エビ版「おコメ大百科」の最近のブログ記事

2014年6月12日

コメびとたちと語る、田んぼの未来

 

続いて 6月5日(木)。 

六本木・東京ミッドタウン内 「21_21 DESIGN SIGHT」 で開催中の

コメ展」 にて、

トーク・セッション 「田んぼの未来 2」 が開かれた。

 

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コメについて考える 「コメ展」 だから、

生きたコメづくりの現場につながる 「窓」 をつくりたい・・・ 

 

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コメづくりの現場が今どうなっているのか?

これからどんな日本、どんな未来を創っていくのか?

それぞれのコメづくりに賭ける思いをたっぷり語ります。

 

というわけで、竹村さんが表現する 「コメびと」(生産者) を 4名用意して、

ナビゲーターとして参加させていただいた。

 


平日の夕方なのに、けっこう人が入っている。

しかも六本木という場所柄もあってか、外国人が多い。

「和食」 が世界無形文化遺産に登録されたことも影響しているか。

しかし異国の人たちの関心とは裏腹に、

この国の人たちにとってコメは、ただの一食材でしかなくなってしまっている。

いろいろ思いを喋るより、

彼らの感想が聞きたくなってくる。

 

東京のど真ん中で、

懐かしい風景に見入る人たちがいる。

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午後 5時。

会場内の一角に用意されたイベント・スペースにて、 

セッションの開幕。

お呼びした 4名のコメびとは、

 ・千葉孝志さん(宮城県大崎市、蕪栗米生産組合代表)

 ・菅原専一さん(山形県庄内町、みずほ有機生産者グループ代表)

 ・橋詰善庸さん(石川県加賀市、加賀有機の会代表)

 ・浅見彰宏さん(福島県喜多方市、福島県有機農業ネットワーク理事)

 

千葉さんの到着が遅れてハラハラさせられたが、

何とかギリギリ間に合った。

こじんまりとしたトーク会場に、

それでも50人くらいは集まってくれただろうか。

僕は前に座らせられたので写真は撮れず。

終了後、「21_21~」 のスタッフ仁お願いして送ってもらった。

こんな感じ。

 

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まずは二人ずつ前に座ってもらって、

簡単な自己紹介にご自身の栽培方法、コメづくりにかける思い、

地域や環境との関わりなど、自由に語ってもらった。 

 

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山間地の堰の保全に取り組んできた浅見さんにとって、

田んぼとはイコール  " 水の道 "  である。

「 コメ展の展示は素晴らしいと思ったけど、

 " 水路 "  への視点が弱い気がしました。」

ズバッと切り込んで、

水路こそが地域を守っているのだということを、

山都の棚田風景を紹介しながら語ってくれた。

この価値を都市(まち) の人たちと共有するために、

彼の仕掛けはこれからも続く。

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菅原専一さん。

「 田植えがひと段落して、中丁場(なかちょうば、ひと休みの意味)

 のところで呼んでいただいたので、来ることができました。

 お陰で素晴らしい展示を見ることができました。

 俺たち百姓は現場にいながら、こんな観点でコメを考えてなかった気がする。」

 

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彼のコメづくりは合鴨農法である。

しかし食欲旺盛なカモを田んぼに放すと虫も草も片っ端から食べちゃうので、

生物多様性は貧しくなる。

それは気になるところではあったのだが、

人手がなくなってきて、昔の結のようなつながりも失われ、

やむなく選んだのが合鴨農法だった。

しかし、それでも虫や草は毎年豊富に現われてくれて、

土づくりを土台とした有機農業の力を実感している。

 

「それでの~」 と庄内弁で訥々と語る専一ブシが、僕は好きだ。

「中丁場でちょうどよかった」 と言いながらも、

やっぱり田んぼが気になる専一さんは、忙しなく夜行バスで帰るのだった。

 

宮城・大崎平野の田尻地区で、

渡り鳥と共生するコメづくりを長く続けてきた千葉孝志(こうし) さん。

野生動物にとって必要な湿地帯として、

世界で初めて田んぼがラムサール条約に登録された場所である。

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千葉さんは冬季湛水(冬水田んぼ) にも取り組んできた。

しかも、警戒心の強いガンたちが一ヶ所に集まって田んぼを荒らさないよう、

ねぐらを分散させるために、あえて場所を離して水を張る。

冬に水を入れられない所では、井戸も掘った。

そのポンプアップの動力は自然エネルギーを使いたいと、

太陽光パネルも設置 した。

コメに付加価値をつけるためではない、渡り鳥のために。

彼にとって渡り鳥との共生は、自然保護といった観点を超えていて、

命のつながりそのもののようだ。

この星を守るための当たり前の百姓仕事なんだと、僕には聞こえてくる。

 

石川・加賀温泉から駆けつけてくれた

橋詰善庸(よしのぶ) さん。

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橋詰さんが有機栽培に転換したのは、

自ら体験した薬害がきっかけである。

「 こんなものを使って食べ物を作っちゃいけないんじゃないか、

 と思いましてね・・・」

優しく笑顔で語ってくれるのだが、

以後10数年の苦闘はおそらく他人には分からない。

草に覆われ、まったくコメが取れない年もあった。

それでもようやく水田らしくなってきたと思ったら、

白鳥が舞い降りるようになった。

今では千羽のハクチョウが橋詰さんの田んぼにやってくる。

 

後半は4人に前に座ってもらって、

竹村さんはじめ会場の方々との質疑。

ぼくもついつい喋ってしまう。

 

彼らは安全なおコメを作っているだけではない。

国土を守ってくれているのだということ。

しかも石油に依存した近代農業ではなく、持続可能な生産方法を追究しながら。

その結果として生物多様性が育まれ、

暮らしの土台が安定していくこと。

その世界を維持することは難しいことではない。

お茶碗一杯 30~40円 で食べてくれさえすれば守れるのだということ。

社会がおコメの値段を生産コストだけで勘定するようになり、

米価が下がれば下がるほどに、この秘められた価値は失われていく。

外部経済は外部不経済となり、社会は貧相になっていく。

こういう生産者のコメをこそ、食べてほしい。

 

最後は恥も外聞もなく、本音で迫ってしまった。

僕も焦っているのかもしれない。

 

彼らの、大地を這う営みとともにある美しい風景を、

可視化したい。

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コメ展は終了しても、田んぼスケープは続けます。

最後に竹村さんが力強く宣言する。

でもって、たくさんの生産者に投稿を促してくれと、

返す刀で僕に宿題を突きつけるのだった。

やるしかない、か。。。

 



2014年5月15日

コメ展で " コメびとトーク " のご案内

 

六本木・東京ミッドタウンにある展示会場

「21_21 DESIGN SIGHT」 で開かれている 「コメ展」 で

トーク・セッションが企画されたので、ご案内させていただきます。

 

企画されたのは本展示会のディレクター・竹村真一さん。

 

  コメについて考える 「コメ展」 なのだから、

  会場内で閉じた展示でなく、生きたコメ作りの現場につながる

  「窓」 を作りたいと考えました。

 

  米作りの現場が今どうなっているのか?

  これからどんな日本、どんな未来をともに創っていくのか?

  そして米作りに賭けるそれぞれの思いを、コメ展の作品づくりに関わった

  デザイナーやアーティストとも共有したい。

 

「生産者を呼んでくれないか。」

この依頼に、大地を守る会として応えないわけにはいかない。

そこで今回は、以下の4名の方々に上京をお願いした。

 

〇 宮城県大崎市 千葉孝志さん (蕪栗米生産組合代表)

〇 山形県庄内町 菅原専一さん (みずほ有機生産者グループ代表)

〇 石川県加賀市 橋詰善庸さん (加賀有機の会代表)

〇 福島県喜多方市 浅見彰宏さん

  (福島県有機農業ネットワーク理事、「あいづ耕人会たべらんしょ」世話人)

 

生物多様性と米作りについて、

有機稲作の最前線について、

あるいは振り回される農政と米の現状について、

いずれ劣らぬ一家言の持ち主だ。

皆さん、忙しい時期にも拘らず、二つ返事で引き受けてくれた。

 

 トーク 「田んぼの未来2」

日程は 6月5日(木) 17:30~19:30。

竹村さんと戎谷でナビゲートします。

詳細はこちらから-

  http://www.2121designsight.jp/program/kome/events/140605.html

 

平日ですが、宮城・山形・福島・石川から

有機農家の生の声をお届けします。

たくさんの方々のご来場をお待ちします。

もちろんコメ展の展示も楽しんでいただけたら、嬉しいです。

 



2014年2月28日

六本木で 「コメ展」 の開幕

 

  たうたう稲は起きた

  まったくのいきもの

  まったくの精巧な機械

 

  ・・・

 

  あゝ われわれは曠野のなかに

  芦とも見えるまで逞ましくさやぐ稲田のなかに

  素朴なむかしの神々のやうに

  べんぶしてもべんぶしても足りない

    (宮沢賢治『春と修羅』第三集-「和風は河谷いっぱいに吹く」)

 

コメ(稲作) がこの列島に伝播して 3千年。

いや4千年とも、もっと前との説まである。

常に胎動している地球という星の一角に、

自然変動の影響を激しく受けながら

浮いたり沈んだり割れたりしている島々があって、

そこで人々が暮らしの土台に水田稲作を据えたのには、必然的道理があった。

地形・地殻・気候条件とモンスーンによる雨(水) が織り成す風土の上に、

コメとともに文化を形成してきた倭の国。

 

時代は21世紀まで進み、社会はグローバル化(均一化) して、

日本人のコメの消費量はピーク時の半分まで減ってしまった。

とはいえ、このイネ科湿性植物との関わりから我々のアイデンティティを振り返ることは、

決して意味のないことではない。

進むべき未来を考える上でも。

 

東京・六本木の防衛庁跡地(その昔は毛利家屋敷)が再開発され、

7年前に登場した 「東京ミッドタウン」。

その庭園の一角に設えられた展示会場 「21_21 DESIGN SIGHT」 

(トゥワン・トゥワン・デザインサイト) で、

今日から企画展コメ展がスタートした。

 

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企画者は、長年お付き合いさせていただいている文化人類学者・竹村真一さんと、

デザイナーの佐藤卓さん。

開催に先立って、昨夜、内覧会のご招待を頂いたので、

覗いてきた。

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今なぜ 『コメ展』 なのか?

という声も聞こえてきそうだが、その問いに対しては、

今やっとかないとダメなんじゃない? と返しておきたい。

ディレクター・竹村さんは、パンフレットでこう記している。


  毎年千倍に増える魔法。 ~

  この豊かな稔りは、人と自然の共同作業の成果でもあります。 ~

  そして、田んぼはコメを作るだけではない。 ~

  いま日本のコメは揺れています。 ~

  コメの持つ本当の力は、こんなもんじゃないはずだ。

  一見自明のコメ、私たちが慣れ親しんできた  " 知っているつもり "  のコメを

  新たな視点で見直してみたい。

  

  この星の、とてつもない生命器官としてのコメの未来を探る旅に、

  おつきあい下さい。


未来を探る旅・・・ としての 『コメ展』。

一緒に巡ってみる。

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私は、おコメ。 

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「コメの惑星」、「コメと稲作の地球史」 を、

見つめてみよう。 


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「 " コメの国 "  がつくり出した風景。」

「それは先人たちの偉大な芸術作品でもある。」

そして、「日本は、稲作のお陰で水の豊かな国になった」 ことを。



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「過去に学ぶのは、未来をデザインするためなのだ。」

 

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「カエル目線」 という覗き窓がある。

田んぼも含めた生態系を再現した富山・魚津水族館から、

田んぼの中で蠢く生き物たちの様子が、中継されている。

それをカエルの目線で眺めてみる。 


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 コメの言葉。

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「コメびとたちの  " 経験資源 "  こそが、コメの国・日本の最大の資産かもしれない。」


日本列島、コメだらけだね。

ほんとうは、こんなモンじゃない(なかった) のだが。

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「すべての大切な風景は、あなたの中にある。」

その風景を、全国各地から届けてほしい。

投稿がリアルタイムで画像にアップされる仕掛け。


そう、ここであの、3年前にトライした、あの 「田んぼスケープ」 が、

バージョン・アップして再登場! となった。 

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日本列島の地図が描かれた 3 × 5m のパネルに、6つの窓が開かれ、

今はまだ、以前の投稿がそのまま映されている。

眺めていたら、こんなのが突如現れた。 

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佐渡市長江といえば、柿の矢田徹夫さんだね。

再開しましたので、また投稿してね。 お願い!


日本の田んぼに生きる仲間をつなげる窓、「田んぼスケープ」。

現在、参加(投稿) いただける方々を募集中。

竹村さんからの呼びかけ。


  一粒一粒のコメに、コメをつくる人の思いが込められている。

  それぞれのコメの背後に、コメを育む多様な風景がある。

  それに水田はコメをつくるだけではない。

  田んぼは生きものを育むシェルターであり、

  日本の大切な水道(みずみち) でもある。

  コメ展は、そうした人や風景を見える化する 「コメびと」 展でもありたい。

  TPP や減反廃止、後継者問題など農業も激動の時代だけど、

  新聞や TV からは見えてこない多様な現実があるはずだ。

  そこで実際にコメづくりを営む全国の方々から、

  田んぼの風景や生きものの写真、コメづくりに賭ける思いなどを

  ケータイから投稿いただき(今回はパソコンからでもOK)、

  それを会場およびウェブ上にリアルタイムに可視化することにした。

  題して 「田んぼスケープ」。

  コメをつくる全国の皆様、どんどん投稿してください!


生産者でなくても OK です。

田んぼの大好きなあなた、是非!

投稿してみようか、と思われた方には、

まずは最初の手続きについてご案内しますので、

こちらにアクセスしてください。

 ⇒ http://kometen.tanbo-scape.jp


僕もこれからボチボチと


なお、コメ展の開催は6月15日まで。

この国の土台を、改めて見つめ直す機会に。

ぜひ一度、お立ち寄りください。


竹村さんから、「5月に呼ぶから、体空けといて」 と言われた。

ううむ・・・ いやな予感がする。




2013年12月 3日

日本の原風景・里山の棚田米-フードアクション最優秀賞受賞!


農林水産省が後援する 『食と農林漁業の祭典』 シリーズ。
その最後のイベントで、本日、ビッグなニュースが発表された。

国産農産物の消費拡大と食料自給率向上に寄与した
取り組みを表彰する
大地を守る会が頒布会形式(全6回) で販売してきた
「日本の原風景・里山の棚田米」 企画が、
最優秀賞 を受賞した。
 
コメの消費低迷と価格下落に加え、高齢化が進む中山間地農業。
里山の自然と暮らしを支えてきた棚田も荒れていく一方のなかで、
何とか販売で支えたいと力を入れてきたものだ。
 
島根県浜田市(旧弥栄村) 「森の里工房生産組合」 のお米を
「棚田米」 と銘打って販売を開始したのが2010年。
今年から 6ヶ所の契約産地を選んで、頒布会形式での販売にトライした。
 
地道に売った棚田のお米が、3 年間で約 70トン。
この取り組みが評価されての受賞となった。
地域にどれだけの貢献を果たせたのかは心許ないけど、
素直に胸を張りたい。

僕は出られなかったけど、授賞式での記念写真を貼りつけたい。
社長(前列中央) もいい笑顔だが、
左隣の佐藤隆さん(森の里工房生産組合) が喜んで参列してくれたことが、
何よりも嬉しい。
生産者にとって、これが励みになればと願うところである。

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日本の気候風土に絶妙にマッチした水田稲作は、
日本人の暮らしの土台となり、文化形成にも大きな影響を与えてきた。
そしてこの急峻な地形の多い国土で、傾斜地を見事に活用し、
食料生産と環境保全、生物多様性の維持(というより増進)
を支えてきたのが棚田である。

しかし平地のように効率化や生産性を上げられるものでなく、
その作業の大変さから、高齢化とともに放棄水田が増えてきた。
今では、日本の棚田の4割が失われたといわれている。

営々とマンパワーで築いてきた芸術的な棚田の崩壊は、
おそらく現代の機械技術では再現できない。
僕らは、途方もない知的財産を捨てた時代の人々に、
まさになろうとしている。


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今回の最優秀賞の受賞を、生産者とともに弾みにしたい。

これはたんに、懐かしい原風景を守ろうという情緒的な話ではない。
未来に残すべき、持続可能な社会資源の貯金システムがここにあるのだから。

しっかりと食べることで、それだけで、
生産者の誇りを支え、美しい環境とそれを支える技術を継承することができる。
もちろん食べる人の健康を守ることにもつながる。

【以下、案内】
大地を守る会では、この受賞を機に
ウェブストアでの取り扱いも開始しました。
1月には頒布会の追加募集も行なう予定です。

この機会にぜひ一度、食べてみてほしい。
そして一瞬でも、里山の保全につながっていることに思いを馳せていただけるなら、
嬉しいです。

会員向け頒布会で登場する生産者は以下の通り。

 1.石川県加賀市、橋詰善庸さんのコシヒカリ(有機栽培)
 2.富山県入善町、「富山・自然を愛するネットワーク」 さんのコシヒカリ(有機栽培)
 3.新潟県佐渡市、「佐渡トキの田んぼを守る会」 さんのコシヒカリ(農薬不使用)
 4.新潟県上越市、内藤利孝さんのコシヒカリ(有機栽培)
 5.新潟県十日町市、佐藤克未さんのコシヒカリ(有機栽培)
 6.宮城県大崎市、「蕪栗米生産組合」 さんのヒトメボレ(有機栽培)

ウェブストアのご利用は、こちらからどうぞ。

大地を守る会の専門委員会 「米プロジェクト21」 では、
棚田を訪ね生産者と交流する機会も用意したいと考えています。
(来年夏には佐渡ツアーを計画中。)

=追伸=
フードアクション・アワードの商品部門では、
「純米富士酢」 の飯尾醸造さん(京都府宮津市) が優秀賞を受賞。
こちらも京都・丹後の棚田をしっかり守って、
伝統的な静置発酵法によって酢を作り続けてきた長年のお取引先です。
合わせて報告まで。



2013年6月 2日

生き物たちに囲まれて、田の草取り

 

講座レポートの途中だけど、本日の報告を。

 

今日は都内・芝公園で

『つながろうフクシマ! さようなら原発集会』 があるのだが、

心の中で連帯しつつ、千葉県は山武の田んぼに向かう。

先月植えた田の、大事な草取り作業が設定された日でもあるので。 

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伸び盛りのイネがドロオイムシに吸われている。 

ここが我慢、耐える時期。

頑張れ、頑張れ、と声をかけながら、草を取るのである。 

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心配していた雨はなく (本音は欲しいところなのだが)、

ちょうどいい天気になった。

いつものことながら、田植えより若干減るも、

集まってくれた参加者たち。 

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さあ、やるぞ、って感じ。

 


「 無農薬での米づくりは、この時期の草取りが大事なポイント。

 頑張って取ってください。」

 -地主、佐藤秀雄さんから挨拶と簡単な説明。

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昔からある除草機、田車(たぐるま) での実演をするのは

綿貫直樹さん。

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イネは害虫(という虫はいないのだけど) だけでなく、

雑草(という草はないけど) ともたたかっている。

 

虫たちもまた、命がけの繁殖期を迎えている。

卵を背負ったコオイムシ・・・卵が開いているように見えるのは、

もしかして孵化したあと? 

あとでハカセに聞いてみよう、と思いながら忘れた。

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コオイムシは、準絶滅危惧種にリストアップされている。

そしてこちらは絶滅危惧種、千葉県では最重要保護生物に指定されている

イチョウウキゴケ。 

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コケ類のなかで、唯一水の中で浮遊して生活する種。 

こういった絶滅が危惧されている生物が、

この田んぼでこれまで 7 種類発見されている。

生き物たちは食い合いながら共生関係を結んでいて、

その種の豊富さ(生物多様性) とバランスによって

環境の安定が支えられている。

 

無農薬・有機農業はその生命(=資源) 循環を大事にしながら、

持続的に命の糧を生産していく21世紀の技術である。  

「有機農産物」 にはJAS制度による認証が義務づけられているが、

生き物の豊富さこそが証明だと言う人がいる。

その視点には、僕も共感する者である。

 

有機農業での雑草対策もこの20年くらいでずいぶんと進化して、

今やいろんな技術があるのだが、

この体験田では、紙マルチを使う以外は、

基本である手取り除草でやってもらう。

そのほうが、田んぼがより近いものになる。

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仲良く、ね。 

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最初は泥を怖がる子もいるが、

慣れると、みんな 「気持ちイイ」 と言ってくれる。 

 

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草を取っているようで、

虫が目当ての子たちもいる。 

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イネを踏まれては困るんだけど、

まあ貴重な田んぼ体験、楽しんでくれていい。

そこは大らかに、大らかに・・・

   

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無事、作業終了。 

イネも喜んでくれているような姿に見えてくるから、

不思議だ。

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昼食後は、人気の陶(すえ) ハカセによる 「田んぼの生きもの講座」。

いろんな種のいろんな生態が語られ、子どもたちは食いつき、ついには-

ボクらはみんな生きている~ ♪ 

 

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お絵かきコーナー。

稲刈り後にどんな絵が完成するか、今はまだ誰も分からない。 

 

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緑の中で、虫との触れ合いに熱中する。

そういう時間が、子どもたちにはゼッタイに必要だと思う。

 

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ハカセがヘビをつかまえて、田んぼで泳ぐところを見せてあげると、

子どもたちを引率する。 

ヘビはダメだ。 子どもの頃からダメだった。 

田舎の実家では、夏の夜になると、光に集まってくる蛾をヤモリが食べ、

そのヤモリにヘビが喰らいつく場面などを窓の内側から見ることがあった。

ヤモリは家の中にもいて (まるで東南アジアだ) 平気だったけど、

しかしヘビとは間近で遭遇すると必ず鳥肌が立った。

ワタクシには、とても真似できない。

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最後に、みんなで手をつないで田んぼを囲む。

今年は輪にはならなかったけど、いい風景です。 

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一斉に手を伸ばして、虫たちも一緒に、今年も叫ぼう。 

僕らの田んぼは、美しい!

 

今年は梅雨入りが早いと言われた。

麦の刈り入れ時が気になる、麦秋の季節。

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山武は人参の産地だが、

「良い人参を作るには、輪作体系に麦を組み入れる」

とベテラン有機農家から教えられたことがある。

農作物を目の前のお金だけで計るような経済原理だけで考えていくと、

こういった知恵や技術は捨てられかねない。

土を痩せさせることは、生態系を細らせることでもあって、

それは恐ろしく不経済で不健康な世界につながっていくのだが。。。

 

農を守ることは、消費者の安全保障に欠かせない事柄だったはずなのに、

この国では 「農民」 は孤立し、絶滅に向かっているとさえ言われる。

 

頑張ろう! 有機農業。

 



2013年5月13日

今年も楽しく学ぶコメ作り -「稲作体験2013・田植え編」

 

前日の雨による不安を一掃して、爽やかな五月晴れとなった昨日、

24年目となる 「大地を守る会の稲作体験2013」 がスタートした。

(もちろん米づくりの準備は3月から始まっていて、

  「苗半作」 とも言われるくらい、ここまでの作業がけっこう重要なのです。)

 

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低温の日がけっこうあったので、なにより苗の成育が心配されたけど、

まあまあの出来でひと安心。

体験田の苗は陸苗代(おかなわしろ) といって、畑に種を蒔いて育てたもの。

種子消毒(通常は殺菌剤に漬けて消毒する) もしていないコシヒカリ。

今年も若手職員のボランティアによって結成された

「稲作体験実行委員会」 のスタッフたちは、

前日から現地に入り、この苗を抜いてワラで縛り、

田んぼに移動させるなどの準備にあたってくれた。

 

千葉県山武市沖渡(さんむし・おきわたし)、佐藤秀雄さんの田んぼ。

僕が通うようになって四半世紀。 

本当に変わらない風景がいつも迎えてくれる。

 

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今年も100人以上の参加者が、家族連れで集まってきた。

田植え指導は、綿貫直樹さん。

写真手前、黒のTシャツの背中の方は、

「富士酢」でお馴染み、飯尾醸造の秋山俊朗さん。

京都・宮津から仕事で来られたついでに、

大地さんの稲作体験を見てみたいと来てくれた。

飯尾醸造さんも実は、丹後の棚田で消費者のコメ作り体験を受け入れている。

今年は大地を守る会の会員にも参加を募り、

6月1日に 「飯尾醸造 田植え体験会」 が行なわれる予定。

秋山さんは大地を守る会の専門委員会 「米プロジェクト21」 のメンバーでもある。 

二日前の5月10日(金)の夜には、

飯尾醸造5代目当主・飯尾彰浩さんとともに、

職員向けにお酢講座を開いてくれた。 これも後日レポートしたい。 

 

さて、" 早く田んぼに入りた~い "  という熱気に押されるように、

田植え開始!の号令がかかる。 

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稲作農耕民族の DNA が蘇ってくる、か・・・

 

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あとはスライドショーで。

 

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イイ手つきだね。

 

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イイね。 イイね。

 

こちらは紙マルチ班。 指導するは岩井正明さん(写真手前右)。

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こちらは、田植えより虫探しに必死。

まあ、こういう機会はそうないし、

生き物と触れることは大事な体験だから、頑張ってね。

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通常の田植えをやってもらって、

まだやり足りないという人たちを、順次紙マルチ区に投入していく。 

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イイねえ。 かなりイイ。 

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今日はひたすら見守り隊の地主、佐藤秀雄さん。

昨年還暦になって、実行委員会から祝福された。 

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こちらは紙マルチに乗っかって、

騒ぎを眺めるアマガエルくん。 

そんなところでのんびりしていると、子どもの餌食になるぞ。 

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コオイムシ発見。

なんとか難を逃れたようだ。

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ほぼほぼ終了。 

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よくできました。

 

田植え終了後は、楽しい交流会なのだが、

僕は仕事の都合で早目に切り上げさせていただく。

数年前から、すっかり実行委員諸君にお任せ、というか、

アテにされなくなってしまった。

 

定番となった陶(すえ) ハカセによる生き物講座に始まり、

クイズゲームやでっかい絵日記などの企画が用意され、

楽しんでくれたことだろう。

今年の看板はさて、どんな感じに仕上がったかな。

 

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今年も無事、豊作になりますように。

 



2012年11月 6日

それでも 世界一の米を!

 

「備蓄米 収穫祭」 & 「自立祭」 レポート - PartⅡ

 

収穫祭で飲んだり語り合っている間に地元の方々や関係者も集まってきていて、

午後2時半、「自立祭」 の開催が宣言される。

風土 in FOOD③.JPG

 

「元気ですかーッ!」

気勢を上げる稲作研究会会長・渡辺良勝さん。

渡辺義勝会長.JPG

右は落ち着いた司会さばきを見せるジェイラップ専務の関根政一さん。

 

自慢の食材や季節の果物が並べられる。

風土 in FOOD②.JPG

 

すっかりお馴染みになった佐藤良二さんの手打ちうどん。

今年は天ぷらも登場。

お好きな具で天ぷらうどんを、どうぞ。 ニクイね。 

屋台.JPG

あちこち歩きながら、生産者と語り合ったりしているうちに、

食べそびれてしまった。

きれいに揚がった色とりどりの野菜や菊の花の天ぷら・・・ くやしい。

 


改めて壇上に立ち、挨拶する伊藤俊彦さん。 

伊藤俊彦(檀上).JPG

 

原発事故と放射能に慄きつつも、立ち向かってきた俺たちのたたかいは

無駄ではなかったし、むしろ予想以上の成果を獲得した。

そして昨年の 「復興祭」 から一年。 今年もみんなで頑張ることができた。

自分たちの地域は自分たちの手で守る、という自信も取り戻せたように思う。

そんな自立に向かう意気込みを込め、

関係者の皆様の支援に支えられたことに深く感謝して、

「自立祭」 を祝いたい。。。。 (本当はもっとカッコいい挨拶だった。)

 

ここに到着して、慌ただしくなったスケジュールの確認中に聞かされた

感謝状授与という話。

え? え? 何それ? 聞いてないよ。

「ああ、いま初めて言ってるんだけど、貰ってくれるよね。」

表彰状授与.JPG

 

照れも通り越して、恐縮しまくり。 文面にも気が込められていて・・・

 

『 感謝状
  大地を守る会 藤田和芳殿

貴社におかれましては 東日本大震災による被災ならびに
東京電力福島第一原子力発電所事故に起因する原子力災害に慄き 
意気消沈する私たちに対し 復興への導きと希望の再生のために 
救援物資の提供 原子力災害に対峙する学び 放射能分析設備の貸与 
復興に向けた経済支援 独自の情報発信活動など 
積極的なご支援を賜ってまいりました。
特に原子力災害という未知の環境汚染対策に対しましては 
共に闘っていただいているという実感の中で 
この逆境に立ち向かう気力と勇気を賜りました。

おかげ様をもちまして 顔を上げ 前を向き 
一歩ずつですが復興に向けての気概を増幅させ 
生きることの基本である " 自立 " を目指せるまでになりました。

2012年  " 風土 in FOOD 自立祭 "  を開催するにあたりまして
復興から自立に向けて継続的に努力精進してまいりますことを
お約束申し上げますと伴に 一層のご指導 ご尽力を賜りますことを
切にお願い申し上げます。

ここに賜りました数々のご厚情に対しまして 
真心からの深謝の念を感謝状に込め お伝え申し上げます。

二〇一二年十月二十七日
株式会社ジェイラップ
農業生産法人 稲田アグリサービス
代表 伊藤俊彦 』

聞いている途中から、この1年半を思っってしまい、

泣き虫のワタクシは耐えることができない。

必死でこらえながら (いや、すでにむせび泣いているのだけど)、

感謝の言葉を伝えさせていただいた次第。

戎谷挨拶.JPG

何を言ったのか思い出せない。

夢を語り合いながら一緒にたたかって来れたことに、そして

素晴らしい米を消費者に届けることができる喜びをかみしめていること。

この2年、ひたすら頑張ってこられた皆さんと連なって仕事ができたことは、

僕の誇りです。 深く感謝申し上げたい。 

声を詰まらせながら、そんな感じだったような・・・

 

お酒を持ってお祝いに駆けつけてくれた大和川酒造店・佐藤和典工場長(写真左)、

次世代のリーダー・伊藤大輔くん(中央) と一緒に一枚。

大輔to工場長.JPG

 

では、こちらからもささやかではありますが、

収穫祭に参加された会員や職員からのメッセージを、贈らせていただく。 

メッセージカードお渡し.JPG

 

渡しているのは、会員で 「米プロジェクト21」 メンバーの鬼弦千枝子さん。 

「あの日から大変な困難とたたかってきた稲田の生産者はスゴイ! 

 これは私にとっても誇りです!」

(本当はもっとカッコいい挨拶だった。

 鬼弦さんのブログ でもレポートされてます。ぜひご覧ください。)

 

「自立祭」 宴たけなわのところで、

最後に記念撮影。

集合写真.JPG

 

皆さんが笑顔で収まってくれて、また感激が募る。

そして、、、生産者に見送られながら、慌ただしく帰途に。 

お見送り.JPG

 

バスの中で頂戴した感想に、またまた泣きそうになる。

「大地を守る会の会員で、本当によかった。」

 

最後にお知らせ。

備蓄米の追加募集が近々のうちにも行なわれます。

会員の方々にはチラシが入ります。 WEBストアからも申し込めます。

 

2009年3月に出版された、稲田の取り組みのルポルタージュがある。

このタイトルをもう一度、蘇らせたい。

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(奥野修司著、講談社刊 1,800円/近々文庫化されるとの情報あり)

 

まさにこのタイトルを借りて 新年の講演会 をやったのは2年前。

何だか遠い昔のような気がする。

 

彼らの、今の思いは、こうだろうか。

『それでも 俺たちは 世界一の米を作ってみせる!』

 

どんな困難な時も、この志を忘れることなく、常に前を向いて

" 安全で美味しい "  米作りを目指してきた稲田稲作研究会。

今年も美味しいお米ができたことを、ここに報告いたします。

しかも責任持って、来年の秋までモミ付きで貯蔵します。

1993年の大冷害の教訓から生まれた、

世界一美味い(と自負する) お米の、世界一の保管システムで、

一年間の 「食卓の安心」 をお約束します。

 

稲作研究会の生産者たちは、放射能対策に対しても敢然と立ち向かいました。

「できることはすべてやろう」 を合い言葉に、

徹底した検査と具体的な対策のたゆみない実施により、

検査したすべての玄米で 「ND(検出下限値未満)」 を達成しました。

 

そして今、彼らの夢は 「自然エネルギーの郷づくり」 へと広がっています。

彼らを支えているのは、

20年以上にわたる  " 食べてくれる人のたしかな存在 "  に他なりません。

 

今年最後の募集となりました。

未来への夢を託した渾身のコシヒカリで、一年の安心と笑顔の食卓を

一人でも多くの方にお届けできることを願っています。

 

 2回にわたる 「収穫祭&自立祭」 のレポートでは、

   弊社EC戦略室・大塚二郎撮影の写真をたくさん借りちゃいました。

   ありがとう。

 



2012年11月 5日

「備蓄米」収穫祭 & 自立祭

 

改めて、10月27日(土)の 「大地を守る会の備蓄米 収穫祭」 から振り返りを。 

少しでも現地の空気が伝えられたなら嬉しいです。

 

東北自動車道で事故渋滞の連続攻撃に見舞われた我ら一行は、

1時間半遅れで、須賀川市は 「稲田」 と呼ばれる地区に到着。

早速ほ場に出向き、今年取り組んだ除染の実演を見学する。

耕起風景.JPG

どうもザックリと 「除染」 と言ってしまってるけど、

ここでの対策は土を剥ぐわけではない。

 プラウ耕といって、土の表層と深層をひっくり返す反転耕。 天地返しとも言う。

セシウムが留まっているのはせいぜい表土10cmあたりまで。

そこで表層30cmを下の層と反転させることで、

根の成長期では届かない下層にセシウムをとじ込める。

 

生産者団体 「稲田稲作研究会」 を束ねるジェイラップでは、

昨年耕作を放棄した田んぼも借り受け、反転耕を実施して、

線量を3分の1まで下げることに成功した。

彼らは地域全体の安全確保のためにも動いてきたのだ。

 

実演を見学する参加者たち。

見学風景.JPG

 

説明するジェイラップ代表、伊藤俊彦さん。

圃場で説明する伊藤俊彦.JPG

 

天地返しによって表層にあった土の栄養分がなくなって、

稲の生育によくないのでは、という声もあるが、伊藤さんは動じない。

「 もともと昔からあった土づくりの技術ですよ。

 これでかえって根の張りが良くなって強い稲になるはず」 と解説する。

 


本当はこれだけでなく、

一年かけてやってきた対策をひと通り見てもらおうと、

生産者たちは張り切って準備していたのだが、

残念ながら割愛させていただく。

ライスセンターでも、自慢の太陽熱乾燥とモミ貯蔵のタンクを見てもらい、

あとは簡略した説明となる。

 

太陽熱での乾燥設備。

太陽熱乾燥.JPG

小さな穴が空いているベッドにモミが並べられ、

ラインの奥にあるプロペラが回りながら撹拌してゆく。

こうして理想的な乾燥状態に持っていって、いったん眠りに着かせる。

 

こちらがモミ貯蔵タンク。

モミ貯蔵タンク.JPG

一基150トン × 3基で、450トンの保管能力がある。

保管されたモミ米は、注文に応じて籾すりされ、

精米-袋詰めまで一貫してここのライスセンターで行なわれる。

来年の梅雨を越しても品質を劣化させない、

まさに 「備蓄米」 のために作られたような設備だ。

 

駆け足で見学して、交流会の席へと急かされる。

生産者たちには、随分と待たせてしまった。

交流会.JPG

 

挨拶もそこそこに、乾杯をやって、懇親会突入。

今年も食べてくれる人の顔が見れる。

その喜びは、消費者が想像している以上に大きい。

生産者紹介.JPG

 

自慢の生産者を紹介する常松さん。

こうやって毎年繰り返しながら、僕らの信頼関係は知らず知らず深まってゆく。

 

今年の特徴は、大地を守る会と稲田稲作研究会の 「収穫祭」 だけじゃないこと。

地元地域の人たちも招いての感謝祭も一緒に実施されたのである。

昨年は別な日程で、「復興祭」 と銘打って開催されたものだが、

今年は、「風土 in FOOD 自立祭」 となった。

 

「作る楽しみ、食べる幸せ」 を感じ、

誇れる風土を自らの力で、守る育てていくために

「復興から自立へ!」

そうだ、力強く、前に進もう!

 

会場を広げて、「自立祭」 の開催。

風土 in FOOD.JPG 

 

すみません。 今日はここまでで。

 



2011年7月 9日

米ば守ってみせんといかんばい

 

6月29日、米生産者会議の続き。

 

菊地治己さんの講演のあと、

農産チーム・海老原から米の販売状況が報告され、

米の品種別食べ比べを行なう。

はからずも北海道産の新品種の実力が示された格好になった。

さすがに、おぼろづき、ななつぼし、ゆめぴりか、ふっくりんこ、といった

道産米品種をピッタリ当てるのは難しいと思うが、

僕の間違いは、むしろ  " まさかあの米より美味いはずは・・・ "  という

思い込みによるものである。 いやあ、北海道米をあなどってはならない。

 

続いて戎谷から、

3.11以降の震災・原発事故に対する各種の取り組み状況を報告する。

 

懇親会に入り、全国から参じた生産者が各団体ごとにスピーチに立つ。

スライドショーで全員アップといきたいところだけど、

長くなりすぎるので、すみません。

ただ、この方々だけは紹介しておきたいと思う。

関東から東北にかけて、義援金への感謝の言葉が続いたので。

 

まずは、原発事故の影響を受ける格好になった、

福島市・やまろく米出荷協議会。  

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一所懸命、安全で美味しい米づくりに励んできたのに、

ちゃんと保管してある昨年産の米まで売れ行き不振になって、

この悲しみは言葉では言い尽くせない。

でも頑張りますよ、我々は。

大地さんからの義援金で放射能測定器を買いました。

自分たちでもちゃんと測って、安全を確認しながら供給したい。

食べてくれる人のためなら何でもやりますので、とにかく食べてほしい。

安全で美味しい米をつくり続けたいのです。

 


千葉県・佐原自然農法研究会。

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液状化で浸蝕された田んぼに加えて、パイプラインもやられて、

今年の作付面積は相当減ったけれど、温かい義援金を頂戴して、

みんなで頑張っていい米作ろうと励ましあってます。

 

茨城県稲敷郡、篠田要さん。 

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壊れた家の修復にはたいして力になれない義援金額だったのに、

「本当に嬉しかったですよ、ええ。 元気が出ました。

 家は少しずつ直していきますから。」

佐原自然農法研究会ともども、積極的に職員の研修を受け入れてくれている。

 

宮城から、ライスネット仙台。

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発言している小原文夫さんは、大地を守る会CSR推進委員会の生産者委員であり、

仙台黒豚会、仙台みどり会(野菜のグループ) の代表でもある。

仲間の被災状況はまちまちで、家が潰れた生産者もある。

運営は大変だと思うのだが、

気合いはいつもの通り、力強く意気込みを語る。

 

同じく宮城、蕪栗米生産組合。 

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田んぼの被害はあちこちに発生したが、

三陸の人たちのことを思えば、たいしたことはないと言い聞かしている。

内陸の俺たちがこれくらいで負けるわけにいかないから、と

こちらも強い気持ちで前に進んでいる。

 

皆さん、こちらが恐縮するくらい深い感謝の気持ちが伝えられた。

すごい力になったことを、義援金にご協力いただいた皆様に

この場を借りてお伝えしておきたく思います。

 

もう2、3組、いってみましょうか。

秋田・大潟村から、相馬時博さん (大潟村元気グループ)。

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親父に替わって参加。

大先輩からいっぱい学んで帰りたい、と意欲満々。

いよいよ代替わりに向かって・・・とか書くと親父の喜久雄さんにどやされそうで、

やめておくけど、期待してます。

 

山形から、庄内協同ファームの小野寺喜作さん。

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小野寺さんも震災直後に宮城まで救援活動に出向いた方だ。

衝撃は大きかったようだ。 

この間二人の息子さんが就農して、未来への希望と同じだけ不安もある。

原発は止めるしかないっすよね。

 

一番南からやってきた方にも敬意を表して。

熊本・阿蘇の大和秀輔さん (大和秀輔グループ)。

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阿蘇有機生産組合の下村久明さんも、いつも一緒に来てくれる。

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ともに合鴨農法に取り組む。

北海道でやろうがどこでやろうが、米会議はゼッタイに欠かさない二人。

思いは一本である。

大地を守る会の米の生産者として、

誇りばもってですよ、米ば守って見せんといかんとですよ。

 

ありがたい存在である。

 

去年の開催地・新潟県南魚沼市から、笠原勝彦さん。 

ご夫婦での参加。

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奥様の薫さんは、何と東京育ち。

友人の結婚パーティで勝彦さんが見そめたんだそうだ。

きっと夢をいっぱい語ったんだろう。

元気な農業青年や後継者たちを見ていると、

" 嫁不足 "  なんて言葉は浮かんでこないね、いや、ほんと。

みんな素敵に輝いている。

 

最後に、地元 「北斗会」 の面々。 

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この日の食べ比べでも立証された北海道米の力。

事務局を務める(株)柳沼さんのバックアップで、

技術的進化への取り組みにも余念がない。

栽培期間の短い寒冷地・北海道の悩みは肥料ですかね。

 

おまけ。

旭川での開催ということで、乗り込んできた面々がいた。

美瑛町の早坂清彦さん。

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富良野市から今利一さん。

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今年の畑は、去年にも増して厳しいようだ。

 

中富良野・どらごんふらいの間山幸雄さんと石山耕太さん(太田農園)。

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石山さんとは、今年の東京集会での、異常気象のトーク・セッションで

ご一緒させていただいた。

いま、2月に亡くなられた 布施芳秋さん の農場も手伝ってくれている。

 

二日目はほ場の視察。

旭川で有機栽培面積を広げてきている、石坂昇さんの田んぼを見せていただく。

 

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約40町歩(ヘクタール) のうち、10町歩で有機JASを取得する。

反収(10 a 当たりの収穫量) は当初5俵程度だったのが、

今では10俵にまで達し、慣行栽培よりよく獲れている。 

 

根張りのいい、強い苗を育てるところから勝負は始まっている。 

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左は慣行栽培の苗、右が石坂さんが育てた 「ななつぼし」 の苗。

 

さらにみんなの関心は、除草機である。

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メーカーと共同歩調で改良を重ね、随所にオリジナルの工夫がみられる。

草の対策は、草を出さないこと、つまり種を落とさせないことだ。

 

実演する息子の寿浩さん。

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初期にきっちりと取る。

分けつを旺盛にし、穂数を増やすのが北海道の米作りだとのこと。

 

解散前に記念撮影。

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厳しい年だけど、力を合わせて、前を向いて、頑張りましょう。

 

最後にこいつら。

新潟・オブネットの武田金栄さんを中心に集まってきている若い生産者たち。

「元気のいい若手農家で 『新潟イケメン会』 を結成しました。

  ブランドになりますので、ヨ・ロ・シ・ク!」

 

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ポーズまで決めちゃって、その明るい自信は、褒めてやる。

ただし、新潟+イケメン、というだけで付加価値はつけられないからね。

君らが米のおまけでついてくるワケじゃないし。

個人的には、隣のオヤジのほうがインパクトあると思うぞ。

ま、負けないで頑張ってくれ。

 

どこよりも豊かな田んぼ、そして安全でおいしいお米づくりで競いながらも、

大きな輪をつくっている仲間でもある。

明日に向かって、一緒に走り続けようじゃないか。

 

米ば守ってみせんといかんばい!  だよね。

 



2011年7月 8日

北海道でお米の生産者会議

 

暑いですね。 政治は寒いですが。。。

 

寒いけど、クーラーの役目は果たしてくれないようで・・・

ま、政治へのコメントは避けます。 深読みしてもしょうがないし。

僕らは、やるべきことを急ぎましょう。

この夏を、生産的な汗で、豪胆に乗り切りたい。

 

では、ふたつの生産者会議の報告を-

まずは6月29日(水)~30日(木)、

北海道旭川市で開催された 「第15回全国米生産者会議」。

年1回、各産地を回ってきた米の生産者会議も、

ついに北海道での開催の運びとなった。

今や北海道の米は、内地(死語か・・) の生産者にとって、脅威なのである。

気がつけばこの20年の間に、

美味い! と言わせる米が続々と名乗りを上げてきたのだから。

見てみようじゃないか、その現場を。

 

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今回の幹事団体は、各種の道産米を作ってくれている 「北斗会」 さん。

挨拶するのは、会長の外山義美さん。

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北海道にいても、震災の影響には深く心を痛めている。

東北の人たちに思いを馳せながら、気持ちの晴れない思いで米を作っているようだ。

挨拶にも気持ちがこもっていて、

ああ、今年の生産者会議は仲間との連帯感を確かめ元気を与え合う年だ、

と感じ入る。

 

で、北海道の米の進化について、である。

講演をお願いしたのは 「農業活性化研究所」代表、菊地治己さん。

長く北海道産米の品種改良に尽力し、

この春に上川農業試験場長の職をもって退職された。

演題はまさに、「おいしくなった道産米の秘密」。

 

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北海道で稲作が本格化して130年。

厳しい自然環境にもめげず、戦前の新田開発、戦後の食糧大増産時代を担いながら、

1970年代からの減反政策で北海道の米作付面積は半減した。

量から質へのたたかいが始まる。

1980年、当時の横綱 「コシヒカリ」 「ササニシキ」 を目標とした

「優良米の早期開発プロジェクト」 がスタートする。

 

取ったのは 「成分育種」 という手法。

米の食味を左右すると言われるアミロースと蛋白質の含有量を測り、

値の低いものを選抜していくのである。

選抜した種で幾通りもの交配を行ない、最初の頃は沖縄・石垣島に送っては

年4作 (1年で4年分) というスピードで進めたが、

その後試験場内に巨大なハウスをつくってからは年3作のペースで

栽培試験-選抜-交配-栽培試験を繰り返してきた。

それでもって、世に出るのは何万分の1という世界なのだそうだ。

菊地さんは、朝、昼、夕に〇種類の米を食べ、夜は仲間と酒を飲んではラーメンを食って、

深夜にまた数種類の米を食べる、という日々を過ごしたという。

おかげで胃袋を失った、と。

 

北海道内4つの農業試験場 (上川、中央、道南、北見)上げての

育種プロジェクトの成果は、1988年の 「きらら397」 の登場から始まり、

1996年の 「ほしのゆめ」 で念願のササ・コシ級の評価を獲得し、

「ななつぼし」 「おぼろづき」 を経て、2008年 「ゆめぴりか」 へと至る。

 

しかし今、菊地さんは思っている。

プロジェクト発足から30年。 食味に関しては当初の目標をクリアしたかもしれない。

しかし良食味品種は耐冷性や耐病性に難がある。

また、ただ食味を追求して低蛋白・低アミロース一辺倒の育種戦略だけでなく、

蛋白は必要な栄養源なのだから、高蛋白・良食味の視点もあってよいではないか。

あるいは、アレルギーの出ない昔の品種-「ゆきひかり」 のような品種も

見直す必要があるのではないか。

 

開拓時代の北海道を支えた 「赤毛」 という品種の米がある。

まずい米だと思っていたが、去年食べたら美味かった。

「ゆきひかり」 は、腸の粘膜を保護して善玉菌を増やすことが分かってきている。

昔の米は (その地に根づき、その地の) 日本人の腸を守ってきた、

のではないだろうか。。。

 

定年退職後、菊地さんは改めて人生のテーマを設定されたようだ。

有機農業を北海道農業のスタンダードにしたい。

脱原発に方向転換させ、自然エネルギーで真に豊かな北海道を実現させたい。

そして野望は、大麻の普及だとか。

大麻といっても産業用大麻のことで、プラスチックや繊維の原料として、

あるいは食品や自然エネルギーの素材として、菊地さんは着目している。

 

また新たな知己を得て、僕らのネットワークはこうして広がってゆくのである。

 

・・・続く。 お休みなさい。

 



2011年6月23日

久しぶりに 「田んぼスケープ」 について

 

神奈川県で田んぼをフィールドにコミュニティ活動を運営している方から、

「田んぼスケープ」 に投稿しているのだが、なぜかアップされない、

という連絡を頂戴しました。

 

他では特に問題なくアップできているようなので、

原因はよく分からないのですが、考えられることとして、

もしかしたら、 Y さん、パソコンから投稿されてないでしょうか。

田んぼスケープ  は、まだ携帯電話からしか投稿できません。

ケータイで送られていて、仮に入力ルール

(件名は当地の郵便番号とか、本文一行目はニックネーム、とか)

を誤った場合は、「再投稿お願い」 のメールが返信されますので、

原因は分かるようになってます。

 

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ここで内輪話を披露すると、

全国各地を回っては投稿してくれている 「田んぼレポーター」 氏は、

情けないことに(笑)、ご自身のケータイから投稿することができなくて、

デジカメで撮っては、僕宛てにメールで送ってこられます。

僕はそれを自分のケータイに転送して、

そこから 「田んぼスケープ」 サイトに投稿しているのです。

有り難いことですが、忙しいと投稿が数日遅れたりします。

 

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ついでに内部事情を明かしますと、このサイトは、

本ブログで何度も登場している竹村真一さんが主宰する ELP

大地を守る会の共同運営という形をとっています。

ただ制作されたのはELPさんなので、実際のシステム管理や改善は、

すべてELPさんにお任せしている、というのが実情です。

こちらは、いろいろと勝手な要望を出したりしながら運用しております。

 

竹村真一さん。 京都造形芸術大学教授で、専門は文化人類学。

丸の内の 「地球大学」 などで、以前より日本の 「安全神話」 の脆弱さを指摘され、

 " ロバスト(強健) でエレガントな社会 "  設計を提案し続けてきた方ですが、

震災は、彼の背中を、さらに真価を発揮する舞台へと押したようです。

彼は今、政府の復興構想会議の検討部会委員として頑張っています。

 

きっと忙しい日々を送っているのだろうと、

こちらから連絡を取るのは控えているのですが、

それでも時折メールが入ってきては、

福島の被災者の力になりたい、できることはないか、

これまでずっとおいしい食を提供し続けてくれた方々に何かお礼をしたい、

と言ってくれます。

そして、田んぼスケープというツールをもっと活用したいのだが、とも。

 

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            (去年の夏、新潟・魚沼で開催した米の生産者会議で講演された時の様子)

 

まったく同感ではあるのですが、こちらもなかなか手が回らず、

かねてよりの宿題である、

PCからの投稿と、双方向のコミュニケーションを可能にする仕組み、

もまだ実現できないでいます。

 

でもね、まてよ・・・・・

いまのシステムの範囲であっても、やれないことはないかも。

田んぼやお米をこよなく愛する人たちそれぞれがそれぞれの思いやメッセージを、

いま目の前にある風景と一緒に出し合ってみても、いいんじゃないか。

ひと粒のお米でもいい、弁当箱でもいい、ごはんを頬張る子どもの笑顔でもOK。

あるいは野山だって、台所だって、いいじゃないか。

田んぼ (日本の風景) やお米 (食) へのメッセージで日本列島を包み込んだら、

さて、どんな印象が迫ってくるだろうか。

 

ということで、ここはひとつ、

共鳴いただけた方の投稿をお願いしたいと思います。

携帯電話から、写メールで送ってください。

アドレスは、 t@tanbo-scape.jp

【件名】には、日本地図に表示させる場所の郵便番号7ケタの数字を。

【本文】一行目には、ニックネームを。

改行して2行目からつぶやき・メッセージを 100字以内で。

そして写真を添付して、送信。

うまくいったら、「投稿完了」の返信が届き、

すでに画面に表示されているはずです。

 

日本列島を、僕らのメッセージで包み込む。

仲間がいる、一人じゃないことを、確かめ合う・・・・・

今やいろんなコミュニケーション・ツールができているけど、

これはこれで、まだまだ潜在的な可能性を試してみたいです。

 



2011年3月27日

こんな時だから

 

まったく気持ちに余裕がなくなっていた。

寝床に入り、ため息をつき、そんな自分を振り返りながら、

ふと、もしや・・・ という気がして、パソコンを開き、覗いて見ると、

温かい投稿が一件入っていた。

新潟県佐渡市の 島びとさん からだ。

 

こんな時だから、春の訪れを~

 

佐渡からの心にくいメッセージ。 ありがとうございます。

 

動乱の中で、頭からすっかり消えてしまっていました。 

田んぼスケープ

というサイトをつくったことを。

 

サイト作成者のアラカワ君とは、東京集会で、

以前から上がっていたふたつの課題を何とかしようと話し合ったのにね。

パソコンからも投稿できるようにしたい、

双方向のやりとりができるようにしたい、と。

 

春までには・・・・と話していたのに、

気分はとてもそれどころではなくなってしまった。

 

それでも、、、生産者の皆さん。 

田んぼの前で立ち止まってじっと眺めたときに、

もしその気になったなら、今の様子を送っていただけると、嬉しいです。

現在の心情とともに、あるいは友への小さなメッセージとして。

 

いま画面は、

これまで投稿していただいたものから適当にピックアップして、

ちりばめてます。

とても厳しい春で、慰めにもならないかもしれないけど。

でも、

すべて生命体は、身のまわりの世界がどんな事態になろうと

うろたえながらも自らの生命活動、その役割を全うしようとするわけで、

我にかえる意味でも、

まわりを見渡してみるのは、悪くないことだと思う。

こんな時だから・・・

 



2011年1月25日

食べることで、この国がきれいになる!

 

 " 買う責任 "  と  " 作る責任 "  のコラボ。

伊藤俊彦は、大地を守る会の備蓄米のコンセプトを、ひと言でそう語る。

 

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備蓄米を育ててくれたのは、ただ淡々と買う責任を果たしてくれた消費者の存在だった。

その人たちのためにやるべきことをやろう、オレたちの誇りをかけて。 

世界一美味いと言ってもらえるような米をつくろう!

 

こんな感覚はJAの職員時代には得られなかった。

「うちの米がほしい、と言ってくれる人に売りたい。売らせてくれ。」

「バカヤロー! 100年早い。」

そんなふうに若い頃の伊藤さんは組織の壁に阻まれ続けた。

農協という巨大組織の系統にしたがって働いていればいい。

自分たちの個性を主張することは許されなかった。

そんな時に大地を守る会と出合った。 伊藤俊彦31歳のときだった。

 

僕らも若かったね。

伊藤をして 「法を怖れぬやつら」 と言わしめた仕掛けもやった。

別に法を破ったわけではない。 ただ大義を主張しただけである。

税金など要らない。 オレたちの手で民間備蓄を始めます。

食糧事務所さんには何ら迷惑をかけるものではありません、と

面と向かって胸を張っただけだ。

挿入したハッタリ (ヒ・ミ・ツ です) が少々荒っぽかったけど。

 

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場当たり的な農政からは得られなかった喜びと確信が生まれた。

価格の下落は、やる気が喪失していくだけでなく、手抜きを生む。

しかしあらかじめ価格が決まっていて、収穫前から先行予約が入るとなると、

構えが違ってくる。 生産に集中することもできるようになる。

買う責任を全うしようとしてくれる人に、何をもって返すか。

基準が明確ななか、安全性と食味の両立にもがいてきた。

それが我々を進化させたのだと、伊藤さんは振り返る。

 

失敗もあったね。

ミイラ化したカエルが入っていた、という事件があった。

食味を優先するあまり、水分を高めにして保管したらカビが発生したこともあった。

大地内部でも、このまま続けていいのかという論議が起きたが、ひるまなかった。

それでも買い続けてくれる消費者の存在に、

責任を果たそう、という気概を示さないと終わるわけにはいかなかったのだ。

徹底してラインを見直し、設備を強化し、我々の備蓄米は精神を含めて進化した。

 


備蓄米を始めた1994年は、100年に一度と言われた大冷害の翌年だった。

米価が高騰するなかで、約束した価格で売る、という伊藤さんの立場は苦しいものだった。

100年に一度の儲けを取るか、99年の信用を取るか-

そんな啖呵をきれる人物とつるむ以上、彼を孤立させるわけにいかなかった。

僕らの支援は、売ることである。

しかし・・・・

備蓄米がメディアで紹介されたりすればするほど彼の立場は難しいものになっていって、

結局左遷されてしまう。 

その後、稲作研究会の生産者の後押しもあって、JAを辞め、

仲間とともに自立の道を歩むことになる。

こうなると一蓮托生の世界である。

米が余る時代が続くなか、意地でも備蓄米を続けてきた。

いろんなノウハウが蓄積され、

 「はたまる」 企画を生んだりする関係へと発展してきたことを、

改めて誇りに思う。

 

「去年の夏は、稲も肩で息していました。。」

そんな猛暑にあって、味方してくれたのが、

猪苗代湖から先人が引いてくれた安積疏水の豊富な水だったと言う。

国の礎は単純な経済の数字ではないのだ。

もっと大きなネットワークで私たちの暮らしは支えられている。

わずかな数の儲ける農民だけで営まれる農業になっていいのだろうか。

 

新幹線のトラブルというハプニングで充分な時間を取れなかったけど、

いくつか大切なことは伝えられたのではないかと思う。

佐久の松永さんや飯尾醸造・秋山さん、そして奥野さんの臨機応変なご協力にも感謝して、

米プロジェクト21主催による新年の講演会をお開きとする。

 

終了後、急いで次の企画-「山藤で わしわしご飯を食べる会」 へと流れる。

山藤・西麻布店だけでは入りきれない申し込みがあり、

急きょ広尾店も開放してもらって、二手に分かれての食事会となる。

この場を借りて、山藤に感謝です。

 

西麻布には、伊藤さんと奥野さんと松永さん。

広尾には、午後の部のために駆けつけてくれたジェイラップの

関根政一さんと伊藤大輔さん、と秋山さん。

と分かれてもらって、ご飯をメインとした食事会を楽しんでもらう。

 

こちら西麻布店の様子。

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挨拶しているのは料理長の青木剛三さん。

ご飯をわしわし食べる  -に引かれてやってきた方々とあって、

その食べっぷりは、すがすがしいくらいに豪快だった。

 

ご飯は稲田米。

ダッチ・オーブン(鉄鍋) で炊いたのと、土鍋で炊いたご飯を賞味していただく。

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土鍋の炊き上がりの香りにしっかりした歯ごたえと甘さ。

どんどんお替りが進む。

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                  (店長の後藤美千代さん)

 

ご飯を思いっきり食べる -に合うおかずを料理長にお願いする。 

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ぜんまい白和え、法連草胡麻和え、まぐろ山かけ、卵焼き、じゃが芋土佐煮、

牛蒡蓮根人参の金平、焼き魚、仙台黒豚の西京焼き、、、

煮物はぶり大根。 椀物は小松菜とうす揚げの煮浸し。

先付けには、聖護院大根の千枚漬けといくら正油漬け、イカの塩辛もあった。

そして味噌汁にお漬物。

あたり前のようなライン・アップがとても贅沢に感じるから不思議だ。

ご飯をわしわし、食べる。

成清さんの海苔が出て、それだけでまたご飯をもう一膳。

種蒔人もいこう・・・となれば、もうご機嫌で。

 

「今日締め切りの原稿を抱えているので」-すぐにおいとまするはずだった奥野さんが

最後まで嬉しそうに食べ尽くしてくれている。

 

食べるって、未来への投資でもあるんじゃないか。

本日の結論。

「食べることで、この国がきれいになる!」

 

いただきました、星みっつ!

ご馳走様でした。

 

米プロ諸君も、お疲れ様でした。

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2011年1月23日

"食べる約束" に "作る責任" を果たす

 

しっかり食べる人がいてくれることで、

作る人たちも責任感と誇りが育ち、強くなれる。

それによって食べる人の健康を支える世界が安定する。

これが僕らが築き上げようとしてきたシンプルな循環の世界である。

そのためには愛が必要だとも書いてしまった。

信頼を支える思想として。

互いへの敬意と信頼が育つことでこそ、

食の循環は安心・安全というレベルを越えて未来を拓く、と僕は信じている。

 

その確かなモデルが、ここにある。

「大地を守る会の備蓄米」 という無骨な一本の企画。

平成の米騒動と呼ばれた93年の翌年にスタートして、

米価が下がり続ける中でも17年にわたって確実な予約注文を維持してきた。

生産と消費が信頼を預け合わないと成立できない実験だった。

価格や安全性という物差しだけでは、ここまで継続することもなかっただろう。

米の流通の隙間に咲いたあだ花かのように言う人もいるが、

むしろ希望という言葉こそふさわしい。 

戸別所得補償や環太平洋パートナーシップ協定(TPP) といった

喧しい論争を越えるヒントと資源は、目の前にあるんだと思う。

「地元学」 が唱えるところの  " ないものねだり より あるもの探しを "  のように。

 

そんな思いで、新春の講演会を開催した。

 (企画してくれたのは 「米プロジェクト21」 のスタッフ・西田和弘である。)

 

『 それでも、世界一うまい米をつくる

  -危機に備える俺たちの食料安保- 』

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1月15日(日)、会場は東京・広尾にある日本赤十字看護大学の教室をお借りした。

むさくるしいオヤジでも入れるのか、と聞いたワタシは何を考えていたのだろう

 - なんてことはどうでもいいとして、

受付で 「エビちゃんブログを見て-」 と言ってくれた方が一名いたとか。

感激(涙目)!です。 有り難うございました。

 

ところがところが、まったく想定外の事態となってしまった。

朝からの東北新幹線の連続トラブルのお陰で、

講師にお願いしていた伊藤俊彦さんが到着しないのだ。 

 

さて、どうしたものか。。。

ゲストの奥野修司さん(上記の著者) と掛け合いながら引っ張ろうかとも思ったが、

日頃の行ないが良いと救世主が現われるもので、

なんと生産者がお二人、顔を見せてくれたのだ。 

しかも遠方から、それぞれに有機農業の歴史を背負った方だ。

使わない手はない (いや、失礼)。 

 

事情をお詫びして、いきなりのご指名。

長野県佐久市から来てくれた松永哲男さん。

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JA佐久浅間臼田有機米部会所属。

昭和42(1967)年から無農薬での米づくりに邁進してきた。

「オレなんか、世界一うまいと言える自信はとてもねえが・・・」 と謙遜するが、

しかし休憩の合い間にも有機栽培の技術書を読む方である。 

 


松永さんが辿った道は、戦後日本の食と農業の歴史を映している。

ベトナム戦争、水俣病、その頃から除草剤や化学肥料がどんどん使われるようになって、

親父がガンで死んで、家に戻って米づくりを受け継いだ。

農薬を撒いたあとに体調をおかしくする人が周りに増えてきて、

佐久総合病院の院長さんが警鐘を鳴らした。

有機農業の歴史に燦然と名を残す若月俊一さんである。

「松永さん、このままじゃダメだって、お医者さんが言うんだよね。」

 

いま子供たちの米づくり体験にも田を解放しているが、

今の人たちが食べたり飲んだりしているものを見ると心配でならない。

テーピーピー(TPP)って問題もやっけぇなもんで、

このまま進んだら農業や食べものがどうなっちまうのか、

これは消費者の問題じゃねぇかと思ったりもするんだが、、、

ぜひ皆さんも考えてもらえるとありがてぇなって思う。

 

次は若手。

京都、といっても日本海側、

天の橋立のある宮津市から参加してくれた秋山俊朗(としひろ) さん。

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無農薬米づくりから始まって、純米酒をつくり、酢に仕上げる。

「富士酢」 の蔵元、飯尾醸造 の蔵人兼営業担当である。

さすが若者、ノート・パソコンを持ち歩いていて、「写真があるのでお見せしましょうか。」

教室に丹後山地の棚田の絵が登場した。

 

飯尾醸造さんは創業118年を誇るお酢屋さんで、

ニッポン一の酢をつくりたいという思いで 「富士酢」 と名づけた。 

松永さんが有機農業を始めたのとまさに同じ頃、

同じような危機感を抱いて、飯尾醸造さんも無農薬での原料米作りに取り組んだ。

 

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生産性という側面では条件の悪い棚田だが、

そこは生物多様性を育み、水を涵養する貴重な場所である。

きれいな水と日中の寒暖の差は美味しい米も育てる。

何とかこの美しい棚田を守っていきたいと、自社田にし、みんなで米づくりに励んでいる。

地元の農家からも、JAより3倍も高い値段で引き取っているが、

なかなか後継ぎは帰ってこない。

山もだんだんと荒れてきて、イノシシなどの獣害にも泣かされるようになってきた。

それでも、細々とでも維持していきたいと、秋山さんたちは頑張っている。

こだわりの酢の背中には、こんな田んぼと人の苦悩がある。

 

長野・佐久と京都・飯尾醸造。

奇しくも有機農業のパイオニア的存在の二つの場所から、

歴史を背負ってきた男と受け継ぐ者、そんな二人に助けられた格好になった。 

 

続いて、伊藤さんの講演の後に登場していただく予定だった

奥野j修司さんにも話をつないでもらう。

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雑誌 『文芸春秋』 の取材先として伊藤俊彦さんを紹介してから、

この人とのお付き合いも9年になった。

たった一回の雑誌記事に3ヶ月の取材時間を費やし、その後も7年にわたって、

伊藤俊彦を主人公とする稲田稲作研究会と彼らがつくったジェイラップという会社を

取材し続けた。

 

いやあ、最初に伊藤さんに会ったときには、この男を信用していいのか、

正直ヤバイやつだと思いましたね -という思い出話から始まる。

何たって、いきなり食糧危機を予言したり、

ハッタリのような話を次から次へと聞かされるんですから。

 

しかしそこは、奥野氏も相当にしつこいジャーナリストである。

伊藤の予言を確かめようと中国まで飛んだのだ。

上掲の書は、中国ルポから始まる。

それはこんにちの様相をほぼ予測した内容になっていて、

JA職員時代からの伊藤さんのたたかいや苦悩をなぞっただけでは生れなかった

深みとすごみと生命力を、この本に与えている。

 

奥野さんの中国取材は結局一回では終わらなかった。

その後起きた  " 毒入りギョウザ "  事件などを経て、

奥野さんの確信は伊藤さんの予言に重なってゆく。

世界を食い尽くす勢いの中国から、無頓着な日本の姿が見える。

 

実は奥野さんは自由化自体は問題ではないと思っている。

それよりも、自由化に負けない国づくりができていないことを憂う。

たとえば域内を自由化しながら自給率が下がらないEU各国。

イギリスが戦後、自給率を高めてきた根底には教育があった。

自国の農産物を食べることで国がきれいになる、ということを彼らは知っているのです。

EUで有機農業が支持されるのは、水が守られるからです。

 

いましがた映された棚田は、国土保全の役割を果たしている。

これを  " 食べることで守っていこう "  という消費者がいるならば、

まだこの国は捨てたもんじゃない、と思いますね。

 

これまた上手につないでくれるではないか。

最高の役者たちだ。

 

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3名の話を受ける形でしばしお喋りをして引っ張る。

有機農業の普及が自給率のアップにつながるというのは、どういうことか?

といった質問に応えながら。

 

講演会の予定は12時までだったところ、

11時45分になって、ようやく伊藤さんの到着。

あの野太い神経の持ち主が汗をかいている。

さすがの伊藤俊彦も新幹線の車両を飛ばすことはできなかったようだ。

会場を借りた時間のギリギリまで延長することにして、

伊藤俊彦・新春講演会をお願いする。

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続きは、明日かあさってに- すみません。

 



2010年12月28日

それでも、世界一の米をつくるんだ!-新春講演会のご案内

 

慌ただしかった2010年もいよいよ  " ゆく年 "  となってきて、

社内でも、今日で上がり、というシアワセな連中が整理を急いでいる。

そんな落ち着かない空気をよそに、いっこうに片づかない我が机に陣取り、

溜まった宿題を必死でやっつけている我が身の憐れなこと。

誰もかまってくれないし。 とほほ。

 

年内に書いておきたかった話もいくつか残っているんだけれど、

ここはもう諦めて、専門委員会 「米プロジェクト21」 から、

新春の講演会のご案内を一本、アップさせていただきます。

 

《新春緊急講演会》

  『 危機に備える 「俺たちの食糧安保」

        それでも、世界一うまい米を作る! 

◆ 日  時: 2011年1月15日(土) 10:00~12:00

◆ 場  所: 日本赤十字看護大学203講義室

        (渋谷区広尾4-1-3)

        地下鉄日比谷線広尾駅3番出口より、徒歩15分

                地図はこちら → http://www.redcross.ac.jp/info/access.html 

◆ 講  師: 稲田稲作研究会(福島県喜多方市)代表 伊藤俊彦氏

◆ゲスト : フリージャーナリスト 奥野修司氏

◆参加費: 大人=500円, 学生以下=無料

 

講師は、「大地を守る会の備蓄米」 の生産団体 「稲田稲作研究会」 の伊藤俊彦さん。

本ブログでも 「備蓄米収穫祭」 や 「はたまるプロジェクト」 などで

何度も登場いただいている方。

 

今年の米づくりは本当にきつかった。

それでもずっと言い続けてきた 「再現性のある米づくり」(毎年同じ品質を維持する、の意) 

を、今年も胸張って言えるようにしたいと皆んなで頑張った。

いっぽう世間では哀しいかな、米の値段がどんどん下がっている。

皮肉なことに、戸別所得補償制度が米価下落にひと役買ったとも言われている。

この制度は農家を救うのだろうか。

はたまた突然降ってきたかのような TPP (環太平洋経済連携協定) 。

農業を崩壊させてしまうとまで叫ばれているけど、どうなっちゃうんだろう。

 

この国の 「食」 と 「農」 は、どこへ向かっているのか。

いろんな不安や疑問をお持ちの方も多いことかと思う。

ここで明快な一発回答は出せないかもしれないけれど、

とにかく、生産者と消費者でしっかりと話し合う場が必要だ。

そんな思いで企画しました。

考えたタイトルが、、、これしかなかった。

伊藤俊彦のたたかいをまとめた 奥野修司さん の著書名である。

それでも、世界一うまい米を作る 」。

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伊藤さんが農協の営農指導員だった頃からの孤軍奮闘の軌跡。

1993年の米パニックを経て、農協を離れ、仲間たちとジェイラップを立ち上げる。

どんな時代になっても  " 米をつくり続けるために " 

伊藤俊彦は前へ前へと突き進んでいく。

大地を守る会の戎谷某なる男が所々で登場してはコメントをはさんでいる。

どうせだったら龍馬伝の岩崎弥太郎のように振る舞うんだったな。

「あいつはァ、あんな~に大事にしちょった桃の木を、いとも簡単に伐らせたがぜよ!」

 

出版されてもう2年近くなろうとしているが、

このタイトルは、今にこそふさわしくないだろうか。

いやそうじゃない。 危機の状況はずっと前から続いてきたことなのだ。

 

そこで奥野さんにもご登場願うことにした。

 

第1部は、伊藤俊彦さんの講演。

第2部は、奥野修司さんも交えてのトーク・セッション (司会=戎谷)。

そして参加者との質疑&意見交換。

この国の農業の未来を、語り合いましょう。 

いやここは、ニッポンを 語り合うがぜよ~!

おそらく2時間では終わらないだろうとの確信的予測です。

 

大地を守る会の会員でなくても、どなたでもご参加いただけます。

(ただし保育は用意していませんのでご了承ください。)

受付で 「エビちゃんブログを見た」 と言っていただければ、OKです。

 

どうぞ 奮ってご参加ください!

 

★ なお、広尾駅から会場までは、坂道もあり、けっこうな距離感があります。

    また日本赤十字医療センターの入口から看護大学までも多少歩きます。

    余裕を持ってお越しください。

    JR渋谷駅あるいは恵比寿駅からバスも出ています。

    こちらだと 「日本赤十字医療センター」 の入口に着くようです。

 



2010年10月 8日

「備蓄米」 が生んだ新しい価値の扉

 

ああ、なんでこんなしんどいブログを続けているんだろう・・・・

とため息つきながら、でもまだやめるワケにいかないなぁ、と思い直す。

「あんしんはしんどい」--それは僕だけのものではなくて、

グァンバッちゃってくれている生産者と、

食べるという命がけの行為(ですよね) に意思を持ってくれた消費者の顔が見えると、

 " 流通者は安心のネットワーカーでなければならない "  を標榜する自分としては、

まだまだ書き続けなければならない、と自らに試練を課すのである。

これは僕の修行のようなものだ。

 

・・・・・と何度思ったことだろうか。

たとえば備蓄米の収穫祭のように。

 

「大地を守る会の備蓄米」 がつなぐ  " 安心 "  とは、人と人をつなぐだけでなく、

未来に  " 安心 "  を運ぶ時間軸を持っている。

食べものは安くなければならない、という今の時代にあって、

そう安くないお米に一口25㎏の年間予約&先払いという制度が16年続いたことは、

奇跡じゃないかと時に思ったりするのだが、それが奇跡じゃないところに希望がある。

それだけの 「価値」 をつくった人と認めた人がいた、というさりげない実力。

誰からの補助もなく持続する  " 食の信頼の輪 "  。

ここにこそ本質的な意味があって、しかもこれはイベントではない。

 

そんな骨太なコンセプトで続けてきた 「備蓄米」 の、年に一回の  " ハレの日 "  が収穫祭だ。

間が空いちゃったけど、報告の続きをしたい。

 

稲田はすっかり稲刈りシーズンに突入していて、

この日もたくさんの米がライスセンターに運び込まれてくる。

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時あたかも 「平成の大冷害」 と呼ばれた1993年に完成した、

実に因縁深い太陽熱乾燥施設。

時代を先取りしたこの設備で水分調節がされ、しかもモミの状態で保管される。

この設備は、何度来ても見てもらわなければならない。

 

そして、

集荷-品質チェック-乾燥-保管-精米-袋詰めまで一貫した流れを見てもらった次に、

3年越しの取り組みとなった野菜・果物のオリジナル低温乾燥製品を見ていただく。

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このコースに来ると、みんな一瞬米のことを忘れて別な世界に入る。

見よ! この試作の数々を、である。

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大地を守る会内で部署横断的に結成されたプロジェクト・チームと、

生産者がつくった会社-(株)ジェイラップとで進めてきた 「はたまる プロジェクト」。

正式名称は、「畑丸ごと、実から種まで乾燥プロジェクト」 という。

僕としては 「皮から茎から実から種から~」 とか、くどいくらいに表現したいところだったが、

若い人にはヘタなジョークとしか聞こえないようで。。。

コンセプトの解説は8月に実施した試食会の日記を読んでいただければ- としたい。

 

パウダーにスライス、細かく刻んだ状態で乾燥したもの、

などなどが所狭しと並ばれている。 

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栄えある商品化第1号に選ばれたのは-

生姜パウダー、原料は高知県 「大地と自然の恵み」 から。

伊豆の清流で育った本山葵(わさび) のパウダー。

福島わかば会のトマトを使った乾燥トマト (スライス)、の3品。

すべて規格外品と言われたものたちによる 「価値」 の主張である。

 

しかし、いざ本格製造となって苦労したのは、

規格外品あるいは余剰といわれるものたちは、決められた量と納期通りに集まってくれない、

資本主義社会においては極めて生産性の悪い半端者であるということだ。

結果的に、どうしても試食会で会員から示された価格帯には収まりきれなかった。

 

でもね。

この世の平衡は半端者がいるから成り立っているのよ、と声を大にして叫びたい。

生物多様性を支える重要な一員なのです。

蘇らせることで、自給力アップにも、環境保全にも貢献する力を持っているのです。

しかも、台所では 「意外と重宝、好きっ!」 と言わせる自信があります。

食べてほしい。 使ってみてほしい。

モテないハンパ者を代表して、切にお願いする次第であります。

会員の皆様には、11月1日から配布の 「ツチオーネ」 にて登場します。

ここは偉そうに、乞うご期待! と言っておこう。

銀座三越(B3:大地を守る会青果物コーナー) にも出るぞ!

 ・・・宣言しちゃいましたので、ヨロシク!

 

ひと通り見学した後は、お待ちかね、乾杯の儀式。

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例年のことながら、出された食材の素晴らしいこと。

おにぎり、お餅、豚汁、果物、お漬物・・・・

そして圧巻だったのが、米粉と野菜パウダーを使ったケーキやお菓子類の登場。 

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「今日のために、寝ずにつくりました」

と少しテレながら一品一品を紹介する伊藤祐子さん (名前が間違っていたらゴメンなさい)。

 

僕のイチオシはこれ! 

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そういえばカフェ・ツチオーネでの試食会でも、

だだ茶豆のパウダーをすぐにも欲しいと言われた会員さんがいたな。

来年の秋ですね。 

 

いつも感謝の、ジェイラップの女性陣たち。

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男どもが偉そうにハッタリかませられるのは、この人たちのお陰。

 

そして、「これを食べてもらわないと」。

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ネギのパウダーを使った、ネギうどん。

生姜うどんもあわせて試食する。 

「うまい!」 「イケますね」 の声に満足。 

 

収穫祭には欠かせない、餅つき大会。

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厳しかった今年の米づくりの苦労を脇において、

ひと時の交流を楽しむ。

君たちの未来は今の大人の所為にかかっている、その思いは持っているから。

 

「備蓄米」 の地から 「はたまる」 の誕生。

 -この扉が僕らの前に然るべく用意されたのなら、敢然と前に進むしかない。

 



2010年10月 6日

大地を守る会の「備蓄米」 収穫祭

 

つらい夏を越えて、やってきた稔りの季節。

 

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どんな時も安心して食べられるお米が確保されている。

それはいつも安心して最高の米づくりに挑めることと、同義でありたい。

 

1994年、平成の大冷害とか米パニックと呼ばれた翌年から始めた

「大地を守る会の備蓄米」。

以来、保管に失敗したり、「もういいんじゃない」 とか言われた年も経験しながら、

意地を張って続けてきた。

この本当の真価は、まだ見えてない。 本番はこの先にある、という思いがある。

 

春から予約をしてその年の米づくりを支える。

供給は年を越してから、次の収穫までの間に責任を持って引き取る。

信頼とそれなりの覚悟がないと双方成り立たない制度が、

米価が下落し続ける時代の中でも着実に支持されてきたことは、

企画者にとって望外の喜びであり、誇りでもあり、かつ重い責任を感じるものとして

僕の中にある。

 

今年もその収穫を迎え、10月2日(土)、生産者と消費者の交流会が開かれた。 

福島県須賀川市の、小高い丘の上にあるライスセンター。

ここに明日の食のために今年も備蓄米を応援してくれる人たちが集う。

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それにしても、今年の夏はイネにとっても辛かったようだ。

「どんな年も、一定の品質を再現させる」 と豪語してきた

(株)ジェイラップ代表・伊藤俊彦も、「いやぁ、厳しかった」 と告白する。

それでも、できるだけのことはやったという自負はある。

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あんたがそういうなら、俺たちは必死で売るだけだね。

じゃ、田んぼに行って、みんなで収穫を喜ぼうじゃないか。

 


 

猛暑から一転して寒くなって、雨が続いた。

今日は久しぶりの晴天。 ということは農家にとっての仕事日和というわけで、

集まってもらうのに気が引けるような青空に僕らは迎えられたのだが、

「ま、大地さんとの収穫祭ですから・・・よかったですね、いい天気で。」

微妙なニュアンスが心苦しい。

 

すっかりイネが倒れている田んぼが周りに散見される中、

稲田稲作研究会の田んぼは力強く立っている。 

「どうだ」 と言わんばかりの関根専務の顔がある。

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稲田稲作研究会会長、岩崎隆さん。

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これほどに皺が似合う人は、そういない。

隆さんに会うと、たるんでいる自分を恥ずかしいと思う。

 

コンバインに乗っての収穫体験。 

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手刈りとはひと味違った、ちょっと高見からのダイナミックなニッポン稲作民族の力を

感じられるだろうか。

 

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子どもたちは虫取りに興じる。 お父さんも一緒に。

  

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昨今の若いお父さんは、みんながみんなそうそう自然児で生きてきたわけではないので、

あんまり過度に期待するのは酷でもあります。 

一緒に楽しむ、一緒に挑戦する、そういう感じで。。。

 

恒例となりつつある、第3回イナゴ取り選手権大会。 

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こういうのは大人が夢中になる企画なんだと、昨今僕は思い知らされている。

それはそれで楽しいけど。

 

トカゲ、捕まえた! いえ、これはカナヘビです。

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ずっとカナヘビをいたぶり続ける少年。 子供というのは残酷だね。

僕も昔はそうだった。

 

田んぼは生産基地であるとともに、子供たちにとっては自然と触れ合う場でもあった。 

どんな天候に遭っても、みんなの食糧をしっかりと作ってくれ、

たくさんの生き物と戯れる遊び(=教育) の空間でもある田んぼ。

 

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ありがとう、と心から感謝して、記念の一枚を。

 

今年の米の出来は実はかなり厳しい状況が伝えられてきている。

夏の高温で豊作が予測されたこともあって、昨年来からの過剰在庫と絡んで、

米価は新米から下落含みである。

しかし蓋を開けてみればさほどの豊作でもなく、品質も例年より悪いという。

国の補助制度はいともあっけなく破綻するように思える。

その先はどうなるのか、、、

私たちの真価が問われる時が近づいてきているように思うのである。

 

そしてしかも、だからこそ、、、

僕らは、新しい価値づくりにも挑戦しなければならない。

・・・・・眠くなったので、続きは明日に。

 



2010年9月19日

【ご案内】 「備蓄米」収穫祭と、森を育てる「提携米」

 

ミツバチ話の途中ですが、イベントのご案内を2件。

 

きたる10月2日(土)、大地を守る会が1994年から継続してきた

「大地を守る会の備蓄米」 の収穫祭 が現地 (福島県須賀川市) で開催されます。

夏の酷暑で心配された今年の米の出来をみんなでたしかめ、稲刈りを体験し、

自慢の太陽熱乾燥施設を備えたライスセンターを見学し、

生産団体 「稲田稲作研究会」 の皆さんと交流します。

さらに今年は、いよいよ商品化に向かって進んできた 「はたまるプロジェクト」

乾燥野菜・果物を各種試食しながら、

今後の進め方について皆さんと意見交換したいと考えています。

 昨年の試食 とはひと味違う生産者の気合いを感じられることと思います。

参加費は大人(中学生以上)1,000円、小学生以下500円。

最寄駅はJR東北本線・鏡石駅 (送迎あり)。 現地集合10:30。

車で来られる方には地図をお送りします。

 

続いて、11月3日(水・祝日)、

日本の水田を守ろう! を合言葉に、1987年から始めた 「提携米」運動の

中心的生産団体のひとつ 「ライスロッヂ大潟」(秋田県大潟村) の

生産者たちが取り組んでいる 「秋田・ブナを植えるつどい」 が行なわれます。

八郎潟に注ぐ馬場目川の源流部を広葉樹の森に復元させる活動も、

今年で18年目に入りました。

11月3日は、毎年恒例となった年に1回の植林の日。

1000年先も豊かな水源が保たれ、田を潤し、

未来の子どもたちの食が守られることを願って、ブナを植えます。

前日の2日から来られる方には宿泊・食事含め用意します

(私たちも前日から入って、生産者と交流します)。

3日当日の集合は、五城目町役場前 (JR奥羽本線・八郎潟駅送迎あり)。

午前8時30分~受付開始。 9時30分、バスにて出発となります。

植栽地は、五城目町・馬場目沢源流部の国有林内。

植栽には地元営林署はじめ、秋田県内の自然保護団体、ボーイスカウトなどの他、

全国から消費者の方々が参加されます。

参加費は無料。 ただし活動支援のためのブナ券(1000円) をご購入ください。

その他詳細はお問い合わせください。

毎年お子様連れで参加される方も多数います。

文化の日に家族でブナの木を植える、そんな貴重な体験はいかがでしょう。

僕も今年こそ、と3年ぶりの参加を決意しています。

参考までに過去のブログを -

  2009年の様子、 2008年の様子、 2007年の様子

  合わせてライスロッヂ代表・ 黒瀬正さんからの手紙 を。

 

以上、イベント2件のご案内でした。

参加してみたい、もう少し詳細を聞きたい、と思われた方は、

下のコメントを利用してご返信ください。 折り返しお返事を差し上げます。

(お問い合わせのコメントはアップしません)

 

喜ぶべき収穫期を迎えたにもかかわらず、巷では米価の下落がささやかれる今日。

ただ米を作るだけでなく、新しい食の価値づくりや、

水源まで育てようとする生産者の意気込みを、

たくさんの人に感じ取ってほしいと願っています。

多数のご参加をお待ちします。

 



2010年6月25日

全国米生産者会議-魚沼編

 

沖縄から帰ってきたと思ったら、次は新潟・南魚沼に向かう。

今度はお米の生産者会議である。 

もう14回目となった 『全国米生産者会議』。

今年の幹事は、11年前から有機での米づくりを実践している 「笠原農園」 さん。

代表の笠原勝彦さんを中心に、8名の若いスタッフが常時雇用で頑張っている。

 

6月24日(木)。

会場は、その笠原さんのお米を使っているという旅館 「龍言」 。

将棋のタイトル戦の会場にも選ばれたりしている、当地の老舗旅館である。

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北海道から熊本まで、約100人の生産者が集まる。

いずれも、米づくりにかけては人一倍プライドの強い猛者たち。 

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こちらが笠原勝彦さん。

まだ40代の若きリーダー。

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就農した頃は 「魚沼だから」 と天狗になっていたそうだが、

全国米食味鑑定コンクールに出品するようになって、

もっと美味い米を作る人たちが全国にいることを知り、本気になった。

積極的に先進的な産地を訪ねては学び、

「安全で美味しい米づくり」 をひたすら追求してきた結果、

コンクールでは6年前から5年連続して金賞あるいは特別賞を受賞。

昨年はその栄誉を称えられ、ダイヤモンド褒章をいただいた。

99年から合鴨農法による無農薬栽培を始め、

2001年には有機JASの認証を取得。 

これまで、合鴨、紙マルチ、チェーン除草、スプリング除草など、

あらゆる雑草対策を試してきたという勉強家でもある。

 

会議では、お二人の講演を用意した。

まずは、もうこのブログではお馴染みの、と言っていいだろう、

京都造形芸術大学教授、竹村真一さん。 

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「100万人のキャンドルナイト」 呼びかけ人の一人であり、

「田んぼスケープ」 でコラボさせていただいている。

前から米の生産者会議にお呼びしたいと思っていた方だ。 ようやく実現した。

講演のタイトルは - 「地球目線でコメと田んぼを考える」。

 


竹村さんとのお付き合いは古く、86年の 「ばななぼうと」 からである。

あの時、竹村さんはまだ東大の大学院生だった。

結婚して、息子さんがもう19歳。

「ウチの息子の体は、皆さんの作られたお米でできています。

 皆さんに感謝の言葉を伝えたくて、今日はやって来ました。」

 

竹村さんが開発したデジタル地球儀-「触れる地球」 の映像をバックに、

竹村ブシが展開される。 

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「触れる地球儀」 は直径約1メートル。 地球の1千万分の1のサイズになっている。

私たちの生存を支える大気は地上1万メートルの上空まであるが、

この地球儀で見れば、それはたった1mmの薄い皮膜であることが感じられる。

この地球儀にインターネットが接続され、世界の気象状況や環境変化などの情報が

リアルタイムで映し出される。

太平洋の南で雲が湧き台風に成長していく姿が見え、

あるいは世界の気温変化が視覚的に確認することが出来る。

こんな地球の姿を子どもたちに見せたい。

 

「環境問題が語られない日がないという時代にあってもなお、まだ学校では、

 16世紀に発明された平べったいメルカトル図法の地図が使われている。

 何とかしたいですね。」

「宇宙船地球号とはどんな星なのか、今何が起きているのか、

 誰も知らないまま船に乗っている。」

「アル・ゴアは 『不都合な真実』 と書いたけれども、

 実はこの地球は 『好都合な真実』 に満ち溢れた、有り難い星なのです。」

 

数億年の時間をかけて生物が作りだしてくれた大気。

良い(いい) 加減に落ち着いた温室効果とそれによって維持される水循環。 

生命の進化と生死の繰り返しは土をつくり、環境変化が炭素を閉じ込めてくれた。

それを今、短期間のうちに掘り起こして、CO2 濃度を急上昇させながら

使い切ろうとしている。 大気と水を汚染させながら。

 

原油の価格も上昇を続け、数年後に日本は、

石油を買う金額が国家予算に匹敵するようになる。 

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現代社会が抱える貧困や戦争、環境破壊などの問題の70%は、

エネルギー問題に起因していると言われる。

しかし竹村さんに言わせれば、本当はこの地球上に  " エネルギー問題は存在しない "  。

太陽から地球に降り注いでいるエネルギー量は、なんと人類需要の1.3万倍ある。

たった1時間分で1年分のエネルギー需要を満たす。

「それだけのエネルギーを私たちは太陽から無償で頂いているのです。

 このエネルギーの1万分の一を利用させていただくだけで、

 ほとんどのエネルギー問題はなくなるでしょう。」

 

そしてそれはもう技術的に可能な時代に入ってきている。

我々の技術と社会はまだまだ未成熟なだけだったのだ。

しかし準備は整いつつある。

太陽エネルギーの効率的利用で、私たちは原発など古い発想に頼る必要はなくなり、

多くの環境破壊的な争いごとも乗り越えることができる。

そんな持続可能で、エレガントな未来社会が描ける時代を、私たちは迎えようとしている。

ヒトは地球にとってのやっかいなガン細胞として終わるのでなく、

生物の共存と共創のコーディネーターになりえるのだ。

 

そこで農業もまた、21世紀の新しい価値観で捉え直さなければならない。

循環する自然資源とともにある、生命創造産業の文脈で作り変える時期に来ている。

有機農業の発展はまさにその流れの中にあって、

とりわけ水循環と調和し、生物多様性とも共存できるはずの水田稲作は、

より高次の文明へと向かうための、地球のソフトウェアとなる。

 

ニッポンの有機稲作を牽引してきた皆さん、いかがでしょうか。

これが人類史の文脈でとらえられている田んぼの価値なのです。

分かんねぇよ、あるいは、なんとなくは分かるけど・・・・

という気分にもなるでしょうが、戦略づくりのためにも、

次のビジョンの方向を感知しておくことは必要です。

 

さて次は生々しく、激辛コメントでお馴染みの西出隆一師。

「米の品質・収量アップのための土作りの極意」 と題しての講演。

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西出さんの場合は、生産者から出された土壌診断のデータをもとにに、

具体的に論評し、処方箋を下す、という進め方である。

ここからは 「アンタの田んぼは・・・・ああ、アカンな」 という展開になるので、

省かせていただくことにする。

竹村講演の解説で少々疲れたし。。。

 

二日目の今日は、笠原農園のほ場見学。 

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食味コンクールで金賞を取る実力者、笠原さんでも、

田んぼが 24ha にまで増えると、場所によって質が違ってくる。

昨日は西出さんからだいぶきつい批評を頂戴していた。

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それでも、真摯に受け止め、

真面目に質問していた笠原さんの姿勢に、僕は好感を持った。 

 

有機稲作生産者が集まると、まず注目するのが抑草技術である。

去年話題になったチェーン除草から発展して、今年はこれ。

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スプリング除草。

道具の改良で競うのは、「百姓」 と呼ばれる  " 生きる知恵者 "  たちの

DNAのようなものだね。

 

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合鴨が気持ちよさそうに泳いでいる。 いや、働いている。 

 

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フムフム、魚沼の笠原氏はだいたいこんな感じか・・・・

などと分析したりしながら、したたかなオヤジたちが太陽の下で解散。

お疲れ様でした。

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来年は、魚沼とは違った意味でのライバル、

年々米の評判を上げてきている北海道での開催です。

 

解散後、

福島・ジェイラップさん(稲田稲作研究会) の車に便乗させてもらって、

磐越道経由で、猪苗代で降ろしてもらう。

明日あさってと、次なる会議が待っている。

今夜のうちに体調を戻さないと・・・

昨夜は誰かの部屋に大勢で詰め、尽きない話で延々と飲み、

誰かがサッカーを見始めて、そのまま・・・・となったのだった。

 



2010年6月 2日

田んぼスケープ の可能性

田んぼスケープがだいぶ賑やかになってきました。 

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毎週定期的にアップしてくれる高知の村上さん。 

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ありがとうございます。

このまま収穫まで、お願いいたします。

 

「田んぼレポーター」 さんからは、

精力的に全国各地の風景が寄せられてきています。 

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引き続き、よろしく、です。

 

さいたまの見沼田んぼの夕日、いいですね。 

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ゆいまーるゆきんこさんからは、横浜からのの田んぼ便り。  

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ユイマールさんに刺激を受けて、

「東京田んぼ」シリーズをやってみようと思い立ちました。

 

これは5月4日の堰さらい風景。現地から送ってみました。 

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このコピーを貼り付けた後も、京都・丹後半島での田植え、

吉野川源流の棚田、宮城・千葉さんのソーラーパネル・・・と、

投稿が続いています。

 

日本列島の美しい田園風景を、リアルタイムで同時に眺める。

画面を通じて人と人がつながっていく。 

守ろうぜ!この世界! となれば成功なのですが・・・・

 

パソコンからも投稿できるように、という要望がまだ果たせてません。

苦戦しています。

また、投稿写真にコメントを送りたい、という声も頂戴しました。 

たしかに・・・お気持ちはよく分かります。

双方向のコミュニケーションが可能になれば、もっとこのサイトの可能性が広がりますね。

すみません。 当面はこのブログへのコメントで意見を承ります、ということで。

 

帰りが遅いもので、竹村さんのJ-WAVEでの語りはなかなか聞けないのだけど、

今週のテーマは 「好都合な真実」。

水に祝福された、稀有な(有り難い)星の、実に  " 好都合な "  真実。

竹村ブシ 絶好調のようです。

時間も少し早くなったようです。 夜9時半くらいから。

関東の方、たまにはラジオで、奇跡の星に思いを馳せてみるのはいかがでしょう。

 



2010年5月30日

東京田んぼ

 

田んぼスケープ」 でコラボさせていただいている

ELP代表の竹村真一さんが、FMラジオ 「J-WAVE」(81.3KHz) の

月曜から金曜の夜に放送される 「Jam the World」 という番組のなかで、

Grobal Sensor」 というコーナーを担当されるという話を4月の頭にしたけど、

その竹村さんから、「東京の田んぼの写真をアップしてくれないか」

という連絡を受けたのは4月の20日頃だったか。

 

東京にも田んぼがある、という話題提供をしたいと言うのだった。

それは面白いのだけれど、番組の収録が迫っていて、

今日明日の間にでも、という急な話だったため、応えることができなかった。

 

あれからどうも  " 東京の田んぼ "  が気になってしまっている。

いくつかアテがないわけではないので、意を決して回ってみることにする。

 

手始めはここから。

足立区鹿浜、「都市農業公園」 内にある田んぼ。 

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ここの農園は、茨城県石岡市(旧八郷町) の有機農家で、

日本有機農業研究会の副理事長・魚住道郎さんが指導にあたっている

有機菜園である。 今も魚住さんの指導は続いているはずだ。

 

その一角に田んぼもある。

スタッフの方が補植しているところを見ると、田植え後一週間ほどか。

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2枚のうち1枚のほうには、「ヒカリ新世紀」 とか 「紫黒」 とか 「古代青」 とか、

8種類の古代米も植わっている。 

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公園内には、ハーブ園や自然環境館、昔の農機具展示室、

陶芸や紙すきなどができる工房棟、緑の相談所などが開設されている。 

レストランもある。

 

目の前を走るのが首都高速川口線、鹿浜橋インターの近く。

後ろは荒川の河川敷である。

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こんなところでも有機農業の菜園がある。

都民向けにいろんな体験イベントも開催されている。

 

麦にはネットが張られている。 もう少しで収穫だね。

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江戸時代の古民家が移設されている。 

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江戸時代後期、旧和井田家の住宅、とある。

昨年、茅の吹き替えも行なわれている。

手前の花はシャーレーポピーという種類だって。

 

自然環境館を覗くと、田んぼ探検隊なる看板が。

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おっ、ペットボトル田んぼだ。

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牛乳パック田んぼもある。

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こういう素材を使えば、家庭でも気軽に米づくりが楽しめる。

伸びてきたら一本ずつに分けて育ててほしい。

ただ場所が狭く、土が少ないので、大きくなってきたらこのままでは可哀想になる。

最後はやっぱりもっと大きなプランターに移してあげたい。

 

公園の田んぼじゃ、竹村さんが期待したのとは違うのかもしれない。

でもまあ、これも東京の田んぼではある。

続いて、もうちょっと歩いてみようかと思う。

私が選ぶ 「東京田んぼ」 シリーズ、って感じで。

これから順次 「田んぼスケープ」 にアップしてまいります。

さて、何本までいけるか。。。

 

皆さんもウォッチャーになって、気に入った田んぼを見つけたら

投稿していただけると、竹村さんも、僕も、嬉しいです。

 



2010年5月20日

いねは光から・・

 

ブログにまったく手が回らない1週間だった。

でも、その間にも嬉しい手紙が届いていて、

ご本人(正確にはお母様から) の許可ももらったのでアップしたい。 

5月4日の堰さらいに参加されたご家族の息子さんから、エビちゃんへ。

 

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すごいぞ、なんだ、この詩は。


お母様からの説明によれば、

これは担任の先生が考え、子どもたちが写した詩だとのこと。

授業は数日にわたって、稲作の手順に沿って、詩と絵が描かれてゆくのだそうだ。

 

実際にどんなふうに授業が展開されたのだろう。

僕も生徒になってみたい。

 

いまの教育現場のことはよく分からないけど、先生たちの模索も進化しているんだね。

文化の質は、次世代の感性をどう育くもうとするかによってもはかることができる。

食べものは自然エネルギーの還元(=恵み) であるという根本原理を

伝えてくれる先生の存在は、何にもまして必須だと思うのである。

 

Sくんへ。 ありがとう。 希望を感じたよ。

また会おうね。

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2010年4月10日

千葉さんの田んぼに太陽光発電、完成!

 

以前報告した宮城県大崎市の千葉孝志さん(蕪栗米生産組合代表)

の田んぼで、太陽光発電が完成した。

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田園地帯に出現した25枚の太陽光パネル。 圧巻ですね。

日本初! いや世界にも例のない光景だろう。 

 

渡り鳥たちのための冬水田んぼには間に合わなかったけど、

夏場は夏場で利用することで、ピュアな用水が確保できる。

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太陽電池が発電した電力はバッテリーを経由し、

インバーターよりコンプレッサーに供給される。

タイムスイッチによる運転時間制限とリレーによる電圧制御で運転をコントロールする。

10時~15時の間にバッテリー電圧が24V以上になると、

コンプレッサーに電力が供給され、揚水が行なわれる仕組みである。

 


前にも紹介したけど、

太陽電池モジュール(パネル) は (株)日本エコシステムさんからの提供である。 

それでも付属設備や備品、工賃などの費用は馬鹿にならない。

それを千葉さんと日本エコシステムさん、大地を守る会で折半することで

実現の運びとなったものである。 補助金は一切なし。

 

これを仮に生産者がすべて自費で設置するとなると、

今のお米の販売利益で賄えるものではない。

メーカーさんや我々も、これからも続けて支援できるわけではない。

つまり、これだけ見れば、農家が容易に真似できる代物ではなく、

場合によっては 「お遊びですか?」 と言われかねないものである。

 

しかしこの実験から、売電が可能になることが実証できたら、どうなるだろう。

田園には太陽エネルギーが無償の愛のごとく降り注いでいるのだ。

竹村真一さんの言う  " エレガントな未来社会 "  への夢が広がらないだろうか。

 

ここがコンプレッサー部分。

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残念ながら、この装置自体は電力会社の配電系統から独立したシステムのため、

余剰電力の売買はできず、バッテリーに蓄積されるものだが、

どれだけの電力が生み出せるかは、可視化できるのではないだろうか。

 

渡り鳥のため、鳥害に不満を抱く地域との共生のため、

生物多様性を保障する農業を創造するため、千葉さんは設置を決意した。

しかしそれ以上に見る人の想像力を刺激させながら、

太陽を見つめて立ち続けてくれることを、願ってやまない。

 

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これは、文明を滅亡させたイースター島のモアイではない。

文明を切り拓くモジュールでありたい。

 

 ※ 写真は、(株)日本エコシステムさんから提供いただきました。

 



2010年4月 1日

J-WAVEで 「田んぼスケープ」 を紹介したいと・・

 

この間投稿を呼びかけてきた 「田んぼスケープ」 の制作でコラボさせてもらっている

文化人類学者の竹村真一さんが、FMラジオ局 「J-WAVE」(81.3 KHz) で、

本日4月1日から定番のコーナーを始めたので、お知らせしておきたい。

 

毎週月曜から金曜日の夜8時から10時までの番組、

「 Jam the World 」 (ジャム・ザ・ワールド) 内で、9時45分から5分間、

Grobal Sensor 」 (グローバル・センサー) というコーナーでナビゲーターを務める。

 

普段は、車を運転している時以外はラジオを聞くことはないのだが、

今夜はつけてみる。

おおッ。 初回から、いきなり大胆にエネルギー問題の根幹に迫っている。

地球にとってのエネルギーの源泉、太陽からの恵みの1万分の1をとらえることができれば、

この星にエネルギー問題は存在しなくなる。

原発など要らないのだと。

以前紹介した竹村さんの著書、『地球の目線』 を思い出す。

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たとえばサハラ砂漠にソーラーパネルを設置すれば、

不毛といわれた砂漠地帯もエネルギー供給元に変えることができる。

石油に依存する必要のない、ワクワクするような未来を、

私たちは創出することが出来るのです。

 

地球環境問題は、不都合な真実ではなく、エレガントな未来に導く試金石である。

そんな希望を語る竹村ワールドが、一日5分といえども毎日ラジオから流れてくる。

私たちは、少しずつ、しかし確実に、空気を変えつつある。

 

そんな竹村さんから、

来週、「田んぼスケープ」 の紹介をするからね、とのメールが入った。

 


ちょうど桜の季節なので、4月5日の週は

「サクラの語源」 「日本人はなぜ花見をするのか?」 といった話から、

「サクラ信仰とコメ文化は深くつながっている」 と展開して、

7日と8日は 「コメと田んぼの話」 へとつないで、

そして9日には 「田んぼスケープ」 からの投稿をいくつか紹介したいと。

 

嬉しい話です。

ついては、改めて生産者の皆さん。

各地で米づくりの作業が始まっていることと思います。

全国コメ列島の今、の画像をどんどん投稿していただけませんか。

田んぼから見えた生きものたちの姿でも、自慢の風景でも、けっこうです。

水にたたえられていることの有り難さや、「農」 が豊かに存在することを大切さを、

あのソフトな語り口で伝えてくれることと思います。

「こんな日本を守っていきましょうよ。 それはフツーに食べることで守られるのです。」

  - きっとそんなふうに。

 

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         (今年の 「2010だいちのわ ~大地を守る東京集会~」 で語る竹村さん)

 

制作者のアラカワ君からは、

投稿写真のサムネイル (縮小画像) がアイコンとして表示されるようにしたとのこと。

地図上から投稿を選びやすくなったことに加えて、

これから投稿が増えれば、日本列島が緑で彩られるようになるはず。

 

忙しくなってきたところで、面倒くさいでしょうが、応援団からの熱いラブコールです。 

ちょっとした合い間にでも、応えていただけると嬉しいです。

ただシステム上、まだ何でもOKとはなってないので、

念のため、ケータイからお願いします。

 

ただ、FM局 J-WAVE は、関東圏しか聞けないのかな?

ここは聞けない地域の方々のために、録音は手配しておきましょう。

ご希望の方は、お知らせください。

 



2010年2月23日

『たんぼスケープ』 Open -生産者からの投稿求む!

 

突然ですが、インターネット上に新しいサイト

『たんぼスケープ』 がオープンします。

 

このブログでも 「地球大学」 などで何度か登場している竹村真一さん

(京都造形芸術大学教授・文化人類学) が主宰する 「ELP」 による制作です。

 

田んぼでの作業風景や、田畑で見つけた生き物の写真などを

携帯電話やパソコンから投稿すると、瞬時に

画面の日本地図上に着信の印がアップされ、それをクリックすると

投稿写真やメッセージが映し出されます。

 

北から、南から、皆さんの日々の農作業の様子、季節の風景、

地元で言い伝えられている観天望気などを、ぜひこのサイトに送ってください。

皆さんの声や美しい田園風景をリアルタイムで発信することによって、

活気ある農の現場感を伝えたいと思っています。

 

サイトのオープンは、2月27日(土)、午後2時!

この日に開催される

 2010だいちのわ ~大地を守る東京集会~

のステージで、竹村さんのプレゼンテーションとともにスクリーンに映し出す

という仕掛けになってます。

東京集会に都合がつかなかった方も、写真投稿の形で参加することができます。

(来場者より目立つかも・・・)

もちろん携帯に撮って会場にお越しいただいてもOK!です。

 

投稿の要領は、以下の通り。

 


1.投稿いただきたいテーマ(お題) は、以下の3つからスタートします。

  ① 「田んぼ」 や 「米づくり」 の話題

    たとえば、南の方から 「こちらではもう田植えの準備に入ってるよ~」 とか、

    北の方からは 「うちの田んぼはまだ雪の中。でも、きれいでしょう、この風景」、

         あるいは 「自慢の棚田を見てくれ!」 とか。

  ② 「生きもの」 の話題

    たとえば、「いま、私たちの田んぼで休んでいる渡り鳥たちです」。

    あるいは、「去年の田んぼで見つけた絶滅危惧種。すごいっしょ」 とか、

    時節柄ですから、撮りためてあったものでもいいと思います。

  ③ 「観天望気」 の話題

    たとえば、「当地では、梅の花が下向きに咲くと不作になるって言われてる。

    今年は確かめてみようか・・・」 というのはどうでしょう。

         今の梅の状態から、1週間おきにアップすると、さてどうなるか。

    あるいは、「タンポポの葉が地を這うと晩霜がやってくる」 ってホントか?

    このような、地域に言い伝えられてきた観天望気(かんてんぼうき) を集めて、

    確かめてみたいとたくらんでいるのです。

    そんな話題がいっぱい集まってきて、

    農家に伝承されてきた " 言い伝え "  の意味を探ることができたなら、

    私たちが忘れてしまったあの頃の " 自然へのまなざし "  も、

    もしかしたら取り戻すことができるかもしれません。

 

2.送り方は以下の通り。

 

  ① 写真を撮る (ケータイでOK。デジカメならPCに移して。)

     上記のテーマに関係していると思ったものなら、素材は自由です。

 

  ② ケータイかPCから、以下のメールアドレスにアクセスする。

     「田んぼ」や「米づくり」の話題なら ⇒ t@tanbo-scape.jp

     「生きもの」の話題なら ⇒ i@tanbo-scape.jp

     「観天望気」の話題なら ⇒ k@tanbo-scape.jp

 

  ③ 入力にあたっては-

     ★ メールの「件名」は、必ず7桁の郵便番号を入力する。

     

       (郵便番号から自動的に住所に変換され、

        日本のどこからのメッセージなのかが分かります。)

 

        本文1行目に、ご自身のニックネームを。

 

        本文2行目から、簡単なメッセージ(つぶやき)を入力。

 

  ④ 写真を添付して送信する。

     メッセージだけでもOKですが、写真があった方がリアルに伝わります。

 

    -以上で、OK! です。-

 

3.ご自宅のPCやケータイから、以下のURLで、投稿画面が確認できます。

     www.tanbo-scape.jp

  ★ 地図上の ● をクリックすると、写真とメッセージがアップされます。

  ★ もう一度クリックすると、元に戻ります。

  ≪注意!≫ 写真は1回に1枚のみです。 複数送る際も、1枚ずつ送ってください。

 

これは、生産現場の風景やメッセージを、リアルタイムで伝える、新しい実験です。

2月27日(土)午後2時、

ではでは、オープン! と同時に日本地図に一斉に着信ランプが灯るのを期待して、

楽しい投稿を、待ってます。

 

≪追伸≫

  「東京集会」 会場では、デモンストレーションも行ないます。

  ぜひ、「たんぼスケープ」 ブースまでお越しください。

 



2009年12月19日

「環境創造型」 農業

 

宮城県北、栗原市と登米市にまたがる日本初のラムサール登録湿地、

伊豆沼と内沼地域。 

晩秋の頃になると、ここにたくさんのマガンやハクチョウが舞い降りてくる。

北の大陸から日本に渡ってくるマガンの、何と8割がここで越冬する。 

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冷たい風に雪がチラチラと舞う冬の伊豆沼。

 

その伊豆沼を見下ろす高台に建てられたサンクチュアリセンター。 

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館内には、伊豆沼・内沼周辺の環境や野鳥に関する様々な資料が展示されている。 

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ここの会議室で今日、「環境創造型農業勉強会」 なる集まりが開かれた。

 


勉強会を主催したのは 「ナマズのがっこう」 という団体。 

「農業と自然環境の共生」 を掲げて6年前に結成され、

魚が水路から田んぼに遡上できる水田魚道の開発や、

冬水田んぼと有機栽培による米づくり、環境教育プログラムの実施、

希少生物種の保全などに取り組んできた。

事務局長の三塚牧夫さんは県の職員として勤務する傍ら、

有機栽培で米も作っていて、田には魚道を設置し、天日乾燥で仕上げたコシヒカリを、

蕪栗米生産組合(代表:千葉孝志さん) を通じて、大地を守る会に出荷してくれている。 

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先日(12月8日付) 掲載した蕪栗米生産組合の写真、左から二人目が三塚牧夫さん。

後ろに設置されているのが魚道。 この道を辿って魚たちが田んぼに入り、

生物相の豊かな田んぼを構成してくれる。 

 

当地には、水田環境と生物多様性を語る際に欠かせない、二人の先生がいる。

「NPO法人 たんぼ」 理事長の岩淵成紀さんと、「日本雁を保護する会」 会長の呉地正行さんだ。

2005年、伊豆沼から10キロほど南に位置する蕪栗沼と周辺水田を

ラムサール条約に登録させた立役者とも言える二人である。

この二人を囲んで地元で勉強会を開けるというのが、ここの地域の強みだね。

いや、この地だからこそ、こういう人が輩出したとも言える。

まさに 「この地が生んだ-」 ってやつか。

 

会場に着いたのがお昼近くだったので、

冒頭に行なわれた岩淵さんの基調講演は聞けなかったのだが、

レジュメを開けば、「生物多様性の概念に基づく なつかしい未来へ」

なる言葉が目に飛び込んできて、氏が提唱してきた田んぼの生き物調査や冬水田んぼが、

ますます進化してきていることが窺える。 格調も一段と増してきている。

 

午前中は岩淵さんの講演のほか、岩手大学と東北大学がそれぞれに行なった

冬期湛水(冬水田んぼ) における生物多様性と栽培技術の状況調査報告がされた。

ここでも有機の課題は、カメムシと雑草であった。

 

午後の部の基調講演は呉地正行さん。

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雁を保護する意味から、なんで田んぼなのか、これからの方向など、

時間を相当にオーバーして、熱っぽく展開された。

二人合わせて1時間の超過。 岩淵・呉地ご両人の情熱は増すばかりだ。

 

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ガンは環境変化に対するセンサーであり、

豊かな水辺環境がないと生きてゆけない。 

しかも月平均 0度以上の気温というのが休息地のラインで、

宮城県はそういう意味で重要な地域なのだが、

県内にたくさんあった湖沼も、この100年で92%が消えてしまった。

周辺水田が切り札になっている意味が、ここにある。

 

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田んぼの持っているポテンシャルが、未来の鍵を握っているのだ。

「環境創造」 型農業と銘うった意味が、ここにある。

 

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最後に4名の方からの実践報告。

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うち3名は、蕪栗米生産組合のメンバーだ。

伊豆沼冬水田んぼ倶楽部会長・高橋吉郎さん (上の田んぼでの写真の左端の方)。

同会員の佐々木弘樹さん (同右端の方)。 亡くなったお父さんが初代の会長で

勤めを持ちつつ、父の遺志を継いで冬水田んぼにも取り組んでくれている。

そして千葉孝志さん。

 

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いま千葉さんは20町歩(=ha) の田んぼのうち18町歩を無農薬・有機でやっている。

これまでご自身が挑戦してきた米づくりの歴史をたどりながら、

先日紹介した、太陽エネルギーを使って井戸から水を引くという新しい試みも報告された。

「冬水田んぼもちゃんとした考えと技術が必要で、テキトーにやってはいけない」 と、

手厳しいコメントも、なかなか迫力のあるものだった。

 

今日の会は地域での勉強会だったのだが、

何と、石川県の橋詰善庸(よしのぶ) さんや

新潟・加茂有機米生産組合のスタッフ・大竹直人さんも参加されていて、

他県からの参加者ということでコメントを求められた。

僕も 「大地を守る会の生産者の勉強意欲はすごいでしょ」 なんて自慢したりして。

でも、間違ってはいない。 みんな、なかなかすごいです。

 



2009年12月 8日

"冬みず田んぼ" に、太陽光パネル!

 

宮城県大崎市 「蕪栗(かぶくり)米生産組合」代表の

千葉孝志(こうし) さんから電話が入る。

こちらから紹介していた太陽光発電の会社の人が今日、千葉さんを訪ねていて、

その報告である。

「話を聞いて、やることに決めました。 年内のうちに工事に入りますから。」

 

オオーッ! 即決! 大丈夫?

「大丈夫でしょう。 これで何とか冬のうちに水が張れそうかな。」

 

千葉さんの地域、旧田尻町にある蕪栗沼とその周辺の水田地帯が、

渡り鳥が休息するための貴重な湿地帯として

ラムサール条約に登録されたのは4年前のこと。

千葉さんはその前から有機栽培での米づくりをやりながら、

冬にも田んぼに水を張って、" 渡り鳥のための田んぼ "  にしてきた。

鳥たちはただ田んぼで餌を取るだけでなく、田を肥やす養分を残していってくれる。

 

千葉さんの田んぼにたむろするハクチョウたち。

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2年前に撮ったものだが、多少警戒しつつも、そばまで近づいても逃げないのだった。

 


そしてこの冬、千葉さんは用水から水を引くことのできない田んぼ用に、

新たに井戸を掘ろうという計画を立てた。 

しかも井戸水を汲み上げて田んぼに流す動力源として、

太陽エネルギーを利用できないかと考えたのだ。

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          (千葉孝志さん/撮影:農産チーム・海老原康弘)

 

その話に(株)日本エコシステムという太陽光発電の会社が乗ってきてくれた。

モデル実験として商売抜きで一基つくってみよう、

やるならこの冬には実現したい、ということで蕪栗まで出向いてもらった。

畦に太陽光パネルを並べる。 充分いける、という話になったようである。

素晴らしい。

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蕪栗米生産組合の面々と (撮影:同上)。

千葉さんたちは水路から魚たちが田んぼに遡上できるよう、魚道も設置している。

 

現地に赴いた日本エコシステムのHさんからも、翌日メールが入ってきて、

「千葉さんは立派な方で、感心しました」 とある。 

ガンもすでに5万羽ほどやってきていて、感動されて帰ってきたようである。

 

近々にも、田園の中に設置された太陽光発電の風景をお見せしたい。

乞うご期待。



2009年11月22日

新米食べ比べ

 

西八王子の甲州街道沿いのイチョウ並木は黄葉のピークを迎え、

沿道は出店やらパレードやらイベントで賑わっている。

今日は、八王子 「いちょう祭り」 の日。

左右をキョロキョロと安全確認しながら、こちらはひたすら高尾を目指す。

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連休でこれまた人手の多い高尾山口を通過して、着いたのはマゴメさんの山荘。 

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以前は陶芸家が愛人と住んでいたという、それだけでもチッ!と嫉妬してしまう、

落ち着いた和風の山荘である。

 

ここで今年の新米の食べ比べ会が開かれたので、参加することにした。

習志野センター経由で、遅れること約1時間、すでに食べ比べが始まっている。

参加された会員さんは20数名。

いずれも 「米は、食べますねぇ、ウチは」 という方々。 

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大地を守る会交流局の虎谷くん(右端) が、

今年から始めた 「たべまも」 キャンペーンの説明をしている。

お米を食べて田んぼの生物多様性を守る。 

増えすぎてしまったエゾシカを食べて森の生態バランスを守る。

「食べる」ことで、つながる、そんな企画です。 ぜひシカ肉も食べてください・・・とか何とか。

 


食べ比べに出されたのは、7つの産地から、6品種、

合計9種類の米 (うち2つは、七分米と玄米)。 

正式な米の品評会だと、色つやや香り、粘り・味などに分けての評価になるのだろうが、

ここではざっくりと一発、味わっての 「おいしさ」 での10段階評価である。

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順番に炊かれて運ばれてくるのを、器にとって、見て、嗅いで、食べて、

評価を記入していく。

 

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大人の評価なんかお構いなしに、「美味しい、美味しい」 とパクパク食べてくれる

逞しいお子ちゃまもいて、僕は大人でもこのタイプの方が好き。

 

しかし・・・どうも炊き上がりの感じが違うのがあって、

「ちゃんと同じ条件で炊いた?」 の質問に、スタッフは少しうろたえている。

玄米は失敗してますね、なんて指摘も頂戴して、まずいよ、ちょっと・・。

まあ炊飯器も微妙に形式が違うし

(ちなみに炊飯器の仕様はだいたいコシヒカリに合わせている)、

ここはあんまり厳密さを要求しないことにするか、という雰囲気を醸してみたりして。

 

とはいえ、東北から九州までの9種類の米を同時に食べて見れば、

それはそれなりに 「食べ比べ」 にはなる。

決して同じ米をみんなが一番に押すとは限らない。

いや、現実はバラバラなのだ。 

だいぶ以前に専門委員会(米プロジェクト21) で食べ比べをやった時は、

子供の頃から食べてきた米(品種) を一番に押した人が多かった、という経験もある。

 

四国の棚田の米も美味しい、私は北海道のが一番だった・・・・・

こんな感想を頂戴しながら、ここにこそ 「コメニスト米 」の真髄がある、と実感する。

新しい発見を楽しみながら、日本の美しい田園を、食べて守る我ら 「コメニスト」。

ぜひ、よろしく、です。

生産者が各地で取り組んでいる除草技術の映像なども見ていただき、

最後はざっくばらんな懇親会となる。

 

お米の生産者の皆さん。

どの米が美味しかった、という話ではありません。

「みんなご飯が好きで、この子の体はお米でできているんじゃないかって・・・」

「アレルギーがある娘も、大地のご飯は安心していっぱい食べてくれる。」

「もっといろんなお米を食べてみたいと思います。」

みんな、米や田んぼを大事にしたいと思ってくれています。

こんな期待と信頼に、いつまでも応えられるよう、頑張ろうではないですか。

僕も、酒ばっか飲んでるわけではないスよ。 食べてますから。

 

この日は、とても懐かしい会員さんとも再会した。

大地歴20数年、入会した最初に共同購入の配送に来たのが僕だった、という方。

今もしっかり続けてくれていて、とても嬉しい気分になる。

 

そんなわけで、帰りは鼻歌歌いながら、

高尾から飯能へと、紅葉の山道を北上したのだった。

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2009年11月 6日

マゴメさん見学 -職員研修

 

普段あたり前に食べているお米も、流通の裏側というか

縁の下の世界を実際に見る機会はそうないよね。

それは大地を守る会の職員も同様で、

米の生産現場を回ったり、しょっちゅう生産者とコミュニケーションをとっている

仕入の担当者にとっては常識に思えるようなことも、

たった数メートル離れたところで他の業務に追われている者にとっては、

新鮮な驚きだったりする。

「そういうことは早く言ってよ!」 と叱られて担当者は驚く、ということは、

米に限らず、どんな仕事でもよくあることだ。

大事なのは  " お互いさま "  " おかげさま "  の精神なのだが、

それも情報や知識の交流があって成り立つものだと思う。 つくづくと......

 

農産チームの米の担当者、海老原康弘が、社員とくに営業サイドの若手職員向けに、

米の仕入から精米-袋詰めまでお願いしている (株)マゴメさんの見学会を企画した。

マゴメさんとは、当会が特定の産地の米を会員に届ける仕組みを作った時からの

お付き合いだ。 もう30年以上になる。

いまやマゴメさんは、有機・特別栽培の専用精米設備を持つ、立派な有機認定精米業者である。

有機や無農薬のコメの扱い量は、おそらく全国でも断トツだと思う。

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海老原くんが用意した資料の中に、雑誌に掲載されたマゴメさんの記事があって、

「長期低迷にあえぐ米の消費の中で、有機栽培米や特別栽培米に特化して、

 成長を続ける」 なんて紹介されている。

こんなくだりがあった。

 

  業態が卸売へシフトしていく過程をたどると、大きく三つの波がある。

  最初の転換期は七〇年代にさかのぼる。 

  当時、高度経済成長の陰で環境汚染が深刻化し、全国各地で公害問題が噴出していた。

  有吉佐和子の 『複合汚染』 がベストセラーになったのもこのころだ。

  そんな状況下で有機農業が黎明期を迎える。 マゴメもこれに共鳴。

  有機農産物の普及促進を目指す組織の草分け 「大地を守る会」 に協力し、

  無農薬米を積極的に扱うようになる。 (『産業新潮』 2009年4月号)

 

そう、米の開拓では一心同体だったといってもいい。 お世話になった、本当に。

説明を聞く職員。 

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勉強してね、頼むよ。 

 

説明しているのが社長の馬込和明さん。

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馬込さんの後ろに見える機械が、食味判定器。 食味計とも言う。

この手の機械メーカーはおそらく10社くらいだったと思うが、

マゴメで導入したのはケット社製で、「一番厳しい数字が出る」 とのこと。

 

全国の契約農家を回り、信頼関係を築いてきたマゴメさん。

品質チェックも厳しく、生産者にフィードバックすることも忘れない。 

米価も下がって販売も厳しい中、それでも

納得できればできるだけ高く引いてあげたいと苦心する。

生産者にとっては、こんなありがたい米屋さんはそうないだろう。

 

秋田・大潟村から、相馬喜久雄さんが仲間を連れてやってきた。

ちょうど相馬さんの米が入っていて、ポーズを取ってもらう。

「オイラの米だよお。 有機米だぁ。 文句あっか~」 

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え? そんなこと言ってない、って? 顔に書いてあるよ。

息子さんも継いで、今年からは仲間も増えて

 「大潟村げんきグループ」 というグループを結成した。 常に前向きの方である。

 

本社・精米工場から歩くこと約10分。

線路を渡って、西八王子駅南口にあるお店、「お米パン工房マゴメ」 に向かう。 

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白米、黒米の食パン、フランスパン、あんパン、クロワッサン...... カステラまである。

すべて米粉製品。

 

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米の消費拡大の一環として、と世間では位置づけられるが、それだけではない。

有機米の精米にあたっては、他の米が混ざってはいけないので、

直前に精米ラインを通った米の残りが入らないよう、米を通した後、

最初に精米されて出てくる5kg分くらいの米は除外するようにしている。

前に通った米も他産地の有機米であったり、

無農薬米や減農薬米 (世間的には特別栽培米) であったりなのだが、

それは米としては販売しない。

そういう米も大事に使いたいという意図もあっての米粉加工だったのである。

 

見学終了後、げんきグループの生産者も交えて、懇親会を開く。 

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海老原が産地をまわる度に撮りためてきた映像を編集したDVDを見ながら、

米粉パンを試食しながら米の汁 (世間では清酒と呼ばれる) を飲む。

 

パン工房の職人、中村博信さん、28歳。

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千葉の農家の出で、舞浜・ディズニーランドにあるシェラトンホテルでパンを焼いていたが、

実家の米でパンを焼きたいと、マゴメさんのパン工房にやってきた。

ウ~ン、よくできた子だ。

いろんなパンの試作に日々挑戦している。

「小麦のパンは、それだけでも食べられるって感じがしますが、

 米のパンは料理と一緒に食べるといいです。 料理に合うんですよ。」

それって、まるでご飯じゃない。

朝はパンというご近所の方々、ぜひ朝食も米でお願いします。

 

遅れて登場したのは、北海道・中富良野の 「どらごんふらい」 のメンバー、

太田順夫(のぶお) だ。

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この人の今回の主たる目的は、工場視察でも大地職員との交流でもなく、

翌日の立川駅伝、である。

大地を守る会職員たちで3チームをエントリーしていたのだが、

「俺が走りってやつの見本を見せてやるよ」 と北海道から助っ人としてやってきた。

(ま、本当は仕事で来られたのだろうが、ここではそういうことにさせていただく)

 

なんとシャツには 「長距離魂」!なる文字が彫られ、いやプリントされている。

背中も見てくれ。

「マラソン走るってねぇ、エビちゃん。 舐めちゃいかんよ。 心構えが必要なんだよ!」

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長距離種目覚書

 一.滑らかでロスの少ない走りが必要と認識すべし。

 二.肩の力を抜き自然に腕を振るべし。

 三.背筋をのばしリズミカルに走るべし。

 四.スパート時のスプリント能力が必要と認識すべし。

 五.強い気持ちを持って、最後まで粘り強く走るべし。

 

太田さんは知る人ぞ知る、ダンスの大会で賞を取る人なのである。

普段から鍛えている。 ぜい肉もなく、足はカモシカのようだった、とは

この日飲み過ぎてマゴメさん宅に一緒に泊まった我が長谷川取締役の報告である。

 

実をいうと、相馬さんたちも駅伝を走りにやってきたのだ。

明日には同じ大潟村から、黒瀬友喜選手 (「ライスロッヂ大潟」代表・黒瀬正さんの息子)

も合流することになっている。

僕は、「仕事で出られないから」 を理由に、遠慮せず飲ませていただいたく。

頑張ってね~ 飲み過ぎちゃだめよ~ とか励ましながら。

ちなみに、馬込和明社長もフルマラソン・ランナーである。 あなどれないなあ、みんな。

 

マゴメさんの有機・特別栽培の精米工場は甲州街道(国道20号線) 沿いにある。

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この街道には約770本のいちょうが植えられていて、

今月21日(土)、22日(日) の二日間、八王子いちょう祭り が開催されます。

今年で30回目を迎え、様々な記念イベントも用意されているとか。

よろしかったら八王子まで、黄葉のイチョウを愛でる、はいかがでしょうか。

米のフランスパンを買って-

 

イチョウは手品師~ 老いたピエロ~  ♪  

フランク永井だったっけ。 古いね。

 



2009年10月 4日

今年も開催 -大地を守る会の「備蓄米」収穫祭

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10月3日(土)。 福島県須賀川市。

福島の中通りに位置し、良食味産地として高い評価を受けている地帯である。

ここで、大地を守る会の 「備蓄米-大地恵穂(だいちけいすい)」 の収穫を祝っての

交流会が、今年も開催された。  

 

当初は、1年おきの開催として考えていたものだが、

厳しい天候の中、しっかりと良い品質で収穫まで漕ぎつけようと頑張ってくれた

生産者の成果を消費者の方々に見せたいと思ったのと、

予定より1カ月も早く予約口数の目標に到達した勢いが、

2年続けての開催へとつながった。

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生産者集団 「でんでん倶楽部稲作研究会」 (旧 「稲田稲作研究会」 を改名)

の事務局機能を担っている(株)ジェイラップの施設に集合した参加者一同。

前日までの雨で田んぼには入れず、

楽しみにしていたコンバインに乗っての稲刈り体験は中止。

「エーッ、残念~!」 の声が上がる (これは意外と興奮する体験なのです)。

この日の空模様も、今年の天候を象徴しているかのような曇天である。

 

それでも 「稲田のコシヒカリ」 の収穫は本番を迎え、

研究会自慢の太陽熱乾燥施設もいよいよフル稼働してきている。

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太陽光の中で最も波長の長い 「遠赤外線」 効果による低温乾燥。

火力乾燥が当たり前の時代にあって、15年前 (1994年) に導入した先駆的な施設である。

 


収穫された米が入荷して、検査が行なわれ、

太陽熱乾燥を経て、モミ貯蔵される。 さらに精米・袋詰めそして出荷までの

一連の流れを辿っていく。

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写真左にある貯蔵タンクはアメリカ製。

モミで150トン収容できるタンクが3基、総量450トンの収容力がある。

今年、大地を守る会の備蓄米用に約束した量は、玄米で165トン(2,750俵)。

モミに換算すると、約200トン強。 このタンク1基と3分の1ぶんを、

来年のための備蓄用として消費者が前払いで担保したことになる。

1993年の大冷害の翌年から、豊作で米が余った年も、米価が下がっても、

変わらず続けてきた。

このゆるぎない継続こそが、生産者の意欲と責任感、そして創造性を育てたのだ。

 

こちらが精米工場。

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米の品質を守るために、様々に改良を加えてきた。

ここで説明するのも面倒なくらい、

ジェイラップ自ら  " 複雑怪奇 "  というほどのオリジナル工程になっている。

 

ひと通りの工程を見学した後、田んぼに向かう。

 

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黄金色に輝く田園。 なぜこんなに美しく感じるのだろうね。

 

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今年の経過を説明する稲作研究会前会長・岩崎隆さん。 

「一反歩 (10アール) にして1俵 (玄米60kg) か半俵少ない感じですが、

品質は良いはずです」 と胸を張る。

気温や日照の具合を見ながら、きめ細かい管理をやってきた自負がにじみ出ている。

息子さんも農業を継いで孫もでき、たしか今も5世帯同居の大家族だ。

ジェイラップ代表の伊藤俊彦さんとともに、稲作研究会70名のメンバーを引っ張ってきた。

彼らは有機JASの認証も取っているが、それは無農薬無化学肥料栽培の技術獲得の

プロセスであり、自己証明の管理体制づくりの一環であって、ブランドではない。

ブランドはあくまで、「俺たちの米」 である。

 

田んぼに入れなかったので、これまた恒例となってきた 「イナゴ取り大会」 も中止。

「今年はイナゴのほうが大豊作なんで、いっぱい獲ってもらおうと思ってたんですけど」

と、消費者よりも生産者のほうが残念そうな口ぶりである。 

たしかに、畦に立つだけでビンビン飛んでくる。

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残念でしたね。

来年はいっぱい獲ろう! (え? 来年?・・・なんか、来ると毎年やりたくなっちゃうよね)

 

さて、今回実施したいと思ったのには、もう一つの理由がある。

これは何でしょうか。  

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乾燥野菜です。 

一昨年あたりから色々と試行錯誤して、試作品の完成まで漕ぎつけた。 

野菜が豊作で余った時、畑で捨ててきた規格外品、皮も含めて 「使い切る」 思想が

ここに凝縮される。

 

乾燥室の中の様子。

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きゅうり、トマトなどをスライスしたチップが、ステンレスの棚に並べられ、

こちらも米と同様、熱風でなく、ゆっくりと時間をかけた除湿工程によって乾きながら、

エキスが濃縮されてゆく。 

 

実に色んな野菜や果物が試作された。

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「毎日ごぼうを切り刻んだ時は、もうゴボウなんて食べたくないって思いましたァ。

 これをやっている時は、引きこもりですね。」 (福島弁で語尾が少し上がる)。

見かけによらず、繊細で凝り性な方である。

 

スライスやチップだけでなく、粉末も完成した。

長期保存ができ、いろんな料理に使える優れモノである。

今日は8種類の粉末が用意され、それが何なのかを当てるクイズ大会が行なわれた。

実はイナゴ取りができないことを考慮して、

前夜の打ち合わせで急きょ用意してもらったものだ。

 

その粉を使っての3種類 (人参、ゴボウ、よもぎ) のうどんも試食していただく。

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これがまた大好評で、嬉しい限りだ。

 

野菜や果物を使い切ることで、フードマイレージも下がり、ゴミの減量につながり、

自給率を上げる。

設備の配置や体制作りといった課題はいろいろあるけれど、

加工の受け皿として産地をネットワークできれば、これはゼッタイ秘密兵器になる。

何としても形にしたいと思う。

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そんな未来への意欲も語り合いながらの交流会となる。 

 

子どもたちは餅つきに興じる。

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結果は年によって違いはあるけれど、いつだって収穫は嬉しいものだ。

未来への種も蒔いているのだしね。 

 

清酒 「種蒔人」 の蔵元・大和川酒造店の佐藤芳伸社長も、

忙しい中、酒粕などを持って駆けつけてくれた。

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有り難うございます。

今年も楽しい収穫祭になりました。 

 

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備蓄米-大地恵穂、今年も無事収穫!!

これから来年まで、モミ殻に包まれ、しばしの眠りにつきます。

 

みんなで交わした笑顔が、明日を豊かにする。 間違いないよね。

 



2009年9月16日

コメニスト宣言

 

・・・・・て、なんよ偉そうに。

この秋、大地を守る会からの新しい提案です。

 

食べて守ろう!生物多様性

略して  " たべまも "  キャンペーンの始まり。

その第1弾。 米を食べることで田んぼを守る、コメニスト宣言

全国各地で、多様な技術を駆使して安全な米づくりに挑みながら、

水田と環境の調和を育んできた大地を守る会の生産者たち、 その数 65。

つくられている品種が20。

これら産地・品種の組み合わせを総計すれば、123種類にのぼる。

それぞれの産地にこだわりがあり、物語があり、自慢の風景 (環境) がある。

それらをひとつひとつ、毎週々々食べながら巡ってみる。

各地の生産者の顔ぶれ、取り組みの多彩さ、食べたことのない品種への驚きなど、

いろんな発見を楽しんでいただけたら嬉しい。

一回にお届けする量は、米の秤に合わせて1升 (1.5㎏) とする。

1週間に1升、これで全国の生産者に出会える。

食べた方から頂いた声は生産者にフィードバックして、品質や意欲の向上につなげたい。

 

大地を守る会のカフェ、ツチオーネ自由が丘店にて、

この  " たべまも "  キャンペーンの記者発表が行なわれた。

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新聞社、雑誌社などから20人ほどの記者が集まってくれた。

挨拶する藤田会長。

「食べながら、楽しみながら、生産者を応援し、環境や生物多様性を守っていく。

 守るための否定 (●●はダメ、●●はするな) ではなく、しなやかな活動として

 展開していきたい。」

 

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" たべまも " のロゴもできた。

 


 

この企画づくりに協力してくれたマエキタミヤコさん (サステナ代表) も

出席して、このコンセプトに賛同された思いを語ってくれた。 

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「手をつけないで保護するより、利用しながら里山や山間地と共存し、

 多様な生き物を育んできたのが、日本人の自然との付き合い方だった。

 食べて守る生態系。 来年の秋、名古屋で開催される生物多様性条約の

 COP10 (第10回締約国会議) に向けて、私たちはこの価値をこそ

 世界の人たちにちゃんと伝える必要があります。」 

 

ゆったりとした雰囲気で、説明を聞いてくれる記者さんたち。

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このキャンペーンの主旨は、実はべつに新しくつくられたものではなく、

これまで大地を守る会が訴えてきたこと、そのものである。

「コメニスト」 企画も当初は、まだ食べたことのない産地や品種も知ってもらいたい、

一度は試してもらえる企画を用意して裾野を広げたい、

という思いで米の担当者が発案したものだ。

練っていくうちに、米を食べて守る 「コメニスト」 たちのお米、へと発展した。

 

さて、記者の皆さんに実際に食べてもらう。 

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用意した米は、4種類。

千葉の新米以外は、北海道・山形・福島の昨年産米だけど、評価はいい。 

取締役の長谷川が、いろんな産地の写真を映しながら、

それぞれの取り組みの特徴や魅力を紹介する。

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高知県土佐町の棚田でヒノヒカリを無農薬で栽培する式地寛肇さん。

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この美しい棚田も、食べる人がいることで支えられているのです。

それによってきれいな水源が維持され、災害からも守っています。

 

長谷川が自慢している。

「どうです。北海道のふっくりんこも美味いでしょう。

 生産者は金子さんという方です。」

記者さんも頷いている。

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コメニストは、10月5日の週からキャンペーンが始まる。

1週間に1升といっても、定番のお米を買っている人には、" もう1升 "  は

なかなかにきつい量ですね。

ご近所の方やお友だちと一緒に分け合うなど、工夫して、

一度は試してもらえるとありがたいのだけれど・・・と願っています。

 

コメニストの次は、鹿肉を食べて森を守ろう、である。

記者さんのなかには、こっちのほうに強い興味を示した方もいた。

どっちでもいいので、食べて守る、の奥深さを、どうか伝えてほしい。

 

 



2009年9月 9日

減反問題を考える

 

" 1週間の夏休みを頂戴し- " というと、まあ日本のサラリーマンとしては、

いちおうはちゃんと取れた、ということになるのだろうか。

しかしその間も業務自体は動いているわけで、中間管理者にとっては、

会社に戻ればいきなり " 地獄が待っていた " 状態に突入ってことになる。

溜まった書類に宿題の数々、そして果てしなく続く未処理メール・・・・・

これが嫌だから、休み中もこまめに会社に電話したり、

携帯やパソコンでメールをチェックしたりするわけなんだけど、

これって、はたして休暇をもらったことになるんだろうか。

と、そんな疑問を抱くこと自体、せんないというか、中間管理職には禁物である。

働き蜂は立ち止まってはならない。

 

9月に入って、がむしゃらに遅れ (??) を取り戻しておりました。

それでも1週間も間隔が開くと、「元気?」 といったメールも入ってきたりして、

そろそろ何か書かなきゃ・・・・・

 

というわけで、気を取り直して-

話は前後するが、ひと足遅れの夏休みに入った8月22日(土)、

ひとつの勉強会を開いたので報告しておきたい。 -という感じで本題に。

 

テーマは、米の減反政策について。 

講師は提携米研究会事務局長、牧下圭貴さん。 参加者28名。

残暑の陽射し厳しい中、それにも増して暑苦しいテーマにもかかわらず

お集まりいただいた方々には、深く感謝申し上げます。

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農水大臣が減反政策の見直しを語って農業界 (?) に議論が巻き起こり、

政党がこぞって農業政策をマニュフェストで競っている時も時。

牧下さんも、今回の講演依頼は、このタイミングでこのテーマを整理する

いい機会になったと言ってくれる。

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おかげで話は、単なる政策の解説にとどまらず、いわゆる全面展開。

合いの手入れる暇もなく、1時間半の予定が2時間半におよんだ。

「すっかり時間をオーバーしちゃいましたが、僕は満足です」

ときたもんだ。

 

話は世界の食料事情から説き起こされた。

世界では今、69億人のうち10億人が栄養不足に苦しんでいる。

2007年秋の穀物の不作の時、輸出国はこぞって輸出を規制した。

当たり前のことながら、いざという時にはどこも自国内の供給を優先させる。

特に米は自給的性格が強い作物で (生産量の割には貿易に流れる割合が少ない)、

輸出国の不作は、一気に国際価格の高騰を招く。

そこで金にあかせて確保すれば、さらに貧しい国には行き渡らなくなってしまう。

自らは生産量を調整しながら " 食料を奪う " -それでいいのか。

 

一方で、日本の自給率は40% (カロリーベース) である。

歴史的推移をみると、米の消費量が減って、肉と油の摂取量が増加するとともに、

自給率は減少してきた。

これは食生活のスタイルの変化とともに自給率が落ちてきた、ということでもある。

戦後の米の増産運動から、1970年を境に一転して米の生産調整 (減反政策) が

始まり、それが40年にわたって今なお継続してきた背景が、ここにある。

 

生産調整は、作付面積の調整 (米を作る田んぼの面積を減らす=減反)

によって行なわれてきた。

しかも法律的根拠を持たないものであったにもかかわらず、

地域におりる補助金などと絡めて強制力を持たせて実施されてきた。

協力しない農家は村八分的な扱いを受け、また一方で農家は、

農薬と化学肥料によって単位面積当たりの収穫量を上げることに汗を流した。

「米の過剰で価格が暴落するのを防ぎ、農家経営を維持させる」

という目的は達せられず、米価は下がり続け、後継者は育たず、若者たちは離れていった。

耕作を放棄された田んぼが増え、今や農家の平均年齢は65歳に至っている。

あと10年すればどうなるか・・・・・。

 

そんな状況下にあって、

昨年より生産調整は面積でなく生産量でカウントされるようになり、

また法的根拠まで作られてしまった。。。なんでやねん! -政治である。

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世界の食料需給は、人口増加と耕地面積の減少、異常気象の激化

などなどと相まって、かなり危険な様相を見せてきている中で、

未来を失いかねない政策に、いつまでも税金を使っていてよいのか。

「農家を守るため」 と言いながら税金が投入され続けてきたが、

米価は維持されず、農家はいなくなっているではないか。

 

とはいっても、でもって本当に減反政策をやめたら・・・・

みんなこぞって米を作り、米価は一気に下がり、結果的に農家は壊滅するのではないか。

そういう前提で政策維持の必要性を訴える農民団体もあるが、

農水省がはじき出したシミュレーションは、実は少し様相が異なっている。

一気に下がった後に、徐々に戻る、である。

逆に生産調整を強化すれば・・・・米価は高めに維持されるが、

生産量は年々減ってゆく、というものだ。

つまり米の生産力 (自給力) は落ちてゆき、米は高値で推移する。

これは誰のためになる政策なのか。

 

ここで牧下氏のトーンが上がる。

「本当は、米や農業を守るのは  " 消費者のため "  のはずなんですよ。

 消費者こそ、食料を守ってもらわないと困るんです。

 そのために税金をどう使うか、を考えなければならないんです。」

 

私たちは今すぐにでも、生産者も消費者も一緒になって、

米なる食料をこれからどうするのか、本気こいて築き直さなければならない。

 

参加者からは選挙前らしい質問も飛び出したが、

牧下氏の答えは、「どっちにしろ、問われるのは私たちの意識です。」

 

ちなみに今回の講演は、決して独断や私見ではない、ということを伝えるべく、

すべて国 (農水省) から出されている資料やデータをもとに展開された。

参加者からは、「ますます分からなくなった」 という声も上がったけど、

それはおそらく、減反政策の本当の意図とか意味とか政治的背景とかを

もっと深く知りたくなった、からだと思う。

そのへんは生産者も交えて、本音で語る場が必要かもね。 考えましょう。

 

それから、「消費者がもっと米を食べなきゃいけない、っていうことでしょうか」

という素朴な疑問に対しては、いま出せる答えはこのようである。

 - ご飯中心の食生活を楽しみましょう。

 

僕はもう一つの答えを持っている。

 - 全国の田んぼを有機農業に転換させよう。

   1反歩 (10アール)-10俵 (600kg/玄米) 獲るために農薬を撒くのでなく、

   有機栽培にして7~8俵で安定させる。

       もう少しの消費の拡大と、しっかりした備蓄体制と、

   水田稲作の多面的な活用による自給力の強化

   (田んぼは家畜の餌だってエネルギーだって生み出せる社会資本である) と、

   そして有機農業への転換、それだけで生産調整はいらなくなるはずだ。

   水系を含めた自然環境や生物多様性の保全にもつながる。

   減反と増産意欲で帳尻の合わない世界を、安定と調和の世界へ。

もちろん理屈はもっと精緻に組み立てなければならないけれど、

大きくは間違ってないはずだ。

 

危険を恐れてじりじりと後退するか、未来像を描き直して前に進むか。

答えは、 前に! しかないだろう。

 



2009年7月 3日

有機農業は進化する -米の生産者会議から(Ⅱ)

 

すぐに続きが書けなくて、間に一本挟ませていただいて、

遅ればせながら米の生産者会議の話、続編を。

 

福島県農業総合センターの実験ほ場を見学する一行。

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「福島型有機栽培技術実証ほ」 を見る ( 「ほ」 というのは 「圃場」、田畑のこと)。

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「福島型」 といっても特別に新しい技術を開発しているわけでなく、

様々な技術や理論を組み合わせながら、この地域に最も合った有機栽培技術を

確立させたいという、公僕たる研究者たちの実直な意欲が表現されたものである。

彼らなりに県の有機農業のレベル向上に貢献し、誇れる 「福島」 にしたいんだ。

前回も書いたけど、時代はようやく

研究者たちがこぞって 「有機栽培技術の実証」 を競うステージに入ったのである。

 

上の写真は、大豆との輪作を試みているほ場。

こちらは同じ条件下で、肥料を変えてみたほ場。

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他にも、小さく区切りながら色んな組み合わせを試験している。

温暖化対策という位置づけで、メタンの発生を抑制する試験ほ場なんてのもあった。

まあしかし、法律ができただけで有機農業が先端産業になったかのように

研究が盛んになるってのも、どうよ、と言いたいところもあるよね。

本当にやりたかったんだったら、もっと早くから取り組めよ、と

へそ曲がりの私は言いたい。

 

しかし農民は、そんな僕なんかよりはるかに現実派である。

研究ほ場は 「ふんふん」 という感じで、隣の人と喋くり合っているかと思えば、

興味を持ったものには、我先にと飛びつく。

 

試験場をあとにして、実際の " 現場 " (やまろく米出荷協議会の生産者の田んぼ)

に入るや、またたく間にみんなで取り囲んだモノがあった。

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いま、有機稲作でホットな話題となっている民間技術、チェーン除草機があったのだ。

 


 

「まあ、ちょっと私らなりに工夫して作ってみたんだけども・・・」 と、

ちょっと自慢したいげの佐藤正夫・やまろく社長。

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生産者の手づくりである。

これを人力で引っ張って進み、雑草を浮かせる。

こんなふうに。 

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「やって見せて」 という声が挙がって、実演してくれたのは山形の方。

「じゃあ、俺がちょっと見せっぺ」 と言う間もなく、裸足になって田んぼに入った。

実演してみる、じゃなくて、自分の体でこっちの性能を確かめたかったのではないか、

と我々は推測するのだった。

面白いねぇ・・・・・みんなの目の色が変わる民間技術での競い合い。

研究者は、まだまだ当分、後追い実証に追われることだろう。

 

けっして研究を揶揄しているワケではない。

これから続々と出てくるであろう研究成果は相当な力になるに違いない。

でもやっぱね、やっぱりホンモノの田んぼのほうが面白いのだ。

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しんどい、しんどい、と言いながら意地で有機に取り組んできた、岩井清さん。

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昨年は、全国食味コンクールで金賞を受賞して、

いよいよ 「有機で美味い米をつくる」 自信がみなぎってきた感がある。

やり続けてきた甲斐があったね。

 

岩井さんの田んぼに掲げられている看板。 もう10年経った。

 

みんなも負けてはいない。 内心は 「俺こそが一番」 と思っている。 

笑顔で語り合う中にも、百姓の矜持 (きょうじ) はぶつかり合い、

腹ん中で火花を散らせ、「よし、早く帰らねば (愛する田んぼが待っている) 」

と思うのだ。

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ということで、公園の木陰で解散式。

 

研究者にも期待はするけど、

現場で日々新しい工夫に挑戦し続ける彼らによって、有機農業は進化する。

明日の暮らしの土台を、弛 (たゆ) まず耕し続けてくれる人々である。

 



2009年6月27日

定款変更

 

今日は 「稲作体験2009」 の第1回草取りの日なんだけど、

立場上のプレッシャーも受けて、株式会社大地を守る会の株主総会に

出席することになってしまった。

早々に委任状 (正確には 「議決権行使書」 ) を出していたのに、ちぇ!

 

今日は田んぼの写真が撮れないので、自分の放置田の写真を撮ってみた。

放置田? 耕作放棄という意味じゃなく、放ったらかしているプランターのこと。

5月17日の田植えで余った苗を持ち帰って、二つのプランターに植えたのだが、

一つのほうが水漏れ防止が弱くて貯まらないもんだから、畑状態になってしまう。 

そこで途中から実験気分になって、水だけは補給しながら放置してみた。

 

常に水がひたひたの田んぼ。 草取りもしていない。

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こちらは、水が抜けてしまう田んぼ。

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想像以上に、えらい差が出てしまった。

苗も弱く、株数も少ない。

 

実はこれぞ、田んぼの要諦 (ようてい) なんだよね。

 


田んぼの草取りはしんどい作業だけど、それでも畑より草の種類は少ないのだ。

水を張ることによって陸生の雑草は生えなくさせることができる。

水生雑草は繁茂するけど、泥水状態だから草は抜きやすい。

豊富な水と一緒に生きてきた人々が、自然をちょっと変えて作り上げた

最高の食糧生産装置だと思うのである。

 

これに、苗を育てた後に移植する技術 (田植え) を加えると、

これから伸びてくる草よりは土壌の栄養吸収の競争力を優位にさせる。

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上の右の写真ですら、勢い (=生産力) は弱いけど、

決して草に負けているわけではない。

 

さて-

体験田で、みんながワイワイガヤガヤと楽しく (しんどく) 草取りに熱中している間、

僕は幕張の会議室で、淡々と過ぎる株主総会の議題に付き合っている。

でも今回は、つまらない、なんて言ってはいけないこともあったので、

稲作体験のスタッフ諸君には許してほしい。

会社としての重要な意味を持つ定款変更が、議案として提出されていたのだから。

 

会社の定款に、以下の前文を新設する。

 

  株式会社大地を守る会は、「大地を守る会」 の理念と理想である

  「自然環境に調和した、生命を大切にする社会の実現」 をめざす社会的企業として、

  株式会社としてのあらゆる事業活動を、「日本の第一次産業を守り育てること」、

  「人々の生命と健康を守ること」、そして 「持続可能な社会を創造すること」、

  という社会的使命を果たすために展開する。

 

一年前、会社名を (株)大地から (株)大地を守る会 に変更して

迎えた最初の株主総会で、憲法の前文に相当する文章を定款に加えた。

かなり異色の定款ができたと思う。

これから、わが社のすべての事業はこの " 縛り " を受けることになる。

この仕掛けの意味を、職員諸君は肝に銘ずるべし。

この会社を、ゼッタイにヘタらせない決意の表明なんだからね。

 

今回はもうひとつ、「優先株主」 なるものの新設が提起され、

これも承認されて、株主総会は大きな問題なく終了することができた。

 

でもまあ、田んぼのほうが好きだな、やっぱし。

昨日の、米の生産者会議の解散前に立ち寄った公園には、

紫陽花が咲き誇っていた。

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あ~あ、今年は小金井の阪本吉五郎さん宅のあじさい鑑賞会にも行けなかったなあ。

急いた気分で生きていると、思わぬ失敗もするぞ、とか

花を見つめながら思うのだった。

 



2009年6月26日

有機農業は進化する -米の生産者会議から

 

昨日から2日間、今年で13回目となった 「全国米生産者会議」 を開催する。

大地を守る会の米の生産者たちによる、年に一回の技術研修と交流を兼ねた集まり。

今回の開催地は福島。 幹事はやまろく米出荷協議会さん。

まずは郡山にある福島県農業総合センターという県の研究拠点に集合する。

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「金かけてるなあ...」 といった声もあがるほど立派な研究施設だ。

福島は有機農産物の認証費用を助成する制度をいち早くつくった県で、

このセンターにも 「有機農業推進室」 というどっかで聞いたような部署ができ

 (ウチに挨拶もなく・・・ )、

有機農業の先進県たらんとする意気込みは出ている。

 

幹事団体として挨拶する、やまろく米出荷協議会会長、加藤和雄さん。 

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やまろくさんとのお付き合いも20年近くなる。

" 平成の大冷害 " と言われた1993年。 米の価格が一気に暴騰した時、

これまで支えてくれた取引先や消費者こそ大事だと、

周りの価格に惑わされず我々に米を出し続けてくれた気骨ある団体。

そういう意味では、大地の生産者はみんな強いポリシーの持ち主たちで、

これは我々の誇りでもある。

 


今回は、お二人の研究者に発表をお願いした。

一人は、福島県農業総合センターの主任研究員、二瓶直登さん。 

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テーマは、「アミノ酸を中心とした有機態窒素の養分供給過程」。

 

植物生長に欠かせない成分であるチッソは、硝酸やアンモニアなど無機態チッソ

となって吸収される、というのがこれまでの一般的な理論である。

有機栽培で投入される有機質肥料は、土壌中で微生物によって分解されるが、

多くは腐植物質やタンパク質、アミノ酸態となって存在していて、

これらは無機態チッソへと進まないと植物には吸収されない、と思われがちだった。

化学肥料 (化学的に合成された無機肥料) なら速攻で必要な養分供給ができる。

と考えるなら、化学肥料でよいではないか、となるのだが、

では化学肥料より有機栽培の方が強健に育つという現象があるのは、何によるのか。

実は作物は有機態チッソも直接吸収しているわけなんだけど、

二瓶氏はこの実態をきちんと突き止めようとしたのである。

 

二瓶氏は、有機態チッソの最小単位である20種類のアミノ酸を使って、

それぞれの吸収過程を解析することで、

「アミノ酸は作物の根から、たしかに吸われている」 ことを証明して見せたのだ。

特にグルタミンの吸収がよく、無機態チッソ以上の生育を示したという。

 

これは、これまで有機の世界で語られていた次の理論を裏づける

一つの研究成果となった。

すなわち、植物は、光合成によってつくられた炭水化物と根から吸収された無機態チッソ

を使ってアミノ酸を合成するが、アミノ酸そのものが根から吸収されているとすれば、

植物体内でアミノ酸をつくるエネルギー消費が省略でき、

それによって生育が旺盛になると考えられる。 

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この研究は、これまで農家の経験の積み重ねをベースに進んできた

有機農業の理論を、確実に後押しするものと言える。

そんなことも分かってなかったのか、と思われる方もおられようが、

「植物は基本的に無機物を吸収して育つ」 という原理を

リービッヒというドイツの化学者が見つけて以来、約170年にわたって、

農業科学は無機の研究と化学肥料の開発に力点が注がれてきたのである。

 

ともすると観念論的に見られた有機農業の深~い世界が、

研究者たちが参画してきたことによって、ようやく謎が解かれ始めている。

有機農業理論は、これから本格的に花が開く段階に来たんだと言えるだろうか。

二瓶氏は、「この研究成果は、科学的根拠に基づいた有機質肥料の施用法に向けての、

まだ端緒でしかない」 と語る。

さらなる研究に期待したいところである。

 

続いては、東北農業研究センターの長谷川浩さん。

専門家たちが中心になって結成した 「有機農業学会」 の事務局長も務める研究者だ。

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テーマは、「水稲有機栽培における抑草技術について」。

 

健康な作物づくり、安定した生態系の構築、を土台として

有機栽培技術の基本構成要素を整理して、それぞれでの研究を進め、

自然を生かす総合技術体系として確立させたい。

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湿田では湿田の、乾田では乾田の管理の考え方と技術がある。

これまで様々な対策理論や民間技術が生まれてきたが、

それらをきちんと検証しながら、多様な気象、土壌、地形、水利条件に対応した

抑草技術にしていかなければならない。

雑草対策だけの話ではなく、有機農業の総合理論の中で考えるという、大きな話になった。

 

4年前に有機農業推進法ができてから、

全国で100人を超す研究者が有機の研究に入ったと言われる。

今回のお二人の講演は、有機農業学がこれから一気に深化するという勢いを

感じさせてくれるものだった。

オーガニック革命は、いまも目の前で進んでいるのだ。 

研究者諸君、税金の無駄遣いとか言うのはしばらく控えるので、頑張ってくれたまえ。

 

続いて現場に、なんだけど、講演の話を予想外に長く書いてしまった。

疲れたので、この項続く、とさせていただき、今日はここまで。

 



2009年5月 5日

堰(せき) ‐水源を守る

 

またやってきた、この山里に。

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福島県喜多方市山都町の山間部にある早稲谷地区から本木地区にいたる集落地。

この山の中に江戸時代に掘られた水路-本木上堰がある。

その水路があることによって、集落の田に豊かな水が供給される。

毎年田植え前の5月4日には、村の人たちが 「総人足」 と呼ぶ

全戸総出での堰の掃除日となる。

しかしだんだんと高齢化が進み、その堰の維持も困難になってきたところで、

この地に入植した浅見彰宏さんが都市の仲間にボランティアを募ったところ、

年々助っ人が増えてきた、という話は前にも書いたとおりである。

 

でもって私は、スポーツ大会ふうに言えば、3年連続3回目の出場。

前日の夕方には現地に入り、前夜祭と称して、

みんな (地元の人にボランティアたち。だんだん顔馴染みになってきた) と一杯やって、

5月4日午前7時半。 普段ならとても出社できない時間に、

爽やかに (とは見えなかったと思うが) 集合する。

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僕らは本木地区から早稲谷に登る班に編成される。

堰守からの挨拶があり、いざ出発。


江戸時代に掘られたといっても、自然とのたたかいの中で幾度となく修復された堰である。 

コンクリが打たれた箇所もある。

こんな感じで積もった落ち葉や土砂をすくってゆく。

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堰は実に微妙な傾斜をもって掘られていて、

距離が長いほど集まってくる水も増え、水量が蓄えられる。

しかしその分、土砂の堆積はすぐに水道(みずみち) を遮断する。

浚(さら) ったあとに吸いついてくるように流れてくる水。

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「これで田んぼに水が来るんだから。 先祖代々守ってきた堰だから 」

そんな説明を聞かされながら、みんなでせっせと浚う。 

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楽なように思えるかもしれないが、5mも進むと息が切れる。

この水路が全長6kmにわたって続く。 

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「休み休みやんなせぇ」 と地元の人は言ってくれる。

たしかに、手の抜き方や休み方にはコツがあるように見えるのだが、

まだ3回目の自分は、ついつい力を入れては、

すぐに肩で息をしたり腰を伸ばしたりの繰り返しとなってしまう。

 

途中で眺めた、里山、棚田の風景。 山桜が美しい。

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途中にこんな標がある。 

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「総人足」 という共同作業とは別に、戸別に割り当てられた区間があるのだ。

その1区間の清掃に2,500円の手当てが支給される。

2,500円たって、一人じゃ半日では終わらないだろう距離である。

いずれこれも困難になるかもしれない。

 

なんという植物だろう。 

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ホントはきれいに取り除くべき場所だったのだが、つい残してしまった。 スミマセン。

 

総出で水路を守っても、荒れる田んぼは増えている。

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ここは2年前は耕作されていたように思うのだが・・・

今年は 「もう作らねぇな」 とのこと。

 

作業終了後、公民館前で慰労会となる。

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ビールに豚汁、そしてなぜか恒例の、冷奴1丁にサバの缶詰。

これが僕には謎なのである。

地元の人に聞いても、前からこうだ、としか教えてくれない。

同行した会津出身の大地職員が言うには、

「サバ缶は常備品です。 我が家でも常に置いてありますよ。」

そう言って、開けなかった私の分もしっかりリュックにしまったのだった。

どうやらその辺りにヒントがありそうだ。

 

水が絶えない。 水が潤沢にある。 これはとてもシアワセなことだ。

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作業の途中で出会った沢の水の美味かったこと。

この一滴を味わうだけでも、この作業に参加する意味は、ある。

 

いま世界のあちこちで、コモンズ (公共の場) としてあった水源が、

「水道事業の民営化」 の名のもとで企業に買収されていっている。

水が商品と化し、人々は多国籍企業から水を買わなければならなくなりつつある。

そこでは 「支払い能力」 のない者は、生きてゆけない。

もとより水は、企業が作ったものではない。 あんたのモノではないのだ!

水は、生き物たちの循環とともに流れる地球生態系の血液なのに、

誰も専有できるはずのない財産が、私企業の利潤を生む道具として奪われていっている。

しかも原価はタダである。 その 「ただ」 をずっとずっと支えてきたものがある。

それは誰にも渡してはいけない。 ・・・・そんなことを考えてしまう。

 

「過疎」 とか 「限界集落」 とか言われながら、見捨てられつつある場所は

貴重な水源地なんだけど、ある日気がついたら、外国資本の手の中にあった、

そんな時代が来ようとしている。

何とかしたいなぁ、ああ・・・・・ 

 

現地に到着した3日の夕方、昨年結成した 「あいづ耕人会たべらんしょ

のメンバーと、今年の野菜セットの打ち合わせを行なう。

今年は7月から9月までの3回のセット販売と、

庄右衛門インゲンや会津地ねぎを 「とくたろうさん」 企画で扱うことなどを検討する。

これも僕らなりの、ささやかなたたかいの一歩なのだった。

 

なお、この場を借りてのお知らせですが、

僕たちがせっせと飲んで貯めてきた 『種蒔人基金』 から、

今回の交流会用に 「種蒔人」 6本を差し入れしましたことを、

ご報告させていただきます。

「この酒が飲まれるたびに、森が守られ、水が守られ、田が守られ、人が育つ」

このコンセプトを呪文のように唱えつつ、

好きな酒を飲みながら、堰浚いを続けたいと思うのであります。

 



2009年5月 1日

学生たちの環境教育活動で米づくり

 

昨日は山武に行ったかと思えば、今日は香取にいる。

ここ、千葉県香取市(旧・佐原市) の多田という地区で、

佐原自然農法研究会代表の篠塚守さんは米づくりを営んでいる。

有機JASの認定農家である。

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典型的な谷津田地帯だ。

ここに今日、一人の学生さんをお連れした。

NPO法人 「太陽の会」 の事務局長・岩切勝平君。 某W大学の4年生。

小中学生を対象に自然体験型の環境教育活動を行なっていて、

今年は米づくりを体験しながらの環境教育プログラムに取り組みたいと、

当会に相談にやってきたのだった。

 

4月に入ってから相談に来られてもねぇ。

もう生産者はすっかり準備に入ってる段階だからねぇ。 厳しいな。

-などと偉そうにぶちつつ、ダメもとで篠塚さんに電話してみたところ、

快く 「分かった。 いいよ。 やらしてあげる」 と言ってくれた。

しかし・・・これから改めて苗をつくらなくっちゃね。

(面積は)どれくらい? 何人来るの? -具体的なプランはこれからである。

 

そこで 「とにかく会いに行こう」 ということになった。


周りではもう田植えが始まっているなかで、

篠塚さんは 「まあ、ウチはまだこれから」 と泰然としている。

こういう人でないと、こんな急な話には乗ってくれないか。

地元の子どもたちに教えたりしてきた経験もある。

2002年に横浜市内の小学校で総合学習を引き受けた時は、

篠塚さんや仲間のメンバー、それに奥様方にも色々と手伝ってもらったし、

今年の東京集会でもお世話になった。 いつも無理言ってスミマセン。

 

用意していただいたヨモギ餅を二人で遠慮なく頬張りながら、 

トントンと話を詰めていく。

これから苗をつくって、田植えは5月31日とする。

草取り作業と稲刈りまでのスケジュールや段取りの確認。

2回目の草取りイベントでは、泊りがけでの自然体験ツアーを組みたい意向。

これはもうちょっと時間をかけて検討することとする。

そして案内していただいたのが、上の写真左手前の田んぼ。 5アールくらいか。

「ここがいいと思うんだけどな。 どうだい?」

耕起してある。 すでに田植えの予定を組んでいた場所だ。

篠塚さんは、若者や子どもたちのためだと思うと面倒を厭わない。

ありがたい話である。

「ここでやらせてください」 と岩切君も腹を決める。

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いろいろと詳細を確認する二人。

オレも、手前どもの 「稲作体験」 の今年の規模を考えると、

人の世話やっている場合じゃないんだけど、

生産者が無理をきいてくれたお陰で、セッティングできた話である。

できる限りのフォローをしなければいけない、と思う。

 

ちなみに 「太陽の会」 というのは、歴史のある団体で、

設立は1975年に遡る。 大地を守る会と一緒である。

設立者は、音楽家の北村得夫氏。

氏は太平洋戦争末期、人間魚雷の訓練中に広島での救済活動にあたり、その際、

被爆した子どもたちと 「絶対に平和な社会をつくる」 という約束を交わした。

その約束を果たすために、世界共通言語である音楽やマンガを通じて、

子どもたちへの平和教育活動を始めたのだという。

北村氏と交流のあった方々には、手塚治虫さん、石ノ森正太郎さん、やなせたかしさん

といった漫画家の名前があり、また幸田シャーミンさん、オノ・ヨーコさん、北野大さん、

政治家の海部俊樹さん、橋本龍太郎さんなども協力している。

シンボルマークは岡村太郎さんの作。

現在の会長は三木睦子さん (三木武夫元首相夫人) という、

超ビッグネーム・オンパレードの、どえりゃあ会なのである。

 

北村氏が病気になられた2006年に、

学生中心で運営するNPO法人として再出発した、とのこと。

ま、先達の名前はかなり重たいけど、歴史は歴史として、

学生ならではの活動を展開していってもらいたい、と思う。

こちらもできる範囲でのお手伝いはさせていただきましょう。 これも何かの縁なんで。

 

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つい先日(4月29日) 谷津田の話を書いたけど、こんな感じ。

向こう側は耕作が放棄され、荒れてきている。

一所懸命切り拓いた土地が、いつのまにか 「やっても割が合わない」 土地になって、

生き物との繋がりもだんだんと途絶えていって、

いつかヒトの記憶からも消えてしまうのだろうか。

そのとき、僕らはどんな暮らしをしているのだろう・・・

 

篠塚さんはきっと、子どもたちに見せたいのだ。 篠塚さんの記憶を。

 

≪ 注 ≫

「太陽の会」 という団体名はいろんな分野であるようですが、

いかなる政治・宗教団体とも関係ない、とのことです。 HPは -ないようです。

 



2009年4月20日

それでも、世界一の米を作る!

 

フリージャーナリストの奥野修司さんが本を出した。

2005年、『ナツコ 沖縄密貿易の女王』 で二つのノンフィクション賞を受賞し、

10年前に神戸で起きた 「酒鬼薔薇事件」 を描いた 『心にナイフをしのばせて』

でも評判を呼んだ方である。

 

奥野さんとは2002年からのお付き合いで、だいたい突然電話がかかってきては、

農業関係での取材先を紹介しろとか言うのである。

「大地なら当然こういうジャンルでのすごい人を知ってるだろうと思って...」

と言外に匂わすあたりが、からめ手というのか、なかなか手ごわい。

でもって付き合うオレもオレ、なんだけど。

 

先だっても、文芸春秋社の新しい雑誌 『 くりま 』

(5月臨時増刊号-ほんものの野菜を探せ!) の仕事で、

埼玉の野口種苗さんや熊本の塩トマトの生産者・澤村輝彦さんを紹介した。

それが12月21日のブログ (現代の種屋烈士伝) で書いた、雑誌取材のことだった。

 

奥野さんとの出会いは、

月刊誌 『文芸春秋』 で当時奥野さんが連載していた 「無名人国記」 というルポで、

農業関係での先進事例を取材したいのだが、という問い合わせから始まった。

そこで紹介したのが福島県須賀川市の 「稲田稲作研究会」 の伊藤俊彦さんである。

 

大地を守る会と稲田との間で 「備蓄米」 制度をつくったのが、

いたく奥野さんを刺激したらしく、

奥野さんはルポ 『 福島 「稲田米」 の脱農協 』 を書いた後も、

足しげく稲田を訪ねていたのだった。 僕も知らないところで。

 

で、6年越しでまとまったのが、この著書。 

『それでも、世界一うまい米を作る』  -講談社刊、1800円。

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米の消費が減り、米価も下がる時代にあって、

「それでも、世界一うまい米づくりに挑む」 男たちの物語。

まるでNHKの 「プロジェクトX」 ばりのタイトルだなぁ。

 

それにしてもさすが、丹念に取材を積み重ねたからこそ書けた一冊である。

米は年に1回しか作れない。 したがって、それに挑戦する人たちの真価は、

1年や2年の取材ではけっして分からないのだ。

何度も通い、伊藤さんだけでなく、稲田稲作研究会の岩崎隆会長(当時) や、

無農薬栽培に挑み続ける橋本直弘くんと田んぼで語り合っている。

 

物語の軸は、伊藤俊彦である。

農協マン時代のたたかいから、稲田アグリサービス、そしてジェイラップ設立

と進む経過が、生々しく再現されている。 彼を支え、彼に賭けた農民たちとともに。

所どころで 「エビちゃん」 も登場する。 シブい脇役って感じだな、うん。

 

たしかに、伊藤さんのやった農家の経営改革は凄まじかった。

だいたいの経過は見聞きしていたが、本書を読みながら、改めて感心する。

トマト栽培をミニキュウリに変えさせ、桃の木を伐らせ、農機具を処分させ......

こんな指導者は、おそらく日本にいないと思う。

いつだったか、稲田の生産者に聞いたことがある。

「伊藤さんのパワーと、あの感覚は、何によって培われたんでしょうね」

答えは簡単だった。

「分かんねぇな。 ありゃあ突然変異だ。 いねぇな、あんなの、どっこ見渡しても」

 

詠んでる方がハラハラしてしまうような、大胆でしたたかな農家指導もさることながら、

減反政策に対して 「額縁減反」 という手法で抵抗したくだりなども、

ぜひとも読んでほしいところだ。

米価を守るのは、食管制度でも減反政策でもないことを、彼らは見抜いていた。

必要なのは創造力なのだ。

先日書いた  " 減反政策の呪縛 "  を超えるための答えのひとつを、

奥野さんはあぶり出してくれている。

 

農協批判も歯に衣着せぬ、だね。

まあ  " 脱農協 "  後の逆境を、根性とアイディアで乗り越えていった伊藤さんと

付き合ってるわけだから、当然と言えば当然なのかも知れないけど、

奥野さんも、言いたいことを伊藤さんに喋らせているフシがある。

 

僕らがつくった 「備蓄米」 制度が、そんな物語の基点となって紹介されている。

この時代に、一冊のハードカバーの本になって。  

「俺たちの食糧安保」 なんてサブタイトルまでつけられて。

奥野さんは、伊藤さんに触発されて中国まで取材に行っている。

「食糧安保」 の字句に、彼としての確信を持つ必要があったのかもしれない。

そんなしつこいジャーナリストである。

 

今度奥野さんに会った時には、こちらからけしかけようと思っているテーマがある。

彼にはぜひ、GMO-遺伝子組み換え食品に挑んでほしい。

いつものように、これぞ、という取材先も用意しておくから。

 



2009年4月 7日

「減反」 の呪縛

 

大地を守る会で発行している機関誌 『NEWS 大地を守る』 。

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その5月号の原稿を頼まれていたのだが、

締め切りを過ぎてもなかなか書けず、今日ようやく編集担当に送った次第。

自分でも意外なくらい、苦しんでしまった。

 

与えられた課題は、米。

大地を守る会で取り組んできた米や田んぼを守る活動を振り返りながら、

減反問題に対する見解を、1,500字で述べよ。

 

オレの20年を、1,500字でか! ざけんじゃねぇよ!

 

まあ最初は、今まであちこちで喋ったり書いてきたことをちょこっと整理すればいいくらいに

思っていたのだが、やはりブログで喋るのと、会の機関誌で語るのとでは、

意味合いが違ってくるよね。 しかも1面だというし。

主張のトーンをどうまとめるか、このあたりの塩梅というか、

判断に迷いが生じて、締め切りを過ぎたあたりから眠れなくなったりしたのだった。 

これが 「減反政策」 の呪縛ってやつか、なんて思ったりしながら。


思い返せば、1986年の秋、

藤田会長から 「ちょっと寄ってきてほしいところがある」 と言われて、

共同購入の配達の帰り道、当時、中目黒にあった日本消費者連盟という団体の

事務所に、汚い2トン・トラックで乗り入れたのが始まりだった。

いくつかの団体のお歴々が集まっていて、

これからアメリカの米の輸入圧力に対抗して、

生産者と消費者が一緒になって日本の米を守る運動を始めるのだ、という。

「当然、大地も参加するよね」-「え? あ、ハイ」。

その夜の会議からまもなく発足した団体の名が、「米の輸入に反対する連絡会議」。

以来、米にのめりこんでいく羽目になった。

 

僕らの運動の基本スタンスは、「反対」 より 「提案」 である。

農薬散布をただ批判するんじゃなくて、 「無農薬の野菜をつくり・運び・食べる」。

有機農業を提案し、その野菜を運ぶこと自体が 「運動」 だった。

米の輸入反対運動は、必然的に生産と消費を直接つなぐ 「提携米」 運動を生んで、

大地を守る会もその一翼を担うようになる。

しかしそれは同時に食管制度と 「減反政策」 という問題に否応なく関与することでもあった。

 

「提携米運動」 は減反問題との関わりなしに語れない。

減反問題を語るなら、ただ批判するだけでなく、やっぱり、

その政策を下支えしている理屈について、触れないわけにはいかないだろう。

このブログでは、やれ 「マーケティングのない政策」 だの、

「裸の王様のような理屈だ」 とか、言いたい放題言ってきたが、

そんな調子で会の機関誌の一面を汚していいわけでもないし、

現実には、多くの生産者が、地域や農業経営との関係で、

そう好き勝手できない状態であることも承知しているつもりだ。

結局、こんな2行を挿ませていただいた。

 

「減反をやめれば米が過剰になり、価格が暴落して生産者がやってゆけなくなる」

と言われますが、これは 「無策」 を表現しているに過ぎません。

 

本音を言えば、今の僕の腹の中は、モーレツに農協批判をしたい欲求に駆られている。

農民のためでなく、組織を守るために、彼らは 「減反維持」 に固執していないか。

しかも創意工夫できそうなコスト削減まで、つまり農民の創造性を阻んでいる。

いろいろ考えても、そうとしか思えないのだ。

 

結局は、まったく中途半端な文章になってしまったのだが、

問題は字数ではなく、「ではどうするか」 について、

僕の中で、まだ整理し切れてなかった部分が残っていたことなのだ。

「提案型運動」を標榜してきたくせに。

 

本当に全面展開できるようになるために、もうひとつ思考が必要だ。

大きな一枚岩が立ちはだかっているようでいて、

靄 (もや) の先は目の前にあるような・・・・・

これこそが減反問題の嫌らしさのような気がしている。

 



2009年3月13日

減反は、やっぱり哀しい

 

昨日(3/12) の夜、千葉・幕張の本社で、

秋田・大潟村の米生産者、黒瀬正さん (ライスロッヂ大潟代表) を招いての

社内勉強会を開催した。

前日の提携米研究会の会議のために上京した機会に、

大地の若手社員向けにお話し願えないかと打診して、実現したものだ。

テーマは、お米の減反問題。

 

じつは昨年の12月に同じテーマで勉強会を開いていて、

僕が減反政策の歴史や問題点などを解説したのだが、

やはりこの問題はひと筋縄ではいかない。 

薄っぺらな説明だけでは若者たちの疑問はさらに膨らんだようで、

もっと理解を深めたい、との希望が出されていた。

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例によって勤務終了後の勉強会だが、40名近くの職員が集まってくれた。

黒瀬さんからも、「大地にはこの文化がまだ残っとる。 ええことや」 と褒めていただく。

日本第二の湖だった八郎潟を干拓して出来た大潟村に入植して30数年。

滋賀県出身の黒瀬さんは今も変わらず関西弁である。

 

減反政策の問題点を、生産者の立場から分かりやすく、とお願いしてあったのだが、

黒瀬さんにはやはり、これは自身の  " たたかいの歴史 "  であって、

評論家の解説のようにはいかないのだった。


戦後、日本は食料難を乗り越えるために必死で増産に励んだ。

米の自給率100%を達成したのは、1966(昭和41) 年のことである。

しかし折りしも続いた数年連続の豊作で、米の在庫はあっという間に増大した。

戦時中につくられたままの 「食糧管理法」 の下で、

米は国が全量買い取るかたちになっていたから、

その在庫管理のために国庫負担が1兆円にも膨らんだ。

1969年、一時的な処置と称して、生産調整が始まる。

本格的に始まったのは1971年から。

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それまで、ひと粒でも多く作ることを誇りにしていた農民にとっては、

突然の 「つくるな」 という指示は、とても耐えられないものだったようだ。

それでも黒瀬さんは、いきなり反対したわけではない。

お国は一時的な措置だと言っているわけだ。

「余ってしゃあないゆうから、我慢しようか、て思ってたのよ。」 

しかし、問題はさらなる矛盾へと進んでしまった。

「地域の指導者たちは言うのよ。 一割減反した分、二割増産しましょう、て。」

減反は実行されても、生産調整の目標は新たな歪みを生んだわけだ。

単位面積あたりの収穫量を上げたのは、農薬と化学肥料である。

 

減反政策、国の言う 「生産調整」 は、うまくいかなかった。

黒瀬さんを、減反反対の闘士にしたのは、1977年である。

それまで 「一時的な避難措置」 と説明されていた生産調整が、

いよいよ恒常的な政策になり、

しかも実効性を上げるために、「ブロックごとの達成」 という論理、

つまり地域で達成できなければ、その地域に補助金が下りない、

という手法が持ち込まれたのだ。

「まるで江戸時代の五人組制度の復活でした。

 昔の五人組制度も地域を維持するためによくはたらいた面もあったかと思いますが、

 それがこういう、百姓同士が手を縛り合い、いがみ合い、個人の自主性を押える力として

 復活したんです。」

 

それからの黒瀬さんのたたかいの様は生々し過ぎて、ここでは再現できない。

それはけっして、こっそりと 「闇米」 とかで逃げることではなく、

法律の解釈からたたかいの手法まで、したたかに組み立てながら、真っ向から挑んだのだ。

黒瀬さんが主張した本意は、農民の自立と主体性を守ることであった。

 

1987年、米の輸入自由化反対運動の中で僕らは出会い、

提携米運動へと発展した。

 

裏では、黒瀬さんに対する揶揄を、ずいぶんと聞かされることになった。

減反を拒否して米を作付したことを  " 抜け駆け "  と言い、

俺たちが減反を守っているからアイツは米が売れるんだとか、

はては出身地にかこつけて 「アイツは近江商人だから」 -と。

こういう農民からの陰口を聞くたびに、この制度の陰湿さを僕は感じた。

これはゼッタイに健全な政策ではない。

 

じつは、先日レポートした2月28日の 「だいち交流会」調布会場での

米をめぐるセッションのテーブルごとでの交流の席で、

ある生産者が消費者に、このように説明したという話を、後日聞かされた。

「減反があるから、米の値段が維持されてきたんです。」

それを聞いた会員からの感想文が届いて、

「どう考えたらいいのか、さらに分からなくなりました」 とあった。

 

減反は連綿と実施されてきたが、米価は下がり続けてきた -と僕は説明する。

おそらくその生産者は、こう応えるのだろう。

「それでもみんなが勝手に作っていたら、もっと下がっている。」

これこそ、みんなで乗り越えなければならない理屈なのだが、

生産者には深く刷り込まれた原理となっていて、

僕らはまだこれを越えられていないのである。

この理屈を突破したい。

強制的な減反で価格が維持できるという考え方は、すでに時代錯誤だし、

そもそも民主的手続きになってない。

他に選択肢が思い浮かばないからという消極的支持で、

自身の、そして仲間の手を縛る政策からは、何ら未来は見えてこない。

そもそも、この政策にしがみついているのは、上記の生産者も含めて

農民の本音ではない、と僕は信じている。

後継者不足や耕作放棄地の増大を目の当たりにしているわけだし。

 

学生時代に (一部で)流行った言葉に、「コペルニクス的転回」 ってのがあった。

為政者も宗教家も、すべての人を敵に回した真実

  - 回っているのは太陽ではない、地球である。

 

リセットしてみないか、このカビの生えた論理を。

そして農業政策というものを一から再構築してみないか、みんなの手で。

キーワードは、持続可能性と生物多様性、そして自給だろう。

もちろん食の安全と環境との調和、資源の循環といった視点も

この中に包摂されているし、未来の世代の暮らしの安定につながっている。

しかも、すぐれて地球環境と経済への貢献策にもなるはずである。

ベースになるのは、有機農業であろう。

 

勉強会を終えて、若手社員の声は、

「もっといろんな生産者の話を聞いてみたい」 と、欲求はさらに強くなってしまった。

それはそれで受けてやらないといけないけど、 思うに、

ことほど左様に、生産と消費は分断されていたのである。

減反政策が長く続いたのは、その不幸の上にある。

 

消費者と本当につながろうとせず、

地域の協同性を喪わせた元凶に対して、「地域の存続」という名目でもって、

減反政策の維持を要求する、補助金の受け皿としての農民団体がある。

「農協」 という組織を、僕はどうしてもそのように見てしまうのである。

 しかも 「お上」 は、今もその上に立っている。

 



2009年3月 4日

夢を語ろう! 田んぼを増やそう(後編)

 

《昨日に引き続き...》 

では、「大地を守る会の備蓄米」 で提携している

稲田稲作研究会 (福島県須賀川市) の若手メンバー、伊藤大輔くんの熱いアピールを。

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 「稲田稲作研究会」 は、私たちの父たちの熱い思いで産声を上げました。

研究会発足より 「減反」 や 「生産調整」 という政府の政策には異議を唱え続けて20年、

皆様にご愛顧いただいている 「備蓄米」 等の増産を続けてまいりました。

 

私たちにとっての 「生産調整」 とは、

自分たちの最大限の技術と管理によって 「うまい米」 を作って、

私たちを支えてくれている方々のオーダーが増えることによる生産増加や、

自分たちへの評価に比例する言葉であり、田んぼを守るための糧であります。

 

現在、稲田稲作研究会が目指す農業とは、

産地ぐるみで後継者を育成することで、非耕作地をなくし、

古くより日本の食文化であり日本人の健康を支えてきた米を衰退させることなく、

次世代へ、そのまた次世代へと永年持続したくなるような農業と、

瑞穂の国日本と言われた美しい田んぼの景観や環境を守ることです。


今まで3ヘクタール程度の稲作農家が所有する農業用機械の総額は、

おおよそ3,000万円程度かかっていました。

そこに燃料代、メンテナンス代、自分を含む家族の人件費などが必ずかかります。

機械投資のための農業になり、魅力がなくなる。

兼業農家になり、手抜き農業になる悪循環に陥る構図になって、

それが本来の稲作を衰退させている大きな要因だと思います。

現在、研究会のなかに、稲作15ヘクタールと、ハウスきゅうり25アールを年間2作、

収穫日数240日を家族のみで営んでいるメンバーがいます。

この方は、元々の耕作面積は5ヘクタール程度でした。

しかし 「備蓄米」 の立ち上げ基盤構築と、機械の共同利用による農業に賛同して

主要メンバーとなり、稲作の重要なポイント作業以外はわれわれ生産法人部門に

作業を委託して、ハウス園芸をしながら、近隣で稲作を断念する農家さんのほ場を

次々と自作地にして維持してきました。

生産法人部門としての作付も、試験ほ場として3ヘクタールでスタートしたところ、

ここ数年の後継者不足や諸事情で断念せざるを得ない状況に陥ってしまった耕作地を

借り受けし、10ヘクタールまで増えました。

 

産地としてのモデル農業を自分たちで試行錯誤し、築き上げ、

田んぼ1枚ごとに評価することで生産意欲やモチベーションを高め、

安心・安全と 「満足」 を満たすような管理と、「食べ物半分、食べ方半分」 と考えて、

産地加工で米のパンや麺、乾燥野菜、製粉など、新しい食べ方を提案することで

「農業」 や 「食」 にある潜在能力を引き出すことに意欲的に取り組んでいます。

 

後継者不足。

その背景には、人に頼る農業への依存、輸入農産物等の大型農業にはない

自分たちの緻密な農業をマーケットに認識させる努力、進化をしなかったことに対する

ツケであると思います。

 

私たちは、親の背中を見て、ここに立つことを決しました。

どんな時も 「進化を忘れない」 「怠らない」 姿に、私たちが共感できたからこそ、

この場に立っています。

このような基盤を構築した先人の方々に深く感謝し、

それを守ることが私たちの宿命であり、進化することが

われわれの仲間や次世代につなぐためのタスキになると信じております。

私たち稲田稲作研究会は、種まきと同時に、毎年

 「希望」 と 「未来」 という種も一緒に播かせていただきますので、

皆様には、 「備蓄米」 や 「種蒔人」 の、茶わん一杯、おちょこ一杯が愛されることで、

そこに住む生き物、森が守られる。そして次世代が育つことを、

想像していただければ本望です。

「買う責任」 を果たしていただいている皆様のために、

私たちは 「作る責任」 をもって応えていくことを、

改めてこの場でお約束させていただきます。

 

・・・・・なんという若者だ。

オレのまとめの言葉を先取りされてしまった。

親父さんたちと僕らが語り合ってきたことを確実にモノにしてきて、

しかも 「進化させる」 と。 たくましくなったね。

しかもしっかりオヤジに似てきちゃって、まあ ・・・ウルル。

 

減反の生々しい話や、稲作特有の数字 (反とか俵とか金額とか) が

フツーに飛び交ったもんで、消費者には難しく聞こえたようだ。

その辺は基礎資料を用意すればよかったかと反省する。

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会場からの質問も、価格の話まで出たりして、ヘビーな第1部になったけど、

とりあえずは、私の注釈的なまとめよりも、

ここまでの生産者の語りこそが、今回のテーマを表現したということにしたい。

 

第2部はテーブルごとにフリーの意見交換。 

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司会が気を遣うことも少なく、自然に会話が弾んでいる様子が、嬉しかった。

ただやっぱり話題が米に流れたりして、米以外の生産者には申し訳なかったですね。

 

第3部は、お酒を試飲 (試飲ですよ、試飲) しながらの懇談。

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原料米の生産者を脇に、「種蒔人」 の説明。 

 

こちらは、同じく大地のオリジナル酒 「四万十純米酒」 をつくっていただいている

高知県・無手無冠 (むてむか) 酒造の山本勘介さん。

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社名の由来は、" 余計な手を加えない、冠も無用  "  の精神からきている。

土佐気質丸出しの蔵。

「四万十純米酒」 の原料米生産者は、窪川町の原発計画を阻止した男、

島岡幹夫さんである。

今日は、他の自慢のお酒も持参してくれて、交流会を盛り上げてくれた。

 

最後に、記念撮影。

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主催者のねらいや思いをどこまで拾えたか、司会としてはちょっと苦しいところだけど、

皆さんの笑顔に救われます。

 

長くなったので、二次会は割愛。

消費者会員のHさんと、大地を守る会が昨年進めた  " ブランディング "  について、

ひとしきり議論してしまったことだけ、報告しておきます。

愛知・天恵グループの津田敏雄さん。

「二次会でエビちゃんに失礼なこと言って傷つけたんだけど、謝っといて」

との伝言を承りましたが、

すみません。 大事なお叱りの言葉、覚えてないんです・・・もう一回、お願いします。

 



2009年3月 3日

夢を語ろう! 田んぼを増やそう

 

年が明けて、産地新年会シリーズが始まり、

終わったと思えば 「大地を守る東京集会」 の準備が佳境に入り、

何とか走り終えて、気がつけば3月である。

2月はホント、書けなかったなぁ。 ネタもいろいろあったのに、残してしまった。

酒がいけない? いや、それはまったく自分のせいだけど、

ついつい真剣勝負でやっちゃうんだよね、しかも最後まで・・・・・

 

少し疲れも取れてきたところで、東京集会二日間のレポートを記してから、

溜まったものを順次吐き出していきたいと思う。

 

『 2008だいちのわ ~大地を守る東京集会~ 』

一日目は2月28日(土)、15の会場に分かれての 「だいち交流会」。

ぼくの今年の割り当ては、調布会場。

消費者会員が主体となって準備された会場で、設定されたテーマが

「 夢を語ろう! 田んぼを増やそうプロジェクト 」

長く米の消費が減り続け (最近少し盛り返してきているけど)、

減反政策も40年近くにわたって継続されてきた。

気がつけば恐るべき勢いで耕作放棄された農地が増えている。

ようやっと農水大臣も減反の見直しを語るようになってきたなかで、

消費者の立場から、「田んぼを増やそう」 の声を挙げてくれたわけだ。

我が専門委員会 「米プロジェクト21」 もお手伝いしないわけにはいかない。

 

調布会場には、生産者・消費者・事務局合わせて約80名ほどが集まった。

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「今年は米でいきます」

企画準備当初からこう宣言した実行委員長、鬼弦千枝子さんの挨拶から。

「生産者の生の声を聞いて、私たちに何ができるのかを考えたい」

配布された栞(しおり) にも思いが綴られている。

-みんなの経験や知恵や繋がりを生かして、きっと未来に残せるようなことができるのでは・・・

 

第1部は、全体でのセッション。

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司会を託されてしまった。


自分のお喋りは極力自制して、生産者に順次、語っていただく。

 トップバッターは、宮城・蕪栗 (かぶくり) 米生産組合の千葉孝志さん。

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蕪栗沼周辺の水田地帯が野生生物保護のための貴重な湿地として

ラムサール条約に登録され、今や全国区になった当地でも高齢化の波は激しい。

千葉さんは、何とかして地域環境を守りながら、

消費者に喜ばれる米づくりを続けていきたいと語る。

有機JASを取得し、田んぼには魚道を設置するなど、

生き物の豊かな田んぼを復元しようと試みている。

肥料などの資材も地域で循環させるために新しい堆肥場もこしらえた、とのこと。

 

続いて、山形・みずほ有機生産組合の菅原専一さん。

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田んぼの一部をビオトープ (生物循環を豊かにする空間として設計された場所、のような意味)

にして蓮の花を咲かせたところ、田んぼにゴミを捨てる人がいなくなった。

除草の手がだんだんと足りなくなってきて、合鴨農法を取り入れたが、

生態系のバランスが崩れるのではないかという疑問も残っている。

それでも子どもたちの田んぼへの関心が高まってくれて、教育的効果は高いと実感している。

真面目な菅原さんらしい発言だった。

生産者独自の工夫、様々な試行錯誤が、地域に刺激を与えているのです。

悩みや疑問は、みんなで共有しようではないですか。

そこから何かが生まれてくるはずだから。

 

茨城・大嶋康司さんには、減反政策についての思いを語ってもらう。

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大嶋さんは減反はやってない。

「やるかどうかは生産者の自主性に任される、というのが正しい解釈のはずなんですが・・」

周りの農家も許容してくれているが、そこは地域の特性もあって、

地域の減反面積を請け負って収益性の高い作物を作る農家もいたりする。

地域的な締めつけの厳しい東北の生産者に気を遣いながら、複雑な心境を語る。

嫌なテーマでふって、すみませんでしたね。

 

減反については、協力しないと認定農業者が剥奪されるとか、

受けていた融資も前倒しで返せと言われる、とかの話まで出てくると、

消費者には、何がどうなっているのか???-という世界である。

要するに、「減反政策をやらないと、みんなが好きなだけ米を作って、価格が暴落する」

という理屈が金科玉条のようにまかり通っているわけだけど、

これくらい農家を馬鹿にしている話はない。

農民を自立した経営者とみなしてない。 というか、なって欲しくない勢力がいるのだ。

" 好きなだけ米を作る " 状況でも、すでになくなっていることは、

宮城の新年会の話でも触れた通りである。

作らせないために税金を使うのではなくて、

作って欲しい作物に助成するのが正しい考え方ではないか。

 

さて、生産者にとっては、この人には頭が上がらない。

米の仕入れから精米までをお願いしている八王子の(株)マゴメ社長、馬込和明さん。

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減農薬の米を学校給食に卸すなど、みんなの米を懸命に販売してくれる。

一方で、米の需要拡大も模索していて、

米粉を使ってのパン製造や製麺など、様々な加工にも取り組んでいる。

「朝ご飯にパンを食べる人には、米粉のパンにしてくれれば、

 それだけ田んぼが守られるんだけどね」 と訴える。

・・・そうなんだけど、大地の会員さんはおそらく国産小麦のパンだろうから、

やっぱ、もっと広く、国産を食べる人を増やすことが道ですね。

 

山形・米沢郷牧場の伊藤幸蔵さん。

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取り組んでいるのは、飼料用の米生産。

「これで国産飼料 (自給) 率70%以上の鶏肉の生産ができます」

田んぼは、もっともっと活用できる生産基盤なのだ。

 

若者世代を代表して、福島・稲田稲作研究会の伊藤大輔さん。

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しっかりと原稿を作ってきて、読み上げた。

それはそれはなかなかの内容で、聞き惚れてしまった。

 

久しぶりに力を入れたら、また長くなってしまった。

続きは明日とさせてください。

 



2008年11月29日

お正月飾りと、減反裁判

 

今年も間もなくせわしない師走に突入しようかという、11月29日。

ひと足お先に、新年を新しい気持ちで迎える準備に入ります。 

しめ縄に、思い思いのお正月飾り付けをしましょう。

そんな 『 新しい一年を迎えるために ~お正月飾りを作ろう~ 』

という楽しい会が開かれました。

 

主催は、大地を守る会の消費者会員さんたちが自主的に運営する 「だいちサークル」

のひとつである 「手作りサークル・くりくり」 と 「割烹着の会」 の共催。

なんでそんな会にむさくるしい男が・・・・と思うでしょうか。

ポイントはこれ。 提携米研究会で販売するしめ縄、です。

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今日は、このしめ縄を土台にして飾り付けします。

加えて、このしめ縄には物語がある!のです。 というわけで呼ばれたのでした。

 

場所は、墨田区立花、旧中川 (今は荒川の支流になった古い川) 沿いの

 「立花大正民家園 」-旧小山家住宅 。

大正時代に建てられ、震災や戦争にも耐えて当時の住居構造や風情を残してくれた

貴重な都心の民家 (小山家) を区が買い取って、一般公開している。

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その奥座敷を借りて、和気藹々とお正月飾りを楽しむ一席が設けられたのです。 

 


こんな風情です。 

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住居はけっして豪奢にはせず、

庭にその  " 粋 "  を感じさせる。

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調度品も余計なものは置かず、シンプルさの中に暮らしの堅牢さを求める

古きよき時代の美学が、そこはかとなく漂っている。

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僕の四国の実家も未だに古い家 (昭和初期ですが) で、こんな間取りだなぁ。

屋根裏で青大将と鼠が争っていたりする環境がイヤで、

若い頃はモダンな住宅や都会に憧れていたものだ。

でも、なんだろう、このゆったりとした懐かしさは・・・・・

 

正月飾りの指導をしてくれた遠藤さん (下の写真、左端) は、

私の記憶が確かならば、大地の共同購入発祥の時代からの人のように思う。

(恥ずかしくて聞けなかった・・・)

 

その遠藤さんが、みんなが静かに飾り付けにいそしんでいる時、

ガラス戸が風に揺れてカタカタと音を立てたのに視線をやって、呟いた。

「ああ、懐かしいわねぇ。 昔はこんなふうに、風で戸が揺れたのよね」

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............で、僕も気恥ずかしさを忘れて、正月飾りに参加する。

 

これは割烹着の会代表のYさんの作品。 優しさというか、気品を感じさせます。

大地を守る会総会でもこんな感じでお願いしたいものだけど・・・

スミマセン! 「甘ったれるんじゃないわよ」 ですね。

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私も不器用な指を駆使してやってみましたが・・・まあまあ、かしら。

エビ家の注連飾りの完成です! ★ ○つ!

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さて、注連飾りの完成後に、

このしめ縄の物語というか、背景を少し話をさせていただいたのです。

 

品種は 「みとらず」 と言います。 しめ飾り専用の古代米(赤米) です。

実を取らない、つまり青刈りして、ていねいに天日で干して、

きれいな緑色の乾燥ワラに仕上げます。

今でも関東の神社では、このイネを育てているところが残ってます。

生産者は、筑波山の麓・茨城県八郷町の高倉弘文さん。 元宮司さんです。

僕ら ( 当時の「提携米ネットワーク」 ) が、1994年、

あの米の大冷害と米パニックと呼ばれた騒動 (1993年) のあと、

減反政策は国民の生存権を奪う憲法違反の政策だと、

1000人を超す原告団を結成して農水省を訴えて裁判闘争に打って出た時、

その資金集めに協力してくれたのが、このしめ縄だったのです。

「これで裁判費用をつくりなさい」 -そんな宮司さんがいたのです。

編む人の手が荒れてはいけないと、無農薬で育ててくれています。

一個々々、手で編まれたしめ縄です・・・・・

 

あの裁判闘争を思い出して、一瞬、泣きそうになってしまった。

原告団は、毎回の裁判で色んな視点から減反政策の誤りや愚かさを訴える

意見陳述を展開する手法をとった。

僕は95年4月の第2回公判で、環境の側面から訴えた。

僕の人生で裁判所で喋ったのはあの時だけだ。

緊張ではなく、自制できない昂ぶりを覚えて、声も体も震えが止まらなくなった。

「未来の子どもたちの生存権がかかっているのだ!」 と叫んだことを覚えている。

原告団長の石附鉄太郎さんは、もういない・・・・・

 

懐かしい・・・なんて言ってはいけない。

減反政策は、今も続いている。 

それどころか、今の農水省の文書には、はっきりと

 「生産調整(減反) に協力しないと補助金が下りない (ことがあり得る)

と明記されているのである。

あの裁判の時は、

「生産調整は農家の自主的な判断によっている (強制はしていない) 」

と強弁していたのを僕は忘れてはいない。

食糧危機の時代に、こんな政策が今もまかり通っているのである。

 

久しぶりに対面したしめ縄は、まだその力を失っていなかった。

正月に、いい加減に飾り付けてしまったしめ縄を眺め、

僕は 、「たたかいは終わってないぞ」 と叱られるのだ。 きっと。

 

これは罠だ、今日の出来事は・・・・・とか思いながら、

自分の作品を抱えて古民家をあとにしたのだった。

 



2008年11月19日

トキの舞う田んぼ

 

佐渡から柿 (平核無柿) を頂いている生産者会員、井川浩一さんは米も作っている。

不耕起栽培に挑戦するなど、生き物の豊かな田んぼづくりを目指してきた。

仲間と一緒につくったグループの名は 「佐渡トキの田んぼを守る会」 という。

 

今年の9月25日、トキの野生復帰を願って10羽のトキが放鳥されたことは、

多くの新聞報道などでご存知の方も多いかと思う。

遡れば2003年10月10日、日本生まれの最後のトキ-「キン」が亡くなって、

国の特別天然記念物 「Nipponia nippon」 の日本トキは絶滅したのだったが、

その後は中国から贈られた同種のトキを人工繁殖させ、増やしてきた。

そしていよいよ自然に放す段階へと至ったのだけれど、

それはトキをトレーニングすればすむことではなく、とても厄介な問題があった。

トキの生活を支えるだけの餌 (場) 、フィールドと生態系の再生が必要だったのだ。

トキと一緒に暮らしていた世界を取り戻す作業が-

 

井川さんたちは、それに挑んだのだ。

耕作が放棄されて荒れた棚田を復元し、平場では冬季湛水 (冬にも水を張る)

によって生物相を豊かにさせる。 そして何よりも、農薬を減らす。

「佐渡トキの田んぼを守る会」 の結成は2001年。

新穂村 (現・佐渡市) の呼びかけに応えた7名の農民によって始まった。

村が呼びかけるまでには、環境保護団体やNPO、そして環境省の

地道な活動と働きかけがあったことを、僕も多少は知っている。

 

守る会会長の斉藤真一郎さんからお借りした写真をいくつか掲載したい。

まずは会のメンバーの笑顔から。

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真ん中が井川浩一さん。 その右隣、爽やか系の方が斉藤真一郎さん。

佐渡の産地担当・小島潤子の報告書には、

会長曰く-「8000人の中から7人の侍が手を上げた」 とある。

 


9月25日のトキ放鳥記念式典の、記念すべき一瞬の様子もお借りした。

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秋篠宮殿下ですね。

 

田んぼの畦塗り作業。

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- というより、江をつくっている作業か。 今ふうに言うと 「ビオトープ」?

 

米ヌカを撒いている。 代かき後、田植え前に撒くのか・・・今度教えてもらおう。 

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そして田植え。

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大勢でやってますね。

支援団体は、NPO法人 「メダカの学校」 だと聞いている。

 

「田んぼの生き物調査」 風景もある。

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無農薬の田んぼの力を実感できる、これは 「科学的手法」 なのだ。

虫がいない田んぼは、害虫が増えやすい田んぼであることを知ることにもなる。

 

そして、ここでこんな報告をしているのもワケがあって、

実は今年産から、彼らのつくった米を販売する形で応援できる運びになったのである。

この話は僕自身にとっても、けっこう感慨深いものがあって、

僕は6年前 (2002年)、佐渡での生産者の集まりに呼ばれたことがあったんだよね。

 

場所は長安寺というお寺。 車座の座談会だった。

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これから本格的にトキの棲める田んぼを広げていこうかという状況の中で、

「そんな (無農薬とか) 危険なことして、それで米は売れるんかい?」

 という村人たちの疑問が噴出していたようで、

仕掛け人の一人でもある 「里地ネットワーク」 という団体から呼ばれて

呑気に出向いたのだった。

 

島の中で不耕起栽培とか合鴨農法とか減農薬とかに取り組んでいる生産者を集めて、

それは可能であること、そして売れるんだということを伝えたかったんだろう。

僕はその 「売れる」 というメッセージの発信を託されたわけだ。

しかし何故か、どうも腑に落ちない感じがしていて、つい生意気なことを喋ったのだった。

あの当時、葛飾柴又にフーテンの寅さんの銅像が建つという話題があって、

それがシャクに障っていたこともあって、こんな話をしてしまったのだ。

 東京では、柴又駅に寅さんの銅像が建つと騒いでいます。

 しかし、俳優の渥美清さんは亡くなったけど、寅さんはいつ死んだんでしょう。

 柴又の人たちが寅さんを愛しているのなら、寅さんを死なせてはいけない。

 寅さんをいつでも迎えられるよう、街並みや人情を残すことではないでしょうか。

 墓標なんかつくらないで、帰りを待つことが寅さんと一緒に生きることだと思う。

 皆さんが、トキを観光や商売の道具に使いたいのなら、私は関心ありません。

 皆さんは、かつて害鳥とも言われたトキと、本当に共存したいんですか?

 

あの時、

「俺は本当にトキが飛んでいた佐渡を取り戻したいと思っている」 と語った一人が

斉藤真一郎さんだったように記憶している。

 

里地ネットワークの事務局長、竹田純一さんに案内されて回った棚田。

こんな感じだった。

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棚田を復元するのは手間のかかる仕事だ。

これでいくらになるのか、と誰だって思うことだろう。 本気でないとできないよ。

 

放鳥を待つトキたちがいた。

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あの当時は、なんでこうまでして.........と感じたものだが、

トキという存在が島を動かしたのなら、この鳥は現代の 「青い鳥」 かも知れない。

 

美しい棚田、そこで人の脇に佇む、あるいは里山の空を舞うトキの姿が、

彼らの心からの誇りになれば、嬉しい。

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そういえば、渥美清さんは俳人でもあった。

俳号は 「風天」(フーテン) である。

 

  案山子(かかし) ふるえて風吹きぬける

  赤とんぼじっとしたまま明日どうする

 

風天の句では、こんなのも残されている。

 

  夢で会うふるさとの人みな若く

  蛍消え髪の匂いのなかに居る

  切干とあぶらげ煮て母じょうぶ

 

  名月に雨戸とざして凶作の村

  ポトリと言ったような気する毛虫かな

 

  お遍路が一列に行く虹の中

 

                    ( 『風天 -渥美清のうた』/森英介著・大空出版刊  より )

 



2008年11月16日

全国 「たんぼの学校」フォーラム in ちば

千葉県は南房総の内房側の下の方、

館山の北に位置する富浦という町 (現・南房総市) に行ってきた。

そこに館山湾と富浦湾を分ける岬 -大房 (たいぶさ) 岬がある。

 

江戸時代末期、黒船の来航に備えて要塞が築かれ、

その後は陸軍が首都・東京を防御するための基地として占拠した。

終戦まで一般人は立ち入り禁止とされ、それがかえって自然を残す結果ともなったようで、

現在は自然公園になっている。

軍事施設の跡地もいろいろと残っていて、貴重な歴史遺産の地でもある。

 

その一角にある 「大房岬少年自然の家」 。

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ここで15日から一泊二日で

『全国 「たんぼの学校」 フォーラム in ちば』 なる催しが開かれた。 

 


主催は、社団法人 農村環境整備センター。

10年前に 「田んぼの学校」支援センターというのを設置して、

各地で実践される稲作体験や関連しての環境教育活動を支援している。

現在センターには100を超えるグループが登録されている。

そこで7年前より、グループ同士で交流し情報交換を行なうフォーラムが

開催されるようになった。

発案者の山口県からスタートして、茨城、宮城、広島、栃木、福岡と続いて、

今年は千葉県での開催となったものだ。

ついては、県内で活動しているグループのひとつとして、

大地を守る会の稲作体験の活動報告をしろ、とのお声が掛かったのである。

 

実は我が「稲作体験」を実施してきた母体である専門委員会 「米プロジェクト21」 も、

支援センター開設当初から登録はしてあったのだけれど、

地域をベースに学校や自治体と組んで活動するグループが主体という印象があって、

フォーラム等のイベントにはあまり積極的には参加していなかった。

どちらかというと有益な情報収集を期待しての登録だった。

 

俺たちが呼ばれていいのかな、という戸惑いも正直あったのだが、

こちらの活動も、田んぼの生き物調査や夜の自然観察会(蛍見会) など

年々深まってきてはいるし、今年は特に 「有機農業推進法」 のモデル地区となって、

体験田も生産者と消費者の交流モデル事業として、また有機稲作の実証ほ場として

指定を受けたりもしてきているので、少しは報告させてもらってもいいかな、

という気分で参加させていただいた次第である。

 

参加者は全国各地から40名ほど。

発表者は、千葉県内から4グループ。

そして青森から山口まで、10年以上の歴史を重ねてきた団体が8グループ。

地元で様々な環境活動を展開するNPOあり、あるいは大学や小学校あり、

山村の集落全体で取り組んでいる活動あり、なかなか多彩な顔ぶれだった。

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県の機関と学校・NPOが連携して農業体験学習やホタル保全活動に取り組む事例、

地域の自然と文化を守る活動から都市住民に体験学習をプログラムしている事例、

元小学校の校長先生が始めた「農業小学校」、

大学の先生と学生が中心になって地域の学校や住民と交流を深めている事例、などなど。

県全域を対象にメダカ保全活動に取り組んでいたら、今ではドジョウがメインになってきた、

なんて楽しい報告もあった。

子供たちがたくさんの 「いのち」 に触れ、何かを学びとる。

そんな貴重なフィールドとして田んぼを愛し、活かそうとする人たちのネットワークが、

こんなふうに広がり、つくられてきている。

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「地域の人や子供らが楽しんだり喜んでくれるのが嬉しい」 と語る人たち。

みんなボランティアである。 

初めての参加で、「メジャーな団体」 なんて紹介されて、とても恥ずかしかった。

 

朝、公園内を散歩する。

展望台から浦賀水道を眺望。

霞んで水平線に見えるあたりに三浦半島がある。

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首都防衛という重大な任務を背負わされた歴史の残影を静かに残す岬。

この展望台に、その昔、でっかい大砲が鎮座していたのだ。

 

こんな地下壕も残っている。

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奥に進むと、天井がなく、ぽっかりと空が見える空間にぶつかる。

エレベーターまで装備された地下要塞だったことが窺える。

コンクリも当時の最高品質のものだと解説があった。

岬内には発電所まであったそうで、海岸には魚雷艇の発射場も残っている。

一見自然のままに見える岬が、

ひと皮剥けば国家の最高機密に属する砦だったわけだ。

想像力が刺激される。

 

今は健全な青少年が利用する自然公園。 バナナ発見。

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全国の 「田んぼの学校」 指導者たちと、互いの経験を語り合い、情報交換し、

刺激を与え合った二日間。。。

「大地を守る会の稲作体験」 は来年、20周年を迎える。

最近 「しんどい」 をキャッチフレーズとする誰かさんは、

今回同行してイメージをさらに膨らませてしまった若いスタッフから、

だいぶ煽られることになるような、そんな予感に早くも震えたのだった。 

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2008年9月24日

汚染米緊急集会

 

久しぶりに爽やかな秋晴れの朝を迎えたのに、

気分はブルーグレーのような雲のなかにあって、

午後、永田町の衆議院議員会館に向かう。

 

『汚染米 農水省追及緊急集会』 というのが開かれたのだ。

全国43の団体が呼びかけ人になって、100人近い人が集まっている。

議員会館の会議室もいっぱいで、座ったが最後、席を立つのも息苦しいような雰囲気で、

この事件に関する農水省とのやり取りが始まる。

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現場では気づかなかったけど、追及の及の字が違ってるね。

ま、そんなことは許容範囲として、

許し難い事態となってしまった責任を農林水産省がどのように受け止めておられるのか、

確かめたくて参加したのだが、

結果はさらに虚しく、喩えようのない複雑な怒りを抑えながらの帰途となってしまった。

 


農水省へのこちらからの質問は事前に提出してあって、

回答は文書で出して欲しい旨伝えてあったのだが、紙は一枚も用意されず、

すべて口頭での回答となった。

 

質問は多岐にわたった。

以下、いくつかピックアップしてご紹介する。 ( )内は私の解説。

ちなみに、会場の人たちは 「汚染米」 と言い、農水省は 「事故米」 と言う。 

前提から、認識というか視点の違いが存在する。

 

★汚染米の転用や処理については、どのような法律に基づいて、どのような基準で、

 どのような用途・方法がとられるのか?

  -物品管理法に基づき国が管理。 事故米は食用不適と判断し、用途を決定して

   指名競争入札にかける (少量の場合は相対で売買契約もある)。

   用途を決めるのは農政事務所の判断 (要するに人による現場判断か)。

   「事故米」とは、水に濡れたり、カビたり、袋が破けたり、基準値以上の残留農薬が

   あったもの、など (数字から見ても、とても杜撰な管理体制のように思える。

   政府米倉庫ってちゃんとしたものだったと記憶しているのだが・・・)。

★ミニマムアクセス米 (MA米:最低限の輸入義務量-正確には「輸入機会を与える」量-)

 の輸入開始以来の年ごとに、輸入量、購入総額、事故米発生数量、事故の内訳、

 処分方法、処分先の業者名を明らかにされたい。

  - (ばあ~っと直近5年間の数字が報告される。

    処分先の業者については、この間公表された企業名が列挙されたのみ。

    「事故米」の数量と残留基準を超えた米の数量の計算が合わず、質問したところ

    「2年後、3年後に再検査して発見されたものが追加されているので、

    年度ごとでの数字は合わない部分もある」 との事。 これまた釈然としない。) 

★汚染米の輸出国への積み戻しはどうしてできなかったのか?

  -相手国の港を出た時点で契約は成立するため、返却は困難。

★こちらの検疫検査で引っかかって積み戻す事例はたくさんあるはずだが?

  -MA米については現地で (委託された商社による) 検査・確認がされ、

   現地で契約となっている。

★アフラトキシン汚染米の動物飼料への転用はあったか?

  -それはない。 焼酎に使われた2.8トン以外はすべて在庫を確認している。

    (検査で発見された数量に関しては、ということで、見つけられなかった汚染米

     も相当あるのではないか、との疑問も出されたが、

     さすがに、見つかってないものを 「ある」 とは言えず、ここまで。)

★汚染米を海外援助にまわしたことはないか?

  -ない。

★(MA米でない) 国内産の事故米の実績と処分方法を明らかにされたい。

  -(年度ごとの数字が読み上げられ、処分方法についてはMA米での回答と同様。

    ということは、国内産の事故米についても疑惑が残る。)

★カドミウム検査で基準を超えたものはどのように処理されているか?

  -ゴミ処分場で出た焼却灰といっしょに固めて人工骨材になるものと、

   合板用の糊の増量剤として使われている。

   米は粉砕し、(転用されないよう) 着色した上で、

       国が直接、合板用糊の加工業者に販売するので、トレースもできている。

   (カドミウム米と事故米を処理する部署は同じ 「総合食料局」 内にあるのだが、

    連携はもちろん、情報交換もまったくされていない。 我々には理解不能。)

★非食用とした米の入札に、なぜその用途先の専門業者に限定せず、

 穀物業者を参加させていたのか?

  -そういった加工用の販売先を持っている業者なので・・・・・

★そもそも業者に対してどんな検査をしていたのか? 96回も行って、なぜ見抜けなかったのか?

  -検査はしていた。 していたが見抜けなかったということ。

   (具体的にどんな検査方法をとっていたのかは結局不明のまま。

    これでは 「ただお茶飲んで出された饅頭でも食ってたのか」 と罵られても仕方ない。)

★汚染米を工業用糊に回したというが、具体的に何に使われたか?

 使ったメーカーまで確認しているか?

  -糊といっても普通の一般的に使われている糊ではなく、合板用の接着剤である。

   販売先については、現在調査中である。

     (絶句! 調査中なのに何故用途先が明言できるのか。

     そもそも最初の発表からもう20日も経ってしまっている・・・イライラが募る。)

   調査の結果はお渡しする (ことをしぶしぶ約束)。

 ★汚染米はトレース可能な処理方法が必要だ。農水省の対応策を明らかにされたい。

   -これまではちゃんとした検査のマニュアルがなかったので、早急にマニュアルを

    作成するとともに、検査にも専門知識を持った者をあてるなどの対策をとりたい。

 

!!! ついに怒り爆発。 ぶち切れ状態で質問する。

それはいったいどんな専門知識のことを言っているのか?

では過去96回も出向いた職員は、なんの知識を持って出かけていたのか?

そもそもこの問題は、特別な専門知識やマニュアルを必要とするレベルではない。

売った先を確かめ、そこでの処理と内容を作業記録等で確認しながら

末端まで辿ってゆく、という真面目な人なら誰でもできる作業である。

それをしていたのではなかったのか。

私の団体は、農水省から監査を受ける立場にある有機農産物の認定事業者であるが、

もうやってられない!

 

ここでようやく 「申し訳なく思っています」 の発言を引き出す。

 

目の前の個人を責めているのではないのだが、あまりにも情けない公僕の姿ではないか。

トレサビリティの問題ではなく、国民に対する責任感の問題である。

リスク・コミュニケーションの問題ではなく、正直であろうとする姿勢の問題である。

 

誇り高き和菓子職人が頭を抱え、

事故米の食品転用に手を染めてしまった仲介業者の経営者が自殺し、

数多くの食品会社が経営の危機に瀕するような事態を、誰がつくってしまったのか。

そこで働く従業員やその家族らがどんな思いで日々を過ごしているのか、

思うことはないのだろうか。

これは 「事業者か、消費者か」 というような二者択一の問題では決してない。

食のサプライチェーンをしっかり見ることで、

事業者と食べる人の間に信頼を確保し、ともに守ること、それが国の責任だろう。

 

出口が見えない。

 



2008年7月 5日

減反への怒り収まらず...

 

7月4日 (金) 。

米の生産者会議を終えて、残ってくれた生産者ら20数名と一緒に

佐原から高速バスに乗り込み、我々一行は霞ヶ関・参議院議員会館へと向かった。

用意されていたのは、減反政策についての意見交換会。

 

世界的に食糧が高騰し、米の国際需給も逼迫する中で、

日本では減反政策がさらに強化されている。

地域も、農民も、田んぼの生き物たちも、息苦しい圧力に押さえつけられている。

みんなの本音を国会議員にぶつけてみようじゃないか、という集まりだ。

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議員会館を用意してくれたのは、民主党のツルネン・マルティさん。

有機農業推進法の成立に尽力された超党派の議員連盟の事務局長でもある。


冒頭で挨拶するツルネン議員。

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「民主党も減反政策には反対しています。 しかし米の政策をどう進めるかは、

 まだまだ意見の分かれるところもあり、皆さんの意見も充分にうかがって、

 今後の政策づくりに活かしていきたいです」

ツルネンさんは最後まで残って、みんなの声を聞いてくれた。

 

まずは、秋田県大潟村 「ライスロッヂ大潟」 代表の黒瀬正さんが、

減反政策 (生産調整) の歴史や問題点を整理して語る。

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1969年、当初は米余り対策のための緊急措置として始まった 「生産調整」 という名の

減反政策が、恒常化する中で農民団体の態度も変化し、

絶対反対!を唱えていた人々が、いつの間にか周囲を監視し、減反を守らない農民を

糾弾する組織へと変わっていった。 お前が作るから米価が下がるのだ、と。

その生産調整を達成するために、莫大な補助金 (税金) が投入された。

しかもそのお金は自治体や地域単位に落とされたために、

集落の中に反目が起こり、相互監視、相互不信の状況が生まれていった。

地域共同体を崩壊させ、米を作ることを誇りとして生きてきた農民の主体性が否定された。

これこそが減反政策の最大の罪である。

 

さらに今日、原油や国際穀物相場の高騰に加え、穀物在庫率が減少するなかで、

米の (価格維持のための) 「緊急対策」 と称して、

生産調整未達成農家へのペナルティが堂々と政策として打ち出されてきている。

 

黒瀬さんの口調は段々と熱を帯び、司会者に 「時間がきたら止めてくれ」 と頼みながら、

喋るほどに怒りが増してくるようであった。

 

続いて戎谷から、米緊急対策の問題点を、いわゆる 「ペナルティ条項」 を中心に

解説・補足するとともに、流通および消費の観点から問題提起させていただいた。

 

こんな時代になってもなお、地域の共同性を利用して、みんなで手を縛りあう制度が

まかり通っている。 しかも地域によっては4割減反とかいう数字である。

経営に対する主体性が発揮できない。

水田の持っていた多面的機能が減退する。

共同体機能を使っているようで、実は破壊している。 人心を貧しくさせている。

民主主義の政策とは到底言えない。 これは変異の恐怖政治 (ファシズム) ではないか。

私の怒りも収まらなくなってきた。

 

そもそも40年にならんとする減反政策で、米価が守れたのか?

-答えはノーである。

 

流通の立場から言えば、すでに国内の米の在庫も極めてタイトになってきているのを、

どうも国は正確に把握できてないフシがある。

 

今年も各地で気候変動の影響が垣間見える。

今この国は、93年の米パニック前夜の兆候すら見せている。

そんな中で、農民の手をさらにきつく縛っているのだ。 

 

思いっきり、言ってみる。

-減反政策には、マーケティングがない!

  にも拘らず莫大な税金が使われている。

  流通・消費の立場からみても、断固として許しがたい愚策である。

 

政府は米の消費拡大キャンペーンにも力を注いでいると言っている。

曰く- 「食育の一環として、朝食欠食の改善を目指した 『めざましごはんキャンペーン』 を

      はじめ、米の消費拡大のための国民運動を効果的に進める」

下の写真が、それである。

6月18日、仕事中の移動で乗ったJRの電車で、中吊り広告を発見した。

見渡せば、車両まるごと買い取っている。

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しかも幾種類ものバージョンで制作されている。

  朝食を抜くと集中力が低下!

  ニッポンの朝に元気をとりもどそう。

  お父さん、家族そろって夕ごはんを食べましょう。 ・・・・・

 

広告主は農林水産省。 これが国民運動の実態なのか... 

この制作費は税金である。

特に最後のコピー。

夕食時に帰れたことのないオイラとしては、喧嘩売られた! の心境となる。

 

そこでこの場を借りて、もうひとつ、言い放ってしまう。

油や食品がどんどん上がり、一方で格差社会が拡がっている。

消費拡大というなら、広告代理店やJRに税金を落とすのではなくて、

まさに 「消費 (者) 」 支援に回すべきなのだ。

「食べましょう」 ではなくて、「食べることを応援」 することではないか。

そこで、国民への食料供給の安定のために、また生産力の維持と環境を守るために、

私は、国産米には消費税をかけない! というのを提案したい。

政治の仕事は、金持ちであろうが貧しかろうが、国民に等しく食べものを供給することだ。

しかも食べれば食べるほど、農業と環境が守られるのだ。

お笑いの提案かもしれないが、根幹を突いているとは言えないだろうか。

少なくとも、それくらいの想像力をもって政策づくりを進めてもらいたいものだ。

私は笑われてもいい。 しばらくは言い続けてみたいと思っている。

 

参加した生産者も、めいめいに怒りを語る。 あるいは苦しみを。

-認定農家を取り消すと脅されている。 取り消されたら借りた資金は繰り上げ償還だと。

-減反に協力しなかったことで、自治体からの有機への補助金が打ち切られた。

 

これはもう、おいそれとは引き下がれない。

私の腹の中は、斉藤健ちゃんへの弔い合戦のような火がついている。

 

最後に、おまけの2枚を-

10日ほど前に、5月に水路の掃除を手伝った福島県喜多方市山都を訪ねた。

棚田も健在で、稲が気持ちよさそうに風にそよいでいた。  e08070505.JPG

 

汗まみれになって泥を浚った水路には、しっかりと水が流れてくれていた。

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減反政策は、この風景にも、これを支えてきた人々の歴史にも、価値を認めていない。

 



2008年7月 4日

第12回 全国米生産者会議

 

7月3日(木)、千葉県は佐原市に全国から米の生産者が集まってくる。

大地を守る会の 「第12回全国米生産者会議」 開催。 今年の参加者は73名。

 

全国に散らばる大地を守る会の米の生産者が年に一回集まって、

栽培技術やら各地の最新情報やら農政やらを語り合って、

普段見れない他地域の仲間のほ場から何かを学ぶ、という貴重な機会になっている。

「この会議だけは外せない。 オレにとって一年分の活力を貰う場だから」

なんて言ってくれる生産者もいる。

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今回のゲストは、日本不耕起栽培普及会会長・岩澤信夫さん。 76歳。

耕すことが当たり前の作業体系にある日本の水田稲作の世界にあって、

あえて 「耕さない」 栽培技術の普及に努めてきた。

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不耕起栽培の詳細を解説するのは、ちょっと私の手に余るので省きたい。

安易に説明すると、かえって疑問が湧いてきたりするんじゃないかとも思うし。

とか言いながら、簡単に言ってしまうと......

あえて田んぼを耕さないことによって、作業 (コスト) の省力化をはかる。

耕さないので土が固くなるが、前年の切り株なんかが残っている上に田植えをすると、

苗は根を張ろうとして、固い土を突き進み、強い根と茎をつくるようになる。

耕さないために、その根穴の構造が残り、酸素も残り、

保水性も排水性もよくなる。 干ばつにも長雨にも強くなる。

前作の稲ワラや残渣を残すことで、土壌表面を覆い、風雨による土壌流出を防ぐ。

また、そのまま水を張ることで、ワラや残渣は土中ではなく水中で分解が進み、

プランクトンが大発生して生物が豊富になる。

害虫と天敵 (益虫) のバランスがとれると、害虫も悪者ではなくなる。

耕さないことで、メタンガスの発生が抑えられる。

-などなどの効果が語られている。

 

10年ほど前に岩澤さんの著書を読んだ時は、除草剤の使用が前提になっていて、

しかも具体的な商品・ラウンドアップが推奨されていたりして、疑問を感じたものだが、

その後、岩澤さんは冬に水を張る 「冬期湛水」 を取り入れることによって

乗り越えたようである。

冬期湛水によって、イトミミズが増えて、土の表面がトロトロになって、

雑草の種は沈んで発芽できなくなる、という仕組み。

 

なかなかいいことづくめのような話であるが、

実際には、そう簡単にどこでも誰でもうまくいくとは限らないようだ。

冬期湛水だって、どこでも勝手に水を引けるわけではない。

それにどうも、他の有機栽培の技術を全否定するような語り口は、気になるところだ。

たとえば-「畜産由来の堆肥には動物薬が含まれているので危険である。

       そんな堆肥を使った有機栽培の米は食べられない」

十把ひとからげ、である。

有機栽培の技術のなかには、繁殖牛の厩肥を使うという考え方がある。

肉として仕上げる肥育牛と違って、子牛を育てる繁殖牛は、

粗飼料 (牧草やワラなど) 中心で育てられ、それを五つの胃袋で反芻して

乳酸菌を増やしている。 当然糞には乳酸菌が多く含まれている。

これに米ぬかを混ぜると乳酸菌はますます増える。

乳酸菌は雑草の繁殖を抑える効果があると言われている。

 

しかし耳学問でしかない私などは子供のようで、そこはプロの生産者たち。

「まあ参考になるところは取り入れさせていただく、ということかな」

冷静に読み取ろうとしている。

毎回こんなふうに、いろんな講師を招いては、各自各様に研鑽を深めてくれている。

 

今回の受け入れ産地となった佐原自然農法研究会の面々。

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代表の篠塚守さん (左端) も冬期湛水に取り組んだが、

野鳥が増えたと同時に猟師までも集まってきて、

危険だといわれて止めざるを得なかった、とのこと。

こういう生々しいゲンバ的な話題で盛り上がるのも、生産者会議ならではである。

 

米会議の夜は、「日本酒」 である。

しかし、良い酒は悪酔いはしない。

 

翌日は、ほ場視察。

不耕起・冬期湛水を実践する藤崎芳秀さんの田んぼを見学する。 

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アカガエルがたくさんいる。

イチョウウキゴケの姿もある (左上のV字型の浮き草) 。

ともに千葉県レッドリストでの最重要保護生物 (絶滅危惧種1類) に指定されている。

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びっしり繁茂しているのは、アゾラ (アカウキクサ) 。

窒素を供給してくれる 「水田の大豆」 とも言われている。 

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一般栽培の田のイネを抜いて、比較する岩澤さん。

たしかに力強い。

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みんなが何を持ち帰ったのかは、これから産地を回りながら確かめることになる。

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最後は、香取神宮を参拝。 豊作を祈願して、解散。

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来年は、福島での開催となる。

再会を約束して別れる。 「負けねぇぞ」 の競争心を秘めてね-

 

そして実は、今回は解散後にもうひとつの仕掛けがあって、

僕は20名くらいの生産者を連れて、今度は東京・霞ヶ関へと向かったのであった。

 



2008年6月27日

「雪の大地」 の遺言

 

メンテナンス中だった先週の話を続けて恐縮ですが、

報告しないわけにはいかないことが続いたので、お許し願いたい。

 

訃報はいつも突然やってきて......

また一人、農の美学を信じた男が逝ってしまったのです。

 

山形・庄内協同ファーム元代表理事、斉藤健一さん、58歳。

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  (遺伝子組み換え作物拒否のシンボルマークを持って、田んぼに立つ斉藤健一さん)

 

健一さんの葬儀が行なわれたのは、6月21日(土)。

港区芝公園で行なわれたキャンドルナイトのキャンペーン・イベント

 『東京八百夜灯』 の日。

警備担当の役割を人に頼んで、列車を乗り継いで鶴岡に向かうことになった。


新幹線で新潟まで行き、羽越本線で日本海を北上する。

本を読んだりする気にもならず、ただ海を眺める。

今年の 「大地を守る東京集会」 のリレートークで、

庄内での取り組みの歴史を語ってくれたのは、たった3ヵ月前のことだったのに、

とか思い返しながら。

 

健一さんとの付き合いは1987年、

「日本の水田を守ろう! 提携米アクションネットワーク」 の立ち上げからだった。

米の市場開放と国の減反政策に反対して、

生産者と消費者の提携の力でこの国の田んぼを守っていこう、という運動だ。

その頃、「無農薬を要求するのは消費者のエゴだ」 と突っぱねていた健一さんが、

この運動の中で、「自らの意思」 で有機栽培に挑み始めた。

消費者に言われたからじゃない。俺がやりたいからやってんだ、とか言いながら。

いつだったか、収穫期に訪れた僕をコンバインに乗せて、

子どもに教えるように操作の手ほどきをしてくれたのを覚えている。

 

93年の大冷害がもたらした米パニックと、それに端を発して進められた市場開放は、

この運動に新たな展開をもたらした。

一年の冷害でかくももろく自給が崩れ、市場と消費者を混乱に陥れた

この国の農業政策の愚かさに挑んでみたい。

国を相手取っての裁判に打って出たのである。 

僕らの主張をひと言でいえば、

減反政策は国民の生存権を脅かす憲法違反である、というものだった。

農民の  " つくる自由 " を奪い、農村を疲弊させ、

消費者には  " 米が手に入らない "  という混乱と精神的不安を招いた。

国民の税金を "米を作らせないため" に使い、

結果として主食の自給力を衰えさせた。

 

全国から集まった原告は、生産者・消費者合わせて1294名。

裁判は、1994年10月の訴状提出から始まり、2001年8月まで続いた。

その間、27回の口頭弁論があり、

我々はその度に様々な論点で意見陳述を行なった。

 

僕は第2回の口頭弁論で、

水田の貴重な環境保全機能や役割が衰えてきたことを訴えた。

健一さんは6回目に登場して、

生産調整という名の減反が、補助金が出ないなどの集団的制裁を伴って

進められたことを、切々と訴えた。

 

    減反政策が始まってからの日本の農業は、転落の一途を辿ってきた。

    青年を農業の外に追い出し、村に20代の農民はいなくなった。

    田んぼに人影がなくなった。

    上流部では耕作放棄の田が広がり、二度と水田に戻らない状態になった。

    減反政策は、日本の農村景観の破壊であり、

    日本の農民の歴史に対する冒とくである。

    自由と平等そして生存という基本的人権を保障した日本国憲法のもとで、

    国家の政策によって集団的制裁を手段とする減反政策が強行されていることに、

    強い怒りを抑えることができない。

 

彼自身、減反に応じなかったために、地域での役職をすべて奪われ、

村の仲間から 「国賊」 とまで罵られたという。

減反政策は、地域の共同体までもカネでズタズタにしたのだ。

農民は、その地を離れることはできない。 どんなに辛かったことだろうかと思う。

 

減反政策は一時緩んではきたが、ここにきて再度強化されている。

しかも補助金を絡めての締めつけは、以前よりさらに厳しくなってきている。

世界の食料が逼迫している時代に、今でも真綿で首を絞めながら、

「米を作るな」 の脅しが農村を跋扈 (ばっこ) しているのである。

健一さんは、どんな思いをもっていったんだろうか。

 

葬儀で、若い頃の健一さんの写真が写された。 

まるでグループ・サウンズのボーカルみたいにカッコいい姿があった。

 

葬儀後、付き合いのあった生産者に流通関係者などもたくさん残って、

健一さんを偲ぶ席が設けられた。

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それぞれに悔しい思いや、楽しかった思い出などを語り合う。

 

斉藤健一さんは、大地を守る会にとって、もうひとつの顔がある。

大地オリジナル純米酒 『雪の大地』 の原料米、美山錦の生産者である。

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今年の製造は、彼のこだわりでもって木桶での仕込みである。

カートンの中には、彼が魂こめたという詩が添えられている。

 

    朝靄 (もや) の中に 大地をうなうトラクターの響き

    芽吹いたばかりの若苗が柔らかに輝く

    やがて 水が張られ 代かきされた水鏡は

    かげろうの中に田植えの時を待つ ............

 

今年も健一さんは、しっかりと美山錦の苗を植えつけてくれている。

今年の田んぼは、協同ファームの仲間が手分けして支えてくれることになっている。

 

協同ファームの生産者たちと別れ、飛行機でとんぼ返りとなったが、

そのまま大人しく帰ることができず、仲間の顔を見たくなって、

浜松町で降りて、芝公園に向かう。 何人分もの香典返しを抱えたまま。 

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消灯された東京タワー。

『東京八百夜灯』 に参加した人たちが帰り道についている。

 

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美しく輝く田園風景と、たくましく誇りを持った農民たちの姿を思い描きながら、

魂の農民、斉藤健ちゃんが、逝っちゃった。

 

健ちゃんが握りしめて走った、そのタスキの一片。 もらったからね。

何としても、つないでみせるから。

 



2008年5月23日

生物多様性農業

 

夕べはちょっと過ぎた。

二日酔いの重たい頭を引きずって、朝から東京・大手町まで向かう。

JAビルで開かれた 『NPO法人 生物多様性農業支援センター設立総会』

なる集まりに出席する。

 

全国各地に広がってきた 「田んぼの生き物調査」 という活動を基盤にして、

より幅広く、生物多様性を支える農業を支援するための事業活動に発展させたい、

という呼びかけである。

「田んぼの生き物調査プロジェクト」 という名称で活動してきたJAや生協の方々、

このブログでも何度か紹介した福岡の宇根豊さん、

大地の米の生産者会議などでお招きした研究者ら、よく知ったお顔が集まってきている。


このテーマは、私にとっては昨日の社内勉強会のテーマとも、実は重なっている。

栽培上の条件として定められた規格・基準との整合性だけでなく、

その生産者の、その農業が、どれだけ環境に貢献しているのかを

可視化する (最近は 「見える化」 なんていう言い方もあるが)、その手法を自らの手にする。

「田んぼの生き物調査」 にはそういう意味がある。

 

この田んぼで毎年農薬を使わずにお米を育ててきた結果、

今ここに、どれだけの生きものが棲み、生態系のバランスがどうなっているかを、

実直に調べてみる。

そこから見えてくる世界は、実に奥の深い、底なしのような生命の系 (つながり) である。

「生きもの曼荼羅」 と呼んだ人もいる。

農民が、自らの手で編み出した、自らの生産活動の豊かさを示す、

たしかなひとつの指標として、育てられてきた。

 

農水省が昨年7月、『生物多様性戦略』 というのを策定したことは前に書いたが

その後11月には、『第3次生物多様性国家戦略』 なる政策が閣議決定されている。

今年10月に韓国で開かれるラムサール条約第10回締約国会議では、

" 水田は、米を生産する機能だけでなく、水鳥にとっても大切な場である " という

水田決議が採択される 「予定」 だと聞いている。

 

いよいよ僕らは、次に向かうときが来ている、と言えないか。

世界が食糧争奪戦に入っている中で、

ただ米が余っているからといって生産調整 (減反) を強化するなどという愚かな政策は

もうやめなければならない。

埼玉県の面積に匹敵する農地が耕作放棄地となって荒れている。

いったい誰のために行なっているのだろうか。

水田を活かした、豊かな未来が見えてくるような創造性ある政策をつくり出したいものだ。

 

「生物多様性」 という視点から農業の重要性を導き、

生産者と消費者の力で育てていく。

そんな活動を支援しようと、今日のNPO設立の運びとなったわけだが、

実際に提示された事業計画は、正直言って心許ない、というか、苦しい。

いくつかの生協さんとも一緒に、これから育てていくことになる。

会長の藤田も理事就任を受ける。 使われるのはオイラなんだけど。

 

生命の誕生から40億年。

この地球 (ほし) に存在する生命は、約3000万種と推定される。

その生命が、どんどん消滅していっている。

新たな種が見つかっては、絶滅危惧種としてレッドデータに登録されていく。

人知れず消えた種もあるだろう。

私たちの生存条件が、細く、弱くなってゆく・・・・・そんな時代での、

田んぼからの挑戦である。

 

「生物多様性農業」

この言葉にはまだ定義がないが、この思想の対極にあるのが、

GMO -遺伝子組み換え種子ということになる。

これだけは早く整理しておきたいと思っている。

 



2008年4月26日

春の総人足

 

日本列島の彼方此方 (あちこち) で、今年も米づくりが始まっている。

世界的に穀物が高騰する中で国内の米価は下がっても、

地球の反対側の熱帯林が大豆畑に変わってるのに減反を強化する国で、

当たり前のように田の準備に入ってくれる農民たちがいる。

 

福島県喜多方 (旧山都町) の棚田で米を作っている浅見彰宏さんから、

例の案内が届いている。

前にも紹介した、堰 (水路) の清掃作業、「春の総人足」 のお誘いである。

 

まるごと書き写してみたい。

このところ話題にしてきた有機JASよりも大切なものがここにあると思うのだ。


 

  喜多方市山都町本木および早稲谷地区は、町の中心部から北に位置する

  併せて100軒足らずの小さな集落です。

  周囲は飯豊山前衛の山々に囲まれ、濃緑の森の中に民家や田畑が点在する静かなところです。

  そんな山村に広がる美しい田園風景には、ひとつの秘密があります。

  それは田んぼに水を供給する水路の存在です。

  水路があるからこそ、急峻な地形の中、川沿いだけでなく山の上部にまで

  田んぼが拓かれ、田園風景が形造られているのです。

  その水路は本木上堰と呼ばれています。

  早稲谷地区上流部から取水し、早稲谷川右岸をへつりながら下流の本木地区大谷地まで

  山中を延々6キロあまり続きます。

  水路の開設は江戸時代中期にまで遡り、そのほとんどは当時の形、

  すなわち素掘りのままの歴史ある水路です。

  深い森の中を澄んだ水がさらさらと流れる様を目の当たりにすると、

  先人の稲作への情熱が伝わってきます。

 

  しかし農業後継者不足や高齢化の波がここにも押し寄せ、

  人海戦術に頼らざるを得ないこの山間の水路の維持が困難な状況となっています。

  水路が放棄されたとき、両地区のほとんどの田んぼは耕作不能となり、

  美しい風景も失われてしまいます。

 

  もっとも重労働である春の総人足 (清掃作業) のお手伝いをしてくれる方を募集しております。

  皆さん、この風景を守りつづけるために、是非ご協力ください。

 

 

浅見君からはじめてこの作業の話を聞かされたのは、昨年2月の 「大和川交流会」 の席だった。

米と水と人の手の和でつくられる日本酒を愛する者として、

「行くしかないね」 が僕の答えだった。

 

昨年の様子は過去の日記を参照いただくとして、

 (12月8日:http://www.daichi-m.co.jp/blog/ebichan/2007/12/08/ 

  7月10日:http://www.daichi-m.co.jp/blog/ebichan/2007/07/10/ )

今年も作業日は 5月4日に行なわれる。

浅見君からのメールによれば、

昨年は降雪量が少なかったものの、水路には雪折れの木や崩落ヵ所が多く、

昨年よりも苦戦しそうだとのこと。 ......ヤな予感がするが、行くしかない。

 

山あいの小さな集落の人々の手で守られている水路。

その水路があることによって、麓の田園も恩恵を受けている。 我らが 『種蒔人』 も-。

これこそ農業の外部経済 (それがあることによって得られている経済効果) =力そのものであって、

この維持は、この国 (列島) の資産を守ることに他ならない。

もちろん地元のお年寄りたちは、お国のために骨を折っているのではない。

水路の補修を終えたあと、

「ああ、これで今年も田んぼに水がくる」 と素直に安堵していた

地元の老生産者の表情を覚えている。

当たり前の営みが育んだ自然観が、この国の豊かさの土台であったし、

私たちの精神世界の源でもあったことを、彼らから教えられたものだ。

 

この日記を読んでいただいた方で、参加してみようかという方がいらっしゃいましたら、

どうぞお問い合わせください (今からでも大丈夫だよね、浅見さん)。

コメントで投稿していただければ、個別に対応させていただきます。

GWに暇をもてあましている大学生とか、いませんか?

もちろん女性でもOKです。 

 



2008年3月12日

「合鴨水稲同時作」 -田んぼのもうひとつの生産物

 

これは、熊本は阿蘇のお米の生産者、大和秀輔さんが田んぼで育てたアイガモのお肉。

アイガモをヒナのうちから田んぼに放して、雑草や虫を食べてもらいながら、

米とアイガモを一緒に育てる。 当然、農薬は使わない。

これを 「合鴨水稲同時作 (あいがもすいとうどうじさく) 」 という。

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無農薬米も、アイガモも、最後には食べる。 これで完結する。

手を合わせ、「いただきます」 。 


肉の塊も、その背景や育った環境まで想像できてしまうと、

接する気持ちも多少違ってきたりする。

「食」 とは、いのちをいただくこと。 この当たり前のことが、しみじみと切なくなったりする。

でも 「食べることによって、いのちがつながる」 のだ。

大和さんが育てたお米とアイガモのいのちを、私の体で受け止めることとする。

 

まずは、焼き鳥。 ねぎまにして、焼いてみる。

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煙が部屋中に広がって、ヤバイ状態になるも、気分は盛り上がる。

しかもここまでくると、不思議なことに、もはやただの食いしん坊である。 

 

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連れは、庄内協同ファーム・斉藤健一さんの米で作った 「雪の大地」 とする。

スッキリ系のきれいな酒で いってみたい。

 

で、ねぎまにかぶりつく。

美味い! きっちりした歯ごたえ、適度の脂身、甘みもある。

何より、臭みがまったくない。

私の記憶がたしかならば・・・田んぼで育てたアイガモ肉は、野生の味が残ったりしたのだが・・・。

大和さん、上手に仕上げたねぇ。 感動もんだ。

 

1990年を思い出す。

前年から福島・稲田稲作研究会の生産者、岩崎隆さんが合鴨水稲同時作に挑んでいた。

これによって、これまで除草剤1回使用だったコシヒカリを無農薬にする。

そのチャレンジに応えたいと、僕は専門委員会 「大地のおコメ会議] (現在の「米プロジェクト21)」) で、

「合鴨オーナー制度」 というのを呼びかけた。

合鴨水稲同時作の一番困難な壁は、最後の合鴨の処理と販売だったのだ。

無農薬の米生産を支援するために、合鴨肉を引き受けるオーナーを事前に募集する。

一羽、なんと5千円。

最後の飼育手間と処理費、冷凍保管、発送費などを単純計算したら、こうなったのだ。

 

それでも集まった。 遊び心も心意気である。

生産者もやる気になってくれて、無農薬米の水田が広がった。

 

しかし、現実はそう甘くはなかった。

田んぼから上げた合鴨を処理して、肉にして、オーナーに送り届けたところ、

喜んでくれた人もいたが、苦情も多かった。

  「こんなに小さいのに5千円なのか!」

  「ケモノくさくて食べられない」 ・・・・・・・・・・

肉にムラがありすぎたのだ。

 

こんなやりとりもあった。

  「田んぼで働いてくれた合鴨を最後は食べるなんて、残酷だ!」

  「でも、あなただって、毎日いのちを食べてるんですよ。 牛なら許されるんですか 」

 

圧巻だったのは-

  「主旨には賛同する。 オーナーにはなるけど、肉は勘弁して」 という申し出である。

生産者に伝えたら、電話口から聞こえてきた言葉は-

  「エビちゃん、俺たちゃ乞食じゃないよ!」 

さすがにそのまま伝えることはできず、 " お気持ちだけで結構です。 どうぞご無理なさらないでください " 。

 

合鴨オーナー制度はその後も3年くらい続けたが、

事前予約でお金をもらうだけに、生産者も飼育に真剣になって、

 

ハウスの中でカモを飼っている米農家と、まるで畜産農家だね、と笑いあったことがあった。

結局、続かなかった。

 

その後、合鴨水稲同時作の生産技術は年々進化していって、

肉もかなり上質に仕上げられるようになってきた。

今になって、僕らの取り組みは早すぎたようにも言われるが、そんなことはない。

あの草創期にやったからこそ楽しく、意義もあったのだ。

当時、熊本で開催された 「合鴨サミット」 で、

大地は、生産者と消費者と事務局が一緒に壇上に上がって報告した唯一の団体だった。

あれから、似たような取り組みがあちこちに増えていったことを、僕は知っている。

それこそ喜びである。

 

最初にアイガモ肉を食べてから18年。

僕は、今でもこの栽培方法が気になっている。

いくつかのマイナス点もあり、安易に絶賛はできない。 しかし思想と技術は深まっている。

 

何といっても、THAT'S国産の畜産物が、田んぼで育つのである。

 

次は、玉ねぎと煮る。

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しっかりした肉だ。 問題ないどころか、充分使える。

お米の値段が下がるなかで、再度、何とかできないか・・・・・

と思案するうちに、「雪の大地」 が空いてしまった。

 



2008年2月15日

夜の自主講座-お米の勉強会

 

今夜はとてもいい気分である (日が変わって15日になってしまったが)。

若手職員たちが自主的に 「お米の勉強会を開きたい」 と言い出して、

勤務時間後に自主講座を開催したのだ。

 

開催は6時半からの予定だったが、定時(6時) に仕事を終えられる人は少ない。

それでも途中で切り上げたりしてパラパラと参集してきて、20人以上の参加者となった。

始められたのは6時45分くらいだったか。

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講師を引き受けてくれたのは、米の仕入担当・朝倉裕職員。

僕は、合い間にちょっと口を挟んだりする賑やかし係。

 

参加したのは、入社して2~3年未満の職員がほとんど。

日ごろ会員さんからの質問やクレームに対応したり、入会希望者のフォローをしてくれている人たち。

それだけに商品知識に対する渇望が強い。

会社としての正規の教育やトレーニングが足りないと言われればその通りだが、

勤務時間内にじっくり勉強会を開催できるほどの余裕はない、のが 「現実」 である。

そんな余裕(=お金です) をつくったら、かえって消費者に何言われるか・・・ と古株は本能的に思う。

 

ともかく、会社の懐具合に不満も言わず、貴重な夜の時間を使って勉強会を開く気概には、

大地の伝統は廃れていない! と胸を張りたいところだ。

お米からつくられたヒト向けバイオ燃料(お酒) なども、先輩面して差し入れたりして、

気持ちを表す。

 

朝倉職員の講義は、米の流通から始まって、大地でお付き合いのある産地の特徴、

お米そのモノの基礎知識などなど、広く浅く、進められる。

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職員から出される質問も、なかなか初心者的、あるいは極めて消費者的で面白い。

 

<Q> 「大地で一番おいしい米はどれですか」

 -消費者会員8万世帯強で、全国35の米生産者組織と取引しているというのは、

  ある種、異常なほどに米を大事にする団体である。

  おそらく、会員さんからよく聞かれる質問なのだ。

 

<A> 「おいしい」 という感覚は個人差のあるものです。

     大地では、北から南まで、個性派の生産者がそろっています。

     色々食べ比べながら、ご家族の好みに合う産地・品種をお探しください。

 

いや実際、何年か前に、新米の食べ比べというのを企画したことがあったけど、

目隠しテストの結果では、参加者の評価は見事に分かれたのだ。

けっして新潟のコシヒカリをみんなが推したわけではない。

やってよかったと思ったのは、

小学生の男の子が 「これがゼッタイ一番」 と推したのが秋田のアキタコマチで、

お母さんに聞くと、「いつも秋田の実家からアキタコマチが送られてきてる」 とのこと。

子どもの味覚はスゴイ!

あの子は今もきっとすくすくと育っているに違いない。 秋田のDNAを受け継いで-。

 

他にも、有機と非有機の違いについて、 大地でなぜササニシキが売れているか?

無洗米の仕組みについて、 なぜ米だけ除草剤1回の使用を認めているか?

七分とか五分米というのは? 無農薬と一般との収穫量の違いは?

価格の違いはどこから? 何で魚沼産の米は高いのか?

米の味の決め手は? 大地の米産地は後継者が増えているか?

今の世間の米の相場で生産者はやってゆけるのか? -などなど、

おそらく会員さんにとっても興味津々だろうと思われるような質問が続いたのであった。

朝倉君も僕も、答えが正しかったか、改めて検証しておいた方がいいかもしれない。

 

たとえばこんな話題もあった。

<Q> 玄米に青い米が混ざっているが、なんでそんな米が入るのか。

<A> それは未熟米だけど、お米の実は同時に成熟するわけではない。

     イネの花は、同じ穂でも順番に咲くのだ (おそらくどんな植物もそのはずだ)。

     収穫適期とは、全体の熟し加減によって判断されるが、

     その最適な時にも、青い実は残る。 少し残るのが、実は一番美味しい米とも言える。

 

考えてみれば、米づくりは知らなくても、植物の生理というか、ある意味で当たり前のことを

思い返せば、腑に落ちることもある。

 

先輩にとっても、こういう機会は新鮮な驚きや反省が生まれるものだ。

 

実はこの勉強会。 仕掛けたのは、毎年職員のボランティアで運営されている

「稲作体験」 の実行委員である。

「この勉強会は継続させたいと思います。 今度はイネの一生とかどうでしょう」

・・・嬉しいねぇ。 先輩冥利に尽きるってやつだ。

 

午後9時。

勉強会終了後、仕事に戻る職員もいたりする中で、

何人かが残って、今年の稲作体験をどう運営するか、話し合いを始めてくれた。

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もう一度、言いたい。

大地魂の伝統は、受け継がれています。

(注-もちろん居残りすることを推奨しているものではありません。 気持ちです、気持ち...)

 



2008年2月11日

"この世の天国~" 大和川酒造交流会

 

2月9日(土)。

僕にとって一年で最もシアワセな一日、のひとつ。

会津・喜多方での 「大和川酒造交流会」 。

毎年2月第2土曜日に設定して、大地オリジナル純米酒 「種蒔人」 の

上槽(じょうそう:お酒を絞る) が行なわれる。

その完成の日にみんなで集まって、今年の新酒の出来を確かめ、祝うのだ。

 

種蒔人のファンが集まる。

原料米の生産者、「稲田稲作研究会」(福島県須賀川市) のメンバーも駆けつけてくれる。

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今年も、例年のリピーター含め36名が 「飯豊(いいで)蔵」 と名づけられた醸造蔵に集合。


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佐藤和典工場長の解説もそこそこに、

はやる気持ちで醸造室に。

  

今回もピッタリ、上槽の日に合わせることが出来た。

今しがた絞られて、タンクに入ったばかりの「種蒔人」、いわゆる「あらばしり」の試飲。

炭酸ガスのフレッシュなシュワシュワ感も、今日ここでしか味わえない。

 

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ウ~ン!今年もイイね! 例年より微妙にまろやか?な感じがする...

交流会常連のO氏の嬉しそうな顔。

 

大地のお酒ウンチク男・F氏の評を聞いてみましょう。

「ウン。辛さの中にも、米の味が残っていて、去年よりさらにバランスがよくなっている」

 

これで一週間ほど寝かせれば(「滓(おり)びき」という) 、炭酸ガスも抜け、味がなれてくる。

会員へのお披露目は、2週間後の 「大地を守る東京集会」 の懇親会である。

今年も間違いなく、樽の周りに集まった呑ん兵衛たちのニコニコ顔が見られる。

想像しただけで、嬉しくなる。

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醗酵中の大吟醸酒。 吟醸の華麗なまでの香ばしさ...

プクプクと泡が立って、こちらはあと数日か。

 

江戸時代から残る旧蔵に移動。

こちらは 「北方風土館」 の名称で、見学蔵に改造されている。

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昔の酒造りの道具などが陳列されている。

自社田で栽培された酒造好適米 「山田錦」 の稲穂も飾られている。

本来は西日本の米だが、他地方から買ってきて酒にすることは、

'会津の大和川'  の名折れとばかりに、自社の田んぼで育てている。

おそらくは 「山田錦」 栽培の北限ではないだろうか。

 

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大和川酒蔵店自慢のラインナップが並ぶ。

 

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こちらは貯蔵倉を改造した 「昭和蔵」。

温度管理に配慮した倉だけあって音響効果もよく、コンサートなどに利用されている。

 

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去年新しく、蔵の奥と二階を改造してつくられた 「天空回廊」 というスペース。

展示会やパーティなどに使われる瀟洒なつくり。

ここで吟醸酒を味わいながら、ゆったりと佇んでみたくなる。

 

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見学のあとは、風土館内に設えられたそば処 「良志久(らしく)庵」 で懇親会。

「種蒔人」 はじめ、新酒を何種類かいただきながら、会津料理に舌鼓を打つ。

料理人は、会津の食文化にこだわり続けてきた、クマさんこと熊久保孝治。

 (写真はいま修行中の方です。)

 

挨拶する九代目の当主、佐藤弥右衛門さん。

2年前に伝統の弥右衛門を襲名した。戸籍も変えたのだ。

先代の遺志を継いで、喜多方の文化保存や街づくりに尽力している。

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「身土不二、四方四里」 (体と土は一体のもの、周囲4里の地元のものを食する) を説く。

いよいよもって頑固な会津人になってきた。

 

初参加の方も、常連さんも、話はどんどん弾む。

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最後は、クマさんの打った蕎麦で締める。

 

これがまた美味い! 

酒といい、蕎麦といい、何ぼでもいけてしまう。

 

いつだったか、交流会に参加した会員さんのひと言。

「大和川交流会は、この世の天国みたい!」

以来、僕はこのセリフをずっと頂戴している。

 

いつのまにか生産者、消費者、誰彼となく話に夢中になってしまって、

あっという間にお開きの時間。

写真も最初のうちだけで......イイ顔がたくさんあったのに、スミマセン。

 

最後は、雪深い熱塩加納村の温泉宿で一献。

ここでも  'この世の天国'  を満喫して、ついに沈没。

 

翌日は、ふたたび飯豊蔵に戻って、

今度は、種蒔人を絞り終えたあとの、板粕をはがす作業。

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これも 「種蒔人の酒粕」 として販売される。

稲田稲作研究会が育てた、貴重な無農薬(栽培期間中農薬不使用) の 「美山錦」 の酒粕だ。

でも、こればっかりは酒の量に応じて残るものだけに、数量限定品である。

一週間で売り切れてしまう。

お酒も酒粕に応じて飲んでくれないと困るんだけど......

 

そんなこんなで、楽しい天国ツアーのシアワセな余韻に浸りつつ、酒蔵とお別れ。

  '帰ってゆくヨッパライ'  ってか。

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最後になったけど、

「種蒔人」 1本につき100円、また100円と、地道に積み立てられてきた 「種蒔人基金」

の額が、1月末現在で 1,015,186円となり、

ついに100万円を突破した。

 

『種蒔人が飲まれるたびに、田が守られ、水が守られ、人が育つ。』

このお酒の実力が発揮されるのは、これからである。

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 後ろ髪を引かれつつ、あとにする。

 



2008年1月26日

「提携米ネットワーク」 解散総会

 

昨日(1/25)、六本木でひとつの会議が開かれた。

提携米ネットワーク」総会。

 

そこで組織の発展的解消が提起され、承認された。

 

80年代末から90年代の10年くらい事務局を担当した私にとっては、かなり思い入れ深い組織である。

私はここで鍛えられたと言っても過言ではない。

敗北しつつも歴史はついてくる、ということがある。

これは新しいたたかいを引き受けた当事者でしか感受できない、

孤独な幸福感のようなものだ。

 

その最後の解散総会となった。


昨日(1/25)、六本木でひとつの会議が開かれた。

 

「提携米ネットワーク」総会

 

そこで組織の発展的解消が提起され、承認された。

 

80年代末から90年代の10年くらい事務局を担当した私にとっては、

かなり思い入れ深い組織である。

 

私はここで鍛えられたと言っても過言ではない。

敗北しつつも歴史はついてくる、ということがある。

これは新しいたたかいを引き受けた当事者でしか感受できない、孤独な幸福感のようなものだ。

 

その最後の解散総会となった。

 

思い起こせば1986年、米の輸入自由化の圧力が高まる中、

米を通じての生産者と消費者の提携によって日本の水田を守ろう、

という趣旨でスタートしたのが

「日本の水田を守ろう! 提携米アクションネットワーク」だった。

 

米を通じての提携?

 

-要するに、生産者と消費者を直接結びつけることで、

具体的に田んぼを守る。

ありていに言えば'お米の産直運動'である。

(あえて'提携'という言葉を使うのは、

'同じ思いで手をつなぐ仲間' のような意味をこめている。)

 

今では何てことないように思われるかもしれないが、

当時はまだ食糧管理(食管)制度というのがあって、

米は野菜のようにおおっぴらに直接取引することは困難な時代だった。

 

実際には、すでに制度外の流通(いわゆる自由米)は

当たり前のように存在していたのだが、

一方で法律もまだ残っていて、

国は自由米の存在など「承知していない」世界であり、

米は法的には統制された枠組みの中にあった。

 

生産量の調整も強権的に発動され、減反政策は常態化し、

田園は静かに荒れつつあった。

このままではダメなんじゃないか、

という不安は多くの人の心に淀んでいたはずだ。

そこに自由化の圧力である。

 

米が重大な局面にきている。

その共通認識が「提携米」運動を生んだ。

日本の米と田んぼを、生産者と消費者の力で守ろう!

 

-この呼びかけに応えてくれた生産者(団体)と消費者(団体)を

具体的につないでいく作業が始まったのだが、

この運動に対する圧力や締め付けもかなり強烈なものだった。

 

呼びかけ人に名を連ねたばかりに、地域の役職を剥奪された生産者が出た。

'ヤミ米産直'などと時代がかった報道で指弾された消費者団体もあった。

 

しかし生産や流通を統制するだけの食管制度と減反政策の継続からは、

日本の水田が守れる展望は、とても見出せなかった。

農協などには「食管があるから自給が維持できる」

という強固な主張があったが、

僕には'裸の王様'にしか見えなかった。

実際に国は食管制度の有無にかかわらず自給を放棄しつつあったのだから。

 

生産者と消費者の力で食と農業を守る。

 

これぞ民主主義である、という自負をもって取り組んだもんだった。

不思議なことに、農家には様々な嫌がらせがあるのに、

大地(私)には抗議の電話一本入らなかった。

密かに待ってたんだけどね。

 

このネットワークでつながった'作る人'と'食べる人'の輪は、

生産者約50名、消費者団体20-約10万人(当時)。

わずか、と言われればそれまでだが、

当時の僕らの力では'確信'を持つに充分な数字だった。

大地に提携してくれた生産者は、

今でも大地のなかで存在感を示してくれている。

 

秋田・大潟村の「ライスロッヂ大潟」

-上流にブナの森を育てている。

 

山形・庄内地方の生産者で組織されている「庄内協同ファーム」

-冬みず田んぼや生き物調査で活躍中だ。

 

高知の「高知県生産者連合(高生連)」

-先陣を切ってくれたのは窪川町の島岡幹夫さんだった。

原発計画を白紙撤回させ、原発推進派も仲間に引きずり込んで

'有機農業で町おこしや!'とやってくれた。

今ではたくさんの生産者から、いろんな農産物をいただいている。

 

新潟・加茂の「加茂有機米生産組合」

-「減反政策は憲法違反である!」と、国を相手に生存権をかけて

裁判で争ったときの団長・石附鉄太郎さんは亡くなられたが、

後継者たちが元気で仲間を増やしている。

 

そして提携米の呼びかけ人になったがために散々な苦労に遭った

山形・白鷹の加藤秀一さんは、新たに結成した「しらたかノラの会」で、

美味しい農産加工品を供給してくれている。

 

礼儀正しくて頼もしい若者たちが、加藤さんを慕って一緒に働いている。

 

 

この写真は、

 

昨年3月に滋賀で開催された「農を変えたい!全国集会」でのひとコマ。

左から大地・長谷川満、ライスロッヂ大潟・黒瀬正さん、

提携米事務局・牧下圭貴さん、

庄内協同ファーム・志藤正一さんと菅原孝明さんの面々。

 

結成から20余年。

国の政策も色合いを変えてきてはいるが、減反政策は今でも続いている。

いやむしろ強化されてしまった。

 

そして、耕作放棄地は増える一方だ。

 

課題は今も深く横たわっているけど、'人の輪'という財産もいっぱいできた。

ここいらでスッキリと次のステージに向かって衣替えしよう。

 

そんなわけで、「提携米ネットワーク」はこの春から、

「提携米研究会」と名を変えて新たな体制に引き継がれることになった。

 

でも、僕にお暇がいただけるわけではない。

6年前、僕は鉄太郎さんの遺影に向かって、約束をしてしまったのだ。

 

 ― あなたが持って走った、そのタスキの一片、頂くことをお許しください。

 

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壮健だった頃の石附鉄太郎さん(右前)。左は息子の健一さん夫妻。

 

癌で亡くなる直前まで、食べものが喉を通らなくなっても、

アジアの農民への技術指導に出かけた日本人がいた。

 

穏やかな笑顔の奥に、鉄の意志を秘めた原告団長のタスキからは......

 

「まだ終わってないですよ、エビちゃん」

 

「走らなくていいから。ただ、たゆまず歩きましょ」

 

― そんな声が聞こえてくるのだ。

 



2007年12月 8日

上堰米

 

......というお米が届く。

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差出人は、福島県喜多方市山都町早稲谷の浅見彰宏さん。

10年前にこの地に移り住み、夫婦で有機農業を始めた方。

 

彼の農園の名前は 「ひぐらし農園」 という。

あの晩夏の夕暮れに鳴くセミが好きなのか、農園の暮らし向きを表現したのか、

その辺は聞いてないので分からないが、おそらくは......いや、やめておこう。

 

地元のきれいな棚田の写真が貼られている。

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山都町早稲谷地区は、霊峰・飯豊山の麓に位置し、

ブナの原生林やナラを中心とした広葉樹林に囲まれた美しい山村である。

250年も前に拓かれた手掘りの水路が、今も棚田を支えている。


 

今年の5月4日、

その山間を縫うように張り巡らされた水路(堰)の補修のお手伝いをした。

そのお礼にと、送られてきたものだ。

  ≪7月10日の日記-「日本列島の血脈」もご参照いただければ≫

 

玄米、7kg。 この数字が、なんかほのぼのとさせる。

5㎏でも充分なのに、

浅見さんは誠実に、収穫物から送れる量を人数で割ってくれたのだろう。

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これが当日の堰浚(さら)いの様子。

一年分の土砂や落ち葉などを浚い、水回りを取り戻す。

けっこう重労働だったが、これで棚田に水が回る。

村じゅう総出での作業である。

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我々ボランティア組はすぐに腰が痛いとか言っては休みたがるが、

地元の方々は黙々と続ける。

バカにされちゃいかん、と意地も出すが、すぐにため息をついては汗を拭う。

 

この作業人足がだんだんと減ってきている。

高齢化も進んでいる。

この堰が埋まった時、写真にあるような美しい棚田も滅ぶことになる。

 

この棚田も。

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ここが堰の源流の地点。

ブナの原生林に育まれたミネラル豊かな水が、麓にまで行き渡る。

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浅見さんは、外からの入植者であるゆえの人脈を活かして、

またネットも駆使して、この仕事のボランティアを募っている。

地元の人からの期待や信頼も獲得して、いまや貴重な若手人材となっている。

 

本木上堰と名づけられた全長6kmに及ぶ水路を、

上流から下る組と下流から上る組に分かれて、合流するまで作業は終われない。

堆積物を上げ、壁を直し、草を刈りながら、行軍する。

 

下流から上った我々が、ようやく上流組と出合った時の一枚。

さすがにしんどそうだ。村の人たちに混じって浅見くんの雄姿も(左から二人目)。

すっかり村の人だ。

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彼も実は、7月23日の日記 「全国後継者会議」 で紹介した、

埼玉県小川町の有機農業のリーダー、金子美登さんの門下生である。

 

金子さんのところで学んだあと、この地に入植した。

金子さんの話によれば、

農業条件の良い土地よりも、自分を必要としてくれる場所に行きたい、

と語っていたそうだ。

すっかり頼られる存在になって-。 働いたんだね。

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彼は今、冬の仕事として、麓の大和川酒造店で働いている。

毎年2月にやっている、 「種蒔人」 の新酒完成を祝う 「大和川交流会」 では、

蔵人・浅見彰宏と会うことになる。

 

夏は上流の水を守りながら米をつくって、冬はその地下水を汲んで酒をつくる。

すっかり飯豊(いいで)山水系に生きる人である。

上堰米を炊いてみる。

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美味しかったです。ありがとう。

 

※大地のオリジナル日本酒 「種蒔人」 でつくられた 「種蒔人基金」 では、

  本木上堰の清掃作業の支援をこれからも続けたいと考えています。

  「種蒔人」を飲みながら水源を守る。

  お値段もいいお酒ですが、たまのハレの日などに、ぜひ!

 

※来年の大和川交流会は、2月9日(土)です。現在参加者募集中。

  会員の方は今週配布された 『だいちMAGAZINE』12月号をご覧ください。

  お問い合わもお気軽にどうぞ 。

 



2007年11月25日

宮城・雁とエコのツアー

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夜明け前です。


気温は0℃。雲は低く覆っていて、底冷えのする朝6時。

 

まだ弱い薄明の湿原一帯に、何種類もの鳥の声がざわめいている。

グァグァとカモの類、コォーコォーと高いのはハクチョウ、

中でも多いのがガァンガァンと鳴くやつ。雁(ガン)だ。

 

突然、湿原の奥から、ものすごい数の雁が一斉に舞い上がって、空の色を変えた。

あっちからもこっちからも、呼応して飛び立ってくる。

 

写真が上手く撮れなくて悔しいが、

上空に筋雲のように映っているのが、すべて雁である。

 

ここは宮城県大崎市(旧田尻町)、蕪栗沼(かぶくりぬま)。

11月24日(土)、我々 『宮城・雁ツアー』 一行20名は、朝5時に起き、

ここで雁が飛び立つ様を見に来たのだった。 


案内してくれたのは、この地で有機米を栽培する千葉孝志(こうし)さん。

 

渡り鳥の貴重な飛来地、休息地であり餌場として、

一昨年11月、蕪栗沼と周辺の田んぼ423haがラムサール条約に登録された。

世界で初めて、田んぼが生物にとっての大切な湿地であることが認められた場所である。

 

今回は、千葉さんの米づくりの話はそっちのけで、

渡り鳥たちが集まってきた蕪栗沼を見よう、ということで集まった。

まあ、この数をみれば、おのずと周辺たんぼの生命力も推しはかってもらえるか。

 

せわしないガンと違って、ハクチョウは悠然と休んでいる。

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20年前にラムサールに登録された伊豆沼・内沼は、

ここから約5~10kmほど北にある。

伊豆沼・内沼に蕪栗沼も合わせたこの地帯で確認された鳥の種類は二百数十種に及び、

マガンでは日本に飛来する80~90%がここで越冬する。

今年もすでに6万羽 (8万だったか) が確認されているという。

 

これは他に飛来できる地がなくなってきていることも意味しているのだが、

それだけに、ここの扶養力の高さを浮き彫りにしている。

 

彼らは冬をここで過ごし、餌をたっぷり捕って、3月に故郷シベリアに帰る。

 

千葉さんたちは、冬も田んぼに水を張る冬期湛水

(最近は 「ふゆ水田んぼ」 と言われる) に取り組んでいる。

鳥たちの餌をさらに豊富にさせると同時に、田んぼの地力も高めるという効果がある。

 

ラムサール条約に登録されての変化などを千葉さんに聞いてみる。

答えは簡単なものだった。

 

「メリットもデメリットもない。な~んにも変わらないよ」

 

補助金を貰えるわけでもなく、何か特別な指導が入るわけでもない。

観光客が来たとて、千葉さんにご褒美が出ることもない。

逆に登録されたことで、保全区域としてやりにくくなることもあるんじゃない?

 

「まあ、そのためにやってきたわけでもないし。

 これからもやることは変わらないんと思うんだけどね」

 

こういうのを恬淡 (てんたん) と言うのか。

賞をもらったからといって奢るわけでもなく、欲を出すこともない。

ただイイ米つくりたくて、そんで鳥を見ながら、こうしたいからこうしてきただけだ。

 

こういう姿勢に惚れちゃうんよね、アタシ。

 

一方で千葉さんには、内心の疑問もないではない。

冬季湛水が本当に米づくりにとってベストな選択か-

実は千葉さんの中では、回答はまだ出ていないのだ。

 

「ふゆ水田んぼ」 にお国までもが付加価値を認めつつある時代に、

どんなにもてはやされようと、

「これでいいのかなぁって思うところもあるんだよね

という千葉さんがいる。

付き合いたいな、とことん。

 


午後、今度は鳥たちが休息する田んぼに向かう。

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ガンは警戒心が強いので、望遠レンズがないと絵にできないけど、

ハクチョウは、我々を警戒しつつも、敵ではないと思っているのか、

一定の距離を保って、こちらが一歩近づけば一歩遠ざかるだけ。

 

逃げることもない。

人間が近くで喋っているのに、畦でずっとケツを向けて昼寝しているヤツもいた。

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続いて、これがドジョウなどの水生生物が遡上できるように設置した魚道。

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まだ実験段階だが、率先して取り組んでいるのが、

宮城県農林振興課に勤める、県の職員でもある三塚牧夫さん。

千葉さんを代表とする「蕪栗米生産組合」の生産者の一人でもある。

夕べは宿で熱いレクチャーを受けた。

米そっちのけで、生物多様性である。 いや、生物多様性あっての米、だったか。

 


最後に伊豆沼を回る。

こちらはさすがに観察や展示など受け入れ体制も整備されているが、

餌付けにも慣れてしまっているのが、気になるところではある。

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ま、渡り鳥を餌にして、'田んぼの力' を確かめる初のツアーとしては、

それなりに体感していただけたのではないかと思うところである。

 

というワタクシも、鳥ばっかり撮って、千葉さんのアップを撮り忘れた。

記念撮影の写真でお茶を濁す。左端が千葉さんです。

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(真ん中に白鳥を入れたつもりだったが...)

 

ところで、今回のツアーは、実は田んぼだけじゃなくて、

塩釜の練り製品の大御所、遠藤蒲鉾店さんの見学から始まって、

遠藤さんが尽力した地元での廃油燃料プラント(天ぷら油のリサイクル)、

利府町の太陽光発電実験プラント、

仙台黒豚会の豚舎見学、と盛り沢山のツアーでもあった。

 

これらもそれぞれ語れば、それなりの物語となる、

雁と 「エコ」 のツアーであったワケです。

 

申し訳ないけど、いずれ機会を見つけてきっちりと、

ということでご容赦願いたい。

 



2007年9月25日

『この地球(ほし)と生きる 大地百選』 てどう?

 

エコ系の新しい雑誌が、また創刊された。

『自然力マガジン WATER』 。

「新しいエコロジーライフの時代へ-」 と謳い文句が付されている。

 

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発行元は(株)地球丸。

釣り関係の書籍や、雑誌 『夢の丸太小屋に暮らす』 『天然生活』 など

アウトドアやエコ的ライフスタイル系(とでも括らせていただく)の出版物を

多く出している版元である。

 

ここでは雑誌の宣伝をしたいわけではなく(しちゃってるけど)、

実は、我らが敬愛する米の生産者・千葉孝志さん(宮城県大崎市/旧田尻町)が、

その創刊号の冒頭のコラムに登場したので、紹介したくなったわけ。

 

いや実は、単なる紹介では終わらなくて、

ここで新たな試みを始めてみたい、と思うのである。


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「国内初! ラムサール条約に登録された田んぼ」

 

宮城県蕪栗沼(かぶくりぬま)。

世界で初めて、沼周辺の田んぼまで含めて、

水鳥の生息のための 「大切な湿地」 として世界的に認められた場所。

千葉さんはそこで米を作っている。

 

農薬は撒かない。

渡り鳥のために、冬も田んぼに水を張る冬季湛水(とうきたんすい。「冬水田んぼ」とも言う)

を実践している。

 

千葉さんは有機JASの認証も取得しているが、

「有機」の規格に適合したからすごいのではない。

 

本当に田んぼが好きで、生き物が好きな人の田んぼに、生き物はやってくる。

その生き物たちによって、田んぼもまた豊かになる。

 

生命のつながりによって私たちは生かされている。

そのことをはからずも実証している米づくり、なのだ。

 

僕はこれが

法律で縛られてしまった「有機」の規格を超えるひとつの道筋である、

と思っている。

 

雑誌では、

「千葉さんの田んぼには、生き物の気配が満ちている」

なんて書かれている。

 

   「もともとは水鳥のためにやったことでしたが、冬でも水を張っていることによって

   イトミミズなどの生物も増え、生態系がゆたかになるんですね。鳥の糞も肥料に

   なりますし。すると田んぼの生産力が強くなるわけです。そのことに気がついて

   からは、安全な無農薬の米づくりに拍車がかかりましたね」

   

   畦道を歩くと、カエルが一斉に田んぼに飛び込んだ。チョウが鮮やかな稲の上

   を舞う。千葉さんの田んぼには、生き物の気配が満ちている。自然循環型農業

   のひとつのかたちがここにあるようだった。

 

『WATER』 に刺激され、思い切って出したいと思う。

僕が密かに温めていた、こんな企画。

 

『この地球(ほし)と生きる、大地百選』

 

ちょっとクサいけど、このブログの中で、勝手にやるならいいよね。

 

渡り鳥が静かに体を休め、餌もたっぷりと用意してくれている田んぼ。

その鳥たちを優しく見つめ、彼らのためにビオトープを設ける。

いっぽうで餌となる虫たちも慈しみながら、米を作っている。

千葉さんの田んぼにやってくる渡り鳥は、

この地球(ガイア)の、かそけき生命連鎖の伝達者である。

 

僕は千葉さんが作った米と連帯したい。

ということで、

私が勝手に選ぶ 『この地球(ほし)と生きる、大地百選』 -登録第1号とする。

お許しいただきたい。

 

それにしても、

こんなに似たような雑誌がいっぱい出てきて、いいのか?

アウトサイダーとか反体制とか言われながら日陰者のように生きてきた者としては、

キレイなエコ雑誌乱立の現象は、バブルのようにも見えて少々気になるところである。

 

ま、時代の波でもあるだろうし、新たな層が掘り起こされることもある。

どちらでもいい。本物が残る、という覚悟でやりましょう。

 

<追伸-会員の方へ->

来週か再来週に配られる『だいちマガジン』10月号で、

千葉さんと蕪栗の田んぼを訪ねるツアーの案内があります。

日程は、11月23-24日。

田んぼや沼で憩う鳥の数のすごさは圧巻です。生命の賑わいを実感できるツアー。

たくさんの人の参加を待ってます。

 

≪注--雑誌『WATER』には大地宅配の広告も出稿もしているので、

 多少宣伝したい気持ちであることも、告白しておきます。

 個人的には、アラスカの自然や生物を撮り続けた写真家・故星野道夫の記事は、

 もっとページを割いて特集してほしかった。全体的にやや中途半端な感あり。≫

 



2007年9月 3日

「日照りに不作なし」 というけれど

 

夏の太平洋高気圧から、秋雨前線の到来へ。

季節は一気に秋に向かい始めましたね。

とはいえ、まだ残暑のぶり返しもあるようですので、

皆様、体調にはくれぐれもお気をつけください。

 

≪......と8月30日に書き出しながら、予定外の業務が入り、

 また31日には午後から福島に向かったもので、書き上げられず、

 9月に入ってしまいました。でもせっかくなので、続けます。≫

 

今年の8月は、観測史上「最も暑い夏」となったようです。

全国101の地点で最高気温が更新され、

東京での8月平均気温は29.0度。平年より2度近く高い、2番目の記録とのこと。

 

記録的な酷暑は、同時に「少雨の夏」でもありました。

都心の降水量は平年の5%(8.5mm)、千葉・館山ではわずか1mm(平年の0.8%)

といった数字が報道されています。

 

さて、お米の世界ではよく 「日照りに不作なし」 とか言われます。

干ばつ気味くらいの方が米はよくとれる、という意味です。

たしかに、7月の台風や日照不足にやられた九州をのぞき、

各地の米どころからは、「8月の暑さで持ち直した」 といった声が聞かれました。

まさに 「日照りに不作なし」 の年のようです。

 

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でもこの言葉は昔からあったものではありません。


「日照りに不作なし」と言われるようになったのは、

実は明治時代中期以降のようです。

明治政府が莫大な資金を投入して強力に生産基盤を整えた結果、

水利がよくなったから。

言い換えれば、日照りでも水を確保できる田んぼでの話、ということになります。

 

熱帯地方が原産の湿性作物である稲には、太陽の光と水が必要です。

(あらゆる生物に言えることではありますが-)

稲こそ高温多湿のアジア・モンスーン地帯が生んだ最高傑作だと思ってますが、

今の日本型の稲は、緯度の高さに適合させてきたものになっています。

 

稲の収穫量は、穂が出て花が咲いてから約40日間(登熟期)の日射量に比例します。

日射量が多いほど多収になるわけですが、

日本型での登熟期の平均気温は22~24度あたりが理想と言われています。

 

そこで開花日の最高気温が33~34度を超すと実のつき(稔実)具合が悪くなり、

35度以上になると急激に低下します。

冷害で起きる低温不稔と同じように、異常な高温でも不稔は発生するんですね。

 

また登熟期で高温が続くと、呼吸が活発になりすぎて、

モミ内のデン粉のつまりが悪くなり、減収や品質の低下につながります。

 

今年はこの登熟期、特にお盆以降にまで異常な暑さがかぶったわけです。

日射量(つまり日照り・乾期)は欲しいが、あまり高温でない方がいい。

特に昼夜の気温差がある方がいい。

 

平野部ではなかなかそう都合よくはいきませんが、

そこには長年の経験で作り上げてきた技術があります。

高温障害への対策に、水が使われるのです。

 

水田の水もただ貯めてあるだけでは、暑い日にはお風呂のようになってしまうので

(そうなると今度は 「高水温障害」 が出る)、

冷たい水を '流す' 、つまり水を引いては出す 「連続潅漑」 という方法をとります。

この夏、各地で出された高温障害への注意報でもこの言葉を何度か耳にしました。

 

水が豊富にある。しかもただ降って流れるのでなく、

しっかりと確保する装置と高い生産技術が、

私たちの食糧 (と環境も) を支えてくれています。

 

以前(7月10付「日本列島の血脈」)にも書きましたが、

数千年の時間をかけて築いてきた水路網の恩恵にも思いをはせつつ-

 

よい実りの秋であってほしいですね。

 

<追伸>

ちなみに7月10日の日記では、肝心の水路の総距離数を書いてませんでした。

<p>約40万kmです。これは地球10週分に相当します。

それだけの水路網がこの列島に張り巡らされ、食糧生産を支えている、

ということになります。

会員の方には、今週配布の「だいちMAGAZINE」9月号もご参照頂けると嬉しいです。

 



2007年8月29日

『天地有情の農学』-消費者に問う農学?

 

8月7日の日記で、宇根豊さんの新著に触れ、

「うまく整理できれば改めて」 なんて書いてしまった手前、

どうも棚にしまえなくて、今日まで脇に置いたままである。

私なりに書けるだけ書いて、いったん収めておきたいと思う。

 

『天地有情の農学』
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天地とは '自然' のこと。

有情とは '生きものたち' のこと。

この世は生命のいとなみで満ちている、というような意味。

 

それを支える 農'学' の道を切り開こうというメッセージなのだが、

私には、迫られているような圧力を感じたのである。

こんなふうに-

 

消費者にこそ '農学' が必要なのではないのか?


1960年代より進められた「農業の近代化」というやつは、

農薬や化学肥料に依存し過ぎた生産方法によって、

環境(生態系)を壊し、人々の健康も脅かす要素を、高めてきた。

 

その反省や批判をベースに有機農業や減農薬運動は興り、

ようやく 『環境や生物多様性を育む』 仕事 としてまっとうに評価されるまでになった。

 

たとえば、農薬を使わない水田は生物多様性が増し、水系(地下水)も保全する。

カエルは、カエルの餌となる生き物や、カエルを餌とする生き物とつながっていて、

それやこれやの生き物の多様な循環が、環境の豊かさを構成する。

そのつながりを目に見える形で示すひとつの試みが、「田んぼの生き物調査」である。

 

この価値や、農業と自然の関係を、

きっちりと学問(科学)的にも明らかにする「農学」の確立を、

アプローチの手法、道筋を含めて提示しようとしているわけだが、

ことはそれだけではすまないから厄介だ。

 

無農薬のお米が環境を守ることにつながっているとしても、

その「環境保全」部分は、米の価格には含まれていない、という問題である。

 

価格には含まれていないが、それがあることによってもたらされるメリットを

「外部経済」と呼ぶが、

百姓(宇根さんは胸を張ってそう言う)が、

当たり前に百姓仕事をしてくれることによって得られている、

米代に含まれない大切な外部経済の部分を、誰がどうやって保障するのか。

 

そこで宇根さんは「環境デカップリング」の導入を提言する。

EUなどですでに実施されている仕組みで、

環境を維持するための指標を作って、それを実施する生産者に一定の所得保障をする

という考え方である。

 

この考え方はたしかに、

「有機農業推進法」の「推進に関する基本方針」の中でも、

検討の必要性が盛り込まれている。

 

しかし・・・・・ここで私は靄(モヤ)に包まれたような気分に陥る。

 

私の知る農民の本音は、

田んぼでたくさんの赤とんぼを育てたところで、補助金を貰おうなんて思っちゃいない。

フツーに米や農産物を売って、フツーに食っていければいい、という感じである。

 

とはいえ、安い輸入農産物に押されて価格が低迷する今のご時勢、

このままでは外部経済の価値が守れない。

 

そこは税金で補償するしかない......のか。

 

宇根さんの「天地有情農学」論に賛辞を送りながらも、


私はこの最後の経済の部分で、わだかまりを捨てきれない。

 

税金を使うには国民の合意が必要である。

たとえ消費者が納得したとしても、生産者は喜ぶのだろうか。

安い米を買って、別な形で税金をつぎ込んで補償するという格好は、

けっして生産と消費のまっとうな関係とはいえないのではないか。

 

私としては、例えば

1kg=600円でお米を買った後に、環境支払いという名目でもう100円徴収されるよりは、

1kg=700円を "佐藤さんの米代" として出したい。

それで佐藤さんが当たり前に有機農業が持続できる価格として。

(これが今の「大地」の基本姿勢でもある)

その方が消費者の'支持の選択'権も多様になる。

 

しかし、そんな悠長なことは言ってられない、ようなのだ。

水や空気はすべての人に同等に与えられているわけだから、

国民には等しく負担してもらわなければならない、と。

 

安さを求める人には別途税金を-

生々しい話であるが、こういう議論もしなければならないほど、

「農の危機はイコール環境の危機」 という構造になってしまった。

天地有情の農学は、こんなふうに我々消費者に'農学'を迫っている。

 

私はまだ結論が出せない。

とりあえずは、農業の価値に国民的合意を得る上での論として支持しつつ、

一方で、大地の提唱する「THAT'S国産」運動の方が好きだ、

とは言っておきたい。

 

※「THAT'S国産」運動......'国産のものを、まっとうな価格で食べよう' という運動。

                  畜産物の餌も国産にこだわることで自給率を上げ、

                  輸送コストを下げることでCO2削減にも貢献できる。

 



2007年7月15日

ただの虫を無視しない農業-IBM

 

Yaeちゃんとの再会(と言わせてください) で舞い上がって、

肝心の生産者会議のメインテーマの話が後になってしまった。

 

約80人のお米の生産者が青森に集結した「第11回全国米生産者会議」。

今回の会議の記念講演は、桐谷圭治さん。

講演のタイトルは、「ただの虫を無視しない農業とは」。

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桐谷さんは昆虫学者である。

なぜ米の会議に昆虫学者を呼ぶのか?

これには有機農業思想の発展にとっての、重要な戦略的意味があるのである。

なんちゃって格好つけてますが、本当です。


有機農業による米作りは、農薬を拒否する。

ひっきょう害虫(といわれる虫群) とのたたかいとなる。

いや、" 駆け引き " と言ったほうがいいかも知れない。

どうやって発生させないようにするか、寄せつけないか、を考えながら、

ある時は手で取り、また木酢液やニンニク・唐辛子といった天然資材で対処したり、

最後の究極の姿勢は、" 我慢 " となる。

 

そこで必要なのは、害虫の生理や虫同士の関係についての知識である。

桐谷さんは、数年前からお呼びしたいと考えてきた、我々の 「カード」 だった。

 

桐谷さんは、30年も前に 「総合的有害生物管理」 という考え方を提唱した方である。

Integrated Pest Management-略してIPMという。

 

害虫を殺虫剤で殺したら、その虫を食べる虫(天敵) も一緒に死ぬ。

そのあとに害虫が卵から孵った時、天敵がいないために大発生する場合がある。

これをリサージェンスという。

(Resurgence:復活、再起。桐谷さんは 「誘導異常発生」 と訳されている。

 虫の「逆襲」 と意訳する人もいる)

また害虫はその殺虫成分に対する耐性を身につける (Resistance:抵抗性の出現)。

そうすると今までの農薬では効かなくなり、さらに強い農薬に頼るようになる。

 

桐谷さんは丹念なフィールドワークによってこの連関を明らかにし、

天敵の有効利用による害虫管理を農民に呼びかけたのだ。

 

IPMはすでに、天敵を利用しやすい施設園芸での減農薬栽培の主流になってきている。

 

そしていま、桐谷さんが唱えるのがIBM-総合的生物多様性管理である。

Integrated Biodiversity Management の略。

 

天敵活用にとどまらず、フィールド内での総合的な生物多様性の保持によって、

適切で良好な環境をつくり、作物を育てる。

そこでは害虫は " 害虫 " という名もない虫ではなく、

生態系の一員として必要な○○○ムシとして生きてもらうのだ。

 

これを私は " 平和の思想 " と呼んでいる。

この世に用なしの生命などないのだ。

 

たとえば、いま全国の米農家を悩ましているカメムシ。

これを殺虫剤でやっつけるには相当強力なものになる。

他の虫もやられる可能性が高まる。水系や環境への影響も深まる。

しかもカメムシというのは、かつては水田の " 害虫 " ではなかったのです。

いつか生き物のバランスのなかで、もう一度 " ただの虫 " に戻したい。

 

IPMからIBMへ-

IPMが今日のようにもてはやされるようになるまで30年かかった。

IBMも定着するまで何年もかかることでしょう。

桐谷さんはそう言って、ちょっと複雑な心境で笑っている。

 

厳しい米価で生産を余儀なくされている生産者には、

まだちょっと理想論のような話かもしれない。

でもすでに自分のものにしつつある人が増えてきている。

最低限、脳裏にインプットしておいて損はない。

これが有機農業の最新技術理論に融合されることは間違いないから。

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2007年7月10日

日本列島の血脈

 

大地を守る会の機関誌『だいちMAGAZINE』9月号の原稿締め切りの日。

すぐにでも書けるはずだったのに、なぜか、というかいつものように、

締切日にならないと書き始められない。

 

今回の依頼は、専門委員会持ち回りの「今月の数字」というコラム。

今年、私が「米プロジェクト21」で活動に取り込む決意をしたテーマの

基となるデータを「今月の数字」として提出した。

 

日本列島に張り巡らされた水路の "尋常ではないすごさ" について、である。

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田んぼを水田として機能させるには水が要る。

その水は川や沢から、あるいは地下水から引かれるが、

田にくまなく行き渡らせるには水路が要る。

水路は日本列島いたるところにある。

それらはすべて、人の手で作られてきたものだ。

 

○○疏水とか○○堰とか、名のついた水路もあちこちにある。

昔、その地に疏水を開いた人は、地元の英雄として称えられた。

 

水路はずっと人の手で守られてきた。

 

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この写真は、5月4日、福島県喜多方市山都町での堰の補修作業の様子。

毎年、村の全戸総出で、溜まった泥をさらい、壁を直し、草を刈る。

この水路の下に棚田が広がっている。

 

水を巧みに誘導して、たくさんの人工湿地がつくられ、それが生き物の多様性を育んだ。

水路は、人が'手入れ'をすることで生き物が豊富になる象徴だと思う。

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この棚田も水路で守られている。

 

それが今、あちこちで崩壊の危機が押し寄せてきている。

人がいなくなっているから。

それでも残っている年寄りたちは、山に出かけ、必死で守ろうとしている。

下流の人たちは、彼らによってただで得られてきたものを忘れている。

 

米プロジェクト21では、「種蒔人基金」を使って、

堰の補修作業のお手伝いを今年から始めた。

毎年ボランティアを派遣したいと考えているところである。

 



2007年7月 4日

たんぼの生き物調査

 

とんぼと田んぼの山形・庄内ツアーから -PARTⅡ

今回は、「田んぼの生き物調査」の紹介です。

 

7月1日(日)、ツアー二日目。

佐藤秀雄さんの田んぼから、「アルケッチャーノ」での優雅で贅沢な昼食を堪能して、

一行は「庄内協同ファーム」代表・志籐正一さんの田んぼに向かう。

 

現地では、すでに生産者が道具を用意して待ち構えていて、

説明もそこそこに、「田んぼの生き物調査」実習に入る。

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まずは畦を歩きながら、飛び出すカエルを数えていく。

先頭が「アカ1!」「アオ2!」とか叫ぶ。

それぞれアカガエル、アマガエルの意味である。

それに応じて、後ろに続く人が手に持ったカウンターをカチャカチャと打つ。

 

でも、誰ともなく田んぼを覗いては足を止め、虫を見つけて歓声を上げる。

カエルがその先でチャポンチャポンと逃げているような......

どうも正確な調査になってないけど、ま、いいか。 みんな楽しんでるし。

 

協同ファームの生産者たちがこの調査を始めて、もう3年になるね。

すっかり慣れたもので、ふと見れば、別の人が土のサンプルを取っては

ネットの中で洗いながら土を落とし、少しずつ分けて白いバットに広げている。

そこで参加者が細い竹串を使って土や植物をより分けながら、

生き物を見つけて、数を伝える。

その数から、この田んぼにイトミミズが何匹、と算出される。

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今回はまあデモみたいなものなので、数の正確さは問題ではない。

大事なのは、この田んぼの土が生き物の宝庫であると実感してもらうこと。

それは、田んぼを米の生産手段としか捉えない者には見えない、

見えなかった世界なのである。

 

大の大人がポケット図鑑を持って田に足を入れ、

様々な虫を同定しては、数を数える。

それは見る人にとっては、実に異様な光景だろう。

ごっついオッサンが、子どものように田んぼの中の虫を観察しているのだ。

でも有機の生産者たちは、この作業を実に面白がって、やる。

子どものように。

 

オレの田んぼは、豊かだ。

もっと調べてみたい。

 

この'気づき'が生き物調査の意味である。説明は要らないよね。

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忙しい時期だけど、今しかできないから、

消費者を受け入れて、自分たちのやっている調査の意味を伝える。

庄内弁の優しい語り口で語る志藤さん。

 

豊かな田んぼに接してほしい。

そして、田んぼを好きになってほしいのだ。

 



2007年7月 2日

とんぼと田んぼ

 

6月30日~7月1日

「とんぼと田んぼの山形・庄内ツアー」開催。参加者25名。

 

受け入れてくれた生産グループは、

「みずほ有機生産組合」「庄内協同ファーム」「月山パイロットファーム」「コープスター会」

の4団体。

 

1日目は、午後2時に鶴岡駅に集合後、

鳥海山麓にある獅子ヶ鼻湿原の散策、宿舎となる鳥海山荘での交流会。

2日目は、朝4時からの鳥海山トレッキングから始まり、

みずほ有機・佐藤秀雄さんの田んぼ見学、

地元食材を使ったイタリア・レストラン「アルケッチャーノ」での昼食、

そして庄内協同ファーム・志藤正一さんの田んぼでの「生き物調査」と、

なかなか盛り沢山の内容であった。

 

ここでは、まずは佐藤秀雄なる人物とその田んぼをご紹介したい。

 

佐藤さんの田んぼでは、毎年100万から500万匹の赤とんぼが

誕生しているそうだ。

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坪当たりのヤゴの数を元に勘定しての推計値なので、

年や場所によって変動もあるようだが、それにしても恐るべき数字である。

 

当然、それだけのヤゴの餌となる小動物が存在しているということで、

その食物連鎖の底辺にいる微小生物群は無尽としか言いようがないし、

微生物を支える有機物の存在たるや......要するに「地力がある」。

この生き物の連鎖(生態系)と生命の多様性がしっかりと守られる田んぼを、

佐藤さんは作り上げてきたのだ。

それにしても何という土の柔らかさだろう。トロトロという表現がぴったりだね。

 

佐藤さんの、ここに至るまでの試行錯誤は書き切れない。

10年くらい前には、いろんな薬草やら植物を醗酵させて

自家製の液体肥料を作っていたのを見せてもらったことがある。

佐藤さんはそのタンクに '曼荼羅液肥' みたいな名前をつけていた。

ここ数年は、冬にも水を張る「冬季湛水(冬水田んぼ)」にも取り組み、

たくさんのハクチョウが佐藤さんの田んぼで冬を過ごしている。

それもどうやら卒業して、次の世界に至ったようだ。

とにかく年々進化するので、下手に説明などしようものなら、

「それは昔の話ですね」とか言われてしまう。

 

今は雑草も含めて、すべての生き物を受け入れようとしている。

この日も、私が田んぼに入って草を抜いたら、叱られた。

 

「まったくエビさんは余計なことをする。私の大事な草を抜かないで欲しい」

 

「えっ? だってこれ、コナギですよ。こんなに生えて...やばいんじゃないすか」

「大丈夫です。これも何かの役割を果たしてくれているんです」

 

田んぼではすべての生き物が互いに支えあい、その中で稲も育てられています。

ここで何万匹もの赤とんぼが羽化して、上昇気流に乗って

いっせいに鳥海山に向かって飛んでいく様を、皆さんに見せたかったんです。

とんぼが羽化したての時はまだ上手に飛べなくて、それを狙ってツバメがたくさんやってきます。

ぼくの田んぼでは、ツバメが低く飛びます。

そしてとんぼを捕まえる瞬間、ピシッ!という音がして、さあっと舞い上がるんです。

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こんな話を田んぼでゆったりと語る佐藤秀雄。

 

佐藤さんのお米を食べたことのある参加者の感想はこう。

「特に主張がなくて、でも食べているうちに、ふわぁっと自然の風景が浮かんでくるような

幸せな気分になったの」

佐藤さんはだたニコニコと、頷いている。

どんよりとした曇り空の下。

残念ながら、この日はとんぼの一斉飛行は見られなかったけれど、

この田んぼで、この人の話を聞きながら、その姿を想像するだけで、

みんな何だか満足させられちゃったような気がする。

 



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