田んぼの生物多様性の最近のブログ記事

2013年8月19日

朱鷺の舞う島へ

 

・・・やってきた。 

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大地を守る会の専門委員会 「米プロジェクト21」 のメンバーたちと組んだ、

公式ツアー企画を検討するための予備調査も兼ねての訪問。

僕にとって佐渡は、11年ぶり である。

 

8月17日(土)、7時48分発Maxとき307号で新潟へ。

新潟港からジェットフォイルで65分、

昼過ぎに佐渡島の真ん中に位置する両津港に到着。

港で出迎えてくれたのは、

佐渡 「トキの田んぼを守る会」 代表の斎藤真一郎さんと

大井克己さん、土屋健一さん、そして

佐渡市農林水産課長の渡辺竜五さん。

渡辺さんが市のマイクロバスを用意してくれて、運転手まで買って出てくれた。

 

港では、お米の仕入・保管・精米等でお世話になっている (株)マゴメの

馬込和明社長も合流。

さらには、なんと宮城県大崎市から車を飛ばして、

「蕪栗(かぶくり) 米生産組合」 代表の千葉孝志・孝子夫妻まで

駆けつけてくれた。

千葉さんも実は、生産組合の視察企画を考えての佐渡入りである。

そしてバスに乗り込めば、

佐渡の平たねなし柿の生産者、矢田徹夫さんが

笑顔で待ちかまえていた。

「矢田さんじゃないスか! いやーご無沙汰です。 お元気そうでなにより!」

この面子がそろっただけで、充実の交流が約束されたようなものだ。

 

まずは腹ごしらえ。

佐渡のB級グルメとして売り出し中の、佐渡天然ブリカツ丼。 

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佐渡の海で獲れた天然ブリに、

米は 「朱鷺と暮らす郷づくり認定ほ場」 で栽培されたコシヒカリ。

衣はその米粉使用という " オール佐渡 "  のこだわり。

その土地の食を記憶させることは、旅の大事な要素である。

しかも、庶民も気軽に食べられるお値段であることがキモだ。

" B級 "  にもちゃんとしたコンセプトがある、ってことね。

ウマかったです。 ご馳走さまでした。

 

さて、豪華メンバーとなった我々一座は、

両津から加茂湖を右手になぞりながら島の南側・小佐渡山地へと

入っていく。

朱鷺湖と命名されたらしい小倉川ダム湖からさらに上流に登り、

到着したのは、小倉千枚田。

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1969年から始まった減反政策以降だんだんと耕作放棄されてゆき、

荒廃地になってきたところを、5年前に復活のための支援が呼びかけられ、

オーナー制度 「トキの島農園小倉千枚田」 がスタートした。 

 

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田んぼごとにオーナーの名札が立てられている。

オーナー1口(1区画) 3万円で、30㎏のお米が届けられる。

募集した65口のオーナーは、すぐに予約が埋まったほどの人気である。

おかげで田んぼは90枚近くにまで復活した。 

それにしてもこの傾斜、小さな機械しか入れられない。

草を刈り、畦を塗り直し、水路を補修して、、、

かなり厄介な作業だったろうと推測する。

 

棚田の解説をしてくれる渡辺課長。 

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渡辺さんの話によれば、佐渡の棚田は、

金山発見によるゴールドラッシュの賜物である。

採掘の労働者はじめ人口が増え、米の需要が高まるにつれて、

棚田が開かれていったのだという。

しかも佐渡には自作農が多かった。

だから守ってこれたのだとも。

 

中には、こんな奥にまで、とビックリするような場所にも

田んぼがあったりするらしい。

いわゆる  " 隠し田 "  というやつか。

金山が発見されたのは、関ヶ原の戦いの翌年(1601年)。

江戸幕府は佐渡を藩とせず、天領として直接統治した。

流人や無宿人も含め増える人口に対して、

秩序を保つためにも食糧は厳しく取り立てられたに違いない。

隠し田という言葉には、農民が刻んだ深い皺の、

その溝の奥に染み込ませた執念を思わせる響きがある。

 

よく見るとまだ荒地も残っていたりするけれど、

まあ見事に復田させたものではある。

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話を聞かされると、僕も一口、という気になるのだが、

その前に食べなきゃいけない、約束の米がたくさんあって。。。 

 

一角で、畦を野焼きしている作業が見られた。 

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野焼きは禁止された行為ではないか、と思われるかもしれないが、

農地や草地、林地の現場では、その必要性と効果は認められてきたものだ。

焼くことによって地表の植物が焼失し (地下部分は生きている)、

優先種による支配への遷移を防ぐ。

枯れ草もなくなり、裸地になって炭や灰が残る。

黒くなった地面に直接日光が当たると地温が上がり、

地中の微生物が活性化される。

それまで支配しつつあった優先種がいなくなったことで、

様々な埋土種子が発芽してきて、植物の種類が多くなる。

植物の種類が増えると昆虫の種類も増える。

窒素量が増加し、灰分とともに植物の栄養となって利用される。

その意味で、野焼きはただ草を刈るよりも生物多様性を高める。

適度にかく乱してやったほうが生物多様性が高まることを、

中規模攪乱説という。

 

また炭は長く土中に固定される。

CO2を吸収して育ち、炭となって土の浄化を助ける。

カーボン・オフセットという概念にも含まれる技術であって、

農林草地の野焼きは、CO2の増大を招くものではない。

ゴミを燃やしているワケでは決してないのだ。

 

山から下りて、斎藤さんの田んぼを見せていただく。

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冬水たんぼに江(え) の設置など、生き物たちのために田んぼを活かす。

経済的な生産性追求でない、もっと大きな世界と共存するための手仕事を、

米価低迷の時代にあって実践する人たちがいる。

僕らはこの外部経済 (それがあることによって、その商品価値以外の価値が守られている)

の意味を、ちゃんと問い直さなければならない。

 

ただ冬水たんぼは、けっして良いことだけではないようである。

収量や食味の点から見ても、3年目から弊害が出てくる、と斉藤さんは語る。

草の出方にも傾向があるようで、この技術を活かしきるには

もっと実践者同士の技術交流が必要なようだ。

 

斉藤さんの説明に反応し、自らの経験からアドバイスを送る

宮城の千葉孝志(こうし)さん (写真中央)。

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田んぼの縁にもう一本の水路をつくり、

田んぼを干した時にも水生生物が生きられる場所を用意する。

この 「江(え)」、ビオトープは、仲間の共同作業でつくられたものだ。

 

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トキの野外復帰を進め共存する、と口で言うのは簡単だけど、

このフィールドは国立公園内の話ではない。

これは一次産業者たちの暮らしとともに実現させるプロジェクトなのである。

僕らのベスト・タイアップは、どんな形なのだろうか。。。

 

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思いを深めるには、現場をもっと知らなければならない。

いや感じ取る必要がある。

 

さあ、トキを見に行こうか。

 



2010年12月18日

千葉さんのたたかい

 

朝にゆく雁の鳴く音は吾が如く

 もの念(おも) へかも 声の悲しき  (万葉集巻十、詠人知らず)

 

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いにしえより多くの和歌に詠われ、日本人に親しまれてきた雁。

その声は聞く人のそのときの心情に重なるように響いてくる。

ガンは家族の絆が強く、いつも仲間と群をつくって一緒に行動する。

朝、餌場に向かって飛び立つとき、夕、ねぐらに帰ってくるとき、

彼らは数種類の声で仲間を呼び合い、助け合いながら、生きている。

 

彼らはシベリアのツンドラ大地から4,000kmを旅してやってくる。

その数10数万羽とか言われているが、正確なところは分かっていない。

分かっているのは、この半世紀くらいの間に飛来地が急速に消滅していったことだ。

かつては全国各地にガンの姿が見られたが、ねぐらになる湿地帯が開発されるにつれ、

越冬の集中飛来地はここ宮城県が最南端となった。

今ではマガンの9割が宮城県の伊豆沼から蕪栗沼にいたる周辺に飛来してくる。

 

その蕪栗(かぶくり) で有機米を栽培する生産者、千葉孝志さんは この春

冬にも田んぼに水を張るために井戸を掘り、

太陽エネルギーによって水を汲み上げるという装置を設置した。

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すべては野鳥の餌場とねぐら確保のためである。

分散させる、というねらいもある。

餌場が集中すると、麦の新芽などを食べたりして、

農業との共生もうまくいかなくなる。 

行き場をなくしたガンたちが集まってきて、観光客も増えただろうが、

この状態はけっして望ましいこととはいえない。

それでも何とか共存しようとする千葉さんたちの苦労は、ただただ頭が下がる。

 

いよいよ冬となり、渡り鳥たちもやってきて、

さて太陽光パネルはちゃんと稼働しているだろうか。

鳥たちはこの田をねぐらにしてくれているだろうかと、

12月11日(土)、大地を守る会の専門委員会 「米プロジェクト21」 メンバー

とともに現地を訪れた。

 

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水は張れるようにはなったが、まだ力不足だと、千葉さんは言う。 

12時間蓄電して4時間回せる、しかしこの時期は太陽が照る時間が少ない。

また周囲の見晴らしがいいためか、白鳥やカモは来てくれるが、

警戒心の強いマガンがねぐらにすることはないらしい。

 

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この装置は、(株)日本エコシステムさんから、デモ用の機器を譲ってもらったもの。

設置費用は、エコシステムさんと千葉さんと大地を守る会で折半した。

千葉さんはなるべく経費をかけないようにと、自分の手で畦を塗り、柱を立てた。

すべてを金額に換算すれば、ここの田んぼの米の売上にして7~8年分くらいになるか。

とても真似できるものではない。

 

渡り鳥たちの貴重な越冬地としてラムサール条約に登録された千葉さんたちの田んぼ。

米だけじゃない、生き物も一緒に育てる田んぼ、

この意味を理解するからこそ、千葉さんは率先して自らの姿勢を見せた。 

 

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しかし僕らはまだこの本当の価値や豊かさを表現できていない。

数万羽の渡り鳥たちがここで餌を食み、体力を蓄え、子を育て、

春になる前にシベリアへと帰る。

八郎潟-北海道宮島沼を経て、カムチャッカ半島ハルチェンスコ湖まで

1,000 km を休まずに飛びきる。

彼らを支える沼と田んぼの力を保証できるだけのお米の代金を、

僕らは払い切れているのだろうか。

 

視察時は、周囲で大豆の刈り取りなどで機械が動いていたため、

残念ながら白鳥は飛び去っていて、写真に収めることができなかった。

ま、それは仕方ないとして、一行は田んぼから蕪栗沼まで移動する。 

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鳥たちが餌場から帰ってくる時間だ。

数え切れない大群が押し寄せてくる。 あっちからも、こっちからも。

一同、口をあけてただただ歓声を上げるのみ。

 

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秋の田の穂田を雁がね闇(くら) けくに

夜のほどろにも鳴き渡るかも  (万葉集巻八、聖武天皇) 

 

見よ! この田の力を。 

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彼らは意外なことに虫より草を食べる。 イネの落穂だけでなく、雑草を食べてくれるのだ。

そして貴重なリン酸肥料をお礼に置いていってくれる。

有機栽培を手伝ってくれている仲間だと言うと大げさかもしれないけど、

ちゃんと生命の循環に連なっていて、無償で与え合っている関係ではある。

いつか、大きな生命の連鎖から与えられる枯渇しない  " めぐみ "  によって

私たちも生かされているということが、あたり前に認識される日は来るのだろうか。

ねぐらに帰るガンの鳴く声が切なくも聞こえる。

 

世界で初めて田んぼが貴重な湿地帯として認められた、ここ蕪栗。

注目され人がやってくるのは地域にとっては嬉しいことだろうが、

鳥による作物への食害は日常茶飯事であり、

渡り鳥との共生なんて余計なことと考える人も厳然と存在する。

千葉さんたちの苦労は絶えず、たたかいは続く。

 

夜は宿に他の生産者もやってきて、またお隣の中田町から大豆の生産者・高橋伸くんも

お酒を持って顔を見せてくれた。

楽しい懇親会となったのだが、さて、失敗したのは翌日である。

 



2010年11月29日

5668

 

てんさん、農民たかはしさん、まっちゃん、Anonymousさん、sakuradaさん、

コメントを頂戴しながらすぐに返事できずにスミマセン。

遅ればせながらコメント追加してますので、ご確認ください。

 

それから、訂正です。

前回の日記で、自分が発言している写真のところで、

 「背景に映っているのは、高知県馬路村のPRコピー。

  『日本の風景をつくりなおせ』 (羽鳥書店) の著者、梅原真さんのデザインによるものらしい。」

と書いてしまいましたが、思い込みによる記述でしたので削除しました。

お詫びいたします。

でも梅原さんの仕事は、地域力を考えたい人、デザインを目指す人は注目です。

上記の著書に加えて、お詫びついでに紹介したい一冊を。

『おまんのモノサシ持ちや! -土佐の反骨デザイナー・梅原真の流儀- 』

(篠原匡著、日本経済新聞出版社刊)。

 

で、早稲田で飲んだ翌24日、当会六本木分室で開かれた

「生物多様性農業支援センター(BASC)」 の理事会に、夕方遅れて出席する。

僕は理事ではなく、理事に名を連ねる藤田会長の代理出席である。

ここだけの話(ある意味当然のことだけど)、会長の代理は各分野にいて、

米とか田んぼとかのキーワードがあると指名がかかってくる。

場合によっては代理の代理で突然に指令が降りてくることもある。

困るのは、時々思いつきで声がかかることだ。

光栄と思うべきなのだろうけど、

「エビスダニ、この日は暇か?」 とか聞かれると、ムッとなるね。

ヒマです、と言える日がほしい・・・・・

 


内輪話はやめよう。 あとがコワいし。

話はBASCの理事会である。

原耕造理事長からこの間の活動報告と今後の方針案が説明され、理事の方々で審議される。

正直言って、厳しい運営状況である。

たくさんの有識者や団体からの支援と熱い期待を受けて、

生物多様性を育む農業を支援するナショナルセンターたるべく設立された組織だが、

独立した事業として確立させることは容易なことではない。

理事代理の立場で無責任な論評は避けるが、

田んぼの生物多様性を育て確認するノウハウはそれこそ多様にあって、

田んぼの生き物調査にしても、手法や価値の伝え方は農家自身の手で発展させられる

ものだったりするので、事業ベースとして (つまり収入源として) 展開するには

オリジナルなテキストや人材派遣(講習会などの開催) だけでなく、

実践する農家を魅力的にネットワークして新たな価値を創出する手立てを

考えなければならないように思える。

難しい課題である。

 

久しぶりにお会いした NPO法人たんぼ 理事長の岩淵成紀さんから

とても素敵なクリアケースをいただいた。

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この秋名古屋で開催されたCOP10 (生物多様性条約第10回締結国会議)

に向けて制作された 「田んぼの生きもの全種リスト(簡易版)」 の表紙デザインだ。

 

「田んぼおよび田んぼ周辺に生息する動植物の全種リスト」 -5668種。

14名の専門家によって作成委員会(委員長:桐谷圭治氏) が結成され、

足かけ4年、いや5年になるか。 3度の改訂を経て、5668種がリストアップされた。

その間、100人近い専門家が手弁当で協力している。 

 

田んぼとその周りには5668種の生きものがいて、食べあいながら共生している。

その曼荼羅のように織り成される生命のネットワークによって、

それぞれの生命もまた支えられている。 もちろん私たちも、だ。

この土台はきわめて強靭ともいえるし、繊細な綾のようでもある。

宇宙のごとく深遠な世界が、ずっと農というヒトの営みに寄り添うようにあって、

あたり前に維持されてきた・・・・のだが。

リストは、そんな世界の見える化への執念の賜物だ。

国家的財産が出現したと言ってもいい。

「5668、5668、世界をオオーッと驚かせた数字です。 皆さん、覚えてくださいね」

岩淵さんが熱く語っている。

 

厳しい運営の話とは別に、楽しかったのはそのあと。

残った数名で、例によって 「懇親会」 という名の一席。

福岡から来られた宇根豊さんと、宮城から来た岩淵成紀さんの両巨頭を囲んで

農政談義からミクロの話まで花が咲く。

なかでも岩淵さんが取り出したⅰPad をめぐって噴き出した論争は、

二人の個性を面白く表現していて、

ちゃんとやってくれるならお金を払ってもいいと思ったほどだ。

" 先端技術が生み出した世界が広がる道具 "  を、生きもの曼荼羅の世界から見つめる。

宇根豊 Vs.岩淵成紀。 どう?

 

さすがに三日連荘で、疲れが出てきたか・・・

部下の視線も厳しい今日この頃。

 



2010年5月22日

生物多様性農業支援センター総会

 

今年は国際生物多様性年。 10月には名古屋で国際会議(COP10) も開かれる。

そして今日は、国連が定めた 「生物多様性の日」 である。

 

当方としては、わが 「稲作体験2010」 田植えの前日ということもあって、

本来はその準備のために現地(千葉・山武) に入るのだが、

今回は若手職員たちによる実行委員会にお任せして、

NPO法人「生物多様性農業支援センター」(略称:BASC、バスク) の総会に出かける。

場所はなんと高尾。 町田市相原の山の中にあるJA教育センター。

 

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設立されてから丸2年が経った。

その間、田んぼの生きもの調査の全国的な展開やインストラクターの養成、

映画 『田んぼ』 の制作、シンポジウムや国際会議の開催などに取り組んできた。

その活動内容を確認するとともに、今期の活動方針・予算などを審議する。

総会というと、通常なら議案の提案(読み上げ) と多少の質疑で終了したりするものだが、

昨年度の決算状況が芳しくなかったこともあって、

今期の方針と予算見込みの実現性について、また執行部の運営体制について、

ずいぶん厳しい声も上がって紛糾したのだった。

 


なにしろこのNPO、JA全農という大御所から生協、環境保護団体などなど、

そうそうたる団体の代表が理事に名を連ねて設立された

重量級の特定非営利活動法人である。

大地を守る会からも藤田会長が理事になっている (僕はいつも代理での出席)。

それだけに運営に甘いところがあると、実に手厳しい。

 

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なんとか議案がすべて承認され、緑豊かなJAの研修施設をあとにして、

夕方から何名かで高尾駅前の居酒屋で一杯やる。

 

NPOの運営というのは難しいものだ。

田んぼの生き物調査を実施するにも経費がかかる。

しかしそれで収益を上げようとすると農家もなかなかついてこない。

そもそも全国どこでも手軽に実践できるようにと、

指導者を養成する講習会なども開いてきたのだ。

 

田んぼの生き物調査のナショナルセンターをつくろう、

という理念は良しとして、その運営の自立に向けては、まだまだ課題が山積している。

「大地さんも、もっと働いてよね」 -原耕造理事長のセリフが重たい。

 

帰りの電車では、福岡から毎回理事会に出てこられている宇根豊さんと

二人だけになって、ほろ酔いでお喋りしながら帰ってくる。

「市民による民間型環境支払い」 を応援する 「田んぼ市民」 なる制度も立ち上げ、

おいそれと引けないね、とか何とかかんとか。

宇根さんも、今年が正念場だと感じている。

しかし、みんなそれぞれに自分のところで手いっぱいな面もあって、

どうしても執行部に任せてしまうところがある。 いや、なかなかに難しい。 

 

稲作体験のスタッフに電話を入れると、

準備は順調にはかどって、

何人かが事務所に戻って参加者全員に電話掛けをしている、とのこと。

天候が悪いと不安になって問い合わせてくる方が多いので、

先に 「明日は、雨でもやります」 という連絡を入れようということになったようだ。

今年の稲作体験は、応募者78世帯240名。

抽選で約160名まで絞らせていただいたが、それでもけっこうな件数だ。

まあ、よく判断して動いてくれていると思う。

こうして僕の出番はだんだんとなくなってゆくんだよね。

 

明日、何とか小雨ですみますように。

 



2010年2月25日

宇根豊さんを囲んで

 

21日の日曜日の午後、エキュート大宮を覗いたあとで、

秋葉原にある日本農業新聞社という新聞社に出向いた。

ここの会議室で、「宇根さんを囲む会」 なる集まりが開かれたので、

遅まきながら報告しておきたい。

 

宇根豊さん。

このブログでも何度となく登場していただいている、" 農の情念 " を語る人。

長く農業指導にあたった公務員職を投げうって、10年限定の活動と定めて

NPO法人「農と自然の研究所」 を設立したのが2000年の時。

早いものでもう10年が経ってしまった。

 

3月の解散総会を前に、

宇根さんに触発されながら生きてきた人たち有志による、小さな集まりが企画された。

研究所の解散を惜しむ人はあまりいない。 これで宇根豊が枯れるワケじゃないから。

むしろこれからの宇根ワールドの展開を期待しつつ、

これまでの労をねぎらいたい人、感謝する人、注文をつけたい人、

農業団体の方、林業家、研究者、マスコミ人、出版人、市民団体のリーダーなどなど

各方面から約30名ばかりが集まった。

こういう会にお声かけいただくとは、光栄なことだ。

ここは女房に何と言われようが、出なければならない。

(別に何か言われたわけではないけれど、決意の程の表現として-)

 

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この日の宇根さんの話は、研究所10年の活動を振り返るようでいて、実は 

宇根さんが 「虫見板」 なる道具を使って害虫の観察を指導した頃からの、

30年で到達した地平と、まだ出ていない " 解答 " について、だった。

 

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「10年で、まあまあ布石は打てたか、と思う。

 生き物調査は、生物多様性農業支援センターに引き継がれたし。」

 

「さて、虫見版はどこまで深まったのだろうか。。。ということです。」

 

ここで宇根さんが描く次の地平を語る前に、

改めて宇根豊がいたことによって開眼された世界を振り返ってみたいと思う。

この席に呼んでもらった者の仁義として。

 

僕なりに時系列的に追ってみると-

虫見版は当初(80年代初頭)、害虫対策として始まった。

ただ言われた通りに農薬をふるのではなく、

たとえばウンカが今どれくらいいるのか、どの生育期にあるのかを確かめた上で、

「適期(最も効率のいいとき) にふらんといかん」 という、

極めて当たり前のようでいて、当時の上からの一律的な指導とは一線を画すものだった。

そのことは、田んぼの状態は一枚一枚違うのだということを思い出させ、

また自分の判断で農薬を撒くという主体性を取り戻させた。

結果的に農薬散布回数は劇的に減っていったのである。

それは 「減農薬運動」 と称されて注目を浴びるのだが、

しかし 「減~」 であるゆえに、有機農業側からは、自分たちとは違うものとして扱われた。

 

虫見板(による減農薬運動) の普及は、

百姓 (ここは宇根さんの表現に倣って使わせていただく) たちに虫を眺める姿勢をもたらした。

そこで発見されたのが、「よい虫・悪い虫・ただの虫」 という概念である。

田んぼには、害虫や益虫だけでなく、

実にたくさんの  " どっちでもない、よく分からない "  ただの虫たちがいるのだ。

しかもその数は、益虫よりも害虫よりも、圧倒的に多い。

(ちなみに、宇根さんたちがまとめた生きものリストでは、害虫より益虫のほうが多い。)

 

その虫たちの名前を知りたい (名前で呼びたい)、

どんなはたらきをしているのかを知りたい、という欲求は、さらに観察力を高めた。

そしてそれまで見えていなかった世界をつかむことになる。

 

トビムシはワラの切り株を食べて土に還すはたらきをしている、という発見。

虫たちのためにも農薬をふるのをやめよう、という感性の復活。

虫たちが食い合いながら共生して田んぼの豊かさをつくっているという、

今でいう生物多様性(生命循環) と、百姓仕事がつながっているという世界の獲得。

 

「宇根さん。今年、ウチの田んぼでタイコウチが見つかったんだよ! 30年ぶりかなあ。」

「あんたは30年ぶりに見たかもしれんが、タイコウチは30年、あんたを見とったとよ。」

「そうなんだよ。そうなんだよ。」

 

この世界は、田んぼだけのものではない。

見渡せば、風景そのものが生きものたちで構成されている。

ヒトはそれらを手入れしながら、一緒に生きてきたのである。

生物多様性と農業のかかわりが見つめ直されてきた時代にあって、

今では有機農業者たちも、宇根さんたちが獲得してきた世界と思想から学ぼうとしている。

 

そして、宇根さんがこれからまとめようとしているのが、「風景論」 である。

自然は生命の気で満ち満ちている(天地有情)、その生命たちで構成された風景をこそ、

私たちは美しいと感じるのではないか。 

さて、この世界を百姓仕事の側からどう表現するか・・・・・

「自然」 と言わず 「天地」 と語り、

「景観」 と言わず 「風景」 と語りながら、宇根さんはまだ深く言葉を探し求めている。

 

参加者の中から、北の宮沢賢治に南の宇根豊、という言葉が漏れた。

う~ん、分からなくもない・・・・・

脳裏にあるのは、たとえば賢治の 「農民芸術論」 だろうか。

 

  いまやわれらは新たに正しき道を行き われらの美をば創らねばならぬ。

  芸術をもてあの灰色の労働を燃せ。

  ここにはわれら普段の潔く楽しい創造がある。

  都人よ 来ってわれらに交われ  世界よ 他意なきわれらを容れよ。

 

  なべての悩みをたきぎと燃やし なべての心を心とせよ

  風とゆききし 雲からエネルギーをとれ

 

  ・・・おお朋だちよ。 いっしょに正しい力を併せ われらのすべての田園と

  われらのすべての生活を 一つの巨きな第四次元の芸術に創りあげようではないか・・・

 

「景観」 とか 「自然」 とか 「多様性」 とか 「農業技術」 とか、

口に出した瞬間から、思いが指の間からこぼれ落ちていくような焦燥とたたかっている

彼の追い求める道が、農民の芸術を創り上げたいという渇望にも通じているとするなら、

たしかに彼は " 農の思想家 " であるのみならず、

農民、いや " 百姓の芸術 " 論を紡ぎ出すことのできる、希望の一人だろう。

 

帰りたがらない一行は、アキバの中の古民家づくりの居酒屋で気炎を上げる。

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宇根さんを囲んで宇根豊談義は尽きず、

まあ実に熱い人たちだ。

 

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虫見板からはじまって、6000種に及ばんとする田んぼの生き物リストの完成まで、

実にたくさんの 「語れる道具」 を編み出し、惜しみなく僕らに与えて、

「農と自然の研究所」 を約束どおりきっちりと閉める宇根豊の表情は、

少し晴れやかにも見える。

彼の思索はまだまだ続くのだが、僕らもただ彼の仕事を待つのでなく、

歩かなければならない。

 

あさっての東京集会で世に出る 「たんぼスケープ」 は、

実は僕なりの 「生きもの語り」 「風景の発見」 「まなざしを取り戻す」

ネットワークづくりへの挑戦でもある。

 



2009年12月19日

「環境創造型」 農業

 

宮城県北、栗原市と登米市にまたがる日本初のラムサール登録湿地、

伊豆沼と内沼地域。 

晩秋の頃になると、ここにたくさんのマガンやハクチョウが舞い降りてくる。

北の大陸から日本に渡ってくるマガンの、何と8割がここで越冬する。 

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冷たい風に雪がチラチラと舞う冬の伊豆沼。

 

その伊豆沼を見下ろす高台に建てられたサンクチュアリセンター。 

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館内には、伊豆沼・内沼周辺の環境や野鳥に関する様々な資料が展示されている。 

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ここの会議室で今日、「環境創造型農業勉強会」 なる集まりが開かれた。

 


勉強会を主催したのは 「ナマズのがっこう」 という団体。 

「農業と自然環境の共生」 を掲げて6年前に結成され、

魚が水路から田んぼに遡上できる水田魚道の開発や、

冬水田んぼと有機栽培による米づくり、環境教育プログラムの実施、

希少生物種の保全などに取り組んできた。

事務局長の三塚牧夫さんは県の職員として勤務する傍ら、

有機栽培で米も作っていて、田には魚道を設置し、天日乾燥で仕上げたコシヒカリを、

蕪栗米生産組合(代表:千葉孝志さん) を通じて、大地を守る会に出荷してくれている。 

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先日(12月8日付) 掲載した蕪栗米生産組合の写真、左から二人目が三塚牧夫さん。

後ろに設置されているのが魚道。 この道を辿って魚たちが田んぼに入り、

生物相の豊かな田んぼを構成してくれる。 

 

当地には、水田環境と生物多様性を語る際に欠かせない、二人の先生がいる。

「NPO法人 たんぼ」 理事長の岩淵成紀さんと、「日本雁を保護する会」 会長の呉地正行さんだ。

2005年、伊豆沼から10キロほど南に位置する蕪栗沼と周辺水田を

ラムサール条約に登録させた立役者とも言える二人である。

この二人を囲んで地元で勉強会を開けるというのが、ここの地域の強みだね。

いや、この地だからこそ、こういう人が輩出したとも言える。

まさに 「この地が生んだ-」 ってやつか。

 

会場に着いたのがお昼近くだったので、

冒頭に行なわれた岩淵さんの基調講演は聞けなかったのだが、

レジュメを開けば、「生物多様性の概念に基づく なつかしい未来へ」

なる言葉が目に飛び込んできて、氏が提唱してきた田んぼの生き物調査や冬水田んぼが、

ますます進化してきていることが窺える。 格調も一段と増してきている。

 

午前中は岩淵さんの講演のほか、岩手大学と東北大学がそれぞれに行なった

冬期湛水(冬水田んぼ) における生物多様性と栽培技術の状況調査報告がされた。

ここでも有機の課題は、カメムシと雑草であった。

 

午後の部の基調講演は呉地正行さん。

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雁を保護する意味から、なんで田んぼなのか、これからの方向など、

時間を相当にオーバーして、熱っぽく展開された。

二人合わせて1時間の超過。 岩淵・呉地ご両人の情熱は増すばかりだ。

 

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ガンは環境変化に対するセンサーであり、

豊かな水辺環境がないと生きてゆけない。 

しかも月平均 0度以上の気温というのが休息地のラインで、

宮城県はそういう意味で重要な地域なのだが、

県内にたくさんあった湖沼も、この100年で92%が消えてしまった。

周辺水田が切り札になっている意味が、ここにある。

 

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田んぼの持っているポテンシャルが、未来の鍵を握っているのだ。

「環境創造」 型農業と銘うった意味が、ここにある。

 

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最後に4名の方からの実践報告。

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うち3名は、蕪栗米生産組合のメンバーだ。

伊豆沼冬水田んぼ倶楽部会長・高橋吉郎さん (上の田んぼでの写真の左端の方)。

同会員の佐々木弘樹さん (同右端の方)。 亡くなったお父さんが初代の会長で

勤めを持ちつつ、父の遺志を継いで冬水田んぼにも取り組んでくれている。

そして千葉孝志さん。

 

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いま千葉さんは20町歩(=ha) の田んぼのうち18町歩を無農薬・有機でやっている。

これまでご自身が挑戦してきた米づくりの歴史をたどりながら、

先日紹介した、太陽エネルギーを使って井戸から水を引くという新しい試みも報告された。

「冬水田んぼもちゃんとした考えと技術が必要で、テキトーにやってはいけない」 と、

手厳しいコメントも、なかなか迫力のあるものだった。

 

今日の会は地域での勉強会だったのだが、

何と、石川県の橋詰善庸(よしのぶ) さんや

新潟・加茂有機米生産組合のスタッフ・大竹直人さんも参加されていて、

他県からの参加者ということでコメントを求められた。

僕も 「大地を守る会の生産者の勉強意欲はすごいでしょ」 なんて自慢したりして。

でも、間違ってはいない。 みんな、なかなかすごいです。

 



2009年12月 8日

"冬みず田んぼ" に、太陽光パネル!

 

宮城県大崎市 「蕪栗(かぶくり)米生産組合」代表の

千葉孝志(こうし) さんから電話が入る。

こちらから紹介していた太陽光発電の会社の人が今日、千葉さんを訪ねていて、

その報告である。

「話を聞いて、やることに決めました。 年内のうちに工事に入りますから。」

 

オオーッ! 即決! 大丈夫?

「大丈夫でしょう。 これで何とか冬のうちに水が張れそうかな。」

 

千葉さんの地域、旧田尻町にある蕪栗沼とその周辺の水田地帯が、

渡り鳥が休息するための貴重な湿地帯として

ラムサール条約に登録されたのは4年前のこと。

千葉さんはその前から有機栽培での米づくりをやりながら、

冬にも田んぼに水を張って、" 渡り鳥のための田んぼ "  にしてきた。

鳥たちはただ田んぼで餌を取るだけでなく、田を肥やす養分を残していってくれる。

 

千葉さんの田んぼにたむろするハクチョウたち。

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2年前に撮ったものだが、多少警戒しつつも、そばまで近づいても逃げないのだった。

 


そしてこの冬、千葉さんは用水から水を引くことのできない田んぼ用に、

新たに井戸を掘ろうという計画を立てた。 

しかも井戸水を汲み上げて田んぼに流す動力源として、

太陽エネルギーを利用できないかと考えたのだ。

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          (千葉孝志さん/撮影:農産チーム・海老原康弘)

 

その話に(株)日本エコシステムという太陽光発電の会社が乗ってきてくれた。

モデル実験として商売抜きで一基つくってみよう、

やるならこの冬には実現したい、ということで蕪栗まで出向いてもらった。

畦に太陽光パネルを並べる。 充分いける、という話になったようである。

素晴らしい。

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蕪栗米生産組合の面々と (撮影:同上)。

千葉さんたちは水路から魚たちが田んぼに遡上できるよう、魚道も設置している。

 

現地に赴いた日本エコシステムのHさんからも、翌日メールが入ってきて、

「千葉さんは立派な方で、感心しました」 とある。 

ガンもすでに5万羽ほどやってきていて、感動されて帰ってきたようである。

 

近々にも、田園の中に設置された太陽光発電の風景をお見せしたい。

乞うご期待。



2009年6月 1日

「太陽の会」 の田植え -耕せるか、生物多様性

 

昨日は、5月1日の日記で紹介したNPO 「太陽の会」 の田植えの日。

千葉県佐原(現香取市) の篠塚守さんに受け入れをお願いした手前、

放っておけず、付き合うことにした。

5月に2度目の田植えだ -まあ、嫌いじゃない。

 

大学生から中学生まで、24人の若者たちが集まった。

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どういうネットワークで集まってきたのかはよく分からないけど、

実に屈託のない最近の若者ども。

生意気な口をきくかと思えば、それでいて行儀はいい。 

 


初顔合わせの人たちも多いようで、まずは輪になって自己紹介。

A大学、M大学、K大学、〇〇高校、××中学・・・・・

今年卒業して大学院を目指しているという女性もいた。

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ここでもまた秋の稲刈りまでの体験シリーズが始まった。

今回のテーマは、「 耕そう、生物多様性 」 だと。

 

4月に入ってからの依頼にもかかわらず、快く田を提供していただいた

篠塚守さん。

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1993(平成5)年、"平成の大冷害" とか言われて米パニックの起きた年、

篠塚さんは周りの方に米を配ってあげて感謝された。

それを機に、勤めを辞め専業になった。

専門でやるからには有機・無農薬でいこうと決めた、という。

有機JASの認証もいち早く取得した。

 

田植えの手ほどきをする篠塚さん。

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一列に並んで、田植えの開始。

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みんな田植えは初めてだという。

驚かされたのは、オタマジャクシを見るのも初めてという大学生がいたことだ。

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オタマジャクシやカエルに感激し、ヒルに怯え、

田んぼのヌルヌルに歓声を上げ、キャーキャー言いながら、

それでも真面目に植える青少年たち。

 

作業はスムーズに終わり、楽しくお昼を食べる。

篠塚さんの奥さんが握ってくれた黒米のおにぎりの美味しかったこと。

ご馳走様でした。

 

さて第二部は、みんなで感想を出し合い、

篠塚先生のお話を聞く。

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田植えもオタマジャクシも初めてという若者たちが、

生物多様性や減反や自給率についての質問をしてくるんだから、面白い。

 

たくさんの生き物のつながりが暮らしの基盤である環境を支え、食料生産を安定させます。

有機農業の思想と技術は、食の安全から環境、そして生物多様性を育むものとして

発展してきました。 それは害虫を " 有害な (殺してよい・無用な) 虫 " でなくさせる

 「平和の思想」 でもあるのです。

 - とついつい自分も得意の一席をぶってしまう。

でも事務局長の岩切勝平くんも喜んでくれたので、よかったことにしたい。

 

「ここの集落でも、専業農家は2軒になっちゃった」

地域の高齢化を心配する篠塚さん。

たった1時間弱の農作業に感激して、「ワタシ、農家の人と結婚したい!」

などと能天気に気勢を上げる女子学生たちを眺め、嬉しそうに笑ってくれた。

農家と結婚するかどうかは別として、

やっぱり若いうちのこういう体験は、ゼッタイ必要なことなのだ。

食と農業と環境のつながりを、ちょっとでもいいから体で感じてもらう。

改めて篠塚さんに感謝する。

 

話し合いのあと、今日感じたことを、絵日記に描く。

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テレることなく、取り組む。

 

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みんななかなか上手なんで、感心してしまう。

 

次は田んぼの生物多様性をもっと実感できる、

草取りと生き物調査だよ。

植えてしまった以上は、最後まで責任を持つこと。

 

さあ、君たちに耕せるか、生物多様性という世界を。

 

 



2009年5月24日

生物多様性農業支援センター総会

 

きのう (23日) は、ふたつの集まりをハシゴした。

 

まずは、NPO 「生物多様性農業支援センター」 の総会。

場所は去年まで大地を守る東京集会で使っていた大手町・サンケイプラザの会議室。

 

この団体には藤田会長が理事になっていて、

総会なんだから出席義務があると思うのだが、

例によって 「お前、代わりに行ってこい」 の指示。

「代理じゃ理事の議決権は行使できないんじゃ・・・」

「ウルサイ! 今の活動にオレからとやかく言うことはない。

 お前に言いたいことがあったら好きなだけ喋ってこい!」

-なんていう会話が実際にあったワケではなく、

「悪いが頼む」 - 「へい、分かりやした」 で上の呼吸をつかむの世界である。

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総会の報告は省かせていただく。

議長の宇根豊さん(農と自然の研究所代表) が、

「どうも議事が早く進みすぎる」 とつまらなさそうに言った、

ということでご想像いただきたい。

 

興味を引いたのは、総会後の記念講演のほうか。

テーマは 「環境直接支払いに係わる世界の情勢について」。

講師は学習院大学教授の荘林幹太郎さん。

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EUの農業政策では、環境に配慮した農業のレベルに応じて、助成がある。

農薬も含めた化学物質の投入を減らす、生物多様性を維持するための取り組み、

景観を保全するための工夫、などなど。

それらに対して、EU各国、そして地方が、それぞれに公平性を考慮しながら

緻密に組み立ててきた歴史がある。

問題も残っているが、政策の意思の強さを感じさせる。

 

ここでは語られなかったが、日欧の決定的な差異は、

国民の農業に対する理解と支持のレベルだと思っている。

それは消費者が悪いのか、政治が悪いのか、という問いは空しい。

どっちだという議論自体が国のレベルの低さを表現してしまうことになるようで。

しかし国際交渉レベルになると、その底力の差は如実に現われる。

 

ごちゃごちゃ言ってないで、オレたちは実体をつくり上げてゆくのだ。

「生物多様性農業支援センター」 なる組織ができたからといって、

決して過度に依存せず、自分たちの取り組みを継続しながら、

結果的に支援できればいいかなと思っている。

 

最後はけっこう質疑があって、時間オーバーとなる。

宇根さんや高生連(高知) の松林直行さんと話もしたかったが、次の会合に向かう。

東京駅から向かう場所は千葉県船橋。

東京とつながる千葉の拠点都市にありながら、野卑な連中たちが生き残っている街。

ベイプラン・アソシエイツ(BPA) 創立10周年の記念祝賀会だ。

(続く)



2009年3月23日

ジオラマ・ビオトープ ‐ 主張する生命

 

3月9日の日記で紹介した 「米プロジェクト21」 作-自称 「ジオラマ・ビオトープ」。

東京集会で展示したあと、幕張に持ち帰って20日あまり。

大人しく調和してくれていると思っていたら、ここにきて

それぞれに自己主張をし始めた。

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日差しも強くなってきて、一気に繁茂してきたエンツァイにクレソン。

セリは逆に弱ってきている。

ちっちゃな生態系の中でも、生存競争はあるのだった。

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動物の世界では、メダカの前にタニシの繁殖が始まった。

カイエビのような小動物が一時発生したのだけど、見えなくなった。

タニシも、クレソンも間引きしなければならない。

ここでの間引きとは =「食べる」 で挑戦しなければと思っていたのだが・・・さて。

 


太陽に向かって伸びるエンツァイ。 

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クレソンは四方に伸びようとする。

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メダカやタニシが遊ぶもんで、

水中に浮いたままのクワイまで芽を伸ばしてきた。 

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こんな水槽の中にもそれぞれの営みがあって、しかも微妙な競争と共存がある。

しかも水は濁らず、環境が汚れることがない。

おそるべし生態系というヤツだ。

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そんな生命の活動に怖れをなしつつ、反応するメダカに愛着は増し、

職員の視線を気にしつつ、餌をやりにゆく私。

 



2009年3月11日

田んぼの生物多様性を表現する

 

大地を守る東京集会のレポートも終えたところで、

拾い切れなかったいくつかの話題を、書き残しておきたいと思う。

おそらくとびとびでの報告になると思うけど。

 

2月21日(土)、大手町・JAビル大ホールにて、

田んぼの生物多様性の新しい表現のためのシンポジウム

が開かれた。

朝から夕方までのプログラムで、僕はちょっと厳しかったのだけど、

「田んぼの生きもの指標」 が完成した記念のシンポジウムであり、

またその 「指標」 が手に入るということもあって、午後から参加することにした。

 

参加者はおおよそ400人。

研究者、生産者、有機農業や自然保護関係の団体の方、NPO団体、消費者

・・・・けっこう入っている。

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「田んぼの生きもの指標」 とは、

「田んぼの生物多様性」 の状態を調べ、

その豊かさを認識するための 「指標」 という意味で、

「指標」 とは、田んぼ (およびその周辺、それを水田生態系と呼ぶ) に

その生物がいることが何を意味するのかを指し示すための、

いわば 「新しい図鑑」 である。 正確に言えば、新しい図鑑への 「挑戦」 である。

 

私たちは、この 「指標」 を持つことによって、「田んぼの豊かさ」 や 「その力」 を、

もう一歩具体的に表現できる道具を得たことになるのだ。


「指標」 を発行したNPO法人 「農と自然の研究所」 代表の、宇根豊さん。

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研究所を設立して8年だけど、そのはるか以前 (20年以上前) に、

宇根さんや、今回の 「指標」作成企画委員長の昆虫学者・桐谷圭治さん が、

田んぼにはたくさんの 「ただの虫」 (害虫でも益虫でもない、ただの虫) がいる、

という概念を世に出してから、実はこの作業は始まっていたと言えるだろう。

 

宇根さんはずっと、田んぼの豊かさと百姓仕事 (農業技術) のつながりを、

多種多様な生き物の存在とともに表現する道筋を丹念に築き上げてきた。

それは、虫の存在を確かめ、ひとつひとつ同定する、

つまり 「名前で呼ぶ」 作業の積み重ねとともにあった。

 

しかし 「指標」 づくりという作業には、それだけではなく、

とてつもない労力が土台として求められた。

土台を整理したのが、桐谷圭治さんを中心とする15人の研究者・専門家である。

水田生態系に棲む生きものの全種リストが作成されたのだ。

その数、6147種。

内訳は、昆虫3173、クモ・ダニ類141、両生類・爬虫類59、魚類・貝類188、

甲殻類など44、線虫・ミミズなど94、鳥類175、哺乳類45、原生生物828、

双子葉植物1192、単子葉植物501、シダコケ類248、菌類206。

 

これを基に、「田んぼの生物多様性指標」 となる生き物237種が抽出され、

それぞれに、生息している意味、生活サイクル、他の生きものとの関係、

農業との関係、人間との関係、が指標軸として表わされた。

私たちが、地域の田んぼと周辺も含めた水田生態系を評価することができる

「指標」-第1案-の完成、である。

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例えば、エントリー№1 -「トビムシ類」 の解説から。

 ・枯れた下葉やワラを食べるので、土づくりの指標になる。

  田んぼでは、ユスリ蚊と並んでもっとも密度が高い 「ただの虫」 の代表。

 ・ワラを食べてくれる田んぼの物質循環の重要な立役者なのに、

    その存在は 「虫見版」 の登場まで百姓には知られていなかった。

    未だに全国的に種の同定も含めた調査研究はなされていない。

 ・アリストテレスの著書 「Historia animalium」 にも記述されており、

  これがトビムシの最初の文書記録である。 この頃、日本では稲作が始まった。

 

例えば、エントリー№92 -「キアゲハ」。 田んぼに黄アゲハ?と思われるだろうか。

 ・日本人に親しまれたアゲハチョウが田んぼでも生まれていることは、意外な指標になる。

 ・田んぼのセリを幼虫が食べる。 また田んぼの畦では目立つ蝶で、彼岸花にもよく訪れる。

  田んぼの生物多様性を象徴する指標になる。

 

セリを食べることで、「セリを抑制する」 と書かれているが、

キアゲハが飛んでいるということは、畦にセリがいる、とも解釈できる。

畦の雑草にも、意味がある。

 

俳句の紹介もところどころにある。

  代掻けばおどけよろこび源五郎 (富安風生)

  白露の蜘蛛の囲そこにここにかな (高浜虚子)

クモの張る網を意味する蜘蛛の囲(い)は夏の季語、とある。

田んぼで育まれた日本人の感性にまで触れられる、これはもう読み物である。

 

僕らが続けてきた千葉・さんぶでの 「稲作体験」 の田んぼの生き物リストは、

昨年時点で計150種。 

これらの意味も、ひとつひとつ確かめていきたい、と改めて思う。

 

「農業の生産物は、農産物だけではない。 環境も作ってきたとですよ。

 私たち百姓がつくり変えた自然は、こんなに豊かなんだ。

 そういうことを、もっと百姓は語る力を持たんといかんのではないでしょうか。」

宇根節、炸裂。

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気合が入っている。

 

これは、新しい自然観をつかまえる作業のようだ。

その自然には、ヒトの営みも織り込まれていて-。

 

ちなみに、エントリー№221には、哺乳類の一種として 「ヒト」 がリストアップされている。

「自らが発明した農業へのままざしは、現在では見事に分裂してしまった。

 農業を近代化に遅れた産業と位置づける勢力と、

 近代化できないところに農業の価値を見いだそうとしている思想勢力がある。

 この対立はやがて、後者の勝利で幕を閉じるだろうが、

 前者の抵抗はまだまだ10年は続くだろう。」

絶滅危惧種に指定している都道府県は、まだゼロ、とのこと。

 

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このリストを参考に、地域の指標が作られれば、それはその地域の財産目録になる。

そして、その生き物に注がれた " まなざし " を表現できれば、

地域の文化は豊かになる。

 

その " 生へのまなざし " を、田んぼから力強く表現することで、

貧しくあった近代化農業の思想を超える。

それを早く獲得しなければならない。

宇根さんのアジテーションは、僕には彼の焦り、" いら立ち " のようにも聞こえた。

でも宇根さんは、充分に語ってくれている。

問題は、この指標を使いこなす科学的思考の発展と、

そして文学が必要だ。

 



2009年3月 9日

21階のビオトープ

 

3月2日(月)。 東京集会が終わって、幕張本社で荷物の整理を行なう。

厄介なものを持ち帰ってしまった。

メダカである。 

 

専門委員会 「米プロジェクト21」 (略称:米プロ) のブースで展示した

" 家庭でできる水田ビオトープ "  のジオラマ。

作ってくれた米プロ・メンバーの生き物博士、陶武利さんの、

「幕張 (大地本社) で飼ってみますか? 癒しになりますよ」

の言葉に乗せられて、水と一緒に袋に入れたまま梱包してしまったのだった。

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祭りのあとのけだるさに浸っている場合ではない。

荷物の中から、生き物が出てきたのだから。

 

急いで水槽を作り直して、メダカを放す。 元気に泳いでくれて、胸をなでおろす。

大地の浄水器の力にも助けられた。

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この、 『ジオラマ・ビオトープ』 と名づけた水槽の世界は、その名の通り、

ひとつの生態系としてつくられている。


ただメダカを飼うのではない。

砂利をネットでくるんで岩場をこしらえ、それを足場として植物を生やす。

ここで採用したのは、セリにエンツァイ。 つまりヒトの食用になるもの。

セリは田んぼの畦に生えている春の七草。

エンツァイ (空心菜) は生育旺盛な野菜で、水中に伸びた根はメダカの産卵場になり、

水上を覆えば水温上昇の防止効果を発揮してくれる。

伸びた分は収穫して食べる。 夏場の鉄分補給に最適の野菜である。

収穫することで水の浄化にもつながる。

メダカの学名 Oryzias latipes は、イネの学名 Oryza と重なる。  

田んぼと一緒に生きてきたのだ。

ボウフラやミジンコ、イトミミズを餌とする。 糞は肥料になる。

まさに水田生態系の申し子である。

それが今は絶滅が危惧される命となってしまった。

このことが何を意味するか、ヒトは考えなければならない。

 

水槽をしつらえたあと、ここからが無精者の真骨頂である。

ずっと水を替えなくてもいいように、さらに生態系の完成度を上げてみた。

まず、群馬からタニシを取り寄せた。

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手に入ったのはヒメタニシという小ぶりのタニシ。

餌の残渣やメダカの糞を処理してくれる、はず。

続いて、熱帯魚屋を探して、水生植物を2種買い求める。

入れてみたのはマツモ(上の写真) と、とちかがみ (フロッグ・ビット、下の写真の浮草) 。

これらが、生物が放出する二酸化炭素を吸収して酸素を供給してくれる、はず。

 

これで水は濁らず、足すだけで持続可能となる、はず。

エアレーション (電気) にも頼らず、生命の循環が助け合って。

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5月の田植えまで生き延びてくれれば、ここに稲を植える。

生き物の循環の中で、米と野菜が手に入る、田んぼの生態系 (ビオトープ) の完成、

となるはず。

 

どうも毎日気になって仕方がなくなる。 

心なしか、餌をやりにくると、メダカが水面に顔を出すようになったような・・・・

しかし、ヒトの手で餌をやり過ぎてはいけない。 濁りの原因となる。

これは生態系の、鉄則なのだ。

 

すっかり陶くんにやれらたか。 

 



2008年11月23日

「田んぼの生きもの調査」 が世界に広がっている

 

東京・大手町のJAホールで、

「第5回 田んぼの生きもの調査 全国シンポジウム」 が開かれる。

3連休の真ん中ということもあってか、参加者は120名ほどで、

ちょっと主催者 (NPO生物多様性農業支援センター) も拍子抜けした様子なのだが、

まあ閑散と感じてしまうのも、会場が広いから仕方ない。 

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しかし、田んぼの生物多様性を語る思想の今を知るには

格好のキャストが集まっていたし、

前回の日記で紹介した佐渡の斉藤真一郎さんとも再会できて、

僕にとってはけっこう収穫の日曜日だった。

 


この日は、まずは完成したばかりのドキュメンタリー映画

『 田んぼ -生きものは語る- 』 の上映から始まった。

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田んぼに生きる生物たちが織りなす、食べ合いかつ共生する曼荼羅の世界が、

丹念に描かれている。 映像も美しい。

 

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いや、生命が美しいのだ。

生物相の多様性が、人間のいのちを支えている、

そんな世界を伝えたいとする制作側の意欲も感じ取れる。

ただ性格の悪い私には、ちょっと " 文部省推薦 " 的な作りが気になるところではある。

田んぼの生きもの調査が切り拓こうとしている世界は懐古ではないのであって、

もっと斬新な構成へのチャレンジがあってもよかったような気がするのだが・・・

ま、とはいえ、相当な時間を費やして完成した労作ではある。

制作委員会の尽力には敬意を表しなければならない。

この映画のDVDの販売に 「大地さんには500枚はお願いしたい」 とか言われて

うろたえたのではあるけれど・・・・・

 

基調講演では、日本雁を保護する会会長の呉地正行さんから、

先ごろ韓国で開かれたラムサール条約COP10で採択された「水田決議」の意義と、

アジアモンスーン地帯における水田の生物資源生産の豊かさ (多様な活用) が報告された。

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「田んぼ」は、食糧生産と生物多様性の両立を当たり前に支える永続的な装置として

描き直される時が来ているのだと、改めて確信する。

 

お昼には、「佐渡トキの田んぼを守る会」 の生産者が育てたお米による

おにぎりが販売され、つい3パック (6個) も買って、食べてしまった。

 

午後は、3名の方による講演。

いずれも、過去に大地を守る会のお米の生産者会議や東京集会に呼んだ方々で、

僕らが目指そうとしている方向としっかり重なっていることも確認できた。

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それぞれの演題と講演者。

「田んぼの生物多様性指標のねらい」 -桐谷圭治さん。

「田んぼの生物多様性をどう活かすのか」 -岩渕成紀さん。

「百姓の世界認識と農業技術の橋渡し」 -宇根豊さん。

 

詳細は省かせていただくが、それぞれの立場で、田んぼの生きもの調査を

戦略というか未来構想の中に位置づけられていた。

三者の熱い語りを聞きながら、それらのすべてを頂いて進化させたいと思う。

桐谷さんと宇根さんについては、過去にも紹介しているので、

以下、お時間があれば-

 ● 桐谷圭治さん (07年7月15日、同7月18日)。

 ● 宇根豊さん (07年8月7日、同8月29日08年3月1日)。

駄文だけれど、お二人の功績の一端でもイメージしてもらえたら嬉しいです。

 

今回の報告の中で、「う~ん」 と唸って、悔しくなったことがひとつ。

11月4日のラムサール会議で、水田の価値が再認識された 「水田決議」 を、

日本では、どの報道機関もほとんど取り上げなかったけれど、

主催国である韓国では、生物を育む貴重な湿地-「田んぼ」から獲れたお米が、

商品化されて注目を浴びているのだと言う。

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映し出されているのが、そのお米のパッケージ・デザインである。

 

田んぼに生きる虫の意味を世に問うた宇根さん。

ただの虫の存在に光を当てて次世代の農業理論を提唱する桐谷さん。

生きもの調査から 「神がそこに居る」 とイトミミズへの眼差しを伝えた岩渕さん。

彼らの手で再構成された思想と手法が韓国に飛び火して、スポットライトを浴びている。

この国は、未だ減反政策すら乗り越えることができず、「汚染米」 で混乱している・・・

もっと、もっと、前に進みたいものだ。

 



2008年5月23日

生物多様性農業

 

夕べはちょっと過ぎた。

二日酔いの重たい頭を引きずって、朝から東京・大手町まで向かう。

JAビルで開かれた 『NPO法人 生物多様性農業支援センター設立総会』

なる集まりに出席する。

 

全国各地に広がってきた 「田んぼの生き物調査」 という活動を基盤にして、

より幅広く、生物多様性を支える農業を支援するための事業活動に発展させたい、

という呼びかけである。

「田んぼの生き物調査プロジェクト」 という名称で活動してきたJAや生協の方々、

このブログでも何度か紹介した福岡の宇根豊さん、

大地の米の生産者会議などでお招きした研究者ら、よく知ったお顔が集まってきている。


このテーマは、私にとっては昨日の社内勉強会のテーマとも、実は重なっている。

栽培上の条件として定められた規格・基準との整合性だけでなく、

その生産者の、その農業が、どれだけ環境に貢献しているのかを

可視化する (最近は 「見える化」 なんていう言い方もあるが)、その手法を自らの手にする。

「田んぼの生き物調査」 にはそういう意味がある。

 

この田んぼで毎年農薬を使わずにお米を育ててきた結果、

今ここに、どれだけの生きものが棲み、生態系のバランスがどうなっているかを、

実直に調べてみる。

そこから見えてくる世界は、実に奥の深い、底なしのような生命の系 (つながり) である。

「生きもの曼荼羅」 と呼んだ人もいる。

農民が、自らの手で編み出した、自らの生産活動の豊かさを示す、

たしかなひとつの指標として、育てられてきた。

 

農水省が昨年7月、『生物多様性戦略』 というのを策定したことは前に書いたが

その後11月には、『第3次生物多様性国家戦略』 なる政策が閣議決定されている。

今年10月に韓国で開かれるラムサール条約第10回締約国会議では、

" 水田は、米を生産する機能だけでなく、水鳥にとっても大切な場である " という

水田決議が採択される 「予定」 だと聞いている。

 

いよいよ僕らは、次に向かうときが来ている、と言えないか。

世界が食糧争奪戦に入っている中で、

ただ米が余っているからといって生産調整 (減反) を強化するなどという愚かな政策は

もうやめなければならない。

埼玉県の面積に匹敵する農地が耕作放棄地となって荒れている。

いったい誰のために行なっているのだろうか。

水田を活かした、豊かな未来が見えてくるような創造性ある政策をつくり出したいものだ。

 

「生物多様性」 という視点から農業の重要性を導き、

生産者と消費者の力で育てていく。

そんな活動を支援しようと、今日のNPO設立の運びとなったわけだが、

実際に提示された事業計画は、正直言って心許ない、というか、苦しい。

いくつかの生協さんとも一緒に、これから育てていくことになる。

会長の藤田も理事就任を受ける。 使われるのはオイラなんだけど。

 

生命の誕生から40億年。

この地球 (ほし) に存在する生命は、約3000万種と推定される。

その生命が、どんどん消滅していっている。

新たな種が見つかっては、絶滅危惧種としてレッドデータに登録されていく。

人知れず消えた種もあるだろう。

私たちの生存条件が、細く、弱くなってゆく・・・・・そんな時代での、

田んぼからの挑戦である。

 

「生物多様性農業」

この言葉にはまだ定義がないが、この思想の対極にあるのが、

GMO -遺伝子組み換え種子ということになる。

これだけは早く整理しておきたいと思っている。

 



2007年11月25日

宮城・雁とエコのツアー

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夜明け前です。


気温は0℃。雲は低く覆っていて、底冷えのする朝6時。

 

まだ弱い薄明の湿原一帯に、何種類もの鳥の声がざわめいている。

グァグァとカモの類、コォーコォーと高いのはハクチョウ、

中でも多いのがガァンガァンと鳴くやつ。雁(ガン)だ。

 

突然、湿原の奥から、ものすごい数の雁が一斉に舞い上がって、空の色を変えた。

あっちからもこっちからも、呼応して飛び立ってくる。

 

写真が上手く撮れなくて悔しいが、

上空に筋雲のように映っているのが、すべて雁である。

 

ここは宮城県大崎市(旧田尻町)、蕪栗沼(かぶくりぬま)。

11月24日(土)、我々 『宮城・雁ツアー』 一行20名は、朝5時に起き、

ここで雁が飛び立つ様を見に来たのだった。 


案内してくれたのは、この地で有機米を栽培する千葉孝志(こうし)さん。

 

渡り鳥の貴重な飛来地、休息地であり餌場として、

一昨年11月、蕪栗沼と周辺の田んぼ423haがラムサール条約に登録された。

世界で初めて、田んぼが生物にとっての大切な湿地であることが認められた場所である。

 

今回は、千葉さんの米づくりの話はそっちのけで、

渡り鳥たちが集まってきた蕪栗沼を見よう、ということで集まった。

まあ、この数をみれば、おのずと周辺たんぼの生命力も推しはかってもらえるか。

 

せわしないガンと違って、ハクチョウは悠然と休んでいる。

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20年前にラムサールに登録された伊豆沼・内沼は、

ここから約5~10kmほど北にある。

伊豆沼・内沼に蕪栗沼も合わせたこの地帯で確認された鳥の種類は二百数十種に及び、

マガンでは日本に飛来する80~90%がここで越冬する。

今年もすでに6万羽 (8万だったか) が確認されているという。

 

これは他に飛来できる地がなくなってきていることも意味しているのだが、

それだけに、ここの扶養力の高さを浮き彫りにしている。

 

彼らは冬をここで過ごし、餌をたっぷり捕って、3月に故郷シベリアに帰る。

 

千葉さんたちは、冬も田んぼに水を張る冬期湛水

(最近は 「ふゆ水田んぼ」 と言われる) に取り組んでいる。

鳥たちの餌をさらに豊富にさせると同時に、田んぼの地力も高めるという効果がある。

 

ラムサール条約に登録されての変化などを千葉さんに聞いてみる。

答えは簡単なものだった。

 

「メリットもデメリットもない。な~んにも変わらないよ」

 

補助金を貰えるわけでもなく、何か特別な指導が入るわけでもない。

観光客が来たとて、千葉さんにご褒美が出ることもない。

逆に登録されたことで、保全区域としてやりにくくなることもあるんじゃない?

 

「まあ、そのためにやってきたわけでもないし。

 これからもやることは変わらないんと思うんだけどね」

 

こういうのを恬淡 (てんたん) と言うのか。

賞をもらったからといって奢るわけでもなく、欲を出すこともない。

ただイイ米つくりたくて、そんで鳥を見ながら、こうしたいからこうしてきただけだ。

 

こういう姿勢に惚れちゃうんよね、アタシ。

 

一方で千葉さんには、内心の疑問もないではない。

冬季湛水が本当に米づくりにとってベストな選択か-

実は千葉さんの中では、回答はまだ出ていないのだ。

 

「ふゆ水田んぼ」 にお国までもが付加価値を認めつつある時代に、

どんなにもてはやされようと、

「これでいいのかなぁって思うところもあるんだよね

という千葉さんがいる。

付き合いたいな、とことん。

 


午後、今度は鳥たちが休息する田んぼに向かう。

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ガンは警戒心が強いので、望遠レンズがないと絵にできないけど、

ハクチョウは、我々を警戒しつつも、敵ではないと思っているのか、

一定の距離を保って、こちらが一歩近づけば一歩遠ざかるだけ。

 

逃げることもない。

人間が近くで喋っているのに、畦でずっとケツを向けて昼寝しているヤツもいた。

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続いて、これがドジョウなどの水生生物が遡上できるように設置した魚道。

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まだ実験段階だが、率先して取り組んでいるのが、

宮城県農林振興課に勤める、県の職員でもある三塚牧夫さん。

千葉さんを代表とする「蕪栗米生産組合」の生産者の一人でもある。

夕べは宿で熱いレクチャーを受けた。

米そっちのけで、生物多様性である。 いや、生物多様性あっての米、だったか。

 


最後に伊豆沼を回る。

こちらはさすがに観察や展示など受け入れ体制も整備されているが、

餌付けにも慣れてしまっているのが、気になるところではある。

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ま、渡り鳥を餌にして、'田んぼの力' を確かめる初のツアーとしては、

それなりに体感していただけたのではないかと思うところである。

 

というワタクシも、鳥ばっかり撮って、千葉さんのアップを撮り忘れた。

記念撮影の写真でお茶を濁す。左端が千葉さんです。

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(真ん中に白鳥を入れたつもりだったが...)

 

ところで、今回のツアーは、実は田んぼだけじゃなくて、

塩釜の練り製品の大御所、遠藤蒲鉾店さんの見学から始まって、

遠藤さんが尽力した地元での廃油燃料プラント(天ぷら油のリサイクル)、

利府町の太陽光発電実験プラント、

仙台黒豚会の豚舎見学、と盛り沢山のツアーでもあった。

 

これらもそれぞれ語れば、それなりの物語となる、

雁と 「エコ」 のツアーであったワケです。

 

申し訳ないけど、いずれ機会を見つけてきっちりと、

ということでご容赦願いたい。

 



2007年8月 7日

「農と自然の研究所」東京総会(続き)

 

昨日は宇根豊という人物についての紹介で終わっちゃったけど、

総会の内容にも、ちょっと触れておきたい。

 

ひとつは、この総会に農水省の役人が来たことだ。

少し頼りない感じの若い方だが、報告した内容は無視できない。

 

7月6日、農水省が出した「農林水産省生物多様性戦略」について。

 

「安全で良質な農林水産物を供給する農林水産業及び農山漁村の維持・発展のためにも

 生物多様性保全は不可欠である」

 

どうも役人の文章は好きになれない。あえて分かりにくくさせているようにすら思える。

という感想はともかく、

第一次産業という人の営みが生物多様性を育んできたことを農水省も認め、

それを高く評価して、

安全な食べものを供給する上で、生物多様性の保全は欠かせない「戦略」である、

と言ってくれているのだ。

 

農水省が、農業生産と生きものの豊かさの間に重要なつながりがあることを認めた、

という意味では、画期的なことと言える。

 

しかし・・・・と思う。


君らが推進してきた'農業の近代化'こそが、生物多様性(生態系)を壊してきたんじゃないか。

反省はあるのか、こら!

 

それが、あるんだ。いちおうは。

 

「しかしながら、不適切な農薬・肥料の使用、経済性や効率性を優先した農地や水路の整備、

 生活排水などによる水質の悪化や埋め立てなどによる藻場・干潟の減少、

 過剰な漁獲、外来種の導入による生態系破壊など

 生物多様性保全に配慮しない人間の活動が生物の生息生育環境を劣化させ、

 生物多様性に大きな影響を与えてきた。」

 

そう進めてきた張本人のわりには、何だか客観的な言い方が気に入らないが、

生物多様性の保全のための具体的な取り組みとして挙げてきた内容は、

ほとんど我々の陣営から育ってきた主張が並んでいる。

有機農業の推進も盛り込まれている。

 

それもそのはず、宇根さんはこの「戦略」作りの委員だったのだ。

 

里地・里山・里海の保全、森林の保全、地球環境への貢献......と

総花的内容にどこまで期待できるかはともかく

(いずれにしても具体化や予算化はこれからだし)、

よくぞここまで書かせたものだと、脱帽するほかない。

 

説明する農水の若手役人も、「やります。本気です」と言う。

省内では色々な突き上げもあったようだが、

昨年の「有機農業推進法」といい、

農水省内部も変わりつつあることは確かなようだ。

 

有機農業運動にとって、宇根豊という思想と個性を得たことは、

これで運動に血が通ったような幸運すら感じさせる。

時代を変えるパワーの発信源のひとつであることは間違いない。

 

生産者の方は、この「戦略」をどう読み、活かすか、ぜひともご一読を。

            (↑この2文字をクリックすると見えます)

 

総会の後半では、

これまで宇根さんと関わりの深い出版社の編集者が呼ばれ、

『農の表現を考える』と題してのセッションとなる。

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ここまで獲得してきた世界を、その価値を、どういう全体像に現わしていくか。

ただの観念論に陥ることなく、「科学」(的視点)もしっかり取り込み、

新しい'表現'をつくりあげたい。

 

宇根さんは、もう次に行こうとしている。

 

そして、このタイミングで、宇根ワールドの現在の地点を示す書が出された。

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尊敬する出版社のひとつ、コモンズから。

渾身の1冊!である。

この書の意味は、実に深い。うまく整理できれば、改めて。

 

「農と自然の研究所」の活動は、あと3年。

きっちりと、ついていってみたい。

 



2007年8月 6日

「農と自然の研究所」東京総会。農の情念を語る人、宇根豊。

 

昨日(8月5日)、

NPO法人「農と自然の研究所」の東京総会というのが青山で開かれた。

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この研究所の本部は福岡にあり、宇根豊さんという方が代表をしている。

会員は全国に885人。私もその一人である。

 

この宇根豊という人物。

農学博士の肩書きを持つが、

もとは福岡県の農業改良普及員(農業の技術指導をする人。県の職員)である。

その、まだ若かりし普及員時代の1978年、今から約30年も前、

当時の農業指導理論の常識を逆さまにひっくり返して、

初めて'農薬を使わない米づくり'を農家に指導した公務員として知られている。


それは「減農薬運動」と言われた。

ただ'農薬をふるな'というのではない。

マニュアル通りに機械的に農薬を撒くのではなく、

一枚一枚微妙に違う田んぼの様子をしっかり観察し、害虫の発生状態を自分の目で確かめて、

本当に必要な時に撒くことが農業技術だ、と伝えていったところ、

農薬散布が劇的に減っていった、という話である。

 

当たり前に持っていたホンモノの百姓仕事をしよう、と言ったのだ。

これは農民の主体性を取り戻す運動となった。

 

僕と宇根さんとの出会いは1986年、

東京・八王子で開催した「食糧自立を考える国際シンポジウム」だった。

米の輸入自由化が社会的に大きな議論を呼んでいた時代。

アメリカやタイ、韓国など、たしか10カ国くらいから農民や研究者が集まって、

食料の自由化がどんな問題を孕み、どんな影響を与えるかを討論した、

かなり画期的な国際会議だったと思う。

 

大地はこのシンポジウムの事務局団体のひとつとして参加していて、

宇根さんには、日本側パネラーの一人としてお願いし、招聘していた。

彼は海外からやってきた農民や研究者の前で、

「赤とんぼは、田んぼから生まれるのです」 とやったのだ。

 

「田んぼはたくさんのいのちと文化を育んでいる」

 

農民団体が「一粒たりとも・・」とか叫んでいる中で、

僕は宇根さんによって、

「もっと視界を広く持て」 と教えられたような気がしたのである。

 

さて、思い出話はともかく、

彼は、周りは敵だらけの減農薬運動から始まって、

その後も思想を深め、理論を発展させ、2000年、とうとう県職員を辞し、

活動を10年と限定して「農と自然の研究所」を設立した。

 

研究所を設立してからは、田んぼの生き物調査の手法をガイドブックにまとめて

全国に広げる一方で、自らの思想を「百姓学」として構築しつつある。

福岡県は、この生き物調査を「県民と育む農のめぐみ事業」と称して、助成金をつけた。

環境に貢献する農業仕事として、価値を認めたのだ。

 

そして昨年、研究所は朝日新聞社の『明日への環境賞』を受賞した。

見事なたたかいっぷり、と言うほかない。

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宇根さんは、いま僕が最も尊敬し、注目もしている'思想家かつ実践家'の一人である。

しかし、宇根さんの思想は、僕の力ではなかなか解説できない。

たとえば、こんなことを言う人なのである。

 

お金に換算できない百姓仕事が、実は自然や環境といわれるものを一緒に育ててきた。

近代化や科学には、この価値がとらえられない。経済合理性の目では'見えない'のだ。

私たちはその広大な世界を見つめ直さなければならない。

 

あるいはこうだ。

 

田の畦草刈をしていて、カエルが足元の草刈り機の前を跳んだとき、私は立ち止まる。

何回も立ち止まってしまう。

それを経済学者は生産効率を低下させる無駄な時間だととらえる。

また生態学者は、この田んぼにいるカエルの数から見て、数匹殺したところで影響ないと答える。

しかし、2~3匹斬っちゃっても問題ない、と立ち止まることをしなくなった時、

私の生き物を見る'まなざし'は、間違いなく衰えるのだ。

 

彼が目指すのは、'農と百姓仕事の全体性'の復活と再構築、とでも言えようか。

それを土台に据えて、虫たちとともにたたかいを挑んでいる。

まるで『風の谷のナウシカ』のオウムのようだ(ナウシカでなくてすみません)。

 

そして圧巻だと思うのは、こんな表現である。

 

私たちが美しいと感じる風景は、生き物たちの情念によってつくられている。

それを見る百姓の情念と交錯しながら、

「環境」や「自然」はたくさんの生き物たちと一緒に育てられてきた...

 

たとえば、ここにある大地の稲作体験の風景。

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この風景は、すべて生き物によって構成されている。

生き物たちの「情念」で満ちている。

私たちヒトは、その「情念」と交感できているだろうか。

 

「情念」というコトバを、そのコトバのもつ情感も含めて使いこなせる人を、

私はこの宇根豊という男以外に知らない。

 

話が長くなってしまった。でもここまできて、途中で終わるわけにはいかない。

この項続く、とさせていただきます。

 



2007年7月15日

ただの虫を無視しない農業-IBM

 

Yaeちゃんとの再会(と言わせてください) で舞い上がって、

肝心の生産者会議のメインテーマの話が後になってしまった。

 

約80人のお米の生産者が青森に集結した「第11回全国米生産者会議」。

今回の会議の記念講演は、桐谷圭治さん。

講演のタイトルは、「ただの虫を無視しない農業とは」。

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桐谷さんは昆虫学者である。

なぜ米の会議に昆虫学者を呼ぶのか?

これには有機農業思想の発展にとっての、重要な戦略的意味があるのである。

なんちゃって格好つけてますが、本当です。


有機農業による米作りは、農薬を拒否する。

ひっきょう害虫(といわれる虫群) とのたたかいとなる。

いや、" 駆け引き " と言ったほうがいいかも知れない。

どうやって発生させないようにするか、寄せつけないか、を考えながら、

ある時は手で取り、また木酢液やニンニク・唐辛子といった天然資材で対処したり、

最後の究極の姿勢は、" 我慢 " となる。

 

そこで必要なのは、害虫の生理や虫同士の関係についての知識である。

桐谷さんは、数年前からお呼びしたいと考えてきた、我々の 「カード」 だった。

 

桐谷さんは、30年も前に 「総合的有害生物管理」 という考え方を提唱した方である。

Integrated Pest Management-略してIPMという。

 

害虫を殺虫剤で殺したら、その虫を食べる虫(天敵) も一緒に死ぬ。

そのあとに害虫が卵から孵った時、天敵がいないために大発生する場合がある。

これをリサージェンスという。

(Resurgence:復活、再起。桐谷さんは 「誘導異常発生」 と訳されている。

 虫の「逆襲」 と意訳する人もいる)

また害虫はその殺虫成分に対する耐性を身につける (Resistance:抵抗性の出現)。

そうすると今までの農薬では効かなくなり、さらに強い農薬に頼るようになる。

 

桐谷さんは丹念なフィールドワークによってこの連関を明らかにし、

天敵の有効利用による害虫管理を農民に呼びかけたのだ。

 

IPMはすでに、天敵を利用しやすい施設園芸での減農薬栽培の主流になってきている。

 

そしていま、桐谷さんが唱えるのがIBM-総合的生物多様性管理である。

Integrated Biodiversity Management の略。

 

天敵活用にとどまらず、フィールド内での総合的な生物多様性の保持によって、

適切で良好な環境をつくり、作物を育てる。

そこでは害虫は " 害虫 " という名もない虫ではなく、

生態系の一員として必要な○○○ムシとして生きてもらうのだ。

 

これを私は " 平和の思想 " と呼んでいる。

この世に用なしの生命などないのだ。

 

たとえば、いま全国の米農家を悩ましているカメムシ。

これを殺虫剤でやっつけるには相当強力なものになる。

他の虫もやられる可能性が高まる。水系や環境への影響も深まる。

しかもカメムシというのは、かつては水田の " 害虫 " ではなかったのです。

いつか生き物のバランスのなかで、もう一度 " ただの虫 " に戻したい。

 

IPMからIBMへ-

IPMが今日のようにもてはやされるようになるまで30年かかった。

IBMも定着するまで何年もかかることでしょう。

桐谷さんはそう言って、ちょっと複雑な心境で笑っている。

 

厳しい米価で生産を余儀なくされている生産者には、

まだちょっと理想論のような話かもしれない。

でもすでに自分のものにしつつある人が増えてきている。

最低限、脳裏にインプットしておいて損はない。

これが有機農業の最新技術理論に融合されることは間違いないから。

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2007年7月 4日

たんぼの生き物調査

 

とんぼと田んぼの山形・庄内ツアーから -PARTⅡ

今回は、「田んぼの生き物調査」の紹介です。

 

7月1日(日)、ツアー二日目。

佐藤秀雄さんの田んぼから、「アルケッチャーノ」での優雅で贅沢な昼食を堪能して、

一行は「庄内協同ファーム」代表・志籐正一さんの田んぼに向かう。

 

現地では、すでに生産者が道具を用意して待ち構えていて、

説明もそこそこに、「田んぼの生き物調査」実習に入る。

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まずは畦を歩きながら、飛び出すカエルを数えていく。

先頭が「アカ1!」「アオ2!」とか叫ぶ。

それぞれアカガエル、アマガエルの意味である。

それに応じて、後ろに続く人が手に持ったカウンターをカチャカチャと打つ。

 

でも、誰ともなく田んぼを覗いては足を止め、虫を見つけて歓声を上げる。

カエルがその先でチャポンチャポンと逃げているような......

どうも正確な調査になってないけど、ま、いいか。 みんな楽しんでるし。

 

協同ファームの生産者たちがこの調査を始めて、もう3年になるね。

すっかり慣れたもので、ふと見れば、別の人が土のサンプルを取っては

ネットの中で洗いながら土を落とし、少しずつ分けて白いバットに広げている。

そこで参加者が細い竹串を使って土や植物をより分けながら、

生き物を見つけて、数を伝える。

その数から、この田んぼにイトミミズが何匹、と算出される。

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今回はまあデモみたいなものなので、数の正確さは問題ではない。

大事なのは、この田んぼの土が生き物の宝庫であると実感してもらうこと。

それは、田んぼを米の生産手段としか捉えない者には見えない、

見えなかった世界なのである。

 

大の大人がポケット図鑑を持って田に足を入れ、

様々な虫を同定しては、数を数える。

それは見る人にとっては、実に異様な光景だろう。

ごっついオッサンが、子どものように田んぼの中の虫を観察しているのだ。

でも有機の生産者たちは、この作業を実に面白がって、やる。

子どものように。

 

オレの田んぼは、豊かだ。

もっと調べてみたい。

 

この'気づき'が生き物調査の意味である。説明は要らないよね。

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忙しい時期だけど、今しかできないから、

消費者を受け入れて、自分たちのやっている調査の意味を伝える。

庄内弁の優しい語り口で語る志藤さん。

 

豊かな田んぼに接してほしい。

そして、田んぼを好きになってほしいのだ。

 



2007年7月 2日

とんぼと田んぼ

 

6月30日~7月1日

「とんぼと田んぼの山形・庄内ツアー」開催。参加者25名。

 

受け入れてくれた生産グループは、

「みずほ有機生産組合」「庄内協同ファーム」「月山パイロットファーム」「コープスター会」

の4団体。

 

1日目は、午後2時に鶴岡駅に集合後、

鳥海山麓にある獅子ヶ鼻湿原の散策、宿舎となる鳥海山荘での交流会。

2日目は、朝4時からの鳥海山トレッキングから始まり、

みずほ有機・佐藤秀雄さんの田んぼ見学、

地元食材を使ったイタリア・レストラン「アルケッチャーノ」での昼食、

そして庄内協同ファーム・志藤正一さんの田んぼでの「生き物調査」と、

なかなか盛り沢山の内容であった。

 

ここでは、まずは佐藤秀雄なる人物とその田んぼをご紹介したい。

 

佐藤さんの田んぼでは、毎年100万から500万匹の赤とんぼが

誕生しているそうだ。

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坪当たりのヤゴの数を元に勘定しての推計値なので、

年や場所によって変動もあるようだが、それにしても恐るべき数字である。

 

当然、それだけのヤゴの餌となる小動物が存在しているということで、

その食物連鎖の底辺にいる微小生物群は無尽としか言いようがないし、

微生物を支える有機物の存在たるや......要するに「地力がある」。

この生き物の連鎖(生態系)と生命の多様性がしっかりと守られる田んぼを、

佐藤さんは作り上げてきたのだ。

それにしても何という土の柔らかさだろう。トロトロという表現がぴったりだね。

 

佐藤さんの、ここに至るまでの試行錯誤は書き切れない。

10年くらい前には、いろんな薬草やら植物を醗酵させて

自家製の液体肥料を作っていたのを見せてもらったことがある。

佐藤さんはそのタンクに '曼荼羅液肥' みたいな名前をつけていた。

ここ数年は、冬にも水を張る「冬季湛水(冬水田んぼ)」にも取り組み、

たくさんのハクチョウが佐藤さんの田んぼで冬を過ごしている。

それもどうやら卒業して、次の世界に至ったようだ。

とにかく年々進化するので、下手に説明などしようものなら、

「それは昔の話ですね」とか言われてしまう。

 

今は雑草も含めて、すべての生き物を受け入れようとしている。

この日も、私が田んぼに入って草を抜いたら、叱られた。

 

「まったくエビさんは余計なことをする。私の大事な草を抜かないで欲しい」

 

「えっ? だってこれ、コナギですよ。こんなに生えて...やばいんじゃないすか」

「大丈夫です。これも何かの役割を果たしてくれているんです」

 

田んぼではすべての生き物が互いに支えあい、その中で稲も育てられています。

ここで何万匹もの赤とんぼが羽化して、上昇気流に乗って

いっせいに鳥海山に向かって飛んでいく様を、皆さんに見せたかったんです。

とんぼが羽化したての時はまだ上手に飛べなくて、それを狙ってツバメがたくさんやってきます。

ぼくの田んぼでは、ツバメが低く飛びます。

そしてとんぼを捕まえる瞬間、ピシッ!という音がして、さあっと舞い上がるんです。

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こんな話を田んぼでゆったりと語る佐藤秀雄。

 

佐藤さんのお米を食べたことのある参加者の感想はこう。

「特に主張がなくて、でも食べているうちに、ふわぁっと自然の風景が浮かんでくるような

幸せな気分になったの」

佐藤さんはだたニコニコと、頷いている。

どんよりとした曇り空の下。

残念ながら、この日はとんぼの一斉飛行は見られなかったけれど、

この田んぼで、この人の話を聞きながら、その姿を想像するだけで、

みんな何だか満足させられちゃったような気がする。

 



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