる、という事態はあってはならないけれども-)

・・・こう言えるだけの研究者が、日本にいるだろうか。


ジェイラップは、この一連の取り組みが高く評価され、

昨年、全国農業コンクールで名誉賞に輝いた。

福島に伊藤俊彦という人物がいたことは、日本にとって幸いであった。

僕は腹の底から、そう思っている。


「こんなに元気になった私を見てほしい、そう思ってやってきました。」

「私が大地を守る会が好きなのは、ただのモノの関係だけでなく、

 しっかりした学び合いがあって、つながっていることです。」

そして最後に、こんなふうに結ばれた。


いま巷では、TPP やら減反政策見直しやらで騒がしいが、

農家もさすがに赤字になってまで米を作り続ける人はいない。

しかしその後は、モノが足りなくなって値上がりしていくことになる。

一次産業をダメにして、最後にしっぺ返しを食うのは消費者ということになる。

食べ物は、ある日突然なくなる。 だんだんに、ということではない。

しかし 「備蓄米」 は、買っていただける分は必ず作り続けます。

作る責任と買う責任が一体になったら、モノづくりはなくならない。

約束を守り合う 1 対 1 の関係があれば、そのつながりは生き残る。

仕組みより、生き方のように思う。

つながってよかったと思える、そう信じ合える関係の中で脈々と生き続ければ、

それはきっと次の時代のマニュアルになる。

そういうところに身を置き続けたいと思う。

「備蓄米」(の申し込み数)は事故によって減ってしまったけれど、

稲田のイノベーションは進んでいます。

もっとイイ産地に、ゼッタイにしてみせます。

これからのたたかいっぷりを、どうか見ていてほしい。


いまジェイラップの倉庫の屋根には、太陽光パネルが貼られている。

さらにもっと多様な自然エネルギーの活用を、伊藤さんは模索している。


この国の未来をどう築き直すのか。

この問いに対して、諦める、という言葉はあり得ない。

明日に希望を渡すためにも、「備蓄米」 は人をつなぎ続けたい。

今年の秋には、去年台風でできなかったぶんも含めて、

盛大に収穫を祝い合いたいと思う。




2014年1月24日

『100,000年後の安全』、無料配信!

 

" 渋谷の聖地 "  と呼ぶ人さえいる映画館 「アップリンク」 を主宰する

浅井隆さんが、

ドキュメンタリー映画 『100,000年後の安全』 を、

サイトで無料配信を始めた。

浅井さんが 3.11前に買って上映活動を始め、

その後大きな劇場でも上映されることになった作品だ。

これを無料配信って、、、 

DVD を数千円で買ったワタクシとしては、当然抗議すべきところだが、

今回だけは拍手を送りたい。

 

いま争われている東京都知事選で

候補者並みに注目されている小泉元首相が、

この映画を見てフィンランドのオンカロまで視察に行き、

脱原発を決意したと言われたりしている。

 (今日参議院会館で開催された 『有機農業の明日を語る』 で、

  民主党の篠原孝議員は 「本当は、彼はその前から考えていたんですよ」

  と語っていたが。 -この会合については改めて報告したい。)


ゲンパツをどうするか、いずれの立場に立とうとも避けて通れない

核廃棄物処理の問題を考えるのに、必見の一本である。

加えて、エネルギーをどうするかは、

東京にとって極めて重大な政策争点であることは

重ねて強調しておきたい。 浅井さんの本意もそこにあるのだと思う。

原発は必要というなら、どの地方に頭を下げるのか、

そして廃棄物をどこに埋めるのか。

(日本列島にはオンカロに匹敵する地盤の場所はないと言われている)

よーく考えてもらいたい。


浅井さんの採算を度外視したこの暴挙に敬意を表して、

紹介しておきたい。 

『100,000年後の安全』 無料配信サイトはこちらから。

   http://www.uplink.co.jp/100000/2014/

まだ観てない方には、この機会にぜひご覧ください。

 


2013年12月16日

二本松から南相馬へ (+ご案内を一つ)

 

「農家民宿」 とは、農家の家(うち) に泊まらせて頂くことだ。

予め料金が設定されているので余計な気兼ねは不要だけれども、

ホテルとは違うので、やはり礼儀は欠かせない。

たとえ話題は尽きなくても、切り上げは常識の範囲にすべきだろう。

なにより奥様に迷惑をかけてしまう。

いい歳して相変わらずのサル以下人生。。。

 

それにしても星空の綺麗だったこと。

忘れていた本当の空が、広がっていた。

この空が見れるのは、地上での暮らし方による。

東京だって、ライトをすべて消せば、天気が良い日には

美しい星座が確認できるはずだ。 安達太良の空ほどではないにしても。

 

武藤様。 お世話になりました。

宵っ張りの客でスミマセンでした。

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さて、4日間にわたる福島漬けの最終日。 

バス2台で東京からやってきた「農と食のあたらしい未来を探る バスツアー」

一行(約90人) は、11月24日(日)8:30、「道の駅とうわ」 に再集合して、

米の全袋検査所を視察し、二本松市から南相馬市へと向かった。

 


「道の駅 南相馬」 の研修室で、

お二人から現地での取り組みを伺う。

 

NPO法人 JIN 代表の川村博さん。 浪江町出身。

介護老人保健施設の副施設長などを経て、実家で農業を営む。

震災後は避難者の生活不活発病の防止などに奔走しながら、

浪江町サポートセンターの設置を提案し、

現在その運営(福島県からの委託) に携わっている。

昨年4月には、仮設住宅に入居する障がい者とともに 「サラダ農園」 を開設。

約 2町歩(≒2ha) の畑とビニールハウス 4棟で、

無農薬・無肥料による野菜栽培に挑んでいる。

来年には農業専門の会社を立ち上げて、高齢者も雇用する予定である。

「戻りたい」 と願う人たちのために、

農業を基盤としたコミュニティづくりを進めたいと抱負を語る。

 

原町有機稲作研究会の杉内清繁さん。

福島県有機農業ネットワークの副代表も務める。

大震災と原発事故という二重被災を経験して、私たちは何を学んだか。

その学びをこれからどう活かしていくのか。

静かな語り口で、この2年半の取り組みを振り返ってくれた。

正確な情報や知識がいかに大事であるか。

油糧作物の栽培による農地除染の試みの報告。

そして農地を活かしたエネルギー生産 (小水力やバイオマス熱利用など)

も視野に入れながら、自然環境と共生する社会づくりに向かっている。

 

 

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「 Fukushima を英語で表せば Happy Island だ。

 私たちは負けない。

 Fukushima から Happy で Sustainable な社会をつくっていく。

 3.11で犠牲になった人たちのぶんまで、

 そして次世代の子どもたちに新しい社会を残す。

 それが私たちの役割だと考えています。」

 

有機農業者には、本当に意志が強く、モラルの高い人が多い。

様々な生命との 「共生」 が、その思想の土台にあるからだろうか。

彼らの粘り強い営みによって、新しい道が開かれていってる。

福島はいつか  " 最もモラルのある、哲人たちの国 " 

と呼ばれるようになるかも知れない。 我々は学ばなければならない。

 

最後の目的地は、南相馬市小高区。

有機農業のベテラン、根本洸一さんのほ場。

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原発から 11km という説明だったか。

種をまく、土を耕す、それが私の人生。

何があっても、ここで土とともに生きる。

 ・・・ この生き方を、誰も否定することはできない。

 

みんなで人参の収穫作業をやらせていただく。

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今年 6月の放射能連続講座 をきっかけに

ファイトケミカルに目覚めたエビちゃんは、

偉そうに 「葉っぱも持って帰りましょう」 などと

講釈したりするのだった。

 

帰りのバスで眺めた南相馬市南部、海岸線の様子。

 

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なんといううら哀しい光景だろうか。。。

 

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原発事故さえなければ、復興は間違いなくもっと早く、

確実に進んだであろう。

ゲンパツというとんでもない不良債権が奪ったものは、

たくさんの命、暮らし、経済、自然、風景、心・・・

とても計測できない、天文学的な価値の総体だ。

しかもこの負債処理が永遠に続くなんて、、、耐えられない。

 

それでも自らにムチを打ち、前を見る人たちがいるのである。 

官に頼らず、除染に挑み続け、今日も耕す人たち。

あれから 3 度目の冬だというのに、歓喜はまだ訪れてこない。

都会では忘れようとする空気すら感じさせる。

僕らは  " 寄り添う "  とかいう、どこか対弱者的な目線ではなく、

DNAの鎖のように離れずに連なっているという意思を、

しっかりと伝え続ける必要があるんじゃないか、Fukushima に対して。

 

しつこく書かせていただいた福島レポートを、

新年の講座の予告をもって締めさせていただきたい。

 

10月に台風のせいで開催できなかった

「大地を守る会の備蓄米・収穫祭」 のリベンジ企画を用意しました。

 

大地を守る会専門委員会「米プロジェクト」 新年学習会

『ジェイラップ 2013年の取り組みから学ぶ』

「大地を守る会の備蓄米」の生産者である稲田稲作研究会(福島県須賀川市)

を率いてきた(株)ジェイラップ代表の伊藤俊彦さんをお招きして、

" さらに安全な "  米づくりと、地域環境の再生に邁進した2013年の取り組みを

お聞きするとともに、その成果と課題から

未来に向けての視座を学びたいと思います。

 ・ 放射性物質はどのレベルまで下げられたか(安全性の現状)。

 ・ 除染はどこまで可能か、なぜ必要なのか。

 ・ 安全な食と環境を未来に残すために、私たちにできることは何か。 等

会員に限定せず、広く参加を募ります (会場は狭いですが)。

 

◆日 時: 2014年1月25日(土) 午後2時~4時

◆場 所: 大地を守る会六本木分室 3階会議室

       (地下鉄日比谷線・六本木駅から徒歩7分)

◆ゲスト: ジェイラップ代表 伊藤俊彦さん他

◆定 員: 30名

◆参加費: 無料

※ 終了後、丸の内にある大地を守る会直営店

  「農園カフェ&バル Daichi&keats」 にて、伊藤さんを囲んで

  懇親会を予定しています。(自由参加。参加費3000円ほど)

◆ 申し込み方法:

   HPでもご案内する予定ですが、とりあえず戎谷まで

   メールにてお申込ください。折り返しご連絡差し上げます。

    ⇒ ebisudani_tetsuya@dachi.or.jp

                          ( アンダーバーが入ります。お間違いなく。)

 

たくさんのご参加をお待ちします。

 

本年最後の福島リポート。

最後まで読んでいただいた方には、深く感謝申し上げます。

 



2013年10月18日

" 希望 " の源はどこに

 

" 分断 "  を越えなければ、希望は語れない。

しかも環境や平和を守ろうとする人たちほどカンペキを求めて批判しあい、

スクラムが組めないでいる。

これじゃあ再稼動や原発輸出を推し進める側の思うツボだよね。

 

-と、我々を叱咤するかのように宿題を提示した上で、

鎌田さんは自ら撮った写真を映しながら話を進める。

 

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例えば、事故後も緊急時避難準備区域に残り、末期ガンとたたかいながら、

80人以上の赤ちゃんをとり上げた

南相馬・原町中央産婦人科医院・高橋亨平先生の話。

残念ながら今年1月、74歳で亡くなられた。

高橋先生は生前語っていたそうだ。

「妊婦と子どもを守れない社会に未来はない。」

 

例えば、ベッドが満杯になっても来る人を拒まず治療を続けた

ひらた中央病院(石川郡平田村) の話。

今も全国すべての人に門戸を広げ、

ホールボディカウンターによる検査を無料で受け付けている。

本来は国がやるべき仕事なのだが、

だからと言ってやらないワケにはいかない。

目の前の困っている人、待っている人をどう助けるか、

1例でも子どもの悲劇を生み出さないために、

現場でやれる最大限のことをやる。

それが大人の務めだと、鎌田さんは強調する。

こういう人たちから僕らは何を学ぶのか。

 


例えば、白血病を患ったベラルーシの少年、アンドレイ君の話。

亡くなる前に 「パイナップルが食べたい」 と聞いて、

日本の看護師たちが雪の中、一軒一軒店をたずね

パイナップルを探して歩いた。

アンドレイ君は亡くなり、鎌田さんは 「助けれらなかった」 と悔やむのだが、

お母さんは、こう言ったそうだ。

「雪の中、息子のためにパイナップルを探してくれた日本人がいたことを、

 私は忘れません。 日本人に感謝しています。」

 

イラクには9年にわたって毎月300万円ぶんの薬を送り続けている。

劣化ウラン弾が原因と思われる白血病で亡くなった少女は

絵を描くのが好きだった。

その絵をバレンタイン・チョコの缶のフタに印刷して寄付を募っている。

その少女が亡くなる前に言ってくれた。

「私は死にます。 でも私は幸せでした。」

学校には行けなかったけれど、この絵によって日本の人たちとつながり、

仲間の子どもたちが救えるなら、私は幸せだと。

 

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たくさんの人たちが目頭を押えながら聴き入っている。 

絶望的な状況の中でも、希望は芽生える。

この希望の根源は何だ・・・・・ 僕にはこの言葉しか浮かんでこなかった。

愛、か。

 

もちろんこのひと言で済ましてよいとは思ってない。

冷静な分析も、しっかりと声を上げることも、行動も必要だ。

でも、人をつなげ、現場で最善を尽くさせる力は、本能のような 「愛」 なのだろう。

そして論理だけで決めつけず、現場の苦悩を知ること、

あるいは想像力をはたらかせることが大切だ。

現場の困難さや様々な事情、違いを理解し合い、

〇 を目指しながら今の △ をしっかりと刻む、

その原動力となるものを失わずに歩いていきたい。

これが僕なりに受け止めた、

鎌田さんからの  " 希望への答え "  だった。

 

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途中、加藤登紀子さんと一緒につくられたCD 『ふくしま・うた語り』 の曲が流れ、

鎌田さんの詩 「海よ、大地よ」 の朗読があった。

その一節に、大地を守る会初代会長・故藤本敏夫さんの名前が出てくる。

 

  1968年、日本を変えようとした一人の若者が怒っていた。

  「人間は、地球のすべての生きものたちに、土下座して謝るべきだ」

  この男は2011年の出来事をマチガイナクこの時、予感していた。

 

地球に土下座して、やり直そう。

僕がこのメッセージに出会ったのは80年代だけど、新鮮だった。

もう一度、怒りだけでなく、深い反省から出直す心が求められている。

" 分断 "  を越えて進むためにも。

 

チョー多忙な中、講演を引き受けていただいた鎌田さんに感謝して、

ここで新著の紹介を。

日比谷図書文化館は販売禁止のため貢献できなかったし。

 

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〇に近い△を生きる 「正論」や「正解」にだまされるな

(ポプラ新書、780円+税)

 

鎌田さんは書いている。

「〇 と × の間にある無数の △=「別解」 に、限りない自由や魅力を感じる。」

「自分の自由を守るのは、いつも希望だった。」

「地球の人間は、愛に一生懸命になるしかない。」

 

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約 1年半、13回にわたって行なった

「大地を守る会の 放射能連続講座」、これにて終了です。

改めて、安い講演料で快く受けていただいた講師の方々と、

毎回のように足を運んでくれた会員の皆様、

時に休み返上で手伝ってくれたスタッフに、

深く感謝申し上げます。

至らない点、不満に思われた点など多々あり、

要望もたくさん承りました。

今後に活かしていきたいと思います。

(ただし何でもできるわけではありません。 〇 に近い △ でお願いします。)

 

希望を失うことなく、前に! 歩み続けたいです。 

 



2013年10月16日

連続講座最終回-鎌田實さんが語る " 希望 "

 

台風26号来襲。

電車も止まり、交通網は大混乱の様子。

職場は就業時間になっても人はまばらで、土曜日のようだった。

(それでも物流は止まることなく走ってくれている。)

今日は、農水省で予定されていた

「第2回 日本食文化ナビ活用推進検討会」 も中止の連絡が入る。

 

甚大な被害を受けた地域の方々には、一人でも多くの方の無事と

一日も早い暮らしの復興を祈るしか今の僕には術がない。

一方、北海道・帯広では平年より22日早く積雪を記録したとの報道。

十勝や富良野あたりの生産者の顔が浮かぶ。

どこか狂った自然のリズムだ。

すべてが平衡に向かってのダイナミズムなんだけど。。。

 

暴風とともに凄まじい量の水が太平洋から運ばれてきて、

やられてもやられても、自然の力を受け止めて生きてきた民族。

こんな日、決まって浮かぶ言葉が哲学者・和辻哲郎の 「湿潤」 である。

 

  湿気は最も堪え難く、また最も防ぎ難いものである。

  にもかかわらず、湿気は人間の内に 「自然への対抗」 を呼びさまさない。

  その理由の一つは、

  陸に住む人間にとって、湿潤が自然の恵みを意味するからである。

  洋上において堪え難いモンスーンは、

  実は太陽が海の水を陸に運ぶ車にほかならぬ。

  この水ゆえに夏の太陽の真下にある暑い国土は、

  旺盛なる植物によって覆われる。

  特に暑熱と湿気とを条件とする種々の草木が、この時期に生い、育ち、成熟する。

  大地は至るところ植物的なる 「生」 を現わし、

  従って動物的なる生をも繁栄させるのである。

  かくして人間の世界は、植物的・動物的なる生の充満し横溢せる場所となる。

    (和辻哲郎著 『風土 -人間学的考察-』/岩波文庫より)

 

" 耐える "  とは、ただ我慢することではない。

我々は日々" 鍛え "  られているのだ。

そう思いたい。

 

さて、そろそろこの宿題をまとめなければならない。

10月4日(金)に開催した、

「大地を守る会の 放射能連続講座Ⅱ」 シリーズの最終回(第7回)。

お願いしたのは長野・諏訪中央病院名誉院長で、

日本チェルノブイリ連帯基金 理事長の 鎌田實 さん。

" がんばらない "  けど  " あきらめない "  の人。

 

タイトルは、

『鎌田實さんが語る、希望 ~子供たちの未来のために~』。

" 子供たちの未来のために "  は、

大地を守る会が設立された 38年前から掲げてきたスローガンだ。

あえてこの副題をつけて、鎌田さんにお願いした。

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 (会場は、日比谷図書文化館・コンベンションホール)

 


鎌田さんが語ってくれた話を要約してみる。

 

大地を守る会は、僕に希望を語れという。

しかし、未来への希望を語るためには、

いま様々な局面で起きている  " 分断 "  を乗り越えなければならない。

避難した人たちと残らざるを得なかった人たち、

数値を冷静に読み取り判断しようとする人と 「ゼロでないとダメ」 という人、

帰りたいと願う人と新天地で生きようとする人・・・・・

みんな被害者なのに、いたる所で対立と分断が生まれている。

これを乗り越える道筋を見つけ出さないと、希望は語れない。

被害者は連帯が必要。

スクラムを組んで、政府や東電に要求を続けることが大事である。

 

そのためには、わずかな違いで人を非難したり否定したりしないで、

それぞれの考え方を理解し、接点を見つけ出す努力をしなければならない。

〇か × かではなく、〇に近い△を見つけ出す作業、

それが民主主義の姿だと思う。

 

いま福島の子どもたちのために必要なことは、

健康診断のスピーディな実施、それも継続的にやり続けること。

次に  " 放射能の見える化 " 、そのための徹底した測定と情報公開。

そして保養、できれば一年に1ヶ月程度の期間で。

(代謝の早い子どもは、それだけで劇的に減る。)

低線量内部被ばくの影響についてはまだ分からないことが多い。

だからこそ、徹底した検査でデータを積み上げていくことが必要なのに、

国はまったくやろうとしない。

忘れられていくことを待っているかのようだ。

将来、差別的な  " 分断 "  が起きないためにも、

今やれることをしっかりやっていくことが重要なことだ。

 

最大限やれることをやる、

それが27年間に渡ってチェルノブイリを支援してきた経験で掴んだことだった。

何もやらずに 「大丈夫だ」 と言ったり、

わずかな妥協も許せないと批判し続ける態度は、

現場感覚に合わない。

「(事故が)起きてしまった中で、どうやって子どもの命を守るのか」

という目の前の現実に対しては、

たくさんの考え方があるなかで、〇にできるだけ近い△を探すしかない。

 

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長年地域医療に取り組んできて、長野県は日本一の長寿県になった。

粘り強く生活習慣を変えていく努力をしたが、

例えば減塩の味噌汁を徹底させるより効果的だったのが、

野菜をふんだんに使った具沢山の味噌汁だった。 野菜の力は大きい。

 

しかしもっと興味深いのは、ハーバード大学の研究グループが

日本の長寿の要因を調査して導き出した見解である。

それは 「社会的格差が少ない。 そして人と人の絆・つながりがある」

というものだった。

なぜ長野県が長寿で、医療費が少ないのか。

鎌田の考えは、高齢者の就業率が日本一だということだ。

高齢者が生きがいを持って仕事 (その多くは小さな農業) をし、

助け合って生きている。

お金はたくさんなくても幸せ、これが長寿の秘訣だった。

しかし小さな農も、国民皆保険という素晴らしい医療制度も、

TPPによって崩されようとしている、たいした議論もないまま・・・。

みんなもっと声を上げないといけない。

 

動脈硬化やガン化を起こすフリーラジカルの中に、

活性酸素、農薬、放射線などがあるが、

フリーラジカルを暴れさせないために、抗酸化力のある色素が大切。

野菜を摂ることは、実は放射線防護にも大変有効である。

加えて醗酵食品が挙げられる。

食によって免疫システムを強化することを忘れないようにしたい。

そして自分なりの数値基準を持つことだ。

その判断力を得るためにも、

データを取り続けること、そして見える化が必要なのである。。。

 

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この連続講座も昨年の 6月に始めてから延べ 13回、

12人の専門家と 4人の生産者を招いて

放射能とどう向き合うかを模索してきたけど、

ほぼ鎌田さんの話に集約されたような気がする。

 

しかし、希望を語るためには乗り越えなければならないことがある、

と鎌田さんは強調される。

僕らにはまだ、希望は語れないのか。

どうすれば乗り越えられるのか・・・

いや、答えは、鎌田さんがスライドを映しながら語ったエピソードの中に

見事に示されてあるように思えた。

それは、みんなの中にあるものだ。 

この答え、間違ってないと思う。

長くなったので、次回に。

 



2013年9月16日

" 進化を誓う " お祭りにしよう

 

台風による激しい雨と風に弄ばれながら休日出勤。

東北方向へと走り去っていく雲を眺め、

自然の猛威に叩かれては鍛えてきた我が民族の底力を思う。

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大地を守る会の放射能連続講座Ⅱ-第6回。

『福島と語ろう!』

最後に、3名の生産者からのメッセージを。

 

まだ福島を忘れずにいてくれたことに、とても嬉しい気持ちになりました。

心配なのは低線量被ばくの影響です。

データを取り続けていってほしいと願っています。

  -福島有機倶楽部・阿部拓(ひらく) さん。

 

原発事故は、過去の何にも比べものにならないくらいの困難だ。

それでも、これまで通り暮らしていきたいと思う。

これを普通の困難だと思って一日一日を暮らし続け、

ひとつひとつ解決していきたい。

これまで受け入れた新規就農者が36人。

事故後もやって来てくれる若者がいる。

いいところがあるから来てくれるんだと思うし、

東京ともつながってるんだなあ、と気づかされる。

彼らがやってんのに、オレたちが怖がって何もやんねえワケにはいかない。

真実を知りながら、一緒に歩いていきたいと思う。

  -ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会・佐藤佐市(さいち) さん。

 

福島県は、農業就業者の数が日本で第2位の県です。

それが今、県内の離農率が20%近い数字に跳ね上がってきている。

日本の農業(=将来の食生産) への影響はとても大きい。

どうかこのことを忘れないでほしい。

だから食べてくれ、と言いたいのでなく、

科学的なデータをもとに、大丈夫なものは

少しずつでも消費を取り戻していってあげてほしい。

  -稲田稲作研究会(ジェイラップ)・伊藤俊彦さん。 

    

コーディネーターの大江さんがまとめる。

 

皆さん、ぜひ福島に足を運んでほしい。

生産者に会ってほしい。

畑を見てほしい。

様々な取り組みが福島の地で行われている。

福島の復興なくして、日本の未来はないです。

 

僕もそう思う。

この秋、福島県須賀川市の稲田という地区の

丘の上にあるライスセンターの屋根に、太陽光パネルが敷き詰められた。

未来への責任を果たす、と何度も何度も自分に言い聞かせ

持続させた彼らの意思と願いが込められたものだ。

ゲンパツには絶対に頼らない!

必死の防戦だけじゃない。 オレたちは進軍するんだ!

ライスセンターの屋根にも進化への意思がある。

一人でも多くの人に、見てほしい。

 

10月26日(土)開催の

備蓄米 「大地恵穂(けいすい)」 収穫祭 

  ~ 3度目の秋、未来に向かってコメを作ります

目下、参加者募集中!です。

詳細はこちらから ⇒ http://www.daichi-m.co.jp/info/event/2013/0902_4444.html 

 

伊藤俊彦さんから収穫祭に寄せた一文が届いたので、

ここに掲載して講座レポート終了としたい。

 


ここ福島は桃の季節が終わり、

秋を告げる  " 梨 "  や  " ぶどう "  が美味しい季節となり、

田んぼの稲穂が黄金色に色づいて、

まさに収穫の時を迎えようとしています。

 

大地を守る会の皆さまとの関係も四半世紀を超え、

この間、大勢の社員の方々や会員の方々との出会いがあり、

多くを学び、多くを感じ、食を通して五感でつながってきたように思えます。

 

特に3.11以降、放射能測定器を真っ先に貸与いただくなど、

身に余るご支援を賜りましたこと。

このご恩を私たちは生涯忘れることはありません。

何より、皆さまからの  " 憂いのこもった励まし "  の数々は、

不安払しょくの種となり、復興を目指す気概となり、

自立に向けて歩きだすきっかけとなりました。

 

原子力災害という先の見えない逆境の中、

家族や仲間や子どもたちを守るためにご案内いただいた多くの学びを

片っ端から生活の中に取り込み、精査しながら

2年半が過ぎました。

この2年半の学びと実践から得た多くの知見から、

科学的根拠をもって、今後

" 研究会の生産者がつくる農産物を食べ続けても内部被ばくを引き起こすことはない "

と判断できるまでになりました。

今では同居する6歳と3歳の孫たちが同じ食卓を囲み、

何に箸をつけても不安なく見守れるようになりました。

" 家族に不安なく食べさせられる農産物であること "

を当初からの出荷基準にしてきたことは、

皆さまとつながりを持ち続ける中で身についた 

" 食の安全 "  に対する信念の行使であり、

つながりの容(かたち) であると認識しています。

 

2011年秋の復興祭、2012年秋の自立祭では、

深い情けと憂いに感動した涙の収穫祭でした。

この10月26日に予定されています2013年の収穫祭では、

" 今後の進化を誓う "  おもいきり前向きな  " 決意のお祭り "  に

したいと考えております。

この災害から学び、そして実感した

" 頑張ってもできないことより、頑張ったらできることのほうが遥かに多い "

という生き方を合言葉にさせていただく所存です。

 

この7月、毎日新聞社主催の 「第62回全国農業コンクール」 が

昭和32年以来56年ぶりに福島で開催され、

農業生産法人稲田アグリサービスと (株)ジェイラップの連携による

農業振興活動が評価され、

グランプリには至りませんでしたが

毎日新聞社"名誉賞"、"農林水産大臣賞"、"福島民報社賞" 

などの賞をいただきました。

これを契機に、受賞に慢心することなく、さらに産地組織の結束を高め、

学んで、学んで、私たちなりの近未来を創造していくことを決意したところです。

 

皆さまのお陰で元気を取り戻した 「稲作研究会の収穫祭」 に

ぜひご来場いただけますことを願い、

生産者・社員・その家族一同でお待ちいたしております。

  -農業生産法人稲田アグリサービス、(株)ジェイラップ  伊藤俊彦

 



2013年9月15日

反転耕にかけた未来への責任

 

いやはや、こき使われる毎日。

なかなかスピーディに続けられないですね。

でも続けます。

 

8月31日(土)、大地を守る会の放射能連続講座Ⅱ-第6回

『福島と語ろう! ~3.11を乗り越えて~』。

福島有機倶楽部・阿部拓さんの話を受けて、

コーディネーターの大江正章さんがフォローしてくれた。

 

有機倶楽部に残った2軒のうち1軒の方 (小林勝弥さん・美知さん夫妻)に、

大江さんは7月に取材で訪れている。

とても明るく元気な奥さんだが、話を聞いているうちに

感極まってきて、泣きながら当時の状況を話してくれたそうだ。

「 いわき市でも、2万4千人の人が避難を余儀なくされた。

 目立った活動をしている所ばかりが報道されがちだが、

 今も苦しんでいる地域がたくさんあることを知っておいてほしい。

 移る・移らない は各々に考えた末のこと。

 それぞれの選択を尊重しながら応援していく姿勢が

 私たちに求められているように思います。」

 

さて3番手は、

福島県須賀川市 「稲田稲作研究会」 伊藤俊彦さん(「ジェイラップ」代表)。

この2年半にわたって積み重ねてきた対策と、

そこから得られたデータを示しながら、伊藤さんは説明を進める。

どの知見も試行錯誤を経て獲得した  " 未来への財産 "  である。

 

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事故のあった2011年、伊藤さんたちは

「稲田稲作研究会」 メンバー全員の、341枚の田んぼごとに

土と玄米の測定を行なった。 

そこで一番高かった玄米の数値は 19.9 Bq(ベクレル)、平均で 3.11 Bq。

2年目となった昨年では、最大測定値が 11.8 Bq、平均値が 2.66 Bq。

着実に下げられたと思っている。

かたや、除染対策を行なっていない近隣の数値では、

最大値が 22.2 Bq、平均値が 6.71 Bq。

稲作研究会のほ場で、10Bqを超えたのは3つだったのに対して、

未対策地では66を数えた。

やれば結果はついてくる、

少しでも下げられるなら面倒でもやらなければならない。

それは生産者としての責任だと、伊藤さんは考える。

 

(注:数値はすべてセシウム134 と 137 の合算値。)

 


昨年福島県で実施された米の全袋検査では、

農家の保有米も含めて検査されている。

結果は、99.7%が 25 Bq(検出限界値) 未満だった。 

  (注... ジェイラップも検査所となって地域の米の測定を引き受けている。)

 国の基準(100 Bq) を超えた米は 0.0001%、

100万分の1という数字である。

50 Bq以上は再検査に回されている。

稲田稲作研究会では県より細かいデータを取り、

11年秋の収穫後に反転耕(天地返し) の実施に踏み切った。

これまでに 120 haの田んぼでやり終えている。

その結果として、反転耕実施ほ場では

10 Bqを超える田んぼはゼロになった (平均値 2.14 Bq)。

 

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福1原発事故によって私たちは、

水田が汚染されるという世界で初めての経験をしたことになる。

まったくデータがない中で、いろんな実験にもトライしながら、

伊藤さんたちはいくつもの知見を獲得していった。

 

その過程で、田んぼと畑の構造的な違いも発見する。

高濃度の土に水を加えて撹拌して置いておくと、

だんだんと重い土が沈殿していって、上のほうに薄く濁った水の層が残る。

その薄濁った水の濃度が高いことに気づいたのだ。

つまり、畑は耕すことで分散していくが、

水田は水を張ってかき回す代かきという作業があり

(目的は、土の塊を砕いて田面を平にすることで田植えをし易くさせる)、

そこで放射性セシウム(Cs) は、「代かきすると表面に上がってくる(戻ってくる)」。

どうも Cs をよく吸着するゼオライの種類によって、

比重の軽いものにくっついている可能性がある。

かき回しても表面に戻ってしまうのであれば、

まだ Cs が沈降していない 15 cm下の下層土と入れ替え、

下に閉じ込めることが最も有効な手だということになる。

その場所の空間線量も確実に下げられる。

 

また表面の土ぼこりは風に舞う。

除染しても、吹き溜まりの場所は濃度(線量) が戻ってしまう傾向がある。

春風の舞う日に、農作業する農家やその脇を通学する子どもたちに、

土ぼこりを吸わせてはいけない。

 

仮に 4 Bq の玄米を精米した場合、白米は 1 Bq 以下になる。

その米を研いで水を加えて炊飯すると、さらに 5 分の 1 になる。

今の米であれば、年間 60 ㎏(日本人の平均消費量) 食べても、

1000分の1 ミリシーベルト以下である。

 

土ぼこり 1 g を吸う方が、米を食べるより内部被ばくのリスクが大きい。

 

伊藤さんたちが反転耕を徹底してやると決めた根拠は、

科学的データと、大人としての将来に対する責任感、に他ならない。

自分たちが農業できればいい、国の基準未満ならそれでいいではないか、

という話ではないのだ。

農作物のためだけでなく、地域の人たちの健康被害をできる限り防ぐために、

やれることは、やる。

そういう姿勢を持った農家になろうと、伊藤さんは言い続けてきた。

 

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そんな取り組みが、地域全体にも認められてきて、

今年の秋から 3 年かけて 1500 ha の反転耕を実施することになった。

自分たちの田んぼさえ良ければ、ではない。

地域全体を守ることで、自分たちの米も家族も守ることができる。

伊藤さんたちは、その率先垂範を見事にやってのけたのだ。

 

他の地域で反転耕が進まない理由の一つは、

日本のトラクターでは歯がたたないからだと、伊藤さんは言う。

そこでジェイラップでは、EU製の150馬力の大型トラクターを手に入れた。

チェルノブイリ後に開発されたトラクターで、

キャビンのドアを閉めると気圧が変わって、外からの埃が入らない構造になっている。

オペレーターの健康にも配慮されたものだ。

日本のメーカーから、なんで日本製を使ってくれないのかと聞かれ、

「日本のトラクターは零戦だ」 と言ってやった。

農作業者の体のことなんか考えてないだろう、と。

 

「 数 km の面単位でやった時に、どれだけ線量が下がるのか。

 そのデータを、来年の春にはお見せしたい。

 そのために、今年の稲刈りが終わったら、すぐに作業に入ります。

 科学的根拠を持って、着々と進めていきたい。」

 

聞いてるだけで、胸が震えてくる。

僕たちは、命の糧を通じて、彼らとつながっている。

このつながりを築いてこれたことを、僕は腹の底から誇りに思う。

 

あと一回。

3人の言葉を拾って、終わりにしたい。

 

≪注≫

「大地を守る会の備蓄米」 については、

ゲルマニウム半導体検出器による自社測定を行ない、

すべてのサンプル玄米で 「不検出」(検出限界値=3 Bq) となっています。

 



2013年9月12日

新天地を拓く父と、残った農地を守る息子

 

千葉・海浜幕張にも赤とんぼの姿が見えたね。

収穫の季節に入ってきたんだな、と思う。

しかしこいつらはいったいどこで産卵-繁殖しているんだろう。

 

さて、放射能連続講座Ⅱ-第6回レポートを続けます。

アーカイブをご覧いただいた方には " 今さら " の記事かもしれないけど、

レポートを残しておくのが自分の義務だとも思っていて、お許しを。

 

ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会」 理事・佐藤佐市さんに続いては、

福島の浜通り、いわき市から 「福島有機倶楽部」代表の阿部拓さん。

6 年前に 7 軒の農家で結成。

有機JAS 認証を取得して野菜作りに励んできた。

そこに地震と津波、原発事故。

いわき市では津波で 446 人が亡くなった。

 

農家が移住するという、重大な決意を迫られるなか、

有機倶楽部では 5 軒のメンバーが移転を余儀なくされた。

双葉町の鶴見博さんは千葉に移り、新天地で有機農業を再開した。

一人は北海道に農地を求めて就農の準備中。

旧都路村の仮設住宅に移った仲間は、まだ農業をやれない状態。

原発から 40km 圏内にいた一人は、有機JAS認定を諦めて脱会した。

もう一人は津波による塩害によって、

作物を作っても夏になると枯れてしまう状態である。

 

阿部さんは1ヶ月避難した後に戻ったのだが、

畑の状態が悪く、撤退を決意。

その後、宮城県大崎市に農地を得て再スタートを切るも、

販売先がなく、無農薬でつくっても地元JAに出荷するしかなかった。

今年、大地を守る会に米と野菜を出荷する

「蕪栗(かぶくり)米生産組合」 野菜部会に入ることができ、

ようやく落ち着いて野菜作りができるようになった。 

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いわきにはもう一ヶ所、

40㎞(原発からの距離ではない) ほど離れた場所に畑があって

そこは息子さんが 「残って、やる」 というので、任せることにした。

離れ離れでの農業になってしまったが、

それぞれ懸命に有機農業でやっていこうと思っている。

そんなわけで 「福島有機倶楽部」 は

2名のメンバーで何とか続けている状態である。

 


しかし、2軒の農家で続けているといっても、

原発事故によって販路はまったく閉ざされてしまった。

取引のあった団体からはほとんど断られ、

窓口を開き続けてくれたのは、大地を守る会だけである。

(現在、他は直売所での販売という状態。)

 

宮城では、減反田を借りることができ、土づくりから始めた。

まったく最初からの出直しで、土ができるのに 3 年はかかるだろう。

収量も上がらない中で続けている。

それでも、いずれ有機認証を取るつもりでやっている。

 

とにかくこの2年間は、

虚脱感や精神的ダメージから抜け出すのが精いっぱいだった。

とても佐藤佐市さんや、ジェイラップの伊藤さんのような

元気の出る話はできないです。 申し訳ないけど。

 

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「原発事故さえなければ」 と、つくづく思う。

放射性物質は、土や海を汚染しただけでなく、

人間に対しても内部被ばくという汚染をもたらした。

風評被害の影響は今も続いていて、

放射性物質「不検出」 のデータを示しても、なかなか売れない。

 

損害賠償をすればいいじゃないか、という人もいるけれど、

販売して得るお金と賠償金では、喜びが違う。

賠償金では、虚しさしか残らない。 心が蝕まれていくようだ。

何度も何度も、書類を用意しては交渉を繰り返し、ヘトヘトになる。

苦痛になって、諦めが出てくる。

野菜の種をまいた方が、よっぽど元気が出る。

 

原発は人間の手に負えない、とつくづく思う。

賠償金だけでは、心の被ばくを感じる。

 

今は、2 軒の農家で必死で続けている。

やり続けることから、突破口を見い出したい。

消費者の方々にお願いしたいことは、

「不検出」 だったら食べてもらうことはできないだろうか。

私たちは手を尽くし、種をまき続けるしかない。

そんな農民がいることを、どうか忘れないでほしい。

種をまき続けながら、原発に頼らない生き方を模索していきたい。

 

続いてジェイラップ・伊藤俊彦さんの話へと進みたいのだが、

すみません。 今日はここまでで。

 

心の被ばく・・・・・今もこの被害は続いている。

それは賠償の対象にはならない。

阿部さんを受け入れてくれた蕪栗の生産者にも感謝しながら、

数年後に、有機JASマークの貼られた阿部さんの野菜が届くことを、

忘れずに待ち続けたいと思う。

 



2013年9月10日

福島と語ろう! ~放射能連続講座Ⅱ-第6回

 

2020年のオリンピック開催地が東京に決定した。

アスリートの物語にわりとウルウルしてしまう僕としては、

内心嬉しい出来事ではある。 プレゼンも素晴らしかった。

しかし、、、安倍首相の発言は、ブッたまげた。 

「(汚染水は) コントロールされている。」 

" 世界に発した世紀の大嘘 "  と評したいくらいだ。

実際はブロックされてもいないし、コントロールなんかできていないのに。。。

まあ、そうも言わざるを得ない舞台ではあった。

これを  " 国際公約 "  として、IOC は求めたのだ。

こうなれば、やってもらうしかない。

 

それよりも怒りを感じたのは、TOKYO は大丈夫、発言である。

なんと姑息な・・・

どうせなら、蘇った福島もお見せしたい、くらい言ってくれよ。

名画に垂れた一点の汚れのような残像。

4年前にPRした、環境都市をつくるという気概も消えてしまっている。

怒りを通り越して、悲しくなる。

 

僕らは粛々と、食を通じて、

福島の再生を未来への仕事として引き受けたいと思う。

8月31日(土)、大地を守る会の放射能連続講座Ⅱ-第6回、

『福島と語ろう! ~3.11を乗り越えて~』 を開催。

3名の生産者をお呼びし、この2年5ヶ月の軌跡と

今の思いを語ってもらった。

 

コーディネーターは、出版社「コモンズ」 代表の

大江正章(おおえ・ただあき) さんにお願いした。

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トップバッターは、二本松市の佐藤佐市さん。

NPO法人「ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会」 理事。

旧東和町で、有機農業を土台とした美しいふる里づくりを一歩一歩進めてきて、

ゲンパツ事故に見舞われた。

 

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旧東和町は、福島第1原発から西北に約40~50km の距離にある。

しかし阿武隈山系が南北に立ちはだかっていたことで、

山系の中の北側に位置する飯館村のような汚染は免れた。

最初は山の向こうの大事件と呑気に構えていたが、

3月26日にニューヨークタイムズの取材が入ってきて、

事の重大さに気づかされた。

記者は、ここではもう農業はできないだろうというスタンスだったのだ。

400年、17代にわたって続けてきた農業が、

突然にして存続の危機に襲われた。

 

出荷制限にあった葉物だけでなく、

順調に売上を伸ばしてきた家庭菜園用の苗も売れ残り、

廃棄せざるを得なくなった。 その数 1万本。

 

二本松市は避難せずに済んだ。

そこには政治的な意図も見えていたが、佐市さんはそれでもいいと思った。

避難所でものづくり(百姓) ができない苛立ちを想像すると、

それは 「見えない放射能」 よりも怖かった。

「俺はつくる」 と決めた。

みんなで運営してきた道の駅は震災翌日も営業を続け、

避難してきた浪江町の人たちを受け入れ、食料を確保し、支援活動にあたった。

東電への損害賠償請求では、8月に8時間におよぶ交渉をやって、

やっと勝ち取ることができた。

今も年3回ほど東電との交渉を続けている。

 

佐市さんは、「高校を卒業して、しかたなく就農した」 と笑う。

小さな田んぼ、急斜面な畑、蚕、わずかな牛の乳絞りなど、

まったく面白くなかった。 みんな出稼ぎに出ていくし。

青年団活動に入り、仲間10人くらいで原木しいたけに取り組んだ。

「結」 で原木切りを始めてから、山もいいな、と思うようになった。

その頃に、有機農業の先達、山形県高畠町の星寛治さんに出合い、

中山間地は有機農業に向いていると確信した。

「小農複合経営」 こそが、人間らしく自然に生きられる、と。

 

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二本松市との合併を機に、ふるさと 「東和」 を残そうとNPO法人を立ち上げた。

「農地の再生」 「里山の再生」 「地域コミュニティの再生」 を掲げ、

里山再生5ヵ年計画を立てたが、3.11によって

「里山再生災害復興プログラム」 に変わった。

 

地域のきめ細かい実態調査を進め、

耕すことで放射性物質を封じ込めることができることを学んだ。

農業を続けることで、地域コミュニティも復活できる。

「みんなでつくろう」 と決めたことは、間違いではなかった。

" 生きるために "  あらゆるものを測定した。

ホールボディカウンターでの測定も、これまで3回受けている。

 

こういった取り組みによって、地域の意識改善が進んだ。

放射能に対して、しっかり把握し判断する力を身につけていった。

「俺はもう歳だからいいんだ」 じゃダメ。

高齢者のあきらめが、地域の存続を絶望的にさせる。

子孫のために、できるだけの対策を打っていかなければならない。

 

里山はエネルギーの宝庫だ。

汚染されたけれど、持続可能なエネルギーは眠っている。

このエネルギーこそ、復興の鍵だと思う。

原発ゼロの社会を目指して、粘り強く共同・協働していきたい。

 

コーディネーターの大江さんがフォローする。

「東和地区には、今も新規就農者がやってくる。

 3.11後でも、6人の若者が東和で就農した。

 こんな場所は他にない。

 いかに魅力的な地域をつくってきたか、ということではないか。」

 

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続いては「浜通り」 いわき市から、

福島有機倶楽部代表の阿部拓(あべ・ひらく) さん。

地震・津波・原発事故の3重苦の影響は、今も現在進行形である。

 

続く。

 



2013年9月 7日

この田園に、たたかいの証しがある!

 

8月30日(金)、

後継者会議の現地視察途中で切り上げ、会社に戻る。

弥生ファームの皆さん、ごめんなさい。

 

実はこの日の夕方、福島県須賀川市では、

ジェイラップの 「全国農業コンクール 名誉賞・福島民報社賞

の受賞報告会が開かれていて、

伊藤俊彦さんから招待を頂いていたのだが、

出張で溜めてしまった仕事もあるし、翌日には放射能連続講座も控えていて、 

さすがに断念した。

羽田に戻ってその足で須賀川に向かえば

16時の開会に間に合わなくもない・・・

という思惑が捨て切れず、ギリギリまで迷ったのだった。

 

伊藤さんも忙しい。

受賞報告会には、須賀川市長から毎日新聞の福島支局長など

多数の来賓もあり、鏡開きでは何と、

原料米の契約栽培などでお付き合いのある酒造3社

(大和川酒造、金寶酒造、廣戸川酒造) の薦樽(こもだる) が3つ

並べられて行われたとのこと。

おそらく遅くまでたくさんの人に囲まれたことだろう。

しかも翌日は、大地を守る会の放射能連続講座のパネラーとして、

上京してもらわなければならないワケで。

ちなみに、大和川酒造店の樽酒は、

「種蒔人基金」 から提供させていただいたことも、お伝えしておきたい。

 

ここで放射能連続講座のレポートへと急がねばならないところなんだが、

先にこの写真をアップしておきたいと思う。

9月3日、実りの秋を前にする稲田地区の風景。

美しいでしょう、田が荒れてない。

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春にも書いた ことだけど、

伊藤さんたちジェイラップは、震災と原発災害後に減った耕作地を

見事に蘇らせていった。 

理論的根拠をもって除染し、科学的数値で米の安全度を示し、

自分たち(稲田稲作研究会) の米の信頼回復だけじゃなく、

地域全体の再生へと導いたのだ。

この田園は奇跡だ。 ここにこそ、たたかいの証しがある。

 

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伊藤さんは、8月31日には放射能連続講座で話し、

軽く一杯やってとんぼ帰りした後、

翌9月1日には、

チェルノブイリ救援中部の河田昌東さんや

栃木の民間稲作研究所・稲葉光圀さんとともに、南相馬へと飛んでいる。

現地の農家たちと放射性物質の移行や除染の考え方について、

これまでの経験に基づく知見を伝え、今後の対策を話し合ったようだ。

この模様は、

9月22日(日)10:05~10:58、NHKテレビの復興サポート番組

で流れるとのこと。

 予告はこちら ⇒ http://www.nhk.or.jp/ashita/support/index.html#next

ジェイラップの農地除染風景も紹介されるかもしれない。

お時間ある方はぜひ!

 

9月3日は、収穫前にと、駆け足で立ち寄ったのだが、

伊藤さんは疲れも見せず、田んぼを案内してくれた。

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今年の出来もいい、と伊藤さんは胸を張る。

田植え時の水不足、7月の長雨と時にゲリラ豪雨、8月の猛暑を乗り切って、

手をかけたぶん期待に応えてくれる稲たち。

慈しみたくもなる。

 

ここは実験ほ場。

2年間耕作が放棄されて、草だらけになっていた田んぼだ。

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耕し直し、ゼオライトを投与し、反転耕をやって、もう一度ゼオライトを散布し、

放射性物質を封じ込める。

この作業によって周辺の空間線量も確実に下がっている。

子どもたちの内部被爆を限りなく防ぐ努力、でもあるのだ。

 

伊藤さんの心に、春はまだ戻っていない。

たたかいの終着点は見えないけど、

「いつか孫に褒めてもらえる仕事をしておきたい」 という願いは、

立派に果たしたんじゃないか。

本当に頑張ったと思う、ジェイラップの人たちは。

 

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すべての生命が讃えているよ、と

ポーズをとって迎えてくれたアキアカネに敬意を表して、記しておこう。

 

書いていて、後悔がぶり返してくる。

無理してでも、受賞報告会に行けばよかったなあ。

行って、天晴れ!のひと言でも発したかった。

ま、この思いは、10月26日(土) の収穫祭に取っておこう。

 

「稲田収穫祭」、現在募集中。

一般参加も大歓迎!!! です。

福島・中通りで起きた奇跡を、皆さんの眼で、しかと確かめてほしい。

案内と申し込みはこちらから。

 ⇒ http://www.daichi-m.co.jp/info/event/2013/0902_4444.html

 

すみません。

放射能連続講座のレポートは次回に。

 



2013年8月12日

人体に影響ないなら・・・、自分にできることは・・・

 

『大地を守る会の放射能連続講座』 も、

昨年の6月からここまで、11人の講師を招いて続けてきたけれど、

坪倉さんの話を聞いて、改めて

" 原発とは、本当に罪作りなものだ "  と思わされた。

 

施設を強制退去させられ、悲しみうろたえながら、

死んでいったお年寄りたちがいた。

ふるさとから追われた仮設住宅で、病人が増えている。。。

これは、実にとんでもない報告である。

 

いったい何者の責任なのか。

ここでの退去は地震や津波のせいではない。

ヒバクシャとして病が進行したからでもない。

しかし、たしかにこれは、原発事故によってもたらされた不幸である。

やっぱ、ゲンパツという技術、それを推進する政策とは共存できないと、

つくづくと思ったのだった。

 

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(笑顔で質問に答えてくれる坪倉正治さん。)

 

聞いていただいた方は、みんなそう感じてくれたに違いない。

 - と思っていたら、返ってきたアンケートに、こんな一枚があった。

 

  私は、原発は廃炉にすべきと思って、食事に気をつけたり、

  情報を集めたり、反原発の一票を投じたりしていますが、

  今日のお話を伺って、原発事故が起きても、

  そ~んなに大きく人体に影響がなさそうなら、

  反原発でいる方がずっとストレスがたまって、体に悪いのかな、

  と少し思いました。

  ・・・・・人間は日々の生活の方が重要だし、その内、私も放射能になれてしまって、

  反原発でいる事をやめてしまうのかな。

  この前の参議院選挙は、福島県ですら、自民党が圧勝だったし、

  福島県の為には、放射能は恐くない、とした方が良いのかもしれませんね。

  だったら、何の為の反原発なのか、考えてしまいます。

 

この感想には主催者として答える義務がある、と思った。

 


論理的に展開しようと意識すると、

とてもくどいものになりそうな気がするので、

今の思いを箇条書きのような形で列記してみたい。

 

1.原発事故が起きても人体に影響がない、と言った方はいません。

  あくまでも今回の事故による放射能の影響を冷静に見た場合に、

  当初恐れていたような事態にはなってない、ということ。

  したがって食品や産地に対する偏見は別な問題を起こしていないか考えたい、

  という視点が示されてきた、ということであります。

  ただし初期被ばくの影響は、これから数十年先まで見ないと分からない。

  また今後の影響は、まだ予断を許さない。

  だからほとんどの講師が、継続的調査を訴えておられました。

 

2.原発事故による影響は、放射能被ばくによる

  人体への短期間の影響だけではありません。

  その前に、人間関係が壊れたり、

  ふるさとから全員が避難しなければならないような過酷事故として、

  目の前に現われている、ということです。

  これによって人が傷つき、病人が増えていることを

  坪倉さんは語っている、と僕は理解しました。

  避難させられた人たちと私たちは関係ないことなのか、

  原子力エネルギーに頼るとはどういうことなのか。

  考える義務が今を生きている大人には、あるのではないでしょうか。

 

3.原発事故はもう起きない、という保証はありません。

  今日、あるいは明日、どこかで発生するかもしれないのです。

  これまで講座の司会をしていて何度か発言しましたが、

  世界には 400 を超える原発が、今なお稼動しています。

  僕自身は、

  日本こそ脱原発社会(地球) の実現に向けて牽引力を果たす責任がある、

  と思う立場です。

  しかも私たちは、世界のためにも、

  福島第一原発事故による教訓をしっかり残さないといけません。

  そう考えるなら、福島を切り捨てた解決策はあり得ない。

  お呼びした講師がおしなべて福島への支援を語るのは、

  未来への責任の取り方を模索しているのだ、と僕は受けとめています。

 

4.参議院選挙の福島選挙区での結果については、

  個人的な感想として率直に言うと、驚くものではありません。

  自民党と民主党を単純に比較すれば、

  自民党の福島県連のほうが脱原発の意思を示していたワケですから。

  それが党の政策に反映されるとも思えませんが、

  電力会社の労組の顔色をうかがっているような候補者が勝利しても・・・

  すみません、それ以上のコメントはここでは控えます。

  いずれにしても、

  「福島県の人にとっては、放射能は恐くない、とした方が良いのかも・・」

  などとは、誰も思ってはいないと思います。

  福島の人たちの思いはむしろ、

  「東京の人たちは、福島を切り捨てて、忘れようとしているのではないか」、

  あるいは汚染者のように見られることへの反発、 

  のような気がします。

  河田昌東さんの私たちへのメッセージは、「つながるためには、忘れないこと」。

  この意味を考えたいと思います。

 

5.何の為の反原発なのか-

  私が数年後にガンになる不確かな不安よりも、未来の子供たちのために、

  ではないでしょうか。

  健康への影響だけでなく、何も生み出さない廃棄物のために、

  管理を誤ると大変なことになる物質のために、

  何万年もお金を拠出され続けなければならない。

  そんなゲンパツ社会を、いま私たちは建設しているのです。

  幻想のようなエネルギー論に引き連られながら。

 

かたやこんな意見もあった。

 

  全部には参加できませんでしたが、

  各方面で放射能と向き合ってこられた方々の活動を伺うことによって、

  自分が何もできていないことを思わずにはいられません。

  多くの講師の方々が  " 忘れないこと "  と仰るが、

  むしろ、それを言い訳にしている自分がいます。

  日常できることは、できるだけ  " 福島を食べる "  と多少のカンパくらい・・・

  でよいのだろうか?

 

う~ん 。。。

" 食べる (=体に取り込む) "  とは命がけのことですから、

充分な連帯だと思うのではありますが、

そこでつながっているという信頼の輪を、確実なものにしたいですね。

語り合いましょう。

次回(8月31日) は福島の生産者の登場です。

ぜひお越しください。

 

講座終了後、

駆け寄ってきてくれた方から、こんな嬉しいお話も頂いた。

前回の高橋弘さんの講演を聴いて以来、

ファイトケミカルスープを続けてきたところ、

先日夫が足を骨折したのだけど、お医者さんもビックリするくらい回復が早くて、

これは野菜スープの力か、なんて話してるの。

ホントかどうか分からないけど・・・(笑)。

 

ホントかどうか分からないけど、

免疫力が強化されつつあることは、確かかもね。

野菜には力があります。

 

実は・・・僕も何度か試してるんだけど、

継続ができない。

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野菜のエキスだけではどうも味が薄くて、いや優しすぎて、

高橋先生に 「塩、入れちゃだめですか?」 なんて聞いてしまったのだけど、

呆れた顔をされ、続いて

懇々と塩分摂り過ぎの問題について説教されたのだった。

 

食でたたかえる。

しかし、だからといって問題の根源を見失ってはいけない。

食で鍛えながら、

自分のペースで種を播き続けるってことでしょうか。

バトンを握り締めて、歩き続けたい。

 



2013年8月10日

原発 23 kmでの医療支援から(Ⅲ)

 

坪倉正治医師の話-その3。

 

スーパーで産地を気にして買い物をしている人とそうでない人の間に、

内部被ばくの差はなかった。

これが坪倉さんがやったアンケート調査とHBC(ホールボディカウンター) 検査の

結果である。 

どっちの子供でも、HBCでは同じだった。

ただし検出限界値以下での違いまでは分からない。

ここが聞いているほうには微妙に悩ましいところではあるけれども、

まあ顕著な差はなかったということだ。

 

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現状においてハッキリ言えることは、

食品から均等に放射性物質を摂取しているワケではないこと。

どこどこ産という問題でもない。

むしろどういう類のものを食べたか、が問題である。

内部被ばく線量の高い人に特徴的なのは、

野生の獣肉(イノシシなど) や山菜を好んで食べた人。

内部被ばくは、毎日ちょっとずつ蓄積、というより、何かでポンと上がっている。

ポンと上がって、徐々に減り、ある時ポンと上がる、というような傾向。

 

チェルノブイリでは、トナカイと野生のキノコが大きな要因と言われている。

トナカイはコケを、イノシシはミミズを食べる。

 


坪倉さんの話を聞いていて、

イノシシなんてそう食べないよね、機会もないし、と思われたことだろう。

まったくその通りなんだけど、食べる人にとっては

" 殺めた以上、多少のリスクがあっても、食べる "  相手なのである。

今でも関東以北では調査用に捕獲されているが、

猟をする人の気持ちは、ただ検査するためだけに殺す手伝いはしたくない、

という感じらしい。

獲ったら食べる、美味しくいただく、が基本精神で、

3.11以降、狩猟をする人がめっきり減っている。

おかげで獣害も増えてきている。

原発事故は、いろんな悪循環を生み出しているということである。

しかも  " 食べる "  という生命の根源的営みから、喜びや楽しみや

生に対する敬虔の心根まで奪った。

それらはけっして賠償の対象にはならない。

 

坪倉さんの話に戻る。

内部被ばくは食べ物が主因だが、リスクが万遍なく分散しているワケではない。

特定のもの避ければ、大きく減らすことができる。

大事なのは産地ではなく、種類である。

出荷制限がかかっている食べ物を、しかも未検査のままで、

継続的に食べないこと。

逆に言えば、それくらい大胆に食べないと (線量は)上がらない、

というのが現状である。

もちろん、すべてが収束したわけではないし、

メカニズムがすべて明らかになったワケではない。

食品の検査はまだまだ継続してやっていく必要はある。

 

水も、限りなくゼロに近いけれども、ゼロではない。

しかし問題は水が運ぶ泥であって、水ではない。

ガラスバッジでの線量も明らかに下がってきている。

 

外部被ばくを避けるポイントは、ホットスポットを避けることより、

長時間生活する場所の線量を下げること (必要な場所の除染)。

皮肉な事例を挙げれば、

早期除染された学校の中にいたほうが、(除染していない) 家庭に留まっているより

子供の線量は下がる。

 

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医療の現場にいる者として、伝えておきたいことがある。

( 坪倉さんはむしろこっちを問題にしたいと思っているのではないか、

 と僕には感じられた。)

血圧、コレステロール、糖尿、肥満、それらのリスクが上がると、

心筋梗塞、脳梗塞の可能性が高まる。

心筋梗塞になると、3分の1は病院に辿りつけず亡くなる。

3分の1は病院から帰れなくなる。

残りの3分の1は、薬に頼って生きていかなければならなくなる。

 

仮設住宅で暮らす人の間で、

肥満が+10%、高血圧が+10%、糖尿病は2倍に増えている。

何が大事なのだろうか。

内部被ばく検査も食品検査も大事なことだけれども、

食生活のバランスを崩すことのほうが、よっぽど問題ではないか、と思う。

こういうことを言うと、「内部被ばくを隠すのか」 と言われちゃったりするんだけれど・・・

 

たとえば、ビタミンD という栄養素は骨を作るのに貢献している。

日本人はカルシウム摂取量が低いと言われるが、骨折率は低い。

貢献しているのはビタミンD であり、

その供給源はキノコと魚である。

内部被ばくと必要な栄養摂取のバランスをどう考えたらいいのか・・・

ひと言では言えない、と坪倉さんは口をつぐむ。。。

 

震災後、南相馬の老人ホームでは、

(一定期間内での) 亡くなる人の数が通常の6倍に増えた。

その方々には被ばくの症状はない。

家族の体調の変化は、家族でないと分からないことが多い。

それはとても重要な情報なのだけれども、

環境が変わったことで、キャッチできなくなる。

人間は環境変化にメチャクチャ弱い。。。

 

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今、HBC など検査への関心がとても薄れてきているのが心配だ。

あれだけ殺到してきていたのに、なんで来なくなったのか。

アンケートをとると、土日にやってくれないから、という声が多くあった。

でも、日曜日に開けても、来る人は増えなかった。

 

いかに現場の人たちに情報を伝え、継続的な検査の必要性を理解してもらえるか

が課題である。

そのためにも、と思って、坪倉さんは、

放射線の説明会や子供たち向けの授業を、こまめに積み重ねている。

子供を守ることは、検査の継続と、結果を正しく(冷静に) 解釈できる力を

子供たちに与えることだと考えている。

 

ま、そんなところで、少しでも何かお手伝いできれば、と思って、

ボチボチやってます。

今日は聞いていただいて有り難うございました。

 

・・・講演はピッタリ90分で終了。

すみません、本日はここまで。

 

あと一回、いくつか追記して、

坪倉講座レポートを終わりたい。

 



2013年8月 8日

原発 23 kmでの医療支援から(Ⅱ)

 

放射能連続講座Ⅱ-第5回、

坪倉正治さんの話を続ける。

 

放射線は、ゼロか1か、といった問題ではなく、あくまでも量の問題である、

と坪倉さんは力説する。

たしかに、ゼロということはあり得ない。

地球自体が大きな原子炉とも言えるし、宇宙からも飛んでくる。

60年代には大気圏核実験が頻繁に行なわれ、

世界中の人々が被ばくしている。

その影響はまだゼロにはなっていない。

今もフクイチからは汚染水が垂れ流されているし、

空中にも放出されているようである。

 

しかし、幸いなことに、

今のところ南相馬市内で空間線量が上がったり、

HBC(ホールボディカウンター) でヨウ素131 が新たに検出されるということは

起きていない。

つまり今のところ (あくまでも  " 今のところ " )

リスクが上がっているという状況ではない、ということは言えるだろう。

もちろん、モニタリングの強化と検査の継続が必要なことは

言うまでもないことである。

 

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内部被ばくも、その量や推移が問題になる。

そこで内部被ばく量を測るのに、一番手っ取り早いのが HBC である。

測定時間によって検出限界値が変わるのは他の測定器と同じ。

「ここまで測ることができますよ」 ということであって、

機械は完全無欠ではない。

ちなみに坪倉さんたちが行なっている検査は、

測定時間 2 分、検出限界値は 250Bq(ベクレル)/Body。

/Body(パー・ボディ) であることに注意してほしい。

数字を自分の体重で割って、/㎏ の数字になる。

仮に体重 60㎏ の人で 300Bq の数値が出たなら、

300 ÷ 60 = 5 Bq/㎏、ということになる。

 


2011年9月に、ようやく最新の機械が入った。

1台5千万円クラスのもの。

現在では福島県内に HBC が 40~50台配備されている。

今まで 30万人の検査が終わっている段階だが、

残念ながら、その結果が充分に伝わっているとは言えない。

 

検査をすれば、結果を伝えることになる。

当然、数字はゼロではないので、継続的な検査が必要だとか、

食べものに気をつけるように、といった話を家族にする。

一人(1家族) 20分くらい使っていただろうか。

しかし予約が殺到するようになって、翌年の3月まで埋まってパンクした。

話をする時間がなくなり、紙だけで伝える方法に変えたところ、

今度はクレームの嵐となった。

外来でつかみかかられたり、東京から送りこまれたエージェントだと罵られたり、

何のためにやっているのか分からなくなって、外来に出るのが嫌になった。

胃が痛くなって薬を飲んだり、顔面神経麻痺も経験した。

 

何とか1年で1万人の検査を終えた。

高性能の機械で測った大人8千人のデータでは、

5千人強が ND(検出限界値以下) という結果だった。

そこでチェルノブイリと比較したり、シーベルトに換算し直したりしながら、

リスクの程度を考えてみると、

例えば、大気中核実験が行なわれていた時代の日本人の

セシウム137の平均値が 10~15 Bq/㎏ である。

幸いなことに、南相馬で測定した 95% の人たちは、その数値を下回っていた。

例えば、年間1ミリシーベルトという基準値をベクレルに換算すると、

350~400Bq/㎏ になる。 それに比べればはるかに低い。

だから大丈夫、と言いたいのではない。

少なくとも、いきなり健康被害が起きるような事態ではない、

とは言えるのではないだろうか。

 

しかしデータを公表すればしたで、マスコミの餌食にされた。

「内部被ばくしている!」 と大々的に騒がれたのだ。

こういう事例を語る時の坪倉さんの話しぶりは、やや投げやりである。

「まあまあ、そんなこともあったというだけのことで・・・」

みたいな。

 

その後も検査を続けていくなかで、検出率はさらに下がっていく。

今では検出する大人が一部に残る、という程度である。

仮に、検出限界ギリギリの 249Bq/ボディ の人が

この数値のままで1年間過ごした場合の被ばく量は 0.01mSv/年、

程度となる。

リスクがゼロという意味ではない。

レントゲン写真1枚の 3分の1~4分の1 レベルのリスク、

と理解してほしい。

現在は、99.9%の子ども、96~97%の大人が、

そのリスク以下のレベルを維持している、ということである。

250Bq 以下の被ばくを見逃しているのではないか、と問われれば、

答えは YES と言うしかない。

 

放射性セシウムは体から排出される。

大人だと約4ヶ月で半分くらいになる (生物学的半減期)。

子どもの場合、6歳で1ヶ月、1歳だと10日で半分になる。

ということは、子どもを測って検出されたら、

それは新しい被ばく (今も受けている)、ということになる。

食べて、飲んで、吸って、おしっこで出して、を繰り返しながら、

測定した子どもの 99.9% は検出しない。 ということは、

この3ヶ月で以前より高く摂取している状況ではない。

 

逆に言えば、事故当時の被ばく量(その時の影響度)は、

今となっては調べられない、ということでもある。

家族全員を調べることの意味がここにある (大人から類推する)。

調べられない最たる物質がヨウ素131 である。

2011年7月には、消えていた。

ただ HBC で測定を開始した事故後4カ月時点での量から、

最大値を推測することは可能である。

そこから類推して、当時の人でも

ほぼ全員が 1mSv 以下だっただろうとは推測できる。

もちろん、この数値をどうリスク評価するかは別である。

少なくともデータが示していることは、

そのレベルのリスク未満にはおさまっている、ということである。

 

日常生活では、内部被ばくは少なくなっている。

しかし中に、下がらない人、時に上がる人、がパラパラと存在する。

この人たちは何を食べてきたのか。

それもほぼハッキリしてきている。

 

すみません。 今日はここまで。

 



2013年8月 7日

原発 23 kmでの医療支援から

 

暦では立秋となりましたが、

いやー、暑いっすね。

皆様、体調はいかがでしょうか。

 

夏は嫌いじゃない。 むしろ得意な方だけど、

フライパンに乗せられているような都会の夏は、やっぱキツイ。

日射しは強くても直球勝負のような爽快感があった太陽、

生命感でむせるような草いきれ、やかましく騒ぐクマゼミの山、

麦わら帽子にスケッチブック、時折吹いてくる涼しげな風、

タオル一枚持って毎日のように潜りに行った海、

あの頃の夏はもう返ってこない。。。

 

特販課長という新しい任務(放射能対策との兼務) に忙しなく追いかけられて、

まったくブログに到達しない日々が続いた。

要は  " あと一歩 "  の気持ちだけなんだけど、ビールが入るともう書けない。

体は睡眠を求めてくるし・・・

 

しかし、この間の諸々は省いても、これだけは自分に課した義務として

残しておかなければならない。

7月25日(木) 開催、

『大地を守る会の放射能連続講座Ⅱ-第5回。

 " 福島の今 "  から学ぶ ~原発23kmでの医療支援を通じて~』。

ゆるゆると進めますが、お許しください。

 

講師は東京大学医科学研究所研究員、血液内科医の坪倉正治さん。

福島第1原発に一番近い総合病院である南相馬市立総合病院の

非常勤医も務めている。

月~水は南相馬で外来。 木曜日に帰ってきて、金・土は東京の病院で外来。

この2年、そんな日が続いている。

 

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都立駒込病院の血液内科医として働いていた坪倉さんが、

医療支援として東京都から派遣されたのが 4月の頭だった。

南相馬で起こったことを振り返ってみる。

 

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2011年3月11日、東日本一帯に大震災が襲う。

地震に津波。

南相馬市立総合病院はただちにトリアージの体制に入る。 

トリアージとは、非常事態時で医療の優先度を決める識別救急体制のこと。

翌日には DMAT(ディーマット/災害派遣医療チーム) が到着する。

若い医者が全国から駆り出された。

そこに原発事故が発生する。

3月15日の朝、3号機の爆発をテレビで見て、全体集会が開かれる。

病院に残るか、避難するか、判断は個人の意思に任された。

270人いたスタッフのうち、80~90名が残った。

医者では、常勤医4名と支援に入った大学の若い医者たちが残留に手を上げた。

 

残った者で病院のシステムを維持した。

その時点では、インフラは機能していたのだが、

原発から 30 km 以内が 「緊急時避難準備区域」 に設定されたことで、

補給が断たれることになる。

 

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最初になくなったのが、酸素の備蓄。

DMAT も救急車も入ってこなくなった。

マスコミの取材依頼があって、ぜひ実情を見て伝えてほしいとお願いしたところ、

30km の外に出てきてほしいと言われ、絶句した。

30km 圏内の特別養護老人ホームの方々は全員避難したが、

その4分の1の方が 3ヶ月以内に亡くなった。

「原発事故で一人も死んでいない」 って、どうなんでしょう・・・

 

坪倉さんが支援に入って最初にやったことは、

避難準備区域になったことで入院できなくなった人を、

30km の外に野戦病院のようなものをつくってそこに集めるお手伝い。

次に薬の処方箋書き。

レントゲンのフィルムが感光(放射線を受けている) しているのが見つかり、

防護を強化し、導線を作り直した。

 

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その時点で病院にあった線量計は1個だけ。

坪倉さんはその線量計を持ってあちこち測り始める。

一番高かったのは空気清浄機の中のエアフィルターだった。

朝の外来のあと、1個の線量計を持って順番に学校に出向き、

測定しては図に落として、学校に渡した。

 

しかしそれだけでは、どの程度安全なのか危険なのかが判断できず、

内部被ばくを測らなければ・・・ ということになったのだが、

機械もなければ人もいない。

何を使って、誰が、どうやって測るのか。

5月に、副院長が宮城の女川原発まで行って

HBC(ホールボディカウンター) で測ってもらったところ、

数千Bq(ベクレル) という値が検出された。

 - 内部被ばくしている。 これは測らなければならない。

それから機械を求めて奔走する。

 

2011年7月、人形峠(岡山と鳥取の県境、ウラン鉱山があった峠) から

第1号機が到着する。

しかし、誰が、どうやって・・・・・皆で目を合わせた。

しょうがないので、翌日、自衛隊の中央病院まで出かけて検査の方法を習った。

そして HBC での検査を開始。

日本国内で市民を対象に検査をやった初めての病院が

南相馬市立総合病院ということになった。

 

以後1年間で、福島全体で 5~6 万件の検査が行なわれたが、

その3分の1は南相馬での測定データである。

ベラルーシとウクライナでは、事故後1年で13万件の検査が行われている。

27年前のロシアですら、この数字である。

いかに日本の体制がお粗末であったか。 しかしこれが現実だった。

 

2台目の HBC が届いたのが、8月。

それは福島第1原発のオフサイトセンターにあったもので、

破壊と汚染で修復するのに5ヶ月かかったということ。

今では新型の機械が稼働しているが、

逆に測定を求めて来る人はめっきり減ってしまった。

 

すみません。今日はここまで。

 



2013年7月20日

ジェイラップ、「全国農業コンクール」 名誉賞受賞

 

7月18日、

日本における農業の先駆的活動を顕彰する

「全国農業コンクール」 の第62回全国大会が、福島県郡山市で開催された。

毎日新聞社とその年の開催自治体の共催で実施されてきたもので、

歴史と規模(全都道府県の予選から進められる) からいっても、

国内最大の農業コンクールと言われる。

 

その今年の全国大会で、

「大地を守る会の備蓄米」 で深いお付き合いのある

ジェイラップ(代表:伊藤俊彦氏) が、

見事、名誉賞(農林水産大臣賞・毎日新聞社賞) ならびに

福島民報社賞(共催新聞社の最高賞) を受賞した。

惜しくもグランプリ(毎日農業大賞) は逃したが、

銀メダルに相当する栄誉である。

毎日新聞の発表記事はこちらから。

 ⇒ http://no-kon.com/contents/topics34 

 

地元紙 「福島民報」 1面トップでは、最終候補 20団体の発表(プレゼン) に触れ、

ジェイラップはこう紹介された。

「 稲田アグリサービスとジェイラップは原発事故後、

 放射性物質の特性などを学び、放射性物質の検査機器導入や、

 農地の反転耕対策の事例を取り上げた。

 コメやキュウリなどを栽培しており、

 放射性物質に対するきめ細かな情報発信で農業を継続した実績などをアピールした。

 伊藤俊彦社長(55) は 「今後も地域の農地除染などを通して

 原発事故の不安解消のために努めたい」 と喜びを語った。」

 


同じく社会面では、 『福島の「農」 底力発信』 の見出しが踊っている。

こちらからも一部、抜粋させていただきたい。

「 地震で農地に被害が出た上、風評被害で居酒屋チェーンなどの取引先や

 個人客が離れ、年商は大幅にダウンした。

 除染の効果が本当に出るのか、心配で眠れない夜もあった。

 それでも逃げ出さなかった。

 マニュアルのない道を歩くのは慣れていた。

  「学ばなければ進化はない」 と、ひたすら打開策につながる情報を集め、

 それを実践することで逆境を乗り越えていった。

 県内最高賞を手にし、責任の重さを感じている。

 これまでに得たノウハウを地域の農地除染に生かす活動を計画する。

 その一方で新たな挑戦として野菜の乾燥加工事業を拡大する考えだ。

  「今後も諦めの悪い人生を送っていきたい」 と自分を鼓舞した。」

 

「諦めない」 と言わず、「諦めの悪い人生を送りたい」 と言うあたりが、

伊藤俊彦のワルなところだ。

 あの田園地帯で、いったいどんな青少年期を過ごしたのか。

生産者の誰に聞いても、「あれは突然変異」 としか答えてくれない。

まあ生態系では、常にわずかな確率で突然変異体が生まれ、

それが多様性や進化を促してきたものではあるけど。。。

 

なお、この農業コンクールでは過去、

お付き合いのある以下の生産団体・個人が

受賞していることも付け加えておきたい。

昨年の61回大会では、やさか共同農場(島根) が名誉賞+ グランプリ

の栄冠に輝いている。

59回では、イチゴの戸村弘一さん(栃木) が名誉賞。

57回では、群馬のグリーンリーフが名誉賞と天皇杯をゲット。

55回では、無茶々園(愛媛) が優秀賞。

50回では、月山パイロットファーム(山形) が名誉賞。

この10年で確実に風が変わってきている、ということではないだろうか。

時代は我らに舵を求めてきている。

 

しかし、みんなシャイというか、別に宣伝することでもないしィ、という態度で、

だいたいしばらくしてから知らされる。

 (僕らも、権威あるコンクールにはアンテナ張ってないし。)

今回はたまたま、2週間くらい前に 「18日に寄ってもいいかな」 と連絡したところ、

「その日だけはちょっと・・・」 と口ごもるので、事態を知った次第である。

 

最終選考となる18日のプレゼンに、

伊藤さんは原稿も用意せず出かけたようで、

「これが失敗したかな」 と、ちょっとグランプリを逃した悔しさも滲ませる。

まあたしかに、この機会は1回だけだからね。

ここ(最終選考) まできちゃうと、逆に惜しいことをしたという思いも残るだろう。

「でもまあ準優勝のほうが、人生の目標がまだ先にあるってことで。。。」

おお、甲子園球児の心境だね。

 

ま、僕も嬉しい。

販売者として誇りすら感じる。

伊藤さん、ジェイラップの皆さん、生産団体である稲田稲作研究会の皆さん、

おめでとうございます!

眠れない夜を重ねながら走り続けて、

ほら、拓いた道を沢山の人が歩いてくるよ。

本当に皆さん、頑張ったと思う。

 

秋の収穫祭での話題がまたひとつ、増えた。

こうやって歴史が作られ、未来が切り開かれてゆく。

 

※ 今年の 「備蓄米収穫祭」 は10月26日(土) です。

   昨年同様、東京駅からバスを仕立てて向かいます。

   たくさんの参加で祝いたいと思います。

 



2013年6月29日

地域の力フォーラム

 

6月16日(日) 

「福島県有機農業ネットワーク」 の代表で、

「ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会」 の理事も務める

二本松市の菅野正寿(すげの・せいじ) さんから召集がかかり、

とある集まりに参加する。

仮称 「地域の力フォーラム」 と銘打たれて、集められたのは7人。

菅野さんに、喜多方市山都町の浅見彰宏さん、

出版社コモンズの大江正章さん、秋田県立大学教授の谷口吉光さん、

国士舘大学准教授の宮地忠幸さん、CSOネットワーク事務局長の黒田かをりさん、

そして戎谷。

場所は、新宿区・早稲田奉仕園内にある CSOネットワークの会議室。

 

この集まりは何か。

結成趣旨を引用しつつ整理すれば、だいたいこんな感じ。

  循環型地域づくり、地産地消、地元学などが注目を浴びるようになって久しい。

  さまざまな地域で、地域主体の取り組みが行われてきた。

  しかし、東日本大震災・原発事故後の復興では、

  改めて地域づくりのあり方が問われている。

  大規模整備や大型メガソーラーなど、

  住民参加型とはいえない復興の動きが進んでいる。

  TPPに象徴される、国家主権を多国籍企業にゆだねるかのような

  グローバリゼーションの動きが強まる中、

  それでも、働く場をつくり、地場産業を興し、人も暮らしも仕事も豊かにさせる

  輝く地域は、存在する。

  本フォーラムでは、東北を中心に、

  持続可能な経済、第一次産業の経済的自立、都市と農村の新しい関係、

  などをテーマに、広く事例を集め、政策提言も視野に入れつつ、

  地域再生(地域主権) の理論を発展させたい。

 

谷口さんは秋田からネット (スカイプ) での参加。

谷口さんとは、彼が大学院生だった頃からのお付き合いだ。

宮地さんとは初対面だが、

二本松・東和の佐藤佐市さんのところに学生さんたちを連れて、

農業体験や地元の方々との交流を行なってきている方だ。


初会合ということもあって、銘々自由に思うところを出し合う。

調査研究を進め、3年程度を目処に、事例集とともに政策提言をまとめよう、

ということになった。

現状置かれている身からして、どこまでお手伝いできるか心許ないが、

このテーマで声をかけていただいた以上、乗らないワケにはいかない。

地域再生や循環型社会の進め方について、

自身のイメージを発展させることができるような気もするし。

 

早稲田奉仕園という場所も懐かしければ、

夜はまた学生時代にウロウロした高田馬場で一杯やって解散。

 

6月17日(月)。

しばらく前に書いて社に提出してあった

「大地を守る会の放射能対策の経過とこれから」

が、大地を守る会の HP にアップされた。

基準値の一部改定も行なっているので、ぜひご確認ください 。




2013年6月25日

食べて克つ(Ⅲ) -野菜の力で被ばくとたたかう。

 

高橋弘医師のファイトケミカル講座。

話はいよいよ被ばく対策へと進む。

 

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放射線被ばくによる健康障害には、急性毒性と慢性毒性がある。

急性毒性には、消化管壊死による下痢、骨髄不全による鼻血や貧血、

肝不全による黄疸などがあり、放射線を被ばくした直後に起こる。

慢性毒性は被ばくして数年後に起こる健康障害。

その主たるものは発ガンのリスク増加である。

 

外部被ばくでは、被ばく後 2~3年目から 15年頃まで、

白血病のリスクが上昇する。

被ばく後 20年目以降に固形ガン(胃ガン、肺ガン、直腸ガンなど)

のリスクが上昇する。

被ばく者に見られる固形ガンは、非被ばく集団で見られる種類と変わりはない。

ただそれがより高い頻度で発症する。

つまり放射線は自然発ガンを促進させると考えられている。

 

被ばくには外部被ばくと内部被ばくの 2種類がある。

外部被ばくは、放射線源 (被ばくの源となる放射性物質) が

体の外にある時に起こる。

自然放射線の影響もあれば、CT検査でも起きる。

内部被ばくは、呼吸による吸い込み(経気道暴露)、

食べ物や飲料と一緒に口から入る(経口暴露)、皮膚からの経皮暴露などを通じて

放射線源が体内に取り込まれたときに起きる。

その代表例が、放射性ヨウ素131 が甲状腺に取り込まれて被ばくするケース。

皮膚からの取り込みは、皮膚や粘膜が傷ついている場合に起こりやすくなる。

 

放射線は遺伝子を構成する DNA に傷をつけ、

遺伝子の異常が起きることで発ガンのリスクを増加させる。

DNA に対する放射線の作用には、直接作用と間接作用がある。

放射線が物質を通過する際に、特に水を通過する際にはじき飛ばされた電子が

直接 DNA を傷つけることを直接作用と言う。

(放射線自体が DNA を傷つけることは、余程のエネルギーがない限り、ない。)

 

放射線によりはじき飛ばされた電子が水分子と衝突すると、

ヒドロキシラジカルや水素ラジカルと呼ばれる活性酸素が発生する。

これらの活性酸素が DNA を間接的に傷つけることを間接作用と呼ぶ。

 

放射線が DNA に与える影響の 70% は、間接作用によると言われている。

つまり、DNA を傷つけるのは主に活性酸素の仕業であり、

活性酸素を消去することができれば、

放射線による影響の 7割は防ぐことが可能だと言うことができる。

残り 3割の直接作用に対しては、放射線源の除去で防ぐしかない。

ふだんから活性酸素を消去する 「抗酸化力」 を高めることが重要である。

 

そして、仮にガン細胞が発生したとして・・・最後のポイント。

一個のガン細胞が分裂して、見える大きさ(0.5~1 cm) のガンに

成長する(早期ガンの発見レベル) には平均して 9年かかる。

ただ白血病や甲状腺ガンは、3~5年で発症する。

 

したがって、ガン細胞ができても、ガンが成長するまでの数年間で

ガンを攻撃する力、抗ガン作用を高め、免疫力をつければ、

ガンをある程度まで予防することができる。

 

ではどうすれば 「抗酸化力」 「抗ガン作用」 「免疫力」 を

パワーアップできるのか。

その力は、野菜や果物にある。

その成分こそ、ファイトケミカルである。

 

まとめ。

放射線がDNAに与える影響の 70% は

活性酸素による間接作用だと言われている。

活性酸素を除去する 「知恵」 を知っていれば、

放射線による影響の少なくても 7割 は防ぐことができる。

また、1個のガン細胞の芽が分裂を繰り返して

肉眼で見える大きさのガンになるには約 9年かかる。

したがって、ガンが成長する9年の間に

ガン細胞を撃退する抗ガン作用と免疫力をパワーアップすれば、

ガンの成長を止めることも可能になる。

 

野菜や果物に含まれるファイトケミカルには、活性酸素を除去する抗酸化作用、

ガン細胞を殺す抗ガン作用、そして免疫力を高める作用がある。

 

すなわち、体内の活性酸素を除去し、抗ガン作用を高め、

免疫力ををつける 「食の知恵」 を持つことが、

放射線被ばくから身を守ることにつながる。。。

 

ここから先は、高橋弘さんの著書

『ガンにならない3つの食習慣』(ソフトバンク新書)

にて学んでいただければ、と思う。

また麻布医院の HP でも、ファイトケミカルの解説や

スープのレシピががアップされているので、ご参考までに。

 

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質疑では、鉄の過剰摂取に対する関心が集まった。

気になる方は、アーカイブで確かめてほしい。

シジミのみそ汁は飲めば充分であって、具(シジミの身) は食べないほうがいい、

と高橋さんは明言されたけど、貧乏性の僕はやっぱ捨てられない。

 

また、こういうテーマでやると、どうしても個人的症状についての質問が出される。

冷たいようだけど、こういう講座の会場からいきなり相談されても、

その方個人に対する責任ある回答は出しにくい。

信頼できる医者だと思われたなら、ぜひ医院まで足を運び、

診てもらい直接アドバイスを受けるのが一番です。

それから、

「大地の食材は高いので、たまにはスーパーのもので済ませてもいいでしょうか」

という難解な質問は、やめていただきたい。

これは自己責任の問題であって、答えは

「あなたが決めることです」 以外にあり得ないので。

自身の行動判断までアウトソーシング (外部委託) してはいけません。

それはとても危険なことです。

それとも、突き放したりせず、

「私だってコンビニの弁当で済ますことはあります」

と言ってさし上げればよかったのかな。。。

とにかく、売っている立場として、「ああ、いいですよ。 どうぞ」 とは

口が裂けても言いたくない。

 

ファイトは 「たたかう」 ではなく、ギリシャ語で 「植物」 を指す。

この語の意味は深いように思う。

長い長い年月をかけて対応力をつけてきた植物の力こそが、

たたかうエネルギーの本源だとするならば、僕らはもっと、

野菜本来の力を引き出す農の意味を考え、

受け止め直さなければならないのではないか。

 

たどり着いたのは植物の力だった、しかも旬の野菜がイイ!

ファイトケミカルは有機野菜のほうが多い、という仮説を信じて、

食べて克つ!

 

この連続講座も、残るはあと 3回。

さて、どこまで辿りつけるだろうか。

 



2013年6月23日

食べて克つ(Ⅱ)-ファイトケミカルの力

 

高橋弘医師の話は続く。

 

ファイトケミカル成分は以下に分類される。

1.ポリフェノール

  フラボノイド (アントシアニン、イソフラボンなど) と非フラボノイドに分かれる。

2.含硫化合物 (イオウ化合物)

3.脂質関連物質 (カロテノイド類など)

4.糖関連物質

5.アミノ酸関連物質

6.香気成分

 

ポリフェノールは水にもアルコールにも溶けるため、

赤ワインにはアントシアニンが多く含まれる (もっと多いのは紫芋の焼酎だと)。

脂質関連物質は脂に溶けやすいので、

トマトはオリーブオイルで調理するとリコピンが効果的に摂取できる。

バナナの香気成分であるオイゲノールは白血球を増やしてくれる。

だからスィートスポット(黒い点々) が出て匂い立ってきた時が食べ頃ということになる。

このように分類上の特徴を知っておくことは大事である。

 

ではファイトケミカルと五大栄養素とは、どう違うのか。

 

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5大栄養素である糖質、脂質、タンパク質、ビタミン、ミネラルは、

体の生存に必要なエネルギー源や体の素材となる。

これに食物繊維を加えると6大栄養素となる。

ファイトケミカルは植物が作る 「機能性成分」 で、

第7番目の栄養素と言われたりするが、

体のエネルギー源や素材にはならないので、正確には栄養素ではない。

 

しかしファイトケミカルは、

栄養素がエネルギーを作る時に発生する活性酸素を無毒化する力があり、

免疫のバランスを調整し、発ガンを抑える働きをする。

いわば、車にとってガソリンが栄養素なら、

ファイトケミカルは排気ガスを中和する機能性成分である。

栄養面での働きでもなく、嗜好面での働きでもなく、

生活習慣病などの疾病を予防する働き。

 

ファイトケミカルには、

抗酸化作用、抗がん作用、免疫力を整える作用など優れた機能があり、

健康の維持や病気の予防に欠かせない機能性成分である。

例えば、ワインに含まれるポリフェノールや

人参に含まれる β ‐カロテンには抗酸化作用、

ニンニクやネギに含まれるイオウ化合物には抗がん作用、

キノコの β ‐グルカンには免疫力を高める作用がある。

その機能こそ、いま私たちの体が必要としているもので、

5大栄養素に匹敵する重要な成分だと言える。

 

抗酸化作用とは、色々な病気の原因になる活性酸素を無毒化させる力。

分かりやすく言えば体を錆びさせない作用である。

活性酸素は、呼吸という生きるための行動によって必然的に産み出される。

そこで発生した活性酸素スーパーオキシドは、

酵素の力さえしっかり働けば無毒化 (中和) されるのだが、

抗酸化力は年齢とともに衰えるし、

活性酸素がその力以上に発生すると働きが追いつかなくなる。

また、活性酸素が処理されるときにできる過酸化水素は、

鉄があるとその触媒作用によって、活性酸素ヒドロキシラジカルをつくりだす。

 

この活性酸素ヒドロキシラジカルは、短寿命であるが酸化力が強く、

スーパーオキシドの数十倍もの毒性を持つ。

発ガンや皮膚の老化、生活習慣病、免疫異常、

あるいはアルツハイマー、神経変性疾患など、様々な慢性疾患の要因となる。

しかも、体内にはこれを分解するシステムがない。

鉄の取り過ぎは要注意である。

しかも日本人は鉄は足りているのだから。

(これにはたくさんの方が驚かれたようである。)

 

抗酸化作用を持つファイトケミカルには、

アントシアニン(赤ワイン、紫芋、赤しそ)、プロアントシアニジン(クランベリー)、

カテキン(お茶)、リグナン(ゴマ)、リコピン(トマト、スイカ)、などがある。

昔からスイカには栄養がない(水と同じ) と言われてきたが、

海水浴から帰って冷やしたスイカを食べると体の火照りや不快感が消えるのは、

紫外線によって発生した活性酸素を中和して炎症を和らげる効果があるためで、

実は理に適っている。

 

抗がん作用を持つファイトケミカルには、

イオウ化合物であるスルフォラファン(ブロッコリー) やアリシン(ニンニク)、

イソフラボン(大豆)、脂質関連物質であるリコピン、

糖質関連物質である β ‐グルカン(キノコ類) や フコイダン(モズク、昆布)、がある。

 

免疫力を整える作用には、

活性酸素から免疫細胞を守る作用、免疫力を高める作用、

抗アレルギー作用や抗炎症作用、などがあり、

それぞれにファイトケミカル成分とそれを多く含む食品が挙げられた。

クランベリー、ブドウ、赤ワイン、玉ねぎ、ニンニク、エビ、金目鯛、鮭、

バナナ、ショウガ、人参、キノコ類、海藻類、、、、。

ここでエビ、金目鯛といった名前が挙がったが、彼らの黄色は

アスタキサンチンというファイトケミカル成分を含んだ植物プランクトンを

餌として食べることによってつくられている。

 

また免疫力は高めるだけではいけない。

アレルギーや炎症などは免疫力が高まりすぎて起きているもので、

その場合は適度に押さえる必要がある。

抗アレルギーや抗炎症作用を持つファイトケミカルには、

プロアントシアニジン(クランベリー)、ルテオリン(ピーマン)、ケルセチン(玉ねぎ)、

ヘスペリジン(ゆず、みかんなどの柑橘類)、ジンゲロール(バナナ)、など。

ファイトケミカルの多い果物は、

キウイ、バナナ、グレープフルーツ、マンゴー、ブドウ、オレンジ・・・

よく見ると、入院された患者さんの見舞いに持って来るものが多い。

人は体験的に感じ取っているのでしょうか、と高橋さんは含みのあることを言う。

 

さて、効果的なファイトケミカルの摂取法だが、

ファイトケミカルは加熱しても壊れない安定的な物質が多い。

野菜のファイトケミカルは、セルロースでできた細胞膜や細胞の中にあり、

細胞膜を壊さないと効果的に摂取できない。

それには圧搾やすりつぶすなどの方法があるが、

一番簡単な方法は、加熱することである。

野菜を煮出した場合、ファイトケミカルの 8~9割が

煮汁(スープ) のほうに含まれる。

煮て、スープにすることによって有効成分を無駄なく摂取することができる。

 

生野菜ジュースも良いが、野菜スープだと 10~100倍の抗酸化作用を得られる。

野菜は 「熱を加えるとビタミン類が破壊される」 と言われ、

サラダとして生で食べることが勧められてきたが、

抗酸化力の面では加熱してスープを摂ったほうが効果的である。

(要するに、いろんな調理法で食べるのがよい、ということである。)

 

またファイトケミカルとは、

植物が紫外線や害虫から身を守るために合成している物質であるため、

日光を多く浴びた野菜、すなわち露地栽培の旬の野菜に豊富に含まれている。

旬の野菜を食べるということは、この意味においても正しい。

 

そこで、高橋先生おススメのファイトケミカル・スープが紹介される。

材料は、キャベツ・玉ねぎ・人参・かぼちゃ。

水で煮るだけ。

これを基本として、様々なバリエーションを楽しむ。

このスープを毎日摂ることによって、

白血球が増える、高脂血症や脂肪肝炎が改善される、そして体重が減る。

 

高橋先生がファイトケミカルスープにたどり着いたのは、

ガン患者さんの家族の 「何を食べさせたらいいのか」 という悩みに応えるために

研究してきた結果だった。

抗がん剤を使ったり、肝炎の患者にインターフェロンを使うと白血球が減少する。

そうなると治療を中断しなければならなくなる。

これは命に関わることである。

しかし、ファイトケミカルスープによって白血球が戻る。

野菜や果物の力によって。

 

重要なことは、

ファイトケミカルは人間にはなく、植物だけに生成される成分であるということ。

人間はファイトケミカルを作れない。

植物は紫外線や活性酸素から身を守るために、

何億年という年月をかけてファイトケミカルの遺伝子を獲得したのだ。

したがって私たち人間は、

野菜や果物を食べることでしかファイトケミカルを摂取することができない。

 

ファイトケミカルは今後、

私たちの食生活に革新的な変化をもたらす機能成分であると言える。

ただ長生きするだけでなく、

「元気でいつまでも若々しく」 生きるための一つの鍵がファイトケミカルである。

 

しかもファイトケミカルは野菜や果物の皮や種にふんだんに含まれているので、

食物を丸ごと使用することになり、

エコノミカルであると同時に、エコでもある。

 

ファイトケミカルはまた、新鮮な旬のものにたくさん含まれている。

したがってファイトケミカルに注目することは、

地元産や国産の野菜・果物が良い、ということになる。

地元・国内の生産者を応援することにもなり、自給率の向上にも貢献できる。

 

ファイトケミカルは、私たちの食生活だけでなく、

生き方や社会全体を変える可能性を秘めている。

 

これを高橋先生は、「ファイトケミカル革命」 と呼んだ。

 

フーッ。 今日はここまで。

 



2013年6月22日

食べて克つ! -放射能連続講座Ⅱ-第4回

 

特販課の設置から1ヶ月半、体力というより気の疲労が溜まってきたか、

書くという行為に集中できない。

報告したいこと、伝えたいことは日々積まれていくのに、 

夜の気力があと一歩、続かない。

仕事のペースさえつかめば復活できるのだろうが、

追いかけられたり、追いかけたり、焦ったり、さじ投げたり、で。

 

そんな調子だけど、せめてこの土日のうちに、

高橋弘さん講座を、行けるところまで書き進めておきたい。

 

6月9日(日)、大地を守る会の放射能連続講座Ⅱ-第4回。

『食べて克つ! 毎日の食生活で免疫力を整える 』

講師=麻布医院長・高橋弘さん。

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会場は、日比谷図書文化館コンベンションホール。

定員 207名のところ、申込者数がなんと 207人。

神のお導きか・・・ と、全員受け入れることができた。

( 実際には当日の欠席がけっこう発生した。 主催者としてはこれが一番こたえる。 ) 

 

さて、高橋弘医師によるファイトケミカル講座。

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高橋さんが用意された今回の話のポイントは、3つ。

1.ガンのリスクは放射能だけではないこと。

2.健康な食生活を維持するために、何を、どう食べるか。

3.放射能汚染による内部被ばくから身を守るための、

  日々の食生活 (食習慣) について。

 


日本人の死因のトップは 「ガン」 である。

日本人の 2人に 1人はガンになり、3人に 1人がガンで亡くなっている。

( 6人いると、3人がガンになり、2人がガンで亡くなるという計算。)

1975 年頃までは脳血管疾患が死因のトップだったが、

以後、ガンがトップになる。

 

発ガンの原因は、喫煙、感染症、飲酒、地理的要因(自然放射線も含まれる)、

環境汚染、食品添加物などが挙げられるが、

最大の要因は 「食事」 にある。

 

日本ではガンが増える一方であるが、

アメリカではひと足先にガンの死亡率の増加が深刻化した歴史がある。

1960 年代後半には、ガンや生活習慣病の増大により

国民の医療費が膨れ上がっていて、

国民一人当たりの医療費は世界一、平均寿命は 26位という

悲惨な状態に陥っていた。

 

そこでニクソン政権時代の 1968年、栄養問題特別委員会が設置される。

委員長に任命されたのが、ジョージ・S・マクガバン上院議員。

そして 1977年 2月、かの有名な 「マクガバン・レポート」 がまとめられた。

 

レポートの肝は

「 アメリカ人の多くの命を奪っている疾患 (心疾患、ガン、高血圧、糖尿病、肥満、その他)

 は、食事と関係している」 ということだ。

そして、脂肪の過剰摂取、砂糖(精製された砂糖) と塩分(NaCl) の過剰摂取が

これらの病気に直結していることが指摘された。

当時はまだ、生活習慣病という言葉はなかった。

 

炭水化物や脂肪、砂糖、塩分などの具体的な摂取数値目標が示され、

食生活への関心がアメリカ人の間に広がり、

食事を通じて病気を予防する研究や取り組みが盛んになる。

治療ではなく、予防を重視する対策へと動き出したのだ。

しかも調査では、1960年頃の日本人の食事こそが理想に近いもの

と報告されたことで、日本食やマクロビオティック食が注目されるようになった。

 

しかし、マクガバン・レポートの発表後も、実はガンは増え続けた。

そこで委員会は次に、国立ガン研究所 (NCI) に、

食事とガンとの関係の研究を依頼した。

 

数々の疫学調査の結果から、

ガンの原因の 3分の 1以上は食生活に由来すると考えられた。

一方で、日常食べている野菜や果物などの植物性食品に、

ガンを予防する効果のある物質が含まれることも明らかになってきた。

 

1990年、NCI は

「ガンを食事で予防できるのではないか」 という仮説を立てて、

新たなプロジェクトを開始した。

ガン予防のための国家プロジェクト 「デザイナー・フーズ計画」 である。

様々な分野の研究者が参加し、

「どの植物性食品がガンを予防する可能性が高いか」

についての研究が精力的に進められた。

 

膨大な量の疫学調査データから、

ガン予防に効果のある食品および食品成分 40 種類がピックアップされ、

その重要度に合わせてピラミッド型の 「デザイナー・フード・リスト」 が作成された。

 

ピラミッドの頂上部分の栄誉に輝いたのは、

ガーリック、キャベツ、カンゾウ(甘草)、大豆、しょうが、セリ科(人参、セロリなど)。

次のグループに入ったのは、

玉ねぎ、茶(緑茶)、ターメリック、全粒小麦、亜麻(リネンの種)、

玄米、柑橘類、ナス科、アブラナ科。

 

人参やキャベツ、セロリ、玉ねぎなど日常的に摂取される野菜類に、

ガン予防の力がある、これは非常に重要なことである。

一般的に、野菜は淡色野菜より緑黄色野菜のほうが健康的と思われがちだが、

淡色野菜にも強いガン予防効果があることが示された。

「デザイナー・フーズ・リスト」 に上げられた食品は、

ガン予防以外にも、免疫力を整え、生活習慣病を防ぐ作用がある。

 

研究成果とともにアメリカ人の野菜・果物摂取量は増え、

1995 年には、一人当たりの野菜消費量が日本人を上回った。

アメリカ人は肉ばかり食べていると思われがちだが、

今では日本人より野菜を食べている。

 

1990年を境に、アメリカではガン罹患率も死亡率も、下がり始める。

わずか 10 年余りの間に、

アメリカ人は野菜と果物の恩恵を享受するようになった。

政府と民間団体が協力して取り組んできたことによる一大成果だった。

 

かたや日本では、野菜の消費量は減少傾向にあり、

ガンによる死亡率は今も上昇し続けている。

 ( たしか、先進国では唯一上がっている国だったと思う。)

 

さらに野菜の中身である成分に関しても研究が進み、

ファイトケミカルと呼ばれる植物由来の成分に、

抗ガン作用、抗酸化作用、免疫力を整える作用があることが明らかになってきた。

 

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ファイトケミカルといっても、" たたかう化合物 "  という意味ではない。

ファイトとは、ギリシャ語で 「植物」 、ケミカルは 「化学物質」。 

「植物がつくる機能性成分」 を指す。

紫外線により発生する活性酸素や、害虫などによる危害から身を守るために

植物がつくり出す成分。

それは移動することができない植物にとっての、生存戦略から生み出されたものだ。

特に、厳しい環境下で子孫を残していくために託された 「種」 には、

大量のファイトケミカルが蓄えられている。

 

ファイトケミカルの 9 割は野菜や果物など植物性食品に含まれ、

その数はおよそ 1 万種類以上あると考えられているが、

現在見つかっているのは数千種類である。

 

ファイトケミカルは、私たちが普段から

野菜や果物の色や香り・辛み・苦みとして感じているもの。

私たちの目を楽しませてくれるカラフルな色合いは、

ビタミンカラーなどと呼ばれることがあるが、ビタミンの色ではなく (ビタミンは無色)、

ファイトケミカルの色である。

 

ファイトケミカルの代表例を挙げれば-

 ・ 赤ワインに含まれるポリフェノール

 ・ スイカやトマトに含まれる赤色成分であるリコピン

 ・ 大豆に含まれるイソフラボン

 ・ ゴマに含まれるリグナン

 ・ お茶に含まれるカテキン

 ・ 人参に含まれる β-カロテン

 ・ ブルーベリーに含まれる色素のアントシアニン

 ・ 柑橘類の苦みや香りの成分であるテルペン類

 ・ バナナに含まれるオイゲノール(香気成分)

 ・ 淡色野菜に含まれるイオウ化合物類

 

続く。



2013年6月 8日

CSR 総会から

 

今日は 「大地を守る社会貢献活動(CSR) をすすめる会」

2013 年度の総会が開かれた。 

 

1975 年に設立された市民運動団体(NGO) 「大地を守る会」 は、

3 年前の 10 月に(株)大地を守る会と統合し、

上記の 「(CSR) をすすめる会」 に衣替えして活動を継続してきている。

そこで 「総会」 も NGO 時代から続いてきたスタイルを踏襲して開催されてきた。

 

NGO 大地を守る会が、発展段階に入った流通事業部門を

株式会社に独立させたのが 1977年。

以来、「運動と事業は車の両輪」 と標榜しながら運営してきたのだが、

統合の際には、それを改めて内部に一本化する、と宣言した。

NGO の理念を、憲法のごとく、会社の定款の前文に据えて。

僕はこの一連の流れを、「運動部門を事業のエンジンに組み込んだ」 と表現した。

今もその思いは変わらずにある。

 

ただし、時代は変わっていくのである。

NGO 時代に理事だった僕は、統合とともに

「すすめる会」 の運営委員へとスライドされたのだが、

昨年の総会をもってその席を後輩に託した。

我らがエンジンは日々進化しなければならない宿命を負っている。

したがってそれは職員一人一人のハートのなかに存在しなければならない。

運営委員という無報酬の仕事は、

多くの職員が経験したほうがいい、と思ったのだ。

 

ま、そんなワケで、今年の総会は出番もないだろうと、

とても気楽な気分でいたのだが、

今年から、活動報告はそれぞれの担当から発表してもらう、

というスタイルに変えるとのお達しが出た。

「大地を守る会の放射能問題への取り組み」 はエビがやれ - と。

 


もちろん自分で書いた活動報告と方針なので、

発表自体は全然 OK なんだけど、

やっぱ人前に出るのと出ないのとでは、気の持ちようが違ってくる。

緊張もするし。。。

 

内容にはそれなりの自負もあって、

喋る以上は 30 分は欲しいところだが、持ち時間は 3 分。

嫌がられるのを承知で、時間切れのチン! が鳴らされるまで

語らせていただいた。

 

放射能の昨年度の測定件数は、5,844 件。

毎週の配布物 「HAKATTE」 と HP で結果を公開する体制を継続させた。

放射能連続講座を 6 回開催。

講師の選定には気を使ったが、できるだけバランスよく選んだつもりである。

かつ歴史認識を新たにする意味で

耳を傾けるべき人をお一人含ませていただいた。

お陰さまで継続希望も多く、今年の第 2 クールへとつながっている。

 

生産地での除染対策支援では、

須賀川市・ジェイラップ (稲田稲作研究会) の取り組みは

特筆すべき成果を上げてくれた。

貴重な社会資産を残したと言っても過言ではないと思っている。

これも震災復興基金の力で、測定器を無償貸与できた力が大きい。

 

生協など 4 団体に呼びかけて結成した

「食品と放射能問題検討共同テーブル」 では、

延べ 2 万件を超えるデータを持ち寄って分析を進め、

震災後丸 2 年を経た今年の 3月11日 、

規制値や政策の見直しを求める 「提言書」 を政府に提出した。

 

基本とした姿勢は、

『食品の安全基準は、食べる人を守るためにある』 である。

リスクに対しては、可能な限り 「予防原則」 の立場に立つべきであり、

仮に規制値を超えた生産物・生産地に対しては、

国の責任をもって対策を講じ、支援する。

そういう仕組みを整えてこそ、食への信頼が回復されると信じるものである。

メディアからの反応も高く、雑誌での討論に呼ばれるなど、

一定の社会的発信はできたと思う。

 

「放射能対策特命担当」 を拝命してより

一貫して心掛けてきたことは、大地を守る会の行動が、

民からの取り組みとしてのひとつのモデルに、

あるいは行動規範やモノサシとなるような、

そんな活動にしなければならない、ということだった。

 

できなかったことはたくさんあるし、反省点も多いけれど、

まあ頑張ったよ、とは言わせてほしい。

 

この仕事には、終わりがない。

いずれ 「特命担当」 という非常時のような肩書きがなくなり、

大地を守る会を退職する日が来ても、

いったん背負ってしまったこの荷物は、もはや捨てられない。

河田昌東さんが言った 「忘れないこと」 、それは未来への約束だから。

胸にしまった以上、背負い続けて生きていくしかない。

 

総会議案書の項目からなくなっても、この仕事は終わらない。

それくらいの構えは持っているつもりである。

 



2013年6月 7日

連続講座・最終回(予告) -鎌田實さんが語る 『希望』

 

昨年から続けてきた 「大地を守る会の放射能講座」 も

河田昌東さん講座で 9 回めとなって、

残りはあと 3 回という計画だったのだけど、

ずっと返事を待ち続けていた方から、

「10月のこの日でよければ」 の返事が届いた。

長野県諏訪中央病院・名誉院長の、鎌田實さん。

 

 

というワケで、連続講座Ⅱシリーズ第6回を 8 月にやったあと、

最後にこの人に締めていただくことにした。 

題して、

『鎌田實さんが語る、希望 ~子どもたちの未来のために~』。

サブタイトルは、37年間、大地を守る会が掲げてきたスローガンである。

 

日程は、10月4日(金)、13:30~15:30。

会場は、千代田区立日比谷図書文化館・コンベンションホール。

参加費は、大地を守る会会員=無料。

会員外の方には恐縮ですが、資料代として 500 円をお願いいたします。

(駆け込み入会、大歓迎です。)

申し込み受け付けは、

会員の方には毎月配布している 『NEWS 大地を守る』 9月号にて。

一般の方には、9月初旬に 大地を守る会の HP にて告知します。

 

地域医療のパイオニアであり、

長くチェルノブイリへの医療支援を続けてこられた

鎌田實さんが語る  " 未来への希望 " 。

 

悲惨な原発災害を経験してしまった私たちは、

この困難をどう乗り越え、どんな希望を未来に残すことができるのか。

講座を締めるにあたり、

明日からの生きる力を、皆さんと一緒に分かち合いたく思います。

たくさんの方々の参加をお待ちします。

 



2013年6月 4日

未来のために、忘れない -河田講座レポート③

 

河田昌東さん講座レポートを終わらせたい。

残るは内部被ばく対策の話。

 

個人での対策。

その1。 粉じんを吸わない、汚染したものを飲まない・食べない。

(汚染しにくいものを選ぶ。)

その2。 飲料水は、深い井戸水なら問題ない。

(今は、飲料水からは検出されてないが、

 今後の河川からの影響は未知数=継続調査が必要、と河田さんは慎重である。)

調理での工夫も有効なものがある。

よく洗う、煮る、酢漬けにする。

旧ソ連ではいろんなものを酢漬けにして保存する文化があり、

半分くらい減ることが確かめられている。

 

その3。 被ばくの影響を減らす。

放射性セシウムを吸着し、体外に排出する効果を持つものは、

ペクチン(多糖類、パンを食べる時はジャムを一緒に)、

キチン・キトサン、ゼオライト、など。

キノコにはキトサンが大量に含まれているので、

汚染されてないキノコは逆に推奨品である。

 

放射線の影響は、直接的に遺伝子を傷つけるだけでなく、

体細胞の 8-9 割を占める水の分子を破壊して

フリーラジカル(活性酸素や活性水素) を作るという間接的影響がある。

活性酸素には抗酸化作用物質を摂取することが有効。

ビタミンA・C・E、 β カロチン、カテキン(ポリフェノール類)、

ペクチン、そして醗酵食品。

日本には、ラッキーなことに醗酵食品の文化がある。

チェルノブイリ原発事故の後、味噌を大量に輸出した実績もある。

(やっぱ、味噌汁だね。)

 


セシウム137 を 一日 1ベクレルで摂取し続けた場合、

蓄積と排出を繰り返しながら、

幼児だと 100日 くらいで 30 ベクレルの蓄積量でピークを迎え、

そのまま平衡状態になる。

成人だと約 600日 で  140 ベクレルくらい。

排出速度(生物学的半減期) も子どものほうが早い。

1歳児で 13日、10歳児で 50日、15歳以上では 90~100日 で半分に減る。

 

内部被ばくのリスクについては、対立する二つの概念がある。

ひとつはICRP(国際放射線防護委員会) の見解。

外部被ばくと同様にシーベルトで評価し、「1mSv 以下なら安全」 というものだ。

(日本政府もこの主張に沿っている。)

セシウム137の 1mSv をベクレルに換算すると、76,900 Bq(全身量) になる。

 

一方で、体に溜まったセシウムのベクレル数で評価する考えがある。

亡くなった1500人の臓器を詳細に調べた

ベラルーシのユーり・バンダジェフスキー医師らは、

50 Bq/kg(体重) 以上は危険と主張している。

体重 50kg の場合だと、2,500 Bq。

この見解にしたがえば、76,900 Bq (1mSv)/体=1,538 Bq/kg

という数値は 「危険水域」 となる。

 

どちらを採用するかは、それぞれの考え方次第である。

私はバンダジェフスキーの主張を支持したい。

 

内部被ばくのリスクを避けるための参考値として、

河田さんは1日摂取量を 10 Bq 以下に抑えることを提唱する。

それだと、乳幼児で 30 Bq、大人で 28 Bq (ともに /㎏) で平衡状態になり、

バンダジェフスキー医師の指摘する数値を下回ることができる。

 

この場合、摂取する量も頭に入れて判断してほしい。

例えば 200 Bq/kg の梅干しがあったとして、

1個 1g の小梅なら 摂取量は 0.2 Bq である。

この場合、梅干しから得られるメリットの方が大きいと考えたい。

 

さて、日本の食品の基準値について。

この表は、ウクライナの基準と日本の基準を比較したもの。

  e13052606.JPG  

真ん中の列は、最初の暫定基準値。

 

日本の基準値は、分類が大ざっぱすぎるというのが河田さんの指摘である。

また、今はほとんどの食品が下がってきているのだが、

高いレベルのままだと、かえって風評被害の原因になる可能性がある。

基準はもっと下げるべきである、と河田さんは主張する。

 

チェルノブイリの経験で得たことは、

内部被ばくの影響によって発生した疾病は、

子どもの甲状腺ガンだけではない (これだけが公式に因果関係が認められている)、

ということだ。

心臓病、脳血管病、糖尿病、先天異常、免疫力低下など

様々な病気が発生している。 

実は、ガンは 10% 以下である。

ガンや白血病は、放射線による病気の一部に過ぎない。

 

私たちはすでに、非常に厄介な社会の下で暮らしている。

様々な情報を集め、自身で判断し、

日常生活の中で被ばくを減らす努力をしていくしかない。。。

 

以上。

質疑は省かせていただき、

最後にいただいた河田さんのコメントを記しておきたい。

 

  大切なことは、忘れないこと、です。

  福島もアベノミックスの陰に隠れて、

  まるで過去のことになりつつあるかのようですが、

  けっして、忘れないこと。

  当事者と周りのギャップが大きくなっていってることが気がかりです。

  チェルノブイリ原発事故から 27 年経っても、

  ナロジチの人たちにとっては、日々が昨日の続きなんです、ずっと。

  何度行っても、彼らから出てくる言葉は、

  「私たちを、忘れないで」 です。

  忘れないこと。

  それが今後の事故を抑止することにつながるし、

  被災地を支援することになります。

  どうか、よろしくお願いします。

 

河田さんの話を通しで聞きたい方は、

大地を守る会の HP にアーカイブをアップしておりますので、ご確認ください。

⇒ http://www.daichi-m.co.jp/cp/renzokukouza2/

 

レポートを書き終えたと思ったら、もう次回が迫ってきている。

焦るね、ホント。

   



2013年6月 1日

未来のために -河田講座レポート②

 

まったく書く時間がなくなってきているので、

余計な近況報告や独り言はやめて、先を急ぎたい。

河田昌東さんの話。

 

ゼッタイに起こしてはいけない原発事故だったが、

起きてしまった以上、チェルノブイリの経験をどう生かすか、

私たちに何ができるのかを、河田さんたちは悩み、考えた。

そして原発事故から一ヶ月後、

「チェルノブイリ救援・中部」(以下 「チェル救」 と省略) は

バスを仕立てて南相馬市を回った。

 

南相馬は地震と津波と原発事故という3重苦にあって、

大変な混乱をきたしていた。

市長とも会見するが、市に測定器が一台しかないため

汚染の実態が把握できず、

何からどう手を付けていったらよいのか、つかめずにいた。

そこで依頼を受け河田さんたちが始めたのが、

市内全域の放射線測定と食品や水などの測定サービス、

そして測定器の貸し出し。

測定サービスもするが、

自分たちで身の回りのものを測れるようにすることが大事だと考えた。

 

配布した測定器はウクライナ製。

ずっとチェル救が支援してきたウクライナから、

今度は我々が助ける番だと支援の申し出があって、

測定器がほしいと頼んだところ、

あっという間にカンパが集まって、125台もの測定器が届けられたという。

(この2年、僕らはこういう信頼の輪を築いてこれただろうか・・・

 身を守ることも大切だが、未来のための作業も欠かせない。)

 

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放射線測定では、市内全域を 500m メッシュで区切り、

汚染マップを作成した。

そして同一地点で半年ごとに定点観測を実施し、変化を見るようにした。

測定は現地住民と共同で行なった。

 


測定は2011年6月から開始され、今年4月までに5回行なわれた。

毎回測定ポイントを増やしてきて、4月は 966ヶ所 で実施している。

そこで見えてきた変化は、

物理的半減期より 2 倍以上速いスピードで線量が低下してきていることだった。

最新のデータでは、年間 1mSv 以下の地点が半分以上になった。

5 mSv 以上がまだ約 6% 残っているものの、

こういう現実を知ることは、住民にとって気を落ち着かせる大事な要素であり、

心強い支援になっていることだろうと思う。

 

福一の事故では、セシウム137 と134 はほぼ同じ量が放出されたと見られている。

半減期2年の 134 はすでに半分になっている。

それが総量の減少につながっているわけだが、

しかし半減期が短いということは、

そのぶんエネルギーが大きいということでもあり、けっして良いことではない。

半減期 8 日のヨウ素のエネルギーはさらに高く、

その影響はグレーのまま残っている。

継続的な健康調査がなされなければならない。

 

測定第3期(2012年4月) と 第4期(2012年10月) を比較すると、

低線量域が拡大している。

雨によって流れただけでなく、土壌の遮蔽効果によって

空間線量が低下し、内部被ばくのリスクを下げていることが読み取れる。

(土は偉大だ。 除染の意味もここにある。)

山側をのぞいて、住んでもよいレベルにはなってきている。

 

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食品などの測定サービスでは、2011年6月に

放射能測定センターを立ち上げた。

ポイントは住民が自ら判断できるようにすること。

そのためのアドバイスをするのが我々の役割だと、河田さんは語る。 

測定員は現地ボランティア10名。

これまでで 3200 件くらいの検査を実施してきている。

 

野菜類の測定結果では、87 %が 25 Bq 以下というデータが得られている。

チェルノブイリに比べて相当に低い。

これは土壌の性質による。

できるだけたくさん測ることで、高い(吸収しやすい) もの、低い(吸収しにくい)もの

が分類できるようになる。

栽培の時期や部位によっても濃度は違う (里芋の芋は低いが茎は高い、など)。

こういった解析によって、栽培可能な品目が見えてくる。

 

果物では、柑橘類・栗・柿・キウイ・ブルーベリー類が比較的高く出たが、

飛んで来た時に葉があった常緑樹や樹皮に凹凸がある樹種である。

落葉果樹でもその時に葉があれば高く出る。

汚染の低かった果物は、林檎・桃・梨・スイカ。

しかし落葉果樹でも、今後の土壌からの影響は油断できない。

落ち葉が腐葉土化していくと根からの吸収があり得る。

チェルノブイリでも、森の汚染はなかなか減らなかった。

時間の経過とともに、汚染の循環(葉 → 土 → 根から吸収 → 葉) が始まる。

 

果樹園での除染では、表土剥離試験で有効性が確かめれらている。

すべての園地でできるものではないかもしれないが、

今後の推移次第では、考慮しておかなければならないのではないか。

 

コメについては、この2年でほぼ対策が見えてきている。

高い濃度で検出されたのは、山の水が直接入るところ、カリウム濃度が低い田んぼ。

須賀川市のジェイラップ(稲田稲作研究会) が取った対策は

素晴らしい結果を生んでいる。

玄米から白米にすると、セシウム濃度はほぼ半分になり、

炊飯するとさらに10分の1 程度に下がる。

白米で食べる場合は、すでに問題になるレベルのものはないと考える。

玄米の場合は、測定結果をたしかめて選ぶこと。

 

また、モチ米は非常に低いというデータになっている。

低アミロース米は低いと考えられるが、

断定するにはまだデータを蓄積する必要がある。

これから濃度が上がるような田んぼでは、

水(正確には懸濁水) 対策が必要となる。

ゼオライトの有効性が確かめられているが、もっと良いのはモミ殻である。

モミ殻はゼオライトの 15 倍の吸着能力がある。

(これらの知見や成果の獲得は、

 有機農業者たちの探究と実践の賜物だと僕は思っている。)

 

魚では、淡水魚はまだ高い濃度で検出されている。

南相馬には川魚漁を営んでいた漁師さんたちがいたが、

悲しいことに経営は成り立たなくなってしまった。

 

野草や雑草で高く出るものがあるが、

それはかえって除染植物として使える可能性がある(バイオレメディエーション)。

 

土壌からの除去という点だけで言えば表土剥離が一番なのだろうが、

それが困難な場合でも、汚染しにくい作物を植える、

カリウム施肥やゼオライト投入などで汚染の抑制をはかる、

吸収しやすい作物(植物) で土壌浄化をはかる(菜の花プロジェクトなど)、

非食用作物の栽培でバイオエネルギーを生産する、

などなど、いろんな工夫で地域の復興を目指していきたい。

 

最後に、暮らしの中での被ばく対策について。

すみません。

今日はここまで。

 



2013年5月30日

未来のために、チェルノブイリから学ぶ -放射能連続講座Ⅱ‐第3回

 

5月28日、ローソン久が原一丁目店の開店をたしかめて、

午後は熱海へと向かった。

正確には、静岡県田方郡函南(かんなみ) 町に。

丹那盆地にあって、ここは大地を守る会の低温殺菌牛乳の里であり、

またジャムやジュースやケーキでお馴染の (株)フルーツバスケットがある。

28日はその株主総会が開かれた。

 

株主総会といっても、

フルーツバスケットは (株)大地を守る会が100%出資の子会社なので、

出席は関係者のみ。

この総会で、あろうことか、取締役に指名されてしまった。

今月、特販課長を受けたばかりだというのに、3足目のワラジ・・・。

大丈夫か、オイ、と自分に問うている。

 

2年前、これが  " オレの大地人生 "  最後の仕事になるのかと

神を、いや原発を呪った放射能対策特命担当だったが、

しかし・・・ まだ次のページが残されていたとは。

まあ、バカはバカなりに、やれるだけのことをやる、しかない。。。

 

ため息をひとつふたつ吐いて、宿題をひとつ、片づけたい。

5月18日(土) に開催した、大地を守る会の放射能連続講座Ⅱ-第3回。

『食の安全と放射能 -未来のために、つながりを取り戻す-』。

「NPO法人チェルノブイリ救援・中部」 理事、

河田昌東(かわた・まさはる) さんのお話し。

 

河田さんたち 「チェルノブイリ救援・中部」 は、

原発事故から4年経った1990年からウクライナに入り、

住民の健康調査や医療支援、土壌の汚染対策(菜の花プロジェクト) などを

粘り強く続けてこられた。

その経験から、ずっと原発に対して警告を発してきたのだったが、

こともあろうにこの日本で、地球汚染規模の事故を起こしてしまった。

悔しさを吐露して、河田さんは語り始める。

 

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河田さんはまず、チェルノブイリ原発事故を振り返りながら、

福島第1原発事故との類似点や相違点を整理された。

 

チェルノブイリは核暴走だが、福1 は水素爆発。

爆発時の温度の違いと爆発時までの運転履歴の違いによって、

放出された放射性セシウムの量(Cs137+134) はチェルノブイリの約4分の1。

137と134の比は、チェルノブイリが 2:1 に対して、福1 は 1:1。

(半減期2年の134の比が多いぶん、総量での減少は早い。)

ストロンチウム90 は 60分の1。

プルトニウム239 は 1万分の1。 問題にはならない量だと考えてよいのではないか。

 

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チェルノブイリは大陸の中にあり、ほとんどは土壌に降った。

福1 では事故当時は北西の風によって、9割方は海洋に流れた。

その後の風向きによって陸地 200km にわたって陸地に降ってしまったが、

もし事故が今の季節に起きていたら、日本全域が汚染されたかもしれない。

 

チェルノブイリ事故に対して日本では、

炉型が違うとか社会主義国だからとか理由をつけて

「わが国ではこのような事故は起こりません」

とキャンペーンした。

しかし事故は発生した。 傲慢な姿勢が事故をもたらしたのだ。

 

チェルノブイリ原発は石棺で囲われたが、

その後の地盤沈下によって屋根が裂け、雨漏りがしている。

いま、ひと回り大きな石棺で覆う計画が進んでいるが、

いったん事故が起きると、その対策には長い時間がかかることを物語っている。 

その間、何のプラスの価値を生み出さないのが原発というものである。

膨大な被曝労働とコストが積み上げられていっている。

福1 もいつまでかかるか、今もって分からない。

事故の本当の原因すら、分かっていないのだ。

 

原発事故は、汚染環境下で生きざるを得ない世界の扉を開けた。

私たちも原発の恩恵(電気) を受けてきたんだからみんな責任がある、

という意見があるが、私はそうは思わない。

私たちには電気を選ぶ権利が与えられなかったのだから。

 

原発事故はまだ収束していない。

「冷温停止」 と 「冷温停止状態」 とは違う。

今も毎時20トンの冷却水が注入されているし、

日量400トンの地下水が流入している。

 

チェルノブイリが教えている教訓は、内部被ばくの問題である。

事故直後から1年間の被曝の、半分は粉塵の吸入による内部被ばくだった。

事故後22年経った2008年のデータでは、

8-9割が食べ物や飲み物からの内部被ばくになっている。

ナロジチ地区住民の体内放射能を

ホールボディカウンター(HBC) で測定したデータがあるが、

事故後15年経った2001年でも7千~1万8千Bq(ベクレル) レベルの人が多くいた。

実は一ヶ月前にも現地で測定したのだが、

事故の後に生まれた20歳前後の学生でも数千Bq の値が検出された。

原因は野生のキノコやベリー類など食べ物である。

 

チェルノブイリ事故前の日本人の平均は 20Bq 程度だったが

(この数字の原因は過去の核実験と思われる)、

事故後 60Bq  に上昇した。 

その後徐々に減っていったのだが、福島の事故で上昇した。

すでに私たちはゼロBq はあり得ない、

そういう時代に生きているという覚悟が必要である。

 

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ウクライナでは、1平方メートルあたり 55.5万Bq 以上は居住禁止区域

とされている。

これは年間 5mSv 以上の外部被ばくの危険性があるとされる地域であり、

病院などで一般の人が立ち入ることを禁止した 「放射線管理区域」 に相当する。

しかし日本では、年間 20mSv まで居住が許容された。

ICRP(国際放射線防護委員会) が言うところの、

「事故直後は最大20mSvまでは許容されるが、

 できるだけ速やかに 1mSv まで減らすべき」

という勧告の最大値を採用した。 これは欺瞞である。

 

放射能汚染がもたらす問題は、

地域とコミュニティの崩壊、家族の崩壊、健康への影響などがあるが、

加えて、すべてのツケを未来世代に回しているという点が挙げられる。

そして農林漁業者と消費者の分断という悲しい事態が起きる。

こういった問題を、私たちは一緒に考えていかなければならない。。。

 

正しい事実を知り、正しく怖がろう、と河田さんは訴える。

 

すみません。 今日はここまでで。

 



2013年5月20日

福島の農業再生を支える研究者の使命

 

「特販課」 論議はまあ、これからの行動で語るしかないので、

とりあえず脇に置かせていただき、

福島報告はしておかねばならない。

18日は連続講座、19日は自然エネルギー・コンペ・・・と

どんどんネタが滞留してきているので、端折らせてもらうしかないけど。

 

5月15日(水)、

この2年間、農産物での放射能対策に挑んできた研究者たちの

成果発表と討議が行なわれた。

「福島の農業再生を支える放射性物質対策研究シンポジウム」。

主催は 「独立行政法人 農業・食品産業技術総合研究機構(農研機構)」。

共催 「独立行政法人 農業環境技術研究所(農環研)」。

 

会場は、福島駅前にある 「コラッセふくしま多目的ホール」。 

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「原子力災害の克服は国家の課題だ」 と主催者は語る。

しかし 「克服」 とは、どういう状態を指すのだろう。

大地に降った放射性物質が消える、あるいは完全に封じ込められた状態か。

放射能に対する食の安全が達成された、と宣言できることか。

すべての農地で営農が再開され、

農産物が以前と同じように普通に売れようになることか。

15万人におよぶ避難者が帰還でき、あるいは新天地で、希望を取り戻すことか。

そしてみんなが放射能を恐れることなく、笑顔で暮らせるようになることか・・・

言葉の意味においては、それやこれやすべてだろう。

加えて、国民を欺き通してきた原子力政策を乗り越えること、

も忘れずに付け加えておきたい。

「克服」 には、気の遠くなるような時間と営為の積み重ねが必要である。

その代償がどれほどのものになるかは、誰にも分からない。

 

シンポジウムで発表された研究成果は、

だいたいこれまで聞き及んでいた内容だった。

上記の問いに照らし合わせるなら、

土壌や環境下での放射性物質の挙動について、

我々はようやくその原理を掴みかけてきた、というレベルか。

これはもちろん研究者を揶揄しているのではない。

みんな頑張ってきたなぁ、と敬意を表するものである。

研究者の社会的使命を強く自覚する人たちにも、たくさん出合った2年間だった。

国の研究機関に勤めているからといって、いわゆる御用学者ばかりではない。

善人と悪人がいるのではなくて、

みんなその間で悩み、判断を選択し、試行錯誤してきた、と言うべきか-

放射能に対して、科学はかくも不確かなものだった。

 

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講演は、以下の3題。

◆ 「農地における放射性物質の動態解明」

  - 農環研・研究コーディネーター 谷山一郎氏。

◆ 「農地除染及び農作物への放射性物質の移行低減技術」

  - 農研機構・震災復興研究統括監 木村武氏。

◆ 「福島県における水稲の放射性物質吸収抑制対策確立の取組と今後の研究について」

  - 福島県農業総合センター生産環境部長 吉岡邦雄氏。

 

吉岡さんについては、今年の 福島での生産者新年会 でもお呼びしたので、

ご参照いただければありがたい。

 

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パネルディスカッションを前に、

ゲストで招かれた飯舘村村長、菅野典雄さんが語る。 

 

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   どこよりも美しい村をつくろうと、

   誇りを持って築いてきた人口6000人の村が、全村避難となった。

   私たちは、放射能に対してまったく無知だった。

   放射能対策は、他の災害とはまったく違う。

   ゼロからの再出発なら頑張れる。

   しかしこれは、長い時間をかけてゼロに向かっていくたたかいである。

 

   何より心の分断がつらい。

   家族が分断される、離婚するケースもある、 わずかの差で賠償の有無が分かれる。

   戻って農業をやれるのか不安が消えず、勤労意欲が減退している。

   精神戦争をやっているような気持ちである。

 

   どうせなら除染の先進モデルになりたい。

   やれば間違いなく線量は下がる。

   栽培した(耕した) ほうが低くなるという結果も得られている。

   村を追われたものにとっては " 除染なくして帰村なし "  である。

   「対費用効果を考えれば除染は意味がない」 というのは、

   我々を冒とくする意見である。

   世界の笑いものにならないか。

 

   避難した先でも、農業の現場に入って頑張っている若手が20数人いる。

   どうか意欲をもって取り組んでほしいと願っている。

 

   毎日、いろんな対応に追われている。

   原発災害から私たちは何を学ばなければいけないのか。

   それは経済や  " 金しだい "  からの転換ではないか。

   成熟社会のありようを考え直したい。

   そして、世界から尊敬される国になりたい・・・

 

パネルディスカッションで事例提供をしたのは以下の3名。

◆ 「被災地の営農再開・農業再生に向けた研究をどう進めるか?」

  - 新潟大学農学部教授 野中昌法氏。

◆ 「小国地区における稲の試験栽培」

  - 東京大学大学院・農学生命科学研究科教授 根本圭介氏。

◆ 「水稲への放射性セシウム吸収抑制対策」

  - 東京農業大学応用生物科学部教授 後藤逸男氏。

 

二本松で詳細な測定を実施して対策を支援してきた

新潟大学・野中昌法さん。

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他の大学の研究者とも共同で、現場重視・住民主導の復興プログラム

に取り組んできた。

困難と言われてきた森林除染についても、

伐採した樹木をウッドチップにして敷き詰め、菌糸の力でセシウムを吸収させるという、

新たなバイオレメディエーションの実験を計画している。

 

土壌分析では第一人者といわれる東京農大・後藤逸男教授。

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後藤さんには、生産者会議や弊社の分析室職員の研修などで

お世話になった経緯がある。

 

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後藤さんもまた、農地再生と復興に向けた取り組みで最も重要なことは、

農家の営農意欲の復活と向上であると語る。 

 

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パネルディスカッションでは、

農林水産省の方が、復興に向けて先端技術の導入とか

農地の集約化(規模拡大) とかを語った際に

菅野村長が釘を刺したのが印象に残った。 

「 それは経済の発想であって、地域再生ではない。

 人口が半分になったところで地域を守っていけるのか。

 中山間地の環境保全につながる方向を検討してもらいたい。」

 

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人のための、地域のための、環境のための政策を、

小さなモデルでもいいから実践していく。

僕らはひたすら民から提起し続けるのみである。

それが強靭で柔軟性のある社会につながっていることを信じて、やるしかない。

社会的使命を自覚する研究者を育てるのも、

官や政治を変えるのも、民度にかかっている。

 



2013年5月 2日

児玉龍彦さんが語る、放射能対策と科学者の責任(Ⅳ)

 

児玉講座レポート、最後は除染と保管の問題について。

 

まずは、講演後の質疑で出された次の質問に対する、

児玉さんの回答から紹介したい。

「 東京電力の発表によれば、いまだに大量のセシウム137が

 事故原発から放出されている。

 そんな状態で除染作業をしても、イタチごっこになるだけではないか。」

 

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児玉さんの回答はこうである。

「 なぜ今、除染をやらなければならないかと言うと、

 チェルノブイリと違い日本では、

 新しい町をつくってそこにみんなを避難させることは不可能に近い。

 そんななかで、今もある程度の放射線量の中で暮らしている人たちが、

 100万人いる。

 そこに暮らす人たちにとっては、子どもの通う幼稚園をきれいにしたい、

 帰宅した際の靴の裏の線量を低くしたい、と願うのは、

 生きていくための基本的な生存権であり、健康権の問題である。

 

 放出されているのは事実だが、それが高い濃度で居住地にまで

 降ってきているという状態ではない。

 浄化する必要がある場所があって、できる技術があり、

 新たに降ってきている量が微々たるものであるとしたならば、

 そこに暮らす人々が希望している以上、

 除染に協力する義務が私たちにはあるのではないか。

 東大はその筆頭として引き受けるべきだとすら思っている。

 放射性物質が放出されているという問題と、

 人が暮らす街を放置するということは、まったく別問題である。

 

 チェルノブイリで起きたことは、家族や地域の崩壊だった。

 避難することが外科的手術だとすれば、除染は内科的な処方かもしれない。

 決めるのは住民であり、どちらにせよ

 安心して暮らせるよう支援する責任が私たちにはあって、

 それは無駄なことでも何でもない。」

 

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よく熱力学第二法則 (エントロピーの法則) を借りて、

いったん散ってしまったものは元には戻らないのだから除染はやっても無駄、

とか言われるが、それはこの法則をよく理解されてない方々だ、

と児玉さんは解説する。

ここで熱力学の話は省くが (分かった上で省くの? とは聞かないでね)、

第二法則が示していることを除染にあてはめるなら、

「外部に出すエネルギーを少なくして、内部をきれいにする」、

つまり効率的に無駄なく進め、隔離することによって、

(完璧は無理としても) 浄化は可能である、ということのようだ。

除染に対する児玉さんの責任感は、ただの  " 思い "  ではなく、

科学の法則に則ってもいる、ということか。

 


福島第1原発から放射性物質が拡散していったマップを見ると、

20年以上住めなくなった地域が広範囲に存在する。

チェルノブイリの経験で分かったことは、

事故後、半減期の短い核種が消えていくとともに放射線量は減っていくが、

6年後から下がらなくなった (半減期の長い核種が残ったから)。

放っておくと長く汚染が続くということである。

 

環境に散ったものを集め(濃縮させ)、隔離保管して、減衰を待つこと。

これによって長期的な内部被ばくと外部被ばくの可能性を減らすこと。

これが除染の本質である。

 

できるだけ濃縮させて(容積を小さくさせて) 保管したい。

濃縮で危険が増すと思われがちだが、そうではない。

少なければ少ないほど管理がしやすくなる。

 

汚染水が大量に溜められていき、漏れ出す、というのは

除染の原則に反したやり方である。

水の保管はとても難しい。

 

セシウム回収型の焼却炉は技術的に可能である。

セシウムの沸点は 641℃。

そこでガラス化防止剤を入れ (ガラス化すると抜けない)、1000℃ 以上にして

セシウムをいったん気化させる。

次にコジェネで温度を一気に 200℃ まで下げて液体化させ、

フィルターでセシウムを濾過させる。

それを仮置き場や中間処理場とかでない、きちんとした保管場所で隔離する。

保管場所と焼却炉はできるだけ近くに置き、

線量流量計を据え、24時間チェックする体制を整える。

 

しかし、この線量流量計を付けることを、環境省は拒否するのだ。

お金がかかると・・・

これでは住民の不信感は払拭できない。

 

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農地の除染の目的は、作業者(農民)の健康維持と、

農作物に吸収させないことである。

放射性セシウムは表層 5cm の粘土に捕まっている。

したがって表土 5cm を剥ぐと線量は下げられるが、

同時に大切なミネラルも失われるので、客土が必要になる。

また天地返しして 30cm ほどの下層土と入れ替える方法が推奨されているが、

石などが多い土質だと表面に出てきてしまうので、

その土地の性質を知っている地元の人の意見を聞きながら進めなければならない。

環境省のマニュアルに則った方法しか認めない、

というのは実におかしなことだ。

 

剥いだ土や草木類がフレコンバッグ(合成樹脂の袋) で保管されているが、

パワーショベルで傷つけたりするケースがある。

また草木類など有機物が多いと、夏に発酵してガスが発生し、爆発する恐れもある。

できればコンテナ保管が望ましい。

セシウム回収型焼却炉を用意して容積を減らし、

人工バリア型処分場で隔離して、浅地中(地下水層まで掘らない) に保管する。

 

いま破断された常磐自動車道の除染に取り組んでいるが、

ここでも省庁間の問題がある。

除染は環境省の担当で、国交省がその後に道路を通すのだが、

アスファルトを剥ぎながら、後ろからアスファルトを敷いていく技術が

国交省にはあるにも拘らず、活用されていない。

交通網の復旧は地域経済と暮らしの復旧のために急がねばならないのに。

 

森林は、30~50年くらいの時間がかかるだろう。

ただ伐採だけやってもダメで、セシウム回収型の焼却炉と

バイオマス発電を組み合わせるとかの工夫が必要だと考える。

作業者が被ばくしないよう、機械化も必要だ。

問題になるのは、放射性物質が集まり溜まってくるダムの底。

決壊すると大変なことになるので、定期的に浚渫しなければならない。

やらないとダムは時限爆弾となる。

上流での対策が必要だということである。

 

1955年からのデータがあるが、

日本は雨が多いので、森林から舞い上がって飛んでくることは少ない。

ただ花粉からは考えられる。

 

海はボリュームが大きいので希釈されていくが、

まだまだ継続的なモニタリングが必要である。

 

日本には世界に誇れる環境技術があるにも拘らず、

最新の技術が生かされてない。

児玉さんはここでも官の問題を挙げる。

 

これは質疑での発言だが、

原発事故後から、行政は組織防衛のための  " 不作為 "  を徹底するようになった、

と児玉さんは厳しく批判した。

不作為とは、見て見ぬふりをする、ということだ。

例えば飛行機の中で病人が出た際に、

医者が名乗り出て処置を誤った場合、作為の責任が問われる。

しかし名乗り出なかった場合には、不作為の責任が問われる。

条件が整わない中で作為の責任を問われるのを恐れるあまり、

情報まで隠ぺいしてしまう。

「不作為の責任は極めて重い」 と児玉さんは強調する。

そして審議会などにも民間や自治体の代表が参画できる形にして、

透明性と公開性を持たせるべきだと訴える。

 

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最後に、児玉さんからのメッセージ。

「 原発事故は、日本における最大の21世紀型環境問題です。

 この環境変化によって、福島は大変な苦難の中に置かれてしまいました。

 もっと大きな力で現地を支え、住民の悩みや苦しみを助けたい。

 除染は無駄だというのは、そこに住む人々をさらに苦しめることを、考えてほしい。

 当事者の声というのはなかなか伝わりにくいものです。

 自分の子どもを心配するのと同じように、福島の人たちのことを考えてほしい。

 それが21世紀の日本における環境問題を考えることであり、

 皆さんがこれからどこかで暮らして、何かが起こっても、

 他の地域の人々から支えられる、

 そんな (支え合いのある) 社会につながっていくのだと思うのです。」

 

1時間も超過してしまったのに、児玉さんは終了後、

壇上から降りていって質問者との対話を続けるのだった。

 

実はこの会場に、児玉さんは奥様をお連れしていた。

あらかたの人が帰った会場の

出口付近で待っておられるのを見て、僕はふと

今日が 「この日の夜しか空いてない」 一日だったことを思い出した。

もしかして、日比谷周辺で食事でもする約束をしてたんじゃないか。。。

" 申し訳ない " と " ありがたい " がない交ぜになって、

「まだ話してるわ、あの人・・・」

と呆れる奥様に、僕はひたすら頭を下げる。

 

奥様が話してくれた感動的な愛の秘話があるのだけど、

機微な個人情報なので、ここでは伏せておきたい。

 



2013年4月30日

ウィスコンシン州立大学から電話インタビュー

 

児玉講座のレポートの途中だけど、

今日も初体験の出来事があったので、記しておきたい。

 

なんと、アメリカの大学から電話でインタビューを受けたのである。

といっても英語でペラペラと答えたワケではない(英語耳持ってないし)。

相手はウィスコンシン州立大学マディソン校で科学史を教える日本人の先生。

国際交流基金日米センターとスタンフォード大学国際安全保障・協力センター

による調査プロジェクト

" Learning from Fukushima : Nuclear Safety and Security After Disasters "

(" 福島から学ぶ : 原子力の安全性と災害後の防護 " という感じ?)

の事例調査のひとつとして、

大地を守る会として取り組んできた放射能対策の経緯や内容について聞きたい、

という。

その研究タイトルが

「 Radiation Protection by Numbers : Another " Man- Made Disaster "」。

「数値による放射線防護 : もう一つの " 人災 " 」 という感じ?

 

添付で送られてきた依頼主旨にはこうあった。

「 従来の放射線防護問題は、基準値の科学的根拠や精度、そして

 そのコミュニケーションを中心に論じられてきた。

 これに対して本論文は、被災後の社会において

 基準値が実際にどのような役割を果たしてきているか、いわば

 「基準値の社会史」 を考察することで、基準値ベースの放射線防護の実際と

 その限界を明らかにする。」

そして

「 トップ・ダウン型の行政措置、ボトム・アップ型の自主測定運動の双方において

 基準値がどのような役割を果たしているかを論じる」 とある。

どうやら大地を守る会は、その後者の事例として対象に上がったようである。

 


最初に届いたメールでは、スカイプを使ってネットで会話したい、

という依頼だったのだが、

慣れない道具でうまく話せるかどうか心許なかったので、

電話でのインタビューでお願いした。

あとで仲間から 「電話代をかけさせた」 と叱られてしまった。

ネットだとほとんど料金がかからない、と言われてみればその通りだ。

H 先生、長々とお喋りしてしまい、本当に申し訳ありませんでした。

 

それでも話が冗漫になってはいけないだろうと、

事前にペーパーで基本的な質問を出してもらった上で、

電話インタビューに臨んだのではある。

 

質問の内容はざっと以下のようなものだった。

・ 放射能対策特命担当という任務に至った経緯。 なぜ YOU なのか?

・ 震災および事故直後の様子と組織として取った対応。

・ 自主測定を始めた背景と理由、導入時期。

・ 測定の運営体制について。

・ 他の機関との連携の有無。

・ 測定の対象や選定方法。

・ 数値が検出された際の解釈をどうするのか。 またどういう行動をとるのか。

・ 測定結果の情報開示について。

・ 有機農産物や会員制直販であるがゆえの特異な反応や影響はあったか。

・ 原発事故後の生産者への対応。 そこで一番気をつけた点はどういうことか。

・ 同じく消費者への対応は。

・ 測定の解釈・公表・アクションにあたって、有機農産物、会員制直販という

 業態ゆえに気をつけたこと、困難だったことは。

・ 政府の基準値についての見解と、基準に対する考え。

・ 基準に対する生産者の反応。 一般との違い。

などなど。

 

結局1時間近く話しただろうか。

しかもこちらの都合で時間指定したので、先方は夜のはずだ。

いやホント、申し訳ないことをしちゃった、と反省しきり。

 

でも、基準に対する考え方や取ってきた行動については、

高く評価してもらえた。

夏に帰国したらぜひお会いしたい、とも言ってくれて、

まんずまんず気を良くした初体験ではあった。

 

もうひとつの初体験、FM放送・オンザウェイジャーナルでのトークは、

今朝、流れたようだ。

知らないところで恥をかいているような気分で、

HP にもアップされるようだが、こっちはこわくて聞けない。

 



2013年4月29日

児玉龍彦さんが語る、放射能対策と科学者の責任(Ⅲ)

 

前回の補足をひとつ、しておかねばと思う。

パリンドローム (回文的) 増幅 がなぜ起きるのか、について。

その鍵は、切断されたDNAを修復させる際にはたらく酵素が、

通常の細胞増殖ではたらく者たちとは違っていて、

コピーのエラーが起きる確率が100倍くらい高い、ということのようだ。

その酵素が切断されたDNAを修復しようとしたときに、

" たけやぶやけた "  のどっちの方向でコピーしていいのか分からず、

コピー数を増やしておこうとする。

その挙動によって、エラー・コピーの増殖が起きてしまう。

(さらにその細胞がコピーされていくことになる。)

それらがすべてガンにつながるものではないが (そこはまだ確かめられていない)、

いずれにしても  " 修復力が活性化されるから、切れても問題ないのだ " 

などという理屈はもはや成立しなくなった。

これがゲノム解析によって見えてきた世界であり、

議論は不確かな確率論ではなくなってきている、ということである。

 

ウクライナやベラルーシの子どもたちの検査から、

かなりの割合で上記のような甲状腺がん細胞のゲノム異常が見つかったのだが、

しかし他のガンについては、今もって科学全体でコンセンサスは得られないままである。

統計学(疫学)的調査に基づいたエビデンスがない、から。

 

アメリカ学士院会報に報告されたコンセンサスに関する論文によれば、

20 mSv 未満での被ばくでガンが増えるかどうかは、

百万人近い住民をフォローアップしなければ結論は出せない、とされている。

広島や長崎でも数十万人の調査であり、

それでも有効なデータとして使われているが、

低線量被ばくというレベルの問題となると、

いかに統計学的に議論することが困難なことであるか、この数字が物語っている。

その意味においても、チェルノブイリの調査データは

今後さらに重要な意味を持ってくるだろう、と児玉さんは考えている。

 

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人工の放射性物質であるセシウム137 が生まれたのが1945年。

核実験によって初めて環境に放出された。

半減期30年の核種が生まれて、まだ 68年しか経ってないわけで、

健康被害をどうこう結論づけるには、まだまだ時間がかかる。

人類は、本当にとんでもないものを産み落としてしまった。

 


坪倉正治さん(東大医科学研) たちによって進められた健康調査によれば、

継続的に検査した住民のほとんどは、

時間とともにセシウム137 の値は減少した。

しかし一部に、変わらないあるいは増加した人がいて、

原因は食べ物だと推定された。

 (エビ注・・ 野生のキノコや自家用野菜を食べていた人に高い値が出た、というデータ。 

  昨年の講座でも早野龍五さんが指摘したことだが、あの時に

  「家庭菜園の野菜はアブナイのか」 と勘違いされた方がいた。

  問題は家庭菜園ではなくて 「測らずに食べていた野菜」 、

  つまり安全性を確かめずに食べていたということで、

  事実を知ることが防護のたしかな第一歩である、という証しでもある。)

 

さて、食べ物で一番検査実績が多いのが米だが、

調査していく中で、土壌と米のセシウム量に相関関係がない、

という不思議な結果が出てきた。

そこで分かってきたことは、土壌に降ったセシウムは粘土に吸着されたこと

(米には移行しにくくなっている)、

そして落ち葉や雑草などの有機物にくっついてきたものが、

夏になって分解とともにイネに吸収された可能性があること。

- ということは、2012年秋の収穫の米は相当に減るだろうと推測されて、

実際にそのような結果になってきている。

 

年齢別では、年齢が高くなるほど検出割合が高くなっている。

それは高齢になるほど、今まで食べてきたものや食生活を変えない傾向がある

からだと思われる。

 

柿が高く検出されることが分かってきているが、

イメージングプレートで見てみると種に集まっているようだ。 

栗も高い傾向がある。 

セシウムを集める性質の強いものでは、コケやキノコがある。

チェルノブイリでは、事故後数年経ってキノコの数値が上がったという事例もある。

またキノコでも野外で栽培されたものと施設内で作られたものでは、

当然のことながら違うし、施設内でも原木が汚染されていれば高く出る。

このように、どういうものが高く出るのか、まだどう推移するかは、

ひとつひとつ調べていかないと分からない。

 

魚では、淡水で生きる川魚は塩分を体内に溜めようとするので高くなる。

特にコケなどを食べる魚は、長期にわたって高く出る可能性がある。

塩分濃度の高い海に棲む魚は、塩分を排出して調節するため、低くなる。

特に水表面にいる魚や回遊魚はすでにまったく検出されない。

セシウムの移動とともに影響も変わってゆき、

現在での問題は海底に棲む魚、ということになる。

 

昨年設定された100ベクレル(一般食品) という基準は

国際的に見ても厳しい基準であるが、

放射線審議会でこの議論をした際に、

100ベクレルを(連続的に) 検査できる機械があるワケがない

と反論される方がいてビックリした、と児玉さんは振り返る。

児玉さんは事故直後から、BGO検査器(※) を改良すればできることを

主張されてきた経緯がある(例の国会発言でも述べている)。

しかし放射線審議会では、児玉さんの説明が理解されなかった。

政府関係の機関には、先端技術や環境技術を理解する人がいないのだ。

これは実に驚きの話である。

 

そして実際に、昨年1月、30㎏のコメ袋を従来の400倍のスピードで検査できる

検査器が島津製作所によって開発され、

昨年秋には福島全県に配備され、1000万袋を越える全品検査が実現した。

こうして民間でも、1円の補助ももらわずに開発できたことを、忘れないでほしい。

 (※ BGO検査器・・・

    ガンの検診などに用いる医療画像診断用PET装置の技術を応用したもの。

    コメ袋をそのままベルトコンベアーに載せて、流れ作業で検査する。

    測定下限値は、5秒測定で20Bq/㎏、15秒で10Bq/㎏。

    225秒かければ5Bqの測定が可能とされている。

    設定した基準値以下であるかどうかを 〇 X で表示する仕組み。

    ただし形状が一本化されているコメだから可能となるもので、

    その他の食品で全品検査できるものは、まだない。)

 

コメの全袋検査によって、99.8% の米で ND(検出下限値以下) の結果が得られ、

100Bq を超えたものは 0.0007% しか発生しなかったことが確認された。

よく風評被害という言葉が使われるが、それは適切ではない。

検査してないから事実が分からず、不安が広がるのではないか。

BSEの時も、全頭検査を実施したことによって、

牛肉の安全性が確かめられる体制ができ、価格が戻ったという事例がある。

 

全袋検査によって、私たちは全体の概要を知ることができる。

しかしそれができるのは今はまだ福島だけという、

逆転した現象になってしまっている。

 

本日はここまで。

あと一回、最後に除染の必要性について考えたい。

参加者の多くは、いま食べている食品からの影響度を

明解に解説してもらいたかったのかもしれない。

しかし、食べ物はすべての環境条件と人の所作の結果を受け取るものだから、

環境に放出された放射性物質の片づけ方、

この問題をクリアしないと本当の解決にはならない、

と児玉さんは考えるのだ。

 



2013年4月28日

児玉龍彦さんが語る、放射能対策と科学者の責任(Ⅱ)

 

放射性物質は人体にどう影響するか。

児玉さんは話を続ける。

(なお、本レポートは、僕が講演から理解した内容として書いているので、

 本稿の文責はすべてエビにあります。 理解に誤りがあればご指摘ください。)

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まずは、アルファ線、ベータ線、ガンマ線の基本から始まり、

児玉さんが示したデータは、次のようなもの。

 

ヒトのガン細胞をマウスに植えて、抗ガン剤の効果を見た実験がある。

ガンマ線を出す放射性物質を含ませた薬は、診断には使えたが、

治療効果は小さかった。

ベータ線を出す放射性物質をつけた薬は、

薬から2~3ミリの距離までのガン細胞を殺せた。

アルファ線を出す放射性物質をつけた薬は、効果は大きかったが、

その効果は薬から0.04ミリというごく近い距離までしか効かなかった。

 

これによって言えることは、

ベータ線とアルファ線は体内に入らなければ問題は起きないが

(アルファ線は紙一枚で、ベータ線は数cmのプラスチックで遮断できる。

 セシウムやヨウ素から出るガンマ線は突き抜けていく)、

逆に体内に入ると (少量でも) 至近距離の細胞を傷めるため、

内部被ばくのリスクが高まる、ということである。

アルファ線による影響では、トロトラスト(※) の事例が挙げられる。

    (※ Ⅹ線写真を鮮明に撮るために、1920年代にドイツで開発された造影剤。

     二酸化トリウムが使われたが、ほとんど排出されず肝臓に蓄積された。

     トリウムはアルファ線を出す。)

ドイツおよび日本におけるトロトラスト患者のデータによれば、

このアルファ線の影響によって、肝臓ガンが発症し始めたのが20年後。

30年経って急激に増加し始めている。

こういった影響を事前に認識するのは困難である。

 

科学者としての反省として、児玉さんはアスベストを挙げた。

アスベストの問題が指摘され始めたのは80年代からだが、

当時、児玉さんはあまり問題意識を持たなかったと率直に語る。

アスベストによる悪性中皮腫が急増してくるのは、

使用量が増えた時期から40年を経てのことであった。

 

さて、低線量内部被ばくのリスクについての論争は、

実は1950年代から始まっている。

 


かの有名な原爆製造計画 「マンハッタン計画」 に若くして参画し、

プルトニウムの抽出に成功したジョン・ゴフマンという天才化学者が、

その後、放射線影響の疫学的研究によって、低線量被ばくの影響を指摘した。

 (それによってゴフマンは原子力の危険性を訴える活動に転じる。)

 

これに対して、オークリッジ国立研究所とハーウェル原子力研究所が

共同で行なった研究では、ネズミを100万匹使った実験によって、

低い線量ではまず遺伝子の変異は減り、その後高くなるにつれて変異が増加する

傾向があることが示された。

これによって、低い線量による被ばくでは、細胞が刺激され、

傷ついたDNAの修復活動が活発になる (元気になる) と考えられた。

いわゆる 「ホルミシス効果」 の根拠となったものである。

 

この時代にはまだゲノムが解析されてなく、

耳とか尻尾とかの形状の変化で見るようなものだったが、

この研究によって、低線量は問題ないと言われるようになった。

しかし、その説を否定する 「現実」 が発生した。

チェルノブイリ原発事故である。

 

1986年、チェルノブイリで大量の放射性ヨウ素が放出された。

ヨウ素の半減期は8日で、すぐに減少したのだが、

その後、子どもの間で甲状腺ガンが発生してくる。

最初は、診断する数が増えればそのぶん症例も増えるのだろう、

といった反論で否定されたりしたが、

89年あたりから、「今までにないほど甲状腺ガンが増えている」 と言われ出し、

事故10年後の96年にピークを迎え、その後徐々に減少をたどって、

2003年には事故以前のレベルに戻った。

 

この 「現実」 によって、子どもの甲状腺ガン増加の原因は

「チェルノブイリ原発事故」 以外にあり得ない、

とWHO(世界保健機関) が認めたのが2005年。

事故から約20年後のことである。

それまではどんなに指摘がなされても

「エビデンス(証拠) がない」 と否定されてきた。

常にエビデンスが求められるのが科学の世界であるが、

悲劇はその間にも進行する。

 

子どもの甲状腺ガンは元々少なく、

また子どもは細胞増殖が早い (=発症までの時間が短い) ために

ピークが見えて因果関係が証明できたが、

ガンになるまで20~30年かかる大人の場合では、

一時期に多少増えても全体の変動幅に吸収され

(また他の要因も複雑に絡むため)、

低線量被ばくの影響とガンの関係を証明するのは困難である。

 

しかし今では、ゲノムを調べることができる。

ベラルーシの子どもの甲状腺ガン細胞のゲノム異常を調べた結果、

両親から受け継いだ染色体のコピーが、通常 2 コピーのはずなのに、

染色体の 7番の q11 という領域で 3 コピーに増えていた。

 

ゲノム解析から分かってきたことは、

放射線によって切断された染色体の、コピー(細胞増殖) 後の配列で、

回文的増幅(パリンドローム) が起こっている、ということだった。

回文とは、前から読んでも後ろから読んでも同じ言葉、

「たけやぶやけた」 とか、「だんしがしんだ」(とは児玉氏は言ってない)

というやつだ。

切断された配列のそばに、逆向きの繰り返し配列がコピーされ、

それがガンの増殖、悪性化、予後の悪化に関わっている。

  - という理解でいいのだろうか、少々心許ないが。。。

 

とまれ、ベラルーシの子どもたち2万5千人を調べて、

その異常を持つ子が4,000人いたというのである。

DNAは修復される、切れても大丈夫、という話とは真逆の

「仕組みがある」 ということが、ゲノム研究によって解明されてきたのだ。

すべてがガンに発展するわけではないが、

単純に何千人に一人とかいう、ロシアンルーレット的確率論でもない。

少なくとも、コンマ以下の確率のくじを引かされる不安

(引いた私の子にとっては100%のリスク) とは別の、

科学的検証の可能性が見えてきている、と言えるのだろうか。

 

事故直後の被ばく量は、今となっては正確には分からない。

それでも将来への漠とした不安にさいなまれるのでなく、

ちゃんと検査を継続していくことで不安を取り除くことができるのなら、光明である。

そんな希望につながっていることを期待したい。

不幸な社会ではあるけれど。

 

2011年。 本来の環境中にはなかった危険な物質が放出され、

坪倉さん (東大医科学研究所、講座第5回にお呼びする講師) たちの調査で

子どもの体から検出されたと聞かされたときには、本当に悩みました、

と児玉さんは吐露する。

そんなところに住まわせていいのだろうか・・・

 

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それでも一所懸命、食事に気をつけて、除染に取り組んで、

2012年での調査で、ほとんどセシウムが消えたと聞いた時は、

正直ホッとしました、と児玉さんは言う。

ホッとすると同時におそらく、除染を諦めない、と意を新たにしたのだろう。

 

今日はここまで。

こちらも簡単に終われず、続くでスミマセン。

 



2013年4月26日

児玉龍彦さんが語る、放射能対策と科学者の責任(Ⅰ)

 

なかなか整理に手が回らず、アップが遅れました。

大地を守る会の放射能連続講座Ⅱシリーズ -第2回の報告を。

 

今回設定したテーマは、「改めて内部被ばくの問題を考える」。

講師は東京大学アイソトープ総合センター長、児玉龍彦教授。

会場は、千代田区立日比谷図書文化館コンベンションホール。

参加者、約150名。

 

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児玉さんのお話しは、原発事故後の放射性物質の汚染の流れから始まり、

人体への影響について、そして児玉さんが取り組んでいる除染の問題と、

放射性物質の最終管理の道筋はどういうものであるべきか、

という流れで展開された。

 

食品による内部被ばくの話に絞って聞きたかった、

という方も多かったかと思うが、

児玉さんとしては、吸入による内部被ばくのリスクはまだ続いていることと、

トータルな意味での被ばく防護対策として、お話ししたかったようだ。

環境に滞留する放射性物質は、放置すればめぐりめぐって

あらゆる生命(生態系、食物連鎖) に影響を与え続けるわけで、

いま効率的な除染を追求することが、徹底的な封じ込めにつながるし、

総合的なリスク低減のためにも、しなければならないのだ、

という強い信念と決意を持っていることが感じられた。

 

「人間が生み出した問題を、人間の手で解決できないはずがない」

  - どんな難敵に対しても、その姿勢を持つことが科学者としての未来への責任だと、

    気の遠くなるような除染作業を諦めず、身をもって表現し続けること。

    柔らかな口調ながら、そんな覚悟のようなものが伝わってくるのだった。

 

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児玉さんは冒頭、

科学についての考え方が変わってきていることを知ってほしい、と語られた。 

原発事故直後、東大教授の肩書を持つ人たちが多数メディアに登場したが、

彼らが東大を代表しているわけではない、とも。

 

これまでは 「科学的に正確でないデータは出すな」 と教えられてきた。

しかし科学をひとつの見方で捉え、上から下に伝える考え方は、

20世紀の思考である。

21世紀に入ってからは、いろんな考え方があって一つの結論を強制してはならない、

という思考に変わってきている。

ガンの治療法にしても、以前は 「こうしましょう」 と医者が方針を決めていたが、

今では、いろんな治療法がある、と考える。

その治療薬で副作用を発症する確率は10人に一人だったとしても、

その一人にしてみれば、副作用は100%である。

ひとつの治療法だけが、その人にとってベストな選択だとは限らない。

いろんな治療法やいろんな考え方があって、情報が開示され、

互いに検証されていくことが進歩につながる。

 

原発事故に対しても、同じ見方や考え方ができるのではないか。

しかし情報は一方通行で行なわれた。

3月12日にはベント (排気して中の圧力を下げる) が行なわれ、

歴史上最大量のキセノンや放射性ヨウ素が放出されている。

3月14日の3号機爆発後にも大量の放射性物質の放出があって、

専門家たちが逃げ出していた時も、

政府は 「ただちに健康被害は起きない」 と言った。

放射性物質の拡散予測システム 「SPEEDI」 のデータは発表されず、

多くの住民が拡散してゆく方向に避難してしまった。

結果的に、国民は政府の言うことを信用しなくなってしまった。

いろんな見方や予測が人々に提示されていたら、

もっと違った流れになっていたのではないだろうか。

 

ベントによって、原子炉内にあった希ガスはほぼ100%放出されたと考えられる。

希ガスはキセノン133 が中心で、その量はセシウムやヨウ素より多い。

キセノン133 は半減期が5日と短いが、

ベータ線を出し、肺に吸入されたり、体内に入ると危険である。

次にヨウ素、そしてセシウムが降下した。

ヨウ素の半減期は8日。 3ヶ月もすれば測定不能レベルになる。

半減期が短いということは、それだけ壊変が多いということで、危険だとも言える。

 

≪エビ注 : キセノンは最近も観測されいて、半減期の短さから、それは

  2月12日に行なわれた北朝鮮の核実験の影響と見られている。

  ということは・・・・・と心配になるが、その後の情報がキャッチできない。

  僕らはただ福島の影響だけでなく、地球レベルでこの問題を捉えなければならない。≫

 

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予測がなぜ大事かと言えば、

プルーム(放射性雲) がどう通過するかによって行動する必要があるからだ。

原発から何キロといった距離ではない。

「SPEEDI」 情報隠ぺいの罪は大きい。

 

福島では、3月16日に雪が降った。

21日には東日本全体に雨が降り、東京・金町浄水場の水からヨウ素が検出され、

広範囲に汚染が拡散していることが誰の目にも明らかになった。

 

放射性物質によって汚染された7割が山林であることも、対策を困難にしている。

放射性セシウムは、初期はイオンの状態で存在するが、

やがて粘土(ケイ酸アルミニウム) に結合される。

今は水そのものにはほとんど存在せず、川の底でも減っている状態で、

ダムや湖沼の底、海底に沈殿・沈着していっている。

したがって海では、表層の魚や回遊魚から底魚へと、問題は移っていっている。

 

樹木では、最初は高い部分の葉に付着し、したがって

初年度では落ち葉に強い線量が見られたが、次第に土壌の中に移っている。

昨年だと腐葉土を除去するのは有効だったが、

今年からは腐葉土を剥ぐと、かえって土壌の放射性物質が露出して

空間線量が高くなることも考えられる。

 

住宅ではまず、雨とともに降下して屋根に付着し(これが以外と落ちにくい)、

雨どいから側溝へと集められていく。 

雨どいにコケなどがあると吸収されるので気をつけたい。

庭木、芝生、ウッドデッキ、車ではフィルター等に付き、

砂利や車庫のコンクリートに染み込む、という経路を辿る。

 

さて人体への影響について- (以下、次回に)。

 



2013年4月20日

放射能連続講座 -アンケートから。

 

4月20日、旧暦3月11日。 二四節気でいう 「穀雨」 の日。

" 百穀を潤す雨 "  とは遠い、冷たい雨が降っている。

3月から、どうも嫌な予感のする春である。

 

一昨日の 「放射能連続講座Ⅱ-第 2 回」 を終え、

早くレポートしなければならないのだけれど、

今回は自分で写真を撮っておらず、写真が到着しないことを口実に、

まずは全体の感想から始めてみたい。

 

いや、とにかく、平日の夜にも拘らず、

1時間も延長してしまった児玉龍彦さん講座。

終了予定近くになって、ここまで手が上がった質問を全部受けると言ってしまい、

児玉先生もとても丁寧に回答いただいて、終了は21時30分。

個人的にはかなりの満足度なのだが、

はたして参加者にとってはどうだったのだろうか。

 

アンケートの感想をめくってみる。。。

 


返ってきたアンケートは、ほとんどが児玉さんへの好評の声でした。

 ・ 本日の講義、大変すばらしかった。

 ・ 児玉先生の向き合う姿勢、考え方がよく分かって、よかったです。

 ・ すべてのお話が非常に参考になり、共感できるご意見がたくさんありました。

  また質問される方の質問の内容と、それに対する回答も非常にていねいで、

  分かりやすく、勉強になりました。

 ・ 分かりやすく、パソコンの画像もすべて印刷してくださって、とてもよかったです。

 ・ 児玉先生のお話しをじかに伺えて、とてもうれしかったです。感動しました!

   (日本の真実の一人として) ありがとうございました!

 ・ 確かな放射線への知識をお持ちの先生のお話を聞けて、

   もっとちゃんと対策できることもあると思えて、とてもありがたかったです。

   小さい子どもがいるので、明るい希望を持てました。

 ・ 今回、東京大学の中でも、色々な意見があると聞きました。

  児玉さんがセンター長で良かったと思いました。 忙しい中、感謝してます。

 ・ 除染は無駄ではないと分かりました。

・・・・・など多数。

有り難うございます。 児玉さんにもお伝えします。

 

時間を延長させてしまったことについては、両論あり。

「質問時間を長く取っていただき、有り難うございました。」

「最後まで全員の質問に真摯に答えてくださって、良かったです。」 と

概ね好評をいただいた中に、

「終了予定が1時間も延びて、帰宅に苦労しました」 の声も。。。

 

また 「事前に質問を回収しておいてもよかったのでは?」

のご提案もありました。

質問者の話が長くなるケースがあるので、というのが真意かと思いますが、

実は、これは難問なのです。 

昨年の経験では、紙だと、意見や悩みも含めてたくさん上がってきて、

逆に質問がさばけなくなり、

「せっかく書いたのに・・・」 という不満を募らせてしまった方もおられました。

まだまだ工夫の余地があるのだと思います。

次回は  " 一歩前進 "  と言われるよう、考えます。

 

その他、ご意見。

 ・ できれば昼間の時間帯にやっていただければ・・・

   ⇒ こればっかりは、講師のご都合ですので、やむを得ません。

     「7月までで、空いているのはこの日の夜だけ」

     という予定を埋めていただいたことに、感謝しましょう。

     参加が無理だった方のために、アーカイブもアップしております。

       http://www.daichi-m.co.jp/cp/renzokukouza2/

 

 ・ もっと内部被ばくに絞って話してほしかった。

   ⇒ これを一番の関心事として参加されたのだと理解します。

      ただ先生にとっても、今も必死で除染とたたかっていること、

      一方で変わらない国の対応や、真意を理解しない反応や批判についても、

      知ってほしかったのだと思います。

      信頼できると思われましたら、著書を読まれることもお薦めします。

 

 ・ 東大の原子力村と呼ばれるものへのイメージが大きく変わりました。

 ・ 政府の審議会の問題も聞けて、勉強不足を反省しました。

 ・ 質疑応答で、やや先生のマイクの音が小さかった。

   (戎谷の声が大きかったので調整してほしかった、の声も・・・スミマセン。)

 ・ 原発を心配する人の方が原発をより深く知ろうと努力している。

 ・ 先生の言われるところの 「不作為の責任」 から逃げようとする状態

   (責任の範囲内のことしかしない・言わない) だということが認識できました。

・・・・・などなど。

 

今後への希望・要望。

 ・ 今回の内容は、ある程度の知識がないと理解しにくいところがあったように思う。

   参加前に予習に適した文献やサイトの紹介があると良かった。

 ・ 理解出来る用語と理解しにくい用語があり、用語の定義を別添でもよいので、

   まとめておいて頂ければ有り難く存じます。

   ⇒ う~ん、です。 

     忙しい講師の講演内容を事前に把握することはほぼ困難ですし、

     直前に配布資料を頂けたとしても (今回は頂けましたが)、

     それを読み込んで追加資料を作成することは、正直言って、厳しいです。

     講演というのは、ある意味で考えるきっかけの提供でもありますので、

     「もっと知りたい」 「よく分からなかった」 と思われたところは、

     著書にあたるとか、ネットで探すとかの復習もお願いしたいですね。

     そういう意味でも、案内には講師の著書を記載するようにしています。

     なお、例として記載されていた 「消化型か昇華型か」 については、「昇華型」です。

     配布した資料を見ていただければ図が出ています。

 

 ・ カラー資料もグーだが、もう少し大きい絵だと良かった。

   ⇒ 率直に申し上げますと、スライドの印刷には1ページに入れる単位があり、

      紙と印刷のコストとの関係で、ここまでが限界でした。

      あとは、各自で工夫をお願いしたいところです。

      図の内容からカラー印刷にしたことを褒めていただけたことは、

      こちらとしてはけっこう嬉しいところです。

 

 ・ 正しい情報を定期的に知ることができる場を、継続して提供してほしい。

 ・ 講座自体を長く続けて頂けると嬉しいです。

   正しい知識を得ることが家族を守ることにつながります。

   ⇒ 有り難うございます。

      今年はあと5回、計画していますので、ぜひご参加ください。

 

 ・ チェルノブイリの現状、健康被害、等。

   チェルノブイリの原発事故と福島との相違、同一点。

   ⇒ ラジャー(了解)。 

      次回の河田昌東(かわた・まさはる) さんから聞けると思います。

 

 ・ 福島の生産者の話を聞かせてください。

 ・ 現在の福島県の様々な状況をお話し下さる講師の方に来ていただきたいです。

   ⇒ 第5回(7月25日) は、福島で医療支援や健康調査にあたってきた

      坪倉正治さんです。

      坪倉さんもチョー多忙な中で日程調整していただきました。

      こちらも平日の夜ですが、ご容赦ください。

      第6回(8月に計画中) は、生産者を呼ぶ予定です。

      ご期待下さい。

 

 ・ もう一度食事を見直したいので、放射能を防ぐ食事、免疫力を UP する食事を知りたい。

   ⇒ 第4回(6月9日)は、高橋弘医師。 まさに免疫力の話です。

      来てね。 来なかったら、怒りますよ。

      それと、昨年の講座の第2回も、よろしかったらアーカイブでご確認ください。

        http://www.daichi-m.co.jp/cp/renzokukouza/

 

 ・ 事故があった時の放射能の防ぎ方の講座があると嬉しいです。

   酪農家の皆さんはもちろん、ペットを持つ皆さんの、一緒に連れていく非難の仕方など。

   ⇒ お気持ちは分かりますが、私には適当な講演者が浮かびません。

      すみません。

 

最後に、戎谷の司会・進行へのお褒めの言葉を 3通❢ も頂きました。

これだけで、ワタクシのモチベーションは持続します。

感謝❢ です。 頑張ります❢

 

U くん、写真、頂戴。

 



2013年4月 5日

血液内科医、坪倉正治さんの話

 

昨日は代々木の国立オリンピック記念青少年総合センターまで出向き、

連続講座第5回の会場申し込みを行なってきた。

 

この回で交渉していた講師は、東京大学医科学研究所の研究員で、

震災後の4月から南相馬市立総合病院に入り、

医療支援にあたってこられた血液内科医、坪倉正治さん。

今も毎週、月曜から水曜は福島に出向き、医療活動をする傍ら、

住民の内部被ばく検査や相談に応じている。

残りの日が東京での勤務となっていて、またしても厚かましく

坪倉さんのスケジュールの隙間を埋めさせていただき、

講座開催日は7月25日(木) の夜となった。

 

この講座の準備でしんどいところは、

講師と日程を決めてから会場を探さなければならないことだ。

規模と予算と交通の便を秤にかけながら、一発で決まることもあれば、

どこも埋まっているという事態に陥ることもある。

巷では予算と相談しながら会場を探している人たちがこんなにもいるのか、

という心境になったりする。

 

今回も少々苦戦したが、何とか120人収容の研修室をゲットした。

施設使用料、10,000円。

 

しかも有り難いことに、

昨日は夜に、ここで坪倉さんの講演会がある日でもあった。

講演会は事前に申し込んであって、話を聴きに行くそのタイミングで、

幸運にもこの会場にひとつ残されていた空き部屋を見つけることができた。

こういう運は大事にする方で、

「ここでやれ」 ということだろうと決断した。

 

さて、昨夜の坪倉さんのお話し。

主催されたのは、南相馬市の 「ベテランママの会」 と

「南相馬こどものつばさ」 という団体。

参加者 30人 ほどの小さな 「お話し会」 だが、

これも数十回続けられていて、

述べにして千人を超える方が坪倉さんの話を聞かれたとのこと。

何事も積み重ねが大事、ということですね。

 


坪倉さんは、先述した通り、

週の半分は南相馬市立総合病院に出向いている。

福島第1原発から北に 23 km 地点。

原発から一番近い総合病院で医療支援を続けている。

今日は平田村まで出張して、帰って来たばかりだという。

平田村ということは、おそらく

ホールボディカウンターによる内部被ばく検査かと推測する。

 

原発から 20-30 km 圏は 「緊急時避難準備区域」 という

実に微妙な指定を受けていて、これによって住民たちは振り回された。

病院のスタッフは、避難するかどうかは自主判断とされ、

270 人いたスタッフが 80 人にまで減ったんだそうだ。

そんな中で坪倉さんは支援に入った。

患者さんを避難させるべきか、動かさない方がいいのか、

正解が見つからない中で苦悶が続いた。

放射線リスクへの不安が募る当時の状況にあっては

「避難させるべき」 という判断は間違ってなかった、と今でも思う・・・

しかし高齢の患者さんにとっては、環境変化そのものが大きなリスクだった。

現実に、その影響で心身が弱まり、亡くなっていった方も多数いる。

 

いま現場で進行している事態は、放射線によるストレートな影響ではなく、

様々な環境要因によって患者さんや住民が苦しめられている、ということ。

原発事故という災害がもたらした複層的な影響、

その現実を知ってほしいと、

坪倉さんは慎重に言葉を選びながら報告されるのだった。

 

南相馬市の原町で産婦人科医院を開業されていた

高橋亨平さんというお医者さんの尽力によって、

1台目のホールボディカウンターが到着したのが 2011年5月。

それは鳥取県の元ウラン鉱山に置かれていたものだった。

高橋医師は、震災後は老若男女を問わず受け入れ、

末期がんと闘いながら最後まで住民を支え続けたという。

今年の1月、74歳で逝去された。

坪倉さんの口から何度となく 「高橋先生がいたから・・・」 という言葉が聞かれた。

 

住民の検査を続けて分かってきたことは、

体内のセシウム量は最初の4ヶ月で半分に減少した。 子どもはもっと早い。 

そして、その後は増えていない。

これは、ほとんどが初期の被ばくですんでいることを証明している。

しかし初期の被ばく量、特に半減期の短いヨウ素の量は、

今となっては不明のままである。

継続的な健康診断で見ていくしかない。

 

現在の食品による内部被ばく量は、高く見積もっても 0.01 mSv 以下

レベルになっている (野生のキノコなどを平気で食べている人は別にして)。

これは核実験時代の日本人の平均以下

-だから 「安全です」 と言うつもりはないが、事実として。

 

医者として悩ましいと思うのは、

例えば日本人の骨密度は欧米人と比べて低い。

そこでカルシウムが足りないと言われるが、それを補ってきたのがビタミンDで、

日本人はキノコと魚を食べてビタミンDを摂ってきた。

キノコや魚をたくさん食べましょうと言いたいのだが、逡巡する自分がいる。。。

 

先日、ベラルーシを視察する機会を得た。

そこで見たものは、ただ淡々と定期検査を継続する光景だった。

27年前の事故の記憶は風化してきている、と感じた。

 

データを残していくことが、将来の風評被害を防ぐことにつながる。

そして大切なのは、教育の復興である。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

福島の再生・復興を考えることは、日本の未来を考えること。

 - 多くの方が訴えていることだ。

事故から2年。 改めて  " 福島の今 "  に思いを馳せ、

私たちに何が求められているのかを考えたい。

 

「子どもたちの姿は、私の未来」 -そんな台詞を残したのは、

" 宇宙船地球号 "  の概念を編み出したバックミンスター・フラーだったっけ。

単純に " 食べるか食べざるべきか "  といった話ではなくて、

日本の未来とどうつながるか、を見つける作業をしたい。

ゲンパツから 23 km の場所で医療支援を続ける

  " 悩める医者 "  の声に、耳を傾けてみたいと思います。

 

大地を守る会の放射能連続講座Ⅱ-第5回は、以下の概要で決定しました。

◆日時: 7月25日(木)、18時半~。

◆講師: 坪倉正治さん(東京大学医科学研究所研究員、南相馬市立総合病院非常勤医)

◆場所: 国立オリンピック記念青少年総合センター・センター棟研修室。

       (小田急線・地下鉄千代田線 「参宮橋」 駅から徒歩7分)

 

多数のご参加をお待ちします。

 



2013年3月28日

共同テーブル「提言」で、関係省庁と意見交換会

 

遅まきながら、大地を守る会の HP トップに

『大地を守る会の 放射能連続講座Ⅱ』 シリーズのバナーを

貼ってもらいましたので、お知らせいたします。

 ⇒ http://www.daichi-m.co.jp/cp/renzokukouza2/

 

ここから一般の方もお申し込みいただけますし、

過去のアーカイブもご確認いただけます。

第2回は、4月18日(木)18:30~ 日比谷図書文化館にて。

講師は東京大学アイソトープ総合センター長、児玉龍彦教授。

テーマは 『改めて内部被ばくの問題を考える』 です。

締め切りは4月5日(金) に設定していますが、

定員(200名) になるまで受け付けます。

児玉教授の話が生で聞ける機会は、1学期中でおそらくこの日だけかと。

どうぞ奮ってご参加ください。

 

さて、今週は 2回にわたって、中央官庁に出かけた。

「食品と放射能問題 検討共同テーブル」 で出した政府への 「提言」 に対して、

関係省庁との意見交換会が設定されたのだ。

3月26日(火) は内閣府食品安全委員会にて、

3月28日(木) は農林水産省に厚生労働省の方も来ていただき、

それぞれ意見交換をさせていただいた。

 


当方から出向いたのは、

パルシステム生協連合と大地を守る会の 2団体。

 

写真は26日、食品安全委員会事務局の方(2名) との意見交換風景。

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こちらは28日、農水省&厚労省の方々との一席。

e13032802.JPG

 (撮影はパルシステムの植田真仁さん。 いずれも左側の一番奥が戎谷。)

 

厚生労働省からは医薬食品局食品安全部から4名、

農林水産省からは、大臣官房環境政策課、生産局、食料産業局、

消費・安全局、農村振興局、農林水産技術会議の他、

水産庁および林野庁含め合計10名の方に出席いただいた。

この場を借りて感謝申し上げたい。

 

冒頭、戎谷より共同テーブルの結成主旨から

今回の 「提言」 提出に至った経過を説明させていただき、

続いてパルシステムの松本典丈さんが提言を読み上げながら内容を説明した。

 

意見交換で出された省庁の見解をまとめると、

概ね以下のようなものであった。

・ 生涯 100 mSv、年間 1 mSv (の食品による内部被ばく) を上限値とした

 新基準値は、他のリスクと比較しても低い方であり、妥当だと考える。

 基準を見直す考えは、今のところ、ない。

・ ただしリスクコミュニケーションの不足は認識している。

 科学的知見によって合理的に判断してもらえるよう努力してゆきたい。

・ 提言にある 「出荷制限の見直し」 や 「きめ細かな対応」 については、

 実施してきた部分もある。 「やっていない」 と思われるのは不本意である。

・ 出荷制限の範囲はできるだけ狭めたいが、現実的には

 全量管理が可能な単位(市町村) で考えざるを得ない。

 一方で 「部分解除」 というルールも設定してきているので、理解してほしい。

・ 原木しいたけについては現在、栽培ガイドラインの策定など、

 生産支援策を準備中である。

・ < 「ストロンチウムの継続的なモニタリングと結果の公表を求める

   という要望に対する、厚労省の回答 >

 出荷の判断基準としてではなく、調査として継続的に調査は行なっている。

 いずれまとまった段階で公表する予定である (時期は未定)。

 検査結果からは、セシウム比で数百から千分の1 程度と推定している。

・ < 3月19日に厚労省かから出された

   『食品中の放射性物質に関する 「検査計画、出荷制限等の品目・区域の

    設定・解除の考え方」 の改正について』(※)  において、

   検査対象品目が減少しているのは姿勢の後退ではないか、との意見に対して>

 検査の継続にも、コストや人手の問題等、限界がある。

 これまでの検査結果から、「まず問題ない」 と判断できるものは削除した。

 限られた条件の中で、これからは  " 選択と集中 "  に向かう判断も必要である。

 魚については、主要品目は継続する意向である。

・ ちゃんと対策をとり、検査して (安全性を)確認できたものは出荷可能にすべき、

 という提案は、生産者のモチベーションを上げる意味で、

 むしろ有り難い提案として受け止めている。

 対策に力を入れている生産者が報われるような運用を目指していきたい。

 

総じて、こちらの 「提言」 に対して真摯に対応いただいたことは評価したい。

施策の方向性で共通する点が少なからずあったことも確認できた。

努力されていることも窺えた。

しかし、基準値に対する考え方は埋まりようのない隔たりを感じさせた。

科学的知見を基に、というが、

国が拠り所とする ICRP(国際放射線防護委員会) ですら、

「合理的に達成可能な限り被ばく線量を低減する」 という原則 (ALARAの原則)

が示されている。

つまり、1 mSv 以下であればそれでよい、ということではないはずなのだが、

「これ以下のリスクは取るに足らない」 というのが、

「厚労省医薬食品局食品安全部基準審査課 放射性物質専門職」

という肩書を持つ方の発言であった。

 

どうも自分たちの枠の中で判断して、国民の不安を見つめていない。

研究室に籠っている方ならシカトもできるが、

国民の健康に責任を持つべき立場の者として、いかがか。

 

ひと言、言わせていただいた。

公的基準を国民が信じないという不幸な事態のなかで、

日々日々消費者と接する我々は、できるだけリスクを低減させる努力をしながら、

なおかつ冷静な判断力を持とうとコミュニケーションに努めてきた。

どれだけの経費をかけたことか。

その上で、積み重ねてきた測定結果を基に、基準を下げることができることを示し、

提言させていただいたものである。

国としても、消費者の暮らしに  " 安心 "  を回復させるために、

可能な限りリスクの低減に努めていくという姿勢を、持ってもらいたい。

 

また検査項目の  " 選択と集中 "  について言えば、

もっと限られた原資で行なっている民間ならまだしも

(我々も検討しているテーマであるが)、

国に率先して絞られると、それでいいのか、と叫びたくなる。

データがなくなることによる不安は、信用されてない状況では

不信を募らせる結果にしかつながらないように思う。

こうなるとリスク・コミュニケーションという手法でカバーできるものではない。

国が信用されてない状態というのは、

民間にとってコストを増やす要因にもなることが理解されていない。

 

彼らには 「国民(消費者)」 が見えてない、と言わざるを得ない。

リスク・コミュニケーションと言いながら、一方通行で終わっている。

それでもって、批判者を排除したがる。

本物のコミュニケーションを互いに目指すことができれば、

一歩ずつでも良くなっていくはずなのだが。

 

とまれ、こういう場に出てきていただいたのだ。

十把ひとからげに批判だけしては失礼というものだ。

「時間が足りませんよね。もっと話したい」 と言ってくれた方もおられた。

各部局に呼びかけてこれだけの人を集めててくれたのは、

農水省の消費・安全局の方だ。

こういった作業の積み重ねによって官と民の距離が縮まることができたなら、

あるいはいつでも渡れる橋が架けられたなら、

この二日間も無駄ではなかったと言えるのだろう。

歩み寄るのではなく、一緒にある目標に向かえたなら・・・

みんなストレスを抱えている。

 

(※) ⇒ http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r9852000002xsm1.html

 



2013年3月27日

学校給食全国集会

 

今日は朝から夕方まで飯田橋。

JRの駅に隣接する飯田橋セントラルプラザ17階にある

東京都消費生活センターの教室にて、

「全国学校給食を考える会」主催による 『学校給食全国集会』 が開かれた。

ここで大地を守る会の放射能対策についての報告をしろ、

とのこと。

つけられたタイトルが、「ゼロリスクがありえない中で、どう食べるか」。

何度見ても重たいお題で、逃げ出したくなるが、そうもいかない。

作成したスライドにはあえて 「何を、どう食べるか」 と付け加えさせていただいた。

「何を-」 は、ここでも重要なポイントだと思うのである。

 

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会場には、学校給食の現場を預かる栄養士さんや調理員さん、

教員、児童・生徒の親御さん(学校関係者は 「保護者」 と呼ぶ)、 

そして一般の方が、全国から集まっていた。

その数、100~120人くらいだろうか。

日々子どもたちと接する教育現場の方々を前に、放射能の話。

誰がこんな世の中にしてしまったんだろう。 ため息が出るね。

 


集会では最初に、

学校給食を考える会が発行する 「給食ニュース」 の編集責任者である

牧下圭貴さんが、「まずは、おさらいから入りましょう」 と

放射能に関する基礎知識から学校給食の仕組みと課題までを整理された。

 

放射能の世界というのは、初めて聞く人には難解なものだが (特に文系には)、

牧下さんはそれを分かりやすく解説しようと苦心しながら話された。

これが意外と難しいんだよね。

中途半端な知識ではなかなかうまく話せない。

 

彼は現在、大地を守る会が長く事務局を担っていた 「提携米研究会

(前身は 「日本の水田を守ろう! 提携米アクションネットワーク」) 

の事務局長も務められていて、

実は自宅の一室を改造して測定室にしたツワモノである。

測定室は 「生産者と消費者をつなぐ測定ネットワーク」 と名づけられている。

バックグラウンド(環境中の放射線) の影響をできるだけ避けるために、

機器の4方(&床下まで) をペットボトルに入れた水をレンガのように積んで

囲うという念の入れ方だ。

(水は放射線を吸収する、防護壁の役割を果たす。 水はエライ!)

 

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学校給食の話では、

「教育としての学校給食」 が謳われながら、

一方で正規調理員の減少や栄養士の民間委託、大規模センター化など、

合理化によるコスト削減が進められていく現状が指摘された。

また設備対応が追いつかない中で衛生管理(食中毒対策) が強化されていること。

さらには学校給食に対する家庭からの期待が高まる一方で、

給食費未納(家計経済の悪化) という問題があって、

その狭間で予算(給食費) と質のジレンマが深まっているという。

・・・・・聞いてるだけで耐えられなくなる。

 

これが子どもたちの食を取り囲む現実の一端だとしたら、

この現実は、もっと社会で共有されなければならない。

栄養士さん、調理員さんは日々必死の格闘を余儀なくされているということだ。

彼ら彼女らを支えているモラルと使命感が薄れていかないことを願わずにいられない。

それには社会の支えが必要である。

 

加えて放射能問題、である。

僕がお話ししたこの2年間の取り組みや思いは、

一民間団体としてやってきたことで、

たとえ、仮に、それが立派な事例であったとしても、

上記のような現場で日々やりくりさせられている人にとって

どれだけ参考になったことだろうか。

最後に、子どもたちの未来&未来の子どもたちのために、

僕らはつながらなければならない、とエールを送って締めくくらせていただいた。

 

ここでは余計な話だったかもしれないけれど、

食や暮らしに侵入してきているリスクは実は放射能だけでないことも、

忘れたくない。

・ 人口爆発と耕作地の減少。

・ 近代農業(農薬・化学肥料依存型農業) による地力(=生産力) の低下。

・ 温暖化による自然災害の増大と食生産の不安定化。

・ 食システムの巨大化、寡占化。 それはリスクに対する脆弱化を進めていること。

  例えば、病原菌による脅威の増大(耐性の獲得など) がある。

  自由貿易の名のもとに進む食システムの寡占化は、

  パンデミック -感染症・伝染病の世界流行- に対して

  極めて脆弱になっていくことを意味している。

・ グローバリズムによる安全性管理の後退(事故や汚染の一触即発化)。

・ 生物多様性の崩壊現象。

・ 越えたとも言われるピーク・オイル

  ⇒ 近代農業の破綻(あるいは大転換) へと進まざるを得ない。

・ 使える水資源の汚染と枯渇、そして空気まで(例: pm2.5 など)。

  - これらすべてがクロスし、リンクし合いながらグローバルに進んでいること。

 

原発もTPPも、

「地球の健康」 「未来のための安全保障」 という視点から

捉え直さなければならない時代になっているはずなのだが、

どうにも目の前の経済という難敵の呪縛から逃れられないでいる。

(そういう意味でも、脱原発からイノベーションへと進みたい。)

 

食育基本法という法律までできた時代なのだけど、

現場からは息が詰まるような話ばかりである。

お茶碗一杯のごはん(ハンバーガーでもいい) から世界が見える、

そんな機会を子どもたちに提供できないものだろうか。

 

しかし、四面楚歌のような状況にあっても、現場で工夫し、

あるいは粘り強い交渉力や調整力で成果を勝ち取ってきた事例もある。

埼玉県越谷市では、調理員さんたち(自治体職員) の努力によって 

測定器が現場に導入され、しかもベテラン調理員たちが講習を受けて、

ローテーションで測定を行なうという体制まで敷かれた。

調理工程を熟知した人が関わることで、入荷した食材の測定と使用判断を、

作業を滞らせることなく進めることができる。

そのために雇用が(非正規ではあるが) 一人生まれた。

唸らせる報告だった。

 

世田谷区では一栄養士として積み上げてきた足跡が語られた。

保護者を巻き込むのにちょっとした工夫が加えられる。

これは公にすると手の内がバレたりするので、公表は控えておきたい。

 

全国各地で、子どもの健康を守るために頑張っている人たちがいる。

とにかく、孤立させないこと、つながることだ。

つながりながら、新しい社会と豊かな食を築き直していきたい。

 



2013年3月11日

共同テーブル、政府に 「提言」 提出

 

今日は3月11日。

早いもので、あれから2年が経ったんですね。

しかし復興はまだまだ、です。

メディアを通して伝わってくるのも、復興の歓びよりも、焦燥や怒り、そして慟哭。。。

政府はといえば、経済こそ優先とばかりに突き進んでいます。

事故の原因も現状も正確に把握できず、廃炉への道筋も

廃棄物処理問題も定まらないまま " 再稼働 "  を公言して憚らない強硬姿勢には、

戦慄すら覚えます。

 

さて、一昨年秋に生協など4団体とともに結成した

「食品と放射能問題 検討共同テーブル」(※) では本日、3月11日付にて、

国に対して 「提言」 を提出したことを報告しておきます。

提出先は3名の方々。

・ 原子力災害対策本部長 内閣総理大臣 安倍晋三 殿

・ 厚生労働大臣 田村憲久 殿

・ 農林水産大臣 林 芳正 殿

 

「提言」 内容は以下の通り。

 


食品中の放射性物質の暫定規制値の低減などに関する提言

 

わたしたち「食品と放射能問題検討 共同テーブル

(以下、共同テーブル)」では、各参加団体が実施している

食品中の放射性物質に関する検査結果を持ち寄り、

検出件数や推移などを検討・協議してきました。

 

2012年の検査データから一定の知見を得ることができ、

今後に向けた施策を協議しました。

これらを元に、以下の提言をいたします。

 

1.共同テーブル各団体の放射能測定の状況

 

・共同テーブルの各団体では、それぞれ独自の放射能基準を設け、

 取扱商品の放射能検査を実施してきました。

 計測結果は、消費者の商品選択に資するもの、

 消費者に安心を与え風評被害を低減させるもの、

 産地の放射能低減策に活用できるものとして、

 組合員・会員・消費者に向け、ホームページや店頭で公開してきました。

 

・参加5団体で、これまでに測定し、公開した件数は53,128件で、

 2012年だけでも37,301件になります。

 

・検査をおこなった商品は、加工食品など多岐に渡りますが、

 これらのうち同品目として集計が可能な商品については、

 測定結果を5団体で集約しています。

 集計した検査結果は22,667件です。

 

2.共同の集計結果からの提言

 

・わたしたちの検査結果と国・都道府県の検査結果の数値や傾向は

 概ね一致しています。

 私たちはこれらの検査結果から、

 以下の施策が可能であると考えています。

 

1) 品目ごとの検出状況を踏まえ、可能な品目については

 現在の新基準値(201241日より適用)を

 さらに下げるべきです。

 

・多くの品目において検出される放射線量は低下傾向にあります。

 

・共同テーブルの参加団体は

 政府の暫定基準を下回る自主基準を採用していますが、

 ほとんどの品目において自主基準をクリアできています。

 

・上記の状況から、この間、検出されていない品目については、

 現在の暫定基準値をさらに下げることは可能であると考えます。

 

2) 市町村単位の出荷制限は見直すべきです。

 

・現在、ある生産団体の作物から放射線が検出された際、

 当該団体が所在する市町村の単位で出荷制限がおこなわれています。

 

・しかし以下の理由から、市町村単位の出荷制限は見直し、

 生産団体単位、圃場単位、出荷単位など、

 きめ細かい出荷制限に移行すべきであると考えます。

 

きめ細かな検査に基づく出荷制限・出荷自粛要請をすべきです。

 

・基準値を超えた放射性物質の検出による出荷制限および

 出荷自粛要請は、自治体単位(合併前の旧自治体を含む)での

 指定になっています。

 しかし放射性物質による汚染区域は自治体単位の区域に基づいて

 いるわけではなく、自治体単位の出荷制限等は科学的な根拠に

 乏しいもので、汚染の実態を反映しているものとはいえません。

 きめ細かな調査・検査を前提に、検出していない地域は

 出荷できる制度とすべきです。

 

② 放射性物質の検出の原因がその地域に由来しない事例を

考慮すべきです。

 

・精肉から放射性物質が検出された場合、原因の多くは

 肥育時の餌によるものです。

 また原木栽培のしいたけの場合、原因の多くは原木に由来する

 ものです。

 畜産に使用する餌、原木しいたけ栽培に使用する原木などは、

 各生産者や生産団体が、それぞれ他の地域から取り寄せている

 場合もあります。

 

・放射性物質の検出の原因がその地域に由来しない事例の場合、

 一つの生産団体の出荷物から放射性物質が検出されたとしても、

 当該の市町村の作物を一律で出荷制限すべきではなく、

 生産団体ごとの出荷制限など、きめ細かい単位での対応をすべきです。

 

③ 積極的に除染に取り組み、効果を上げている生産者については、

検査を前提に出荷できるようにすべきです。

 

・ゼオライトや塩化カリウムの投入、表土の入れ替えなど、

 除染に積極的に取り組んでいる生産団体の生産物は

 確実に検査数値が下がっています。

 前項同様、ある生産団体の出荷物から放射線が検出されたから

 といって、当該区域の作物を一律で出荷制限すべきではありません。

 生産団体単位、圃場単位など、きめの細かい単位で対応し、

 検査の結果、数値の低減を実現している生産者からの出荷は

 認めるべきです。

 これは、生産者の除染の努力を後押しすることにもなります。

 

3) 検出が続いている作物については政府が調査・研究や支援を

おこなうべきです。

 

・共同テーブルの参加団体の検査結果では、

 ほとんどの品目が自主基準をクリアできていますが、

 一方で、残念ながら放射性物質が検出されてしまう品目もあります。

 

・国や行政の検査でも、原木の菌茸類、茶葉などから検出されています。

 共同テーブルの参加団体の検査結果では

 レンコンも数検体で検出されています。

 

・東京電力福島第一原発の事故から2年が経過し、

 非常に多くのデータが蓄積されています。

 こうした品目については、国や行政による調査研究、

 除染および濃度低減方法の研究支援、除染費用の支援など

 をおこなうべきです。

 

・国による出荷制限と自治体による出荷自粛要請の対象品目について、

 品目によって大きく齟齬の発生しているものがあります。

 国と自治体でそれぞれの検査結果などの情報を共有し、

 連携する体制を整えるべきです。

 

 

以上

 

 

※ 「食品と放射能問題 検討共同テーブル」 構成団体

  ......(株)カタログハウス、パルシステム生活協同組合連合会、

     生活クラブ事業連合生活協同組合連合会、生活協同組合連合会グリーンコープ連合、

     (株)大地を守る会

 



2013年3月 9日

敵の動態を追い詰めたい

 

今日は明治公園で開催された

「つながろうフクシマ! さようなら原発大集会」 に行く予定でいたのだが、

溜まった宿題のために断念する。 

 集会には全国から1万5千人の人々が集まったとのこと。

 脱原発の願いはけっして後退したワケではない。

頑張って前に進みましょう! とパレードに参加した気分になって気合いを入れる。

(パレードに参加された皆様には、調子のいい台詞で申し訳ありません。)

 

昨日は一日がかりで、市民科学研究室の上田昌文さんと一緒に、

関東のとある場所にて土壌サンプリングを実施した。

森林や水系からの放射性物質の移動は、まだ充分に解明されていない。

農産物の濃度は相当に下がっている

(特定の作物を除いて、ほとんどはNDレベルになってきている)

とはいえ、今後の影響については、まだ楽観は禁物である。

農産物の安全性を可能な限り確保していくためには、

野菜の測定結果だけで一喜一憂せず、

目に見えない敵の動態を追跡していくことが求められる。

自分たちでできることは限られているけど、それでも

やっただけの効果が上がるよう、地点を決めてモニタリングを継続してみよう、

と上田さんと申し合せて実施に踏み切ったものだ。

 

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                                             (↑ 上田昌文さん)

この日は5ヶ所 × 3ポイント = 計15サンプルの土を採取した。

計測には茨城大学農学部の小松崎将一准教授も協力を買ってくれて、

大学院生を派遣してくれた。

サンプラー(採土器) の扱いも慣れていて、お陰で大変助かった。

 

お国のためだ、いやもとい、

人類の未来のためだ、がんばれ若者!  

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この測定結果がどうのではなく、

今後の経過を観察していくことで、いずれデータが何かを語り始める。

結果はどうあれ、データが無駄になることはないはずだ。

 

上田さんとは、今月末にもう一日、サンプリング回りをする予定。

根気のいる作業ではあるが、これも

高価な測定器を持つ者の、これからの務めだと思うのである。

できるなら、この2年間であまた誕生した民間の測定機関とも、

必要な調査やデータをネットワークさせられないものか、と思ったりもする。

僕がいま危惧し始めているのは、

せっかくの機器があちこちで遊び始めているんじゃないか...... ということだ。

やることはまだまだいっぱいある。

敵の動態を、僕らはまだ殆どつかめていないのだ。

追い詰めたいよね、何としても。

 



2013年3月 3日

『内部被ばくを生き抜く』

 

2月24日(日),「大地を守る会の オーガニックフェスタ」。

放射能連続講座Ⅱ-第1回 を終えた後、

本音を言えばそのまま会場に残って、次の細川モモさんの講演を聞きたかったのだが、

同時刻に行なわれる映画 『内部被ばくを生き抜く』 の上映会に呼ばれていた。

映画上映と鎌仲ひとみ監督のトークの後で、

大地を守る会の放射能対策について報告しろ、というお達しである。

講座会場に残られた方々としばし会話をして、

上田さんに 「ぜひフェスタを楽しんでお帰りください」 と頭を下げて、

バタバタと4階から3階に移動する。

 

この映画は事前にDVDで観ていたものだが

(借りたDVDで。 鎌仲さん、スミマセン。 今度買います)、

感想も入れたいと思って、改めて頭から観させていただく。

4基の原発が爆発し、大量の放射性物質が降ってしまった日本で、

私たちはこの  " 内部被ばくの時代 "  を

どうやって生きてゆかなければならないのか。

4人の医師をたずね、道を探るドキュメント。

映画の紹介はこちらから ⇒ http://www.naibuhibaku-ikinuku.com/

 

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上映終了後、一瞬、鎌仲監督の姿が見えなくなり、

急きょ先に話す羽目になった。

与えられた制限時間は、10分。

 


しかし、この2年間の取り組みを話すには、さすがに足りない。

(受けた以上は時間内に収めるのが礼儀というものだが・・・)

必死で測定体制の確立に走ったこと、情報開示に踏み切った際の思い、

生産者との厳しいやり取りがあったこと、

その上で除染対策を支援してきたこと、

そして自主基準の策定と放射能連続講座の開催

などなど、早口で喋らせていただいた。

 

ちなみに 「放射能連続講座」 では、昨年9月に肥田舜太郎さんをお呼びし、

今年の4月には児玉龍彦さんをお呼びすることになっている。

そして秋に計画している最終回は、鎌田實さんから承諾の返事をいただいたところ。

まるでこの映画を追いかける格好になっちゃって、鎌仲さん、スミマセン。

 

映画への補足として一点。

映画のなかで、二本松市のお寺・真行寺の副住職で

「TEAM二本松」理事長の佐々木道範さんと、そのご家族が登場する。

そこで 「子どものために少しでも汚染の少ない食べ物を選びたい」 と

全国から届けられた県外の野菜や卵を

ご近所の方々と分け合っている場面が紹介されている。

取材当時の状況としてはやむを得ないことではあるのだけれど、

二本松の生産者たちは必死で調査や対策に取り組み、

今年になって

「 ようやく地元の給食に地元の米 (もちろん検査でNDとなったもの)

 を復活させることができた」

という声も届いてきている、そんな今々の現状もお伝えさせていただいた。

食の安全と国土を回復させるたたかいを粘り強く進める福島の生産者がいることも

忘れないでいてほしい、と。

 

ちなみに、佐々木道範さんとは1年前の2月に、ジェイラップで会っている。

真宗大谷派の僧侶の方を連れて、自分たちに何ができるのかを模索されていた。

なんか深く悩まれているような感じで、一直線で見つめられた記憶がある。

あんな美人の奥さんがいたなんて・・・

どういう意味かって? いや、ただの嫉妬です。

 

話し終えて見れば、10分超過。

原発とめよう会の皆様、鎌仲様、どうもスミマセンでした。

 

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放射能汚染という厳しい時代を生きることになったけど、

やれることはたくさんある。 やればやっただけよくなる。

そのことを忘れないで、希望を持って頑張りましょう。

最後に元気を与える鎌仲トークだった。

 

鎌仲さんや生産者の方と立ち話をして、気がつけば16時。

お昼も食べず、他の会場も見ることなく、サンプラザ中野くんのライブも聞けず、

私の 「オーガニックカフェ 2013」 は、放射能2本勝負で終了した。

 

延長戦の話は、割愛。

 



2013年3月 2日

放射能から学んだこと -生産者の発言から

 

春一番が吹いても、気分はモヤモヤでしょうか。

中国からの、いま俄かに発生したワケでもない PM2.5 とかの影響も取りざたされて、

これからは黄砂もやってくるし、花粉が飛ぶ時期に入ったシグナルでもあるし。

 

東京集会開催にあたっての藤田代表の冒頭挨拶で、

中国で有機農産物流通組織をつくる支援を進めているという話が

少々控えめに報告されたけど、

中国で食と環境を守る担い手を育てることは日本にとってもメリットのあることだし、

「強い外交」 以上の国際連帯だと、

やる以上それくらいは断固言い切ってもらいたいものだと思った。

なけなしの金も人も使ってやるしんどい作業には、やっぱ大義が必要だから。

 

さて、「放射能連続講座」 の続き。

生産者2名の方に登壇いただいた。

 

福島県須賀川市・ジェイラップ代表の伊藤俊彦さん。

「稲田稲作研究会」 の米を守るために、正真正銘、命を張ってきたことを、

僕は知っている。

 

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原発事故があって、

安全神話に胡坐をかいて何ら危機に備えていなかったことを、

腹の底から後悔しました。

今は、ただしい知見とデータを残していくことが、

地球のどこかで何かが起きたときのための、恩返しになると思っています。

 

震災と事故のあと、心に決めたことは、農産物をただ売るためでなく、

「自分たちの家族を守る」 ために行動しよう、ということでした。

危ないと思うものは食卓に並べない。

同じように人に食べさせるワケにもいかない。。。

 

今年(2012年産) の福島の米は

全袋検査で 99.8% が 25Bq 以下という結果を得ましたが、

自分たちは独自の基準値を持って、1Bq でも下げようと努力してきました。

稲作研究会メンバー全部の田んぼの坪刈りをして、

稲刈り前から田んぼごとのデータを取ることで、米を出荷する際に

たまたま高いものが混ざるといったことも防ぐようにしました。

 

1年目(2011年産) は、玄米ベースで 3.1Bq。

2年目(2012年産) は、 2.5Bq まで下げられた。

もっと下げられると思って実験をやってきた田んぼでは 2.1Bq 平均を達成しています。

これだと年間60㎏(現在の日本人平均消費量) 食べたとして、

0.0005mSv (=0.5μSv/マイクロシーベルト) くらいですかね。

来年の目標は、玄米ですべて 2 以下 (白米で 1 以下) にしたいと考えてます。

  (注・・・これらの数値は、ゲルマニウム半導体検出器で相当に時間をかけて

   計測できる、通常はND -検出下限値以下- で語られるレベルである。)

 

自分も4世代8人同居で暮らしています。

「家族を守れなくてどうする」 という思いで一所懸命、

できることをやろうと試行錯誤してきました。

やろうと思ってもできないことはありますが、

それでもやればできることのほうがはるかに多い、ということも学びました。

その模索が、結果的に我々を進化させたように思います。

国ではなく、自分たちの基準で判断し、実践して、結果をちゃんと発信する。

これからもたしかな情報発信に努めながら、

いい百姓を目指して頑張りたい。

 

二人目は、「あいづ耕人会たべらんしょ」 の浅見彰宏さん。

大企業勤めをきっぱり捨てて、会津・山都町に入植して17年。

江戸時代から築かれてきた水路を守る活動を全国に発信し、

今ではすっかり地元の古老たちからも頼られる存在になっている。

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家族に安全なものを食べさせたいという思いで農業をやってきました。

福島原発から 100~120km の距離にあって、

最初は情報も知識もなく、安全かどうかも分からないまま、

このまま野菜を人に食べさせていいのか、と悩みながら悶々としました。

幸い 「食べらんしょ」 での野菜の出荷前に、大地を守る会で測ってくれたことは

本当に有り難かった。

 

今は2年経ってデータも集まり、何とか落ち着いて判断できるようになってきました。

地域資源を活用する有機農業にとって測定器を持つことのメリットは、

資材を計測できることだと思っています。

堆肥の原料の安全性も確認しながら使うことができる。

(それは地域にとっても安心の材料を提供できる、ということである。)

 

有機農業は、ひとつの生産手段とか営利活動ではなくて、

未来への財産を残す、引き継ぐ、そんな職業だと思っています。

この環境を未来に残すために、耕し続けたい。

 

一番怖いと思うことは、(消費が) 東日本産を避けることで

農業が顧みられなくなったとき、農家の意欲が喪われていくことです。

いま福島で耕作放棄地が増えています。

地域が衰えると、やる気のある農家も続けられなくなる。

もう一度、農業の価値を見直す作業を、皆さんと一緒にやり直したいです。

 

・・・・・・・・・・・・

放射能問題は、生きることの本質を私たちに突きつけている。

国に対して言いたいことは山ほどあるが、

社会の土台にあるのは人とモノの流れ (生産と消費のつながり) であって、

それは我々の日々の営みによって築かれていく。 あるいは壊れてゆく。

暮らしを他人任せにしては、社会は脆弱になり、

結果的に社会コスト (外部不経済) は膨らみ続ける。

格差社会を拡大再生産させる  " 顔の見えない "  グローバリゼーションの世界では、

そのしわ寄せは不均衡な帳尻合わせによって糊塗され、

ツケは未来世代が負うことになる。

その予兆が、目の前に迫っている増税である。

 

これは食品の安全性による切り分けではなくて、

大事なものを取り戻す作業なのだ。

 

東京集会レポート、もう一回続く、で。

 



2013年2月28日

「放射能連続講座」 第Ⅱクールのスタート

 

35年にわたって欠かさず続けてきた 「大地を守る東京集会」。

僕らはどこまで辿りつけたのだろうか・・・

「食」 や地球の健康はよくなったのだろうか。

世の流れを見ると疑問符がつくばかりだけれど、

食の安全と環境を守ろうとする人々の輪が広がったことは確かだ。

 

1日目(2/23) の夜は、

その輪を形成する人たちによる大交流会が開かれた。 

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「種蒔人」 もこの20数年、この場に欠かせない脇役として

和を醸し続けてきた。

僕もできることならば、こういう生き方をしたいものだ。

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交流は2時間では終わらず、解散後もさらに盛り上がる。。。

翌朝目覚めれば、メガネがなくなっていた。

今回の僕の役割は二日目が主だというのに。

 

ぼんやりした風景に包まれたまま

2月24日(日)午前10時、

「大地を守る会のオーガニックフェスタ」 開幕。

 

一階メイン会場では 「オーガニックマルシェ」 や 「復興屋台」 に

人が群がり始めていることだろうと想像しながら、

こちらは4階コンベンションホールで準備を進める。

10時半、「放射能連続講座Ⅱ」 シリーズのスタート。

第1回は 『放射の汚染の現状と課題』 と題し、

NPO法人市民科学研究室代表の上田昌文さんに講演をお願いした。

 

原発事故からほぼ2年が経ち、

食品での放射能汚染はどこまできたか。

何が分かり、何が分からないままなのか。

暮らしのなかで気をつけるべきことは何か。

残っている課題に対して、私たちはどう対処してゆくべきか。。。

上田さんには、この2年間で公開された膨大なデータを解析していただき、

現時点での傾向と対策を整理していただいた。

もちろん大地を守る会の測定データもずべてお渡ししてある。

 

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上田さんの話を整理すれば、こういうことになるか。

・食品に関しては、全体的にはほぼ問題ないレベルに落ち着いてきている

 と言ってもよいだろう。

 (微量レベルも含めて今も検出されているのは、

  米、大豆、キノコ類、山菜、一部の果樹、それに時々野菜といった感じだが、

  食べる量で勘案すれば心配するレベルではないと言える。)

・気になるのは魚。 今も高い値が出るケースがあり、まだ不確かな点が多い。

 データを引き続き注意しながら選ぶ必要がある。

 表層にいる魚はほとんど検出されない。

 イカ、サンマ、サケなどはまったく出ていない。

 昆布や若布などの海藻も安心して食べていい。

 しかし原発周辺では今も汚染が続いている現実は忘れてはいけない。

 

・今の状況では、スーパーなどで普通に食品を買って食べたとしても、

 ほとんどは年間 1mSv (ミリシーベルト) 未満に収まると思われる。

・福島での調査では、尿中の濃度が減ってない23歳・男性のデータもあったが、

 食事に気をつけている家庭の子供は確実に減少している、

 という結果が得られてきている。

 

上田さんは一枚のペーパーを配り、面白いテストを試みてくれた。

「 ここに米から始まって、大豆、魚、野菜、牛乳、卵、肉、果物・・・・・と

 48種類の食材があります。

 この中から、10種類の食べ物を買って子どもの夕食を作ってください。

 そしてその10種類が、それぞれ今までで検出された最も高い数値のものと仮定します。

 つまり最悪の食材を選んでしまったとして、

 子どもの摂取量からベクレル数を計算してみます。

 さて、いくらになるでしょう。 今から30秒で選んでください。 さあ、どうぞ。」

 

僕もやってみる。

ゼロだと分かっているトマトやキュウリや卵やサンマなどは外して、

やや意識的に出ていそうなものを選んでみる。

上田さんがそれぞれの食材で数値を発表する。

それを足し算した結果、会場で10ベクレルを超えた方は一人のみ。

5~10の間の方が3分の1くらいか。 あとは5ベクレル未満。

僕の意図的選択では、9.8ベクレルと出た。

そしてこの  " 現実に出回っているものの中で最も高いレベル " 

ばかりを選び続けたとして、年間の内部被ばく量は

0.1mSv (国の基準の10分の1レベル) くらいの計算になる。

だから大丈夫、と言いたいワケではない。

食事による内部被曝のリスクは、

ちょっとした工夫、少しの注意で乗り切れる。 それを意識しようということだ。

大まかにでも傾向を知っておくことが大切。

「今はもう、福島産だから食べない、というような時期ではありません。

 データを見て、冷静に選んでほしい。」

 

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ここで安心できないのは、放射性物質は均等に降り注いだワケではない、

ということだ。

ホットスポット、ミニ・ホットスポットと呼ばれる場所が広範囲に存在している。

時にホウレンソウなどで微量とはいえ検出されたりするのも、

畑の場所によって濃度が違っていることを表していると思われる。

 

研究者と住民が協力し合って、きめ細かい測定とマップづくりを実施した

二本松や南相馬のような調査を、もっと各地で進める必要がある。

そして徹底した除染。

これは住民合意と安全性の確保を前提として

国の責任でやらなければならないことだが、不充分と言わざるを得ない。

またこれからは、食品を測ればいい、ということではすまない。

水・飲料水は安心して飲んでよいと言えるが、

下水処理場の汚泥には蓄積されていっている。

焼却灰など環境への影響はきちんとチェックしていかなければならないが、

国の対策には疑問が残る。

 

野菜でも、ただ県・市町村と品目で判断するのでなく、

ほ場ごとにデータを取ることが、(大変なことだが) 本当は必要である。

この畑では ND でも隣の畑では高めに出たりすることがある。

そういう意味でも、大地を守る会がとってきたほ場ごとの管理は役に立つ。

また福島の米の生産者たちが取り組んだ対策は、優れた先行事例である。

昨年実施された1000万袋を超える全袋検査では、

99.8% が検出下限値の 25ベクレル 以下だった。

ゼオライトやカリ施肥、反転耕などの成果を、きっちり活かしてほしい。

 

当初は、堆肥などを使う有機農業のほうが怖いと言われ、打撃を受けた。

しかし筋の通った対処を取ったのは彼らである。

事実を知ること、対策を考え実行すること、結果をただしく発信すること。

この3つを、生産者は実践していってほしい。

 

これからの課題としては、

環境 (森林や水系など) からの影響を受けそうな品目に関して、

土壌濃度の継続調査などによって、早めの対策を打てるようにしたい。

(上田さんとは、そのための

 今後の測定品目の  " 選択と集中 "  について話し合っているところである。)

 

最も気になることは、福島の子どもたちの健康調査が徹底されてないことだ。

原発事故から26年経ったチェルノブイリでは、

今も深刻な健康への影響が続いている。

いろんな臓器での病気が増えている。

ウクライナでは事故から10年後に厳しい食品の基準を設定したが、

内部被ばくのコントロールは難しい。

EUでは、改めて健康調査の見直しと孫の代までの徹底した継続調査が

プロジェクトとして進められている。

それに比べて- 福島でのケアはまったく不充分だと言わざるを得ない。

 

・・・・・・・・・・

話の順番は違うけど、だいたいこんなところか。

上田さんには、1時間という短い時間で網羅的な整理を、

という無理難題をお願いしたのだが、

ポンポンと話を進め、ぴったり一時間で収めていただいた。

さすが、である。 改めて感謝々々。

 

現在、中継映像のアーカイブが

大地を守る会のHPからアクセスできない状態になっていて、

改善を管理人さんにお願いしています。

見れるようになったら、改めてご案内いたします。

 

さて、続いてゲストにお招きした二人の生産者の発言を。

 

続く

 



2013年2月16日

「放射能連続講座 Ⅱ」 予告(続)

 

「大地を守る会の 放射能連続講座 Ⅱ」 シリーズ。

第1回と第2回の内容 については予告済みですが、

第3回と第4回も決定しましたので、ここでお知らせしておきます。

 

-第3回-

『未来のために、つながりを取り戻そう』

講師=河田昌東さん (「チェルノブイリ救援・中部」 理事)

河田さんはチェルノブイリ原発事故後、継続的に子どもたちの健康回復や

土壌汚染対策を、様々な形で支援してこられました。

福島では、事故直後から調査に入り、稲田稲作研究会はじめ

各地の生産者の取り組みを支援されてきています。

その河田さんの目に、事故後2年の状況はどのように映っているのでしょう。

取り組みの成果や現状での課題・問題点とともに、

人や環境とのつながりを取り戻すための道筋を考えます。

日時は、5月18日(土)、13:30~16:00

会場は、YMCAアジア青少年センター・国際ホール

(JR水道橋駅から5分、御茶ノ水駅から8分)。

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≪河田昌東(かわた・まさはる) さん:プロフィール≫

分子生物学者。 「NPO法人チェルノブイリ救援・中部」 理事。

遺伝子組み換え情報室代表。 

在職中は名古屋大学理学部、四日市大学環境情報学部などで教鞭をとる。

四日市公害、チェルノブイリや福島の原発事故被災地の支援など、

多くの社会運動に関わる。

著書(共著)に、『遺伝子の分子生物学』(化学同人)、『遺伝子組み換えナタネ汚染』

(緑風出版)、『チェルノブイリの菜の花畑から』(創森社)、

『チェルノブイリと福島』(創森社)、など。

 

-第4回-

『食べて克つ!毎日の食生活で免疫力を整える』

講師=高橋 弘さん (麻布医院 院長/ファイトケミカル研究家)

第4回は、健康な暮らしを維持するために、何をどう食べるか、について考えます。

講師はファイトケミカル(植物の機能成分) の研究で著名な

麻布医院 院長、高橋弘さん。

「食」 の持っている奥深い力によって 「内部被ばく」 に対処する。

そのキーワードは 「免疫力」 です。

免疫力を強化する (整える) ための食生活のあり方、

特に野菜の力について学びます。

それは放射能に限らない、様々なリスクとたたかうための

" 総合力 "  の獲得にもつながっています。

日時は、6月9日(日)、13:30~16:00。

会場は、千代田区立日比谷図書文化館・コンベンションホール

(地下鉄・内幸町駅、霞ヶ関駅から3~5分、JR新橋駅から10分、日比谷公園内)。

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≪高橋 弘 さん:プロフィール≫

麻布医院・院長、ファイトケミカル研究家。

医療法人社団ヴェリタス・メディカル・パートナーズ理事長。

日本肝臓学会東部会はじめ、日本消化器学会関東支部、日本臨床分子医学会、

日本レーザー医学会、米国消化器病学医師会の各評議員を務める。

米国癌学会会員。 東京慈恵医科大学卒業。

マサチューセッツ総合病院消化器内科、MGH癌センター、

ハーバード大学内科准教授、セレンクリニック診療部長などを歴任。

著書に、『ガンにならない3つの習慣 ファイトケミカルで健康になる』(ソフトバンククリエイター)、

『免疫を整えるレシピ(エビデンス社、監修)、など。

 

会員の方には、毎月発行の 『NEWS 大地を守る』 のイベント欄で

告知・募集しますので、お見逃しなく。

会員外の方には、大地を守る会のHP からお申し込みください。

予告をアップした段階で、再度お知らせいたします。

とりあえず手帳にチェックを。

参加費はいずれも、会員=無料、非会員=500円となります。

 

「本来の食と、人と社会の健康を取り戻す」 ために、

「誰とつながり、何を、どう食べるか」、

そして 「未来のために行動する」 指針を、このシリーズの中から

つかみ取りたいと願っています。

たくさんの方のご参加をお待ち申し上げます。

 



2013年2月 2日

次世代のために耕し、たたかう -福島新年会から

 

今年の産地新年会シリーズ 「福島編」 は、1月31日から一泊で開催。

今回の幹事となったジェイラップさん(須賀川市) が用意してくれた会場は、

磐梯熱海温泉。 

参加者は9団体から22名+1名(個人契約)、計23名の生産者が参加された。

 

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昨年 は原発事故の影響をモロに受けてきての新年会となり、

河田昌東さん(チェルノブィリ救援・中部) や野中法昌さん(新潟大学) を招いての

対策会議を兼ねたものになったが、

今年もやっぱりこのテーマは外せず、学習会が組まれた。

お呼びしたのは、福島県農業総合センター生産環境部長、吉岡邦雄さん。

農地における放射性物質除去・低減技術の研究・開発に関する

最新の動向を報告いただいた。

 

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東日本大震災に伴って発生した東京電力福島第1原子力発電所の爆発事故は、

県内の農業生産にとって甚大な影響を与えることになることを予感させた。

そこで県農業総合センターでは、

農地での放射能対策の知見がまったくない中で、

各部署からメンバーを選抜して対策チームを結成し、7本の柱を立てて、

調査・研究と技術開発を進めてきた。

 

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詳細な報告は省かせていただくこととするが、

「県内農用地土壌の放射性物質の分布状況の把握」 では、

事故のあった 3 月末から 8 月まで

県内 371 地点の農地を 8 回にわたって調査し、

続いて 10 月から 2012 年 2 月までに 2,247 地点の調査を行ない、

それぞれ農水省のマップ作成に貢献した。

放射性物質の垂直分布では、耕耘(こううん) することによって、

根からの吸収を低減させることができることを判明させた。

 

「放射性物質の簡易測定法の開発」 では、

NaI シンチレーションカウンターを使っての測定法を開発して

県内 14 ヶ所の農林事務所に配備し、地域の詳細なマップ作りを進めた。

(現在ではガンマ線スペクトロメーターが各市町村・JA に配備され、

 シンチレーションカウンターの役割は終えた。)

 

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収穫された農産物の検査では、ただ作物別の結果を分類するだけでなく、

土壌性質との関係性や肥料成分による効果の違いなどを調べ、

一定の知見を得てきている。

今では定説のように言われている交換性カリウムの有効性も確かめられ、

稲に対するカリを与える適期なども見えてきている。

除去技術では効率的な装置の開発をすすめ一部では実用化に至った。

 - などなど、まだ研究途上のものも含めて網羅的な報告をいただいた。

 

講演後の質疑では、質問は時間をオーバーして続いたのだが、

吉岡さんはひとつひとつ丁寧に答えてくれて、

「いつでも連絡いただければ、できる限りお手伝いいたしますので-」

とも言ってくれた。 

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それぞれのグループからも、報告をいただく。

いわき市の福島有機倶楽部の生産者たちは、津波の被害が甚大で、

残ったメンバーは2軒になってしまった。

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阿部拓さん(写真右端) は宮城で農地を取得し、新たな活路を見出そうとしている。

いわきの農地は今、息子の哲弥さん(左端) が守っている。

小林勝弥さん(中央) も 「苦戦してますが、微生物の力を信じて、頑張ります」。 

 

二本松有機農業研究会、大内信一さん。 

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「耕しながら、放射能とたたかっていく」 と力を込めた。

「 福島をもう一度、安全な農産物の供給基地にしたい。

 次世代につなぐために、安全性を立証させる責任が俺たちにはある 。」

大内さんは仲間らと 『福島百年未来塾』 を立ち上げ、

勉強会を重ねている。

 

福島わかば会(本部は福島市)、大野寛市郎さん。 

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メンバーの住む地域の範囲が広く、バラつきがあるのが悩みだが、

とにかく全員で取り組んできた。

「 今の消費者の気持ちは、安全は分かっても安心ができない、という

 感じのような気がする。

 これからは 「安心」 を取り戻せるよう、消費者とも積極的に会話していきたい。

 オレらも頑張っているので、大地の職員も頑張ってほしい。」(事務局・佐藤泉さん)

 

やまろく米出荷協議会、佐藤正夫さん。

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原発事故によって、長年かけて築いてきたブランドが崩壊した気分である。

特に、有機や特別栽培米が苦戦している。

価格への圧力も厳しい。

農家の経営を守るためにも、肥料設計も見直しながら、

減収させないように支援していきたい。

 

今回の幹事、ジェイラップ (稲田稲作研究会) は5人で参加。

代表で挨拶するのは、常松義彰さん。 

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自分たちだけでなく、須賀川全体の信頼を獲得するために、

徹底的に除染作業に取り組んできた。

ちゃんと安心して食べられる米が作れるのだということを、

周りに伝えていくことが使命だと考えている。

岩崎晃久さん(左端) のひと言。

「いま一歳の子が、元気に育っていく姿を、皆さんに見せます。」

 

そして、喜多方から 「会津電力」 構想をぶち上げた、

大和川酒造店・佐藤弥右衛門さん。

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福島県議会は、脱原発を宣言した。

しかし自然エネルギーの方向性を、県はまだ示せないでいる。

それを形にしていく責任が、我々にはある。

自分たちの手でエネルギーを創出していこう。

 

弥右衛門さんは 「ホラ吹いてたら、あとに引けなくなっちゃったよ」

と笑いながらも、すでに

『社団法人 会津電力』 の設立文書を書き上げている。

2月23日には設立総会が開かれる段取りだ。

 

皆で学び、励まし合い、最後は楽しく飲んだ一夜。

もっとも厳しい、茨の道になっちゃったけれども、

福島の有機農業者たちは、必死で己を鼓吹しながら前に進もうとしている。

共通する思いは、次世代に何を残すか、だ。

福島だからこその希望を発信しよう❢

 

僕も、この場に立ち会った者であることを忘れずに、

今年も歩かなければならない。

 

今年の新年会、これにて終了。

 



2013年1月28日

「食べる」 という哲学

 

「逃げられない食生活というものがある」

と明峰(あけみね)哲夫さんは言い放った。 

これは、生きるためにどう食を選ぶのか、という問いである。

被ばくの覚悟を息子にまで強いている狂った親父のようだが、

選んだ私の生き方 (食の選択) をもって子を育てる、

という責任の取り方を表明しているのだとも言える。

それくらい 「食」 は生き方につながっている、と主張しているのだ。

 

これだけ食と農にこだわった親父は、そういない。

日本で有機農業運動が生まれた黎明期の1970年代から、

「たまごの会」 の活動などを通して  " 有機農業とは何か "  を追求してきた

哲人の生き様を、冷静に読み取りたいと思う。

原理主義者の主張は少数派であるがゆえに美しい、とも思いながら。

 ≪ 僕の勝手な歴史年表(記憶) では、「たまごの会」 とは、

   インテリと農民が出会い、一瞬の光彩を放って分裂した、

   まさに運動の卵をどう正しく孵化させるか議論しあった

   時代の申し子のような存在である。≫

 

明峰さんの息子さんはお陰で寿命が多少短くなったかもしれないが、

それは誰も証明できないことだし (そもそも寿命そのものが分からないし)、

別な選択をすればしたで不幸な結果になるかも知れない。

人生の因果は誰にも予測できない 「一発勝負」 なのだ。

ただ 「食」 の大切さが徹底的に刷り込まれたことで、きっと

骨太な人生を生きるんだろうと思う。 明峰さんはそれを望んだのだ。

 

「どんな線量であってもリスクはある」 と小出さんは言う。

しかし同時に (自然放射能の影響は別として)、

「地球上に (放射性物質から) 汚染されてない食べ物などない」 とも言う。

程度の問題だけだ、と。

3.11前にも、米の濃度は 0.1Bq 程度はあった。

ゼロを求めることは不可能、な社会をもう僕らはすでに作ってしまっている。

しかし子供にはできるだけ低いものを与えるべきである、と考える。

こちらも最後は 「生き方」 の問題として語るのである。

みんなそれぞれに、自身の哲学 (あるいは人生観) に帰する。

3.11は僕らに、腹を決めろと迫っているかのようだ。

 

モヤモヤ感を無理やり整理しながらレポートを続けようとしていたところに、

昨年の晩秋あたりから宣告が予告されていた訃報が届いた。

長野のりんご農家、原志朗が亡くなったとの連絡。

 

もう書けないので、今夜はここまで。

明日、告別式に向かいます。

 



2013年1月27日

食べるべきか・食べざるべきか~ の議論はもうやめたい

 

(前回からの続き)

有機農業技術会議代表理事、明峰哲夫さんの論。

「 放射能はどんな線量でもリスクはある(閾値はない)、は前提の話として、

 それでも福島に留まって農業をやる、その意味を考えたい。

 中濃度あるいは低濃度の外部被ばくを受けながら、

 安全な食べ物を作ってくれている人たちがいる。

 そのような農業者の犠牲の上に立っていることを、どう考えるのか。

 

 「危険かもしれないが、逃げるワケにはいかない」

 これは論理的に正しいかどうか、ということではない。

 農地や山林や家畜を担いで逃げることはできない。

 " 逃げられない営み "  によって社会は支えられているのだ。

 それだけに私たちの責任は重たい。

 " 食べない "  というのは、福島から逃げていることと同義である。

 

 " 危険だから逃げる "  でなく、" 大丈夫だと思うから留まる "  でもなく、

 " 危険かもしれないが、逃げるワケにはいかない "

 という第3の道を、圧倒的多数の農業者たちが選択したのである。

 このことの意味を考えなければならない。」

 

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「有機質で腐植が多い肥沃な農地はベクレル数が低い」

ということを経験的に獲得してきた菅野正寿(すげの・せいじ) さんが

その思いを語る。

「 何で逃げないのか、とヨーロッパの記者に聞かれたが、

 3500年続いてきた稲作文化を支える農耕民族として、

 逃げるワケにはいかなかった。

 この土地でどうやって生きるか、が問題だった。

 

 昔から  " 良い田んぼ "  と言われた田んぼの米はゼロ Bq だった。

 ゼオライトより、良い堆肥を施した方がよいとさえ思う。

 地形も土壌の性質も知っているのは農家自身。

 農家と科学者が一緒になって取り組む必要がある。」

 

小出裕章さん。

「 苦悩の中で逃げずに、生産している人たちがいることは理解している。

 その人たちとどう連帯するかが私の課題である。

 しかし  " 逃げたい "  という人たちに対しては国が支援しなければならない、

 ということははっきりと言っておきたい。」

 


「第3の道と言われたが、むしろそれこそ第1の道なのかもしれない」

と中島紀一さんがフォローする。

「 自給率の高い地域というのは、

 ある意味でもっとも人間らしい生活をしてきた地域でもある。

 そこでは、その土地で暮らすことは本来の暮らし方そのものであって、

 簡単に逃げられるものではない。

 むしろ人類固有の価値だとも言える。」

 

しかし小出さんは 「子どもを巻き添えにしてはいけない」 という。

今たたかっているのは放射能である。 放射能には勝てない。

特に子どもは一手にそのダメージを引き受けている。

大人が留まると、子どもも留まらせてしまうことにつながってしまう。

その考え方には、私は躊躇せざるを得ない。

 

「私は食べる」 と言い切る小出さんは、

親と子で食事を分けることもやむを得ないと考える。

これに真っ向から反論、いや 「もう一つの視点もあるのではないか」 と

問題提起するのが明峰さんである。

「 子どもを守ろう、には異論を挟む余地はない。

 しかし、それも程度の問題ではないか。

 子どもだけを特別扱いにしてよいのだろうか。

 子どもにも 「一緒にたたかおう」 と言うのも、親の責任ではないか。

 チェルノブイリの時も、私は子どもと一緒に食べた。

 " オレを恨むな、ゲンパツを恨め " と言いながら。

 

 逃げられない食生活があることも知るべきだ。

 食をともにすることは子育ての大切なファクターであり、

 健康のために分けることが唯一の選択ではない。」

 

暴論と叩かれるのは覚悟の上で、

言っておかなければならないと思ってきたことだと吐露しながら、

小出さんというより会場に挑みかかってくる明峰哲夫だった。

重たい意見だ。。。

いやしかし、この対立にはどこか違和感が残る。。。

 

小出さんが最後のほうで漏らした。

「 農民の土地に対する執着は理解できる。

 様々な生き方があって、私から一概にこうしろとは言えない。」

 

住民の暮らしを守るために、取るべき国の責任は明確にしなければならない。

しかし個々の生き方まで強制的に縛ることはできない。

というのが本来のありようかと思うが、

強制すべきレベルを議論しなければならないほどに、

罪なことをしてしまったということか。

この議論は決着がつかない。

避難したいのにできない、あるいは避難所から次の暮らしの見通しが立たない、

という人たちがいる、放置されている現状がある。

そのことを議論した方がいいんじゃないか。

 

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休憩後、質疑があり、コーディネーターの大江さんから、

福島県産の物流状況はどうか、とコメントを求められたのだが、

違和感を引きずってしまっていて、

頭の中が未整理のままマイクを握ってしまった。

以下のような主旨の発言をしたつもりなのだが、

まとまっていただろうか、とても不安。。。

 

福島は、私たちにとって大切な一大産地である。

明峰さんは 「 " 食べない " は福島から逃げる行為」 と言われたが、

大地を守る会を含め、産地や農民との関係を大切にしたいと考えた組織の多くは、

取り扱いを継続した。

お店でいえば、「たとえ売れなくても、棚からは外さない」 という姿勢を示したのだ。

売り場から外すことは、関係を断ち切ることである。

棚があることで、情報は流れ、支援の道筋も作られる。

しかしそれを維持するには、測定結果の開示は必須条件だった。

菅野さんの二本松東和にはカタログハウスさんが、

私たちは須賀川にと、測定器を送って支援するという形がつくられた。

測定器は、生産者の対策を検証する道具にもなった。

関係は以前よりも強化された、とも言えるかもしれない。

 

とはいえ、福島産の農産物に対する拒絶反応は今も根強くある。

測定結果を示しても、そう簡単には拭えない不安が存在している。

徐々に、少しずつ回復している (時間がかかる)、

というのが私の現状認識である。

 

討論を聴いての感想をひと言でいえば、

「正解はない」 ということだろう。

科学者はそれぞれの信念や科学的根拠に基づいて語っていただければよい。

余計な政治的配慮などが伴ったりすると、かえって不信感を醸成させる。

あとはそれぞれ個々の判断ということになるのだろう。

避難すべき、食べるべき、と  " べき論 "  だけで論争しても相互理解に進まない、

人それぞれの思いや世界観・人生観があるのだと思う。

 

私たちがとってきたスタンスは、

" そこに仲間がいて、たたかっている以上、支援する "  である。

これまで私たちの食卓を支えてくれた人を裏切るわけにいかない以上、

それしかない。

そして、測定結果を伝え、自分たちの基準値を示して、

食べてほしいと伝えるのみである。

 

「60歳以上は食べよう」 という小出さんの論を借用させてもらったこともあるが、

そう簡単には受け入れられなかった。

また小出さんの主張される

「60禁(60歳未満は食べるのを控える)・50禁・40禁~」

というような基準設定は、

全般的にかなり低い水準に落ち着きつつある現状を考えると、

非現実的というか、設定そのものが不可能だと思う。

 

土を回復するために人智を尽くす、その作業を支えるのは

今に生きるものの義務だと思っている。

(もちろん  " 支える "  とは、食べることだけではない。)

放射能とたたかっている人は、未来社会を築いている人たちだ。

私たちが直面している生存の危機は、

エネルギー・資源問題、温暖化、生物多様性の喪失などたくさんあるが、

総合的に対処する力を持っているのが有機農業だと信じている。

そういう観点からも、福島のたたかいを受け止め、

粘り強く、人をつなげていきたい。

 

・・・・・と、そんなことを考えたのだが、

喋れたのはおそらく半分くらいだったような気がする。

 

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最後に、福島から来られた方々が紹介され、

代表して山都(喜多方市) に住む渡部よしのさんが、

これまでの苦しみや現状を語ってくれた。

よしのさんは新規就農者ではないが、

「あいづ耕人会たべらんしょ」 のメンバーとして、会津ネギなど

地域で育まれてきた在来野菜を作り続けてくれている。

 

閉会後、小出さんに挨拶する。 

実は小出さんも、昨年の放射能連続講座に呼ぼうとして、

どうしても都合が合わなかった方の一人だ。

「まだ諦めてませんから」 と伝えると、

「いやあ、大地を守る会に僕が貢献できるものはないよ」

と言われてしまった。 

改めて小出さんを呼ぶかどうか、正直言って、僕は迷っている。

" 食べる・食べない "  をべき論で区分けしたくない。

小出さんにはやっぱり、食品をどうのではなく、

原発そのものを語ってもらった方がカッコいいと思う。

 

討論会報告は以上。

疲れた。。。

 



2013年1月26日

復興の道は、どっちだ? 

 

このブログを書くのは、だいたい夜になる。

しかし今週は頭から 3 連荘(レンチャン)。。。

夜が潰れると、どうにも書くようにならない。

 

日曜日(20日) は、池袋の立教大学にて、

日本有機農業技術会議と有機農業学会、出版社コモンズの共催による

原発事故・放射能汚染と農業・農村の復興の道

と題した公開討論会が開かれ、

終了後、関係者の方々と一杯やってしまう。

月曜日(21日) の夜は、丸の内・地球大学に参加。

火曜日(22日) は岩手・陸前高田のお醤油屋さんである、

八木澤商店代表・河野通洋さんが来社され、

夜、震災後の復興への取り組み等について

社員向けにお話しをしていただく時間が設けられた。

お話の後、これまた軽く一杯。

で、昨日(25日) は他団体の方からお誘いがあり、情報交換を兼ねて一席。

 

とまあそんな調子でネタがどんどん滞留してきて、気は焦るも筆は持てず。

端折りながらも、順次レポートしていかねば。

 

20日(日) の討論会は、なかなか重たい議論だった。 

放射能による農産物の汚染状況をどう認識するか、

「避難すべきか残るべきか」 「子どもに食べさせてよいか」

といった争点をどう整理すればよいのか・・・、など

何点かの論点をめぐっての本音トークが展開された。

討論者は、以下の4名。

 〇 京都大学原子炉実験所助教 小出裕章さん。

 〇 有機農業技術会議代表理事 明峰哲夫さん。

 〇 茨城大学名誉教授 中島紀一さん(日本有機農業学会理事)。

 〇 福島県有機農業ネットワーク代表 菅野正寿さん。

コーディネーターはコモンズ代表の大江正章さん。

 

走り書きのメモを元に起こしているので、正確な発言とは異なるかもしれない、

と断った上で、以下、レポートしてみたい。

 

トップバッターは、小出裕章さん。

「農業者を前に、避難すべきか、食べるべきか、といった話はとてもしにくい。

 殴られるかもしれないが、私は科学者としての 「原理・原則」 に則って

 語らざるを得ない。」

 

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「 福島原発事故によって放出された放射性物質の量は、

 広島・長崎に落とされた原爆数百発分に相当する。

 しかも大地をなめるように拡がっていった。

 福島県のかなりのエリアが、法律上 「放射線管理区域」 とされる

 4万ベクレル(/㎡ ) を超えて汚染された。

 それは、そこを出る時には必ずボディ・チェックを受け、

 4万ベクレルを超えるものは持ち出してはならないという決まりのある、

 本当なら人間が生むべきではない場所であり、私は専門家として

 「住んでよい」 と言うわけにはいかない。 住んでほしくない。」

 

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一方、原発から 50㎞ の距離にある二本松市東和地区で

有機農業を実践する菅野正寿さん。

「 阿武隈山系のアブクマという言葉は、アイヌ語で  " 牛の背中 "  という意味。

 そんな中山間地の一角で、私たちの住む旧東和町は、

 かつては養蚕を基幹とした村だった。

 一時は養蚕業の衰退とともに桑畑は荒れる一方となったが、

 有機農業をベースに都市の消費者とつながって、

 新しい地域づくりを進めてきた。

 研修生や新規就農者も積極的に受け入れ、いろんな成果が見えてきたところで、

 原発事故というとんでもない災禍に見舞われてしまった。

 いま福島では、16万人もの人が県内外に避難しているという

 異常な事態である。

 

 家に戻り農業を始めてくれた娘は、

 ホールボディカウンターの検査で ND の結果をもらったが、

 それはあくまでも検出下限値以下という意味であり、

 不安が消えたわけではない。

 何Bq(ベクレル) 以下なら大丈夫なのか、明確な基準は存在しない。

 低線量内部被ばくの問題が、住民を不安にさせている。

 政府には、昨年6月に制定された生活支援法を早急に実施してもらいたい。

 学校給食では、昨年12月より地元産米が使われるようになったが、

 野菜については 「ゼロでも使ってほしくない」 という声があって、

 まだ復活できてない。

 

 住宅の除染も始まったが、なかなか思うように進んでいない。

 一ヶ月も経つと (雨や風の影響か) 元の線量に戻ったりしている。

 周辺の森林の除染を進めるべきなのだが、手がつけられていない。

 そもそも大手ゼネコンに丸投げしてしまっている状態で、

 本当は住民の手で進められるようにしたい。

 復興のプロセスに住民を参加させるべきではないか。

 

 森林の除染は難しい問題だが、

 キノコがよく吸収しているのを逆手にとって、

 伐採した木をチップにして敷き詰めて、カビや菌の力を借りて除染できないか、

 目下専門家とともに研究中である。

 

 福島では、出荷制限や自粛などによって耕作放棄地が増えている。

 セイダカアワダチソウの風景が広がっている。

 しかし復興が進んだのは、実は耕して米や野菜を作ってきた農地である。

 米の全袋検査では、99.8% が 25Bq 以下という結果だった。

 野菜ではほとんど検出されていない。

 まさに 「土の力と農人の耕す力で 『福島の奇跡』 が起きた」(中島紀一さんの言葉)。

 ふくしま有機農業ネットワークでは、米と野菜、雑穀については

 40Bq/㎏ 以下を基準にしようと提言している。 

 

 この問題を、ただ 「食べる・食べない」 とか、「逃げる・逃げない」 といった

 狭い議論で終わらせてほしくない。

 ゴミや基地や原発を地方に押しつけてきた日本の構造こそ

 見つめ直して欲しい。」

 

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「住んでほしくない (避難と生活保障は国の責任)」 という小出さんも、

" 食べる・食べない "  については、明快に  " 食べる "  派である。

「 私はとにかく、子どもを守りたいという一心である。

 一次産業も守りたい。 

 だから  " 社会的責任として、大人は食べるべきだ "  と主張してきた。

 チェルノブイリのときも、私は普通にヨーロッパ産のスパゲティを食べた。

 しかし子どもには食べさせなかった。」

 

ここで、小出さんは一つのグラフを示す。

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「放射線ガン死の年齢依存性」。 

1万人の人が1シーベルト被曝した場合が、1万人・シーベルト。

1mSv(ミリシーベルト) だと1000万人として、

それだけ等しく被ばくした場合に、

ガン死者数が何人になるかを年齢別に推計したもの。

左端の棒がゼロ歳児の場合で、15,152人。

右端が55歳で、49人。

全年齢で平均した場合の死者数 3,731人。

ほぼ30歳あたりが平均になる。

それ以上の年齢になると、放射線の影響は段階的に鈍化する。

 

小出さんの言う  " 食べる "  とは、たんに責任や覚悟を迫っているのでなく

(いや、それは相当に迫っているが)、

それなりのデータに基づいてもいる、ということである。

 

中島紀一さんが、現状把握の整理を提示する。

「 現状では、一部の果物や山野草、キノコ、タケノコといったものを除いて、

 ほとんど検出されなくなってきている。

 確率論的には、内部被ばくは相当に低いレベルになっている、と言ってよいだろう。

 

 降下した放射性物質よりもはるかに膨大な量の土が

 放射性物質をつかまえ、固定化させてくれた。

 土は放射線の遮蔽効果も発揮してくれている。

 また粘土だけでなく、堆肥や腐植といった有機物も

 固定能力が高いことが見えてきている。

 当初は堆肥を入れる有機農業のほうが危ないとも言われたが、

 " 土をつくる "  ことの意味がここにもあったということだ。

 そういう視点からも、" 復興の筋道・留まって耕すこと・食べること "

 の意味と価値を捉え返す必要がある。」

 

ここで哲人、明峰哲夫がマイクを握る。

 

あれぇ・・・

端折るつもりが、終わんないね。 それだけ慎重になっているのか。

スミマセン、続く。

 



2013年1月23日

《予告》 「放射能連続講座 Ⅱ」-第2回は児玉龍彦氏

 

2月24日(日)に開催する 「2013年 大地を守る東京集会」 で

放射能講座をやります、というのは昨年末にもお知らせしましたが、

この 「放射能講座 東京集会編」 を、

この間準備を進めていた 『大地を守る会の 放射能連続講座 パートⅡ』

の皮きり、つまり第1回と位置づけて、ここから

第Ⅱクールをスタートさせることといたしました。

 

目下、何人かの方との交渉を進めているところですが、

第2回までは確定したので、

ここで改めて 「予告編」 を挿入させていただきます。

 

一発目は2月24日(日)、

東京集会の会場である蒲田の 「大田区産業プラザ PIO」 にて。

時間は10時半~12時。

講師は、NPO法人市民科学研究室代表の上田昌文さん。

昨年の連続講座第1回に続いて、今回もトップバッターを切っていただきます。

 

e13012300(上田昌文).jpg (上田昌文さん)

 

テーマは、「放射能汚染の現状と課題を整理してみよう」 。

忌わしい原発事故から2年近く経って、今の汚染状況はどうなっているのか。

何がどこまで分かり、何がまだ分かってないのか。

何が大丈夫で、何に気をつけるべきなのか。

被ばくと健康リスクの関係についても未だ意見が分かれる中、

私たちはどう理解して対処すべきなのか。。。

この難題に対して、これまでの厖大な測定データをもとに、

可能な限り整理してもらいます。

 

また全国から生産者が集まってくる、せっかくの東京集会です。

このコーナーのゲストに、生産者を2名お呼びしました。

一人は、「大地を守る会の備蓄米」 でおなじみ、稲田稲作研究会の伊藤俊彦さん。

もう一人は、若手を代表して 「あいづ耕人会たべらんしょ」 の浅見彰宏さん。

この2年の苦闘を振り返りながら、今の思いを語っていただきます。

 

予定は1時間半ですが、時間切れで「ハイ、終わり」 とはせず、

今回は終了後に 「コミュニケーション・タイム」 を設けることとしました。

質問のある方には残っていただいて、できるだけ質問に答えようと、

昨年の反省から考えてみました。

 

続いて第2回は、4月18日(木)に開催します。

講師は、東京大学アイソトープ総合センター長、児玉龍彦教授。

一昨年の7月、国会の参考人に招聘された際に、

政府の対応を厳しく批判された方です。

福島での除染活動の支援も続けられているようで、

夏までの期間で空いているのはこの日しかない、

という日と時間を奪取、いえ、頂戴しました。

ということで、時間は18時半~20時半。

場所は、日比谷公園内にある 「日比谷図書文化館・コンベンションホール」。

 

e13012301(児玉教授).jpg (児玉龍彦さん)

 

お願いしたテーマは、

「改めて内部被ばくの問題を考える ~未来のために正しい知識を~ 』。

児玉さんは新たな視点で内部被ばくの影響や仕組みを研究されています。

その先端の話を伺います。 乞うご期待。

 

実は、昨年も交渉しながら、ついに時間が取れなかったいきさつがあります。

かなり 「執念深いヤツ」 と思われたかもしれません。

もし当日機嫌が悪そうだったら、それはワタクシのせいです。

 

昨年の6回シリーズでは、汚染状況の正確な把握と、

健康リスクに対する知識や判断力の獲得を目指しました。

この第Ⅱクールでは、より明確に

「3.11を乗り越えて、本来の食と、人と社会の健康を取り戻す」

ための道筋を探りたいと思います。

たくさんの方のご参加をお待ちします!!

 



2013年1月10日

手抜き除染・・・

 

年明け早々から腰が抜けてしまいそうになる報道が続いている。

" 手抜き除染 "  だって・・・

除染作業で回収した落ち葉などを、作業エリア外や川に捨てたり、

水をそのまま流したりしていたらしい。

 

もちろんすべての地域 (現在、本格除染が進められているのは4市町村) で

手抜きが横行しているとは思いたくないが、

安心して暮らしたい、あるいは 「早く故郷に帰りたい」 と願う人たちにとっては、

やり切れない怒りを感じていることだろう。

あるいは福島県全体への不信や不安感につながらないかと

危惧する県民もいるかもしれない。

 

この報道で、除染を請け負った企業や作業員のモラルの低さを嘆いた方もいることと思う。

しかしどう考えても、これは構造的な問題である。

除染のガイドラインを示したものの、仮置き場も決められないまま

ゼネコンに丸投げした政府 (環境省)。

元請けゼネコンはさらに下請けに委託し、

下請け業者は作業員を日雇いして作業にあたる。

どの業者も、赤字で受けることはできないと、

作業者に支払われるはずの危険手当て(1日1万円) が抜かれたりする。

 

現場はといえば、ガイドライン通りにやってたらとても期日までに終わらないし、

周囲からの移染もあったりするなかで限定したエリアの作業じゃ

とても完全な除染なんて無理 、とか思いながら作業にあたる。

現場監督に指示されれば、「そういうものか」 とか 「いいのかなぁ」 とか思いながら、

川で長靴を洗ったり落ち葉を捨て流したりする作業員。

ここに住む人たちのことを思いながら真面目に作業にあたった人にとっては、

ゴミ出しのルールを守らない人々と一緒に住んでいる住人

のような感覚に陥ったことだろうか。

 

こうして誰にも達成感は生まれず、形ばかりの実績が積み上げられ、

数千億円の税金が消えていく。

 

ゼネコンを  " 指導 "  するだけではさすがにまずいと考えたか、

環境省は 「除染適正化推進本部」 を立ち上げた。

はたしてどう 「適性化」 されるのか、注視したいところだが、

僕の中にある決定的な疑問は、

どうして現地の業者を使おうとしないのか、ということだ。

できるならその土地に住む人たちも作業計画に関与できる形にすべきだろう。

地元の人たちが納得できる計画を立て、作業員も現地雇用を中心にすれば、

" 私たちの故郷を回復させる "  作業になるし、

それだけで確実に  " 手抜き "  は減るはずだ。 

貴重な税金も地域に還元される。

愛や誇りも取り戻せるかもしれない。

地域が主体となった回復運動を支援することこそが国の役割だと思うのだが、

国が進める  " 除染 "  には、寄り添うゼネコンの姿は見えても、

地元自治体や住民の姿は見えてこない。

このままでは、ただの作業記録以外、何も残らない。

 

震災直後に海外から賞賛されたこの国の民のモラルが、

あろうことか内側から踏みにじられ破壊されていってるように思わされてしまうのは、

僕だけだろうか。

「故郷で死にたい」 と訴えながら仮設で亡くなる人が続いている。

子供を連れ九州に避難した母子が

「帰っても昔のような近所付き合いはできない」 と孤独感を滲ませる。

僕らは今もこんな光景を見せつけられていながら、

一方で 「一丁上がり」 と移動していくゼネコンにお金を吸い取られている。

 

新年にあたり、田中正造の言葉を引いた論説をいくつか見た。

   真の文明は

   山を荒らさず

   川を荒らさず

   村を荒らさず

   人を殺さざるべし

ゲンパツ文明は、見事なくらいにこの真逆の光景を、僕らの前にさらしている。

やめようよ、ホントに。

 



2012年12月25日

《予告》 「オーガニックフェスタ2013」で企画2連発!

 

ノロウィルスが猛威を奮ってますね。

しかも新たな変異株が発見され、全国的に拡がっている様子。

ウィルスも進化(?) しながら対応能力を強化してゆき、

人間の衛生対策や免疫とのイタチごっこは永遠に続きます。

しかも都市というのは極めて繁殖・拡散しやすい環境にあります。

我々はもっと野生を取り戻さなければアカンのかもしれません。

とか言いながら、食品を扱う業界は、神経研がらせた年末商戦です。

皆様には、お変わりございませんでしょうか。  

 

さて、今年もあと一週間を切り、年明けの予告をいくつかお知らせします。 

 

まずは、2月24日(日)、年に一度の大交流会

「大地を守る会のオーガニックフェスタ2013」 にて、

二つの企画を用意しました。

これは10月に終えた放射能連続講座で、最後にお約束した宿題でもありました。

 

ひとつは、NPO法人市民科学研究室代表の上田昌文さんを再度お招きして、

放射能講座を開催します。

忌わしい原発事故から2年近く経って、今の汚染状況はどうなっているのか。

何がどこまで分かり、何がまだ分かってないのか。

何が大丈夫で、何に気をつけるべきなのか。

被ばくと健康リスクの関係についても未だ意見が分かれる中、

私たちはどう理解して対処すべきなのか。。。

この難題に対して、これまでの厖大な測定データをもとに、

可能な限り整理してもらいます。

明日からの暮らしに役立てていただけたら幸いであります。

 

もうひとつは、連続講座で示された大切な視座

- 「栄養バランスの取れた食生活で免疫力を強化すること」 について。

お呼びするのは、プロのアスリートやミス・ユニバースへの栄養指導に携わってこられた

予防医療コンサルタント、細川モモ さん。

株式会社タニタさんと提携しての食事指導ですっかり有名になって、

チョー忙しい身でありながら、「大地を守る会でお話しできるなんて光栄です!」

と快くお引き受けいただきました。

 

先週の17日、丸の内の新丸ビル・エコッツェリアのスペースをお借りして

講演の打合せを行なった際も、年内に発行される予定の新刊

Luvtelli  Baby  Book』 の校了を終えたばかりだと、

息をはずませながら登場されたモモさん。

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(左手前は、弊社広報課・栗本遼)

 

講演の打合せというよりも、

いかに人間の体や健康と食が密接につながっているか、

最新の栄養学で分かってきたことなど、矢継ぎ早にレクチャーを受けたっていう感じ。

しかしオッサンにはもはや手遅れの感もなくはなく、途中から

「くりもとクン! よ~く聞いておくように」。

 


ちなみに 「モモ」 さんという名前は本名。

ミヒャエル・エンデの小説 『モモ』 からとったもの。

生前は大地を守る会の会員で 「とにかく食の大切さを刷り込まれた」 という

お母さんの思いが偲ばれます。

 

講演では、健康のためのバランスのとれた食事のポイント、

醗酵食をはじめとする日本食のすごさ、妊娠前に知っておきたいこと、

などなど縦横に語っていただきます。

「放射能」 なんていう無粋な言葉は出ないかもしれません。

でも、これも間違いなく 「放射能に対する適切な防護」 の答えだと思うワケです。

 

当日はタニタの方も参加され、パネルトークを行なう他、

展示や体組成計を使った健康チェックも実施すべく準備に入っています。

しかし、なんと悔しいことに、むさくるしいオヤジが司会じゃまずいよね、ヘンよヘン、

というのが 「誰もが認める客観的判断」 だそうで、

進行は若者にゆずることになります。

 

昨年度 (今年の3月3-4日) のフェスタの様子を眺めながら、

「すごく楽しみになってきました」 と喜んでくれるモモさんでした。 

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「大地を守る会のオーガニックフェスタ」 はどなたでもご来場いただけます。

講演や映画、生産者のブースに試食コーナーなど、

盛りだくさんの企画でお待ちします。

もちろん無料。

会場は例年と同じ、大田区蒲田の 「大田区産業会館 Pio」。

年が明けたら 大地を守る会の HP でも告知されますので、

どうぞお楽しみに。

 

そして連続講座でお約束した3つ目。

水産資源学の勝川俊雄さん(三重大学准教授) の

「本業の話をちゃんと聞きたい」 の件。

こちらは専門委員会 「おさかな喰楽部」 が受けてくれて、

1月12日(土)、『おさかな喰楽部の新年勉強会』 として開催します。

 

豊かなはずの日本の海。

しかしこのままでは私たちの食卓から魚が消えるかもしれない・・・

水産資源をどう回復させるか、漁業再生の道筋を勝川さんが語ります。

 

時間は、13:30~16:30。

場所は、築地市場厚生会館。

参加費無料 (非会員の方は500円)。

まだ席に多少の余裕があるようです。

お問い合わせは、おさかな喰楽部メール・アドレス

 ⇒ Osakana@daichi.or.jp  まで、お気軽にどうぞ。

 

「オーガニックフェスタ」 では

次の連続講座(第Ⅱクール) 開催の予告ができるよう、準備を進めています。

「正しい理解、適切な対策、健全な食生活」 をベースに据えて、

「人と社会の健康を取り戻す」 ために、目下講師交渉中。

正直言ってちょっと苦戦してますが、

前回より前に進んだ講座にはしてみせたいと思ってますので、

乞うご期待ということで。

 



2012年12月 4日

「備蓄米」 生産者からの手紙

 

大地を守る会 「備蓄米(大地恵穂)」 ご予約の皆様へ

 

・・・と題した手紙を、備蓄米生産者を代表して

ジェイラップ代表の伊藤俊彦さんがしたためてくれた。

しかしここに書かれた内容は、 「備蓄米」 申込者だけでなく、

福島で格闘してきた生産者の取り組みや思いとして、広く、

多くの方に伝えたいと思う。

ここに掲載させていただくことを、ご了承願います。 

 

 

"復興" から "自立" へ、感謝の心とともに歩んできました。

 

あの日(3.11)から2回目の稲刈りを終えて間もなく、

10月27日に開催しました "風土 in FOOD 自立祭" には

多数の会員の皆様に駆けつけていただき、

本当にありがとうございました。

 

おかげさまで、家族と連れだって参加した生産者たちも

心からの笑みに包まれ、心和むひと時を過ごさせていただきました。

心から感謝、感謝です。

 

昨年は、大震災と原子力災害からの "復興" を誓い合い、

今年は、本当の復興は "自立するところにある" ことを

確認し合いました。

 

稲田稲作研究会は、少しずつ自信を取り戻し、

少しずつ元気になっています。

 

 

家族・仲間を守るために、子ども目線で判定することを学びました。

 

家族や仲間を原子力災害の被害者にしないための学びと行動は、

私たちの農業にも活かされ、

家族や仲間を内部被曝から守り切る農産物を作ること、

測定によって子ども視点で安全性をジャッジすること、

などの対応策を定着させました。

 

家族や仲間のために行なってきたこの当たり前の姿勢を、

出荷する農産物にも適応させることで、

"子ども目線でジャッジした農産物の出荷" を貫き通すことができた

と確信しています。

 

逆境の中から得られた数々の知見や結果の集積は、

私たちが家族や仲間を想うところから生まれたものです。

その思いは学びと測定という科学的根拠に裏打ちされ、

皆さんにお届けする農産物も、

私たちの家族に向けた必死の思いや学びが

共有されたものであることを、何よりもお伝えしたく思います。

 

 

たゆまぬ "実践" から "希望" をつかみ、さらに前へと進みます。

 

昨年の稲作は、

学ぶこと、考えること、決断すること、行動すること、

全てが手探りの中から始まりました。

 

"対策" を思い立っても、思うだけでは何も得られない。

対策を施しても、収穫して見なければ結果は解らない。

長期戦を予感させる不安の中で、

一枚一枚の田んぼから土や稲のサンプルを採取し、

汚染の実態を見極めることから始まり、

得られた知見や仮説を片っ端から実践しました。

 

無我夢中の時を経て、得られた結果は

年間60kg食べても、安全基準(年間1mSv) の1,000分の1程度

というものでした。

弛まぬ自助努力は、今期の稲作に向けて希望の種を残しました。

 

希望の種は "やる気" に変わり、

さらに昨年を下回る結果が得られてきています。

そしていま稲作研究会では、もっと前へ!とばかりに、

来季に向け、収穫を終えたばかりの約150haの水田で、

さらなる減線作業の真っ最中です。

 

 

「今年も頑張りました」

と胸を張ってお届けできる喜びをかみしめながら、

「子どもたちの未来のために」

生産者としての責任を全うします。

 

今期も備蓄米をご予約いただきました皆様、

本当にありがとうございます。

 

皆様からの "予約" という力強いメッセージが、

私たちへの大きな励みとなり、

加えて "未来ある子どもたちの人生がかかっている" と、

生産者としての責任を強く自覚させてくれています。

 

昨年産の「大地恵穂」は、一度たりとも、

2ベクレルを超える玄米・白米はお届けしていないと認識しています。

精米を行う際に常に気を配ってきた

「品質の不公平を作らない」 という姿勢と技術が、

それを実現させる仕組みにもつながったものです

 

安全基準の1,000分の1以下という数値をどう判断されるかは

皆様に一任するしかありません。

私たちにできることは、ご購入いただいた皆様に対し、

安全で美味しいお米を "可能な限り品質の不公平を作ることなく"

粛々とお届けさせていただくのみであります。

 

皆様に励まされながら、稲作研究会は学び続け、

生産活動を止めずに自立を目指せるまでになりました。

今年収穫された「大地恵穂」は、

昨年よりもさらに高い安全性が確保されています。

猛暑の影響によって若干の白濁が見られますが、

たんぱく値からして食味は申し分ない筈です。

 

ある意味、極めてあきらめの悪い農家が作ったお米です。

それはまた、私たちが一緒に暮らす子どもたちに、

それだけ手を抜くことなく頑張ってきたんだという誇りをもって、

普通に食べさせているお米でもあります。

そんなお米を皆様にお届けできる喜びを、今かみしめています。

 

来年の秋までの一年、

「備蓄米・大地恵穂(だいちけいすい)」が

皆様の食卓の安心や幸せな笑顔を支えられることを

心より願いながら、

万全の体制で保管させていただくことを、ここにお約束いたします。

 

収穫の秋を終え、深い深い感謝の念とともに-

 

2012年11月

稲田稲作研究会会長 渡辺良勝

(株)ジェイラップ代表 伊藤俊彦

 

以上です。

読んでいただき、有り難うございました。

 



2012年11月27日

福島の海を考える(Ⅱ)

 

気がつけば、もう11月も最後の週。

車で走れば、4時半にはスモールランプを点灯させる季節になっちゃってる。

 

先週、ワタクシの席からこっそり撮った1枚。

夕日に映える富士山を拝む。

まだ勤務時間内、勝負はこれからという時間なのに、

世間は暮れ始めている・・・

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今日も一日、世は平和に暮れてゆく・・・みたいだ。

いや、誤解なきよう。

窓際に座らせられているからといって、けっしてたそがれているワケではありません。

厳しい現実とたたかう日々であります。

 

さて、気持ちを切り替えて、前回に引き続き、「福島の海を考える」。

日にちが前後してしまったが、11月14日、東大本郷キャンパスで

「フクシマと海」 と題した一般向け講演会が開かれた。

 

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実はこの講演会に先立って、国内外から90名の専門家が集まって

二日間にわたって非公開のシンポジウムが行なわれている。

それを基にしての、一般向けの発表となったものである。 

 


原発事故後の海や魚介類の汚染の推移について、

国際的な共同体制によって様々な計測調査が行われてきた。

研究者たちがチームを組んで、原発沖30km地点内に入って

海域モニタリング調査を開始したのが3月22日。

乗組員はトイレの水(海水を使う) にも不安を感じながら計測を続けた。

海洋放射能汚染では、日本は加害者の立場である。

正確な情報を伝える義務がある、という意識を持って取り組んできた。

 

そんな基調が語られ、続いて5名の研究者から、

海洋での放射線核種の推移や魚の汚染状況、

水産食品の安全性確保に関する施策の問題点、

人への健康への影響、そして報道の役割、について報告が行なわれた。

 

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カリウム40など自然放射性核種が大量に存在する海洋中で、

福島原発事故由来の核種を測定するのは、かなり難しい作業だった。

全体からするとごくわずかであり、60年代の核実験の頃からのものも残っている。

海水の濃度は急激に減少していっている(薄まっている) が、

河川からの流入や原発からの放出は今も続いている。

また多くは海流に沿って拡散していくが、

少量は海底に溜まり、それは希釈されない。

 

魚では稚魚のほうが取り込みが早いが、

エラからの排出(塩分濃度の調節により) と、排泄物と一緒に排出されることで、

セシウムが体から抜けるのは想定していた以上に早いことが分かってきている。

(排泄物は海底に溜まるか、プランクトンに移動する。)

 

マグロが回遊しながら、

日本近海からカリフォルニア沖に到達するまでの時間は1~4ヶ月。

その間の対外排出で10分の1程度に減少したと推測される。

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海水はきれいになってきているが、

なぜか一部の魚で濃度の低下速度が遅いものがあり、

また個体によって高い濃度のものが出たりしている。

原因はよく分からないが、エサに起因していると考えざるを得ない。

 

イカ・タコから放射性物質が検出されないのはなぜか?

 - 分からない。 体の仕組みによるのだろうが、今もって謎である。

 

私たちが食品から受けている自然放射能による内部被ばく量は0.98mSv。

それに対して放射性セシウム(原発事故由来) による内部被ばく量は0.014mSv。

現状ではガン発生リスクはきわめて低いと判断できるが、

追加的曝露はできるだけ避けるべきである。

(事故当初、ヨウ素の高かった所のリスクは上がるが、今それを測ることはできない。)

日本の食品基準は非常に低いレベルだと言える。

(この見解は、ここに集まった専門家たちの共通認識のようであった。)

 

日本政府のリスクコミュニケーションはうまく働かなかった。

ロンドンではリアルタイムで情報が更新されていたのに、

日本では正しく情報が出されず、安全基準が何度も変えられたことで、

政府への不信感を高めた。

国民を守ることが本義であったにもかかわらず、パニックを怖れ、

リスクを過小評価した。

逆にリスクを強調する報道の問題もあり、数値の意味が正確に伝わらず、

独立機関や研究者からの見解も出されなかった。

・・・・・・・などなど。

 

いろいろと参考にはなったが、海洋大学でのワークショップ同様、

特段に新しい情報や知見は得られなかった。

ま、今のところ言えることはここまで、まだまだ時間がかかる、

ということなのだろう。

 

驚かされたのは、以前 「日経エコロジー」 誌で対談 (※) させていただいた

松田裕之さん(横浜国大教授) が、

食品の安全・安心の確保に向けた取り組みの事例として、

大地を守る会を紹介されたことだ。

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突然、大地を守る会のHP画面が映し出されて、目が覚めた。

いや、起きてはいましたけど。。。

 

松田さんから見て、大地を守る会の基準に対する考え方は

「厳し過ぎてかえって風評被害を生み出すおそれがある」 というものだが、

それでも、福島の農産物を積極的に応援しながら、

一方で 「子どもたちへの安心野菜セット」 というのを販売している、

こういうかたちで消費者に  " 安心 "  を提供しようと努力されている団体もあると、

評価していただいた。

一瞬拍手しようかと思ったが、控えた。

松田先生、この場を借りて御礼申し上げます。

 

また今回の報告者の一人で、海洋大学のワークショップでもお話をうかがった

神田穣太さん(東京海洋大学大学院教授) によれば、

前日のクローズドのセッションで、勝川俊雄さん(三重大学) も

大地を守る会の紹介をされていたとのこと。

嬉しくなるとともに、身が引き締まる思いである。

 

ちなみに、外国の方に 「安心」 という感覚を伝えるのは難しいのだそうだ。

松田さんが苦心して用意した言葉は 「peace of mind」 。

たしかに、いま私たちが使っている 「安心」 のニュアンスは、

security とも、ease とも、rest とも、微妙に異なるような気もする。

 

さて、議論の最後は、ここでもリスクコミュニケーションの問題になった。

松田さんは以下のようにコメントされた。

 

リスクはゼロにはできない。

それに対してどうするか、を語る訓練を (国も科学者も) してこなかった。

科学者は、実証されてないことについて語る訓練もできていない。

政府は、安全を強調しようとするあまりに信用されなくなった。

リスクを正確に伝え、冷静に理解される仕組みづくりが必要で、

それには独立系科学者やNGOの役割も重要になる。

 

リスクをどう語り、理解し合い、コミュニケーションするか。

これは科学者だけの問題ではない。

流通や販売の世界は、ともすれば安全あるいは安心の競争に終始しがちである。

松田さんや勝川さんの期待に応えられるよう、

僕ももっと訓練を積み重ねなければならない。

 

(※)松田先生とのやりとりは、7月5日の日記だけでなく、

   8月8日 にも後日談を報告しています。 ご参照ください。

 



2012年11月25日

福島の海を考える

 

昨日(24日)は、

中小企業診断士の方々による流通問題の研究会に呼ばれ、講演した。

メンバーは診断士の資格を持って多様な業界に籍を置く方々で、

3連休の真ん中の夜にも拘らず、

大地を守る会の話を聞きに来てくれるのかと思うと、

人数に関係なく手は抜けない。

パワーポイントのスライドだけでなく、紙資料も用意して臨んだ。

 

与えられたテーマは、

「食品の安全・安心に向けた取り組みを通じ、今後の流通を考える」。

大地を守る会の流通事業の概要について、組織論から食に対する理念も含め、

歴史を辿りながらお話しさせていただいた。

放射能対策の取り組みについての関心も高く、

質疑では放射性物質の基準のあり方にまで及んだ。

何か一つでもお役に立つ情報が提供できたなら嬉しい。

講演後は、お誘いもあり、居酒屋で懇親会。

他人事ながら、皆さん家庭のほうは大丈夫なのでしょうか・・・

 

さて、遅れ遅れになりながら、ではあるけれど、

この日のレポートも記しておかなければ-

 

11月18日(日)、前日の 「藤本敏夫没後10年を語る」 会を終えて、

肩の荷がひとつ下りたところでボーっと過ごしたい日曜日だったのだが、

気持ちを取り直して、朝から品川にある東京海洋大学に出向き、

「福島の海と魚を知ろう」 というワークショップに参加した。

 

主催は 「東京海洋大学・江戸前ESD協議会」 。

お誘いをいただいたのは、海洋科学部准教授の川辺みどりさん。

大地を守る会の会員で、三番瀬のアオサ・プロジェクトや

専門委員会 「おさかな喰楽部」 の活動にも関わってくれている。

ちなみに 「ESD」 とは、

「Education for Sustainable Development」

- 持続的発展のための教育 - の略。 

 


 

今回の参加動機は、

福島の漁師さんたちの  " 今の声 "  が直(じか) に聞けることと、

海洋汚染の何か新しい情報が手に入らないか、という期待だったのだが、

後者に関しては未だ継続調査の段階で、

安全性について明解に語れる状況ではないと再認識させられたのみ。

例えば、マダラやアイナメといった魚種で、

相当に低い値のデータが蓄積されていく中で、突然濃度の高いサンプルが出る、

といった具合なのだ。

基準値を超えたものが一本出るだけで、出荷は制限される。

 

そんな状況下で、相馬原釜(はらがま) 地区の漁師さんたちは、

魚を獲るためではなく、瓦礫撤去や調査のために船を出す日々が今も続いている。

この日来られた方々は、「相馬漁業産直研究会」 という組織を立ち上げ、

新たな産直ルートの開拓や消費者との交流などを進めてきたところで

震災と原発事故の直撃を受けてしまった。

ホームページでの直販ページも開店休業状態である。

お店を開きながら、棚に並べる魚がない。 やり切れない話だ。

 

3.11当日の様子や被害の悲惨さが語られ(家族を亡くされた方もいる)、

何としても漁業を再建したいという思いでやっているが、

トンネルの出口が見えないのが辛い・・・・・

淡々と語る4人の漁師さんたち。 年齢は30~50代か。

脂が乗った世代だけに、この悔しさは僕らの想像を超えたものだろう。

 

漁師さんの話を聞き、放射性物質の動向をおさらいした後は、

参加者同士で問題点と方策について話し合う時間となる。 

考えたことをポストイットに書き、模造紙に貼りながら、

テーブルの意見をまとめ上げていく。

 

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最後にテーブルごとに発表し、質疑をやって、全体のまとめへと進む。

不安が拭えない原因は、やはり情報の信頼性の問題が大きい。 

そして専門家の役割へと。

基準と安全性についてのリスクコミュニケーションをどう進めればいいのか、

という迷いも見受けられた。

リスクコミュニケーションがうまくいかない理由は・・・

自分なりに回答の鍵を持っているつもりだが、まだうまく構成しきれてないことも知る、

色々と考えさせられるワークショップとなった。

 

福島と海の問題については、

11月14日に東大で開催された一般向け講演会も聴講したので、

次にその報告も重ねてみたいが、

とりあえず、今日はここまで。

 

海洋大学を後にして、午後3時半、日比谷公園を覗いてみる。

『土と平和の祭典 2012』 は、前日の雨とうって変わって、

秋晴れの清々しい天気の下で、たくさんの人出で賑わったようだ。

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日が暮れていく時間帯ということもあって、

人の流れは帰る方向に変わりつつあったけど、

それでもまだステージは充分盛り上がっている。

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あとで聞いた話では、登紀子さんのボルテージは

前夜からさらに上がっていたとのこと。

 

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大地を守る会のブースは、すでに完売。

反応は上々との事。

片づけも終わって、「お疲れ様でした!」 。

 

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二日連ちゃんで疲れ気味のスタッフもいて、ブース組はこれにて解散。 

僕も上がらせてもらう。

お登紀さんや Yae ちゃんのステージもパスしちゃって、すみません。

ま、あとは元気な若者たちにお任せで。

 



2012年10月 8日

" 希望 " は、僕らの手で創り出すしかない

 

放射線の影響に関する国や専門家たちの見解は、

ほとんどすべてが ICRP (国際放射線防護委員会) の考え方に依拠している。

自分も 3.11 まではそうだった。

しかし原発事故後の国や専門機関の対応のいい加減さに強い憤りを覚え、

改めて調べ直し、その欺瞞性を訴え始めた。

-と、北海道がんセンター院長の西尾正道さんは振り返る。

 

ゆえに、政府や政治家は言うに及ばず、

(原子力推進を前提とした) ICRP の判断を鵜呑みにしている専門家への怒りも

強くなってしまったのかもしれない。

西尾さんの舌鋒は、いつ終わるのかと不安になるほど熱の入った全面展開で、

20分ほどオーバーしてようやく終了した。

主催者としては、嬉しくもハラハラといったところ。

 

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ICRP が採用する 「しきい値なし直線(LNT) 仮説」 に基づいて、

政府は 「(実効線量で) 100mSv 以下での発ガンリスクはない」 という。

 ( ICRPの本来の解釈は、「確率的影響には境(しきい値) がない」 であって、

  「リスクはない」 という意味ではない。)

しかし実は 100mSv 以下でもガン・リスクがが増加するデータはたくさんある、

と西尾さんは指摘し、いくつかのデータを示す。

チェルノブイリ後に出されてきている様々なデータも、

低線量長期被曝のリスクを示唆している。

しかし、それらに対して ICRPはなんら反論もせず、無視し続けている。。。

 

また現在の判断基準や規制値のいい加減さに対しても、西尾さんの批判は厳しい。

事故後設定された一般公衆の被ばく限度線量(20mSv) が、

放射線業務従事者が働く管理区域基準の 3.8倍に当たるという矛盾。

あるいはチェルノブイリより4倍も高い避難基準。

 (チェルノブイリでは1~5mSvで移住する権利を保証=助成する制度になっている。)

 

聞きながらつくづく思う。

この国は、国民の健康を守ることよりも何かを優先している。

それを感じ取った人々の怒りが渦巻いている。

この怒りは、時が経てば収まるものではないだろう。

手当てが遅れれれば遅れるほど、ツケは利子のように積み重ねられてゆく。

 

「科学的に証明されてない (エビデンスがない) から安全である」

というのは、科学的立場ではない。

科学と生命倫理をつなげるのは、やはり予防原則的な考え方になるのではないか。

食品の安全基準についても、西尾さんの見解は

「 " できるだけ低く "  としか言いようがないですね」 であった。

まさに大地を守る会が追求している姿勢である。 

 

後半の質疑応答では、

切り詰められた時間のなかで、できるだけ最大公約数的な疑問解消に努めたけど、

質問用紙の多さに正直たじろいだ。

自己採点は63点、といったところか。

 

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6回の講座を経て、まだまだ消費者の不安は解消できていない。

難しいのは、放射線によって健康への影響が発現するには時間がかかることと、

それによって因果関係が証明不能になっていくことだ。

例えば、60年代生まれの方から、ご自身の病気や周囲にガンが増えていることについて、

「核実験の影響ではないか」 という質問が寄せられたが、

西尾先生の答えは、

「影響はあるかもしれないが、それが理由だとは言えない」 である。

60年代といえば、各地で 「公害」 問題が顕在化した時代であり、

農業では  " 近代化 "  という美名のもとで農薬が多投入されていく時代であり、

この頃から食品添加物の使用量も一気に増えてゆく。

イニシエーター(発がん因子) は放射線だけではないことを忘れてはいけない、

と西尾さんは強調された。

『複合汚染』 とストレスが増大する時代にあって、

病気の原因を突きとめることは不可能に近い。 というか、一つではないだろうし、

しかも複雑に絡み合って進んでいる、と考えておいた方がよいように思う。

 

6回シリーズを終えて得た一つの答え。

 - 僕らに求められているのは総合的な対策である。

まとめでは、次の展開をお約束するしかなかった。

 

質疑応答の最後に投げた質問。

「希望はどこにあるのでしょう?」

西尾先生の答え - 「希望は、、、ないね。」

 

ここで西尾さんは政治への絶望を語ったのだが、

それで僕らも一緒に絶望するわけにはいかないのであって、

であるなら、" 希望 "  は、自分たちの手で創り出さなければならない。

 

放射能というとても厄介なものと向かい合わなければならない時代。

この困難を乗り切るために、全力を尽くしたい。

乗り切るとは、子どもたちに、様々なツケではなく、胸を張って渡せる社会を築くことだ。

第5回の肥田舜太郎氏の言葉を借りて、とりあえず締めたい。

" 自分の命を大切にして、それぞれの人生を生き抜きましょう "

 

必ず、次のステージをお約束します。

 

講演後、「飛行機の時間までまだ少しあるから」 と、

西尾さんは会場玄関の一角で参加者からの質問に気さくに対応いただいた。

重ねて感謝申し上げたい。 

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<追記>

西尾正道氏が関わっている 「市民のためのがん治療の会」、

および 「市民と科学者の内部被曝問題研究会」 の活動については、

ホームページをご参照ください。

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2012年10月 7日

低線量内部被曝を考える -放射能連続講座・最終回

 

6月から開始した 「大地を守る会の放射能連続講座」 も

昨日で最終回を終えることができた。

安堵して気が抜けたような感じと、いくつかの反省点、

そして残された課題に対する焦りのような思いで、複雑な状態の日曜日だ。

 

昨日の話は、なかなか厳しかった。

講師は独立行政法人 国立病院機構・北海道がんセンター院長の西尾正道さん。

放射線治療の最前線で臨床ひと筋、

日本で最も多くのガン患者さんの治療にあたった医師の一人と言われる。

しかも 「市民のためのがん治療の会」 の協力医として

市民サイドに立った医療活動も実践され、また

低線量内部被ばくの問題にも真摯に向き合ってこられた貴重な現役医師。

少々無礼な依頼の仕方で、しかも安い講演料にもかかわらず、

この大地を守る会の講座のためだけに、札幌から日帰りで上京していただいた。 

深く感謝する次第である。

 

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西尾先生は語る。

 

放射線に関する研究の歴史はまだ100年ちょっとしかない。

人類が生物としてさほども進化しない間に、科学技術だけがどんどん発達して、

生命倫理や哲学が置き去りにされてきた。

 

学生時代からマルクスや吉本隆明などを読み漁り、

" 社会における医学とは " という問題意識を持って生きてきた。

やっとこさ医者になってからは、徹底してガン医療の臨床現場に身を置いてきた。

ガラスバッヂをつけて、最も放射線を浴びた医者だと任じている。

死生観や医学行政がおろそかにされてきた国で、

医者の前半20年はやたら切りたがる外科医とのたたかい、

後半20年は抗がん剤を投与したがる内科医とのたたかい、

言わば  " 医療ムラ "  とのたたかいだった。

 

今の放射線の知識はすべてICRP (国際放射線防護委員会) の理論に準拠している。

3.11後、国や専門機関がちゃんと動いてくれるものと思っていたら、

まったく機能しなかったことに強い憤りを覚え、自力で調べ語り始めた。

 

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気合の入ったイントロから始まり、

放射線の基礎部分の解説、内部被ばくの仕組み、ガンとはどういう病気か、

放射線による人体への影響について、

そして現在の 「定説」 の問題点へと、話は展開されていく。

 

講演内容は大地を守る会のHPでアップしているので、

ぜひご視聴いただきたい。

 ⇒ http://www.daichi-m.co.jp/cp/renzokukouza/ 

 

西尾先生からは、

「ネットで記録を残すとなると、" ここだけの話 "  ができないんだよね」

と言われてしまった。 

たしかに、、、せっかくこのために来たんだから本音トークをやりたい

という気持ちは、主催者にとってはとても有り難いことであるし、

会場まで足を運んだからこそ聞ける、と思ってもらうことが

実は演者の本望でもある。

たまに講演に呼ばれることがある自分の経験から鑑みても、

自分のお喋りがそのまま公開されるとなると、やはり慎重に言葉を選ばざるを得なくなる。

ちょっとした言葉の選択ミスが批判の的になるのがネット社会だから、

どうしても原稿を読むような話になってしまうのは避けられない。

肥田舜太郎さんのように気合いで語る方だと、

スタッフの方が慎重になることも充分に理解できることだ。

たくさんの人に伝えたいと、今回は動画アップを前提に企画を組んだのだが、

それはそれで限界があることをご理解願いたいところであり、

アップを了解いただいた講師の方々には本当に感謝しなければならない。

第3回の早野龍五さんの 「本邦初公開の数字」 なんていうのも、

この連続講座を評価してくれたからこその冒険だったのかもしれない、と

改めて思ったりするのである。

アンケートでも、「西尾先生の本音トークをぜひ」 という声が複数寄せられた。

講師陣に恵まれた連続講座を組めたことを、とりあえず喜びとしたい。

 

自分の思いを挿入してしまったですね。 すみません。

明日に続けます。

 



2012年9月27日

国境を越える情熱を

 

昨年11月、ベトナムで農村の自立支援活動を行なっているNPO団体

Seed to Table」(代表:伊能まゆさん) に招かれ、

ベトナム北部の農村を訪ねたことは昨年 3回(2011.11.12 ~15) にわたって報告したが、

その伊能まゆさんが、内閣府国家戦略室が主催する

世界で活躍し 『日本』 を発信する日本人プロジェクト

に選出されたとの一報が入った。

海外で、様々な分野で活躍するアーティストや研究者、技術者、料理人、

アスリート、地域開発に取り組むNPOの代表など、

" 「国境を越えた情熱」 をもって頑張る日本人 "  63人の一人として選ばれたのである。

なかには、なでしこの沢穂希さんやプロゴルファーの石川遼くんの名前などがある。

 

伊能さん、おめでとうございます。

これは現地の人たちに評価されなかったら得られない栄誉でしょう。

まさに孤軍奮闘で頑張ってきた汗が、みんなに伝わっていたということです。

「これからNPOを立ち上げる」 と言って、

幕張の事務所を訪ねてこられて3年、いや4年か?

ベトナムへの思いを熱く語っておられたのを思い出します。

ほんのちょっとしかお手伝いできてないけど、こちらまで誇らしい気分になります。

これからもっと大変になるような気もしますが (ますます足抜けできないか)、

体に気をつけて、できれば楽しく、現地の人たちを励ましながら、頑張ってください。

発表されていたのに気づかず、失礼しました。

 

僕も感慨に耽っている場合ではない。

昨日は、ジャパン・タイムズという英字新聞の取材を受けた。

 


昨年も大地を守る会を取材された方だが、

その後の放射能対策の推移と消費動向などについて聞きに来られた。

そこでこれまでの様々な取り組みを説明したのだけど、

最後に、今までにない視点からの質問を受けた。

日本で暮らす外国人の間では、

未だに福島県産の農産物は拒否されているというのだ。

もうほとんどの農産物から放射性物質は検出されなくなっているというデータを示しても、

「信じられない」 という反応が返ってくるのだとか。

そもそも彼らは日本の政府を信用してない、と。

「どうしたらいいと思われますか?」

 

この問いには一瞬戸惑ったが、結局のところ、

日本の姿そのものが信用されてないということなのではないか、と答えざるを得なかった。

外国人とどうコミュニケーションするかの前に、

僕ら(日本人) 自身が、一体感を持って復興に向かう形をつくれていない。

政治は絶望的なくらいに健全じゃないし。。。

 

僕らとしては、「食の安全」 確保のために、

生産者とともにできる限りの手を打って前に進むしかない。

そう思ってやってきた一年だった。

国に文句言うだけでなく、やるべきことを見せてやるくらいの気持ちで。

この流れを支援してくれる消費者を増やしてこそ、確信を持って語ることができる。

「信頼される社会」 をそれぞれの立場から提案し、

嘘や詭弁や骨抜きや先送りなどの政治的打算ではない議論をたたかい、

築き直してゆくことが、

この国に留まってくれた人々の信頼を取り戻す作業にもなるのではないだろうか。

 

思いを受け止めてくれたのか、今日記者さんから

「福島で頑張っている生産者の声を聞きたい」 との連絡をいただいた。

それも電話取材ではなく、現地に行ってくれるという。

福島は今は収穫の真っ最中だ。

迷惑なことだろうとジェイラップの伊藤俊彦さんに電話すれば、

「エビちゃんが受けろと言うなら対応しないわけにいかないしょ」 と笑ってくれる。

 

東北各地で様々にたたかっている人がいて、

彼らこそがこの国を再建する希望でもあることを、伝えてもらえたら嬉しい。

 

国際社会で評価される日本人たちは、いま僕らをどんなまなざしで見ているのだろう。

日本に住む外国人からも信頼され、賛辞が発信される国にしたい。

外交とは吠えることではない。

日々の営みから、境界線を超えてゆきたい。

 



2012年9月18日

肥田舜太郎の " 生きる力 " -連続講座・第5回(Ⅱ)

 

『大地を守る会の放射能連続講座』 第5回。

肥田舜太郎医師との質疑応答の録音を改めて聴いて、

ヒロシマを医者として経験したことから生まれた強い使命感が、

この方を生きさせたのだと、強く感じた。

ピックアップして記しておきたい。

僕の解釈で要約したりしているので、ポイントがずれている可能性もある。

文責は、あくまでも戎谷であることをお断りしてきたい。

 

コーディネーターは吉度日央里(よしど・ひおり) さん。

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【質問】

子どもに被ばくの影響が出ないか心配している。

今の段階で子どもに出るとしたら、どんな症状があるのか。

【肥田】

広島・長崎では、原爆の力があまりに強大だったために、多くは死んだ。

遠くにいた人や後から爆心地に入った人の間で内部被ばくの影響は出たが、

大人への対応が精一杯で、子どもを対象にした組織的な調査ができなかった。

しかも子どもの健康への影響は放射線だけでなく、その後の生活状態も関係する。

したがって小児科の医学的知見として明解な答えはない。

 

福島でも医療相談などにあたってきた経験も含めて言えることは、

直後から1ヶ月の間でよく見られた症状は、下痢・鼻血・口内炎。

これらは今はだいたい治まってきていると思う。

これらは (放射線影響による) 急性症状のごく軽い症状として出るものではあるが、

これが子どもに定型的に現われるという知見はまとまってないし、

特に子どもの場合は、他の要因も考えられるので、

その子のその症状が放射線の影響であると断定することは難しい。

 

放射線による影響は千差万別で、〇〇病とか決まって出るものではない。

学童期に成績が悪くなる、というデータもアメリカにはあって、

頭脳の発育に何らかの悪影響があることも考えられる。

 

心配だと思う方は、どんな軽い症状でも医者に相談し、医者の目を通して記録すること。

専門の小児科医に診てもらい、日常の変化を記録していくことが、

子どもの健康を守る上で大切なことであり、将来につながる。

 


【質問】

血小板数値が下がって血が止まりにくくなったという人がいるが、放射線の影響か。

【肥田】

その現象は (広島でも) たくさんの大人に発生した。

放射線影響の特徴の一つだが、

医者としてそれがすべて 「放射線の影響だ」 と断定することはできない。

 

【質問】

(放射線に対する) 感受性が高いとか低いとか、免疫力が強いとか弱いとか言われるが、

どう考えればいいのか。

【肥田】

同じ条件下でも、ある人は長生きし、ある人はすぐに死んでしまう、

という例をたくさん見てきた。

放射線による被害というのは、そこにいた人の健康状態と、放射線の質と量の兼ね合いで、

一人一人違ってくる。

 

【質問】

先生ご自身が被ばくしながらも、とても健康で元気でおられる。 その秘訣は?

食事はどんなものを?

【肥田】

親が丈夫な体に産んでくれた、ということがあるかもしれない。 長命の家系だったし。

被ばく影響でいうと、何回か死にそうになったが、

いい助言をしてくれた人(医者?奥様?・・・不明) がそばにいたことも幸いした。

しかし何より、僕の仕事は 「被ばく者を長生きさせることだ」 と思ってやってきた。

それができれば勝利だと、自分に強く言いきかせて生きてきた。

自分は誰かのために生きなければならない、

ニッポンの医者として世界から笑われないようにしなければならない、

という使命感で生きてきた。

それが今の結果につながったのではないかと思う。

 

食事はほとんど和食。 肉はたまに食べる。 魚では、サンマやイワシは大好き。

平凡な家庭料理です。

 

【質問】

米では放射性物質はヌカ部分に溜まると聞いた。 ぬか床は作らない方がいいか?

【肥田】

私は気にしないで食べている。 ぬか漬けは大好き。

醗酵するものは特によい。

ジイさんしか食べなくなったようなものは、だいたい体にイイものです。

(戎谷の感想・・・玄米でも検出されてない米を選べばよいのでは。)

 

【質問】

日本食ではないが、醗酵食品であるヨーグルトなどは?

【肥田】

よいと思う。 チェルノブイリでも薦められたものである。

 

【質問】

水やミネラルウォーターは大丈夫か?

【肥田】

今は問題ないと思っている。 むしろ(放射線よりも) 化学的な処理のほうが問題だ。

 

【質問】

親族に、背中の皮膚がエクボのようにへこんだ人がいるが、放射線の影響か?

【肥田】

見てないので分からない。

皮膚にもいろんな症状が出るが、ひどくなるものは少ない。

皮膚病は、放射線の影響であろうが別な原因であろうが、甘く見ると慢性になる。

皮膚の病気は本人の暮らし方が大きく影響する。

途中で治療をやめる人が多いが、バカにしないできちっと治すこと。

長引かせると、一生もんになる。

 

【質問】

3歳半の息子。 よく外で遊んでいたが、咳き込むようになり、一時北海道に移った。

そこで回復したので戻ってきたら、また咳き込み始めた。どうすればいいか。

【肥田】

うまい方法はない。

離れてみるのはひとつの方法だが、「ねばならない」 とは思わない。

経済的な負担もあるし、それによって生活が不便することも、よくない。

(戎谷の感想・・・最初の質問に対する答えに尽きるような気がします。)

 

【質問】

職場で色々と苦しんでいるが、先生はどうやって自分の気持ちを支えてこられたのか。

【肥田】

放射線とたたかう、という一心で生きてきた。

よく、自然放射線と比較して 「同じ」 という人がいるが、

自然放射線と人工放射線はけっして同じではない。 惑わされないこと。

 

【質問】

「核」 は何のためにあるのでしょうか?

【肥田】

「核」 を持って何らいいことはない。

「核の抑止力」 という論があるが、大きな間違い。

こちらも持てば相手も持つ。 両方が研究すればするほど、新しいものがつくられ、

核が増えていく。

それによってウランの採掘から始まり、あらゆる行程で被ばくが生まれる。

" 持っている "  ことで人を殺しているのが、「核」 である。

全部、止めましょう。

 

肥田さんの主張や論は、科学的視点からは、ときに乱暴に聞こえるものがある。

危険性を煽っていると批判する科学者もいることだろう。

しかし、「どこに逃げたって同じ」 と言われながら、

僕らは肥田さんの言葉から  " 勇気 "  をもらうのである。

安心させようとして 「大丈夫」 と言われて不安になるのとは逆に。

リスク・コミュニケーションとは、テクニックではないのだ。

 

肥田さんは、「大丈夫、大丈夫」 と言って批判されたある医師を、

政治的な立場や判断によるものだと指弾された。

その背景には巨大な権力構造があり、奥で控えているのはアメリカであるとも言った。

発言の腹の底には、戦後の調査によるデータや資料が日本側には秘され、

患者を救うために使われることなく、つまり見殺しにされたまま、

自国の核兵器開発のために利用されていったことへの

絶対的反発があるように思えた。

政治的判断で語る医者への嫌悪も、その文脈で理解したい。

 

「僕は殺されても被ばく者の立場に立って追求していきたい」

という執念とも言える使命感が、肥田舜太郎の全身を貫いている。

それだけたくさんの命を背負って、生きてきたのだ。

僕らが肥田さんから勇気を与えられるのは、そこに倫理の筋が通っているからだと思う。

多少乱暴な言質はむしろ、我々を冷静な判断へと指向させてくれる。

 

講演終了後も、海外メディアからの取材を受け、

また 「どうしてもお聞きしたいことが・・」 といって残られた方からの質問に答え、

握手だけでもという要望にも笑顔で応える肥田舜太郎、95歳。

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生きる力をもらった、という感想をいただいたことに、

今回の目的が何であったのかを、我ながら気づかされたのだった。

 

最後に、無事自宅まで送り届けたことを報告しておきたい。

 ↓ 証拠写真。 

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左は、送迎の助っ人を引き受けてくれた業務部長・奥田健司。

 

連続講座の流れ的には、違和感を持たれた方も多かったけど、

これは必要な一歩だった。 

僕としては、よかったでしょ、と言いたい気持ち。

 

なお、農林水産省に勤める中田哲也さんが参加されていて、

ご自身が運営されているブログ・サイト (フード・マイレージ資料室)

でもレポートしてくれたので、紹介しておきたい

 ⇒ http://foodmileage1.blog.fc2.com/blog-entry-116.html

こういうつながりは大事にしたいと思う。

有り難うございました。

 

次回は10月6日(土)、最終回。

テーマはまさに 「低線量内部被ばくを考える」。

このリスクを厳しく見ながらも、放射線治療の最前線でたたかう

北海道がんセンター院長の西尾正道氏をお迎えします。

場所は、水道橋・YMCAアジア青少年センター 。

9階の国際ホールを予約していたところ、定員を大幅に超える申し込みが来て、

急きょ、もうひと回り大きい地下の 「Yホール」 に借り換えた次第です。

そのホールが空いていたこと自体が超ラッキー! で、

この講座には運があるのかも・・・

 

最終回で、予算も尽きたので、コーディネーターはお招きせず、

戎谷が最後まで進行させていただきます。

どうかご了承ください。

 

《 9月21日・追記 》

肥田舜太郎さんのスタッフの方から、

大地を守る会HPでの動画アップの許可をいただきました。 感謝します。

中継を見れなかった、もう一度聞いてみたい、友達にも聞かせたい、などなど、

ご要望に応えてアップです。

こちらをどうぞ ⇒ http://www.daichi-m.co.jp/cp/renzokukouza/

 



2012年9月16日

自分を大切に生きよ!-連続講座・第5回

 

『大地を守る会の 放射能連続講座』 をやるからには、この人を入れたい。

この人が入ることで一本の骨が通る、と思っていた。

この人の体験、人生、そして願いを、腹の底に記憶させて、

" 3.11後 "  を生きるんだ。

それによって歴史ともつながることができる。

 

昨日開催した 「連続講座」 第5回の講師は、

肥田舜太郎医師、御年95歳。

肥田さんを支えるスタッフと相談しつつ、ここは自分で行こうと決めて、

埼玉県にある自宅まで車でお迎えに上がり、

会場である日比谷図書文化館までお連れした。

こんなに慎重に首都高速を走ったのは初めてだ。 安全運転はけっこう疲れる。

 

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歴史の証言者、肥田舜太郎。

20代に軍医として広島陸軍病院に赴任。

8月6日は、爆心地から6キロ北にある村の農家の子供の診療に出たお陰で、

原爆の直撃を免れた。

しかしすぐにかけ戻って、自らも被ばくしながら、

ワケの分からない症状の患者さんたちを治療しては、看取り続けた。

その体験を、肥田さんは生々しく伝えるのだった。

時に哀しいジョークも交えながら。

 

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治療を続けるうちに肥田さんは、

ピカ (原爆) に遭っていないのに、被ばくした人と同じ症状が出て死んでいったり、

とにかく体がだるくて仕事ができないとか、

不思議な症状を訴える人々と相対することになる。

彼は後者の症状を 「原爆ぶらぶら病」 と名づけた。

それらの原因を突き止めるのに30年。

「内部被ばく」 と「晩発性障害」 という厄介な世界にたどり着いたのだった。

昨年は、5年越しの作業のすえ、

 『人間と環境への低レベル放射能の脅威』(あけび書房刊) という

低線量内部被ばくをテーマにした画期的な翻訳本も出版された。

 

肥田さんの経験譚は、とても再現できない。

腹に受け止めて、前に進むしかない。

 

フクシマ後をどう受け止めればいいのか、肥田さんは言う。

 - どこへ逃げたって同じ。 厳密に言えば、日本にはもう安全な場所はない。

    何を食べても同じ。 みんな被ばくしているんです。

 

僕としては、それはちょっと暴論では、、、とは思う。

被ばくはしていても、同じではない。

事実を知り、対策を学び、冷静に選択し、たたかうことで、

その後の生き方も結果も違ってくると思っている。

ここでの肥田さんの本意は、うろたえるな! ということか。

 

『 肥田舜太郎医師による、3.11 以降を生きるための7箇条 』

というのがある。

1.内部被ばくは避けられないと腹を決める

2.生まれ持った免疫力を保つ努力をする

3.いちばん大事なのは早寝早起き

4.毎日 3 回、規則正しく食事をする

5.腸から栄養が吸収されるよう、よく噛んで食べる

6.身体に悪いと言われている事はやらない

7.あなたの命は世界でたったひとつの大事な命

  自分を大切にして生きる

   (『311以降を生きるためのハンドブック』/発行:アップリンク より)

 

今の僕にはなかなか厳しい7箇条である。

社長の命令を 「身体に悪いですから」 と断ってみたい誘惑にはかられるけど・・・

せめて、肥田先生のような胆力を身につけたいと思う。

 

肥田さんの結論。

自分こそが自分の命の主人公。

親からもらった免疫の力を守り、健康に生きるよう、必死に努力すること。

人間は放射線を安全に操作することはできない。

原発も核兵器もなくして、「安全な地球」 を孫たちに残すこと、

そのために頑張り抜きましょう。

 

終了後のアンケートに、「椅子を用意すべきだ」 という意見があった。

たしかに90分立ちっ放しはきつかったかもしれない。

でも実は、肥田さんにきっぱりと断られたことを、釈明しておきたい。

 

さすがに質疑応答の時間は、座っていただけた。

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左はコーディネーターをお願いした

オーガニック・ジャーナリストの吉度日央里(よしど・ひおり) さん。 

たくさんの質問がペーパーで寄せられたが、

落ち着いててきぱきとさばいて頂いた。 

 

質疑の再現は、改めて録音を聞いてから、間違いのないようにお伝えしたい。

スミマセン、今日はここまで。

 

<お詫び>

なお、講演は USTREAM で中継しましたが、

ネットでのアーカイブ公開はスタッフの方から 「お断りしている」 とのことで、

アップできません。

悪しからず、ご了承ください。

 



2012年9月 8日

しつこく、食の安全基準とは-

 

今週もいろいろあって、2本はアップするつもりだったのだが、書けず。

しょうがないのでまとめて報告としたい。

 

9月4日(火)、PARC (パルク/アジア太平洋資料センター) が主催する

「自由学校」 に呼ばれる。

「どうする日本の食と農」 という講座の第6回、

「消費者と生産者をつなぐ現場の模索と苦闘」 というタイトルをつけてもらって、

3.11以降の放射能対策の取り組みから、食品の基準の問題、

これからの方向について考えていることなど、お話しさせていただいた。

 

この講座。 僕の前に福島の生産者が二人、講師を務めている。

一人は浅見彰宏さん(喜多方市山都町 「あいづ耕人会たべらんしょ」) 。

もう一人は、二本松市 「ゆうきの里東和」 の菅野正寿さん

彼らのあとというのは少々やりにくい。

講座のレベルを下げてなければよろしいのですが・・・

 

その夜は受講者や出版社・コモンズの大江さんたちと一杯。

懐かしい方にもお一人再会して (昔、配達していた自然食レストランの方) 、

楽しい時間を過ごさせていただく。

 

翌5日(水) は、

自分で印刷・帳合いした資料を300部担いで、朝から千葉に出向き、

「千葉県の食べもの・飲みもの、給食の安全性 放射能は大丈夫?」

という長いタイトルのシンポジウムにパネリストとして参加する。

コーディネーターは、オーガニック・ジャーナリストの吉度日央里さんと

歌手の加藤登紀子さん。

パネリストには 「さんぶ野菜ネットワーク」代表の富谷亜喜博さんのお顔もあった。

 

このふたつの機会で、僕が強調させていただいたことは、

食品の安全基準 (規制値) とは何のためにあるのか、

という点において日本の行政は根本的な過ちを犯しているのではないか、

ということ。

 


前にも書いたことだけど、

食品の基準とは、「食べる人を守る」 ためにある。

これは揺るぎない大原則である。

しかしこの国のやり方は、ともすると産業を守るために機能させようとしていないか。

農産物で言えば、生産者・メーカーの経営を守ろうとして

「これ以上厳しくすると生産者がやっていけない」 と言わんばかりに

最初の基準が設定された感がある。

このような目線だったとしたら、そこから公正な行政は生まれない。

 

消費者は 「食べる」 という命がけの行動をもって、

選択した生産物と生産方法、ひいてはその生産者を支援することになるわけだが、

汚染を負担する(身体で引き受ける) ことはできるものではない。

しっかりと 「食べる人 (特に感受性の強い子ども) を守る」 ための基準を設定して、

基準への信頼を確保し、生産者もそれを指標として生産に取り組むことで、

生産と消費の信頼関係は担保されることになる。

「基準を超えるものは流通させない。 生産者にはきっちりと補償して対策を支援する」

と宣言し、指導を徹底する必要があったのだが、

どうも見ている方向が違っていたとしか思えない。

その後は、ボタンのかけ違いのように進み、国民は国の基準を信用しなくなった。

「これくらい食べても大丈夫」 と識者が語る一方で、

「基準は厳しくしてもらわないと、俺たちまで信用されなくなる。

 かえって風評被害を生むことになるんじゃないか」 と

危機感を募らせた生産者が多くいたことを、中央の人たちは誰も気づかなかった。

 

国の基準は 「最低限の安全保障」 として、一定の信頼が確保されなければならない。

公的基準が信用されない社会は不幸としか言いようがなくなる。

また、その基準をより高めていくために民間の努力が存在するワケだけど、

この国の行政は、どうもそういう民間を排除しようとする。

 

食べる人を守るために基準を設定し、厳しく運用する。

そのために生産者を支援する - というのが本来の理屈でなければならない。

したがって、基準が守られていることを保証するための体制は、

流通段階での測定よりも、(モノの流れの)上流でのモニタリング体制が重要となる。

生産地でしっかりモニタリングして、不安のあるものは出荷しない、

というモラルを持って取り組まれることが、生産への信頼を向上させる。

それをサポートするのが行政の役割である。

その意味において、2台の測定器を生産地に無償で貸し出していることを、

僕はけっこう誇りに思っているのである。

 

振り返れば農政は、だいたい 「農林水産業」界のために動いてきた。

結果はほとんど失敗の連続だったように思われるが、

問題の根源は、政策の大元が

「国民の健康を守るために、農林水産業をどう健全に保つか」

という道筋になってないからじゃないかと思う。

自分たちの健康を維持するための施策なら、消費者は 「支払う」 用意がある。

アルバート・ハワード卿(英国) の60年以上も前の言葉、

「国民が健康であること、これは平凡な業績ではない」 (『ハワードの有機農業』)

は、今もって未達の教訓である。

 

「基準」 によって生産と消費が対立してしまった不幸を、まずは修復する。

次に、測定によって 「基準が守られている」 ことを担保する。

そして生産者の取る対策をサポートする。 ゼッタイに切り捨てない。

その上で、汚染と不安の元凶を取り除くために、

" ともに "  支えあい、たたかう連帯感を産み出したい。

 

千葉でのシンポジウムでは7人のパネリストがいて、

トップバッターで指名されて、つい早口で喋ってしまった。 

少しでも真意が伝わったなら嬉しいのだが。。。

 

シンポジウムのあとは、関係者と連れ立って、

近くの自然食レストランで昼食を共にする。

ここでお登紀ぶし炸裂。

「私たちはみんな、食といのちのもとである  " 農 "  とつながらなきゃいけないの。

 " 農 "  とつながって、生きることの意味を見つめ直すなかで、

 本モノの社会を変える力が培われてゆくのよ。 革命を起こしましょう!」

ちょっと記憶が怪しいが、そんな感じで、みんなの感動が伝わってくる。

「登紀子さ~ん、千葉県知事になってください!」

という声が飛び出して、さすがの加藤登紀子も面食らう。

「いや、あの・・・そういう人生設計は立ててないので・・・」

と笑って取り繕うしかない。

 

さて、5日はその足で中野まで移動。

駅でジェイラップの伊藤俊彦さんと落ち合い、

環境エネルギー政策研究所(ISEP) にて、

稲田での自然エネルギー構想についての作戦会議。

脱原発社会への次なるステージを用意する、そのための準備を急ごう。

 

6日(木) は、今度はこちらの放射能連続講座の打ち合わせで、

吉度さんとミーティングを実施。

7日(金) は、この間の土や水の測定結果を持って茨城に。

今のところ不安なデータは示されてないが、油断せず、

継続して水系などの調査を進めることを確認した。

 

" 生産と消費のつながりを取り戻す " なんて簡単に言ってるけど、

これは容易なことではないし、しかも一つの施策で片づかない。

いろんな課題がつながっていて、

僕らは否応なく大きな社会システムを作り直す作業に向かっている。

やっぱこれは  " 革命 "  という言葉こそ相応しい。

 



2012年8月23日

「海の汚染を考える」(Ⅱ) ...自己責任の前に

 

放射能問題の厄介さは、

「安全」 の明確な線引きができない (しきい値がない) ことだ。

数年・数十年先の、因果関係が証明できない

(科学者が言うところの 「エビデンスがない」) リスクで論争が行なわれている。

結局のところ、私たちが日々迫られる食物の選択においては、

自分で判断する 「物差し」(基準) を持つしかない。

しんどいね。

 

たとえば僕の場合でいえば 「大地を守る会の基準」 ということになるが、

本音を言えば、モノの測定 「値」 ではなく、

自分と同じ物差しを持ってくれている 「人」 である。 

「彼がつくったものなら食べる」 が、僕の判断基準になっている。

とはいえ、そう言ってええ格好できる裏には、

「しかも、今の汚染水準はこのレベルだから」

という個人的な  " 安心の基準 "  も実は漠としながらも持っていて、

だから言えてるワケよね。

 

しかしこの個人的な安心基準は、人に強制できない。

「食べて大丈夫?」 と聞かれて、「僕なら食べる」 としか言えない。

組織としての公式回答も

「測定結果はND(検出限界値未満) です。 判断はご自身でお願いします」

となる。

勝川さんも講演の中で、何度か 「大丈夫」 というセリフを口にするし、

質疑では 「自分の子どもにも魚を食べさせてます」 と明言するのだが、

「あくまでも自分の意見として・・」 という注釈も慎重に入れ込みながら語るのである。

 

しかしやはり、「本当に食べて大丈夫なのか?」 との問いは絶えない。

後半のやり取りで、コーディネーターの佐々木俊尚さんは、

そこから切り出した。

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「 勝川さんのお話しには、科学者としての誠実さを感じました。

 本当に大丈夫か? の疑問に明解な答えは出せないのでしょう。

 しかし、どっちか言って下さいよ、という思いも本音としてある。

 これは、どうやって自分のスタンスを見つけるか、どういうふうに食と生活に向き合うか、

 それぞれの立ち位置が問われているということなんだと、私は理解しました。」

 

否応なく自己責任の時代となってしまったということか。。。

リテラシー (知識や知性・判断力) が求められるワケだ。

しかし、とは言え、この混乱には国の責任もあるだろう。

 


そこで佐々木さんは、こう突っ込んでゆく。

「 国への不信感が一気に募ってしまった原因はどこにあるのか。

 たとえば水産庁は最初に 「海の魚には蓄積しない」 かのように伝えた。

 しかしコウナゴから高濃度の数値が検出された。 

 分からずに書いたのか? 」

 

勝川さんの解説はこう。

いや、分かっていたはずである。 

分かっていたが、不安を煽らないようにという配慮から

まるで魚は大丈夫かのように読める書き方をして、

結果的に裏目に出たということである。

最初に素直に理解した人は、「残る」 となって驚き、怒ったことだろう。

最初から分かっていることを全部出しておけばよかった。

今は情報を絞って世論をコントロールできる時代ではない。

出せる情報は全部出して、

モニタリングを強化して 「国民の健康を守る」 という姿勢を伝えるべきだった。

 

佐々木さんの質問が続く。

「 どこで獲れた魚か、どこを回遊してきたのか、そういうトレサビリティは可能なのか?」

<勝川>

どこで獲れたのかを追うことは、技術的に可能である。

欧米ではすでにやっている。 漁船にはGPSがついていて追跡できている。

ただし回遊の経路を正確に追うことはできない。

アメリカの西海岸でクロマグロからセシウムが検出されて、

「そんなに早く動いていたのか」 と関係者が驚いたほどである。

 

<佐々木>

海流の説明は説得力があったが、魚はそれを越えてきている、ということはないのか?

<勝川>

海流で傾向はだいたい分かる。 銚子沖から南の魚は低いというデータになっている。

しかし、「混ざりにくい」 が、「混ざらない」 ことを保証するものではない。

( 講演の中で、マダラは南北に回遊するので濃度の高いものが北で揚がることがある、

 という話もあった。)

 

<佐々木>

水産物流通でトレサビリティが進んだり、 ⅠT 化への可能性は?

<勝川>

なかなか難しい。 産地でセリで買われた後はいろんなルートで流れる。

ⅠDタグなどでトレースする仕組みがあれば、ある程度不安は解消されるだろうが、

中間流通の企業戦略が透明化を阻んでいる。

トレサビリティによってメリットがある、ということが見えてこないと進まないだろう。

 

<佐々木>

第三者的機関が必要というのは理解できるが、

日本の現状では体制 Vs 反体制の図式になっていて、

「すべて安全」 か 「すべて危険」 になりがち。

その間に真実があると思うのだが、誰が担えばよいと思うか?

(大地を守る会のような団体がやるべきなんだろうが・・・と)

<勝川>

いろんなスタンスの科学者がいていいのだが、

とにかくちゃんと議論してたたかってほしい。

カナダでは、両者が喧々囂々とやり合っているのを見たことがある。

日本では両方がただ言いっ放し。

議論することで、その論のプロセスが見えてくる。

 

独立した財源で科学者が活動できるような社会がほしい。

国が信用できないとなった場合の、自分たちの側の科学者が少ない。

まるで国選弁護人しかいない裁判制度のようなものだ。

 

<佐々木>

養殖モノはどうなのか?

<勝川>

養殖にも二種類ある。

特にエサを与えずに種をつけて育つものは大丈夫だと思っている。

海藻などは意外と生え変わりが早く、今は検査しても出ないと思う。

エサをやる養殖では、エサの影響が心配なので検査を続けるしかない。

(幸か不幸か) 日本はエサの自給率も低く、南米などから魚粉が入ってきている。

それらは (こと放射能に関しては) 大丈夫だろう。

漁師たちも真剣で、リスクが大きいので相当気を使っている。

 

実はノルウェーでは、いつ何をやったのかという

エサの履歴がちゃんと分かる仕組みになっている。

トレサビリティ は消費者だけでなく、生産者も守る、のである。

 

<佐々木>

自治体による検査体制の信頼性の差はあるのか?

<勝川>

しっかりした検査体制を持っている自治体は少ない。

多くは外部の検査機関に出していて、その意味では結果への信用度は同じだと思う。

問題はサンプルの選び方である。

たとえば宮城では、最初は岩手よりのほうばかり測っていた。

そっちのほうが漁業が盛んで、復興のスピードも速かったということがあるが、

「福島よりの魚の測定を避けている」 ように見えてしまった。

本当は汚染の全貌を知ることが大事だったのだが、

水産業界のために測っていたということだ。

誰のための、何のための調査なのか、によって信頼性は変わってくる。

 

レポートが長くなってしまったが、

ここで勝川さんが講演で語った 「見えてきた問題点」 について触れておきたい。 

 

ひとつは調査体制の見直しが必要、ということ。

いま行政や業界で食品を測っては公開しているが、

携わっているのは  " (測定値が) 高く出てほしくない "  人たちである。

そこでサンプルの選び方などへの不信感が残ったりする。

検査プロセスには透明性が必要だ。

消費者あるいは第三者的立場の人も巻き込んだ調査体制がほしい。

 

サイエンスがからむ時には科学者の判断が鍵になるが、

その科学者が信頼を失ってしまった。

仮に妥当な決定をしても支持されない、とても不幸な事態になっている。

これからは説明プロセスとコミュニケーションが大事である。

ただ 「医者の言うことを信じなさい」 と処方箋を渡す昔の医者ではなく、

きちんと説明して、なおかつセカンドオピニオンを認める

今の医者のスタイルに専門家も変わっていかなければならない。

 

政府や官僚が専門家の意見を聞いて意思決定したものについて、

妥当性を判断する 〔科学者+国民〕 の機能が求められる。

海外では、その役割を環境NGOが担ってきている。

欧米の環境NGOでは、専門家を多数雇う力を持っている団体もある。

権力に屈しない、独立した科学的判断ができる機関が必要だ。

 

たとえば日本では、グリーンピースの海洋調査の申し出を拒否したが、

むしろ活用すべきではなかったか。

政治的意図を持って調査されるのではないかと危惧するなら、

政府関係者が調査に同行して、同じサンプルを国も検査すればよかったのだ。

批判的な団体を排除せず、逆に利用することによって

信頼は高まるのではないかと思う。

 

・・・・・ どうでしょう。

いろんな問題点が見えてきたことかと思います。

合わせて戎谷が勝川氏を呼んだ意図も透けて見えてきたような・・・

 

最後にもう一回、勝川氏の本業の話を。

 



2012年8月22日

連続講座・第4回-「海の汚染を考える」

 

海と原発、漁業の衰退と地方の疲弊、食の構造変化と食文化の見直し・・・

それらがまだ頭の中を巡っていて、

気の晴れない状態が続いているのだけど、

連続講座・第4回の報告は終わらせておきたい。

 

8月18日(土)、

大地を守る会の放射能連続講座・第4回 - 「海の汚染を考える」。

漁業の資源管理を専門とする勝川俊雄さんも、

放射能に対する知識は、3.11まではゼロに等しかった、と吐露する。

ちゃんと調べなければ、と思ったのは、

もちろん専門分野との関連もあるだろうが、

「自分の子どもに魚を食べさせてもいいのか」 という自問からだった。

 

しかし海洋汚染の実態を知るには、幅広い知識が必要とされる。

放射能に対する知識から、海流による影響について、

あるいは魚の生体機能との関係について、などなど。

しかもまだ海や魚は未解明の部分が多く、

人々の関心は高いものの、圧倒的に情報が不足していた。

そこで専門家同士のネットワークを活用しながら情報を集め、

ブログやツイッターで情報発信を始めたところ、

予想を超える反響があり、あちこちから声がかかるようになった。

 

講演は、核分裂と放射能についての基礎知識から始まり、

海の汚染についての話へと進んでゆく。

 

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海洋開発機構(JAMSTEC) の試算によれば、

海に直接流れた放射性セシウムの総量は、4200~5600 テラ(兆) ベクレル。

大気中から雨などによって運ばれた量は1200~1500 テラベクレル。

しかしフランスの研究機関の試算ではその5倍という指摘があり、

東電の試算では逆に 6分の1 となっている。

 

海の調査が難しいのは、常に動いているから。

もう一つの経路である川から流れてくる量はまだ分かってなく、

沿岸流も予測不可能で、陸地のような正確な汚染マップが作れないのである。

したがって長期的なモニタリングが必要になる。

 

海洋汚染のメカニズムとしては、

海底に沈降したものは、局所的だが長期化する。

移流・拡散していったものは、範囲は広がるが影響は小さく短期的となる。

福島原発の立地場所は、親潮と黒潮が交差し太平洋に流れていく出口にあたる。

したがって黒潮にぶつかって東に流れ、拡散した。

お陰で今では、関東以南ではほとんど検出されない。

これが九州の原発だったら、

太平洋沿岸の九州から関東まで広く汚染されたかもしれない。

 

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さて、海に放出された放射性物質は生物にどう取り込まれてゆくか。

生物濃縮はするのか?

これらはまだ分からないことだらけなのである。 

水産庁は当初、「海の魚には蓄積されない」 とHPで発表した。

しかしその直後に高濃度のコウナゴが発見された。

今は、「海中濃度の5-100倍」 と修正されている。

( ⇒ http://www.jfa.maff.go.jp/j/kakou/Q_A/index.html のQ5 参照)

 

水銀や農薬の濃縮係数は数万倍というケタになるが、

放射性物質はそれに比べれば意外と高くない。

( だから大丈夫という意味ではなく、リスクは放射能だけではないという、

 相対的比較として理解してほしい。 重金属や農薬の問題も忘れてほしくない。)

 

県別・生息地別にデータを見ると、

福島県中心に高く、また淡水魚の方が高い値で検出されている。

海のごく表層や表層の生物(コウナゴやプランクトンなど) 、

海藻類、無脊椎生物(イカ・タコ・エビ・カニ・貝類など) は全般的に低く、

今はもうリスクは少なくなっていると考えてよいだろう。

中層・低層の魚(スズキ・ヒラメなど) は地域によって高めに出ているものがある。

 

よく 「〇〇〇 の 〇〇〇 は大丈夫か?」 と聞かれるが、

これは自分で調べて判断していただくしかない。

水産庁のHPから 「放射性物質の調査結果」 をダウンロードして、

エクセルファイルを開いて、フィルターを使って指定して検索する。

これによって大まかな傾向が分かる。

( ⇒ http://www.jfa.maff.go.jp/j/sigen/housyaseibussitutyousakekka/index.html )

 

国が事故直後に発表した食品の暫定規制値は、批判が多かった。

しかし汚染が未知数の状況で、線引きは極めて難しかったと思う。

基準値が高いと内部被ばくのリスクは高まり、低いと供給が困難になってしまう。

4月からの新基準値では、食品による内部被ばく量を

年間1mSv (ミリシーベルト) 未満に抑えるという考えに沿っているが、

この基準値ギリギリの食品を一年間食べ続けたとしても、

1mSv には達しないという設定になっている。

しかも現在はさらに減ってきている、という事実は押えておいてほしい。

 

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「魚は食べていいの?」 - これは自分で決めるしかない。

公的基準は最低限の安全保証として必要なものである。

その上で安全マージンをどこまで取るかは、個人の選択になる。

それは多様な判断があってもいい。

大事なことは、いろんな人の意見を聞くことだと思う。

そしてその人の意見の、結論よりプロセスを理解して判断したい。

自分(勝川氏) の意見も、耳半分で聞いてもらえれば有り難い。

 

総量をどう規制するかについて言うと、

年間 1mSv に相当するベクレル数は、セシウム134 と 137 が 1:1 と仮定して、

大人=60606 Bq、子ども=88106 Bq、乳児=42553 Bq である。

1日1ベクレル摂取し続けたとして、年間 365Bq となる。

 

例えば、ICRP (国際放射線防護委員会) の国際基準を厳しく批判する

ECRR (欧州放射線リスク委員会) は、0.1mSv/年のレベルを主張しているが、

これは大人=6061 Bq という数字に相当する。

参考にしてほしい。

 

また 「被ばく量」 は = 「濃度 × 摂食量」 で見る必要がある。

50 Bq/㎏ のものを 100g 食べれば、5 Bq の摂取となる。

同じ濃度(50 Bq/㎏ ) の銀杏を食べたとしたら、それはごくわずかな量である。

濃度だけ見ないで、米など日常的に多く食べるものに注意することが必要だ。

(以下、続く)

 



2012年8月 8日

『日経エコロジー』 対談、その後

 

雑誌 『日経エコロジー』 で対談した松田裕之先生(横浜国立大学教授)

からメールが届いた。

ご自身のブログ で対談の記事をアップするにあたって

事前に確認を求められたことと、

僕の報告 ( 7月5日付日記 ) もチェックしていただいたようで、

それに対する感想も頂戴した。

 

食品における放射性物質の基準については、

松田先生と僕の主張は明らかに異なるので、反論なのかと思って一瞬ビビったが、

なんと 「違いが明確になって、とてもよい」 とのコメントである。

こういうふうに受け止めてくれると、嬉しくなる。

 

その上で、以下の指摘を頂いたので紹介しておきたい。

先の日記で書いた 「食品流通の現場にいる者と公的基準のあり方を論ずる立場の違い」

が鮮明に出ていると思うので。

 

  内部被ばく量を 「十分」 低くするという点には異論ありません。

  「できるだけ低く」 する必要があるかどうかは、今回はそうは思わない

  (カリウム40より既に桁違いに低い) ということです。

 

  原発に反対するのは、事故前からの持論です。

  それと 「今すぐ」(それも再稼働だけ) 止めろというのは別のことです。

 

  自主基準で低い線量の商品を売る自由も買う自由ももちろんあるでしょう。

  それと政府が定める基準は別のことです。

 

  これらの点で意見が合うことはないかもしれませんが、

  実際に被災地農家を支援される商品を売り続けている大地を守る会の皆さんに、

  敬意を表します。

 


さらに、僕の以下の記述に対して注文が入った。

「決定的な違いは公共政策のあり方を考える人と、

 生産と消費をつなぐ流通現場にいる者との違い、なんだよね。

 僕からの要望。

 『国は、国の基準の適切さを必死で訴えてもらいたい。

 その上で、ゼッタイに基準を超えるものは市場に出さないことを担保してほしい。

 とにかく公共基準を誰も信用しない社会は、不幸である。』 」

 

松田先生の指摘。

  前半は肝に銘じさせていただきます。

  後半ですが、「ゼッタイ」 はありません。

  全頭検査の発想ということならば、それは無理でしょう。

 

ま、これはご指摘の通りです。

本意は、国民に対して 「強い決意表明」 を込めたメッセージを届ける必要がある、

ということを言いたかったワケですが、強調し過ぎました。

 

  科学万能論を批判しながら、一方で完璧を求めるというのは、深い矛盾です。

  もちろん十分な体制をとるべきであることは論を待ちません。

 

  捕鯨論争は、国内では2002年のWWFジャパンの対話宣言で、ほぼ決着しています。

  日本政府は信用できないとしても、環境団体も管理の場にまじえて

  沿岸捕鯨を再開することに、反捕鯨派も異論はないでしょう。

  同じような 「信用の回復」 ができればよいのですが、

  福島の放射線はしばらく時間がかかるでしょう。

  しかし、ダイオキシンのように、タブーにはしたくないですね。

 

松田先生、ご意見有り難うございました。

立場や考え方の違いはいかんともし難いところがありますが、

国の基準は 「このレベルに沿って守られている」 という

最低限の合意は必要である、ということでは議論は成り立っていると思っています。

そうでないと、この世はパニックだらけになります。

(昨年の原発事故では、そうなってしまった、という認識です。)

大地を守る会は、その上で  " より安全な食と社会 "  を築くべく、

実践的に活動を行なっていきたいと思います。

その際には国の政策や基準を批判することもありますが、

同時に 「批判するだけでなく提案を」 という私たちの行動原理も

けっして忘れないで進めていく所存です。

 

今はウクライナとのこと。

お体に気をつけて、お過ごしくださいますよう。

 

※ 対談が収録された 『日経エコロジー』 9月号は、現在発売中です。

 



2012年7月28日

連続講座第3回 -測定を市民の手に(Ⅲ)

 

連続講座・第3回の後半1時間は、

コーディネーター・津田大介さんの進行で質問をさばいてもらった。

たくさんの質問がペーパーで上がってきたが、

そこはさすが津田さんである。

内容を読み、仕分けし、

パソコンに入ってくるツイッターからの質問や意見もチェックしながら、

テンポよく早野さんに投げていく。

 

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ベクレル(Bq) からシーベルト(Sv) への変換には様々な意見があって、

リスクを小さく見せようとしているのではないか。

- 放射線によるリスクを考える際、人によって様々な流儀があって、

  シーベルトは使わないという学者もいる。

  誰でも一致する目安としては、誰の体にもカリウム40という核種が1㎏あたり

  50~60Bqくらい存在していて、それより多いかどうかで見ればよいのではないかと、

  自分は考えている。

 

1Bq=1秒(余命が短縮される) という平均化に意味があるのか。

- たしかに、ガンになった人には 「1秒」 という数字は意味がない。

  安全性については 「しきい値はない」 というのが定説であるが、

  1ベクレル以下の水準までリスクを考えることが適切とは思えない。

  ビートルズ世代が受けた内部被ばくの線量を示した際に、

  日本人にガンが増えたのは放射能のせいだと理解されたことがあった。

  しかし実際に、放射能によってガンになったと特定することは不可能であって、

  たくさんの人の死亡年齢と被ばく線量から平均化させたらこうなったという、

  あくまでもリスク度を考える際の一つのモノサシとして紹介したものである。

 


食事の丸ごと検査では薄まってしまって、原因が突き止められないのでは。

- 1Bq くらいのレベルでは由来の特定は不可能だろう。

  当初はもっと高いレベルを想定していて、学校給食なら

  食材が一定期間保存されるので追跡できると考えた。 

  積算してどれくらい食べたかのリスクを判断する材料にはなる。

 

5日間丸ごとより、一日ごとのほうが特定しやすいのでは。

- 測定費用が5倍かかる、という現実的な問題が大きい。

  微量な数値で残っているとすれば、まとめて測る方が出やすい。

 

魚が不安だが。

- 魚は難しい問題だ。 淡水魚や底魚は出やすいとかのデータは出ているが、

  まだまだ継続的な測定が必要である。

  福島で漁業が再開され始めているが、測って結果を公表して出荷することで

  判断材料は得られる。

  詳しくは次回、勝川先生に聞いてください。

 

チェルノブイリと福島の違いはどこからくるのか。

- 流通と食生活の多様性が大きい。

  生産者も実はスーパーなどでいろいろ買って食べている。

  チェルノブイリでは地域の生産物への依存度が高かった。

  また日本では牛乳や牛肉から出るとすぐに餌まで替えるなど、

  生産現場の対応も早かった。

 

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結局は、大地を守る会以外のものも大丈夫ということか。

- データからはどれもかなり低いレベルになっている、とは言える。

  ただし油断は禁物。 引き続きたくさんの、いろんな食材を測り続けてほしい。

  その結果をちゃんと確かめられるところが大地を守る会のメリットではないか。

 

産地偽装がコワい。

- 偽装があったとしても、

  (こと放射能に関しては) そんなに高いものが出回ることはないと思う。 

 

今も放射能は放出されているのでは。

- 原発由来で濃度が上がっているというデータは、今のところない。

  ただし降下物が風で舞うということはあるので気をつけたい。

 

子どものほうがセシウムの排出が早い、ということだが。

- 留まらないからリスクが低い、というワケではない。

  食べた分量が同じなら、子どものほうが Sv は高くなる。

 

生活習慣で気をつけた方がいいことは何か。

- それは専門外。 ただ被災地でメタボや糖尿病が増えている、と言われている。

  リスクは放射能だけではない。

  適度に屋外で運動するとかも大事なことではないか。

  (食生活のバランスが壊れていることも原因の一つではないか、と思う。)

  

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活性酸素が悪さをする、ということで水素水が良いと聞いたが。

- 分かりません。 ガンの原因は活性酸素だけではない。

 

生産地の信頼回復にはどれくらいの時間がかかるのだろうか。

- 相当な時間がかかるとしか言えない。 正しく測って、数値を出し続けることだ。

 

身近で安く測定できる体制をつくるには。

- 今は米の全袋検査など消費量の多いものから測定できる体制に進んでいる。

  メーカーも努力しているので、市民レベルでも測定できる

  低価格のものがつくられてくるだろうが、精度的には限界がある。

 

話を聞いて少し安心したが、

それでもネガティブな情報を耳にするとドキドキしてしまう。

- ネガティブな情報を流したがるマスコミに問題がある。

  良いニュースをもっと報道してほしい。

 

この1年で早野さんが一番学んだことは。

- 還暦になっても人生は変えられる、ということかな。

  学び合いながら成長できる環境をつくっていきましょう。

 

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「これでほぼ、頂いた質問にはお応えできたでしょうか」 - スゴイ!

早野さん、津田さん、有り難うございました。

 

以上3回にわたってのレポートは、僕のメモと記憶に基づいた整理なので、

文責はすべてエビスダニであることを付記しておきたい。

詳細をお知りになりたい方は、アーカイブで。

http://www.daichi-m.co.jp/cp/renzokukouza/

 

それにしても、 「~は大丈夫か」 的な質問が多いのは、仕方のないことなのだろうか。 

・〇〇区では給食の検査をやってないが、大丈夫か?

・外食を避けてきたが、そこまで心配しなくてよいか?

・ホームセンターの土や肥料は大丈夫か?

・家庭菜園を続けても大丈夫か?

・お茶は? 水は? ・・・

 

早野さんの答えは、「要は (自身の) 納得の問題である」。

心配なら測るしかない、あるいは測定結果を公開するところを選ぶ。

そして結果を見て判断する。

学校や自治体に測定を求める。 あるいはカンパを集めて測ってみる。

3カ月に1回でもいい。 そういう行動をもって安心をつかんでいくしかない。

 

(大地を守る会の) 福島のトマトや米は、本当に大丈夫か? 

という質問は、僕が答えるしかない。

「 大丈夫、というセリフは、公的な場では出せません。

  ND(検出限界値以下) である、という事実をお伝えするしかないです。」

 

こと放射能に関しては、(あなたにとって) 「大丈夫」 とか 「安心」 の判断は、

専門家とてできるものではない。

そういう答えばかりを求められると、

「大丈夫、大丈夫、笑って暮らしなさい」 と言ってバッシングを受けた

お医者さんの気持ちが、少しばかり分かってきたりするのだった。

 

一緒に強くなりましょう。

 

津田さんがツイッターからの声を拾った中に、こんなのがあった。

「早野なんかを呼んで、もう大地の野菜は食べない。」

僕からの答え。

「6回シリーズのラインナップから、意図を読み取ってもらうしかないです。」

私たちがいま獲得しなければならないのは、

できるだけ冷静な判断力であり、ロバスト(強靭) な精神力であり、

柔軟なバランス感覚ではないだろうか、というのが今回の企画意図です。

立場や見解の違いでもって排除することは簡単だけど、

その知見を正確に理解した上で、「判断」 したい。

右でもなく、左でもなく、僕は前に進みたいのです。

できれば皆さんと一緒に。

 

少なくとも、自腹を切ってまで

学校や保育園の給食を検査してきた早野さんを、

僕は偉いと思っています。

 

連続講座・第3回のレポート、これにて終わり。

 



2012年7月26日

連続講座第3回 -測定を市民の手に(Ⅱ)

 

早野さんが心配して、私費を投入してまで取り組んだ

食品による内部被ばくの実相の解明。 

いろんなデータから見えてきたことは、

「食品由来の内部被ばくのリスクは、当初想定していたよりは、かなり低い」

ということだった。 

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南相馬でのWBC(ホールボディカウンター) 検査結果は、

フクシマとチェルノブイリでは内部被ばくの時間的変化が異なることを示している。

チェルノブイリでは影響が長く続いたが、

南相馬では、わりと短期間のうちに急激に低下した。

「南相馬の方々は注意して食べている」

「福島県民は今、ほとんどセシウムを食べていない」

と早野さんは評価する。

 


ただし油断は禁物である。

実態をちゃんと把握して、精神的不安を少なくし、現実に対応していくためにも、

検査・測定は継続させる必要がある。

たとえば目の前に 2000Bq/body という人が現われたときに、

それが下がりつつある途中なのか、上昇傾向にあるのか、あるいは変わらないのか、

どのシナリオによるのかを掴まなければならない。

下がってきているのなら、このまま続けよう。

上がっているなら、あるいは横ばいなら、汚染源を突き止めなければならない。

とにかく、1回では分からない。

測定を継続することによって実相が見えてくる。

 

尿検査も有効である。

ただしセシウムが体内を回る速さは年齢によって違う。

子どもは早く排出される。

(5歳児の生物学的半減期は30日と言われている。)

したがって食事の影響を正確に突き止めるには、親子で測るほうがよい。

 

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現在、リスクが高いと思われるもののひとつは、未検査の農産物。

検査対象に乗っからない自家保有米(縁故米) や家庭菜園などだ。

できれば一度測っておくことを、早野さんは勧める。

また主食として摂取量の多い米は、基準値未満でも比較的高い濃度のものが

出回っている可能性がある。

産地が分かる、測定結果が分かるところから入手した方が無難ではある。

 

また食品で検出されてないといっても、土が汚染されてないワケではない。

イノシシの肉からは高い値が検出されている。

「イノシシと同じような食生活をしてはいけません。」

 

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実は原発事故以前でも、私たちはセシウムを摂取していた。

このことは、知っておいたほうがいい。

1960年代の核実験による影響で、その頃の日本人は1日平均 4Bq (年間1500Bq)

程度の内部被ばくを受けていた。 これは陰膳検査によるデータである。

3.11の直前では、0.1Bq程度だが、ゼロではなかった。

 

それら過去のデータから、福井県立大学の岡先生という方が、

内部被ばく量と余命短縮時間との関連を計算している。

 1Bq(ベクレル)=1秒 

あくまでも統計上の平均値で、リスクを考える参考程度のものだと、

早野さんは慎重に補足するのだが、

こういう数値はインパクトが強く、誤解を招きやすい。

みんなが等しく寿命が縮まるものではなくて、

子どものうちに影響が現われる子もいれば、天寿を全うする大人もいる、

そんななかで私たちはすべて個々のケースを生きているワケだから、

こういう時の平均値とはマジックのようなものだ。

まあ雑学程度に留めておこう。

しかし、どうやって計算したんだろう・・・

 

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さて、大地を守る会がモニターを募って実施した陰膳検査

『放射能測定 おうちごはん』 についても、

早野さんはチェックしてくれていて、以下のようなコメントとなった。

 

  結果はすべてND。 ほぼ予想通りである。

  残念だったのは、福島産の食材を食べている人のデータがなかったこと。

  ぜひ 「福島&北関東の農家がんばろうセット」 を毎週食べている人の

  サンプルが欲しかった。

  食材データを見ると、九州のものが多く、外国産が続いている、という傾向。

  産地に気を使っていることが見てとれる。

   (モニターに手を上げる人たちなので、特にそうなったものと思われる。

    ちなみにモニターは大地を守る会の会員とは限らない。)

 

  日本人は、特に都会の人は、実にいろんなものを食べている。

  その地域のものを毎日食べている、という人はほとんどいない。

  それがチェルノブイリのデータと違ってくる要因でもある。

  これは不幸中の幸いかも。

 

内部被ばくのリスクは、当初思っていたより低い。

そういうデータがそろいつつある。

普通の消費者が、どんどん内部被ばくしているという状況ではない。

しかし油断は禁物である。

WBCや食品検査は継続してやらなければならない。

(大地を守る会の陰膳検査も、継続データが欲しい。)

 

食品による内部被ばくが意外と低い結果が出てきている要因には、

様々な幸運があった。

牛乳や牛肉の汚染に対して取った規制は一定の効果があったし、

土の力にも救われている。

そして何より、生産者が実によく勉強し、努力されていたことである。

引き続き、頑張りましょう。

 

第2部の津田大介さんとのセッションは、次に。

続く。

 



2012年7月24日

連続講座第3回 -測定を市民の手に(Ⅰ)

 

『大地を守る会の 放射能連続講座

 ~ 食品と放射能:毎日の安心のために ~ 』 第3回

7月21日(土) 13:30~16:00,

千代田区立日比谷図書文化館 「コンベンションホール」 にて開催。

今回のテーマは、

「測定を市民のために ~陰膳法から学ぶ~」

講師は、東京大学大学院教授・早野龍五さん。

ナビゲーターは、ジャーナリストの津田大介さん。

ツイッター界(?) では名の知れた大物二人を招いての贅沢な講座となった。

(いやホント、この6回シリーズはかなりゼイタクだと自分でも思っている。)

 

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           (今回の写真はすべて、(株)大地を守る会・企画編集チーム 高橋玲子撮影)

 

お二人は、とても素晴らしいテンポで、しかも分かりやすく、進めてくれた。

まずは早野さんの講演から-

 


早野さんはまず、昨年3.11以前の自分がどうだったかを明かした上で、

3.11後の変化を語り始める。

原発事故に関する最初のツィートは、3月12日14時22分。

放射能の検出から  " 何かが起きている "  ことを暗示した。

以後、発表された事実やデータを解析しながら、状況を伝え続ける。

それまで2500人くらいだったフォロワーが15万人に膨れ上がった。

 

ちょうど一年前の今くらいに、これは何とかしなければ

と思ったのが内部被ばくの問題だった。

そして文科省に 「陰膳法」 と呼ばれる給食丸ごと検査を提言したのが9月。

南相馬市にも提案したが、費用は自分が持つからと説得して、

ようやく今年の1月から実施できるようになった。

(この辺の経過は、朝日新聞で連載されている 「プロメテウスの罠」 でも紹介された。)

 

また南相馬市や平田村の病院から相談を受け、

ホールボディカウンター(WBC) を使っての住民の健康調査にも

協力するようになった。

 

こういった経過を、年表に表しながら話を進める。

昨年10月21日のニコニコ生放送で早野・津田・戎谷が出会ったこと、

そして最後の行が今年7月21日-「津田・戎谷との再会」 と、

年表に記されているところが、ニクイ。

 

早野さんは、参加者に 〇 X カードを配り、クイズをはさみながら

基本的な知識や今の状況を確認していく。

・今も私たちは (ウラニウム等による) アルファ線からの内部被ばくを受けている ⇒ 〇

 自然界や建築物等からも放射線は飛んできている。

 ウラニウムはアルファ線を出して崩壊しラドンに変わる。

 ラドンは肺に入り、肺ガンのリスクをもたらす。

 米国環境保護局(EPA) は、それにより年間2万人以上が肺ガンで死んでいる、

 と見積もっている。

・外部被ばくも内部被ばくもリスクは同じ ⇒ 〇

 外部も内部も、体を傷つける最後のプロセスは同じである。

 Sv (シーベルト) という単位は、両者を同じ土俵で比べられるように作られたものだが、

 設定された計算方法には異論もあり、この単位は使わないという学者もいる。

・現在でも水や食品にヨウ素131が含まれている危険性はあるか ⇒ ×

 今では食品からヨウ素131が検出されることはなくなっている。

・ホールボディカウンターと食品検査の原理は同じである ⇒ 〇

・・・・・といった具合に解説つきで進められる。

 

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昨年9月に文科省に給食検査を提言した際には、

文科省からは 「やりたくない」 と言われたそうだ。 出たらどうするんだ? と。

行政の思考回路をよく表わしているエピソードだ。

結果的に今年の4月から文科省予算で実施されるようになったが、

文科省管轄でない保育園には助成されない。

しょうがないから保育園ぶんは、寄付を募りながら今も自費で測っている。

ちなみにその費用は、1件1万5千円。

一週間(5日=5食) 分の給食を丸ごとミキサーにかけて測定する。

 

給食丸ごと検査は、ゲルマニウム半導体検出器でやるべき、

と早野さんは主張した。

そこでゲルマと NaI シンチレーション型検出器の精度の違い

についての解説が入る。

 

さて、ここで1Bq(ベクレル) という測定結果が出たとする。

では同じ検体をもう一回測ったら、同じ結果になるか ⇒ ×

放射線の放出は一定ではない。 これが放射線測定の厄介なところである。

測定して出てくるスペクトルの形は毎回変わる。

したがって測定には時間がかかる。

 

給食丸ごと検査の問題点は、結果が食べた後に出てくる、ということ。

この方法がはたして市民に受け入れられるだろうか、

早野さんは心配してネットでアンケートを実施した。

2日で7千件の回答が寄せられ、

90%が 「後からでも事実を知りたい」 という声だった。

この声が、文科省への進言へと早野さんの背中を押したのだった。

 

疲れたので続く。。。

 



2012年7月13日

ただしい食事こそ・・・ 後半戦

 

7月7日に開催した 「放射能連続講座」 第2回の後半レポート。

 

白石さんの講演の後、

コーディネーター・鈴木菜央さんの進行によるワークショップが展開された。 

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「 まずは周りの方々で4人一組になって、

 それぞれのグループで白石さんへの質問を考えてください。」

 

そんなにすぐに会話に入れるのか、少々心配していたのだが、

まったくの杞憂だったみたい。

どんどん会話が弾みだすのだった。 

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質問を紙に書いてもらって、休憩に入る。

30枚ほどの質問票が届けられ、15分の休憩タイムの間に

鈴木さんと白石さんと我々で仕分けしながら、チョイスする。 

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この作業、けっこう焦る。

ある程度の傾向を読み取りながら整理し、

それをもとに鈴木さんの司会で質疑応答となる。 

 

Q.外食する際に被ばくを少なくするための注意点があれば-

A. お店の食材のルートが分からなければチェックしようがない。

   お店の考え方や姿勢が信頼できるところを選ぶしかないのかも・・・

Q.茹で汁や煮汁を捨てた場合、 結局環境を汚染することになると思うが-

A.良心の呵責はあるが、自分の身を守ることを優先するなら、そうするしかない。

   除染に使った水なども、今はそのまま流れてしまっているのが現状。

   国の責任だが、この対策は厳しい。

Q.京都大学の小出先生が 「調理などでは減らない」 と言われたのを聞いたが-

A.いろんな分野の方が書いたり話されたりしているが、

   自身の専門分野以外のことでは あまり軽々しくコメントしない方がよい。

   食品栄養学の立場からこの研究をやってきた者として、

   「やれば効果がある。 その方法はある」 とは言っておきたい。

Q.玄米や海草など効果あるものは溜まりやすいものでもある、

   とのことだが、ではその効果とリスクをどう考えて選択すればいいのか?

A.要は程度の問題。 測定結果を見て安心できるレベルであれば

   その食品のプラス効果を期待できる。

   その意味で(選択材料としての) 表示が重要である。

   表示があれば、自分の被ばく量を計算しながら選択できる。

 

などなど・・・・

放射能という問題は、明解な回答が出せない。 悩みのようなものが多い。

より詳細を聴きたい方は、ぜひ USTREAM のアーカイブで。

http://www.daichi-m.co.jp/cp/renzokukouza/ 

 

白石さんの主張は、

1960年代から最近まで続けられていたという全都道府県での陰膳法の復活と、

全品検査体制の構築、である。

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白石さんが提唱する陰膳法については、

いまそれを説いて回っている早野さんを呼んで、次回きちんとやりたい。

また水産物や海の問題についての質問は、第4回に。

内部被ばくの問題をもっと詳しく、という要望には、第5回と第6回で。

ということでお許しを願う。

 

また白石さんが強調したことで、

アンケートには、全品検査をすぐにやってほしい、という声が多数寄せられた。

これは実は、すぐにやれることではない、ということが伝えられなかった。

 

白石さんの説明を正確に聞き取ると、

「米、水、牛乳、、、という形で、重要なものや必要なものから

 順々に全品検査をやれる体制を早く作るべきだ。」

つまり、すべてこれから、なのである。

 

全品検査ということは、出荷する段階で、あるいは入荷した段階で、

全てをベルトコンベア式に機械を通過させて短時間で測る形になるが、

それを可能にする機械が、ようやく開発されてきた段階である。

民間団体でそう簡単に配備できるものでもなく、

またどの程度の測定精度でやれるかの検証も必要である。

今の機械での 「検出限界値」 未満のレベルまで気にされる方々には、

その不安を取り除けるものには、おそらくならないと思われる。

そもそもそれだって、何でも測れるわけではない。

いま実用化されつつあるのは、

30㎏の紙袋での保管が規格化されている米だけである。

ただこれによって、基準を超えるものの 「すり抜け」 防止効果はある。

問題は、その基準が納得できるかどうか、だね。

 

質問コーナーの後はもう一度、

「みんなで今日学んだことを話し合って、シェアしてください。」

 

 

白石さんも輪に入ってくれる。

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なんか、いい感じだ。 

 

最後に数名の方に話し合ったことを発表してもらったが、

参加者同士で不安をシェアすることはできても、

決定的な  " 安心 "  にはまだつながっていかない感じである。

難しい・・・・・

 

白石さんが最後に強調する。

国がどうと言うことは言えたとしても、食に関しては、

最後の責任は自分である。 選ぶことができない子どもに対する責任は、親にある。

重たい言葉だった。

 

ワークショップは、他の方と悩みを話したり聞いたりできてとても良かった、

という声を多く頂いた半面、

慣れない人や面倒な人には不評も買ってしまったようだ。

すべての人を満足させることはできないのだろうが、

一人でも多くの人の期待を吸収できるよう、いろいろと試行していきたいと思う。

 

次回は、7月21日。

ツイッター界の大物二人、早野龍吾さん Vs.津田大介さん、です。

テーマは、「測定を市民の手に」。

まさにうまくつながったように思う。

乞う、ご期待。

 



2012年7月 8日

ただしい食事こそ最大の防護

 

来週は行かなくちゃ・・・と言いながら、

結局仕事が終わらず、6日(金)の首相官邸前も行かずじまい。

7時半頃、大学時代の仲間からのコールがケータイに入る。

「久しぶりに会えるかと思って電話したのに・・・」

帰りに東京駅あたりで一杯やろうか、というお誘いである。

残念。

6日のデモの数は、主催者発表15万人。 前週より5万人減った。

逆に警察発表は2万1千人。 4千人増えている。

不思議だ。。。

 

で、昨日は 「大地を守る会の 放射能連続講座」 第2回。 

『ただしい食事こそ最大の防護』 と題して、

元放射線医学総合研究所 緊急被ばく医療研究センター・内部被ばく評価室長、

白石久二雄さんの講演。

 

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運営責任者となると、なかなか講演に集中できない。

ここは白石さんが用意してくれたペーパーをもとに、

ポイントと思われる点を抽出しておきたい。

 

まずは3.11前の、つまり原発事故以前のデータを押えておきたい。

日本人は一人当たり平均、年間 3.75mSv(ミリシーベルト) の被ばくを受けている

(正確には、「受けていた」)。

大きいのが医療被ばくで2.25mSv。 次いで自然放射線からの被ばくが1.48。

他にフォールアウト(降下物) による被ばくや航空機利用によるもの、

職業被ばくなどがあるが、上記の二つでほぼ100%(3.73mSv) である。

 

自然放射線からの被ばく(1.48mSv) は、外部被ばくと内部被ばくの総計であり、

ここで問題とする食事による内部被ばく(経口摂取量) は 0.41mSv である。

これをベクレル(Bq) に換算し直すと、135Bq になる。

その内訳はカリウム-40が半分を占めていて、以下、炭素-14、トリチウム、

ルビジウム、ポロニウム、鉛・・・と続く。

人工放射性核種で 0.1Bq を超えるものはなかった。

 

これに事故後、人工放射性核種による内部被ばくが追加されたことになる。

(比較して語る人がいるが、ここは足し算で考えなければならない。)

それはできるだけ避けるべきものである。

どうしても避けられない場合は、" できるだけ "  影響を低減化させたい。

最近の日常食調査を見ると、実際に口にする放射性セシウムは、

被災地周辺で1日あたり1桁のベクレル数 (食材により一部の人は2桁) であり、

1960年代の核実験に伴うフォールアウトの多かった時と同等レベルである。

ただし調査件数はまだ少ない。 調査数と頻度を高める必要がある。

 

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内部被ばくには、呼吸と食事による経口摂取がある。

呼吸については、高レベルの付近に近づかない (できるだけ遠ざかる)、

マスクをするなどで体内への取り込みを防止する。

食物摂取に関しては、栄養学と放射線防護学に基づく基本原則から、

以下の5項目を心がけることが大切である。

 

1.可能な限り放射性物質の含有量の低いものを摂取する。

2.調理、食品加工法により食事中の放射性物質を減らす。

3.生体内での放射性物質の吸収と蓄積を制限する。

4.生体内から放射性物質の排泄を促進する。

5.被ばくに対する生体の抵抗力(免疫力)を強化する。

 

そこで、家庭での除去法、洗浄や料理方法の工夫、となる。

水洗い、皮をむく、浸す・茹でる・煮る、塩や酢の利用、

表面積を広くする(細かく切る)、

前処理なしでの油いためや天ぷらは避ける(中に閉じ込めてしまう)、など。

これらによって10~80%の除去が可能である。

白石さんによれば、これは1960年代、

核実験が頻繁に行なわれていた時代に調査研究されたことだと言う。

 

ヨウ素131 など半減期の短い核種対策では、加工保存も有効である。

また大部分の放射性核種は水溶性である。

牛乳であれば、乳清と脂肪分を分離して

バター、チーズにして食べればほとんど防ぐことができる。

汚染牛だと言って、せっかく搾乳した生乳を捨てる必要はなかったのではないか。

 

放射性物質の体内での吸収をできるだけ下げるために、

ヨウ素(I)、カリウム(K)、カルシウム(Ca)などのミネラル類と

食物繊維の摂取が推奨される。

放射性セシウムの吸収阻害、排泄促進にはカリウムとペクチンが有効。

放射性ストロンチウムには、カルシウムや

海草類に含まれる食物繊維の1種、アルギン酸塩が良い。

ただしこれらの食品群には放出されたセシウムやストロンチウム等の放射性物質も

同時に濃縮されやすいので食材の選択には注意が必要である。

(測定して確認できたものを摂る、ということ。)

 

平素からバランスのとれた食事を摂り、体の免疫力を高めることが重要である。

海草類や発酵食品を主とした伝統食である  " 和食 "  の見直しを提案したい。

詳しくは拙著 (『福島原発事故 放射能と栄養』 等) を参考にされたし。

 

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放射線防護の専門家の一人として、次の3点を特に提案したい。

1.定期的な陰膳法の実施。

2.全品検査の早期体制整備と商品のベクレル表示。

3.被災住民の健康診断の継続的実施。

 

一般の人々には、日頃から放射能の知識を蓄えることが必要である。

安全神話によって教育現場での放射能の指導は皆無に近い。

また一見、食生活には関係ないように見える

" アメーバ汚染 "  と  " 都市濃縮 "  が国内で進行している。

廃材、煤煙、焼却灰、建築材料など人の経済活動によっての汚染拡大は

最小限にとどめるべきである。

 

白石さんの講演後、コーディネーターの鈴木菜央さんの進行によって、

「簡単なワークショップをやりながら進めましょう」 となる。

すみません。 後半は後日。

 



2012年7月 5日

『日経エコロジー』 誌で対談 -放射性物質の「基準」について

 

今日は港区白金にある 日経BP社 に直行する。

「日経エコロジー」 という雑誌の対談に呼ばれちゃったのである。

テーマは、食品における放射性物質の 「基準」 について。

対談の相手は、横浜国立大学の松田裕之教授。

環境リスクマネジメントが専攻で、日本生態学会会長、

(社)水産資源・海域環境保全研究会会長という肩書も持っておられる方。

 

「日経エコロジー」 編集長・谷口徹也氏の説明によれば、

同誌に 「論点争点」 というコーナーがあって、そこで

環境に関連した様々なテーマで意見の対立する方を呼んで

対談をしていただく、という企画で、今回が4回目との事。

論敵(?) を用意されては、逃げるワケにはいかない。

「まあ、実際は激しくやり合うようなことはないですが。」

そりゃあね、雑誌の対談となればそれなりに紳士的にやらなきゃ、とは思う。

 

松田教授も、お会いして開口一番、

「ネットで拝見させていただきましたが、あんまり対立はしないような気がするなあ。」

本ブログもチェックされたようで、恐縮する。

とはいえ、基準に対する基本認識は、やはり明確に異なっていた。

松田先生の考えるところは、以下のようである (文責はもちろん戎谷)。

 


放射線防護の基準設定については、国際的に認められている

ICRP (国際放射線防護委員会) の考え方に沿って対処すべきである。

ICRPによれば、基準には平常時と非常時の考え方がある。

事故が起きてしまい、放射性物質の今後の影響など分からない段階である今は、

まだ別な(非常時の) 基準が設定されて然るべきである。

あまり厳しい基準を設定しては、被災地の農漁業の復興を妨げる要因になりかねず、

これは新たな人災につながる。 リスクマネジメントになっていない。

 

「食べて応援しよう」 と頑張っている人たちがいる。

実際には、食品から1mSv を超える内部被爆を受ける心配はほとんどなくなってきている。

ここで行政が更なる規制をかけることは、被災地の農漁業者と消費者を結ぶ

絆を断ち切る行為である。

「復興の目途がつくまでの間」 は、暫定基準を継続させるべきだと考える。

 

僕の主張は、違う。 うまく喋れたかどうかは分からないけど。

「食品の基準」 というのは、食べる人を守るためにある。

それをきちんと遵守する生産が保証されて、人々は安心して暮らすことができる。

復興支援はとても大切なことだが、そのために基準を緩めるということは、

食べる人にリスクを負わせることになり、食品基準としては本末転倒である。

それで絆が生まれるとは思わない。

本来は最初から適切な (松田先生の言う " 厳しい " ) 基準を設定して、

きちんと水際で防ぎ (それは生産地で徹底することが望ましい)、

基準を超えたものや地域は、徹底して国が支援する。

それに信頼を寄せられる政策と実行が伴ってこそ、絆は醸成されてゆくんだと思う。

特に放射性物質の規制においては、

細胞分裂が活発な子供と、産む性である女性を保護する観点が

ベースにならなければならない。

 

しかも、教授の言う通り、今はいろんな食品を測定しても相当に安定してきている。

ほとんどがND(不検出) である。 もちろん機械の 「検出限界」 にもよるが。

であるならばむしろ、" すでにこの水準に落ち着いてきている "  ことと、

" これ以上、(残留を)超えるものは市場に出さない "  という強いメッセージを

国民に送るべきだ。

国の責任と生産者のモラルにおいて宣言するくらいの意思が欲しい。

 

したがって、大地を守る会の基準は

1.「内部被ばくはできるだけ低く」 という予防原則に立つ。

2.その上で、生産者が達成できる・すべき指標として基準値を位置づける。

3.基準値や分類は、実態や推移を見ながら継続的に見直していく。

4.測定の継続・強化と、結果の「情報公開」を行なう。

5.絆を断ち切る原因の大元である 「原発」 に反対する。

もうひとつ付け加えるなら、

6.まだら状に降り注いだ放射性物質による影響は未だ不明な点が多く、

  仮に基準値を超えるものが出た場合には、生産者を切り捨てることなく、

  情報を公開して販売を継続する。

というもの。

毎日々々測定を実施しながら、2月に辿りついた見解である。

 

松田先生は 「基本的に賛同できる」 と言ってくれた。

特に 6 の観点を評価してくれた。

二人の方向が異なってゆく原因の一つは、

健康に影響を与える水準についての考え方だろうか。

できるだけ低く、という要求を流通が生産者に押し付けるのは、

被災地に対して厳し過ぎると、というのが教授の見解である。

 

「年間1mSv で健康リスクが発生することはない」 か?

これは極めて大きなテーマだ。

いま始めている連続講座の終盤戦は、このテーマに焦点を当てている。

 

低線量被ばくのリスクを厳しく見積もる学者と、ICRP基準でよいとする学者が、

それぞれ別な場で主張し合っている。

松田先生に求めることではなかったかもしれないけど、

「この図式を何とかしてもらえないか」 と愚痴ったところ、

「そもそもECRR (欧州放射線リスク委員会) の低線量に対する見解

など、日本の学会には入ってないんじゃないか」 ということらしい。

しかし不安に駆られる人々にとっては、リスクの高い情報は忘れられないのだ。

これは当たり前の防衛本能である。

何とかしてほしい。

 

松田Vs.戎谷 -単純にどちらが正しいというものではないのだろう。

決定的な違いは、公共政策のあり方を考える人と、

生産と消費をつなぐ流通現場にいる者との違い、なんだよね。

僕からの要望。

「 国は、国の基準の適切さを必死で訴えてもらいたい。

 その上で、ゼッタイに基準を超えるものは市場に出さないことを担保してほしい。

 とにかく公共基準をだれも信用しない社会は、不幸である。」

 

「我々はその上で、生産者とともにさらに高い水準の達成を目指す」

という真意も含めて語ったつもりなのだが、この辺は話しきれなかった。

マスで、つまり全体の市場規模で考えざるを得ない行政にとって、

個別事業者が取り組む 「食の安全」 はうるさいハエか、

目の上のたんこぶのように見えるのかもしれないが、

安全性の向上を目指す民間の取り組みは、敵ではないのだ。

水準を上げていく先行事例として応援してもらいたいくらいなんだけど、

行政の方々にはそのへんがどうにもご理解いただけない。

 

教授とはもっと意見を交わしたかったのだが、

時間切れとなってしまった。

あとは編集者がうまくまとめてくれることを祈るのみ。

 

この対談は、『日経エコロジー』9月号に掲載予定とのこと。

ご興味を持たれた方は、書店にてめくってみてください。

 



2012年7月 3日

連続講座-予告と、第1回のアンケートから

 

6月30日(土)、株主総会終了。

7月1日(日) は、「稲作体験」 の第2回目の草取りの日だったのだが、

実行委員諸君に頭を下げてパスさせていただき、

急ぎの宿題をこそこそとやっつける。

(総会終了後に、飲んじゃったのがいけなかった・・・)

 

そうこうしているうちに、「放射能連続講座」 第2回の開催が近づいてきた。

講師をお願いした白石久二雄さんからはレジュメが届き、

コーディネーターをお願いした鈴木菜央さんには時間割の最終案を送る。

鈴木さんからは、講演後の質疑応答の時間を

" ワールド・カフェ "  的なワークショップにして、学びを全体で共有したい、

という提案を受けている。

200名規模でのワークショップが短時間でうまくいくか、

不安とワクワク感がないまぜになって、落ち着かない。

 

本日夕方、当日の運営に協力いただく専門委員会「原発とめよう会」 と打ち合せ。

ワークショップの進行をシュミレーションしてみて、

どうもスタッフが足りないことに気づく。

慌てて社員のみんなに、協力要請のメールを出す。

・・・・・ ま、そんな調子で、当日うまくいったらお慰み。

白石さんには、「多少の混乱は楽しんでください」 とメールを打った。

 

当日来れない方には、ぜひ USTRAM 中継をご覧ください。

質問も受け付けます。

概要は HP にて ⇒ http://www.daichi-m.co.jp/cp/renzokukouza/

 

第3回のコーディネーターも決定しました。

ジャーナリストの津田大介さん。

J-WAVE 「JAM THE WORLD」 のナビゲーターの他、

最近ではNHK深夜の番組 「NEWS WEB 24」 のネットナビゲーターとしても活躍中。

早野龍吾 × 津田大介。

僕にとっては昨年11月のニコニコ生放送以来の顔合わせで、

もうすっかり大船に乗った気分。

この講座に向けて、ネットで募った  " 陰膳(かげぜん) 測定 "  の結果も

「放射能測定 おうちごはん」 と銘打って、HP で公開中。

 ⇒ http://www.daichi-m.co.jp/cp/kagezen/

早野さんには、この結果についてのコメントもお願いしています。

 


ただ第3回で考えたい本来の目的は、

これから 「測定」 という武器をどう活用していくか、にあります。

昨年のように、必死でたくさんの食材をやみくもに測る段階から、

対象を絞り込んでよいところは絞り込み、必要なものは継続的に調べ、

生産者にフィードバックして、有効な対策を立てる。

では消費者の安心のために貢献できることは何か

 -  その一つのヒントとして陰膳法での測定にトライしてみました。

ゲルマニウム半導体検出器が1台、

ガンマ線スペクトロメーターが6台 (うち2台は生産地に貸し出し)、

トータルでウン千万もする道具を、しっかりと

安心の絆を取り戻す力にしていくために、考えてゆきたいと思っています。

第3回は現在、申し込み受付中です。

 

さて、予告だけでなく、終わってからの振り返りやフォローも必要ですね。

たくさん返ってきた第1回のアンケートから、

これはお答えしなければならないと思った声は、

少しずつでも取り上げてお返事をしていきたいと思います。

 

後半の質疑応答で、僕が  "本音として言わせてもらえれば・・・"  といって

出してしまった言葉。

「京都大学の小出裕章先生が語っているように、

  " 60代以上の人は、食べて応援しよう "  と、言いたいところはあります。」

これに対して、

「本音なのでしょうが、ちょっとつらい気持で聞きました。

 誰が食べても安心、安全の食品供給に努力してくださるよう、お願いします」

という感想。

ガンを経験して、食材に配慮するようになって大地を守る会に入りました、とある。

 

舌足らずで、申し訳ありません。

けっして年配の方に覚悟を求めているワケではありません。

低線量内部被曝による晩発性障害は

たとえ発現するにしても相応の年数がかかるもので

(特に高齢になるほど放射線に対する感受性は低くなる、と言われている)、

(今の食品のレベルでは) 放射線による影響が現われるまでの時間は、

おそらく50代の僕にとっても、寿命までより長い時間がかかるであろう

- ということのようなのです。

結果的には、

放射線以外にもたくさんのリスクを日常受けている私たちの暮らしの中で、

事故と私の死との因果関係は証明されずに終わるわけでしょうが。

この内部被曝への疑問については、

6回シリーズの中で、それなりにしつこく理解を深めたいと思っています。

 

もちろん、

未来ある子どもたち(+女性) への影響は最小限に食い止めなければなりません。

そのための 「基準」 をつくったつもりですし、

測定も、生産現場での対策への支援も、そのためだと思っています。

 

不用意な発言で傷つけたとしたら、深くお詫びします。

できましたら、続けてご参加いただけることを願っています。

 



2012年6月30日

それぞれのポジションから、ひとつの目標に向かって

 

みんな集まれ!! 6月29日

電車に飛び乗れ!

首相官邸前だ・・・

 

6月29日。 今日も産地に向かうとするか、、、というお出かけの直前。

こんな呼びかけがネットから入ってくる。

作家・広瀬隆さんからのメッセージだ。

 


大飯原発の再稼動に反対する声が、どんどん広がっている。

" あじさい革命 "  なる言葉まで生まれたらしい。

先週金曜日の首相官邸前のデモには、5万人の人々が集まったという。

そして今夜、さらに大きな輪で首相官邸を取り囲もうと、

ネットでの呼びかけが、どんどん広がっている。

 

この首相官邸前デモをまともに報道しようとしないマスコミに業を煮やした

広瀬さんは、ついに100万円でヘリコプターをチャーターした。

俳優とサラリーマンの兼業となった山本太郎さんが空からレポートするという。

この計画の実行をカンパで賄いたい、と呼びかけている。

カンパ第1号は、カンパの管理を引き受けられた城南信用金庫の理事長、

吉原毅さん。 この方も、哲学を感じさせる人物である。

 

う~む・・・ 行かねば。 行かねばだけど、これから僕はある地方に向かう。

産地での放射能対策を支援することが、僕の本来の任務である。

運動はまだまだ続く。 今日で終わるわけではない。

ここはカンパで、と決めて産地に走る。

それぞれのポジションで、最大限できることをする。

その力をネットワークして、新しい時代を創出してゆくのだ。

若い頃、コワい先輩たちがよく使っていた言葉が、蘇る。

" それぞれの砲座から、ひとつの目標を撃て! " (レーニン)

 

夜帰ってから報道やネットをチェックすれば、

集まった群衆の数は、15万とも20万とも言われている。

1万7千という警察発表だって、スゴい数字だ。

 

とにかく、大飯原発再稼働は、暴挙である。

民意も踏みにじって、なりふり構わず稼働の実績づくりに突っ走っている。

いろんな意味で熱い " 夏の陣 "  になりそうだ。

 

既存報道がアテにならない今、みんなの力でヘリを出し、

空から全国に巨大デモの全景を伝えよう。

そうか。 100万円集めれば、ヘリが出せるのか。

そう思った方も多いのでは。

 

このヘリ・カンパにご協力いただける方は、下記へ。

  ◆城南信用金庫 営業部本店

    普通預金口座 822068

    口座名: 正しい報道ヘリの会 (命名者は吉原毅さん)

当日の様子をまだ見ていない方は、こちらからどうぞ。

⇒ http://www.youtube.com/watch?v=-ooBV4Lrg-k

 

来週は・・・ 行くしかないか。

 



2012年6月26日

科学者国際会議と現場の知

 

23日(土) から昨日まで、二泊三日で福島を回ってきた。 

23~24日は、猪苗代にある 「ヴィラ イナワシロ」 にて、

『市民科学者国際会議』 に参加。

でもってその帰りの足で、須賀川の「ジェイラップ」を訪問。

代表の伊藤俊彦さんと、米の対策の現状確認と、これからの作戦会議。 

秘密の会議とか言いながら、所はばからず、お互いでかい声で

深夜まで語り合った。

 

「ヴィラ イナワシロ」 - ここに来るのは2年ぶり。

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2年前の 『有機農業フォーラム』 では、総料理長・山際博美さんの手による

地産地消の料理に感動したのだったが、山際さんは昨年独立されて、

あの美しい料理に出会うことができなかった。

それどころか無残にも変貌していて、正直言ってがっかり、のレベル。

今回は特に海外からたくさんのゲストが来られたのだから、

自然豊かな猪苗代の風景とともに、和の料理を堪能してもらいたかった。

短期間で準備を進めた実行委員会を責めるつもりは毛頭ない。

哲学を持った一人の料理人、こういう人の存在の大きさを、

改めて実感した次第である。

 

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さて、『市民科学者国際会議』 。 

3.11以降、放射能汚染と被曝の影響を最小限にすべく取り組んできた

科学者と市民が一堂に会し、内部被曝の知見を持ちより、

放射線防護のあり方や今後の方向性について語り合う。

科学を市民の手に、市民のための科学を、そんな視点を共有する人々が

ヨーロッパ各国から、そして日本から集まった。

 

会場内での撮影や録音は禁じられたので、写真はなし。

丸二日間の会議内容は多岐にわたり、ここではとても整理し切れない。

いずれ細切れにでも触れてゆくことで、ご容赦願いたい。

概要は特設WEBサイトにて ⇒ www.csrp.jp

 


ここで僕の勝手な印象に基づく全体的な共通認識をまとめてみれば、

1.「(生涯被ばく量が) 100ミリシーベルト以下であれば人体への影響はない」

  という国際基準は、内部被曝の影響を極めて過小評価しており、

  核や原発を推進する立場からの、政治的な判断である。

2.低線量被曝の影響の大きさを示唆するデータはいくつも出てきているが、

  科学的エビデンス(因果関係の立証) を求められているうちに、

  たくさんの被害が抹殺されていっている。

3.放射能による健康危害はガンだけでなく、

  様々な疾病との関連から精神的影響まで、幅広く考えなければならない。

4.福島での国の対策は非常にお粗末なものであり、今も遅れたままである。

  救いは、民間レベルで必死の対策が取られてきたこと。

  医療や健康相談などでもたくさんの医師がボランティア的に支えていること。

  (その裏返しとして、国への厳しい批判や怒りの言動となって表われる。)

 

今回の座長を務められた

ドイツ放射線防護協会のセバスチャン・プフルークバイル博士が、

最後のまとめで語った言葉。

「(内部被曝に対する) 過大評価と過小評価の、両極端を乗り越える

 新しい方向に向かわなければならない。」

 

過小評価には 「そうしたいから」 という意図があり、

それが真実であったとするなら、「それはよかったですね」 ですむのだが、

逆の結果が明らかになってきた場合に対処できない恐れがある。

被害や影響は多少過大に見積もって、そこから対策を考えることで、

被害を抑えることができる。

ここに 「予防原則」 の意味がある。

 

福島県内から参加された方、あるいは福島から避難したという方々には、

科学者の厳密な論争はストレス以外の何物でもなかったようだ。

「あなた方は (福島の現状を前に) いったい何を議論しているのか!」

といった声が上がった。

手弁当でここまで来られた科学者や医者に向かって失礼な罵声だとは思ったが、

行政の対応などにイラ立ちながら暮らす人々からの、

切実な期待なんだと受け止めてもらうしかない。

 

科学と市民は、いつだって彼岸で対峙しているわけではない。

科学者が対立している間にも、その狭間で日々判断しながら暮らしている。

長い時間をかけて立証される疫学調査の、

結果が出るまで思考を停止しているわけでもなく、

疫学的思考は科学者だけが行なっているわけでもない。

市民は市民なりに  " 科学している "  のである。

科学者はそのレベルをよく理解して、知の橋渡しをする必要がある。

科学の言う  " リスクコミュニケーション "  がうまくいかない時というのは、

だいたい初動から相手を理解できていないことが多い。

 

報告の中で驚いたことは、

フランスで福島由来と判断されたヨウ素131が検出されていたという事実。

私たちが思っているよりずっと、外国は事態を冷静に分析していて、

僕らは本当に事実がちゃんと知らされているのだろうか、

という不安が捨てきれない。 このことこそが問題だ。

 

かたや、徹底的に事実を自分たちのモノにしたいと、

測定器を届けた途端に、何から何まで測り始めたジェイラップの生産者たち。

彼らは今、自分たちの土地の状態を、誰よりも把握している。

 

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学者も舌を巻いた、汚染MAP。

これをもとに対策を立て、今年はもっと高みを目指す。

 

本邦初公開。 田んぼごとの土質のマッピング。 

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土質の違いによる養分吸収力も把握し、適正な施肥設計を立ててゆく、

というのが本来の目的だったはずだが、

これが放射能対策にも活かされることになる。

 

考えられるだけ考え抜いて、とにかく、実践する。

結果は何らかの形で、その行為に反応してくる。

伊藤さんはほとんど仮説に基づいて動く実践主義者なのだが、

僕はこれこそ科学者の資質だと思ったりするのである。

 

一人田んぼを見つめる伊藤俊彦がいる(左端の畦の上)。

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今年の成果が、思った通り! となるかどうかは、まだ判らない。

 

伊藤さんとの秘密会議の内容は、秘密です。

 



2012年6月15日

レンコン産地を守る " 7人の侍 " に

 

今日は、茨城は土浦にやってきた。

大地を守る会が契約しているレンコンの生産者たちに集まってもらって、

放射能対策の会議を開く。

 

レンコンは田んぼでの栽培だから、当然水が入る、しかもたっぷりと。

川は山からいろんな養分を運んできてくれるが、

いま気をつけなければならないのは放射性物質の移動である。

どう推移するかは予断を許さない。

漠とした不安を抱きながら過ごすより、しっかり現実を捉えながら、

できれば先手を打ってガードしておきたい。

 

古くからのお付き合いである 「常総センター」 の加工施設 「北斗の会」 事務所に、

レンコン契約農家7名全員が集まってくれた。

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我が方からは、これからの経過観察で協力をお願いした上田昌文さん

(NPO法人市民科学研究室代表)と、

対策資材の検討をお願いした資材メーカーの方をお連れした。

 


昨年の測定では、セシウムが微量ながらも検出された所と、

まったくされなかった所がある。

どうも水系や場所によって違いがある。

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そこで、全員の蓮田の位置を確認し、昨年のデータを突き合わせて、

これからの継続的測定を実施する場所を検討する。

そこで土と水の状態を確かめ、入ってくる水を継続的に測定する。

またセシウムを吸着する資材を選択し、施用して、比較試験を行なう。

合い言葉は、「今年のレンコンからはゼッタイに検出させない」。

 

 

人によっては、こういう対策や測定を行なうこと自体、

まるで汚染されているみたいに映って、また風評被害を生む、

という懸念を示す生産者もいる。 

しかし、現実をベールにくるんで 「安全」 を標ぼうすることはできないし、

ひとたび予想を超える事実が発覚した際に (それは想定外ではないはずだが)、

" 対策がとられていない "  ということのほうがずっとヤバイ。

それは昨年の経験で痛いほど感じたはずだ。

 

食べる人の健康に責任を持ちたい、

そう願う生産者であれば、現実に立ち向かっていくしかない。

声をかければ、「待ってたよ~、エビスダニ君」 と言って

一斉に集まってくれる生産者を持っていることは、誇りにしたい。

 

「よし、やろう。 良いもんなら試してみよう。 もっとデータがほしいな」

と常総センター代表・桜井義男さんは反応し、みんなにハッパをかけてくれる。

僕も、ゼッタイに成果を上げて見せたい、と決意を新たにするのである。

 

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この対策は、7人の農家のためだけではない。

秋になって、この一大産地に悲劇が起きてはならないのだ。

この地域を守る  " 7人の侍 "  になったくらいの気分でいきましょう。

人智を尽くし、胸を張って、美味しいレンコンの収穫を迎えたいと、切に思う。

 



2012年6月 4日

「放射能連続講座」スタート。 壁を見せつけられた第1回。

 

この土日(2日・3日) は結構ハードな週末だった。 

2日は、「放射能連続講座」 第1回の開催。

3日は午前中、千葉・山武で 「稲作体験」 田の草取りをやって、

夕方には渋谷・アップリンクで 「フード・インク」 上映後のトーク出演。 テーマはTPP。

頭を切り替えながら、何とかやり終えたって感じ。

では順次報告を。

 

6月2日(土)、

「大地を守る会の 放射能連続講座 ~『食品と放射能:毎日の安心のために』~」

第1回のテーマは、まずは入り口として、

「今後の影響をどう予測し、どう心構えをするか」。

講師は、NPO法人市民科学研究室・代表、上田昌文(あきふみ)さん。

質疑のコーディネーターは、 " やまけん "  こと山本謙治さんにお願いした。

会場は、杉並区立産業商工会館。

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会場キャパは160席のところ予約満杯となり、椅子の増設も許されず、

お断りせざるを得なかった方々には申し訳ありません。

 


上田さんのお話しは、

原発事故による放射能汚染によってもたらされた事態の重さから始まった。

放射能汚染によって地域の自然資源が利用できなくなったこと、

畜産と農業の連携で廃棄物=資源とする  " 循環 "  を断ち切ってしまったこと、

そして地域社会の絆の分断。

 

かつてないほど広範囲で長期の環境汚染によって、

ありとあらゆる食品が多少なりとも汚染されてしまった。

この実態をどう把握し、生産者の立ち直りと消費者の安全を確保するか。

しかも消費者にとっての守りの綱である 「食品基準」 自体に

深い疑義が生まれてしまっている状況において。

 

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汚染の実態や放射性物質の挙動の 「把握」 と 「対策」 を

適切に関連させながら並行して進めていく必要がある。

様々な測定データを集め考察しながら、問題点を洗い出し、

低減化対策に活用し、また検査の実態や課題も冷静に判断しながら、

個々の農産物の計測の濃淡を合理的につけて、

それを消費者にきちんと知らせていくことによって

「風評被害」 と言われるような事態を乗り越える道筋が見えるのではないだろうか。

 

リスク管理の観点で見るならば、例えば発がんを恐れるあまり、

セシウムだけゼロを求めて他のリスク因子を摂り入れては意味がなくなる。

リスク因子は多様にある。

しかし今の放射能汚染が、他の化学物質や例えば「塩」(ゼロでも摂り過ぎても危険)

などのリスクと決定的に異なることは、

状況が正確に見えず、したがって 「危険度」 も見えない、

という不安が先行していること。

また低線量曝露の影響についての科学的見地が分かれていることもあって、

「曝露ゼロ」 が 「安全」 を確保する唯一明確な防護手段だととらえられてしまう

傾向になってしまうこと。

 

上田さんは、各種のデータを紹介しながら、

まずはこの間出されている測定データや、農地での低減化対策を検証し、

今の状況をできるだけ正確に把握することを勧める。

その上で、汚染食品の内部被曝リスクの低減化に向けての課題を上げる。

・汚染状況と流通状況に応じた 「低減化のためのガイドライン」 が必要。

・合理的な計測体制 -やみくもな測定から、状況を踏まえた選択と集中へ。

・給食への特別な対応 -地域内の学校同士のデータ共有など。

・妊婦と乳幼児のための厳しめの摂取制限の設定。

・海産物検査態勢の強化 (ストロンチウム含め) と全データの公開。

・内部被曝評価では、「平均」 で見るのではなく、例外的に高くなっている場合の究明が肝心。

 

「風評被害」 的状況を乗り越える取り組みでは、

とにかく、個々の食品の計測によって汚染の濃淡を合理的につけていき、

それを消費者にきちんと知らせていくこと、

そして生産者や消費者といつでも対話できる状態を築くこと。

 

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時々裏方にいたりしたので、断片的な整理でご容赦願いたい。

詳しくは USTREAM の録画 をアップしてますのでご覧ください。

 

後半は、やまけん にバトンタッチ。

大地を守る会の測定の現状なども説明する必要があるのでは、

という彼のアドバイスも受けて僕も壇上に上がり、上田さんと3人でのディスカッション、

そして質疑応答、と進めた。

 

しかし僕が登壇したことで、 上田さんの講演内容に対してより、

大地を守る会への質問が増えてしまったように思う。

僕も必死で答えようとして、話が長くなってしまったりして。

また説明しようとすればするほど、

こちらの考えを押し付けようとしていると受け止めた方もいたようだ。

コミュニケーションとは、実に難しい。 

 

今回はネットで中継して、ツイッター等で視聴者からの声を拾う、という手法も試みた。

そこで仕掛け的に、ひとつの同じ質問を冒頭と最後に用意した。 

 「検査して、ND(検出限界値以下)が確かめられたものであれば、

 福島県産の野菜を購入しますか? YES、NOでお願いします。」

講座開始冒頭での回答は、両者互角、 5:5 という感じ。

最後での回答は、YES=5.5、NO=4.5 、いやもっと僅差、10:9 という感じ。

放射能という問題の根の深さを思い知らされた格好になった。

 

ツイッターでこんな声が届いた。

「 " 食べられない "  という人を、責めないでほしい」

責めてなんかいない。

ただ、頑張っている生産者を支援してほしい、と訴えているのだけど、

これも押しつけのように聞こえてしまっているのだろうか。

難しい、いや実に。

 

つながりの修復を目指して、模索を続けたい。

次回は、7月7日(土)、時間は同じ午後1時半から。

場所はタワーホール船堀。

講師は白石久二雄さん。 コーディネーターは鈴木菜央さん。

テーマは、「正しい食事こそ最大の防護」 。

詳細はHPにて ⇒ http://www.daichi-m.co.jp/cp/renzokukouza/

 

最後に、アンケートの中に、次の一文を発見。

「戎谷氏、マイクに口近づけ過ぎ。」

つい一生懸命になっちゃう性(さが)。 反省・・・・・

 



2012年5月22日

「農水省からの通知」 てん末

 

2012年5月21日(月)、月暦 四月一日。

草木が青々と繁り天地に生気が満ちてくる 「小満(しょうまん)」 の日。

午前7時36分、

関東では173年ぶりという 金環日食 を拝む。 

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こんなふうに撮ったヤツもいる。 

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こちらの撮影は、農産チーム・市川泰仙くん。

 

世間では、この瞬間に人生をかけた勝負に出た人もいるようだ。

ま、問題はプロポーズから先の長い人生だからね、

とか野暮なことを言うのはやめて、どうぞ、おシアワセに。

 

ものぐさ人間は、少々のことでは 「見る」 という目的のためだけに

無理して遠方まで足を運ぶ、という行動はとらないので、

間違いなく一生に一度の 「体験」 のはずなのだが、

あっさりと見終えて会社に向かう。

もっと世界が暗くなって、ざわざわと不気味な風が吹いてきたりする

のかと思い込んでいたワタシ。。。  小学生以下?

 

こんな特別な日に、千葉・幕張の事務所までやって来られたのは、

農林水産省の方2名。

食品流通業界を回っているのだと言う。 正確には、

「食品での放射性物質の基準値を独自に設定し、自社測定を実施している団体」

を回っているようだ。

 

用向きは2点。

1.4月からの新基準は、十分な科学的根拠をもって設定したものなので、

  その旨ご理解いただきたい。

2.自主検査に当たっては、信頼できる分析に努めていただきたいこと。

 


これは4月20日付で、農林水産省産業局長から

「食品産業団体の長」 宛てに出された通知に基づいたもので、

これによれば、以下の2点が強調されている。

 

1.食品産業事業者の中には、食品中の放射性物質に係る自主検査を実施している

  事業者も見られるが、科学的に信頼できる分析結果を得るためには、別添の

  「信頼できる分析の要件」に沿った取り組みを行なっていることが必要である。

2.食品衛生法に基づく基準値は、コーデックス委員会の指標である

  年間1ミリシーベルトに合わせる一方、算定の際の一般食品の汚染割合を50%として、

  コーデックス委員会ガイドラインより厳しい前提が置かれ、

  さらに特別な配慮が必要な飲料水や乳児用食品等を区分して、

  長期的な観点から設定されたものですので、

  過剰な規制と消費段階での混乱を避けるため、自主検査においても

  食品衛生法の基準値(一般食品:100ベクレル、等) に基づいて判断するよう

  周知をお願いします。

 

この通知による波紋は、農水省担当部局にとってまったく想定外だったようで、

翌21日からマスコミはこぞって、国が流通サイドの 「自主基準」 を潰しにかかった、

といった調子で書き立てた。

大地を守る会にも各社から問い合わせがあり、

僕が対応せざるを得ない羽目に陥ったのだが、

そもそもこちらは21日の新聞記事で知ったばかりなので、

間の抜けた対応にならざるを得ない。

こんな感じ。

「大地さん、農水から来ましたか?」

「いえ、何にも。 通知はHPで見てますけど、ウチには届いてないので、

 対象外なんじゃないですか?」

「あれぇ、おかしいですね。 なんで大地さんに送られてないんですかね?」

「さあ、私に聞かれても・・・」

「大地さんに行ったら、騒ぎが大きくなるからですかね?」(どうゆう意味じゃ)

「さあ、どうでしょうかね」

「来たら、どうします? やっぱ返り討ち、ですよね?」(嬉しそうに言うな)

「さあ、どうでしょうかね」

「そもそもこの通知、どう思います?」

・・・と突っ込まれて、吐いたコメントがあちこちに掲載されてしまった。

 

 自主基準を槍玉に挙げられた民間側の怒りは収まらない。

 厳格な独自基準を設ける生鮮宅配大手の大地を守る会で放射能対策特命担当を

 務める戎谷徹也氏は 「国の検査体制に、消費者が相当な不信感を持っているから

 自主基準を設ける流れになった。 自主基準を控えろ言うなら、

 信頼されるものを作ってほしい」 と憤る。 - 『日経ビジネス』 5月7日号-

 

 新基準施行後すぐに 「勝手なものさしで測るな」 と 「指導」 されたことに

 反発は続出した。

 「国に押しつけられる筋合いのことなのか。 ~中略~

 指導の前にやるべきことがあるのではないか」 (大地を守る会、戎谷徹也) 

  - 朝日新聞 「AERA」 5月14日号-

 

などなど。 こんなにきつく言った覚えはないのだが (だいたい通知も貰ってないし)、

いろんな人から 「気合い入ってますねえ」 と冷やかされる始末。

 

ちょっと本気になったのはマスコミ取材がひと通り終わった数日後、

農水省から電話をもらってからだ。

いきなり 「文書が届いているかと思いますが・・・」 ときた。

「いや、何も受け取っておりませんが・・・」

「あれえ、、、〇〇〇〇(ライバル会社) さんには送ったんですけどね」

カチン!!!!

スイッチ入っちゃったよ、もう。

「どうせ、うちは弱小団体ですから」 とスネオ調から始める。

 

とまあ、そんな経過があって、来訪となったのだが、

いざ合えば、僕も紳士である。

・放射性物質には安全のしきい値がなく、流通サイドとしては消費者の健康に配慮して

 予防原則の観点を捨てるわけにはいかないこと。

・生産者サイドでも、できるだけ低減させる努力を必死でやっているワケで、

 その努力が報われるよう、信頼を得られるための水準を示していくのは当然のこと。 

・こういった自主基準の設定で消費が混乱しているという事実はない。

・消費の混乱を招いたのは、むしろ国の対応によるところが大きい。

 我々は消費者の期待を一身に受けて、検査体制を構築し、情報公開に踏み切り、

 生産者の除染対策を支援し、ここまで来たものである。

といった主旨でお話しをさせていただいた。

 

農水省の方も、けっして (報道されているような) 自主基準をどうこうしろと言うつもりは

まったくない、との説明。

「なら、なんでこんな報道先行になっちゃったんですかね」

「出し方もよくなかったかと反省しているところです」

 

この通知と報道は、

この一年で全国各地に設置された市民測定所の方々にまで動揺を与えた

こともお伝えした。

提示された 「要件」 は、ひとことで言って 「市民測定所潰し」 に見えましたよ。

「いや、そんなつもりは全くない。 あくまでも商売としてやっている方々へのお願いです」

という答えだった。

 

国はもっと民間を信用して、生産現場での対策や測定などで

連携することも考えるべきだ、と付け加えた。

規制するばかりと思われているから、こういうことになるんじゃないだろうか。

「私たちもそういう方向で考えていきたい」

とは言ってくれたが、さてどうだろうか。

 

説明に来られた方は実に物腰の柔らかい方で、

終始穏やかに話し合えたのだが、結局のところ、

今回の動きの背景と本音はこうである。

- 「検出されたものは販売しない」 と宣言している小売店があるが、

  あの表示は優良誤認を招いていると思われる。 指導されたし。

という要望がどこからか出されたのだろう。

農水省としても動かざるを得なかったということか。

だったら、いろいろ歩き回るより、直球勝負でやってもらいたい。

そのほうがずっと業界にインパクトを与えるというものです。

 

今日も新聞社の記者がやってきた。

ひと通り説明したけど、本件はもうあんまり報道価値はないように思う。

僕の怒りは、むしろ先日書いた 菅野正寿さんの訴え である。

こういう問題をこそ取材してもらいたい、と切に願う。

 



2012年5月17日

放射能連続講座(続報)・・・こわい予感

 

「大地を守る会の 放射能連続講座

第2回(7月7日) の会場が決定しました。

江戸川区船堀(ふなぼり) にある 「タワーホール船堀」 。

都営新宿線「船堀」駅下車、徒歩1分。

新宿からだと直通で約30分(快速21分)。

東京からは、JR総武線「馬喰町」(東京から5分)で

新宿線「馬喰横山」 に乗り換え、約15分(快速10分)。

展望台もあり、面白そうな場所です (行ったことないけど)。

 

第2回のテーマは、「正しい食事こそ最大の防護」。

講師は、元放射線医学総合研究所・内部被ばく評価室長、白石久二雄さん。

日本で、食品による内部被ばくを公的に研究した唯一の研究者。

高松(香川県) から駆けつけてくれます。

時間は、午後1時半~4時

 

第2回のコーディネーターは、鈴木奈央さんにお願いしました。

鈴木奈央さん。 元 「月刊 ソトコト」 編集者。

現在、NPO法人グリーンズ代表、株式会社ピオピオ代表。

あなたの暮らしと世界を変えるグッドアイディア・Webマガジン 「greennz.jp」 を発行。

ちなみに、男性です。

 

どうぞお早めにお申し込みください。

 

連続講座の概要は、大地を守る会HPでも逐次更新してまいります。

http://www.daichi-m.co.jp/cp/renzokukouza/

 

さて14日に、第1回の質疑応答タイムのコーディネーターをお願いした

" やまけん "  こと 山本謙治 さんと打ち合わせを行なったところ、

ヤマケンさん、けっこうノリノリで、

「オレも一消費者として、いっぱい聞きたいことあるんだよなあ。

 質疑の時間、もうちょっと取ったほうがいいと思うなあ」

ときた。

おかげで講師の上田昌文さん(NPO法人市民科学研究室 代表) に、

講演90分のところを80分で、とお願いする羽目に。

 

「大地に対する質問も、しちゃうかもね。

 エビちゃんも前に座っててもらおうかな」 と勝手に段取るヤマケン。

 

USTREAM中継で視聴者からの質問受付、

質疑応答では出過ぎの司会者  ・・・どうなっちゃうのでしょうか。

どうもおさまりそうにない、恐ろしい予感が涌いてきたのでした。

 

第1回は6月2日(土) 午後1時半~4時。

テーマは、「今後の影響をどう予測し、どう心構えをするか」。

会場は、杉並区立産業商工会館。

申し込み締め切りは18日という設定ですが、ねじ込めばOKかも。。。

念のため、お問い合わせください。

経営企画課広報担当 TEL:043-213-5860/メール:press@daichi.or.jp

 

それにしても、会場取りには かなり苦戦を強いられています。

都内 + 土曜の午後 + 150~200人の会場 + 少々の予算オーバーまで

 = だいたい 半年先まで ×

「原発とめよう会」 やCSR事務局にも手伝ってもらって、

第3回は、ようやく仮予約までこぎつけたところ。

 

先に会場を取ってから講師を探す、というケースがよくあるけど、

その事情もよく分かる、という今日この頃。

 



2012年5月11日

菅野正寿、満身に怒りを込めて

 

里山交流会で、二本松市から招かれた菅野正寿(すげの・せいじ) さんは、

各地からやってきたボランティアたちに向かって、

いま福島の生産現場で進んでいる事態を、訴えるように語った。

 

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食品中の放射性物質に関する国の新基準値 (米は100Bq/㎏) が施行される

4月1日の2日前、3月29日付で農林水産省から1枚の通知が出された。

通知の書名は 「100Bq/㎏を超える23年産米の特別隔離対策について」。

 

そこにはこう書かれていた。 

「食品中の放射性物質の新基準値の水準(100Bq/㎏) を考慮し、

 暫定規制値(500Bq/㎏) を超える放射性セシウムの検出により

 出荷が制限された23年産米だけでなく、100Bq/㎏を超える23年産米についても、

 市場流通から隔離することとする。」

 

しかも、暫定規制値(500Bq) を超えた米だけでなく、

本調査と緊急調査で新基準値(100Bq) を超えた米(=暫定規制値未満)

が発生した地域の、すべての米が 「隔離対象」 とされたのである。

なんら説明もなく、3月末の一枚の通知によって。

これによって、菅野さんたちが必死の対策努力をもって生産し、

測定を行ない、ND(検出限界値以下) を確認した上で、

その旨表示して販売していたコメまでが、

自慢の直売所 「道の駅 ふくしま東和」 から一方的に撤去された。

 

「ND なのに、それまでも ・・・」

これでは 「安全な米作り」 に賭けてきた生産者が浮かばれない。

菅野さんの怒りは収まらない。

 

検査して合格した米までが、地区でひと括りにされて 「隔離」 された。

法律上のことで言えば、米については新基準後も経過措置が取られていて、

今年の10月までは暫定規制値が適用されることになっている。

今回の一方的措置は、経過措置を無視していることと、

基準内(しかもND) であることが確かめられているものまで販売を禁止するという、

二重の意味で国の方針に離反しているのではないだろうか。

生産者や販売者の自主的な考えに基づくものではない。

国からの指示、である。

菅野さんの憤りが伝播してきて、僕の腸(はらわた) も煮えてくる。


菅野さんの訴えは、これに留まらない。 

 

菅野さんの地域は 100~500Bq の間の米が検出された地区で、

国は条件つきで作付を認めていたものだが (「事前出荷制限区域」 と言われる)、

その指示がまた現場を無視した一方的通告なのである。 

 

国から当該区域の農家に指示されていたことは、

ア) 可能な範囲で反転耕や深耕等を行なうほか、

イ) 水田の土壌条件等に応じたカリ肥料や土壌改良資材の投入、

等により、

農地の除染や放射性物質の吸収抑制対策を講じていることを確認すること。

- ということだったのだが、それが県 - 市町村と降りてきた段階で、

ゼオライトを300㎏、ケイ酸カリ20㎏、ケイカリン50㎏(ともに10アール当たり)

投入せよ、という指示になった。

 

「ゼオライト300㎏なんて、科学的に実証されてない」 と菅野さんは言う。

いや、かなり多過ぎる、というのが僕の感想。

それに 「ゼオライト」 とひと言でいっても、実は数百種類あって、

セシウムの吸着能力も千差万別だと言われている。

その辺のデータは明らかにせず (業者への利益誘導になる、という言い分らしい)、

ただ300㎏撒け、とは乱暴すぎる。

カリ肥料についても、「投入適期がまったく考慮されてない」。

加えて、その作業記録を一筆(田んぼ1枚) ごとに台帳管理しろというお達し。

試験栽培も認められないという。

 

これらの指示が4月に入って押し付けられてきたものだから、

高齢者を中心に、今年の稲作を断念する人が増えているそうである。

「出荷段階で全袋検査する方針なんだから、

 事前から強制的に、しかも地域一括で制限をかけるとは、

 農家の主体性を奪う以外の何物でもない!」

菅野さんの怒りは、もっともだと思う。

 

思うに、国にとって、農家の主体性や自立は厄介なことなのだ。

恐れているのではないか、とすら思える。

そして、民間の力を活用するとか連携するという発想に乏しい。

ジェイラップが須賀川で取り組んだ対策事例などは、

民間力を活用すれば、食の安全に対する信頼回復が

もっと効果的かつ効率的に進むことを示唆している、

と思うのだけれど。

 

信用してないのかな、国民を。

それとも自己保身なのだろうか。

手続きひとつとっても、福島農家の意欲を逆なでするような手法では、

生産者の経営安定も消費者の信頼も得られない、とだけは言っておきたい。

 

先だって紹介した 『放射能に克つ、農の営み』(コモンズ刊) に続いて、

菅野さんが執筆されている本(17人による共著、戎谷も執筆)

が出版された。 

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『脱原発の大義 -地域破壊の歴史に終止符を-』

(農文協ブックレット、800円+税)

 

「有機農業がつくる、ふくしま再生への道」

というタイトルで、菅野さんはここでも熱く語っている。

 

   私たちはあらためて日本型食生活の大切さを教えられた。

   母なる大地と太陽の力を活かす、有機農業による生命力ある農畜産物が

   健康な体と健康な人間関係をつくると思うのだ。

 

「放射性物質を土中に埋葬して 農の営みを続ける」

菅野正寿、心魂を込めた宣言である。

 



2012年4月27日

大地を守る会の「放射能連続講座」、準備進行中

 

4月のブログ空白期間中で、嬉しかったことが一つ。

大地を守る会でも取り組んでいる

「さよなら原発1000万人アクション・脱原発署名」 に、

福島県二本松市のリンゴ生産グループ 「羽山園芸組合」 さんから

270名分の署名が届いたという報告。

3月31日付日記 で紹介した3人が手分けして、

ご親戚ご近所(と言っても距離はある) を回って集めたんだそうだ。

田舎で署名を集めるのはけっこう大変なことだけど、

羽山という山あいで暮らす人たちの思いが、この数から伝わってくる。

 

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羽山園芸組合代表の武藤喜三さん(写真中央) は以前から、

都内で開かれた脱原発の集会などにも、静かに顔を出して静かに帰るような方だった。

去年の原発事故には深く思うところがあるに違いない。

悔しさを胸の奥に秘めて、黙々と除染作業を続けた冬だったね。

 

さて、今日は東京大学理学部の早野龍五教授を訪ねた。

昨年10月のニコニコ生放送でご一緒して以来の再会。

用件は、いま準備している連続講座の講演依頼と、 

弊社・宅配部が試験的にやろうとしている食事一食分のまるごと測定、

いわゆる  " 陰膳(かげぜん) 方式 "  を実施するにあたってアドバイスをいただくこと。

 


「陰膳」 というのは、元々は仏様にお供えする食事のことだったと思うが、

今では、旅に出た人や出征した家族の無事を祈願して用意する食膳を指すようだ。

いずれにしても  " 一緒に食事をする "  ことで、

いつも  " 共に居る "  という願いを込めたものなのだろう。

僕の実家(四国) では、仏壇に供えてチンチンとリンを打って手を合わせるのが、

子どもの朝イチのお勤めだった。

あの頃はただ 「仏さんのお膳」 と呼んでいたけど。

 

それが何の因果か、放射能を測るために使われるようになった。

初めて 「陰膳方式」 という用語を耳にしたときは意味が分からなかった。

この方式を、学校給食での汚染 (被曝) 実態を知るために取り入れようと

提唱したのが、早野教授である。

現在各地の自治体で採用されてきている。

 

この方式にもメリットとデメリットがある。

一食分の食材をまるごとミキサーにかけて測るため、

仮に微妙な数字が出た場合に、どの食材由来なのかは明確にできない。

これはあくまでも、日常的にどれくらいの放射性物質を体に取り込んでいるのか

事実を知り、冷静に判断するための手段である。

うろたえない知識と落ち着いた判断力が求められる。

 

宅配部では、せっかくゲルマニウム半導体検出器という高性能の機械があるのだから、

この方式で会員からの測定依頼を受けてはどうかと考えたようだが、

それが会員サービスにつながるかどうかは慎重に考えた方がいい、

というのが僕の意見だった。

 

と言いつつも、一方で僕の方はというと、この一年で揃えてきた測定体制を

将来にわたって有用なものとして活用させるためには、

測定器というツールを様々な観点で使いこなす力が必要になってくると思っていて、

そのひとつの試行として、この方式の意義を正確に理解しておきたいと考えて、

早野さんに講演を打診していた。 

 - というワケで、宅配部の担当一人を連れて、今回の訪問となった。

 

同行した職員(女性) は、早野教授から直接レクチャーを受けたことで、

なんかとてもシアワセそうだった。

僕も講演の日程や概要を決めることができて、成果ありの半日となった。

 

講師陣がそろってきたところで、いま準備を進めている講座の概要につき、

とりあえずここまでの進捗報告、予告編をアップしておきましょうか。

 

『 大地を守る会の 放射能連続講座

  ~食品と放射能:毎日の安心のために~ 』 を開催します。

◆第1回 ...... 6月2日(土) 午後1時半~4時

  テーマ = 「今後の影響をどう予測し、どう心構えをするか」

  講 師 = 上田昌文さん(NPO法人市民科学研究室代表)

  会 場 = 杉並区産業商工会館

◆第2回 ...... 7月7日(土) 午後1時半~4時

  テーマ = 「正しい食事こそ最大の防護」

  講 師=白石久二雄さん(元・放射線総合医学研究所 内部被ばく評価室長)

  会 場=都内(未定)

◆第3回 ...... 7月21日(土) 午後1時半~4時

 テーマ = 「測定を市民のために ~陰膳法から学ぶ~」

 講 師 = 早野龍五さん(東京大学大学院教授)

 会 場 = 都内(未定)

◆第4回 ...... 8月18日(土) 午後1時半~4時

 テーマ = 「海の汚染を考える」

 講 師 = 勝川俊雄さん(三重大学准教授)

 会 場 = 都内(未定)

◆第5回 ...... 9月15日(土) 午後1時半~4時

 テーマ = 「いのちを生きる ~放射能とたたかい続けた医師からのメッセージ」

 講 師 = 肥田舜太郎さん(被曝医師、元・埼玉協同病院院長)

 会 場 = 都内(未定)

 

第6回は現在、講師交渉中。

テーマは 「低線量内部被ばくを考える」 を予定しています。

 

大地を守る会会員には来週、予告チラシが配布されます。

ホームページでは、15日にアップ予定。

会員以外からの参加も受け付けます。

ただし会場キャパの都合により、申し込み多数の場合は抽選となります。

 

各回とも、講師との質疑でやり取りしていただくコーディネーターを

用意したいと考えています。

第1回は、「出張食いだおれ日記」 以来、すっかり有名人になっちゃった

畏友・山本謙治さんにお願いしました。

また各回とも USTREAM で中継し、視聴者からの質問も受ける形を検討中です。

 

今回のシリーズで、どうしても外せないと思った方がいる。

95歳の被曝医師・肥田舜太郎さん。

4月7日にお会いして講演をお願いした際の返事が、

「体さえよければ、ね。 あんまり先のことは分からないけど。」

生きてる限り伝え続ける・・・・・ 執念というか、オーラを感じた。

ぜひとも聞いてほしい。

 



2012年4月25日

今中哲二さんの講演会から

 

科学は死を他人事にする。

 

- どこかで読んだ誰かの言葉かもしれないけど、

低線量被曝のシンポジウムを聞きながら、浮かんできた。

一人の死や病気が、統計上の 「1」 として語られる。

だからこそ僕らは、科学に倫理を求めたくなるのだ。

その 「1」 にも、私の身体ひとつ分の重みがあることを分かっていてほしくて。

 

昨年12月に 菅谷昭・松本市長を訪ねた とき、菅谷さんが語っていた。

「国の審議会に呼ばれたとき、専門家の方がね、

  『甲状腺がんは死ぬ病気じゃないから (大したことない) 』 って言ったんですよ。

 冗談じゃないです、と私は言いました。 医者として許せなかったですね。

 これは本人にとっても家族にとっても、

 人生が変わるくらい、とても辛いことなんですよ。」

どんな場合でも、忘れたくないことだと思った。

そして今の僕の心情は、内部被曝リスクを語る人のほうがモラルが高い、

という印象を抱いている。

いやここは、ヒューマニズムと言うべきか。

 

さて、まゆつば科学であってはならないと、慎重に

内部被ばくデータを眺める今中哲二さん(京都大学原子炉実験所助教) には、

3月30日に、「共同テーブル」 の勉強会で話してもらったので、

時間は遡るが、いちおう簡単にでも日記として残しておきたい。

 

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場所は新宿、カタログハウスさんのセミナー・ルーム。

依頼した内容は、ベラルーシやウクライナで食品基準が設定されていった

背景を学びたい、ということだったのだが、

今中さんが設定したテーマは、

「 " 汚染食品との向き合い方 "  について考えていること」

というものだった。

そういう心境だったんだろうね。

 

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日本も  " 放射能汚染と向き合う時代 "  になった。

今中さんは10日前にも東京・日比谷公園の空間線量を測定していて、

「やっぱ、東京はどこもセシウムだらけだなあ」 と言い放つ。

そこにずっと立っていたと仮定した場合の外部被曝量は、

年間 440μSv (マイクロシーベルト、=0.4mSv)。

吸入被曝は、0.15 μSv (0.00015mSv)/年。

 

さて、内部被曝はどうだろう。

この4月から国が設定した放射性セシウムの規制値 100ベクレル/kgの食べ物を

毎日食べ続けたら-

全量を胃腸壁から体内に取り込み、体に均一に分布し、

ICRP(国際放射線防護委員会) が考える生物学的半減期(大人約100日、子供約30日)

にしたがって排泄される、と仮定して、

また大人が一日約2kg、子供が約1kg食べたとして、

大人=4μSv/日、年間1200μSv(1.2mSv)。 子供は年間 400μSv(0.4mSv)。

 

実際に流通される食品は規制値よりかなり低いはずなので、

食品汚染にともなう大きな内部被曝はなさそうだ。

幸いなことに福島では、ストロンチウムやプルトニウムの汚染は

とりあえず無視できるレベルのようであるし。

 

といって、基準値以下だから  " 安全 "  なわけではない!

発ガンに関する線量・効果関係は

「しきい値なし直線」(ゼロから比例的にリスクは高まってゆく) である。

1ミリシーベルトの被曝により、後に発ガンする確率は

(人間集団の平均で) 1万分の1である。

環境や食物が汚染されていることを承知で、

それを引き受けながら生きてゆかざるを得ないのが、

" フクシマ後の時代 "  なのだと思う。

 

影響を観察できないからといって、" 影響がないわけではない " 。

低レベルの被曝による  " ガン以外 "  の影響は、まだ  " よく分からない " 。

私たちは、どこまでの汚染を引き受けるのか、どこまでの被曝を我慢するのか、

答えはない。

ただ・・・・・お前ならどうする? と問われれば、こう答えるようにしている。

・大阪の汚染は・・・ 気にならない。

・娘が東京にいるが・・・ 避難するほどでなないだろうと伝える。

・私が福島に住んでいたら・・・ 住み続ける。

・孫が福島にいたら・・・ まだ答えを持っていない。

 

とにかく、原発はやめにしよう!

 

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2012年4月24日

低線量被曝に向き合う(続き)

 

4月21日(土)、「低線量被曝に向き合う ~チェルノブイリからの教訓~」 シンポジウム。

残りの報告を。

 

べラルーシ科学アカデミー主任研究員、ミハイル・マリコ博士の講演。

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博士からは、ベラルーシでの、チェルノブイリ事故由来による

白血病、固形ガン(胃がん、肝がん、乳がん、膀胱ガン、甲状腺がん) の

追加的発症(放射能由来による増加) や、

新生児の先天性異常の増加データを示しつつ、

安全な被ばく線量(しきい値) はないこと、

特に妊婦への影響が指摘された。

 

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マリコ氏のデータに対し、

沢田昭二・名古屋大学名誉教授が以下のようなコメントを寄せている。

1.比較対象群の設定の問題や、初期被曝の測定の不充分さから

  過小評価になっている可能性がある。

  つまり低線量の長期被曝によるリスク (晩発性障害) はもっと高い可能性がある。

2.いずれにしてもこの問題は、福島原発事故による被曝の影響を考える際に、

  参照すべきデータである。

  日本政府の責任で健康診断と治療体制を充実させ、

  晩発性障害の早期発見、早期治療によって被害を最小限に抑える必要がある。

3.これからは食品による内部被曝の影響が主な問題になるので、

  放射能の影響を避ける農業、畜産、漁業などの仕事に対する援助と、

  測定器を充実させた流通体制の整備をすべきである。

 


会場でのコメンテーターは、京都大学原子炉実験所の今中哲二さん。 

マリコ氏とは長年の議論仲間だと言う。

 

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今中氏は、よく知られた脱原発派の研究者であるが、

低線量被曝影響に対する判断は慎重である。

「まだよく分かっていない」 以上、氏にとってこれはまだ 「仮説」 である。

しかしながら、もしかしたら、低線量被曝研究についての

" 枠組み転換 "  が求められているのかもしれない、との視点を提供した。

 

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低線量被曝による影響については、

発症までの時間によって様々な外部要因が生まれるため、

放射能による影響とは明確に特定できなくなる。

これを解決するには、長い時間をかけた、しかもできるだけ数多くの人を

比較対照しながら見続ける疫学的手法に頼るしかない。

 

今中さんには、実は3月30日に

「食品と放射能問題検討共同テーブル」(於:カタログハウス) で講演をお願いした。

この報告もしなくちゃ、と思ってるんだけど・・・追いつけないね。

 

質疑応答では、報告された研究内容に対する質問だけでなく、 

チェルノブイリ後の住民対応(移住や健康調査・対策など) や、

食品の安全性基準の設定経過、はては瓦礫対策と、具体的質問が数多く出された。

 

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日本はどうも、正確な事実調査とそれに基づいた効果的な対策を目指すことより、

国民の不安行動を怖れるあまりに、安全を強調しすぎてきた傾向がある。

それが結局、国への不信を生んできた。

「福島のすべての人の医学登録簿(健康調査と治療履歴) をすぐに作ってほしい。

 それは世界の人々(の予防) のためにも必要なこと。」(ステパーノヴァ教授)

こういう感覚がほしいのだが、どうも生まれてこない。

 

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低線量での長期被曝による晩発性影響。

この問題は長い論争が続くのだろうが、

日々食を運び続ける僕ら、日々何かを食べ続ける僕らは、

専門家論争が決着するまで思考を停止させておくことはできないわけで、

こういう仮説がある以上、「予防原則」 の視点は捨てられない。

この 「保守性」 は動物の自己防衛本能であり、

「大丈夫、問題ない、平気、平気」 という専門家は、

個々のリスクに対する 「科学の (倫理的) 責任」 を果たしていない。

いわばただの科学論者であって、

(私にとって) アテにできない学者、ということになってしまう。

人は今、私 (あるいは私たち) に対するモラルを感じさせてくれる人を求めている。

ただ一歩間違えばコワいことにもなるわけで、

盲信してはいけないよ、と言い聞かせながら歩かなければならない。

 

原発とは、厄介な難題を提示したものである。

 



2012年4月21日

チェルノブイリから学ぶ 「低線量被曝」

 

今日は、年2回(春と秋) の大地を守る会の社員合宿の日。

部署持ち回りで幹事が指名され、自由に企画が練られる。

組織方針をめぐってディスカッションが行なわれることもあれば、

レクリエーション一色になることもある。

 

僕が幹事側になって仲間と企画したもので強く印象に残っているのは、

安全審査グループ時代にやったワークショップ型合宿かな。

千葉・さんぶ野菜ネットワークにお願いして有機農業体験する組、

船橋で船(大野一敏さんの太平丸) に乗って三番瀬を学ぶ組、

林業体験組、ゴミ処分場をめぐる組などに分かれ、

体験後はそれぞれの現地で 「運動と事業のつながり」 をテーマに議論し、

夕方に合流して懇親会、翌日、総括討論をやって提案型にまとめる、という趣向。

わずかなスタッフで皆よく切り盛りしながら働いてくれた。

 

さて今回は、宅配部主催。

出された企画は久しぶりの分散型、

しかもやっていただくことは街の清掃(ゴミ拾い)、という初物企画。

本社のある海浜幕張周辺組、六本木事務所周辺組、

今日明日と出展者として参画するアースデイ東京・代々木公園組に分かれ、

ゴミ拾いをやって、午後に浦安の温泉施設に合流して、

お風呂に入って宴会、という流れ。

 

アースデイ会場は、おそらくそんなにゴミは出ないと思うのだが・・・ 

とか言いながらワタクシはというと、

エプロンして街に繰り出す幕張組に 「ごめんなさい」 をして、

東京で行なわれるシンポジウムの聴講に向かわせていただいた次第。

テーマは、「低線量被曝に向き合う -チェルノブイリからの教訓-」。

会場は、本郷にある東京大学弥生講堂。

ウクライナとベラルーシから二人の研究者を招いて、

チェルノブイリ後に進行した住民たちの健康被害についての最新研究成果を学ぶ。

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招いたゲストは、

ウクライナ国立放射線医学研究所・小児放射線部長、Y・ステパーノヴァさん。

ベラルーシ科学アカデミー主任研究員、M・マリコさん。 

 

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ステパーノヴァさんの報告。

1986年4月26日深夜に発生したチェルノブイリ原発第4原子炉で発生した事故は、

「レベル7」 という最も深刻な事故災害となり、

この原子炉を鎮めるために80万人を超す作業員が動員され、

その作業者の中からも多くの被爆者を出した。 

被曝が原因とみられる死者の数は今も累積されていってる。

 

4km離れたプリピャチ市の住民を避難させるために

1100台のバスと3本の列車が用意され、3時間で4万5千人が避難した。

事故の規模が明らかになるにしたがい、

汚染地域・30km圏内からの避難が行なわれ、1993年末までに23万人が避難した。

 

ウクライナでは、チェルノブイリ事故の被災者を4グループに分けて登録している。

1) 事故処理作業にあたった人。

2) プリピャチ市と30km圏内から避難した人。

3) 放射性物質で汚染された地域に居住している人。

4) 被ばくした両親から生まれた子ども。

 

今回はチェルノブイリ事故が子どもの健康に与えた影響について報告された。

ポイントを上げれば、

・30km圏内から避難した子供にも、放射能汚染地域の住民にも、

 機能障害から慢性病へ移行する現象が見られた。

 この傾向は子どもが18歳になるまで続いた。

・健康な(何も疾患がない) 子どもの割合は、1986-87年の27.5%から、

 2005年の7.2%へと減少した。

・甲状腺に高い線量を被ばくした子どものうち、健康な者は2.8%に満たない。

・プリピャチ市から避難した子どもの疾患レベルは、比較対象グループよりも、

 事故後一貫して高く、2003年の健康調査では、避難グループの疾患レベルは

 対象標準グループに比べて3倍高い。

・子どもに見られる慢性疾患の特徴は、

 以前には子どもには見られなかった病気が見られるようになったこと、

 複数の病気にかかりやすくなったこと、病気の長期化および再発傾向が見られること、

 そして治療効果が低い(治りにくい) ことが上げられる。

・子どもの発達期における障害頻度は、胎児期の甲状腺被ばく線量と相関する。

・放射線リスクに他の危険要因(様々な環境的要因ヤ生活要因) が加わることによって、

 発達異常数が増加する。

・子どもの軽度な諸発達異常数と総被ばく線量に、正の相関関係がある。

 また被ばく時の胎児に妊娠期間(週) とは負の相関関係がある

 (=妊娠初期に被ばくしたほうが発達異常が多い)。

・染色体異常と胎内被ばく線量には相関関係があることが明らかになった。

 

ステパーノヴァさんは、チェルノブイリの教訓をこうまとめた。

1.チェルノブイリと福島第一原発事故は、

  原子力発電でもっとも起こり得ないとされた事故でさえ起こり得ることを示した。

  (原発を有する) 国家は事故に備えて対応措置を高度なレベルで準備し、

  常に対応措置がとれるように態勢を整えておかなければならない。

2.チェルノブイリ事故が大事故であると認識するのが遅かったこと、また

  住民と環境への深刻な影響への理解が不足したことが、

  住民、特に子どもの健康に大きな被害をもたらした。

3.事故対応システムが欠如していたことが、事故状況下で、

  処理作業に用意を欠いた人を事故処理に充てることになった。

  この決定は不合理であり、作業員の健康状態に与えた影響は正当化されえない。

  (エビ注......日本では、この部分はまったく明るみにされてない。)

4.被ばく線量の大部分は事故が危機的状態にあったときに放出された。

  人々への健康、特に子どもの健康保護は何よりも優先されるべきである。

  住民の避難は正しいものであり、効果的だった。

  しかしながら若干遅れたために、最大限の効果は得られなかった。

  今は毎年、子どもたちは4週間以上、保養施設で健康増進を行なっている。

5.原発事故に関して、住民に遅れることなく、しかも十分客観的な情報が

  伝えられなかったことが、社会に心理的緊張を生み出す前提となった。

  避難と移住の過程は、時に家族関係、友人関係、倫理的・文化的価値観を破壊した。

  さらに、新しく住む場所に関する被災者の選択権も考慮されなかった。

  チェルノブイリ事故の教訓として、住民の生活条件を変えるような決定を下す際には、

  被災者の希望を考慮する必要があることを認識することである。

6.チェルノブイリに関するすべての健康問題は、被災者のモニタリング登録が

  事故直後に作成されていたら、より効果的に解決されていただろう。

  しかし登録簿はかなり後に作成された。

7.子どもの健康状態が変化した原因は放射能の影響である。

  放射能由来でない要素 (生活条件や食料条件の悪化、精神面での長期的緊張など) も、

  健康状態変化の原因にあげられる。 

  (しかしそれも 「事故による影響」 である以上) 放射能事故による悪影響を受けた

  子どもの健康を維持し、回復するための施策は、医療当局だけでなく

  国家政策の優先事項に他ならない。

8.放射能の影響に関する住民の知識を高めるため、

  また精神・感情面での緊張感やストレスを軽減するために

  啓蒙活動を常に行なう必要がある。

  また農村地域では、住民にとりわけ信頼される情報提供者である教師、

  医療従事者、社会福祉関係者などに対する研修プログラムを導入すべきである。

 

ステパーノヴァさんは、強調した。

「子どもたちの健康を守ることは、国家の責任であり最重要政策である。」

 

僕たちは、4半世紀前のチェルノブイリから何を学んだんだろう。

そして、フクシマから何を教訓に残せるのだろう。

 



2012年3月31日

ニッポンのリグビタートル -無名の英雄たちよ

 

強風の一日。

出かける予定だったのが電車が止まり、お陰で仕事をいくつか処理した。

悩みの種は、底なし沼にはまったようなこのブログ。

この間、アップしたいネタも溜まり続けているのだけど、

その前に重かった、実に重かった東北レポートを終えなければならない。

 

3月24日(土)、「福島視察・全国集会」。 

前回、伊藤俊彦の決め台詞まで書いた。

「 この難局を乗り越えられたら、

 福島は日本一、いや世界一優秀な農民たちの地域になれる!」

この確認ができただけでも、今日の一日は価値がある。

 

シンポジウム終了後は、交流会。

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福島の地産地消をリードしてきた 「ホテル・ヴィライナワシロ」元料理長・山際博美氏と、

「ホテル華の湯」料理長・斉藤正大氏が技を競った、

福島産&有機をベースにした食材の数々に皆感激しつつ舌鼓を打つ。

お酒は、大地を守る会でもおなじみの金寶(きんぽう)酒造に大和川酒造ときた。

 

「どこよりも美しい村づくり」 に取り組んできた福島県飯館村をPRする

" までい大使 "  の一人、大和川酒造店代表・佐藤弥右衛門さん。

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「原発はもうやめにしましょう。

 新しいエネルギー時代を、福島から発信したいし、福島にはその力がある!」

とハッパをかける。

福島の意地をかけたような交流会だった。

 

二日目(25日) は、2コースに分かれての現地視察。

僕は 「放射能とたたかう農業者」 視察コースを希望する。

 


福島市にある果樹園での除染作業を見る。

まず、ぶどうの樹の粗皮(そひ) 削りの様子。 

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もともと梨・ブドウ・リンゴなどでは、

病虫害対策のために表皮を削ることは、前からあった方法である。

加えて今回は、放射性物質は表皮に付着していることが分かってきているため、

この時期に徹底的に削ることが推奨されている。

 

続いて、高圧洗浄機による水洗い作業。 

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皮を剥ぐわけにいかない桃やサクランボでは、この方法を徹底する。

降り注いだ放射性物質は枝の背中(上部) に多く付着しているため、

上からの洗浄となる。

これらの作業により、樹体に付着した放射性物質の9割以上を取り除くことができる、

というのがこれまでの試験によって実証されてきたことだ。

 

これらは、平成23年度産の果実や土壌の検査から、

放射性物質は土壌の表層0~3cmにほとんど留まっていることが判明していて、

根域に達していないことで、根からの吸収は考えられず、

樹体からの移行と判断されての対策である。

土の中でセシウムをがっちりとつかまえているのは粘土粒子である。

 

しかし、言葉の正しき意味においては、この作業は  " 除染 "  ではない。

食べ物である果実に移行させないための抑制対策である。

洗浄により地面に落ちた放射性物質は、土壌の粘土粒子によってつかまえさせる。

削られた粗皮は土に還すことはできず、まだ処分方法が定まっていない。

おそらくはチップや粉にして容積を小さくして、然るべき処理施設で燃やすか

埋める・・・ ということになろうかと思う。

 

対策の結果は秋に判明する。 まだまだ予断を許さない、というところか。

まあ、それでも

「福島市の前年度産の桃やリンゴ、梨は、新基準値(100ベクレル) を下回ってます」

というのが福島県の農業振興普及部からの説明である。

100以下、しかも低い水準のものがほとんど、とのデータを見せられる。

 

次の視察先は、二本松市東和地区。 

菅野正寿さんの田んぼでの反転耕起作業を見る。

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今、ジェイラップ(稲田稲作研究会) でもやっている作業だ。

しかもこちらは、天ぷら油を再精製したVDF燃料でトラクターを動かしている。

 

水の入口にはゼオライトを敷き、セシウムを吸着させる。 

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食の安全と安心を取り戻すために、

皆で 「やれることはやり切ろう」 と必死である。

人工放射能という魔の兵器に、体を張った総力戦で対峙する農民たち。

泣けてくる。。。

 

視察団一行と途中で分かれ、

僕は大地を守る会がリンゴで契約している二本松の生産者団体

「羽山園芸組合」 に回る。

こちらでも同様の作業の真っ最中である。

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これはサクランボでの洗浄風景。

 

リンゴは脚立に上っての作業。

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粗皮削りを終えたリンゴの樹。 

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羽山園芸組合の3名。 

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左から、熊谷耕一さん、武藤喜三さん、武藤善朗さん。

 

「羽山 (という地元の山) が遮ってくれて、ここいらは (線量は)低い方」

だと言いながら、彼らの不安は、まだまだ消えない。

何度となく聞かされた言葉 - 「とにかくやるだけのことはやりますから」(喜三さん)。

ドキドキしながら秋まで過ごすことになるのだろう。

 

羽山園芸組合を最後に、東北をあとにする。

 

思えば、、、世界には今も432基のゲンパツが存在し、

放射性物質の影響はグローバルであり、

かつすでに 「管理」 という名での付き合いは永遠(十万年以上) である。 

私たちがこの宇宙船地球号をどのような形で次世代に継承するにせよ、

彼ら生産者たちの悪戦苦闘は、

  " 二度と起きてはならない、その時のためのマニュアル "  として

残さなければならない。

アフリカ大陸の原発だって、いざとなれば救わなければならないワケだし。

 

彼ら生産者たちは、

ニッポンのリグビタートル (チェルノブイリの事故処理に当たった消防士たち) だ。

たくさんの無名の英雄たちが福島を、そして未来を支えようとしている。

地球市民の一人として見過ごすわけにはいかない。

 

だって、いつか孫やその孫たちから

" どうしてマニュアルを残してくれなかったんですか "  なんて、

言われたくない。

でもそのためには、付き合ってくれる(食べる) 人が必要となる。。。

 

21世紀は、哲学の世紀になるかもしれないね。

いや、ならなければならないのかも。

 

いま福島原発で闘っている文字通りのリグビタートルは、

いつか、チェルノブイリのように英雄として称えられるのだろうか。

それとも歴史に埋もれるだけなのだろうか。

 

顔も名前も分からない原発現場でたたかう人たち、

再興に挑みながら助け合う三陸の人々、必死で土を耕す農民たち、

そして、、、結果を受け止め、食べる人々。

たくさんの無名の英雄たちがいることに深く感謝して、

変えよう、日本を!

- この言葉をもって、東北レポートを終えたい。

 



2012年3月28日

世界一優秀な農民になろう

 

3月24日(土)、磐梯熱海での全国集会に向かう前に、

福島市松川町の 「やまろく商店」 さんを訪ねる。

福島市から二本松市にかけて百数十軒の米の生産者を束ね、

「やまろく米出荷協議会」 を運営する。

 

社長の佐藤正夫さん。

抱えているのは、セシウム対策として農家に配っているソフトシリカ。

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モンモリロナイトという自然の粘土鉱物で、

以前から土壌改良や稲体の強化に活用されてきたものである。

 

昨年は、周囲から 「米を作らない方がいいのでは」 という声もあったようだが、

メンバーは明確な意思を持って作付した。

田を荒らすわけにはいかない。

先祖から受け継いできたように、この田を次代に渡すために。

米はほとんど10ベクレル未満に抑え込んだ。 一部では超える米もあったが、

有機栽培の田んぼは低い、という確信も得られた。

今年は 「すべて10ベクレル未満にする」 と、協議会総会で確認し合った。

大地を守る会の自主基準で、米を10ベクレルに設定できたのも、

「やまろく」 さんの力強い決議があったことによる。

 

思い返せば1993年、

日本が歴史的大冷害に見舞われ、米の値段が暴騰して、

当時の細川政権は米の緊急輸入を発動した。

あの時、「やまろく米出荷協議会」 は、敢然と

「消費者が困っている。 値上げはしない!」 と宣言してくれた。

あれ依頼のお付き合いである。

今こちらが支えられないでどうする、と思うのである。

ここで仁義を通さなかったら、この世が廃(すた) る。

 

思いがけず、弊社・藤田社長がツイッターで後方支援してくれた。

   今朝から、わが家のご飯は福島産コシヒカリに変わった。

   大地を守る会の自主基準では米はセシウム10ベクレル/㎏ 以下だが、

   この米は測定値最大で33ベクレル/㎏ だった。

   生産者を応援すべく大地を守る会は会員に測定値を公表して販売している。

   妻と相談して食べることにした。 美味しいね、と妻。 (3月23日付)

 

「私はやっぱり食べられない」 という反応もあったようだが、

「無理しないでいいですよ」 と返している。

子どもに配慮しつつ、大人は食べる。

ま、そこはあまり気張らず、

それぞれに持続可能な形で 「支え合い」 の輪を維持させたい。

 

今年の取り組みを確認したところで、

佐藤社長の車に乗せてもらって磐梯熱海に向かう。

会場は 「ホテル華の湯」。

ジェイラップ・伊藤俊彦さんと合流し、一緒にラーメン食べてシンポジウムに。

 

「 福島視察・全国集会 農から復興の光が見える!

 ~有機農業がつくる持続可能な社会へ~ 」

 

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全国から300人くらいの参加者があり、 

会場はすでに熱気に満ちていた。

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開会を宣言する、福島県有機農業ネットワーク代表・菅野正寿さん。 

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子や孫に安心して食べさせられる野菜を育てたい、その一心で耕してきた。

結果は予想を超えて、検出されてないものばかりになってきている。

土の力を信じて、耕しながら前に進みたい。

今日を、「がんばろう日本」 から 「変えよう!日本を」 の分岐点にしたい。

 

「福島における放射能汚染の実態と今後の対策」 など、

3名の先生による講演があり、続いてパネルディスカッション。

タイトルは 「福島県農産物の風評被害の実態と今後の対策」。

菅野正寿さんをコーディネーターとして、

パネリストは、滝澤行雄さん(秋田大学名誉教授)、伊藤俊彦さん(ジェイラップ)、

大津山ひろみさん(生活クラブ福島理事長)、そして戎谷。

 

前に座らせられていると、どうも全体の流れはうまくまとめられない。

自分の話したことはだいたい以下の感じ。

 ・「風評被害」 と呼ぶのはやめよう。

  実体のない評判による被害ではない。 ましてや消費者が加害者なわけもない。

  ともに原発事故による被害者として理解し合うことで、大本を断つことができる。

 ・大地を守る会で取り組んできた対策や基準についての考え方について。

  「内部被爆から子どもを守る」 という姿勢を生産者とともに示すことで、

  つながりを取り戻したい。

 ・そのために頑張ってくれている生産者の取り組みを正しく伝え、

  実態を踏まえつつ、 「大人は食べる」 運動も進めたい。

 ・これは未来のために、「国土を回復させる」 運動である。

  そのために生産と消費をつなげる努力を続けるのが流通者の使命だと思っている。

 ・特に有機農業の力を信じる者として、皆さんの営為をしっかりと伝えていきたい。

とまあ、必死でエールを送ったつもりである。

 

僕の隣に座った伊藤俊彦さん。

これまでの取り組みと成果を語った上で、皆を奮い立たせた。

「 この難局を乗り越えられたら、

 福島は日本一、いや世界一優秀な農民たちの地域になれる!」

フクシマで今、国土を守る精鋭部隊が形成されつつある。

 

・・・・・今回で最後まで書き終えるつもりでいたのだが、

すみません。 本日の作業ここまで。

 



2012年3月22日

釜石から

 

直前になるまで行程を定められなかったことも災いして、

岩手県釜石に向かうのに、三日前に

東北新幹線・新花巻駅でレンタカーを借りようとしたらすでに予約一杯で、

手前の北上駅でようやく軽を一台押えることができた。

今の三陸方面は平常時とは違うことを改めて思い知り、

慌てて宿もあちこち当たって、二日目は何とか

宮城県南三陸町のホテルの  " 離れの一室 "  というのを確保した。

 

建設会社によると思われる 「貸し切り」 の札がかかった宿の

" 離れ "  と呼ばれる本館裏の簡易宿舎ふう建屋の一室で、

東北出張の経過を記し始める二日目の夜。

宿代が正規の部屋と同じなのが少々納得ゆかないけど、、、

3月下旬でまだ寒い東北、部屋を用意してくれただけでも感謝すべきか。

ノムさんみたいなボヤキはやめてストーブをつけ、丹前を羽織って

大人しくパソコンに向かう。 まずは昨日の報告から。

 

3月21日(水) 朝6時半、5日間にわたる東北出張に出発。

10時41分、北上駅着。

レンタカーを借り、遠野街道に向かって走り始めたら

工事による通行止め区間にぶつかり、北に迂回したりしながら、

遠野の道の駅 「風の丘」 でCSR推進本部事務局長・吉田和生と合流。

ここで行者にんにくラーメンを食べ、午後1時半、釜石市役所に到着。

 

震災1年後の、街なかの風景。

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復興はまだ、まだである。

 

大地を守る会は、この街に設立されたNPO法人「東北復興支援機構」 に

ガンマ線スペクトロメーター1台を提供(無償貸与) した。

つながるきっかけは 「鮮魚の達人」 たちのネットワークだった。

昨年11月末に設置し、検査トレーニングなどを経て、

いよいよ4月から地元漁業者からの測定依頼を受ける体制へと進んできた。

しかも釜石市の放射能対策の方針とリンクする形となり、

市が策定した 「地域水産物の放射能測定に関する基本方針」 のなかで、

「測定調査に必要な人員の手当てを図る」 とともに、

測定結果を市のホームページで公表する、という関係に発展した。

 

そこで昨日は、

市による地元漁業者や水産加工業者向けの説明会が開催されることとなり、

合わせて放射能についての話をしてくれ、という依頼を受けての訪問となった次第。

ここでのお話は吉田が務め、僕は補佐役。

 

津波被害を免れた高台にある事務所に設置された測定器。

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生産地への貸し出しは福島県須賀川市・ジェイラップに続いて2台目。

こちらは自治体の取り組みにも貢献する形での本格スタートとなったわけで、

今後の水産物の状況把握とともに、

漁業者・事業者そして消費者の安心に貢献できるよう、

計画的に進めてゆかなければならないと思う。

 

その測定実務を担うNPO法人 「東北復興支援機構」

副理事長の三塚浩之さんに案内いただき、

大地を守る会の復興支援基金からお贈りした漁船を確認する。

 

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この船は、山形・舟形マッシュルームさんからの義援金によって調達したものである。

マッシュルーム菌舎の倒壊など甚大な被害を受けたにもかかわらず、

大地を守る会からの義援金をそっくり 「三陸の方々のために役立ててほしい」

とカンパしていただいた。

残念ながら船主の佐々木健一さんとはお会いできなかったが、

漁船登録で少々手間取っているらしい。

漁に出るようになったら、舟形マッシュさんも招いて祝いたいものだ。

 

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写真左が三塚浩之さん。

釜石発⇒復興未来行き切符 諦めない限り有効 1枚300円

なるチケット販売を企画するなどのアイデアマンでもある。 

右が吉田和生。 専門委員会 「おさかな喰楽部」 を率いる炊き出し隊長。

 

車で移動しながら眺める震災の爪あとには言葉も浮かばず、

ただため息ばかり。 

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夜は遠野まで戻って、「民宿とおの」 に泊まる。

三塚さん推薦の、隣接する古民家を移築したレストラン 「要(よう)」 で食事。

料理も素晴らしかったが、自家製ドブロクがとにかく旨かった。

民話の里・遠野にお越しの節は、ぜひ。

 

今朝は宿で吉田と別れ、僕はふたたび釜石を経由して

陸前高田~宮城県気仙沼と通過して、南三陸町へと向かう。

 

釜石湾をあとにする。

崩壊した堤防から威力を想像するも、今日の海はただただ穏やかに凪いでいる。

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湾を望む釜石大観音さま。

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たくさんの深い哀しみを抱きしめ、愛をすべての人に。

 



2012年3月20日

放射能に克つ

 

放射能に勝つ! なんてできるワケがない。

しかし、原発を恨み、ただ手をこまねいて敗北者への救済を待っても、

農という営みは再生しない。

 

人が生きている限り、農は必須である。

しかも、農の健全さと人々の健康、そして社会の安定は比例関係にある。

その確信を持つ者は、敵が放射能であろうとも、抗い、たたかう。

たたかって、たとえ敗北しても、

この精神だけは次世代に渡さないと、気がすまない。

汚染に立ち向かい、食とその源泉である大地を守るために人智を尽くす。

これは放射能という絶望を克服する、希望のための作業であると、信じて疑わず。

 

3.11から1年、

そんな思いを込めた一冊が出来上がった。

 

『 放射能に克つ農の営み

  ~ふくしまから希望の復興へ 』 

『放射能に克つ農の営み』カバー.JPG

 

ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会の菅野正寿さん、

ジェイラップの伊藤俊彦さん、

あいづ耕人会たべらんしょの浅見彰宏さん、

といった本ブログでお馴染みの生産者が登場します。

戎谷徹也も、書いてます。

 

目次は以下の通り。

プロローグ 「土の力」に導かれ、ふくしまで農の道が見えてきた......中島紀一

第1章 耕して放射能と闘ってきた農家たち
 1 耕してこそ農民――ゆうきの里の復興......菅野正寿
 2 放射能はほとんど米に移行しなかった
      ――原発事故一年目の作付け結果と放射能対策......伊藤俊彦
 3 土の力が私たちの道を拓いた
      ――耕すことで見つけだした希望......飯塚里恵子
 4 土地から引き離された農民の苦悩
      ――根本洸一さんと杉内清繁さんの取り組み......石井圭一
 5 85歳の老農は田んぼで放射能を抑え込んだ
      ――安川昭雄さんの取り組み......中島紀一
 6 100㎞離れた会津から新たな関係性をつくる......浅見彰宏

第2章 農の営みで放射能に克つ......野中昌法
 1 農の営みと真の文明
 2 農業を継続しながら復興をめざす
 3 核実験が農地に及ぼした影響への調査から学ぶ
 4 土の力が米への移行を抑えた
 5 ロータリー耕などの技術による畑の低減対策
 6 森林の落ち葉の利用は可能か
 7 除染から営農継続による復興へ

第3章 市民による放射能の「見える化」を農の復興につなげる......長谷川浩
 1 市民放射能測定所が生まれた
 2 用語と測定の基礎
 3 放射能の「見える化」の意義
 4 汚染度が低かった福島県産農産物
 5 福島とベラルーシの農産物汚染の比較
 6 そもそも土の中はどうなっているのか
 7 今後の放射能汚染対策

第4章 農と都市の連携の力
 1 首都圏で福島県農産物を売る......齊藤 登
 2 応援します! 福島県農産物......阿部直実
 3 ふくしまの有機農家との交流から、もう一歩進む......黒田かをり
 4 分断から創造へ――生産と消費のいい関係を取り戻すために......戎谷徹也
 5 地域住民と大学の連携......小松知未・小山良太

第5章 有機農業が創る持続可能な時代......長谷川浩・菅野正寿
 1 持続可能でない日本
 2 21世紀は大変動の時代
 3 これから発生するリスク
 4 日本にも持続的な社会はあった
 5 有機農業が拓く世界
 6 有機農業が創る持続可能な時代
 7 ふくしま発、持続可能な社会への提言

エピローグ 原発と対峙する復興の幕開け......大江正章

出版社・コモンズから。

四六判 288頁。 1900円+税。

執筆者たちに払われるべき印税はすべて、

福島有機農業ネットワークに寄付されます。

 

短期間で無理やり書かされて、

「印税は寄付だからね」 と当然のように言われて、

販売までせっせと協力しているワタシ。

人がいい? いいえ。

ただ  " 放射能に克ちたい "  の一心です。

 

明日から25日まで、岩手~宮城~福島と流れます。

途中で一本は書きたいと思っているのですが・・・ さて。

 



2012年3月15日

バランスのとれた食事こそ防護の原則

 

遅まきながら、

2月17日(金)に 「食品と放射能問題 検討共同テーブル」 が開催した、

白石久二雄さんを招いての内部学習会の概要につき、

大地を守る会の会員向け機関誌 (『NEWS 大地を守る』) 用に原稿を書いた。

白石久二雄さんについては、以前にも紹介 した経緯があるので、

ここでもアップしておきたい。

 

「バランスのとれた食事こそ大事な防護」

-白石久二雄さん学習会

 

大地を守る会他4団体で構成する 「食品と放射能問題 検討共同テーブル」 では、

2月17日、元(独)放射線医学総合研究所 緊急被ばく医療研究センター

内部被ばく評価室長の白石久二雄さんをお招きし、

「食物摂取による内部被ばく」 をテーマに学習会を開きました。

 

白石久二雄さんは、食品による放射線内部被ばくのリスクについて

専門的に研究された日本で唯一の研究者であり、

チェルノブイリ原発事故後、「ウクライナ医科学アカデミー放射線医学研究センター」

との共同研究に携わりました。

 

ウクライナでは1994年、知識不足によって健康を損ねがちな現地の人々のために、

放射線に対する正しい知識と防護のための食事法 (食材の選び方や調理法など)

を解説した小冊子が、国際赤十字社の支援によって無料で配布されました。

白石さんはその冊子を翻訳し、自費出版しました (『チェルノブイリ:放射能と栄養』)。

それが今、福島原発事故によって注目されるとともに、

数多くの書物等に引用されています。

白石久二雄氏.JPG

 


学習会では、放射線の基礎から始まり、

事故前の自然放射性核種と人工放射性核種の被ばく実態

(自然放射性核種による日本人の年間平均被ばく量は年間1.48mSv、

 うち食事から0.41mSv =国民一人一日当たり平均で135Bq 相当、

 人工放射性核種による被ばくは0.1Bq 未満だった)、

体内の放射能 (体重60㎏ の人で約7,000Bq)、

放射性物質の人体に及ぼす影響

(確定的影響と確率的影響。 確率的影響にはしきい値は存在せず、

 被ばく線量と健康影響は、100mSv 以上では比例関係にあるが、

 100mSv 未満では明確な結論は出ていない)、

吸入摂取・経口摂取による内部被ばくの計算法、等について

解説いただきました。

 

食品から内部被ばくを避けるための防護の基本は、以下の5点。

① 可能な限り放射性物質の含有量の低いものを摂取する。

  そのためには情報公開が必要。

② 調理や加工法により放射性物質を減らす。

  基本は、洗う(皮をむく)、煮る(浸す・茹でる)、塩や酢の活用、

  前処理なしでの油料理は避ける、魚は骨や内臓を避ける、等。

③ 放射性物質の吸収阻害と排泄促進。

  カルシウムはじめミネラル類と食物繊維の摂取を推奨。

  カリウムとペクチンも有効。

④ 被ばくに対する生体の抵抗力(免疫力)を強化する。

  それにはバランスのとれた食事によって免疫力を上げることが重要。

  ビタミン・ミネラル類、抗酸化物質、蛋白質を摂ること、脂を摂り過ぎないこと。

  海藻類や発酵食品を主とした伝統的和食を見直したい。

 

白石さんは、国の新たな基準については一定評価しつつ、

もっと子どもに対して配慮する必要があると主張され、

検査機器の徹底した配備、陰膳法の活用などが提唱されました。

 

「共同テーブル」では、こういった内部学習や専門家へのヒアリングを進めながら、

食品における放射性物質に対する規制・基準の  " あるべき形 "  について、

これからも検討を重ねていきます。

 

提出した原稿はここまでですが、おまけとして、

白石さんの著書を紹介しておきます。

前に紹介した白石さんの翻訳による自費出版

『チェルノブイリ:放射能と栄養』 より分かりやすく、

また福島原発事故を受けて日本人向けに再編集したもの。

 

『福島原発事故 放射能と栄養』 

福島原発事故:放射能と栄養.JPG

(発売元:宮帯出版社、定価890円+税)

掲載されている調理法・レシピも、日本料理に入れ替えています。

これはフード・コーディネーターである奥様・白石かおるさんが

考案されたとのこと。

 



2012年3月11日

大地を守る会の自主基準

 

あれから1年が経った。

とてつもなく長かったようでいて、あっという間の1年だった。

いまこうして 「放射能対策特命担当」 などと言われる自分が存在することに、

改めて戦慄を覚える。

 

去年の3月11日のあの時、僕はこの場にいた。

成田の某ホテル。

ここで、「さんぶ野菜ネットワーク」 の総会が開かれていた。

1年後の3月9日(金)、まったく同じホテルで総会が開かれた。

「今日揺れたら、呪われているとしか思えないね」

とか冗談言い合いながら、さんぶの生産者たちと、この日は楽しく過ごすことができた。

放射能の影響による販売不振は尋常ではなかったのだが、

報告された数字は、よくぞ持ちこたえた、というものだった。

 

この情勢下で、新規就農者も6人。

研修を終えて、晴れて組合員になった。

20120309さんぶ総会.JPG

頑張ってほしい、なんて言ってられない。

こちらの責任も重大なのである。

 

今日は、日比谷公園での 311市民のつどい 「ピース オン アース」

参加するのもやめて、追い詰められていた原稿をやっつけた。

大地を守る会が設定した、食品の放射性物質に対する自主基準について。

会員に配布する説明パンフレットに、

設定までの道のりや思いを書け、という指令。

 

当会の基準の内容については HP を見ていただくとして、

この基準については生産者はじめ各方面から質問を受けたことでもあるので、

駄文ながらここにアップすることで、説明の一端にしたいと思う。

僕の中では、生産者・ H さんへの手紙のつもりでもある。

 


未来の子どもたちのために-

「大地を守る会の自主基準」 設定までの道のりと、お約束

 

東日本大震災と東京電力福島第1原発の大惨事から、1年が経ちました。

生産者の安否確認やインフラの建て直しに追われながら、

一方で放射能に向き合うという前代未聞の事態に潰されそうになったことを、

思い返しています。

あの状況下でのオペレーションに落ち度はなかったか、

検証する暇(いとま) もないまま、走り続けてきました。

福島をはじめ東日本の第一次産業は、今もって暗い陰に苦しめられています。

 

大地を守る会では、事故以降、

放射能汚染のできるだけ正確な実態把握 (測定体制の強化) と

情報公開に努めるとともに、生産者の対策支援に尽力してきました。

お陰さまで現在、高精度の放射能測定を可能とする体制

(ゲルマニウム半導体検出器 1台、NaI ガンマ線スペクトロメーター 6台

 ~うち 2台は生産地に設置) を整えるまでに至っています。

 

食品における放射性物質の規制に関しても、

拙速に 「規制値」 を設定せず、科学的知見の検証と、

「基準」 を遵守できる体制の確立、生産地での対策の見定めが必要である、

という姿勢に立って検証を進めてきました。

また並行して、他団体とともに 「食品と放射能問題 検討共同テーブル」 を立ち上げ、

" 基準とはどうあるべきか "  について討議を深めてきました。

昨年末に厚生労働省から発表された 「新基準値案」 に対しては、

「共同テーブル」 として 「提言」 を発表し、基準の考え方を提示しました。

 

こういった取り組みを土台として、たどり着いたのが今回の 「自主基準」 です。

「基準」 設定にあたっては、たんに流通を規制する 「数値」 だけでなく、

放射能汚染に対する考え方を示す必要があると考えました。

それを表現したのが基本姿勢の ①~④ です。

また原因の大元である原発に対する私たちの姿勢も、改めてここに明記しました。

 

数値にも意味があります。

根本に据えたのが、大地を守る会の原点である次の言葉です。

 「子どもたちの未来のために、美しい大地ときれいな海を取り戻そう!」

 

私たちはここに、「未来の子どもたち」 を加えました。

長期的な低線量内部被ばくの影響はまだ不明 (未解明) という現状にあって、

将来に禍根を残さないためにも、

「子どもを守る・守ってみせよう」 という基準でありたいと考えました。

 

生産者からは 「厳しすぎる」 という声も上がりました。

しかしあえてお願いしました。

食を生産する者の責任として、「子どもを守る」 と宣言しよう。

ゼロリスクはもはや無理であっても、「ゼロを目指す」 努力をしよう。

そこから 「つながり」 を再構築しよう。 「つながり」 があってこそ、

" 基準を超えた場合でも生産者を切り捨てない "  が実現できます。

その意味でも、この基準は私たちに、

" 何を、どう食べるか "  について、再度学び合うことを求めているように思います。

そういった機会も用意していかなければなりませんね。

 

この基準は、これからの私たちの 「行動規範」 となります。

「未来の子どもたち」 への責任を全うする決意で、

本基準を設定・運用していくことをお約束します。

        (2012年3月11日記、春を待ちわびながら-)

 

 

前回の日記で紹介したユーリ・バンダジェフスキーが語っている。

当局の圧力で投獄の身に遭いながらも、医者としての信念を貫く人の言葉。

 

  被災者の健康状態は、まさに災害である。

  しかし、私自身が医者である限り、見込みなしとは言えない。

  神に誓って私は訴える。

  尽力できる者は状況改善にベストを尽くせ と。

  地球上で生命ほど貴重なものはない。

  私たちはできる限りのことをして、生命を守り通すべきである。

 

集会に行って、みんなと一緒に黙祷はできなかったけど、

僕なりに思いを新たにした一日。

 



2012年3月 9日

ムッシュ と呼んでくれ

 

" ムッシュ・エビスダニ~ "

 ・・・ウ~ン、心地よい響きだ。

 

7日(水) の朝、やってきたのはフランスからの一団。

フランス緑の党の州(だったか) のリーダーと有機農家に女性のジャーナリスト。

福島原発事故以降の日本の状況を知りたくて来日した。

福島の各地を回り、またいろんな団体の話を聞く予定だという。

カメラ班もくっついてきている。

ドキュメンタリーを一本、ねらっているようだ。

 

説明係に指名され、大地を守る会の説明から始まり、 

放射能汚染の経緯と現状、弊社の取り組みなどお話ししていくなかで、

話題は、国や電力会社の事故後の対応のまずさとその影響、そして

安全神話がつくられていった背景などへと広がっていく。

また脱原発の方向を支持する国民が多数を占めてくる中で、

事ここに至ってもなお原発に依存しようとする自治体があることの理由まで聞かれた。

原発マネー (電源三法交付金や電力会社からの寄付金) が

自治体の経営を逆におかしくしてしまったことや、

原発の新規誘致が同じ場所に集中していった原因となったことなどをお話したところ、

何とフランスでも似たような問題はあるのだという。

原発大国フランスでも、内実はもちろん一枚岩ではないということだ。

 

内部被ばくのリスクに対する日本人の認識はどうか?

バンダジェフスキーは知っているか?

-内部被ばくに対する認識は、ICRP(国際放射線防護委員会) のリスク評価が

  全体の基調になっている。

  低線量内部被ばくの問題を指摘する学者や医者は存在するが、採用されていない。

  バンダジェフスキーの研究成果も、ECRR(欧州放射線リスク委員会) のレポート 【注】

  も、昨年11月あたりから翻訳されて出てきたばかりである。

  しかしまだ、" ヨーロッパのみどり派の学者が言っていること "  という感じだ。

  この学問的にグレーな様子が消費者の不安心理に影響を与えていることは、あるだろう。

 

最後に、ジェイラップが作成した測定MAPや、

河田昌東さん(チェルノブイリ救援・中部) たちが作成した

南相馬の詳細な汚染MAPを見せて、

民間レベルでも頑張ってきたことがたくさんあることを伝えた。

 

お役に立てたかどうかは定かではないが、事務所を案内し、

習志野物流センターの測定体制を見てもらい、お帰りいただいた。

これがフランスでどう扱われるのかは、分からない。

ムッシュ・エビはフランス人の目に耐えられるのだろうか・・・

なんて心配しても仕方ないか。

そういえば20年以上も前、雑誌の取材を受けて、

「パリのいたずらっ子のような~」 と書かれたことがあった。

もしかして、意外と合ってるんじゃないか?

いつか、生きている間に、セーヌ河畔に立ってみたいものだ。

 

【注】

1.ユーリ・Ⅰ・バンダジェフスキー

   『放射性セシウムが人体に与える医学的生物学的影響

   -チェルノブイリ原発事故被曝の病理データ- 』 (久保田譲訳、合同出版)

  著者は元ベラルーシのゴメリ医科大学初代学長。 チェルノブイリ原発事故後、

  10年にわたって亡くなった患者の病理解剖を続け、また汚染地域住民の大がかりな

  健康調査を実施し、セシウム137の人体への影響の解明に取り組んだ。

  放射性セシウムの影響は特定ガンの発生だけではなく、

  多様な病気に関連していることを示した。

2.ECRR(欧州放射線リスク委員会)

   『放射線被ばくによる健康影響とリスク評価

   -欧州放射線リスク委員会2010年勧告- 』 (山内知也監訳、明石書店)

  ICRPのリスク評価は政治的で意図的な操作がされていると批判するとともに、

  様々なデータをもって、内部被ばくのリスクを厳しく、かつ総合的に評価し直している。

  バンダジェフスキーもECRRのメンバーである。

 



2012年2月20日

あっという間の10日間

 

やれやれ・・・まったくブログに手が回らない状態でした。

もう立春、とか言ってたと思ったら、

すでに季節は 「雨水」(うすい。雪が解けだし草木が芽吹き始める頃) へと移ろっている。

実際はまだまだ寒いのだけど、どうも昔の人はきざしのようなもので季節を感じ取り、

気持ちを前に向かわせたのかもしれない、なんて思ったりして。

春が近づいている・・・・・

僕はどんな思いで今年の春を迎えることになるのだろうか。

 

報告したいことがいろいろと溜まっているのだけど、

事ここに至っては一つ一つ振り返る余裕もなく、

でもとりあえず(未練がましく)、この間の動きを駆け足で拾ってみると-

 

8日に宮城から帰ってきてエネシフ・ジャパンの勉強会に参加。

実はここで一番感激したことは、秘かなファンである冒険家・関野吉晴さん

お会いできたことだった。

関野さんは現在、多摩美術大学で文化人類学を教えておられ、

この日は教え子と思しき若者を連れて聞きに来てくれた。 嬉しかったな~

 

10日(金)は、有機JAS認証機関であるアファス認証センターによる年次監査を受ける。

農産グループ長の任は解かれても、年に一回の事ゆえ、

引き継ぎもかねて立ち会うことにした (前半戦だけだったけど)。

この一年間の産地への内部監査業務は不充分なところがあって、少々ばつが悪い。

指摘されたことは認めざるを得ない。

でも腹の中は、" 今年はそれどころではなかったんすよ "  が偽らざる本音である。

監査とは自分たちの仕事の検証であることを、後任の方々に知ってもらえばいい。

O山部長、監査をなめていると、いずれ痛い目にあうかもしれないので、

気をつけるように。 

 

11日(土)~12日(日) は、

" これはオレの生きがい "  と言ってはばからない 「大和川交流会」。

大地を守る会オリジナル純米酒 「種蒔人」(たねまきびと) の故郷、

会津・喜多方 「大和川酒造店」 での新酒完成を祝う、

誰が名づけたか  " この世の天国ツアー " 、その第16回めの開催である。

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今年もいい酒ができた (例年より少しソフトな感じか)。

しかも原料米の栽培にあたっては、苗までジェイラップ(稲田稲作研究会) で作り、

その苗を大和川酒造の自社田(大和川ファーム) に移して田植えをするという

産地リレーで乗り越えた。

「種蒔人」 の物語がまたひとつ生まれたことを、皆で喜び合ったのだった。

写真とかは改めてアップさせていただきたい。

 

続いて、ちょっと飛んで17日(金)、

「食品と放射能問題検討共同テーブル」による勉強会を実施。

お招きしたのは、元放射線医学総合研究所の白石久二雄さん。

こちらも詳細、後日。

 

翌18日(土)は、以前予告した朝日新聞のシンポジウム 「放射線と向き合う」

にパネラー参加する。

いつものように早口でとちりながら、忙しなく喋ってしまった。

反省しきりなのだが、何人かの方から好評やお褒めの言葉を頂戴して、

少し安堵しているところ。

これもレポートしたいところだけど、手が回らないかも・・・。

シンポの概要が29日付の朝刊に掲載されるようなので、もしよかったらご一読を。

 

そして今日、

食品における放射性物質に対する大地を守る会の 「自主基準」 を発表した。

(HPでのリリース参照 ⇒ http://www.daichi-m.co.jp/info/press/2012/02/1518110220.html

 会員の皆様には来週配布いたします。)

内部被ばくについての明確な答えはなく、

放射性物質の動向も見定められない中での検討は、けっこうつらいものだった。

産地側からは厳しい反応も出ることかと思う。

覚悟してコミュニケーションに努めなければならない。

 

・・・・・とまあ、そんな流れで、あっという間の10日間でした。

溜まったレポートは書けるかどうか自信がないですが、

自主基準のほうはスルーさせて逃げるわけにはいかないので、

少しずつでも書き綴りたく思います。

 



2012年2月10日

宮城からエネシフ勉強会へ

 

今週は頭から宮城に出張した。

予定していた用務は7日(火)の宮城県生産者の新年会への参加だったのだが、

前日に仙台まで移動し、厚生労働省による

「食品に関するリスクコミュニケーション  ~食品中の放射性物質対策に関する説明会~」

に参加することにした。

これは昨年末に発表された新基準案に関する説明の場として設定されたもので、

1月16日の東京での開催を皮切りに2月いっぱいまでかけて全国7ヵ所で開催されている。

実は東京での開催に申し込む前に先着200名様が埋まってしまったので、

いったんは諦めたのだが、前日入りすれば仙台で聴けるかと思い申し込んだ次第。

 

ご説明は以下の4項目に分かれて行なわれた。

1.食品中の放射性物質による健康影響について

  内閣府食品安全委員会事務局勧告広報課より。

2.食品中の放射性物質の新たな基準値について

  厚生労働省医薬食品局食品安全部

  基準審査課新開発食品保健対策室バイオ食品専門官より。

3.食品中の放射性物質の検査について

  厚生労働省医薬食品局食品安全部

  監視安全課輸出食品安全対策官より。

4.農業生産現場における対応について

  農林水産省生産局農産部穀物課より。

 

特段の新しい情報はなかったけど、

基準運用の方針や詳細部分での見解がいくつか確かめられた。

新基準値案に対する当方の見解は 「共同テーブル」 で提出した 「提言」 に

集約されるが、やはり根本的な争点は以下に尽きそうだ。

 - まだ未解明な 「食品による内部被ばくの影響」 をどういう視点で捉えるか。

 


説明された基準設定や各種政策は間違いなく前進したと思う。

それは認めるところではあるが、

「充分な安全係数をかけて設定した」 という説明に終始しつつ、

「基準値(案) が緩和されることはないのか」 の質問に対して、

「できるだけ低減させていく方向性である」 (ホント?) と答えたところは、

ある種の使い分け的な印象が拭えなかった。

リスク・コミュニケーションというわりには、

お上からの  " 説明あるいは回答 "  の枠である。

もう少し社会的議論を深めるというセンスがほしいものだ。

民間の力ですでに前に行っている部分だってある。

 

ま、こちらも基準の設定を迫られている立場である。

予防原則の観点と生産者との連帯をどう折り合いつけるか。

どうも 「特命担当」 はいま極度のプレッシャーで、

ストレスもピークを迎えている様子だが (身体のあちこちから反応があって)、

腹をくくるまでもう一歩二歩、生産者との対話を続けなければならない。

 

夜は最安値のビジネスホテルに潜り込み、

7日、新年会会場である松島海岸に向かう。 

景色を眺める余裕もなく (復興途上の風景を電車でちらちら見つつ)、

午前中から会場であるホテルに入って、翌日に発生してしまった講演の準備をする。

 

午後3時頃から生産者が集まり始め、

まずは会議室で藤田社長はじめ、新任部長の挨拶など。

戎谷からは、国の新しい基準値と当社の考え方について説明させていただく。

 

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夜の宴会は割愛。

仙台黒豚会、仙台みどり会、ライスネット仙台、蕪栗米生産組合、同野菜部会の皆さん、

N.O.Aの高橋伸さん、無農薬生産組合の石井稔さん、卵の若竹智司さん、

遠藤蒲鉾店の遠藤栄治・由美さん夫妻、高橋徳治商店の高橋英雄さん、

マミヤプランの間宮恵津子さん、奥松島水産振興会の二宮義政・貴美子さん夫妻、

みんな元気な顔を見せてくれたことを報告しておきたい。

 

「操業が一部でも再開できたのは、

 お付き合いいただいている団体の皆さんの支援があったから」

と語る高橋英雄さん。

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震災による深い傷を胸に秘めて、

「みんな、本当に変わらなきゃいかんです」

の言葉が、こたえた。

 

翌8日は、担当の生産者とともに散っていく職員を横目に、

寂しく東京へと引き返す。

夕方から、衆議院第一議員会館で開かれた

「エネシフ・ジャパン 第16回勉強会」 にパネラーとして参加。

テーマは、『 " 3.11後 "  の 「食のリスク」 とどう向き合うか 』。

詳細は・・・・・

もう一人のパネラーである神里達博さん (東京大学大学院工学系研究科)

の話は紹介したいところだが、息が切れてきた。

当日の様子がすでに Ustream でアップされたようなので、

エネ・シフの HP  でご確認いただければ、有り難いです。

自分は恥ずかしくて見れないけど。。。

 



2012年2月 5日

点から面へ進もう -福島会議(Ⅱ)

 

寒い寒いと言っているうちに、暦は立春に入っていた。

春に向けて、急がなければならない。

2月1日、福島県生産者会議のレポートを続けます。

 

ジェイラップ(稲田稲作研究会、福島県須賀川市) の報告。 

この日、伊藤俊彦代表は農水省に呼ばれて欠席となり、

報告するのは常松義彰さん。

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ジェイラップの取り組みについてはこれまで何度か書いてきたが

(直近では昨年 12月25日 の日記参照)、

改めて 「田んぼ341枚のデータベース」 の価値を実感させられる。

 

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全ほ場にわたって、土と米との相関関係を測定したことによって、 

地形や水系との関係、耕作放棄地との関係なども見えてきて、

地域全体の対策の方向性まで示唆するものになった。

須賀川市、いや福島県にとっても貴重な先駆的データになるはずだ。

水田内での放射性物質の動態も調べ、今年の対策もほぼ固めた。

すでに土の反転耕起の作業に入っている。

 

ジェイラップの取り組みをずっとフォローしてくれたのが、河田昌東(まさはる) さん。

元名古屋大学教授で、現在 「チェルノブイリ救援・中部」理事。

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河田さんは、ジェイラップをサポートしただけでなく、相馬でも詳細なデータを取ってきた。

それらの結果から、地勢をよく見て対策を取る必要があることを説いた。

民間の力で進めてきたデータ蓄積と対策の共有が、大きな力になることを

期待を込めて語ってくれた。

 

佐藤守さん、野中昌法さん、河田昌東さんを助言者として、

参加された生産者グループごとに取り組み報告を行ない、

また疑問点などを提出してもらう。

 

福島わかば会は畑を12区に分け、

薬師(モンモリロナイト系の土壌改良材、有機JAS適合資材)、コフナ、ぼかし肥料、

地枸有機エキス(麦焼酎のもろみ副産物、有機JAS適合資材)、

硫酸カリなどの各種組み合わせによる試験を実施した。

結果は間もなく見えてくる。

 

二本松有機農業研究会、大内信一さん。

                                     (以下、写真撮影=市川泰仙)

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こちらには法政大学のグループがデータ取りで協力している。

 

やまろく米出荷協議会からは、佐藤正夫さん。

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佐藤さんが採用したのはソフトシリカ (これもモンモリロナイト系の粘土鉱物)。

これを水田の水口に置くよう指導したところ、施した田んぼはセシウム濃度が低く出た。

今年はさらに徹底してより安全性を高めていくことを総会で確認し合ったとのことである。

 

いわき市から参加された福島有機倶楽部の阿部拓(ひらく) さん。

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地震、津波、原発事故による放射能汚染・・・未曽有の災禍に見舞われ、

当地を去った仲間もいる。

しかし阿部さんは息子さんとともに 「農業を続ける」 意思を捨てない。

ハウス栽培で、野菜からの放射性物質の検出は殆どなかったのだが、

放射性物質が大地に降ったことには変わらない。

菌の利用や除染作物の活用など、阿部さんの試行錯誤は続いている。

 

質問に応える佐藤さん、野中さん。

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質疑応答は、時間を大幅に超過して終了。

成果や課題をがっちりと共有して全体の対策を強化するには、

一回の会議では足りない感が残った。

情報のネットワークを強化して、" 点から面へ " と進まなければならない。

 

春から取り組んでいる 「福島&北関東の農家がんばろうセット」 には、

今も粘り強い支持が寄せられている。

これまで会員から寄せられた応援メッセージを冊子に綴じて、

生産者たちにお渡しした。

 

「地震が起きた日から3カ月が過ぎました。

 被災地におられる皆さんの心と体の疲れのことを考えると、とても胸が痛みます。

 少ししか手助けすることはできないのですが、" がんばろうセット "  を食べて

 心をつなげていきたいです。 少しずつ皆さんの置かれている状況が良くなりますよう

 願っています。 体調を崩さぬようご自愛ください。」

「この時期、私と夫はわかば会のきゅうりとトマトなしには過ごせません。

 暑い中ですが、よろしくお願いします。」

「いつも美味しい野菜を有り難うございます。

 皆さんがずっと農業を続けていけるよう、応援しながらおいしくいただいています。

 皆さんに支えられて、私たちの食生活は充実したものになってます。」

「新年おめでとうございます。

 今年は穏やかな年になりますよう祈っております。

 がんばろうセットがある限り続けてゆきますので、皆さんもお体大切に。」

・・・・・・・・・・

こんな言葉が続いている。

 

ゆっくりと読みながらページをめくっている生産者の姿は、

それだけで胸に迫ってくるものがあって、

この苦難が喜びに変わるまで負けるわけにはいかない、

何としても最短で走りたい、と思う。

希望の春を迎えるためにも。

 



2012年2月 4日

点から面へ進もう! -福島会議

 

さて、2月1日、福島で生産者との会議を行なってきたので、

その報告を。

 

例年、1月に入ると関東から東北1都7県、8ヵ所で生産者との新年会が開かれる。

農産の仕入部署では  " 死のロード "  と呼ばれる産地行脚である。

昨年までは僕も農産グループ長として、

やんごとない業務以外は体の続く限り回ったものだが、

今年は立場も変わり、また火急の課題山積ということもあって、

1月はパスさせていただいた。

 

しかし福島に限っては、このタイミングでやらなければならないことがあった。

昨年から各産地で取り組んだ放射能対策の成果や課題を共有し、

連携を強化して、より効率的な対策を各産地で目指すことを確認したい。

僕の中で今年のテーマは決まっている。 " 点から面へ "  だ。

しかもこれは、大地を守る会の生産者だけの話では終わらせない。

美しい福島を取り戻すための牽引的な役割も果たそうではないか。

 - そんなわけで、昼間はそのための会議に設定させていただいた。

 

場所は、福島市・穴原温泉。 

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発表者は3名、加えて2名の専門家を助言者として招いた。

 

まずは福島県農業総合センター果樹研究所、佐藤守専門研究員。

本来は果樹の育種 (品種改良) が専門なのだが、

昨年3.11以降、除染問題は 「お前がやれ」 と言われて、猛勉強した。

「人生でこんなに働いたことはない」 と言う。

 

たしかな科学的知見の少ないなかで、現場調査や比較試験を蓄積しながら、

現場で使える除染対策に取り組んできた。

「納得できない情報や指令には従わない」 と言い切る。

これまでの行政からの対策指導に対しても、歯に衣着せず批評する。

昨年の3月12日、研究所の果樹園から 「屋内に戻るよう」 に指示された際も、

「公務員に避難しろというなら、先に住民に知らせるべきだ」 と言い放ったらしい。

それは小気味良いのだが、職場内の立場がとても心配になる。

「はい。 変人扱いです」 と表情も変えず言う。

(こんなこと書いちゃっていいのだろうか・・・いや心配だ。)

 

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土壌中の放射性物質の垂直分布、水平分布、経時的推移など、

果樹園地での様々な調査や試験で見えてきた汚染状況と除染対策は、

まだ仮説や私見の枠とことわりつつも、

ある程度の確信を持って具体的な方法論を示唆された。

生産者を前に 「いつでも連絡してくれていい」 と伝える姿勢も嬉しい。

 

次に、二つの生産現場から報告をいただく。

二本松市 「ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会」 から、佐藤佐市さん。

 

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東和地区での取り組み-「災害復興プログラム」 は

ホームページでも概要が出ているので、そちらをご覧いただければと思う。

  http://www.touwanosato.net/kyougikai.html

 

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新潟大学や茨城大学などの支援を得て、

4つの水源と山林2400ヵ所の放射能調査を行ない、

農地では100mメッシュでのデジタル・マップを作成した。

じいちゃんやばあちゃんの野菜を子や孫に食べさせたいの一心で

測定を行ない、情報を公開してきた。

その上で、道の駅では、地元産の野菜を優先する、を貫徹してきた。

課題は、田畑の線量別対策、そして 「心の除染」 だと語る。

「土を剥ぐなんて、可哀想でできない」 の言葉が切ない。

 

佐藤さんが紹介された若者、アリマ・タカフミさん。 

東和で農業研修を続けて、いざ独立という段になって3.11に見舞われた。

 

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相当な悩みもあっただろうが、ここで就農すると決意してくれた。

佐市さんたちにとっては、その存在自体が希望だったかもしれない。

 

生産者の報告をフォローする形で専門家に登場いただく。

それが今回の手法である。

お呼びしたのは東和での取り組みをサポートした

新潟大学教授・野中昌法(まさのり) さん。

 

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野中さんは、「除染という言葉はもう使う必要はないんじゃないか」 と言う。

耕しながら対策を打っていくことだと。

農の営みを継続することで放射能に打ち勝つことができる。

キーとなるのは、粘土と腐植。 つまり総合的土づくりだ。

まだ時間がかかることだが、この裏づけをしっかり獲得できれば、

有機農業の確実な前進にもつながると思う。

 

次は須賀川・ジェイラップの番なのだが、

例によって 「続く」 で、すみません。

 



2012年2月 1日

厚労省「新基準値(案)」への提言

 

福島に来ています。

その報告は帰ってからとして、本日、

大地を守る会他4団体で構成する 「食品と放射能問題 検討共同テーブル」 は、

昨年12月に厚生労働省より発表された

「食品中の放射性物質に係る基準値の設定(案)」 に対し、

「提言」 を提出しましたので、その概要につき、要約して報告いたします。

原文(全文) については、大地を守る会の下記HPにてご確認ください。

→ http://www.daichi-m.co.jp/info/news/2012/0201_3405.html

 

厚生労働省

「食品中の放射性物質に係る基準値の設定()

に対する提言

 

1.原子力発電および低線量被曝に対する共同テーブルの基本的な考え方

1)原子力発電所の速やかな全面廃炉をめざすべきです

2)長期的な低線量被曝が人体に与える影響はほとんど判っていません

 

2.規制値の設定にあたって考慮すべき点

1)内部被曝と外部被曝との総量を考慮すべきです

新基準値案では外部被曝分を計算外としたが、内部被曝・外部被曝の総量が規制値を下回ることが当然であり、外部被曝の実態を考慮した内部被曝の規制が必要。

2)日本人の食文化に合わせた細かい食品群の分類が必要です

飲料水・乳児用食品・牛乳以外の食品を「一般食品」として一括したが、食品には日常的に大量に摂取する物、そうでない物があるため、例えば米のように摂取量の多い食品は厳しい規制値を設定するなど、日本人の食文化に合わせた細かい分類と規制値の設定をおこない、内部被曝を少しでも減らすべきである。

 3)規制値や食品群の分類は継続して見直していく必要があります

今回発表された新基準値案は2012年度版の規制値とし、定期的な見直しをおこなっていくべきである。

4)経過措置は設けるべきではありません

「準備期間が必要な食品には、一定の範囲で経過措置期間を設定する」とされたが、新基準値が施行された後も新基準値に適合しない食品が流通し続けることのほうが混乱を招きかねない。経過措置を設けるとしても必要最低限とし、その際は根拠および具体的な品目群を明確にし、国民に周知する必要がある。同時にきめ細かい検査の実施と、超過した場合の賠償制度が必要。

5)セシウム以外の核種の調査を拡大すべきです

ストロンチウムやプルトニウムなどについては、セシウム数値を元に算出するとされているが、存在率が一定の比率であるとの知見が少ないことなどから、計画的調査と情報公開が必要である。

 

3.規制値を担保するための調査・検査のあり方(検査機器/検査方法/公表基準など)

 1)汚染状況の調査について/放射性物質の動態の把握が必要です

市街地・田畑・山林などの土壌、湖沼・河川などの水系を広範囲に調査し、放射性物質の動態を把握して対策を講じていく必要がある。海洋については、海の潮流を考慮した魚種別の長期的な測定が必要。漁業者自身による放射能測定なども拡大していくべきである。

 2)食品の検査について/検査の標準化を図るべきです

  食品の安全性を可能な限り確保するためには、流通規制値の設定だけでなく、それが正しく流通されていることを担保するための測定体制と情報公開が必要。国や行政のほか、民間でも独自の検査が数多く行なわれているが、検査方法が不統一など非常に判りづらい状況にある。標準化を図ることが必要。

 

4.国民への説明ときめ細かな情報提供

 1)検査結果の公開について/検査結果公開の標準化を図るべきです

  検査結果の公開・表示についても標準化する必要がある。今回の新基準値案では、年齢区分を別に設けたのは乳児のみとなっているが、小児期間について十分な配慮がされているとはいえない。親が子供に与える食品を選択できるよう、検査結果のきめ細かい情報提供が不可欠であり、公開・表示についても標準化が必要。標準化にあたっては、検出数値を公開することが望ましい。検出限界値の明示も必要。

 2)暮らしに関する情報提供/放射能から身を守る生活指針を積極的に発信すべきです

放射能・放射線は、調理・食事の仕方や食生活などで影響を減らすことができるとされている。被曝から身を守るための生活指針や情報提供が、多様な専門家の知見を取り入れる形でなされることが望ましい。

 

5.今後の放射能対策の前進のために

 1)外部被曝の低減

 ・緊急の課題は外部被曝を低減させること。除染作業については国の責任において中間貯蔵施設を確保し、高濃度地域を中心に、速やかに作業をすすめなければならない。

2)第一次産業の再生に向けた政策

  食の安全のためには厳しい規制値の設定が必要だが、農業や漁業などを再生させていく政策もセットでなければならない。基準を越えてしまった地域に対する保護策・支援策が必要である。

 3)長期的な医療・検査体制について

  子どもを中心に長期的な検査体制を構築するとともに、必要に応じた対策を講じていくこと。低線量被曝に対する研究の一層の深化、予防対策に反映させていくこと。詳密な疫学的調査の継続を強く望む。

 

以上



2012年1月25日

「共同テーブル」 会議にNHK入る。

 

23日(月) は、昼間の予定をすべて変更して、

東京大学医学部のある先生を訪ねた。

「食品と放射能問題 検討共同テーブル」 で進めている

専門家へのヒアリング依頼に対して、

「この時間なら」 というピンポイントでの空き時間が告げられ、

3団体の方々にも声をかけて、本郷まで出向いたのだった。

遠方からの訪問をお断りした O さん。

逆にお気遣いまでしていただき、申し訳ありませんでした。 

 

先生は食品安全委員会での規制値の検討に関係したお立場もあり、

「ヒアリング内容は了解なしには公開しない」 という前提をもってお願いしたもので、

したがって今ここでお名前と内容をお伝えすることは控えたい。

いずれ 「共同テーブル」 として取りまとめるであろう報告には、

何らかの形で反映されることになると思う。

 

そして昨日(24日) は、その 「共同テーブル」 の会議が開かれた。

厚労省の新しい 「基準値(案)」 に対する

共同テーブルとしての 「提言」 をまとめる作業を行なったのだが、

この会議にNHKさんがカメラを持って乗り込んできた。

(当然、了解済みでのことだけど。)

 

カメラが回るなかで、「提言」 文案を読み上げながら意見交換し、

加筆訂正を行ない、段々と仕上げてゆく。

途中からカメラを意識することもなくなって、何とか粗々、あと一歩のところまで詰める。

残った修正箇所を数日中に仕上げ、各団体で確認・合意して、

厚労省に提出することになる。

 

会議後、NHKのカメラを前に各団体のメンバーが立って並び、

インタビューを受ける。

少々緊張しながらいくつかの質問に応えて、

インタビュー後、記者さんから 「バッチリです。 さすがですね」 とか褒めていただき、

気をよくして終了。 したのだったが、、、

昨夜のニュースではインタビューはカットされて流されたようだ。 

(夜8時45分からの首都圏ニュースで取り上げられたが、僕は見ていない。)

ムカつく!

 

本日、「録画見ますか?」 と広報担当が聞いてくる。

うっせぇよ! 見ないよ! (あれぇ、いじけてる? ちっちゃいね~)

 

でもビルのお掃除のおばちゃんが、「テレビ出てましたね~」 と声をかけてくれて、

テレながら、ちょっと気を取り直す。 単純ですなァ、まっこと。

 

4団体の方々、力及ばずで申し訳ありませんでした。

「提言」 発表まで、あと一歩ですね。

よろしくお願いしま~す。

 



2012年1月22日

放射能対策を振り返る -くらしから原発を考える講座

 

「原発事故さえなかったら、、、、、

 この10ヶ月、皆さんも何度となく口にしたのではないでしょうか。」

 

原発事故さえなかったら-

正月の祝杯は復興の二文字で湧き上がったことだろう。

絆を確かめ、決意を語り合い、前進する力強い東北の姿が現出していたはずだ。

この国の株だって上がったに違いない。

原発事故による経済損失は、まったくはかり知れない。。。

 

昨日は、大地を守る会専門委員会 「原発とめよう会」主催による

『第73回 くらしから原発を考える講座』 が開かれた。

テーマは、「原発はいらない! 大地を守る会の放射能汚染への取り組み」。

まずは、 3.11以降の

大地を守る会の取り組み概要の振り返りから始めたい。

 - てことで、お鉢が回ってくる。

 

そこで、はからずも出た第一声が、冒頭のセリフである。

 

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会場は池袋にある 「豊島区生活産業プラザ (エコとしま)」 の会議室。 

参加者およそ50名強といったところか。

 


3.11以降の大混乱から今に至る様々な取り組みを、

かけた思いとともに報告させていただく。

 

その1: 実態をできるだけ正確に把握すること (測定体制の構築と強化)。

その2: 生産者との作付についての話し合い。

     予定数量の販売は困難であることを告げて回る。、

     " 風評被害 "  と言われながら生産と消費が分断されていくことをどう防ぐか、

     この模索は今も続いている。

その3: 測定結果の情報公開。 これにも覚悟が必要だったこと。

その4: 生産地の除染対策支援。 国もできないような成果を達成したこと。

     (しかし、くまなくフォローできたわけではない反省も深くある。)

その5: 基準 (流通上の規制値) の検討。

     他団体とともに基準のあり方を検討する 「共同テーブル」 を結成したこと。

     流通者としての規範を示したいと思っていること。

 

それぞれにけっこう苦悩があった。 20分じゃ語りきれない。

すべてが未経験領域で、思い返せば後悔や反省はたくさんあるが、

大きな針路としては間違わずには来れたと思う。

上の1から5は、順番のようでありながら、

どれもがつながっていて、今も課題を抱えながら回っている。

 

続いて、CSR推進本部事務局長の吉田和生が、

東北での震災復興支援の経過を、現地の写真を交えながら報告する。

漁が再建されても、放射能の問題が横たわっている。。。

腹立つね、ほんま腹立つわ。

 

そして、今回のゲスト。

福島県須賀川市・ジェイラップ (稲田稲作研究会) の伊藤俊彦さんから、

「大地を守る会の備蓄米」 産地として取り組んだ対策と成果を語っていただく。

 

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年末に 伊藤さんの手紙 を紹介させてもらったけれど、

本当によくやったと思う。

稲田稲作研究会の田んぼ一枚一枚の状態を確かめ、手を打ち、

結果を徹底的に検証する。 

土壌-稲体-モミ-玄米-白米-ごはん(炊飯した状態) の移行までトレースする。

そんな計画も、玄米で出なかったらトレースしようがないじゃない、

という笑い話も出るほどの結果となって、

来年はさらに 「すべてをゼロ(検出限界値以下) にできる」 という確信が、

メンバー全員に生まれた。

 

須賀川の田園地帯に転々と数値が書き込まれたMAPを見れば、

これは地域全体を生き返らせる力にもなることが実感できる。

次のプランが見えてくる。

 

県も国も唸った、2011年でしか取れなかった記録。

何とか残すことができたね。

7月に思い切って測定器を送ったことも、誇りに思えてくる。

復活の貴重な財産目録として、胸を張りたい。

はからずも会場から、「民間でできるじゃない、で終わらせられないか心配だ」

といった声まで上がった。

ま、こっちも批判したりけなしたりで終わらせられないし、

国はどうか分からないけど、県は必死だから、

県全体の取り組みに向けての提言を発していきたいと思う。

イノベーションはすでに始まっているのだ!

 

質疑応答風景。

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(左から、吉田和生、伊藤俊彦、戎谷徹也/撮影:青木文雄)

 

まだまだやれてないことも多く、不備も課題もたくさん残っている。

指摘を受け止めながら、改善々々、そして創造へ。

 

最後にしつこくマイクを奪って、ひと言。

「肝心なことは、すべての原因の大元を絶つことです。」

 

春にはすべての原発がいったん止まる。

やれる、できる、ことを見せなければなりません。

3.11の前に止めてやれなかった悔しさを一つにして、

頑張りましょう!

 



2012年1月20日

放射能と栄養

 

厚生労働省が発表した 「食品中の放射性物質に係る基準値の設定(案)」

に対する 「共同テーブル」 としての見解をまとめる作業を進めているところで、

一冊の小冊子が届いた。

 

『チェルノブイリ:放射能と栄養』

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これは放射線医学総合研究所の元内部被ばく評価室長、白石久二雄さんが

翻訳して自費出版された、いわゆる私家版である。

 

白石さんは食品学の専門家であり、

かつ放医研で内部被ばくの問題を長く研究してこられたという、

日本では稀有な 「食品による内部被ばく」 の専門研究者である。

チェルノブイリ原発事故後、ウクライナにも足を運び、

「ウクライナ医科学アカデミー放射線医学研究センター」 と共同研究を続けてきた。

 

昨年3月をもって退官され郷里・四国に戻られたのだが、

福島原発事故のせいで今やあちこちから引っ張りだこの状態らしい。

現役時代には縮小されつつあった研究が、退官直後から引く手あまた、

とは実に皮肉な話である。

 

上記の小冊子は、

国際赤十字社と赤新月社連盟の支援により1994年に発行され、

ウクライナの汚染地域に住む人々に無料で配布されたものである。

放射線とは何か、から始まり、生物と人への放射線作用、

汚染地域の住民の栄養状況などの解説、そして

食品の基本的成分と栄養素としての役割、濃度を減らす加工法や調理法などが、

専門知識のない住民にも分かるように苦心して書かれている。

 


放射性物質の摂取を少しでも減らすための前処理や調理法については、

すでにいろんな解説本も出ているし、白石さんも別な著書で書かれていることだが、

あえてこの小冊子の送付を白石さんに申し込んだのは、

事故から6年後 に、専門家たちが専門用語をほどきながら、

食事法や栄養についての解説を住民に無料配布したという、

その空気に触れてみたいと思ったからだった。

 

ここで書かれている結論の一つは、

缶詰や輸入食品に偏ることなく、栄養バランスのとれた食事を

規則正しく摂ることの大切さである。

そこで汚染の影響をできるだけ避けるための処理や調理法も具体的に書かれる。

たとえばこんなふうに。

 

「 住民の一部は牛乳や乳製品、野菜、果物、いちごの摂取を自ら制限し、

 遠方より導入された缶詰食品、一級や最高級の精製小麦粉から焼き上げた白パン、

 (中略) 等々を摂取しています。 すべてこれらは事故以前にはあり得なかった

 悪い食生活を促進しているのですが、健康な食生活を行なっていると

 思い違いをしているのです。」

「 粗挽き粉から作ったパンの中に含まれている穀類のふすまはビタミンB群、

 マグネシウム、カリウム、繊維に富んでおり、

 我々にとても良い満腹感を与えることができると共に、すでに述べましたが、

 胆汁分泌と正常な糞便の形成と排泄を助けます。

 その過程において若干ですが、消化器官において、

 放射性物質の吸収を抑えることになるのです。」

 

「 環境が放射能汚染された状況下において栄養素のビタミンが不足すると、

 電離放射線に対する生体の安定性が低下することになります。

 ビタミンは放射を受けて急激に生じたフリーラジカルを不活性化したり、

 油脂の過酸化物の生成反応を止める作用があります。」

「 ビタミンD不足はカリウムや燐酸塩不足を生体内に起こし、

 これが放射性ストロンチウムの生体内への吸収、沈着効果を促すようになります。」

 

要は、体がカリウム不足になればセシウムをつかみにゆき、

カルシウム不足になればストロンチウムの吸収を促進してしまう。

植物や土壌対策と同じである。

必須の微量元素をしっかり摂るためには、いろんな食べものをバランスよく食べること。

放射線被ばくによって怖いのはガンだけでなく、

むしろ免疫力低下による様々な病気である。

健全な食事で打ち勝とう、と励ましているのだ。

 

もう食品の放射性物質の濃度はかなり減ってきているのだから、

今さら読む必要はない?

そうだろうか。

正しい食こそが健康を守る。 

それを支える環境がいかに大事なものか、学びすぎて損をすることは決してない。

これは日常の指南書でもある。

自力で翻訳して出版された白石さんの意思にも敬意を表したい。

 

白石久二雄さんは、

「食品と放射能問題 検討共同テーブル」 の、次のヒアリング候補である。

目下、交渉中。

 



2012年1月19日

シンポジウムのご案内

 

ご案内。

2月18日(土)、朝日新聞主催によるシンポジウム

「放射能と向き合う (食品と安全)」 が開催され、パネラーとして参加します。

会場は、東京・浜離宮朝日ホール。

参加費は無料で、申し込みはホームページから。 先着360名まで、とのことです。 

 ⇒ http://www.asahi.com/shimbun/sympo/

 



2012年1月 9日

脱原発世界会議2012

 

たまにはお気楽なのでも、と思って

正月気分の、能天気な日記をアップしてしまいました。

しかも正確に直しておきたいところがあります。

「当社謹製-人参粉末を使った紅白餅」 をお送りしたのは、

岩手県大槌町と宮城県石巻市北上町、同市雄勝町の三ヵ所でした。

合計約1100パック。 喜んでもらえたなら嬉しいです。

 

気を引き締め直して、ご案内を一つ。

今週末、14~15日の二日間にわたって脱原発の大きなイベントがあります。

「脱原発世界会議2012 YOKOHAMA」

福島の現実を見つめ、原子力からの脱却を世界に発信する国際市民会議。

ドイツ、フランス、デンマーク、米国、ロシア、ヨルダン、マーシャル諸島、オーストラリアなど、

20カ国100名以上の専門家や実践家が来日します。

 

開会イベントでは、飯田哲也さん(環境エネルギー政策研究所)、

佐藤栄佐久さん(前福島県知事)、レベッカ・ハルムス欧州議員(ドイツ) の講演のほか、

日本が原発を輸出しようとしているヨルダンの国会議員も発言します。

 

100におよぶセッションでは、国内外から集まったゲストたちが、

原発や自然エネルギーに関する主要な論点を取り上げ、行動を提言します。

また「首長会議」と題する特別セッションが開催され、

地方自治体の市長らが原発に頼らない地域づくりを論じます。

会議の模様はインターネットで国内外に中継されます。

 

参加するアーティストも多彩。映画上映あり、ポスター展あり、

各地・各団体・海外からの 「もちこみ企画」 あり、子供向けプログラムあり(託児所もあり)、

子どもから専門家まで、誰でも参加できる世界会議です。

世界の経験と知恵を集め、新しいアクションを生み出す、

熱気溢れる会議となることでしょう。

 

場所はパシフィコ横浜。

前売りチケットは、http://npfree.jp/ticket.html 。 僕はローソンで買いました。

 

大地を守る会も協賛しているものですが、運営はかなり厳しい様子で、

来れない方でもカンパでチケット購入いただけると嬉しい!

と事務局からの伝言です。

 

僕はたぶん万博見物みたいにウロウロしていると思います。

遭遇したらぜひ声をかけてください。

では。

 



2012年1月 6日

菅谷昭・松本市長を訪ねる

 

年を越してしまったけど、

長野県松本市の菅谷昭(すげのや・あきら) 市長を訪ねた報告をしておきたい。

 

昨年12月22日(木)、

我々 「食品と放射能問題検討共同テーブル」 一行 4名

(カタログハウス、生活クラブ生協、パルシステム生協、大地を守る会) は、

朝7時新宿発の 「特急スーパーあずさ1号」 に乗りこみ、松本に向かった。

5分ほど遅れて9時45分、松本駅到着。

面会は10時の約束なので、タクシーに乗り合わせ松本市役所に走る。

市役所で、福島・須賀川から車で突っ走ってきた伊藤俊彦さんと合流。

 

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市長のスケジュールで見つけたのか、

地元のケーブルテレビが待ち構えていた。

 

菅谷昭さん。

甲状腺疾患の治療を専門とする医師で、

1996年から5年半にわたってベラルーシ共和国に住み、

小児甲状腺ガンの医療活動を続けられた方である。

帰国後、長野県衛生部長を経て、2004年に松本市長に就任。

昨年は内閣府の食品安全委員会に招致された専門委員の一人として

内部被曝の重大さを指摘された。

福島県からの避難者の受け入れも積極的に行なっている。

 

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今回のヒアリングでは、内部被曝のとらえ方や今後の影響予測、

有効な食品対策への考え方などについて話をうかがった。

 


菅谷さんはまず、我々にことわりの言葉を述べた。

「自分は放射線の研究者でもなければ、食品の専門家でもない。

 一人の医師であり、今は自治体の首長でもある。

 理想を言うのは簡単だが、厳しい現実のなかで生産者も市民も守らなければならない

 立場にあることを、どうかご理解いただきたい。」

 

了解です。 そういう方の話を聞きたくて来たのです。

 

菅谷さんは、福島第1原発事故による影響を軽く見てはいけないと警告する。

チェルノブイリ原発事故と比較しても、線量の高い地域はある。

そういうところに子どもや妊婦が住んでいる。

除染といってもそう簡単なことではない。

いたずらに安心させようとせず、危険なところには 「住んではいけない」 ということも

政府は明確に言う必要があるのではないか、と。

 

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<以下、菅谷さんの談> 

長期にわたる低線量の内部被曝によって何が起こるか、ということは

実はまだよく分かっていないんです。

だからといって想定する被害を軽く考えてはいけない。

体内に入った放射性物質は代謝によって排出されてゆくが、

一方で、軽度でも被曝し続ければ蓄積されていくことになります。

その影響が科学的に解明されてない以上、我々はチェルノブイリから学ぶしかない。

チェルノブイリは私たちの25年先を進んでいるのです。

  

子どもの甲状腺ガンはチェルノブイリの事故後から徐々に増え始め、

5年後から突然増加し、10年後にピークに達しています。

被害を防ぐには症状から分析するしかなく、

だからこそ長期的な観察体制が必要であり、

放射線量の高い地域であれば一定期間線量の低い地域への移動も考えるべきでしょう。

 

長期の低線量被曝の影響はガンだけではありません。

ベラルーシの医師からの報告では、免疫機能の低下による症状が増加しています。

風邪を引きやすい、しかも長引いたりぶり返したりする。

造血力の低下で貧血を起こしやすくなったり、

異常に疲れやすくなったり (長崎で発生したぶらぶら病のような症状か・・・)、

消化器系の疾患や先天性障害も増えてます。

 

ただ2~3倍増えただけでは、因果関係を証明したことにならない。

25年経っても結論が出ない、チェルノブイリは今も 「進行形」 なんです。

 

子どもを放射能の被害から守るために提唱していることは、

「規則正しい生活」 と、

ビタミン、ミネラル(鉄分など) をちゃんと摂る 「栄養バランスのとれた食事」 です。

食物繊維とペクチンは排出を促進する上で有効です。  

 (寒天とリンゴがよい。 でもペクチンは過剰に摂ると他の栄養素も排出してしまう。)

私は皆さんに、「ガンより、それ以外の病気を心配してください」 と言ってます。

 

このような悲しい事故が発生した以上、

放射能対策は理想論だけではいかなくなってしまいました。

現実的な対策として、ある期間までは15歳で区切って、

15歳未満の子どもについてはリスクのある食品の摂取をできるだけ避ける。

子どもを出産する可能性がある女性も同様。

しかし、大人には 「基準値未満なら食べてください」 とお願いしています。

現実には食べるしかありませんから。

<談、以上>

 

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松本市では、 学校給食で使用する食材の放射能検査を独自に実施している。

サーベイメーターなので限界はあるようだが、それでも数値を公開することで

市民の安心感にはつながっているようだ。

以前より地産地消を基本としてきたことで、卸し業者も理解して気を使ってくれるらしい。

やはり普段の関係性は大切である。

 

最後に、暫定規制値の見直し案に対する見解を尋ねた。 

やはり 「食品は専門ではないので・・・」 とことわりつつ、

これが現実的にしょうがないレベルか、という印象を持っているようであった。

4分類については何とも言えないが、

乳幼児の数値を設定できたことは良かった、と評価されていた。

 

子どもたちの治療にあたってきたお医者さんということもあって、

物腰の柔らかい誠実な姿勢が伝わってくる方だった。

今の時代に、市民の健康に気を配り、予防原則も忘れない首長の存在は、

市民にとってはとても安心感を抱かせることであるだろうと思った。

 

我々の専門家行脚は、まだ続く。

 



2011年12月25日

復興から生まれるイノベーション

 

12月19日(月)、栃木・那須塩原から福島・須賀川に北上して、

ジェイラップでの勉強会に参加する。

 

ジェイラップで取り組んだ放射能対策と測定結果から、たくさんのことが  " 見えてきた " 。

その成果を共有し、次の課題を確かめ合う。

稲田稲作研究会のメンバーだけでなく、

近隣農家や関係者にも呼びかけて開かれた。 

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まずは、ジェイラップの対策をずっとフォローしてくれた

「チェルノブイリ救援中部」 理事の河田昌東さんからのお話。 

 

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河田さんはウクライナでの除染対策の経験や、

福島県内各地での調査・実験を踏まえ、汚染土壌対策のポイントを解説する。

 

  まず、広大な田畑での表土剥離は現実的には困難であろうが、

  果樹園では下草を剥ぐだけでも違う。 剥いだ後にはクローバーの種を播く。

  それだけでも空間線量は5分の1から6分の1に減少する。

  反転耕は、農作物にセシウムを移行(吸収) させないためには有効。

  他に微細土壌粒子の除去、バイオレメディエーションという方法がある。

  施肥関係での汚染抑制対策では、

  ・カリウム肥料をやる。

  ・カルシウムはストロンチウム90対策になる。 土壌PHを上げる効果もある。

  ・腐葉土はセシウムを吸収する有機物を豊富にさせる。

  ・窒素肥料は吸収を促進してしまうので要注意。

   (逆に除去作物を植えた時には有効ということでもある)

 

  セシウム137の作物への蓄積では、

  ナス科(ナス・トマトなど)、ウリ科(キュウリなど)、ネギ類には蓄積が少ない。

  アブラナ科は高くなる。

  栄養素としてのカリウムが高い(カリウム吸収力が強い) 作物は高くなるが、

  土質にも左右されるので、正しく知るためにも、たくさんの土壌データの収集が必要である。

 

  この間出てしまった福島県内での高濃度汚染米は、

  もっと精密な予備調査をやっていれば防げたことだ。

  事実を知ることを怖れると、結果的にもっと悪い事態を生んでしまう。

  分かってきていることは、地形と土質。

  山の水が直接入る田んぼ、砂質土壌、土のカリウム濃度が低い田んぼ、

  水のアンモニウム濃度が高い所、など。

  山の水を取り入れている田んぼなら水口にゼオライトを施すなど、

  水田の環境を考えて対策を打つことが肝要である。

 

  ウクライナのバイオレメディエーション実験では、

  ナタネで放射能を吸収させ、子実から油を搾ってバイオディーゼルとして使う。

  残ったバイオマスは地下タンクを作ってメタン発酵させ、バイオガスとして活用する。

  最後の廃液 (ここに放射性物質は凝縮されてくる) は吸着剤を使ってろ過して

  液肥として再利用し、最後の吸着剤は低レベル廃棄物として処分場で保管する。

 

  残念ながら、ナタネでの吸収能は高くはなく、短期的な浄化は期待できない。

  しかし裏作で栽培した作物 (麦類や蕎麦など) の汚染を防ぐ効果がある。

  ナタネは連作できない作物だが、逆に、

  ナタネ - 通常作物(小麦など) - トマトなど汚染しにくい作物 - ナタネ、

  といった連作を組めば、除染 (食物への汚染防止) +エネルギー生産の体系が形成できる。

 

昨日の稲葉さんの話といい、今私たちが取り組もうとしていることは

単純な 「汚染対策」 ではなく、「復興」 プロジェクトなのだと思うのである。

これも復興から生まれるひとつのイノベーションだ。

 

続いて、ジェイラップ代表・伊藤俊彦さんからの報告。 

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341ほ場、約100ヘクタールの田んぼでの対策の実践とデータ取り。

一地域でこれだけのことをやった事例はない。

結果は、見事なものだ。

カリウムの効果が確かめられただけでなく、

伊藤さんはスウェーデンのデータまで引っ張ってきて、

森林への K(カリウム) 施肥の有効性まで説きだした。

「 森林へのK施肥は、植物および菌類への放射性 Cs 蓄積を低減するために

 適切かつ有効な長期的措置であることを示唆している。」

 

また、耕起、代掻き、田植えと通常作業を行なった水田土壌の

深度別の放射性物質の分布を調べ、いくつかの考察が示された。

それは来年の代掻き時での実験に応用される。

 

綿密な汚染データ・マップからも、次年度の対策が検証されている。

これはジェイラップ・稲作研究会だけのものでなく、

地域全体にとっての貴重な道しるべだ。

取り組んだ対策を、すべてデータとして残していくことで、さらに仮説が検証され、

しっかりとした放射能対策技術が築かれてゆく。

農水省の方へ。

税金食いながら、「注目してます」 とか言ってる場合じゃないだろ。

支援の方法を考えてもらいたい。

国と地方自治体と民間の連携を、もっと強化できないものか、と思うのだ。

 

各種のゼオライト資材を前に意見交換する河田さんと伊藤さん。

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脇でカメラを回しているのは、NHKさん。

収穫祭のときとまた違ったチームがやってきている。

 

測定室も見学する取材班。 

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集められた玄米サンプル。 

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現在、測定器は2台になった。 

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右の「 do 」シールが大地を守る会から、

そして左がカタログハウスさんからの提供 (貸し出し) 。

仲良く並んで、測定をバックアップしている。

データ取りは、まだまだ続くのである。

 

 

なお、大地を守る会のホームページでも、

この間の取り組みや伊藤さんからのメッセージがアップされていますので、

ぜひご参照ください。

 http://www.daichi-m.co.jp/info/news/2011/1107_3251.html 

 

機関誌 「NEWS だいちをまもる」 12月号もよかったら。

 http://www.daichi-m.co.jp/blog/report/pdf/1112.pdf

 

また、ウクライナでの取り組みについて詳しく知りたい方は、

『チェルノブイリの菜の花畑から ~放射能汚染下の地域振興~』

(河田昌東・藤井絢子編著、創森社刊、本体価格1,600円)

がおススメです。

福島原発事故を受けての解説もあり、

巻末に挿入された 「チェルノブイリから福島へのメッセージ」 からは、

国際連帯の大切さが伝わってきます。

 



2011年12月23日

厚生労働省・新基準案と、私たちの質問書

 

栃木・那須塩原から福島・須賀川に足を延ばして、

19日はジェイラップでの勉強会に参加。

そして昨日は長野県松本市の菅谷(すげのや)昭市長を訪ねてきた。

それらのレポートを続けるつもりだったのだけど、

その前に、お国の動きがあったので、その報告を急ぎ。

 

昨日、厚生労働省 「薬事・食品衛生審議会 食品衛生分科会 放射性物質対策部会」

が開かれ、暫定基準に替わる新基準案が示され、了承された。

すでに報道されていた内容と同じだが、簡単に概略すれば、

食品による放射性セシウムの許容被ばく線量を、

暫定基準の 5 ミリシーベルトから 1 ミリシーベルトに引き下げ、

それを各食品群に振り分けた格好だ。

「一般食品」 については、年代や男女別で平均的な摂取量を導き出して、

その中で一番厳しい数値である 120 ベクレル

 (13~18歳の男...... 一番食べる量が多い年代ということらしい)

をもとに、さらに安全を見込んで 100 とした、ということである。

また干しシイタケやお茶などは、摂食する状態で 「一般食品」 基準を適用する。

新基準の実施は来年4月から。

 


一方、4団体で結成した 「食品と放射能問題共同テーブル」 では、

この日の審議会が設定される前、12月12日付で、

以下の質問書を厚生労働省に提出している。

(「公開質問状」 的な格好にならないよう、公表は控えていた。)

 

【質問事項】

1.新たな規制値での食品区分が 4 分類と報道されていますが、

  米など摂取量が多い食品や、水産物など汚染の拡がりに懸念があるものについては、

  区分を分ける必要があると考えますが、どのような検討がなされたのでしょうか?

2.規制値を設定する場合は、その規制値が守られていることを担保できるだけの

  検査体制の確立が必要と考えますが、いかがお考えでしょうか?

3.規制値を超過した場合、生産者等に対して補償する体制が必要になると考えますが、

  その賠償主体、およびどのような手続きと、

  どの程度の予算措置を想定しておられますか?

4.民間の検査能力を超えるストロンチウムやプルトニウム等の核種については、

  国が継続的にモニタリングする態勢を強化し、公表していく必要がある

  と考えますが、いかがお考えでしょうか?

  またヨウ素、セシウム以外の核種については、どのような検討がなされたのでしょうか。

5.新規制値は年間1ミリシーベルトを基礎とすると伝えられていますが、

  暫定規制値ではなく、恒久的規制値として設定を検討されているとすれば、

  内部被ばくだけでなく、外部被ばくの割り当ても考慮すべきであり、

  かつ ALARA 原則に従ってできるだけ低い値を設定すべきだと考えますが、

  いかがお考えでしょうか?

6.乾燥食品等については、摂食時の状態に換算すると伝えられていますが、

  同一食品であっても様々な戻し方は摂食方法があるものについて、

  どのような基準設定をお考えなのでしょうか?

 

今回示された新基準案は一歩前進とは言えるものの、

私たちが提出した疑問はまだ疑問のままである。

引き続き回答を求めてゆくとともに、

私たち 「共同テーブル」 においても、上記の質問事項は

基準を考える際に必要な視点だと認識しているところのもので、

専門家への聞き取りも含めて検討を進めているところである。

昨日、菅谷昭・松本市長を訪ねたのも、その一環だった。

菅谷さんは、1996年から5年半、ベラルーシ共和国で暮らし、

小児甲状腺ガンの医療活動を行なってきた医師である。

 

質問事項から、私たちが留意しようと思っていることを

読み取っていただけると嬉しい。

この基準は単純な数字の発表だけではすまない、

というのが 「共同テーブル」 の共通認識になってきている。

それだけに悩みも深まっているのだけど。

 

取り急ぎ報告まで。

 



2011年12月20日

大豆・ひまわり・菜の花プロジェクト

 

さて、改めて

栃木県上三川町・「民間稲作研究所」 の稲葉光圀さんが取り組んできた

「大豆・ひまわり・菜の花プロジェクト」 の報告を。

 

稲葉さんが完成させた有機栽培による米・麦・大豆の輪作体系については

過去にも紹介しているので、こちらをご参照願いたい。

 2009年1月29日  2010年6月10日

大地を守る会では、麦の利用先をつなげることで、ささやかながらこの循環に協力してきた。

現在、稲葉さんたちの有機小麦は

香川県小豆島の 「ヤマヒサ」 さんという醤油屋さんが使ってくれている。

 

しかし放射能は、有機だからと配慮してくれるわけではなく、

あの時紹介した、稲葉さん自慢の貴重な有機による米の種モミ生産ほ場にも

約1,000ベクレルのセシウムが降ってしまった。

 

しかしそれを乗り越える根性を持っているのが有機農業者たちでもある。

稲葉さんは、除染作物としてナタネとヒマワリを選択し、それを輪作の中に組み込んだのだ。

 


稲葉さんが南相馬市で実施したヒマワリでの除染効果試験では、

ヒマワリ一本で約500ベクレルのセシウムを回収した。

周りの土壌濃度が4,090ベクレルで、これと比較すれば0.123の移行率となる。

ヒマワリ栽培跡地の濃度は2,590ベクレル。

 

もともとのカリウム吸収力からみて、ヒマワリに高い除染効果はないと判断していたものの、

この結果は稲葉さんをかなり勇気づけたようだ。

ところが、稲葉さんが発表した直後に、農水省は飯館村での実験結果により

「ヒマワリには除染効果なし」 と発表した。

農水省他7つの独立行政法人と11大学、6県の農業試験場、1財団法人、3民間企業が

協力して実施した試験での移行率は、0.0067と出た。

 

この違いはヒマワリの採取日にある - と稲葉さんは主張する。

稲葉さんの試験では8月29日の成熟期に刈り取ったのに対して、

農水の試験では8月5日、つまり開花期の言わば 「青刈り」 である。

「これじゃあ、やっても意味がない。 市民レベルの研究を抑える腹なんじゃないか」

と稲葉さんは憤っている。

 

もともとのねらいが、単純な除染目的ではない。

ナタネや大豆も組み合わせて、長い年月をかけて除染を続けながら、

かつ食用作物への吸収を抑える。

ヒマワリやナタネはちゃんと実を熟させて、油を絞って収入源をひとつ確保する。

大豆油も菜種油も圧搾法で絞ることでトランス脂肪酸を含まない油が手に入る。

油にはセシウムは移行しないことが分かっている。

油脂類の自給率向上にも寄与できる。

搾油後の残渣はメタン発酵させ、消化液からセシウムを回収し、残りは有機液肥にする。

メタン・ガスは各種の燃料として利用する。

食用に用いた植物油の回収ができれば、廃油を精製してディーゼル発電機や

トラクター・コンバインの燃料にも活用できる。

 

循環のなかでの食料&エネルギー創造と 「放射能封じ込め」 の体系づくりへの挑戦。

僕らはやっぱ、こういう人たちに救われることになるのだろう。

各作物の活かし方は、たくさんの試験を蓄積させながら議論してゆけばいい。

 

稲葉さんの熱い報告の後は、

パネルディスカッションや質疑応答などが翌日11時まで繰り広げられた。

二日目の、農水省生産局の方からの報告-「有機農業の今日的課題と展望」 については、

申し訳ないが、ほとんど記憶に残らなかった。

 

集会終了後、オプションで企画された民間稲作研究所見学に参加する。

作付けされたナタネの畑。

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完成した搾油所 (写真手前の建物)。

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初めて来たときには更地だったところに、

技術支援センター、パン工房、搾油工場と、来るたびに建物が増え、人が集まり、

稲葉さんの言う 「エネルギー創造型有機農場」 が形作られてゆく。

 

これが中の装置類。

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この日は、有機農業推進フェアと称しての交流イベントが行なわれていて、

有機農産物の直売コーナーや地ビールの販売テントが並び、餅がつかれ、

手打ち蕎麦、トン汁、パン工房で焼いたピザなどが参加者に振る舞われた。

 

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こちらも地域でナタネを栽培し、搾油まで計画している

庄内協同ファームの菅原孝明さん(左) と、熱心な意見交換をする稲葉さん。

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福島県・二本松有機農業研究会の大内信一さんの姿も見られた。

彼らは本当に研鑽を欠かさない。

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「いや~、大地さんの今年のキュウリの注文には助けられた」

と言われたのには、こっちが感激しちゃった。

「 来年の早いうちに福島の生産者で集まって、今年の成果と課題を共有して、

 次につなげていきましょう。」

「そうだね、そうすべ。 頼むよ、大地さん。」

 

解散前に、会議室で最後の確認会。 

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完成した油を手にする稲葉さん。

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稲葉光圀試算。

ひまわり油 - 300 cc ・ 800円。

いかがでしょうか。

 

やあ、お久しぶり。  元気そうで、よかった。 

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ただ・・・君たちは、草食うからなぁ。 何が起きたかも分からずに。 

昨今は素直な動物を見るのが切ない。

腹の中で謝るしかない。 ごめん、本当に。

 



2011年12月19日

地域に広がる有機農業 関東集会

 

12月17日(土)、

野田首相が 「原発事故収束を宣言」 したという記事を読みながら、

栃木・那須塩原に向かう。

本来の 「冷温停止」 ではない 「冷温停止状態」 で 「事故収束」 とは・・・・

炉内の状態も分からず、

今も6千万ベクレル/時の放射性物質が放出されているというのに。

危険な政治的判断というしかない。

「事故収束」・・・ この言葉が意図して選ばれたのなら、

何か重大なものがひとつ、切り捨てられたような気がしてならない。

 

那須塩原で開かれたのは、

『 地域に広がる有機農業 関東集会

 消費者・生産者が共に創る有機農業  - 震災・放射能汚染を乗り越えて 』

という集まり。 一泊二日で催された。

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記念講演に呼ばれたのは、前福島県知事・佐藤栄佐久さん。

「たたかう知事」 と言われ、政府の原発政策にも対立姿勢を見せ続けた方だ。

" 収賄額ゼロの収賄罪 "  という不思議な罪で知事を追われた。

 

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有機農業の推進も強く進め、福島は有機農業の先進県と言われるまでになった。

国に臆することなくモノを言い、たたかってきた思いが、発言の端々に感じられる。

特に佐藤さんが強調したのは、

2006年5月に、ストラスブール欧州地方自治体会議に出席して、

チェルノブイリ20周年を記念して採択された 「スラヴィティチ宣言」 の5原則だった。

政府と地方自治体の役割を示し、

「地域住民の連帯」 と 「透明性と情報」 を謳ったこの原則を、覚えておいてほしいと。

 

3.地域住民の連帯

チェルノブイリの惨事が白日の下にさらしたのは、

核の事故が地方・国・世界の地域の境界にとどまらないという現実である。

原子力の安全は国の政治・行政上の制限によって縛られてはならない。

国の縛りを越えて関係諸地域すべてをイコールパートナーとする

真の地域住民の団結と越境的協力体制が必要である。

 

4.透明性と情報

広範で継続的な情報アクセスが確立されなければならない。

国際機関、各国政府、原子力事業者、発電所長は、偽りのない詳細な情報を

隣接地域とその周辺、国際社会に対して提供する義務を有する。

この義務は平時においても緊急時においても変わることはない。

 

「 『緊急時においても』 ですよ、皆さん。 私はこれを強く国に主張したいです。」

辞任後から3.11、そしてその後の福島の惨状は、

佐藤さんにとって 「悔しい」 などというレベルではないだろう。

でも今や彼方此方から講演に呼ばれるようになってきて、

ここで再度、出番が来たようです。 頑張っていただけたら、と思う。

 

続いての基調講演では、

栃木県上三川町・「民間稲作研究所」 の稲葉光圀さんが取り組んできた

「大豆・ひまわり・菜の花プロジェクト」 の報告。

 

この話は・・・ 少々ややこしいので、すみません、次回に。

栃木から福島・ジェイラップを回って帰ってきたところで、ちょっと頭を冷やしたいし。

 


 



2011年12月14日

ゼロ・ベクレルを目指して -続き-

 

放射能に関しては、食べものの安全性を保証する閾値はない。

これが大地を守る会の、また基準を検討する 「共同テーブル」 の前提である。

であるならば、「(余計な人工放射能は) ゼロを目指そう」。

これを生産者と消費者の、いやすべての人の共通認識にしたい。

不可能だから無理、ではなくて 「目指す」 努力を続けることで道ができる。

「元を絶つしかない」 を共通の土台に据えて。

 

生産者には、「基準値未満なんだから食べてくれ」 ではなく、

ゼロを目指す姿勢を示し、そのプログラムを持つことが大事である。

「食べる人」 を守るべき 「作る側の責任」 を放棄しない、と言おう。

それが 「美しい国土を取り戻す」 のは誰の手によるのか、のメッセージになる。

「この船に乗らずしてどこへ行く」 くらいの台詞を言い放ってみようじゃないか。

 

そして、有機農業から脱原発社会のビジョンづくりへと進みたい。

これが質問を受けたふたつめの視点 - 『有機農業が創出するイノベーション』 だ。

有機農業が貢献する資源循環機能や環境・生物多様性保全機能は、

放射能対策にも有効であることが証明されつつある。

たとえば、土壌の団粒構造、腐植、菌根菌や微生物の力。

有機農業学会では、除草剤散布は菌根菌の発達を阻害することが分かっている、

という研究者にも会った。

僕らが見ているのはけっしてゼオライトだけじゃない。

 

有機農業の 「総合力」 を解き明かしたい。

その力には農業と一次産業が潜在的に持っているエネルギー生産力も含まれる。

 

20年以上も前に 「水田は地球を救う」 と説いた方がいた。

なんと通産省のお役人だった(本田幸雄さんという方で、一度講師に呼んだことがある)。

エネルギー危機と食糧危機は必ずやってくる。

減反などという愚かな政策はやめて、日本人の高度な生産技術と手段(農地) を使って、

食糧備蓄とともに、エネルギー (バイオエタノール) を生産すべきだと。

この主張はしかし、当時はほとんど相手にされなかった。

 

今こそ農業(一次産業) の持っている多様な生産力を花開かせたい。

有機農業が未来を築く! と宣言しようではないか。

そこから新しい仕事も生まれるはずだ。

「若者よ、来たれ!」と発信できる日をたぐり寄せたい。

 


そして消費者には、連なってほしい。

安全な食生産の回復と、安心して暮らせる社会づくりを同時に目指す

「この道のりを食べる」 ことで。

 

あんたは生産者よりだ、とよく言われる。

言われるたびに、そんなこたあない、と反論する。

消費者を、子どもたちの未来を、しっかりと守れる生産者を育てていくこと、

これがどうして生産者よりなんだろうか。

ただそのプロセスにも付き合ってくれないと道が開けない、と訴えているだけなのに。

 

放射能は拡散し循環し始めている。

今も大気や水系への汚染は続いている。

ゼロを達成することは困難なことだと思う。

そもそも放射能汚染はフクシマで始まったわけではない。

チェルノブイリ原発事故が起きた25年前、

セシウムの大気中濃度は通常の4500倍に上昇した。

日本人の平均放射能量は50ベクレルまで上がったと言われている。

さらに遡れば、大気圏核実験が盛んに行なわれていた時代、

日本人成人男子の放射性セシウムの量は730ベクレルにまで達していた

というデータもある(1964年10月)。

 

それでも皆フツーに生きていた、という論で終わらせる人たちがいて、

この数字を出すのは少々ためらうのだけれど

(ガンの増加との因果関係は証明できないし)、

とはいえこの事実とゼロを求めることの困難さは知っておいてもらいたいし、

数字に冷静に向き合う意識は持っておきたいと思う。

その上で、だからこそ、もうこれ以上はゴメンだといいたい。

  " ゼロを目指そう "  とみんなで叫びたい。 

いま元を断たないと、未来はひたすら暗いと思わざるを得ないのだ。

農から進撃したい。

脱原発と (技術とシステムの)イノベーションをセットにして。

 



2011年12月13日

ゼロ・ベクレルを目指して

 

有機農業学会での発言後、頂いた質問や意見は二点に集中した。

そのひとつが、 

" ゼロリスクを求める "  を否定せず、本能と受け止めたい -に対して。

 

放射能は広く飛び散り、ほぼ北半球をあまねく汚染したと思われる。

均質に落ちたわけではなく、まだら模様のようであり、

距離によって相対的に薄まっているものではあるが、しかしそれも流動している。

この国に住んで放射性物質ゼロの食べものを求める姿勢は、

すでに無理というものである。

しかもそういう消費心理と行動が生産地や生産者を切り捨て、

国土の浄化や復興への思いを分断させることにつながっていないだろうか。

大丈夫と思われる程度のものなら、食べよう。 食べてつながろうじゃないか。

- この主張は、支持する。 というより僕自身、強くそう思っている。

 

しかし、だからといって放射能ゼロを求める姿勢を批判しても、

問題の解決にはつながらない、とも思っている。

放射能から逃れたいのは、生産者も消費者も、みんな同じなのだ。

そこから出発したい。

 

ゼロを 「求める」 や 「探す」 行為で終わらず

(これは批判ではなく、 " 終わらず "  という提案です)、

一緒に  " ゼロを目指そう "  の共通認識を持ちたい。

ゼロの目標は、生産者だけの仕事では達成できないのだから。

努力する生産者の、その都度の結果を 「食べる」 ことで支える消費者の存在が欠かせない。

ゼロをよこせ、に対して僕がいま提供できるものは、

「検出限界値以下」 という選択材料としての測定結果(事実) と、

 " ゼロを目指す生産者 "  の意気地だけである。

 

そして作ろうとしている基準値もまた、

ゼロに向かうプロセスと思想を表現したものになるだろう。

 

「ゼロをよこせ」 とは = 「美しい国土を返せ」 だと受け止めていて、

そのために生産者と一緒に頑張っているつもりである。

そして  " ゼロを目指す共働 "  が成り立てば、

元を絶つことの共通認識も成立すると思うのである。

原発止めないと、ゼロリスクは達成できないわけだし。

 

そしてふたつめの視点へと続くのだが-

  ・・・すみません。 今日はここまでで。

 

昨日、「食品と放射能問題共同テーブル」 では、

厚生労働省で進められている放射性物質暫定基準値の見直し作業に対し、

6項目の質問書を提出しました。

回答が届き次第、お知らせします。

この質問は、実は喧嘩を始めたわけではなく、我々自身の悩みでもあります。

 



2011年12月11日

有機農業で希望のシナリオを-

 

北国の冬はホンマに天気の変化が激しい。

夕べから降り出した雪が朝になってさらに激しくなったかと思えば、

お昼前には青空が見え始めた。

灰色の世界に、一気に光が射してくる。

これが夕方にはまた灰色の空に変わっているのだ。

 

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雪に翻弄される暮らしが4~5ヵ月も続いて、

春になれば南国人の感覚だと3か月分相当の花が一斉に咲き乱れ始める。

気候風土はきっとそれぞれの色で人々の精神性を育て、

その土地の文化を形成するのだろう。

この島国の人たちは包容力と忍耐をもって自然に対応し、

何というかマンダラ的な調和をはかる感性があるように思う。

善良かつ気まじめに異文化を受容しながら、作り変えてゆくしたたかさも秘めて。

 

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クラークさんの前をおばちゃんが通り過ぎてる・・・

僕はやっぱりこの国が好きだな。

 

地域や仲間を守る際の自治意識とまとまりの強さは世界が認めるところだ。

この国の統治は、中央集権に見せかけながら

しなやかに地域の知恵や主体性を活用するのがいいんじゃないか。

3.11以降、その思いはますます強くなった気がする。

 

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学園の樹々に鳥たちが平和に巣をつくっている。

その下を忙しなく歩き回る人々。 なぜか微笑んでしまう。

 

校舎に入れば、二日目は個別の研究発表会。

ふたつの教室に分かれて、各種の調査・研究報告が20分間隔で組まれている。

5分刻みで鈴が鳴り、みんな時間をきっちりと守ってプレゼンが展開されてゆく。

院生に発表させるケースも多くあった。 教授が生徒の側に座って聞いていたりする。

学会とはトレーニングの場でもあるんだね。

 


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発表された調査・研究成果の数は27。

「合鴨農法における野生鳥獣害の現状」 とか、

「植物共生微生物相の解析による有機栽培作物の特性評価の試み」、

「不耕起・草生栽培における物質循環・養分動態の解明」

といった具合に、20分刻みで発表が進められる。

 

僕が注目していた発表のひとつが、

「原発事故による放射性汚染農地対策にゼオライトは有効か?」。

発表者は東京農業大学応用生物科学部の女子学生。

師匠は、大地を守る会の生産者会議に何度かお呼びした後藤逸男教授。

僕も研究室に一度お邪魔したことがある。

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さすがに学者なので、結論は軽々に出さないが、

ゼオライトには 「可能性がある」 との明確なメッセージが出されていた。 

火山の多い日本に潤沢に存在する鉱物資源であることも有り難い。

 

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別な教室では、ポスターによる発表が12例、掲示されていた。

 

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やや雑駁というか、まだ手探りだね、という内容のものもあったが、

こういう積み重ねが有機農業の奥行きを深めていってくれるはずだ。

有機農業の研究に予算がつくようになって、

いろんな視点での研究が広がってきている。 

ひとつひとつ、生産現場で実証されてゆく日が来ることを願う。

 

さて、一日目の報告をひとつ追加しておきたい。

全体セッションの 2 は 『北海道における有機農業の多様な展開』

と題して行なわれた。 

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発表者に、石狩市(旧厚田村) の長良幸さん(写真右から二人目)、

当麻町・当麻グリーンライフの瀬川守さん(左から二人目)、

北海道有機農業協同組合代表の小路健男さん(左端)と、

大地を守る会の生産者の方々が顔を並べていた。

それぞれに辿ってきた道のりと現在の課題を語る。

コーディネーター(右端)は、農業活性化研究所・菊地治己さん。

7月に旭川で開催した 米の生産者会議 で講演をお願いした方だ。

 

「今年はどうだったですか?」

「今年も、ダメ、ダメ!」 と長さん。 

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そう言いながらも、しっかり息子も継いだようだし、

有機農業塾も始めて地産地消の拠点づくりに頑張っている。 

 

全体セッション 3 - 『日本国内における有機畜産の可能性と課題』 がまた

大変に面白かったのだが、いずれ機会があれば報告したい。

 

中島紀一さん(茨城大学) が語っていた。

地域経済の循環は、農の営みを継続することによって取り戻すことができる。

耕作の努力によって、その地域で安心して暮らせる体制の再構築も可能となる。

地球的破滅の方向でなく、未来に向かって希望のシナリオを描くこと、

それが有機農業の役割だ。

 

生産者を支え、励まし、希望と勇気を与えてくれる学問であってほしい。

お願いします。

 



2011年12月10日

日本有機農業学会・大会-「有機農業と原発は共存できない」

 

Boys,be ambitious! 

少年よ、大地を、じゃなかった、大志を抱け!

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北海道に来ています。

夕べのうちに札幌に入り、今日は朝から北海道大学に。

子どもの頃、大志を抱かないといけないんだ~、という脅迫観念を抱かせてくれた恩師、

ウィリアム・スミス・クラーク博士にいちおう仁義を切って、

敷居の高い場所に足を踏み入れる。

「すみません。 ワタクシの大志は、今も迷いのなかにあります。」

 

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北海道大学農学部。

ここで 「第12回 日本有機農業学会 大会」 が二日間にわたって開催され、

参加することになった。

 

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なんでエビが 「学会」 なんてお堅い場に?

そうなのよね。 およそそんな世界には無縁だったのだけど、

この大会の全体セッションの一つで発表を求められたのである。

放射能のせいで。

 

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集まったのは、全国の大学や研究機関から、

各分野で有機農業を研究対象とする先生や学生たち、150人くらいだろうか。

道内の生産者の顔もチラホラ見られた。

 


開会の挨拶などがあった後、

全体セッション1。

テーマは 『 東日本大震災・原発災害に有機農業は何を提起できるか 』。

 

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コーディネーターは、谷口吉光さん(秋田県立大学) と古沢広祐さん(國學院大學)。

このお二人とも古い付き合いになった。

古沢さんから4つの論点が示される。

第1に、有機農業の視点から原発をどうとらえるか。

第2に、食品における 「放射能リスク」 にどう対応するべきなのか。

第3に、放射能低減という課題に、どう貢献してゆくか。

第4に、地域と農業の復興をどう進めるか。

 

発表者は4名。

日本大学生物資源科学部・高橋巌さんは、原発事故を国家的犯罪と断罪する。

どうあがいても人間は自然の摂理と 「循環」 から逃れて生きることはできない。

その 「循環」 の中に放射能が入ってしまったわけだが、だからこそ

「有機農業ならではの脱原発」 の方向性を検討しなくてはならない、と強く訴える。

 

新潟大学農学部・野中昌法さんは、1960年代に行なわれた核実験による

「死の灰」 の農業に対する影響を調べた膨大なデータをもとに、

4月の段階で重要な提言を発表した方だ。

 -土壌の汚染は表層約 5cm に留まっている。

 -汚染の程度は地形・気候条件・栽培方法・施肥管理で異なってくる。

 -したがってきめ細かな土壌汚染地図と、程度に応じた対策が必要である。

 -国は責任をもって事故以前の優良な農地に戻し、農産物の安全性を保証しなければならない。

 -風評被害を防ぐための農業再生の工程表を作成して、国民への理解を求めよ。

 -平成24年度の作付に向けた汚染程度に応じた農業復興計画の提示を。

どれも適切な指摘である。

しかし3番目からの提言は、

適切に実行されたとは言い難い (その結果が、今の福島米の混乱である)。

 

実行したのは、営農の継続を決意した生産者たちだった。

二本松市 「ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会」 と、

彼らの支援にあたった野中先生と茨城大学のグループ。

そして須賀川市・ジェイラップと大地を守る会&カタログハウス。

フォローしてくれたのは四日市大学の河田昌東さん(チェルノブイリ救援・中部理事) だ。

データから明らかになってくる汚染の実態、そして対策。

見えてきた世界は、土の力であり、

植物とともに浄化に向かうのが王道であり近道であろう、ということだった。

「有機農業による耕作が被害の拡大を防ぐ (可能性が見えてきた)」

 

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高橋さんも過激だが、野中さんもなかなか熱い方だ。

福島の有機農家の、こんな言葉を紹介している。

「 一生懸命春の太陽光で生育した春野菜が土壌汚染を防いでくれた。

 したがって鋤き込まないで、一本一本、ありがとうという言葉をかけて、手で取り、

 影響のない場所に穴を掘り、埋めた。」

 

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「本来の農学」 を追究する研究者がいてくれること。

これが今、たたかう陣形に欠かせない、必須の兵站部隊なのだ。

依頼を受けて一介の流通者でしかない僕がわざわざ北海道まで出向いたのは、

この一点の思いに尽きる。

 

続いてエビスダニ氏。 学会で流通者が発言する。

持ち時間は15分。 冬の苦手な男がこのために北海道までやってきた。

原発事故からの対応を辿りながら、僕なりに思いを凝縮させたつもりだった。

早口に、とちりながら、、、5分のオーバーを、谷口さんが許してくれた。

 

話すと長くなるので、提出した 「発言要旨」 をここに記したい。

少しでも行間を読み取っていただけると嬉しい。

①福島第一原発事故後の対応から

 - 風評被害(?) と生産者対応から

 - 測定体制の強化・構築と情報公開の意味

 - 消費者の声と流通団体の対応軌跡

 - 生産者の除染対策支援

②食品における放射性物質の規制値(基準) について

 - 国の暫定基準値はなぜ信頼されなかったのか

 - 基準乱立から、市民の手による共通指針(基準) づくりへ

    ~ 我々は 「暫定基準」 を超えられるか・・・

③ゼロリスク議論から思うこと

 - " ゼロリスクを求める "  を否定せず、本能と受け止めたい。

   ⇒ しかし " 選ぶ・探す " 行動だけでは排除と分断につながる。 誰も救えない。

 - " ゼロリスクを目指す " ための思想と戦略(政策) の再構築こそ求められている。

   > 放射能に向かい合うための 「食の総合力」 を提案したい。

     放射能対策は総合力。 それを提示できるのが  " 有機農業 "  ではないか。

      『 有機農業運動が創出するイノベーション 』 に向かって進む。

     その戦略(政策) に 「脱原発社会の実現」 を明確に組み込む。

④生産者・国土を見捨てない思想の獲得へ

 - 生産者の除染対策支援から見えた世界

   " たたかう生産者 "  の姿勢を見せ続ける!

 - 生産と消費の対立を超える思想を掴みとる、その最大の機会ではないだろうか。

 - 流通が果たす役割とは

  > 「食へのリテラシー」 を育てるのが流通の役割

  > 新しい文化を創り出す、価値創造の競い合いをしたい!

   ⇒ その一歩としての 『共同テーブル』 でありたい。

 

いっぱい補足したいし、その後のセッションも紹介したいのだが、、、

夜の懇親会に、さらに大学前の居酒屋で関係者と一杯やってしまって、

もうここまで。

" (放射能に対して) ゼロ・リスクを求めるのは (利己主義でもあるが) 本能である " 

それを認め合うところから、たたかいの戦略を組み立てたい。

ここで 「脱原発」 は共通の前提となる。

このたたかいは、生産と消費がつながってこそ、勝利する。

流通者として立てた、必死の戦略論である。

幸いたくさんの方から評価をいただけたようなので、今日は良しとしたい。

 



2011年11月30日

『原発国民投票』 と、テレビCM拒否

 

僕より上の世代の人は、元東大全共闘議長の肩書きで

懐かしむ名前だろうか。

国内留学で湯川秀樹博士の教えも受け、将来を嘱望されながら在野に下り、

今は科学史家として存在感を確固としてきた山本義隆さん。

この方が書かれた

『福島の原発事故をめぐって ~いくつか学び考えたこと』 (みすず書房)

が本屋さんの棚から僕を見ているようで、見返すと今度は、「読め」 と脅迫する。

もう、この世代、キライ!

 

科学技術というものは、

「有害物質を完全に回収し無害化しうる技術がともなってはじめて、

 その技術は完成されたことになる」

と山本さんは規定する。 したがって、

「無害化不可能な有害物質を生みだし続ける原子力発電は、

 未熟な技術と言わざるをえない」 と。

 

にもかかわらず、強引な見切り発車で遮二無二建設を進めたのは、

戦後の政治的思惑と、政・官・財が一体となって築いた巨大な利権構造による。

「安全神話」 と 「原子力ムラ」 という伏魔殿は

それを維持・補完するために必須のアイテムだった。

 

「 " 怪物 "  化した組織のなかで、技術者や科学者は主体性を喪失してゆく。」

こうして形成された原発ファシズムと、フクシマの惨劇。

これは、「端的に子孫に対する犯罪である」 と山本さんは弾劾している。

 

最後の一節が、重たい。

 

  日本人は、ヒロシマとナガサキで被曝しただけではない。

  今後日本は、フクシマの事故でもってアメリカとフランスについで

  太平洋を放射性物質で汚染した三番目の国として、世界から語られることになるであろう。

  この国はまた、大気圏で原爆実験をやったアメリカやソ連とならんで、

  大気中に放射性物質を大量に放出した国の仲間入りもしてしまったのである。

 

たしかに、フクシマから放出された汚染水は、日本から4,000km離れた太平洋の

日付変更線のあたりまで至っていることが確認されている。

僕らの国は、もはや被害者だけでなくて、加害者の立場にもなってしまった。

 

それでもまだこの国には、未だに経済優先で原発必要論を語る人たちがいる。

今も極度の不安の中で暮らす人たちがいること、美しい村が丸ごと捨てられたことなど、

意に介してないかのようだ。

事故後10年近くなって子どもたちの甲状腺ガンがピークに達したという

チェルノブイリの教訓は、はたしてどこまで生かされるだろうか。

 

「原発」 なるものへの判断は、誰が下すべきものなのか。

それは 「国民」 だろう -という呼びかけがある。

『 原発国民投票 』 - いかがだろうか。 もちろん判断はそれぞれで。

 

これを呼びかけている人たちの中に、

いま一緒に放射能基準を検討している 「カタログハウス」 さんがいて、

発行する雑誌 『通販生活』 秋冬号の巻頭特集が 「1日も早く、原発国民投票を」 ときた。

気合入ってるねぇ。

とエールを送っていたところ、

何とこの雑誌のテレビCMが放送局から断られたというのだ。

 


11月23日付の朝日新聞-「CM天気図」 というコラムで、

天野祐吉さんがそれをすっぱ抜いた。

以下、冒頭部分を引用したい。

 

  こういうテレビCM,見た?

  黒い画面に白い文字の文章があらわれ、それを読む大滝秀治さんの声が流れる。

  「 原発、いつ、やめるのか、それともいつ、再開するのか。

   それを決めるのは、電力会社でも役所でも政治家でもなくて、

   私たち国民一人一人。 通販生活秋冬号の巻頭特集は、『原発国民投票』 」

  見た人はいない。

  だってテレビに流れてないんだから。

  カタログハウスがそういうCMを作ったんだけど、テレビ局に放送を断られたんだって。

 

テレビ局はどうやら、これを意見広告と判断したようなのだが、

「国民投票」 という民主的手法の呼びかけである。

しかもお金を払って流す雑誌のCMなんだけど・・・・・

ご覧になりたい方は、カタログハウスさんのHPをどうぞ。

 

さて、この 「みんなで決めよう 『原発』 国民投票」 という市民グループ。

脱原発でも原発推進でもない。

原発の是非を有権者が決める国民投票を実現させることを目標として結成された。

詩人の谷川俊太郎さんや俳優の山本太郎さんなど、

たくさんの著名人が賛同人になっている。

 

反対でも賛成でもなく、と言っているのだけれど、

国民投票に反対しているのは、どうも推進派の方々のように見える。

旗色が悪いと読んでいるのかもしれないが、それよりも

国民をバカにしていると思えてならない。

「重要な国策を国民投票で決めるのはおかしい」 って、何かヘンだよね。

国民はバカなほうがよいとでも思っているのだろう。

こんな政治家に未来は託せない、と思って、

" 反対に反対 "  の意味で、署名に賛同することにした。

 

CM放送拒否で逆に話題がネットとかで広がって、

もしかしてカタログさん、してやったり、かしら。

 



2011年11月22日

共同テーブル

 

(株)カタログハウス、生活クラブ生協、パルシステム生協、(株)大地を守る会。

4団体による、放射能基準を検討する 「共同テーブル」。

正式名称は 「食品と放射能問題検討共同テーブル」 と言います。

9月から3回の会合を経て基本合意に至り、プレス・リリースに踏み切りました。

HPでもアップされているので、ぜひご確認ください。

 

http://www.daichi-m.co.jp/info/press/2011/11/post-37.html

 

本件に対して、いろんな質問が寄せられています。

どれも実に自然な疑問ばかり。

説明責任もありますかね。

この場を借りて、いくつかお答えしておきます。

 


<疑問その1> なんでこの4団体なの?

- 特段の理由はないんです。 予め考えてこうなったわけでなく、

  六ヶ所村の核燃サイクルに反対する運動や遺伝子組み換え問題など、

  いろんな運動を一緒にやってきた関係(生活クラブさん、パルさん) や、

  福島・ジェイラップの放射能対策を双方から支援した関係(カタログハウスさん) で

  声をかけたのがきっかけで、まずは我々でやってみようということになりました。

  あえて共通点を抽出するなら、脱原発の姿勢を共有しているということ

  +首都圏・流通(生協さんは正確には 「流通」という業態ではないですが)、

  でしょうか。 もちろん食品の安全性へのこだわりや生産者支援の姿勢で

  一致できる部分がある、というのが前提です。

 

<疑問その2> 広く参加を呼びかけないのか?

- もっともな疑問ですね。上記の4団体で集まった際に、さらに広く呼びかける、

  ということも検討しましたが、多種多様な意見が持ち込まれることが想像され、

  はたしてまとめ上げられるか、という懸念が強く出されました。

  団体の数が多くなると必然的に 「運営」 や 「調整」 に時間が割かれることになります。

  加えて、意見の食い違いから対立や批判を招いてしまっては、

  主旨とは逆の結果になってしまうことになります。

  この業界(?) は、個性派や主張・信念の強い方々が実に多いのです。

  「まとめられなくなる怖れ」 という力量的な限界、これが正直なところです。

  どこに声をかけて、どこは呼ばない、という判断もできません。

  そんなことをすれば、その時点で「終わる」 可能性があります。

  スピードも必要とされるテーマだけに、とにかく我々の力量にしたがって

  目標到達に向かおう、と判断しました。

  もちろん閉鎖的でよいとは思っていません。一定の目処が立ったところで、

  共通資産にできると判断できれば、広く呼びかけることも考えたいと思っています。

 

<疑問その3> 検討はどんな形で進められるのか?

- 食品に含まれる放射性物質は限りなく少ないほうがよい (しきい値はない)

  という認識と、すでに放射能が大地や海に降ってしまった現実の狭間で、

  私たちは今後放射能とどう向き合っていかなければならないのか、

  という視点からスタートしています。

  その上で規制値の適正な設定はどのようなものであるべきか、

  専門家の意見も可能な限り吸収しながら構築してゆきたいと思ってます。

  実際は、悩みが深くなるばかり、というのが今のところですが。

 

<疑問その4> いつ頃までにまとめる予定か?

- 一刻も早く、と考えてはいるのですが、4団体での合同作業になるため

  相応の時間がかかることでしょう。 今想定している目標は、年度内、です。

 

<疑問その5> 国への要求という形をとるのか?

- 国は国で基準の見直しを進めていますが、対立を前提にしているものではありません。

  主旨文にも書いたとおり、

  「それが 「公」 の基準検討を補完するものになれば幸いであり、

   あるいは対立するものになったとしても、

   国民レベルでの健全な議論に寄与するものになることを確信」 しての作業です。

  公・民双方からの議論と作業の積み重ねが、

  生産者も消費者も納得できる 「指標」 の獲得につながる、と信じています。

  新聞記事を見て、電話をかけてこられた ●●●● 省の方、

  喧嘩することが目的ではないので、どうぞご安心ください。

 

とりあえずこんなところで。

また随時、検討プロセスも含めて報告してまいります。

ご期待ください、と力強く胸を張りたいところですが、

前代未聞の作業だということがじわじわと涌いてきて、

震えているのが正直なところです。

 



2011年11月20日

六本木ヒルズで 「放射能と向き合う」

 

まったく広報はいろんな依頼を受けてくる。

日曜日がまた潰れてしまったではないか。。。

 

本日の指令は、「午後3時半、六本木ヒルズに直行せよ!」

六本木ヒルズ!!! オイラなんかの行く場所ではないと思っていた。

大地を守る会の六本木事務所からも近いのだが、

前を通ることはあっても、足を踏み入れたことがない。

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地下鉄通路を上がれば、いきなりこんな感じ。

迷ってしまわないか不安で早く出たら、30分前に着いてしまった。

 

六本木ヒルズ森タワー 2F 「ヒルズカフェ」。 

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ここで17日より 「企業と環境展」 というのが開催されていて、本日が最終日。

主催は、港区内で様々な環境問題に取り組む事業者で構成する

「みなと環境にやさしい事業者連合」。

六本木に事務所がある関係で、大地を守る会も加盟している。

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 その最後のプログラムが、これ。 

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アースデイダイアログ 「放射能と向き合う未来の食卓」。 

ゲストが、お互いに 「変わった名字ですね」 と言い合う3名。

吉度(よしど) さん、親跡(ちかあと) さん、戎谷(えびすだに) さん。

 

" むかし兄弟、いまライバル "  の 『らでぃっしゅぼーや』 さんと席を並べての

食と放射能鼎談。

親跡さんは取締役ながら 「放射能対策チームリーダー」。

僕、「特命担当」。

お久しぶりの挨拶もそこそこに、何の因果かね、と新しい名刺を交換し合う。

 


トークセッションの前に、 

らでぃっしゅぼーや・潮田和也氏とヤスヨさんのユニット 

 " ドライドボニート " (カツオ節という意味だとか) による夕暮れライブ。

 

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プロのギタリストなのに、らでぃっしゅ さんに籍を置いて、

楽しそうに農家を回っている、憎たらしいヤツ (嫉妬丸出しか)。

ま、今日は ヤスヨさんの美しい歌声もあって、しばし癒してもらいました。

 

さて、トーク風景。 

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話はいきなり食品の放射能基準から始まった。

親跡さんが、消費者の強い要望もあって自主基準値(50Bq) を設定した説明をすれば、

僕は、生協も含めた4団体で統一基準を作ってみようと動いていることを報告。

これは正確には、「4団体の」 共通基準を作ろうとしているのではない。

「あるべき公的基準」 を我々サイドからも考え、社会に提示しよう、というものだ。

放射能に関しては、流通の中で基準が乱立するような世界はよろしくない。

ちゃんと生産者にも消費者にも信頼される統一基準が必要だと思うのである。

基準値の低さで競争してしまうと、かえって不安を煽る結果にもなりかねない。

 

大事なのは実態(測定結果) の情報公開であること。

基準値を設定しても、測定情報が開示されなかったら、

基準が担保されていることにはならない。

逆に測定情報をよくよく見れば、現在の食品の放射能汚染がどの水準にあるか、

ほぼほぼ掴めるまでになってきている。

(50という基準値は、実態を見た上での設定でもあろうと思う。)

50Bq(ベクレル) を基準にする団体のほうが100Bqの団体より安全性が高い、

というような話ではないので、実態を把握することに努めましょう。

 

実態を知るには、できるだけたくさんの入荷物を測定する必要がある。

しかも信頼に足る方法でやらなければならない。

それは実にコストのかかる話である。

そこはどの団体も、今もって苦労しているところだ。

ゲルマニウム半導体検出器1台、ガンマ線スペクトロメータ5台 (1台は福島・ジェイラップに)

という当社の体制は、なかなか誇れるものだと思っている。

(自力で揃えられたわけではないので、そこはふまえておくとして-)

 

放射能に安全を線引きできる 「しきい値」 はない。

これが我々が取っている立場である。

だとすると、「これ以下は安全」 と言える数値は軽々には設定できない。

かといってお手上げして、野放図に何でも流通させていいわけではない。

どこかで線引きが必要になる。

過去の調査データや科学的知見、食生活バランス等をもとに一定のラインを設定し、

物理学者・武谷三男さんが唱えた 「がまん量」 のような考え方をもって

整理するしか、今は方法がないように思われる。

数値が落ち着いてきている今のうちに、できるだけの知見を集めて、考えてみたい。

それまでは、実態を見て、それぞれの価値観で判断してもらうしかない。

特定の作物以外はほとんど 「不検出」 レベルになってきてるし。

 

僕が今回、基準の問題以上に強調したかったことは、前にも書いたけど、

「放射能対策には、放射能だけ見てはダメ」 ということ。

人間の体には、放射能によって多少ダメージを受けても、

遺伝子を修復する力が備わっている。

その免疫力を高めるには、できるだけ他の化学物質の影響も考慮して、

バランスの取れた 「よい食事」 をとることが何よりも基本なのである。

放射能対策は総合力でいきましょう。

気になる場合は、よく洗う・皮をむく・茹でる (セシウムは水に溶けやすい)・・・

ま、調理や食べ方については、

マクロビオティックの料理家である吉度さんに聞いてください。

 

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そして、もうひとつ。

世界の人口が70億を突破し、食料問題や環境問題が切迫してくる中、

未来世代のためにも 「この国土を守る」、という強い意識が必要だと思っていること。

そのために 生産者と消費者が対立することなく、 共同で守り合う世界を育てたい。

それは、除染を含めて食品への移行(汚染) を必死で食い止めようとしている生産者を、

「食べる」 という行為を通じて 支援してほしいこと。

もちろん子どもには配慮が必要だけど、

(数字を見た上で) 「大人はしっかり食べよう」、と訴えたいです。

未来への責任において。 

 

自分の話ばっかりでスミマセン。

前に座っていたもんで、ちゃんと話を書き留めてなく・・・

吉度さんが最後にまとめてくれた。

強く、生きましょう! 

この記憶に尽きる。

 

終わった後、今宵は 六本木農園 で一献。 

吉度さんを横目に、親跡さんと銘酒 「五人娘」 をクイクイと飲みまくってしまった。

 



2011年10月30日

それでも我らは種を播く

 

今日は朝日新聞主催のシンポジウムに参加してきた。

場所は有楽町マリオンの10階、朝日ホール。

テーマは、「放射能と向き合う~低レベルの影響」。

エッセンスだけでもお伝えしたいと思うが、その前に、

10月16日(日) のシンポジウムの報告をしておかなければならない。

 

日比谷公園の 「土と平和の祭典」 を午前中であとにして、午後からは

有機農業技術会議主催による 「原発と有機農業」 シンポジウムに参加する。

会場は水道橋にある 「在日本韓国YMCA」 国際ホール。

夏日となったこの日、汗を拭き吹きギリギリ会場に到着する。 

 

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" それでも種を播こう "

- 震災直後から呼びかけがあり、この名称で会が立ち上がり、

何度か会合を重ねてきた方々の手による節目のシンポジウムと言っていいだろうか。

 


第一部は、4名のパネリストからの問題提起。

第二部は、そのパネラーを中心にディスカッション、という構成。

 

まずは、二本松市 「ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会」 理事で

ふくしま有機ネット代表も務める 菅野正寿さん

8月には ヒマワリ畑 も見せていただいた。

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東京からふるさと・東和に戻ったのが30年前。

有機農業による地域づくりに取り組み始めたのが25年前。

悪戦苦闘の年月を経て、新規就農者も受け入れ、

地域資源の循環・里山の再生に自信を深めてきたところで、

人も土も里山もずたずたにされてしまった、そんな深い怒りが伝わってくる。

菅野さんが語る原風景は、童謡 「赤とんぼ」 の一節に重なっている。

    ♪ 山の畑の桑の実を小籠に摘んだはまぼろしか-

 

今日は、「希望を持って農業を始めた若者たちの健康を見てあげてほしい」 と訴える。

なんて罪作りな社会なんだろう。。。

 

震災後の東和での取り組みをずっと調査してきた

茨城大学農学部研究員の飯塚里恵子さんが、その報告をはさむ。

「葛藤を乗り越えて復興プログラムへと踏み出させた力は、

 地域の仲間たちと培ってきた絆と地域の将来への 「夢」 だった。」

 

田畑を耕し、種を播き、直売所には徹底して地元産の野菜を置き、

自ら測定を開始し、長野・佐久総合病院と連携して地域住民へのケアも始めた。

埼玉・小川町の金子美登さんに倣って、

ヒマワリやナタネを栽培して、油を絞り、エネルギー循環を目指す。

これらのつながりはすべて有機農業を実践するなかで築かれてきたものだ。

希望の絆は断ち切れてはいない。

 

問題提起の2人目は、大阪で有機農産物の流通を行なっている

「安全な食べものネットワーク オルター」 顧問・三浦和彦さんから、

「有機流通の現在 -私たちが向き合った 「福島原発事故」-」 。

大阪においても、震災と事故の影響は大きく、日々苦悩しながらの判断が続いたようだ。

しかし、放射性物質の自主基準を1ベクレルに設定したことに対しては、

その非現実性に対して会場から批判も出された。

 

3人目は、農業生物学研究室主宰・明峯哲夫さんによる 「放射能汚染と有機農業」。

「 もはや放射能と共存するしかない時代に入っていて、

 それぞれに  " 食べること "  (何を食べるか) の主体性が問われている。

  少々汚染された食べものでも口にするということだ。」

その上で有機農業の力を語る。

この方の哲学的姿勢には感服するしかない。

 

4人目は、茨城大学教授・中島紀一さん。

「反原発から自然共生・農本の地平へ」 と題して、

改めて故・高木仁三郎さんの反原発・脱原発の思想的な深まりを辿りながら、

その歩みを引き継いでいきたいという思いが語られた。

 

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第2部では、議論となった放射性物質の基準に対して、

司会のコモンズ・大江正章さんから発言を求められてしまった。

 

僕が訴えたのは、

生産者と消費者にとって安心して採用できる物差し、つまり最も適正な基準というのは、

流通者がめいめいに 〇 ベクレルだとか言い合うことではなく、

垣根を超えた共同の作業で進めなければならないことではないか、ということに尽きる。

そこで 「食品の放射能基準のあるべき姿」 を可視化する作業を

いくつかの団体で開始する準備をしていることを報告した。

難解な問題を一つずつクリアにしながら、みんなでリテラシーを磨き、

放射能との向き合い方・たたかい方を、整理してみたいと思うのである。

どんなゴールが待っているのかはまだ見えないけど、

粘り強くやるつもりだ、と。

 

まだ中途なくせに、決意だけは偉そうに報告するものだから、

とんでもない期待感を抱かせてしまったかもしれない。

でも、やる気です。

混乱と不安の社会にあって、これは挑戦するだけでも意味と価値がある。

力量はともかく、その確信だけは揺らぎない。

僕だって、「それでも種を播く」 一人でありたい。

 

このブログもまた、これからだんだんと

その底なしの深みにはまっていくのかもしれない。 ゾクゾクするね。

 



2011年10月27日

「ニコニコ生放送」 体験

 

10月1日付で  " 〇〇特命担当 " (自分で言うのがとても恥ずかしい)

という一人部署に任命されてより、

あれよあれよと矢のように時間が過ぎてゆく。

農産グループの継続課題も少々引きずりつつ、

新たな仕込みや仕掛けもそれなりにやってきたつもりなんだけど、

土日や夜の会合が一気に増えてきて、ブログに到達しない日々が続いた。

IT能力のレベルアップか、書き方の要領を変えるしかない、

とか何度も思いながら・・・おいつけない。

河島英五じゃないけど、" 時代おくれ "  のブログになりそうだ。

演歌は嫌いじゃないが・・・

 

ネット時代についてゆけてないのを実感したのは、

先週の金曜日(10月21日) のこと。 こんな初体験をした。

 

お昼時に広報に電話が入り、深夜の生番組に出演してくれと言う。

「ニコニコ生放送」 というインターネットで配信される動画制作会社からである。

どんな番組かと聞けば-

  『 緊急報告!アナタの食べものは大丈夫?

    ~ 放射線による食品汚染の実態に迫る ~ 』

 

外部の人には見せられない弁当を食べる自分に、

広報担当が気を使いながら打診してくる。

う~、、、まあ、いいけど、、、いつ? エエッ! 今夜かよ!

 

この感じ・・・ 過去にもあった。

93年の米の緊急輸入で大騒ぎしてた時に、 『 朝まで生テレビ 』 から

お声がかかったときも、当日だった。

しかし、、、夜の10時、指定された場所に出向けば、

そこは日本橋にある雑居ビル。 スタジオふうにセットされた一室で、

若いスタッフとゲストの先生たちが、あーだこーだ言いながら

準備に勤しんでいるのだ。

テレビ局で用意されたものとは違った手づくり感があって、

10時半、緊張感なく (というより心の準備なく) 本番突入となった。

 


ゲストは、

高エネルギー加速器研究機構教授・野尻美保子さん、

東京大学大学院理学系研究科教授・早野龍五さん、

三重大学生物資源学部准教授・勝川俊雄さん、そしてワタシ。

司会は、ジャーナリストの津田大介さん。

 

3人の先生方がそれぞれに、放射能の基本から国の暫定規制値の意味などを、

フリップを使って 「分かりやすく」 を意識しながら解説する。

食品検査の実態を知ってもらうために、

スタジオに測定器 (ガンマ線スペクトロメータ) を運び込んで、

測定の実演までやってみせたのには、感心させられた。

男たちが汗かきながら担いで階段を上ったようだ。

「事実を正確に知ってもらおう」 と努力されている先生たちも多いのだ。

 

モニターを見れば、瞬時に視聴者からのコメントが次から次へと流れてくる。

「そのTシャツ、かっこいいね」 とか、誰かが冗談言って笑うと 「笑ってる場合か!」 とか、

「信用できない」 とか、「早くヒジキの結果を見せろ」 とか、

「こういうのをテレビでもやるべきだ」 とか ・・・

僕が発言してた時に 「エビちゃんブログ、見てるよ~」 と流れて嬉しくなったのだが、

あとで知人からの応援だったことが判明した。

質問もいくつか採用されて、コメントを求められる。

 

まあそんな感じで、発言は制約されることなく、喋り過ぎたりしてるうちに、

津田さんがサラリと、「反響も多いので、延長しましょう」 と言ってのける。

そして、終了したのが深夜の1時。 勢いで1時間延長しちゃったのだ。

このフレキシブルでヴィヴィッドな 「やっちゃえ」共有感は、楽しい。

既成の討論番組が時代遅れに見えてくる。

 

先生たちがよく喋ったので、出番はそう多くはなかったのだが、

いろんな刺激を受けて実に面白い体験だった。

 

制作会社が用意してくれたビジネスホテルに潜り込んだが寝つけない。

しょうがないのでコンビニで純米酒を買って、しばし反省。

 

こういう番組に出るには瞬時の対応力が必要だ。

そのためには日頃から頭を整理しておかなければならない。

 

先生たちが言うには、まだ基本的な知識に混乱が見られるとのこと。

「だから我々も伝える努力をもっとしないといけないです。」

なるほど。

僕も気をつけよう。

 

<豆知識> みたいなのを、しばらく続けてみましょうか。

ニコニコ生放送で早野先生の説明を聞きながら、改めて思ったことから。

食品の放射線を測ろうと機器を購入する人がいますが、

ガイガーカウンターやサーベイメーター(線量計) といった数万円クラスの測定器は、

空間線量を測定する装置であって、

食品の放射線量を正確に測るものではありません。

当社でも入荷した農産物を、まずはシンチレーション・サーベイメーターでチェックしていますが、

空間線量(バックグラウンド) をしっかり把握した上で、

またモノが集まった状態 (じゃが芋なら1個取り出してではなく、箱の中)

にしっかり当ててバックグラウンド値との差を見て判断するようにしています。

(差が明確に出るようなら、ラインには乗せず、スペクトロメータで計測する。)

空間線量も数秒単位で変動しますし、地形や地質の影響を受けます。

あくまでも参考値として、あるいは継続して測りながら変動を比較したり、

傾向を判断するものとして活用しましょう。

 



2011年10月15日

たくさんの希望のメッセージに感謝です。

 

さて、続きを急がなければ。

もたもたしている間に、伊藤俊彦さんから連絡が入る。

ようやっと新米検査の半分が終わったと。

稲田稲作研究会の田んぼ400枚全部、面積にして120ヘクタール分という

膨大なデータが、今この時間にも蓄積されていってる。

しかも玄米-白米-ご飯(炊いた状態) の比較までやろうというのだ。

 

結果は197件中186件がND (不検出=検出限界値10ベクレル)。

20ベクレル越えはないと。 自治体発表ならすべてNDだ。

「エビちゃん! 稲作研究会は、ホントに頑張ったよ!」

早期に100町歩(≒ ヘクタール) を超す田んぼにカリウムを散布した成果が

はっきりと現われてきた。

測定担当の小林章さんがやせ細ってないか気になるところですが・・・

 

この笑顔がいつまでも絶えない世界を、残したい。

それが僕らに課せられた義務だから。

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最終結果まで、もう少しだね。

頑張りましょう。

 


収穫祭では、皆さんから頂戴したメッセージを模造紙に貼り付けて

お渡しした。

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生産者にカメラを向ければ、目頭を押さえる関根政一親分(専務) が・・・

 

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励ましてくれ、感謝の言葉までもらって・・・

緊張と不安の7ヶ月を生きてきて、ここまで来れたという

喜びと少しの安堵が伝わってくる。

 

事前に送られてきたメッセージも温かいものばかりで、

読み切れない。

  

  いつも美味しいお米をありがとうございます。

  備蓄米開始から毎年お願いしております。

  在職中はずーっとお弁当でした。 冷めても美味しいご飯に、毎日やる気を頂きました。

  (食べ終わって満足の表情を浮かべると、いつも同僚に笑われておりました。)

  私は足が不自由ですので、どうしても自分でできない作業などを、

  若手の同僚や男子に代行してもらった折、彼らは

  「感謝の気持ちは、弁当がよい」 と、美味しいご飯で、気持ちよく実行してくれました。

  夫の友人は、泊まった翌日の朝食のご飯を楽しみにしております。

  あれもこれも、お米を作ってくださる方々のお陰でした。

  ありがとうございます。 いろいろ大変でしょうが、くれぐれもご自愛ください。

 

  今年は備蓄米を申し込むかどうしようかと迷いました。

  結局、体に良い食べものに取り組んでいる大地を信頼して例年通り申し込みました。

  生産者の皆様方の怒りはよくわかります。

  国は方向も決まらず、おたおたしているだけです。

  経済的には大変でしょうが、自立するのが一番です。

  これからも検査結果を公表して、消費者の信頼を得てください。

  結果が残念な数値であっても、公表することで先の生産、販売につながりますから。

  今まで通りのお付き合いを長く続けていきたいです。

  野菜、果物はできるだけ福島産のを買っております。

  何が入っているか信用できない外国産はいけません。

  安いからと飛びつくのは、そろそろ止めたほうがいいですね。

 

  稲作研究会の皆さま

  我が家では備蓄米の精度ができて以来、その趣旨に賛同して毎年登録しています。

  安心でおいしいお米が毎日いただけることに感謝しています。

  登録時期が例年より遅く心配していましたが、この制度が続行されるなら、

  生産者の皆さんを信じ、申し込むと決めていました。

  その後、TVで皆さんの取り組みが報道され、

  やっぱり頑張っていられるのだと感銘を受けました。

  ありがとうございました。

 

全部紹介できないのがつらいけど、リーフレットにして何部か印刷して、

生産者にお渡ししたことを報告しておきます。

参加された方々の声も含めて、メッセージすべてが  " 希望 "  のタネです。

 

最後に挨拶に立った伊藤俊彦さんが、

仲間の労をねぎらった途端に、声を詰まらせた。

「みんな愚痴一つ言わず、朝から晩まで働いてくれて・・・・・」

 

帰り際、息子の大輔くんがぽつりと漏らしてくれた。

「親父の涙を始めて見ました。」

 

本当に涙、涙の収穫祭だった。

苦しい時に、信じ合える人がいることの喜びをかみしめながら、

僕も期待通り、泣きの挨拶になっちゃった。

「生産と消費を信頼でつなぐ、って口で言うほど簡単なことではないけど、

 この仕事をやってきてホントによかった。 とてもシアワセな気持ちで一杯です。」

 

さて、最後にもう一つ-

「大地を守る会の備蓄米」 収穫祭には、こんな方も登場してくれた。

滋賀県近江八幡市に本拠を置き、今や全国的ネットワークに発展した

「菜の花プロジェクトネットワーク」 代表の藤井絢子(あやこ) さん。

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休耕田や転作田を活用してナタネを植えてバイオ燃料を作り、

滋賀県愛東町の公用車を走らせた女傑。

「空いてる田んぼが油田になった」 と話題になった。

2007年からは、チェルノブイリ救援・中部と連携して、

「ナロジチ再生・菜の花プロジェクト」 に取り組んでいる。

この日も、福島の菜の花プロジェクトの支援に訪れていて、

この交流会に合流してくれた。

「ジェイラップの除染活動や、皆様の強い絆に感動しています。」

 

" 希望 "  は素敵な人たちをつないでくれるものなんだね。

 

なお、この日取材に入ったNHKさんですが、

平日夜7:30から放送されている 「クローズアップ現代」 で取り上げてくれる予定です。

放送日は未定ですが、11月のどこか、とのこと。

決まり次第お知らせいたします。 乞うご期待、ということで。

 



2011年10月10日

" 希望の米 " は、ここにある!

 

いやあ、ホント、書けませんね。

なかなかブログに至らない、その前に沈没する日々。

いえ、酒のせいではありません。 酒量はむしろかなり減ってる。

 

抱えたテーマが放射能という未経験領域で、一つ一つの事項に明確な道がない。

最後は、責任を自覚した上での判断とか決断で進むことになる。

きついトレーニングさせられてるなあ、と思うのであります。

加えて継続して引きずっている案件がある。

それがまた、それぞれに重たくて、一つ進捗させるたびにフッとため息ついて、

まっこと肝の小さい人間だなあと実感するのであります。

 

しかし、先送りすればするだけ書けなくなっちゃうし・・・

ゼッタイに抜かすわけにいかない報告も待っている。

細切れに続けることになりそうですが、前に進みます。

 

2011年10月1日。

「今年はやりますか?」 と聞かれて、迷ってしまった自分が恥ずかしい、

と思い改め、実施を決断した 「大地を守る会の備蓄米」 の収穫祭。

やってよかった。 本当に、やってよかったと思う。

 

" これが僕らに与えられた試練なら、立ち向かうしかない "

空いたパンドラの箱から最後に託されたのが  " 希望 "  なら、

絶対に確かなものにしてみせる。 

思いつめてきた半年だった。 それだけに喜びも大きい。

 

募集をすれば、例年以上の参加者が集ってくれた。

マイクロバスを大型バスに切り替えて、全員を受け入れた。

参加いただいた皆様に深く感謝、です。

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 (カメラ隊は、NHKの方々。)

 

参加できなかった方々からも、たくさんのメッセージが寄せられた。

これもまた勇気の素で、嬉しいなんてもんじゃない。

「生産者の前で読もう! でもオレは読まない (泣いちゃう) から」

と早々に宣言。

 

  いつも美味しいお米を作ってくださり、ありがとうございます。

  3月の震災で、本当に悲しい、悔しい思いをされたと思います。

  皆様のお体が一番心配です。

  今回の収穫祭に参加することができませんが、心から応援しています。

  美味しいお米を楽しみにしています。

  心から感謝申し上げます。

 

  毎年美味しくいただいています。

  子どもが二人いるので、正直、今年は注文する時、どうするか迷いました。

  でも、取り組みの姿勢をみて、ご信頼申し上げることにしました。

  子どもたちともYOUTUBEを見て、話をしました。

  ご苦労が多いと思いますが、おからだに無理せず美味しいお米を作ってください。

  楽しみにしています。

 

  成長期の息子ふたりを抱える我が家にとって

  お米は欠かすことのできない大切な食材です。

  毎年お米の袋に書かれている文字を見ながら

  いつも変わらぬ大地の恵みを頂けることに感謝しています。

  たくさんたくさん家族でいただきます。 ありがとうございます。

 

「ずっと食べ続けてくれた皆さんの前で、人智を尽くしたと言えるように、、、

 頑張ってきたつもりです。」

グッと歯を食いしばる伊藤俊彦代表の挨拶と説明の後、

稔った田んぼの前で記念撮影。

「合い言葉は?」 - すかさずジェイラップの関根政一さんが言った。

「希望の米! でいきましょう」

 

よっしゃ。 では、希望の~ 米!

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本当だ。 希望の米が、いま僕の目の前で輝いている。

そしてファインダーからみんなの笑顔が・・・ああ、

我慢してたら鼻水が出てきた。。。 もうダメだ。

 

君たちの笑顔が見たかったよ。 来てくれてありがとう!

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空もさやかに晴れてくれて、

「もっと田んぼにいたい~」

 ・・・生産者には天使の言葉に聞こえたんじゃないだろうか。

 

大地震にも耐えてくれた太陽熱乾燥施設。

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今年も続々と、収穫された米が入り始めた。 

変わらぬ秋の風景のようでいて、違うのは

今年は田んぼごとに放射能検査を行なうという、前代未聞の挑戦をしていることだ。

その数 400枚。 面積にして120ヘクタール分のサンプル。

それぞれにモミ-玄米-白米、と検査する。

どこにもないデータの集積が、福島の一角で進んでいる。

 

地震で大きな損壊を受けた精米ライン。

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これを1週間で復旧させた。

「あのパニックの最中に、メンテナンス会社の連中が呼ぶ前に来てくれて、

 寒いなか工場に寝泊りして復旧にあたってくれた。

 いかに普段の関係が大事かを思い知らされました。」(伊藤俊彦さん)

 

いただいたメッセージから-

 

  今年も例年通り備蓄米を注文しました。

  いつもよりたくさんの苦労の末に、皆さんが作ってくださったお米を大切にいただきます。

  天災と人災のダブルパンチにも負けずに丹精込めて作ってくださったお米は、

  きっといつもより美味しいと思います。

 

  ホームページで、震災当時~今までの様子、活動を読ませて頂きました。

  目に見えない被害に対処することは並大抵のことではできません。

  皆様の努力に逆に言葉を失いました。ただただ頭が下がるだけです。

  何かしなければと思うだけで、実際にはただいただくばかりの自分が、はずかしいです。

  稲と同じように福島で暮らしてきた方々が、

  健康で、元気でおられますことをお祈りいたします。

  いつもありがとうございます。

 

  一日でも早く、どこよりもきれいな田んぼを取り戻してみせるっていう

  その意気込み、取り組み。 応援します。

  今年もおいしいお米待っています。 

 

  毎年備蓄米をおいしくいただいております。

  放射能の影響は際限がなく、皆様方のご苦労を思うと本当に頭が下がります。

  これからも大変な作業の連続でしょうが頑張ってください。

  何もできない自分が歯がゆいですが、いつまでも応援しています。

 

  稲田稲作研究会のお米をいただくようになって何年たつか忘れてしまいましたが、

  第1回の募集のときから毎年楽しみにいただいてきました。

  3月11日の原発事故後、今年の米作りはどうなるのかと心配していましたが、

  いつもと同じように募集があってとても嬉しく、そして研究会の皆さまに感謝しております。

  真摯な生産者とそれを支える消費者がいてはじめて日本の農業が存在すると

  思っております。

  微力な私には、生産していただいたものを大切に食することしかできませんが・・・。

  どうぞこれからもよろしくお願いいたします。

 

いえいえ、けっして微力なわけないです。 食べてくれることこそ力です。

 

ジェイラップと一緒に挑んできた乾燥野菜の開発-「はたまるプロジェクト」 も、

新工場ができて新たな段階に入った。 

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これまでの試作品を並べ、説明する伊藤大輔くん。

一品一品が試行錯誤の記念品だね。

 

お陰で、オリジナルの皮むき器やスライサーが所狭しと、

いや、広い部屋に並ぶ。。。

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広めにつくったところに、相当な期待の高さが窺い知れる。 

建屋の大きさは、こんな感じ。

 

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さて、ひと通り見学したあとは、お待ちかねの交流会。

 

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続きは、明日に、、、書けるか。。。

 



2011年10月 6日

安全なだけでなく、前より美味くなった! と言わせる。

 

すみません。

異動前後のせわしなさで、ブログのほうにまったく手が回ってませんでした。

時間というより、気持ちの問題ですかね。

しかも農産グループの仕事は細切れに引き継ぎながら、

次の仕事は一気にギアをアップさせたような感じで。

と言ってもこれまでの延長なんだけど。

 

前回の日記のあと、 

9月29日(木) は、4つの団体のトップの方々と秘密の会合を設定。

テーマは食品の放射能基準の正しい考え方について。

内容は近いうちにお知らせできるかと思います。

そして30日(金) には福島県須賀川市、ジェイラップに向かう。

この日はお米の話ではない。

岩手県久慈市(旧山形村) から短角牛の生産者に来てもらって、

牛の除染対策会議を開いたのです。

 

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今回試してみようとしているのは、ゼオライト (沸石) の粉末。

ゼオライトといっても、ケイ酸アルミニウム主体の多孔質鉱物の総称で、

その数は数百種類あると言われている。 

そのイオン交換能力の性質から土壌改良や水質改善に広く利用されているもので、

欧米ではサプリメントとして普及しているし、

家畜の餌に混ぜると生育が良くなることも証明されている。

(悪玉菌を出して善玉菌を増やす。

 血液がきれいになり、健康状態がよくなって、肉質が向上する、という理屈。)

特に3.11以降は、セシウム吸着力で注目されているものだ。

 

久慈といえば岩手の県北で、旧山形村はその内陸部に位置する。

原発事故の影響はかなり少ないほうなのだが、

規制値を超えた牛肉が県内で発生したため、県全域で出荷がストップした。

我々はいち早く短角牛の全頭検査を実施して、

その安全性を確かめる体制を取ったのだが、行政の規制は変わらなかった。

「まるで岩手全体が汚染されたみたいに思われたのではないか」

という生産者の不安は今も深く、販売不振に喘いでいる。

 

とはいえ牧草地のなかにはセシウムが検出されたところもあって、

生産者たちは今年の一番草を食わせるのを控えている。

牧草地対策、そしてゼッタイに肉に移染させない対策を徹底させるために、

ゼオライトの力を借りようというわけだ。

 

それがなぜジェイラップで?

長年、牛の健康と肉質の向上を目的としてゼオライト利用の研究をされてきた方が

福島にいて、ジェイラップの伊藤俊彦さんを経由して検討会をお願いした、というわけ。

久慈と東京の中間なのでお互い3時間ですむし、

僕にとっては翌日の備蓄米収穫祭のための打ち合わせもできるし、

何より一往復分の交通費が浮く。

 

検討はかなりイイ感じで進み、具体的な手当ての方法までまとまった。

「安全なだけでなく、3.11以前より美味しくなった、と言わせようじゃないか!」

・・・来たときは少々落ち込んだ感のあった生産者たちが、

笑顔も見せながら帰っていかれた。

国産飼料100%の牛肉を実現した彼らなら、やってくれると信じている。

 

帰る前に、放射能測定器も見ていただく。 

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これと同じものが大地を守る会のセンターに4台ある。

ゲルマニウム半導体検出器も威力を発揮し始めている。

測定でのバックアップは任せてくれ。

 

このやり取りを、脇で面白そうに眺めている男がいた。

 " やまけん "  の名で食の世界を闊歩している山本謙治である。

彼はこの日、別件で伊藤さんの取材に入っていた。

彼のレポートは近々、大地を守る会のホームページで登場するはずである。

大地を守る会の 「TTP (ちゃんとたべようプロジェクト)」 コーナーにて。

乞うご期待。 

 

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やまけんのブログでいつも、スゴいなあ!と思うのは写真のシャープさである。

マニュアルできちっと撮れるテクやセンスの違いはもちろんのことなんだけど、

ストロボ付きアンブレラを持ち歩いている姿まで見ると、

彼はすでにプロなのだと思い知る。

ウチの広報・中川が 「傘をこっちに向けろ」 とか、助手のようにこき使われている。

 

笑顔がほしいね~と、やまけんさん。

脇から茶化したりする。 

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ああ、いい笑顔だ。

やるだけのことをやった、という自負がある。

頭もヒゲも白くなったけど・・・

明日の収穫祭も、こんな感じでお願いしますよお。

 

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精一杯、手を尽くした田んぼ。

収穫は、一週間後あたりか。

何が起きようが生きるのみ、とばかりに美しく実った田んぼ。

早くも泣けてきて。。。 ありがとうの気を送る。

 

この日は須賀川に一泊し、

明けて10月1日(土) は、感動と涙の収穫祭になった。

この報告は次回に。

 

10月2日(日) は、段ボール数箱持って、引っ越し作業。

北の窓際から南の窓際に。

3日に巣作りを終え、4日は高知に飛ぶ。

「放射能対策特命担当」-このミッションを進めるからには、

まずはこの人に仁義を切っておきたかった。

20年以上前に原発計画を止めた男、窪川(現四万十町) の島岡幹夫さん。

15年ぶりの表敬訪問。

これは僕にとって、気合いとエネルギーを強化するためにも、必要な手続きだった。

 

遅ればせながら順次報告、ということでお許しを。

 



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