2010年11月アーカイブ

2010年11月29日

5668

 

てんさん、農民たかはしさん、まっちゃん、Anonymousさん、sakuradaさん、

コメントを頂戴しながらすぐに返事できずにスミマセン。

遅ればせながらコメント追加してますので、ご確認ください。

 

それから、訂正です。

前回の日記で、自分が発言している写真のところで、

 「背景に映っているのは、高知県馬路村のPRコピー。

  『日本の風景をつくりなおせ』 (羽鳥書店) の著者、梅原真さんのデザインによるものらしい。」

と書いてしまいましたが、思い込みによる記述でしたので削除しました。

お詫びいたします。

でも梅原さんの仕事は、地域力を考えたい人、デザインを目指す人は注目です。

上記の著書に加えて、お詫びついでに紹介したい一冊を。

『おまんのモノサシ持ちや! -土佐の反骨デザイナー・梅原真の流儀- 』

(篠原匡著、日本経済新聞出版社刊)。

 

で、早稲田で飲んだ翌24日、当会六本木分室で開かれた

「生物多様性農業支援センター(BASC)」 の理事会に、夕方遅れて出席する。

僕は理事ではなく、理事に名を連ねる藤田会長の代理出席である。

ここだけの話(ある意味当然のことだけど)、会長の代理は各分野にいて、

米とか田んぼとかのキーワードがあると指名がかかってくる。

場合によっては代理の代理で突然に指令が降りてくることもある。

困るのは、時々思いつきで声がかかることだ。

光栄と思うべきなのだろうけど、

「エビスダニ、この日は暇か?」 とか聞かれると、ムッとなるね。

ヒマです、と言える日がほしい・・・・・

 


内輪話はやめよう。 あとがコワいし。

話はBASCの理事会である。

原耕造理事長からこの間の活動報告と今後の方針案が説明され、理事の方々で審議される。

正直言って、厳しい運営状況である。

たくさんの有識者や団体からの支援と熱い期待を受けて、

生物多様性を育む農業を支援するナショナルセンターたるべく設立された組織だが、

独立した事業として確立させることは容易なことではない。

理事代理の立場で無責任な論評は避けるが、

田んぼの生物多様性を育て確認するノウハウはそれこそ多様にあって、

田んぼの生き物調査にしても、手法や価値の伝え方は農家自身の手で発展させられる

ものだったりするので、事業ベースとして (つまり収入源として) 展開するには

オリジナルなテキストや人材派遣(講習会などの開催) だけでなく、

実践する農家を魅力的にネットワークして新たな価値を創出する手立てを

考えなければならないように思える。

難しい課題である。

 

久しぶりにお会いした NPO法人たんぼ 理事長の岩淵成紀さんから

とても素敵なクリアケースをいただいた。

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この秋名古屋で開催されたCOP10 (生物多様性条約第10回締結国会議)

に向けて制作された 「田んぼの生きもの全種リスト(簡易版)」 の表紙デザインだ。

 

「田んぼおよび田んぼ周辺に生息する動植物の全種リスト」 -5668種。

14名の専門家によって作成委員会(委員長:桐谷圭治氏) が結成され、

足かけ4年、いや5年になるか。 3度の改訂を経て、5668種がリストアップされた。

その間、100人近い専門家が手弁当で協力している。 

 

田んぼとその周りには5668種の生きものがいて、食べあいながら共生している。

その曼荼羅のように織り成される生命のネットワークによって、

それぞれの生命もまた支えられている。 もちろん私たちも、だ。

この土台はきわめて強靭ともいえるし、繊細な綾のようでもある。

宇宙のごとく深遠な世界が、ずっと農というヒトの営みに寄り添うようにあって、

あたり前に維持されてきた・・・・のだが。

リストは、そんな世界の見える化への執念の賜物だ。

国家的財産が出現したと言ってもいい。

「5668、5668、世界をオオーッと驚かせた数字です。 皆さん、覚えてくださいね」

岩淵さんが熱く語っている。

 

厳しい運営の話とは別に、楽しかったのはそのあと。

残った数名で、例によって 「懇親会」 という名の一席。

福岡から来られた宇根豊さんと、宮城から来た岩淵成紀さんの両巨頭を囲んで

農政談義からミクロの話まで花が咲く。

なかでも岩淵さんが取り出したⅰPad をめぐって噴き出した論争は、

二人の個性を面白く表現していて、

ちゃんとやってくれるならお金を払ってもいいと思ったほどだ。

" 先端技術が生み出した世界が広がる道具 "  を、生きもの曼荼羅の世界から見つめる。

宇根豊 Vs.岩淵成紀。 どう?

 

さすがに三日連荘で、疲れが出てきたか・・・

部下の視線も厳しい今日この頃。

 



2010年11月27日

「地域の力」 で結び直す希望を

 

今週もよく飲んだ一週間だった。 

いつも飲んでると思われているかもしれないけど (それも否定できないけど)、

こんな会合続きの週はそんなにはないです。

月・火・水そして金と。

気がつけば週末で、財布は空っぽだし、出るのは溜め息のみ。

 

まずは月曜日、22日の夜。 東京湾アオサ・プロジェクトを共同で運営する

NPO法人 ベイプラン・アソシエイツ(BPA) の方々と一席。

場所は船橋。

BPA代表で船橋漁協組合長・大野一敏さんの船 「太平丸」 直送の魚が

食べられる居酒屋 「轟」 (とどろき) にて。

 

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結局ただの飲み会になってしまった感もないわけではないが、

このところやや精彩を欠くアオサ回収-資源循環の取り組みを再活性させることを

確認できただけでも、まあ成功だと思おう。

2001年、『アオサ・プロジェクト 出航宣言』 で掲げたスローガン、

"  海が大地を耕し、有機農業が海を救う!  " 

をもう一度思い起こして、ネットワークづくりを再開しよう。

 

東京湾アオサ・プロジェクトを結成して10年。

大野さんも組合長に復帰し、僕らも実に忙しくなった。

でも、同じ問題に悩む人たちは、全国各地に増えている。

漁民と農民、上流と下流をつなぐことで、この課題を飛び越えることが出来るはずだと、

感性先行で取り組んだ僕らのプロジェクトは間違っていない。

この確信は、いっそう深まってきている。

しんどいけれど、誰かが動かなければならない。

 

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- 酒は純米、燗ならなお良し -

「酒造界の生き字引」 と呼ばれる上原浩大先達の言葉を見つめながら

ぬる燗の清酒が進む。

「日本酒は温度を変えることによって味わいが変わる稀有の酒だ」

(上原浩著 『純米酒を極める』、光文社新書より) ・・・・まさに。

 

続いて翌23日(火)。 勤労感謝の日でも僕らは働く。

-と言いながら外出許可をいただいて、

20年ぶりくらいになるだろうか、

もう来ることはないだろうと思っていた母校のキャンパスに足を踏み入れる。

 


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都の西北、早稲田の杜に - 

アルバイトと大学当局との喧嘩、虚しい党派闘争、合間に勉強とお酒の訓練、、、と恋愛。

そんな喧騒の思い出ばかりの大学時代だが、多少の母校愛は残っていたか、

思わずカメラを取り出してしまった。

校歌に謳われる  " 進取の精神 学の独立 " は今も息づいているのだろうか。 

ま、僕の場合は  " 新酒の精神 "  てところで、偉そうなことは言えないけど。

 

で、この日行なわれたのは 「第2回 地域力フォーラム」 という集まり。 

今回のタイトルが 「持続する価値観と文化のために-自給の力、場所の力、農の力」。

 

グローバリズムが例外なき自由貿易へと突き進む時代に、

地域の力を考える - そのココロは。

哲学者・内山節さんが基調講演で語る。  

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ムラとは周辺の自然も含めた暮らしの空間であって、

すべての生命活動が見える世界だった。 

自然と人間の生命活動が連鎖しあう世界では、互いが助け合う 「関係」 があった。

それが地域という主体である。

しかし手段としてあった貨幣や市場 (しじょう) がいつの間にか目的と化して、

基盤である生命活動が見えなくなってしまった。

 

地域の自律を取り戻すために、地域を越えた関係を築き直す必要がある。

「開かれた地域」 によって、新しい都市と農山村の関係を取り戻したい。

都市にも多様な共同体が生まれ、

それぞれの共同体が、自分たちの山、自分たちの自然を持ち、

自分たちのふる里となる、そんな 「結びつき」 を。

そしてTPPなんてどうでもいい、と言えるような農民をつくっていきたい。

自然とともにある持続、持続する価値観と文化を見つけ直し、

新たな 「地域主義」 を創造しよう。

地域をデザインする鍵は 「関係」 である。

 

聞きながら、夕べの  " 飲み "  を思い返している。

上流と下流のつながりで資源循環モデルをつくる。

これもまた内山さんの言う 「地域を越えた関係」 であり、

「開かれた地域主義における都市と農山村」 の関係の修復でもあり、

「地域と多層的な関係」 づくりなのではないか。

 

共催団体として5分間のスピーチを求められていて、

当初、僕の頭の中では、山間地に移り住んで有機農業をベースに村の活性化に

貢献する若者たちを支援する試みを始めている、といった事例があったのだが、

内山さんの視座でアオサも見つめ直してみようか、そんな気になった。

 

まとまらないまま登壇し、出たとこ勝負の5分間。

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農文協電子制作センターの田口均さんが写真を送ってくれたので、アップしてみる。

背景に映っているのは、高知県馬路村のPRコピーです。

 

地域を拠点にした活動事例を発表された方が8名。

長崎・五島で食から衣料、エネルギーの自給まで進める歌野敬さん。

佐渡で宮司を務めながら農業・漁業・文弥人形の保存と興行活動・除雪オペレーターなど

多職の力で島の活性化に挑む臼杵秀昭さん。

新潟と富山で、新しいスタイルで福祉事業を展開するお二人の女性。

柚子しかない過疎の山村を逆に  " 売り "  にして発展させた

馬路村農協組合長、東谷望史さん、など。

皆さんとても元気がよくて、しかもここに至るプロセスが刺激的なのだ。

頑張ろう、という気になった参加者も多かったのではないだろうか。

 

地域の力を取り戻す。

それは価値でつながる共生の 「関係」 づくり、なんだね。

世界が 「市場価値」 に呑まれてゆく中で、

いま僕らは次の希望のタネを播いているんだ。

そんな気にもなって、関係者たちと、また一杯やってしまう。

俺たちの学生時代にはなかったようなコジャレた店で。

昔入りびたった 「水っぽい酒、まずい焼き鳥」 という看板を掲げていた汚い店は、

見つけられなかった。

 



2010年11月25日

晩秋の紅

 

呑気に振り返っているうちにも、秋はどんどん深まっていく。

(ホントは焦ってんだけど・・・)

 

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山は紅く 紅く色づいて

すすきが風に 風にゆれている

朝はとても冷たい もうすぐ冬が来るね ♪   (岡林信康 「26ばんめの秋」)

 

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田んぼスケープ に全国各地の田んぼ風景をアップしてくれている田んぼリポーターさんも、

深まりゆく秋の画像を投稿してくれている。 

 

新潟県十日町の棚田。

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あたり前のように調和した風景。

田んぼ一枚一枚が、水を貯える装置になっている。  

 

島根県安来市の田んぼにはハクチョウがやってきている。 

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いのち育む田んぼ。

今の米の値段には、それやこれやの価値は考慮されない。

米づくりが放棄された途端に失われるものの大きさを、この国は顧みようとしない。

 


さて、振り返りを続ける。

 

16日(火)、六本木で行なわれた 提携米研究会 の定例会議に出席。

米をめぐる厳しい情勢に対する分析も大事な議題だが、

今回もっとも時間を割いたのが、

TPP (環太平洋戦略的経済連携協定。環太平洋パートナーシップ協定とも) である。

問題の論点整理を慎重に検討した。

このテーマは、いずれきっちりと。

 

夜はみんなで一席。

庄内協同ファームの佐藤和則さんが、自身で育てた無農薬米 「いのちの壱」 を原料にした

日本酒を持参されたので、いただく。

純米酒 「龍鯉伝説」。

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大切にされた鯉が死後、龍になって主人の窮地を助けたという中国の故事だが、

日本にも龍鯉の伝説は各地に残っているらしい。

和則さんはこの酒に、一昨年に亡くなった師匠・斉藤健一さんの姿をダブらせている。

いつか約束した 「雪の大地」 の復活に向けて、彼の決意は熱いままだ。

 

続いて18日(木)、

大地を守る会の消費者会員が主体となって運営する大地サークルのひとつ、

「港北大地サークル」 の集まりに参加する。

「" 大地を守る会を知ろう "  シリーズ-農産グループ編」 の第2回目。

1回目は7月1日に行なったのだが、大地を守る会の農産物の話となると

1回ではすまず、「もう一回」 の要望が上がったのだった。

 

場所は川崎の武蔵小杉。 

10数人で輪になって (正確にはテーブルを四角にして)、

和やかに、かつ真剣に (ほとんどこっちだったか)、意見交換を行なう。

話題は、現在検討を進めている野菜セット 「ベジタ」 の改定について、

新しく商品開発した乾燥野菜 「はたまる」 を育ててほしいこと、

そして今年の北海道の玉ねぎの大不作と厳しい供給対策の話、などなど。

最後は交流局のNが 「もう一回やりたいねぇ」 と、ニヤリとする。

こちらはもちろんいつでも受ける用意はある。

いや、ちょっと、考えさせてくれ・・・・・ けっこうしんどいんだよね、こういうのも。

 

やるなら、日本の食と農業の行く末を語り合いたい、と思う。

 

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この国の里の秋の風景だって、タダじゃない。

地方にごく少数の大規模農家が残ったとしても、

景観や水系、要するに環境は、維持できないのだ。

そのツケはいったい誰が払うことになるのか。

子供たちに残すはずの保険すら、この時代は切り崩している。

晩秋の紅が、何かを訴えているようで、切ない。

 



2010年11月21日

稲作体験2010 無事終了

 

金沢から帰ってきた10日夜、

今年の 「大地を守る会の稲作体験 実行委員会」 の打ち上げが開かれたので、

合流する。

今年は、9月12日の稲刈り日は鳥取での夏季農業講座に呼ばれ、

10月16日の収穫祭は大和川酒造・安部杜氏の功労を祝う会に出るなど、

大事な仕上げのイベントで続けて欠品となってしまった。

今年の 「稲作体験」 の成功はすべて若手スタッフたちの手によるものだ。

みんなの労をねぎらい、感謝する。

 

遅まきながら、稲刈りと収穫祭の写真をアップしておきたい。

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今年の参加者は158名。 募集150名のところ240名の応募があり、

88名の方を泣く泣く落選とさせていただいた次第。 

春の話ではありますが、お断りしてしまった方々に、この場を借りて深くお詫びいたします。

 

今年の収穫量は玄米換算で500kg-約8俵半。

田んぼの面積は13アール(1反3畝) だから、反収6俵半てところ。

プロには笑われる数字かもしれないけど、

年々増える雑草とたたかい、かつこの夏の記録的な猛暑の中、

よくぞ、と言ってあげたい。

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無農薬で21年。

とにかく草を何とかしたいものだが、これまでとった各種の対策は

どれもなかなか功を奏していない。 すべてが中途半端なのだろうが、

決定的には自分たちで日常的に管理できないことだね。

野菜で忙しい地主さんにあれこれと面倒をお願いするわけにもいかないし。

 

お。 こんな可愛い写真もある。  

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覚えておいてほしい、この感覚を。

 


稲刈りから一ヶ月後、精米された 「体験田米」 を食べながら、

改めて収穫を祝う。 今年最後の田んぼでのイベントだ。 

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田んぼでゲームに興じる参加者たち。

ひこばえ (二番穂) も随分と勢いがいいね、今年は。

 

自分たちで育てたお米の味はやっぱり格別だったとのこと。 

少し粉にも挽いて、白玉だんご作りに挑戦。

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去年はワラ細工だったっけ。

稲は、実もモミも茎(ワラ) もいろんな形で使われながら生活の中にあって、

文化を育み、暮らしを支えてきた。 大昔から、家族の一員のように。

そんな土台も、防御なき裸の経済競争によって失われようとしている。

美しい景観も、安定した環境も道連れにして。

この子たちのシアワセはどのように保障されるのだろうか。

・・・いかん。 子どもたちの表情があまりに可愛くて、つい感傷に耽ってしまった。

 

ま、何はともあれ、21年目となった稲作体験も無事、成功裏に終えることができた。 

5月の田植えから始まって半年 (正確には3月末の苗作りから始まっているが)。

地主の佐藤秀雄・つやこ夫妻、さんぶ野菜ネットワークの生産者の方々、

そして強力な女性陣のバックアップに、心から感謝申し上げます。

 

13日(土)、自宅に戻れば、5月に 堰さらい のお手伝いをした

会津・山都町 「本木・早稲谷 堰と里山を守る会」 から、今年もお米が届いている。

たった一日の、どれだけ役に立ったのか分かんないような労力提供なのに、

かえって申し訳ない気持ちになる。 

有り難うございます。 感謝して、いただきます。

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 懐かしい顔を思い浮かべながら食べるお米に囲まれている安心感。

これはやっぱ、何物にも代えがたい。

 



2010年11月19日

金沢-内灘の干拓地に立つ

 

もたもたと振り返っている間にも、時間は矢のように過ぎてゆく。

すっ飛ばしたくもなるが、たまにはこんな感じで、

この間の出来事を流してみることにする。

 

11月3日、秋田行きを断念してコモンズ主催のシンポジウムに出かけた日。

別働隊はしっかりとブナの植林に汗を流してきてくれた。

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冷たい雨の中での作業になったようだ。

去年はたしか雪の中での植林だったね。

 

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本当に寒そう。

でも、この粘り強い森づくりが、生命の水源を豊かにしてくれるはずです。

皆様、お疲れ様でした。

 

翌4日(木) は、農産グループの歓送迎会が開かれる。

優秀な中堅職員が2名、会員からの質問やクレームに対応する部署に異動して、

代わって物流センターの業務を長くやってきたスタッフが移ってきた。

こうやって地道に組織力を高めていくのだ。

 

7日(日)、埼玉県熊谷市(旧妻沼町) の岡村グループ元代表、

岡村雅夫さんの奥様、良子さんの告別式に参列する。

「とにかく働きまくり」 と言われた雅夫さんがちっちゃくなった感じがして、つらい。

この男にこの妻ありと言われた豪快な奥さんだった。

この時代、69歳という若さでの逝去はこたえる。

岡村さんから頼まれたので、指名焼香(会長指名の代理で) を受ける。

 

9日(火)~10日(水) は、石川県金沢市に出張する。

NPO法人有機農業技術会議 主催 「第8回有機農業公開セミナー」。

今回のテーマは 「大規模稲作を考える」。

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大面積を経営する稲作農家にも、有機農業は可能である。

有機農業技術会議代表理事の西村和雄さんが水田雑草の諸問題を整理し、

栃木・民間稲作研究所の稲葉光圀さんが、

いかに作業効率よく有機稲作を実践するかのモデルを提示された。

地元・石川県や滋賀県の実践農家の発表があり、

僕は流通の立場から、

有機JASの認証以上の価値を創造しなければならない時代に入っていることを

訴えさせていただいた。  

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生産者の間では、農業政策へのビジョンが示されないままでの

TPP(環太平洋パートナーシップ) への不安やら

販売側からの値下げ圧力なども相まっての不信の声ばかりが聞こえてくるが、

「ここに有機農業がある価値」 をこそしっかりと捉え直したいと思うのである。

 

二日目は、金沢市有機農業推進協議会代表の井村辰二郎さんのほ場と

農産加工場などを視察する。

 

石川県中部・金沢平野にある河北潟の干拓地で、

父の代から麦と大豆の二毛作に取り組む。

初めて訪れた河北潟干拓地。 ここも戦後、政治に振り回された土地だ。

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朝鮮戦争の最中、米軍の試射場に指定されて激しい反対運動が起きた。

「内灘闘争」 と呼ばれ、五木寛之の小説 「内灘夫人」 の舞台にもなった場所。

干拓して多くの農民が大規模稲作を夢見て増反した後、

減反政策によって 「米をつくるな」 となってしまった。

冷たい風と刺すような雨に、ここでの農業の厳しさを想像する。

井村さんは耕作放棄地を見ると我慢できない、と言う。

条件の悪いところでも耕作を引き受け、また農産加工にも取り組んでいる。

大規模は大規模で、自立した経営を目指すことはなかなか試練の道だと思うが、

強い意志と持続するパワーには脱帽である。

 

森を育て、耕作放棄地を耕しながら農産加工に取り組む農民たち・・・

いまこの国の食と農業の土台部分を鍛え直しているのは、有機の世界である。

間違いない。

 

小松空港と会場の行き帰りの足は、

小松市の有機米の生産者、橋詰善庸さんにお世話になってしまった。

セミナーのプログラムに僕の名前があったのを見て、送迎を買って出てくれたのだ。

橋詰さん、お気遣い有り難うございました。

 



2010年11月17日

昔、芸術家やヒップな奴らがいた時代

 

さて、振り返り-その3。

35周年のパーティ終了後も、生産者は大人しく帰るわけではなく、

2次会-3次会、最後はカラオケへと突入する。

そして少々だるい体を引きずりながら、

11月1日(月)の夜は、懐かしい顔ぶれと飲むことになる。

 


四半世紀も前。 本部が調布市深大寺にあった80年代中頃の話。

調布センター敷地内の一角につくったお店に、アルバイトでありながら店長のような顔をして、

きわめて自然に馴染んでいた芸術家の男がいた。

たしかアルバイト中に何とかという新人の登竜門的な賞をとったはずだ。

名前は落合滋規、 " おっちゃん "  と呼ばれてお客さんからも愛されていた。

いつの間にか音信も途絶えてしまったのだが、

彼が亡くなったという知らせを受けたのが一年前のこと。

遅ればせながら、久しぶりにおっちゃんを偲んで集まるか、ということになった。

藤田会長以下、" おっちゃんと過ごした "  記憶を持つ仲間たちで。

35年という感慨も、その気にさせたのかもしれない。

 

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場所は 「山藤」 広尾店。

呼びかけ人はやはり同時代にアルバイトで店番をやってくれていた版画家

" チカちゃん " こと後藤千香子さんと、長谷川満取締役 (おっちゃんの写真を掲げる二人)。

チカちゃんは今、大分・湯布院に根づいて芸術活動の日々を送っている。

 

集まってくれたのはこんな連中。

インドやら南米やらを旅していたヒップなヤツ。

その風貌から、みんな敬意をもって " 和尚 " と呼んでいた。

デラシネ(根なし草) のように生きていくのかと思っていたら、

意外や故郷の神戸でパソコン教室など開いている。 「わしは何もできへん」 と言いながら。

震災に遭ったときに、調布センターそばに住まわれていた会員さんから

激励のカンパをもらったという。 神戸で--そうか神戸で、腹を括ったか。

二人一緒に大地を辞めて、長野に移り住んだ男と女。

いろいろやった末に、自称・自然農を営みながら木工やらなんやらで生きている。

今もアルバイト生活をしながらライブにかけているという半アーティストは、

スキンヘッドになっちゃっている。

僕と同時入社だった女は北海道で助産婦さんだ (僕は彼女の補欠合格だった)。

ダンナ (ほぼ同期の配送員) は未だに厳しい北海道の農民になり切れない様子なのだが、

それでも不思議に仲良く暮らしている。

などなど、当時の若手(僕らの世代) も50を越えて相応に老けてしまったが、

意外にも風貌や醸し出す空気はそのままだった。

 

貧しくてもなんだか楽しくて、汚くてもやけに明るくて、

世間知らずだから怖いもんなしで、せわしなく騒ぎながら夜中まで働いていた。

夢を語り合っているうちに、いつも喧嘩になって、

そして誰かがギターを弾き出して、よく歌った。

おっちゃんは売れ残った野菜でエスニックなスープなどを作ってくれたりした。

 

調布センターに移った頃、僕は広い倉庫に感激して、

ここを拠点に文化運動をやろう、なんて青いことを提案した。 

つけたタイトルが 「深大寺文化フォーラム」。

一回目は水俣の映画上映会。 監督にも交通費程度で出張ってもらって、

今思えばかなり贅沢な企画、、、いや冷や汗が出る思いだ。

おっちゃんに描いてもらったチラシを近所に配って回ったりした。

そんな調布センターも、みるみる狭くなっていった。

大地を守る会はしっかりと高度成長期に入っていたのだ。

モンペ野郎が汚いトラックで食べものを運ぶ良き時代は終焉に向かっていた。

そんな時代を生きた者たちの、昭和チックな同窓会となった。

おっちゃん、ありがとう。

 

晩年、おっちゃんが俳句を詠んでいたことを知らされる。

 

  酒一生 とりちがえたる 虎魚(おこぜ) の身

                                    - 落合六歩 -

 

35周年をおっちゃんが見たら、何と詠むだろう。

時代や立ち位置は変化しても、流されていることに気づかなかったり、

自分の中にある大切なものを知らずに失うことだけは、絶対に戒めたいと思う。

 

怖れなければならないのは、かつての時代を共有した奴らから、

いつか・・・「オレのほうが真剣に生きたよ」 と見つめられることだ。

 



2010年11月14日

35周年-" 新たな挑戦の時代 " が始まっちゃったよ!

 

" しんどい "  日記を表題に掲げてきた我がブログとしては、 

この一日をスルーさせるわけにはいかない。。。 しんどいけど。

10月30日(土)、加工食品製造者会議の翌日、

NGO大地を守る会の臨時会員総会と (株)大地を守る会の臨時株主総会をやって、

35周年記念パーティへとなだれ込んだ長~い一日の話。

 

会場は千葉・幕張、アパホテル&リゾート東京ベイ幕張。

朝10時から午後2時までNGOの総会、午後3時から株主総会。

議案は他にもあったが、議論はほぼこの一本に絞られている。

NGOと株式会社の合併である。

 

ともに時間をオーバーして審議いただいた。 

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最終的に承認をいただいたものの、

現時点ではまだ合併後のかたちが見えないことが、

会員の不満や不安を激しく募らせたように思う。

特にNGOで展開してきた運動面がどのように組織内に位置付けられ、

会員の活動が保証されてゆくのか。

35年続いてきた、" 運動体と事業体を車の両輪として展開させる " 

という組織論の発展的転換。 

これを進化と言われてもイメージできない、というのも尤もなところだと思う。

 

組織論というのは、未来永劫にわたってこれこそが正しいと言い切れるものはなくて、

社会状況とともに変化させることも必要になる時がある。

NGOと株式会社が時に別々に切り分けられて語られることに対する漠とした不安は

僕らの中に常にあったし、この組織において、NGOだけが美しく存在し続けることは

実態としてあり得ない。 

大地を守る会は  " 無農薬の大根一本を、つくり、運び、食べる "  運動から始まったのだし、

会員は生産者と消費者 (と事業体の社員) なのだから。

一方でひとつになればなったで、

事業体が持っている宿命的な業(ごう) に運動面が引きずられ、

その健全性が維持できるかという不安も生まれる。

 

だからこそ2年前、僕らは会社の定款に

「 『自然環境に調和した、生命を大切にする社会』 の実現を目指す社会的企業」

であり続けることを、憲法の前文のように付記した。

" 設立時の理念を本業のなかに血肉のように浸透させ、たたかい続ける企業となる " 

宣言である。

とは言ったって、どんな形にしても、要(かなめ) は構成員の意思の持続性にかかっている。

 

加えて、将来的に会社の上場を目指すという大胆な表明もあり、

両総会は合併と上場論議とが交錯しながらの進行となった。

「今はまだ、(上場は) 少年が東大に入ると宣言したようなものですから・・・」

という会長説明もなかなかだけど、

こういう事業にこそ社会は投資すべきではないか、

と言い続けられる事業が展開できたなら、それはそれで挑戦に値する、という思いはある。

これは囲碁や将棋でいうところの、驚くべき次の一手、新手である。

 

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この 「承認」 は期待の大きさとともに、責任の重大さの自覚が求められた決議であることを、

僕らは肝に銘じなければならない。

35周年宣言の起草に関わった者が言うのも恥ずかしいが、

自分の現役中にここまで来ようとは、とても思わなかった。

時代の変化はスピード感を増している。 

それだけ大きな社会的期待を受け止める決意表明をしたわけだ。

社会変革を目指す運動論をエンジンに据えた事業体を、

僕らはビジョンとモラルを持って走らせなければならない。

世界を席巻するグローバリゼーションを前にして。

 

35周年。 

よくぞここまで、で終わるわけにいかない。

新たな時代を拓く、厳しい船出を、とりあえずみんなで励まし合う。 

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ご参加いただいた皆様、有り難うございました。

 

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生産者を代表して、設立時からお付き合いいただいたお二人から

ご挨拶をいただく。

 

静岡県浜松市のお茶の生産者、樽井ちえ子さん。 

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北海道江別市、じゃがいもの生産者、金井正さん。 

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そして、加藤登紀子さんはビデオ・レターでメッセージを送ってくれた。 

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藤本敏夫・登紀子夫妻の遺伝子を受け継いだ、八恵ちゃんが謳ってくれた。

 

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彼女を見ると、配送員時代 を思い出してしまう。

オレも頑張ったよ、と言いたくなっちゃうのだ。

 

記念のケーキを用意してくれた、ムーラン・ナ・ヴァン の加藤パティシエにも感謝。

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最後は、職員が並んで皆さんをお見送り。 

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感謝と、次の時代への決意を込めて。

ガンバローね、みんな。

 



2010年11月13日

「はたまる」- " もったいない " 以上の価値を創造したい!

 

遅れ遅れでも書き綴っていこう、なんて殊勝なことを言いながら、

どうにも手が回らなくなってしまっている。

近しい人の不幸もまだどっかに引きずってしまっているのか、

モヤモヤした疲労感も消えない。

しかしこのままだとまったく書けなくなるので、

この間の出来事をざっくりと、細切れ的にでも振り返る形で近況報告に代えたいと思う。

一件一件それぞれに書き応えのあるネタなんだけど、

抱えてしまうとなかなか前に進めないし。

マージャンで言うところの、一役(イーハン)下げて上がれ、って感じで。

 

さて、話の前後はかまわず、途中端折ってしまったこのあたりから。

10月29日(金)、大地を守る会の臨時総会&35周年記念パーティの前日。

千葉・幕張で加工品製造者会議が開かれる。

僕は農産担当なので関係ないように見えるが、

実は加工品の原料供給という形で深い関わりがある。

当会の加工食品は原料から  " 顔の見えるもの "  を目指しているので、

当会生産者会員のつくった農産物を使用していただいているものが数多くある。

 

そこで会議の途中に割って入ってPRしたのが、

いよいよ新製品が登場するはこびとなった 「はたまるプロジェクト」 による乾燥野菜である。

畑で発生する規格外の野菜や傷がついてしまった果物から新しい価値が生まれる、

あるいは豊作時の余剰対策としても活用する強力な武器に育てたい。

ここにどうしても登場いただかなければならないのが、加工のプロの技である。

農業生産と食品加工が力強く連携して、魅力ある食品を開発してもらえないか。

" もったいない "  以上のものを!

 

15分のプレゼンだったが、意気に感じてくれた、あるいは面白がってくれた方々から、

200件を越えるサンプル依頼が、一週間で入った。

これは僕らのネットワークの威力を表現するものにもなるはずだ。

 

さて、はたまるプロジェクト第1弾の開発商品は3品。

生姜とワサビのパウダー、そしてトマトのスライス。

関係者でハイタッチしたくなるほどのオーダーをいただいたのだが、

なんと・・・・・本番になって原料供給が間に合わず、

一部の方々には一週遅れのお届け、となってしまった次第。

先週はそのフォローでウロウロしてしまったのだった。

しかし、これはけっしてズッコケなんかじゃない!!!!

規格外品と付き合うというのは、こういうことなのだ。

僕らは誰もやらなかったことに挑戦しているのだ。

 " 産みの苦しみ "  と言い訳させてもらいたい。

---と、すぐに開き直るのが我々の青臭いところなんだけど。

 

( 勤務時間を度外視して作業にあたっていただいたジェイラップの皆様。

  深く感謝します。 )

 

ところで、製造者会議ご担当の方々。

記録写真ぐらい撮っておいてもらいたいです。

 

画面が寂しいので、ブナの絵でも-

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        (11月3日、「秋田・ブナを植える集い」 から。撮影:西田和弘)  

 

では次。 大地を守る会の歴史的一日となった10月30日。

さて、、、どうまとめればいいのかしら ・・・

 



2010年11月 4日

『有機農業の技術と考え方』 出版記念シンポジウム

 

11月3日は文化の日。

明治天皇の誕生日(昔の明治節) で、日本国憲法が公布された日。

(参考情報・・・ 憲法の施行は翌年の5月3日。 憲法記念日はこの日に設定。

 ちなみに昭和天皇の誕生日である4月29日はいったん 「みどりの日」 として設定されたが、

 2005年から 「昭和の日」 となり、「みどりの日」 は5月4日に移動。

 GWを充実させることは、お金がたくさん動くために、いやモトイ! 国民の憩いのために

 政治的にご配慮いただいたものなのです。 おウチでゴロゴロしてはいけません。)

 

日本国憲法の精神を尊び、「自由と平和を愛し、文化を薦める」 この日は、

僕にとっては 「ブナを植える日」 になっている。

しかし、、、「仕事」 という現実は、個人の憲法精神など容赦しない。

このブログで 「今年は行かなくちゃ」 宣言をしたにも拘らず、

前日のうちに現地 (秋田県大潟村) に入ること叶わず、

ついに3年連続での 「エビちゃん、欠品」 となってしまった。

「ライスロッヂ大潟」 代表・黒瀬正さんも残念がってくれながら

「仕事か。 ほら、しゃあないなぁ。 まあ無理せんと・・・」 と慰めてくれた。

しかし本音は 「もうちっと働いて、米売ってよ」 に違いない。 

 

でもお陰で、空けてあった3日は別のほうに無理を働かせて、

参加を断念していた都心でのシンポジウムに出ることにした。

この夏、出版社 「コモンズ」 から上梓された

『有機農業の技術と考え方』 の出版記念シンポジウム

 - 「生命(いのち) を紡ぐ農の技術(わざ) -第Ⅱ世紀有機農業技術の展望-」

 

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有機農業推進法が成立して4年。 待望の書、である。

編者は中島紀一・金子美登・西村和雄の各氏。 編集協力=有機農業技術会議

17人の執筆者による、有機農業の初の体系的技術書と銘打たれている。 

 

シンポジウムの会場は神田・総評会館。

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100席ばかりの会議室が定員オーバーとなって、椅子席が追加された。

「こんなに来てくれるとは思わず・・・」

と、コモンズ代表の大江正章さんが頭をかいている。

それだけ本書の刊行は喜ばれたともいえるし、

期待が高かったぶん実践者からは手厳しい不満も提出されるという、

期待以上にエッセンスの効いたセッションになった。

 


この本を料理するのは難しい。

編者および大江さんの力量がなければまとめられないだろう、かなりイイ

 「有機農業の総合的入門書」 になっている。

有機農業が創り出してきた、そして未来への豊かな可能性も執筆陣から伝わってくる。

中島紀一さんが当初目指した 「スタンダードなテキスト」 としても

一定の成功を果たしていると思う。

 

ただ・・・・まだ 「有機農業の体系」 には至っていない、というのが率直な感想である。

これはけっして批判ではなく。

 

各論に噛みついたのはこの人である。

福島県喜多方市山都町、 「チャルジョウ農場」 小川光 。

まったく遠慮を知らない、直球しか投げられない実証主義者。

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今の食生活を現実的に支えている施設栽培について、まったく触れられていない。

ハウス栽培での有機農業は可能だし、トマトの連作も可能である。

私はそれを実践によって証明してきた。

栽培技術もまだ近代農業の理論や考え方を引きずっているところがある・・・・・

 

そして、僕にはこの人の言葉がこたえた。

福岡から参加された八尋幸隆さん。

- 有機農業の社会的側面をもっと表現すべきである。

  有機農業推進法が制定されたことは画期的なことではあるが、

  有機農業が真に社会に受け入れられるためには、そのための具体的な働きかけが必要である。

  「有機農業に対するニーズは増大しているのに生産現場がそれに対応しきれていない

  ではないか、もっと頑張れ」 と尻をたたかれても、中央ではいざ知らず、

  地方では 「どこにそんなニーズがあるの」 という感じである。

  消費の現場での建前と本音があまりにかけ離れた現状で有機農業生産のみ推進すれば、

  地方では小さなパイを奪い合うことになりかねない。

  社会にどう働きかけてそのパイを大きくしていくのかについての

  方法論が必要なのではないかと考える。

  これから参入しようとする若い新規就農者のためにも。

 

有機農業推進法で加速された生産促進は、

あっという間に生産と消費のアンバランスを露見させた、ということである。

でもそこに入り込むと技術論をはみだして編者が気の毒にも思うのだが、

有機農業は必然的に社会の価値観 (流通のあり方から食べ方、ライフスタイルまで)

の転換も求めるものである以上、流通論は避けて通れないテーマではあるのである。

「有機農業運動」 論はずっと、その生々しい現実論を避けてきた。

 

そこで想定外に発言を求められたりするのだが、

「有機農業第Ⅱ世紀」 を展望するなら、単に 「流通」 という枠ではなく、

「社会ビジョンづくり」 の一環として構想したいもんだと思う。

「我々にはその用意がある!」 と肝心なことを言うのを忘れた。

 

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シンポジウムの後の懇親会で僕が漏らした不満は、

果樹栽培へのアプローチがまったくないこと、だった。

 

ま、そんなこんなも含めて、『有機農業の技術と考え方』 として、

構想から5年にしてまとまった労作に、ひとまず拍手を送りたい。

栽培者でなくても、安全な食べものを求める人には、ぜひ読んでほしいと思う。

有機農業が到達した地平の 「今」 が語られているから。

細かい話は頭に入らなくてもいい。 現場での技術論はもっともっと多様なので。

その多様な世界をまとめるのは、次の課題である。

 



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