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2014年5月11日

堰(水路) さらい

 

5月1日に邑南町から帰ってきて、一日置いて 3日。

今度は車で東北道を北上。 要所要所で渋滞に遭い、

観光客を横目で睨みながら、郡山から磐越道に入って会津若松で降り、

喜多方・大和川酒造で 「種蒔人」 を積んで、山都まで。

休憩時間も含めてほぼ 7時間。 

 

この8年、GW後半は堰さらいボランティアと決めている。

余計なことは考えないようにして・・・

そんな感じで今年もやってきましたよ、

この里に。

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一見変わらない風景なんだけど、

やはりこちらの棚田も、年を追って不耕作田が増えている。

美しい風景は元からそこにあったわけでなく、

人の手によってつくられてきたのだと説いたのは民俗学者・柳田國男だが、

日本はいま、まったくその真逆の道を歩んでいる。

失われたものはおそらく、もう取り戻せない。

 


いつもなら満開の桜が出迎えてくれるのだが、

今年はもう散っていた。

でも草花たちはあちこちで競い合っていて、

充分に目を楽しませてくれる。

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到着したボランティアたちは順次 「いいでの湯」 に浸かって、

みんなで準備して、前夜祭へと突入する。

今年も50人以上のボランティアが集まった。

 

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しかし地元農家は今年も減ったとのこと。

かつて50戸あった農家が、今年は11戸になった。

堰が維持できない戸数まで減ってしまうと、

その時点ですべての田んぼがいっぺんに消失する。

集落そのものの存続が、

浅見さんはじめ新規就農者の肩にかかってきているということである。

 

それにしても、ここに来るボランティアは酒飲みが多い。

「種蒔人」 もしっかり貢献している。

会員の皆様が飲み続けてくれたお陰で、

1本につき 100円ずつ積み立ててきた 「種蒔人基金」 から、

今年も 2ダース(2日分) の 「種蒔人」 をカンパさせていただいた。

ささやかな、人をつなぐ潤滑油として。

またこういう人たちがいてくれることで、

原料の水と米も守れるわけで。

 

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こごみ、ウド、タラの芽・・・ 山菜の天ぷらが実に美味しい。

山に入って、適度に摘んで、適度に手を入れる。

けっして自然のまま(放ったらかし) にしない。

そうすることで生物の多様性はかえって高まり (これを 「中規模撹乱説」 という)、

いつまでも数々の資源と恵みをもたらしてくれる。

これが里山の原理である。

 

自著 『ぼくが百姓になった理由(わけ)』 のPRをする浅見彰宏さん。

一昨年に山都に入植して仲間に加わった

長谷川浩さん(元福島県農業研究センター研究員) の

著書 『食べものとエネルギーの自産自消』(ともにコモンズ刊)

とも合わせて。

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さて翌 4日。

本木上堰延べ 6kmの堰さらいの開始。

いつものように上流から降りてくる早稲谷班と、

下流から上っていく本木班に分かれる。 出会うまで終われない。

 

僕は今年は本木班に編成される。

事前にスコップ組とフォーク組みが指定されたのだが、

僕も含めた数名は 「両方」 と書いてある。

土砂も枝木も落葉もとにかく全部対処しろ、ってことね。

キャリアとともに楽になっていくのではない。

任務は重くなっていくのである。 これ、世の習いなんだそうだ。

肉体労働もか・・・ ま、いいけど。

 

本木班、朝 7時半集合。 

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作業開始ポイントまで軽トラで護送され、 

あとはひたすら、浚うべし、浚うべし・・・

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冬の間に落ちた倒木も、枯枝枯葉も、土砂も浚い、

水を通してゆく。

全長 6kmの高度差は 65mとのことだが、

ほとんど水平に近い傾斜が続く。

尾根に沿ってゆっくりと、温みながら水が下っていけるように

掘られている。 

 

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江戸時代中期、1736年に着工し11年かけて完成した。 

以来 278年、修復を重ねながら麓の田を潤してきた。

この堰より上に人家はない。

上流は飯豊山のブナ原生林である。

降った雨や雪が森の力によって浄化され、ミネラルも一緒に運んで

美味しい米をもたらしてくれる。

この価値を、経済の尺度で計れるものなら計ってみてほしい。

外部経済ぶんも含めるなら、

その数字は誰も支払えない額になるはずである。

潰してはならない、汚してはならない。

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疲れたので続く。

 



2014年5月 9日

" A級グルメの町 " 邑南町訪問記(Ⅱ)

 

邑南町訪問記、後編。

 

実は今回の訪問の目的の一つに、

有機栽培のブルーべりーの存在があった。

そこで園地を視察させていただく。

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ブルーベリーはいま花の季節。

収穫は7月になる。

 

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サウスムーンなど果実の大きい品種が選ばれているが、

それでも一本の成木から採れる実の量は 2㎏ だという。

米の小袋 1袋ぶん。。。 500本植えて約 1トン。。。

農薬を使わないための手間(コスト) もある。

天敵のカイガラムシはブラシでこすって落とす。

コガネムシはトラップを仕掛けて捕殺する。


受粉にはミツバチを使うが、去年はハチがやってきてくれて

買わずに済んだんだそうだ。

どこから来たのか。 リンゴ園から飛んできたのではないかと、

農園主の森脇豊敏さんは推測している。

「リンゴ園の農薬散布が影響だと思うんですが・・」

と森脇さんの心境は複雑なようだ。

「でもそうだとすると、ここに有機栽培のブルーベリー園があることで、

 ハチもリンゴ園主も救われたんじゃないですか」

と返すと、少し笑ってくれた。

 

地元での販売の他、冷凍して加工原料に回したりしてきたが、

この間需要も伸びてきているとのこと。

というわけで、現在の生産量ではちょっと当方との取引は難しい。

増植計画の検討もされているとのこと。

しかしその場合は品種の選定も鍵になる。

風味・粒の大きさ・生産性・保存性・作りやすさなどを勘案して判断しないと、

数年後の経営に響くことになる。

日当りや昼夜の寒暖差、土地の保水性や雨量

(水を欲しがる果物だが水が多いと味がボケる) なども大事な要素だ。

森脇さんは幾つかの品種の名を挙げながら、

次の園地候補を検討中とのことであった。

長いお付き合いに進められるかどうかは、

これからのこちらの姿勢も問われることになる。

 

棚田百選に選ばれた地区があるというので、

案内してもらった。

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農家の高齢化に加えて米価は低水準というこんにち、

生産効率を上げられない棚田を維持するのは大変なことだ。

あちこちの田んぼが耕作されなくなってしまっている。

それでも荒れないようにと、黒マルチを敷いて雑草を防いでいる。

そのカネにならない仕事は、どんな思いでやられているのだろうか。

翻って思うに、山上から 「田ごとの月」 を愛でられる棚田が、

まるで第Ⅰ種絶滅危惧種のように急速に消えていっているというのに、

この国の文化人たちはいったい何を見ているのだろう。

荒れる風景を嘆きながら、グルメ気取りで輸入食品を頬張ったりしてないか。

田を荒らさず、いつか復元できるなら・・・とマルチで保護している農民たちこそ、

文化人の名に値しないか。

 

加えて感じ入ったのは、家々の美しさだ。

漆喰の白壁に蔵のたたずまいが、とてもいい。

どの家も丹精に手入れされている。

美しいと言わせる村には、必ず誇りの香りがするものだ。

 

こちらが、邑南を有名にさせた 「素材香房 ajikura 」。

地元食材を使用したイタリアンのレストラン。

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味噌だったか醤油だったかの蔵を移築した建物の

店内風景。

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ランチでは、パスタコースを選んだ。

でも順番に出される料理の名前を言われても、

覚えられない。 いや、暫くすると忘れてしまうのだ。

僕はまったくもってグルメになる素質がない。

とにかく野菜が美味しかった。 

ま、僕にとってはそれで充分。

 

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ajikura と同じ建物に併設された 「食の研究所」。

 

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ここには 「耕すシェフ」 と銘打った調理師の研修制度がある。

3年間邑南に住んで、直営の農場で野菜作りを体験しながら料理を学び、

食や農に関わる人材として鍛えられる。

また町内唯一の高校である矢上高校の生徒たちと共同で

地元食材を使った商品開発が行なわれていて、

矢上高校は 「スイーツ甲子園」 で中国大会決勝に進出した実績を持つ。

 

観光施設 「香木(こうぼく) の森公園」。

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ハーブ園にクラフト体験工房、カフェ、温泉、バンガロー

などがあって、滞在型で楽しんでもらう工夫が試行錯誤されている。

 

他にも、わざわざ広島から買いに来る客がいるという

道の駅に設営された地産地消の市場や、有機栽培農家、

山地酪農に挑む青年、チョウザメ(&キャビア) の養殖場

などを案内いただいた。

町の公務員の方が一所懸命、次は、次は、と町の産業のPRに努めてくれる。

ここでも知らされる。 鍵は人に尽きる、ということ。


農水省 「食文化ナビ」 で委員をご一緒した日本総研の藻谷浩介さんが

絶賛した邑南町を、駆け足でたどった 2日間。

" 地域 "  というテーマが一層リアリティを持って迫ってきたのだった。

 

「食文化ナビ」 調査によれば、

平成22年度に設定した目標に対しての現在の実績は-

 ・ 観光入込客数 100万人/年に対して、93万人(単年度)。

 ・ 定住人口 200人に対して、72人(23・24年累計)。

 ・ 食と農に関する起業家 5名に対して、8名(同上)。

 

2年間で 72人が移住した町。

少ないでしょうか。

一ヶ月で 3人、新しい人が引っ越してくる中国山地の町。

それを受け入れる懐の深さと、生まれる新たな仕事。

これが何を意味するか、じっくりと考えたい。

 



2014年5月 8日

" A級グルメの町 " 邑南町訪問記(Ⅰ)

 

島根県邑南(おうなん) 町。

広島駅から浜田行きのバスに乗って中国山地を北上し、

島根県に入ったところが邑南町。

10年前に旧 3町村が合併してできた人口 1万 2千人という町。

一見してどこにでもあるような、

のどかな日本の中山間地、といった風景だ。

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しかしこの町が今、とても熱い。

" 日本一の子育て村 "  を宣言して、

中学卒業まで医療費無料! 2子目から保育料無料!など、

地域で子育てを支援する制度を充実させてきている。

安心して子どもが産める町、これは日本でいま最も求められている政策である。

若者を受け入れるための空き家情報も提供している。

 

そして食関係者を唸らせているのが、

" A級グルメ立町 "  を宣言しての骨太な地産地消の展開である。

食や環境、ロハス系と言われる雑誌の取材が後を絶たない。

その推進役を果たしているのが邑南町観光協会。

既にある観光資源の売り込みではなく、

新しい地域ブランドを創造していく姿勢をもつ観光協会というのは、

そうないのではないだろうか。

 

5月1日、その山間の町に、

町立の 「食の学校」 なる施設が建設され、竣工式を迎えた。

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『 OHNAN  A-CLASS  GOURMET  ACADEMY 』

こっちを訳せば 「邑南 A級グルメ学院」 か。

" A級グルメの町 "  にかける本気度を示す施設の誕生である。

ここに僕がお誘いをいただいたのは、

この施設をコーディネートされたプランナーの石原隆司さんからであるが、

昨年度委員を務めた農林水産省の 「食文化ナビ活用推進検討会」 で

邑南町をモデル地区として調査したことも手伝っている。

観光協会の常務理事である寺本英仁さんとは

昨年 「Daichi&keats」 でお会いし、訪問の約束をしていたこともあった。

 

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石原良治町長や議員さんらによるテープカット。

町の掲げる  " A級グルメ "  には、

地元で生産される食材を育て、ここでしか味わえない食体験を提供し、

その食文化をしっかり伝承させてこそホンモノのグルメ(食通) であろう、

といった主張が込められている。

そしてこの理念を発展させるものとして、

昨年秋に 「食の学校プロジェクト推進協議会」 が発足し、

この日の竣工式へと漕ぎつけたものだ。

ここを新たな拠点として、地元の人たちへの食農教育を進め、

100年先まで食文化を伝えていくこと、

さらには加工技術や素材知識の習得、新商品の開発などが

ミッションとして掲げられている。

 

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挨拶する石橋町長。

合併後の初代町長で 3期目と聞いたが、まだ若い。

 

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様々な関係者が挨拶する中に、

観光協会が運営するレストラン 「素材香房 ajikura (あじくら)」 料理長の

三上智泰さんもいた (写真右)。

ajikura のレシピが本にもなったイケメン・シェフ。

大阪や広島のホテル勤務ののち、町の取り組みに惚れて地元に帰ってきた。

意欲ある若者が帰ってくる。

その若者の手で新たな価値が生まれる。

いい循環が生まれている。

 

イケメン・シェフのお隣でマイクを握っているのは、

観光施設 「香木の森公園」 内にあるハーブ園を任されているという

はなぶささんと仰ったか。

夜の食事で同席した際に今後のプランを聞かされ、

いろんな意見交換をさせていただいた。

ハーブの先にあるもの、あるいは共生昆虫について。

この町には面白い人たちが集まってきている。

 

続く

 



2014年3月26日

『日本食文化ナビ』 の完成


前回、堰さらいボランティアを呼び掛けさせていただきましたが、

長い日記の最後につけたため少々不安あり、

改めてご案内させていただきます。


里山の自然を満喫しながら、思いっ切り汗を流してみませんか。

新規就農者と語り合ったり、地元の人たちとの交流も楽しいものです。

申し込みの基本は、直接浅見さんの ブログ からお願いします。

注意事項はしっかり読んでね。

東京方面から参加してみたいという方は、

大地を守る会・戎谷 にご連絡いただいても結構です。

席が空いていれば、車に同乗も可能です (お約束はできませんが)。

行程は以下の通り。

 5月3日 : 早朝都心発 -大和川酒造店立ち寄り(酒調達) -現地で前夜祭・公民館泊

 5月4日 : 早朝から堰さらい作業 -温泉 -夕方から交流会・公民館泊

 5月5日 : 山都散策(チャルジョウ農場訪問) -帰京

  ※ ただし、ゴールデンウィークの渋滞を覚悟してください。

お問い合わせは、戎谷まで。

 ⇒ ebisudani_tetsuya@daichi.or.jp 


続いて本題に。

昨日、農林水産省から、待っていた制作物が届いた。


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送っていただいたのは、農水省大臣官房政策課・食ビジョン推進室から。

地域に受け継がれてきた食文化を活用して地域を活性化したい。

その水先案内になるようなマニュアルを作成しようという委員会が昨年発足し、

約半年かけて 『地域食文化ナビ』 という制作物が完成した。

しかしホントに使えるものにするには幾つかの改良が必要だということになって、

改めて 委員会が招集された のが昨年の 8月。

いったん役目を終えた委員会を再度招集する意気込みが

霞ヶ関にあったというのは、ちょっとした驚きだったけど、

竹村真一座長の呼びかけに喜んで参加させていただいたのだった。


そしてバージョンアップして完成した 

『 日本食文化ナビ -食で地域を元気にする本 』

今回は、本体とダイジェスト版という構成でなく、

各地の事例や考えるヒント等を盛り込んだ 「BOOK」 という解説本と、

自身でチェックし書き込んでいける 「NOTE」 の 2本立てとなった。


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「NOTE」 は A5 版サイズの薄い手帳なので、

カバンに潜ませて持ち歩いてくれれば、との狙いである。


ケーススタディとして、以下の事例がレポートされている。

福井県小浜市、岩手県一関市、岩手県久慈市(旧山形村)、宮崎県西米良村、

石川県、山形県おきたま地域、栃木県、長野県長野市、新潟県湯沢町ほか、

三重県鳥羽市、高知県馬路村、島根県邑南町、熊本県玉名市ほか、

大分県日田市、沖縄県やんばる地域。

海外では、フランス・イタリア・韓国・オーストリアの事例が盛り込まれた。


地域食文化の特徴や魅力への気づき、「食」の循環を見渡してみる、

地域食文化を創造的にデザインしてみる、「食」をキーワードにどう価値を創造するか、

マーケットへの発信、地域全体で育み次世代に伝える、

といった視点でヒントになる素材が提供できたなら嬉しい。


僕なりに考えたいくつかの改善点も反映され、まずまずの出来ではないかと

思っている次第。

しかし大事なことは、我々の自己満足ではなく、

各地で地域おこしや宝物探しに悩んでいる人たちの役に立てるかどうか、である。

全国地方自治体の然るべき部署には送られたことと思う。

あとはさらに進化させてもらえることを願っている。


「BOOK」 の最後に、委員による 座談会 が収録された。

まあ僕はつまらないことしか喋ってないけど、

最初に細川モモさんが、現在の日本の食をめぐる問題点について、

かなり的確な論点整理をやってくれているので、

ここはぜひご一読願いたいところである。


大震災から、わずかながらも福島の再生に関わり、

昨年から 「地域の力フォーラム」 や 「食文化ナビ」 に付き合ってきて、

いよいよ僕の中で、「地域」 というテーマが大きな位置を占めつつある。

新しい年度に替わろうとする時に、抑え難く湧いてくるものがある。

お前に何ができるのか、、、

テッテー的に悩んでみたい、とナビをめくりながら思うのである。




2014年3月24日

地域の力と内発的復興のために-


お彼岸の日のお通夜に参列した帰り道、

大地を守る会の職員や OB、生産者と誘い合って飲んだ。

あえてなのか、みんな楽しく飲もうとする。

それが先に逝った仲間への弔いであると信じてるみたいに。

この輪の真ん中に道場さんもいて、

「お~い、ビールあと2本!」 を連発しながら笑っているんだと、

そんな気分で酒も会話も、彼に飲ませ聞かせるように進むのだった。

 

翌日(22日) は、下北沢の ふくしまオルガン堂 に出かけた。

福島・喜多方市の市長選をたたかった浅見彰宏さんから、

東京で応援してくれた人たちに御礼の報告会をやりたい

という案内をもらっていたので。

「喜多方から始めよう、浅見彰宏報告会」 と題して夕方から開催。

遅れていったところ、20人ほどの人が集まっていた。


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選挙の結果は、以前 にも報告した通り。

たった 3 ヶ月の準備と運動期間で、

ほとんど無名の候補者が約 3 分の 1 の得票を獲得した。

それだけ潜在していた 「変わらなきゃ」 の気運を動かしたということだ。

多くの人が大健闘だと称えているが、

中には 「これだけしか取れなかったのか」 という厳しい批評もあれば、

あと1カ月あれば・・・ という悔しさをにじませる声もある。

でも、今日の浅見さんは爽やかである。

それなりにやり切ったという思いと手応えが、次へと歩ませているのだろう。


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特に子どもたちが誇れるような地域をつくりたい。

たとえ都会に出ていかざるを得なくなったとしても、そんな若者たちのためにも

美しい故郷にしたい、と語る。

「四国から出てきたエビさん、どうですか?」

と突然ふられて、一瞬ひるんだけど、まさにその通りだよ。

「田舎が誇れるって、どっか自信につながっているような気がする。」

街に出るしかなかった小っちゃな漁村の三男坊でも、

あの海はいつまでも僕の骨としてある。 

子どもの頃、原発誘致計画をふたつ、潰した地域だ。 蹂躙する奴は許さない。


「喜多方の豊富な地域資源を活かした、最先端の田舎にしたい。」

浅見さんの力強い言葉に、

誰かから 「じゃあ 4 年後!」 の声も挙がる。

いや待て。 4 年後の選挙に出るかどうかよりも、

その時までにどんな地域づくりを進めるかだろう、みんなの力で。


ここで折角なので、報告できてなかった

2月 16日(日) に開催されたフォーラムのレポートも入れておきたい。

「 ~地域の力シンポジウム~

 3.11 東日本大震災と内発的復興

 -農山村と都市の新しい結びつきを考える- 

会場は渋谷区外苑にある 「日本青年館」。


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基調講演は、「地域フォーラム」委員長、出版社コモンズ代表の大江正章さん。

大江さんは、内発的復興に必要な 6 つの視点を提示された。

1.犠牲のシステムからの脱却

  地方、第一次産業、自然、環境に犠牲を押し付けないこと。

  ゲンパツはまさに犠牲のシステムである。

2.地域循環型社会の構築

  第一次産業と地場産業をベースに、商業・金融機関・地域メディアも一体となった

  経済の地域循環を築くこと。

3.経済成長優先主義から脱成長へ

  経済成長(お金) のみを物事の判断基準にしてはならない。

4.内発的な力と外来的な力の交響

  外部からの力を活かし融合させるような地域主体の形成。

  主役はあくまでも内側にあること。

5.自然観の転換

  自然とともに生きる、という思想を育みたい。

6.故郷への想いの継承

  人間関係や風景を含めて、いま暮らすかけがえのない地域こそが故郷である。

 

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そして地域の力を活かした内発的復興への取り組み事例として、

3 つの地域を上げた。

里山の再生から地域特産品の開発、新規就農者の学びの場としての

「あぶくま農と暮らし塾」 を誕生させた

「ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会」(二本松市東和地区)。

新しい産業づくりを目指してオーガニックコットンの栽培に取り組み、

コミュニティ電力事業を進めるまでにいたった

いわきおてんと SUN プロジェクト」(いわき市)。

壊滅的被害を受けながら、NGOや被災地支援ファンドなどの支援を得て、

漁師たちによる株式会社づくりや共同作業所、アンテナショップの経営

などに取り組む宮城県石巻市北上地区。


地域の魅力を再発見し、若者がその地域を好きになれば、

彼らが地域の元気の素をつくっていく気運が生まれる。

企業誘致や公共事業に依存しても失敗する。

地域は内発的にしか発展しない。


続いて特別報告者として発言したのが浅見さんである。

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大手鉄鋼メーカーを辞め、喜多方市山都町の山間地に移住して 17年。 

山間地農業の役割と現状での問題点を整理しながら、

山間部に残る水路の保全に取り組んだ思い、

そして堰さらいボランティアを受け入れた経過とその効果が報告された。


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地域の宝ものを発掘し、内と外の視点からその意味を再確認し、

担い手を育てる力にしてきたこと。

協働者(ボランティア) との交流から、都市と農村の互恵的な関係を築く。

そのためにはつなぎ役の存在が欠かせない。

新規就農者を取りまとめ、兼業でも生きていけるカタチをつくっていくことで、

後継者が育ち、地域に力が生まれていく。

この里山を慈しみ、誇りを持つ若者たちを一人でも多く育てること。

それが私の役割かな、と。 

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チャルジョウ農場・小川光さんのもとで学んでいた若者たちをまとめ、

「あいづ耕人会たべらんしょ」 の組織化を働きかけた者としては、

それなりに貢献できたか、という自負も密かに持っていたものだが、

いや実は、仕掛けにまんまと乗せられたのはオレの方だったのかもしれない、

いうことにも思い至らせられたのだった。 

もしかして、してやられたのか。。。

でもまあ、ほぼ狙い通りの答えを用意したとは思ってる。


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二人の報告の後は、

福島県有機農業ネットワーク理事長・菅野正寿産をコーディネーターに、

4人のパネラーによる活動報告。

広告代理店の立場で  " 農に触れる "  活動を展開する (株)博報堂の藤井久さん。

国士舘大学文学部准教授で、学生たちの農業体験や交流を続けながら

中山間地での地域発展を研究する宮地忠幸さん。 専門は経済地理学。

持続的な社会づくりのための調査・研究や地域開発支援に取り組む

一般財団法人 CSOネットワーク事務局長・黒田かをりさん。

そして流通という立場から戎谷。

福島の農産物との付き合いから学んできたことをお話しさせていただいた。

それぞれに5分や10分じゃ語り切れない思いを抱えているのだった。


さて、今年も堰さらいには行くしかない。

地域の力を掘り起こし、「内発的復興」 がどういうカタチとなって進むのか、

ここまできたら、とことん付き合うしかない。


最後にご案内。

東京方面から堰さらいボランティアに参加してみたいという方がおられましたら、

直接浅見さんの ブログ からお申し込みください (注意事項はしっかり読んで)。

あるいは大地を守る会・戎谷 にご連絡いただいても結構です。

席が空いていれば、車に同乗も可能です (お約束はできませんが)。

行程は以下の通り。

5月3日:早朝都心発 -大和川酒造店立ち寄り(酒調達) -現地で前夜祭・公民館泊

5月4日:早朝から堰さらい作業 -温泉 -夕方から交流会・公民館泊

5月5日:山都散策(チャルジョウ農場訪問) -帰京

ただし、ゴールデンウィークの渋滞を覚悟してください。

お問い合わせは、戎谷まで。

 ⇒ ebisudani_tetsuya@daichi.or.jp 




2014年3月 5日

ファイトメンテ! 記者発表

 

昨年6月に開催した「放射能連続講座」 でお呼びした

麻布医院院長・高橋弘さんが提唱する野菜の力-「ファイトケミカル」。

講座の後も、何度か医院に出向いては

アドバイスをいただいているうちに、

部署を横断した社内プロジェクトに発展して、

ファイトケミカルをテーマにしたいくつもの商品群が開発されるまでに至った。

 

冷凍スープが 3種類、冷凍スムージーが 3種類、

野菜と組み合わせたドライフルーツが 3種類、

ファイトケミカル基本野菜に人参の葉を加えた粉末スープ、

ティーバック・タイプのベジティー、

そして基本 4種の野菜セット。

これらが何と、一斉同時発売!となったのである。

商品開発はまだこれからも続くとあって、

このシリーズには、「ファイトメンテ」(造語) という冠がつけられた。

 

大地を守る会の新しい商品シリーズの誕生!

ということで本日、少々気合いを入れて記者発表となった。

場所は東銀座の時事通信ホール。

 

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ロビーでは、試飲試食コーナーが設けられた。 

それぞれ3種のファイトケミカル・スープにスムージー、

ドライフルーツ&ベジタブル・・・と並ぶ。

3種とは、ビューティ(抗酸化作用)、リズム(解毒作用)、エナジー(免疫力アップ)

のコンセプトを指し、

例えば、「8種の野菜と大豆のスープ (ビューティ)」 「緑のスムージー (リズム)」

といった格好で展開されていくのである。

 

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参加されたメディア関係者、特に女子の間で

「なにこれ、美味しい!」 「えっ、これイイね。 どこで買えるの?」

といった声が聞こえてくる。

どこで・・・って、大地を守る会に決まってるじゃないスか。

なんて嫌われるようなセリフは吐かず、知らん振りして通り過ぎる。

 

しかし僕が主張したいのは、やっぱこれ。

高橋弘先生推奨、4種の基本野菜セット。

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カボチャ、人参、玉ねぎ、キャベツ。

これを各100g、テキトーに切って、水でコトコト煮て、

スープを飲めば OK! 原体(野菜そのモノ) を買ったほうがお徳なんだし。

忙しい時には、この4種+人参の葉を使った

「ファイトケミカルプラス」 の携帯がおススメ。

普段は畑で捨てている葉っぱを、捨てずに集めてくれたのは、

さんぶ野菜ネットワークの皆さんだ。

 

ま、いろんな形があってもいい。

とにかく、野菜を食べよう!野菜の力を取り込もう。

そのためには野菜は無農薬を選びたい。

人参は皮ごと使うのが基本だからね。

 

次の開発予定のピューレもスタンバイ。

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これらのラインナップによって、少しでも野菜のすごさが伝わればいい。

そして生産者の経営支援につながるなら、言うことはない。

 

発表直前。

スタンバイしたTVカメラは、7台。

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まずは藤田社長の挨拶。

 

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 続いて、山口取締役から

「ファイトメンテ」シリーズの説明。

 

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本シリーズの全体監修は、高橋弘さん。

そして商品開発とレシピ監修が、

アンチエイジングレストラン 「リール」 オーナーシェフの堀知佐子さん。

 

「ではここでスペシャルゲストをお呼びして、

実際に食べていただきましょう」 と司会の斉藤たかこさん。

登場したのは、タレントの水沢アリーさんと岡田圭右(けいすけ) さん。

 

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さすがプロ。 絶妙の掛け合いでファイトケミカルを PR してくれる。

聞くところによると、水沢アリーさんは、

浦和レッズだったかのサッカー選手とラブラブ中 だとかで、

「ジュニア・アスリートフード・マイスター」

の資格取得に向けて 勉強中とのこと。

どうもそっちのネタ狙いで来たメディアもあったようだ。

まあ、それでも明るく 「ファイトメンテ」 を連発してくれて、

仕事意識は外さない。

(アップの写真もたくさん撮ったのだけど、ブログ等での使用は一週間限定

 と釘を刺されたので、遠目のを一枚のみ。)

 

そんなこんなで、僕が今年度のテーマとした ファイトケミカルは、

もはや手に負えないほどの企画 「ファイトメンテ・シリーズ」 となって、

少々派手な船出を果たしたのでありました。

たくさんの人の健康に貢献できれば嬉しい。

 



2014年3月 4日

有機農業こそ復興の鍵

 

「第9回 農を変えたい!東北集会 in ふくしま』

の続き。

 

3月1日(土)夕方、相馬市松川浦 「ホテル夕鶴」 に、

東北を中心に南は九州から、集まった参加者は 150人くらいか。

1 日目は、お二人による基調講演。

新潟大学教授・野中昌法さんからは、「現場と協働した放射能測定と復興」 と題して

二本松市東和地区、南相馬市大田区、飯舘村大久保地区で

地域住民と一体となって取り組んだ測定と対策の経過が報告された。

 

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野中さんの師は、足尾鉱毒事件とたたかった不屈の賢人・田中正造と、

水俣病患者に寄り添い続けた熊本大学の原田正純さん(一昨年没) である。

講演はいつも、原田正純さんが残した言葉から始める。

「弱者の立場で考えること。 そして現場に学ぶこと。」

 


調査・対策の主体はあくまでも、現地の農家である。

農家が主体的に取り組むことで成果が上がる。

研究者はそのサポート役としてある。

生産者・消費者・流通・学者・企業が一体となって理解を深め、

様々なバリアフリーを作ることが大事である。

 

まずは徹底した汚染マップを作成し、実態をつぶさに見通すこと。

田畑 1枚ずつ、あぜ道一本、森林、河川と詳密なデータを取り、

それぞれの汚染の状況に応じた対策を一つ一つ組み立て、実践していくこと。

やっかいな森林では、ウッドチップを用いるなど、

新しい除染試験にもチャレンジした。

そしてデータを取り、成果と課題を確認し、次につなげる。

 

作物へのセシウム移行の理屈が見えてきて、

丹念に土づくりをやってきた有機農業の力も確認された。

今後注意すべきは、ダムから流れてくる農業用水の継続的チェックか。

 

二人目は、東北大学教授の石井圭一さん。

浜通り(相馬、南相馬、いわき、他 7町 3村) のなかでも

南相馬市を中心に調査し、住民の動態(激しい人口減、特に子どもの減少)、

除染の遅れ、鳥獣害の拡大、生産意欲の減退や農業者間の連携不足など、

営農復興への厳しい状況が報告された。

 

そこで石井さんが期待するのは有機農業である。

強い意欲(チャレンジ精神)、技術の多様性、消費者とつながるコミュニケーション力、

横につながっていくネットワーク力、その総合力こそ

浜通りに求められているものではないか、と石井さんは説いた。

 

二日目は、会場を相馬市総合福祉センターに移し、

中島紀一さん(茨城大学名誉教授) の基調講演に始まり、

福祉センターで講師をされている平出美穂子さん(元郡山女子大学) から、

福島県3地方(浜通り・中通り・会津) の食文化が紹介された。

それぞれの地域に残る郷土料理と 「和食」 の豊かさ、

地産地消の価値、なぜ有機農法がよいか、

会津農書が教える伝統野菜の価値、そして21世紀はファイトケミカル!だと。

放射能対策にも役立つ東北野菜の栄養素を見直し、

自然を見つめて師とし、本物の作物を食べてこそ

人間は健康に、死ぬまで元気に生きられる、と結ばれた。

死ぬまで元気に生きる ・・・・僕もそうありたい。

 

次の分科会では、「都市と農村の交流と地域づくり」

というセッションに参加した。

 

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最初の事例発表として、

喜多方市の浅見彰宏さんから、山都町の堰を守る活動のなかで

都市の消費者との輪が広がってきたことが報告された。

当初、堰さらいに都会のボランティアを受け入れることに対しては、

村の人たちには相当の抵抗感があった。

しかし来る人来る人が、水路に感動し、自然に感動し、地元料理に感動し、

リピーターが年々増えてくるに連れ(最初 7名、今 50名)、

地元の人たちは誇りを取り戻すようになってきた。

江戸時代から守ってきた「堰」 が人々をつないだ。

 

交流を続けられる鍵は 4つだと、浅見さんは語る。

地域の宝を守ること、つなぎ役がいること、

担い手が育っていること、協働者(支援者) がいること。

 

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分科会コーディネーターの谷口吉光さん(秋田県立大学) が、

東北各県で展開されるようになった 「オーガニックフェスタ」 の

意義と概要を紹介し、

それを受けて、3人の方が各県でのフェスタの報告を行なった。

皆、大地を守る会に米や野菜を出荷してくれている生産者である。

なんだか、誇りたくなる。 

 

岩手・大東町有機農産物等生産組合の小島幸喜さん。 

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秋田県有機農業推進協議会の相馬喜久男さん(大潟村)。 

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山形からは、おきたま興農舎(高畠町)の小林温さん。

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共通して語られたことは、県内の有機農業者をつなげたこと。

県内の消費者に、有機農業が地域に存在することを知らせたこと。

「 来場された秋田の人から 『私は大地を守る会から買ってる』 と言われて、

 それはショックでしたよ」(相馬さん)

・・・って、相馬さんだって「大地」 に米を出荷してるんじゃん。

そこで笑いをとるかぁ。 僕も笑ったけど。

 

「 ほとんどの日本人が農と離れて暮らしている。

 なぜ交流が必要かと考えると、

 いのちを実感するというか、生きる力を与え合うっていうか、

 食の距離を縮めることができるからだと思う。

 農業は、コミュニティをつくるんですよね。」(小林さん)

 

有機農業が目指す社会・世界を表現し、人をつなげる。

そのために新しい 「祭り」 が生れている、ということ。

「オーガニックフェスタ」 という祭りは、2004年に東京で始まり、

2008年に鹿児島に飛び火し、そして東北各県で花開きつつある。

まだまだいくぞ。 広げなくてはね。

 

午後にはミニ・シンポジウムがあり、

この二日間で作られた輪だろうか、「若手の会」 や 「女性の会」 から

交流の成果が発表された。

 

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最後に、実行委員長・渡部よしのさん(「あいづ耕人会たべらんしょ」メンバー)

から大会宣言が読み上げられた。

 

   困難に取り囲まれている福島の人々が懸命な復興の努力をされ、

   そこから無数の希望が生れていること・・・

   「オーガニックフェスタ」をはじめ地域の新しいネットワークと

   都市と農村の新しい関係が生まれていること・・・

   逆風のなかで新しい新規就農者が生まれ、地域で受け入れていること・・・

   こうした農の営みから生まれる人と人の新しいつながりを大切にし、

   経済至上主義や TPP の波に対抗して、

   農の持つ価値を若い世代に伝え、人とふるさとが輝く地域の力を

   東北から発信していきましょう。 

 

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『人とふるさとが輝く東北へ

 -食と農の再生をふくしまから-』 終了。

 

なにかあるたびに福島に足を運ぶのは、

福島への連帯という以上に、

自分自身の行動原理をたしかめるためでもある。

この地の再生・復興を果たして未来に残すことは、

我々世代の義務だと思う者であり、したがって

このつながりを捨てることは、諦めることは、

" 私自身の敗北 "  (赤坂憲雄さんの言葉) を意味するからだ。

 

二日目の全体会場で、

ローソンと資本提携した大地を守る会を非難する発言もあった。

指摘された事実がメチャクチャな誤認に基づくものだったので、

そこはしっかり訂正させていただいた次第だが、

これからの行動はみんなが注視していることを忘れてはいけない、

ということなんだろう。

ちょっとしたことで世間は誤解し、悪意で噂が広がる、ということもある。

襟を正しつつ、見てろ! と言うしかない。

 



2014年3月 3日

農を変えたい!東北集会 in ふくしま

 

土日のイベントや出張が続く。 これで 6週目。

3月1日(土)~2日(日)は、

「農を変えたい!東北集会 in ふくしま」 に参加した。

「農を変えたい」 東北シリーズも各県持ち回りで 9 回目を数え、

今年は福島県相馬市での開催の運びとなった。

浜通りの現状を見てほしいという思いを込めて、

あえてこの場所にした、と主催者から聞かされた。


3月1日午前10時半、仙台駅から貸切バスにて出発、

仙台東部道路を南下する。

名取川に差し掛かった瞬間、あの日の津波の映像が蘇る。

名取市から亘理(わたり) 町にかけて、

整地された地面の上にハウスの団地が立ち並ぶ光景を目にする。

かすかに映る中の影は、イチゴの水耕か高設栽培に見えた。

農が土から離れていく・・・・

 

福島県新地町に入ると、

地元のおじちゃんやおばちゃんが 5人ほど乗り込んでくれた。

当時の様子や復興の現況を聞かせてもらいながら、

被災現場を見る。

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人の気配なく、地盤だけが暮らしの形跡を留める。

こんな場所がいたるところに、まだ残っている。

 

破壊されたままの防波堤。

内側も海水に浸かっている、というか

海の中に捨てられた瓦礫のようだ。

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東北学を提唱する民俗学者、赤坂憲雄さんの言葉を思い出す。 

昔は潟として存在していた海縁の場所が、

人口増加とともに埋め立てられて、

人々は海へ海へと生活域を広げていったのだが、

津波はそのような場所をことごとく飲み込んで、

3 年経った今でも湿地状態のまま、というところが多いらしい。

 

「潟に返してやればいいんじゃないか」

と赤坂さんは語っていた。

(『3.11から考える 「この国のかたち」』 新潮選書、および

 『被災地から問う この国のかたち』 イースト新書/玄侑宗久さん・和合亮一さんとの共著)


3 年前の3月にあった境界は、その時点のものでしかない。

それを太古から決められた境界であるかのような前提に立って、

その線引きでどデカい防潮堤を築くことへの違和感が、

どの程度の割合かは分からないけれど、

被災地の人々の心にくすぶり続けていることを、

赤坂さんのひと言が物語っている。

 

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荒涼とした風景に、参加者の会話も続かない。

ため息ばかりが伝わってくる。

 

電車が走ることもなくなった常磐線の線路。


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「今でも一時停止してしまうんですよね。」

笑えない・・・

 

しばらく瓦礫の海と化していた農地も、

遠くは横浜や北海道あたりから土が運ばれ、

だんだんと修復されてきている。

しかしその土も、黄色かったり強酸性だったり、

農地に適さない土が入れられたという。

これはただの土木仕事であって、農業土木の技術ではないと。

・・・なんでこうなるんだろうね。

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一見きれいに整地された田んぼだが、

これから先、はたして作る人がどれだけ残っていくか、

という声も聞かれる。

かたち的には修復されつつあるのだが、

 3.11 前の風景とは違うものに変質していってるような、焦燥を感じる。

 

南相馬市に入り、

大田村地区での試験水田を視察。

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農地除染をやれてない水田で、

新潟大学の野中昌法教授らの支援のもと、

コメづくりの試験栽培が行なわれたのだが、

なかなか思うような結果に到達していない。

試験を続ける必要がある。 しかし農家の体力が・・・・


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除染を兼ねて油脂作物(ヒマワリやナタネ) の栽培を続ける

杉内清繁さん。

賠償金の対象からはずされても、農地回復に挑み続けている。

未来のために。

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あてのない避難ほど辛いものはない。

年寄りは帰ってきたが、若者たちは帰ってこない。

4年続けて作付できないとなると、、、

もう取り戻せないかもしれない。 そんな言葉が重く響いてくる。


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福島の復興なくして、日本の復興はない。

多くの人が言い続けてきた言葉である。

しかし風景は、厳しいままだ。

希望は人の心からしか生まれないのだが、

思いと現実の乖離が埋まらないまま、

時間というやつが無情にその芽を摘んでいってるようだ。

 

それでも信じている人たちがいる以上、

僕らは歩みを止めるわけにはいかない。


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視察後は、東北各地から集まってきた参加者とともに、

相馬市松川浦で操業再開にこぎつけた 「なぎさの奏 ホテル夕鶴」 に参集。

二日間にわたるセッションに入る。

テーマは

『人とふるさとが輝く東北へ -食と農の再生をふくしまから-』。


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続く。




2014年1月18日

「完全養殖」 という時代の切なさ

 

飲み会が続いてしまって間が空いちゃったけど、

東京海洋大学大学院・中原尚知准教授のお話 -後編

を上げておかなければ。

マグロ養殖と市場の最新動向から、魚食の今を考えてみたい。


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まずは、養殖による利点と問題点について。

利点のひとつは、何と言っても生産の安定性が挙げられる。 

生産量・品質・価格等を安定的にコントロールできる。

天然ものだけでは、どうしても価格は乱高下する。

身質については、天然ものに劣るというのが根強い評価だ。

原因は餌と運動量にある。

しかし脂の乗りや柔らかさによって市場にはニーズというものがあり、

ニーズにマッチさせられればプラスにもなり得る。


安全性については、昔は薬漬け養殖とか言われたが、

相当に改善されてきている、と中原さんは語る。

なおかつ、食物連鎖を考えた時、天然=安全とは必ずしも言い切れない

時代になってきてないか、とも指摘された。

餌の残さによる環境汚染についても、だいぶコントロールされてきているようだが、

赤潮の原因になるなど、まだ課題は残っている。

「有機養殖」 という考え方も生まれているが、日本では制度化には至っていない。

(わたし的には、この業界そのものがまだ信用ならないという印象が払拭できない。)




量について言うと、

一般的には養殖がどんどん増えていってると思われがちなのだが、

むしろ日本の養殖全体としては衰退期に入っている、というのが現状である。

世界的には、この 25 年間で養殖漁業は 1.7 倍に発展している。

シェアで言えば、6.5 %から 40 %にまで伸びている。

しかし日本では、1050年代から70年代まで急上昇して、以降横ばいである。

原因は、過剰生産-過当競争-価格下落という悪循環だ。


マグロについて言えば、

アブラマグロ(クロマグロ、ミナミマグロ) の資源減少と需要の狭間で、

養殖の割合が高まってきた。

当初は高級品市場での天然マグロの代替品としてあったが、

量が増え価格が下がるにしたがって、

今では量販店や回転寿司といった大衆市場向けに、普通に出回っている。

 

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マグロ養殖には、幼魚を採捕して 2~3 年かけて育てる日本型養殖と、

成魚を捕獲して数ヶ月で太らせるヨーロッパ型の 「畜養」 があるが、

天然資源の枯渇という問題に直面するようになって、

日本が取り組んだのが、人工ふ化によって稚魚から育てる 「完全養殖」 である。

クロマグロの完全養殖は、70年の水産庁の試験からスタートして、

74年に近畿大学で成功させた。

以後、西日本で普及し、近年は非水産系の大手企業や商社も乗り出して、

爆発的に増加傾向にある。


マグロ養殖の現在の課題としては、

取り上げ・加工技術の向上 (捕獲してすぐに締めて氷詰めにすることで品質劣化を防ぐ)、

台風など天然災害による経営リスク (保険制度の充実)、

斃死(へいし) 率の低下 (生簀の大型化)、そして原魚の確保。

人工種苗が成功したことによって、今では人工種苗のほうが多くなったが

(さきがけとなった近畿大学水産研究所では種苗販売も行なっている)、

まだまだ盤石なビジネスとは言えない。

加えて、飼料費(マグロの餌は生魚である) も静かに高騰しつつある。

質疑の際に、気になる薬剤の使用について聞いてみたが、

マグロは無投薬でやれている、との回答であった。


アブラマグロ類については、すでに持続可能なボーダーラインを切っている。

資源管理が強化されるのは必然的流れである。

完全養殖の普及によって生産量と価格の安定化に貢献できれば、

天然ものと棲み分けられる市場がしっかりと形成できるのではないだろうか、

というのが中原さんの展望である。


しかし、どうも手放しでは共感できない違和感が残る。

マグロを 1㎏太らせるのに必要な生餌(資源) が 13~15 ㎏。

やっぱ普段着で食べる魚としてはムリがある、とだけは言っておきたい。

バランスの取れた食べ方の上で成立させなければ、

どこかで破たんするような気がするのである。


資源管理と需要のバランスをどう取るか、

海洋環境の保全と漁業経営の安定をどう両立させるか。

水産業の発展と魚食文化を守りたいと考えるなら、

「完全養殖」 に一定のポジションを与えることは必須かもしれない。

しかしそれはあくまでも、補完的な位置づけとしてあるべきだろう。

上手に、末永く付き合っていくためにも。


講座終了後、築地場外に期間限定でオープンしている

Re-Fish 食堂」 で新年会。

" ウエカツ "  こと、水産庁職員の上田勝彦さんも登場して、

魚をしっかり食べることが海を守ることにつながる、と一席ぶってもらう。

今やメディアでも引っ張りだこの、魚食文化の伝道師だ。


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島根県出雲の漁師出身という変わり種。

「最近は、水産庁にはどれくらい行ってんの?」 と聞けば、

「オレ、こう見えても毎日霞ヶ関勤務っすよ」 と大声で返されてしまった。

いやたしかに、ヘンな質問だった。 

長靴履いて全国を飛び回ってるような雰囲気なもんで、失礼しました。


今日のテーマを受けて用意してくれたのか、

何と天然マグロと養殖マグロの食べ比べ! が登場した。


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ほとんど区別つかない。

食べても違いは微妙で、意見は分かれた。 

さいわい当たったけど、ただ単純に

「さっぱりした感じのほうが自然なんかな」 と思っただけ。

別な場所で出されたら、判別はまず無理だろう。


無投薬で、水域を汚すことなく、天然稚魚に依存しない 「完全養殖」。

それは苦心の賜物として認める。 

いやむしろ、ここまで来たかと感心させられた次第である。

マグロに限らず、資源管理型漁業に進まざるを得ない時代にあって、

この技術は育てなければならないのだろう。


しかし、だからといって無頓着に喰いまくるのは戒めたい。

四国の漁村に育った者として、近海の大衆魚をこそ大事にしよう、

という思いは変わらない。

なんか切ない・・・・  と心が晴れないのは、

豊穣の海が遠ざかっていくような喪失感のせいだろうか。




2014年1月13日

マグロを喰いつくす民族でいいのか

 

おととい(11日) は、築地で

専門委員会 「おさかな喰楽部」 主催の新年勉強会が開かれた。

テーマは、「マグロから見える養殖魚の可能性」。

マグロとの末永く良好な付き合い方を考えようというものだ。

 

講師は東京海洋大学大学院准教授・中原尚知さん。

専門は海洋政策文化学という分野で、

水産物の加工・流通・マーケティングの研究というポジションだが、

近畿大学の研究員時代に

クロマグロの完全養殖を実現させたプロジェクトに携わっている。

 

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日本人は世界一のマグロ好きで知られる。

築地での初競りの値段が話題になる国柄である。

ちなみに今年の最高値は、青森・大間産本マグロ(クロマグロ) で1本736万円。

㎏ あたりにして 3万2千円。

昨年はなんと 1億5千万円 (㎏あたり70万) もついて世間を騒がせたが、

まあ今年は普通に戻ったということらしい。

 

そのマグロが食べられなくなる、

と言われるようになったのが 2006年あたりから。

原因はもちろん、乱獲である。

しかも数年泳がせておけば立派なマグロになるはずの幼魚が獲られている。

昨年12月、中西部太平洋マグロ類委員会(WCPFC) は、

クロマグロの幼魚(0~3歳) の漁獲量を

02~04年の平均から 15%以上減らすことを決定した。

大西洋や地中海マグロはすでに先行して漁業枠削減に取り組んでいる。

 

ではこれから、私たちは何をどのように考え、行動すればいいのか。

持続的な付き合い方というものを知らなければならない。

 

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まずマグロ全体の資源量を見てみるなら、

実は減っているのはクロマグロやミナミ(インド)マグロ

(この脂の乗った大型マグロを 「アブラマグロ」 と分類するらしい)であって、

漁獲量の大半を占めるキハダ、メバチ、ビンチョウは減ってない。

" 食べられない "  とはアブラマグロに関してであって、

まあ簡単に言ってしまえば、大好きなトロが食べられなくなる、

ということだ。

 

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乱獲には漁獲方法の変化も関係があって、

伝統的なはえ縄漁(幹縄にたくさんの枝縄をつけて釣る) に変わって、

1970年代から大型のまき網漁(巨大な網で囲んで獲る) が

盛んになったことにもよる。

加えて問題なのが、まき網漁と養殖(用の採捕) による

未成魚(3歳以下、マグロは3歳から産卵できる成魚になる) の獲り過ぎである。

太平洋マグロ漁獲の 90 %以上が 3歳以下という実態である。

 

世界のマグロの四分の1、クロマグロに至っては 8 割を消費する

世界一のマグロ消費国として、どう考えるか。

日本も冒頭で紹介したWCPFCの漁獲規制には合意したのだが、

「02~04年の15%減」 といっても、すでにもうこれくらい漁獲量が落ちているので、

とても充分な規制とは言えない、と中原さんは指摘する。

 

たとえば大西洋では

 ICCAT (大西洋まぐろ類保存国際委員会) という管理組織があり、

2007年から総漁獲可能量が削減され、禁漁期の設定、

蓄養(獲った若魚や成魚を数ヶ月育てて太らせる) 事業の登録制などに

取り組んでいる。

漁獲枠を超過したら、そのぶんは次の割当量から差し引かれる。

この枠はさらに拡大の方向にある。

 

漁獲量制限が世界の方向であることは間違いない。

まき網漁や養殖用種苗採捕を野放図にやり続けるワケにはいかない。

しかし単純な漁規制だけでは、漁業者は潰れるだけである。

まき網漁だけではない。

近海で行われているひき縄漁

(擬餌針を引いて船を走らせながら獲る。小さな魚体のものが多い)

もまた、夏場の貴重な収入源である。

ここは知恵が必要だ。

望ましい天然漁獲と養殖のあり方を考えたい。

 

一年前の勉強会で、勝川俊雄さん(三重大学准教授) が説いた

持続的資源管理の仕組みが思い出される。

早取り競争にならず、ちゃんとした値のつく魚をとって漁業経営を向上させる

「個別漁獲枠方式」。

要するに、もっと中長期的な産業政策が必要だということだ。

「マグロが食べられなくなる」 って被害者みたいな言い方でなく、

「マグロを喰い尽くす野蛮な民族」 と非難されないための、

ちゃんとした政策を編み出さなければならない。

 

さてそこで、養殖の動向とマグロ市場について、見つめてみたい。

すみません、今日はここまで。

続く。

 



2014年1月11日

顔の見える関係

 

スーパーの鮮魚コーナーを覗けば、

「バナメイエビ」 なるエビが何気に登場している。

まるで昨日まで 「新潟産コシヒカリ」 に化けていた米が、

ある日からフツーに 「●● 県産コシヒカリ」 として店頭に置かれるみたいに。

 

冷凍食品コーナーに回れば、20品目におよぶ製品の写真つきで、

「回収しています」 という POP が貼られている。

それはあくまでもこの店で売られていた商品ということで、

マルハニチロの回収製品は全部で 94 品目 640 万袋に及んでいる。

しかも回収作業は思うように進んでいないようだ。


そうこうしているうちに被害の訴えは日々日々増えていって、

ついに 1000件を突破した。 その範囲は 35都道府県に広がっている。

これらの数字はおとといの数字なので (1/8夕方時点での厚労省集約)、

原因が特定されない間は、まだまだ増えることだろう。

その間、収去したのか持ち込まれたのかはよく分からないけど、

100検体近くのサンプルが検査されていて、すべて見事に

マラチオン(商品名マラソン) は検出されていないと言う。

一方、検出された製品の最高濃度は 2万 6千 ppm!

こうなると、ほぼ限定的な事件のようではある。


優れた品質管理をやっていたはずの大手企業の内部で何が起こったのか。

事実だけでなく背景を検証しないと、

世間から忘れられることはあっても、本当の解決にはつながらないだろう。

当たり前に横行していた表示偽装、不気味な農薬混入事件・・・

食に関する不祥事や事件は今に始まったことではないけれど、

病いは深刻な症状を呈してきていると感じてしまうのは、僕だけだろうか。


おそらく生産・製造現場だけの問題ではないと思う。 

生産プロセスが見えない中で、他人任せの消費が要求するレベルとの断絶が

大切なものを失わせてしまっているような気がする。

食(=健康) を守る生産と消費の輪の大切さを唱えながら、

一方で否応なく競争社会を生きざるをえない我々としても、

ここはようよう考えなければならない。

 

そんな思いを抱きながら、生産者との新年会シリーズに突入している。

トップバッターはいつも 「東京有機クラブ」。



8日の夕方、三鷹のそば屋さんの一室を借りて、

小金井の阪本吉五郎一家、小平の川里弘一家、府中の藤村和正一家が集う。

みんな30年来のお付き合い。

派に後継者が育ち、都市農業をしっかりと守ってきた。

若手たちはこれからの話、

お父さんたちは昔の苦労話に花が咲く。

「こんな世間知らずの若者らによく付き合ってきたもんだ」

とからかわれながらも、俺の目に狂いはなかったとも言われれば、嬉しくもあり。

今年も元気で頑張っていきましょう、と酒を酌み交わす。


以前に紹介 した、川里賢太郎さんの映画撮影はほぼ終えたようで、

いま編集に入っている。

ケンタローの働く姿に、谷川俊太郎の詩が重なる。

3月完成の予定。 ケンタロー銀幕デビュー!  いや、待ち遠しい。


続いては昨日(10日)、

埼玉県本庄市のホテルにて 「埼玉大地」 の総会と新年会。

瀬山明グループ(本庄市)、黒沢グループ、比留間農園(ともに深谷市)、

吉沢グループ(川越市)、飯島グループ(上里町)、福井一洋さん(日高市)、

三枝晃男さん(志木市)、といった面々が集まる。

それぞれ独立した個人農家だが、会費を出し合って

緩やかに結束するかたちで 「埼玉大地」 は運営されている。

現在の会長は瀬山明さん。

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 (写真は、総会の席でローソンとの事業提携について報告する山口英樹取締役)


毎年、新年に総会を開いて、一年の活動を振り返り、今年の計画を立てる。

また講師を招いて勉強会を行なう。

今回のテーマは、なんとフルボ酸資材の活用。

昨年11月の女性生産者会議で、畠山重篤さんが力を込めて語った、あのフルボ酸だ。

その報告 の中で、僕はこう書いた。

   畠山さんは今、ミネラルの運び屋・フルボ酸の

   新たな力を証明しようとしている。

   それは、フルボ酸のキレート(結合)力は、

   放射性物質対策としても高い効果を発揮するであろう、

   というものだ。


まさにその研究を行なっていた会社の人を呼んで、

フルボ酸の活用を学ぼうというプログラムが用意されたのである。

まだまだ研究開発途上にあり、高価な資材なのだが、

もっと広がれば価格も安くできるようになる。

様々な可能性を秘めた未開拓資源のパワーを、

飲むとけっこう野卑な連中が、ああだこうだと楽しげに論評しながら拓こうとしている。

彼らにとっては  " 面白い資材があるので、ちょっと検証してみよう "  という

興味本位の探究心なのだが、

こちらは畠山さんの話を聞いているだけに、内心嬉しくてしょうがなかった。

僕らの生産者ネットワークは、やっぱ強力だ。


" 顔の見える関係 "  とは、

有機農業の世界で古くから語られてきた基本テーゼのひとつだが、

生産プロセスが見え、その努力の過程が伝わり、

食べることで再生産 (持続可能性) を支える関係は、

けっして古い時代のスローガンではない。

食の市場がグローバルになればなるほど、

" 食べる "  という命がけの行為の土台思想として、

しっかり堅持し続けたいと思うのである。


新年会と称して、僕らはただ飲んでるワケではない、のであります。


ちなみに、畠山さんが語っていた放射性物質に対する研究成果も出ていると、

講師の方から聞き出した。

しかし国はこのデータをまったく認めてくれないのだと言う。

あとで送ってもらう約束をしたのだが、

「一緒に農水とたたかいましょう」 と真顔で迫られた。

喧嘩するならやってもいいけど、僕としては現場に役立たせることを優先させたい。

現場から説得力を持った成果を築いていくことも、たたかいだからね。

いやちょっと、今年はのっけからワクワクしてきたぞ。




2013年12月16日

二本松から南相馬へ (+ご案内を一つ)

 

「農家民宿」 とは、農家の家(うち) に泊まらせて頂くことだ。

予め料金が設定されているので余計な気兼ねは不要だけれども、

ホテルとは違うので、やはり礼儀は欠かせない。

たとえ話題は尽きなくても、切り上げは常識の範囲にすべきだろう。

なにより奥様に迷惑をかけてしまう。

いい歳して相変わらずのサル以下人生。。。

 

それにしても星空の綺麗だったこと。

忘れていた本当の空が、広がっていた。

この空が見れるのは、地上での暮らし方による。

東京だって、ライトをすべて消せば、天気が良い日には

美しい星座が確認できるはずだ。 安達太良の空ほどではないにしても。

 

武藤様。 お世話になりました。

宵っ張りの客でスミマセンでした。

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さて、4日間にわたる福島漬けの最終日。 

バス2台で東京からやってきた「農と食のあたらしい未来を探る バスツアー」

一行(約90人) は、11月24日(日)8:30、「道の駅とうわ」 に再集合して、

米の全袋検査所を視察し、二本松市から南相馬市へと向かった。

 


「道の駅 南相馬」 の研修室で、

お二人から現地での取り組みを伺う。

 

NPO法人 JIN 代表の川村博さん。 浪江町出身。

介護老人保健施設の副施設長などを経て、実家で農業を営む。

震災後は避難者の生活不活発病の防止などに奔走しながら、

浪江町サポートセンターの設置を提案し、

現在その運営(福島県からの委託) に携わっている。

昨年4月には、仮設住宅に入居する障がい者とともに 「サラダ農園」 を開設。

約 2町歩(≒2ha) の畑とビニールハウス 4棟で、

無農薬・無肥料による野菜栽培に挑んでいる。

来年には農業専門の会社を立ち上げて、高齢者も雇用する予定である。

「戻りたい」 と願う人たちのために、

農業を基盤としたコミュニティづくりを進めたいと抱負を語る。

 

原町有機稲作研究会の杉内清繁さん。

福島県有機農業ネットワークの副代表も務める。

大震災と原発事故という二重被災を経験して、私たちは何を学んだか。

その学びをこれからどう活かしていくのか。

静かな語り口で、この2年半の取り組みを振り返ってくれた。

正確な情報や知識がいかに大事であるか。

油糧作物の栽培による農地除染の試みの報告。

そして農地を活かしたエネルギー生産 (小水力やバイオマス熱利用など)

も視野に入れながら、自然環境と共生する社会づくりに向かっている。

 

 

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「 Fukushima を英語で表せば Happy Island だ。

 私たちは負けない。

 Fukushima から Happy で Sustainable な社会をつくっていく。

 3.11で犠牲になった人たちのぶんまで、

 そして次世代の子どもたちに新しい社会を残す。

 それが私たちの役割だと考えています。」

 

有機農業者には、本当に意志が強く、モラルの高い人が多い。

様々な生命との 「共生」 が、その思想の土台にあるからだろうか。

彼らの粘り強い営みによって、新しい道が開かれていってる。

福島はいつか  " 最もモラルのある、哲人たちの国 " 

と呼ばれるようになるかも知れない。 我々は学ばなければならない。

 

最後の目的地は、南相馬市小高区。

有機農業のベテラン、根本洸一さんのほ場。

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原発から 11km という説明だったか。

種をまく、土を耕す、それが私の人生。

何があっても、ここで土とともに生きる。

 ・・・ この生き方を、誰も否定することはできない。

 

みんなで人参の収穫作業をやらせていただく。

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今年 6月の放射能連続講座 をきっかけに

ファイトケミカルに目覚めたエビちゃんは、

偉そうに 「葉っぱも持って帰りましょう」 などと

講釈したりするのだった。

 

帰りのバスで眺めた南相馬市南部、海岸線の様子。

 

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なんといううら哀しい光景だろうか。。。

 

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原発事故さえなければ、復興は間違いなくもっと早く、

確実に進んだであろう。

ゲンパツというとんでもない不良債権が奪ったものは、

たくさんの命、暮らし、経済、自然、風景、心・・・

とても計測できない、天文学的な価値の総体だ。

しかもこの負債処理が永遠に続くなんて、、、耐えられない。

 

それでも自らにムチを打ち、前を見る人たちがいるのである。 

官に頼らず、除染に挑み続け、今日も耕す人たち。

あれから 3 度目の冬だというのに、歓喜はまだ訪れてこない。

都会では忘れようとする空気すら感じさせる。

僕らは  " 寄り添う "  とかいう、どこか対弱者的な目線ではなく、

DNAの鎖のように離れずに連なっているという意思を、

しっかりと伝え続ける必要があるんじゃないか、Fukushima に対して。

 

しつこく書かせていただいた福島レポートを、

新年の講座の予告をもって締めさせていただきたい。

 

10月に台風のせいで開催できなかった

「大地を守る会の備蓄米・収穫祭」 のリベンジ企画を用意しました。

 

大地を守る会専門委員会「米プロジェクト」 新年学習会

『ジェイラップ 2013年の取り組みから学ぶ』

「大地を守る会の備蓄米」の生産者である稲田稲作研究会(福島県須賀川市)

を率いてきた(株)ジェイラップ代表の伊藤俊彦さんをお招きして、

" さらに安全な "  米づくりと、地域環境の再生に邁進した2013年の取り組みを

お聞きするとともに、その成果と課題から

未来に向けての視座を学びたいと思います。

 ・ 放射性物質はどのレベルまで下げられたか(安全性の現状)。

 ・ 除染はどこまで可能か、なぜ必要なのか。

 ・ 安全な食と環境を未来に残すために、私たちにできることは何か。 等

会員に限定せず、広く参加を募ります (会場は狭いですが)。

 

◆日 時: 2014年1月25日(土) 午後2時~4時

◆場 所: 大地を守る会六本木分室 3階会議室

       (地下鉄日比谷線・六本木駅から徒歩7分)

◆ゲスト: ジェイラップ代表 伊藤俊彦さん他

◆定 員: 30名

◆参加費: 無料

※ 終了後、丸の内にある大地を守る会直営店

  「農園カフェ&バル Daichi&keats」 にて、伊藤さんを囲んで

  懇親会を予定しています。(自由参加。参加費3000円ほど)

◆ 申し込み方法:

   HPでもご案内する予定ですが、とりあえず戎谷まで

   メールにてお申込ください。折り返しご連絡差し上げます。

    ⇒ ebisudani_tetsuya@dachi.or.jp

                          ( アンダーバーが入ります。お間違いなく。)

 

たくさんのご参加をお待ちします。

 

本年最後の福島リポート。

最後まで読んでいただいた方には、深く感謝申し上げます。

 



2013年12月15日

ふくしまオーガニックフェスタ 2013

 

忘年会が続いて、少々疲れ気味の休日。

しつこく福島レポートを続けてしまってるけど、

ここまできたら途中では終われない。 

11月23日(土)、福島市で開催された

「ふくしまオーガニックフェスタ2013」 レポートを。

 

会場は 「ビッグパレットふくしま」。

実行委員長は、NPO法人福島県有機農業ネットワーク理事長の

菅野正寿(すげの・せいじ) さん。

屋内外をフルに使って、シンポジウムあり、出店あり、パネル展示あり、

カフェあり、路上ライブにミニシアターと、盛りだくさんのお祭りだった。

 

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出展ブースが 60、集まったアーティストが 20組。

それぞれに熱く、福島の思いを伝えていた。

屋外ブースの風景。

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新米のお餅をふるまうのは、

二本松有機農業研究会の皆さん。

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「あいづ耕人会たべらんしょ」 も出店。

山都町で有機農業を学ぶ若者たちと一緒に、野菜や米や卵を販売する

チャルジョウ農場・小川未明さん。

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屋内のステージでも、様々なグループのライブが続く。

 

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フロアでは 「食彩工房」 山際博美シェフによる コミュニティカフェが開店。

うつくしまふくしま故郷丼ぶり、秋の醍醐味うつくしま汁、

ふくしまの蒸し野菜マリネ・福エチュベ・・・と、

新鮮オーガニック野菜を使ったオリジナルメニューに列ができる。

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エプロン姿で案内するのは、元大地を守る会職員の小林幸恵さん。

福島の力になりたいと故郷・猪苗代に帰り、今は山際さんを手伝っている。

元気な姿を見れて、嬉しいね。

 

銘酒 「金寶(きんぽう)」 の仁井田本家さんのブースでは、

試飲で体を温める。

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何を隠そう数十年前、

僕が純米酒というものに開眼し、

大地を守る会に足を運ばせるきっかけを与えてくれたお酒である。

 

ステージに、「あいづ耕人会」 浅見晴美さんと長女・野枝ちゃんが登場。

よく通る声で、力のこもった民謡を聴かせてもらった。

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晴美さんの旦那、彰宏さんも初めて聞いたという娘の民謡。

「いや、ウマイすね~」 と照れている。

彰宏さんから、来年1月に行われる喜多方市長選に出馬するという

決意を聞かされたのは、12月に入ってからだった。

無投票の選挙にだけはしちゃいけないと思って。。。

そんな思いは、彼のブログから

 ⇒ http://white.ap.teacup.com/higurasi/

 

農地や山林の除染、地域再生を支援し続けた大学の先生たちは、

調査・研究の成果をパネル展示し、合同説明会を開く。 

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僕が注目したのは、森林の伐採更新をしながら、

廃樹木をウッドチップにして敷きつめ、糸状菌を繁殖させて

菌の力でセシウムを回収するという方法。

健全な森林管理と浄化を並行して進めようというものだ。

横浜国立大学土壌生態学研究室の金子信博さんが現場で試験を続け、

効果が確かめられてきている。

ただ広範囲に進められるかが課題である。

 

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もうひとつ、産業技術総合研究所と千代田テクノルが共同開発した小型線量計と

GPSによる行動記録を合体させた被ばく線量の計測システム

というのが紹介されていた。

線量計とGPSロガーを携帯して、行動データと線量を記録していく。

時間・週・年といった単位で積算被ばく量が把握でき、

また行動記録をトレースすることでホットスポットをつきとめたり、

周囲の環境や条件と外部被ばく量の関連性も明らかにできる。

 

この2年8ヶ月の間に獲得した新技術や成功事例だけでなく、

失敗や実験レベルで終えたものなど含めて、

専門家たちの様々な試行錯誤が、

将来に向けての貴重な基礎データになることを期待したい。

 

専門家の説明を聞いている間にも、

ステージでは 「放射能と暮らしを考える」 というテーマで

シンポジウムが開かれていた。

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「東北未来がんばっぺ大使」、女優の秋吉久美子さんが

特別ゲストとして参加して、熱弁をふるっていた。 

たしか、いわき市出身だったか。

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若い頃から小生意気な娘だと思っていたけど、

この日も来賓の国会議員センセーに突っ込み入れたりして、なかなかやる。

生意気さ健在、というより一層磨きがかかってきた感あり。

しかも有機農業に対する理解もそれなりにあって、

けっこう見直したのだった。

 

フィナーレは、ゲスト・スタッフ・アーティストたちが一緒になって、

「手のひらを太陽に」 と 「故郷」 を合唱。

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 ・・・夢は今もめぐりて 忘れがたきふるさと

    ・・・山は青きふるさと 水は清きふるさと

 

泣いている若者もいた。

その思いを背負って、生きていこう、一緒に。

 

閉会後は、事前に申し込んであった

東京からのバスツアーに合流させていただく。

二本松東和にある木幡山参宿所にて、交流会を楽しむ。

 

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宿は参宿所と農家民宿に振り分けられて分宿。

僕は、武藤正敏さんが経営する 「田ん坊」 に泊まらせていただく。

おでんがとても美味しくて、さらに酒が進んだのだった。

 



2013年12月11日

桑の葉とオーガニック・コットン

 

11月21日(金)、

福島・岳温泉での 「第4回女性生産者会議」 を終えた一行は、

羽山園芸組合・武藤さんのリンゴ園でリンゴ狩りを楽しんだ後、

二本松市東和地区にある 「道の駅ふくしま東和 〔あぶくま館〕」 にて、

里山再生計画・災害復興プログラムの取り組みを

学ばせていただく。

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旧二本松市との合併に対し、ふるさと 「東和町」 の名を残そうと、

「ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会」 を発足させたのが2005年。

2009年には 「里山再生プロジェクト 5ヶ年計画」 を始動。

その途上で忌まわしい 3.11 に見舞われたものの、

気持ちを切らすことなく、災害復興プログラムへと思いを持続させてきた。

有機農業を土台として、

農地の再生、山林の再生、そして地域コミュニティの再生を謳い、

特産加工の開発、堆肥センターを拠点とした資源循環、

新規就農支援、交流促進事業、生きがい文化事業などを展開してきた。

やってくる若者たちも後を絶たない。

厳しい状況にあっても、たしかなつながりが実感できる、

そんな里山を創り上げてきたのだ。

 

里山の再生にひと役買ったのは、

自由化によって廃れた桑栽培の復興だった。

桑の葉っぱや実を使った健康食品を開発して、地域を元気づけた。

しかしそれも除染からやり直さなければならなくなった。

やけくそになっても仕方のない話だ。

そこで彼らを支えたものは何だったのか。

仲間と家族の存在? 先祖からの命のつながりを捨てられない思い?

危険だから逃げる・問題ないと思うから残る、ではないもう一つの道

「危険かもしれないけど、(未来のために) ここでたたかう」

を選んだ人たちの話。

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僕らは簡単に  " 支援 "  と言ったりするが、

逆境を大きな力で乗り越えようとする彼らの取り組みからは、

逆に学ぶことの方が多い。

むしろ叱咤されている、とすら思えてくる。

 

直営店で買い物して、重いお土産も頂いて、解散。

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道の駅で、郡山に帰る一行と別れ、

僕は福島有機倶楽部の小林美知さんの車に乗せてもらって、

いわきへと向かった。

そこで次に出迎えてくれたのは、

楚々としたオーガニック・コットンの綿毛だった。

 

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春に小林勝弥さん・美知さん夫妻を訪ねたときは、

やってみようかと思っている、というような記憶だったのだけど、

秋に開果したコットンボールに迎えられると、

種を播くという一歩の大切さと確実さに、目を見張らされる。

いやあ、みんな前を向いて歩いている。

 

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昨年から始まった、ふくしまオーガニックコットン・プロジェクト。

塩害に強い作物である綿を有機栽培で育て、製品化する。

綿の自給率 0 %の日本で、

福島から新しい農業と繊維産業を起こそうと意気盛んである。

 

栽培自体はそう難しくないようだが、問題はやはり雑草対策だ。

農作業は、JTBがボランティアのバスツアーを組んでやって来る。

小林さんの夏井ファームには、リピーターも多いらしい。

 

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春に苗を定植して、間引きをしながら草を取り続ける。

夏にはオクラのようなレモン色の花が咲く。

花はひと晩で落ち、コットンボールが姿を現す。

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やがて成熟してはじけると、中から綿毛が顔を出す。

これをつまみながら収穫する。

 

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綿毛の中には、種が育っている。

綿自体は、この作物が種を存続させるために編み出した戦略のようだ。

これを摘み取って利用したヒトは、さらに綿を効率よく得るために、

長い年月をかけて品種改良を繰り返してきた。

ワタは、ヒトに利用されながら自らを進化させた。

 

ただしあまりに軽いもので、

単位面積当たりの収穫量と引き取り金額(出荷価格) を聞くと、

とても経済的に合うシロモノではない。

「ハイ、もう趣味の世界ですね」 と美知さんも笑っている。

ふくしまオーガニックコットン・プロジェクトが製品化したTシャツも 3千円台で、

ちゃんと考えて理解しないと、さすがに手が出ない。

でもこれは逆に見れば、世間の綿製品が

いかに安い労働力で出来上がっているかを教えてくれる。

これは、考える素材である。

 

「儲けなんか考えたら、とてもできないです」

と美知さんは語る。

それでも作ってみようと思うのは、おそらく、未来を見たいのだ。

人と人が信頼でつながって、食や農業を、

生命を大切にする社会が来ることを、信じたいのだ。

 

訪問の本来の目的は、塩害対策だった。

勝弥さんの春菊畑に回る。

塩分濃度が高く、他の作物がなかなか植えられない。

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この少し塩っぱい春菊の出荷が終わったら、

冬の間に土壌改良を行なう。

有機JAS規格でも認められる資材を調べ、調達した。

これが効かなかったら、すべて私の責任である。

小林さん宅に予定通り到着していることを確かめ、

年が明けたら施用前の土壌分析から始めることを話し合い、

小林家を後にした。

 

ようやく家の建て直しが終わり、

「何とか前を向いて、やって行きます」

と笑う小林夫妻。

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東和もそうだけど、なんと強い人々なんだろう。

彼らは、たくさんの人たちの無念を、胸の中で引き受けている。

ここにも、教えられる福島の人がいる。

 



2013年12月10日

森と海の底力 -畠山重篤さんの話

 

さてと。

「第4回女性生産者会議」 で記念講演をお願いした

宮城・気仙沼のカキ漁師、畠山重篤さん (「NPO法人 森は海の恋人」理事長)

の話をまとめておかないと、気持ちが落ち着かない。

 

講演タイトルは 「震災後に見る森と海の底力」。 

気仙沼湾の環境悪化とダム建設計画に端を発して、

豊かな海を取り戻すために大川上流に落葉広葉樹の森を創ろうと

樹を植え始めたのが平成元年。

25年経って、畠山さんも今年、古希(70歳) を迎えた。

 

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25 年間で植えた広葉樹が約 3万本。

最初の 「牡蠣の森を慕う会」 結成から NPO法人設立を経て、

畠山さんたちの活動は世界に認められるまでになった。

そこに襲った東日本大震災。

大津波は舞根(もうね)地区にあった 52軒のうち 44軒の家屋を潰して去った。

気仙沼市で1000人の人が亡くなり、畠山さんもお母さんを失っている。

 

「こういう時は、国の力が試されますね」 と畠山さんは語る。

小中学校の体育館がお棺で埋まり、火葬を待つ亡骸はドライアイスで保管され、

そんな茫然自失状態にあっても、人々は礼儀を忘れず、

盗難騒ぎなどもなかった。

「東北の人は、本当に我慢強い。」

 

畠山さんには、高校生時代のチリ地震(1960年5月、マグニチュード8.5)

による津波の記憶がある。

地球の裏側で起きた大地震によって、5メートルを超す津波が三陸を襲い、

南三陸町だけで 70名の人命が奪われた。

その津波のあと、カキの成長が2倍になったことも畠山さんは覚えていて、

2012年の冬も、予想通りカキは大きく成長してくれた。

海に沈んでいた栄養分がかき回されることでプランクトンが増えるのだろうか。

自然の営みのダイナミックさに、感嘆する。

 

「皆さん、東京湾と鹿児島湾ではどっちが漁獲量が多いと思いますか?」

と畠山さんが質問する。

会場の手は分かれた。

「実は、東京湾のほうが30倍、魚が獲れるんです。」

それは東京湾には何本もの大きな川が流れ込んできているから。

(しかも源からの距離が長い。)

日本は国土の約 7割が山で、3 万 5千本の川が流れ、淡水を海に運んでくる。

閉鎖系の東京湾は、汽水域の典型だと言える。

「潮水だけで魚が育っているわけではないんです。」

 

京都大学に 「森里海連環学」 という学際的研究分野が生まれている。

林学や農学・水産学・環境学がバラバラに分かれて研究するのではなく、

山から海までの生態的つながりをトータルに見ようというものだ。

これまで日本には、山と海をつなげて見れる専門家がいなかった。

畠山さんはその貴重な目をもつ実践者として、

京大に講師として招かれるようになった。

「長靴をはいた教授様ですよ」 と笑いながら。

 

山に目を向け樹を植え始めた漁師・畠山さんに

科学的な根拠を与えたのが、当時北海道大学教授だった 松永勝彦さん である。

海洋生物間での食物連鎖の過程で濃縮されていく水銀の量を

初めて測定した分析学の先生。

例えば、カツオを 1㎏肥らせるには餌となるイワシが 10㎏必要、

そのイワシ 10㎏のためには動物プランクトン(オキアミ等) が100㎏必要、

その100㎏のために必要な植物プランクトンの量が1000㎏、とする。

逆にたどっていくと、植物プランクトンに含まれる水銀は

カツオに至って1000倍になる、

そのような道筋を測定によって証明したのである。

 

平成2年、松永教授は、北海道沿岸でコンブが育たなくなる

海の磯やけ現象 (海底が真っ白くなる) の原因が、

山から運ばれてくるはずのフルボ酸鉄の不足によることをつきとめた。

まさに畠山さんがつながりの科学を探し求めていた時に。

畠山さんは記事を見るや北大に電話して、電車に飛び乗ったんだと言う。

・・・誰かTVドラマか映画にでもしてくれないかしらね。

 

鉄のすごい力についての解説は割愛する。

詳しくは畠山さんの著書 『鉄は魔法つかい』 をぜひ読んでほしい。

(以前に紹介した日記は ⇒ http://www.daichi-m.co.jp/blog/ebichan/2011/12/16/ )

 

宮沢賢治は、赤土を田んぼに入れなさいと指導した。

赤土の赤は酸化した鉄分である。

鉄は酸素を運ぶ重要な物質であり、

鉄がなければ植物は肥料を吸収できない。

植物プランクトンである藻類は、二酸化炭素と水と太陽の光で繁殖する。

加えて窒素とリンが必要である。

窒素は海中では硝酸塩として存在しているが、

硝酸塩を取り込むには鉄が必要となる。

また光合成を行なうには光合成色素が必要だが、

その色素を合成するにも鉄が欠かせない。

しかし鉄はわりと大きな粒子であって、

海藻類は葉から栄養分を吸収するが、その小さな穴では鉄は入れない。

そこで登場するのがフルボ酸というワケだ。

 

樹齢 100年のブナには 30万枚の葉っぱが繁るそうだ。

これらが毎年落ちては腐り、腐葉土を形成する。

その過程で酸素を使うので、腐葉土の下は貧酸素状態にある。

酸素がないところでは、鉄はイオンとなって水に溶ける。

それをがっちりつかんで海まで運ぶのがフルボ酸である。

海藻は山から下ってくるフルボ酸鉄によって、鉄を吸収することができる。

山と海の、いのちのつながりがここにある。

 

畠山さんの話は、いよいよ壮大に地球の歴史へと広がり、

やがて水の深層大循環をたどって三陸沖へと着地する。

畠山重篤、いや実に、ロマンチストの文学者でもあった。

 

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畠山さんは、山に樹を植えるだけでなく、

山の子どもたちを毎年海に招き、生命のつながりを伝えている。

その数すでに1万人を超え、

海洋学の道に進んだ子もいるそうだ。

人々の心にも樹を植え続けてきた人、である。

 

畠山さんは昨年2月、

2011年の国際森林年に際して創設された、

森を守る功労者を世界から選んで顕彰する 「フォレスト・ヒーローズ」 の、

8名の一人として選出された。

アジア代表の  " 森を守る人 "  として、

三陸の漁師が選ばれたのである。

国連本部で首にかけてもらったという金メダルをポケットから出して、

ジョークを飛ばしたりするのだが、

彼にとってそのメダルは、

森と海に架けられた一本の確かな橋としてあるのだろうと思った。

 

畠山さんの最初の著書 『森は海の恋人』 の文章は、

今では小学5年や中学3年の国語の教科書に、

さらに高1の英語教科書にも採用されている。

英訳にあたっては、  " 恋人 "  の本意をどう伝えるかで、

翻訳者とも随分苦しんだそうだが、そんな時に

「long for (慕う、待ち焦がれる) ではどうか」

とのアドバイスをしたのは、なんと美智子妃殿下なんだと言う。

ある植樹祭で話をする機会を得て打ち明けたところ、

サラリと  " long for  は?"  と。

妃殿下は森林の公益的機能も、海とのつながりも承知されていた

とのことである。

 

 " The forest is longing for the sea, the sea is longing for the forest "

 

美しい響きだ。

 

「受験にも出るかもしれませんねぇ。 いや、出ますね、きっと」

と、母親向けの決め台詞を一発。

おまけに、「今日はサインもしますよ」 とさりげなくペンを出す。

おかげで持参した著書は、またたく間に完売。

営業トークの方も、すご腕だった。

 

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畠山さんは今、ミネラルの運び屋・フルボ酸の

新たな力を証明しようとしている。

それは、フルボ酸のキレート(結合)力は、

放射性物質対策としても高い効果を発揮するであろう、

というものだ。

 

もし有益な結果が導き出せたなら、

また改めて講演をお願いしようと思う。

 



2013年12月 8日

本当の空を取り戻したい・・・ 福島で女性生産者会議

 

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  智恵子は東京に空がないといふ

  ほんとの空が見たいといふ

  ・・・・・・・・・・

  阿多多羅山の山の上に

  毎日出ている青い空が

  智恵子のほんとうの空だといふ (高村光太郎 「あどけない空の話」)


「 智恵子が言った  " ほんとの空 "  が汚されてしまいました。

 でも、私たちは負けません。

 ここで頑張って、ほんとうの空を取り戻したいです。」


11月21日(木)、

安達太良山の麓にある岳温泉(福島県二本松市) で開催された 

「第4回女性生産者会議」 でのひとコマ。

「ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会」理事・佐藤佐市さんのお連れ合い、

佐藤洋子さんがそう言って、マイクを握り締めた。

大地を守る会には中玉トマトや寒じめホウレンソウを出荷してくれている。


なんで僕らは福島と連帯しなければならないのか。

なんで  " 福島の再生なくして日本の未来はない " と言い続けてきたのか。

女性たちの発言から、その心が語られたような気がする。

それは、ほんとうの空と、土と、つながりを取り戻すためだ。



「 今はフジの収穫真っ最中です。

 リンゴも一個々々顔が違っていて、人間と同じですね。

 2012年の冬は、リンゴの粗皮削りを必死でやりました。

 放射能も 「検出せず」 のレベルになって、ホッとしています。

 注文は徐々に戻ってきて、それでも (原発事故前の) 5~6割でしょうか。

 余ったリンゴでシードルを作りました。 それが人気で喜んでいます。

 たくさんの人に来てほしいと、農家民宿も始めました。」

     (羽山園芸組合、武藤幸子さん・熊谷弥生さん・武藤明子さん)


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羽山園芸組合さんは、今回の幹事を務めてくれた。


「 有機農業を続けて40年が経ちました。

 岳(だけ) 温泉とは、私たちの野菜を使ってもらって食品残さを堆肥にするという

 循環型農業でのお付き合いがありました。

 それも止まってしまいました。 

 山の落ち葉の利用も今は控えています。 良い堆肥だったんですけど。

 この循環を何とかして早く取り戻したいです。」

     (二本松有機農業研究会、渡辺博子さん)

 

「 9 軒で始めた福島有機倶楽部も、千葉や宮城、いわきや都路村(現田村市)

 に移られて、現在のメンバーは 2軒になりました。

 障がい者の人たちと作業所を開いて農業をやってきましたが、

 今度これだけの震災に遭ったら守りきれないと思って、解散しました。

 瓦礫の撤去では広島や九州からボランティアの方が来てくれました。

 3.11の 2週間前に有機JASの認定を取得したばっかりで、

 何でこうなるのかと思いましたが、

 皆さんが来てくれたことで気持ちも上向きになりました。

 そして大地さんから継続して販売すると言われた時に、

 " やれる! "  と思いました。

 水路と基盤を整備し、有機JASも取り直します。

 有機農業から学んだことは、嘘をつかないこと、誠実であること、です。」

     (福島有機倶楽部、小林美知さん)

 

「 3.11の直後は、何をつくっても気が乗らなかった。

 今の販売量は以前の3割減くらいまで戻って、何とか生活できる状態。

 風評被害はまだ残ってる。

 5年後10年後を考えると、後継者がやっていけるのかが心配です。

 10月の 「土と平和の祭典」 で、3人の OL さんが売り子に協力してくれたのが

 とても嬉しかった。」

     (福島わかば会、佐藤徳子さん、他8名)

 

「 二本松・東和地区にはたくさんの新規就農者がいて、今も来てくれます。

 3.11後、一人だけ帰ったけど、皆残ってくれた。

 東和の良さを味わってもらおうと農家民宿も始めました。

 以前に野菜を送っていた自由の森学園(埼玉県飯能市) の人たちが

 遊びに来てくれたのが嬉しかったですね。」

     (ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会、大野美和子さん)

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(右が冒頭の佐藤洋子さん)


一番遠くから参加されたのが、

島根県浜田市(旧弥栄村)・やさか共同農場の佐藤富子さん。

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「 今回は福島での開催だと聞いて、行かなきゃいけないと思いました。

 行って、福島の人たちの生の声を聞きたいと、ずっと思っていました。

 自分たちも原発を許してきたんじゃないのか、そんな思いがあって・・・

 大阪で20年、弥栄で40年が経ちました。

 人口1500人を切った村で、仲間が40人。 半分は県外からの移住者。

 若い人もいます。 皆さんの話を持って帰ります。」


他には山形、宮城、栃木、群馬、茨城から、

総勢30名の  " 母ちゃんたち "  が集った。


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藤田社長から大地を守る会の全体状況の報告、

戎谷からローソンさんとの事業提携の進捗についての報告、

" 森は海の恋人 " 畠山重篤さんの講演があって、

温泉に入って、懇親会は2次会まで盛り上がる。


畠山さんの講演は次に回すとして、

翌22日は、羽山園芸組合代表・武藤喜三さんのりんご園で

りんご狩りを堪能させていただく。


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挨拶する武藤喜三さん。

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淡々と、安全で美味しいリンゴづくりに勤しんできた優しいお父さん

といった風情だけど、

12年冬の徹底した除染作業 をやり切ってきた根性の人だ。


今年も安定して美味しいりんごを育ててくれた。

このリンゴに、武藤さんたちの願いが込められている。

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これぞという実をもぎ、食べてみる。

当然のことながら、美味しい!の感嘆の声も上がる。

いっぱいもいで、お土産に。

彼女たちにしてみれば、束の間の休息、か。


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では、リンゴの樹ををバックに記念撮影。 

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羽山園芸組合の皆さんでも一枚。 

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3.11 は言葉では表せない悔しさと労苦を運んできたけれど、

それでも次世代のために " ほんとうの空を取り戻すまで頑張る "  

" やれるだけのことをやりますから " と語るら彼女らの強さによって、

僕らは生かされているんだと思えてくる。

いやこれは、未来の命から託された仕事をやってくれているのだ。

いま、目の前で。。。


最後は、ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会が運営を委託されている

道の駅を訪ね、東和での取り組みを見学する。

すみません、続く。




2013年12月 1日

シェフと畑をつなげる

 

2013年もあっという間に師走に突入。。。

焦るぞ。

11月のレポートを急がねば。 

腰が痛い痛いと情けなく呻きながらも、なんだかんだ動いた月だった。

 

11月18日(月)、夜。

東京・丸の内、新丸ビル10階 「エコッツェリア」 にて、

地球大学 × 食と農林漁業の祭典 『農業分野の新ビジネス』」 

が開催される。

実は11月は、農林水産省が旗振り役になって様々なイベントが展開された

食と農林漁業の祭典」 月間だった。

前回報告した 「食の絆サミット」 も、その一環として開かれたものだ。

そして今回は、地球大学とのコラボで行なわれたセミナーのひとつ、

ということになる。

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例によって竹村真一さん(京都造形芸術大学教授) をモデレーターとして、

4名のゲストが新しい農業の姿やビジネスの可能性について語った。

大地を守る会代表、藤田和芳もその一人として、

有機農業の果たす役割について語った。

 

竹村さんやゲストの間でのやり取りがあった後は、

自由に語り合う懇親会となる。

食材は、丸の内の直営レストラン 「Daichi & keats」(ダイチ・アンド・キーツ) にて

用意させていただいた。

 

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こういう場って、けっこう料理が残ってしまったりするのだけど、

お陰さまで好評を博し、きれいになくなった。 

次はお店のほうにもぜひ足をお運びくださいませ、と宣伝。


翌19日(火)は、その 「Daichi & keats」 にて、

レストランのシェフやオーナー向けの試食会を開く。

8日の行幸マルシェに続く、さんぶ野菜ネットワークのPR 第2段。

 

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今が旬の、人参、里芋、小松菜、カブ、ミニ白菜を、

生で、ボイルして、あるいは蒸して、素材の味を確かめていただく。 

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人参の甘さに感動され、

「何もつけないのが一番おいしい」 という感想までいただいた。

生産者にとっては最高の賛辞だね。

町田マネージャーの説明もさりげなく力が入る。

 

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ケータイで撮ってきた畑の写真を見せながら、

身を乗り出して説明する石橋明さん。

 

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事務局の山本治代さんはパネルを持参して、

さんぶの野菜の美味しさをアピール。

土づくりからキッチリやってるからね、こういう野菜を使ってもらわなきゃあ、

とけっこう押しも強い。 

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・・と、さんぶをしっかりインプットしていただいたところで、

28日(木)、今度は丸の内からマイクロバスを仕立てて現地視察ツアーとなる。

 

まずは石橋さんの里芋畑で、

里芋掘りを実体験していただく。

 

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里芋は、親芋の回りに子芋・孫芋がくっついている。

傷つけないように鍬を入れ、テコの原理でグイと掘り上げる。 

 

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そんでもって小芋らを剥がし、土を除いて、選別して出荷する。

里芋掘りは面白い。

だけどそれをずっと続けて出荷までの作業となると、しんどい。

手間のかかる作物なのだ。

少しは想像していただけただろうか。

 

石橋さんのハウスを見る。

小松菜と水菜がきれいに育っている。

 

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有機農業にとって土づくりがいかに大切か、

そして葉物の生理と育て方まで、

懇切丁寧に話す石橋明さんがいた。

 

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昼食は、農家料理で。

シェフの方々に対して何をお出しすりゃいいのよ、

とか悩んでいたけど、

どっこい、シェフを唸らせるシュフの手料理だった。 

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「いやあ、美味しくて、食べ過ぎちゃいましたよ」 と

若いイケメンのシェフに感激されて、ご機嫌の主婦でございました。

奥様方、お手間取らせました。

 

昼食後も精力的に畑を回る。

人参畑で説明するのは、

さんぶ野菜ネットワーク代表の富谷亜喜博さん。

 

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ここでカメラのバッテリーが切れてしまう。。。

人参を抜いてもらい、富谷さんの堆肥を見せていただき、

ブロッコリィ収穫もプチ体験していただき、、、

夕方の仕込みがあるのでと、慌しく帰路に着く。

 

帰ってから、クリスマスイブの日に人参を葉付きのままで使いたい、

というリクエストが入ってきた。

しかし、とても無理です、と冷たく断る。

12月に入ると霜にやられて、人参の葉は枯れてしまうからね。

でも、それだけ感じさせるものがあったのだろう。

 

料理人たちも忙しい。

なかなか畑を見ることなんてできないんですよと、

そんな話も聞かせてもらった。

自然の移ろいや畑に合わせて調理するって、

都会ではそう簡単なことではない。

でも、畑を見て、モノの力を引き出そうとしてくれる料理人の創造力は、

あなどれない。 つなげたいと思う。

葉っぱつき人参の料理は春まで待ってもらおう。

 

都会では、子どもたちへの食育だけでなく、

シェフ育も必要なのかもしれない。

そんなアイディアも浮かんだりするのだけれど、

「遊びが過ぎるぞ」 という会社のセリフも聞こえてくる。。。

 

掘った里芋をそのままひと株もらって、持ち帰った。

洗って、食卓に飾ってみる。

 

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子沢山の縁起物。 

八つ頭ほどではないけど、

ひと足早く正月が来たみたいな気分になる。

 



2013年11月30日

スター農家!発掘オーディション

 
若手農家の力で、新しい農業のカタチを創る!
 
11月17日(日)、渋谷ヒカリエで開催された
「スター農家発掘オーディション ‐STAR's」 Vol.2(第2回)。
 
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農業にかける夢や志が
精一杯の表現でピチピチとはじけていて、
まだ炭酸の残る新酒絞りたてのような新鮮さだった。
大海に出る若い水夫たちの、怖れを知らないハツラツさよ。
 
全国から寄せられたビジネスプランの数が34。
一次審査の結果、8名のファイナリストが選ばれた。
審査スポンサー企業は17。
それぞれのプレゼンに対して、支援しようと思ったら札を上げる。
ちゃんとした支援の意思表示として上げてください、
と言われていたので、
こっちもそれなりに真剣に聞かせていただく。
(気軽に上げていた企業もあったように見受けられたが・・・)
 

8名のファイナリストは、
3名が新規就農希望者部門で、5名が若手農業者部門。
こんな内容だ。
 
【新規就農希望者部門】
① 農業×土壁 ~バッハのように基礎を創る~
  自然素材の土壁を利用して黄ニラ栽培に挑む、工業大学卒の若者。
 
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② 農的暮らし体験
  「農的暮らし」そのものを商品化し、農業による持続可能な社会づくりを提案する。
 
③ 「離島」 × 「農業」 ~島内自給率100%~
  ふるさと「徳之島」に帰る、島に帰って「農業者になる」。
  島野菜のブランド化に取り組み、地域とともに生きる決意を語る女子。
 
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【若手農業者部門】
④ -農が見える食- 楽しくて美味しい農村の魅力を伝えます。
  自然と人がつながる 「野良しごとカフェ」 を提案する双子の姉妹。
  資金収支計画書もしっかり付けて、笑顔で支援を訴える。
 
⑤ 山形発(初) → 世界へ
  4年以内にネギ10haを作付けして世界一になる、経営者を5人育てる。
  加工部門も作ることで冬の雇用を増やし、年間雇用者を30人にする。
  世界中に YAMAGATA のネギを普及する、と宣言する33歳の社長経験者。
 
⑥ 富士山頂からあなたへ、届け七色のお茶!
  若い茶師の夢は、世界遺産となった富士山の山頂郵便局から届けるお茶レター。
  世界中で作られる様々なお茶を麓で育て、富士山で熟成させて送ります。
  富士山でしか造れないお茶で、みんなを繋げたい。
⑦ " モノを売るな、価値を売れ!" の伝え方と進め方
  カーネーション農家の3代目。 経営指針を明確にし、6次化やネット販売に向かわず、
  生産に特化して、消費者に思いを伝えてくれる企業と手を組むことで、
  企業価値を創造していきたい。
 
⑧ スムーズな農地継承のための 「離農」 と 「卒農」 を考える 「余年制度」
  「耕作放棄地の再生」 の前に、農地をしっかり継承させていくために、
  計画的に 「離農」 「卒農」 を進められる 「余年制度」 を提唱したい。
いずれの面々も、相当練りに練ったパフォーマンスを見せてくれて、
内容よりもその度胸のよさに感服させられた。
しかも、この機会にたくさんのものを得ようと貪欲である。
こいつらなら、たとえ初期計画はつまづいても、何とかやれそうな気がする。
 
応援資金を会社からいただいて臨んだわけでないので、
札を上げるのは少々慎重になる。
僕が上げたのは、①と③。
③は、すぐにでも農家を紹介してあげられる、という明快な理由からだった。
実際に、早々に徳之島の奥田隆一さんに連絡を取って、
会う段取りまで進めた次第。
 
15歳で島を出た娘が、島に帰って農業をやると言う。
島のおじんたちの驚く顔が見たい。
そして数年後、、、東京集会で会おうじゃないか。
 
栄えある大賞(賞金100万円) をゲットしたのは
⑥番、富士山の茶師。
たしかに、アイディアの独自性、現実的なプランと面白さ、
成功しそう感では、一番だったかもしれない。
 
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僕としては、ビニールに包まれた農業を後世に残したくない、
と叫んだ若者の、
「土壁農業」 というのを見てみたい誘惑が、今も捨て切れずにいるのだが。。。
 
 
いずれにせよ、しっかりと農業の魅力を語り胸を張れる若者たちに、
未来はかかっている。
 
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同期生としてつながって切磋琢磨しあえれば、
志も持続し、パワーも本物になっていくだろう。
 
頑張ってチョーダイ。
 


2013年11月24日

農家と環境に優しい持続的農業を目指して

 

福島の再生、新しい福島づくりをオーガニックの力で!

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11月23日(土)、

「ふくしまオーガニックフェスタ 2013」 に集まったエネルギーに

未来への手ごたえを感じ取り、

閉会後は、 東京からバスを連ねてやってきた

『農と食のあたらしい未来を探る バスツアー』 に合流した。

夜にはそのツアー御一行とともに再び二本松東和地区に舞い戻って

交流会と農家民宿を満喫した。

そんでもって今日は、南相馬まで回って有機農家の取り組みを見させていただき、

渋滞に遭いながらバスに揺られて返ってきた。 東京駅着21時過ぎ。

なんとも濃いい4日間の福島巡りだった。

これをまとめるには、少し熱を冷まさなければならない。

 

  とまあそんな言い訳をして、溜まったメモの整理を急ぎたい。

  11月9日(土)、京橋にある中央区立環境情報センター研修室にて、

  「ネオニコチノイド系農薬を使わない病虫害防除を探るフォーラム」

  が開かれたので参加する。

  主催は 「一般社団法人 アクト・ビヨンド・トラスト」(abt) 。

 

  ネオニコ系農薬については、 以前よりミツバチへの悪影響が指摘されていて、

  EUではこの12月から 3 種類のネオニコ農薬について

  2 年間の暫定禁止措置を決めている。

日本 国内でもこの農薬に対する批判は厳しくなってきているのだが、

  国は逆に使用の拡大、基準の緩和に向けて動いている。

  農家のためと標榜しつつ、実は企業のためだろう。

  現在の僕のスタンスはと言うと、

  生産者が納得できる技術提案をしていかないと変えられない、

  ただ批判だけしてもダメ、という考えだ。

  有機リン系など人体への影響の強い農薬から低毒性農薬

  (ヒトへの影響で言えばネオニコも低毒性に位置づけられる) に

  切り替えてきた 減農薬栽培農家の経過も知っている立場としては、

  農家とともに代替技術を見つけ出していかないと

  現実的な対策にはならないと思うのである。

  批判派と農民がいたずらに対立を深めても何ら得るものはない。

 

  この点については abt さんも同じ認識に立たれていて

まず は農薬に頼らない農業技術を学ぼうということになった。

  生産現場での研究の積み重ねが現在どのレベルにあるのか。

  消費サイドも理解して、ともに歩みたいと思うのである。

  そこで今回推薦したのが、宮崎大学農学部准教授の大野和朗さん。

  大野さんは快く受けてくれた。

  付けたタイトルが、

  「農家が楽になる減農薬農業:天敵を利用した IPM について」。

 " 農家が楽になる " と入れるあたりが現場実証主義者らしい。

 

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IPM (Integrated Pest Management)。

総合的病害虫管理と呼ばれ、

病害虫に対し様々な防除技術を組み合わせて対処することで

人の健康と環境へのリスクを最小限にとどめようという考え方。

ここでは農薬の使用もその一つとして認められるが、

それはあくまでも最終手段となる。

この総合防除の考え方も半世紀におよぶ歴史があるのだが、

残念ながら日本ではまだ普及できているとは言い難い。

例えば、かつて農薬・化学肥料に過度に依存していたオランダが、

IPM に基づいた環境に優しい農業に転換して輸出大国になったのとは

天と地の開きがある。

今もって日本は、単位面積当たりの農薬使用量世界一の座を

韓国と争っている。

 

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IPM 技術の重要な柱が天敵の活用である。 

例えばナスにつく害虫・ミナミキイロアザミウマ。

1979年に東南アジアから侵入した難敵で、農薬に強い。

抵抗性の発達が早く、農薬がすぐに効かなくなるので、

どんどん強力な農薬に頼っていくことになる。

 (農産物の輸入は病原菌や害虫も一緒にやってくる、ということも忘れたくない。

  輸入の拡大は国内農産物の安全性確保も脅かす。)

このアザミウマを食べるのが、ヒメハナカメムシという小さなカメムシだ。

しかし農薬に弱い。

 

ここで大野さんはナス畑での実験結果を披露する。

普通の農薬 ( " 普通 "  とは言いたくないけど・・・) を使った畑と、

天敵に影響の少ない農薬に切り替えた畑の比較。

 

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上の赤い線を見ていただきたい。

農薬を使用するたびにアザミウマの個体数が一時的に減るのだが、

しかし徐々に増えていって、10月から一気に増殖している。

天敵のいないナス畑はアザミウマの天下となり、

結果的に農薬使用量も増える(計20回)。

かたや天敵を保護した畑では、アザミウマはほぼ一定数を保っている。

この間のアザミウマを狙った農薬散布は0、多い畑で2回。

ここまでくるとアザミウマはすでに害虫ではない、

と言ってもいいんじゃないか、とすら思えてくる。

つまり、アザミウマはヒメハナカメムシの餌として適度に存在していて、

両者がバランスを取っているとするなら、

天敵と共存する、居てもよい虫ということだ。

 

害虫を防除するために農薬を散布していたはずが、

天敵がいなくなり、やがて害虫だけが復活して、天下となる。

これを誘導多発生 (リサージェンス) という。

散布回数を増やせば抵抗性の獲得も早まる。

より強力な農薬が必要になる。

ハモグリバエ類、タバココナジラミなども、1990年代から

農薬に高度の抵抗性を発達させた害虫として世界中で問題となった。 

こいつらは、ウィルスも持っている。

 

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さて、天敵を保護するだけでなく、

次には天敵が活躍できる環境づくりを考えたい。 

天敵が必要とする餌(花粉、花蜜など)、代替餌(代替寄主)、越冬場所を

提供するためのインセクタリープラント(天敵温存植物) を植えるなど、

農業景観の植生を多様化する必要がある。

インセクタリープラントには、バジル類やスィートアリッサム、オクラ、

ハゼリンソウ、ソバ、といった名前が挙げられた。

天敵の登場を待つのでなく、

天敵を呼び込む、ほ場にとどめる、能力を高める。

これを保全的生物的防除 (Conservation Biological Control) という。

 

天敵が働かないから農薬が必要、なのではない。

天敵を排除するから化学農薬に依存しなければならなくなる。

また日本はモノカルチャー(単植栽培、一種類の作物だけを植える)

に特化し過ぎてきた。

モノカルチャーでは生態系が貧弱となり、害虫が多発しやすくなる。

保全的生物的防除の視点と対応技術をもっと進化させたい。

 

果菜類(トマト・キュウリ等) では、害虫が媒介する新型ウィルスが現われてきて、

ネオニコチノイド系農薬の使用も増えている。

農家にしてみれば、ウィルスを放置するわけにはいかない。

農薬使用への非難に対しては、

ウィルス蔓延で打撃を被るのは俺たちだ、野菜の値段が上がってもいいのか、

といった消耗な議論が始まる。

 

決め手は、ウィルスではなく媒介する害虫のコントロールだろう。

彼らを、害虫ではなく、ただの虫にしてあげるのだ。

 



2013年11月22日

合成ビタミンC添加なし「有機緑茶」

 

福島・郡山のビジネスホテルに潜り込んでます。

今年何回目の福島だろう。。。

 

昨日から二本松の岳(だけ)温泉で 『第4回 女性生産者会議』 を開催。

ダンナを置いて意気揚々とやってきた 30 名の母ちゃんたちと語り合った。

記念講演にお招きしたのは、宮城・気仙沼の  "森は海の恋人"  の人、

畠山重篤さん

実は数日前に畠山さんもワタクシと同じ患いに陥ったようで

出席が危ぶまれたのだが、何とか辿りついてくれた。

ちょうど一年ぶりの再会。

今回はさらに進化した畠山ワールドを展開してくれた。

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そんでもって今日は朝から二本松市東和地区(旧東和町) を皆で訪れ、

羽山園芸組合さんのりんご園でりんご狩りを楽しませてもらい、

道の駅・ふくしま東和で

「ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会」 の取り組みを聞かせていただく。

 

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解散後、元気な母ちゃんたちと分かれ、

いわき市 「福島有機倶楽部」 の小林勝弥さんを訪ねた。

こちらは除染ではなく除塩。

津波による塩害で今も難儀していて、

大地を守る会から除塩用の資材を提供させていただいたのだが、

連れ合いの美知さんが会議に参加されたのをこれ幸いと、

帰りの車に乗せてもらって立ち寄ることにした。

ブツと畑を確認し、今後の進め方について勝弥さんと話し合う。

 

そこでなお東京に帰らず、内陸に戻って郡山に辿りついている。

明日は郡山・ビッグパレットふくしまで開催される

ふくしまオーガニックフェスタ2013」 に参加する計画である。

 

この二日間のレポートはどうも長くなりそうなので、

追って報告させていただくとして(もう飲んで寝たいし)、

取り急ぎ前回からの続きで、溜まっている写真をピックアップして、

今夜は終わりにしたい。

 

11月3-4日は、「秋田・ブナを植えるつどい」 をキャンセルして休ませてもらい、

11月5日(火)は夕方まで仕事して、夜のうちに広島に入る。

6日早朝から三原市にある (株)ヒロシマ・コープさんを訪問して、

新しく開発したPETボトルでの 「大地を守る会の有機緑茶」 の

製造に立ち会った。

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これも生産部長の仕事なのって?

これは子会社である (株)フルーツバスケットの タダ働き取締役

としての仕事なのであります。 

朝6時から茶葉の抽出が始まり、4回の試験抽出-成分割合の確認を経て、

充填本番を始める。 いや実に、想像以上に複雑な工程だった。

 

大地を守る会がPETボトルのお茶を販売することについては、

違和感を持たれる方も多いかもしれない。

何を隠そう、僕もその一人である。

やっぱお茶はちゃんと急須で入れて飲みたい。

あるいは冷蔵庫で冷やしたり、マイボトルに入れて携帯するとか。

・・・しかし現実は、PETボトル茶全盛時代になってしまっている。

茶葉そのものの販売は苦戦を強いられ、

急須のない家庭も珍しくないと言われる。

しかもほとんどが当たり前のように

酸化防止剤としてビタミンCが添加されている。

これではせっかく有機栽培で育てた茶葉も農家も、哀しい。

お茶はちゃんと入れて飲むようにしよう(努力目標)、と改めて自戒しつつ、

あくまでも 「どうせ飲むんだったらこれを」 という代替として提案したい。

 

ここでビタミンCについて触れておきたいのだけれど、

お茶やジュース・缶詰などに添加されているビタミンCは、

柑橘などから抽出した天然のビタミンCではなく、

L‐アスコルビン酸など人工的に合成されたものである。

トウモロコシなどのデンプン(ブドウ糖)を化学分解して作られる。

この製造過程で石油を原料とした薬品も用いられる。

化学構造から天然のものと同じとされ、

壊血病予防など健康に必要な栄養成分と語られたりするが、

そもそもビタミンCは酸化されやすい性質が利用されている

ということを忘れてはいけない。

つまり自身が酸化することによって食品の酸化を防いでいるわけで、

酸化されたビタミンCには栄養的価値はなくなっている。

ビタミンCが酸化しつくされた後の品質劣化は急激である。

しかもこの酸化反応の過程で、

合成ビタミンCでは活性酸素が発生することがつきとめられている。

放射能講座で毎回のように登場した 「活性酸素」 というヤツ。

ガンや生活習慣病や老化の原因になる。

 

また原料として使用されるトウモロコシは100%輸入であり、

遺伝子組み換えでないとの IPハンドリング(分別生産流通管理) の

証明書確保はほぼ不可能の世界である。

原料として有機栽培の茶葉を使用しても、

製品は 「有機茶」(有機JAS認定) にはならない。

 

外で買うならこれを、ということでローソンさんにも提案中。

国内産(今回の生産地は鹿児島) 有機栽培茶葉100%

かつ ビタミンC無添加「有機緑茶」 です。

なので賞味期限は短く(それでもしっかり殺菌してます)、

常温で9ヶ月となってます。

 

さて、トピックをもうひとつ。 

11月8日(金)、月一回酸化、じゃなくて参加している

丸の内・行幸通りの 「行幸マルシェ × 青空市場」。

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今回は、人参・里芋・白菜・・・と冬物が出そろってきたところで、

千葉・さんぶ野菜ネットワークの野菜一本で勝負した。 

 さんぶからも二人の生産者、吉田邦雄さんと下山修弘さんが

売り子として出張ってくれた。

 

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さんぶの野菜は、ここで食べられます。 

とさりげなく 「Daichi & keats」 のPRも。

おススメは、農園ポトフと農園タパス。 ぜひお立ち寄りください。

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せっかく一日出張して来ていただいたので、

主宰者である永島敏行さんとの記念写真を一枚いただく。

「おう、おう、山武ね。 知ってるよ、もちろん!」

と気さくに応じてくれた。 

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(永島さんをはさんで、左が下山修弘さん、右が吉田邦雄さん)

 

今月は、丸の内のシェフたち向けに、

マルシェ - 試食会 - 現地視察ツアーと、

さんぶ野菜を前面に出しての連続攻撃をかけているのであります。

 



2013年10月20日

雨中の 「土と平和の祭典」

 

ヤバイよ、そうとうヤバイ。。。

好きでもないのに長年連れ添ってきた椎間板ヘルニアが悪化して、

とうとう歩くのも困難な状態に陥ってしまった。

坐骨神経痛の症状も出て(思えば予兆はあった)、とにかく痛いよ、痛い。

医者の判定は 「脊柱管狭窄症(せきちゅうかんきょうさくしょう)」。

なんやねん、それ。

説明だけでは物足らずネットで調べたところ、原因はともかく治療法は諸説紛々。

「医者の言うことを信じるな」 なんて本まである。

〇 に近い △ を選択するのは、なかなかに難しい。

冷静に読み解く前に、とにかく◎(特効薬) が欲しい今の心境。

これまで東西を問わず様々な治療に挑戦するも、

いずれも中途半端で終わらせてきた。

そのツケがついに回ってきたということか。 サル以下の人生・・・トホホ。

 

そんなワケで昨日(19日)は、

楽しみにしていた 「稲作体験田」 での収穫祭をパスさせていただき、

今日は遠方から出てきてくれた生産者との約束があったので、

頑張って日比谷公園まで出かけた。

薬でだましだまし・・・。

 

早いもので7年目となる 『土と平和の祭典』

今年は今までにない、どしゃ降りのなかでの開催となる。

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雨の中、ヨタヨタと到着したのはお昼を過ぎて、

小ぶりになってきた頃だが、売り子たちはすでに諦めムード。 

青空イベントにつきもののリスクとは言え、

出展者には厳しい一日になった。

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今年、大地を守る会のブースに協力してくれたのは、

佃煮の遠忠食品さん、さんぶ野菜ネットワークさん、

福島の果樹生産グループの新萌会さんと羽山園芸組合さん、

山形から戸沢村パプリカ栽培研究会さんに舟形マッシュルームさん、

長野・佐久ゆうきの会さん。

ご協力ありがとうございました。

だいぶ野菜や果物が残ってしまったけど、お許しを。 

 

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逆に夕方来られた方は、

きっと持ち切れないくらいの戦利品をゲットしたのではないだろうか。 

 

種まき食堂も、多分に関係者たちで食べっこし合ってる感じ。

お金の地域内循環みたいに。 

僕も協力する。

寺田本家さんからは純米酒 「香取」 を一本。

足腰は痛くても、好きな酒の備蓄は欠かせない。

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広場の中では、小さなトークセッション。

映画監督の鎌仲ひとみさん(ハンチング帽の方) 相手に語っているのは、

半農半教師を実践されている小口広太さんだ(長野・おぐち自給農園)。

テーマはきっと、福島の有機農業者の苦闘、といったところか。

生産者との約束があって、じっくりと聞けなくてすみません。

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ステージでは、加藤登紀子さんが仕切ってる。

「今、若者たちが農業に挑む! ~新規就農・農業後継者リレートーク~」

の一コマ。

右は有機農業界のカリスマ、埼玉県小川町の金子美登さん。

左は山形・米沢郷牧場の伊藤幸蔵さん。

さんぶ野菜ネットワークの富谷亜喜博さんや、

愛媛・無茶々園の宇都宮俊文さんの顔も壇上にあり、

新規就農した仲間を紹介していた。

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ブースで元気だったのが、

茨城筑西市、「百笑米」 の大島康司さんと仲間たち。 

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雑穀入り焼餅をいただく。

販売には厳しい状況が続いているけど、若者たちの未来のためにも、

頑張らないといけないですね、お互いに。

 

今年のテーマは、「未来(たね) を守る」。

すべては未来の子どもたちのために-

仲間の輪を確かめて、明日からも歩み続けましょう。

 -なんて、お前に言われたくない、か。 トホホだ、悔しい。

 



2013年10月 8日

街から山へ、山から街へ、風が吹いている

 

「 市に合併して、喜多方市熱塩加納町 となったけど、

 いつまでも美しい 「村」 であり続けたい」

 

" 小林芳正節(ぶし)、健在 "  をたしかめて、

我々 「地域の力フォーラム」 一行は市内に戻り、

様々な仕掛けを演出する 「NPO法人 まちづくり喜多方」 を訪ねる。

お話を伺ったのは代表理事の蛭川靖弘さん。

 

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10年前に人口5万人以下の町で初めて、

コミュニティ放送局 「喜多方シティFM 株式会社」 を設立し、

軌道に乗せた実績を持つ(現在は非常勤の取締役)。 

8年前に 「NPO法人まちづくり喜多方」 の設立に参画し、

3年前より代表理事に就任した。

理事には大和川酒造代表・佐藤弥右衛門氏も名を連ねる。

しかも蛭川さんは、弥右衛門さんたちが立ち上げた

「一般社団法人 会津自然エネルギー機構」 の社員でもある。

 


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現在その NPO で準備を進めているのが、太陽光発電の建設。

名前は 「うつくしま太陽光発電所」 という。

「積雪地における融雪システム付き太陽光発電事業の実証」

のためのモデル事業として福島県からも助成を受け、建設に入った。

積雪地域で普及が進まない住宅用のパネルに、

融雪システムを導入することで普及を加速させよう、という狙いである。

建設地は、以前にも紹介 したことのある雄国山麓。

破綻した国のパイロット事業の跡地に、

4年後までに 2 メガ級の発電量を達成する構想。

12月にはいよいよ売電を開始する。

しかも発電で得た収益で、森林も含めた除染事業を推進するのだという。

 

反原発を唱えるだけでなく、自らの手で

福島県を自然エネルギーの先進地に転換させる。

地域住民主導で、なおかつ自力財源による

「地域循環型除染システム」 も創り上げる。

構想は大きく、未来に広がっている。

 

蛭川さんの活動は多岐にわたる。

喜多方の町並み保存や蔵の活用、文化の発信などを託された

「喜多方まちづくりセンター」 の運営、

さらには漆職人の担い手を育てるための仕掛けまでやってる。

蛭川さんの周りには相当な数の人たちが動き、風を吹かせているようだ。

こういう街は面白い。

 

さて、市内から今度は西北に上る。

V 字を逆に書くような移動となって、飯豊山麓・山都町に入る。

今回聞き取らせていただくのは、浅見彰宏さんではなく、

浅見さんの先輩入植者、大友治さんだ。

「元木・早稲谷 堰と里山を守る会」 の事務局長である。

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大友さんがこの山間地・山都に移住したのは1995年。

全共闘世代で、御多分に洩れず学生運動にも参加し、

「左翼の仕事もやりました」 とサラっと言う (仕事の内容は不明)。

その後、半導体関係の仕事を得るが、

宮沢賢治が好きで、農業をやりたいという思いを捨てきれず、

写真と山が好きで、新潟の棚田地帯に憧れたりもして、

あちこちと移転先を求めて回ったが、独身者は相手にしてくれなかった。

あの頃はオウム事件なんかもあったし。。。

 

そんな悶々としていた時に、小川光さん(チャルジョウ農場) の名前を聞き

電話をしたところ、「熱意さえあればいいです」 と

いとも簡単に受け入れてくれた。

小川さんは村の空き家情報にも精通していて、移住はすぐに出来たのだが、

しかし畑は半年見つからなかった。

 

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ようやく区長の紹介で、荒れた畑を 1反(≒10a) 1万円で借りることができた。

でもその年に大水害が発生してダメになり、

翌年は雹(ヒョウ) が降って、きゅうりの出荷が始まった3日目で全滅した。

しかしそこでやめなかったことで、ようやく本気だと思ってくれた。

再び挑戦して、きゅうり作りを通して村の人との信頼関係を築けたと思う。

それからは田んぼも 「借りてくれ」 と言われるようになった。

現在耕作している面積は 3反 3畝(せ)。

他に 1反 6畝を他の人と共同でやっている。

 

獲れた初モノは、必ず集落の人に配って回りました。

回ることで会話も生まれます。

とにかく日常の行動が大事で、公民館活動も積極的に引き受けました。

さなぶり祭りの復活や、笹団子づくりをみんなでやったり。。。

家を回ってはお茶飲みながら昔の暮らしなどを聞いたりして、

各家庭にあった古い写真を600枚お借りして写真展を開いた時には、

村の人たちの忘れかけていた記憶が呼び戻されたみたいで、

たいそう喜ばれました。

 

年寄りの頭の中と手だけにしか残ってない文化がある。

お漬け物の味が一軒々々違うんです。

そこでコンテストもやりましたね。

みんな自分ちのを一番につけるんで、コンテストにはなりませんでしたが、ハハ。

 

堰管理の役員を頼まれた年に、浅見くんからボランティアの話が持ち上がって、

都会から人が来ることに対する抵抗感は強いものがあったけれど、

だんだんと信頼されるようになりましたね。

信頼されると、今度は何から何まで (役職が) 回ってくるんですよ。

今では総会の議長まで任されるようになって。

え~と、こんな話、ダラダラとしてよかったんでしたっけ・・・

 

新規就農心得のようなお話だったが、

これはこれでとても参考になる。 みんな聞き入っていた。

地域で受け継がれてきた文化の豊かさは、地元の人には分からなかったりする。

余所者の再発見によって気づきが生まれることがあるのだ。

大友さんや浅見さんやその後の就農者たち、そして先達の小川さん。

警戒され、怪しまれながら、やがて待たれる存在になって、

今や彼らはミツバチのような媒介者だ。

彼らが飛びまわることで、花が咲き、実が成り、命が継承される。

 

そんなワケで、大友さんの田んぼは、

不便な山の中にある。

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棚田を耕すことは、麓の暮らしを守ることにつながっている。

水が涵養され、大地が削られることなく維持され、糧(かて) が届けられる。

この景観が懐かしく人を安心させるのは、

たゆまぬ人の営みがあるからだ。

 

このお米を、僕らは高い・安いと議論する。

しかし、大友さんがここで汗を流すことで守られているものがあることは、

顧みられない。

値段に含まれていない外部経済の価値を、

僕らはもっと伝えなければならない。

大友さんは、エライ!

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田んぼをバックに記念撮影。

大友さん(前列右から二人目) は故郷の恩師みたいだ。

 

視察の最後に、浅見さんが堰を案内してくれる。

 

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お彼岸だというのに日本の街はひどく暑いままだけど、

ここにはさやかな風が吹いている。

新しい時代に向かって、地域パワーを蘇らせる若者たちが、

風に吹かれて一人また一人とやってくる。

 

浅見さんは本当に好きなんだと思う、此処が。 

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民俗学者・柳田國男の言葉が、また蘇る。

 - 美しい村などはじめからあったわけではない。

   美しく生きようとする村人がいて、村は美しくなったのである。 (『都市と農村』)

 



2013年10月 6日

『地域の力フォーラム』 in 喜多方

 

10月4日(金)、「放射能連続講座Ⅱ」 シリーズを終了させた。

最終回の講師は、鎌田實さん

(諏訪中央病院名誉院長、日本チェルノブイリ連帯基金理事長)。

『鎌田實さんが語る希望 -子供たちの未来のために-』。

このテーマに、さすが鎌田さん。 しんがりを感動的に締めてくれた。

 

「 大地を守る会から、未来への希望を語れという注文。

 でも希望を語るには、私たちも変わらなければならない」 

 

鎌田さんが語った  " 希望 "  とは何だったのか・・・

この講座をまとめるには、暫くの時間を頂きたい。

その前に、9月の出張報告を終わらせなければ。

 

奈良から帰ってきて、21日は溜まった仕事をやっつけて、

9月22日(日)~23日(月)、 

6月に結成した 「地域の力フォーラム」 のセミナーと現地視察会が

福島・会津で行なわれたので参加する。

皆さん連休返上で集まる。

 

まずは磐梯熱海温泉の旅館 「一鳳館」 に集合し、勉強会。

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皮切りの問題提起者は、

茨城大学農学部の名誉教授となられた中島紀一さん。

農の再生と地域づくりの視点をどう再構築するか、

二本松市東和地区での震災 (原発事故) 後の軌跡を見つめ直しながら、

今の  " 復興 "  の進み方に対する相当ないら立ちも含め、 

中島さんの思いが語られた。 

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中島さんが学ぼうとしているのは、

土地に根ざした自給的小農と、それを基礎とした地域社会づくりの精神が

巌に存在すること。

しかもそこ (東和) は、原発災害を受けた後でさえ、その伝統を守り通そうとする

高齢者たちがいて、暮らしが維持されていること。

 現地の状況に合った適切なプログラムが作られ、

資金運営も自らの手で行なう  " 住民主体 "  がしっかりと形成されていること。

 

現在、各地で  " 復興 "  の名のもとに様々なプロジェクトが進んでいるが、

復興論のほとんどが、零細小農の否定であり、世代交代論であり、

企業型農業への期待であり、住民意思が反映されない開発投資である。

「地域」 という暮らしの土台を忘れることなく、今も活き活きと農を営み続けている

高齢者たちから学ばない  " 若者就農礼讃 "  には、意味がない!

と中島さんは言い放った。

 

目下論争の的となっている TPP 参加の是非においても、

反対派の急先鋒である JA ですら、掲げる政策は

政府の 「攻めの農業」 とほぼ同じである。

農産物輸出の推進、担い手への農地集積、6次産業化の推進、新規就農の促進・・・

そこには自然共生型の地域社会づくりという戦略は描かれてはいない。

高齢者が元気に営み続けられる  " 農 " 、

地域を支え文化を育む農の道を、中島さんは模索し続けている。

 

続いての問題提起者は、

福島県有機農業ネットワーク理事の長谷川浩さん。

農業研究センター勤務という国家公務員の職を辞し、

喜多方市山都という山間地に移って、有機農業の実践者となった。

彼が此の頃とみに主張を強めているのが、

「市民皆農」(みんなで耕そう)、「自産自消」 である。

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ピークオイルや気候変動など、迫りくる大変動時代に備え、

私たちの進むべき道は、食べものとエネルギーの自給である。

大都会を捨て、地方で耕し、エネルギーも自給し、

地域自給圏を創造しよう!

「するしかないでしょう~ ねえっ!!!!!」

 

彼もまた、3.11によって生き方を変えた一人である。 

呼応するかどうかは己れの人生設計も鑑みながら考えるとして、

みんなして暮らし方を見直し、変えるべきものがあるだろう、

という主張は受け止めなければならない。

 

二日目は喜多方市での、3名の実践者を訪ねる。

一人目は、旧熱塩加納村でJAの営農指導を務め上げた小林芳正さん。

この人も「美しい村」 づくりに賭けた人である。

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この村に初めて訪れたのは20年前のことだった。

「戎谷くん。 あっちの山の麓からこっちの山の麓まで、

 この里の田んぼで農薬をふる(散布する) 光景が消えたんだ」

小林さんはそう語って、僕の目を見据えた。

今でも覚えている。

 

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大地を守る会のオリジナル純米酒「種蒔人」(当時の名は「夢醸(むじょう)」)

の開発を後押ししてくれた大恩人。

一時期大病を患って心配していたのだが、今は元気に米も作っている。 

 

小林さんから聞きとる、30有余年にわたるたたかいの歴史。

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農協マンが 「農薬の空中散布を止めよう」 と訴えた時から、

彼の地域との格闘が始まった。 1979年のことである。

有機農業に取り組み、「さゆり米」 というブランドに仕立て上げ、 

" 自分たちの食をこそ豊かにしよう "  と自給運動を展開した。

 若手老人(!) たちを集めて勉強会を開き、

広報誌づくりは夜、自宅に持ち帰って一人で続けた。

県に何度も談判に行って、村の小学校の給食に 「さゆり米」 の導入を認めさせた。

「まごころ野菜の会」 を結成して、今でも120人の農家が

子どもたちのために給食用の野菜を作ってくれている。

地域社会は 「農」 と不可分の関係にあることを、

小林さんは示したのだった。

 

しかし合併後は、小林さんには納得の行かないことが続いているようだ。

「こんなはずじゃなかった。」

「まだまだ、やらなきゃいけないことがある。」

もうひと頑張りしなくては・・・ と笑って立ち上がる小林さん。

改めて頂戴した今の名刺には

「共生塾々長 百姓 小林芳正」 とあった。

枯れてないぞ。

手を握りしめ、深く頭を下げて、「どうかお元気で」 が精いっぱい。

 

小林さんの哲学は地域への愛情とともにあった。

いや、地域の力が彼の哲学を育んだのかもしれない。

彼が歩んだ村づくりの歴史は、書き残しておかなければならない。

カリスマ・小林芳正を陰で支えたたくさんの登場人物とともに。

 

ああ・・・ 感慨に浸って、本日ここまで。

 



2013年9月18日

" 日本一まっとうな学食 " と佐藤佐市さん

 

放射能連続講座Ⅱ-第 6 回 を終えた翌日(9月 1日)、

僕は佐藤佐市さんをエアコンの壊れた愛車に乗せて、

都内のホテルから埼玉県飯能市へと向かった。

 

二人で訪ねたのは、「自由の森学園」。

飯能市街から旧名栗村に向かう途中の

小岩井という地区の山の上にある私立の中高一貫校で、

明星学園小中学校の校長だった故遠藤豊氏が中心になって、

1985 年に創立された。

点数序列主義を排し、自由・自立・豊かな表現力を理念として掲げる。

理論的な柱となっているのは、数学者・遠山啓の教育論である。

その校風によってか、芸術家や芸能人家庭の子が多いようで、

元俳優(現在・農業) の菅原文太さんが 90 年代に理事長を務めたことでも

話題になったことがある。

生徒たちの自主活動・自主運営を重んずるがゆえに、

時に  " 自由とは何か "  で批判の的にされることもある、

まあ個性派の学校としては横綱大関級だろう。

 

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そんな指導方法や校風もさることながら、

実はホンモノの横綱級と評されているのが、食への取り組みである。

食材の安全性へのこだわりは調味料にまでおよび、

農産物は各地の生産者から直接仕入れ、

天然酵母でパンを焼き、麺も自家製麺、漬物や梅干しも自家製と、

手づくりを徹底する。

それを全国から集まった寮生たちのために 1日 3食こしらえる。

提供する場はたんなる 「食堂」 ではない。

栄養士と調理師さんによって運営される 「食生活部」 という

食を学ぶ部として存在するのだ。

 

「自由の森学園食生活部」 の 28 年の軌跡には

相当なご苦労があったようだが、そのへんのところは

学園の卒業生(2 期生) である  " やまけん "  こと山本謙治さんの編著

『日本で一番まっとうな学食』(家の光協会) に詳しいので、譲りたい。

学校給食に関心ある方はぜひ。

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さて、この自由の森学園に佐市さんをご案内したのは他でもない。

学園では3.11前まで、佐市さんたち東和の有機農産物を

直接取り寄せていたのだが、原発事故によってそれが途絶えてしまったのだった。

 


育ち盛りの中高生を預かる学校としては、

それは致し方ない判断だった。 

佐市さんも 「仕方ねえな」 と無理やり自分に言いきかせたようだ。

そしてその後も再開には至らずにきていたのだが、

管理栄養士の N さんが大地を守る会の会員で、

3 月に開かれた 学校給食全国集会 に呼ばれた際にお会いして、

実はずっと佐市さんのことを気にかけている、ということを知らされた。

(上記のやまけんの本は、その時に N さんから頂いたもの。)

 

今回の講座で佐市さんをお呼びすることが決まった時、

僕は真っ先に N さんにメールでお知らせして、描いていた計画を提案した。

「佐市さんを自森にお連れしましょうか。」

佐市さんも大変喜んで、二つ返事で 「一泊する」 と答えてくれた。

あとは N さんのご尽力で、話はトントン拍子に進んだ。

講座にも、学園から鬼沢真之理事長や食生活部の泥谷(ひじや)千代子さんら

6 名の先生方が参加してくれた。

これは僕にとって思いもかけない共鳴だった。

 

学園は夏休み中にも拘らず、

先生や関係者の方など 10 名の方が集まってくれた。

前日の講座に続き、

この 2 年半の二本松での出来事や、

生産者として取り組んできたことを話す佐藤佐市さん。

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放射能の質問にも答え、

彼ら福島の有機農家は本当によく学んだなあ、と感心する。 

 

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アットホームな感じで質疑や意見が交わされ、

この間の時間の重さを共有しながら、

ゆっくりと失いかけていたものをお互いに取り戻す。

 

お昼は食堂に招かれ、

休日のはずなのに厨房を稼働させて作っていただいた食事を頂戴した。

どれも美味しい。 優しい感じがする。

野菜も自然な味わいがあって、癒されるようだ。

僕は例によって 「食う」 に集中して、写真撮るのをすっかり忘れる。

 

食堂では、明日から新学期が始まるということで、

帰ってきた寮生が集まってくる。 

送ってきた親たちも一緒になって、バーベキューが始まりだした。

おそらく学園の卒業生と思われるお母さんと先生が、

友人同士のような感じで会話が交わされるのだった。

 

散策がてら学園内を案内していただく。

遠征用のトラック発見。 

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「自由の森学園サンバ音楽隊」 は2000 年夏、

高校生チームとして初めて浅草サンバカーニバルに出場した経歴を持つ。

人力飛行機部は、鳥コン

(人力飛行機による飛行時間・距離を競う 「鳥人間コンテスト選手権大会」)

にも出ている。 実力のほどは知らないけど。

郷土芸能部は、地元の祭りなどにも積極的に参加している。

ユニークな部活動が生徒たちの発案で生まれ、

一般の学科授業とは違う目線で学びを体験し、

表現力やコミュニケーション力が培われていくのだろうか。

 

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生徒たちがつくったツリー・ハウス。

思春期の貴重な時間に自然を体感できることは、大切なことだ。

 

実はこの 3 月まで 26 年間、

我が家は自森より 2 ㎞ ほど先(奥) の地区にあった。

平日はほとんど帰らなかったけど、まあご近所だと言っていいだろう。

自由の森学園の歴史を地域の目線で眺めていた者にとっては、

正直言って評判は芳しいものではなかった。

川の調査をしていても、また授業をサボって河原で遊んでる・・・

とか理不尽な噂もたてられたりしていたようだが、

そう言われてもしょうがないような・・・ところもあった。

設立して 28 年。

ユニークすぎるだけに、地元に根づくにはまだ時間がかかる。

 

生徒たちが 「米を作ってみたい」 と言って始めた、

という田んぼも案内してもらった。

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いやはや、草が多過ぎる。

イノシシ対策にと電気柵を張ってはいるが、畦も草ぼうぼうで・・・

案の定漏電して利かなくなっていて、すでにイノシシに荒らされていた。

夏休み中、サボったね。

農を甘く見てはいけない、 汗をいっぱい流さないと。 

もう少し地元農家の教えを乞うた方がいいのでは・・・とは、

帰り途の佐市さんとの会話である。

 

栄養士の N さんが撮ってくれた写真が送られてきた。

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イイ感じですね。

佐市さんもさりげなく V サインなんか送っちゃって。

右から二人目が鬼沢理事長。 

左端が、ビオトープ作りや、ニホンミツバチの飼育、

焼き畑によるソバ栽培試験区などを案内してくれた理科の伊藤賢典先生。

 

放射能連続講座がくれたご褒美のような、感動の一日だった。

こういう想定外の喜びがあると、やることも無駄ではない、と思えてくる。

 

別れ際、生徒たちの東和ツアーをゼッタイに復活させます、

と N さんは嬉しそうに語る。 

あまり急がず、じっくりとね、と答えた。

ふたたび冷房の利かない車に乗せて、

それでも楽しくお喋りしながら佐市さんを大宮駅までお送りした。

 

お土産に頂いた天然酵母パンとクッキーを大事に抱えて、

佐市さんは二本松・東和へと帰っていった。

その背中を見ながら、僕は確信する。

佐市さんと自森の関係は、3.11前よりずっと深いものに育ってゆく。

間違いない。

 



2013年8月28日

エコッツェリアから農水省へ

 

今日は午後から外出して、

丸の内から霞ヶ関へと流れた。

丸の内では新丸ビル10階にある 「エコッツェリア」 でインタビューを受ける。

ホームページで連載されている 「VOICE」 というコーナーでの取材。

エコッツェリアを訪れる人々へのスナップショット的ショートインタビュー。

ライトな企画なので、ついでの際で結構ですから、と言われて

本当に気軽に臨んだ。

 

15分程度で、と言われていたのだけれど、

軽いようで突っ込んだ質問もあり、結局1時間ほどお喋りしてしまった。

 

・エコッツェリアに来るようになったきっかけは?

・エコッツェリアで何してるの?

・大丸有(だいまるゆう。大手町・丸の内・有楽町エリアの総称)

 で実現したいことは?

・今の社会での 「食」 の問題とは何だとお考えですか?

・大丸有で好きな場所は?

・大丸有を一日好きにしていい、と言われたら何をしたい?

・おススメの本は?

・あなたが大切にしていることは?

 

質問に対して準備して臨んでいたなら、

おそらくかなり違った話をしただろうと思う。

自分でもけっこう意外な発見をしたのだった。

9月9日アップ予定、とのこと。

よろしかったら覗いてみてください。

 

その足で、霞ヶ関は農水省へ。

「第1回 日本食文化ナビの活用推進検討会」 に出席する。

 


これは昨年参画させていただいた

地域食文化活用マニュアル検討会」 の第2ラウンドになる。

" 地域の食文化を活かして地域を活性化する "  をテーマに議論し、

日本食文化ナビ』 という形で完成させたのだったが、

これが本当に地域で活用できるものになっているのかの検証が必要である。

さらに実用的で地域に貢献できるものにバージョンアップさせたい。

 

これは僕も気になっていたところである。

出ないワケにはいかない。

僕らが描く  " あるべき姿 "  と、いわゆる  " 地元の感覚 "  に

乖離があるなら、それは埋めなければならないだろう。

しかも座長は昨年に引き続き、京都造形芸術大学教授・竹村真一さん。

彼に 「今年も手伝ってくれ」 と言われれば、NOとは言えない。

委員には、日本総合研究所の研究員・藻谷浩介さんと、

「Luvtelli Tokyo & NewYork」 代表の細川モモさんも

昨年からの継続で一緒、というのも嬉しい。

 

しかし、会議はどうも面白いものではなかった。

昨年度の成果物 (『食文化ナビ』) を検証するにあたって、

実は事前に推薦地域を竹村座長に提出してあったのだが、

どうやらそれは事務局の意向ではなかったらしい。

農水省が今年から支援を始めた 「食のモデル地域育成事業」 で

選定された地域を対象に現地調査およびモニター調査を行いたい、

という趣旨が示されたのだ。

それはそれで分からなくはないが、

リストを見れば、" 地域の食文化 "  というより、

地域特産品を開発して産業振興したい、というようなものが多い。

補助事業をうまくつなげたいだけなら、僕の出る幕はない。

 

そもそも、地域特産品の開発だけなら、民の力でやり切るべきだ。

だからこそ、活力が生まれるんじゃないのか。

むしろ補助金をアテにしていない地域こそモデル事業である、

と僕は思うものである。

それでは霞ヶ関は必要ないみたいだけど、そんなことはない。

この先、スリムな行政を目指してもらうためにも、

先進地から学んだ役に立つテキストをつくることは

" 公 "  の任務のひとつではあろうと思うのである。

 

年度末まで、どこまでの仕事ができるのか分からない。

でも、せっかくの税金を使っての仕事である。

" ナビ "  を手にとった地方の若い自治体職員が、

やってみたい、と感じられるものを目指したい。

竹村真一の描くイメージを形にしてみたい、とは僕の野心でもある。

 



2013年7月16日

無農薬野菜の方が危険? -5年後の「続」

 

「農薬かんたん講座」 をやった勢いのあるうちに、

書きとめておこうかと思う。

 

しばらく前から気になっていることがある。

このブログを始めて丸 6 年。

気合い入れて書いたものからお気楽なものまで、

これまで 762 本の記事をアップしたが (目指せ 1000本!)、

一番投稿(コメント) が多い、

というより、今もってポツポツとコメントが寄せられる記事が、一本ある。

無農薬野菜の方が危険? 』 というタイトルで、

2008年7月16日付だから、ちょうど 5 年前の今日書いたものだ。

 

どうやら何かで検索して辿りついてるようなので、

試しに 「無農薬野菜 危険」 をキーワードに検索してみたら、

なんと、このブログがトップに出るではないか!

ヤバイよ、ヤバイ、、、背筋がゾクゾクしてきたぞ。。。

 

まあ、いただいたコメントは概ね好評なので、

なにもビビることはないんだけど、

改めてネットの怖さを感じた瞬間だった。

 

読み返せば、かなりくどい文章である。

大筋においては今もそう認識は変わってないので、

ま、これはこれでそのままにしておくとして (書き直すワケにもいかないし)、

この現象が意味するところは、

" 無農薬(あるいは有機) 野菜は危険 "  といった論を

今もって主張されている方がいるということなのだろう。

検索したついでにあれこれチェックしてみたが、

どうも有機農業に対する認識不足か偏見が根っこにあるようで、

批判したいがために1点を突く手法だったり、

「安全」 を人体だけの問題で考えていたりと、

粗っぽいものが多い。

これはいずれ追記しておかなければならない、と思っていた。

 


植物が昆虫や菌からの攻撃に対して生成する物質が

ヒトのアレルギー発症の原因物質になる可能性がある。

現実にそういう人はいるのだと、最近になってメールをくれた方もいる。

しかし・・・それで農薬を擁護するのは牽強付会(こじつけ) というものだろう。

食物アレルギーを持つ人たちは、医者にも診てもらいながら、

アレルゲンを特定し対策を考える。

だからといって、牛乳や大豆やエビ・カニそのものを悪者にする人はいない。

無農薬野菜でアレルギーが出る人というのは、

自然の植物すべてにアレルギー反応を起こすのだろうか。

「無農薬野菜だから」 という前に、もう少し調べたほうがいいように思う。

原因物質は 「無農薬」 ではなくて、何か特定の物質だと考えるのが、

農薬擁護派の好きな科学的態度というものではないか。

ぜひアドバイスしてあげてほしい。

 

こちらも、たとえば化学物質過敏症の存在などをもって

農薬を全否定しようとしているのではない。

ただ農薬は間違いなく人間が作り出した  " リスク "  であることを

承知しておかなければならない、と言いたいのだ。

農薬はすでに、しっかりしたマネジメント(管理) の対象なのである。

なぜ GAP (Good Agricuitural Practice:適正農業規範

/農業生産におけるリスク管理基準) などという仕組みが生まれ、

生産現場に求められているのか。

批判合戦のような姿勢による安易な否定あるいは擁護は、

ヒトや環境にできるだけ配慮した薬剤を開発しよう、と努力されてきた

製剤メーカの近年の開発プロセス (=リスクを承知する人たちの努力) を

踏みにじることにもつながりかねない。

要するに健全な議論を妨げるものだと言いたいワケです。

 

付け加えるならば、

植物は敵に攻撃された際、あるシグナルを発することが分かってきている。

それによって周辺の植物も、生体防御たんぱく質を作り出し始める。

「農薬使用」 と 「農薬不使用」 で、微量レベルのアレルゲン物質の有無が

明確に分かれるとは、どうも考えづらい。

 

有機農業は、(化学合成)農薬を否定する立場である。

環境への負荷の低さと生物多様性の維持という観点から見れば、

明らかに優位性があることを僕は疑わない。

資源の循環や永続性の観点から言っても、望ましい。

栄養価も高い。 いや正確には、その作物本来の栄養価値を持つ。

したがって、ヒトの健康にとっても良い。

5年前に書いたファイトアレキシンは、

まさに先月行なった放射能連続講座で取り上げたファイトケミカルにも

つながるものだ。

土壌の健全性を育てる有機農業は、発展させるべきである。

しかしその技術は、まだ発展途上なのだ。

 

一方で、今日の社会に於いて、有機農業だけでやれない限界性は、

別なところにある。

トマトやキャベツを一年じゅう供給しなければならない  " 需要 "  というやつだ。

あるいは需給のリスク・ヘッジという観点もある。

ここでは減農薬ですら、農家に無理強いしている場合がある。

大地を守る会の生産基準は、そこを意識するがゆえに分かりにくくなっている。

さらには、無農薬ではまだまだ困難な作物がある。

最も難しい作物は、リンゴだろうか。

(いま評判の  " 奇跡のリンゴ "  については、以前に触れた ので割愛したい。)

 

食品流通で生きている僕の、現段階での立場は、

「農薬をすべて否定することはできない」 である。

だからこそ、有機農業をもっと進化させたいし、

農薬の使用にあたっては、

消費者に信頼される管理(マネジメント) を徹底したい。

 

また堆肥に由来する問題を、有機農業批判とつなげて語る人たちが、

相変わらず存在する。

何をかいわんや、である。

堆肥利用は有機農業者だけの専売特許ではない。

慣行栽培と言われる人だって堆肥は活用する。

土づくりは農業技術の大元だったはずである。

問題は、その質と使い方に帰する。

硝酸態窒素を問うなら、むしろ化学肥料こそ問題である。

化学肥料を疑わない人は、水質汚染に配慮しているだろうか。

化学肥料だけで充分だと思っているのだろうか。

とてもいただけない。

 

有機農業者たちは、堆肥製造技術の追究者である。

その流儀は幾通りもあるが、

余計な病害虫の発生を防ぐためにも堆肥の入れ過ぎには注意する。

堆肥利用による弊害を語る論法って、たとえて言うと、

合成洗剤を批判する向きに対して、「石けんも使い過ぎればよくない」

と主張されるのに似ている。

それは一理ある。 しかし、だからといって、

それで合成洗剤のほうがイイということにはならないし、

むしろ石けんを認めた上での理屈だということに気づいてない。

 

家畜糞尿経由での抗生物質や薬剤の残留が指摘されることがある。

その懸念は無視できない。

ただ、汚染の輪廻を絶つためにこそ、有機農業はある。

有機農業は、有機畜産を常に希求しているのだから。

家畜糞尿を悪とみなして資源循環の系を断ってすましてよいか。

それでは、安全な肉はない、と宣言しているのと同じである。

否定ではなく、健全な家畜生産を求め続けたい。

 

僕は今、こんな議論よりも、

特定の害虫(昆虫) の、この機能を阻害させるといった

ピンポイントで叩く選択性の農薬を数十年かけて作り出すような世界にいる人と

会ってみたい、という欲求を捨て切れないでいる。

ヒトや天敵に影響を与えず、ある害虫のみを殺す農薬を、

農家のために、あるいは食料の安定生産のために、

と思って誇りを持って働いている人たちなんだろうと想像している。

彼らは表舞台に出てこない。

ネオニコチノイド系農薬が叩かれる昨今、どんな思いでいるのだろう。

別に同情したり共感しているのではなくて、ちゃんと会話してみたいのだ。

未来のために。

 

農薬講座では最後に、

これまで何度も引用してきた言葉で締めさせていただいた。

 

  民主主義の真の温床は肥沃な土壌であり、

  その新鮮な生産物こそ民族の生得権なのである。

 

  国民が健康であることは、

  平凡な業績ではない。

    - 『ハワードの有機農業』(アルバート・ハワード著)より

 

肥沃な土壌づくりで競い合いたいものだ。

 



2013年7月13日

かんたん・・ じゃなかった「農薬講座」

 

これまで、「そう言われてみれば・・」 というくらいに、

意外とやってなかった 「農薬」 の勉強会。

有機農業の話の中で触れることはあっても、

「農薬」 というテーマを前面に出しての講座は、やってない。

意図してやらなかったわけでなく、

農薬=× (やむを得ない場合のみ許容) という前提で

ただ語ってきたように思う。

しかしその中身をいざ掘り下げようとすると、実に奥深い世界に入り込むことになる。

「農耕」 を獲得してからの人類の歴史を語るくらいに。

 

改めて 「農薬」 をテーマに講座をやりたいのだが・・・

CSR推進課からこの企画を示された時は、瞬間的に

それだけは勘弁して! という逃げの気持ちが先にたった。

でも一方で、

このテーマを提示されて、" ああ、いいよ "  と言わなくてどうする、

という気にもなったのだ。

1999年に現在の 「大地を守る会の生産基準」 を策定してから2010年まで、

毎年々々基準の改定を担当してきた者として、

受けて立たなくてどうするよ。

 

とはいえ、CSR推進課がつけてくれたタイトルが、

『大地を守る会の栽培基準と 農薬かんたん講座』。

農薬とはどういうもので、どんな問題があるのか? 分かりやすく解説せよ。

大地を守る会の基準の説明も含めて、制限時間は1時間半。

・・・って、言うのは簡単だけどサ。

農薬の世界ってのはサ、とてもじゃないけど  " かんたん "  ではないのよ。

 

どうまとめるか・・・ 悶々としながら日が過ぎ、

2日前になんとか 38 枚のスライドを作成し、

前日の夜にもう一枚追加して、とりあえず完成させた。

やればやるほど足りない部分を感じながら- 。

 

7月12日(金)。

場所は日比谷図書文化館コンベンションホール。

いつもと違って、講師と言われる側に立つ。

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いろいろと構成を考えてはみたが、

どうしても  " 基本の基 "  をおさらいしないと、次の展開ができない。

結局オーソドックスな流れで組み立てることにした。

 

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「農薬」 とは何か。

どういうものがあるか、その複雑な分類について。

農薬は農業現場だけに使われているものでないこと

(様々な場で、家庭でも、使われていること)。

農薬の歴史と日本での使用実態。

農薬登録=安全性チェックの仕組み。

毒性試験と国の基準の考え方から様々な関連法規まで

(いかにいろんな場面で使われ、規制されているか)。

農薬の 「毒性」 を測るいくつかの指標について。

そして、「農薬は安全」 か・・・ という問題について。

 

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前半戦のつもりが、ここまででほぼ四分の3 の時間を費やしてしまった。

でもそれだけセンシティブな問題なのだ。

本当はもっとディティールを、農薬の光と影の歴史を語りたかったくらい。

虫や菌と薬の果てしないたたかい。

その間にどれだけの人が死んだか(逆に薬によって救われた側面も、実はある)。

レイチェル・カーソンの 『沈黙の春』 から、農薬はいかなる道を歩んだか。

それは環境面から見ても人体への影響からみても、

相当に進化したのではある。

しかし進んでも進んでも、農薬では解決できない根本的な問題が残る。

 

一方で人はひたすら簡便な解決法を求め、あるいは便利な生活を求め、

グローバルな交易が進めば進むほど農薬を必要としていること。

農薬を求めているのは生産者なのか、消費者なのか。。。

とても語り切れるものではなく、その辺は割愛せざるを得なかった。

 

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大地を守る会の生産基準について、

有機農業の意義について、

これらは理念的なポイントを伝えるだけで終わってしまった。

たった一つの農薬を 「使用禁止」 と宣言できるまでのプロセスに

「有機農業運動」 の真髄があると僕は思っていて、

そんな事例を面白く紹介もしてみたかったし、

「減農薬」 を包み込み進化させる運動、

これが 「大地を守る会の有機農産物等生産基準」 のキモであることも

伝えたかったのだけれど、

いやなかなか、やってみると難しいものだった。

 

終わってみれば、反省点だらけ。

自己採点は 58点。

でもやってみたことで、分かったことも多い。

もし次の機会があるなら、75点まではいけるような気がする。

ただ、「農薬」 とはとても 1時間半ではすまない世界であって、

生産方法や栽培技術の変化、品種改良、

輸出入の増加と侵入害虫の問題、食生活の変化、

さらには気候変動などなどと関連して動いていることを

コンパクトにまとめるのはけっこう難しい。

 

例えば、カメムシという虫の群をとっても、今の分類では益虫と害虫がいる。

しかし本来、カメムシはどちらでもなかったのだ。

例えば、アゲハチョウの幼虫はミカンの葉を食べるが、「害虫」 化しない。

それはなぜか・・・

有機農業とは、

カメムシを害虫ではなく、本来あった  " フツーの虫 "  に戻してやる作業

でもある。

そんな話を  " 分かりやすく、手短かに "

語れるようになりたいと激しく思った 「農薬講座」 であった。

 



2013年5月24日

行幸マルシェ × 青空市場

 

東京駅から地下の丸の内口に出て、丸ビルと新丸ビルの間に

「行幸(ぎょうこう) 通り」 がある。

そこで月2回、「丸の内行幸マルシェ × 青空市場」 という

市場(マルシェ) が開催されている。

青空市場を主宰するのは、俳優の永島敏行さん。

(この写真は、青空市場HP からお借りしました。)

 

そこで本日、大丸有 (大手町・丸の内・有楽町の略) エリアを中心に、

食の安全や地産地消の食材を共同調達する仕組みをつくってきた

大丸有つながる食プロジェクト」 として、初めて出店した。 

 

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出したのは大地を守る会の野菜・果物と、

東京・国分寺の小坂農園で栽培された江戸野菜。

初出店ということもあり、お昼過ぎから閉店の夜7時半まで

売り子として張りついた。 

 

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「大丸有つながる食プロジェクト」 (略称 「つなまる」) は

以下の団体で協議会を結成して運営されている。

・ エコッツェリア協会 (一般社団法人 大丸有環境共生型まちづくり推進協会)

  - 全体コーディネーションの他、情報発信、各種イベント開催など。

・ 三菱地所株式会社

  - 全般的なサポート。

・ 株式会社 まつの

  - レストラン等からの受注・決済、配送等の物流担当。

そして大地を守る会は、生産者・食材の審査、トレーサビリティによる商品保証・管理、

「つなまる」 認定基準に合致する生産者の紹介(広がり) を担当する。

 

ここで設定した認定基準とは、以下のようなものである。

基準1 - " 食べる人の健康を守る "  プロとして責任を自覚する生産者であるか?

基準2 -  " 地産地消 " に取り組む生産者であるか?

基準3 - " 食べる人とのつながり "  を大切にする生産者であるか?

基準4 -  " 食べる人に価値を伝え、刺激を与えられる "  生産者であるか? 

 

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結果としての安全性の基準だけではない。

食の作り手としての姿勢を重視した基準。

広がりとつながりを求め、一緒に健康な社会を築くための基準。

この基準と仕組みを整理するのに、2年かかった。

 

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食べものが人と人をつなげ、暮らしを豊かにする。 

レストランも手をつなぎ、

環境に配慮した物流(みんなで少しずつでもCO2排出を減らす) を目指す。

街がイキイキとしてくるような取り組みに育てていきたい。

 

そんな思いで、僕らは町に出ることにした。 

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初回の成果は、、、、曖昧な表現で申し分けないが、まずまず。

道行く人々に認知され、たくさんのレストランに広がっていくために、

しばらくは月1回(第4金曜日) は出店をしながら PR していくことになった。

 

次回は6月28日、午後11時半から19時半まで。 

東京駅周辺に来られた方は、ぜひお立ち寄りください。

 

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2013年5月 8日

人の罪を浄化する生命の営み -堰さらいボランティアから(Ⅱ)

 

千葉県出身。 某大企業勤めをかなぐり捨てて、

あえて会津の山間部に単身移り住んだ浅見彰宏さんが、

次世代の責務として堰を守らんと、

総人足 (地元総出での堰さらい) に友人を誘ったのが、14年前。 

今や堰さらいボランティアは 50人規模にまで膨れ上がった。

 

ボランティアといえども、テキトーにやるわけにはいかない。

米づくりは、水脈の確保によって始まる。

この作業によって、水が麓に運ばれるのだ。

一年分の溜まった土砂や落葉をさらいながら、

ムカデのように進んでいく。

 

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途中、倒木が堰をふさいでいた。 

見事に・・・

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去年まで立派に立っていたヤツ。

残された幹を見れば、中はすっかり空洞になっていた。

たくさんの生命を育て、寿命を終えた古老。。。 

こうして生態系はゆっくりと、しかしダイナミックに輪廻してゆく。

 

この倒木の処理は、特別班の任務となる。

重機など入れる場所ではないので、チェーンソーで細かく伐って片づける。

ジブリの宮崎駿さんがいたら、

この木にイメージを掻き立てられ佇み続けるかもしれないが、

我々には、そんなことを考える余裕はない。

せっせと始末するのみである、蟻のように。

 


休憩のひと時。

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お疲れさまです。

 

川は地形に応じて柔軟に蛇行して流れ、

不思議と土砂が貯められていく場所がある。

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風景は、数年にミリの単位で微妙に変化していくらしいのだが、

人はある日突然、少しの変化に気づくのがやっとである。

 

ボランティアの半分は女性である。

女子パワーもあなどれない。

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ずっと気になっている場所がある。

先人の執念を感じさせるトンネル。

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雪深い山間部で、この水路を通すのに、

いったいどれだけの季節を数えたことだろう。

今の時代のように専門技術を持つ他人にアウトソーシングすることなく、

百姓たちの腕と団結力で、掘り続けた路(みち) 。

村民のアイデンティティが、この洞穴には詰まっている。 

次にベトコン体験の機会をいただけるなら、この暗闇を踏破してみたい。

視界の向こうに光が見えたとき、

この萎えた肉体が何を感じ取るか、確かめたい。

 

作業を終え、公民館の駐車場で打ち上げをやって、

温泉に入り、里山交流会に臨む。 

お酒と料理はしばしお預けとなり、いっ時の勉強会が行なわれる。

今回の講師は、会津みしま自然エネルギー研究会副会長・二瓶厚さん。

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只見川流域で、再生自然エネルギーによる電力自給を目指す。

3.11を乗り越えるたたかいが、反骨の会津でネットワーク化されつつある。

この夜も 「種蒔人」 を持って応援のエールを送らせていただく。

 

「あいづ耕人会たべらんしょ」 の若者たちの笑顔も見てほしい。

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左から二人目、Vサインを送っているのが、

チャルジョウ農場の二代目、小川未明(みはる) さん。

親父の光さんが育種した感動のミニトマト 「紅涙」 を、

今年も ヨロシク頼む!

 

あとは、ただ楽しく飲む。 

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翌日は、浅見さんたちの案内で、

耕作を放棄された棚田を見る。 

 

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子々孫々の食と暮らしの安定のために、

けっして贅沢を望まず、必死で汗を流して開墾した土地が、荒れてゆく。

自然サイドからみればそれは荒地化ではなく、

摂理に従っての植生の変化なのではあるけれど、 

明治以降に開かれた面積に相当する農地を、たった数十年で放棄したという事実を、

僕らはもっと真剣に考えなければならないのではないだろうか。

世界的に食糧需給が逼迫しつつある時代にあって。

 

幸いなことにこの国では、荒地は不毛の地ではない。

たくさんの恵みが、いたるところに生まれる。

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カタクリの花に教えられる。

あなたたちの罪は、長い長い生命のつながりによって浄化されると。

 



2013年5月 6日

山奥の水路にある世界技術 -堰さらいボランティアから

 

大型連休で人々が浮き足立っている間にも、

暦(こよみ) は早くも立夏となる。

季節というのはホント、無常に移ろっていくものだ。

その自然の流れに身を委ねながら、ある種の諦念や

災害に対する開き直り的強靭さまで、日本人は育んできたのかもしれないが、

一方で粘り強く、黙々と地域共同体の資産を守り続ける営みというものも、

たしかに存在するのである。

誰のためでもない。

私とみんなのためであり、先祖から子孫にいのちをつなげていくために。

ゴールデンウィーク、僕はそれを確かめるために会津に行く。

 

福島県喜多方市山都町での堰さらいボランティアも、

早いもので7年目となった。

堰の歴史からみればほんのひと呼吸程度の時間だけれど。

 

5月3日、仲間と乗り合わせ、激しい渋滞に揉まれながら一路北上。

午後4時過ぎ、山都町でも北の最奥部に入るあたりに位置する

早稲谷(わせだに) 集落に到着。

7年間変わらない、同じ桜と同じ景色が出迎えてくれる。

 

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今年のボランティアは46名。

過去最高の昨年より少し減ったけど、それでも地元の人にとってはけっこうな数だ。

めいめい到着しては温泉に入って、

地元の方に混じってまかないも分担しながら、

前夜祭の開幕となる。

大地を守る会から、今年は職員と会員合わせて10名の参加。

来る途中、大和川酒造で調達した 「種蒔人」 1ダース (12本) を献上する。

みんなが飲んで貯めた 「種蒔人基金」 からの差し入れです。

 

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採れたての山菜の天ぷらなどがふるまわれる。

これら自然の幸が美味いんだよね、ホント。

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都会からのボランティアを募った仕掛け人であり、

大地を守る会では、夏の若者たちの野菜セットを届けてくれる

「あいづ耕人会たべらんしょ」 の世話人的役割も担ってくれている、浅見彰宏さん。

 

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入植して17年。

今やこの人のネットワークなしでは、田に水を送る水路の維持も難しくなってしまった。

 

我々ボランティアという名の人足たちは、ふたつの公民館に分かれ宿泊し、

翌5月4日、朝ごはんを自炊して、お昼のおにぎりを用意して、

8:00 集合。

諸注意を受けて、作業にとりかかる。

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我らが 「チーム大地」 は、今年は上流から下る組に配属される。

早稲谷の上流部から取水して下の本木地区まで、

延べ 6km の水路(堰 :せき) が続く。

掘られたのが江戸時代中期、吉宗の時代だという。

 

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山あいを縫いながら、ほとんど水平に近い傾斜で、

ゆっくりと水を温ませながら流れていくように計算されている。

開設当時で 5000分の1 の傾斜を設計する測量技術があった

というのだから、驚きである。

ニッポンの誇る世界技術は、弛まぬ自然とのたたかい、いや

長い長い折り合いの歴史によって築かれてきたのだ、きっと。

この精神の廃れこそ、この国の危機なのではあるまいか。

 

すみません。 眠くなったので、続きは明日に。

作業ではなく、行き帰りの渋滞で、小バテしたかしら・・・

作業自体は、去年のベトコン体験に比べたら、

まあ  " イイ汗かいた "  と余裕で言っておこう。

 

ブヨに射された痕がモーレツに痒い。

合計11箇所あった。

アンモニア水が手放せない。

 



2013年4月13日

白菜の力 -ファイトケミカル

 

高知から田植えの便りが届くあたりになると、

食事の様子もだいぶ変わってくる。

この冬の記憶は、白菜をよく食べたなあ、って感じ。

平日一人暮らしの身でありながら、

必死で 「福島&北関東の農家がんばろうセット」 や

「ベジタ」(大地を守る会の野菜セット) を消化しようとするのだが、

難敵だったのが、白菜半玉(1/2カット) だ。

料理の腕もなく、時間(気持ち?) の余裕もない夜に、

野菜をまとめて食おうとなると、まあだいたい鍋、ということになる。

 

人参も大根も、ピーラーで皮からひたすら剥いていって

紅白うどん(きしめん?) みたいにして、鍋に放り込む。

 

白菜も嫌いじゃないけど、こんなに食っても栄養的にどうなんだろうね・・・

とか思っていたものだが、ところがところが、

冬の途中から俄かに白菜礼讃者に豹変してしまった。

放射能連続講座第4回でお願いした高橋弘先生(麻布医院院長)

の著書に、次の一文を発見したのだ。

 


『 白菜のような淡色野菜は、これまでニンジンやホウレン草といった

 色の濃い緑黄色野菜と比べると、栄養価が低いと考えられてきました。

 しかし、ファイトケミカルという新たな視点から見直してみると、

 白菜はガンに対して優れた効果を発揮します。

 白菜に含まれるファイトケミカル(グルコブラシシン)が素晴らしいのは、

 ガンにアポトーシス(エビ注・・細胞死のこと) を起こさせる作用が強いことです。』

  (『ガンにならない3つの食習慣』 ソフトバンク新書 から)

 

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しかも都合のいいことに、

野菜からファイトケミカル(野菜がつくる化学成分、第7の栄養素と言われる)

を吸収するには、加熱調理が基本、とある。

ファイトケミカルは熱に強いのだ。

白菜にはデトックス(解毒) 効果のあるミネラルも豊富で、

カルシウムはホウレン草並み、カリウムも多い。

さらには、低カロリーなのでたくさん食べても OK だと。

まさに鍋に最適。 やっぱ冬には白菜か。

 

とまあそんなワケで、寂しい冬の夜も、お陰でまずまず温まったのだった。

ありがとう、白菜。

また次の冬が無事迎えられたなら、よろしく。

 

 

季節は確実に移ろっていて、

桜が散ったと思っていたら、もうツツジが咲いている。

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昨日、連続講座の打合せのため児玉龍彦教授を訪ねた際、

東京大学先端科学技術研究センターの庭に咲いていた。

 

これからの季節は山菜や筍がいいなあ、、、なんて思ったすぐあとに、

ため息をついている自分がいる。

「しかし、それを喜べない地域もある。」

 

まったくこの2年、食を楽しむ心そのものが汚された気分だ。

しかも、まだこの先も続くのである。

 

何かを怨みながら、生きたくはない。

怒りは持続させながら、前向きに、

未来のためにやるべきことをやり抜きたいものだ。

 

先端研の中庭に、こんな銅像があった。

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ここは戦前、「航空研究所」 として、

航空機時代の黎明期を牽引した研究の場所だったということを知る。 

当然のことながら軍とも密接につながっていたであろう。

 

ま、歴史的背景はともかく、励まされよう。

飛べ! 前へ!

 

高橋弘医師推薦の、ファイトケミカル・スープにも挑戦してみるか。

これなら僕でも簡単にできそうだし。

HPはこちらから ⇒ http://www.azabu-iin.com/phyto/index.html

 

最後に肝心の、昨日の話。

児玉龍彦教授は、物腰の柔らかい誠実な方だった。

講演用パワーポイント・スライドを紙で配布するのも、

USTREAM での中継・アーカイブのアップも、気軽にOKしてくれて、

約束の時間のほとんどは、打ち合せというよりは、

最新の研究成果や除染の方法などについて熱く語ってくれるのだった。

そしてこの国の、変えられない欠陥についても・・・

 

この2年で、認識を改めたことのひとつ。

ずっと東大は敵だと思っていたが、この大学も多様である、ということ。

 



2013年4月 1日

会津の堰さらい-『美味しんぼ』 に登場

 

「Daichi & keats」 日本酒セミナーで PR させてもらった

福島県喜多方市山都町での堰さらいの話が、

先週(3月25日) 発売のコミック誌 「ビッグコミック・スピリッツ」 の

長寿漫画 『美味しんぼ』 で紹介された。 

 

原作者の雁屋哲さんとは 昨年の堰さらい でお会いして、

福島を回っていると聞いていたが、

2年以上の取材を経て 「福島編 (第604話 「福島の真実」)」

の連載開始となったものだ。

それだけ慎重に、また緊張感を持ってこのテーマに挑んだということだろうか。

 

堰さらいボランティアの仕掛け人、浅見彰宏さんが

リアルに描かれている。 

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この漫画の特徴は、花咲アキラ氏によって

自然の風景や背景が実に精緻に描かれていることだ。

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福島有機農業ネットワークの活動も紹介され、

今週号では 「あいづ耕人会たべらんしょ」 のメンバー、渡部よしのさんも登場している。

原発事故から2年、さてこの 「福島の真実」編 はどう落ち着くのだろうか。

 

実は雁屋哲さんには、放射能連続講座での講演をお願いした経緯がある。

私たちはこれから福島の食や生産者との関係を

どう築き直していけばいいのか、

取材を経てお考えになっていることをお話いただけないか

とメールしたのだが、

見事に断られてしまった。

作者は、漫画という手法を通じて、いろんな考えや思いを

登場人物の口を借りて語らせるワケで、

今の段階で、作者の考えを開陳することは控えたい、と。

 

たしかに、仰る通りだと思った。

しかもお願いしたのが、これから福島編の連載を始めようという段階で、

いろんな思いがめぐっているようでもあった。

「いま話をさせると、何喋るか分かりません。 国への批判で暴走するかも・・・」

と、事務所の方も怖れていた。

 

海原雄山と山岡士郎の 「お前の根がここにある」 福島対決の結末を

楽しみにしながら、今年も堰さらいに行くことにしよう。

 - というワケで、今年も堰さらいの案内です。

関心ある方は、「続きを読む」 をクリックしてください。

 


【浅見さんからの呼びかけ】

喜多方市山都町本木および早稲谷地区は、

町の中心部から北に位置する併せて100軒足らずの小さな集落です。

周囲は飯豊山前衛の山々に囲まれ、

濃緑の森の中に民家や田畑が点在する静かなところです。

そんな山村に広がる美しい田園風景には一つの秘密があります。

それは田んぼに水を供給する水路の存在です。

水路があるからこそ、急峻な地形の中、川沿いだけでなく

山の上部にまで田んぼが拓かれ、田園風景が形造られているのです。

その水路は 「本木上堰」 と呼ばれています。

水路の開設は江戸時代中期にまで遡り、そのほとんどは当時の形、

すなわち素掘りのままの歴史ある水路です。

深い森の中を澄んだ水がさらさらと流れる様を目の当たりにすると、

先人の稲作への情熱が伝わってきます。

しかし農業後継者不足や高齢化の波がここにも押し寄せ、

人海戦術に頼らざるを得ないこの山間の水路の維持が困難な状況となっています。

そこでもっとも重労働である春の総人足 (清掃作業) の

お手伝いをしてくれる方を募集しております。

皆さん、この風景を守り続けるために是非ご協力ください。

 

【作業内容】

冬の間に水路に溜まった土砂や落ち葉をさらったり、

雪崩などによって抜けてしまった箇所の修復など。

 

【スケジュール】

5月3日(金) 夕刻 JR磐越西線山都駅集合

5月4日(土) 早朝より水路清掃作業(昼休みをはさみ夕刻まで)。

         夕刻より交流会。

5月5日(日) 午前中解散。 希望者には山都町周辺をご案内します。

 

【宿泊場所】 本木または早稲谷の集会所を予定。 連泊可能です。

【参加費用】 交通費は自己負担でお願いします。

         宿泊費は1泊 500円。 交流会費 1,000円。

【用意するもの】

作業着、軍手、長靴、雨具、帽子、タオル・洗面用具、着替え、など。

お持ちの方は寝袋を持参いただけると助かります。

 

【その他】

・ 朝食は宿泊者で作ります。お手伝いください。

・ 参加者には、秋に上堰の田んぼで獲れたお米をお届けします。

 

詳細お問い合わせは、本ブログの 「コメント」 から

メールアドレスを付けて、お送りください (問い合わせは公開されません)。

折り返しお返事を差し上げます。

 

★ この堰の保全活動には、大地を守る会オリジナル日本酒 「種蒔人」(たねまきびと)

  の売上の一部が積み立てられている 「種蒔人基金」 も応援しています。

 



2013年3月31日

「D & k」 日本酒セミナーの夕べ

 

昨夜は 「Daichi & keats」 1周年記念企画シリーズ最終回、

「日本酒セミナー」 が開かれた。

大和川酒造店から佐藤和典工場長がゲストに招かれ、

大和川さんの4種類のお酒を飲み比べながら、

君島料理長が考えた 「日本酒に合う料理」 を堪能していただいた。

 

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参加いただいた方は約40名。

大地を守る会の会員さんはむしろ少なく、

「D & k」 のファンとなったお客さんのほうが多かったかな。 

加えて、ツイッターやフェイスブックで見つけたという方々、

中には大和川さんから通販で取り寄せている、というおじさんもいた。

 


会津の気候風土や米づくりについて、

また一貫して地元の米を使い続けてきた大和川酒造のこだわりについて、

説明する工場長。

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いや、これからは 「杜氏」 と呼ばなければいけない。

いつも当たり前に 「工場長」 と呼び慣れてしまっているけど、

越後杜氏・阿部伊立(あべ・いたつ) 氏引退後は、

工場長が杜氏を引き継いだワケなんだから、

ここはやっぱ 「イヨッ、杜氏!」、だよね。

 

「種蒔人」の紹介のところでは、

開発のコンセプトや 「種蒔人基金」 にかけた思いなどについて

喋らせていただいた。

この酒が飲まれるたびに、森が守られ ~

思いが強いぶん、長くなってしまった。 ごめんね、町田店長。

 

本日の料理を説明する、君島繁夫料理長。

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本職はイタリアンなのだが、今日は特別に

日本酒に合うオリジナル料理を用意してくれた。

 

本日の大和川ラインナップ。 

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まずは 「活性にごり・純米酒 弥右衛門」。

原料米は五百万石。 まだビン内で酵母が活きていて、炭酸ガスが内包している。

甘さと炭酸ガスの酸味が調和した、スパーリング感覚のお酒。

食前酒から乾杯まで。

 

続いて本番、「純米吟醸 種蒔人 あらばしり」 を

料理とともに堪能していただく。

原料米は、稲田稲作研究会が育てた「美山錦」、無農薬栽培。

酵母は「うつくしま夢酵母」(F7-01)、精米歩合55%、日本酒度+5、酸度1.4。

芳醇な香りと程よい酸味、キレのある搾りたて。

5月頃までは、一切火入れをしていない生生(なま・なま) で、

その後は生貯蔵酒 (ビン詰め時に1回のみ火入れ) となる。

 

次は 「純米吟醸 雪蔵囲い」。

会津の豊富な雪を利用して雪中貯蔵されたお酒。 

酵母はこれも福島県で開発された「煌酵母」、華やかな吟醸香が特徴。

 

あとはお好きな酒をお代わりしていただきながら料理を楽しみ、

親睦を温めていただく。

気持ちよくなった僕は、テーブルを回りながら、

5月に行なわれる山都での堰さらいのPRなどをしたりして・・・

 

最後。 食後のデザートには桃のリキュール 「桃の涙」 を。

純米酒と桃の果汁をコラボさせ、爽やかな甘みが口に広がる新感覚のお酒。

この商品化の裏には哀しい物語がある。

常に高い評価を得てきた福島の桃だったのに、

ご多分にもれず一昨年から販売不振に陥ってしまった。

今年も美味しい桃ができたのに・・・・・その涙を受け止め、

新しいお酒として生まれ変わらせたのが、このお酒。

飲んでつながる復興支援。

大和川酒造からお取り寄せできます。 

⇒ http://yamatogawa.by.shopserve.jp/SHOP/470205.html

 

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皆さん、ご満足頂けたようで、私も満足。

正直、話とお酒の説明に夢中で、

料理の写真をまったく撮ってなかった事に気がついた。

というか、後半(メイン料理) はほとんど食べてないんじゃないかしら

 ・・・・エエーッ! 残念。

君島料理長、こんどまたお願いします。

 

終了後は工場長、もとい、杜氏を誘って、線路をまたいで日本橋まで。

そこでまた大和川の酒のある料理屋でお疲れさん会。

盛り上がったのは、会員を募って袋絞り酒をつくろう! と決めたこと。

できた酒は会員で全量引き取り。

 

こういう感じで吊らされて、自然にポタポタと落ちてゆく、

とてもナチュラルで、しかし少々贅沢なお酒。

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さて一本いくらになるか、何人集まれば実現できるか、

これから皮算用が始まる。

これは仕事なのか、遊びなのか・・・

いずれにしても、モットーは 「仕事は楽しく、遊びは真剣に」 だからね。

楽しく、かつ真剣にやりたい。

 



2013年3月27日

学校給食全国集会

 

今日は朝から夕方まで飯田橋。

JRの駅に隣接する飯田橋セントラルプラザ17階にある

東京都消費生活センターの教室にて、

「全国学校給食を考える会」主催による 『学校給食全国集会』 が開かれた。

ここで大地を守る会の放射能対策についての報告をしろ、

とのこと。

つけられたタイトルが、「ゼロリスクがありえない中で、どう食べるか」。

何度見ても重たいお題で、逃げ出したくなるが、そうもいかない。

作成したスライドにはあえて 「何を、どう食べるか」 と付け加えさせていただいた。

「何を-」 は、ここでも重要なポイントだと思うのである。

 

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会場には、学校給食の現場を預かる栄養士さんや調理員さん、

教員、児童・生徒の親御さん(学校関係者は 「保護者」 と呼ぶ)、 

そして一般の方が、全国から集まっていた。

その数、100~120人くらいだろうか。

日々子どもたちと接する教育現場の方々を前に、放射能の話。

誰がこんな世の中にしてしまったんだろう。 ため息が出るね。

 


集会では最初に、

学校給食を考える会が発行する 「給食ニュース」 の編集責任者である

牧下圭貴さんが、「まずは、おさらいから入りましょう」 と

放射能に関する基礎知識から学校給食の仕組みと課題までを整理された。

 

放射能の世界というのは、初めて聞く人には難解なものだが (特に文系には)、

牧下さんはそれを分かりやすく解説しようと苦心しながら話された。

これが意外と難しいんだよね。

中途半端な知識ではなかなかうまく話せない。

 

彼は現在、大地を守る会が長く事務局を担っていた 「提携米研究会

(前身は 「日本の水田を守ろう! 提携米アクションネットワーク」) 

の事務局長も務められていて、

実は自宅の一室を改造して測定室にしたツワモノである。

測定室は 「生産者と消費者をつなぐ測定ネットワーク」 と名づけられている。

バックグラウンド(環境中の放射線) の影響をできるだけ避けるために、

機器の4方(&床下まで) をペットボトルに入れた水をレンガのように積んで

囲うという念の入れ方だ。

(水は放射線を吸収する、防護壁の役割を果たす。 水はエライ!)

 

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学校給食の話では、

「教育としての学校給食」 が謳われながら、

一方で正規調理員の減少や栄養士の民間委託、大規模センター化など、

合理化によるコスト削減が進められていく現状が指摘された。

また設備対応が追いつかない中で衛生管理(食中毒対策) が強化されていること。

さらには学校給食に対する家庭からの期待が高まる一方で、

給食費未納(家計経済の悪化) という問題があって、

その狭間で予算(給食費) と質のジレンマが深まっているという。

・・・・・聞いてるだけで耐えられなくなる。

 

これが子どもたちの食を取り囲む現実の一端だとしたら、

この現実は、もっと社会で共有されなければならない。

栄養士さん、調理員さんは日々必死の格闘を余儀なくされているということだ。

彼ら彼女らを支えているモラルと使命感が薄れていかないことを願わずにいられない。

それには社会の支えが必要である。

 

加えて放射能問題、である。

僕がお話ししたこの2年間の取り組みや思いは、

一民間団体としてやってきたことで、

たとえ、仮に、それが立派な事例であったとしても、

上記のような現場で日々やりくりさせられている人にとって

どれだけ参考になったことだろうか。

最後に、子どもたちの未来&未来の子どもたちのために、

僕らはつながらなければならない、とエールを送って締めくくらせていただいた。

 

ここでは余計な話だったかもしれないけれど、

食や暮らしに侵入してきているリスクは実は放射能だけでないことも、

忘れたくない。

・ 人口爆発と耕作地の減少。

・ 近代農業(農薬・化学肥料依存型農業) による地力(=生産力) の低下。

・ 温暖化による自然災害の増大と食生産の不安定化。

・ 食システムの巨大化、寡占化。 それはリスクに対する脆弱化を進めていること。

  例えば、病原菌による脅威の増大(耐性の獲得など) がある。

  自由貿易の名のもとに進む食システムの寡占化は、

  パンデミック -感染症・伝染病の世界流行- に対して

  極めて脆弱になっていくことを意味している。

・ グローバリズムによる安全性管理の後退(事故や汚染の一触即発化)。

・ 生物多様性の崩壊現象。

・ 越えたとも言われるピーク・オイル

  ⇒ 近代農業の破綻(あるいは大転換) へと進まざるを得ない。

・ 使える水資源の汚染と枯渇、そして空気まで(例: pm2.5 など)。

  - これらすべてがクロスし、リンクし合いながらグローバルに進んでいること。

 

原発もTPPも、

「地球の健康」 「未来のための安全保障」 という視点から

捉え直さなければならない時代になっているはずなのだが、

どうにも目の前の経済という難敵の呪縛から逃れられないでいる。

(そういう意味でも、脱原発からイノベーションへと進みたい。)

 

食育基本法という法律までできた時代なのだけど、

現場からは息が詰まるような話ばかりである。

お茶碗一杯のごはん(ハンバーガーでもいい) から世界が見える、

そんな機会を子どもたちに提供できないものだろうか。

 

しかし、四面楚歌のような状況にあっても、現場で工夫し、

あるいは粘り強い交渉力や調整力で成果を勝ち取ってきた事例もある。

埼玉県越谷市では、調理員さんたち(自治体職員) の努力によって 

測定器が現場に導入され、しかもベテラン調理員たちが講習を受けて、

ローテーションで測定を行なうという体制まで敷かれた。

調理工程を熟知した人が関わることで、入荷した食材の測定と使用判断を、

作業を滞らせることなく進めることができる。

そのために雇用が(非正規ではあるが) 一人生まれた。

唸らせる報告だった。

 

世田谷区では一栄養士として積み上げてきた足跡が語られた。

保護者を巻き込むのにちょっとした工夫が加えられる。

これは公にすると手の内がバレたりするので、公表は控えておきたい。

 

全国各地で、子どもの健康を守るために頑張っている人たちがいる。

とにかく、孤立させないこと、つながることだ。

つながりながら、新しい社会と豊かな食を築き直していきたい。

 



2013年3月23日

〔地球大学〕 日本の食のサステナビリティ

 

一週間が矢のように過ぎてゆく。

このまんま " 気がつけばジ・エンド "  ってことはまさかないだろうけど、

どうもなんかに追われている感が拭えない。

何を焦っているのか。。。

 

今週の活動から振り返りをひとつ。

3月18日(月) の夜、丸の内・エコッツェリア協会で開かれた

「地球大学アドバンス 〔食の大学〕 シリーズ」 に参加した。

今年度の最終回ともなった第6回は、

『日本の食のサステナビリティ』 をテーマに、

3名のゲストからのプレゼンを中心に展開された。

 

写真右から、

グラフィックデザイナー・佐藤卓さん、予防医療コンサルタント・細川モモさん、

そして一番左が農林水産省大臣官房政策課課長・大澤誠さん。

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まずは佐藤卓さん。

佐藤さんとは地球大学で何度もご一緒しているが、本ブログで紹介したのは

5年前の 『 Water 〔水:mizu〕 展 』 だけだったか。

昨年の10月には、北海道の銘柄米 「ゆめぴりか」 の新米発表会で

一日限定の 「米の道」展 というのを手掛けている。

食や環境をデザインの視点から見つめ直し、いつも

私たちに新しい発見を与えてくれる、僕には宇宙人にしか見えない方。

 


すべてのモノには設計とデザインがある、デザインが関わらないものはない、

と佐藤さんは語る。

目の前にある当たり前のモノ、自明なものをデザインし直して見ることで、

そのモノの真実が捉えられることがある。

 

たとえば水田は、水との関係、水とたたかいコントロールしてきた関係を

デザインした究極のものだと佐藤さんは捉える。

地球大学のモデレーターである竹村真一さんと佐藤さんは今、

「米 展」 の来年開催に向けて準備を始めている。

「当然、手伝ってくれるよね」 と言われているのだが、この人たちに関わると

とんでもないリクエストが舞い込んできそうで、コワい。

 

続いて細川モモさん。

現代の日本人の食の現実は、恐ろしい未来を映し出している。

子どもたちの間で成人病(予備軍も含め) が急激に増えている。

妊娠前の女性では、必要エネルギーを満たしてない、

極めてアンバランスなパターンが目立ってきている。

摂取カロリーは何と、終戦直後より低くなっている。

最大の要因は、朝食の欠食である、と細川さんは指摘する。

その影響は、低体重児の増加となって現われてきているが、

一方で最新の学説として注目を集めているのが

「成人病胎児発生説」(胎児期での飢餓が将来の成人病の原因となる) である。

 

男はメタボ、女は難民状態。

見えてくる日本の未来は、世界一の不妊大国であり、

生活習慣病増加が最も懸念されるハイリスク国家である。

人間としてのサステナビリティ(持続可能性) が壊れつつある、

それが今の日本の姿である。

 

3番目は、農水省・大澤誠さん。

食を文化としてとらえる社会を目指したいと語る。

農水省では3年前に 「食に関する将来ビジョン」 を策定し、

健康と食と医の連携という新分野への展開を模索している。

そして今月、「和食」(日本食文化) をユネスコ無形文化遺産に登録させるべく

申請を出したばかりである。

 

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外国人観光客が日本に来て期待する第1位は、日本食体験である。

和食の神髄は自然の美しさの表現にあり、

新鮮な食材は多様性に富み、素材の味を楽しむ特徴を持つ。

その土地の年中行事などともつながっていたりする。

これは文化そのものである。

またかつての米国・マクガバン報告を持ち出すまでもなく、

日本食はバランスのとれた健康的食生活のモデルとして

長く世界から評価されてきたものだ。

 

これからももっと日本食の大切さを普及する活動を展開していきたいと

抱負をけっこう熱く語る大澤さんは、実は

僕も参加させていただいた 「地域食文化活用マニュアル検討会」 の

仕掛け人でもある。

 

食は将来の子どもたちの、ひいてはこの国の生命に関わる重大事である。

ただ絶望している場合ではない。

何を、どう食べるのか。 日本食という OS を、どうデザインし直すか。

屋台骨が崩れ始めた日本人を、どう鍛え直すか。

いろんな立場の人を総動員して、

あの手この手で 「食の再生」 に向かう必要がある。

 

ということで、次はワールドカフェ方式によるセッション。 

各テーブルごとで感想や知恵を出し合い、最後に

「これからの日本の食」 についてのキャッチフレーズを考えてください、

というお題に挑戦する。

 

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ここで、普段から何気なく思っていたことを口にしてみた。 

「味噌汁が、けっこう決め手になるような気がしてるんですけど。」

朝、忙しくても 「味噌汁一杯」 なら実行できないか。 

晩ごはんの際に翌朝分も一緒につくっておいて、朝はさっと温めるだけでいい。

具は日によって変えてみる。 とうふにワカメ、しじみ、ネギ、大根・・・

味噌という醗酵食は体にもいい。 出汁も隠れた栄養である。

味噌汁はそして、必然的に和食を求める。

 

予想外にウケて、味噌から大豆の話、醗酵食、菌の話、

はては味噌汁全国大会の開催・・・ と展開された。

辿りついたキャッチフレーズは、これ。

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みそ汁で世界を救う! 

- 言った以上、実行しなくちゃね。 いえ、してますよ、これでも。

 

竹村さんが最後に締める。

「食」 は人を育てる根幹である。

いろんな食材をどうインターフェイスさせていくか。

持ち方・運び方・噛み方、そして誰と食べるか、

食べ方のデザインを考え直したい。

そして次世代の舌を育てるための 「食の大学」 を、この街に出現させたい。

 

いま、フランスで 「OBENTO」 という言葉が流行り始めているそうだ。

栄養バランスと彩りに配慮され、調和的に配置された一食分のパッケージ。

地球食の新たなデザインを発信する力が、まだ日本にはある。

いや、あるうちに、自分たち自身が、食の力をちゃんと理解し直すための

運動が必要なように思う。

 



2013年3月 5日

「食」 からの CSV

 

ダラダラと東京集会レポートを続けている間にもいろんなことがあって、

日々何がしか動いている。

お月さんのようにただ満ち欠けを繰り返しているだけでないことを願いながら。

トピックをいくつか残しておきたい。

 

2月25日(月)。

二日酔いで東京集会の服装のまま、

編集プロダクションからの取材を受ける。

福島県から委託を受け、6次産業化を推進するためのパンフレットを作成中とのこと。

しかし一次産業者が自ら農林水産物を加工・商品化して売り出すにも、

いかんせん今の福島では放射能に対する風当たりが強く、

新たな販路を獲得できる状況ではなくなってしまっている。

ただの手引書では生産者を後押しするものにはならないのではないか

と考えた結果、福島の生産者を支援している団体もあることを紹介し、

メッセージを掲載したい、ということである。

 

約2時間お話ししたのだが、

放射性物質の基準値の考え方、生産者と取ってきた対策の成果など、

かなりの時間が放射能対策の話となってしまった。

でも、こういう話が聞けてかえって心強く思ったとの感想をいただき、

こちらも安心した。

6次化では、まずは地域に貢献するものを、と強調させていただいた。

地域の潜在力やニーズとつながっていて、

ステークホルダー (その製品に関わる人々) が広がっていくようなもの。

まずは地元で消費され、自慢になるようなもの。

たとえば、帰省した息子がお土産に持ち帰りたくなるようなもの。

そういうものこそ持続し、発展する可能性も生まれるような気がする。

大消費地にいきなり目を向けても、そこは厳しい淘汰の世界である。

しっかりした価値 (土台) が設定されてないと、

一瞬の消費財として使い捨てられる  " モノ "  になりかねない。

何のための6次化なのか、目標を定めて取り組んでほしい。

 

このパンフレットがどういう範囲で配布されるのか、聞きそびれたけど、

撮られた写真が酒臭くないことを祈る。

 

続いて2月26日(火)。

夜、丸の内での 「地球大学」 の会合に出席。

座長の竹村真一氏が招聘したコア・メンバーと称する関係者での集まりで、

2012年度の活動を総括し、来年度からの展開について語り合った。

竹村さんらしい大きな構想が語られたのだが、

一年前に立ち上げたものの低空飛行を続ける 「つながる食プロジェクト」 の

課題も抱えている身として、偉そうなことは言えず、

ただ沸々と闘志を燃やすまで。

 


ひとつここで語られた内容を紹介すると、

これからの企業の社会的方向性は、CSR から CSV へと進む、ということだ。

 

企業がただ利潤を追求するだけでなく社会的な課題に対して貢献する、

いわゆる CSR (Corporate Social Responsibility、企業の社会的責任) は、

企業の本体とは別の活動と見られがちであったが、

これから求められるのは、社会的課題の解決を事業本体が担う

CSV (Creating Shared Value、共通価値の創造) である。

マイケル・ポーターというハーバード大学の教授が提唱したもので、

社会問題の解決と企業の利益創出を両立させる、という考え方。

この機能を街の中に埋め込んでいこう、というのが次の構想であり、

そのキーワードのひとつが、

万人に共通する生きる根本活動としての 「食」 である。

さて、僕らは何ができるか-。

 

しかし・・・ CSV って。

社会的課題に取り組むことで新たな価値を創出し、

結果として経済的価値も創造される。 そんな企業活動が求められつつある。

って、何をかいわんや! ではないか。

これこそまさに大地を守る会を誕生させた組織コンセプトに他ならない。

僕らは37年にわたってこの点で苦心惨憺、生きてきたのだ。

いよいよ時代がここまで喋り出した。

僕らはここで改めて腹を据えて、挑戦者魂を発揮させなければならない。

生きて、その向こうを目指してみようじゃないか。

  - とまあ、いきなり気合いを入れるのは簡単だけど、

   言えば言うほど自らの首を絞めることも分かっている。

 

2月27日(水)は、週刊誌 『アエラ』 の取材を受ける。

" あなたは福島の野菜を食べますか? "  をテーマに

各地でいろんな人の取材を続けてきて、どうも袋小路にハマってしまったようだ。

ご同情申し上げながら、

ここでも自分たちが取ってきたスタンスと取り組みを語るしかない。

答えは、ある意味でシンプルである。

事実を知る、影響について出来るだけの情報を集め、自らの判断基準を持つ。

生産地が対策に努めるなら、私は応援する。

それが未来の保証につながっていると確信する者だから。

応援の形は多様にあり、それは各々が決めることである。

 - 採用されるかどうかは分からないので、とりあえず忘れることにする。

 

3月1日(金)。

農林水産省が関係省庁と連携して進めてきた

「地域食文化活用マニュアル検討会」 の最後前のひと仕事、

巻末に掲載するという検討委員のコラムを書き終える。

付けたタイトルが、かなりクサい。

「食文化は、ふるさとの  " 風景への愛 "  とともに-」。

かなり情緒的な文章を書いてしまった。

読み返すとやっぱり気恥ずかしい。 しかしもはや書き直す気力なく、

「もう、どうでもしてっ」 と 「送信」 クリック。

あとは得意の開き直り精神で臨む。

 

「活用マニュアル」 という表現が、どうも上から目線的で気に入らない、

というのが委員の大方の意見で (そういうメンバーを選んじゃったのね)、

最終的に、

『 日本食文化ナビ -食文化で地域が元気になるために- 』

というタイトルで落ち着いた。

最終チェックがまだ残っているけど、

まあまあ自分なりに役割は果たせたか、という感じではある。

出来上りを見て、至らなかった点に気づいたりするのだろうが。

 

以上、先週のトピック 4本。

書いてみれば、すべてつながっていることに気づかされる。

「食」 からの CSV、体現するのは他でもない、、、と言わずにどうするよ。

 



2013年2月 6日

未来を食い尽さない 「地球食」-海洋編

 

順番が逆になって、日も経ってしまったけど、

この報告もアップしておきたい。

ニホンウナギがついに環境省のレッド・リストで絶滅危惧種に指定され、

ロシアでは生きたカニの輸出を禁止するという、

漁業資源存亡の危機がいよいよ目に見えてきた昨今の情勢もあるし。

 

1月21日(月)、丸の内・新丸ビル 「エコッツェリア」 にて開かれた

地球大学アドバンス [ 食の大学 ] シリーズ第5回。

未来を食い尽さない 「地球食」 デザイン

 -世界の海洋の現状と水産資源保全への取り組み-

 

70億に膨らんだ人類の海洋資源利用は、持続不能な形で進行している。

マグロをはじめ大型魚の 90% がすでに消滅し、

トロールや衛星技術で魚群を追跡する現代漁業は、

まさに地球の資本金を食いつぶす両刃の剣でもある。

海洋生態系のゆりかごである世界のサンゴ礁やマングローブも

乱開発で危機に瀕している。

また地球温暖化の影響か、水産資源の最も豊かなベーリング海でも

食物連鎖の底辺を支える植物プランクトンの増殖に異変が報告されるなど、

海洋資源の再生能力そのものの脆弱化も懸念されている。

 

未来を消し費やすような20世紀型の 「地球食」 のパターンを

いかにリセットしうるか?

" sushi "  などの魚食文化をグローバル・スタンダードに広めた日本が、

そして国際的な食のハブである TOKYO が、

そこにどんな新たなベクトルを提示できるか?

 (以上、今回のイントロダクションより)

 

今回のゲストは、

● WWF(世界自然保護基金) ジャパン・水産プロジェクトリーダー、山内愛子さん。

● MSC(海洋管理協議会) 日本事務所・漁業認証担当マネージャー、大元鈴子さん。

● 味の素(株) 環境・安全部兼CSR部専任部長、杉本信幸さん。

司会は例によって、竹村真一さん(京都造形芸術大学教授)。

 

海とのつながり、海洋資源とのつながりをどう再構築(回復)させるか。

地球を食い尽さない魚食文化のあり方を、今日は考えたい。

 - 竹村さんのリードで、3名の方からの報告を受ける。

 


まずは山内愛子さん。

WWF(World Wide Fund for Nature) は世界100ヶ国以上に支部を持つ

世界最大の自然保護団体で、1961年に設立された。

日本支部の設立は10年後の71年。 本部はスイスにある。

世界中に5,000人以上のスタッフを抱え、

500万人以上のサポーターによって支えられている。

 

世界では30億の人々が魚を動物性たんぱく源として暮らしているのだが、

漁獲量上位10種の魚がおしなべて枯渇に向かっている。

しかもその 28% が乱獲されている状態で、

いま水産資源の状況は分岐点に直面している。

減っている理由は、乱獲(過剰漁獲) に加え、

混獲(目的外の魚も一緒に獲ってしまう) による目的外魚種の海洋投棄、

そして IUU 漁業 (違法、無報告、無規制) がある。

養殖の分野では、南半球には存在しなかったサーモンが

チリのパタゴニア地方で養殖されるようになり、

逃げた魚からすでに10世代にわたって生息するまでになった。

それらの結果として生態系へのダメージが破局的に進んでいるのだが、

消費者は正確な情報が伝わらず、南米で養殖されたサーモンや

違法漁業による魚を食べさせられている。

 

そんななかで、WWF が取り組んできた事例として、

ロシア・カムチャッカ半島、オゼルナヤ川のベニザケ漁での

MSC 認証の取得を、財政面や技術面から支援してきたことが紹介された。

MSC とは、適切に資源管理された持続可能な漁業であることを認定する制度で、

認証された魚は、「海のエコラベル」 と言われる青いラベルを貼付して

販売することができる。

MSC によって認証されたシーフードは、環境に配慮された製品であるだけでなく、

トレース(原料の追跡) ができるという意味でも評価が広がれば、

そのぶん違法操業などを市場から締め出すことができる。

 

カムチャッカ半島で漁獲されたサーモンの 8割 は日本に輸出されている。

日本人にはぜひ、このMSC認証のベニザケを選んで食べてほしい。

(ちなみに大地を守る会の姿勢は、まずはちゃんと確認された国産を選ぼう、である。)

 

山内さんの話を受ける形で、大元鈴子さんが

MSC 認証についての説明を行なう。

詳細はこちらから ⇒ www.msc.org/jp

すでにヨーロッパを中心に80ヶ国で MSC エコラベルが採用され、

ドイツでは何と販売される水産品の半分が MSC 認証品だとか。 

その波は鮮魚や水産加工品だけでなく、ペットフード業界にまで及んでいる。

今年の1月24日には、米国マクドナルド社が、

国内すべての店舗で MSC 認証水産品を提供すると発表した。

日本では 250~300 の製品が流通されているが、

まだ一般的に認知されたとは言い難く、遅れている感は否めない。

 

味の素(株) の環境・安全部長、杉本信幸さんが取り組んでいるのは、

主力商品である 「ほんだし」 の原料となるカツオの資源調査である。

(独)水産総合研究センター・国際水産資源研究所とタイアップして、

「太平洋沿岸カツオ標識放流共同調査」 を進めている。

釣ったカツオに記録型電子標識(タグ) を付けて海に返し、

遊泳行動や移動経路の調査を進める、というものだ。

今はまだ 169 尾に装着して 7 尾を再捕獲できた段階。

記録型タグはかなり高価なため(1本10万円) 大量に付けることはできないが、

粘り強く継続させることによって、カツオの資源管理や

未解明な部分の多い生態の把握に貢献したいとのこと。

 

3名の報告の後は、ワールドカフェ と呼ばれる

グループに分かれての対話。

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テーブルごとに感想を出し合い、

持続可能な漁業に向けて何が必要なのかを語りあって、

模造紙に書き込んでいく。

最初はけっこう気恥ずかしかったのだが、最近は慣れてきた。

 

話を深めようとしたあたりでメンバー・チェンジが告げられ、

先のテーブルで話し合ったことなどをシェアし、

最後にテーブルごとに、話し合った結果をキャッチフレーズにまとめる。

 

僕のテーブルでは、最後に若者がふと漏らした言葉で

「それでいこう!」 と決めた。

『 食べる人も 育てている 』。

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「食べる」 とは、ただ 「消費」 しているだけではないのだ。

「食べる」 ことは、浪費にも、資源を育てることにも、貢献している。

他にも解釈可能なコピーっぽくて、短時間のわりにはイイ出来かも。

 

ハートのマークでひと言

 - 『 LOVE(愛) 』 とまとめたグループも。

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まあ人はそれぞれにいろんな視点で考えるんだね、という発見がある。

それにしても圧倒的に情報が少ない、いや、届いてないことに気づかされる。

ここに集う人は、多少 「食」 や 「環境」 に対してアンテナの高い人たちだと思うのだが、

普段食べているフツーの食材に関することなのに、

「海や魚のことについてまったく知らなかった」 という人が多かった。

たしかに、東京で普段暮らしていて、漁師さんに会う機会なんて、、、ないか。

 

日本人に、海が遠くなっていってる。。。

食の現場との距離感・・・ これこそ危機の本質的問題だろうか。

 



2013年1月19日

地域を元気づける食、への道筋は見えているか・・・

 

おさかな勉強会のレポートを書いている間にも、

ちょこちょこと動いていて、簡単な報告だけでもアップしておきたい。

 

1月16日(水)は、農水省の 「地域食文化活用マニュアル検討会」 に出席。

その土地の風土に根ざした伝統的食文化を、地域の活性化に結びつける、

その道筋を地域の人たちの力で見つけ、発信し、地域を元気にする、

そのための 「活用マニュアル」(仮称) の作成。

 

この課題に、竹村真一座長を筆頭に6人の委員が集められた。

ゴールが年度末と決まっているので、ダラダラとやってるわけにはいかない。

いよいよその具体的な構成の検討となる。

これまでの議論をもとに事務局から構成案が示され、

それをたたきながらブラッシュアップさせていく。

まあ委員はそれぞれのイメージを持っていて、銘々に言いたいことを言うのだが、

それらを受けて形にしてくる事務局はたいしたもんだ、と

今回は素直に感心させられた。

(いつも批判してばっかりでなく、評価すべきところははちゃんと評価しよう。)

 

委員が顔を揃えての検討会は、ここまでで 3 回。

短い議論で結果を出さなければならない。

もし違和感が残っているなら、その原因を絞り出さなければならない。

あと1ヶ月で。 けっこうしんどいぞ。

 


詳細は省かせていただくとして (議事録は HP でアップされます。要約だけど)、

最後に、委員の方々のコラムも入れたいとの提案を受ける。

ワタクシに与えられたテーマは、

「食の風景 ~その地域ならではの景観を生み出す食文化~ 」。

戎谷さんの発言に沿った感じでお題をつけてみたんですけど・・・

逃げられないように仕向けられている感じ。

 

また今回は、ゲストにノンフィクション作家の島村菜津さんが招かれ、

イタリアのスローフードの展開について解説いただいた。

島村さんとは、丸の内の 『地球大学』 でご一緒して以来、3年ぶりか。

北海道での取材から何とか帰って来ることができて、

自宅の雪かきをしているうちに 「予定が頭から飛んじゃって~」 と、

だいぶ遅れて息荒く駆け込んできた。

人間だもの・・・ みたいな姿を見るのは、内心楽しい。

 

イタリアから生まれたスローフード運動も、

今や世界的なムーブメントに発展してきているが、

背景にあるのは、20世紀後半からの

山間地の過疎化や農村文化の疲弊に対する危機感だった。

そこで地域文化の見直しの気運を後押ししたのは、外部の目や声だった。

何もないと思っていた地元の価値や財産への気づきは、

往々にして外との交わりによって生まれる。

我々の仕事は、そんな変化を助けるものになるだろうか。

ああ、会議よりも旅をしたい。。。

 

そして翌17日は、群馬での生産者新年会に出席。

場所は伊香保温泉。 

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参加者44名。 今回の幹事団体は 「銀河高原ファーム」。

挨拶されているのは、代表の山口一弘さん。

 

年に一回の、県下の生産者たちの顔合わせだからね。

みんなで温泉に浸かって交流を深めるのも悪くないよね。

とか言いながら、昨今エビが登場すると、話はカタくなってしまうのである。

新年会の前に会議室を用意してもらって、

大地を守る会の放射能対策の経過や現在の状況、これからの取り組み

などについて報告させていただいた次第。

しかし、ふつう会議室で小一時間も喋ると、

途中で居眠りを始める生産者がいたりするのだが、

今回はみんな真剣な眼差しで聞いてくれた。

いかにこの問題が、皆の心に影を残してきたか・・・

 

昨年の測定結果では、ほとんどの農作物は

「放射性物質不検出(=検出下限値以下)」 か、検出されても極めて低い値である。

しかし山や川からの影響も含めて、まだ油断はできない。

しっかりと事実を把握しながら、安全性を確保していきたい。

そのための測定ならいつでも協力する。

土でも水でも持ってきていいから (ただし必ず事前に連絡すること)。

しつこいようだけど、「子供たちの未来を守る」 ために頑張ってみせる、

と言える我々になろう。

 

宴会を終え、部屋に戻ってもみんな集まってきて、話は尽きない。

以前にこの産地新年会回り(全部で8ヵ所) を 「死のロード」 と呼んで

生産者からひんしゅくを買ったことがあったけど、そう言いながら内心は

生産者とどっぷりとやり合っていることを自慢したかったんだ。

農産グループから離れて、なかなか新年会に行けなくなって、

正直ちょっと寂しい。

 

「食」 と 「農」 が、地域を再生させる。

その道筋に立っているのなら、僕らはいつでも会える。

そう信じて歩き続けるんだね、このロードを。

 



2013年1月18日

魚を食べる資格を取り戻す

 

「日本人に魚を食べる資格はあるのか」

 - 勝川さんの話は続く。

 

日本の食卓は輸入に依存してしまっている。

しかし今や欧州の輸入単価が上がってきている。

すでに日本は90年代にアメリカに抜かれ、欧州に追いつかれた格好だ。

輸入量、金額ともに5年で半減した。

円高ならまだ買えるが、円安になると・・・ 魚は食べられなくなるかも。

 

では漁業資源は世界的に減っているのかと言えば、そうではない。

世界の漁業生産は、実は伸びている。

漁獲量上位15ヶ国のうち、この50年で減らしているのは日本だけ。

2048年に日本の漁業は崩壊する、という説がある。

最大値の10%を割るとその産業は消える、という論理だ。

このままでいいのか・・・

 

悲観してばかりいてもしょうがない。

方法はある。 

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漁業を発展させ、魚食文化を守るために、

ちゃんと資源管理を進めればよいのだ。

漁獲規制を行ない、漁船ごとに個別漁業枠を設ける。

そうすることで 「獲らなきゃ獲られる」 という悪循環の競争から脱却できる。

実際に資源管理で順調に伸ばしている国が存在しているではないか。

ノルウェー、アイスランド、ニュージーランド、オーストラリアなど。

残念ながら日本は崩壊中の国である。

 

ノルウェーが日本に魚を売って儲けている話は、以前に書いた通り。

獲り方とは、残し方なのである。

幼魚を成魚に育てて、食べる。

これは美味しい魚が手に入るという意味でもある。

乱獲スパイラルから脱却させ、利子で食えるようにしなければならない。

これは漁民個人のモラルではなく、制度の問題である。

 

太平洋クロマグロの9割以上は1歳までに漁獲されている。

6年泳がせれば自然と自給できるようになるのに。

乱獲をやめれば食卓も支えられるのに。

 

この国のもう一つの問題は、補助金にある。

「漁業振興のために」 使われる補助金の額は、日本はダントツなのだが、

その多くは港湾整備とかの名目で土木事業に流れる。

このままでは、いくら補助金を増やしても資源は増えない。

 

税金が、海のためでも漁師のためでも食べる人のためでもない何ものかに

吸い取られていく構造が、ここにもある。

変えるためには、国内世論が形成されなければならない。

政治はとても大切なことなのだが、

多くの国民は実態を知らされてないがために、無関心のままでいる。

欧米では、自然保護団体が大きな役割を果たしている。

外からのサポート勢力を育てたい。

 

消費者教育も大事なことである。

消費には責任が伴うことを、もっと考えてほしい。

" 持続的に獲る - 持続的に食べる "  の関係を築きたい。

 

魚屋さんという存在も貴重だった。

昔の魚屋さんは、サカナの知識や食べ方というソフトウェアも一緒に売っていた。

今はただスーパーの棚に切り身が並ぶだけで、

消費者は 「魚離れ」 ではなく、「魚知らず」 になってしまっている。

関心がないワケではない。 知る機会がなくなってきているのだ。

「サカナくん」 なんていうタレントが人気を博す国なんて、他にない。

こんな国でもまだまだ希望はある、と思いたい。

 

「価格」 「味」 「鮮度」 に加えて、

「持続性」 という新しい価値を創造したい。

 

勝川講座レポートは、ここまで。

勉強会のあとは、丸の内のお店 「Daichi & keats」 で新年会。

 

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勝川さんを囲んで、あるいはめいめいに輪をつくって、

海の問題、魚の問題、天下国家の問題、その他バカ話など織り交ぜながら、

大いにはずんだのだった。

 

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帰宅し、出刃と刺身包丁を取り出して、久しぶりに研いでやる。

ゆっくりと、錆びつつある自分の根性も研ぎ直したく。

 



2013年1月16日

日本の魚は大丈夫か-

 

未来のために、持続可能な食べ方をしましょう。

 - 三重大学資源生物学部准教授・勝川俊雄さん(農学博士) が語る。 

 

1月12日(土)、 専門委員会 「おさかな喰楽部」 による新年勉強会。

テーマは、勝川さんの本のタイトルそのまんま、

「日本の魚は大丈夫か」。

場所は、魚といえば築地だと、「築地市場厚生会館」。

分かりやすい、一本気な魚屋たち。

 

予告でも書いた通り、

昨年8月18日に実施した 「放射能連続講座・第4回-海の汚染を考える」 で、

「勝川さんの専門領域の話をじっくりと聞きたい」

という要望がたくさん上がったことに応えて、おさかな喰楽部が設定してくれたもの。

今回は、放射能連続講座で訴えられた内容を、

豊富なデータを基に掘り下げる形で展開していただいた。

 

以前報告した内容 (8/25 「インフラ復旧の前に、産業政策を!」

とかぶるところは割愛しつつ、メモと記憶を頼りにいくつかピックアップしてみたい。

 

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水産資源に関しては、国内外で時に真逆の論調がされることを、

まずは頭に入れておいてほしい。

たとえばクロマグロ。

その数は最盛期の5%にまで減少(95%減) したと諸外国は指摘する。

しかし日本では、3.6倍に復活してきている、という主張がなされている。

日本の主張は受け入れられるでしょうか。

 

国内では二つの論調がある。

ひとつは、日本人の魚離れが進んでいる、もっと魚を食べよう、という主張。

もうひとつは、水産資源が枯渇していってる、資源を回復させよう、という主張。

 

問題は消費ではなく、供給の側にある。

魚の消費量は、言われるほど減ってはいない。

そもそも日本人は、(海の周辺を除いて) 戦前まではそれほど魚を食べていない。

魚の消費量は、実は冷蔵庫の普及とともに増えてきたのである。

 

日本は世界第2位の漁獲量を誇りながら、世界一の水産物輸入国である。

漁獲量1位のアイスランドの自給率は 2,565 %。

かたや第2位の日本の自給率は 62 %。

いかに魚を食べているか、ということを数字は物語っている。

(自給量+その2/3ぶんを余計に消費している計算。)

 

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戦後、漁獲量が増えていったのは、

マイワシ・バブルのような時代があったお陰だが、

それも80年代をもって崩壊した。

また60年代まではひたすら漁場を拡大できたが、

70年代の200海里設定で、日本は漁場から締め出された。

 

東シナ海は世界有数の魚場であったが、

戦前に開発されたトロール船による底引網漁で乱獲が始まり、

マダイなどの高級魚は10年で獲り尽されてしまった。

戦争によって一時的に資源の回復が進み、

戦後、過ちを繰り返すなと言われながら、結局同じ失敗の道を歩んだ。

今は、漁業者の9割が資源量の減少を実感しているのが現実である。

 

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天然の魚がダメなら養殖があるじゃないか、という人がいる。

しかし実際には、養殖生産は頭打ちになっている。

魚の養殖は、ブリ(ハマチ)、マダイで9割を占めていて、

多様性がなく、天然の替わりにはなり得ない。

しかも餌は天然魚!なのである。

クロマグロを 1 ㎏太らせるのに 15 ㎏のマイワシやサバの幼魚が必要とされる。

70~80年代の養殖は、マイワシの豊漁で支えられたものだった。

つまり養殖とは豊富な天然魚の存在を前提とした産業であり、

天然より厳しい生産方式であることを知らなければならない。

(海藻などエサを不要とする養殖は別。)

 

しかも資源量の減少とともに、餌である魚粉の価格はどんどん上昇している。

すでに供給力は一杯一杯の状態で、ペルーのカタクチイワシによる魚粉は

EUと中国の争奪戦となっている。

今年、ペルーはカタクチイワシの漁を 70 %までに規制した。

 

タイやハマチの養殖では、原価の8割が餌代になっている。

これでは人件費は出ない。

この10年、漁業者は全体で2割減となっているが、養殖漁業者は3~4割減少した。

稚魚を放流して資源量を回復させる、いわゆる  " 育てる漁業 "  があるが、

成功した事例であるヒラメを見ても、実際は増えもせず減りもせず、という状況である。

 

そこで問いたい。

「日本人に、魚を食べる資格があるのか?」 

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2007年、ヨーロッパウナギの輸出が規制されたが、

食べ尽くしたのは日本人である。 資源はほぼ壊滅した。

日本のシラスウナギ(幼魚) は、河川の構造変化もあって減少の一途を辿り、

結果的に獲り過ぎとなり、価格が上昇し、鰻屋さんは閉店してゆく。

 

そもそも、鰻を食べるということは、文化的と言えるのか。

養殖が定着する前は、ウナギを食べることは特別なハレの食事であった。

しかし今は持続性無視の薄利多売の商品となっている。

何というお手軽消費であることか。

漁師たちが乱獲なら、消費者は乱食、ツケは未来に・・・

頼みとすべき水産庁が、消費拡大のために企画したキャンペーンが、

ファーストフィッシュ。

つまり、お手軽に食べられる水産加工品のコンテストだ。

 

何だか絶望的な話ばかり続けているね。

気持ちを切り替えよう。 とりあえず今日はここまで。

 



2012年12月 2日

水とともに 「未来を拓く農業」

 

会津・喜多方市山都町 「堰(せき) と里山を守る会」 から

しばらく前に届いていたお米 - 「上堰米」(じょうせきまい) を食べる。

今年5月の堰さらいボランティア に参加したお礼として送られてきたものだ。

コシヒカリとヒトメボレが一袋ずつ。

堰さらいの写真が貼られている。

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下手な写真が腹立たしいのだけれど、

ピカピカと輝いていて、本当に美味しい米だった。

10月に行なわれた須賀川での 「備蓄米収穫祭」 でお土産にもらった新米も

美味しかった。 福島の米はやっぱ、ウマいと思う、掛け値なしで。

 

同封されていた 「上堰だより」 によれば、

越冬のために家に入ってくるカメムシの数はいつもより少なく、

カマキリの卵の位置は低めで、ソバの背丈も低かったそうで、

「今年の冬は積雪量が少ないかもしれません」 とある。

 

また、10月にインド・ハイデラバードで開かれた

国連生物多様性条約第11回締約国会議(COP11) の

サイド・イベントに参加された浅見彰宏さんの報告も記されている。

サイド・イベントとは、政府間で議論する本会議に対して、

NGOが企画する対抗イベントのこと。

「農業は土や水を通して生態系の保全と関係が深く、農業と原発は両立できない」

と英語で訴えてきたそうだ。

そして 「堰と里山を守る会」 の活動を、美しい風景とともに伝えることができたと。

すごいなあ。 浅見彰宏は国際人だ。

 


ここで、浅見さんが11月に出されたばかりの本を

紹介したい。 

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コモンズから、「有機農業選書」 のシリーズとして出版された。 1900円+税。

「 会津の山村へ移住して16年。

 有機農業で自立し、江戸時代から続く水路を守り、

 地域社会の担い手として活躍する、社会派農民の書き下ろし」 とある。

 

「ひぐらし農園」 と名づけた山村農園での四季の暮らしが綴られ、

有機農業の世界に飛び込んだ経緯やⅠターンゆえの苦労、

そして地域の人々との関わりや堰を守る活動から獲得してきた

農への思い、農の哲学が、実に読みやすいタッチで語られている。

放射能汚染とたたかってきた苦悩も、苦悩で終わらない、

有機農業の力と明日を信じる浅見さんの願いが伝わってくる。

 

最後のほうで思いがけず、大地を守る会とのつながりと

「会津の若者たちの野菜セット」 企画が実現したくだりも紹介されていて、

嬉しくなってしまった。

 

最後に掲げられた浅見彰宏の信条。

「 ひぐらし農園のめざす農業は 『未来を拓く農業』 でありたい。

 そのためには、社会性があり、永続的であり、科学的であり、誠実であること。

 そして、排他的であってはならない。」

 

イイね。

浅見さんが農から発信するなら、僕はこの地平から応えたい。

そしてつなげてゆきましょう、人と人を、価値と価値を。

未来開拓者は、いま、あらゆる分野から生まれ出なければならないのだ。

 

食べものと環境とのつながりを見つめ直し、

暮らしをどう設計するか、し直すか、

一人一人が立ち止まって考える時代にあって、

16年前に、農の世界に、しかも雪深い山村に飛び込んだフロンティア、

「社会派」 農民が描く未来のかたち。

ぜひたくさんの人たちに読んでほしいと思う。

 



2012年11月13日

ブナ1本で 一反の田を

 

  森は此方に海は彼方に生きている 天の配剤と密かに呼ばむ (熊谷龍子)

                                                 - 『森は海の恋人』 より -

 

11月3日、5年ぶりの参加となった秋田でのブナ植栽。 

(大地を守る会としては第3回から連続で参加している。)

前日、畠山さんのお話を聞いた後だけに、

彼方の海を思い浮かべながら、源流の森へと入ってゆく。

いや河口の村から水のふる里に、今遡っているのだ。

 

まだ目新しい、キレイな看板が立っている。

今日のために立てたのかしら。

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ネコバリ岩以外は、今しがた通ってきた場所の案内だ。

「三平の家」 とは、映画 「釣りキチ三平」 のロケに使われた茅葺の家のこと。

 

それにしてもスタッフの方々は大変だ。 

わずかな事故も一人の怪我人も出さないよう、よく気を配られている。

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ネコバリ岩の下に橋をかけ、落ちないように人柱で立って。

ここの水は冷たいし、今日は水量も少々多い。 通るのが申し訳なく思えてくる。 

 

2005年から拠点にしている第3植栽地の集合場所。

見慣れた横断幕が掲げられている。

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南秋田郡五城目町の役場から出発すること約一時間。

八郎潟に注ぐ馬場目川の上流部にやってきた。 

源はこの先にある標高1037 m の馬場目岳である。

 

今年の参加者は150人くらいか。

大地を守る会からは、過去最高の18名が参加。

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諸注意を受け、班分けして、鍬と苗木を担いで、出発。

我々は5班にあてがわれる。 

少し登って、着いてみれば割と平坦な場所で、気持ち的には楽勝って感じ。

いざ作業開始。

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黒瀬友基くんもスタッフ仕事の合間に、木を植える。

子どもたちの未来のために- 

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親父の正さん。 大地を守る会会員の方と一緒に。 

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黒瀬さんにとっては、減反政策とのたたかいも、

水源の環境維持も、おそらく同義である。

ともに食の基盤を守る作業であり、農の自立と直結した営みなのだ。

 

自立した農民でありたいからこそ、未来を見据えて木を植え、

将来の水を担保させる。

これは 「当たり前の値段でお米を買い、食べ続ける」 ことが、

すなわち水を守ることにもつながっている、ということでもある。

だから僕は前から機会あるごとに、

こういう米には消費税はかけないで、それによって消費を応援すべきだ

(食べることで国土が守られている=税金を軽減させてくれてるんだから)、

と主張しているのだが、誰も耳を貸してくれない。

消費は何でも同じではないのに。

 

安全な食の安定供給と環境を支える力は、税金に頼る前に、

こういう作業を当たり前のようにやる農林漁業の存在であり、

「食べる」(=買い支える) ことで彼らとつながる消費 (者) の存在である。

一次産業の環境保全機能を維持させる 「生産と消費のつながり」 は、

社会の基盤づくりでもあるのだ。

 

思いっきり鍬を振る。 意思を込めて。

 

20年続けてきて、ほぼ予定の植栽地は植え終わったということらしい。

今年はいつもより本数が少なく、思ったより早く終了。

5 班の方々、お疲れさまでした。

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20年間で、植えた広葉樹が15,130本。

持続こそ力、だね。

 

今年も変わらず、美味しい水だった。

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永遠に涸れることなく、田畑を潤し、海の森も育ててくれ。

 

作業後は、里に下りて、廃校となった小学校の校舎で交流会。

毎年のように来てくれるソプラノ歌手、伊藤ちゑさんの

「ぶなっこコンサート」 も開かれる。 

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(顔が暗くなっちゃって、スミマセン。)

 

オー・ソレ・ミオ、少年時代、もみじ、ハレルヤ、、、、

そして 「ふるさと」 やテーマソングである笠木透の 「私の子供たちへ」 を、

みんなで合唱する。

 

交流会後、オプションで始めた頃の植栽地を訪ねた。

今も残る、第1回(1993年) の時の看板。 

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しっかりしたブナの森に育ってきている。

その陰には、夏の下草刈りなどの管理作業も欠かさない

生産者たちの汗がある。 

 

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カモシカのフン、発見。 

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しかしよく見ればあちこちに、いやけっこう至る所に、落ちている。

野生動物も増えているらしい。  

森は生き物たちと一緒に包容力を増してきている。

 

植えて19年目を迎えたブナに抱きつく黒瀬正。

「よう生きてくれたわ。 こいつは大きゅうなるでぇ」 と破顔一笑。 

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古くから、「一尺のブナ一本で 一反の田を潤す」 と言われる。

約 30 cm のブナ一本で 10 a の田を、

反収 8 俵強とするなら約 500 ㎏ (玄米換算)

= 3世帯ほどの一年分の米を、育てる計算である。

 

この森が、海の魚も増やしているとしたら、、、

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僕らはやっぱり 「生産性」 という概念の捉え方とモノサシを

根底から変えなければならない時に来ているのではないか。

 

「馬場目川上流部にブナを植える会」 の活動は、

今後は植林より山の管理作業が中心になっていく。

来年も植えるかどうかは未定、とのこと。

 

それでも、できることならこれからも来たいと思う。

断続的とはいえ18年、眺め、歩き、木を植えさせてもらった山である。

自身の心にも木を植えてきたと言えるなら、その育ち具合を見つめ直すためにも。

 



2012年11月12日

心に ブナの森を

 

水は生命を支える土台であり、しかも  " 水系 "  は

エネルギーも提供してくれる重要な地域資源になる。 

地域の力でエネルギーを創り出せば、

お金(富) も外に出てゆくことなく、地域で循環させることができる。

 

その資源の源といえば、森に他ならない。

森と水系をしっかりと守りさえすれば、

水はいつまでも私たちに安心の土台を与え続けてくれる。

 

しかし、水資源の涵養が維持されなければ、水流はやがて途絶える。

あるいは鉄砲水となって麓や町に災害をもたらす。

そのあとには水不足が待っている。

またひとたび水系が汚染されると、

人々は未来への予知不能な不安に怯えることになる。

まさに今の世がそうだ。

僕らは水が教えてくれる大もとの作業も忘れずに続けなければならない。

人の心に木を植える。。。

 

栃木・那須から帰って、一日おいて11月2日、秋田に向かう。

第20回に到達した 「秋田・ブナを植えるつどい」。

記念講演も用意され、

この地でブナを植える活動のきっかけを与えてくれた畠山重篤さんが呼ばれた。

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秋田行きの 「こまち号」 が強風のためだいぶ遅れ、

会場である五城目町の 「五城館」 に着いた時は、

すでに畠山さんの講演が始まっていて、元気な声が会場の外まで聞こえてくる。

身振り手振りを交えながら、畠山ワールドの展開。

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畠山さんの話は後半しか聞けなかったけど、

おそらくは震災の凄まじい体験から始まり、自然の力あるいは偉大さ

(もしかしたら人間というもののちっぽけさ) が語られ、

おそらくは生命が湧くほどに豊か " だった " 幼少の頃の暮らしも語られ、

山や森とのつながりへと展開されていったのではないかと推測する。

 

山の落ち葉らの腐植から生まれるフルボ酸が鉄とくっついてフルボ酸鉄となり、

川を伝って海に運ばれながら植物やプランクトンを育てる連関。

僕が椅子に座った時は、まさに畠山さんの十八番(おはこ) である

" 地球は鉄の惑星でもある (鉄があったゆえに植物が生まれた) " 

の世界へと聴衆を誘っているところだった。

 

シベリアからオホーツク海を経て三陸にいたる陸と海のメカニズム。

学者たちが後追いのような形で証明してくる生命のつながり。

津波の後、例年より強い勢いで育っているカキたちと自然の奥深さ。

さらにはカキという生物の面白さ・・・ 全身で表現する畠山重篤さんがいた。

元気になって、ホントよかった。

 

畠山さんは昨年2月、

国連森林フォーラムが 「2011年・国際森林年」 にちなんで設定した、

森を守るために地道で独創的な活動をする 「フォレスト・ヒーローズ」

8人の一人として選出され、世界から称えられた。

 

授賞式はニューヨーク・国連本部で行なわれた。

そこで貰ったという金メダルを見せてくれる。 

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今や世界から注目される  " 森のヒーロー "  となった畠山さん。 

「 " 森を守る "  功労者に、漁師を選んでくれたことが嬉しい」 と語る。

「これは、森を考える時は川や海のことも考えよう、というメッセージになった」 と。

 

  森は海を海は森を恋いながら悠久よりの愛紡ぎゆく (熊谷龍子)

 

 - これからも広葉樹の森を育てながら海を守っていきたい。

地震と津波というとてつもない災禍や絶望を超えてきて、

この人のなかにある木は、さらに巨きく枝を伸ばし葉を繁らせたように思う。

震災後の牡蠣のように。

 

秋田から帰ってきて、久しぶりに 『森は海の恋人』

(1994年・北斗出版刊、今は文春文庫で買えます) を手に取った。

山にも海にも、たくさんの生き物(幸) が

当たり前のように満ち満ちていた時代があった。

例えばこんなくだりがある。

 

  広葉樹の山々の沢から流れる水は、どんなに大雨が降っても濁ることはなく、

  川には魚が満ち溢れていた。 岩魚(いわな)、山女(やまめ)、鰻、いくらでも採れた。

  夜突きといって、松の根に火を灯して、夜、川に入ると、

  一尺五寸を越す岩魚がウヨウヨしていた。

  いつでも採れるので、食べる分しか採らなかった。

  山女も、鱒(ます) のような大きなのが居て、ヤスで突いて何なく採った。

  腰に下げたフクベは忽ち重くなり、家に帰ると直ぐ割いて竹串に刺し、

  炉端で焼いて御菜(おかず) にした。

  「ほんとに夢のようでがす!!」 とおばあちゃんも、目をしばたたかせている。

  夢のような話は、まだ続く。

 

山と海の深いつながり (「木造船は、海に浮かぶ森であった」 とか)、

子供を一人前の漁師に育ててゆく人と自然と生き物たち、

そのつながりがもたらす豊饒の世界が、実に愛情深く描かれている。

加えて、関係を断ち切ってゆく 「近代」 という波がもたらした貧しい世界も。

熊谷龍子さんの格調高い短歌を配置して、

これはすごい文学作品だと、改めて思ったのだった。  

 

講演会が終わった後、畠山さんにご挨拶をして、いつぞやのお礼を言う。

かすかに覚えていてくれたか、いやどうだか分からないが、

でもまあ 「ああ! おーおー」 と笑って応えてくれた。

これだけで、僕は満足。

 

夜は、「ライスロッヂ大潟」 代表・黒瀬正さん宅で、

懇親会という名の楽しい宴会。

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黒瀬さんが男鹿の港の市場から調達してきたマグロと、

いつも陣中見舞いに来てくれる安保農場・安保鶴美さんのきりたんぽをメインに、

今回の秋田の地酒は、銘酒 「白瀑(しらたき)」。

 

黒瀬さんと安保さん。

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黒瀬家は家族も増えて賑やかだ。

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息子の友基・恵理さん夫妻に、

長男・悠真くん(5歳)、長女・花穂ちゃん(3歳)、次女・志穂ちゃん(1歳)。

 

本番を前にして、例によって飲み過ぎ、

もうずいぶん古い付き合いになった奈良のSさんと遅くまで語り合ったのだが、

朝になると何を話したのか、どうも思い出せない。

これは大事なことや、大事なことやからエビちゃんに伝えておくんやぞ、

とか言われていたように思うのだが・・・

スミマセン、Sさん。 また来年もお願いします。

 



2012年10月26日

アーバン・オーガニックラボ

 

今日は、クリエイティブ・ディレクターのマエキタミヤコさん (「サステナ」代表)

から依頼があって、「アーバン・オーガニックラボ」 なる集まりに参加した。

大地を守る会の話をしろという。

 

場所は赤坂にある 「日本文化デザインフォーラム」(JIDF) の会議室。

JIDFは30年の歴史があり、もとは任意団体として発足した組織だが、

震災後、より社会に貢献するために、一般社団法人として組織替えした。

アート、デザイン、建築、科学、哲学、都市計画・・・・・・ などなど、

多彩な分野で活躍されている専門家約120名が集まっていて、

それぞれの専門ジャンルの枠を超えて、会員相互で交流、啓発し合うことで、

これまでにない発想を生み出し、多角的な視点から

日本及び世界の 「文化をデザイン」 することを目指している (HP より)。

理事長はソーシャル・プロデューサーの水野誠一さんという方で、

副理事長にアーティストの日比野克彦さん、

顧問には何と哲学者の梅原猛さんという大御所が名を連ねている。

 

そこで会員自身が呼びかけて、そのテーマに興味あるメンバーが集まり、

意見交換し合うという場が 「ラボ」 と呼ばれているようで、

今回呼ばれたのは、水野さんが座長(ラボ・マスター) を務める

「アーバン・オーガニックラボ」 という研究会。

 

都市に、仕事や企業という枠にはまらない文化コンテンツを付加させながら、

オーガニック(有機的) な魅力を持った空間に高めていく。

有機的な人と人のつながり、人と仕事のつながり、人と暮らしのつながりのある

オーガニックな都市づくりについて、外部ゲストを交えて考える。

う~ん、、、美しいイメージだが、

「仕事そのものをどう創るか」 に日々明け暮れてきた模索者としては、

多少の違和感も抱いてしまうのである。

いやむしろ、「枠にはまらない」 と言いつつも、実は

仕事の質や関係のありようがいろんな場面で問われている、

そんな時代に入っていることを映し出しているということかもしれない。

とにかく僕は、大地を守る会の話しかできないし、と開き直ってドアを叩く。

 


夕方5時前くらいから、メンバーが順次集まってくる。

全部で20数名。

今回のゲスト・スピーカーは、僕も含めて4名。

どうやら大地を守る会には以前から藤田代表に依頼がされていたようで、

日が合わずに延び延びになっていたところ、逃げられないと観念したか、

「戎谷なら出せる」 ということになって追加で設定されたようだ。

何だか僕が一番の暇人みたいだけど、

こっちだって 「社長命令!」 によって急きょ予定を変更したのであって、

どうも  " ハメられた "  感が拭えない。

 

しかし、とは言え、異業種交流は嫌いではない。

今まで知らなかった世界や仕事に出会い、新しい発想を学ぶこともある、

ラッキーで美味しい仕事だと、内心は思っている。

 

さて、ゲストの方々のお話を解説し始めると相当長いものになってしまいそうなので、

それぞれのHPを紹介することでご勘弁願うこととしたい。

 

まずは、「オアゾ」 という会社の代表をされている松田龍太郎さん。

「オアゾ」 といっても丸の内のビルのことではない。

oiseau - フランス語で 「鳥」 を意味する言葉で、

" さまざまな種類の鳥たちが、木から木へ、土地から土地へ、飛び回り、

 新しい実を運び、新しい巣を作っては、心地よい歌声を披露し、

 新しい生命(いのち)を、その土地で育みます。"

そんな鳥のように、華麗に、そして繊細でしっかりとした 「ものづくり」 に励む

女性たちによって、企画・制作・運営を行なう。 

すべてがデザインに関わる女性たちで構成され、

企画やプロジェクト単位でチームを編成する仕組みらしい。

青森県十和田では、人・モノ・コト を 「bank」 (積み上げる?) という発想で

集め、束ね、新しい価値を産み出そうとしている。

男性は代表の松田さんのみだと。 僕にはできない、ゼッタイに。

 

次は 「リアルゲイト」 という不動産会社の岩本裕さん。

バブルがはじけて行き詰まりかけたビルをリメイクさせて、

起業家やアーティストたちのシェア・オフィスとして展開する。

普通の企業を相手にしていては見えなかった人々が現われ、

ビルをシェアし合い、つながりが生まれ、新しい価値が創造される。

そんな可能性を導くことができる、不動産業の新しい姿が語られた。

 

3番目は、「ギリークラブ」 や 「料理ボランティアの会」 を運営する、

渡辺幸裕さん。

人生の達人というのは、こういう人を言うのだろうと思わせるほどに、

楽しく人をつなげ、そのネットワークによってさらに活動の幅を広げていく、

実にエネルギッシュな方である。

「ギリークラブ」 とは、完全会員制かつ完全紹介制によって運営される、

カルチャー・センターのようなもの。

渡邊さんが 「ギリー」(案内人) となってアレンジした 「キーマン」 が、

毎回特定のテーマに沿ってミニ・セミナーを実施する。

その内容に関心を持った会員が参加し、ゲストと自由に意見交換する。

テーマはまったくフリーのようだ。

ワイン講座や生産地訪問など食関連が一番多いようだが、

歌舞伎セミナーや観劇といったエンタメあり、広告・マーケティング関連あり、

企業探訪あり、国の研究あり。

正会員は500名ほどで、年間150回ほど開催されている。

 

「料理ボランティアの会」 では、一流シェフによるボランティアを組織して、

" 食による被災地支援 "  を展開している。

有名ホテルの料理長はじめ、名だたるシェフが集められていて、

被災地を訪ねては現地で料理の腕をふるい、食べてもらう。

逆にホテルに招くこともある。

すごいネットワーク力と行動力である。 感服。

 

さてさて、僕の話はというと、いつもの調子。

大地を守る会の設立背景 (=食の時代状況) から始まり、

生産と消費をつなぎながら、一から仕事を作ってきたこと。

今の事業や社会的活動の概要、今直面している課題と夢について。

 

質疑では、放射能の問題やTPPなど、やはりこういうメンバーならではの

社会的な質問が多かった。

そしてお一人から、こういう感想を頂戴した。

「食が環境とつながっている。 食べることで環境を守る。

 この視点は、今まで考えもしなかった、新鮮な発見です。」

一人でも、そう言ってくれた方がいたことで、今回は良しとしたい。

 

食は社会の土台だと思っている。

したがって、どんな仕事とも、本当はつながることができる。

もっともっと、いろんな人とつながりたい、

そんな思いを強くして帰ってきたのだった。

 



2012年10月18日

御食国(みけつくに) 若狭・おばま を訪ねる

 

先週の久慈市山形町に続いて、今週は福井県小浜市を視察。

 

16日(火)、幕張から東京-米原-敦賀-小浜と、電車を乗り継ぐこと約5時間。

福井県の南西部、日本海側で唯一といわれるリアス式海岸が連なる若狭湾。

その真ん中に、小さな半島に挟まれた形で小浜湾がある。

暖流と寒流が交差する良好な魚場を有し、

奈良・飛鳥の時代より海産物や塩を朝廷に献上した

「御食国 (みけつくに : みけつ=天皇の食材)」 を謳う町。

背後には天然ブナ林が広がって、名水百選にも選ばれた水のきれいな町。

「地域食文化活用マニュアル検討会」 で、

藻谷浩介委員(日本総合研究所・主席研究員) が、

「 原発銀座といわれる若狭のど真ん中で、

 原発経済に依存せず、食と環境を守ろうとする姿勢に敬意を表したい」

とエールを送った町。

たしかに地図で見れば、右は敦賀に美浜、左は大飯、長浜である。

 

そんな町で、2000年、当時の市長が音頭を取って、

「御食国」 の伝統と文化を柱にした 「食によるまちづくり」 が宣言された。

01年、全国初となる 「食のまちづくり条例」 が制定され、

翌年には 「食のまちづくり課」 が設置される。

市内12の地区ごとに市民主体の 「いきいきまちづくり委員会」 が立ちあがり、

そこから上がってきた提案がなんと 900!

04年には、その市民提案をもとに

「小浜市食のまちづくり基本計画」 が策定されるとともに、

「食育文化都市宣言」 が採択された。

 

03年、食のまちづくり活動の拠点施設として建設された

「御食国若狭おばま食文化館」。 

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市の本気度がうかがわれる。

 

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小浜市は、塗り箸の一大産地でもある。

国産塗り箸に占める若狭塗り箸のシェアは、約9割を誇る。

 

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小浜を見ずして箸を語るなかれ、と言わんばかりに迫ってくる。

 

こんな展示もある。

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館内に設えられた 「キッチンスタジオ」。

今日は幼児の料理教室 「キッズ・キッチン」 が開かれたとのこと。

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公費負担で、市内すべての保育園、幼稚園の年長児を対象に開かれる。

幼児たちにちゃんと包丁を持たせる料理教室。

しかも竈(かまど) でご飯を炊くというこだわり。

親は見守るだけで口出ししてはいけない、というルール。

食材に興味を持たせるよう様々な仕掛けが工夫され、楽しみながら

食に対する積極性を引き出させる。

「キッズ・キッチン」 は料理の手順についての指導だけでなく、

食文化、マナー、協力し合うこと、約束を守ること、他人を思いやることなど、

いわゆる躾(しつけ) まで学べる機会として、

市外からも参加希望があとを絶たないという。

 

先生は、地元の若いお母さんたちで結成された

「食育サポーター」 の面々。

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子育て真っ最中のお母さんたちが、トレーニングされるだけでなく、

食文化の指導者として継承されていく。

 

さらにここのスゴイところは、「生涯食育」 と銘打って

ベビーから高齢者までプログラムが用意されていることだ。

都会に出て一人暮らしを始める高校生や大学生を対象にした 「新生活応援隊」。

団塊世代の男性料理教室 「男子厨房」。

さらに高齢者のための 「健康に食べよう会」。

これらがここキッチンスタジオで展開されている。

もちろん小中学校での農林漁業体験や生産者による出前講座なども意欲的である。

 

そして 「校区内型」 地場産学校給食の実践がある。

市町村単位ではない、市内15の小中学校すべてで、

学校区内の生産物が採り入れられている。 地元で水揚げされた海産物も含めて。

 

給食の時間には、校内放送で生産者の名前が紹介される。

生産者の畑には、生徒たちが描いた 「似顔絵看板」 が立てられている。

生産者の方々を学校に招待する 「給食感謝祭」 が開かれる。。。

生産者はもう、食の安全や環境まで気を配らざるを得なくなる

まだ少ないが、「有機」 の増加に向かっての目標も掲げられている。

2009年からは、小浜市産の米による完全米飯給食が実施されている。

食べ残しは格段に減り、生徒の欠席率も減少し、学力テストも伸びている

(全国レベルでみても高い水準) との報告である。

 

他にも、食生活改善推進員の有志で結成された 「グループマーメイド」 の活動、

福井県立大学との連携 (共同研究や学生たちの出張授業など)、

「食の達人」 「食の語り部」 認定事業、若狭おばま認証制度、

京都・橘大学による外部評価制度などなど、

食のまちづくりに向けた取り組みは枚挙にいとまがない。

 

これら一連の取り組みを下支えし、発信するのが

「食のまちづくり課」 政策専門員の中田典子さん。

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食の総合政策を掲げた自治体で、民間から招聘された立場として、

その思想の具現化と市民への浸透、さらには一次産業での実績づくりと、

まだまだ課題も多いと言いながら、凛とした獅子奮迅ぶりである。

 

調査に同行された

日本人のたたかう体をつくる」 予防医療コンサルタント・細川モモ委員といい、

この国は女がつくったほうがいいのではないか、という気にさせられる。

 

「京は遠ても18里」

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小浜と言えば、鯖 (サバ) である。

塩を振って京に運ぶ。 着いたころに塩が馴染んでちょうど良くなる。

運ばれた道は 「鯖街道」 と呼ばれた。

 

いろんなサバ料理が楽しめる若狭おばま。

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(「福喜」 という古くからある宿で頂いた〆鯖)

 

しかし今やそのサバも、ノルウェー産に頼らざるを得なくなってしまった。

その現状は、放射能連続講座第4回 で、勝川俊雄さんが解説した通りである。

 

浜まで足を伸ばしてみる。

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写真正面から右に向かって薄く見えるのが、おおい町の大島半島。

その突端 (右端、手前の半島の向こう) に、

いま日本で唯一稼働しているゲンパツが立っているはずだ。 

 

「食育」 の元祖、福井出身の食養家・石塚左玄が説いた

「身土不二」 の精神を条例に掲げる小浜市の、食にかけた町づくりに、

災いが降りかからないことを祈る。

いや、その場合は小浜だけの話ではない。

御食(みけつ) の帝都も例外なく汚染される、ということだ。

 

小浜のトンビは漁師を怖れず、低空を飛んでいるのだった。 

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帰りがけに お土産に買ったのは

サバの糠漬け 「へしこ」 と、すみません、オバマまんじゅう。

まったく外国の首長にまであやかって商魂逞しい、と思いつつ、

絵が笑えたのと、次に来た時にはなくなってるかもしれないと、つい・・・

 



2012年10月15日

"奇跡の出会い" から30年 ~ 山形村物語(最終回)

 

しつこい山形村レポート、最終回とします。

 

広々とした牧場で悠然と過ごす短角牛を眺め、

直後に牛ステーキを 「なるほど」 とか言いながら腹に収めた一行は、

休む間もなく会議室に。 

村 (今は 「町」 だけど) の関係者に集まってもらっての意見交換会を開催。

 

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口火を切ってもらったのは、元山形村・村長の小笠原寛さん。

1983年、35歳の若さで村長となり、4期16年にわたって村の発展に貢献された。

就任当時、たしか日本一若い村長さんとして

週刊誌にも登場したことがあったと記憶している。

今も毎日山に入る、現役の林業家だ。

 

「 30年前に村長選に立候補しようと思ったきっかけは、

 とにかく村の人たちに自信と誇りを持たせたい、という一心だった」

と小笠原さんは語る。

都会に出た時に、「岩手県山形村出身です」 と胸を張って言えるような村にしたいと。

 

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小笠原村政のポイントは、地元にある資源と文化を見直し、

それを基盤にして  " 自立 "  を目指したことにあったように思う。

レジャー施設やリゾート開発といった都市追従型の資源の切り売りではなく、

短角牛と山林資源を柱にした地場産業のしっかりした立て直しと、

地域の文化を再発見して、食の安全や環境で勝負しようとしたことだ。

〇〇がないからできない、ではなくて、〇〇がないからこそ〇〇ができる、と

村民たちとの対話を進めた。

当時としてはまだ新しいグリーンツーリズムの発想も持っておられた。

そして文化の再発見には、外からの視点が必要だとも考えておられた。

 

そんな時に、大地を守る会と出会ったのである。

小笠原さんにとって 「この出会いは、まさに奇跡だった!」。

 

都市との交流が盛んになるにつれ、村への誇りも湧いてくるようになった。

短角牛にも一流シェフのファンがついてきて、

草を食む健康な牛-グラス・ビーフ として注目されてきた。

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100%国産飼料への道のりは簡単なものではなかったが、

「これで自分たちのブランド・イメージが固まった」 と、

短角牛肥育部会長の下館進さん (上の写真右端) は語る。

若手のホープである柿木敏由貴さん (同左から二人目) が

家に戻って就農しようと決意したのも、

「経済だけじゃない。 たくさんのファンが来てくれ、価値を認めてくれる」

「外(都市) の人たちとの交流が活発に行なわれている」 ことを

「面白い」 と思ったから。

 

自給飼料を増やすために、遊休地をデント・コーン畑に変えてきた。

これは景観維持にも貢献している。

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しかしそれでも、生産者の減少による悩みは、ここも同じである。

林業も高齢化が進み、

確実に 「山を手入れする人は減ってきている」 (小笠原寛さん)。

それによって自慢の山の幸も少なくなってきた。

これからの重大な課題である。

 

短角牛を使い切るために、スジ肉やたくさんの具材を使って

短角牛マンを開発した 「短角牛マン母ちゃんの会」 の下館豊さん (下の写真・右) と、

「まめぶの家」 を運営する谷地ユワノ (同・左) さん。

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牛マンの開発にあたっては、

配合を変えたり具材を付け加えたり、何回も何回も試作して生み出された。

今も季節によって具を変えたりしている。

日量300~400個つくれるようになって、

ようやく観光会社からも大量の注文が入ってきたと喜んでいる。

 

まめぶに至っては、7つの集落ごとに具や味付けが違っていて、

以前に 「まめぶサミット」 というのを開いてコンテストをやったが、

みんな自分のが一番だと主張して、決められなかったとか。

この各戸秘伝の味が今や久慈の郷土料理として市全体に広がって、

月一回の料理教室も開いている。

近々北九州で開かれる 「B-1グランプリ (B級ご当地グルメ大会)」 

にも出展するらしい。 

まめぶを   " B級グルメ "  とはいかがなものかと思ったが、まあ

前に出ようという勢いがあるのはイイことか。

 

最後のあたりで、牛の王子様・カッキー こと柿木敏由貴が注文をつけた。

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スローフードとして短角牛が認定されたけど ( 『味の箱舟』 のこと)、

あまり経済にはつながってないように感じる。

いま検討されている 「マニュアル」 というヤツも、

ただの紹介や参考書のようなものでなく、

現実に地域の経済 (生産者の経営) に貢献できるものに作り上げてほしい。

 

委員会一同、「肝に銘じます」 。

 

肝に銘じたところで、山形村編、終わり。

ようやく終わったと思ったところで、

明日は朝6時に出発して、福井県小浜市に向かうことになっている。

今夜は飲まない、少ししか。。。

 



2012年10月13日

山形村 「物語」Ⅱ - 走る短角牛

 

今日は、 NPO法人農商工連携サポートセンターが主催する

「食農起業塾」 というセミナーに呼ばれ、1時間半の講義を務めてきた。

セミナーには、食や地域起こしで起業を目指す人、農業を夢見ている人など、

年齢もバラバラな25人ほどの男女が参加されていて、

与えられたタイトルは 「大地を守る会が目指す流通」 というものだったが、

勝手に 「大地を守る会が目指す流通とソーシャルビジネスの展開」 と書き加えて、

大地を守る会が誕生した背景から歴史、現在の事業や活動の概要、

そして自分たちに課してきたミッションの意味やこれからの課題などについて

お話しさせていただいた。

 

こういう場で大地を守る会の話をするとなると、必然的に

「食とは何か」 という観点を土台にせざるを得なくなっちゃうのだけど、

食を育む自然や環境とのつながりは、どうしても欠かせない要素となる。

食に関わる人の営みは常に環境にも深く、あるいは間接的に関与していて、

その質によって例えば生物多様性を豊かにすることもあれば、

激しくダメージを与える場合もある。

前者は人の心身も豊かにさせてくれるものとなり、

後者は持続性すら失いかねないものとなる。

どっちに転ぶにせよ、その最大の貢献者は 「食べる」 という行為である。

何を選び、どう食べるかという 「消費」 の質が、

社会の命運を決める最大要素の一つだと言えるのではないか、

とすら僕は思うのである。

 

「 君はどんなものを食べているか言ってみたまえ。

 君がどんな人であるかを言いあててみせよう」

とは、18世紀から19世紀にかけてフランスに生きた美食家、

ブリア・サヴァランの有名すぎるアフォリズムだが、

不思議なことに、その著書 『美味礼讃』 の冒頭で、

上記の一行前に記された言葉が引用されることは少ないように思う。

曰く- 「国民の盛衰は、その食べ方いかんによる。」

この意味において、「食文化」 とは趣味やグルメの話ではない。

 (いや、サヴァラン先生は 「グルマン」 と呼んで真の美食家の意味を説いておられる。)

 

郷土の伝統食を、当たり前のように家庭の味として育んできたということは、

その風土や環境が大切にされてきたことと、いわば同義である。

厳しい東北の気候風土にマッチして、粗飼料で逞しく生きてきた

「日本短角種」 を、何としても守っていきたい、という心が、

輸入濃厚飼料による霜降り牛肉によって淘汰されてしまった時、

この国が失うのは一つの種だけではないだろう。

 

「食文化を地域活性化の材料に」 と考えることはまあ良しとして、

ならばこの風景を、何としても見てもらわなければならないと思ったんだ。 

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山形町荷軽部に開かれた短角牛の基幹牧場、通称 「エリート牧場」。 

この呼び方は個人的には好きじゃないけど、

まあ生産者にとってはこの環境こそがエリートなのだろう

(種牛のエリートが放されているというのが本意らしいが)、

林地も含めて約60ヘクタールの土地に60頭の牛が放牧されている。

それが2ヶ所。 つまり一頭につき1ヘクタール。

欧米でも理想とされる放牧面積だ。

 

田んぼや畑と同様、元はといえば自然を破壊してつくられた

牛肉生産のためのほ場なのではあるけれど、

草を食む牛という動物への配慮をもって開かれたものである。

問題はそれをどう大切に維持させていくかの思想ということになるだろう。

 

牛たちは、厳しい冬季は牛舎内で育てられ、春になると山の放牧地に放たれる。

牛たちは喜んで走り回るという。

思いっきり駆けたあとで子を探す母牛がいたりするらしい。

そして放牧期間中に自然交配され、冬に牛舎で子を産む。

仔牛は母に連れられて放牧され、母乳で育つ。

短角牛の母は子育て上手と言われていて、

よって牛は気だてがよく健強に育つ。

 

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自然のなかで育った短角牛の肉質は、低脂肪で赤身になる。

引き締まった肉には、旨みの源であるグルタミン酸やイノシン酸が豊富で、

噛むほどに味わいが増す。

そもそも脂肪のとり過ぎを気にしながら、筋肉に脂が入った柔らかい牛肉を求めること自体、

極めて不自然な欲求と言える。

サヴァラン先生が現在の日本を見たら、どんな皮肉の言葉を発することだろう。

 

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「いやあ、牛って走るの早いんですわ。」

そんな説明を聞ける場所が、この国の何処にあるだろうか。

 

エリート牧場を視察後、昼食は 「平庭山荘」 という村唯一のホテルで、

短角牛ステーキを注文する。

人間の頭は実に自分に都合よくできているものだ。

彼らの肉を食らうのに抵抗感がない。

まあ農水省の方や調査員の方々にも食べてもらわなければならないし。。。

 

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平庭山荘に注文がある。

美味しかったです。 とても美味しかったけど、

ステーキだけじゃなく、もっとリーズナブルなお値段で短角牛を食べられる

料理も用意してほしい。 せめて、せめて1,000円前後までで。

けっこう懐にもこたえる昼食でした。

領収書を貰ったって、会社が持ってくれるわけないし。。。

皆さんもここは短角牛ステーキを食べるしかないという気分で、

村に貢献した視察にはなったけど。

 

午後は、関係者が集まってきて意見交換会が設定された。

すみません。思い入れが強くて、終わらないね。

さらに続くで。。。

 



2012年10月12日

岩手県山形村 「物語」 - 農舎とバッタリー

 

「物語が生まれる社会の豊かさ」 とは哲学者・内山節の言葉だが、

ここ岩手県久慈市山形町、僕らが今も言う 「山形村」 にも、

人の交流によって数々の物語が生まれた。

 

「食文化」 の専門家でもない自分が検討委員に推挙され、

自分の持っている最大限の知識とセンスで、できるだけ貢献したいと思って

吟味した結果、推薦した地域がふたつ。 

そして山形村が調査地域としてピックアップされた。

全国各地で模索されている地域活性化の取り組みに、

少しでもヒントになるものが提出できれば嬉しい。

 

10月11日、朝9時前に農水省の担当官がバス停に到着し、

昨夜山形村入りした調査員お二人とともに、村内を巡り始める。

 

久慈市山形支所で、山形村短角牛の概要をレクチャーしていただき、

最初に訪れたのは、第3セクター 「有限会社 総合農舎山形村」。

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短角牛をはじめとする地元一次産品の持続的な安定生産を支えるための加工施設として、

久慈市と新岩手農業協同組合、そして(株)大地を守る会の共同出資により

1994年に設立された (当初の出資者は、山形村、陸中農協、(株)大地牧場)。

 

設立されて18年が経ち、これまでに開発された加工品は150アイテムに上る。

従業員はパートタイマー含め32名。 すべて地元雇用である。

年間売上約2億円の半分は、働く村の人たちの給与と

地元生産者の収入(=農舎の仕入額) に落ちている格好だ。

 


到着して、工場長の木藤古(きとうご) 修一さんがイの一番に見せてくれたのが

これ、松茸!

「ようやくとれ始めましたよう。 1ヶ月遅れですかね~。 

 会員さんを待たせてしまっているようで、スミマセ~ン」 と頭を下げる。

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山形村を代表する山の幸。

まだ小ぶりだけど、これから順次発送が開始される。

農林水産大臣から頂いた認定証と一緒に記念撮影。

 

こちらは山ぶどう。 野村系と言われる品種で、粒が大きく糖度がある。

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山ぶどうの生産者は48人いるが、生産工程がきちんとトレースできる

3名と契約している。

大地を守る会の基準に基づいた生産を約束してくれた3名、という意味である。

 

その山ぶどうを原料に作られた、100%果汁とワイン。 

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山ぶどうワインは、イオンさんのブランド 「フード・アルチザン」 にも認定され、

11月にはお店に並ぶことになっている。

 

大地を守る会で独占しないのかって?

Non Non! ひとつの販売先に経営を依存してはいかんのです。

しっかりと自力で販路を開拓することが、地域に根を張る加工場としての

大切な自立戦略なのです。

というわけで、今年の春からは、

アレフさん (ハンバーガーレストラン「びっくりドンキー」を経営、宗教団体ではありません)

から委託された外販用ハンバーグの製造も始まっている。

こういう広がりがあるからこそ推薦もできるわけである。

 

こんな企画も用意されている。

11月9日、あの世界のトップソムリエ・田崎真也さんを招いての

山ぶどうサミットだと。

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もちろん山形村短角牛についても、

着実に消化する受け皿として機能している。

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写真右端が木藤古修一さん。

 

続いて向かったのは、修一さんのお父さんである

徳一郎さんが運営する 山村生活体験工房 「バッタリー村」。

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戸数5、人口18人、

国からの助成は一切受けてない日本一小さな村。

出迎えてくれたのはバッタリー村大使、山羊の 「とみー」 ちゃん。

女の子ですけど。 

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バッタリーとは、わずかな沢の流れを利用して石臼を搗いて、

雑穀を製粉したりする道具のこと。 立派な自然エネルギー技術である。

この村には、宿泊所 「創作館」 はじめ、炭焼き体験所、

炭焼き小屋を復元した「山村文化研究所」、

露天の五右衛門風呂 「徳の湯」 などがあり、

自然を活かした生活文化を体感しようと、毎年たくさんの人が訪れる。

まさにグリーンツーリズム立村。

 

今年は都市との交流30年を記念して、新たな公園が開設された。 

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公園といっても、どうも山の入口に看板を立てただけのように見える。 

う~む、逆転の発想か。

 

木藤古徳一郎村長。

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「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」 

宮沢賢治の 「農民芸術論綱要」 を村の精神として掲げる、誇り高き村長である。

僕の好きな一節は以下。

 

  いまやわれらは新たに正しき道を行き われらの美をば創らねばならぬ

  芸術をもてあの灰色の労働を燃せ

 

  ここにはわれら不断の潔く楽しい創造がある。

  都人よ来ってわれらに交われ 世界よ 他意なきわれらを容れよ

 

  なべての悩みをたきぎと燃やし なべての心を心とせよ

  風とゆききし 雲からエネルギーをとれ

 

  おお朋だちよ いっしょに正しい力を併せ われらすべての田園と

  われらすべての生活を ひとつの巨きな第四次元の芸術に創りあげようではないか

 

ちなみに、大地を守る会で販売する自家採種の野菜や地方品種のブランド名である

「とくたろうさん」 は、徳一郎さんのお父さんの名前から頂戴したものである。

じっくりと徳一郎さんの話を聞きたかったのだが、

今日のスケジュールはせわしない。

いよいよ短角牛へと向かう。

 

さらに続く。

 



2012年10月11日

ふるさとの 「食文化」 が誇りとなる道筋

 

岩手県九戸郡山形村。 現在は岩手県久慈市山形町。 

2006(平成18) 年3月、久慈市との合併で 「村」 は消滅した。

しかし、僕らにとってはやっぱり 「山形村」 は 「山形村」 だ。

その気持ちは 「村」 の人にとっても強いものがあって、

我らが山形村短角牛は、合併の翌年、思い切って商標登録を取得した。

村の名をこの牛に託したのだ。

したがって、『山形村短角牛』 は愛称や名残りで呼んでいるのではなく、

正しい名称であることを、ここに改めて宣言しておきたい。

 

その短角牛と白樺の里にやってきた。

何年ぶりだろう。 10年以上にはなるね。 

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以前(8月10日付9月20日付) お伝えした、

農水省他関係省庁によってつくられた 「地域食文化活用マニュアル検討会」 で、

久慈市山形町が事例調査の対象地域のひとつとして選ばれた。

今日はその調査にやってきたのである。

 

平庭高原にある、東北で唯一の闘牛場。

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大会は今度の日曜日(14日) だとかで、幟(のぼり) も立って準備万端相整い、

あとは牛の登場を待つばかり、という感じ。

ああ、それに合わせて来たかったのに、、、

いや、これは観光ではないのだと自分に言い聞かせる。

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実は昨日のうちに現地に入った僕は、

宿でひと足お先に山形村の食材を堪能させていただいた次第 (もちろん自腹)。

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ウグイの塩焼きにシメジの煮浸しに米ナス焼き・・・

そして、これが山形村の郷土食の代表選手とも言える 「まめぶ汁」。 

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胡桃と黒砂糖の入った小麦団子に焼き豆腐・野菜・きのこが入ったすまし汁。

正月・結婚式から葬式まで、地元では欠かせない行事食の一品。

各家庭ごとにその家の味があると言われる。

この山形村の伝統食が、今では久慈市全体の郷土食として語られるようになった。

嬉しいような、ちょっと寂しいような・・・

というのが山形村のお母ちゃんたちの心境のようだ。

 

こちらは 「ひっつみ」。 (写真が下手でスミマセン。)

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小麦粉をこね、薄く伸ばして手でちぎって (これを 「ひっつむ」 という)、

鶏肉や季節の野菜、きのこなどと一緒に煮込む。

 

これらのふるさと料理や昔から栽培されてきた雑穀など、

村の人にとっては当たり前すぎて  " 価値を見直す "  など考えもしなかった食材を、

「発見」 したのは都市の消費者との交流によってだった。

30年前の話である。

きっかけは、大地を守る会が、日本の風土に根ざした健康な牛肉として

山形村の 「日本短角種」 という品種の牛肉を販売したことによる。

 

Gパン姿の、金もない若者がやってきて、「短角牛」 を販売したいと言う。

こんな素性の知れん奴らに売って大丈夫なのか、

村はすったもんだの議論になったようだが、

不自然な霜降り肉が幅を利かす市場競争のなかで、

このまま短角牛を脱落させるわけにはいかない、少しこいつらに賭けてみるべか、

ということになったらしい。

牛のことはよく分かってなさそうだが、一所懸命な感じだし・・・

決断したのは、当時の陸中農協販売部長だった木藤古徳一郎さん。

現在の 「バッタリー村」(後述) 村長さんである。

 

1981年12月、3頭の出荷から 「大地を守る会」 との取引が始まった。

そして2年後、「山形村産地交流ツアー」 が開催される。

都会の消費者が山形村に足を踏み入れて感激したのは、

風土に根ざした食とそれを育む自然の姿だった。

 

いま大地を守る会国際局の顧問をしていただいている小松光一さんが、

こんなふうに書いている。

「 山形村には、日本各地では近代化によってつぶされてしまった暮らし方や文化が、

 いまだ 「未開」 のプリミティブなものとして残存していた。

 いわば、山形村は、農業近代化が充分に開花結実しえないままに、

 農業近代化をのりこえようとする団体、「大地を守る会」 に出会ってしまった・・・ 」

  - 小松光一・小笠原寛著 『山間地農村の産直革命』(農文協、1995年刊) より -

 

以来30年。

山形村と大地を守る会の交流は続き、

2005年には国産飼料100%の牛肉を実現した。

サシ(脂、霜降り) の入らない赤身肉として、

健康な香りのする旨み成分の高い牛肉として、

今や何人もの一流シェフから評価を頂くようになった 「山形村短角牛」。

この牛肉を柱として、気がつけば、

まめぶやひっつみも自慢の郷土食として堂々と振るまわれるようにもなった。

 

そして今日は、「食文化を地域活性化につなげるためのマニュアル作成」

にあたっての、事例調査となったわけである。

 

続く。

 



2012年9月27日

国境を越える情熱を

 

昨年11月、ベトナムで農村の自立支援活動を行なっているNPO団体

Seed to Table」(代表:伊能まゆさん) に招かれ、

ベトナム北部の農村を訪ねたことは昨年 3回(2011.11.12 ~15) にわたって報告したが、

その伊能まゆさんが、内閣府国家戦略室が主催する

世界で活躍し 『日本』 を発信する日本人プロジェクト

に選出されたとの一報が入った。

海外で、様々な分野で活躍するアーティストや研究者、技術者、料理人、

アスリート、地域開発に取り組むNPOの代表など、

" 「国境を越えた情熱」 をもって頑張る日本人 "  63人の一人として選ばれたのである。

なかには、なでしこの沢穂希さんやプロゴルファーの石川遼くんの名前などがある。

 

伊能さん、おめでとうございます。

これは現地の人たちに評価されなかったら得られない栄誉でしょう。

まさに孤軍奮闘で頑張ってきた汗が、みんなに伝わっていたということです。

「これからNPOを立ち上げる」 と言って、

幕張の事務所を訪ねてこられて3年、いや4年か?

ベトナムへの思いを熱く語っておられたのを思い出します。

ほんのちょっとしかお手伝いできてないけど、こちらまで誇らしい気分になります。

これからもっと大変になるような気もしますが (ますます足抜けできないか)、

体に気をつけて、できれば楽しく、現地の人たちを励ましながら、頑張ってください。

発表されていたのに気づかず、失礼しました。

 

僕も感慨に耽っている場合ではない。

昨日は、ジャパン・タイムズという英字新聞の取材を受けた。

 


昨年も大地を守る会を取材された方だが、

その後の放射能対策の推移と消費動向などについて聞きに来られた。

そこでこれまでの様々な取り組みを説明したのだけど、

最後に、今までにない視点からの質問を受けた。

日本で暮らす外国人の間では、

未だに福島県産の農産物は拒否されているというのだ。

もうほとんどの農産物から放射性物質は検出されなくなっているというデータを示しても、

「信じられない」 という反応が返ってくるのだとか。

そもそも彼らは日本の政府を信用してない、と。

「どうしたらいいと思われますか?」

 

この問いには一瞬戸惑ったが、結局のところ、

日本の姿そのものが信用されてないということなのではないか、と答えざるを得なかった。

外国人とどうコミュニケーションするかの前に、

僕ら(日本人) 自身が、一体感を持って復興に向かう形をつくれていない。

政治は絶望的なくらいに健全じゃないし。。。

 

僕らとしては、「食の安全」 確保のために、

生産者とともにできる限りの手を打って前に進むしかない。

そう思ってやってきた一年だった。

国に文句言うだけでなく、やるべきことを見せてやるくらいの気持ちで。

この流れを支援してくれる消費者を増やしてこそ、確信を持って語ることができる。

「信頼される社会」 をそれぞれの立場から提案し、

嘘や詭弁や骨抜きや先送りなどの政治的打算ではない議論をたたかい、

築き直してゆくことが、

この国に留まってくれた人々の信頼を取り戻す作業にもなるのではないだろうか。

 

思いを受け止めてくれたのか、今日記者さんから

「福島で頑張っている生産者の声を聞きたい」 との連絡をいただいた。

それも電話取材ではなく、現地に行ってくれるという。

福島は今は収穫の真っ最中だ。

迷惑なことだろうとジェイラップの伊藤俊彦さんに電話すれば、

「エビちゃんが受けろと言うなら対応しないわけにいかないしょ」 と笑ってくれる。

 

東北各地で様々にたたかっている人がいて、

彼らこそがこの国を再建する希望でもあることを、伝えてもらえたら嬉しい。

 

国際社会で評価される日本人たちは、いま僕らをどんなまなざしで見ているのだろう。

日本に住む外国人からも信頼され、賛辞が発信される国にしたい。

外交とは吠えることではない。

日々の営みから、境界線を超えてゆきたい。

 



2012年8月25日

インフラ復旧の前に、産業政策を!

 

大地を守る会の放射能連続講座・第4回 - 「海の汚染を考える」。

講師に招いた勝川俊雄さんには、

専門とする海の資源管理の話も少し盛り込んでいただければ、とお願いしていた。

最後の10分。 やはり本業の話になると、熱が入った。

 

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東日本大震災による一次産業の被害額は1兆2千億円に上り、

阪神淡路など過去の震災に比べても、農林水産業の被害が突出している。

しかし漁業の復興策はインフラ整備に偏重した予算配分になっていて、

その先のビジョンが示されていない。

港や船を3.11前の状態に戻そうとしているだけ。

 

すでに漁業は急激に衰退の途をたどっていて、

10年先が見通せない状態になっている。

そこでただインフラや構造物を元に戻しても、展望は開けない。

やる気のある漁業者からは、

「ゼロから再出発するなら、漁業そのものを何とかしたい」

という声が、聞こえてきている。

構造的な問題を解決して、

10年後20年後の地域経済を支えられる産業として育て直さなければならない。

 


インフラ復旧型の復興事例として、北海道の奥尻島がある。

93年の奥尻地震で島の漁業は壊滅的被害を受けたが、

被害総額を上回る復興資金が集められ、

防潮堤や漁船などすべてリフレッシュして、5年で完全復興した。

しかしその後島はどうなったか。

漁業者は半分以下になり、島を出た若者は帰ってこなくなった。

かつてゼロだった限界集落が9ヶ所にまで増え、

コンクリートの構造物だけが残っている。

いま、三陸もその方向に向かっている。

 

かたや北海道最北端、宗谷岬の南にある猿払村では、

ホタテ養殖業で安定した収益を上げるまでになり、

高等教育を受けた若者たちが帰ってきている。

グループで企業経営する者も現われ、後継者は順番待ちの状態である。

 

三陸を奥尻にするのか、猿払にするのか。

新しい人が入ってくるような産業に育てなくてはならない。

インフラ整備の前に産業政策が必要なのだ。

 

漁業の収益は、「漁獲量 × 魚価 - コスト」 という計算になるが、

漁獲量は増えず、魚価も上がらず、コストは下がらず、どれも難しい状態。

漁業者の年間平均所得は260万円である。

 

資源の減少は、その相対的帰結として 「獲り過ぎ」 を招いている。

たとえば日本人の好きな大衆魚であるサバは、

90年代以降、減少の一途をたどり、親魚を獲り尽くすという悪循環に陥った。

今はわずかに残った親魚の産卵に依存し、

未成熟の小さなサバを競争しながら獲っている。

それらは 「ろうそくサバ」 と呼ばれ、養殖のエサにするか、

中国やアフリカに捨て値のような値段で輸出されている。

結果的に親魚も育たず、

成魚サイズのサバはノルウェーから輸入しているのである。

 

そのノルウェーでは、資源管理が徹底され、

親魚量を維持しながらサバ漁が営まれていて、持続的に儲かる漁業に成長している。

いわば、ノルウェーが利子で暮らしているのに対して、

日本は元本を切り崩している状態だ。

62円で幼魚(=2年後の成魚) を売って、

300円でノルウェーから成魚を買っている不思議の国・ニッポン。

 

ちゃんと資源管理すれば、量は維持され、魚価も上がる。

しかし、日々獲ることで生活せざるを得ない漁師に任せては、できない。

回復するまでには、時間もかかる。

これは、国の役割なのである。

 

しかしただ手をこまねいて見ているだけでは始まらない。

現状の中でやれることとして、売るほうで何とかしたいと思った。

たとえば東北の毛ガニ漁は、一日の売上が3万円程度。

高く売ろうと思っても、魚価はスーパーの原価主義に押さえつけられている。

そこで漁師のために高く買ってくれる人をつなげたいと、

ある居酒屋チェーンの社長を連れて行って、何か売れるものはないかと探したところ、

市場で値がつかず捨てられていたケツブというツブガイを、発見した。

殻が固く内臓が苦いので嫌われていたのだが、

身は美味いと地元では食されていたものである。

居酒屋の社長さんも気に入って、キロ200円で商談が成立した。

しかもそのツブガイ、毛ガニ漁での漁獲の9割を占める厄介者だった。

1日の漁で1トンは獲れていたという。

これが全部売れれば20万円、毛ガニと合わせて23万円となる。

 

先日その居酒屋に漁師さんをお連れして、お祝いをやったところ、

漁師さんがトイレに行ったきり帰ってこない。

見れば、カウンターのお客さんに向かって、

これは俺が獲ったツブガイだと熱心に説明しているのだった。

お客さんも大喜びである。 

こんな関係を築きたい。

生産と消費の距離をもっと縮めることが大事だと思う。

そしてもっと地域の魅力を掘り起こしたい。

田舎の価値を見つけるには、消費者や外部の目線が必要だ。

人をつなげ、一緒に宝探しをやってます。

 

・・・・・

僕がこのところ悶々としていたのは、こういうことだったのかもしれない。

海と原発、食文化と地域活性化、いくつかの糸がつながったような気がした。

なんやかやと身に降りかかってくる様々な宿題は、

然るべくしてやって来ている、そんな気さえしてくるのだった。

 

質疑のところで佐々木さんが質問した。

「漁業も経営感覚を持った企業的な視点を育てるべきか?」

<勝川>

必ずしもそうは思わない。 経営形態の問題ではないだろう。

日本で子サバを獲っているのは主に企業の船である。

一方、ノルウェーの漁業は家業で営まれている。

でも儲かっているから、息子たちは意欲的に継いでいる。

新しい生産的な沿岸漁業のあり方を考えていきたい。

 

日本の漁業の問題、復興のあり方、放射能と魚の問題など、

もっと知りたいと思われた方には、

勝川さんの以下の著書をぜひ。

『日本の魚は大丈夫か-漁業は三陸から生まれ変わる』

(NHK出版新書、740円+税)

こういうのもあります。

『漁業という日本の問題』(NTT出版、1900円+税)

 

講座終了後、三重に帰る前に少し時間があるというので、

勝川さんを丸の内の 『 Daichi & keats 』 にお招きした。

大地食材の料理を、ウマいよ、ウマい! と

本当においしそうに食べてくれた。

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(大地を守る会の職員たちと。 左中央が勝川さん、その手前がエビ。)

 

想定外の楽しい時間まで頂戴して、感謝。

 

さてと、、、

4回を終え、たくさんの質問が手元に残っている。

何とかしなければと思ってはいるのだが・・・

 



2012年8月19日

海は誰のものでもなく

 

・・・・・ と前回書いたけど、

この国には 「海は漁師たちのもの」 という認識が、今もって根強くある。

海を生業の場とする人たちにこそ権利があると、

漁師まちに育った僕もそれは当然のことのように思って育った。

 

しかし、いつの頃からか、それは違うと思うようになった。

海は誰のものでもない、みんなのもの(公共財) である、未来の世代も含めて。

いつの頃からか・・・・・それは原発に 「海が売られてゆく」 につれ、

とでも言ったらいいか。

だんだんと割り切れない思いを募らせていったように思う。

 


漁業組合が漁業権を売ったからといって、海まで買い取られたわけではない。

漁業権を放棄した段階で、「海が盗られた」 と観念してしまうのは、

「海は漁師たちのもの」 という認識によってしまうからなのではないだろうか。

 

思うに、沿岸漁業の衰退は、高度経済成長とともに進んだ。

環境破壊と乱獲 (これはコインの表裏のような関係) だけでなく、

流通ネットワークの拡大や食の工業化とともに進行した。

それによって生産と消費の距離が離れてゆき、決定的な乖離が生まれてしまった。

自分がつくった(育てた・獲った) ものがどこへゆくのか見えない、

かたやどこの誰がつくったものか分からないまま食べる。

しかも値段は流通段階で決められる。

一緒に海を守る関係が切れたところに、札束の攻勢がかけられて、

漁民のたたかいに運動的な支援者はきてくれても、

「消費者」 の支援はまったく実感できなくなってしまった。

漁民や地元自治体だけが悪いわけではない。

みんなどこかで勘違いを 「神話」 にして、自ら孤立の道を選び、

あるいは簡単に見捨てる人たちになってしまった。

海は 「みんなで守らなければならない」 ものだったのだが。

 

脱原発社会を構想する今、

たんにエネルギーをめぐる議論だけでなく、

生産と消費の関係を見直し、

大事なものを取り戻すことも求められているように思うのである。

 

さてそこに、放射能という恐ろしい敵まで

視野に入れなければならなくなってしまった海がある。

僕たちはどうしたらいいのか。。。

 

昨日開いた

「大地を守る会の放射能連続講座・第4回 ~海の汚染を考える~」。

勝川俊雄氏の話をまとめようと思ったのに、

どうも雑念が払えない。。。

酒も入ってしまったので、講演レポートは次回に。 すみません。

 



2012年8月10日

食文化を活かした地域活性化

 

今日は、いやもう日付が変わったので昨日か、

霞ヶ関の農林水産省に出向き、

「地域食文化活用マニュアル検討会」 という会の初会合に出席した。

こういう国の委員会への参加は、

4年前の 「有機JAS規格の格付方法に関する検討会」 以来である。

 

この検討会、目的はこう謳われている (開催要項より)。

  「 『食』 に関する将来ビジョン 」 に基づき、

  食文化を総合的に活用する地域づくりのため、

  地域の食文化を活用して地域活性化に繋げるための

  実務的なマニュアルを作成することを目的とし、関係府省の参画のもと、

  有識者による 「地域食文化活用マニュアル検討会」 を開催する。

 

「『食』 に関する将来ビジョン」 とは、

関係府省が連携する形で検討本部が設置され、

一昨年12月に取りまとめられた、「食」 に関する政策ビジョンである。

・ 地域資源を活用した地域の活性化

・ アジアの成長力の取り込みとグローバル化への対応

・ 少子高齢化への対応

・ 食の安全と消費者の信頼の確保

という4つの視点をベースに、10のプロジェクトを進めることが謳われた。

1.地域資源を活用した6次産業化

2.「食文化」 を軸とする観光・産業・文化政策の展開

3.我が国農林水産物・食品の輸出促進による海外展開

4.「交流」 を軸とした農山漁村コミュニティの再生・地域活性化

5.再生可能エネルギーの導入拡大

6.農林水産分野の有する環境保全機能を支える仕組みの構築

7.医療、介護、福祉と食、農の連携

8.全ての世代、様々な立場の人々が参加する 「生涯食育社会」 の構築

9.「食」 に関する将来ビジョンの実現に向けた国民運動の展開

10.総合的な食料安全保障の確立

 

いろんな政策ビジョンが総花的に並べられていて、

過去の政策に対する反省はあるのか、と言いたいところだが、

今の 「食」 をめぐる状況を憂うことはあっても、

自己批判はしないのがこの国の官僚の基本的な習い性である。

こうなってしまったから、こういう状況なので、次はこうします、と

腹立たしいくらいに常に  " チョー前向き "  な種族。

いずれにせよ、これをもとに具体的な施策が立案され、

国家予算(税金) が投入されてゆく。

 

「ビジョン」 が策定された4カ月後の3.11によって事態は一変するのだが、

ここにきて 「ビジョン」 を加速化させねばならない、という動きになってきた。

 

僕が呼ばれた検討会は、上のプロジェクト2.に相当する。

地域の食文化を活用して地域活性化につなげる。

そのための、地方行政マンや地元企業・生産者・住民らが積極的に動けるような

実務的なマニュアルを今年度内に作成したい、と。

 


「マニュアル」 と聞いて、僕の心はまったく動かなかったのだが、

座長が丸の内の 「地球大学」 でお世話になっている竹村真一さん(京都造形大学教授) で、

竹村さんから 「戎谷を入れろ」 という指示だと聞かされると、さすがに断れない。

まあ私でお役に立てるなら精一杯・・・・ と大人ぶった返事をしてしまった。

 

委員は他に以下の方々。

・ 篠崎宏さん (株式会社 JTB総合研究所 主任研究員)

・ 中田典子さん (福井県小浜市役所 企画部食のまちづくり課課長補佐 政策専門員)

・ 古屋由美子さん (有限会社 INRコンサルティング 代表取締役)

・ 細川モモさん (社団法人 Luvtelli  Tokyo & New York 代表理事)

・ 藻谷浩介さん (株式会社 日本総合研究所 調査部主席研究員)

加えて、内閣府、経済産業省、観光庁がオブザーバーとして出席する。

 

開会の冒頭で、農林水産大臣政務官・森本哲生衆議院議員の挨拶がある。

「 私は田舎の出身ですが、今ほど田舎で食べていくことが大変な時代はない。

 これからどう地域を活性化していくか、国はしっかり考えなければならない。

 全国的なうねりにつながるようなマニュアルにまとめていただきたい。」

 

農水省大臣官房の政策課長・大沢誠さんから進め方などの説明がされた後、

一回目ということもあり、銘々の自己紹介や抱負が語られる。

 

竹村座長

「 日本食は、未来の日本の基幹産業になりうるもの。

 マニュアルづくりと言っても、形式的なマニュアルでは意味がない。

 地域の食文化を再発見する 「窓」、「虫めがね」 のようなものを創造的に作りたい。

 日本の食生活のなかにある色々なシーズは未来的なヒントに満ちている。

 日本食をユネスコ無形文化遺産に登録するというだけでなく、

 地球文化としての日本食を世界にプレゼンしていく必要がある。

 戦後日本は、食やエネルギー、水など、すべてをアウトソーシングしてきた。

 今や食べものがどこでどう作られたのかもまったく分からない状況。

 そういった状況に新しい示唆を与えていけるようなマニュアルになればと思う。」

 

篠崎委員

「 観光客は、ストーリー性のあるものに反応する。

 観光のシーンにおいて、食文化の豊かさが期待される一方で、

 地元事業者の多くは食文化についてほとんど語れていないのでは。

 マニュアルが実効性の高いものになることを期待する。」

 

中田委員

「 小浜市では、2000年から食を核にした町づくりを推進してきた。

 2001年に全国初の 『食のまちづくり条例』 を制定、

 04年には食育文化都市を宣言し、08年に食育推進計画を策定した。

 食文化や食育を通じて地域を活性化してゆこうと、

 拠点施設として 「食文化館」 もオープンさせた。

 生涯食育として、子供だけでなく大人も含めて食育活動を実践している。

 食文化は、健康につながり、人づくりにつながる。

 キッズキッチンや伝統行事などと結びついたコンテンツを

 地域外の人にも提供することで、観光とも結びついている。」

 

古屋委員

「 日頃から食文化の保護継承を担っているのは、農村地域の女性たち。

 しかし地域の方々はマーケティングの意識が低く、思いつきでモノを作りがち。

 点としての取り組みはあるが、面的な広がりになっている事例が少ない。

 何をPRするか、ストーリー性が大事。

 現場の方々はとても純粋に取り組んでいる。

 その勢いを、食文化の継承や発展にうまく結び付けていけたらと思う。」

 

細川委員

「 ミスユニバースやトップ・アスリートの体づくりに、医療と食の両面から取り組んでいる。

 若い世代は、カロリーを摂ること、食べることは悪であるかのような意識があり、

 貧血、便秘、不妊などの問題が生じている。 食のリテラシーが崩れている。

 アメリカが様々な肥満対策に取り組んでいるにも拘わらず、

 肥満率が下がらないのは、味覚の問題。

 頭では分かっていても、味覚はファーストフードに慣れ、

 それが  " おふくろの味 "  になってしまっている。

 伝統食をもっている国には、伝統食を伝承する責任がある。

 フランスでは味覚教育が盛ん。 

 今やらないとアメリカのような食生活になってしまう、という危機感がある。

  ここで復活できるか、この10年の取り組みが重要である。」

 

藻谷委員

「 食文化の崩壊は最近になって始まったものではない。

 日本の食文化は、醗酵調味料や昆布などの天然だしの活用が特徴だが、

 食の大量生産の中で、きちんと出汁をとらずに簡便な方法で代用するなど、

 日本食本来の味が失われている事例が多い。

 地域の伝統的な加工食品も、商品化・大量生産される過程で、

 本来のものでなくなってしまっている事例も多い。

 本来の日本食文化の基本を押さえたい。」

 

さて戎谷委員はというと、

「 食とは人の健康を支えるものであり、

 その食文化は地域の環境や風土にによって育まれてきたもの。

 地域の食文化を継承するということは、

 その地域の環境を守ることにつながるものでなければならないと思う。

 たんなる食文化の紹介で終わらず、

 地域を健全な姿にただしていくという意味を持たせたい。

 その上で、地域で食べていける道しるべになるようなものを作りたい。

 大地を守る会は設立以来37年にわたって、

 農林水産省の政策とは真逆の提案を行なってきた立場だが、

 地域環境と食を健全な形でリンクさせるために、協力させていただきたい。」

 

あとは各委員が自由に発言して、初回を終える。

それぞれに一家言を持つ委員の中で、自分に期待されているものは何か、

役割イメージをしっかり持って関わっていこうと思う。

 



2012年8月 5日

忍びよる穀物危機

 

このところ気になっているのが、米国の記録的干ばつである。

1956年以来と言われる最悪規模での干ばつと熱波が6月から続いて、

7月20日にはトウモロコシと大豆の国際相場が過去最高値をつけた。

その後少しの降雨もあって多少持ち直したが、

ここまできて作柄がそう簡単に改善されるとも思われず、

これからさらに厳しい争奪戦(価格上昇) が予測されている。

 

米国の畜産団体が、ガソリンに混ぜるエタノール(トウモロコシ由来)

の使用を減らすよう政府に求めたことが報じられている。

「エタノール需要を抑えなければ、干ばつの影響で

今年から来年に飼料用トウモロコシは供給難に陥る」 と

全米豚生産者評議会は指摘している (7月31日付・日本経済新聞)。

餌の価格が上がれば、日本の畜産への影響も当然出てくる。

そしてお肉の値段だけでなく、

乳製品、油、卵製品(マヨネーズなど)、大豆製品、、、と直撃してくる。

 

今は投機マネーも穀物に手を出して相場を押し上げる。

生存のための基礎食糧が資金のあるところに買い取られ、

儲けの対象になって、値札とともに庶民の台所に到着するのだ。

世界の人口が70億人を超え、

すでに食糧が安く手に入る時代は終わりつつあるのだが、

この国の食の安全保障に対する哲学は、あまりにも貧しい。

 

2007年の秋に訪問 して、翌年には大地を守る会も訪ねてくれた

ノンGM(遺伝子組み換え) コーンの生産者、Mr.ケント・ロックからの便りでは、

25%の収穫減になりそうな予測が届いてきている。

彼はまだセンチュリーコーン(非遺伝子組み換えの品種) の収穫に

自信を見せてくれているのが実に頼もしいのだが、一方で、

すでに保険金の回収に意識を向けている農家がいることも伝えられてきている。

(この事態に遺伝子組み換え作物が貢献する、ということもない。)

 

しかも、生産現場での25%減は、末端の商品価格が25%上がる

ということではない。

需給バランスの緊張による様々な要因が発生し

(売り惜しみ・買い占め・価格上昇を睨んだ流通在庫・加工コストの上昇・・・など)、

相当ヤバイ状況であることを示唆している。

 

自国の農を軽んじた国家は滅びる。

それはすでに確実に進行していると言わざるを得ない。

食と、それを保証する農は、互いに守りあう形でつながらなければならない。

 



2012年6月27日

日本人の たたかう体をつくる!

 

25日(月)、福島から帰ってきたその足で、丸の内に向かう。

「Daichi & keats」 で 丸の内地球環境新聞 の取材を受け、

夜は 「地球大学」 のコア・メンバーによる会議に出席する。

ここで前からお会いしたいと思っていた方の話を聞く機会を得た。

 

予防医療コンサルタント ・ 細川モモ さん。

アメリカで最先端の栄養学を学び、

日米の医師・臨床栄養士などをメンバーとした予防医療プロジェクトチーム

「Luvtelli  ( ラブテリ,love+intelligence から命名)」 を発足、

企業や各種機関ともコラボしながら健康増進プロジェクトを推進している。

また健康計測機器メーカー 「タニタ」 と提携して、

プロのアスリートやミス・ユニバース・ジャパン出場者への

 「美と健康」 アドバイザーとして活躍していたり、

今年1月にオープンした 「丸の内タニタ食堂」 では

カウンセリングルームを設置し栄養指導を始めたことは、

各メディアからも注目を浴びた。

 

「たたかう日本人の体をつくる!」 と彼女は言う。

そのための健康管理のサポートをするのだと。

 


ミス・ユニバースを目指す女性たちに

" ちゃんと食べることで 美しくなる "  ことを教える。

「 世界一の美女を目指す女性たちのサポートを通じて、

 日本女性に向け健康をそこなうようなダイエットではなく、

 光り輝く健康美のつくり方を発信する」 ( 『タニタとつくる美人の習慣』 より)

 

いやいや、オッサンが聞くには、あまりにも眩し過ぎるお話。。。

しかし、ホンモノの美女づくりの話より驚かされたのは、

低体重での出生児の増加と女性の 「痩せ志向」 の関連、

そしてそれによって重大な問題が現われてきていることだった。

 

日本では、低体重で生まれる子供がこの30年で倍になっている。

これは世界でも異常な現象として見られている。

その背景に、日本女性の 「痩せすぎ」 傾向と高齢出産化がある。

日本の20代女性の30%が「痩せすぎ」、かたや肥満は20%。

摂取カロリーはなんと、終戦直後より低下している。

しかも最新のデータから、

「生活習慣病は、生活習慣によるだけではない」 とも言われるようになってきた。

原因は、胎児期のストレスだと。 「成人病胎児発症説」 と言うらしい。

この現象に、女性の 「痩せ」 願望が関連している。

迂闊にも、知らなかった。。。

 

日本では、妊婦は太ってはいけないと指導されてきた経緯があるが、

それは間違いだとも、モモさんは断言する。

「ちゃんと食べて、適度に太る必要があります。 それが当たり前。」

 

体脂肪率も低いが、筋肉もなく、ビタミン・ミネラル特に鉄欠乏症

になっている若い女性たち。

" 食べないダイエット " は間違いであるばかりでなく、危険ですらある。

「このままでは、日本は滅びます!」

強烈なプレゼン力というか、説得力である。

 

細川モモさんに挨拶した際、

「ああ~ 大地を守る会 さん!」 と驚かれた。

なんと! お母さんが大地を守る会の会員だったんだと。

マクロビオティックの実践者だったらしい。

「生まれた時から、食の大切さについて刷り込まれて育ってきました。」

思いもかけない、感激の出会いだった。

 

太るのはカロリーのせいじゃない。

痩せすぎると、老化する。

あなたのブリリアント・ボディ度をチェック!

美人の食卓の秘訣は 「3つの  " 抗(アンチ) " 」

低すぎる中性脂肪で喜んではいけない ・・・・・

 

今度、モモさんのお話しを聞いていただける機会を設けたいと思っている。

モモさんも 「喜んで!」 と言ってくれた。

「人」 と 「環境」 を、「食」 を通じてつなげたいと。

 



2012年6月14日

映画 『フードインク』 とTPPを語る

 

6月3日(日)。 この日の記録を終わらせておきたい。

 

田んぼの草取りを追え、シャワーして着替えて渋谷に向かい、

17時前には何とか会場である 「アップリンク」 に到着。

映画 『フードインク』 はすでに上映が始まっていて、

スタッフと打ち合わせをして、頭の中を TPP モードに切り替える。

「基本的なところからひも解いていただけると~」 という要望をもらって、

かえって緊張した、というのが本音。

 

映画が終わり、18時20分、会場に入りトークを開始。

ミニシアターなので客席は一杯だが、100人弱といったところか。

司会はアップリンクの松下加奈さん。僕に質問する形で進められる。 

前日の講座よりは静かに話せたように思うのだが、よくわからない。

 

どうも流れに任せてしまった感じなので、正確に報告できない。

構成を考えながら記しておいたメモに沿って羅列してみたい。

(この通りに話せたワケではない、ということです。)

 

TPP -環太平洋経済連携協定。

シンガポール、ニュージーランド、チリ、ブルネイの4ヶ国によって2006年に発足した

FTA(自由貿易協定) に端を発する。

≪ ここで 「ブルネイの位置を知っている人?」 と会場に問うつもりだったのだが、忘れた。

  「ブルネイ・ダルサラーム国」 -ボルネオ島にある人口40万人の国。 ≫

元々が経済構造の違う4国による自由貿易協定の話し合いだったのだが、

ここに08年9月、アメリカが全分野での交渉参加を表明、割り込んできた。

11月にオーストラリア、ペルー、マレーシア、ベトナムが参加表明して、現在9カ国。

 

交渉分野は物品の貿易から、原産地規制、検疫、知的財産権、投資、金融、

サービス、環境、労働、などなど24分野にわたり、

あらゆる部門で徹底した経済活動の障壁を取り除こうとするもの。

これに日本も早く入れ、と言う。 すべてアメリカの戦略である。

 

★ ともに意識するのは、中国の存在。 中国・韓国はTPPには参加せず。

  アメリカの市場戦略 ~ 狙っているのは日本の市場と金融資産

  オバマの発言- 「TPPで (米国の)失業者を減らす!」

  これは公正・平等な取引をコントロールするものではなく、

  明確に、激しく (自由な) 競争の海に投げ出されることを意味する。

 

すでにいろんな場面でアメリカは圧力をかけてきている。

車では軽自動車の税率にまで口をはさんできた。

民営化によって、国民の汗の結晶である郵貯資産まで狙われる。

医療でも格差が生まれる。 日本の優れた国民皆保険制度が揺らぐ。

高度な医療が (貧しい人にも) 等しく受けられなくなる可能性があるとして、

お医者さんたちも反対している。

労働環境でも、臨時雇用の自由度が広げられ  " アメリカ化 "  していく。

つまりは格差が拡大していく、というとである。

 


民主主義の根本である 「国民主権」 に関わるほどの大ごとであるにも拘らず、

交渉の中身はまだよく分からず、議論がかみ合わないまま進んでしまっている。

これでは、反対せざるを得ない、というのが今の自分の立ち位置である。

 

「すべてを自由な市場取引に委ねれば、世界の経済的利益は最大化される」

という経済思想に基づくものだが、TPPは誰のための利益となるか。

ひと握りの人、一部の輸出産業に集中していくことが、「国益」 だろうか。

仮に利益が平等に分配されたとしても、一人当たり年収が3千円程度増えるだけ、

という試算がある。

これによって失われるものをちゃんと理解した上で判断したい。

 

「アジアの成長を取りこむ」 なんて、ごまかしの呪文のようなものだと思う。

農業について言えば、日本にも海外市場でたたかいたい農民はいる。

しかしそのターゲットは中国を中心とした富裕層であり、TPPとはほぼ関係ない。

彼らは国内の  " 守らなければ敗北する "  論に苛立っているんだと思う。

日本農政の歴史で見れば、「保護」 とは 「縛り」 でもあったりするから。

米価維持のためと言い、「米を作らせない」 ために国家予算が使われ、

農村は荒れ、消費者との乖離も進んだ。

「補助金はもういいから、自由に経営させてくれ!」 というやる気のある農民は多い。

しかし、だから  " TPPに乗ろう "  ではアブナイと思う。

この国の、国づくりの青写真(ビジョン) がないこと、こそが問題なのだ。

どこ行きのバスなのか、真逆の予想が提示される状態の中で、

" 乗り遅れるな "  という脅迫は、一部の利害関係者を代表するものでしかない。

 

日本の農業は保護され過ぎているか。

農業産出額に占める農業予算 (国による支援) の割合を見てほしい。

アメリカは65%、ドイツ62%、フランス44%、イギリス42%。

みんな守っている、守りながら攻め合っている。

かたや日本は27%。

ことは単純な  " モノの生産 "  に係るコストや競争力の問題ではない。

 

日本は自由化しては自給率を落とし、農業予算も削られてきた。

問題の根本は、農産物を 「物品」 としてしか見ていないことにある、と思う。

農業政策が日々の暮らしとつながっている感がないのはどういうことなのだろうか。

暮らしの安定のための農業政策になってないからだ。

だから、生産と消費がいともたやすく対立する。

( 以前に、「消費税を上げるなら、農業予算を投入してでも国産食材は据え置くべきだ。

 " 国産食材は消費者を守る "  関係を見える化しよう」 と主張したけど、

 誰も相手にしてくれなかった。。。)

やる気のある生産者がTPP推進を唱えるのは、国への怒りに他ならない。

 

その国の保護政策を貿易障壁とみなして撤廃を求めてくるのが、アメリカのTPP戦略。

そのためには日本の安全基準や環境政策もお構いなしだ。

「世界共通化」 という名目で、「アメリカ並み」 を要求してくる。

ここで映画 「フードインク」 にもつながってくる。

 

BSEでは、「日本の全頭検査は異常である」 と言われる。

米国での牛の検査は1%しかできてない。 それでもBSEが発見される。

アメリカ並みでいいとは、僕は思わない。

GMOでは、「日本の表示義務は無用なものである」 と言われる。

しかし米国では、100万人の表示要求署名が出されている。

表示義務化を求める法案が準備されている州もあると聞く。

遺伝子組み換え技術による環境や種への影響は、より慎重に見なければならない。

また消費者には選択権が与えられる (表示がある) べきである。

 

安全基準では、農薬の残留基準にも圧力がかけられる。

「日本の農薬ポジティブリスト制度は、米国産イチゴ輸出の妨げになっている」

というわけだ。

農薬が残っているから問題なのではなくて、

「規制がおかしいから損をさせられている」 という圧力に、

あなたは何と答えますか。

 

守るべきものは守る、という思想と戦略なく、完全な自由化に走ろうとしている。

誰のためなのか、しっかり考えたい。

完全な自由化とは、利益がひと握りの集団に集中化していくこと。

必然的に格差は広がる。 不平等社会が進む。

極めて不安定な社会に進んでいる現在、

 「食」 については、その生産基盤は守っておく必要がある。

これは社会の安定と国民の健康を維持する上で必須の要件だから。

 

貧しいからウェルマート (全米1の安売りスーパー) でしか買えないのか、

ウォルマートで買うから貧しくなり健康も損ねる (医療費がかかる) のか、

映画 『フードインク』 は問いかけている。

 

英国の有機農業指導者、アルバート・ハワード卿が、

著書 『有機農業』 で残した言葉を、紹介させていただきたい。

 「 国民が健康であることは、平凡な業績ではない」

 「 民主主義の真の温床は肥沃な大地であり、その新鮮な生産物こそ

  民族の生得権(生存権) なのである」

 

生物多様性も、持続可能な社会も、野田さんの言う 「国民生活の安定」 も、

その土台は、肥沃な大地から、である。

米は輸入できても、田んぼは輸入できない。

ボトル・ウォーターや木材は輸入できても、水や木を育てる森は輸入できない。

暮らしの安定を保証する環境(の土台) は、貿易の対象ではあり得ない。

 

ロバート・ケナー監督が映画に残したメッセージ

 - 私たちには、日に3回の投票行動が与えられている。

 

忙しい毎日、日々妥協もあるのだけれど、

この意味は忘れないで暮らしていきましょう。

 



2012年5月31日

社会資本としてのスローフード

 

5月28日(月) 18時半。

月に一回、勤め帰りの男女が丸の内に集まって

様々な視点から地球環境問題を学び合う、

丸の内地球環境倶楽部主催による 「地球大学アドバンス」。

先般報告 したように、今年度のテーマは 「食」。

「 丸の内 『食の大学』 」 と銘うって今期プログラムが開校した。

 

第1回は、「ソーシャルキャピタル(社会資本) としてのスローフード」。

ゲストに呼ばれたのが、スローフードジャパン 副会長・石田雅芳さん、と私。

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1986年、ファーストフードが世界を席巻する流れに対抗して、

イタリアで生まれた食の運動。

50人でスタートした運動が世界中に広がり、今では132ヶ国10万人の会員を有する。

日本では全国に10ブロック・45の支部があり、会員数は1,600人。

 

「 この運動は、世界じゅうの生物多様性を守る人たちによって支えられています。

 この運動に参加する生産者は、" 生物多様性のヒーロー "  たちと位置づけられます」

と語る、石田雅芳さん。

 


スローフードは、地域の伝統文化を尊重しながら、生活の質の向上を目指す世界運動。

そのキーワードは、

ひとつに 「おいしい (good)」 -地域で守られてきた味。

ふたつに 「きれい (clean)」 -環境を破壊しない、人間の健康を傷つけない食。

みっつに 「ただしい (fair)」 -生産者に対しての公正な評価。

つまり、環境によく、持続性のある生産方式で経営が成り立ち、

しかも美味しくなければならない、ということ。

 

私たちは美味しいものを食べる権利がある。

食べ物がまずくなった理由は、スピードが速まったから。

お皿の上には、世界の事象がつまっている。。。

 

石田さんの話を受けて、司会・進行役の竹村真一さんが整理する。

地球のサスティナビリティ(持続可能性) を考える際に、

「食」 は大きなキーワードになる。

地球の肺といわれるアマゾンの60%が2030年までに消失すると言われ、

その背景に現在の 「食」 の姿がある。

食べ物は誰が作っていて、どういうふうに運ばれていて、どう捨てられているか。

この  " 見えなくなった "  生産から消費へと至る関係を修復し、

リデザイン(再設計) する必要がある。

「スローフード」 はその意味でソーシャルキャピタル(社会資本) 創生の戦略である。

 

次に指名を受けた大地を守る会の戎谷氏は、少々縮こまりながら

大丸有エリアで開始した 「つながる食プロジェクト」 実験のコンセプトとねらいを

語らせていただく。

設定した4つの価値(基準) -「地産地消」 「安全で安心な食」 

「地域環境に配慮した取り組みがある」 「伝統文化・地域文化を大切にする食べ物」、

これらははからずもスローフードのコンセプトでもあったわけだ。

この価値で生産と消費をつなぎ、この街に拡げる。

そのためにシェフたちがつながって、その食材の個性を引き出し、表現していただく。

流通もシェアしながら、低炭素物流を目指す。

さて、どこまで成果を  " 見える化 "  できるか --現実の課題はなかなかに厳しく、

まだまだ何かが足りないという模索にあります、という調子で。

 

ゲストによるプレゼンに続いて用意されたのは、

ワールドカフェ方式による参加者同士の対話。

立場の異なる人たちが小さな輪に分かれ、カフェにいるような気分で

共通のテーマについて話し合い、アイデアをまとめていくという手法。

 

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テーブルの真ん中には白い模造紙と何色かのペン。

メンバーは自由に語りながら、大切だと思った言葉やキーワードを書き出してゆく。 

 

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ラウンド1では、今日の話から学んだこと、大切だと思ったことなどを話し合い、

ラウンド2では、スローフードを阻害するものを探り、

ラウンド3では、「ではこれからどう実践するか」 を、キャッチフレーズでまとめる。

ラウンドごとにメンバーチェンジしながら、短時間で具体的提案に昇華させてゆく。 

 

皆さん、積極的に会話が進んでいる。 スゴイね。

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最後に発表。 

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自分で作って、自分で食べて・・・

意識すること・・・

知識と体験。 ギャップを埋めるコーディネーターを育てる・・・

食べ物を愛してあげる・・・

といった感じで発表が繰り広げられる。

 

最後に講評を求められた。

僕の感想は、「食べものに含まれる外部経済にアプローチしてほしい」 である。

食べ物は安くなったが、別な形で負担(出費) させられていること。

家計に占める食費は下がったが医療費は上がっている、というように。

お米を食べることで生物多様性を育む環境が守られることの意味、など。

米を外国産に変えたら、守る装置である 「田んぼ」 が失われる。

米(食べ物) は輸入できても、田んぼ(環境) は輸入できない。

スローフード運動の言う  " ただしい食 "  が支持されたなら、

その食べ物の値段は高い・安いではなく、" まっとうな値段 "  になるはず。

生産に対してまっとうな値段が払われることで、環境は守られる。

 

竹村さんのまとめが、にくい。

私たちの手で『真の価値.ドットコム』 をスタートさせませんか。

 

こんな殺し文句でまた一年、

タダ(正確には持ち出し) で付き合うことになるのだ。

 



2012年5月24日

「つながる食プロジェクト」 試食会

 

今日は、丸の内・永楽ビルの 「Daichi & keats」 で、

「大丸有つながる食プロジェクト」 の試食会というのが開かれた。

プロジェクトの概要は先月 (4月5日) 報告したので省かせていただくとして、

今回は、関心を寄せていただいたレストランの方々をお招きして、

実際に大地を守る会の野菜を食べていただきながら意見交換をしようという

初の試みである。

午後の、お客様の少ない時間帯(15:30~17:00) を使わせてもらった。

 

今回参加されたのは4つのレストランの方々。

加えて、永楽ビルに4月にオープンした保育と託児施設の栄養士さんが

参加してくれた。

 


冒頭の挨拶は、三菱地所・エコッツェリア協会の平本真樹さん(写真左端)。 

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続いて戎谷より、実験的にスタートした共同調達のコンセプトや思い、

野菜の特徴などについて説明させていただく。

そして実際に試食していただきながら忌憚ない意見を伺う、という流れ。

 

説明するエビ(右端)。

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(これより下の写真はすべて、「Daichi & keats」 統括マネージャー・町田正英撮影。)

 

野菜はできるだけシンプルな調理で、素材の味を確かめてもらう。

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物流で提携する 「(株)まつの」 さんのスタッフの方が絶賛したのが、

スティック野菜のなかに放り込んだ愛知・天恵グループのベビー・コーン。

「これは美味い!」としきりに褒めてくれた。 

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この時期のおススメ、熊本・肥後あゆみの会さんの 「塩トマト」。 

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参加者からは、葉物を届いた状態で見たい、生のままで齧ってみたい

といった要望から、システムの問題点・課題などについて指摘いただく。

 

「キッズスクウェア」 という保育と託児施設の栄養士さんからは、

決めた献立と実際のメニュー(注文書) の野菜にどうしてもズレが発生すること

の悩みを打ち明けられる。

「でも、大地さんは放射能をきちっと測ってくれているので、

 全部大地さんのでやり切ろうとするんですけど、そこが大変で・・・」

う~ん、、、なかなか厳しい。

 

このシステムによるメリットは価格ではない。

物流の共同化により低炭素(CO削減)+コストダウンを目指すものではあるが、

" 安い "  ではなく  " 安心・安全 "  には相応のコストがかかることは

ご理解願わなければならない。

それをしっかりみんなで支えられる仕組みをつくり上げるためには、

それぞれのポジションで少しの知恵と工夫をお願いすることも、

求めなければならなくなる。

しかし日々追いまくられる  " 現場 "  にとって新たな苦労や面倒を背負うことは、

そう簡単に頷けるものではない。

それぞれに抱える事情というものもある。

 

少しでも意義を感じ取ってもらえるお店を増やしながら、

実際の利用 (=お客様への提案) へと結びつけていくために、

「個別事情を理解する」 ことと 「合理的システムの追求」 という

難問が目の前に立ちはだかっている。

 

できないことはできないんだけど、「できない」 と匙を投げず、

どうしたらどこまでできるか、考えてみよう。

楽しくも試練の 「試食会」 は、これからも続けられる。

 



2012年5月20日

『フード・インク』 監督が語る、食の危機と希望

 

5月4日の山都での堰さらい。

作業終了後のお疲れさん会での  " 乾杯の雄姿をぜひ! "  と

社員の中島俊寛くんが写真を送ってくれたので、貼り付けてみる。

 

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「ベトコン体験」 でずぶ濡れになって、

合羽以外は、上から下まで下着まで、地元・遠藤金美さんからの借り物

(パンツはもらうことにした。 すっかり同志になった気分)。

下のズボンは、いわゆるモンペだが、地元の人はハカマと呼ぶ。

男はハカマ、女はモンペ、なんだとか。

「ハカマ、似合ってるよ!」 と言われてご機嫌、の一枚でした。

なんか疲れてる感じ。 えびす(蛭子) さんみたいだね。

 

さて、昨日(19日) は渋谷・表参道に出かけた。

「東京ウィメンズホール」 で開かれた 「生物多様性の日 記念イベント」。

 

 『フード・インク』 の監督が語るアメリカの食と農の現状

    ~今日のごはん選びが必ず変わります!~    

 

「フード・インク」 -食品株式会社といった意味。

食べ物が工業製品になってしまったことを表している。

" 安くて美味しい "  ファーストフードの秘密、生産の実態を裏側まで描いた衝撃的作品。

2008年、アメリカで公開され、

アカデミー賞長編ドキュメンタリー部門にもノミネートされた。

その監督、ロバート・ケナー氏を招いての上映と講演会。

主催は、食と農から生物多様性を考える市民ネットワーク(食農市民ネット)。

 

「生物多様性の日」 とは、

1992年5月22日に 「生物の多様性に関する条約」(CBD) が採択されたことを記念して、

国際連合が制定した記念日、国際デーである。

毎年この日の前後に、世界中で植樹など色んな催しが行なわれている。

 

映画の解説は省く。

とにかく見るに耐えない家畜の飼育状況と、生産効率を追い続ける結果が、

人々の未来に何をもたらすのかを示唆している。

ブロッコリィよりも安いハンバーグによって、貧しい人ほど肥満と糖尿病に冒される。

抗生物質と耐性菌のいたちごっこでは、人が勝利することはない。

遺伝子組み換え作物は生物多様性を貧しくさせ、生存の安定性を衰えさせる。

耐性をもったスーパー雑草に対抗して組み込まれようとしているのは、

ベトナムの枯葉作戦で用いられた除草剤 2,4-D の成分である。

すべてはお金と企業の独占のためだ。

まだご覧になってない方は、「フードインク」公式サイトを是非。

 ⇒ http://www.cinemacafe.net/official/foodinc/

 

上映後、ロバート・ケナー監督の講演。

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この映画を撮るのに100社以上に取材を申し込んだが、ことごとく断られた

とロバート監督は語る。

食べ物の生産現場がすっかり企業秘密になってしまったわけだ。

世界のフードシステムがひと握りの多国籍企業によって支配されてきている。 

わずか4、50年で、1万年間続いてきた農業システムが根本から変容した。

 

このシステムを支えるのは画一化と単一化である。

アメリカの耕地の半分に大豆とトウモロコシが栽培され、

その大半が遺伝子組み換えされた種に替わってきている。

大量の除草剤が撒かれ、それも特定の除草剤(モンサント社のグリホサート剤、

商品名「ラウンドアップ」) であるがために、抵抗性を持ったスーパー雑草が生まれた。 

現在それに対抗しようとして新しい薬剤が開発されようとしている。

 

この世界は抗生物質も同様である。

抗生物質の80%が家畜に使われ、耐性菌が生まれ、結果として、

私たちの病気を治すことができなくなっている。

そのために2000億ドルという医療費が費やされている。

家畜だけでなく人の命までも犠牲にして、安い食肉生産が維持されている。

安い食品には、見えないコストがある。

実は高くついていることを知らなければならない。

(別なコストを食べる人たちが払わされている。)

 

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先月、アメリカで狂牛病が発生した。

アメリカでの検査はわずか1%なのに、そのなかで発生したのである。

日本が厳しい検査を要求することは、米国でたたかっている人々にとって力になる。

 

アメリカの食品の70%が、遺伝子組み換えされた大豆やコーンによって作られている。

(日本でも知らず知らず食べさせられている。)

しかし表示はされていない。

表示を要求する100万人の署名が集まり、

各地の州で住民のイニシアチブによって法案が提出されているが、

米政府は動かない。 多国籍企業の食糧戦略が勝っている。

遺伝子組み換え食品は、問題がないところに解決策を持ち込んだようなものだ。

日本の表示制度も心許ないが、表示義務を守り要求するることは、

日本のためにも世界のためにも重要なことである。

 

いま、多くの人が声を上げ始めている。

一人の力ではどうにもならないと私たちは思いがちだが、

思っている以上に力がある。

私たちは一日に3回、投票していることを忘れてはいけない。

オーガニック市場が拡大している事実には、企業も気がついている。

 

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映画 「フード・インク」 からのメッセージ。 

[食の安全のために私たちができること] 

 - 労働者や動物に優しい、環境を大事にする企業から買う。

 - スーパーに行ったら旬のものを買う。

 - 有機食品を買う。

 - ラベルを読んで成分を知る。

 - 地産食品を買う。

 - 農家の直販で買う。

 - 家庭菜園を楽しむ(たとえ小さくても)。

 - 家族みんなで料理を作り、家族そろって食べる。

 - 直販店でフードスタンプが使えるか確かめる。

 - 健康な給食を教育委員会に要求する。

 - 食品安全基準の強化を議会に求める。

 

システムを変えるチャンスが1日に3回ある

世界は変えられる ひと口ずつ

変革を心から求めよう

 

「フード・インク」 は、6月3日(日)、

渋谷・アップリンクで開催される 『TPP映画祭』 のなかでも上映されます。

上映後、戎谷がトークを担当します。

「フード・インク」 と 「TPP」 について・・・・・

宿題を指示するのは簡単だけどね。 いや、気が重い。

千葉・山武の田んぼで草取りをやってから、渋谷に走ることになっちゃった。

 

よろしかったら、お越しください。

案内はこちらから ⇒ http://www.uplink.co.jp:80/factory/log/004430.php

 



2012年5月 9日

光(ひかる)さん と 未明(みはる)くん

 

想定外にしんどかった特命堰さらい体験と里山交流会が明けた翌5月4日、

会員さんもお誘いして、帰る前にチャルジョウ農場に立ち寄る。

 

農場主の 小川光さん は、地元の方々から耕作を依頼された西会津の農場に

主体を移していて、こちらは息子の未明(みはる) さんが仕切っている。

 

覗けば、オリジナル品種のトマト 「紅涙(こうるい)」 の定植に入っていた。  

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ここは標高400メートル。 まだ朝夕は肌寒い山間部。

水も引けない場所で、光さんは無潅水での有機栽培技術を確立させた。

冷涼な気候は病害虫が少なく有機栽培に向いている、と光さんは言う。

ただし生産性は低い、はずなのだが、そこからが光さんのスゴイところである。

徹底した省エネ・低コストと環境共生で 「ちゃんと食える」 農業を実践してきた。

 

ヨモギなどの野草を生やし、害虫の天敵を共生させる。

有機質肥料もあえて生で使い、作物の根が伸びてゆく先に施す(溝施肥)。

ハウスの資材はすべてリサイクル。 パイプも農家から譲り受けては修理して使う。

わき芽や側枝をあえて取らない多本仕立のトマト、メロン栽培。

光さんが編み出した技術は本にもなり ( 『トマト、メロンの自然流栽培』 )、

08年には農水省の 「現場創造型技術 『匠の技』」 の認定を受けた。

 

息子の未明さんも、負けてない。 

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一昨年、NPOふるさと回帰支援センターが実施している

「農村六起」 プロジェクトの第1回ビジネスコンペで見事受賞し、

「ふるさと起業家」 7名に選ばれた。

 

「農村六起」 とは、六次産業 (1次・2次・3次産業をミックスさせた事業) 化の

ビジネス・プランを持って地域活性化を目指そう、という意味。

未明さんは、会津在来種の雑穀や豆類を遊休地で栽培し、

加工・販売するプランを構想している。

しかも都会から若者たちを呼び込み、地域活性にもつなげたいと、

親父に負けず、立派な農村起業家として頭角を現してきている。

 

ちなみに未明(みはる) という名は、

童話作家・小川未明(みめい) から頂いたものである。

相当に影響を受けたようだ。

僕も小学生の時、誕生日に母親から童話集を買ってもらったことがある。

赤いろうそくと人魚、牛女(うしおんな)、野ばら、港についた黒んぼ、といった

ヒューマニズム溢れる作品群が強く心の底に残っている。

でも、、、名前にまでつけられるとちょっと、しんどいかも。。。

 

研修生に、ロシアから来た若者が加わっていた。

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有機農場での研修や農作業先を提供する (農場は宿と食事を提供する)

国際的ネットワーク組織 「ウーフ(WWOOF)」 の紹介でやってきた。

「次はヨルダンに行く計画」 だと言う。 

こういう若者が増えている。

昔なら、こんな生き方してると、ヒッピーと言われて親は泣いたものだが。。。 

ま、頑張ってくれたまえ。

いや、" 頑張る "  という言葉も、彼らには適切ではないのかもしれない。

 

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好きにすれば・・・・・て感じ? 

 

未明さんを代表として、浅見彰宏さんや新規就農者・研修生たちで結成された

「あいづ耕人会たべらんしょ」も4年目に入った。

夏には 「会津の若者たちの野菜セット」 が組まれる他、

在来種 「庄右衛門いんげん」 が

とくたろうさん 』(地方品種・自家採種品種のファンクラブ) に入る予定です。

乞うご期待。

 

さて、残してしまった話題がある。

里山交流会で聞かされた、菅野正寿さんの重たい報告。 

すみません、気を締め直して・・・ 続く。

 



2012年5月 7日

未来に残したい財産は、ここにある

 

未来に残したい財産は、ここにある。

特段珍しくもないけど、

それでも美しい (と感じるのはそれぞれの個人史によるようだけど)、

資源の宝庫、ニッポンの里山。

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僕のゴールデンウィークは、ここ会津・喜多方市山都町での

" 堰さらい "  ボランティアが年中行事となった。

毎年5月4日に実施される、地元総出での水路の清掃作業。

6年連続6回目の出場、ということで秘かに自分を褒める。

この作業の説明はもういいですかね。

毎年書いているので、昨年のブログ を見ていただくことで省略したい。

 

今年のボランティアは、過去最高の49名を数えた。

大地を守る会からは職員・会員合わせて13名 + 将来のボランティア後継者1人。

ついに二ケタ到達! 一大勢力と言われるまでになった。

苦節6年、ウウッ(泣)。。。

 

前夜祭で盛り上がった後、二つの公民館に分泊したボランティアたち。

我々が泊まったのは本木(もとき) 集落組。

朝みんなで朝食をつくって、食べて、お昼用のおにぎりを握って、片付けて、

7時半集合。

堰守りから挨拶があり、班分けが読み上げられる。 

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「頑張りましょうね、皆さん」 と余裕をかましていたら・・・

今年の作業は、ちょっと、、、違った。

通常の堰の土砂さらいとは別に 「特別班」 なるチーム編成が行なわれ、

大地を守る会から僕と須佐(農産チーム職員) が指名された。

「何をやるかと言うとですね・・・・」 と

何やら意味深な 「堰と里山を守る会」事務局長・大友治さん。

「崩れたところとか、倒木の片づけとか、詰まっていそうなトンネルの箇所とか・・・」

状況が想像できるだけに、一瞬うろたえ、唾を飲む。

しかし、、、ここでひるむワケにはいかない。

腰に手をやって、にっこり笑って、覚悟を決める。

 


というわけで、僕と須佐は地元の二人に連れられて、

別働隊として堰に分け入ることになった。

 

今年の冬は雪が多く、春が遅かった。

なだれ的に崩れた箇所がある。 倒木もでかいのが落ちてきている。

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そして・・・

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この溝に潜って土砂を掻き出す・・・ わけですか?

そう、らしい。

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隊長の遠藤金美(えんどう・かねみ) さんが先に入り、

土砂をバケツに汲んでリレーする、と言う。

2番手は、大地を守る会のプライドをかけて、、、行くしかない。

四つん這いではない、文字通り、腹這いで。 

体を上げることも向きを変えることもできない。

天井の隙間から冷たい水がボタボタと落ちてくる。

あんまり想像してもらいたくないけど、

水というやつは、どんなに細かい隙間にもしみ込んでくるのである。

あっという間に全身ずぶ濡れ状態。

それでも、家庭菜園用のスコップで土砂を浚ってはバケツに汲み、

ヤモリのように水の中を這いながら、前進-後退を繰り返す。

 

中は当然暗い。

入口から懐中電灯を照らしてもらいながら作業を進める。

闇の先で金美さんの声がした。 「こりゃ、ベトコンだぁ!」

圧倒的戦力を誇るアメリカ軍に対し、地下トンネルを張り巡らせて

ゲリラ戦で対抗した 「南ベトナム解放戦線」。 米軍は彼らをベトコンと呼んで恐れた。

ベトコンと聞いて、アドレナリンが吹き出してきたか。 

負けるわけさ、いがね! ってなもんで。

しかし、体はどんどん冷えてきて、やがて震え始める。

 

間もなく、ここは作業ポイントではなかった、という落ちがつくのだが、

ま、それはともかく、

金美さんが気遣ってくれて、お昼前に中断して里に下り、

金美さん宅でシャワーを借り、

着替えを一式用意してもらって (パンツと股引はもらうことにした)、

お昼を食べて、午後再び山に入るという、

6年目にして戴いた、貴重な 「ベトコン体験」 であった。

 

やっぱりボランティアでは本当のご苦労は分からないですね、と聞けば、

「いやあ、オレも入ったの、初めてだあ」 と金美さんも笑ってくれる。

 

足手まといになったのか、力になれたのか、分からない。

でも、この堰にいっそうの愛着が涌いたのは確かだ。

水よ、巡ってくれ、この里に。

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作業終了後、例によって早稲谷の公民館前で打ち上げ。

気を使ってくれたのか、乾杯の音頭に指名された。

 

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風呂に入って、夜は 「里山交流会」。

今年の勉強会には、二本松市東和の菅野正寿さんが呼ばれていた。 

 

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菅野さんの話には意外な報告があって、

ちょっと重たいので次回に回すとして、

ここでまったく想定外の人に会ったので、触れておきたい。

 

人気長寿漫画 『美味しんぼ』 の原作者、雁屋哲さんだ。

 

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雁屋さん一行は今、

福島を取材して回っている。

 

実は昨年暮れ、雁屋さんから

知り合いの会津農家の米を売ってくれないかと依頼されたのだが、

僕らも契約農家の米を売るのに手一杯であることを伝えた経緯がある。

雁屋さん推薦の米ですら・・・ですか、と言いながら。

 

みんな苦労しながら、突破口を目指している。

僕らは近いうちに、ひとつの出口で出会うことになるだろう。

出会わなければならない。

頑張りましょう。

一緒に作業すればよかったのに- という台詞はさすがに抑えた。

 

すっかり地元のキーマンになった浅見彰宏さん。

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気がつけば、

チャルジョウ農場、小川光さんも登場。

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アコーディオンを奏で、女子に取り囲まれている。

息子の未明(みはる) さん、曰く。

「こういうところでのオヤジは、すごいんですよ。 かないません。」

 

「種蒔人基金」 で用意したお酒 「種蒔人」 24本は、完売で足りないくらい。

自腹で確保していた6本も供出して、里山交流会は熱く終了した。

 



2012年5月 6日

すべての原発が止まった「子どもの日」

 

昨夜、2012年5月5日午後11時3分、泊(3号機) が止まりました。 

日本で稼働していた原発すべてが停止した、記念すべき 「子どもの日」 。

にくい計らいですね。。。てことはないか。

 

このまま再稼働がなければ、

二度とフクシマのような大惨事は起きないですむ(だろう)、、、日本では。

これ以上悪くなることはない、と思いたい。

しかし厖大な核廃棄物の管理は未来永劫にわたって続くわけで、

そのコストは子々孫々に負わせ続けなければならない。

ただひたすら厳重に隔離させるためのコスト。

不条理なことだと思う。。。

仮に一部再稼働させても、将来へのツケは増すばかりである。

いったい誰のための再稼働なのだろうか。

 

「電力不足」 で危機を煽る方々には、

「節電で乗り越えられるならOKですか?」 と問い直したい。

「乗り越えられるならいいですけど」 と答えるなら、提案がある。

全国の自動販売機を停止してはどうだろうか。

特に煙草の自販機は不要である。

利用者だって、ないものと思えば、少々の工夫で何とかなるだろう。

何とかしようぜ! コンビニだってあるんだからさ。

みんなで知恵と工夫を出し合い、また企業なら

次代に向けての技術革新・市場創出のチャンスと捉えるべきだ。

 

とにかく、廃炉に向けての道のりは、これからである。

福島第1原発の廃炉完了には、

僕には確かめることすらあやうい時間 (30年以上) が必要とされている。

せめて 「持続可能な社会」 の夜明けを見とどけ、確信をもって眠りたいものだ。

頑張らないとね。

「子どもの日」 がいつも希望の笑顔で輝いていられるように。

 

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加藤登紀子さんが提唱した 「緑の鯉のぼり」。

僕の机にも女子がさりげなく立ててくれて、眺めては自らを励ます。

 

未来に残したい財産は、ここにある。 

どこにでもある(あった、と言うべきか)、しかも美しい、日本の里山風景。

資源の宝庫、でもある。

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・・・・・という流れで、会津・堰さらいの報告へと進みたいのだけど、

昨日遅くに帰ってきて、今日は一日遅れの 「子どもの日」 の感慨に

どっぷり浸かってしまった。

レポートは明日に回して、あちこち張った筋肉と腰をさすりながら

このまま思いにふけることを、お許し願いたい。

 


 



2012年5月 2日

地球大学 Ver.3 - テーマは 「食」

 

先日予告した

『 大地を守る会の 放射能連続講座

  ~食品と放射能:毎日の安心のために~ 』 

第6回目の講師が決定しました。

(独)国立病院機構・北海道がんセンター院長、西尾正道さん。

専門家の間でも決着できないテーマ、「低線量内部被曝」 の問題を

解析していただきます。

日程は10月6日(土)、午後1時半~4時。

場所はこれから探します(都内を予定)。

 

もう一つの予告を。

久しぶりに竹村真一さん(京都造形芸術大学教授、文化人類学) から、

丸の内地球環境倶楽部 「地球大学アドバンス」 へのお呼びがかかりました。

 

『地球大学アドバンス』

地球環境の様々な問題や解決法についてトータルに学び、

21世紀の新たな地球観を提示するセミナー。

竹村さんがモデレーターとなって、毎回多彩なゲストを招いて行なわれる。

2006年、大手町ビルにあった大手町カフェで 「地球大学」 がスタートして7年。

2008年に新丸ビル 「エコッツェリア」 に移って、

その間開催されたセミナーは50回に到達した。

僕は2009年の10月、

『 日本の 「食」 をどうするか? 』 というテーマを与えられ、

主に水田という機能が持っているたくさんの価値についてお話しさせていただいた。

『地球大学講義録 -3.11後のソーシャルデザイン』 という本に収録されています。)

 

そして今年度の地球大学のテーマは、改めて 「食」 に焦点を当てたい、

というのが竹村さんの狙いである。

「食」 の後ろ側にある地球環境問題や日本の課題について掘り下げ、

解決に結びつける具体的なアクションの創出につなげたい。

「地球大学」 は言わば新たなバージョン3 として、

これまでのお勉強から実践へと進化させるための構想を描くものにしたい、と。

 

そこで去る4月16日、

「地球大学」 2012年度開校にあたってのキックオフ・ミーティングが開かれ、

30名ほどの関係者が呼ばれたのだった。

 


竹村さんから、いろんな視点での 「食と環境」 の課題と方向性が示され、

丸の内をいかにグリーンな街にするか (しなければならない)、

という視点に立って 「食のリデザイン」 を構想していきたいと、

例によって竹村ワールドのプレゼンテーションが進む。

その1回目として、まずはいま大丸有エリアで進み始めている 

" 食の共同調達 "  実験、「大丸有つながる食プロジェクト」 構想を取り上げたい。

そこでいきなり僕の目を見て、「戎谷さん、よろしく」 ・・・・・ときた。

そうか、呼んだのはそういうわけだったのね、、、くそ! やられた。

他の方も同様で、もう皆で笑うしかない。

 

というわけで今年度第1回は、

5月28日(月) 18:30~ 「エコッツェリア」 にて開催となりました。

近々にも丸の内地球環境倶楽部の HP で告知されると思いますので、

興味ある方は是非。

 

会議終了後は、参加者同士の交流会がセッティングされた。

食材は、我が 「Daichi&keats (ダイチ&キーツ)」 から用意させていただいた。

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お店の台所事情はまだ一杯一杯の状態なのだが、

無理に頼みこんで、用意してもらった。

ま、やるとなったら、しっかり気合い入れて作ってくれたようで。

 

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用意してもらったメニューは、以下の通り。

★ D&K野菜デリ&サラダ盛り合わせ

★ 野菜と雑穀のサラダ

★ 雑穀入りチキンから揚、エコシュリンプフライ、新じゃがポテトフライ

★ 丹沢ハム工房の無添加ハムソーセージ盛り合わせ

★ 野菜サンド、雑穀おにぎり

 

どれも、生産者の顔が見える食材たちです。

オリジナルの人参ドレッシングもお試しください。

-と、慣れない料理紹介をして、食べていただく。

 

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どれも大好評で、残った料理はなんと 「エコッツェリア」 のスタッフたちの

翌日のお昼のともに供された、とのこと。

後日伺った際に 「それでも美味しかったんですよ、感激でした」 と言われた時は、

褒められるのに慣れてない僕は、ただ照れるのみで・・・(なぜお前が照れる?)

「Daichi & keats」 の皆さん、ありがとう。 お陰でメンツ立ちました。

 

「地球大学アドバンス」 2012年度は、

「食」 の理念からアクションへ。

僕たちは何を食べるのか

 - その向こうにある価値をどこまで共有することができるか。

実験を実験で終わらせないための、" つなげる力 " が問われる年になる。

 



2012年4月30日

須賀川から、新しい社会づくりを-

 

4月28-29日、福島県須賀川市で開催された

「 第12回 菜の花サミット in ふくしま」 レポートを続けます。

 

" Energy Rich Japan (エネルギー豊富な日本) "  

ドイツでバイオマスエネルギー村を誕生させたマリアンネ教授からの

刺激的な激励メッセージを受けて、

福島県下で取り組まれてきた 4つの事例が報告された。 

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【報告1】- 「津波塩害農地復興のための菜の花プロジェクト」

  東北大学環境システム生物学分野教授、中井裕氏より。

【報告2】- 「菜種に対する放射性物質の影響について」

  福島県農業総合センター作物園芸部畑作科主任研究員、平山孝氏より。

【報告3】- 「菜の花の栽培技術について」

  株式会社エコERC代表取締役、爲廣正彦氏より。

【報告4】- 「須賀川市菜の花プロジェクトの取り組みについて」

  株式会社ひまわり総務部長、岩崎康夫氏より。

 

4つの報告を僕なりにまとめて要約すれば、以下のようになるだろうか。

1.この1年、各地で試験されたナタネやヒマワリ、エゴマ等による

  「(放射性物質の) 除染効果」 は必ずしも高いとは言えないが、

  搾油した油にはほとんど移行しないため、

  畑の有効活用とエネルギー自給への取り組みとしては高い有用性がある。

  塩害農地対策としての効果を上げるには、耐塩性品種の選抜が課題のようだ。

2.ナタネ栽培を起点として、「食」 と 「エネルギー」 生産のサイクルを、

  地域の多業種が連携することで実現できれば、

  持続可能な新規の環境産業の創出 が期待できる。

3.須賀川市で展開されている菜の花プロジェクトは、以下の点で特筆される。

  A) 耕作放棄地を再生させる効果がある。

  B) 搾油された油を学校給食で使用 ⇒ 使用済み油を回収 ⇒ 

    バイオ燃料(BDF)に精製 ⇒ 軽油の代替燃料として活用する、

    という地域循環が成立している (回収には地元スーパーも参加)。

    これによって、震災直後に石油燃料が途絶えた時も、須賀川市では

    ゴミ収集車3台がいつもと同じように回ることができた!

  C) 菜の花の種まきを子どもたちが行なうことで環境教育に役立っている。

3.課題は、品種選定から安定生産、燃料の品質向上など様々に残っているが、

  とにかくポイントは、生産(製造・再生) と消費(活用) のリンクである。

  地場生産された菜種油には、油代以外の多面的な経済価値が含まれている。

  そのことをどう伝えていくか(=消費の安定的確保) が重要だと思えた。

 

続く第3部では、ジェイラップ代表・伊藤俊彦さんと

「NPO法人チェルノブイリ救援・中部」 理事・河田昌東さんによる対談が組まれた。

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対談テーマは、「福島の放射能と食の安全」。

 

伊藤俊彦さん

 - 間違いなく、「この一年、放射能について最も勉強し、たたかった農民」 の代表だろう。

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共同テーブルで実施した学習会(白石久仁雄氏今中哲二氏) や

専門家ヒアリング(菅谷昭・松本市長) にも食らいつくように参加してきた成果が

資料によくまとめられ、また発言の随所に活かされていた。

 

伊藤さんは断言する。

「汚染されない農作物をつくるための生産技術の研究と革新に向かうか、

 ただ手をこまねいて国の基準値内に収まるのを待つか。

 これによって我々(福島) の農業の未来は明暗を分けることになるだろう。」

 

放射性物質の性質や挙動を学び、

土壌の力を分析し、食物の機能から鉱物資材の専門書まで読み漁り、

理論的根拠を忘れることなく対策を組み立ててきた。

その執念にずっと付き合ってきた専門家が、河田昌東さんである。

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チェルノブイリの経験から得た知見をもとに、

ジェイラップ(稲田稲作研究会)の試行錯誤を支えてくれた。

 

いま伊藤さんが考えていることは、

食物の力が最大限に活かされるための生産技術の確立である。

例えば、玄米には、ペクチンやセルロース・ヘミセルロース、フィチン酸など、

内部被曝対策に有効とされる機能性要素が豊富に含まれている。

自らが生産する  " 安全で機能的な玄米 "  で孫を守って見せる。

汚染されない稲作技術を確立させ、詳細な分析に基づく安全確認を経て、

玄米の機能性を最大限に生かした  " 放射能対策食 "  を目指したい。

 

例えば、黒米にある抗酸化物質(ポリフェノール、アントシアニン) や

アミノ酪酸(ギャバ)、赤米に含まれるタンニンの金属イオン結合効果。

例えば、インゲンやサヤエンドウはカリウムの吸収量が多く、

したがってセシウムが移行しやすい作物であるが、一方で

セシウムの排泄機能に長けるペクチン含有量が高いという特性もある。

汚染されない栽培技術が確立されれば、

インゲンやサヤエンドウは放射能対策の極めて有効な作物になる。

 

勉強し、挑戦し続ける百姓でありたい。

そして、福島の人のほうが健康だと言えるまでにしたい!

 

伊藤俊彦渾身のプレゼン。 

売ってみせないと、合わせる顔がない。。。。

 

一日目の最後に、

岩瀬農業高校の生徒たちによる 「サミット宣言」 が読み上げられた。 

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私たちは福島が大好きです。

福島はステキなところです。

私たちはあきらめません。

日本の再生を、この福島から始めましょう。

 

夜の歓迎レセプション、交流会。

河田昌東さんと談笑する二本松有機農業研究会・大内信一さんがいた。

ツーショットの一枚を頂く。 

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夜は、伊藤さんと二人で、須賀川の夜をはしごする。

この人とは、なんぼ話しても話し足りない。

 

二日目は、

分科会① - 「農地の放射線量低減対策と食の安全確保について」 に参加。

ジェイラップの対策事例から学ぼうというグループ。

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詳細なデータMAPを示しながら、

昨年の成果と今年の対策を語る伊藤俊彦さん。 

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僕は、ところどころで補完する係として一番前に座らせられる。

伊藤さんの指示は、次のひと言をガツンとやれ、というものだった。

「 国の基準以内に収まればいいということではない。

 常に安全な農産物生産に向けてたたかう姿勢を見せること。

 消費者の信頼は、それによって帰ってくる。」

言えたかどうかは、どうも心もとないけど。。。

 

最後のまとめは、菜の花プロジェクト・ネットワーク代表、藤井洵子さん。

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二日間にわたる盛りだくさんのプログラムをやり切ってくれた

須賀川市のスタッフたちの頑張りに感謝しつつ、

「今日の成功をバネに、全国の仲間とともに、新しい社会づくりに踏み出していきましょう」

と力強く締めくくられた。

 

「エネルギー自給へのイノベーションを、須賀川から発信したい」

と熱く語る伊藤俊彦。 

彼との付き合いも、米から始まって、酒、乾燥野菜ときて、

さらに深みに向かう予感を抱きながら、須賀川を後にしたのだった。

 



2012年4月29日

全国菜の花サミット in ふくしま

 

いま私たちが望む復興・再生とは、単純に3.11以前に戻すことではない。

様々な反省をテコにして、新しい持続可能な社会へと転換させることだ。

そのための道筋を切り拓いていきたい。

 

福島・須賀川には何度も足を運んでいるけど、

田植え前のこの時期に来ることは少なかったように思う。

ましてや街の風景を眺めることなど、なかったね。

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桜並木に鯉のぼりがはためく爽やかな一日。

今回はジェイラップにも寄らず、

昨日から二日間にわたって開催された大きな大会に参加することになった。

 

『 第12回 全国菜の花サミット in ふくしま 』

よみがえれ ほんとうの空

おきあがれ 明日への大地

~ 「菜の花プロジェクト」 と 「食の安全」、放射能に負けない福島の姿 ~

 

会場は、一日目(昨日) が須賀川市文化センターでシンポジウム。

二日目の今日は、福島空港ビルで3つの分科会と3コースに分かれての現地見学

というプログラムで行なわれた。

 

時間を調べずに向かったら、郡山から在来線への連絡がとても悪く、

やや遅れて到着してしまった (怒!)。

主催者や来賓の挨拶など開会セレモニーが行なわれていて、

何とか基調講演の開始には間に合ったようだ。

 

講師はドイツから招いたお二人。

放射能に負けない、未来の福島の姿を描くために、

ドイツのバイオエネルギー村の成功事例から学ぼうという設定である。

地域再生の方向性を示したいという、主催者の強いメッセージが読み取れる。

 

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ドイツにおけるバイオマスエネルギー村の取り組み。 

講師は、ゲッティンゲン大学教授、マリアンネ・カーペンシュタイン・マッハンさんと、

コンサルティング会社社長、ゲルド・パッフェンホルツさん。 

 

チェルノブイリ原発事故をきっかけに、

再生可能エネルギーへのシフトが着実に進んできたドイツ。

2020年には再生可能エネルギーのシェアを20%に、

2050年には50%にする目標が設定されている。

福島原発事故の後には、2022年までに原子力発電を全廃することが合意された。

 

再生可能エネルギーには、風力・ソーラー(太陽熱)・地熱など様々な形態があるが、

現在、ドイツでのエネルギー供給量に占める再生可能エネルギーの割合は12.2%で、

うちバイオマスが8.2%だという (再生可能エネルギーの67%)。

地域の農業と共生でき、地域内で資源を調達できるバイオマス・エネルギーは、

目標達成のために、ますます重要な役割を果たすことが期待されている。

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わらや腐葉土、肥料、有機性廃棄物など、たくさんのバイオマスのタイプが

エネルギー単体として使用することができる、とマリアンネさんは強調する。

 

地域内資源を活用し、再生可能エネルギーで100%まかなう集落

「バイオマスエネルギー村」 が誕生したのは今から10年前のこと。

ゲッティンゲン大学の科学者チームによって始められたプロジェクトは

「灯台プロジェクト」 と名づけられた。

ゲッティンゲン地域で集中的な広報活動が行なわれ、17の村が興味を示した。

それぞれの村で、すべての居住者を招待しての説明会や意見交換が行なわれ、

アンケート調査によって、実現可能性の高い4つの村が選定された。

そのなかで住民の参加意欲や諸条件(農園の態勢が整っている等) によって、

ユンデという村が最初に選ばれた。

 

取り組みの意義や成果が村の人たちに浸透していくために、

大学のチームと村長をはじめとする村の人々による

計画推進のための核となるチームが、村内に結成された(村民の満場一致によって)。

そこで、発電所の場所、大きさ、バイオマスに支払われる価格、熱エネルギー価格などが、

住民合意のもとで決定されていった。

そしてすべてのプロジェクト参加者が発電所の株主となった。

 

2005年、発電所が完成し、発電と供給が開始された。

ユンデ村での導入後、ゲッティンゲン地域で4つのバイオエネルギー村が誕生し、

ドイツ国内に波及していった。

現在では国内の68集落にまで広がりを見せているという。

初期投資にはドイツ政府の補助金もある。

 

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このプロジェクトを成功に導いた要因として大事だと思ったのは、

地元住民の  " 気づき "  とともに歩む姿勢である。

マリアンネさんは語る。

 

民主主義社会において、人々を強制しては何の意味もなさなくなる。

農村地区のプロジェクト参加はボランティアでなければならず、

したがって灯台プロジェクトの最初の壁は、技術的なものではなくて、

社会的改新 (意識改革?) をしなければならないことであった。

 

バイオエネルギー村の導入によって、無数の変化が人々に起きた。

村はエネルギー供給者と受給者としての社会的役割を受け入れ、

彼ら自身のエネルギー需要に取り組むことになる。

たくさんの最先端の知識が必要で、

たくさんの新しい役割が関係者に課せられた。

 

そのプロセスは大学のチームによってまとめられた。

成功したコミュニティのリーダーにインタビューして成功の要因を見つけ、

整理し、他に適用させていった。

潜在的なリーダーを見つけ出すことに、村の個々人とコンタクトを作ることに、

すべての人に中立的な科学情報を提供することに、

批判を言う者に対して適切かつ丁寧にふるまうことに、

公共のメディアとの良好な関係を作ることに、

コンセプトを広めるために、お祭りや、既存のネットワークを活用して

新しいモデル資産になるものを発掘していくことに。

 

日本で、バイオエネルギー村は可能だろうか?

マリアンネさんの答えは明確である。

 - バイオエネルギー村は、どこでも可能です。

  あるいは太陽・風力・地熱とバイオマスを組み合わせた  " 自然エネルギー村 "  は、

  とてもいいソリューション(解答) です。

  日本に対するドイツの見解は、

  " Energy Rich Japan (エネルギー豊富な日本) "  です。

 

  それらは気候、資源、そして環境保護に貢献します。

  エネルギー供給と独立した安全保障に貢献します。

  再生資源はきれいで、人体や環境に害を及ぼすこともなく、

  廃棄物が出ないため、ゴミの問題がありません。

  バイオ・自然エネルギー村は、それらの地域や村の農業、工芸品や軽工業を

  ともに行なう魅力的な場所に (再び) なることで、

  人々のアイデンティティを強化します。

 

ドイツからの刺激的な基調講演を受けて、

3.11後、福島で取り組まれた事例報告が行なわれた。

 

すみません。続く。

 



2012年1月12日

魚食文化の再興を誓う

 

今日は久しぶりに丸の内の話題で書く予定だったのだが、

その前に、おさかな喰楽部新年会の報告を終わらせなければ。

 

さて、ウエカツさんに続いて、次なる登場人物はこの人。

鮮魚の達人協会 」 理事長・山根博信さん。

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1961年、和歌山の漁師町に生まれる。

家の水産物仲卸業を継ぐも、魚には興味がなかった。

「継いだのは、トラックの運転ができるから」(笑)。

しかし26歳で結婚してから、考えるようになった。

自分はただ運んでいるだけで、魚を見ていなかったことに気づく。

そう思って市場を眺め始めると、魚の流通が変わってきていることに気づき、

このままではいけないと思うようになる。

 

浜ではたくさんの魚種が揚がるが、値がつかないものがたくさんある。

市場で値がつかない、動かない魚を売ってお金にして漁師に還元する必要を感じ、

2005年、鮮魚の達人協会を設立する。

 

鮮魚の達人協会。

卸業者や仲買業者など、魚を見極める専門家たちのあつまり。

漁業者と家庭を結び、美味しい魚を提供する。

旬の魚、美味しい魚を取り入れた健康的な生活を応援する。

魚についての知識や魚食文化の普及に努める。

海洋環境や地球環境の保全に努める。

 

今や漁業者は、魚の目利きだけでなく海洋環境まで目配りしなければならなくなった。

生きにくい時代になってしまったもんだ。

 


山根さんはハチマキ締めて百貨店の店にも立つ。

どんな魚でも、その特徴を伝え、食べ方を教え、味見させれば、絶対に売れる。

 - それが山根さんの信条である。

 

協会が認定した 「鮮魚の達人」 が、今は全国に50人余り。

その人たちをネットワークしながら、

美味い魚をちゃんと食わせる流通の新しい仕掛けを模索している。

彼らの被災地支援は、三陸の魚をしっかりと流通させること。

大阪でフェアなどを展開している。

 

ウエカツさんや山根さんとのつながりのなかで生まれたのが、

人気の 「大地を守る会の もったいナイ魚」 シリーズである。

さらにいろんな悪だくみ、いやもとい、熱い企画が検討されている。 

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左からウエカツさん、山根さん、弊社 「おさかな喰楽部」 担当・吉田和生。

この3人が並んで歩いていたら・・・ やっぱ人は避けて通るか。 

でも、思い切って目を合わせてみれば、分かる。 優しい男たちなのだ。

 

3人が語る。

山根さんのような人がいれば、売れない魚はない。

しかし、いない。

スーパーのバイヤーでも知識を持っている人は多いのだが、

売れるための工夫につながっていない。

たとえばサバは今が一番脂が乗っている時期だが、

スーパーの店頭には一年中あって、夏に塩焼きにしたって本当の美味いサバではない。

でも知らせていないから、いい消費に結びついてない。

いったん離れた消費者を取り戻すのは大変なことなのに。

サンマ一本70円なんて安すぎる! と言い張ろう。

もう一度、魚の旨みのるつぼに消費者を引きずり込む必要がある。。。。。

 

最後に指名されて登場したのが、モデルの Lie (ライ) さん。

魚を、海を愛するタレントやモデルさんたちで 「ウギャル」 を立ち上げる。

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 魚(ウオ) と海(ウミ) の ウ と ギャル をくっつけて、ウギャル。

ホームページを見てほしい (上の 「ウギャル」 をクリック)。

ニホンの食文化、海への感謝、若者の健康促進、魚食文化の発展を目指します

と堂々と宣言している。

Lie さんの特技は、魚をさばくこと。

復興支援にも積極的に動いている。

 

ウエカツさんの言う 「新しい芽吹き」 は、あるのである。

期待したい、などと他人事のように言っている場合ではない。

オジサンも頑張ってくれなくちゃ ♥ 、て言われてんのよ。

頑張らないわけにいかないっしょうよ、おっさん!

 

放射能の議論もあったが、これは簡単な道のりではない。

ただ、ゼッタイに海を見捨てるワケにはいかない、のである。

僕としては、獲る人が諦めない限り、彼らとともに歩きたいと思う。

僕にだって、漁村に育った矜持(きょうじ) は、残っている。

 

皆と飲んで歌って、帰ってから、

久しぶりに出刃包丁と刺身包丁を取り出して、研いだりして。。。

もっとも困難な時代にあって、魚食文化の再興を、誓う。

 



2012年1月11日

楽しく Re-Fish! 新年おさかな勉強会

 

1月8日、日曜日。 千葉県浦安市。

法事や宴会・仕出しなどで利用される料亭 「浦安 功徳林」 の御座敷。

ここにいかにも魚屋って感じの手荒そうな、いやもとい、たくましい男たちと、

お魚大好きという会員さんたちが集まった。

 

専門委員会 「おさかな喰楽部」 主催による新年勉強会。

「水産庁のウエカツさん、鮮魚の達人・山根さんと楽しく Re-Fish!」

知る人ぞ知る、分かる人は分かる、分からない人には何のことか分からない、

けど何やら楽しげなタイトル。

 

水産庁のウエカツさん。 本名、上田勝彦。

島根県出雲市出身。 長崎大学を出て漁師になって、

その後水産庁に引っ張られたという異色の経歴。

魚の伝道師とも呼ばれ、

NHKの朝番組 「あさイチ」 にため口で登場してからブレイクしちゃったとか。 

現在の正式の所属・肩書は、水産庁増殖推進部研究指導課、情報技術企画官。

「 ひと言でいえば、資源管理ですわ。

 逆に言えば、魚をどうやって売っていくか、でもある。」

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" なぜ私たちは、魚を食べ、漁業を守らなければならないのか " 

以下、伝道師・ウエカツが一気にまくしたてる。

 


魚離れが言われて30年。

消費量は減り続け、

魚をよく食べる年齢も戦後の年齢構成の変化とともに上昇を続け、

今は50代以上になってしまっている。

寿司屋に人は入っているではないか、と言われるかもしれないが、

それは魚が嗜好品になってきているということである。

学校給食でも魚が出ることはない。 

 

では、魚離れがなぜ問題なのか。

人の食習慣や食文化は、本来、地理的な環境要因によって規定されている。

日本は狭い国土だと言われたりするが、

海岸線の距離はどれくらいか知ってますか。 米国より長いんです。

( エビ注・・・約3万4千㎞。 約3万㎞というデータもあるが、いずれにしても世界第6位。

 米国の1.5倍以上、中国の2倍以上。 ロシアは第4位の長さだが、

 北極海は冬に凍結する。 水が循環する海岸線ではロシアより長い。)

 

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日本は世界有数の海岸線大国、然るべくして海洋国家なのである。

狭い面積でたくさんの人口を養ってきた力は海洋、つまり魚食である。

(エビとしては、「水田稲作」 も追加したい。

 ちなみに面積は世界第61位。人口は世界第10位。)

健全な魚食を維持することが、国民を養う上でもっとも合理的な方法なのである。

 

生物の世界には食物ピラミッドというのがある。

ヒトはその頂点に立っていると思っている方もおられようが、実は違う。

ヒトは下位の生物から上位の大型生物まで食べている動物である。

つまりピラミッドを崩さない食べ方をすることで安定する、それが人間なのだ。

この社会を持続可能にするためには、

食物ピラミッドを維持させながら食べることが大切になる。

 

したがって日本人は、魚食文化を維持することこそが賢明な選択となる。

魚食の崩壊は、祖国存亡の危機だっつうの!

 

魚は長く無主物として扱われてきた。

(エビ注・・・「無主物」=持ち主がいない。

 最近の活用事例では、降ってしまった放射性物質は 「無主物」 だから返されても困るし、

 金を払う義務もない、という電力会社の主張があった。)

つまり、獲った者勝ちだったわけだ。

しかしだんだんと、人類共有の財産という考え方になってきている。

みんなで守らないといけない時代になっているワケです。

 

そこでこう思うのである。

生産者というのは、食べる人 (消費者) の代行者である。

代行して獲る。 と同時に、代行者として、絶やさないという責任も負う。

だからこそ消費者は、買って食べて生産を支える、そんな関係にある。

その生産と消費のバランスを調整するために、加工や流通の使命がある。

 

昨年の勉強会で、俺はこう言った。

「今年を魚食復興元年にしよう! Re-Fish! でいこう」 と。

( Re-Fish  ・・・魚の復興とか魚食に帰ろう、といった意味合い。)

しかし3.11を経験してきた今、

今年のテーマは 「原点回帰!」、これだね。  以上。

 

いやいや、実に歯切れがよい。

しかもウエカツさんの水産資源管理と魚食文化論は、

「資源」 という概念の本質まで突いてきているように思えた。

そもそも 「日本は資源のない国」 という論は、

昭和初期の、軍が強力になって外に侵出するのと機を一にして出てきた主張だと

最近知らされた次第である (佐藤仁著 『 「持たざる国」 の資源論』 より)。

その意識は今だ根強く、この国は国土や環境(資源の土台) を

荒らしまくりながら、裸の自由貿易へと走ろうとしている。

一方で、エネルギー資源の発想はドラスティックに変わろうとしているのだ。

このテーマ、たっぷりと議論する必要がある。

 

続いて、もっと強面(こわもて) なお父さんが登場するのだが、

本編続く、でごめんなさい。

 



2011年9月23日

「地球大学」 の講義録

 

台風によって大量の水が太平洋から運ばれてきて、

人里には災害ももたらすけれども、水が潤沢に溜まることは幸いでもある。

百年後のミネラルウォーターの源泉だから。

でも山 (森) が崩れれば、その保証はできない。

 

台風一過で、水蒸気やちり(ダスト) が取っ払われて、天高く感じる。

秋が来ましたね。

今年はピッタリ  " 暑さ寒さも彼岸まで "  になったようです。

今日、幕張の歩道橋で赤とんぼと遭遇しました。

 

でも、やっぱり気は晴れません。

彼方此方から農産物被害の報告を聞かされることもあるけど、

一昨日のひと言がいけなかった。

「この崩壊現象は、なんだ。。。。 ヤバイね。本当にヤバイ。」

と書いてから、どうもいろんな場面で反芻してしまっているのです。

 

ロバスト(強健) な社会を再構築したい! いや、しなければいけない。

-そこで、おススメの本を一冊。

このところ本の紹介や引用が多くなっているのを気にしつつ、

でもこれは挙げなければならないワケがあって。

実はワタクシも登場しているのです。

 

『地球大学 講義録 -3.11後のソーシャルデザイン』

竹村真一+丸の内地球環境倶楽部・編著。 日本経済新聞出版社から。

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このブログでも何度か紹介した、丸の内 「地球大学」 の講義録に

コーディネーター・竹村真一さんの一文が追加された形になっている。

2ヵ月前に出版されてすぐに送られてきていたのだが、

ようやく読むことができた。

 

収録された講義のいくつかは聴いていたものだけど、

改めて整理されたものを読んでみれば、やはりスゴい提言集である。

『脱原発社会を創る30人の提言』(コモンズ刊) に続いて、

しばらくは本棚に納めず、手元に置いておきたいと思わせる。

 


「 " 3.11後 "  は、

  私たちのなかでは少なくとも3年前に始まっていた。」 (「はじめに」より)

 

そうなのだ。

3.11後の日本にとって避けられないテーマに対する次の設計図が、

次から次へと可視化されてゆく。 しかしこれらは

「震災後になされた問題提起ではない。 ~すべて震災前に語られた内容である。」

 

「第Ⅰ部 宇宙船地球号のエネルギーインフラ」 から始まって、

「第Ⅱ部 未来をつくるソーシャルデザイン」、

「第Ⅲ部 地球公共財としての生物多様性」、

「第Ⅳ部 地球目線で考える都市の未来」、

そして最終講-「東日本大震災後の 「コミュニティ・セキュリティ」 デザイン」 で締め括られる。

飯田哲也さんら総勢38人による  " 次なる時代へのプレゼンテーション " 。

僕はⅢ部のなかで、島村奈津さんと一緒に

「宇宙船地球号の 「食」 を守る」 のテーマで話をさせていただいた。

ラインナップに加えていただけただけでも光栄の至りである。

 

本書には、実に刺激的な言葉が溢れている。

「地域の人たちが発電者になるのです」(飯田哲也さん)

「数万人規模の 「住・職・食・楽・交・教・医・憩」 が一体となったコンパクトシティ群」(山崎養世さん)

「歩いたり踊ったりする日常の活動が 「発電行為」 になる」(速水浩平さん)

「流せば洪水、溜めれば資源」(村瀬誠さん)

「ゴミとは 「デザインの失敗」 である」(益田文和さん)

「味覚の刺激を経験していない子どもは、大人になる準備ができない」(三國清三さん)

「シルクと草木染めを合わせれば、化学物質を使わない防虫効果が出ます」(長島孝行さん)

「人間が自然と共存していた、以前の姿を新しい形で再生させること。

 これは 「懐かしい未来」 とでもいえるでしょうか」(同)

「木を家づくりに活かすことは街に森を作ることにつながります」(小沼伸太郎さん)

「人間や鳥の 「食べる」 過程がないと、海に入った栄養物質は陸に戻りません」(清野聡子さん)

「 「俺たちの街」 という 「俺たち」 の集合体を作っていかないといけません」(村木美貴さん)

 

コーディネーターの竹村さんも呼応して、素晴らしい言葉を繰り出してくる。

 - 私たちは新しい地球文明という一つの大きな 「物語」 を作ることに参画している。

 - 地球号は 「水冷式」 の宇宙船であり、水に祝福された宇宙のオアシスだ。

 - クルマの進化から、クルマ社会の進化へ-。

 - 20世紀の文明はある意味で、「人間をバカにした文明」 だったと思う。

 - 宇宙を身にまとう。

 - 季節の変化に敏感な人が住んでいる街こそが真の 「エコシティ」 なのではないか?

 - 「いのちの安全保障」 を国に頼る時代そのものが終わりつつある。

 - 人類は進歩したからではなく、その技術文明が 「未熟」 すぎたがゆえに

   地球環境を破壊してきた。

 

いかがでしょう。 想像力が刺激されないでしょうか。

そして、可能性はまだまだ無限にあるのだ、と思えてこないでしょうか。

 

" ロバストな未来社会 "  は、

僕らの想像力のはばたきと、みんなの構想力がつながってゆくのを、

今か今かと待っているような、そんな気さえしてくるのです。

 

これらが今後の東北の復興と日本新生、ひいては未曾有の共感で

震災後の日本を支えてくれた世界への応答責任を果たす一助となれば

幸いである。(竹村さん)

 

「応答責任を果たす」 -そのメンバーであり続けたいと思う。

 



2011年9月21日

深層崩壊をもたらす放置人工林

 

台風12号の傷痕もまだ痛々しいところに、15号が襲ってきた。 

またもや全国各地に災害をもたらし、各産地の農産物にも被害が出ている。

収穫や出荷が遅れるだけでなく、実が落ちたり傷んだり・・・

産地担当も各地の情報を集めながら、生産者の無事に安堵しつつも、

一方で品揃えに苦慮するのである。

しかし思えば、豊作でも頭を下げ、不作でも頭を下げ、なんだよね。

こんな日々が延々と続くのが農産物仕入の宿命なのかもしれない。

 

自然現象に対して怒りをぶつけても仕方がなく、

まあ人が無事なだけでも 「よかった」 という台詞が口をついたりする。

つくづくこの列島の人々は、自然に対して受容的というか 「耐え忍ぶ」 民だと思う。

哲学者・和辻哲郎が昭和初期に著した 『風土』(岩波文庫) の有名な一節。

 「 湿気は人間の内に 「自然への対抗」 を呼びさまさない。

  その理由の一つは、陸に住む人間にとって、湿潤が自然の恵みを意味するからである。

  洋上において堪え難いモンスーンは、実は太陽が海の水を陸に運ぶ車にほかならぬ。

  この水ゆえに夏の太陽の真下にある暑い国土は、旺盛なる植物によって覆われる。

  ~ 大地は至るところ植物的なる 「生」 を現わし、

  従って動物的なる生をも繁殖させるのである。

  かくして人間の世界は、植物的・動物的なる生の充溢し横溢せる場所となる。

  自然は死ではなくして生である。 死はむしろ人間の側にある。

  だから人と世界とのかかわりは対抗的ではなくして受容的である。

  それは砂漠の乾燥の相反にほかならぬ。」

 

しかし現代における自然災害は、

そんな 「自然な」 事象によるものだけではないことにも

目を向けなければならなくなってしまっている。

 

実は9月6日の日記で、台風12号の影響を心配しつつ、

「元々雨の多い熊野地方で、深層崩壊らしい山崩れが起きるのだから、

 尋常な雨量ではなかったことと思う。」 と書いたところ、

山崎農業研究所事務局の田口均さんよりメールを頂戴した。

「深層崩壊」 の真の原因は雨量ではない。 放置人工林の問題がある、と言うのだ。

アッと思って、軽はずみな一文を反省した。

 


田口さんから紹介されたのは、

『植えない森づくり』(農文協) の著者、森林ライター・大内正伸さんのブログ である。

そこで大内さんは、僕が呑気な事を書いた翌日に

「深層崩壊も放置人工林が下手人」 との見解と解説をアップされていた。

ここで重要なところを転記し始めると長くなるので、

関心を持たれた方はぜひご一読いただきたい。

 

僕が迂闊だったのは、あの雨だらけの、深い谷を有する紀伊半島が、

それほどまでに人工林だらけになっているとは思ってなかったことだ。

しかも間伐も遅れた放置林でそこまで荒廃してきていることにも。

熊野の強いイメージで、勝手な思い込みがあった。 

 

「深層崩壊と言われたその亀裂の始まりをみると、根の浅い線香林ばかりである。」

の指摘が重たい。

そして紀伊半島をフィールドとした生物研究家、故・後藤伸さんの講演録からの

引用の言葉が、どれも貴重である。

「照葉樹のまともな森林があったら何も怖いことはない。水害のもとにはならんのです。

 ~ もともと照葉樹林ていうのは、そういう雨の多いところで発達した森林ですから、

 そういう大雨に耐えるようにできとるんです。」

「結局、こういう山の生態系のつながりというのは 「原因」 と 「結果」 の間に

 20年とか30年とかいう長い時間がかかるわけです。

 ~ 昔は、植林によくないところは全部自然林で残しておったんです。」

 

昔から受け継がれた知恵を捨ててやみくもに人工林を増やし、

グローバル経済がその山を見捨てさせた。

" それくらいの雨 "  でニッポンの山が崩れ出し、人が埋まり、あるいは流される。

ああ、熊野ですら、である。

この崩壊現象は、なんだ。。。。 ヤバイね。本当にヤバイ。

 

まだまだ勉強が足りません。

田口さん。 貴重なご指摘、有り難うございました。

 



2011年9月11日

稲田の挑戦は続いている

 

今日は一週間遅れとなった 「稲作体験田」 の稲刈りの日なのだが、

こちらは若い実行委員会諸君にお願いして、

僕は急きょ須賀川・ジェイラップに向かうことになった。

 

ここに当社の放射能測定器を一台据え付けてもらったことはお伝えしてきた通りだが、

これまで測定してきた200件あまりの土やイネの結果を検証して、

取ってきた対策やこれからやろうとしている方向が誤ってないかどうかを

確認することになったのだ。

測定結果の評価と対策のアドバイスに協力してくれることになった専門家は、

四日市大学講師の河田昌東(まさはる) さん。

NPO法人「チェルノブィリ救援・中部」 理事という肩書のほうが有名か。

8月にジェイラップで地元の方々も招いての講演を開いてから、

測定にもお付き合いを頂いている。

河田さんをジョイントさせたのは 『通販生活』 のカタログハウスさんである。

 

今日は河田さんのご都合に合わせて設定された。

しかもNHKが取材に入ることにもなって、少々ものものしい雰囲気になった。

 

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収穫が近づいてきた稲田の田んぼ。

カリウム散布に各種の実験。

" やれるだけのことはやった "  の思いがある一方で、

それでもこの半年、ざわざわとした胸騒ぎは消えることはなかっただろう。

 

イネは、何事もなかったように、元気に穂を垂れてきている。

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収量は- 「平年作並みだね。 味はイイよ、ゼッタイ」 と胸を張りつつも、

けっして気は晴れていない。

3.11以降味わった激しい怒りや悔しさは消えることはなかった。

原発事故さえなかったら、

俺たちは震災から立ち直ったぞ! と声を張り上げて叫びたいところだろう。

 

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ジェイラップ代表の伊藤俊彦さん(右)と、測定結果を分析し合う河田昌東さん。

「すごいです。 数だけでなく、これまで仮説だったものの裏付けが取れた

 ものもある。 国にもこれだけのデータはない」 と、感心することしきりである。

 


今の段階でのイネ体と土をサンプリングする小林章さんと伊藤大輔さんを、

NHKが追いかける。  

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「もうそこらへんの土壌分析の専門家並みですよ」

と小林さんをホメまくる伊藤社長。

こう言う時は、相当働かせているに違いないのだ。  

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でもホント。 実にていねいな作業である。 

土は5センチ刻みで計測する。

セシウムはまだ表層に残っていることが、彼には見えている。 

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NHKさんの要望もあって、採取してきたばかりの生のモミのまま

測ってみる。 玄米より高く出てしまうことになるが・・・

30分後、結果は「不検出」!  胸をなでおろす。

「不検出」とは「検出限界値以下」と表現されるものだが、

実際の解析グラフを見れば実にきれいで、「0.0」 と発表してやりたいくらい。

 

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これまでの測定結果を、河田さんのアドバイスも頂きながら、

「ちゃんとしたレポートにまとめますから、期待しててください。」(伊藤さん)

やっぱこの人は、自信に溢れた顔でいてほしい。

 

こんな米作優良地帯なのに、耕作を放棄した田んぼがある。

すでにいろんな草が繁茂して、花を咲かせていたりする。

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専務の関根政一さんに聞けば、

「今年は作付してもダメだと思ったんでしょうね。 いや、切ないっすよ。

  見たくないねぇ、こういう風景は。」 

大丈夫だと分かって来年作ろうと思っても、これでは戻すのも大変だ。

「3年続いたら、もう戻せないですね。」 

 

この草たちもセシウムを吸っているとしたら、土をきれいにしてくれているわけだ。

できれば刈って上げた方がいいのだが・・・

 

そういえば、ヒマワリを植えた場所で、

そのまま土にすき込んでいるという話を聞いた。

ヒマワリの葉茎はかさばり、分解も時間がかかりそうなので、

早目にすき込んでいるのだとか。

何だよ・・・と言いたくなる。

各地の葛藤が、葛藤そのままに聞こえてくるようだ。

 

我々の取り組み結果が、悩む生産者たちを元気づけられるものにしたい。

早く朗報を送りたいと、我々の気持ちはますます逸(はや)ってくる。

 

10月1日(土)には、大地を守る会の会員さんを迎えて、

「大地を守る会の備蓄米 収穫祭」 が予定されている。

「そこでは、喜んでもらえる中間報告をできるようにしますから、

 ぜひ期待しててください!

稲田の挑戦は続く。

これはみんなの  " 希望への挑戦 "  でもある。 

 

収穫祭の参加者募集は23日まで。

今年は頑張って、東京~須賀川間をバスで送迎します。

詳細は 「コメント」 にて、アドレスを付けてお問い合わせください。

 

なお、NHKの取材はこのあともあちこちと続けられるようで、

放送予定は、11月頃になりそうだとか。

放送日と番組名が決まれば、またお知らせいたします。

 

「それでも土をあきらめない!」

そんな農民の魂が届けられれば嬉しいのだが・・・

NHKさん、お願いします!



2011年8月28日

みんなの力で 「第4の革命」 を進めよう!

 

8月18日(木)、

「脱原発と自然エネルギーを考える全国生産者会議」。

二人目の講師は、飯田哲也 (てつなり: 環境エネルギー政策研究所所長) さん。

用意されたタイトルは-

 

     -3.11フクシマ後のエネルギー戦略-

  自然エネルギーによる「第4の革命」

 

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テレビの討論番組などで、すっかりお馴染みの顔となった飯田さん。

論点は一貫している。

- 今は日本近代史における第3の転換期。 人類史での第4の革命が始まっている。

- 世界は大胆に自然エネルギーにシフトし、世界市場は急拡大しているのに、

  かつての自然エネルギー技術先進国・日本は取り残され、逆にシェアを縮小させてきた。

- 自然エネルギーは唯一の 「持続可能なエネルギー」。

- 自然エネルギーは豊富すぎるほどある(1万倍以上)。

- 「自然エネルギー100%」 は、すでに 「if」(仮定) ではなく、

  「when,how」(いつまでに、どのように) の議論になっている。

- 自然エネルギーは普及すればするほど安くなる。

  かたや原子力・化石燃料コストはどんどん高くなっている。

- ポイントは 「全量買取制度」。 当面の 「負担」 は 「将来への大きな投資」 となる。

- 東北は自然エネルギーの可能性に満ちている。

  東北での 「2020年に自然エネルギー100%」 は可能だ。

- 新しい 「エネルギーの地域間連携」 で、地域でお金が回るようにしよう。

  地域のオーナーシップを発揮させ、便益は地域に還元する。

  自然エネルギーの雇用創出力は原子力よりはるかに高い。

- 無計画停電から戦略的エネルギーシフトへ。

  持続的な 「地域エネルギー事業」 を推進するときが来ている。

 

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お二人の講演を受けて、戎谷より、

大地を守る会のこれまでの活動報告とともに、

次の展開に向けての野望も提出させていただく。

 

「 ここからは、我々が考える時です。

 大地を守る会の生産者・メーカーの総力を挙げて、

 脱原発と自然エネルギー社会を創造していくことを、この場で確認したい。」

無理矢理(?)、拍手で確認。

 

食の安全確保に向けて、水際でのチェックも放射能除染対策も、

我々の手でやれることはすべてやろう。

そして、データを蓄積するとともに、国の暫定基準をどう決着させるか、

という議論に入っていきたい。

できるならば、かつて、1970年代に原子力発電の危険性を訴えた物理学者、

武谷三男さんが唱えた 「がまん量」 の考え方も思想的に超えたい。

 

夜は大地を守る会の生産者たちの食材とお酒で語り合い、

翌日は、各地での実践例を出し合い、議論を深めた。

 

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「放射能除染対策から地域再生へ」

事例1-岩手県久慈市(旧・山形村)、JAいわてくじ・落安賢吉さん。

      日本短角牛の里で取り組む除染対策。

事例2-福島県須賀川市、ジェイラップ・伊藤俊彦さん。

      水田での様々な除染試験から総合対策へ。

事例3-福島県二本松市、ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会・佐藤佐市さん。

      動き出した 『里山再生・災害復興プログラム』 構想。

 

【資源循環・エネルギー自給に向けて】

事例4-山形県高畠町、米沢郷牧場・伊藤幸蔵さん。

      「自然循環・リサイクルシステム」 からの展望。 

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事例5-宮城県大崎市、蕪栗米生産組合・千葉孝志さん。

      「冬みず田んぼに太陽光発電」 から次の課題を考える。

事例6-群馬県高崎市、ゆあさ農園・湯浅直樹さん。

      ここまできたエネルギー自給農園。

 

意見交換では、互いの知恵を共有し新しい試験もやりたい、という提案も出され、

おそらく皆、希望と勇気をもらったのではないだろうか。

司会をしながら、少し熱くなる。

「私たちは今、先端の場にいて、未来を共有しているのです。」

 

午後はオプションで、希望者による習志野センター見学。

放射能測定の説明をするのは、品質保証グループ長・内田義明。

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ここにガンマ線スペクトロメータが4台。

現在、週120検体のペースで測定を続けている。

さらには現地(福島県須賀川市) に1台。

こちらでは、ジェイラップががんがんデータを取ってくれている。

そして月末には、ゲルマニウム半導体検出器がやってくる。

 

ただ到着した食品の安全性を確認するためだけではない。

生産者にとっての安心と、意図しない2次汚染を防ぐためでもある。

各種の試験データは次の有効な対策につながるだろう。

帰りがけに、伊藤幸蔵さんが言ってくれた。

「こういう体制を作ってくれるのは、本当にありがたいです。」

試行錯誤だけれど、一緒に前を見る仲間がいる。

こんな嬉しいことはない。

 



2011年8月 3日

いつか孫に褒めてもらえる仕事をしたい

 

7月23日のレポートを書いている間にも、そしてその後も、

日々めまぐるしく動きはあるのであって、

もうこんな日記の調子ではとてもついてゆけない。

でも、どうにもスタイルを変えられないでいる。

つらいつらいと言いながら、まだこだわりが残っているか。。。

ま、取り急ぎ、この間の行動を振り返ってみよう。

 

7月26日(火)、東京・竹橋で開催された

「2011夏期学校給食学習会」 の模様を覗かせていただく。

「全国学校給食を考える会」 と 「東京都学校給食栄養士協議会」 の主催で、

毎年夏休み期間に、全国から栄養士さんや調理師さん、教員が集まって

開かれている学習会である。

 

今年は 「震災・津波・原発事故後の学校給食を考える」 というテーマで、

講演や実践の報告会、そして意見交換会が展開された。

 

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僕がこの学習会に久しぶりに (10年ぶりくらいか) 参加することになったのは、

3名の方の報告を聞くためであったが、最後に行なわれた意見交換会では、

実に重たい話が語られていた。

 

福島の方からの報告。

人の転出・転入が続いていて、学校は今も落ち着かない状況である。

福島県では来年は教員採用がなくなったそうだ。

給食現場では、放射能 「検出せず」 の野菜を選択したいが、

自主的な判断はできない。

子どもの被曝検査は県内でできず、県外の病院に頼んだが断られた。

みんな風評被害を恐れていて、

余計なことはするなという雰囲気になっている。

 

そんなつらい空気を吹き飛ばすかのような発言をしたのが、

ジェイラップ (稲田稲作研究会/福島県須賀川市) の伊藤俊彦さんだ。

 


「安全」 を語るには科学的根拠が必要になっている。

徹底的に現状を調査して、必要な除染対策を立て、前に進みたい。

目標があれば頑張れる。

幸い大地を守る会から高精度の測定機を貸し出してくれることになったので、

できることなら全部の田んぼと米を測りたい。

自分の子供に食べさせたくないものは、消費者にも届けたくない。

「こういう人が作ったものなら安心だ」 と言われたいし、

いつか孫に褒めてもらえるような仕事をしたい。

今の現実から、新しい、福島ならではのイノベーションを起こしたい。

 

今年の 「大地を守る会の備蓄米」 は、

こんな伊藤さんの思いがぎっしり詰まったものになる。

食べてほしいなぁ、たくさんの人に。

 

続いて、千葉・さんぶ野菜ネットワークの下山久信さん。

この日は 「食と農の再生会議」 事務局長の肩書で登場。

 

将来を見据えながら、この3年で15人の新規就農者を育てた。

しかし、これから秋冬の作付が始まる中で、

取引先から計画の20~30%減という販売予測が伝えられてきている。 

このままでは希望を持って就農した若者たちもやっていけなくなる。

いま野菜を測ってもほとんどND (検出せず) なのだが、

降った放射能は土壌には残っている。

我々も、ポイントを決めて、毎月土壌検査を始めている。

 

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茨城県八郷町(現石岡市) から来られた 「提携米研究会」 代表、橋本明子さん。

23年前に東京から移り住み、仲間とともに地域の有機農業を育ててきた。

原発事故は自分にとって、そんなこれまでの時間をすべて呑み込んだ大津波だった。

深い絶望で農作業ができなくなった。

それでも食べてくれる人の励ましと、若者たちの農業継続の意思に勇気づけられた。

この先、放射能汚染がどうなっていくのか、何も分かってないが、

みんなの力を信じてやっていこうと、ようやく心が定まってきた。

健康なくして教育はあるでしょうか。

子どもたちの健康を守る学校給食を、どうか築いていっていただきたい。

 

切実な現場報告に、全国から集まってきた栄養士さんたちも

最後まで真剣な面持ちで意見交換が行なわれていた。 

 

すでに私たちは地球が汚染されてしまった時代にいて、

ある種の覚悟が求められている。

福島だけが当事者ではない。 

原発は各地にあり、老朽化が進んでいるのだ。

みんなの力で、原発は止めるしかない。

子どもたちの未来のために、それぞれの現場で、やれることを進めましょう。

 



2011年7月22日

エメラルドグリーンの海

 

わあ~きれい! と叫ぶ人がいる。

台風6号が去った翌日、

千葉市幕張の海の一帯がエメラルドグリーンに染まった。

まるで沖縄のサンゴ礁のように美しく見える。

 

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コンパクトカメラなので分かりにくいかもしれないけど、

乳青色の水域が見て取れるかと思う。

これが、いわゆる  " 青潮 "  ってやつ。 

アサリや海苔にとって命取りになりかねない危険信号である。

幕張に本社が移転してから、何度となく目にしてきた。

 

「青潮」 -実は広辞苑にも収載されていない。

その発生メカニズムは、こんな感じである。

 


東京湾にはいくつもの河川から生活排水が流れてくる。

排水には、窒素やリンなど栄養塩類が含まれていて、

閉鎖系の内湾では、湾内に溜まり、富栄養化状態となる。

それらは植物プランクトンの餌となって浄化に向かうのだが、

夏場に水温が上昇してプランクトンが異常発生したりすると、

海が赤茶色に染まる  " 赤潮 "  の現象が生まれる。

 

過剰に発生した植物プランクトンは死んで海底に蓄積される。

その死骸を分解するのがバクテリアであるが、

分解活動の際に大量の酸素が消費され、海底が貧酸素水状態になる。

特に東京湾には、埋め立て用に土砂が持ち出された穴ぼこがたくさんあって、

その穴は無酸素状態になっていると言われている。

 

そこに北か北東からの強風が吹くと、

表層の海水が沖 (太平洋側) に向かって流され、

それに伴って海底の貧酸素水塊が表層に湧昇してくる。

無酸素水塊には硫化水素が含まれていて、

上昇したところで酸素と反応して、硫黄酸化物となる。 

その粒子が太陽光を反射して見せてくれるのが、

鮮やかなエメラルドグリーンの海、というわけだ。

 

そこは酸素不足の水塊で、腐卵臭を放ち、

硫化水素によってアサリの斃死などにつながってしまう。

 

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幕張テクノガーデンD棟22階から東京湾を望む。

ここから西、つまり東京方面に向かうと、

習志野を経て船橋、三番瀬の干潟地帯へとつながっている。

 

僕らがそこで、2000年から取り組んできたのが、

やはり窒素やリンを吸収して繁茂する海藻・アオサを回収して陸に戻す

「東京湾アオサ・プロジェクト」 である。

アオサは発酵させて鶏の餌にしたり、堆肥化する試験を行なってきた。

例年だと、春・夏・秋と回収作業を行なうのだが、

地震により三番瀬海浜公園も液状化の影響を受けていて、

秋の回収も中止を余儀なくされてしまっている。

今年は残念ながら開店休業状態。

 

台風や強風のあと、エメラルドグリーンの海が登場する。

これはただのきれいな景色ではなくて、

ヒトビトの暮らしの影響を受けながらも必死で生態系の浄化に向かう

生物たちのもがきの現場である。

 

僕らはもっと、目の前の海と付き合う機会を持たないといけないね。

 



2011年7月15日

しあわせな食事のための映画たち

 

  -  という名の、映画の連続上映会が開催されている。

しあわせな食事のための映画たち

                                                                                    (イラストは 平尾香さん

主催は NPO法人 アグリアート さん。

神奈川県や逗子市、逗子市教育委員会が後援に名を連ねていて、

大地を守る会も協力している。

 

場所は神奈川県逗子にある 「シネマ・アミーゴ

オーガニックな食事を楽しみながら映画鑑賞ができる シネマ・カフェ 。

夏の日差しを浴びて目も眩むような湘南の、浜辺の通りの一角にある。

 

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先週の土曜日(7月9日)、

この連続上映会のプログラム2 - 「オーガニックの哲学」 の初日に

トークを依頼されたので、出かけてきた。

プログラム2 で上映された映画は、

『根ノ国』 と 『みんな生きなければならない』 の2本。

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住居を改造してつくられたカフェ&ミニ・シアター。

余計な手が入ってないナチュラルな感じの庭。

ぼんやりと眺めながら癒される。

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お客さんは10人ほどで、 まずは2本の映画を観賞する。

 

根ノ国 -1981年、制作:菊地周。

陸上の生物は、特殊な文化で暮らすヒトなど一部をのぞいて、

およそみな土に帰り、土を肥やす。 

その土の中では、無数の虫や微生物が小さな宇宙を織り成している。

1グラムの中に1億ともいわれる生命が互いを食べ合いながら共生し、

豊穣の土が作られていく。

植物の根もそこから養分を吸収し、かつたたかいながら生きている。

そして動物は、太陽エネルギーと土の力で育つ植物に支えられている。

つまるところ、陸上の生命はすべて土の生命力に依存しているのである。

健全な土の中では自然の理が働いていて、独裁者の登場を許さない。

この  " 根の国 " 、ミクロの生命循環を可視化させた作品。

人はなぜ、なんのために、この世界を壊そうとするのか、という問題提起でもある。

 

みんな生きなければならない 』 -1983年、制作:菊地文代。

世田谷区等々力で有機農業を営む大平博四さんの農場を舞台に繰り広げられる

生きものたちとの共生の世界。

農薬の害を自らの病いによって感じ取った大平さんは、

昔ながらの堆肥づくりに還り、土を蘇らせた。

そこではトリもムシも仲間である。 害虫と益虫の区分すら不要になってくる。

そして大平農場の循環を支えるのは、「若葉会」 という消費者組織の存在である。

 

上映終了後、スクリーンが上がり、

お昼前の自然光が部屋を包むように入ってくる。

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ここで30分ほどお話をさせていただく。

主催者であるNPO法人アグリアートの事務局長・畠山順さんからは

「この映画をスタート地点として、どのように話が向かってもよい」

と言われていた。

かえってプレッシャーだよね。 

 

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2本の映画は以前にも観たものだが、改めて一緒に観たことで、

湧いてくる感慨があった。

そこで想定していた話の段取りを変えて、こんなふうに始めさせていただいた。

 

今日の上映会でスピーチをさせていただくことは、

自分にとってとても光栄なことだと感じています。

なぜなら、私が大地を守る会に入社したのが1982年の秋のこと。

 『根ノ国』 がつくられたのがその前年で、入社して早々に、

先輩から、この映画は観ておくようにと勧められました。

また同時に、「生物みなトモダチ」 制作委員会という会から

映画制作へのカンパの要請が入ってきたように覚えています。

その映画が完成したのが翌83年。

この二つの映画は、私の原点に重なるものです。

この場を与えてくれたことに感謝申し上げたい。

 

実は私が有機農業の世界と関わるようになったきっかけは、娘のアトピーでした。

しかし妻が決意を持って始めた食事療法を、私は当初信じていませんでした。

それが食材から調味料まですべて切り替えて続けたところ、

娘の症状がだんだんと改善されていくのが見えたのです。

そしてある日、当時はまだほとんど世に出回っていなかった、

有機米でつくった 「純米酒」 というのを購入して飲んだ時、

私はこの運動は本物だ! と確信し、履歴書を持って大地を守る会を尋ねたのです。

20代半ばの決断でした。

(娘じゃなくて酒かよ・・・・・という視線を感じ)

ま、まあ、え~と、そんな不純な動機は置いといて、

食を生産する世界が消費者の知らないところで変質させられていくなかで、

負の側面が子どもに現われ始め、かたや有機農業の世界では、

生命の土台に対する科学的な解き明かしの作業が始まっていた。

 

その後またたく間に 「アトピー」 という言葉は社会に広がり、

有機農産物もまた数少ない先駆者の運動から

社会的に認知される時代へと飛躍してゆきます。

1980年代の初頭、そんな時代変化の予兆を背負って登場したのが、

このふたつの映画だったように思います。

 

あれから約30年という年月が経ち、

大平博四さんは3年前に亡くなられましたが、

5年前に有機農業推進法の成立という、

国が有機農業の価値を認め、それを推進するための旗を振った、

そんな時代の変化を見せられただけでも、

後進の一人として、よかったかなと思っています。

 

あとは映画の世界と重ね合わせながら、

生命の歴史から見た土の役割やら、生物多様性の意味やら、

舌足らずにお話しさせてもらい、最後に

放射能汚染に対する有機農業の力について、希望を述べさせていただく。

私たちの生命を守ってくれるのは、微生物たちの力をおいて、ないように思う。

土を保全し生命の健全な循環系を育む有機農業こそ、

一縷の、しかし確かな希望だと私は確信するものです。

 

そしてなお、その世界を支える鍵は、「消費」 というつながりです。

大平農場に 「若葉会」 という消費者組織があって支えているように、

消費という行為を通じて、どの生産(者) とつながり、どの環境を支えるのか、

そういう  " つながり "  の意味が、いっそう深く問われてくるように思います。

 

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ま、そんな感じで生意気な話をさせていただいたのだが、 

さて驚いたのが、この会場に映画の制作者、菊地文代さんが登場したことだ。

 

大先輩にひたすら恐縮する若者の図。

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30年近く経っても、まだ観ていただける方がいるだけでも幸せなことだと、

菊地さんは謙虚に語る。

いやいや、充分にその生命力は衰えていないです。

自分の原点であることを、感謝とともに伝えることができて、

想定外の感激の一日になった。

菊地さんは今も若葉会の会員として大平農園を支えている。

 

帰りがけに見た、湘南の海。

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こう見えても海で育った血は、僕のDNAである。

胸をざわめかせながら会社にトンボ帰りするわが身の貧しさが、悲しい。

 

「しあわせな食事のための映画たち  -未来のこどもたちへ- 」

プログラム3は、「都市と農業」。

8月13日に、吉田太郎さんがキューバを語ります。

第2期は9月10日から11月18日。

「森と海と食」 「水はみんなのもの」 「種子と農業」 といったプログラムが続きます。

今度はまったくの客として、寺田本家の 「五人娘」 の生酒など飲みながら

楽しませてもらえたらと思うのであります。

 



2011年7月12日

畜産物&乳製品生産者会議 -ここでも放射能の勉強

 

続いて、ふたつ目の生産者会議報告を。

 

7月7日(木)、小暑、七夕の日。

東京は神宮にある日本青年館の会議室で開かれた

「第5回畜産物生産者会議 & 第6回牛乳乳製品生産者会議」。

つまり畜産と酪農の合同会議だ。

 今回のテーマは

「畜産物の放射能汚染の影響について」。

 

畜産・酪農家の間で牧草の汚染に対する不安が広がっている。

自身の行為とはまったく関係ない要因に対しても配慮しなければならない

時代になってしまった。

被害者が加害者にもなってしまう放射能社会。

もはや食の生産者として、「知らなかった」 ではすまされなくなっている。

 

ということで、

まずは放射能とその影響について、正確な理解をもつことが必要である。

講師としてお願いしたのは、原子力資料情報室共同代表の伴英幸さん。

 

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お話は、放射能の基本知識から始まり、

福島原発事故の概要とその影響について、

被曝ということの正しい理解、

食品への移行や暫定基準値をどう見るか、 

そしてこれからの放射能環境をどう生きるか・・・・。

 

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さすがに集まった生産者たちは真剣である。

質問もいろいろと出るのだが、

たとえば、放射能の影響は動物に対しても同じだと考えていいのか?

という基本的な質問ひとつとっても、

いかんせん、こと家畜や肉への影響についてはデータがあまりになくて、

分かっていないことだらけのようなのだ。

放射線の影響は原理的には人間と同じはずだが、

牛や豚がどれくらいの時間で、どれくらいの割合でガンに罹るかなどは、

過去にも調査されていない、いや 「少なくとも私は見たことがない」 と伴さん。

チェルノブィリ原発事故によって人に影響が出始めたのが5年。

だとすると、そもそも影響が出る前に出荷されることになるだろうか。

 

ではそのお肉は大丈夫なのか。

粗飼料(ワラなど) から筋肉への移行係数は示されていて、

たとえば、放射性セシウムの牛肉での暫定規制値 500ベクレルを超えないためには、

粗飼料の許容量は 300ベクレル/㎏ となる。

しかしこれも正確かどうか分からない。

牛肉の規制値自体も 「暫定」 であって、含まれている以上、

食べ続ければリスクは高まっていく。

 

福島の農家と飼料用の稲で契約したが、使って大丈夫でしょうか?

-水田では土壌の濃度が5,000ベクレル以下なら作付が認められたが、

  最終的に稲を測って判断するしかないのではないだろうか。

 

では規制値以下であれば、餌に使って、消費者は食べてくれるでしょうか?

----- これは伴さんが答えられるものではない。

しかし流通者としては、彼らの悩みに少しは応える義務もあるように思い、

マイクをお借りした。

モヤモヤとしたまま帰らせるわけにもいかないし。

 

法律上 「作ってよい」 「使ってよい」 ものであり、

私が調べたところでも、作付可能土壌から稲の子実への移行は規制値より

さらに10分の1から100分の1レベルになると推定できるので、

現時点で、その契約農家の稲を使うなとは言えない。

最終的には収穫物を測定して判断することになるけど、

その際には、規制値を根拠にした単純な判定では実はすまなくて、

わずかでも残留が認められた場合、それを使うには、

我々の思想とモラルが問われることになるでしょう。

・ このレベルなので使わせてほしい。

・ 使うことで、その農家とともに  " 農地の再生・浄化 "  に取り組みたい。

 それが将来につなげるための、我々の使命だと思う。

- と、強い気持ちで生産者の姿勢を語れるのなら、私は支持したい。

  きちんと情報を開示して、思いも精一杯語って、売りましょうよ。

 

この生産者や販売者に対する評価は、

消費者と言われる方々に一任するしかない。

 

みんなの悩みは深い。 

しかし、明解な答えはない。 

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質問する、中津ミートの松下憲司さん。

 

除染についての質問も挙がる。

微生物が放射性物質を分解するとか無害化するとかいい情報があるが、

有効な微生物はあるか?

-食べる微生物はいるが、それは核種が微生物に移行したものであって、

 基本的に元素が分解されるということはない。 

 放射性物質である以上、その害が消える (無害化される) ことも考えられない。

 ただし、食べる人の健康のために、食用部分に移行させない、

 ということを第1の目標にして利用することを否定するものではない。

  まだ分かってないことも多いので、いろんな試験をやることは必要だと思う。

 

ナタネでは、種には放射性物質は移行しないので、油で使うことは問題ない。

ただし、除染という効果で考えると、データで見る限り、

実はそんなに吸収されていない。

ゼオライトなどは有効性が認められている。

ただし、いずれにしても移行 (吸収) したものの最終処分は、

現在のところ、埋めるしか方法がない。

 

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なかなかしんどい会議だった。

 

安全をお金で買える時代ではなくなってしまったが、

大地を守る会CSR運営委員会の消費者委員の方が最後に語ってくれた言葉で、

少しは救われただろうか。

 

  私はずっと、買う (食べる) ことで生産者を支えていると思ってきた。

  震災の翌週、さすがに今週は宅配は来れないだろうと諦めていたが、

  当たり前のように配送員が来た時は、涙があふれた。

  支えられていたのは、実は私のほうだった。

  これからも感謝して、食べていきたい。

 

  大地を守る会が測定結果をしっかり開示してくれることをありがたいと思う。

  この安心感は捨てがたく、素性の分からないものを買うくらいなら、

  わずかの残留なら大地を守る会を選びたいと思う。

 

  有機農業のほうが、最終的には放射能にも強かった、

  という結果が出てくると嬉しい。

 

最後の期待には、応えられると思う。

なぜなら、もっとも努力するのが彼らであり、ここにいる人たちだから。

 



2011年6月22日

特効薬はない、でも始めるのだ。

 

2022年まで生きてみたい。

そう書いたはいいけど、ドイツと違って僕らにとってこの10年余は、

けっして楽しい道のりではない。

明るい未来を信じたいと願いながら、目に見えない不安とたたかう。

この時間を、希望を失うことなく、かつ

ある種の覚悟を持って歩み続けなければならない。

 

前回、二つの会議から- 

と書き出したところで寝ちゃったのだけど、もうひとつ。 

先週の金曜日(17日) に、つくばにある国立環境研究所を訪問して、

セシウムを濃縮(吸収) する微生物の実証実験をやった実績をお持ちの

富岡典子さんからもレクチャーとアドバイスを頂戴してきたので、

そこでうかがった話も含めて、いくつか参考情報として整理してみたい。

 


まず、当初問題になっていたヨウ素131は、短期間で減衰していくので、

新たな放出がない限り、大きな問題にはならない、と考えてよい。

これからの問題はセシウム134 と 137 である。

プルトニウムは水に溶けない(=植物は吸わない) し、問題にする量ではない。

ストロンチウムも量的に問題ないとのこと。

 

土壌に降ったセシウムは、数十年以上、地表に留まっている。

それはアメリカや中国が核実験をやった影響を調べた過去のデータからも読み取れる。

(この半世紀で蓄積されてきたものがある・・・ってこと。)

 

いま表層 5cm くらいまでに留まっていると言われたりするが、

深度分布を調べたところ、実は表層 0~2cm にほぼ集中している。

特に表層 5mm に。 したがって 1cm 剥ぐだけでも充分に有効である。

処分する土の容積も格段に減らせることができる。

また一般的な測定では 0~15cm の表土をとって測るケースが多いようだが、

測定方法は統一させないと情報により混乱が生ずる (これは大気測定でも言える) 。

 

残留は土の性質によって異なることも頭に入れておかなければならない。

粘土はつかむが、砂地では流れやすい。

雨で除去されるということは、時間経過とともにあるだろうが、

土への吸着性が強いので、粘土質だと地下水への移行はかなり低い。

アスファルトの道路や家屋の屋根等に降ったものは、雨によって側溝に集り、

結果として下水処理場で高い濃度が出ることになる。

逆にみれば、浄水場で捕捉されやすいので、上水は心配ないと言える。

(これも新たな放出がなければ、の前提で。)

その意味で、下水汚泥は放射能を集めてきているとも言えるものなので、

焼却処分してしまうと、せっかく集めたアブナイものをまた拡散させてしまうことになる。

これは、はぎ取った土同様、埋めるしかないのではないか。

 

埋める場合は、30cm より地下に埋め、土をかぶせること。

校庭の土をはぎ取って、隅に積んでブルーシートをかけるなど、論外である。

 

また森林では、腐植層に捕捉されて留まるので、水への移行は少ないが、

長く林産物に影響する可能性がある。

きのこで高く出るのは、菌根菌のセシウム吸収能が高いことと、

菌糸を張り巡らせて表面積が増えることによって、

結果的により高い濃度となると考えられる。

重量に対して表面積が大きい葉菜類が高く出るのも、同じ原理であろう。

 

これまで農作物で検出されている放射性核種は

直接経路 (大気中から直接葉面に付着) によるものなので、

皮をむく、よく洗う、等である程度の減少は期待できる。

しかし今後はだんだんと経根吸収 (土壌から根による吸収) が問題となってくる。

経根吸収された農作物は、当然のことながら除染は難しくなる。

 

稲では、土壌が5,000ベクレル以下の田んぼでは作付が許容されたが、

それは、土壌から米への移行は最大でも10分の1 (500ベクレル=食用の基準値)

以下になるという計算による。 

過去のデータによれば、実際はもっと低く、100分の1~1000分の1 程度。

かなりの安全係数をかけているとは言える。

なお米では、放射性核種は胚芽と白米表面に多く残るため、

玄米のほうが濃度が高くなる。 白米では玄米の約半分になる。

 

汚染 (吸収) されにくい作物というのは、あるようだ。

ナス科 (トマト、ナス、ピーマンなど) は最も少ないと言われる。

続いて、ウリ科 (きゅうり・カボチャ・スイカ・メロンなど) 、ユリ科 (ネギ類)。

逆に吸収しやすいのは、アブラナ科、アカザ科、豆類。

じゃが芋はナス科だが、食する部位は茎なので、実よりは高くなる。

河田昌東さんおススメは、トマト、だって。

また、酢漬けにすると、セシウムは6~7割減るんだとか。

抗酸化作用物質 (ビタミンA、C、E、β-カロチン、カテキン、ペクチンなど)

もイイらしい。 この辺はもっと根拠を聞きたかったところだ。

「 まあ、少しでも避けたいという人は、産地を選ぶしかない。

 子どもや若い女性には、産地を選ぶ権利がある。

 しかし・・・・50歳以上は、ここは責任をもって、しっかり食べましょう。」

それが河田さんの答えである。

 

セシウムを吸着する効果の高い鉱物としては、

ゼオライト、ベントナイト、バーミキュライトがあるが、これに活性炭を併用すると、

逆に植物の吸収を促進させるというデータがある。

原因は分からない。

また窒素肥料も、粘土や鉱物が掴んだ放射性物質を剥離させ、

吸収を促進させるので要注意、とのこと。

 

チェルノブイリでは、牛乳対策として、

牛の餌にプルシアンブルー (シアン化鉄) を混ぜ、

効果があったことが確かめられている。

シアン化鉄とは人工の色素で、セシウムをくっつける力があり、

かつ水に溶けないので分離させることができるようだ。

 

ナタネやヒマワリによる除染 (ファイトレメディエーション) は、

メカニズムは同じだが、ヒマワリはバイオマスのかさが大きく、

またリグニン (木質) が多いので、残さの扱いが厄介になる。

チェルノブイリでのナタネ実験では、

種はバイオ燃料 (油) にし、残さはメタン発酵させてバイオガスに利用している。

セシウムは種に集まるが、油には入らず、

最終的に移行した廃水にゼオライトを施用する、という行程のようだ。

 

なお、国立環境研究所の富永先生が立証した微生物-ロドコッカス・エリスロポリスは、

能力を発揮するにはその条件を整えてやる必要があり、

実用化には至っていない、とのこと。 自然界にも存在しているものだが、

それを抽出して開放系で比較試験するのは無理なようだ。

 

いずれにしても植物や微生物がセシウムを吸収してしまうのは、

必須の栄養素であるカリウムとイオンのサイズが類似していることによる。

したがって、食用である植物にセシウムを貯めさせないことを優先するなら、

カリウムを多めに土壌に施用し、セシウムまで取りにいかせない、

という手もあるが、カリウム過剰となると、生育上の別な問題も発生させる。

 

結局、いろんな手があるにはあるが、

これでよし、と言えるカンペキな除染技術はないということだ。

各種の効果や技術を組み合わせ、自然の力を借りながら、

時間をかけて浄化させて行くしかない。

何という恐ろしいものと共存(?) しなければならなくなってしまったことか。

 

それでも、そのスピード (=効果) を高めるために人智を尽くしたい、

と思うのである。

福島・須賀川のジェイラップ (稲田稲作研究会) の伊藤俊彦さんに、

国立環境研究所に出向くことを伝えたら、つくばまで飛んできた。

環境や安全に配慮した米づくりをひたすら追求してきた者として、

「一日も早く、どこよりもきれいな田んぼを取り戻してみせる!」

 - それが彼の、必死の決意なのである。 

   僕はその意思に付き合う約束をしてしまった。

 

ジェイラップでは、試験ほ場をこしらえて、

いろんなパターンでの除染方法での実験が進み始めている。

ありがたいことに、河田昌東さんもバックアップしてくれることになった。

ひとつのプロジェクトの絵が、描かれつつある。

特効薬はなくても、始めることで、前に進むことで、気持ちが変わってくる。

「美しい福島」 を、みんなの手で取り戻す10年に、したいと思う。

 



2011年6月10日

までいの力 -福島行脚レポート(補)

 

5月6日(金)、視察・交流団一行が福島から相馬~南相馬~と回っていた頃、

東京・八重洲にある福島県八重洲観光交流館では、

飯館村産の米で仕込んだ日本酒の販売会が催されていた。

飯舘村は、原発事故にも  負けねど!

という意気込みを首都圏の人たちにアピールしようと企画されたものだが、

午前10時の開館と同時に長蛇の列ができて、

大変な売れ行きだったらしい。

報告してくれたのは、大和川酒造代表社員、佐藤弥右衛門さんである。

 

飯舘村酒販組合では、25年前より村内産の米で造られた酒 「おこし酒」 を

村内限定で販売してきた。

その醸造を委託されていたのが大和川酒造さんというワケで、

弥右衛門社長もこの日は勇んで応援に行ったようだ。

会場で振る舞われたのは、その 「おこし酒」 と大吟醸 「飯舘」 の2種類。

「飛ぶように売れた」 らしいが、

それはそれで 「極めて複雑な心境」 にもさせられたことと思う。

 

原発事故により全村避難となって、

飯舘村では今年の米の作付も制限されてしまった。

26年間続いた酒の製造が今年は途絶えることになる。

来年以降も酒を造れる保証はないが、

「味を舌に記憶してもらって、再び販売できた時に、また応援してもらえれば」

と飯舘村酒販組合の会長さんが希望を語っている。

翌日の帰り、二本松駅で買った 「福島民友」 に、そんなコメントが報じられていた。

 

記事を読みながら、振り返る。。

5月3日、山都に入る前に大和川酒造店に立ち寄り、

現地への差し入れ用の 「種蒔人」 を車に積み込んだ際、

弥右衛門社長から 「6日か7日、東京で会えないか」 と声をかけられたのだ。

飯舘村を応援したい、何か考えたいんだよ、と言われた。

「考えたい」 に 「だよ」 が付くときは危険信号である。

それはイコール 「一緒に行動しろ」 という意味であることを、

20年近いお付き合いの中で、僕は骨身に染みている。

今回ばかりは、さすがに手が回らない、というのが正直なところだった。

 

それでも社長の気持ちは、びんびんと伝わってきた。

彼は、飯舘村から任命された 「までい大使」 の一人なのだ。

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までいの力 』 (SEEDS出版刊、2500円(税込))

 


「までい」 とは、東北地方の方言で、

" 手間ひま惜しまず、丁寧に心を込めて、つつましく "  という意味らしい。

それは、「もったいない」 や 「思いやり・支え合い」 といった精神にも通じている。

 

飯館村は、各地で市町村の合併が相次ぐ時代にあって、

「自主自立の村づくり」 という、真逆の道を選択した。

しかしそれは、すべて自分たちの力で切り開かなければならない道でもあった。

菅野典雄村長は、村の振興計画を模索する中で

「スローライフ」 という言葉に出会う。

「それだ!」 とひらめいたものの、村民の反応は冷たかった。

その言葉は、村の人の心には響かなかったのだ。

村の精神を表現する言葉が見つからない。

そんなとき、 「それって 『までい』 ってごどじゃねーべか」

という一人の呟きによって、エンジンがかかった。

 

飯舘村の挑戦は、独創的というより、

現代社会を生きる者たちへの本質的な問いかけ、と言ったほうがふさわしい。

村長と村民たちの徹底的な対話から生まれた様々な取り組みがある。

嫁たちのヨーロッパ研修旅行 -「若妻の翼」。

それをきっかけに女性の起業家が生まれ、

男には育児休暇が義務づけられ (それは研修と位置づけられる)、

 " 座り読みOK "  の村営本屋さんが誕生し、全国から1万冊の絵本が届けられる。

村内産100%の学校給食への挑戦。

小学6年生を対象にした 「沖縄までいの旅」。

ラオスに学校をつくるプランを発案する子供たち。

自宅で家族と過ごしているような介護施設。

村人がもてなす  " ど田舎体験 " ・・・・・などなどなどなど。

 

「自立する」 とは、とても厳しいことだが、かくも楽しいかと思わせる力がある。

みんな頭を柔らかくし、年寄りが生涯現役を誇る村。

資源は 「までい」 にあり、その気づきによって、

何もないと思っていた里山からも、資源は無尽蔵に生れ出てくる。

これこそまさに地元学のいう 「 ないものねだり から あるものさがし へ 」 である。

 

高橋日出夫さんが語った 「理想郷に向かっている村」 が、

たしかにあったのだ、2011年3月11日までは。

 

翻ってみるに、

福島第一原発のある双葉町は、全国トップクラスの債務超過の町に陥っている。

東電から落ちていた莫大なお金は、町や住民に何を与えたのだろうか。

いや、奪ったんだ、実は。

原発の論点は、安全性やエネルギー問題だけではない。

地域の自立や資源を奪いつくすものとして、いま目の前に現れている。

 

本当の豊かさとは-

使い古された言葉だけど、よくよく考えなければならないことだと思う。

 

震災後、飯館村へ、あるいは相馬へと、

大和川酒造店の方々は、一升瓶に水を詰めては届けて回った。

それでも、までい大使・佐藤弥右衛門は悩んでいる。

いただいたメールから-

 応援し、支援するということは、物資を送ることだけではなく、

 私たちの生活のなかに、その痛みを共有し受け入れていくことなのだと思う次第です。

 いま、すべての人が試されている時とも感じています。

 



2011年6月 8日

地域の再生を誓う人々 -福島行脚その⑦

 

5月3日から5日間にわたる福島行脚のレポートも、

ようやく最終日に辿りついた。

重かったな、今年のゴールデンウィーク。

このツケが家庭のメルトダウンにつながらなければよいのだが・・・

いや、私的な話は慎んで、レポートを続けよう。

 

「二本松ウッディハウスとうわ」 という宿泊交流施設で一泊した我々視察団一行は、

5月7日(土)、まずは地元の堆肥センターを見学する。

 

循環型有機農業を目指す有志19名の出資で、

「ゆうきの里」 づくりの土台を形成すべく建設された施設である。

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案内してくれたのは、

協議会初代理事長を務めた菅野正寿(すげの・せいじゅ) さん。

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地元の牧場から出る牛フンに稲ワラや籾殻、食品加工で発生する食品残さなど、

地域資源を最大限に活用して、一次発酵、二次発酵・・・ と

半年かけて四次発酵まで行ない完熟堆肥を完成させる。

それを 「げんき堆肥」 と銘打って、直売所で販売する。

 

農家は畑の土壌診断を行ない、それに基づいた施肥設計を整え、

「げんき堆肥」を適正に使用し、農薬は極力使わず、

栽培履歴を自ら開示する。

それが 「東和げんき野菜」 のブランドとなり、直売所を潤す。

 

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しかし、彼らの精一杯の取り組みにも、原発事故は容赦なかった。

この 「げんき野菜」 も、事故直後から

県内の生協やスーパーから拒否される事態となった。

消費者の買い控え(防衛行為) と、流通者の脅えた自主規制は、意味が違う、

と僕は思っている。

" 売れるか、売れないか、どう売るか、何を伝えるか "  の悩みを経ずに、

早々とつながりを断ち切るのは、流通者のやる仕事ではない。

 

しかしながら、地域資源の循環を支える静脈である自慢の堆肥にさえも、

不安は緩やかな津波のように浸潤してきているのである。

この罪は大きい。

 

見学の後、「道の駅東和 あぶくま館」 に戻り、

現地農家からの報告と意見交換会が再び持たれた。

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菅野正寿さんが今の状況を語る。

露地野菜がほとんど出荷できなくなった。

しいたけは出荷できているが、周辺地域では制限されたところもある。

測定器を購入して観測しているが、場所によってかなり差があるようだ。

ヒマワリの資料を集めタネも買ったが、はたして植えていいものか・・・

「耕すな」 という人から、「深く耕せ」 という人までいて、

私たちは何を基準に判断していいのか、不安は増すばかりである。

それでも桑の生産の準備には入ろうと思っている。

 

全戸避難の指示が出された飯館村から来ていただいた

高橋日出夫さん。 

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今は松川(福島市) に避難されているが、時々は見回りに帰っている。

ブロッコリィを6~7月に収穫する予定で、4月に1町歩(≒1ha) 作付けした。

花のグラジオラスを7月からお盆にかけて、

トルコギキョウをお盆から11月の婚礼期に出荷、、、そんな計画だった。

やませによる冷害のある地域なので、複合経営に取り組んできて、

何とか食べていける、ようやく暮らしの見通しが立ってきたところだった。

 

「原発事故の後、子供がいる若い夫婦はみんな外に出ました。

 残っているのは年寄りだけ。

 私は、できれば村に残って来年に備えたいと思っていたんですが、

 全戸避難となってしまって。

 それでも地区のみんなとは、いつか飯館に戻ろう、そう誓い合って移りました。

 私の住む松塚地区は45戸あって、以前から機関紙を出していまして、

 この機関紙を何とか続けて、みんなに配りながら、

 つながりを持ってやっていこうと思ってます。

 

 私は本当は野菜が好きで、

 農業高校でカリフラワーを見たときの感激が今でも忘れられないんです。

 家は当時、葉タバコと水稲だけだったんですが、野菜作りに魅力を感じて、

 20代半ばに菅野正寿さんと知り合って、安全でおいしい野菜を作って食べてもらおうと

 「福島有機農業産直研究会」 を結成しました。

 末娘はその頃作っていたレタスの味を今でも忘れられないと言ってくれます。 

 

 いま村民が一番知りたいことは、畑や田や山の、土の実態です。

 いろんな取り組みがありますが、どうなんでしょう。

 来年は作付できるんでしょうか。 それが知りたいです。

 飯館はどことも合併せず、  「自主自立のむらづくり」 の道を歩んできました。

 私は理想郷に向かっていると信じていました。

 あの美しい自慢の村が、こんなことになろうとは・・・・・ 」

 

東和に新規就農して5年目の春を迎えた関元弘さん。 

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元農水省の官僚である。

出向先として勤務した東和町に魅せられ、

8年前に霞ヶ関を捨て、夫婦で東和に移り住んだ。

農業の現場で有機農業を実践するのは、以前からの夢だったという。

3年前には有機JASを取得している。

公とも組み、農協や既成の流通ルートを活用した新しい仕組みをつくろうと

4月に 「オーガニックふくしま安達」 という組織を結成したばかり。

実は3月14日が、その設立総会の予定だった。

心昂ぶる絶頂直前での原発事故となったわけだ。

 

事故で一時心が折れそうになったが、

農業をしたくてもできない人がいるのだと思うと、

「ここで負けてられっか」 という気持ちになった。

「立ち上がって、前に進もうと決心しました。」

 

会のシンボルマークは、ヒマワリ。

「土壌浄化とかではなく、復興のシンボルとして」 みんなでヒマワリを植えている。

いずれ二本松全体を有機の里にしたい、と抱負を語る。

 

手元に、菅野正寿さんが書かれた文章がある。

そのなかの一節を紹介したい。

 

  原発の安全神話は崩れた。

  有機農業生産者は、農民は、命の大地を守るため、声をあげなければならない。

  戦後、都市生活者のため労働力も食糧もそして電力も提供し、

  支えてきた東北の農民の声なき声を受け止めなければならない。

  消費文明と人間のエゴの帰結が今回の事故をうみ出したのならば、

  エネルギー政策の抜本的転換、

  つまり持続可能な自然エネルギーへの転換が求められる。

  そしてわたしたちは力をあわせて、希望の種を蒔かなければならない。

 

  「山の畑の桑の実を 小かごに摘んだは まぼろしか」 と唄われた、

  赤とんぼと桑畑と棚田のふるさと ~ 

  今年、黄金色の稲穂に赤とんぼは舞うのだろうか。

 

現地視察と生産者との交流から、早や1ヶ月が経った。

「皆さんのところで育ててほしい」 と、

飯館村の高橋日出夫さんから託されたグラジオラスの球根が、

僕のちっこいプランターで芽を出してしまった。

高橋さんの願いが乗り移ったかのように、逞しく伸びてくる。 

 

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こんなところでゴメンね、だよね、まったく。

最後まで付き合うから、許してくれ。

 



2011年6月 5日

美しい村々に降った放射能 -福島行脚その⑥

 

改めて振り返るまでもなく、

原子力発電という技術は、実に事故やトラブルとのたたかいの歴史だった。

" 一歩間違えば大惨事 "  という事態を繰り返しながら、

世界に誇るニッポンの技術者たちは、

" 未来の国産エネルギー "  に途方もない夢を賭けて未知の領域に挑んできた。

 

しかしこの技術は、放射能を発散するという宿命により、

不幸な足かせも必要とした。

" 事故は起きない "  という神話を前提にしなければ、

一歩も前に進めなかったのだ。

技術革新にとって失敗とは、物語に感動を加える絶妙なダシのようなものなのに。

 

安全神話は、国を挙げて、極めて強固に築かれていった。

放射能漏れや隠蔽・改ざんをさんざん繰り返しながら。。。

「こんな危険なモノとは共存できない」 「事故が起きてからでは手遅れになる」

という反対論は、その神話の壁と政治力、そしてマネーの力を崩すことは出来なかった。 

地震との関連でも、その危うさはつとに指摘されてきたにも拘らず、

「明日起きても不思議ではない」 という主張は、

危険人物の煽動的発言であるかのようにシカトされた。

そうして虚しくモロかったはずの  " 安全神話 "  は、いつしか

リスクを最も理解し警戒していたはずの科学者や技術者の頭をも支配してしまった。

それこそが最強のリスク因子であることに気づくことなく。

 

まあ、しかし、、、そう批判したところで、我々だけが逃げられるワケではない。

この責任は、賛成論者・反対論者を問わず、

現代社会を生きるすべての大人が背負わなければならない。

 

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・・・ そんなことをボンヤリと思いながら、景色を眺め続ける。

 

遺留品の保管所を示す墨で書かれた張り紙が静かに立っている街を後にして、

視察団一行は、浜通りの南相馬から再び内陸へと踵を返した。

何台もの自衛隊の災害救助車両とすれ違いながら、

20km も南に下れば、原発事故によって

行方不明の家族を捜すことすら許されなくなった町があることを考えようとするが、

僕の想像力はとてもついてゆけない。

 

二本松市・旧東和町に向かう途中、飯館村を通過する。

 

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「日本でもっとも美しい村」 のひとつ -福島県南相馬郡飯館村。

原発から約40km離れた地で、全村民が避難を余儀なくされてしまった。

放射能の影はどこにも見えないけど。 

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この田畑も、間もなく放置される。 酷い話だ。

 

夕方、二本松市・旧東和町にある 「道の駅 あぶくま館」 に到着。

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 ここで、有機農業をベースに、

地域の自立と自然循環のふるさとづくりに取り組んできた

生産者たちとの意見交換会を持つ。

 


東和の町づくりを担ってきたのは、

NPO法人 「ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会」。

 

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二本松市に合併された2005年、

それまで築いてきた 「ゆうきの里づくり」 を継承しようと設立された。

かつて県内屈指の養蚕地帯といわれた山村に広がる耕作放棄地を再生させ、

桑を使った特産品を開発し、新規就農者を受け入れ、

「里山の恵みと、人の輝くふるさとづくり」 に邁進してきた。

その実績が評価され、一昨年、過疎地域自立活性化優良事例として、

総務大臣賞を受賞した。

大地を守る会の生産者団体でもあるが、彼らの基本はあくまでも 「地域」 である。

僕はその精神を気高いと思う。

 

95%が東和町の産品で並べられているという直売所。

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壁側の棚には、生産者たちの栽培履歴のファイルが並べられている。

それがトレーサビリティの証明である。

 

協議会理事長の大野達弘さん。

以前は 「福島わかば会」 のメンバーで、前日の福島での会議でも一緒だった。

今は地元・東和の、有機農業の指導者として若者たちを育てている。 

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里山再生を掲げ、復活させた桑園は60ヘクタール。

仲間と一緒に 「桑の葉パウダー」 や 「桑茶」 、そしてジャムから焼酎まで、

次々とヒット商品を開発してきた。

育てた新規就農者は16組20人を数える。

新しいふるさとづくりに手ごたえを感じ取ってきた。

そこに起きたのが、原発事故である。 

「山がどうなるのか、心配で途方にくれている状態」 だと語る。

「でも、みんなで頑張って乗り切ってゆくしかない。 この地で踏ん張っていきたい。」

 

副理事長の佐藤佐市さん。

こちらも元 「わかば会」 のメンバー。

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家庭菜園用の苗も作っていて、園芸福祉も取り入れたいと抱負を語る。

しかし・・・地域資源を循環させることが 「有機」 だと信じてやってきたが、

今は落葉の汚染を心配しなければならなくなった。

悩みは尽きないが、有機農業の 「ゆうき」 は 「勇気」 でもあると思って、

頑張っていきたい。

 

山の落葉、しいたけの原木・・・ 山は資源の宝庫なのに、

今はそれを心配しなければならなくなってしまった。

「使っても大丈夫でしょうか」

実態が正確に分からない以上、明解に答えられる専門家はいない。

 

県は野菜の分析で手一杯なのだという。

「民間の検査機関に出せ」 と言われて問い合わせたら、

バカにならない検査費用だった。

ガイガーカウンターも買ったが、どうやって再生につなげたらいいのか・・・

 

意見交換会を終え、夜には懇親会が持たれたのだが、

山都での堰浚いから福島での生産者との厳しい会議を経て、今日の体験・・・

正直言って、ひどく疲れた感が襲ってきて、

自分でも信じられない。 得意の 「飲み」 に付き合えない。

 

愛媛大学の日鷹一雅さんと溜池や水系の除染についてしばし話し合って、

みんなより早く休ませてもらった。

東和の若者たちと語り合おうと思っていたのに。

 

・・・ああ、終われないね。 続く。

 



2011年6月 3日

福島・浜通りの苦悩 -福島行脚その⑤

 

さてと・・・・・ 忘れてはいません。

福島行脚レポートが、実はまだ終わっていないのです。

 

でもこれが、ななかな気が重くて、書けないでいました。

でも、書かなければならない。

ワタシはこの体験を記憶しておかなければならない、とも思うのであって。。。

 

どうも、いつまで経ってもまとめられそうな気がしないので、

どんな形で終了するのか判然としないまま、書き綴ってみます。

言葉が浮かばないところは、写真だけで、

しかも細切れで続くことになるかもしれないけど、お許し願いたい。

 

5月5日、福島の生産者たちとの会合を終えて (福島行脚④ 参照)、

僕は福島駅前のビジネスホテルに一人宿泊して、

翌6日、日本有機農業学会の有志で企画された

「被災地視察と生産者との交流会」 に参加した。

 

朝、福島駅集合。 

ホテルの玄関に掲げてあるスローガンに一礼する。

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参加者は、日本有機農業学会会長代行の澤登早苗さん(恵泉女学園大学) に、

このところ会うことが多い茨城大学の中島紀一さんやコモンズの大江正章さん他、

総勢21名。

 

一行はワゴンのレンタカーを調達して、まずは被災の現地・相馬市に向かう。

例年なら観光客も多いだろうと思われる新緑の山間地を過ぎ、 

海から2~3km という相馬市柏崎地区に入る。

 

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いきなり、圧倒される。

防風林の松がきれいさっぱりと倒され、ここまで流されてきている。

 

田んぼがひび割れしている。

でもこれはただの乾いた田んぼではなくて、表面を覆っているのはヘドロである。

めくればその下に、津波で運ばれた  " 異物 "  が見える。

干からびた鮭とゴルフボールが、同居していたりして。

この田の再生は、、、想像するだけでため息が出てくる。

 

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ここに来る前に、相馬市で有機農業を営む生産者を訪ねたのだが、

集まってこられた生産者たちから聞かされた経験譚は

まるでSF映画のような話だった。

 

「海岸から200mくらいの交差点の赤信号で止まったら、前から津波が来るのが見えて、

 慌ててUターンして逃げた。 何も知らずに海に向かう車が通り過ぎていったが、

 助けることができなかった。」

「地震の時はトラクターに乗っていたが、まるで遊園地の回転木馬のようだった。

 降りたら立ってられなかった。」

「津波に遭って、姉は流木につかまって間一髪助かった。

 あちこちに悲鳴が聞こえて、家が壊れる音やらで凄い音とスピードだった。

 堤防が決壊して、地盤沈下もあるので、大潮になると今も水が入ってくる。」

「地震の時は浪江町を車で移動中だった。 津波が来たとは知らなくて、

 次の日に浜に行ったら海だった。 親戚を探そうとしたが、避難所も分からず、

 とにかく足で稼ぐしかなかった。 親戚夫婦が4km流されたところで発見された。

 供養できただけでも良かったと思う。

 (こっちも大変だったんだけれども) 原発で避難してきた方を受け入れて、

 しばらく3世帯10数人で生活した。」

そんな話を淡々と聞かされる。

 

相馬市は、今年も米の作付を行なうことを決定したが、

まだ行方不明者がいるので、捜索に支障をきたさないよう、

5月8日までは田んぼに水を入れないことも、申し合わせたという。

「捜索と営農のギリギリの選択が、5月8日っつうことになったわけです。」

田に水を入れることがどういうことか・・・

こんな米づくりを経験することになろうとは、、、言葉が出ない。

 

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相馬市から南相馬市に移動する。 

地震からもう2ヵ月近いというのに、立ちつくすしかない風景が続く。

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東京電力福島第1原発から20km圏ギリギリで圏外にある杉内清繁さん宅で、

20km圏内の根本洸一さんも同席されて、話をうかがう。

 

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杉内さんは93年から有機農業に転換したが、

今回の震災の影響よって、有機JAS認証は外さざるを得ない、

と認証機関から言われたとのこと。

そのあたりの判断は認証機関で統一されているのだろうか、心配なところである。

 

「 3月11日から二日間は余震も激しくて、夜は車の中で過ごしました。

 13日に行政の指示が出て小学校に避難したが、ドーンという音を聞いて

 原発が爆発したのではないかと思って、翌日に家族4人で郡山に避難しました。

 その後、宮城県亘理町の叔父の家に移って、4月24日に帰宅したんですが、

 周りでは空き巣や窃盗もあったようです。」

 

南相馬市は、原発事故とその後の行政方針によって、

「警戒区域」 と 「計画的避難区域」 「緊急避難準備区域」、

そして制限のない区域に分かれることになった。

制限のない区域には米の作付は問題ないとされたのだが、

4月14日、市は全域での稲の作付禁止を決めた。

損害賠償を睨んでの措置だと思われるが、

しかし稲以外の作物はOKとなったため、農家の悩みは深くなるばかりである。

 

20km圏内で有機農業を営んできた根本洸一さんは、

福島県の有機農業ネットワークの代表も務めた方。 

家の蔵から有機米50袋 (25俵=1,500㎏) を何とか持ち出したが、

大豆23袋を残してきたことが心残りである、と語る。

とにかく田畑を一刻も早くきれいにしたいと、あれこれ今から考えている。

 

地域のみんなが原発の安全神話を信じていた。

" 二重三重のセーフティネットが整っている "  と聞かされてきたんだけれど・・・

お二人の抑揚を控えた口調が、

かえってその悔しさや苦悩を感じさせるのだった。

(続く)

 



2011年5月29日

それでも種をまこう の会

 

予想外に遅くまで話がはずんだ 「月の会」 から一夜明け、

昨日(28日) はまた別の集まりで同様の話をする機会をもらった。

 

この集まり・・・ というのが少々説明しにくい集まりなのだが、

原発事故の影響が深刻さを増してゆく3月下旬、

この問題にこれからどう対処してゆくべきか、

有機農業に関わる有志で集まって考えないか、という声がかかってきた。

呼びかけたのは、「農業生物学研究室」 の明峯哲夫さんと、

出版社 「コモンズ」 の大江正章さん。

有機農業学会関係の研究者や生産者、ジャーナリストなどが集まって、

4月8日に1回目の会合が持たれ、今回が2回目となる。

 

そこで、震災や原発事故に対する、この間の大地を守る会の活動について、

報告する時間が与えられた。

 

振り返りながら、報告させていただく。 

広範囲にわたる生産者の安否や被害状況の確認から始まり、

ライフラインが大混乱する中での物流対策に追われつつ、

復興支援基金を創設したこと、

物資や炊き出しによる支援活動 (これは今も続いている)、

食べて応援プロジェクトや 「福島と北関東の農家がんばろうセット」 の企画、

「大地と海の復興プロジェクト」 では

水産生産者のネットワークを使って漁民に船を送る活動や、

避難された農民を農家で受け入れる情報提供を行なっていること、

そして慎重に検証した上での放射能測定結果の公表、、、。

刻々と変わる情勢に振り回されながらも、

とにかくやれることは全部やろうと思って進めてきた。

 

現在の課題は、

支援の継続はもとより、

損害賠償や現地での測定体制をどうバックアップできるか、

そして生産現場での放射能除去の取り組みをどう進めるか、である。

 


食品の放射能測定に対しては、

その結果で本当に実態をつかんだことになるのか、

という本質的な問題点が指摘された。

野菜ひとつとっても、畑によって差があったりする。 

キャベツなら外葉を数枚はがすだけで値は違ってくる。

大気なら地上からの距離によって違ってくる。

わずかのデータで 「安全」 や 「危険」 を判断しようとしていないか。

局地的に測れば測るほど全体が見えなくなる危険性を孕んでいないか。

安直な情報開示は風評被害の発信元になりかねないし、

本質を曇らせる恣意的なデータがかえってリスクを高めてしまう可能性もある。

 

論評されればそういう問題はあるだろう。

しかし日々生身の生産と消費をつなぐ立場にあっては、

数値によって現実の一端を知ることは、

「知らない」 ことによる不安を鎮める上での有効な手段ではある。

「測定」 という行為の検証力を僕らは持つ必要があり、

やってみなければその意味が分からない、という意味においても、

徹底して議論しつつ通過しなければならないプロセスなのではないだろうか。

 

放射能の除染への取り組みについても、

「ベスト・アンサー」 がない。

「たいして有効とは思えない」 ものでも、

「何でも試してみたい」 「一年でも早く (土壌を)キレイにしたい」

という生産者の思いを、僕は優先したいと思うものであるが、

放射能を拡散させるリスクは犯すべきではない。。。

 

統括された研究が必要なのは充分承知しているのだが、 

いま目の前の畑をどうするか、への答えは誰からも提示されない。

 「行動」 に出たい!

その一方で放射能という確証のない相手に皆が逡巡している。

明峯さんが語る。 「これは知性への試練」 だと。

その通りなのだが、カッコいい台詞で決められると、

焦っているわが身には少々腹も立ったりして。

 

会議ではさらに、他の発表者から様々な問題点が提出された。

正確な現状把握の困難さ。

方向の定まらない子供対策。

損害賠償の対象にならない山村自然 (=資源) の損失の大きさ。

新潟・山古志村の教訓が活かされない避難の状態。

" 復興 "  に名を借りてのTPP参加への懸念。

 

農漁民たちの損害賠償請求は必要なことだが、

売買の対象になったモノへの賠償だけではない、

失われた価値の総体を見える化し、問う行動が必要である。

 

そして私たちは、

(食べる行為をやめられない以上) それでも種をまく以外にない。

この集まりを、「それでも種をまこう の会」 とする。

 

「種をまく」 とは、具体的行為である。

知識人の議論で終わらせないよう、お願いしたい。

次回は 「種蒔人」 を持参させていただこうかと思う。

 



2011年5月28日

「月の会」で、原発と農そして食について語り合う

 

僕がここ数年愛用しているカレンダーに 「月と季節の暦(こよみ)」 がある。

太陰太陽暦、いわゆる旧暦にもとづいたカレンダーである。

 

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このカレンダーを制作しているのは 「月と太陽の暦制作室」 という。

志賀勝さんという方が主宰されている。

 

4月のある日、その志賀さんからメールが入ってきた。

この暦を愛用する人たちで開いている 「月の会」 という集まりで、

震災後の状況や、特に原発事故の農業への影響などについて

話をしてくれないかという。

 

なぜ月の会が僕なんぞを・・・

と一瞬思ったのだが、理由は分からないではない。

(僕が適切な人選かどうかは怪しいが。)

 

この星のすべての生命活動は、何がしか月の影響を受けている。

月を愛でる人たちは、自然や風景というものへの感受性が奥深い。

当然のことながら食文化や農業・漁業のありようにも関心を寄せる人たちである。

志賀さんの著書 『月 曼荼羅 -384話月尽くし-』 にも、

月と動植物の生命活動との関係や、農業との深い関わり合いが随所に登場する。

月のリズムにしたがって農作業を組み立てるシュタイナー農法の紹介もある。

 

志賀さんのお話では、会の皆さんが今の状況を深く憂えているとのこと。

異例のテーマ設定ではあるが、この機会に、

日本の農業の行く末や、原発の問題などについてしっかり考えたいのだと。

 

「月の会」 はいつも満月の日に開いているそうなのだが、

何と今回は僕の都合に合わせて設定してくれた。 激しく恐縮・・・・。

そんなわけで、昨日の夜は、

蔵前の隅田川沿いのビルにある 「月の会・東京オフィス」 に

お邪魔させていただくことになった。

 


本来なら聞き手に回って、月にまつわるお話をたくさん伺いたいところなのだが、

それもこれも原発のせいだね。

座布団のカバーまで月が配われていて、まさにお月さん尽くしのお部屋。

そんな一室に集まっていただいたのは20人ほど。

なんとその中に大地を守る会の会員の方が2名おられて、嬉しくなる。

 

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話を約1時間ほどさせていただく。

大地を守る会の簡単な説明から始まり、

今回の震災と原発事故後の、我々が行なってきた様々な取り組みについて。

それらを通じて、現地で見てきたこと感じていること、

放射能測定の結果と生産者の思い、これからの対策・・・などなど。

 

お題として指定された 「農業の行く末」 については、

被害自体がまだ進行形のなかにあって、なかなか明確に語れないことをお詫びする。

ただ、大地に降った放射能を取り除く対策に、最も前向きに挑もうとしているのが

有機農業者たちであることを、お伝えする。

すでに北半球全体が汚染の影響を受けているとさえいわれる中で、

私たちが 「食」(食べる) を通じてつながるべきは誰なのか、

この問いに対してだけは、僕は確信を持っていることも含めて。

そして、「原発は止めるしかないです」 。

農業のみならず、日本の行く末は、

自然再生エネルギーの技術大国になるかどうかにかかっている、と思っています。

 

お酒と料理が出されて、皆さんと語り合う。

志賀さんが直接取り寄せているという農家の名前を聞いてビックリする。

なんだ、いろんな形でつながっているんですね。

 

話は尽きず、おいとました時には10時をすっかり回っていた。

 

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地球という星に寄り添って周回しながら、天空から僕らの振る舞いを見つめ続ける月。

満ちては欠け、消えては現れる月の姿に、人は太古より不死の願いを重ね、

豊穣の神として崇め、また時に夜(死) の恐怖と結びつけて様々な伝説をつくり上げた。

 

原子力は太陽崇拝の技術だと言う人がいる。

たしかに、このエネルギーを都市は礼賛し、空から月や星を排除した。

ゆっくりと月を眺めながら、きれいな空気と清涼な水に不安を感じることなく、

季節感ある食を楽しむ、そんな時間は喪われてしまっている。

月の復権は、本来あったはずの生命の律動を取り戻すこととつながっている。

 

植物は満月に向かって光合成を高めていくことが知られている。

病気に対する耐性も強くなるという。

志賀さんの本によれば、

多量の出血が想定される手術は満月の日は避ける、という話が医学でもあるという。

僕らは月のリズムで生かされているのだ。

志賀さん、今度はじっくりと月の話を聞かせてください。

 

「月と季節の暦」 -今月の句

  俤(おもかげ) や 姨(をば) ひとりなく 月の友 (芭蕉)

 

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2011年5月21日

「食の安心・安全」て何だ? -茨城大学で講義

 

茨城大学農学部に、お邪魔してきた。

電車を乗り継ぐこと約2時間、JR常磐線・石岡駅からバスに揺られること約20分。 

稲敷郡阿見町というところにある。

 

うららかな陽光を浴びて、ちょっと汗ばむくらい。

土曜日ということもあってか学生の影もなく (それでいいのか・・・とか思いながら)、

落ち着いた~ というより、のんびりとした風情のキャンパス。

都心のなかで喧騒を撒き散らしながら過ごした我が学生時代の空気とは

エライ違いである。

 

別に青田刈りに来たわけではない (人事担当でもないし)。

全国有機農業推進協議会や日本有機農業学会の理事でもある

中島紀一教授から呼ばれて、

学生さん相手に講義をする羽目になってしまったのだ。

 

こちらでは通常のカリキュラムとは別に、学部内の全学科横断的な講座があって、

今年の前期課目として 「農産物総合リスク論」 という特別講義が設定された。

対象は3年生と4年生。

そのなかのひとつ- 「農法と安全性」 という講義のなかで、

「有機農業の農家と結びあって」 というテーマで話をしろ、というお達し。

 

授業計画を見れば、他にも

家畜飼育法とその安全性、食の安全と市民の役割、農薬の安全性、

遺伝子組み換え作物の安全性、機能性食品の安全性、食品の摂取方法と健康管理、

といったテーマが組まれている。

各テーマそれぞれで、意見の異なる二人の論者を招いて話を聞き、

学生自身で議論しあう、という構成になっている。

 


今回の、もう一人の講師は生協の品質管理の責任者の方で、

講義は聞けなかったのだが、レジュメを拝見したところ、

以下のような骨子で話されたようである。

 

商品価値は、「価格」 と 「品質」 のバランスで成立し、

「価格」 と 「安全」 は関係ない。 「農法」 と 「安全」 も関係ない。

安全性の確保とは、法令順守を基本として、

(製造・生産に係る) すべての工程における管理の徹底、

そして正確かつ適正な情報提供にある。

食品には、食中毒菌や異物、ウィルス、食品添加物、農薬、アレルギー物質など

様々な危険要素が存在し、それを予防、除去、または低減に努めること。

それらのリスクを正しく理解し、適切に管理すること。

 

農法については、(慣行とか有機とかで) 安全性の区分はしない。

農薬は、環境に配慮しつつ、必要な場合に適正に使用する。

持続可能な農業とは、生産者が主体的に取り組むもので、

天候不順や市場動向などの状況変化に臨機応変に対応しつつ、

適正な利益を確保すること (経営の持続性) によって成り立つ。

それを前提としつつ、

提供するすべての商品とフードチェーン全体での安全性を確保するために、

仕様書の更新や産地点検、各種検査等のチェックを実施してゆく。

 

よくまとまっていて、さすが大きな生協さんである。

僕らの考えも重なるところが多い。

ではどこが 「意見の異なる論者」 になるのだろうか。

 

違いが生れる基点は、農法に対するこだわり、に尽きるだろうか。

農法といっても、肥料や資材や菌等の選択によって、また栽培技術や理論によって

いろんな 「農法」 が存在するので、

とりあえずここは有機農業と慣行農業 (一般栽培) とで区分けして話を進める。

 

論点の違いを際立たせるためには、ここから始めなければならない。

大地を守る会は、1975年、「農薬公害の追放と安全な農畜産物の安定供給」

を掲げてその活動をスタートした。

中島先生を一瞥すれば、歴史からかよ・・・ という顔をしている。

 

故有吉佐和子さんの小説 『複合汚染』 をきっかけに、

農薬問題(その危険性) にアプローチするなかで、

農薬の害に警鐘を鳴らすお医者さんと有機農業を実践する農民に出会い、

彼らの育てた野菜を消費者に届けるパイプ作りの必要性に気づかされたことで、

僕らの仕事は始まった。

有機農業を広め、その農産物が社会に安定的に供給される仕組みを築くことによって、

生産者、消費者、両者にとっての農薬リスクを排除・低減することができる。

" 安全な食生活・暮らし "  を保障する社会を築いていくこと、

それこそが最大のリスク対策であり、リスク管理の前提である。

 

仕様書確認や検査といった管理の仕組みというのは

(我々も、どこにも負けないくらいの自負をもってやっているが)、

あくまでもその結果の確かさを検証する、

あるいは  " 見える化 "  させるツールであって、

それだけでは安全や安心を保障する社会をつくったことにはならない。

(講義じゃなくて、アジ演説になるんじゃないだろうな・・・ と教授は不安を覚えただろうか)

 

さて、昨今当たり前に使われる  " 食の安全・安心 "  であるが。

「食の安全」 とは何か?

「食の安心」 とは何か?

逆に、「食におけるリスク」 とは何か?

さらには、 「食べる」 って、どいういうこと?

生徒さんに問いかけながら、進めさせていただく。

(ほとんど自分で喋ってんだけど・・・)

 

すべての人にとっての安心・安全の 「基準」 というのが

明確に見定められているなら、コトは実に簡単である。

しかし、「安全」 を語る際には、考え方や人の事情によって

様々なレベルの基準が発生するのが、「食」 というやつだ。 

" 国の基準値にしたがっているなら、それは 「安全である」 " という視点と、

" リスクはひたすらゼロを目指すべきである "  という 「予防原則」 の観点の間には、

無限の選択肢があって、

どういう立場に立っているのかによって安全基準は異なってくる。

 

私たちは、現状で設定されている社会規範 (法律) は守りつつ、

一方で 「予防原則」 も懐に持って、基準そのものを進化させていく姿勢を

持たなければならない。

しかもそれはただ単純に、厳しくなることを意味するものではない。

社会の水準を底上げしていくためには、しなやかさも求められる。

であるがゆえに、それらの行動と結果を検証し、改善してゆくために

管理の仕組みは存在する。

 

最も大切なのは、食を通じた生産と消費の  " 信頼 "  を取り戻すことである。

作る者に必要なモラルや責任感は、

 " 食べる "  という行為によって支えられ、維持されるワケだから。

そのつながりによって、食を支える土台である環境も維持される。

 

「ただちに健康危害はない」 から

「ずっと大丈夫」 と言える社会に進むことが大切なんじゃないでしょうか。

であるからして、エヘン、大地を守る会は原発にも反対してきたのです。

 

小賢しい管理の手法は社会人になってから覚えればよい。

学ぶ時間が与えられている今は、

人の健康を脅かすリスクというものの根源がどこから生れてくるのかをこそ、

探求してほしい。

と言って、書籍まで紹介する。

『肥満と飢餓 -世界フード・ビジネスの不幸のシステム- 』

 (ラジ・パテル著、作品社刊) くらい読んでおけ。

(やり過ぎだよ、お前・・・ と苦笑いする教授)

 

本来のテーマに沿えたのか、まったく自信がない。

生徒たちは、ワケ分からなくなっちゃったかもしれない。

中島先生、スミマセンでした。

 



2011年5月 9日

母の問いに逡巡した私 -福島行脚その③

 

「ミニ講演会&里山交流会」 報告の続き。

 

原発と放射能汚染の講演に続いては、

この地に入植して15年、「あいづ耕人会たべらんしょ」 の生産者でもある 浅見彰宏さん から、

石巻と南相馬での  " 泥だし+炊き出し "  ボランティアに参加した報告がされた。

 

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TV等で何度も見せられた惨状であっても、

やはり実際に行動してきた方からの生の話と映像は、

臨場感を持って迫ってくるものがある。

「元気を与えたいと思って行ったのに、逆に元気をもらって帰ってきた。」

ボランティアを経験した方々が共通して持ち帰ってくるこの感覚。

生死の境目でなお人を思いやれる心とか、

普段は表に出ない人間の強さとか深さのようなものに触れたのだと思う。

自分がしていない体験談は、どんなものでも聞く価値がある。

 

講演と報告の後の質疑では、

一人の若いお母さんからの質問が胸にこたえた。

「 山都に嫁いで来て、二人の子どもができて、まさかこんなことが起きるなんて・・・

 先祖から受け継いできた田畑があって、この土地を離れるわけにはいかない。

 そう思いながらも、子供のことを考えると不安がいっぱいです。

 どうすればいいんでしょうか。」

 

長谷川さんへの質問だったのだが、誠実に答えようと思えば思うほど、

質問者には歯がゆい回答になってしまう。

今はまだ大丈夫だけど、これから近隣の測定データをこまめにチェックして、

出来る防衛策をとりながら、、、

長谷川さんをフォローしようか、でも彼女の不安を払拭できる明快な回答は・・・

と一瞬二瞬の逡巡が手を挙げさせるのをためらわせてしまって、

その方のやや辛そうな 「どうもありがとうございました」 のひと言で、

僕は目を伏せてしまったのだった。

 


昼間の作業の疲れもある中、楽しい交流会を前に時間を30分オーバーしても、

参加者は熱心に耳を傾け、いわゆる  " 集中してる "  感じが漂っている。 

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厳しい自然と折り合いつけながら、支え合って里山の暮らしを実直に紡いできた人たちに、

こんな会議を、、、

やらせるんじゃないよ! と、激しく言いたい。

 

さて、重たい雰囲気はここまでとして、

約40分遅れて、地元の方々との交流会となる。  

 

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(写真提供:浅見彰宏さん)

 

暗い陰は陰として、農民はその本能に従って田を守り、作物を実らせよう。

それしかない。

今年も滔々と堰に水が流れ、豊作になりますように。 乾杯! 

 

久しぶりにチャルジョウ農場の 小川光さん や息子の未明 (みはる) さんら

の元気な姿も確認できた。

「山都の農場は  " どうしようもないバカ息子 "  に託して、私は西会津に住んでます

 (注:光さんは西会津で遊休地の耕作を引き受け再生させている)」 と、

西会津の名刺を頂戴する。

バカ息子は、" どうしようもない頑固親父 "  がいなくなって清々している様子。

面白いね。

 

振る舞ってくれた山の幸とともに、とっぷりと楽しい時間を過ごさせていただく。

こういうときはだいたい飲みすぎてしまう。

 

「本木・早稲谷 堰と里山を守る会」事務局長の大友さんによると、

水利組合のメンバーが、この一年で3戸退会されたとのこと。

昨年は4戸。 この2年間で20戸が13戸に減ってしまった。

浅見さんがこの地に入って15年のうちに、半分以下になったことになる。

 

農村の高齢化はもはや口で騒ぐだけではすまない、切迫した状態になっている。

食と環境を支える土台が崩れていっている。

それは、超ド級の震災と同じレベルで、この間進んでいるものだ。

ただ、今このときに恐怖が凝縮されてないだけで。

 

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来たれ!若者たちよ。 この美しい水源を、一緒に守らないか。

 

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2011年5月 8日

里山で原発の勉強会 -福島行脚その②

 

7日(土) の夕方に福島から戻り、今日は会社で溜まりまくったメールを処理。

これをやっとかないと明日からの仕事にスムーズに入れないので。

それにしても・・・ とても濃密な五日間だった。

 

畜産・水産グループの 吉田和生のツイッター を覗けば、

3日に我々が常磐道に迂回した頃、

彼らは神奈川・三浦の岩崎さん (シラスの生産者) から譲り受けた船を積んで、

宮城に向かってすでに渋滞の中にいたことを知る。

気になっていたのだが、首尾よく届けられたようだ。

三浦半島で漁船を調達して、船を失った三陸の漁業者まで届ける。

いつものことながら、吉田隊 (社内用語) の行動は豪快である。

 

福島行脚最後の夜 (6日) は、

二本松市 (旧東和町) の 「ウッディハウスとうわ」 という宿泊施設に泊まったのだけど、

二人部屋で一緒になった放送大学の先生 (NHKのOBさん) と寝ながらした会話が、

「菅さん (実話では呼び捨て) も浜岡 (原発) を止めるくらいの英断がほしいですねぇ」(エビ)

「あいつはできないね」 (先生) だった。

それが翌日の朝刊を見てびっくりした。

『浜岡原発、全面停止へ -首相要請、中電受け入れ』

(5月7日付 「福島民友」 1面)

 

一日経てば裏事情も含めいろんな情報が耳や目にに入ってくるのだが、

いずれであろうが胸に迫ってくるのは、

歴史という時の中にある  " 今 "  をしっかりと捉えたい、という強い思いである。

どんなふうに社会が進むか、そして自分はどう行動するか、、、

後になって 「一生の不覚」 とならないように進まなければならない。

「思想とは覚悟である」 なんていう物騒な言葉も頭をよぎったりして。

若い頃に読んだ、あまり好きじゃない三島由紀夫の 『葉隠入門』 だったか。。。

 

長い余談はさておき、福島行脚レポートを続けたい。

5月4日、堰さらい (地元では 「総人足」 と呼ぶ) の夜は、

地元の方々との楽しい交流会になるのだが、

今年は全体の空気を読んで、

" その前に震災の現状を知り、原発の問題を考えよう " という時間が用意された。

 

『東日本大震災と放射能汚染に関するミニ講演会と里山交流会』

第一部 -「私たちは放射能汚染とどう向き合うべきか」

講師は、東北農業研究センター研究員・長谷川浩さん。

日本有機農業学会の理事もされている。

 

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(写真提供:浅見彰宏さん)

 

有機農業技術についての会議等で話は何度か聞いてきたが、

原発と放射能についても講義されるとは、さすがである。

 


長谷川さんの話は、まずは今進んできる事実確認から始められた。

放射能漏れ事故で最も深刻な打撃を被ったのは福島県だが、

汚染は北半球全体に広がっていっている。

福島県は東京電力の電力を1ワットも使っていないのに、

福島の農民、漁民が最大の犠牲者になってしまった。

浜通りでは第1原発を中心に南北60km がゴーストタウンになった。

 

続いて放射能の基礎知識をおさらいする。

放射性物質というものについて、放射能と放射線の違い、生物に与える影響、等々。

放射能の出ない原子力発電所は理論的にあり得ないことを知っておくこと。

その上で、100%安全な技術というのは存在しないことも。

日本列島は火山、地震、津波、台風の常習地帯であることも。

 

原子力や放射能の専門家ではないので、と断った上で、

長谷川さんの私見が語られた。

放射能も放射性物質も五感では分からないため、数値に頼ることになる。

しかしながら、人間の健康に影響が出ると分かっている最低値=100ミリシーベルト

以下の放射線量についての健康被害は、長期的な影響まで含めると、

実はまだ科学的に証明されていないのである。

疫学調査は、年齢・性別・喫煙・生活習慣などに左右されて、必ずしも明確な結論が出ない。

そこで、「危険であることを証明し切れていない」 を元に、

「大丈夫」 から 「少なければ少ないほど」 という予防原則の観点の間で、

幅広い解釈が成り立ってしまう。

数値に対する判断が、専門家の間でも正反対になることがある、

それが放射能という問題である。

 

いま進んでいる事態は、

低線量を長期間被爆した場合の人体実験にさらされているようなものだが、

しかし開放系空間に放出された放射能の影響を 長期的に見ようとすればするほど、

因果関係の証明は困難なものとなるだろう。

 

長谷川さんの  " 私見 "  はさらに続く。

これまで数多くの大気圏核実験やチェルノブィリ事故、そして今回の事故等によって、

もはや北半球にゼロ・リスクの場所はない。

どの説を採用するか、どこまで許容するかはあなた次第です。

より低いところを望むならば、疎開してください (どこがいいのかは言えないけど)。

でも200万の福島県民が疎開することはほとんど不可能。

そうなったらそれは難民である。

 

水田は kg の土壌あたり 5,000ベクレルまでなら耕作できることになった。

しかしできるだけ土壌中セシウムを吸わない (+減らす) ために、

農民こそが知識を持つ必要がある。 

 

いかに汚染されようが、人はそれでも種を播いて、たべものを収穫し、食べ、

水を飲まなければ生きてゆけない。

 

電気や資源を湯水のように使う「文明病」は、もう終わりにしよう。

不便な生活が正常で、いまほど便利な生活は異常である (それには裏があるが)。

東京は、電気はもちろん、水、食べ物の自給率はほぼ 0% である。

地方を収奪して肥大化してきた。

首都圏の皆さん。 福島県を買い支えてください。

 

配布資料は、電気を使いまくる都市に対する挑発的な文言で締めくくられているのだが、

彼に対する誤解を避けるために紹介は控えておきたい。

研究者の前に、彼も人間なのだ。

 

では、長谷川さんの講義を受ける形で、大地を守る会の戎谷さんからコメントを。

ヤな役回りだな、いつも ・・・・

 

僕の結論はいわば、ご覧の通り、である。

原発というのは低コストなものではなく、温暖化防止につながるものでもなく、

永久的に廃棄物を管理し続けなければならず、

決して人をシアワセにするエネルギーではない。 止めるしかないですよね。

 

消費者の間では確かに福島産の野菜に対する買い控えが起きているけど、

それを風評被害と言って責めてはいけません。

風評被害とは、小さなお子さんを持つ母親の防衛行動とは別にある。

今ここで生産者と消費者が対立してはならないです、ゼッタイに。

ともに暮らしの基盤である食と環境を守るために

支え合いの精神をこそ発揮して前に進みたいものです。

そのために、大地を守る会では 「福島&北関東の農家がんばろうセット」 などを企画し、

消費者と生産者のつながりを維持していこうと頑張ってます。

・・・と上手に言えたかどうかは不明だけど。

 

 

なんだか今回のレポートは長くなりそうだ。

一杯やりたくなったので、この項続く、で。

 



2011年4月23日

ファイトレメディエーション

 

放射能による土壌汚染の程度によって、

米の作付を見合わせる (米を作るな) 、という指導がされ始めている。

この判断は、いいのか? 逆じゃないのだろうか?

 

 - と前回書いたが、思うところを書いてみたい。

 

昨日、原子力災害対策本部長・菅直人内閣総理大臣は、

福島県知事に対して指示を出した。

「貴県のうち、避難のための立ち退きを指示した区域 (半径20km圏内)

 並びに新たに設定した計画的避難区域及び緊急時避難準備区域においては、

 平成23年産の稲の作付けを控えるよう、関係自治体の長及び関係事業者に

 要請すること。」

 

そして農林水産省では、稲の作付けを禁じる基準として、

「土壌中の放射性セシウム濃度が土1kgあたり5,000ベクレルを超える水田」

と設定した。

これは過去のデータから、水田の土壌から玄米への放射線セシウムの移行は

10分の1と示されたことによる。

つまり、玄米中の放射性セシウム濃度が、食品衛生法上の暫定規制値(500ベクレル)

以下となるための土壌中放射性セシウム濃度の上限値は5000、というわけだ。

過去のデータとは、独立行政法人農業環境技術研究所が、

1959年から2001年まで、全国17カ所の水田の土壌および米の放射性セシウムを

分析した合計564の測定データで、それをもとにして算出された。

 

福島県内の水田113地点の土壌を検査した結果、

幸いにして (という言い方は不適切か)、20km圏内および避難区域外からは

基準を超える水田はなかったようだ。

避難区域はその意味からしても、営農そのものが持続困難なのだが、

それにしても、ただ 「作るな」 でいいのだろうか。

また仮に区域外で基準超過の水田が発生した場合においても、

「作るな」 より 「作らせる」 ほうがよい、と僕は考えるものである。

 


もちろんその米を人に食わせてよい、と言っているのではない。

稲が土壌の10分の1を吸い上げるのなら、何もしないより、

むしろ稲にセシウムを吸わせて土壌を浄化させる方がよい。

収穫された米は東京電力さんに買い取ってもらって、バイオ燃料にする。

燃料にしても移動したセシウムの問題はついて回るかもしれないが、

生命をつなぐ基盤である土壌からの除去・浄化は何より必須の課題である。

しかも、半減期30年というセシウムが相手なので、

基準値を超えた水田では 「来年はつくれる」 という保証もない。

何もしないで放置された水田はだんだんと再生が困難になってゆく。

「つくり続ける」、作り続けながら土壌の浄化を進める、のがよい。

 

土壌に蓄積された様々な汚染物質 (重金属類や農薬、PCB、ダイオキシン類等々) を

植物の持っている機能や力を利用して吸収させ、あるいは分解させることで

土壌を浄化する技術がある。

「ファイトレメディエーション」 という。

 

植物が大気や水を浄化する機能を持っていることは多くの人が知っていることかと思う。

逆に、植物によって特定の有害物質を吸収(蓄積)する特質があることも、

部分的ではあるが分かってきている。

こと放射性物質についていえば、

アカザ科の植物がセシウムに対する吸収特性が高いことが確かめられている。

アカザ科 -野菜でいえばホウレンソウ! だ。

福島原発事故はまさにそれを証明してくれた格好になったか。

しかしそれはまた、ホウレンソウが指標作物になる、ということでもある。

土壌からの除染だけを考えるなら、回転の速いホウレンソウを植えまくる、

という考え方も、ないわけではない。

現実には、そのホウレンソウをどうするか、だけど。

 

こういった植物を、汚染物質を吸収するからといって排除するのでなく、

むしろその力を借りて浄化に取り組もうというのがファイトレメディエーションである。

チェルノブイリ原発事故では、菜の花 (菜種) やヒマワリを栽培することで

土壌浄化に効果があったというのは有名な話で、

篠原孝・農林水産副大臣はこの手法を提唱している。

 

汚染土壌の修復に土の入れ替えといったことが言われているが、

20km圏内に加えて避難区域まで含めた広域にまたがる水田土壌を入れ替えるなんて、

不可能というより絵空事としか言いようがない。

とにかく物理的あるいは化学的な方法による修復は、べらぼうなコストがかかる。

ファイトレメディエーション技術は時間はかかるが、

エネルギー消費やCO2の排出といった環境負荷がなく、

汚染土壌の拡散を防止できるし、緑化にもつながる。

太陽エネルギーによって植物が生長する、ただそれだけで環境汚染物質を

土壌から吸い上げていくという、究極の環境調和型修復技術であり、

経済合理性に適った考え方として、

欧米ではすでにその応用、つまりいろんな形での産業化が進んでいるものである。

 

ファイトレメディエーションにはいろんな考え方・方法が研究されている。

生長中の植物の根から分泌される物質によって根の周りに微生物が増加する原理

を応用して、汚染物を分解・無害化する菌を繁殖させるという方法。

あるいは植物根や分泌物に汚染物質を吸着させることによって

固定させる (地下水への流出を防ぐ) といった方法、などなど。

 

読みにくいカタカナを駆使して書いているけど、ここまでくると要するに、

根圏微生物を増やす、つまりは土壌を肥沃にしていくことが、

有害物質の除染にも有効である、ということになる。

有機農業の力はここにある、というのがわたくしの結論である。

 

「化学肥料でも肥料効果は同じである。」

あるいは 「農薬は適正に使えば、農産物の安全性は同じである。」

こういう論がいまだに跋扈しているが、土から目線で言えば、

農薬は土壌に残留する有害物質のひとつであり、いずれ植物に吸収される。

化学肥料は植物を育てる食べ物にはなっても、土壌の肥沃性を増すものではない。

最終的に放射性物質も含めた汚染物質を除去あるいは固定・無害化する力は

菌であり、それを育てる土壌の力、ということになる。

土が豊かであるほど、私たちの健康は保たれる。

その関係にあることを忘れてはいけないだろう。

 

私たちが有機農業を目指す生産者たちを大事にしたいと思うのは、

環境修復の担い手でもあると思うからだ。 

それは長期的な時間でみれば経済合理性にも適っている。

 

いずれにしても、自然界の力と調和しながらきっちりと安定化させていく、

といのが最も効率がいい、ということになると思うが、いかがだろうか。

 

大切な食料基地でもある福島を、荒涼とした大地にしてしまうのでなく、

稲やヒマワリや菜の花を咲き誇らせながら修復へと向かおうよ。

その田園はきっと僕らに 「希望」 を語りかけてくれるはずだ。

 



2011年4月16日

原発はいらない! と タン君も叫んだ。

 

予告してしまった以上は実行しないとまずいか。 まずいね。

天下無敵の百姓どのにもしっかりコメントで発破かけられちゃったし。

 

4月16日(土)。 渋谷、宮下公園の先にある神宮通公園。

短角牛の短君を台車に乗せて(こいつは自力では歩けない)、午後1時過ぎに到着。

だんだんと人が集まってきて、2時には公園に収まりきれないほど膨れ上がった。

 

「野菜にも一言いわせて! さよなら原発デモ!!」

やるしかない!

 

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                                   (あ・あ・・・右手が落ちた・・・) 

胸のプラカードは夕べやっつけで作ったもの。

気温がどんどん上がる中、まるでサウナ状態 (-_-;) 。

 

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いや、泣き言はやめよう。

牛にも一言いわせろと、せっかく岩手から応援参加してくれたんだ。

東北の風土に根ざし、東北の大地に生きて、100%国産飼料で育てられた日本短角牛。

この仔には岩手の畜産農家たちの思いが託されているのだ。

腹をきめて、

行くぞ~! オオーッ! (写真左の人は弊社広報グループ・中井徹) 。

 

東北の方々の思いを背負って、なんてとてもできないけど、

都会の消費者に、少しでもメッセージを伝えたい。

" 美しい大地と きれいな海を とりもどそう "

そのためにできることを考えよう。 子どもたちの未来のために。

 

デモの前に集会が始まる。 

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被災地の原発被害の状況を、

グリーンピースジャパンの高田久代さんが報告する。

次に各地からの悲痛な叫び声が伝えられる。 

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真剣に聞き入る参加者たち。

涙する女性もいる。

 

茨城から、オーガニックファームつくばの風の松岡尚孝さんも参加。

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大きな希望を抱いて就農して3年。 

自分たちが受け入れた覚えもない放射能によって、ホウレンソウも、のらぼう菜も、

出荷できなくなった。

出荷できる野菜まで影響を受けているが、それでも自主的に検査をして

責任を持って届けたいと頑張っている。

今はとにかく、明日につながる道筋がほしい。

 

千葉県成田市三里塚に就農した若者が決意を語った。

「楽しく、いきいきと生きたい、そう思って成田に就農した。

 もしかしたら僕たちの農地も汚染されてしまうかもしれない。

 でも僕は、何があってもここに残って農業をやる、やり続けると決めました!」

 

福島の農家からのメッセージが読み上げられ、

続いて流通の立場から発言を求められる。 

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たんくんのままではきつかったので、頭は脱がせてもらう。

 

私たちは原発を 「トイレのないマンション」 と呼んで、ずっと反対してきました。

原発は温暖化防止に貢献できるエネルギーでもありません。

ひとたび事故が起きた時のリスクは測り知れないものになる。

・・・それがついに現実のものとなってしまいました。 実に辛いですね。

 

20km 圏内の仲間の生産者は、慈しんだ大地を離れて避難しています。 

一人は、もう帰れないと諦め新天地を探し始めました。

30km 圏内に畑を持っていた生産者は、

屋内退避勧告に応じず、敢然と畑に通ったのですが、

その努力は報われることなく、出荷を断念せざるを得なくなりました。

その圏外にも放射能は飛び、たくさんの生産者が被害を被っています。

いくつかの市町村がまるごと捨てられる、これが原発が持っているリスクです。

 

そんな中で私たちは、食べられるものは食べようと呼びかけ、

福島・北関東の農家を応援する野菜セットの販売を始めました。

食べることでつながりが確かめられ、

消費者は応援していると生産者に少しでも希望のメッセージになればと願っています。

そしてみんなの力で、

新しい 「いのちと暮らしの安全保障システム」 を築いていきたいと思う。

そのシステムには、原発というハイリスクで超コスト高な装置は入る余地はありません。

(廃炉まで10年という時間とコストとその間の汚染を想像してみてほしい)

 

希望はこの道にある。 そう信じて今日は皆さんと一緒に歩きたい。

 - とまあ、そんなふうにスピーチするはずだったのだけど・・・ 68点。

 

PARC理事で出版社・コモンズ代表の大江正章さんが、集会をまとめた。

 

原発事故は人災と言われているが、

復興構想会議の特別顧問となった哲学者・梅原猛さんの言葉を借りれば、

 「文明災」 である。 文明が裁かれているとは、まさにその通りだと思う。

原発がなくても、私たちの暮らしは何ら問題はない。

いま日本は電力の29%を原発に頼っているが、その数字を引いても

1985年当時の電力量より多い。

はたして85年はそんなに不便だったろうか。

かたや、内閣府で出している国民生活白書を見れば、

生活の満足度は84年をピークに、85年からずっと下がりっぱなしである。

原発はいらない! をみんなで確認して行進しましょう。

 

では、いざ、出陣! です。 

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短君、カッコイイね。 堂々としているぞ。

 

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神宮通公園からJRのガードをくぐり、東電の電力館前で

一斉にシュプレヒコールが上がる。

オールドスタイルの掛け声は、もうやめたほうがいいんじゃないかと、ふと思う。

それより、道行く人たちに向かって

「原発のない社会をつくりたいのです。 どうか一緒に歩いてください」

と真摯に語りかけた方のほうが好感が持てた。

 

あれ。

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エビが疲れた表情で歩いているけど、短君じゃないの?

いえ。 集会の1時間だけ着て、デモに移る時に若手の O 熊くんにバトンタッチしました。

こういう経験は若いうちにさせなければ、という美しい先輩心です。

水色のシャツはびしょ濡れです。

 

O 熊くんは頑張りました。

渋谷駅前では注目度ナンバー1 じゃなかったか。

国内外の報道系だけでなく、通行人からも車の運転席からもカメラを向けられ、

ちょっと得意にポーズをとったりして。

「渋谷の駅前はチョー気分よかったっすね。」

お疲れさまでした。

 

応援に来てくれた会員の皆様、スタッフの方、そのご家族の方。

急な集会でしたが、来ていただいて有り難うございました。

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プラカードを持って、お巡りさんにガードされながら、車道を、声出しながら歩く。

なかなかに照れくさいもので、通行人に呼び掛けているのだけど、

目を合わせるのは何となくはばかられる。

手を振ってくれる方もいれば、胡散臭そうに眺める方もいる。

 

ハーヴァード大学名誉教授の社会生物学者で、2度のピューリツアー賞を受賞した

知の巨人、エドワード・O・ウィルソンは書いている。

「 抗議活動団体は、自然経済の早期警戒システムであり、

 生きている世界の免疫反応である。」 (『生命の未来』 角川書店 )

 



2011年4月 9日

原発とめよう会の緊急講座から

 

「福島と北関東の農家がんばろうセット」 を企画した途端、

マスコミが殺到してきた。

風評被害から農家を守ろう、という取り組みはそれほど珍しい、ということなんだろうか。

たしかにここにきてスーパーマーケットでも

「福島応援フェア」 などが開かれたりしているが、

普通のコーナーに並べられることはない。

僕としては 「(流通OKなものは) 普通に食べようよ」 と言いたいだけなんだけど。

それよりもっと大きな方向にベクトルを向かわせたいと思うのに。

 

一昨日(4月7日) は、NHKさんから取材を受けた。

昨日の夕方の首都圏ニュースで3分ほど流れたようだけど、

自分は外での会議に出席していて見ることができなかった。

応援セットの主旨より放射能の自主検査について色々と聞かれてしまい、

これについてはわずかでも間違ったことをいうわけにはいかないので、

カメラの前で言葉を選んでいるうちに、自分でも緊張してくるのが分かった。

見た方からの感想は 「ちょっと元気がなかった感じ。 疲れてる?」 。

いえ、喉が渇いて、大きな声が出なくなっちゃったんですよね、トホホ。。。

でも視聴者から 「私も応援したい」 という連絡も入ったようなので、

その報告だけを記憶して、今日は寝ることとしよう。

 

いや、寝る前に、今日開かれた講座の報告をしておかなければならない。

大地を守る会の専門委員会 「原発とめよう会」 が開催した

緊急講座- 「福島原発とどう向き合うか」

場所は、新宿区早稲田にある 「戸山サンライズ」の大研修室。

講師は、原子力資料情報室共同代表の伴英幸さん。

 

仕事の都合でちょっと遅れて行ったところ、定員200名の席がほぼ埋まっていた。

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原発をテーマにして、これだけの人が集まったのは、チェルノブィリ以来だね。

心境は複雑である。

 


原発事故や放射能についての解説は、原発とめよう会ブロク他の媒体に譲るとして、

取り急ぎ、誰もが気になっていることだろうと思われる疑問について、

伴さんのコメントを紹介したい。

ただ紹介するだけでは無責任なので、→ のあとにエビの見解を示します。

 

1.政府が出した暫定基準値は甘い。

被曝は単純な比較で終わるものでなく、足し算で考えなければならない。

被曝の影響として語られる 「ただちに健康への影響はない」 とは、

将来に影響が出る可能性があるということである。

放射能にこれ以下なら安全という量はない。

→ その通りだと思う。 だからこそ 「ただちに」 止めなければならない。

  と同時に、今は危機管理体制の中にある、というのが僕の認識で、

  暫定基準値は、最低ここまでのラインで行動する、という統一基準として理解している。

  それをいたずらに危険だと煽ったり店頭から撤去するのは賢明な判断ではないと思う。

  「この基準を恒常的なものにしてはいけない」 は、まったく同感である。

 

  平時にあっては予防原則に則って安全性を確保する社会づくりに努める。

  しかし非常時にあっては、できるだけ多くの人を救うための共通する行動原理に従って

  一刻も早く事態を収束させる。 それが危機管理の鉄則じゃないだろうか。

  そして、すべての不安を、「ただちに」 次の行動に結集させたいと思うのである。

  僕が腹の底から願うのは 「いのちの安全保障」 ビジョンである。

 

2.乳幼児ではヨウ素の影響は大人に比べて10倍くらい高い。 子供は4倍くらい。

できるだけ情報を集めて、自分で判断しよう。

→ この数字の根拠までは語られなかったので、検証はできてないが、

  こういう数字を示してくれると、やっぱホッとするのは消費者心理ではある。

  一方で今の基準値は子供への影響も考慮したものである、という見解もあるが、

  とりあえず伴さんの説明に基づいて計算するなら、

  野菜類の乳幼児の暫定基準値は200ベクレルということになるか。 子供で500ベクレル?

  当会で放射能汚染食品測定室に依頼したホウレンソウの比較試験で得られた結果は、

  洗って約4分の1、茹でて半分。 なら葉物で400ベクレル、というのが指標になるか。

  乳幼児向けだと、葉物でひっかかる場合がある、というレベルである。

  真の大人なら、当たり前に食べてほしい。

  気になるなら、厚生省や官公庁で日々発表されているデータをHPでチェックして

  参考にしていただきたい。

  じゃが芋や玉ねぎ・人参・大根といった根菜類はまず問題ない。

  トマトやきゅうりなどの果菜類も大丈夫でしょう。

 

  ちなみに、ホウレンソウなどの葉物が高く出るのは、

  太陽に向かって葉っぱを広げて伸びようとしている、その生長段階のものを食べるから。

  落ちてくるものを受け止める面積が広いからです。

  単位重量に対して、表面積が大きいものは高く出ることになります。

  そういったことも頭に入れながらいろんな野菜を判断していただけたらと思います。

 

  ただ、この汚染が長引くと、問題は半減期の短いヨウ素ではなくセシウムになる。

  大地に降ったセシウムを植物がどう吸収するか、これからいろんな情報が出てくることだろう。

  私が考えるポイントは腐植や微生物の役割、つまり有機農業の力である。

  生態系の力で安定させていく事こそもっとも合理的で、これこそ地球の原理だから。

  これは専門化レベルの話になるが、いずれ挑戦したい。

 

3.子供を外で遊ばせてよいか?

雨が降ると放射性物質も一緒に落ちてくるから、当然濃度も高くなる。

濡れないように注意してあげる必要がある。

普通の日に外で遊ぶ場合は、砂場などで土や砂をいっぱい体に付着させるのは

なるべく避けたほうが良いと思うが、それ以外は神経質に考える必要はない。

部屋に閉じ込めてストレスを高めることのほうが問題だと思う。

→ 有り難うございます。 そのように伝えていきたいと思います。

 

他にもいくつかあるけど、取り急ぎこんなところで。

 

昨日キャッチした情報。

  全国漁業協同組合連合会 (全漁連) の服部郁弘会長は6日午前、

  都内の東京電力本社に勝俣恒久会長を訪ね、

  同社が福島第1原発で高濃度放射能汚染の貯蔵スペースを確保するため

  低濃度の汚染水を海に放出したことに対し、

  「何の相談もせずに強行した一方的な暴挙だ。

  われわれ漁業者の神経を逆なでするもので、許し難い」 と強く抗議した。

  服部会長は、「国と東京電力の責任は免れない」 と強調。

  政府と東電に、関係者への最大限の補償を速やかに行うよう求めた。

  これに対し、勝俣会長は

  「大変なご迷惑をお掛けしたことを、心から深くおわび申し上げます」 と陳謝。

  汚染水の流出防止や補償の問題に 「最大限の努力をする」 と述べ、

  同社として誠意を持って対応する姿勢を示した。

  服部会長は東電側との会談後、記者団に

  「これからはどんな説明を受けても信頼できない」 と強い不信感を表明。

  福島、茨城両県以外の漁業者にも不安を広げた東電や政府の対応に怒りを示し、

  今後全漁連として、全国で運転もしくは計画中の全ての原発の中止を訴えていく

  考えを示した。 (4月6日12:29、時事通信発)

 

今日改めて確認しようとしたが、どうやら最後のセンテンスはカットされてしまったようだ。

考えさせられるね。

ここは一発、断固支持のエールを送っておきたい。

がんばれ!全漁連・服部会長!

 



2011年4月 4日

答えのひとつは 畑にある

 

"  答えの一つは畑にある。

   土や小さい生き物の浄化力を信じて 明日もがんばろう!  "

 

阿部豊さん、コメント(3月28日付) 有り難うございます。

まったくその通りだね。

「土を損なう国は、国全体を損なう」

と言ったのはフランクリン・ルーズベルトだったっけ。

私たちの未来、人類の文明の行く末とまで言ってしまおうか、

その鍵を握るのは、土(土壌) の力と人の関わり方、になるように思う。

 

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                              (写真右が阿部豊さん。左は桑原広明さん) 

 

阿部さんの師匠、魚住道朗さんから頂いた

エアハルト・ヘニッヒ (ドイツの農業指導者、1906~1998年) の

『生きている土壌』(中村英司訳、農文協) を今読んでいるけど、

最初のほうにこんな一文がありました。

「 生命それ自体は共に終わりを迎えるのではない。

 崩壊の過程の中から、「廃墟からの新しい生命」、

 つまり、まさに肥沃な土壌が生まれてくるのだ! 」

 

有機農業は、進む危機の中にあって、いよいよ確かな道標としてある。

しかし火急的に求められている問題は、、、まさに今、であって、

これがつらい。

 

阿部さんからは、茨城大学の先生を呼んで測定した報告を頂いているので、

紹介したい。 詳細な説明は省略でごめんなさい。 ( ) 内はエビの注です。

 


 

  本日、茨城大の助教の先生に来てもらい、放射線測定をしてもらいました。

  結論から言うととてもいい知らせとなります。

 

  測定にはGMサーベイメーターを使い、出てくる値は CPM という単位で、

  放射線の通った跡をカウントしているもの。

  通常時は空気中、食品ともに80が基本となるものです。

 

  今回使った機種は原子力機関で一般的に使われている精密なものです。

  結果からわかるのは、

  べたがけやトンネルは影響を半分以下におさえる効果があるということ。

  次に、洗って茹でてみた。

  洗いは放射性物質の低減にとても有効。

  さらに茹でるとホウレンソウでも普段の2倍(2分の1)

  程度まで放射線を減らすことができ、まったく問題ないと思われる。

  ここは消費者にも安心して食べてもらえる結果となった。

  ちゃんと説明すれば支援先でも受け入れてくれるだろう。

  (阿部さんは八郷の有機農家たちと一緒に、福島に支援物資を送っている)

 

  今、土の上に薄~く放射性物質が降り積もってる。

  つくば産総研のデータから類推すると、90%以上はヨウ素で、半減期8日。

  ヨウ素は大量の降雨がない限り、植物も根から吸わないだろう。

  数%がセシウムで、半減期30年。

  セシウムはカリや炭を畑に入れれば60%以上植物が吸収するのを抑えられる。

  つまり、普段どおりバランスのいい堆肥やぼかしなどを入れて作付すれば問題ないのでは。

  気になる人は、カキガラやくん炭を多めに入れればいい。

 

 

当会がずっと測定サンプルを出している 「放射能汚染食品測定室」 に依頼した

ホウレンソウの比較試験でも、阿部さんと似たような結果が得られている。

ホウレンソウを洗うと、76%に減少(24%除去)、

洗った後に茹でて絞った状態で、53%に減少(47%除去)、となっている。

 

阿部さんからは、

放射性物質の暫定規制値についての、実に冷静な考察も寄せられている。

 

政府基準が適用されたとしても、

自分が納得して出荷できるかどうかが一番重要だし、

安心できると消費者に伝えることができるかも大切。

あの数字に納得しないまま振り回されるのも嫌なので、調べたのだと言う。

 

阿部さんはWHO(世界保健機構) やFAO(国際連合食糧農業機関)、

各国の輸入基準などをチェックした上で、こう考察された。

 

  政府の食品衛生法の暫定基準は、国際基準と大きく外れてはいませんでした。

  すべての基準のもとになるのが、国際放射線防護委員会(ICRP) の

  年摂取限度量(ALI) の数字。飲食等による内部被ばくの場合、

  たとえばヨウ素の場合、甲状腺への実効線量50ミリシーベルトが限度値。

  その他の核種の場合、それぞれ5ミリシーベルト。

  この元となる基準は、今までの放射線被ばくの実データやシュミレーションによって

  算出されており、現在最も信頼されている数字。

 

  日本の基準には独特の考え方が盛り込まれているので難解。

  ヨウ素2000ベクレルの野菜を1年食べて内部被ばくしても

  放射線限度の50ミリシーベルトには達しない。

  この数字は野菜だけを考えて決められているのではないから。

  計算にはいろんな統計資料が用いられており、

  核種、年齢によってまた違う計算式になっている。

  たとえばヨウ素の場合、成人が年間限度50ミリシーベルトに達するには、

    ヨウ素が2000ベクレル含まれた野菜を227gずつ365日食べる。

    ヨウ素が300ベクレル含まれた乳製品を105gずつ365日飲み続ける。

    ヨウ素が300ベクレル含まれた水分を1.65リットルずつ365日取り入れる。

  この3つの条件が合わさって、ようやく制限値の66%に達する。

  つまり、かなりの悪条件が一年続くと健康を害する可能性が高まるということだ。

 

  官邸、マスコミが 「ただちに健康は害しない」 というのは正しい。

 

  わかったことは、あの基準はそれなりの根拠があるということ。

  本当に 「ただちには健康を害しない」 ということだ。

  2000ベクレルのホウレンソウを100g食べただけでは0.003ミリシーベルトしか

  被ばくせず、しかも洗うと放射線は2分の1になる。

 

  消費者が理解してくれるといいね。

 

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                           (今年のだいち交流会・錦糸町会場で歌う阿部豊)

 

そう言いながらも、阿部さんが代表を務める 「頑固な野良の会」(茨城県石岡市) では、

県下一斉に出荷停止になったカキナだけでなく、

のらぼう菜、石岡高菜も自主判断で出荷を控えている。

「 あとから、消費者の皆さんが後悔することのないように、

 生産者にとっても難しい判断です。 」

 

茨城からは、「オーガニックファームつくばの風」 代表の松岡尚孝さんからも

同様な文書が届いた。

群馬 「くらぶち草の会」 からは、県の検査結果が日々送られてくる。

 

こうやって、食べる人への責任を全うしようと、

できる限りの対処をしてくれる生産者がいてくれることは、

とても有り難いことではないだろうか。

土壌の力を育てる技術も、彼らの中にある。

ここで彼らを切り捨てるわけにはいかないと、切に思う。

 

リスクはゼロであるに越したことはない。

しかし、ゼロはもはや現実にはなくなってしまった。

ここで  " 最低守るべきライン "  を共通尺度として設定した以上、

それ以下は、よく洗う、生では食べない、など念のための防御をしながら、

普通に食べていただくしかない。

多数の意思で受け入れた文明の結果でもあるし。

怒りは、新たな文明設計へと結集させたい。

 



2011年3月31日

人類はアブナイものをつくり過ぎた

 

3月31日。

年度末という日程も完全に無視。 2トントラックをレンタルして、

「大地を守る会の備蓄米」 の産地、福島県須賀川市・ジェイラップに

お見舞いもかねて救援物資を運んできました。

救援物資といっても偉そうなものじゃなく、水とお茶約1.5トン+ α  程度で、

地震前から予定していた仕事の用件もあって、、ということなんだけど。

それでも皆さん、恐縮するくらいに喜んでくれたのでした。 

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(右から、ジェイラップ・伊藤大輔さん、同・関根政一さん、左が弊社農産チーム・須佐武美)

 

この日の報告は追ってしたいと思いますが、その前に

この間届いている、放射能汚染に対する生産者からの様々な声も紹介したいし、

ずっと当社で放射能測定を依頼してきた 「放射能汚染食品測定室」 の話もしたいし、、、

という感じで、お伝えしたいことがどんどん溜まっていきます。

まったく前代未聞の非日常の連続の中で、いろんな仕事を散らかしたまま、

とうとう年度を越してしまう事態となってしまいました。

 

そこで、モロモロの報告は次に回させていただき、

ここは、忘れもしない歴史的コピーを改めて蘇らせることで、

新しい年度へと、気持ちをつなげたいと思う。

 

人類はアブナイものをつくり過ぎた

 


これは、1988年に行なわれた  " いのちの祭り シンポジウム "

で使われたキャッチ・コピーである。

 

コメの市場開放が争われる真っただ中で、

 " 日本の食と農業を守ろう "  のスローガンのもと、

全国農業協同組合中央会(全中) と自治労などの労働組合、

そして有機農業団体や市民団体が初めて手をつないで開催された、

画期的な集会だった。

会場はなんと、これまた特例中の特例として解放された 国技館 である。 

会場のど真ん中に土俵があり、米俵が積まれ、

発言するパネラーの表情が、でかいスクリーンに映し出された。

大地を守る会の藤田和芳会長はこのシンポジウムの実行委員として参画し、

農協や労働組合のトップたちを前に、

 「 食と農業を守るためには、環境を守る農業に転換しなければならない。

  加えて安全な食や環境と相いれないものとして、原発がある。

  農民も、労働組合も、原発に反対してほしい! 」

と壇上から訴えた。

司会は作家の立松和平さんだった。

 

このシンポジウムの冠コピーを書いてくれたのは、

コピーライターという職業をブレイクさせた筆頭格、仲畑貴志さんだ。

この方の作品で僕が一番好きなのは、

反省だけなら猿でも~ ではなくて、

「荒野に出ることだけが 冒険じゃない」 かな。

 

上がってきた原稿を見て、 オオーッ! と叫んだのを覚えている。

 

人類はアブナイものをつくり過ぎた

 - これから農業

 

チェルノブィリ原発事故から2年。 

昭和から平成に移る直前の、今思えば、

食や環境の安全が一部の人の関心事ではなく、

国家的に議論しなければならない時代に突入していることを、

社会的に提示した  " 事件 "  だったと言える。

 

実はこのシンポジウムは前哨戦で、これを皮切りに各地で機運を盛り上げていって、

翌年には代々木公園を借り切っての大きな  " 祭り "  本番に突入するという構想だった。

大地を守る会はこの大ムーヴメントの事務局構成メンバーとなり、

僕は生け贄として赤坂の事務所に出向させられた。

全国から農民が、労働者が、そしてたくさんの市民団体や消費者が

代々木公園に結集して、

日本の農の大切さを、そして食の安全を守ろうと謳い上げる、

という壮大な仕掛けが進んでいた。

 

すべてが信じられないくらい、うまくいっていた。 

しかし・・・  " 祭り "  は実現しなかった。

昭和天皇が危険な容態となって、農協がギリギリになって自粛を判断した。

労働組合は怒り狂った。 全国からバスを仕立ててやってきた闘士たちを前に、

僕はスタッフの一人として公園の入口でひたすら頭を下げ続けた。

引き返す際に浴びせられた数々の罵声は忘れられない。

「本当にすごいことが起きると、ワクワクしてきたのに- 」

「これがどんな意味を持ってんのか、知ってんのかッ! 」

「 何とか皆を説得して農協と組むのを承認させたんだ。 オレの首も飛ぶよ。 」

これだけの規模と質を獲得した国民運動は以後、つくられてないよね。

 

その年の暮れに昭和は終わり、あれから22年。

今こうして アブナイ が本当に目の前に繰り広げられる現実のものとなって、

空も大地も水も人々も、行き場のない哀しさと怒りで充満している。

 

震災だけなら、むしろ人をつなぐ力にもできる。

しかし目に見えない放射能という恐怖は、分断させるばかりだ。

生命をつなぐはずの貴重な収穫物が、

生産者のまったく関与していない理由で  " 危険 "  のレッテルが貼られていく。

この原因は誰がつくったのだろう。。。

" 誰でもない、みんな です "  という声も聞こえてくる。

それぞれに己れがたどってきた生き方を振り返ることが求められているのだろう。

 

2011年3月31日。

とっ散らかったまま来てしまった年度末を、

改めて引っ張り出したこの言葉で締めて、明日に向かいたい。

 

人類はアブナイものをつくり過ぎた

-これから農業

 

大地を、社会を、立て直す力は、有機農業にこそある。

いや正確には、数え切れない微生物も含めた  " いのち "  の共同作業が、

誰を恨むなんて感情をもつことなく、せっせと壊れたつながりを修復させ、

地球を安定化させていくのだ。

その  " つながろうとするエネルギー "  と、連帯したい。 

 



2011年3月20日

畑にも被害が及び始めました。

 

厚生労働省は昨日(3月19日)、

福島県産の原乳と茨城県産のホウレンソウから、

食品衛生法に基づく暫定規制値を超える放射線量が検出されたと発表しました。

 

ともに県が実施したサンプル調査によるものです。

原乳は福島県川俣町で採取されたもので、

1キロ当たり932~1510ベクレルの放射性ヨウ素が検出されました。

ホウレンソウは茨城県の高萩市や日立市など6市町村のもので、

6100~1万5020ベクレルのヨウ素が、

また524ベクレルのセシウムが検出されたとのことです。

なお同時に分析されたネギは規制値以下の結果でした。

 

食品衛生法に基づく暫定規制値というのは、

今回の福島原発の事故を受けて急きょ設定されたもので、

この規制値を超える飲料水や生鮮食品については出荷させないように

(正確には 「食用に供されることがないよう販売その他について十分処置されたい」)、

という通知が都道府県に出されています。

牛乳の規制値は、放射性ヨウ素=300ベクレル、同セシウム=200ベクレル。

野菜は、ヨウ素=2000ベクレル、セシウム=500ベクレルとなっています。

いずれも 1㎏あたりの量です。

 

ただし規制の範囲は定められておらず、

これを受け、茨城県では県内の露地栽培のホウレンソウの出荷停止を各市町村に

要請しました。

 

この要請にともない、大地を守る会においても、

茨城県産ホウレンソウの流通をいったん停止しました。

再開は未定です。 今後の情勢により判断、という形にならざるを得ません。

 

とうとう畑や家畜にも影響が出てきました。

メディアでは、「食べてもただちに健康に影響が出る値ではない」

「野菜は洗ったり、茹でたりすれば、相当量が除去される」 と報じています。

それはそうなのですが、とはいえ、

これ (放射能) ばっかりは、どこまでが 「安全」 と言い切れるものはありません。

残念ながら私たちにも、断定できる閾値は設定できません。

 

放射能と安全な暮らしは共存できない。
原発は一度でも事故が起きると、その被害と影響は
空間(距離)的にも時間(未来)的にもはかり知れず、
原発に頼らないエネルギー政策にシフトしていかなければならない。
 
 

大地を守る会は、25年間にわたってそう主張してきました。

社会を変えるまでに至らなかった非力さを、無念や悔悟とともに深く自省しつつ、

しかしけっして諦めることなく、

未来のために、為すべきことを為したい、と自らに念じています。

 



2010年12月 8日

「都市の食」 ビジョン

 

時間は矢のように過ぎて、巷の空気はもう Merry Xmas だ。

30回目のジョン・レノンの命日がやってきて、街に HAPPY XMAS の曲が流れている。

老いた人も若い人も、肌の黒い人も白い人も、金持ちの人も貧しい人も ~

A very Merry Xmas , And a Happy New Year ~

War is over!

If you want it  

War is over! Now!

歴史的アルバム 『イマジン』 と同じ年(1971年) に発売された、

ジョンとヨーコの 「愛と平和」 のメッセージ。

「 あなたが望むなら  戦争は終わる! ハッピー・クリスマス  ジョン&ヨーコ 」

 

願いの込められた Merry Xmas を聞きながら、

昨日は午後から丸の内での会議に出向いていた。

新丸ビル10階 - いつもの 「エコッツェリア」。

ここで 「丸の内地球環境倶楽部 都市の食ワーキング・グループ」 という集まりがあって、

今年の春より 「都市の食」 のあるべき姿をビジョンとガイドラインにまとめる作業を進めてきた。

一方で丸の内シェフズクラブによる 「食育丸の内」 が展開されてきたことは、

この間お伝えしてきた通りである (直近では 10/18の日記 をご参照ください)。

 

「都市の食」 ガイドライン策定では、

『 " 食 "  を通じた 「都市」 と 「生産地」 による持続可能な環境共生型の地域づくり 』

を目的として、次のようにポイントが整理された。

◆消費者のために・・・ ①おいしい食 ②安全・安心な食 ③身体にいい食

◆つながりを取り戻す食・・・ ④自然とつながる食 ⑤人とつながる食 ⑥地域とつながる食

◆大丸有だからできる食・・・

  ⑦本物を知る食 ⑧創造力を育てる食 ⑨世の中を変える食 ⑩自分でつくる食

 

このガイドラインを形にしてゆくために、提供者・流通者がそれぞれに行動指針を持ち、

具体化に向けた検討の段階へと進む。

昨日はそのための、改めての検討会の立ち上げである。

第1回  『 「都市の食」 ビジョン具体化に向けたまちづくり検討会

            -大丸有 食の低炭素化と自立に向けて- 』

予定では2月の第3回までの間に骨格をつくり上げる計画だ。

いわば第2ラウンド、根幹となる物流の仕組みづくりとなり、

僕はステークホルダーとかいう立場で引き続き関わらせていただくことになった。

ビジョンに賛同する生産者とレストランを、それぞれの立場や都合をマッチングさせながら、

しかも効率や環境負荷にも考慮しながら、結ぶことができるか。

価値のネットワーカーでありたい、などと偉そうなことをほざいてきた者の

まさに真価が問われる場になってきた。 血が騒ぐ・・・

 


検討会の座長は金沢工業大学産学連携室コーディネーター・小松俊昭さん。 

ステークホルダーには、環境省や農水省、東京都も参画している。

第1回目の検討会はお互いのイメージや課題を出し合うような形となったが、

次からいよいよ本格的な議論になる。

 

会議終了後、ビジョンとガイドラインに沿った食材の試食会が持たれた。

東京都内の生産者の野菜、八丈島の海産物を、

フレンチのお店 「イグレット丸の内」(新丸ビル5F) の市川健二シェフが

素材の特徴にあわせて調理してみせてくれた。 

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そして大地を守る会は、テッテイして国産にこだわった食材の提供として、

東京駅エキュートのお弁当・お惣菜店 「大地を守る Deli 」 からのケータリングで協力。

 

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国産素材だけで色々なラインナップが可能です、という提案。 

ただ Deli はケータリングの体制を持ってなく、また初めての年末体制ということもあって

神経ピリピリ状態だったのだが、何とかイレギュラーなオペレーションをこなしてくれた。

容器等は一般品でご容赦願う。

 

産地・生産者グループが特定でき、フードマイレージも表示できる。

フードマイレージについては、広報室・大野由紀恵が説明する。

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畑とレストランそして消費者を結ぶ、しかもガイドラインで示された理念を体現する形で。

自給率の向上に、食文化の発展に、そして食べる人の健康や豊かさの実感にも貢献する

新しい仕組みづくり。

いろんな視点での  " 結び "  の作業が、これから始まる。 

 



2010年12月 4日

いのちの海を守りたい

 

先週は金曜日にもう一つ夜の集まりがあったので記しておきたい。

 

11月26日(金)、幕張の本社に祝島 (いわいしま) からお客さんがやってきた。

山戸孝さん。 山口県熊毛郡上関町祝島在住。

びわ農家であり、「上関原発を建てさせない祝島島民の会」 のメンバー。

9月5日の日記 で紹介した元祝島漁協組合長・山戸貞夫さんの息子さんだ。

鎌仲ひとみさん監督の映画 『ミツバチの羽音と地球の回転』 にも登場している。

 

本来は翌日に開かれる 「上関どうするネット」 の集会に合わせて上京されたのだが、

到着したこの日の夜に時間をとって千葉・幕張まで訪ねてくれた。

そこで専門委員会 「大地・原発とめよう会」 のスタッフが中心になって、

「孝さんを囲んで話を聞く会」 が用意されたのだった。

 

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孝さんはほとんど寝てない状態だという。

埋め立て工事を強行しようとする中国電力の作業台船 (地盤改良船) が、

26日の午前1時に工事を断念して引き揚げるまで、抗議と監視を続けてから

こちらに駆けつけてくれたのだ。

 

28年も経って、ここにきて埋め立て工事を急ぐのも、

2012年9月までに埋め立てを完成させなければ免許が失効するからだとか。

まあそれもきっと延長申請されるのだろうが、

未だに2本のブイを立てたのみという実態と、この先つぎ込まれるであろうお金を鑑みれば、

やっぱりこの原発計画は白紙に戻すことこそが賢明な  " 歴史的英断 "  というものだろう。

 

この間の経過を現地感覚で感じ取りたい方は、

ぜひ 祝島島民の会のブログ をご参照願うとして、

この日の孝さんの話は、ただただ島の暮らしを守りたいという、

一徹でかつ素朴とも言える  " 生き方 "  の問題だった。

 

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島で千数百年にわたって継承されてきた祭り 『神舞(かんまい)』 を守りたくて、

10年前、孝さんは島に帰ってきた。

この島で生きるということは、この島で死ぬことなんだと、その覚悟を持ったことで、

原発の問題も語れるようになった。

 

生物多様性のホットスポット、「瀬戸内の楽園」 と謳われるこの地で、

海とともに生きたい。

朝日が昇る方角の目の前に原発を眺めながら日々を暮らし、

ひとたび事故が起これば、私たちはどこにも逃げられない。

「反対するしかないでしょう。」

 

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じいちゃん・ばあちゃんたちは病気になると本土の病院に搬送されるけど、

みんな 「島に帰りたい」 「島で死にたい」 と言って泣く。

みんなが安心して最後まで暮らせる島にしたい。

島民の緊急時の搬送体制の確立、高齢者福祉・介護の充実化、

島の歴史的・文化的遺産の見直しなどに取り組みながら、

孝さんは経済的自立と地域活性化に向けて、

島の特産品を販売する 祝島市場 を運営する。

そして将来はエネルギーも自給したいと夢を、じゃない、プランを語る。

「私たちは食べものを選べる時代に生きてますが、まだ電気は選べない。

 何によってつくられた電気なのか、それを選択して暮らせる社会にしたいです。」 

 

エネルギーと自然環境が調和したモデルケースにしたい。

山戸孝は反対者であるより、未来開拓者だ。 

 

「もっと話をしたい。」

散会の後、緑提灯の店に流れる。

孝さんの目がしょぼしょぼしてきている。 明日が本番だというのに。

それでも、語り合いたいという思いのほうが強くて、なかなか終われない。

 



2010年11月29日

5668

 

てんさん、農民たかはしさん、まっちゃん、Anonymousさん、sakuradaさん、

コメントを頂戴しながらすぐに返事できずにスミマセン。

遅ればせながらコメント追加してますので、ご確認ください。

 

それから、訂正です。

前回の日記で、自分が発言している写真のところで、

 「背景に映っているのは、高知県馬路村のPRコピー。

  『日本の風景をつくりなおせ』 (羽鳥書店) の著者、梅原真さんのデザインによるものらしい。」

と書いてしまいましたが、思い込みによる記述でしたので削除しました。

お詫びいたします。

でも梅原さんの仕事は、地域力を考えたい人、デザインを目指す人は注目です。

上記の著書に加えて、お詫びついでに紹介したい一冊を。

『おまんのモノサシ持ちや! -土佐の反骨デザイナー・梅原真の流儀- 』

(篠原匡著、日本経済新聞出版社刊)。

 

で、早稲田で飲んだ翌24日、当会六本木分室で開かれた

「生物多様性農業支援センター(BASC)」 の理事会に、夕方遅れて出席する。

僕は理事ではなく、理事に名を連ねる藤田会長の代理出席である。

ここだけの話(ある意味当然のことだけど)、会長の代理は各分野にいて、

米とか田んぼとかのキーワードがあると指名がかかってくる。

場合によっては代理の代理で突然に指令が降りてくることもある。

困るのは、時々思いつきで声がかかることだ。

光栄と思うべきなのだろうけど、

「エビスダニ、この日は暇か?」 とか聞かれると、ムッとなるね。

ヒマです、と言える日がほしい・・・・・

 


内輪話はやめよう。 あとがコワいし。

話はBASCの理事会である。

原耕造理事長からこの間の活動報告と今後の方針案が説明され、理事の方々で審議される。

正直言って、厳しい運営状況である。

たくさんの有識者や団体からの支援と熱い期待を受けて、

生物多様性を育む農業を支援するナショナルセンターたるべく設立された組織だが、

独立した事業として確立させることは容易なことではない。

理事代理の立場で無責任な論評は避けるが、

田んぼの生物多様性を育て確認するノウハウはそれこそ多様にあって、

田んぼの生き物調査にしても、手法や価値の伝え方は農家自身の手で発展させられる

ものだったりするので、事業ベースとして (つまり収入源として) 展開するには

オリジナルなテキストや人材派遣(講習会などの開催) だけでなく、

実践する農家を魅力的にネットワークして新たな価値を創出する手立てを

考えなければならないように思える。

難しい課題である。

 

久しぶりにお会いした NPO法人たんぼ 理事長の岩淵成紀さんから

とても素敵なクリアケースをいただいた。

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この秋名古屋で開催されたCOP10 (生物多様性条約第10回締結国会議)

に向けて制作された 「田んぼの生きもの全種リスト(簡易版)」 の表紙デザインだ。

 

「田んぼおよび田んぼ周辺に生息する動植物の全種リスト」 -5668種。

14名の専門家によって作成委員会(委員長:桐谷圭治氏) が結成され、

足かけ4年、いや5年になるか。 3度の改訂を経て、5668種がリストアップされた。

その間、100人近い専門家が手弁当で協力している。 

 

田んぼとその周りには5668種の生きものがいて、食べあいながら共生している。

その曼荼羅のように織り成される生命のネットワークによって、

それぞれの生命もまた支えられている。 もちろん私たちも、だ。

この土台はきわめて強靭ともいえるし、繊細な綾のようでもある。

宇宙のごとく深遠な世界が、ずっと農というヒトの営みに寄り添うようにあって、

あたり前に維持されてきた・・・・のだが。

リストは、そんな世界の見える化への執念の賜物だ。

国家的財産が出現したと言ってもいい。

「5668、5668、世界をオオーッと驚かせた数字です。 皆さん、覚えてくださいね」

岩淵さんが熱く語っている。

 

厳しい運営の話とは別に、楽しかったのはそのあと。

残った数名で、例によって 「懇親会」 という名の一席。

福岡から来られた宇根豊さんと、宮城から来た岩淵成紀さんの両巨頭を囲んで

農政談義からミクロの話まで花が咲く。

なかでも岩淵さんが取り出したⅰPad をめぐって噴き出した論争は、

二人の個性を面白く表現していて、

ちゃんとやってくれるならお金を払ってもいいと思ったほどだ。

" 先端技術が生み出した世界が広がる道具 "  を、生きもの曼荼羅の世界から見つめる。

宇根豊 Vs.岩淵成紀。 どう?

 

さすがに三日連荘で、疲れが出てきたか・・・

部下の視線も厳しい今日この頃。

 



2010年11月27日

「地域の力」 で結び直す希望を

 

今週もよく飲んだ一週間だった。 

いつも飲んでると思われているかもしれないけど (それも否定できないけど)、

こんな会合続きの週はそんなにはないです。

月・火・水そして金と。

気がつけば週末で、財布は空っぽだし、出るのは溜め息のみ。

 

まずは月曜日、22日の夜。 東京湾アオサ・プロジェクトを共同で運営する

NPO法人 ベイプラン・アソシエイツ(BPA) の方々と一席。

場所は船橋。

BPA代表で船橋漁協組合長・大野一敏さんの船 「太平丸」 直送の魚が

食べられる居酒屋 「轟」 (とどろき) にて。

 

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結局ただの飲み会になってしまった感もないわけではないが、

このところやや精彩を欠くアオサ回収-資源循環の取り組みを再活性させることを

確認できただけでも、まあ成功だと思おう。

2001年、『アオサ・プロジェクト 出航宣言』 で掲げたスローガン、

"  海が大地を耕し、有機農業が海を救う!  " 

をもう一度思い起こして、ネットワークづくりを再開しよう。

 

東京湾アオサ・プロジェクトを結成して10年。

大野さんも組合長に復帰し、僕らも実に忙しくなった。

でも、同じ問題に悩む人たちは、全国各地に増えている。

漁民と農民、上流と下流をつなぐことで、この課題を飛び越えることが出来るはずだと、

感性先行で取り組んだ僕らのプロジェクトは間違っていない。

この確信は、いっそう深まってきている。

しんどいけれど、誰かが動かなければならない。

 

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- 酒は純米、燗ならなお良し -

「酒造界の生き字引」 と呼ばれる上原浩大先達の言葉を見つめながら

ぬる燗の清酒が進む。

「日本酒は温度を変えることによって味わいが変わる稀有の酒だ」

(上原浩著 『純米酒を極める』、光文社新書より) ・・・・まさに。

 

続いて翌23日(火)。 勤労感謝の日でも僕らは働く。

-と言いながら外出許可をいただいて、

20年ぶりくらいになるだろうか、

もう来ることはないだろうと思っていた母校のキャンパスに足を踏み入れる。

 


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都の西北、早稲田の杜に - 

アルバイトと大学当局との喧嘩、虚しい党派闘争、合間に勉強とお酒の訓練、、、と恋愛。

そんな喧騒の思い出ばかりの大学時代だが、多少の母校愛は残っていたか、

思わずカメラを取り出してしまった。

校歌に謳われる  " 進取の精神 学の独立 " は今も息づいているのだろうか。 

ま、僕の場合は  " 新酒の精神 "  てところで、偉そうなことは言えないけど。

 

で、この日行なわれたのは 「第2回 地域力フォーラム」 という集まり。 

今回のタイトルが 「持続する価値観と文化のために-自給の力、場所の力、農の力」。

 

グローバリズムが例外なき自由貿易へと突き進む時代に、

地域の力を考える - そのココロは。

哲学者・内山節さんが基調講演で語る。  

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ムラとは周辺の自然も含めた暮らしの空間であって、

すべての生命活動が見える世界だった。 

自然と人間の生命活動が連鎖しあう世界では、互いが助け合う 「関係」 があった。

それが地域という主体である。

しかし手段としてあった貨幣や市場 (しじょう) がいつの間にか目的と化して、

基盤である生命活動が見えなくなってしまった。

 

地域の自律を取り戻すために、地域を越えた関係を築き直す必要がある。

「開かれた地域」 によって、新しい都市と農山村の関係を取り戻したい。

都市にも多様な共同体が生まれ、

それぞれの共同体が、自分たちの山、自分たちの自然を持ち、

自分たちのふる里となる、そんな 「結びつき」 を。

そしてTPPなんてどうでもいい、と言えるような農民をつくっていきたい。

自然とともにある持続、持続する価値観と文化を見つけ直し、

新たな 「地域主義」 を創造しよう。

地域をデザインする鍵は 「関係」 である。

 

聞きながら、夕べの  " 飲み "  を思い返している。

上流と下流のつながりで資源循環モデルをつくる。

これもまた内山さんの言う 「地域を越えた関係」 であり、

「開かれた地域主義における都市と農山村」 の関係の修復でもあり、

「地域と多層的な関係」 づくりなのではないか。

 

共催団体として5分間のスピーチを求められていて、

当初、僕の頭の中では、山間地に移り住んで有機農業をベースに村の活性化に

貢献する若者たちを支援する試みを始めている、といった事例があったのだが、

内山さんの視座でアオサも見つめ直してみようか、そんな気になった。

 

まとまらないまま登壇し、出たとこ勝負の5分間。

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農文協電子制作センターの田口均さんが写真を送ってくれたので、アップしてみる。

背景に映っているのは、高知県馬路村のPRコピーです。

 

地域を拠点にした活動事例を発表された方が8名。

長崎・五島で食から衣料、エネルギーの自給まで進める歌野敬さん。

佐渡で宮司を務めながら農業・漁業・文弥人形の保存と興行活動・除雪オペレーターなど

多職の力で島の活性化に挑む臼杵秀昭さん。

新潟と富山で、新しいスタイルで福祉事業を展開するお二人の女性。

柚子しかない過疎の山村を逆に  " 売り "  にして発展させた

馬路村農協組合長、東谷望史さん、など。

皆さんとても元気がよくて、しかもここに至るプロセスが刺激的なのだ。

頑張ろう、という気になった参加者も多かったのではないだろうか。

 

地域の力を取り戻す。

それは価値でつながる共生の 「関係」 づくり、なんだね。

世界が 「市場価値」 に呑まれてゆく中で、

いま僕らは次の希望のタネを播いているんだ。

そんな気にもなって、関係者たちと、また一杯やってしまう。

俺たちの学生時代にはなかったようなコジャレた店で。

昔入りびたった 「水っぽい酒、まずい焼き鳥」 という看板を掲げていた汚い店は、

見つけられなかった。

 



2010年10月31日

世界のシェフ・三國清三、「フランス共和国農事功労章」 受章

 

同い年の友人が一人、逝っちゃった。

いつもブログを読んでくれてたヤツ。

西洋医学を拒否しながら生き、ついに議論を尽くせないまま旅立ってしまった。

どんなに後悔しても帰ってくるわけではなく、茫然自失している暇もなくて、

昼間は仕事で気を紛らわせながら、でも夜になると、

無理矢理ヤツを枕元に呼んでは対話を試みたりして。

 

「いつも楽しみにしているから」 と言ってくれてたのを思い出し、

おとといの夜も夢の中で急かされてしまったので、ようやく気を取り直して、

命日(23日) の日に途中まで書いて放ってしまった日記をアップする。

これからも遅れ遅れしながら、日々の  " しんどい "  を綴っていこうと思う。

読んでくれよ、とヤツの目を意識しつつ。

 

さて、二つの臨時総会をやって夜は35周年記念パーティという、

昨日の長~い一日の話はあと回しにして、この一枚から。

ヤツが亡くなる前夜だということが、今となってはとてもつらいのだけど、

僕はあるパーティに呼ばれて、楽しい時間を過ごしていたのだ。

 

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このところ、丸の内での取り組みなどでご登場いただいている

東京・四谷 「オテル・ドゥ・ミクニ」 オーナーシェフ、三國清三さんが

フランス共和国から 「農事功労賞オフィシエ」 なる素晴らしい栄誉を授与された。

フランス食文化の普及に大きな功績を残した、と認められた人にのみ与えられる勲章である。

そこで22日、 「オテル・ドゥ・ミクニ」 の25周年とあわせての祝賀会が催されたのだった。

 

祝賀会の呼びかけ人代表である大御所・服部幸應さんも入ってくれて、

記念の一枚を頂戴する。

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胸の勲章が光っている。

サイズにも美というものがあるのだと思った。

食育の提唱者である服部さんからは、大地を守る会への熱い期待も頂き、身が引き締まる。

 


会場となったレストラン 「ミクニマルノウチ」 には、

たくさんの料理人や食に関係する専門家、メディア関係者が参集された。 

 

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お歴々の会話にさりげなく登場する人物の名前もスゴイのだが、

僕がただ尊敬するのは、地元・東京野菜に光を当てようとしてくれる

三國さんの姿勢である。

 

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今日も並べられた東京野菜。

小平・川里さんの名前も登場する。

 

料理の写真はあまり撮らないので (表現も下手なので) 控えるが、

味の素晴らしさはいうまでもなく、

肉も魚も果物も、東京産で披露されたところに、

三國シェフの強い意識が感じられる。

フランス食文化の真髄は、調理への探求だけではない。

どんな国際交渉にも毅然と対峙できる  " 我が文化への誇り "  を持て、ということだと

僕は感じてしまうのだった。

 

そしてまたしても、恐るべきサプライズ! に立ち会うことになる。

「今日はもう一人、お客さんが来ています」 と三國さんに呼ばれて登場したのは、

なんと、世界の巨人! ではないか。

 

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20世紀最高の料理人と謳われる

  " フレンチの神様 "  ジョエル・ロブションさん。 生で見る神様。

どんな挨拶をしたのかは覚えてない。

ただ江戸野菜のカブや大根を生でかじって、

頷きながらコメントをしていた姿だけを記憶している。

 

北海道増毛町の貧しい半農半漁の家に生まれ、

中学卒業と同時に料理の世界に飛び込み、" 世界の食 "  の頂点まで登った男、三國清三。

記憶の底にあるのは、働き者の母の、台所での包丁の音だという。

 

帰りに頂いた一冊のレシピ本。

飾らない、でも極上の  " 家庭でフレンチ " 。 僕でも出来そうなレシピが嬉しい。

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(小学館刊。 1300円+税)

 

この夜、僕が三國さんと語り合ったのは、来年から本格的にやりたいと言う

 「味覚の一週間」 である。

 

そして僕の脳裏に浮かぶのは、たとえばこんな言葉である。

「 運よく豊かな食物とともに生きることになった私たちにとって、問題は移り変わっている。

 大昔からの料理への依存を、より健康的なものにしなければならない 」

  ( リチャード・ランガム著 『火の賜物 -ヒトは料理で進化した』、NTT出版)

「 おそらく食は、グローバル化が脅かす様々な価値、たとえば地域特有の文化や

 アイデンティティ、そして風景や生物多様性の存続を力強く象徴するものなのだ。」

「 アメリカ人が自分をトウモロコシの民族だと考えないことは、

 想像力の欠如か、資本主義の勝利、あるいはその両方を少しずつ意味する。」

「 まっとうなことをするのは、最も楽しいことであり、

 消費という行為は、引き算ではなく足し算的な行為なのだ 」

  ( 以上、マイケル・ポーラン著 『雑食動物のジレンマ』、東洋経済新報社) 

 



2010年10月23日

オヤジを越えて進もう -『土と平和の祭典2010』

 

良い酒は悪酔いしない。

それは個人差と飲む量による、とまあもっともな反論はあろうが、

それでも、多少の無理を押して断言しておきたい。 良い酒は悪酔いしない!

それに良い酒は、人を、またその場を、幸福にする。

酒呑みの自己弁護と言われれば、その通り、と答えるしかないけど。

 

10月17日(日)、純米大吟醸の余韻も冷めやらぬ朝の6時に喜多方を発ち、

シアワセに爆睡して、気がつけば郡山、そして東京。

フラフラと日比谷公園にたどり着けば、今日も楽しいお祭りである。

大地に感謝する収穫祭、

種まき大作戦 ~土と平和の祭典2010~

 

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先代の会長、故藤本敏夫さんの遺志を受け継いで、

娘の八恵(歌手名:Yae ) ちゃんが実行委員長を務める

次代の食と農を開拓する者たちの祭典。 

食や環境問題に携わるたくさんの市民団体やお店、生産団体、ミュージシャンたちが

手弁当で集まって祭りをつくり上げる。

 

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僕は二日酔いだからということではなくて、

昨年、野菜をたたき売って顰蹙(ひんしゅく) を買った反省から

売り子に立つのは自粛させられて、

小音楽堂でのトーク・セッションの司会というおつとめを仰せつかったのだった。

 

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「土と平和の有機農業セミナー」 と銘打ってのセッション。

開始前に簡単な打ち合わせをして、ぶっつけ本番。

 

実行委員長・八恵ちゃんの開会の挨拶に続いて、

  " 有機農業のカリスマ "  埼玉県小川町・霜里農場、金子美登(よしのり) さんの

基調講演が行なわれる。

金子さんはNPO全国有機農業推進協議会の理事長でもある。

 

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有機農業を始めて40年になる。

30軒の消費者を探すのに数年かかり、30年経って村も動くようになった。

今では行政の支援で地元の学校給食に使われるだけでなく、

加工も含めた食の地域循環を進める  " 有機農業の里 "  として、

小川町は全国に知られるまでになっている。

研修生を受け入れるようになって31年。

育てた100数十人の研修生の9割が非農家というのも、霜里農場の特徴である。

 

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農民が元気になったら、美しいムラになる

と金子さんは語る。

食の自給だけでなく、タネの自給、エネルギーの自給、

そこから見えてきた平和で安定した社会・・・

40年の実践を経て到達した金子さんの世界は深く、重みがある。

 「いのちが見えない文明に未来はない

この国の農をつくり直す起爆剤は、非農家かもしれない。

 

--と基調をつくってもらって、北海道から九州まで7人の若者たちが登壇。

 

北海道瀬棚町から参加してくれた元ミュージシャンの富樫一仁さん。

ギターを鍬に持ち替えて10年。 農業に転身した理由は、自身の重いアトピーから。

" 自然の摂理に従った農業 "  をモットーに、20haの農地でコメや大豆などを栽培する。

食べ物で健康を保てることの喜びを一人でも多くの人に伝えたいと語る。

 

秋田県大潟村から、入植2世の武田泰斗さん。 有機稲作をベースに80頭の肉牛を飼う。

こちらも就農して10年。 悩みは家畜の世話で休みが取れないことと草取りの人材確保。

親と対立することもしばしばあり、正直やめたいと思うときもある、とこぼす。

でも親と対立するのは自信がついてきた証拠だし、経営に悩みを持つのは

それだけ真剣に生きているってことだよ。 発展途上の33歳である。

 

山形県鶴岡市、庄内協同ファームの小野寺紀允(のりまさ) さん。

横浜でサラリーマンをやっていたが、

「やっぱり山形が好きだから」 1年前に帰って就農した。

父の農業、母が経営する農家レストランを手伝いながら、

食の都・庄内を農業で活性化させたいと夢を膨らませている。

 

神奈川県愛川町に新規就農して1年という千葉康伸さん。

8年間東京のど真ん中でサラリーマン生活を続けるも、

「都会に飼われている」 と感じて、都市を見切って転進を決意した。

高知の土佐自然塾・山下一穂さんのもとで 「お金を払って」 勉強して、

ようやく販路も見つかってきて、今はまだ 「どうにか食べていける」 状態だけど、

自分の足で立っている、生きている実感があると言う。

就農を希望する人へのアドバイスは - 「行動すること」。

 

千葉県匝瑳市,佐藤真吾、29歳。 就農して7年。

米は有機でやれるようになったが、ピーマンなど施設(ハウス)での野菜栽培は

特別栽培レベル。 もう新規就農者というより落ち着いた農業者の姿を醸し出しつつある。

 

米どころ新潟からは、農業生産法人 「いなほ新潟」 の社員として働く関徹さん。

実家は米農家だが、ストレートに家には入らず、他流試合で学ぼうとしている。

腹の中で実家の田んぼを気にしながら。

「子どもの頃から田舎の風景が好きだった。 耕作放棄の田畑を見ると胸が痛みます。」

田んぼを残したいと語る27歳。 僕らはこういう人に近未来の食を依存することになる。

 

最後に長崎有機農業研究会の松尾康憲さん。

親が有機農業の世界に入り、自分も当然と思って就農したが、

今ではとにかく親父と対立する日々だと言う。

 

どうしたらオヤジを乗り越えられるか・・・

会場からも質問が出たが、答えは簡単なことだ。

納得させられる結果を残すこと、それしかない。

そのためには、オレの (やりたいようにやれる) 畑を持たせてもらうことも必要だけど。

否定される理由にはその上を行く理論武装も必要だ。

「分かってくれない」 だけでは子供のまんまとしか思われないからね。

 

7名の若者たちを眺めながら思ったことは、みんなカッコいい! イケメン揃いだということだ。 

顔立ちだけじゃなく、爽やかな感じがとてもイイ。 内面の強さや誇りも顔に出ていて、

すべてを前向きにとらえている。 語る言葉は甘いが、捨てたもんじゃない。

司会をやってたもんで、写真をお見せできないのが悔しい。

 

最後は金子さんと、歌手の加藤登紀子さんにも上がっていただき、まとめをお願いする。

お登紀さんが、司会を無視して仕切り始める。

「ここにこそ希望がある」 でまとめさせていただくことにする。

 

与えられた仕事が終わった途端に、気が抜けた。

大地を守る会のブースでは、さんぶ野菜ネットワークのお母ちゃんたちが

人参ジュースの販売に精を出してくれている。

埼玉から助っ人に駆けつけてくれたのは、志木の三枝さん。

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川越の吉沢重造さん。

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 ダブルの上着にシャレた帽子。

ゼッタイにウケをねらってきたとしか思えない。

でも男なら、似合っていようがいまいが、死ぬまでダンディズムを枯らせてはいけないのだ。

それが藤本さんの教えだったしね。

 

出店でご協力いただいた生産者の皆さん。有り難うございました。

このイベントの総括は、もう僕の守備範囲を超えているので、割愛させていただきます。

 

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2010年10月19日

子どもたちを救え! 『味覚の一週間』 日本上陸!

 

さて、昨日の夜、新丸ビル 「エコッツェリア」 で開催された

地球大学アドバンス 第35回

 TOKYOから提案する新たな 「地球食」 のデザイン 』 。

ゲストは 「オテル・ドゥ・ミクニ」 オーナーシェフ・三国清三さんと、

金沢工業大学産学連携室コーディネーターで

「都市の食」 ビジョン・ガイドライン検討委員会の座長を務められた小松俊昭さん。

ナビゲーターは、いつもの竹村真一さん(京都造形芸術大学教授、ELP代表)。

竹村さんは、この日名古屋で開幕した

COP10 (生物多様性条約第10回締約国会議) の会場から駆けつけられた。

 

100年前に17億人だった地球の人口が、1970年に35億人になり、

まもなく70億人に到達しようとしている現在(いま) 。

穀物の生産量は頭打ちになり、表土の劣化が進み、

多様性の喪失が重要な地球的課題となって、まさに今日から国際会議が始まっている。

 

「 私たちは20世紀的な 「豊かさ」 の概念を超えて、

 宇宙船地球号の食のあり方=「地球食」 の リデザインを

 根本から行なうべきギリギリの地点に立っています。 」

 

そんな問題意識のもと、 

 " 日々地球を食べる "  巨大な胃袋=日本の首都・TOKYOで示すべき

新たな 「地球食」 のモデルとは・・・・・

そこでゲストのお二人から、「都市の食」 ビジョンの構想や、

丸の内シェフズクラブで取り組む食育活動がプレゼンされる。

 - というのが事前にインフォメーションされた内容だったのだが、

ここで三国さんはご自身の話の前に、超ビッグなゲストを登場させたのだった。

 

親子三代にわたって三ツ星シェフを獲得という栄光を持つ、

フランス料理界が世界に誇る アン=ソフィー・ピック シェフ。

 

フランスで、1990年から毎年10月に開催されてきた

ラ・スメーヌ・ドゥ・グ (「味覚の一週間」) 』 という国民的イベントを、

日本でも来年から本格的にやろうということになって、

その日本展開 「大使」 として来日された。

ピックさんの日本での活動にはテレビ局が帯同し、この会場にもカメラが入った。

お陰で、参加者は写真撮影禁止! (ということで今回は画像はなし)

「味覚の一週間」 日本展開も、19日午前11時の公式発表まで

「公的な場やネット上でのおしゃべりなどは控えていただきたい」 と。

 

味覚の一週間 -とは何か?

 ( ↑ ピックさんのお姿は、ここからご覧になれます。) 

 


(以下、パンフレットより引用しつつ構成)

美食の国フランスで20年以上続いてきた、国民的な食のイベント。

次代を担う子どもたちにフランスの食文化をきちんと伝えたい、

という思いにかられた一人のジャーナリストとパリのシェフたちが集まって開いた

「味覚の一日」 というイベントに端を発する。

今や全国民がフランス料理という国家遺産の素晴らしさを再発見、再学習する場として、

一週間にわたって様々な催しが企画されているのだという。

フランスの、国を挙げた 「食育」 というわけである。

始まった90年当時、フランスですら、子供たちを取り巻く食の乱れが

深刻な問題になっていたというから、食の簡便化というか商品経済の力というのは

いずこにおいても魔力なのかと思ったりする。

(ちょっと安心したりする自分を感じるのが恥ずかしいけど。)

 

「味覚の一週間」 では、三つの柱で企画が展開される。

まずは 「味覚の授業」。

料理のプロがボランティアで小学校に出向き、味覚が発達する大切な時期である

子どもたちに、味の基本を教える授業を展開する。

「しょっぱい」 「酸っぱい」 「にがい」 「甘い」 の4つの味を五感を使って学び、

食べることの楽しさを体験する。

味覚の違いを覚えれば、その違いを話すことができ、それを伝えることができるようになる。

また子どもだけでなく、教員や給食・食堂の責任者に対しても同様の授業が行われる。

学校は 「味わう」 感性を目覚めさせる役割を果たし、

子どもたちは文化としての 「食」 の継承者となり、また良質の作物を作る助けとなる。

今ではフランス首都圏の98%の教育機関が 「味覚の授業」 を支持しているという。

 

次に 「味覚の食卓」。

料理人たちは、期間中に特別なメニューを発表する。

料理人の技量、創造性、旬の食材の利用法、前例のない食材の組み合わせなどを競って

コース料理を用意するのだ。

素晴らしい! と思ったのは、そのオリジナル・メニューを普段の価格で出すだけでなく、

学生には30%の割引価格で提供していることだ。

学生証を見せるだけで、学生には縁遠い一流レストランの食を味わうことができる。

そこでシェフの料理に対する思いを学生たちも知ることになる。

" 我がフランスの食 "  に対する誇りもいや増すというものだろう。 ニクイ手だ。

これはシェフズクラブの方々も、すぐにでも取り入れてほしいと切に願う。

 

三つめが 「味覚のアトリエ」。

期間中、様々な味覚体験のイベントがフランス各地で繰り広げられる。

シンポジウム、農園体験、フードマーケット、食の屋台イベント、

青少年対象の料理教室、味覚ワークショップなどなどが、

市役所や市民団体、商工会議所、学校、協賛企業などによって実施される。

 

そしてついに、この素晴らしい食育イベントが日本でも始まろうとしている。

昨日、日仏のシェフ (ピックさんと三国さん) による、

日本で初めての 「味覚の授業」 が、目黒区の小学校で実施されたのだ。

 

ピックさんは20歳のときに来日して、日本文化にカルチャーショックを受け、

日本人の繊細さ、慎み深さが好きになったという。

そんな彼女の授業の感想が、嬉しい。

「子どもたちの反応は、フランスの子どもたちとまったく一緒でした!」

 

三国さんは 「食育とは、子どもたちの味覚を守ることだ」 と言う。

子どもたちを救わなければならない! と熱く語る。

味覚を覚えるとは、「よく生きる」 ことにつながっている。

食とは、栄養を摂るだけでなく、頭、精神を活性化させるものだから。

味を知る、楽しむ、味わう喜びを知って大人になってほしい。

そのためにも、味蕾(みらい) が形成される12歳までに伝えなければならないのだと。

 

三国さんは、こうも語る。

自然の食材は薄味だから、味蕾を増やして感じ取ろうとする。

味が濃いと  " 感じ取ろうとする努力 "  をしなくなり、鈍感になる。

また 「噛む」 ことの退化は、味覚の刺激による喜びを感じなくさせてしまう。

「食べる」 ことの意味を考えなくなり、

多様で個性のある地域の文化や宝物を見失わせてしまう。。。

 

文明の根幹は 「食」 (とどうつながるか) にある。

「食」 をしっかりと リデザインすることで、地球の文明を立て直そう。

大袈裟な話ではあるが、

世界とのつながりを築き直すための、私的で具体的なアクションのひとつ

であることは間違いない。

 

「味覚の一週間」

 - 日本をしびれさせるようなイベントに育てたいと思う。

   曲がった背筋を伸ばしつつ・・・・

 



2010年10月18日

イタリアンの国産米粉パスタ饗宴-東京野菜で応援!

 

東京駅前・丸ビル1階にある 丸の内カフェ ease (イーズ)」 にて、

今日から始まった食のイベントをご案内させていただきます。

 

4名のイタリアン・シェフが、

国産(新潟産)米粉と東京野菜・東京魚を使ったオリジナル・レシピで競演する

 秋の情熱 ご馳走パスタ

米粉にアモーレ!

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期間は本日18日から31日までの2週間。

前半(~24日)が、「イル ギオットーネ」 笹島保弘シェフによる

「金目鯛と東京野菜のもっちもち米粉タリアテッレ」、

そして西麻布 「アルボルト」 片岡譲シェフによる

「米粉のスパゲティ ~フレッシュトマトソース、伊豆七島のイサキと共に~」 の2品。 

後半(25~31日)が、「アンティカ オステリア デル ボンテ」(丸ビル36F)

ステファノ・ダル・モーロ総料理長による

「米粉のタリアテッレ ~豆乳スープ仕立て、金目鯛と東京野菜のメリメロ~」、

そして「Essenza」(丸ビル5F) 原田慎次シェフによる

「チェリートマトと水菜の米粉ペンネ、イサキのカリカリポワレ添え」 の2品。

いずれもミニサラダ、米粉のシフォンケーキ、ドリンク付きで1,000円。

ランチ企画なので時間帯は11:30~14:00まで。

 

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丸の内を舞台に展開されている 「食育丸の内」 のランチ企画第3弾となった本企画。

今回のテーマは、「都産都消」 そして 「食料自給率UP」。

いずれもそうそうたるシェフのオリジナル・レシピに、

東京有機クラブ(阪本啓一、川里賢太郎、藤村和正) の水菜と小松菜で参画しています。

 

夕方、「丸の内カフェ ease」 を訪ね、望月料理長から初日の反響をお聞きする。

反応は上々で、想定した二日分くらい出ちゃったとのこと。

「モノも良かったですよ」 にホッとする。

 


「食育丸の内」-

「大人の食育」 を掲げ、 まずは大人から食に対する知識を持つこと、

そして生産者・消費者・レストランの連携によって、

" 心身ともに健康になる社会づくり "  を目指して活動を展開しようというプロジェクト。

 

 

旗振り役は、丸の内エリアに出店しているレストランの

オーナーシェフたち26名で構成する 「丸の内シェフズクラブ」。

会長は大御所、服部幸應さん。

ジャンルを超えて情報交換をしながら、食に関する新たな提案を仕掛けている。

 

「食育丸の内」 活動の推進母体である 「丸の内地球環境倶楽部」 では

「都市の食」 のあるべき姿をビジョンとガイドラインにまとめようとしていて、

僕もその検討委員会に参加させていただいている。

東京のど真ん中で提供する 「食」 とはどういうものであるべきか。

そのビジョンとモデルづくりは、けっしてモノが集中する都市の我がままではなくて、

東京だからやらなければならない責任の表わし方にもなるだろう

と思って、参加してきたつもりだ。

おいしい食、安全・安心な食、身体にいい食、自然とつながる食、

人とつながる食、地域とつながる食、本物を知る食、創造力を育てる食、

世の中を変える食、自分でつくる食・・・・・と、ようやく

  " 10のビジョン "  としてまとめられようとしている。

 

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ビジョンは言葉で終わるものでなく、それに基づいた行動指針が策定され、

生産と消費をつなぐ魅力あるプランを、具体的に創出させていかなければならない。

国産の食材を大切にする、食の安全性や環境にも配慮する、は当たり前の柱として。 

 

今回のランチ企画に合わせてくれたのか、

今日、ネット・マガジン 「丸の内ドットコム」 に、

シェフご推薦の東京野菜生産者として、川里弘・賢太郎親子がアップされた。

こだわり食材と出会える 「青空市場 × 丸の内マルシェ」 のコーナー。

「シェフをうならせる東京の食材の実力」 -小見出しも嬉しい。

よかったら覗いてみてください。

 

先月、取材の記者さんをお連れした時の様子。

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8月のミクニマルノウチでの試食会で好評を得た川里さんの島オクラ。 

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実は9月にシェフズクラブのレストランからリクエストが入ったのだが、

「もう終わりなんです。 残っているのも 『山藤』 の契約分のみしかありませ~ん」

ということで、来年に向けての応相談となった。

トップ・シェフが 「採用しよう」 なら、こっちは 「じゃあ作ってやろう」 である。

美しいビジョンを実現させるにも、この人たちをつなげなければならないわけだ。

流通者(ネットワーカー) の苦労は、そのためにある。

 

 

さて、その足で新丸ビル10F-エコッツェリアに向かう。

夜は 丸の内地球環境倶楽部 主催 『地球大学アドバンス・第35回』

 - TOKYOから提案する新たな 「地球食」 のデザイン。

 今回のゲストは、丸の内シェフズクラブのコーディネーターであり、

都市の食ビジョン・ガイドライン検討委員でもある、

「オテル・ドゥ・ミクニ」 オーナーシェフ・三国清三さんだったのだが、

すっご~いサプライズ! つきのセミナーになったので、明日はその続きを。

 



2010年10月15日

5年間で22%の農民がいなくなった・・・

 

農林水産省が5年おきに行なっている農林業の動態調査

-「農林業センサス」 の2010年版が、先月発表された。

すでにチェックされた方も多いと思うが、改めてこの衝撃を記しておきたいと思う。

 

まず、農業就業者人口は260万人。 5年前に比べて75万人! 減少した。

5年間で22.4%、およそ島根県の人口相当の農業者が消えたのである。

平均年齢は65.8歳。 2.6歳上昇した。

これは平均年齢だから、70代あるいは80になっても頑張ってくれている人がいる、

ということを表している。 5年後ははたしてどうなるんだろう。

 

耕作放棄地の面積は、5年前の39万ヘクタールから40万ヘクタールに増えた。

埼玉県の面積に匹敵する面積が耕作放棄されている、と言っていたのが

これからは、滋賀県の面積、ということになった。

 

たった5年間で22.4%の減少。 埼玉県から滋賀県へ。

しつこく言いたい。 たった5年間での変動である。 

歴史的視点で見れば、崩壊現象の真っただ中に入ったとしか思えないのだけど、

相変わらず対岸の話のように語られてないだろうか。

これは子供たちの未来への不安という話でなく、

いよいよ目の前に迫ってきた食の危機を語っているはずなのに・・・

 

農業への補助が必要なのか、国民の食選択への支援策が必要なのか、

本当は同義であるべきはずなのだが、相変わらず分断したままの生産と消費。

様々な農業政策の結果がこうである。

もう農林水産省なんて要らないんじゃないの、とまで言いたくなる。

 

唐突な事例かも知れないけど、

たとえばイースター島の文明の崩壊はなぜ起きたのか。

生態系が痩せていく中で、島民はなぜモアイ像にこだわり最後の木を切れたのか。

謎と言われたその答えは、いま目の前で進行している状況にありはしないだろうか。

 

センサスの数字は、予測していたとはいえ、いざ目の前に示されると、

背筋が震えるような近未来的現実を想像せざるを得ない。

僕はこのブログという手法を使って、

現代の 「希望」 を伝えたいと思ってやってきたのだけど、

いま進行形の事態は、農地の集約化とかいう話ではすまない、

この国を支えた共同体(経済) の崩壊まで予測させるものだ。

崩壊は、5,4、3、2・・・ という形で進むわけではない。

だって、だいたい経営の破綻というのは、6、5 、4 → -X であるから。

 

農林業センサスとは、食と暮らしのセンサスなんだけど、

だれもそんなふうに伝えてくれない。

危機感を持たなきゃいけないのは、農民より、

食べ物を作れない僕ら消費者のはずなのに。

目の前で繰り広げられる責任転嫁政治と、

静かに進行する集団的想像力疾患にめげることなく、

僕らのたたかいはいよいよ本物の正念場に入りつつあるように思う。

 



2010年9月29日

しつこく、ミツバチとネオニコについて-

 

3回に分けて書いた 「ミツバチと農業」 は、それなりにリキを入れたつもりだが、

何人かの方から質問や意見も頂戴し、多少誤解を受けた面もあったかと反省している。

ポイントはやはり、CCD (蜂群崩壊症候群) とネオニコチノイド系農薬問題の

とらえ方である。

 

僕は決してCCDという現象を軽視しているつもりはない。

ネオニコ系農薬に対する独自の対策も進めている。

それは個々の農薬を精査して、生産者とともに対策を立てていこうというものだ。

 

違いといえば、ただ単純にネオニコ系農薬を排除すれば問題が解決するとは

全然思ってない、ということに尽きる。

コトの本質は、ミツバチが健康に育ち働いてもらうこと、つまり

養蜂と農業の健全な関係を取り戻すための環境整備にある。

そのための対策は、まだ灰色の雲の中にあるCCDに焦点を当てて

危機感を煽って済むものではない。

伝染病やダニ被害のリスクだって無視してはならない重大事項なのだ。

ミツバチ「不足」 や 「大量死」 に対して、できる対策を進めることを考えたい。

そのほうが具体的で前向きな姿勢ではないかと思うし、

できるところから着実にミツバチにとっての環境を整えていく、

これこそが目に見えない失踪 (CCD) の原因を取り除いていくことにもつながる

のではないだろうか、というのが実のところ、僕の秘かな確信でもある。

これが、「大量死とCCDはつながっている」 とにらむ藤原誠太さんに対する、

僕なりの応えだったのだけど。。。

 

それに、カメムシは農薬で叩く、という思想が前提にある限り、

ネオニコを排除しても、別なあるいは新たな農薬が登場するだけではないか。

ネオニコを殊更に問題視すると本質的な対策を遅らせる危険性がある、

と懸念するのも、そういう側面を感じるからだった。

病虫害に対する対策思想を変えるのは容易ではない。

農家にとっては目の前の経営の問題でもあるし、

これは技術の再確立という長いたたかいであることを自覚する必要がある。

 

改めて、ローワン・ジェイコブセン著 『ハチはなぜ大量死したのか』

から引用させていただくなら-

  この状況を避けるには、チームとしての取り組みが必要だ。

  養蜂家だけでなく、昆虫学者も自然保護活動家も一緒になって

  奇跡を起こさなければならない。

  私たちがしなければならないのは、土地の酷使をやめること、

  私たちの文化に養蜂と農業の場所をふたたび組み入れること、

  そして昆虫を仲間に組み入れることだ。

  もしそうしなければ、果樹園だけでなく、

  私たちのあらゆる努力も実を結ばなくなってしまう。

 

そのための想像力と根気が必要だと思うのである。

 



2010年9月21日

ミツバチと農業 -優しい連携を取り戻したい

 

ミツバチと農業

- 先週中にまとめるつもりが書き切れず、イベント案内などはさんでしまったが、

  何とかまとめに入っていきたい。

  読んでいただいた方には、もうこちらの問題意識と立ち位置は

  ご想像いただけているのかと思う。

  もしかしたらガッカリされた方もいたりして。。。

 

勉強会のタイトル -ミツバチと農業- から察せられるように、

僕らがつかみたいのは、養蜂と農業の共存の世界である。

話題のネオニコチノイド系農薬に対する評価も、その文脈の中で考えたいと思う。

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まずもってはっきりさせておきたいことは、

日本における花粉交配用ミツバチの不足 (=農業生産への影響) と、

蜂群崩壊症候群 (ほうぐんほうかいしょうこうぐん:CCD) は別問題である、ということだ。

なおかつCCDの原因はまだ推測の域を出ていないのが現状であること。

という以前に、日本ではまだCCDと特定できる事例を抽出して

原因を調査できるレベルに達していない。

そもそもちゃんと実態を把握するための調査体制ができていないのだ。

中村教授の説明によれば、行政改革やコスト削減の影響で、

農業試験場が養蜂関係から撤退して研究者がいなくなったということである。

都道府県の家畜保健衛生所にも、「家畜」 であるミツバチの被害に対応できる

担当係官はいない、というのが実態のようなのだ。

 

農薬被害があっても現場を見に行く人がいない。

したがって被害の実態が行政に届かない。

農業生産を支える花粉媒介者が黙示録的な兆候を示し始めているというのに、

この国には 「農業に対する包括的な政策がない」(中村教授)。

 - これを事実を正確に知るための 「対策・その①」 としたい。

   CCDで騒ぐなら、ネオニコ糾弾の前に、「実態と原因調査を急げ」(その体制を整えろ)

    という要求にして欲しい、というのが僕からの 「提案・その①」 でもある。

   この現状を軽んじては、真実がつかめないまま結果的に対策を誤る可能性があるし、

   いたずらに論争を長引かせ、対立を深めてしまいかねない。

   問題を正しく区分けしたい、としつこく書くのもそんな思いからである。

 

(花粉交配用ミツバチの) 「不足」 は起きているが、

その原因はCCDと言われる 「働き蜂の失踪」 ではない。

国内での 「失踪」 の実態は明らかでない。

ということなのだが、とはいえ、ただ手をこまねいて傍観しているわけにはいかない。

 「事件は現場で起きている」 だけに、コトは複雑なのだ。

昨年4月に名古屋大学の門脇辰彦准教授が実施したアンケートでは、

CCDに似た現象を経験した養蜂家は約四分の1にのぼっており、

その多くは 「農薬が原因ではないか」 と感じ取っていることが浮かび上がっている。

 

原因は未解明としても、農薬の可能性は、否定できない。 

なぜなら農薬が 「大量死」 の原因のひとつ であることはほぼ間違いないからだ。

ここで 「大量死」 の問題が絡んでくる。

中村教授によれば、養蜂被害の30%は農薬が原因だという。

藤原さんは先に書いたとおり、「大量死とCCDは、つながっている」

と確信している (しかしそれを言い切っちゃうと反発も起きる)。

 

可能性があるのなら、現場サイドでも手は打っていかなければならない。

そこでネオニコチノイド系農薬も必然的に検討の遡上にあがるのだが、

僕らが前提としているスタンスは、

農薬は一つ一つの毒性によって判断しなければならない、である。

「○○○系」 といって十把一絡げにして扱うなんて乱暴なことは、したことがない。

現にミツバチへの影響のある農薬はネオニコ系だけではない。

有機リン系、カーバメイト系、ピレスロイド系・・・といった農薬のなかにもあるのだ。

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増野の熊谷さんのように、リンゴの減農薬栽培を進めるのに、

ただ防除の回数を減らすだけでなく、

人や環境への影響度の強いものを出来るだけ排除しようと努めた結果、

現状においてネオニコ系農薬も防除計画に組み込まれているというケースは、実は多い。

彼らの姿勢を批判の対象にしてはならないと思う。

ましてや、ハチが飛ぶ開花期には農薬散布をしない、という配慮をしている人たちである。

彼らとこそ連携を強固にして、前に進みたいと思うのである。

 

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(ハチの扱い方について質問する、茨城から参加した小野寺孝一さん。

 美味いメロンをつくる生産者である。)

 

そこで、大地を守る会のなかで定期的に開いている生産基準の検討会議では、

以下のネオニコチノイド系農薬を 「できるだけ使用を控える」 農薬として

指定する方向でまとまりつつある。

  イミダクロプリド(商品名:アドマイヤー)、クロチアニジン(ダントツ)、

  チアメトキサム(アクタラ)、ジノテフラン(スタークル)、ニテンピラム(ベストガード)

それぞれにLD50(半数致死量) や影響日数などのデータをもとにした判断である。

「できるだけ~」 とは、生産者と一緒に代替策を考えながら、

完全に排除できると判断した段階で 「使用禁止」 農薬に設定するというレベルになる。

批判には提案が伴わなければならない。

 - これが僕らの 「対策・その②」 であり、

   同時に 「ネオニコ、ネオニコ」 と批判する方々にぶつけたい 「提案・その②」 である。

 

イネのカメムシ被害への対策は、小林亮さんが語ったように、

有機農業の世界が答えを出してくれることだろう。

加えて周辺環境の整備が求められる。

そこで訴えたいのが、こういった生産者の取り組みを支えるのが他でもない、

「消費の存在」 だということ。

カメムシ斑点米があっても食べろとは、流通サイドからはなかなか言えないことだけど、

少しの理解はお願いしたい。

温暖化の影響で、暖地のカメムシがどんどん北上していたり、越冬するようになって

繁殖力を強めている、という事態もちょっと想像していただけると有り難い。

今年もカメムシが多発した地域では、

ネオニコチノイド系農薬(ダントツ、スタークル) の散布が指導されている。

こういう状況に対する突破口は、有機農業の推進だと、僕は確信している。

ちなみに小林亮さんたちの地元(山形県高畠町) では、

農薬の使用に対する指導が適切にされているということで、

交配用ミツバチの確保に支障はきたしていない、との報告があったことも付記しておきたい。

 - これを 「対策・その③」 および 「提案・その③」 とさせていただく。

 

改めて再度、中村教授の指摘に耳を傾けてみたい。

ハチの採餌エリアが、農産物生産を目的とした農地 (の植物) に依存し過ぎる

ようになってしまったがために、農薬の直接的影響を受けることが多くなった。

背景の一つに林業政策の失敗があるのではないか。

杉山はハチが利用できる山ではない。

農地の植物 (野菜・果物) を餌資源として利用せざるを得ないということは、

(畑地とは目的とする作物に特化している 「用地」 であるために)

多様な植物が咲き競う自然生態系の衰えを示していて、栄養的ストレスももたらしている。

農地の整備、土地開発による餌資源の減少もある。

農業での花粉交配用資材としての需要増の時期 (秋~春) は、

ミツバチの増殖時期とずれているために、季節が逆の南半球からの輸入に頼る

構造になってしまっている。 これは農産物の自給率の見えない脆弱さを示している。

日本でのミツバチ産業を疲弊させたのは、ハチミツの自由化である。

輸入ハチミツとの競争下で養蜂業は斜陽化した歴史がある。

 

ミツバチ 「不足」 の原因は、実は複合的であり、

不足下の悪循環が、「大量死」 や 「CCD」 とも底辺でつながっているのかもしれない。

負のスパイラル的に。

複雑にからんだ構造的問題であるだけに、簡単に処方箋は出せないけど、

ただ二つの視点は提出しておきたい。

その1 - 農家がレンタルしたミツバチを、できるだけ健康を保たせてお返しできるように、

養蜂家から農家への養蜂技術の伝授を進めるべきだと思う。 農家にもメリットになるはずだ。

その2 - 農薬を問題にするだけでなく、みんなの力で出来ることがある。

四季折々に花を咲かせることで交配用昆虫を増やすこと。

食糧危機が叫ばれる中で増える一方の耕作放棄地や、道路沿いや畦道や、

あるいは家庭の庭などを使って、花粉と花蜜源を増やすのだ。

レンゲやヘアリーベッチなど、農業生産にメリットをもたらす植物も活用したい。

 - 以上を 「対策・その④」 として提示したい。

 

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おまけを言えば、もっとミツバチに親しむという意味で、昨今、ニホンミツバチを飼う、

という行為が、俄然人気を博してきている。

ニホンミツバチの世界は、知れば知るほど取り憑かれそうな魅力を感じさせる。

 

ずいぶんとしつこく書いてしまった。

それだけ慎重になってしまったということで、お許し願いたい。

今回のレポートにあたっては、勉強会で得た情報だけでなく、

以下の文献を参考にさせていただいたので、付記しておきたい。

 ・ 『ミツバチの不足と日本農業のこれから』 (吉田忠晴著、飛鳥新社)

 ・ 『ミツバチは本当に消えたか?』 (越中矢住子著、ソフトバンク クリエイティブ)

上記2点は、入門編としておススメ。

この問題をじっくり考えたい方には、次の書を-

 ・ 『ハチはなぜ大量死したのか』 (ローワン・ジェイコブセン著、文芸春秋)

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アメリカで発生したCCDの背景を追究した迫力ある作品である。

オーガニックへの期待も込められている。

福岡伸一さんの解説、ニホンミツバチの魅力に触れた追録もある。

ちなみに、ネオニコチノイド農薬にも切り込んでいるが、そこは慎重に読んで欲しい。

彼が示唆しているのは、農薬の複合的影響だから。

 

考えるほどに骨の折れるテーマだったけど、今回の勉強会は始まりでしかない。

我々の姿勢と現実的対応力が問われ続けることになるだろう。

逃げるつもりはない、という意思の表明で終わりにしたい。

キューバの革命家、エルネスト・チェ・ゲバラが、

「革命兵士とは何なのでしょう」 という若い兵士の質問に対して応えた言葉がある。

「農民こそが花であり、我々はミツバチなのだ」

 

農民が花ならば、オレたちはミツバチになろう! じゃないか。

 



2010年9月15日

ミツバチと農業 (続)

 

さて、話を急がなければ。

続いての講師は、岩手県盛岡市、藤原養蜂場場長・藤原誠太さん。

「日本在来みつばちの会」 会長として、ニホンミツバチの普及にも努めている。

藤原さんはネオニコ系農薬を批判する急先鋒の養蜂家として、

今やあちこちに講演に招かれるほどの有名人になっている。 

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05年、06年と岩手県内でのミツバチ被害を目の当たりにした藤原さんの主張は、

はっきりしている。

「ネオニコ系農薬が生れてからおかしくなってきた」 という現場での実感が彼にはあるのだ。

大量死の事例は過去にもあったが、8月になって発生することはなかった、と。

しかも、大量死とCCDは、死体が目の前に見えるか見えないかの違いはあっても、

両者はつながっている可能性があると、彼は読んでいる。

合成農薬がだいたい神経伝達物質を標的にするものである以上、その可能性は否定できない。

まさに 「事件は現場で起きているのだ」 派である。

 


藤原さんが真っ先に槍玉に挙げるのは、ダントツという殺虫剤 (成分はクロチアニジン)。

近年になって、イネのカメムシ防除で、有機リン系農薬(スミチオンなど) に替わって

よく使われるようになった。

岩手と同様の事故は、北海道や中部地方など各地で発生の報告がある。

 

岩手や北海道の 「大量死」 の原因は農薬であろう、

ということは中村教授も認めるところである。

しかも、ミツバチが直接浴びるだけでなく、花粉と一緒に運ばれ巣内で蓄積されると、

外役蜂(年寄りのハチ) だけでなく若いハチにも影響がでて、

蜂群の崩壊が進む可能性がある、というところまで、両者は一致している。

 

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生産者は現場感覚で断言し、学者は慎重に 「可能性がある(あるいは高い)」 と表現する。

立場の違いによる表現の差異は、聞く側のセンスで読み解けばいい。

しかしこれが、「ネオニコ」 とすべてをひと括りで語ったり、CCDの原因だ

と断定されるにいたると、学者は眉をひそめることになる。

原因 (犯人) を単純化してしまうと、

かえって真実が見えなくなる (対策を誤る、あるいは遅れる) ことも怖れる。

これは僕もその立場であることを表明しておきたい。

悪事をはたらいた会社の社員全員を悪人扱いするのは、アブナイ社会のすることだ。

それに農薬の影響でミツバチが大量死した事例は、

ネオニコチノイド系農薬が登場する前から実はあったのだから。

 

さて第二部。 ここからが大地を守る会ならではの展開だといえるだろうか。

実際に農薬を使用している農家にも登場してもらっての意見交換の設定、である。

これによってまたひとつ、違った現場の世界が見えてくる。

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まず今回、一研究者の立場として参加してくれた根本久さん。

(下写真左。 公的肩書きは伏せる。 こういう人が来てくれるのが嬉しい。) 

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根本さんの説明と主張はこんなだろうか。

- ネオニコといっても、ダントツとスタークル(成分:ジノテフラン) では影響は違ってくる。 

  また、かつての有機リン系に戻せばよいワケではない。

  防除せざるを得ない現実があるのならば、選択にあたって正確な情報提供が必要だ。

- なぜミツバチが花蜜のない水田に立ち寄るのか。 水を求めてきていると思われるが、

  花粉を求めてきているとすれば、その時期に周囲に花粉源が減少していることも

  考えなければならない。

- ハチへの影響があるものは、サイズの小さい天敵昆虫にはもっと強い影響を与えている。

  また米国では乳幼児へのリスクがあるということで、有機リン系の全面禁止に動いている。

  事はハチとネオニコだけではない。

  農薬の影響評価の全面的なやり直しが必要な時期にきている。

 

根本さんの隣は、長野の農事組合法人増野・熊谷宗明さん。

リンゴや洋ナシを栽培する熊谷さんには少々居心地の悪い場だろうけど、

率直に発言してもらう。

「リンゴの減農薬栽培をやる上で、ネオニコ系農薬は防除計画に入っているし、

 実際に使っています。 急性毒性が弱いという部分もあります。

 有機リン系の農薬を使っていたときは臭いがきつくてつらかったですが、

 ネオニコに替わって楽になったのは事実です。

 ハチへの影響も考慮して、開花期には防除しないという申し合わせもしながら

 やってるんですけど・・・ 」

 

移動養蜂でハチミツを生産する (株)フラワーハネー代表の西尾清克さん。

北海道で採蜜中という忙しいなか、参加してくれた。

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1月の三重から始まって岐阜、北海道と、ミツバチと一緒に移動しながら蜜を集めている。

今年の北海道は集中豪雨が多く、まったく採れない状態だという。

雨の影響は野菜だけじゃないということか。

農薬散布期になると急いで山に上げるといった苦労も聞かされる。

交配用ミツバチも農家とリース契約で出したりしているが、

農家から帰ってきたミツバチは弱っていて使えないのだとか。

農家がミツバチの扱い方を知る必要がある、というのは、

生産収益率を上げる意味でも、また輸入依存率を下げていく意味でも、

けっこう重要なポイントである。

 

山形から来ていただいた、おきたま興農舎代表・小林亮さん。 

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長いこと無農薬でコメを作ってきたが、カメムシで苦労したことはそんなにない。

コツは、チッソ濃度を上げないこと、そして畦の雑草管理にある。

カメムシの棲み家にならないよう草刈りをするが、穂が出た後は逆に刈らずにおく。

カメムシは決して稲が好きなわけではない。

畦に留まらせて、稲を吸いに侵入しなくてもよい環境にするのである。

 

それを受けて根本さんが補足する。

カメムシが水田に集まらないよう、河川敷の草も刈らないようにしているところがある。

棲み家を残してやるのだ。

キレイにすることだけを考えていると、水田に皆集まってくる。

結局農薬に頼らざるを得なくなる。

イネの花が咲く時期に、周囲にもっと花蜜源があるようにすることも大切である。

農薬に頼らない生産方法の普及と、ミツバチに影響を与えない環境整備、

それらが総合的にリンクした施策が求められる。

 

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農家と養蜂家が農薬をめぐって対立するのでなく、

共存に向けての処方箋と環境づくりを進めなければならない。

それは可能である。 共同のテーブルさえできれば-。

始まる前は、正直ヒヤヒヤしていたのだが、何のことはない、

みんな前向きである。

 

多少、伝え残したところがあるか。

あと一回いただいて、まとめとしたい。

 



2010年9月14日

ミツバチと農業

 

ようやっと夜が涼しくなってきて、

この夏ハマってしまった省エネ・水シャワーも終わりかな、という今日この頃。

日々先送りしていた気がかりな宿題を片づけておきたい。

8月26日(木)、東京は神宮球場の隣にある日本青年館にて開催した

「ミツバチと農業」 勉強会の報告を。

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数年前からミツバチに異変が起きている、そんな話を聞いた方も多いことかと思う。

ミツバチが不足して農業生産に影響を与えている、

あるいは原因不明の大量死が発生している、

あるいは突然女王蜂を置き去りにしてハチが姿を消す蜂群崩壊症候群(CCD)・・・など。

しかしどうも情報は錯綜していて、やや短絡的な報道も見受けられる。

中には 「いい加減にしてよね」 と言いたくなるような論評もあったりする。

 

冷静に事態を見つめ直し、私たちのとるべき方向性を見定めていきたい。

そんな問題意識で、大地を守る会の生産者会議のテーマとして初めて設定された。

 

お願いした講師はお二人。

まずはミツバチ研究60年の歴史を有する玉川大学ミツバチ科学研究センター

教授、中村純さん。 

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中村さんは養蜂専門の学者らしく、

ミツバチを取り巻く現状と農業とのかかわりを概括的に説明してくれた。

蜂の巣を連想させる絵柄のシャツを着てきたところに、

ひそかなツカミのねらいも感じられたりして。

 


まず 「養蜂 (ようほう)」 といわれる産業は、日本においては畜産分野に位置づけられている。

つまり動物を飼育して生産物を得る分野という意味で、

ミツバチは昆虫ではあっても 「家畜」 なのである。 

しかしこの家畜は、餌を生産物に転換する、たとえば穀物を与えて肉をつくる、

というような他の動物とは決定的に異なる。

彼らは自然の資源 (植物の花) から蜂蜜という 「生産物」 をつくる (濃縮させる)、

という  " 働き "  によって我々に貢献してくれている。

養蜂業とは、蜜や花粉を集めて回るという、ミツバチが生きるための行為を

うまく管理しながらその生産物を頂く、という共存のシステムによって成り立っている。

 

ところが今日においては、実はミツバチはもう一つの役割のほうが

経済的には重要になってしまった。

ミツバチは、花粉を採取する際の行動によって、

おしべについていた花粉がめしべに移る 「花粉交配」 を助けている。

植物が花の形や色や匂いなどで動物を呼ぶシグナルを発し、

訪れた動物は蜜や花粉をもらっては交配を助けるという、

これこそダーウィンが  " 忌まわしき謎 "  と呼んだ、

億年単位の時間をかけて創りあげてきた植物と動物の共存共栄の仕組みなのだが、

この宿命的提携関係を利用しているのが、今日の農業というわけなのである。

人間がハチを使って野菜や果物を効率よく生産する技術は、

この半世紀近くのうちに実にいろいろな作物に利用されるようになった。

イチゴを筆頭に、メロン、サクランボ、スイカ、トマト、ナス、キュウリ、カボチャ、

タマネギ、リンゴ、モモ、ナシ、ウメ、マンゴー、ブルーベリー ・・・・・

農業に利用するとは、花粉交配用にミツバチが売買 (あるいはレンタル) されるということである。 

 

そして今や直接養蜂生産物 (蜂蜜、ローヤルゼリー、蜂ろう) より

花粉交配による経済貢献 (交配によって得られる作物総生産高) のほうがおよそ5倍、

全体の98%に達する、という具合だ。

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ミツバチによる交配の助けがないと、クリスマス・ケーキにイチゴは乗らない。

それどころか農産物の供給は年じゅう不安定になるだろう。

ましてやミツバチが滅んでしまったら ・・・

アインシュタインが言ったと伝えられている言葉がある。

「ミツバチが絶滅したら、人類は4年で滅亡する。」

実際にアインシュタインが言ったという文献的根拠はないのだが、

それくらいミツバチの働きは重要なのだという警告だと思えば、伝承されるのも頷ける。

 

ま、学者である中村さんに言わせれば、

「主要穀物は風媒花かイネのように自家受粉する作物なので、食料危機には直結しない」

ということになるのだが (ちょっとつまんない?)、

しかしそれも、あくまでも 「ミツバチ利用作物がなくても、それだけでは死ぬことはない」

という食料生産量の数字上の話である。

ミツバチをめぐる今日の状況は、" アインシュタインの警告 (予言と言う人もいる) "

がまことしやかに語られるだけの不安な兆候を見せてきているのはたしかなのだ。

 

ただ、ミツバチの 「不足」 と 「大量死」 と 「働き蜂の失踪(CCD)」 が

ごっちゃになって語られ、また不安を煽る論評もあって、

中村さんたち専門家を苛立たせてしまっている。

 

「不足」 の原因はといえば、最大のきっかけは2007年11月、

オーストラリアから輸入していた女王蜂に

ノゼマ病という病気 (監視伝染病) が発見されたことによる輸入停止である。

それによってイチゴ農家などの需要に対してミツバチの欠品が発生し、

価格の高騰=農業生産コストの上昇 - 採算割れ (=生産の減退) という現象が生まれた。

またハワイから輸入していた女王蜂からは

バロア病という伝染病の原因となるダニが発見され、こちらもストップされたのだが、

国内でも発見され、新たな被害が拡大している。 これも要因のひとつらしい。

さらには気候変動による影響も指摘されるが、因果関係は未解明の世界である。

そもそもなぜ輸入なのか、についてはあと回しにして先に進みたい。

 

一方で5年前に、岩手県で大量に死んだミツバチから農薬が検出されたことによって、

農業生産現場での農薬散布が原因でミツバチの 「大量死」 が発生している、

という事例が報告されるようになった。

岩手で検出された農薬は、「ネオニコチノイド系」 農薬のクロチアニジン。

ネオニコチノイド系農薬は、人への毒性が (これまでの農薬に比して) 低いということで、

90年代から使用が増えてきた新しい系統の農薬群である。

しかし花粉交配昆虫への影響度の度合いにより、

使用にあたっては 「ミツバチへの影響」 の注意喚起がされている農薬がある。

クロチアニジンはそのひとつである。

具体的な話はあとに回して次に進みたいが、記憶しておいてもらいたいことは、

ネオニコチノイド系農薬にも多種あって、ミツバチへの影響度は個別に異なるという、

ある意味であたり前の前提である。

 

さらに話をややこしくさせたのは、2006年の秋から

(現実にはその前から予兆的に発生していたのだが)、

北米大陸で原因不明の 「ミツバチの失踪」 が多発したことである。

それは女王蜂を残して働き蜂が忽然といなくなる (巣に戻らない) という現象で、

「蜂群崩壊症候群(CCD)」 と名づけられた。

 

「2007年の春までに、実に北半球のミツバチの四分の一が失踪したのである。」

    (ローワン・ジェイコブセン著 『ハチはなぜ大量死したのか』 文芸春秋刊 より )

 

原因はまだ諸説紛々なのだが、大量 「死」 も確認できないという不気味な現象は、

" アインシュタインの予言 "  を想起させるに充分な要素を持って

私たちの視界に出現したのである。

 

日本でも経験した養蜂家はいる。

しかしその原因は農薬とはまだ断定できない、というのが今の調査研究段階なのだが、 

日本国内では、「不足」 も 「大量死」 も 「CCD」 も、すべてネオニコのせい、

という論調に支配されようとしている。

中村さんにしてみれば、それぞれの原因が何によるのかを正確に見極め、

あるいは複合的な要因ならその問題も整理して有効な対策を立てていかないと、

かえって取り返しのつかないことになる、という感覚がある。

でなければ養蜂家だけでなく、農家にとっても不幸なことだ、と。

 

そこで次は現場の養蜂家の登場となるのだが、ここまでで話が長くなってしまった。

このテーマに関しては、とても慎重になっている自分を自覚する。

視野脱落が怖い。。。

冒険的な断言も避けなければならないと思っている。

だからといって、 「いい勉強会でした」 で済ませたくもない。

続きは明日 (もしかしたら数日後) に。 すみません。

 



2010年9月 5日

祝の島

 

山口県熊毛郡上関町祝島 (いわいしま)。

瀬戸内海・周防灘に浮かぶ周囲12kmの小さな島。

瀬戸内海屈指の豊かな魚場に恵まれ、釣り人のメッカとも謳われる。

島内は山の傾斜を利用してミカンやビワ栽培が営まれている。

大地を守る会も一時期、無農薬のビワの販売でお付き合いした時代がある。

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海と山しかないのどかな島。

一方で祝島といえば 「原発反対運動の島」 として全国にその名を馳せる島でもある。

この島に、8月21日(土)~22日(日)、

大地を守る会の専門委員会 「大地・原発とめよう会」 の主催でツアーが組まれた。

10数人ほどの会員が島を訪ね、島民たちと親交を温められた。

僕も誘われたのだが、実はこの日程は、

大和川酒造の佐藤工場長たちと飯豊山に登る計画を立てていて、お断りするしかなかった。

結局は仕事でどちらも行けなくなってしまったのだけど。。。 哀しいね。

 

ツアーに参加したU君から写真が送られてきたので、お借りして、紹介したい。

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この平和な島に原発問題がふって涌いたのは1982年のこと。

上関町長が町議会で原発誘致の意向を表明したのだ。

翌年、祝島漁協が原発反対を決議して、長い長いたたかいが始まった。

 

「上関原子力発電所」 の建設予定地は

祝島から4km東の対岸にある上関町長島の田ノ浦湾。

この美しい名前の湾を埋め立てる計画である。

建設されれば、祝島島民は目の前に原発を見ながら日々暮らすことになる。

おそらく観光客は激減することだろう。

今年からいよいよ埋立工事が始まることになったが、

現在のところ島の人たちの必死の実力阻止にあって着手できていない。

 

島民のほとんどは建設反対だが、あくまでも 「ほとんど」 であって、

島には今も深いしこりが刻まれている。

そんな中で、島民たちはこの28年間、毎週月曜日に欠かさず島内デモを行なってきた。

「原発ハンターイ、エイ、エイ、オー!」 という掛け声をかけながら、

集落の路地裏まで練り歩くのだ。

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毎週のデモは、みんなの結束を確かめ、島の意思が衰えてないことを示すだけでなく、

実はおっちゃんおばちゃんたちの楽しいお喋りの場でもあったりする。

犬もハチマキして参加していたりして。

実は僕も一度この島を訪ね、月曜デモに参加したことがある。

1987年の、季節は秋だったか。

(デモの、エイエイオー!にはちょっと馴染めなかったけど・・・)

 

祝島漁協組合長(当時) の山戸貞夫さんが反対運動のリーダーで、

大地を守る会は漁協を通して無農薬ビワやビワ茶の販売で支援をしたのだった。

今回のツアーでは、山戸さんの息子さんと交流できたとのこと。

またビワの生産者を取りまとめてくれていた坂本育子さんは、

僕のことを覚えてくれていたようで、とても嬉しく思った。

 

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祝島はまた、岩の島でもある。

掘っても掘っても出てくる岩を家の練塀や段々畑の石垣に利用してきた。

傾斜のきつい山だが、島民は島の隅々まで利用し、共生して生きてきたのだ。

 

これは平満次さんの棚田。 

1段5メートルはあるだろうか。落ちたら死にそうな棚田である。

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この石垣を、満次さんの祖父、亀次郎さんが一代で築いたというから驚愕である。

子や孫の代まで米で困らないようにと願いながら、

巨大な岩石を一個一個運んでは積んでいったのだという。

日本人の米に対する恐るべき執念を感じさせる。

 

ツアー一行と語らう平さん。

眼下は海。 こけたら一気に海まで滑落しそうな風景だ。

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こうやって島の風景は人の営みとともにつくられてきた。

海の環境を守るのも、実は漁民の倫理と矜持(きょうじ) こそにかかっているのだ。 

原発は、自然も、人々の絆も、人と自然の絆も、傷つけてしまう。

それは営々と紡がれてきた絆の歴史を愚弄するものでもある。

反対する現地の人々が嫌悪するのは、そういう精神への冒とくを感じるからだ。

 

賛成あるいは推進する人々は現地の深い苦悩を慮ることがない。 

だから 「公共」 の名のもとに 「人 (あるいは自然) は死んでもいい」 に票を投じることができる。

その究極の選択が 「戦争」 だと思う。

反対した人は敵となった人々の死にも自身の判断の責任を考えようとし、

賛成派はだいたいが他人事のように批評する。

 

ま、戦争はともかく、原発に 「公共」 性としてのメリットがはたしてあるか、

これはとことん慎重に議論したいところだ。

あらゆる観点から見て、原発は本当にどれだけの貢献をしてきたのだろうか疑問である。

未来永劫にわたるリスク管理 (ストレス社会) を子孫に強制し、

建設から廃炉・廃棄物管理に至るコストは補助金 (税金) なしには採算は合わない。

事故はレベルによるが、最悪の場合、取り返しのつかないたくさんの生命危機につながる。

原発受け入れで得られるのは交付金や法人税による経済効果だが、

他人のお金(税金) をあてにして、持続可能な社会資産を差し出していいのか。

海と共生しながら暮らしていきたい、とはそういう意味で

基本的人権以上の意味を持つものだと思う。

昨日に続いてジャレド・ダイヤモンド (カリフォルニア大学教授) の言葉を借りるなら、

 「先進諸国が現在味わっている繁栄は、預金口座にある環境資本

  (再生不能のエネルギー源、天然の魚介資源、表土、森林など) を食いつぶすことで

  得られたものだ。 引き出した預金を稼いだお金と勘違いしてはならない

ということだ。

 

ましてや、今のエネルギー政策の世界潮流は、石油やウランなど枯渇資源に依存しない

太陽エネルギー経済に移行しようとしている。

地球に降り注ぐ太陽エネルギーの1万分の1を効率利用できれば、

エネルギー問題はなくなるとまで言われているのだから。

そのための技術確立に向けての推進力が加速している。

引っ張っているのは砂漠の産油国である。

西欧諸国もそこで技術提携の権利を得るのに躍起である。

日本は乗り遅れようとしている。

 

次世代エネルギーの覇権争いはすでに 「原子力発電所」 ではない。

誰も電力不足を感じていない中で、

中国地方の電力需要は増える、という前提のもとでの、

28年に及ぶ建設をめぐる争いなど、もうやめたほうがいい。

 

エネルギー源は、空と海と大地にあるのだ。

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祝島周辺海域には、国の天然記念物であり絶滅が危惧されているスナメリ (小型のクジラ)

や海鳥・カンムリウミスズメの生息が確認されている。

科学者から活断層の存在も指摘されながら、ちゃんとした調査は実施されていない。

 

こんな島の人々の暮らしと自然を、実に優しい目線でとらえた映画がある。

纐纈(はなぶさ) あや監督作品 『祝(ほうり) の島』 。

ゆったりと生きながら、しかし敢然と原発を拒否する島の人々の強さとその意味を、

「原発は必要だ」 と思っている人たちにも見て欲しいと思う作品である。 

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東京では現在、東中野 「ポレポレ東中野」 で上映中。

一日1回、19:00~で、今月10日まで。

ご来場者には、当会からのプレゼント応募用紙が配られています。

応募された方から抽選で50名様に、

祝島の対岸・愛媛県は明浜町の生産者団体 「無茶々園」 のちりめんをプレゼントします。

どうぞご応募ください。

 

以上の写真はすべて内田智明さんからの提供です。

原発ネタは久しぶりだけど、写真を見て、ちょっと熱くなりました。

感謝します。

 



2010年8月10日

Grobal Sensor と 田んぼスケープ

 

本ブログでこれまで何度も登場している

文化人類学者の竹村真一さん (京都造形芸術大学教授) から連絡あり。

 

FMラジオ 「J-WAVE」(81.3 KHz) で毎週月曜から金曜日の夜に放送されている

番組  「Jam the World 」  の中の 「 Grobal Sensor 」 (グローバル・センサー)

という彼のコーナーで、久しぶりに 「田んぼスケープ」 を取り上げます、とのこと。

 

時間帯は以前より少し早まっていて、9時35分から。

短いトーク・コーナーだが、地球環境に関する様々な問題が語られている。

  - と紹介している自分も、残業や外出が多くてなかなか聞けないのだけれど、

今日は漁業資源の保全と  " 海のエコ・ラベル " -MSC認証の話だった。

前回聞けたのはたしか車の中で、火山の噴火がもたらす功罪について、だったかな。

火山の噴火は大変な災害ももたらすが、

一方で土壌の形成に重要な役割を果たしてくれている、と。

思わず膝を打つ。 これは正しい。

河川の氾濫もそう。 土壌材料の  " 若返り "  をもたらしているのだ。

竹村さんは文明や環境の様々な問題を、地球史の観点で見ている。

まさに Grobal Sensor だね。

そのセンサーから見える 「田んぼスケープ」 とは-

 

一日3分のトークで、竹村ワールドにハマる。

タイミングが合った時はぜひ一度、聞いてみてほしい。

 



2010年7月11日

一直線の実証主義農民-小川光に山崎農業賞

 

福島県喜多方市山都町で、自らの理論に基づいて有機農業を実践しながら

若者たちを育ててきた小川光さんが、山崎記念農業賞を受賞したことは

先日の猪苗代レポートで触れたが、

昨日はその授賞式があって、四谷まで出かけた。

 

それは意外と小さな会議室で、

出席者は30人ほどの、飾り気のない質実とした受賞式だった。

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山崎農業研究所

詳しくは知らないのだが、水田や水資源の研究などで功績のある

故山崎不二夫東大名誉教授が創設した民間の研究所。

会員は300人程度ながら、大学の研究者はじめ農水省の職員や農業技術者、

ジャーナリストなど多彩なジャンルの方々が研究所を支えている。

「現場に学ぶ」 をモットーに、農業、農村、食糧問題、環境など

様々なテーマで研究会を開催するほか、

官公庁からの受託事業や出版事業などを行なっているが、主たる収入源は会費である。

 

その研究所が、現場で優れた活動を行なっていると認めた人(あるいは団体)

を選んで、毎年表彰している。 それが山崎記念農業賞である。

アカデミズムやジャーナリズムで取り上げられなくても、農業・農村や環境に

有意義な活動を行ない成果を上げている人や団体を評価して世に示すという、

まさに 「現場主義」 を掲げる団体らしい表彰制度だ。

表彰では、賞状と記念の盾が贈られるが、賞金などは用意されない。

それがかえってこの賞の品格を形成している。

 

賞状を授与するのは、元東京農工大学教授で現在の研究所長・安富六郎さん。

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小川さんの受賞理由。

「条件不利といわれる中山間地域は、高齢化、農地の遊休化が進み、

 その存続が危ぶまれています。

 小川さんは、風土と作物の固有の力を最大限に引き出す独創的技術を編み出し、

 就農を目指す多くの若者と共に活力ある地域づくりに挑戦してきました。

 その実践は、過疎地に暮らす多くの人々に夢と勇気を与えています。

 ここに更なる発展を祈念し、第35回山崎記念農業賞を贈呈します。」

 

受賞を記念して、小川さんのスピーチがある。 

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小川さんは福島出自ではなく、出は東京・練馬である。

そこで中学時代から、隣の空き地で南瓜(かぼちゃ) を交配しては

雑種を作って楽しんでいたというから、ただ者ではない。

東大農学部を出て、福島県の職員として野菜栽培の技術研究や栽培指導に取り組む。

官僚に進まなかったこの段階で、すでに 「現場主義」 である。

しかし自身の強い思いで取り組んだ数々の栽培試験も周囲には理解を得られず、

どうやらけっこう辛い時代だったようだ。

98年、福島県の伝統野菜の栽培を最後に、今までの試験データを整理して退職。

小川光、50歳の時だった。

今でこそ有機農業の先進地たろうとしている福島県だが、

小川さんが退官するまで、有機栽培の試験をやったのは小川さんただ一人である。

 

山都町に入り専業農家となってからは、自らの有機農業理論を体系化させ、

中央アジア・トリクメニスタンで無潅水でのメロン栽培を指導し、

会津の伝統野菜の種を守り、若者たちを育てながら、

中山間地の畑や環境を維持するために奔走してきた。

上手な妥協の仕方を知らない一直線の性格ゆえに、

地域との軋轢も相当に経験してきている。

それでいて、思い込みではない、理論は現場で実証できなければホンモノではない、

という科学者としての強い姿勢を常に堅持しながら、生きてきた。

 

自己史を実直に振り返りながら、

時折見せた笑顔が、なんかカワイイ。

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小川さんは、どこに行くにも地下足袋である。

今日も足袋だろうか、と思いながら来てみたが、やはり足袋だった。

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でも今日の白い足袋は  " よそ行き "  なんだそうだ。

今度は足の裏を見せてもらいたいものだ。 

 

お祝いの言葉を述べさせていただく。 

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                    (写真提供:表彰選考委員・田口均さん)

 

小川さんとのお付き合いはまだ浅いのに、

僕なんかにその資格があるのだろうかと思いつつ、

でも僕は僕なりに、若者たちの野菜セットを通じて小川光に光をあてたという自負もあって、

引き受けさせていただいた。

夜の懇親会で、小川さんから

「私を実証主義者と呼んでくれて、ありがとう 」

と言われたのを、嬉しく思う。

 

この日は山崎農業研究所の総会でもあって、

農林水産技術情報協会の名誉会長・西尾敏彦氏の

「21世紀 農業・農業技術を考える」 と題した記念講演もあった。

それは21世紀への新しい提言というより、

20世紀の農業政策・技術思想への反省を込めたものになっていて、

有機農業が拓いてきた世界が間違ってないことを、

学問的にも認められるところまできたことを示していた。

 

四半世紀前には、僕らの目の黒いうちには実現しないのではと思っていた世界に

到達しつつある。

小川さんの苦労は報われる。 間違いない。

わずかなお手伝いだけど、流通者なりに貢献していることを誇りとしたい。

 

できることなら小川さんの世話になった就農者や研修生たちに囲まれた

祝う会をやってあげたいと思うのだが。。。

浅見さんと相談してみよう。

 



2010年7月 4日

中山間地はみんなの共通資産だから

 

愚痴をこぼしつつ、ついついしつこく書いてしまう悲しい性(さが) 。 

しょうがないので続ける。

 

二日目(6月27日)は、現地視察が組まれた。

まずは、地元の人たちとボランティアの協働で維持する山都町の堰を見る。 

集落の上にある棚田を通って行く。

耕作されなくなった場所もあるが、ここは変わらずきれいだ。 

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水はゆっくりと、温みながら流れて、一帯の田を潤してくれている。

江戸時代にマンパワーで切り拓いてより、地域の共有資産として、

数百年にわたって修復を繰り返しながら皆をつないできた血脈である。

いま僕らは、21世紀のボランティア(志願兵) として

その歴史の一員に連なっている。 

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続いて、チャルジョウ農場を訪れる。 

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有機農業学会の方々も、こんなハウスは見たことがないのでは。

ハウス内に傾斜がある。 もしやこれも小川理論? 

いえ、下の土地を確保したので、そのままハウスを伸ばしただけだと。。。

 

小川光さんの有機農業のポイントは、自家採種できる品種選択から始まる。

栽培においては、

間隔をあけて苗を植えて、1株でたくさんの枝を立てて実を成らせる 「疎植多本仕立」、

堆肥を深く掘った溝に入れることで初期の肥効を抑えて生長とともに効かせ、

かつ水分保持力も高める 「溝施肥」、

野草をいろいろ選別しながら残す (これが重要。除外すべきものは取る) ことで

害虫の天敵昆虫を増やすとともに土壌侵食を防ぐ 「野草帯管理」、

といったところが大きな特徴である。

さらには徹底した資材のリサイクル利用がある。

 

もらってきた資材でハウスを作り、落ち葉でたい肥を作り、土に水を保持させ、

少ない苗でたくさんの実をつけさせ、天敵との共生で生態バランスを整える。

種も残して自給力を高める。

これらの総合によって、灌水設備のない山間地でも、

「農薬・化学肥料いらず」 でやってゆけることを実証する。

 

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一本気で、裏表がなく、したがってどこか生きにくさを感じさせる小川さんだが、

山間地の農業をただただ守りたいという思い、守れるのだという信念と、

実践によって構築していく徹底した実証主義が、

若者たちを育てる力になっているように思う。

一方その性格ゆえに、若者たちから意外にも慕われたりするのだ。

この山間部で、小川さんの世話で住み着いた家族の間に、生まれた子供が22人。

これが小川光という人物の、内容証明である。

 

最後の視察先は、熱塩小学校。 

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日曜日なので誰もいないが、

小林芳正さんと鈴木卓校長が待っていてくれた。

 

農業科の新設とともにつくられた食育スペースがある。 

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小林さんは農業の持つ教育力を信じている。

それは生命を育てるという行為そのものだから。

稲を育て、いろんな野菜を育てることで、感性豊かな大人に成長してほしい。

そして同時に大人も育つんです。 

そんな美しい共生の 「村」 を、小林さんはいつも思い描いて、

子どもたちに日々農作業を教えている。

 

「育苗からいっさいの化学物質を使わせないんです。

 そんな小林さんのしつこさやこだわりが、

 いつの間にか子どもたちにも伝わっていくんですねぇ。。。」

と苦笑しながら説明する鈴木校長先生。

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授業は年間42時間の計画だが、天候事情などによって、

実際には50時間以上におよぶらしい。 

小学校から農業教えてどうすんの、という地域の反応も強かったそうだが、

鈴木先生は自信を持って語る。

「畑を耕すことで、心も耕す。

 知育を高め、食育・体育を高め、徳育にもつながって、

 結果として学力すべてを上げる。

 実際にここの生徒の成績は上がってるんですよ。」

 

農業科の畑と田んぼは学校を取り囲むようにあり、

3階の窓から全部見渡せる。 

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眺めるだけで、地域が支えていることを実感させる。

 

廊下にも階段にも、子どもたちの作品が張り出されている。 

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ハイ、こんにちは。  いいなあ、この感じ。

 

中山間地問題となると、きまって 「課題」 が語られる。

 - 販路の開拓、6次産業化、、、しかしそんな視点より、

まずは足元の環境や暮らしや農業スタイルを誇れるようにすることが大切だ。

 

水路の意味から都市にメッセージを発信する浅見彰宏さんや、

山間地で飯の食える技術として有機農業を教える小川光さん、

そして子どもたちも父兄も誇る、わが村の農業と自給給食。

地域の文化を美しく 「食べさせる」 料理人の存在。

骨太に活性化させる土台は、地域への " 愛 " だね。 

 

都市生活者あるいは消費者という立場にいる者にとって、

中山間地域というのは、けっして " 救うべき "  過疎地などではなくて、

とても大事な、守っていただかなければならない水の源、のはずである。

この社会資産は未来の人々のものでもあるわけだし。

外国資本に買われていい場所ではない。 

 

守るための条件は-

そこにちょうどいい数の人がいて、持続性の高い、すなわち循環型で

環境と調和した生産によって、

質素だが楽しく、助け合いながら、誇りを持って暮らしてくれている。

それをどう支えられるかってことだよね。

 

都市の人たちにもできることがある。

その地域の価値の " 新たな発見 " だ。

足元にある当たり前の姿が、当たり前じゃない力をもっていることを

発見させてくれるのは、外の目だったりする。

そういう意味でも、人の交流は、互いの価値の発見を促す力になる。

守りたければ、税金で、とかいう前に、まず手をつなぐことだ。

 

山都の堰さらいへの参加も、未熟者たちの野菜セットも、

共通の資産を守り育てるための  " 輪 "  づくりだと思っている。

 



2010年7月 3日

食文化の伝道師と若者たち

 

6月24日の米生産者会議(新潟) から福島・猪苗代での日本有機農業学会に流れ、

帰ってきた翌28日 には、一泊二日で関西の取引先生協さんを回る。

こちらの二日間は提携に関する商談である (単純に卸しの営業とも言うが) 。

30日は、午後いっぱい大地を守る会理事会。

7月1日は大地を守る会の会員活動 (だいちサークル) 主催での懇談会に出席。

『 「大地を守る会」を知ろう! シリーズ ~農産グループ編~ 』 in 横浜。

 

一週間出ずっぱりとなってしまった。

こんなに出歩いてていいのか? と自問自答しながら悶々とする。

ブログ・ネタも溜まったが、それ以上に宿題の山が積まれていて、

どう転んでも書けそうにない。

何とか猪苗代での会議の後篇だけでも書き終えて、

遅れの帳尻を合わせることにしたい。

 

 

「日本有機農業学会 公開フォーラム」 の会場になったのは、

猪苗代湖を眼下に一望できる高台にある 「ヴィライナワシロ」 というホテル。

実践報告の最後は、このホテルの総料理長、山際博美さんが登場する。

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フランス料理界最高栄誉の一つ (私は無知、念のため)

「ディジブル・オーギュスト・エスコフィエ」

というスゴ過ぎて覚えられない称号を持つ方だが、

もう一つの顔は、農水省認定 「地産地消の仕事人」。

今回はこちらでお願いする。

 

このホテルの総料理長になって22年。

最初はフランス料理の巨匠らしく、伊勢エビやカニや肉などを使った

 " 華 " のある料理を披露されていたのだが、

福島県内の産地を訪ね歩くうちに、メニューより素材を中心に考えるようになった。

有機食材と初めて出会ったのは、二本松市の有機農業グループだとか。

その会の名前を聞いて、当会生産者の名前も浮かんだが確かめられなかった。

 

食文化を伝えるとは、地域の文化の魅力を伝えることだと、山際さんは明言する。

山の中の温泉でマグロの刺身などを出す旅館が今でもある。

しかし周囲の山菜を使って感動させることによってこそ、

地域の風土や文化や心を伝えることができ、旅の記憶に残るものとなる。

それが 「料理」 による地のおもてなしだと。

 


現に、山際ディジブル・・・・の腕で磨き上げられた会津郷土料理によって、

ヴィライナワシロには、会津の食を求めて来る人が絶えないという。

 

山際さんはとうとう宴会場の舞台をつぶして、

大勢の人の前で調理するキッチンスタジアムにつくり変えた。

料理を見せるだけでなく、キッチンからもお客様の顔が見え、

たとえば家族の反応や様子によって出す時間をずらしたり、

調理に変化を持たせたりするのだという。

また最新の厨房設備を使っての親子料理教室や地産地消の料理講習会を開く。

さらにはインターネットを使って会津料理の調理法を伝える映像の配信も始めた。

昨年には 「体験農場」 も開設した。

宿泊者は、昼間は農作業を楽しみ、料理の技を学び、

夜は自分で収穫した野菜を食べ、磐梯猪苗代の名湯で身も心も癒して、帰る。 

そんなコースを楽しむ人が増えている。

 

生産者の思いや地場作物の物語を  「食」 を通じて伝えるなかで、

地域全体の食文化意識も高まっているとのこと。

「食」 が地域を元気にする、見事な実践モデルだ。

ここで食べた食材がすべて感動モノであったことは言うまでもない。

気になった方はぜひ、猪苗代はやま温泉 「ヴィライナワシロ」 にどうぞ。 

 

さて、実践報告のあと、新規就農研修生たちのリレートークが行なわれた。

板橋 大(ゆたか) くん。 

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大和川酒造での交流会に参加された方には見覚えのある顔でしょう。

酒蔵で働きながら、山都に畑と田んぼを借りた。

今年から 「会津耕人会たべらんしょ」 の一員になって、来年より本格就農を目指す。

 

チャルジョウ農場で去年の春から研修を続けている豊浦由希子さん。 

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前は製薬会社にいて、今とは真逆の仕事をしていたとか。。。

2年目になって農作業にも慣れてきて、ほんとに楽しそうだ。

 

チャルジョウ農場からもう一人。

写真の学校を出たが、長野の祖父母が守ってきた畑を残したいと、

有機の修行にやってきたという牛山沙織さん。

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「小川さんは、植物の力を信じている。 人はその環境を整えてやるのだといいます。

 小川さんの考えからいっぱい学んで、長野に帰って有機でセロリを作りたいです。」

彼女たちには、農業への偏見がない。

牛山さんは、お爺ちゃん・お婆ちゃんが一所懸命畑を耕していた姿に、

美しい被写体を見ている。

要は生き方だよなあ、と感じさせる。

 (オイラの背中は、だらしなく崩れてないだろうか・・・)

これから農業を本気でやるとなると、ただの希望ではすまなくなるけど、

それでもこの経験はゼッタイに損になることはない。

 

こんな彼らがつくった 「会津・山都の若者たちの野菜セット」 が

もうすぐ届けられる。 精一杯の気を込めて、送ってほしい。

この箱が、君たちが後輩につなげるたびに大きくなっていくことが、僕らの喜びだから。

途中で折れることなく、大事にしてほしい。

 

実践報告でも、若者たちのリレートークでも、

実際に少しでも貢献できているという実感を持てることは嬉しい。

素直に誇りたい。

 

次は二日目の現地視察。

山都の堰にチャルジョウ農場、そして熱塩小学校となるのだが、

このまま話を続けると、終わんなくなる可能性がある。

すみません、明日に回します。

 



2010年6月27日

有機農業が中山間地活性化の鍵となる、か?

 

ジェイラップさんのお荷物になって、新潟から福島県猪苗代に。

昨日の (株)大地を守る会の株主総会も、

今日の 「大地を守る会の稲作体験」 の草取りもパスして、

こちらでの集会に参加させていただく。

「日本有機農業学会」 公開フォーラム

 - 『有機農業を基軸とした中山間地活性化 -福島県会津地域の事例- 』 。

 

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中山間地は農業者の高齢化、後継者不足、耕作放棄地増大など、

多くの課題を抱えている。 

福島県会津地方において、有機農業を基軸として活性化を図っている事例から学ぶとともに、

今後の方向性について検討するフォーラム。

 

6/26(土)、一日目は2つの基調講演と5つの実践報告が行なわれた。

基調講演1-「農山村活性化のためにどのような視点が必要なのか」

演者は、宇都宮大学農学部の守友裕一さん。

中山間地対策に係わる施策の変化と課題について概括するとともに、

" 豊かさ "  という概念の捉え直しと、

地域が内発的に発展していくためのいくつかの視点が提出された。

 

基調講演2-「中山間地域と有機農業」

演者は、日本大学生物資源学部の高橋巌さん。

これまで調査に歩いてきたいくつかの事例から、有機農業が高齢者の生きがいを刺激し、

あるいは新規就農の動機となり、山間地の活性化に結びつく効果がある一方、

販路確保の問題、加工も含めた6次産業化の方向、都市に対する情報発信の大切さ

などが課題として語られた。

 

分析や課題抽出が中心なので、致し方ないことなのだけれども、

いまひとつ、ピリピリするような刺激がほしいところだ。

自分の意識が分析より新しい  " 仕掛け "  を志向しているからかもしれない。

 

次に実践報告。 ここから僕は、応援団だ。

トップバッターは、本ブログでも常連になった感のある浅見彰宏さん。

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千葉県出身。

東京の大学を出た後、4年間、鉄鋼メーカーに勤務。

95年に退職し、埼玉県小川町の金子美登さんのところで1年、有機農業の研修を受け、 

96年から山都町に移住した。

耕作できなくなった田んぼや畑を頼まれたりしながら増やしてきて、

現在は田んぼ1.5町歩 (150 a)、畑5反 (50 a) を耕すほか、

採卵鶏150羽を飼い、鶏肉ソーセージや味噌、醤油などの加工もやっている。

 

山間部の堰の清掃(堰さらい) に都会のボランティア受け入れを始めたのが2000年。

この活動によって集落全体による都市との交流が始まり、

11年目の今年は41名のボランティアが集まった。

僕は地元の人から、「浅見君には感謝している」 という言葉を何度も聞かされている。

 

浅見さんは冬になると、喜多方・大和川酒造で蔵人となる。

僕らは、大和川酒造での 「種蒔人」 の新酒完成を祝う交流会で出会い、

4年前から堰さらいに参加するようになり、

山都に足を踏み入れたことで、このあとに登場する小川光さんとの交流が生まれ、

山の中で働く研修生たちともつながったのだった。

 

2008年、浅見さんと研修生たちとで 「あいづ耕人会たべらんしょ」 が結成され、

彼らの野菜セットが大地を守る会に届けられるようになった。

この野菜セットは、山都に定住した人だけでなく、この地で学ぶ

就農意欲のある若者たちも含めて応援するというコンセプトであるゆえに、

人が変わっても継続される。 

いわば  " 就農へのプロセスを含めて支援する "  という特殊なアイテムであり、

僕らの山間地有機農業との付き合い方の姿勢も表現するものだ。

まだわずかな数だけど、限界集落とまで言われる山間地の維持を、

これから長く担うことになる彼らの  " 夢 "  をつなぐものだと思っている。

 

山間部は、少数の大規模専業農家で維持できるものではない。

自給的・小規模農家がたくさん存在してこそ、地域の環境や農地そして文化が守られる、

と浅見さんは考えている。 まったくそのとおりである。

そういう意味で有機農業は、中山間地の価値をよく表現できる思想であり技術である。

 

続いては、熱塩加納村(現在は町) のカリスマ、小林芳正さん。

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農協の営農指導者だった時代、1980年から村全体での有機米作りに取り組んだ。

僕らは、反農協の農協マンと呼んで注目した。

熱塩加納村は 「有機の里」 と呼ばれるようになり、地元より先に首都圏で評価を獲得した。

そして1998年から村内の学校給食に導入され、無農薬野菜の供給へと続く。

給食関係者や消費者団体の間で 「熱塩加納方式」 と注目を浴び、全国区の村となった。

 

画期的だったのは、2001年、それまで特例として認められていた自村産米の使用が

特例期間終了をもって廃止されようとした時の父兄の行動である。

県への請願や村の成人90%におよぶ署名活動も認められなかったのだが、

そこでPTAは臨時総会を開き、

「父兄負担がかさんでも、かけがいのない子どもたちに、

 村産の安心できる米を食べさせたい。 米飯給食の補助金がなくとも継続する 」

と満場一致で決議した。 

食においては自立した村であろう、という宣言である。

戦後日本の食の歴史に残しておいていいくらいの事件だと思うのだが。

 

2007年には構造改革特区の認可を受け、

喜多方市内3小学校に 「農業科」 が設置された。

熱塩小学校では、学校の周りの農家から、13a の畑と 6a の水田を借り受け、

小林さんの指導で野菜や米作りを学んでいる。

できた野菜はもちろん給食の食材として利用される。

食農教育の成果が見えてくるのはこれからである、とまとめたいところだが、違う。

鈴木卓校長によれば、「他の教科の学力も上がっています」 - のである。

 

余談ながら小林さんは、村が喜多方市と合併した際に、

喜多方市熱塩加納町という住所になったのが気に食わない。 

村を 「村」 として愛するがゆえにたたかってきた反骨の士としては、

いきなり 「町」 に変わってしまったことで、

自分の誇りが軽いものなってしまったような悔しさを覚えているようだった。

 

3番めの実践報告は、「会津学を通じた地域の再発見」 と題して、

「会津学研究会」 代表、昭和村の菅家博昭さんの報告があった。

子どもたちが、家に残る古い写真を題材に、

お爺ちゃんやお婆ちゃんから昔の暮らしを聞き取りして、残している。

地元の文化や自然・環境との関わりあいを再発見する地元学の取り組みである。

それにしてもご自身の住所に、「福島県  " 奥会津 "  大沼郡~」 と書くあたりに、

会津人の心奥が覗いている。

司馬遼太郎さんの 『街道をゆく -奥州白河・会津のみち- 』 にも、こんな一節があるね。

 

   「福島県人ですか」

   というと、

   「会津です」

   と答えた。 その誇りと屈折は、どこか大ドイツ統一以前のプロイセン王国に似ている。

   

さて、4番バッターは、小川光さんだ。 

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福島県の園芸試験場などの研究職員を辞して、山都に入り、

灌水設備も整えられない山間部で、ハウスを使った有機栽培技術を確立させた。

それを惜しげもなく若者たちに伝えることで、

環境保全と耕作放棄地の解消、そして山間地の活性化をはかろうとしている。

研修生には経営能力も身につけさせたいと、

一人13a 程度の農地を割り当てて、そこで収穫・販売したものは自身の収入になる、

という方式をとっている。 もちろん畑づくりやハウスづくり、苗作りなど

共同で行う作業をベースにしながらであり、これを小川さんは 「桜の結」 と名づけている。

 

しかし人の育成というのは生易しいものではない。

毎週木曜日には 「ゼミナール」 を開講し、農業の基礎を学んだり、

農家や鍛冶屋などの技術者を訪問して話を聞くといった機会をつくっている。

悩みも多々あるようで、

「作物を粗末に扱う者を見ると腹が立つ」

「道具や部品がしばしば紛失したり壊れたりする。 それはすべて私が買ったもので、

 無償援助の資材が粗末に扱われるのはODAと同じだ。 できれば本人に買わせたい」

「この方式は儲からない、という人に限って、その人のハウスには

 熟しすぎて割れたトマトが大量に成っていたりする」

などなどなどなど・・・・・

いやいや、額に♯を浮かばせた小川さんと呑気な研修生たちのやり取り風景が、

微笑ましく (失礼) 浮かんでくる。

そんな愚痴をこぼしつつも、小川さんが育てた研修生はすでに100人に達する。

小川さんの世話で山都に定住した数40世帯90人、地元で生まれた子供が22人!!

活性化の課題?  - この人を見よ、って感じか。 

 

こんな功績が認められ、小川さんは今年、歴史ある 「山崎農業研究所」 による

山崎記念農業賞」 を受賞された。

授賞理由-

「省力的で経費のかからない合理的な栽培技術の追求と中山間地への就農支援を

 結合させた小川さんの取り組みは、過疎化にあえぐ中山間地の農業・農村に

 希望を与えてくれるものといえる。 

 このことを高く評価し、第35回山崎記念農業賞の表彰対象に選定する。」

 

小川さんには晴天の霹靂のような連絡だったようだ。

何を隠そう、選考にあたっては、わたくしのブログも少し参考に供されたようで、

ちょっとプチ自慢したいところである。

山崎農業研究所の説明は、HPを見ていただくとして、

僕が研究所の存在を知り、関係者の方と知己を得たのは、

発行書籍 『自給再考 -グローバリゼーションの次は何か 』 を

偉そうに論評してしまってからである。

 

小川さんの授賞式は7月10日(土)にあり、

なんとお祝いのスピーチをしろ、という要請を受けてしまった。

オレなんかでいいのかと戸惑いつつ、

こちらにとってもありがたい栄誉なのだと思って、出かけることにしたい。

 

ちなみに、小川さんは第35回の受賞だが、

小林芳正さんは第8回 (1982年) の受賞者である。

他にも、敬愛する福岡の宇根豊さんが第11回(1985年)、

一昨年の第33回には野口種苗研究所の野口勲さんが、そしてなんと、

先だっての後継者会議レポートの最後に紹介した宮古島の地下水汚染対策で、

土着菌と地域資源を活用した有機質肥料を開発した宮古農林高校環境班が、

第28回(2003年) の受賞者に名を連ねている。

こういう団体の存在は、貴重だ。

 

 

ここんところ、ネタそれぞれに深みがあって、

どうも長くなりすぎてますね。 スミマセン。

今回も終われず、「有機農業を基軸とした中山間地~」 をもう一回、

続けさせていただきます。 

 



2010年6月20日

ダイアログカフェ & キャンドルナイト

 

沖縄レポートの途中だが、今日はキャンドルナイトの日。 

増上寺に行く前に、昼間、もう一つの集まりにも参加してきたので、

二つあわせて報告しておきたいと思う。

 

まずは午後1時から、青山学院大学で開かれた

「第2回 環境ダイオログカフェ ~食から考える生物多様性~ 」。

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昨年、米づくりと環境教育プログラムでお手伝いした 「NPO法人 たいようの会」 と、

青山学院大学小島ゼミの主催で開かれた。

小島ゼミとは、元環境省地球環境審議官の小島敏郎さん (現青山学院大教授) が

持っているゼミのことで、小島さんはたいようの会の専務理事でもある。

 

今年10月、「生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)」 が

名古屋で開催されるが、世間の関心はまだイマイチの感がある。

そこで学生から社会人までが一緒になって、

生物多様性を身近な 『食』 との関係から考えてみようということで召集がかかった。

 

大地を守る会もおつき合いのあるクリエイティブ・ディレクター、マエキタミヤコさんを

コーディネーターとして、ダイアログカフェという手法で進められる。

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写真前のテーブルの左にいるのが小島敏郎さん。

 

ダイアログカフェとは、まず立場や年齢や文化の異なる人たちが

小さなテーブルに分かれ、それぞれで意見を交わし、アイディアを出し合いながら、

そのテーブルでの合意を導き、ひとつの文章にまとめる。

スローガン的なコピーではなく、具体的で主語述語の整った文章にする。

次に最後に全体で討論しながら出された文章を加筆したり削除したり

別々のものをくっつけたりしながら、

会議全体の総意としてまとめ上げてゆく、というもの。

民主的な合意形成の方法として、昨今は国際会議でも採用されているようである。

 

今回の討議テーマは、次のように設定された。

「食」 に対しては、安心、安全、味、価格など多様な要求があるが、

それらの個人的な要求と 「生物多様性」 を共存させるための具体的提言をまとめてみよう。

 


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出された意見は、

できるだけ国産のものを食べる(自給率の向上)、地産地消の推進、

ゴミを出さない、メディアやネットを活用して多くの人に伝える、などなど

特段目新しいものはなかったが、討議の結果を全体の提言として文章にまとめる、

という作業の行程が面白い。

「もっと具体的に」 とか、「それで目的がどう達成できるのか」 と

キャッチボールが繰り返されているうちに、それなりの提言にまとまっていくのだ。

学生たちから 「(安全・安心や生物多様性保全のために) 農家に補助金を出す」

といった提案がなされ、それに対して社会人から 「安易な補助金頼りはいかがなものか」

といった反応が出る。

なかには 「(食情報の乱れに対して) マスコミに規制をかける」 といった意見が出て、

批判を浴びる場面もあったりして。

 

テーブルでのセッションは2回に分かれ、出された提言は40を越えていたか。

時間切れで、結局最後のまとめまで進められなかったが、

食と生物多様性というテーマに学生たちが感じ取っているレベルが推し量られ、

それなりに楽しい刺激を受けた会議となった。

 

会議後の懇親会はパスして、増上寺に走る。

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けっこう集まってきている。

なにより雨でないのが嬉しい。

我々スタッフの感覚では、それだけで成功である。

 

到着後、ただちに会場警備を指示される。

トランシーバーを渡され、境内をウロウロする係。

所定外ののところでロウソクをつける人がいたら控えていただき、

後ろが込み合ってきたら前に詰めるようそれとなく誘導し、

トランシーバーからは 「アーティストの写真撮影は注意するように」 と指示が入り、

迷子のお子さんの連絡が入るとそれらしき女の子を捜し、

東に喧嘩あればツマラナイカラヤメロトイヒ・・・・・

 

ま、このイベントに来る参加者は基本的に行儀がいいので、

さほどの仕事はなかったのだが、さて皆さん満足していただけたかどうか。

会場関係で見きれなかった点、至らなかった点などあったら、ごめんなさい。

 

17時50分、明星学園の和太鼓でステージ開演。

田んぼスケープでコラボさせていただいている文化人類学者・竹村真一さんと

大地を守る会会長・藤田和芳のトークが行なわれる。 

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続いて、Yaeさん+カイ・ペティートさん(ギター)、Skoop On Somebody さん

のライブ。

 

20時を前に、東京タワー消灯のカウントダウン。

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10,9,8,7,6,5 ・・・

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4,3,2,1,ゼロッ !

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お見事。

 

あとはゆったりと、中孝介さんの歌声を聴きながら

それぞれの時間を、ロウソクの灯とともに、どうぞ。

 

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我々は静かに見回りつつ、

石段に落ちたロウを剥がしたりしながら片づけに入る。

22時過ぎ、解散。

やっぱビールでも飲まないと、となって・・・・

いつになっても、俺たちにスローな夜は許されない。 

 



2010年6月 3日

「だいち村」 -ちょっとやられた感も・・・

 

「(株)NTTデータだいち」 さんが開いた栃木県那須町の農場運営を

お手伝いすることになったという話をしてから、2ヶ月が経った。

まだ手探りながら栽培も始まっていて、

拠点となる事務所には看板も掲げられていた。

その名がなんと、「だいち村」 。

 

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そうくると思ってたよ。 もう、これしかないよね、というよな命名。

 


先日見せてもらった農地の一角にはハウスが建てられ、

また近隣の造成から出た黒土をもらって、盛られている。

赤土状態からの出発なので、ここはまだこれからである。

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土づくり、土壌診断から協力する。 それはそれで面白い。

 

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新たに2枚のほ場が追加された。 

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じゃが芋が植えられている。

「今年はすべて勉強です」 と実直な若いスタッフ、儘田くんは語る。

好青年だ。

 

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栽培管理の体系づくりは、自分たちの思想を語ることから始める、

という王道を、僕は 「NTTだいち」 さんに提案した。

農場の理念を謳い、それに沿った生産基準を策定し、生産行程管理規定を設計する。

規定に従って、日々の仕事管理までの帳票を整備する。

第3者監査に耐えうる仕組みづくりが一から始まっていて、

楽しいとも言えるが、「責任」 もだんだんと感じつつある。

 

僕の原理原則的な話とは別に、同行した農産チーム・市川職員が、

作付予定表を眺めながら、一芸を披露し始めた。

「たとえばね、イチゴの隣にニンニク、トウモロコシの隣に枝豆、

 バラバラのようで全部理に適ってるって感じで・・・」

「あそこのほ場は時間がかかるとしても、今年は麦とか緑肥を蒔いてみたら。

 それから今からハーブの苗を用意するといいね、ウン。 

 ●●●●●●××××△△~~、これでねぇ、女子の心をつかむんスよ。 ふっふ」

 

なかなか芸の細かいアドバイス。 さすが、である。 

しかしイチカワ自身はなんで女子のハートをつかめないんだろう。 不思議だ。

これは 「NTTだいち」 さんには伏せておきたい社外秘とする。

 

ま、こんな感じで、イメージを膨らませながら、

だいち村と大地を守る会のコラボレーションが進み始めている。

障がい者 (という言い方も何か抵抗があるな) と一緒にどんな農場がつくれるか、

これは俺たちにとっても実に幸運なトレーニングの機会だと思う。

 

IT企業はストレスも多くて、社員の人たちがリフレッシュできる

園芸療法などもプログラムに組み入れたいと 「NTTだいち」 さんは考えているようだ。

 

農が人を救う。 社会はそんな時代を求め始めている。

では人を救う農の世界とはいかようなものだろうか。

 

現役のうちにここまで来れたことを幸せに思う。

ずっとアウトサイダーのままで、あるいはニッチ(隙間) とか言われながら

朽ちるんだろうと思っていたからなぁ。

 

いや、世の中がそれだけピンチになっているんだ、きっと。

 



2010年5月22日

生物多様性農業支援センター総会

 

今年は国際生物多様性年。 10月には名古屋で国際会議(COP10) も開かれる。

そして今日は、国連が定めた 「生物多様性の日」 である。

 

当方としては、わが 「稲作体験2010」 田植えの前日ということもあって、

本来はその準備のために現地(千葉・山武) に入るのだが、

今回は若手職員たちによる実行委員会にお任せして、

NPO法人「生物多様性農業支援センター」(略称:BASC、バスク) の総会に出かける。

場所はなんと高尾。 町田市相原の山の中にあるJA教育センター。

 

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設立されてから丸2年が経った。

その間、田んぼの生きもの調査の全国的な展開やインストラクターの養成、

映画 『田んぼ』 の制作、シンポジウムや国際会議の開催などに取り組んできた。

その活動内容を確認するとともに、今期の活動方針・予算などを審議する。

総会というと、通常なら議案の提案(読み上げ) と多少の質疑で終了したりするものだが、

昨年度の決算状況が芳しくなかったこともあって、

今期の方針と予算見込みの実現性について、また執行部の運営体制について、

ずいぶん厳しい声も上がって紛糾したのだった。

 


なにしろこのNPO、JA全農という大御所から生協、環境保護団体などなど、

そうそうたる団体の代表が理事に名を連ねて設立された

重量級の特定非営利活動法人である。

大地を守る会からも藤田会長が理事になっている (僕はいつも代理での出席)。

それだけに運営に甘いところがあると、実に手厳しい。

 

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なんとか議案がすべて承認され、緑豊かなJAの研修施設をあとにして、

夕方から何名かで高尾駅前の居酒屋で一杯やる。

 

NPOの運営というのは難しいものだ。

田んぼの生き物調査を実施するにも経費がかかる。

しかしそれで収益を上げようとすると農家もなかなかついてこない。

そもそも全国どこでも手軽に実践できるようにと、

指導者を養成する講習会なども開いてきたのだ。

 

田んぼの生き物調査のナショナルセンターをつくろう、

という理念は良しとして、その運営の自立に向けては、まだまだ課題が山積している。

「大地さんも、もっと働いてよね」 -原耕造理事長のセリフが重たい。

 

帰りの電車では、福岡から毎回理事会に出てこられている宇根豊さんと

二人だけになって、ほろ酔いでお喋りしながら帰ってくる。

「市民による民間型環境支払い」 を応援する 「田んぼ市民」 なる制度も立ち上げ、

おいそれと引けないね、とか何とかかんとか。

宇根さんも、今年が正念場だと感じている。

しかし、みんなそれぞれに自分のところで手いっぱいな面もあって、

どうしても執行部に任せてしまうところがある。 いや、なかなかに難しい。 

 

稲作体験のスタッフに電話を入れると、

準備は順調にはかどって、

何人かが事務所に戻って参加者全員に電話掛けをしている、とのこと。

天候が悪いと不安になって問い合わせてくる方が多いので、

先に 「明日は、雨でもやります」 という連絡を入れようということになったようだ。

今年の稲作体験は、応募者78世帯240名。

抽選で約160名まで絞らせていただいたが、それでもけっこうな件数だ。

まあ、よく判断して動いてくれていると思う。

こうして僕の出番はだんだんとなくなってゆくんだよね。

 

明日、何とか小雨ですみますように。

 



2010年5月 6日

堰が人をつないでいる

 

さて、堰浚いを終えて、夜の 「里山交流会」 までの時間を使って、

チャルジョウ農場 を訪ねる。

 

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元は福島県農業試験場の指導者だった小川光さんが、

中央アジア乾燥地帯での農業指導を経て、

山都町に入植して自ら有機農業の実践に入った。

そして彼独自の技術と理論によって、東北の雪深い山間地の潅水設備もない環境で、

ハウス施設を使っての無農薬栽培の技術を確立させたのだ。

以来、たくさんの若い研修生を育てては、就農の斡旋まで引き受けている。

 

堰浚いボランティアの呼びかけ人である浅見彰宏さんも

小川さんの世話で当地に入植した一人である。

農場の名前は、小川さんが惚れたトルクメニスタン国・チャルジョウの町名に由来する。

 

この日、光さんは新しく借りてほしいという西会津町の畑を見に行って留守だった。

耕作放棄という言葉を許すことができない、一直線の農業指導者なのだ。

" 山都町の空き家情報を最もよく知る人 "  とも言われる。

 

一昨年から小川さんとこの農場の研修生たちの作った野菜をセットにして販売している。

研修生たちが名づけたグループ名は 「あいづ耕人会たべらんしょ」 という。

 

堰浚いに参加された当会の会員の方と、

埼玉県小川町の金子美登さんの農場で研修された二人の若者もお連れする。

実は小川光さんのご長男、未明(みはる) さんも

金子さんの 「霜里農場」 で勉強した経験を持っている。 

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なかなかイイ男だと思うのだが、いかがでしょうか。 

独身です。

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この日はやや遅れ気味であったミニトマトの定植作業に追われていた。

今年、小川さんが引き受けた研修生は10人。

堰浚いにも何人か参加してくれた。

 

楽しそうに、農作業にいそしんでいる。

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農作業は楽しいと、彼らは一様に言う。

しかし、それで生活するとなると、途端に厳しいものになる。

佐賀の農民作家・山下惣一さんのセリフが思い出される。

「農作業は楽しい。 しかし  " 農業 "  となると一転して腹が立つ。」

 

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この農場で育てるミニトマトの品種は 「紅涙(こうるい)」 という。

光さんが育ててきたオリジナル品種。 

水がやれないため逆に味が濃縮される。 酸味もしっかりあって実に美味い。

今年は 「たべらんしょ」 の野菜セットの他に、

庄右衛門インゲンなどが 「とくたろうさん」 で取り扱える手はずになっている。

 

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若者たちの息吹が、そう遠くない将来、

この山間地の環境と暮らしを支える担い手になることだろう。

彼らを応援することで、この国は豊かになる、と僕は思っている。 

 

温泉に入って、公民館に戻る。

夜の 「里山交流会」 の開催。 テーブルには山菜料理が所狭しと並べられる。

里山の自然の恵み一覧のようだ。

心地よい疲れもあって、皆早く 「乾杯!」 といきたいところなのだが、

今年はその前にお勉強会の時間が設けられた。 

せっかくの機会をただの飲み会にするんじゃなく、

堰の大切さや農業のことなども学んで意見交換の場にしたい、

というのが浅見さんのねらいである。

それはまことに結構なのだが、その一番バッターに指名された者は可哀想だ。

浅見さんから出された宿題は、「食と農と堰のかかわりについて」。

しかもお酒を前にしての講演なんで、30分くらいで- だと。

 

みんなの視線が厳しいなあ、と感じながら話をさせていただく。

僕なりに考えた堰の価値と、将来にわたる大切な役割について。

地球規模で進んでいる生物多様性と水の危機という視点を盛り込んで考えてみた。

 

堰自体はその地域の方々のものだけれど、自然環境と水を巧みに生かしながら

食と農を支えてきた水路は、貴重な国民的資産でもある。

それはとても税金で賄えるものではない。

ボランティアはよそ者だけれど、未来の食と環境と、その土台技術を守る仲間として、

この堰が人を呼び、つないでいるとも言えるのではないだろうか。

 

堰を守ることは根っこのところでは食糧安保の問題でもある、

とまとめたかったのだが、時間が気になって言い忘れてしまった。

実にプレッシャーのきつい講演だったよ、浅見さん。

 

多くの方に褒めてはいただいたものの、出来のほどは自分では分からない。

あとはひたすら飲み、たらふく山菜料理を味わい、語り合い、

深夜まで至福の時を過ごさせていただいた次第。

カンパで持参した 「種蒔人」 は、瞬時に空いてしまった。

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翌日、小川未明さんから連絡あり、後のほうの記憶がない、とのこと。

「何か失礼なこと言いませんでしたか?」

もったいないことに、当方も、ただただ楽しかった、という残像のみである。

 

小川光・未明父子や若い研修生たちとの出会いも、堰がくれたものだ。

自然は折り合いさえつければ、たくさんの恵みを与えてくれる。 しかも無償で。

腰は痛いけど。

 



2010年5月 5日

堰さらいは大人の環境教育?

 

ゴールデンウィークはマジに会津詣が恒例となってしまった。

 

5月3日、我々 「大地を守る会の 堰さらい ボランティア班」 は、

渋滞にはまったり迂回したりしながら、

夕刻前には福島県喜多方市山都町早稲谷地区に到着した。

4回目にして出迎えてくれたのは、満開の桜である。

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4月の寒さで、稲の苗の生育もだいぶ遅れ気味とのこと。

短い春に、ハチたちもせっせと働いている。

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まずはゆっくりと温泉に入って、夜は公民館で、

地元の方や集まったボランティアの方々と 「前夜祭」(という名の飲み会) を楽しむ。

今年はボランティアがさらに増えて、40名を超えた。

大地を守る会からも去年より一人増えて、5名 (+子供一人) の参加である。

しかしその一方で、地元では2軒の農家が耕作をやめたとのこと。 

堰の維持は今ではボランティアの力にかかっている、とまで言われるようになった。

「本当にありがたい」 と地元の方々に感謝されたりする。

しかし、この水路を地域の協働で営々と支えてきた歴史に感謝すべきは誰なのか、

堰さらいに参加する人たちは知っている。

 


4日朝、みんなで作った朝ごはんを済ませて、

7時半から 「総人足」 (全戸総出での清掃作業を地元の人はこう呼ぶ) 開始。

総延長6キロに及ぶ 「本木上堰 (もときじょうせき)」 を、

上流の早稲谷の取水口から下っていく班と、

下流の本木集落から上がっていく班に分かれる。

作業は両班が出会うまで終われない。

 

僕は今年は早稲谷班に配属される。

下の写真の右手が、早稲谷川から水を引く取水口。

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ここから堰に溜まった土砂や落ち葉を浚(さら) っていく。

 

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最初は楽しく会話しながら、それが段々と沈黙の作業に変わっていく。

実は前々日から、またしても腰痛をぶり返してしまった私。

立ったり座ったりがひどく辛いのだが、意地もあって必死で作業する。

時々フォークを杖代わりにして、、、

運動会の前になると熱を出す子供みたい、とからかわれたりしながら。。。

 

ま、そんなダメおやじの体たらくにかまうことなく、

ひたすら浚う、浚う、のボランティア諸君。 

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浚う、浚う、浚う。。。

 

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 たまさかの休憩時間。

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時折は山野の植物を愛でたりもする。

カタクリの花、発見。

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しかし・・・くそッ、ピントが合ってないぞ。

 

午後2時過ぎくらいだったか、ようやく合流。

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お疲れ様、でした。

これで今年も水がしっかりつながります。

 

見てお分かりいただけるだろうか。

この堰には傾斜がほとんどない。

尾根筋に沿って掘られた水路はゆっくりと水を集め、温ませながら里に下りてゆく。

しかも素掘りのままの形が残っている。

掘ったのは江戸時代中期、会津藩の命により寛保7年 (1747年) に完成した。

地形と水の原理を操った土木技術は驚嘆に値する。

以来260年余、部分的に少しずつU字溝などで補修されながら、生き続けてきた。

 

5月10日にもなれば、この棚田にも水が入ることになる。

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この風景すべてを、堰が支えてきたのだ。

 

公民館前の広場で、お疲れ様会。

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例によってサバの水煮缶とお豆腐、そして豚汁に麦酒が振る舞われる。

連れの職員Sは会津若松出身で、今もサバ缶は常備品だと言って、

自分の分も上げると、すかさず受け取る。

ま、こいつが一緒に来てくれる限りは運転を任せられるから、安いものだ。

 

夜にも地元の方々との 「里山交流会」 が予定されていて、

僕は宴席の前に講演を依頼されていたこともあって、麦酒は控えめにして、

合い間を縫って、別集落にある小川光さんの 「チャルジョウ農場」 を訪ねることにした。

 

というところで疲れてきたので、この話、明日に続けます。

腰が痛いよ、本格的に。。。。。

 



2010年4月25日

アースデイ・ちば

 

4月22日はアース・デイ、「地球の日」。

地球の環境を守ろうよ、そんな気持ちをみんなで表現する一日。

40年前にアメリカ・ウィスコンシン州の上院議員の提唱から始まった

このムーヴメントが日本に上陸したのは88年頃だったか。

今では175ヶ国、5億人が参加する一大イベントになっている。

 

先週(4/17~18日)、東京・代々木で開催されたアースデイ東京には、

約13万5千人の参加があったとのこと。

大地を守る会も出店したが、当方は三番瀬でのアオサ回収もあって出られなかった。

 

一週間後の今日、千葉でも開催されたので、駆け足ながら覗いてみた。

会場は千葉市美浜区、「幕張海浜公園」。

京葉線・海浜幕張駅から南に15分ほど歩けば突き当たる。

我が本社からも歩いて行ける範囲にある公園だ。

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海浜公園の先にある幕張の浜。

海浜幕張の街自体が埋立地だから、ここは昔の遠浅の海だったところになる。

 

では、「アースデイ ちば 2010」 の様子です。

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このところの天候が嘘のような、暖かい祭り日和になった。

 

餅つきは自然の恵みを祝う際の定番か。 日本人のDNAが騒ぐ。 

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フリースペースでは、ダンスの講習(?) でしょうか。 みんなで楽しく踊っている。

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大地を守る会も出店しました。 

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今回は、専門委員会の 「おさかな喰楽部」 と 「原発とめよう会」 が中心になって

準備にあたってくれた。

東京湾アオサ・プロジェクトや宅配のPRも。


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ブースを訪ねてくれた方にいろいろ説明する農産チーム、秋元浩治 (写真左)。

風土に根づいた種を守る企画 「とくたろうさん」 を担当している。

なんか・・・熱っぽく語ってるねぇ。。。

 

海産物や加工品、せっけんの販売も行なう。

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こちらはミニ・コンサート。 子どもたちが飛び跳ねている。

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おや、お久しぶり。  「オリジナルTシャツ 亀吉」 の小畑麻夫さん。 

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アパレル会社の役員を辞して、2003年、夫婦で千葉県いすみ市に移住した。

米と野菜を作りながら、地域の人たちともつながって、

移住希望者のための情報発信などに取り組んでいる。

彼が制作した 「おコメのTシャツ」 は、大地内でもファンが多い。

彼が着ている新作が気に入って、1枚購入。

これでコメのTシャツは3枚目だ。

 

小畑さんから、いすみへの移住希望者向けのガイドブックを頂戴する。

いろんな分野から移ってきた人たちの、生き生きした暮らしぶりが紹介されている。

魅力ある地域づくりは、伝統や地域文化への敬意と新しいセンスによる創造との融合によって

進化していくんだね。

 

向こうに見える建物は、千葉マリーンスタジアム。

タイガース・ファンには悪夢の球場である。

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出店者ものんびりと、自分のペースでイベントを楽しんでいる。

 

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「アースデイ ちば」 は今年で9回目になる。

規模は代々木公園ほどでなくても、全国各地で開催されるようになって、

それぞれに人や団体のつながりができてきているようだ。

 

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ただちょっと物足りなかったのは、なんだろう。

トーンが全体的にヒップな印象で、広がりがもう少しという感じが残った。

しかし、これまで続けてきた人たちに、初参加でそんなことを言う資格はないか。

あんたも眺めるだけじゃなく、もっと伝えていってよ、ということだね。

 

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菜の花だって本来は、観賞してもらうためじゃなく、

種 (次世代) を残すために咲いているわけだし。

 



2010年4月23日

田植えを前に、水路を清める

 

桜は散ってもなかなか春の実感が涌いてこないのだけど、

それでも新学期に入ってゴールデン・ウィークの声が聞こえてくると、僕にとっては、

会津の山あいを縫って水を運ぶ、あの堰(せき) の清掃日が近づいてきたことを意味する。

 

福島県喜多方市山都町の本木・早稲谷地区で、毎年5月4日に行なわれる

本木上堰の清掃作業、通称 「堰浚(さら) い」。

地元では全戸総出で行なわれるため、「春の総人足」 とも呼ばれている。

 

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参加するようになって、もう4回目のGWを迎える。

主催は 「本木・早稲谷 堰と里山を守る会」。

事務局の浅見彰宏さんからの案内を転載することで紹介に代えたい。

 


  喜多方市山都町本木および早稲谷地区は、

  町の中心部から北に位置する併せて100軒足らずの小さな集落です。

  周囲は飯豊連邦前衛の山々に囲まれ、

  深い広葉樹の森の中に民家や田畑が点在する静かなところです。

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  そんな山村に広がる美しい田園風景には一つの秘密があります。

  それは田んぼに水を供給する水路の存在です。

  水路があるからこそ、急峻な地形の中、川沿いだけでなく山の上部にまで田んぼが拓かれ、

  田畑と森と民家が調和した風景が作られているのです。

  その水路は 「本木上堰」(もときうわぜき) と呼ばれています。

  早稲谷地区を流れる早稲谷川上流部から取水し、右岸の山中をへつりながら

  下流の本木地区大谷地まで延々6キロあまり続きます。

 

  水路の開設は江戸時代中期にまで遡り、そのほとんどは当時の形、

  すなわち素掘りのままの歴史ある水路です。

  深い森の中を済んだ水がさらさらと流れる様を目の当たりにすると、

  先人の稲作への情熱が伝わってきます。

 

  しかし農業後継者不足や高齢化の波がここにも押し寄せ、人海戦術に頼らざるを得ない

  この山間の水路の維持がいよいよ困難な状況となってきました。

  水路が放棄された時、両地区のほとんどの田んぼは耕作不可能となり、

  美しい風景も一挙に失われてしまうでしょう。

 

  そこでもっとも重労働である春の総人足のお手伝いをしてくれる方を募集しております。

  皆さん! 先人の熱き想いとたゆまぬ努力が築き上げたこの素晴らしき生活遺産を、

  そして山村の美しき田園風景を後世に引き継ぐため、ぜひご協力ください。 

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作業日は5月4日ですが、早朝から開始するため、前日には現地に集合していただきます。

宿泊は公民館か山荘になります (現地の方にお任せ)。

3日の夜は前夜祭、4日の夕方には交流会が用意されています。

費用は、現地(JR磐越西線・山都駅) までの交通費、宿泊の集会所使用料実費分のみです。

作業着・着替え、軍手、長靴、雨具、洗面具をご用意ください。

 

もうGWの計画を立てられている方が多いかと思いますが、

もしまだ予定がなく、興味を持たれた方がおられましたら、どうぞお問い合わせください。

「堰と里山を守る会」 では会員も募集中です。

堰さらいボランティアに参加できない方で、ご支援いただける方はぜひ。

(メール・アドレスをつけてコメント投稿していただければ、お返事を差し上げます。)

 

大地を守る会の専門委員会 「米プロジェクト21」 では、

「種蒔人基金」 を活用して、この堰さらいボランティアに協力しています。

参考までに、過去の日記を貼り付けますので、読んでいただけると嬉しいです。

 ・2009年5月 5日・・・「 堰(せき) -水源を守る

 ・2008年5月 6日・・・「 水路は未来への財産だ!

 ・2007年7月10日・・・「 日本列島の血脈 」

 

さらに今年は、喜多方市の市民グループにも支援の輪が広がって、

福島県からもわずかながら助成が下りたとのこと。

そこで交流会でも、真面目なお勉強の時間を設けるとのことで、

なんと僕に、食と農と堰の関わりについて話をしろとのお沙汰である。

腰だけでなく、気まで重たくなっちゃったりして。

ご恩返しになれば幸いであるが・・・

 



2010年4月 2日

農政はともかく、農は国の礎である。

 

4月1日午後、久しぶりに東京・霞ヶ関に出向く。

桜がもう満開に近い。

国会議事堂周辺の桜はいつも早くて短いように思うのは、気のせいかしら。

 

警備員に守られた議事堂を横目に、お隣の由緒ある 「憲政記念館」 に入る。

ここで、『 「農」を礎に日本を創る国民会議 設立総会 』 という集会が開かれた。

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「 農を礎 (いしずえ) に、日本を創る、国民会議 」

いかにも硬く、まるで右翼のようなタイトルだが、

「農」 を国民生活を守る大本として育て直さなければならないという強い問題意識での

「国民会議」 結成の呼びかけである。 ケチをつけるのは控えておこう。

大地を守る会会長・藤田和芳も、呼びかけ人の一人として名を連ねているし。

中心となった団体は、NPO法人ふるさと回帰支援センター、全国農業協同組合中央会

パルシステム生協連合会、生活クラブ生協連合会、そして大地を守る会。

 

「農」 は国の基(もとい)。

「農」 が生む 「食」 なくして国民の命の存続はない。

「農」 は国民の 「礎」 である。

 

気候変動や新興経済諸国の台頭によって、世界の食糧需給が逼迫してきているなかで、

日本は未だ食糧危機に極めて弱い状況にある。

にもかかわらず農業人口の減少と高齢化、耕作面積の縮小に歯止めがかからず、

市場原理主義の拡大と世界的不況は、農業経営をさらに悪化させている。

国の基である 「農」 を再生させ、日本の 「食」 を安定的に確保するために、

農業・農村を元気にすることが必要であり、市場原理主義と規制緩和を見直し、

食料自給率の向上をはかるとともに、

食料安全保障を国家戦略として明確に位置づけることが必要不可欠である。

                                  (「国民会議」設立趣旨から要約)

 

赤松広隆農林水産大臣が来賓として来られ、賛同のエールが贈られた。

設立趣旨や規約、活動方針案が提案され、承認を受ける。

活動方針案を読み上げる藤田会長。

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主な活動計画は、

1.食料安全保障政策を立案し提案すること。

2.それを社会のコンセンサスとするため、

  各界への働きかけやシンポジウムの開催等を展開する。

3.生産、流通、消費の各分野に 「国民会議」 への参加を呼びかける。

4.情報発信、メディア対策、出版の検討、など。

 

役員の選出では、

早稲田大学副総長の堀口健治氏はじめ6名の役員が選任された。

大地を守る会からは野田克己専務理事が入る。

役員会から委嘱の形で5名の顧問が選出され、藤田が常任顧問となる。

 

総会終了後、

首都大学東京(旧東京都立大学) 教授、宮台真司氏による記念講演が行なわれた。

テーマは、「日本の農業と食料安全保障 ~若者にとっての農村回帰の意味」。

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宮台真司氏。 サブカルチャーや若者文化論から天皇制まで語る気鋭の社会学者。

メディアにもよく登場し、著書も多い方である。

 

宮台氏は語る。

「農業の再生」 と言うが、社会はつまみ食いができない、ということを忘れてはならない。

「農業」 だけを切り取って 「再生」 するのは不可能で、

社会の様々な側面も同時に変えていかなければならない。

先進国最低水準の食料自給率は社会指標のひとつであるが、

他にも自殺率の高さ、労働時間の多さ(=社会参加の低さ)、

家族のきずな度、幸福度などの指標も、日本はかなりの低水準である。

幸福度調査では日本は90位以下。 

物質的に貧しい、将来的に危ない、といわれる国の人たちのほうが、

日本人より、シアワセ感が高いとはどういうことか。

この国の社会には大穴が開いている。

 

農業を保全しなければならない理由は3つだと思う。

国家の安全保障と、国民への  " 食の安全 "  の確保、そして国土保全、である。

日本では安全保障の概念が理解されておらず、

危機に対する思考を持った政策をつくれる人がいない。

食の安全の観点も、ただ有機栽培とか無農薬といったレベルで考えるのでなく、

食の安全思想の基本は、「みんなのために-」 というモチベーションではないだろうか。

ヨーロッパのスローフード運動には、共同体思想が根幹にある。

国土保全とは、単なる景観でも多面的機能とかでもなく、

社会のホームベース (人が帰れる空間) を分厚くする、ということだ。

日本は経済(お金) だけを追い求めてきた結果、

人や地域との絆、つまりホームベースを壊して、ただ便利なところに流れている。

 

アメリカだって、本当は市場原理主義の国ではない。

共同体的自己決定の思想と市場原理をどう折り合いつけていくかを考えているのが、

アメリカやヨーロッパである。

日本は市場原理主義こそが権威と勘違いして、生き残れるはずの思想を失った。

日本農業の再生の真の意味は、自給率や食の安全や就業人口を増やすことなどが

個々に課題としてあるのではなく、

" つながり・絆 "  をベースにした安心度の高い社会の再生、にあるのではないか。

 

僕流に解釈してしまったところもあるかもしれない、と断りつつも、

随所で、なるほど、そういうことか、と感じさせられた。 さすが、である。

 

「では、どうしたらいいのか」 という会場からの質問に対する宮台氏の答えは、

「単純な解はない」 と明快である。

まあ、これは俺たちが可視化していくしかない、ってことだね。

 

今日、地方紙の新聞記者さんが、

4月1日からスタートした戸別所得保障制度についての考えを聞きたい、と取材に訪れた。

この制度については、僕は一切のコメントを控えてきた。

「農業の再生」 という観点からはマイナスにしか見えない、と思いつつも

今後の動きが読めないし、とにかくよう分からんところがあり過ぎるのだ。

今日は宮台氏から頂いた視点をちょこちょこと拝借し、はぐらかしながら、

最後は持論で締めさせていただいた。

農業の外部経済 (生産された食べ物の値段以外のたくさんの価値) を理解できる

民意づくりこそが大切であり、そのための政策が必要である。

食の安全保障は、農民の所得を保証する前に、消費者の問題だからである。

 



2010年3月14日

農はいつもそこに・・・「農と自然の研究所」 解散

 

昨日は朝から春嵐の一日。

御茶ノ水から本郷に向かう聖橋の上で、

僕は思わず、懐かしいアリスの歌の一節を口ずさんだのだった。

 

  春の嵐が吹く前に 暖かい風が吹く前に

  重いコートを脱ぎ捨てなければ 歩けないような そんな気がして

 

なんて曲だったっけ・・・・・

 

出かけたのは、先日も報告した宇根豊さんが代表理事を務める

「農と自然の研究所」 の解散総会に出席するためだった。 

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「農と自然の研究所」 という団体があった・・・・

こんなにすぐに過去形で言われると・・ つらくなる。

 

会場は、本郷・東京ガーデンパレス。 最後の総会とあって、ちょっと気張ったか。 

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宇根豊さんについては、もういろいろと書いてきたので、いいよね。

僕にとっては、常に道しるべのように前を歩いてくれた人だ。

 

最後の総会の記念講演は、この人。

農民作家、山下惣一。 

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この人に最初に会ったのは、20年くらい前の (もう正確に思い出せない)、

九州・長崎での 「百姓一揆の会」 だったか。

言うことはやはり常人と違うところがあったが、飲めばただのオッサンだった。

 

今も変わらず、毒舌は衰えてない。

宇根さんと歩んできた時間を面白おかしく振り返りながら、

「宇根豊をこの時代に輩出したことのシアワセ」 は、山下さんも感じていることだった。

 


    農薬を撒けという指導は机の上でも出来るが、農薬を撒くなという指導は

    田んぼを見なければ出来ない。

    宇根豊が出てくるまで、こんなことを言う普及員はいなかった。

 

    息子が農薬を撒かんのですよ。 聞いたら 「虫がおらんから」 という。

    そんなこたあないだろう、と虫見版で確かめたら、ホンマにおらんとですよ。

  いかに上からの指導がおかしかったか・・・

   

  生産から消費までの間には様々な行程があって、昔はそれらがみんな

  農業の中にあった。種を採ることから肥料も農薬に相当する作業も、食品加工も・・・

  それがそれぞれ産業になって、いつの間にか生産だけが取り残された。

 

  百姓仕事の復権に、宇根はたしかな仕事をしてくれた。

  時代は少し、彼によって動いたように思う。

 

虫身板に続くヒット作となった、「田んぼと生きもの」 下敷き。

そのポスターを前に語る宇根豊。

こんなクソ忙しい、食も何もかもグローバル化した時代に、

「おたまじゃくし ● 匹と一緒に育つ稲株 ● 株=ごはん ● 杯」 

という計算をした人がいたのだ。

 

今日の宇根さんは作務衣ではなくて、ブレザーだった。

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こんなに生きもの(=自然という世界) と百姓仕事のつながりに執着して

思索した人はいない。

僕らが、今で言う 「生物多様性を育む農業」 の世界を、もっと豊かに語りたい

という情熱を持てたのも、彼の存在があったからだ。

 

総会後の懇親会で、一枚頂く。

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僕の前に座っているのは、大地を守る会の産地監査でお世話になっている

(有)リーファース代表の水野葉子さん。

宇根さんの右隣の方は、静岡でお米を作っているという方。 

 

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「農」 はいつも、そこに、あたり前にあった。 今もあるのだ。

しかし・・・ 「近代化」 とは何だったのだろう。

「まなざし」 を失った環境論は、おかしい。

「食べもの」 とは紛れもなく自然の恵みなのに・・・・・

 

百姓は 「儲かる農業」 を目指してしまったがゆえに、産業に敗北してきたように思う。

「カネにならない百姓仕事」 が風景を育ててきたことに、少しは光を当てられたように思う。

 

20数年の思いを伝えたくて、手を挙げてしまう。 

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                       (写真提供:山崎農業研究所・田口均さんより)

虫見版

 - それは百姓に向かって 「自分で見て、考えろ」 と発している

   メッセージのように思えて、僕はただ物真似をしました。

ただの虫

 - この概念をもらったことで、今まで見えなかった虫の姿が見えてきた。

   本当に見えてきたのですよ、こんな僕にも。 

   「まなざし」 という言葉の意味を、少しは捉えたように思ったことがあります。

ただの虫を無視しない農業

 - 生物多様性という視点よりも何よりも、僕はここでようやく、

   有機農業と平和の思想をつなげることが出来たのです。

そして、風景論へ。 まだまだ付き合わせていただきたい。

 

20代後半から秘かに学ばせていただき、手前勝手に 「情念」 を共有させていただき、

ようやく僕は、「田んぼスケープ」 まで到達した。

これが今の、僕なりの風景論への挑戦である。

 

宇根豊が終わるとも、枯れるとも思ってないので、

いったん野に放たれる宇根さんに、感謝とともに乾杯を。

 「10年で終える」 を貫徹した、見事な仕事っぷりだと思う。

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新しい春を告げる風を受けながら、

僕は僕の10年を貫徹したい、と思う。

 



2010年3月12日

丸の内地球環境倶楽部

 

いま、東京のど真ん中で、食と環境の議論が繰り広げられている。

しかも、かなり魅力的な人たちが集まって、

本気でこの街を変えていこうと、いろんな試行が始まっている。

エリアは大手町・丸の内・有楽町で、総称して大丸有 (だいまるゆう) という。

そのエリア内の地権者や店舗経営者、シェフたちが集まって、

「安全・安心を基本にした食の提供」 「環境と調和した食スタイルの提案」

「持続可能な街づくり」 「自給率の向上への貢献」 などのテーマに対して、

具体的にどう切り込んでいくかの議論が進んでいるのである。

 

そのネットワークと場づくりを提供しているのが、「丸の内地球環境倶楽部」 。

前にも紹介したエコッツェリアを拠点に展開されている。

 

「地球環境倶楽部」 自体は、食に関する活動だけでなく、

広く都市社会をどう持続可能なものにするか、

人々の感性を豊かに育てられる街のあり方はどうあるべきかという視点で、

いろんなイベントやセミナーを開催してきている。

食についても、すでに 「食育丸の内」 とか 「丸の内丸シェフズクラブ」 と銘打って、

レストランのシェフたちが連携して、生産者とつながって国産食材の大切さを訴えるなど

の活動を行なってきているのだが、

いよいよもって、これを本格的な都市の取り組みとして進めるための

ワーキング・グループがつくられ、

今日はその2回目のトークセッションが開かれた、という経過である。

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実は1回目のトークセッションが開かれたのが2月12日で、

僕はパネリストとして、有機農業と環境や生物多様性との関係について

話をさせていただく機会をもらった。 

また昨年の暮れには、この展開の基本コンセプトづくりの打ち合わせにも呼ばれていて、

そんな手前、このワーキング・グループにはきちんとお付き合いせねばならない、

と思い定めている。

 


1回目のテーマは、「都市が食と農に果たすべき役割ってナニ?」。

パネリストは、農林水産省大臣官房政策課長・末松広行さん、

東京農大准教授・上岡美保さん、そして私。

大丸有で、生産地や自給率向上に貢献できる仕組みができないか、

またこのエリアとして持つべき食の理念をどう築いていくかが、話された。

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(上記3枚の写真は1回目の様子。 ソニー・ミュージックコミュニケーションズの

 榎本洋子さんからご提供いただきました。)

 

そして今回の2回目のテーマは、「食と農の現場で、都市は何ができますか?」。

生産者とつながりながら 「サステナブルな食」 を築くには、

どんなアクションが必要なんだろう-。

パネリストは、新丸ビル内で生産者の顔が見える食材でレストランを運営する

「MUSMUS」オーナー・佐藤としひろさん、

千葉の農事組合法人「和郷園」代表・木内博一さん、

東京農大教授・長嶋孝行さん。

 

トークセッションでの論議は、まだイメージの域を出ないところもあるが、

これからだんだんと本論に入っていくことになるだろう。

パネリストの方々のお話も詳しく紹介したいが、書き出すと終われなくなるので、

今日のところは、東京駅周辺で、こんな動きが起きているという

" さわり " 程度の話で、お許し願いたい。 

 

何といっても、昼間の人口が24万人というビジネスセンター、

巨大な胃袋密集地が相手である。

どこからどんなふうに手をつけていくか、悩みつつも、

けっこうゾクゾクしていたりして。

 

ちなみに、「食育丸の内」 では現在、丸の内シェフズクラブのシェフ4名が

プロデュースした 「スペシャルシェフのまかないカレーライス」 というのが開催されている。

エスニック・イタリアン・フレンチ・中華のシェフが、

地元・東京野菜を使って考案したオリジナル・カレーの競演。 

場所は「丸の内カフェ ease 」。 3月26日まで。 

詳細はホームページにてご確認を。

 



2010年2月25日

宇根豊さんを囲んで

 

21日の日曜日の午後、エキュート大宮を覗いたあとで、

秋葉原にある日本農業新聞社という新聞社に出向いた。

ここの会議室で、「宇根さんを囲む会」 なる集まりが開かれたので、

遅まきながら報告しておきたい。

 

宇根豊さん。

このブログでも何度となく登場していただいている、" 農の情念 " を語る人。

長く農業指導にあたった公務員職を投げうって、10年限定の活動と定めて

NPO法人「農と自然の研究所」 を設立したのが2000年の時。

早いものでもう10年が経ってしまった。

 

3月の解散総会を前に、

宇根さんに触発されながら生きてきた人たち有志による、小さな集まりが企画された。

研究所の解散を惜しむ人はあまりいない。 これで宇根豊が枯れるワケじゃないから。

むしろこれからの宇根ワールドの展開を期待しつつ、

これまでの労をねぎらいたい人、感謝する人、注文をつけたい人、

農業団体の方、林業家、研究者、マスコミ人、出版人、市民団体のリーダーなどなど

各方面から約30名ばかりが集まった。

こういう会にお声かけいただくとは、光栄なことだ。

ここは女房に何と言われようが、出なければならない。

(別に何か言われたわけではないけれど、決意の程の表現として-)

 

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この日の宇根さんの話は、研究所10年の活動を振り返るようでいて、実は 

宇根さんが 「虫見板」 なる道具を使って害虫の観察を指導した頃からの、

30年で到達した地平と、まだ出ていない " 解答 " について、だった。

 

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「10年で、まあまあ布石は打てたか、と思う。

 生き物調査は、生物多様性農業支援センターに引き継がれたし。」

 

「さて、虫見版はどこまで深まったのだろうか。。。ということです。」

 

ここで宇根さんが描く次の地平を語る前に、

改めて宇根豊がいたことによって開眼された世界を振り返ってみたいと思う。

この席に呼んでもらった者の仁義として。

 

僕なりに時系列的に追ってみると-

虫見版は当初(80年代初頭)、害虫対策として始まった。

ただ言われた通りに農薬をふるのではなく、

たとえばウンカが今どれくらいいるのか、どの生育期にあるのかを確かめた上で、

「適期(最も効率のいいとき) にふらんといかん」 という、

極めて当たり前のようでいて、当時の上からの一律的な指導とは一線を画すものだった。

そのことは、田んぼの状態は一枚一枚違うのだということを思い出させ、

また自分の判断で農薬を撒くという主体性を取り戻させた。

結果的に農薬散布回数は劇的に減っていったのである。

それは 「減農薬運動」 と称されて注目を浴びるのだが、

しかし 「減~」 であるゆえに、有機農業側からは、自分たちとは違うものとして扱われた。

 

虫見板(による減農薬運動) の普及は、

百姓 (ここは宇根さんの表現に倣って使わせていただく) たちに虫を眺める姿勢をもたらした。

そこで発見されたのが、「よい虫・悪い虫・ただの虫」 という概念である。

田んぼには、害虫や益虫だけでなく、

実にたくさんの  " どっちでもない、よく分からない "  ただの虫たちがいるのだ。

しかもその数は、益虫よりも害虫よりも、圧倒的に多い。

(ちなみに、宇根さんたちがまとめた生きものリストでは、害虫より益虫のほうが多い。)

 

その虫たちの名前を知りたい (名前で呼びたい)、

どんなはたらきをしているのかを知りたい、という欲求は、さらに観察力を高めた。

そしてそれまで見えていなかった世界をつかむことになる。

 

トビムシはワラの切り株を食べて土に還すはたらきをしている、という発見。

虫たちのためにも農薬をふるのをやめよう、という感性の復活。

虫たちが食い合いながら共生して田んぼの豊かさをつくっているという、

今でいう生物多様性(生命循環) と、百姓仕事がつながっているという世界の獲得。

 

「宇根さん。今年、ウチの田んぼでタイコウチが見つかったんだよ! 30年ぶりかなあ。」

「あんたは30年ぶりに見たかもしれんが、タイコウチは30年、あんたを見とったとよ。」

「そうなんだよ。そうなんだよ。」

 

この世界は、田んぼだけのものではない。

見渡せば、風景そのものが生きものたちで構成されている。

ヒトはそれらを手入れしながら、一緒に生きてきたのである。

生物多様性と農業のかかわりが見つめ直されてきた時代にあって、

今では有機農業者たちも、宇根さんたちが獲得してきた世界と思想から学ぼうとしている。

 

そして、宇根さんがこれからまとめようとしているのが、「風景論」 である。

自然は生命の気で満ち満ちている(天地有情)、その生命たちで構成された風景をこそ、

私たちは美しいと感じるのではないか。 

さて、この世界を百姓仕事の側からどう表現するか・・・・・

「自然」 と言わず 「天地」 と語り、

「景観」 と言わず 「風景」 と語りながら、宇根さんはまだ深く言葉を探し求めている。

 

参加者の中から、北の宮沢賢治に南の宇根豊、という言葉が漏れた。

う~ん、分からなくもない・・・・・

脳裏にあるのは、たとえば賢治の 「農民芸術論」 だろうか。

 

  いまやわれらは新たに正しき道を行き われらの美をば創らねばならぬ。

  芸術をもてあの灰色の労働を燃せ。

  ここにはわれら普段の潔く楽しい創造がある。

  都人よ 来ってわれらに交われ  世界よ 他意なきわれらを容れよ。

 

  なべての悩みをたきぎと燃やし なべての心を心とせよ

  風とゆききし 雲からエネルギーをとれ

 

  ・・・おお朋だちよ。 いっしょに正しい力を併せ われらのすべての田園と

  われらのすべての生活を 一つの巨きな第四次元の芸術に創りあげようではないか・・・

 

「景観」 とか 「自然」 とか 「多様性」 とか 「農業技術」 とか、

口に出した瞬間から、思いが指の間からこぼれ落ちていくような焦燥とたたかっている

彼の追い求める道が、農民の芸術を創り上げたいという渇望にも通じているとするなら、

たしかに彼は " 農の思想家 " であるのみならず、

農民、いや " 百姓の芸術 " 論を紡ぎ出すことのできる、希望の一人だろう。

 

帰りたがらない一行は、アキバの中の古民家づくりの居酒屋で気炎を上げる。

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宇根さんを囲んで宇根豊談義は尽きず、

まあ実に熱い人たちだ。

 

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虫見板からはじまって、6000種に及ばんとする田んぼの生き物リストの完成まで、

実にたくさんの 「語れる道具」 を編み出し、惜しみなく僕らに与えて、

「農と自然の研究所」 を約束どおりきっちりと閉める宇根豊の表情は、

少し晴れやかにも見える。

彼の思索はまだまだ続くのだが、僕らもただ彼の仕事を待つのでなく、

歩かなければならない。

 

あさっての東京集会で世に出る 「たんぼスケープ」 は、

実は僕なりの 「生きもの語り」 「風景の発見」 「まなざしを取り戻す」

ネットワークづくりへの挑戦でもある。

 



2010年2月 9日

東京うんこナイト

 

先週は宮城から帰ってきてから、ついに溜まった宿題に沈没。

4日に開かれた最後の合同新年会・茨城編をパスする羽目になってしまった。

行方市での有機農業モデルタウンの報告をお願いしていた濱田幸生さん、すみません!

とことん議論しよう、と内心楽しみにしていたのですが、まことに残念。

今度改めて伺える時間を取りたいので、どうかお許しください。

 

と、そんな言い訳をしながらも、翌 5日の夕方には、

周りの目を気にしつつ、不審なトーク・セッションに出かけてしまうワタシがいた。

この世界に生きていると、時折とんでもない人に出会うことがある。

経験の蓄積とともに、たいがいのことでは驚かなくなるのだが、

今回はかなり度肝を抜かれた。

久々に、過激な確信犯に出会った、という感動である。

 

イベント・タイトルは、「東京うんこナイト」。

(このタイトルゆえに、一般紙での案内掲載はことごとく断られたらしい。)

場所は新宿・歌舞伎町のトークライブハウス、「ロフト・プラスワン」。

潰れちまった新宿コマ劇場前の、コンビニ店脇から地下に降りた、妖しげな空間。

ああ、70年代にもあった、ような・・・・

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そこで出会った男の名は、井沢正名(いざわ・まさな) さん。

肩書きは褌(ふんどし)、じゃなかった 「糞土師」。 

どう言ったらいいんだろう。 早い話が 「のぐそ」 で生きている人なのだ。

水洗トイレでのうんこを拒否して36年。 一日一便 (びん、じゃなく、べん)。

積み重ねてきた 「のぐそ」 が1万●●●●回 (メモし忘れた)。

 

「人間が作り出す最高のもの、それは・・・うんこしかない!と思うのです。」

生物の命を食べて生きていることへの恩返しとして、自然に返す、をひたすら実践してきた。

 

これはただのヘン人ではない。

彼の著書 『 くう・ねる・のぐそ  -自然に「愛」のお返しを 』 (山と渓谷社刊) から

その経歴を見れば、筋金入りだということが読める。 長いが引用したい (一部略)。

 

1950年、茨城県生まれ。中学、高校と進むうちに人間不信に陥り、高校中退。

1970年より自然保護運動をはじめ、1975年から独学でキノコ写真家の道を歩む。

以後、キノコ、コケ、変形菌、カビなどを精力的に撮り続け、長時間露光の独自の技術で、

日陰の生きものたちの美を表現してきた。

同時に1974年より野糞をはじめ、1990年には井沢流インド式野糞法を確立。

2003年には1000日続けて野糞をする千日行を成就。

2007年、「野糞跡堀り返し調査」 を敢行し、それまで誰も見ようとしなかった、

ウンコが土に還るまでの過程を生々しく記録した。

主な著書・共著に 『キノコの世界』、『日本のキノコ』、『日本の野生植物、コケ』、

『日本変形菌類図鑑』 などがある。

 


錚々たる作品歴を持つ、立派なキノコ写真家なのである。

まあだいたいこのブログを覗いてくれる常連の方には、

もう文脈はご想像いただけるだろうか。

 

キノコとは菌であり、多種多様な微生物とともにある必須の自然界の分解者であり、

有機物 (炭素) の循環と土づくりの大切な担い手である。

免疫力を高める食用価値のあるものから人を死なせる力を持つものまで、

その種の多様性も、実にあなどれない。

井沢さんは、そんなキノコに取り(撮り?) つかれた人生から始まり、

ヒトの排泄物が自然に還っていない現代都市文明の矛盾に対する敢然たる意思表示として、

ウンコを自然に還す生き方に至ったようだ。

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写真左で語っているのが井沢正名さん。

自宅(茨城県某所) の裏山の雑木林に、毎日、印をつけながらウンコをして、

それを掘り返しながら、自然に還っていく経過を記録した。

カメラに収められた映像は、自然界の生命循環そのものである。

もちろんその目線にあっては、キノコは日陰者ではない。 主役の一人である。

この 「テッテー的に記録した」 というのが、アブナイ人と講演料を取る人の分岐点である。

(ワインを飲みながら生々しい写真に驚嘆する参加者も、なかなかの人たちだ・・・)

 

井沢さんの講演の後、しばしの休憩を経て、第2ラウンドとなる。

もう一人のゲストは、日本トイレ研究所の上幸雄さん。

第三世界の人々のために衛生的なトイレを普及させる活動から始まった団体で、

神戸の震災経験などを経て、都市での災害時のトイレ(排泄) 対策や公衆トイレの問題など、

トイレ環境の改善をテーマに活動している。

水洗トイレの問題にも詳しく、上さんの説明によると、

汚泥の最終処理は、かつての海洋投棄や処分場埋設を経て、

今は焼却処分されているようである。 井沢さんが怒るのも、分からなくもない。

上さんは、井沢さんの思想には共鳴しつつも、現実論として

排泄物をリサイクルできる技術を提案したい、というスタンスである。

詳しくは著書

 『ウンチとオシッコはどこへ行く -水洗トイレの深ーい落とし穴 』 (不空社刊)

を参照とのこと。

実は、上さんとは20年ぶりくらいの再会である。

こんなところで会えるとは・・・・うんこよ、ありがとう。

 

現在のし尿処理を経て作られる人糞由来の肥料 (汚泥肥料)

には化学物質などの問題もあり、単純に土に返せばいいとは言えない。

有機物を土に返す技術をベースに持つ有機農業でも、

今の有機JAS規格では、人糞利用は認められていない。

そこで有機農産物の流通に携わる大地を守る会のエビちゃんという人が出てきて、

いろいろ知ったかぶりに解説したりして、最後は3名+司会でのセッションとなる。

司会は、今回の仕掛け人、山と渓谷社の斉藤克己さん。

5年前、大和川酒造さんとの縁で、一緒に飯豊山に登ってからのお付き合いである。

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井沢さんがスライドで見せたところの、菌や小さな分解者たちの手によって

ウンコが腐植土へと変わってゆくプロセスは、有機農業における堆肥づくりと同じである。

僕なんかが理屈で説明するより、すべての人の日々の行為の結果である排泄物から

生命循環の世界を見せることの、けた外れの説得力は、

正直、「目からウンコ!」 の感動モノだった。

 

ただもうひとつ、僕が伝えたかったのは、井沢さんの思いは良しとしても、

今の私たちは何を体に入れているのかも問題にしないといけないのではないか。

つまり健全なウンコを出せる暮らしをしたいものだ、ということ。

食べ物の出入りの収支も完全に狂ってしまっているしね。

自給率40%の国で、メタボ状態になって生ゴミを捨てている状態を見つめることも、

できればして欲しい、とつけ加えさせていただいた。

人糞のリサイクルとは、いわば食(=生命) のサイクルと同義だと思うので。

 

そこで司会の斉藤克己氏が、江戸の話をしろと水を向ける。

たしかに江戸の街は、その点ではすごかった (らしい) 。 

人糞は買い取られ、運ばれ、武蔵野の大地を潤した。 

100万都市で自給が成立した、世界でも稀有なモデルである。

しかも、街は美しかった。

見たわけでもない人間が解説しても説得力がないので、一冊の書物を紹介した。

渡辺京二著 『逝きし世の面影』 (平凡社ライブラリー)。

明治初期に日本にやってきた欧米の知識人たちが残した紀行文や記録を辿って、

当時の風景や文化の諸相を再現した名著である。

間違いなく世界で最も衛生的な都市であり、質素で、礼節があり、

子どもたちがほがらかに笑っている、そんな国が描かれている。

たとえばこんなふうに-

 

「郊外の豊饒さはあらゆる描写を超越している。 山の上まで見事な稲田があり、

 海の際までことごとく耕作されている。 おそらく日本は天恵を受けた国、

 地上のパラダイスであろう。」

 

文明の劣った国だと思ってやってきた欧米人に、こんな感嘆の声を発せさせた日本は、

残念ながら、もうない。

この時代の美しさを支えたのは、排泄物を土に還すインフラの存在である。

 

井沢さんの実践と観察からの計算によれば、一人あたり1アールの土があれば、

日本人みんなが毎日 「のぐそ」 をしても大丈夫なのだと言う。

クソ真面目に反応すれば、都会に人が集中している限り不可能な話ではある。

ではあるが、今の私たちの暮らしを見つめ直してみる素材としては、

これに勝るものはないかもしれない。 

 

彼が都会に出てきたときにやる 「のぐそ」 については、僕の口から喋るのは止めておこう。

とりあえず法律とは違ったモラルをもって実践している、とだけは付記しておく。

彼は紙も使わない。 その営み時に使う葉っぱの研究にも余念がない。

彼はそのモラルと、生命の循環につながる歓びを武器に、

国家権力ともたたかう決意をもって生きている確信犯である。

権力が相手にするかどうかは別として。

 

あっという間の3時間だった。

美しいキノコや人糞が土に還るまでの実写の威力は、

僕の口先の有機農業論よりずっと説得力があったのは、

口惜しいかな、認めざるを得ない。 

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斉藤さん。 呼んでくれてありがとう。

忌み嫌い、隠しつつ、しかし避けられない排泄行為と 「うんこ」 という現実からの

循環と生物多様性の論理は、とてつもなく刺激的だったよ。

「食」 の現実や水循環の問題など、もっと語り合いたかったけど、

まあ今回はよしとしよう。

 

心残りなのは、「明日のウンコを、今日のうちにやっておく」

などという技がどうしてできるのか、その極意が分からなかったことである。

 

  ( ※ 2枚目からの写真は斉藤克己さんから提供いただいたものです。 )

 



2010年2月 7日

映画情報(補足)

 

1月31日に紹介した2本の映画、「ブルー・ゴールド」 と 「アンダンテ」。

改めて公式HPを見ると、ちゃんと各地での上映日程が出ていました。

「アンダンテ ~稲の旋律~」 HPはこちら。

  →  http://andante.symphie.jp/

 

「ブルー・ゴールド ~ねらわれた水の真実~」のHPはこちら。

  →  http://www.uplink.co.jp/bluegold/

 

サム・ボッゾ監督は来日されていたようで、

昨日の朝日新聞(朝刊) にインタビュー記事が掲載されてましたね。

「映画のメッセージは、水不足の国よりも豊かな国にとって、より重要な意味を持つ。

 自国の水資源が他国のターゲットになるかもしれないということを

 意識できるだろう」  と語っています。

 

水源地とは、中山間地のこと。 

過疎・高齢化・耕作放棄・限界集落・・・と、他人事のように評論しているあいだに、

中国資本が山間地を買い占め始めているという噂を聞いたのは数年前のことです。

今もって事実は分かりません。 ジャーナリズムも追いかけてないようです。

水の豊かな、緊張感のない国、でないことを祈りたいものです。

 

おススメ映画情報の補足でした。

 



2010年1月31日

水戦争と 稲の旋律

 

今日はふたつの映画を観た。

場所はともに 「ポレポレ東中野」。

 

ひとつめはこれ。

世界の各地で不気味に進む水の私物化 (水の危機) と、

噴出する争いや悲劇を描いたドキュメンタリー作品。

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水に恵まれた日本ではまったく信じられないような恐ろしい出来事が、

世界の各地で起きている。 

原因は、この星に生息するすべての生命体にとってのコモンズ (共有財産)

であるべき 「水」 が、特定の企業に奪われていっていることにある。

これはSF映画なんかではなく、

上下水道システムの民営化とか水源地の買い占めだとか、現実に進んでいる話であり、

争いで人が死ぬ事態まで起きている、生々しい 「今」 の記録映像である。

 


内容を解説しようとすると、映された現実を長々と追っかけてしまいそうで、やめたい。

ここでは、この映画の原典となった本がすでに邦訳されているので、

その紹介をもって替えることにしたい。

『 「水」 戦争の世紀 』 (集英社新書、760円+税)。

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「水のない惑星を救える科学技術など存在しない」

「資源の配分は支払い能力によって決定される」

「生態系から湧水を取るのは、人間から血液を抜くのに等しい」

 

本書では、水や水源が一部の企業に独占されることによって起きる恐ろしい事態を

告発するだけでなく、農薬・化学肥料に依存した農業やグローバリゼーションによって

進む汚染、生物多様性の減退、要するに生態系そのものの危機を訴えている。

 

映画監督サム・ボッゾは、水がなくなった地球を描くSF映画を構想中、本書に出会い、

今地球で起きている現実を撮らなければならないと決意したのだ、と語っている。

世界中の現場を回り、科学者や環境活動家と語り、映像によって、

世界が 「水」戦争 (水パニック) の時代に入っていることを可視化した。

 

「ブルー・ゴールド」 -青い黄金。 

21世紀が、水という究極の生命資源を奪い合う時代になろうとは・・・。

終末論者になってしまいそうになるが、

希望は、未来への責任を果たそうとする人たちの存在である。

登場する人々は力強く行動し、語りかけ、観る者を励ましている。

 

残念ながら観るのが遅くて、ポレポレ東中野での上映期間は2月5日まで、とのこと。

スミマセン。 今後の上映予定もよく分かりません。

いずれDVDで。 当面は本だけでも・・・・・

 

さて、続いては、こちら。

お昼もとらず、出口から入口の列に直行。 

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(画像がモノクロなのは、カラー・スキャンができなくなったプリンターのせいです。)

 

金田敬監督、新妻聖子主演 - 「アンダンテ ~稲の旋律~」。

原作は、旭爪(ひのつめ) あかねの同名小説。

 

絶望的な水戦争の映像を見せられたあとで、ニッポンの美しい風景を眺める。

引きこもってしまった女性に生きる喜びを与える、田園と農の力。 もちろん人のつながりも。

水はなんとも美しく、豊かに流れている。

女性を救う農民を、筧利夫が好演している。

 

ああ、もう解説はいいよね。

ドラマの筋立ても泣けるが、先の映画の影響が強くて、

"  僕らはまだ、水に守られている  "  という歓びと安堵に浸ってしまったのでした。

水の共同体を支える水脈を、僕らは死守しなければならないよ。

人類の未来のためにも。

 

こちらは12日まで上映中です。

おそらく各地でも上映されると思うので、よろしかったら。

 



2010年1月27日

木村秋則さん

 

・・・の名前は、ご存知の方も多いことかと思う。

青森県中津軽郡岩木町のリンゴ農家。

このブログをチェックする方なら、すでに木村さんと直接話をしたり、

現地の見学までされた方もおられるのかもしれない。

 

不可能といわれたリンゴの無農薬栽培に挑み、しかも無肥料で実現させた方。

彼のリンゴは 「奇跡のリンゴ」 と言われ、

一昨年にはNHKの人気番組 「プロフェッショナル ~仕事の流儀」 に登場して、

時の人になった。 その後、本も何冊か出版されてベストセラーになっている。

農業関係では、異例の社会現象である。

 

僕も木村さんの著書は読ませてもらったが、お話を聞く機会はなかった。

実は大地を守る会でも、講演と見学を申し込んだ経緯があるのだが、

園地の見学はお断りしているとのことで、残念ながら実現しなかった。

 

そんなワケで、木村秋則さんの名は僕らには実に気になる存在としてあったのだが、

昨年の暮れ、知人から講演会のチケットを譲ってもらうという幸運に恵まれた。

1月24日、日曜日。 場所は埼玉県ふじみ野市。

3~400名くらいは入ろうかという会場が、満杯だった。 

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木村さんの話し口調は、テレビや著書で感じていた通りの実直さで、

苦節10年、どん底まで見てきた方だから出せる優しさと、そして強さを感じさせた。

ひと言ひと言、丁寧に言葉を選びながら、しかも途切れず話を続けるなかに、

ゆるぎない自信も垣間見せながら。

 


木村さんが無農薬・無化学肥料でのリンゴ栽培に移行したのが1978年。

きっかけは農薬によるご自身と家族の健康被害だった。 

それもつらかっただろうが、しかしその後の苦難も、聞けば聞くほど壮絶である。

病気で葉っぱが落ち、夏に枯れ木のようになったリンゴからは実はできない。

収入が途絶え、木村さんはいろんな働きに出るのだが、

その10年を僕が解説するのは憚れる。 とても出る幕ではない。

言えることは、この人は、その間も執念をもって樹とその周辺を観察し、

土壌の下まで調べ、虫を眺め続け、相当な研究と勉強を重ねたことだ。

 

木村さんは語る。

「虫が涌くのは、土のバランスが悪いからではないでしょうか。

 害虫は、人が食べてはいけないものを食べてくれているように思うのです。」

 

木村さんが、書著 『リンゴが教えてくれたこと』 (日経プレミアシリーズ) のなかで、

 「高かった本も買って読んだ」 と書かれてある J.I.ロディル著の 『有機農法』

(一楽照雄著、農文協刊) には、こんなくだりがある。

 

「ほかのすべての虫も、自然の総合計画のなかで、それぞれ特殊の役割を果たしている

 のであろう。 害虫は植物の病気の原因ではない。

  彼らは、生育が不完全であるとか、その植えられている土壌の肥沃度がたらないとか、

  作物に何らかの不都合がともなっていることを指摘する自然からの使者である。」

 

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語りかけ続けた樹は枯れなかった、とかいうくだりは、

実は僕も、稲作体験などで思い当たった経験を持っている。

科学的立証はない。 まだない。 ただ昔の人は、みんなそう言う。 

これって何だろう。 オカルトで済ましていいのだろうか。

 

「結論は、未来に期待すべきである。」  (上掲・ロディルの 『有機農法』 の一説)

が冷静な姿勢だろうか。

 

しかし一点、これだけは納得できない。

木村さんは、ご自身の自然栽培と、有機栽培、そして一般栽培の米や野菜の保存試験をして、

スライド写真を使ってこう言うのだ。

 

自然栽培は枯れてゆく。 しかし有機JAS農産物は腐る。 一般栽培はもっと早く腐る。

 

この論法は、危うい。

" 腐る "  という行程は腐敗菌との関係だろうから、

自然栽培でも傷があって菌と接触すれば腐るのではないか。

それに僕自身、有機栽培の人参が見事に枯れた状態になっていたのを、

我が家で確認したことがある。 そんな単純明快な話ではないと思うのである。

 

この論にこだわってしまうのは、正直に言えば、

僕が有機農産物の流通に携わっているから、でもある。

木村さんが個人的実験で確信を持ったのなら、まあしょうがない。

しかし嫌なのは、それを自社の宣伝に使う人たちがいることである。

いざそこの店に行けば木村さんのリンゴはなく、

特別栽培のリンゴが売られていたりすることに、セコい僕は違和感を感じてしまうのだ。

 

あらゆる技術には発展段階があり、仲間が増えれば増えるるほど

育てるべき人は増えるのであって、その段階を批判してはならないのに、と思う。

木村さんでも 「堆肥を使うときは、完熟にしてね」 と言っているのに、

堆肥利用をまるで 「自然栽培以下」 と語る人たちがいる。

僕は、肉を食べる以上、家畜の糞尿を良質な堆肥に変えて土に返す有機農業の技術を、

資源循環の観点から否定することはできない、と思う立場である。

 

大地を守る会の会員からも、木村さんのリンゴがほしいとか、

大地の生産者も (無農薬で) できないのか、といった質問が寄せられる。

 

お答えします。

木村さんのリンゴをお届けすることはないでしょう。

それはまず、木村さんのたたかいに付き合った人たちのものだから。

ただ有機農業の発展と拡大のなかで、木村さんの世界が広がっていく過程で、

その仲間たちを応援することは、充分ありえることです。

また木村さんのリンゴを使ったお酢、という形でのお付き合いは始まりますので、

どうかメニューに載った折には、ご支援ください。

今はただ、大地を守る会と長年付き合ってきてくれたリンゴ生産者と一緒に、

木村さんの思想や実績を吸収することに努めたいと思うのであります。

 

この日は、前にも紹介した野口種苗研究所の野口勲さんの、

種に関する大切な講演もあったのだが、すみません、野口さん。 もう書けません。

いずれ、でお許しください。

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2009年11月29日

エコを仕事にする ~物流センターからカフェ・ツチオーネまで~

 

PARC(パルク : アジア太平洋資料センターという団体が主宰する

自由学校については、以前(4月15日)に紹介した経過があるので

説明は省かせていただくとして、

その  " オルタナティブな市民の学校 "  のひとつの講座 「エコを仕事にする」

の最終回に、11月28日-「大地を守る会の物流センターを訪ねる」 が設定された。

というわけで昨日、

5月から有機農業や林業や環境NGOの現場をあちこち歩いてきた生徒さんたち

20名強が、千葉・習志野物流センターの見学に集まってくれた。

午前中、三番瀬を回ってきたとかで、靴にアオサなんかをくっつけている。

 

「エコを仕事にする」 と言われると、正直戸惑うところがある。

僕らは 「エコを仕事にしてきた」 のだろうか ・・・

 

有機農業はエコか。 エコと呼んでいいだろう。 " 環境保全 " 型農業の牽引者として。

有機農産物を食べることはエコか。 エコな暮らしのひとつの要素だろう。 

しかしその畑と台所をつなげることを生業(なりわい) にするとなると、

これは生々しく  " 物流 "  の世界となる。

モノが食べものであるがゆえに、エコな無包装より食品衛生を優先する。

温度管理のためにはエネルギーも使う。

何よりも、宅配とはエコな物流と言えるだろうか・・・

僕らの仕事は、エコの観点からいえば、矛盾と悩みに満ち満ちているよ。

 

物流センター内を見学して回る生徒さんたち。 年代もまちまちだ。

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入荷-検品から、保管-仕分け-包装-出荷までの流れを見ていただく。

 


青果物の保管には、温度管理は欠かせない。

保管倉庫だけではなく、センター内全体が温度管理されている。

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有機JASの認証を受けた農産物は、小分けする際に他のものが混ざらないよう、

また一貫して 「有機性」 が保持されるよう、ラインが分けられている。

その管理体制全体が有機JASの認定を受けないと、JASマークは貼れない。 

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「この物流センターは、有機JASの認証を取得したラインを持っています。」

説明する、物流グループ品質検品チームの遠田正典くん。

 

宅配用のピッキングのライン。 

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参加者には想像していた以上の規模や設備だったようだ。

「エコか」 と問われれば、ひるむところも多々あるけど、 

それでも3年前にこのセンターを建設した際には、

壁の材質から接着剤を使わない工法など、可能な限り環境には配慮したつもりだ。

配送車は順次、天然ガス車に切り替えてきたし。

言ってみれば、「エコを仕事にする」 というより、

「仕事を一つ一つ、粘り強くエコ化させていく」 という感じかな。

 

センター見学のあと、大地を守る会の概要や活動の沿革、仕事の中身などを

説明させていただく。

歴史を辿りながら、僕らは本当に仕事をつくってきたんだなぁ、と思う。

1975年、創設時のスローガン-

 「こわいこわいと百万遍叫ぶよりも、安心して食べられる大根一本を、

  つくり、運び、食べよう」 ・・・ウ~ン、大胆なコピーだ。 実に具体的である。

オルタナティブなんていうシャレた日本語がまだなかった時代から、

「生命を大切にする社会」 づくりに向けて、そのインフラをエコシフトさせるための

" もうひとつの道 "  を提案し、模索し続けてきた。

消費者のお宅に運ぶだけでなく、学校給食に乗り込み、卸し事業を始め、

食肉や水産物の加工場を建設した。

今では、自然住宅からレストラン、そして保険の提案まで。

今でいう  " 社会起業 "  の先頭を走ってきたという自負が、ある。

 

最終回の講座を終えて、

「エコを仕事にする」 参加者一行が、懇親会に選んでくれたのが、

カフェ・ツチオーネ自由が丘店。 新習志野から駅を乗り継いで九品仏へ。

 

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最後はエコな空間で、エコな食事とお酒で、楽しんでいただく。

半年に及ぶ12回の講座をともに学んできた人たちは、

すっかり仲間の雰囲気になって話が弾んでいる。

 

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シンプルだけど、体が美味しい!と反応してくるような食事。

ダシを変えるなど、ベジタリアンにも対応している、とか。

 

ツチオーネだったら行く! と、

この講座のコーディネーターの大江正章さん(コモンズ代表、PARC幹事) も遅れて登場。 

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 ご機嫌で、ひと演説。

 

すごくいい店! 野菜もお酒も美味しい!

 -でしょう。 こっちもいい気分になって、「種蒔人」を振る舞わせていただく。

 

最後にみんなで記念撮影。

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すみましぇ~ん。 酔っ払っちゃってま~す。

 

僕らは、農民でも漁民でもなく、製造者でもない。 林業家でも大工でもない。

ただひたすら人をつないで、仕事を作ってきたネットワーカーだ。

それはそれで、誇りにしたいと思う。 

 

僕らはたしかに、ここまでは来た。

 



2009年11月15日

舟の森を訪ねて -打瀬舟から山武杉の森へ(続)

 

我々 「打瀬舟の森を訪ねる」 一行は、舟の原木の森を目指し、

東京湾岸の浦安から北総台地へと入り、東金にある千葉県木材市場にやってきた。

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県内各地から、スギ、ヒノキ、サワラ、サクラ、ケヤキ、・・・・・いろんな原木が

集まってきている。

 

スギの大木が並んでいる。

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これで200年くらいですか。 -いやァ......150年くらいかなぁ。。。

ちょっと定かではなかったが、150年とすれば江戸末期である。

動乱のさなかに木を植え続けた先祖たちは、今の山の様子をどう見ることだろうね。

 

職員の方に話をうかがう。

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山武杉とは、山武地方(旧山武郡一帯) で育てられてきたスギで、れっきとした品種である。

挿し木技術によって17世紀後半から発展してきた。

その特徴は、幹がまっすぐで形や色艶がよい。

材質は硬くて丈夫。 柔軟性もあり、建築材や建具材に適している。

特に赤身は油分が多いので、水に強く腐りが遅い。 船材には最適である。

花粉が少ない、という特徴もあるんだとか。

 

今はもう山は荒れていく一方です。 

赤身だけでなく、白身も源平(赤・白の混在した材) も、節有りも、

用途によってちゃんと使えるんですよ。 国産材をもっと利用して欲しいですね。

 

さて、天気も良くなってきたし、実際の山武杉の山を見に行きましょう。

よく手入れされた山も、ちゃんとあります。 

山武郡芝山町というところにご案内します。

 


芝山町といえば、大地の生産者も何人かいる地域である。

成田のそばで、ちゃんと山を管理している林業家もいるんだ。 偉いですね。 

とか参加者とお喋りしながら、ついていく。

 

さて、こちらです。 

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ちゃんと下草も刈られ、枝打ちもし、等間隔で、まっすぐに伸びている。

入れば土の柔らかいこと。 スポンジの上を歩いているような弾力があって、

参加者からも感嘆の声が上がる。

 

上の木で、45年。

下の木で、90年になります。

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説明する市川の大工さん、大屋好成さん。

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ここは三ノ宮さんという方の山です。 ちゃんと杉の手入れをしてくれています。

え??  三ノ宮さん?  すみません、下のお名前は・・・・・

「ヒロシさんと言いますが・・」。 三ノ宮ヒロシ。 ここは芝山町菱田。

もしや三里塚の三ノ宮廣さんでは--- 

「ええ、ええ、そうです。 有機農業やってる方です。」

三里塚農法の会 - 三ノ宮廣! 

この名前をここで聞くとは。

僕は三ノ宮さんが山武杉を育てているとは、まったく知らなかった。

不覚なり!である。

それでも逆に、なんだかとても嬉しくなって、きれいな杉林を360度見回して、

" ああ、来てよかった "  と心の中で叫んだのだった。

 

三ノ宮廣さん。 

成田空港建設に反対して農民たちがたたかった  " 三里塚闘争 "  については、

僕は学生時代のただのシンパでしかなく、とても語る資格は持たない。

水俣とともに日本の戦後史上最大の悲劇といわれ、今もなお決着はついていない。

廣さんは、闘争の中で亡くなったお兄さんの後を継いで農業の道に入った方だ。

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これは、七つ森書館から出版された

『生命 めぐる 大地』 (地球的課題の実験村編、2000年刊)

の中に掲載されている廣さんの写真。

仲間と一緒に楽しく語り合っている、とても穏やかに。

 

兄の文男さんは、1971年、

自らの体に鎖を巻いて抵抗した大木よねばあさん宅への

だましうちといわれる強制代執行に抗議して、自死した。

「この土地に空港を持ってきたやつが憎いです」 という言葉を残して。

 

廣さんが大事に育てている森。 ここの杉は45年前に植えられた。。。

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「いいでしょう」(大屋さん)。 「いいです。 とてもいいです 」(エビ)。

 

こういう木で、打瀬舟を復活させて、東京湾を走らせたい。

その日はきっといい風が吹いて、海と森のつながりの復活を宣言する帆が

パァーっと踊るように舞いながら、掲げられるのだ。

 

東京湾に打瀬舟を復活させる協議会(打瀬舟の会) では、一口船主を募集中です。

URLはこちら ⇒ http://utase.yokochou.com/

 



2009年11月14日

舟の森を訪ねて -打瀬舟から山武杉の森へ

 

かつて東京湾には、昭和40(1965)年頃まで、動力ではなく、

帆(風) で走りながら漁をする打瀬舟(うたせぶね) の姿があった。 

 

その東京湾に、打瀬舟の復活を! 一口1万円の船主募集!

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そんな呼びかけのパンフレットをもらったのは数ヶ月前のこと。

くれたのは、大地を守る会理事の遠忠食品(株)専務・宮島一晃さん。

見れば、発起人代表に木更津の漁師・金萬智雄(きんまん・のりお) さんの名前がある。

NPO法人 盤州里海の会代表で、アサクサノリの復活にも挑んだ方だ。

「へぇ~、金萬さん、また酔狂なことを始めましたね。」

これが最初の感想だった。

「で、いくら集めるんですか?」 - 「目標2千万だって。」 ウ~ン・・・

 

興味は抱きつつも、話はそのままで終わったのだが、

今月に入って、おさかな喰楽部 (大地を守る会の専門委員会) のメーリングリストに、

金萬さんから案内が入ってきた。

11月14日開催  『打瀬舟建造プロジェクト 舟の森を訪ねて』

の参加申し込み締め切り日を過ぎましたが、まだ多少の空きがあります。 よろしかったら-

 

" 舟の森 "  -の言葉に響くものがあった。 そうか、そういうことか、みたいな。

打瀬舟を育てた千葉・山武杉の森を訪ねる。 これは行くしかない。

 


11月14日(土) 9時30分。 集合は東京駅鍛冶橋駐車場。

ここからバスに乗って、浦安から山武まで見学コースが組まれていた。

 

一行はまず、浦安市郷土博物館 に到着する。

ここで、本日のガイド役として大屋好成さんが合流する。

地産地消型の家作りを謳い、数奇屋建築や社寺建築を得意とする市川市の大工さんである。

打瀬舟など和船の建造技術にも詳しい。

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背中の壁には、古き良き時代の浦安風景を描いたレリーフが飾られている。

海苔や魚の干し台が並び、女たちが元気よく働いている。

小舟(ベカ舟という) の向こうには打瀬舟も見える。

 

打瀬舟にも、千葉の検見川型とか浦安型、神奈川の子安型といったタイプがあったそうだ。

小型のものは干潟のアマモ場での 「藻エビ漁」 などで活躍したが、

干潟の干拓や埋め立てによって藻場は消え、

この伝統漁法もついに博物館に眠ることになった。

打瀬網漁は、今では北海道・野付湾での北海シマエビ漁に残るのみとなっている。

(熊本・芦北の不知火海では観光船として操業されている。)

 

展示されている舟や漁具の数々を、駆け足で見て回る。 

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窓越しに撮影。 向こうからマキ船 (その中にベカ舟)、打瀬舟、小網船。

船大工道具なども展示されている。

 

「仮屋」 と称する木造船の製造場も。 

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ここでベカ舟製造の実演が見れる。

ベカ舟とは、一人乗りの海苔採り用の船で、東京湾では一番小さな船だったらしい。

遠浅の海で漁を営んだ浦安を代表する漁船として親しまれたのだろう。

山本周五郎の 「青べか物語」 も読んでみたくなった。

 

これらの木造船の本体には、房総の山武地方で古くから育てられてきた山武杉の、

赤身 (芯の部分。赤くて油分が多く、腐りにくい) が使われたのだそうだ。

金萬さんのねらいが、いよいよ見えてくる。

 

当時の浦安の風景が再現されている。

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館内には干潟のジオラマなどもあって、

今度は時間をとって、じっくりと見に来ようと思う。

 

途中、浦安市内を流れる境川沿いを歩く。

朽ちてゆく打瀬舟が佇んでいたりする。

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まだ使える状態の舟がつながれてあった。

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金萬さん-「形も美しいだろ。 オレ、こいつを狙ってんだよね。」

これは子安型なのだという。

 

金萬さんたち 「東京湾に打瀬舟を復活させる協議会」(略称:打瀬舟の会) は、

打瀬舟復活の意義を、次のように考えている。

〇 かつて東京湾に広範に存在していたアマモ場などの生物生息地の再生と、

   自然と人々とのかかわりの復活を象徴するものとして、打瀬舟を復活させる。

〇 日本の伝統である木造船技術を持つ舟大工の技術を継承する。 

   それは単なる復元ではなく、最先端の技術 (知恵) を取り入れながら発展させる

      ためにも必要なことである。

〇 木造の舟をつくるには、手入れされた森が必要である。

   打瀬舟の建造を通じて、東京湾とその流域のつながりを取り戻したい。

〇 自然エネルギーを利用した漁法の見直しと、漁業資源との共生を考える素材とする。

〇 子供たちへの打瀬漁体験などを通じて、森林と海のつながりや藻場干潟の大切さを

   学んでもらい、藻場の再生から豊穣の東京湾再生へとつながることを期待したい。

 

森は海に栄養を届け、その木材は魚貝類を取るために用いられ、

漁獲は海に流れた栄養を陸に返す。 

そんな循環を取り戻すための、打瀬舟の復活、ということか。

 

東京湾で生きてきた漁師の胸には、打瀬舟に対する深い郷愁もあるのだろう。

あの頃はみんな活きていた、みたいな。

その心に、" 東京湾 "  と聞くと血を騒がせてしまう人たちが共鳴しているわけだ。

遠忠食品・宮島一晃さんもその一人として、協議会の監事に名を連ねている。

みんな、熱いね・・・・・とか思いながら、

ウトウトとバスに揺られながら、山武杉の森へと移動する。

雨模様だった天気も回復してきた。 森も見られそうだ。

 

そして - 

山武杉の森で、僕は思わぬ人の名前を聞くことになったのだった。

                              (すみません。 明日に続く、で。)

 



2009年10月20日

地球大学アドバンス -日本の 「食」 をどうするか?

 

東京駅前・新丸ビル10階、ECOZZERIA (エコッツェリア)

 

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大手町・丸の内・有楽町一帯を環境共生型のまちにしょうという

「大丸有環境共生型まちづくり推進協会」 の事務局が設置されていて、

環境に関する様々な情報を発信する基地として、またエコを創造していく 「広場」 として、

開設されている。

 

大地を守る会とは20年以上のお付き合いである文化人類学者・竹村真一さんは、

エコッツェリアのコンテンツ・プロデューサーとして参画している。

彼が開発した 「触れる地球」 も常設されている。 

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この実際の1,000万分の1サイズのデジタル地球儀は、

2005年にグッドデザイン賞を受賞したものだが、デザインという範疇を遥かに超えた、

新しい現代的な想像力を刺激する偉大な 「発明」 である。

地球の気象や環境変化の様子が、インターネット情報をもとに

リアルタイムで映し出されるという、壮大な可能性を秘めたものだ。

全国の学校にひとつ、あるといい。 

 

さて、ここで月に一回のペースで開催されている 「地球大学アドバンス」 。

毎回いろんな角度から地球的課題が取り上げられてきた。

23回目となった昨夜のテーマは、

『 日本の 「食」 をどうするか? - 「地球食」 のデザイン、日本食の可能性 』 。

 


 

ゲストは、スローフード・ムーブメントを日本にもたらした

ノンフィクション作家・島村奈津さんと私。

 

話は、竹村さんからの論点整理を導入部として、

戎谷が約40分 (30分と言われていたのだが) 話をさせていただき、

それらを受けて、竹村さんと島村さんがトークを展開して全体質疑へ、

という流れで進められた。

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( ポジションが悪く(?) て写真は取れず。

 上の写真は島村さんのご友人である中村哲さんから提供を受けたもの。)

 

自分が話した内容をつらつら語るのは恥ずかしいが、

今の 「食」 をめぐる社会状況や自給率の問題、その背景としての

農業・食料政策の変遷とグローバリゼーションの問題、

そしてそれらの結果としての農業の公益的機能や生物多様性の脆弱化は、

私たちの 「食」 = 生存条件をきわめて危ういものにしてきていること。

私たちは、何を食べるかによって何とつながるか、の重大な選択を迫られている、

というよな話を偉そうに早口でまくしたてたのだった。

 

かたや島村奈津さんはソフトでフランクな語り口が魅力的な方で、

各地のスローフードの先進事例を紹介しながら、

特にアジアの多様性と食文化の豊かさについて強調された。

 

質問はけっこう多岐にわたって、ここに集う人たちの幅の広さ

(研究者から企業の方、自治体の方、地域開発や環境教育のNPO、学生などなど) と、

バラエティに富んだ問題意識は、僕にとっても刺激的なものだった。

 

時間を相当に延長して、最後はスローな食事で懇親会。

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新丸ビル7階にある 「MUSMUS (ムスムス)」 という蒸し料理レストランからの提供。

今日は秋田の食材でまとめた、とのこと。

旨い酒も用意されて嬉しかったのだが、いろんな人につかまって、

話しているうちにお開きとなってしまった。

でもそれだけたくさんの方から質問やら意見をいただけたのだから、満足すべし。

 

2年ぶりの地球大学からのお声がかりで、

用意したパワーポイントはこれまでのつぎはぎのようなものだったけど、

ま、ちょこっとは進化した部分をお見せできたのではないかと思っている。

 



2009年10月18日

種まき大作戦 -『土と平和の祭典2009』

 

東京・日比谷公園は、良い天気に恵まれた。

『大地に感謝する収穫祭 -土と平和の祭典-』 の開催。

半農半歌手・Yae ちゃんが実行委員長を努める 「種まき大作戦」 のイベントである。

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謳う Yae 。 もう2児の母である。

 

  今、世の中には、将来に不安を抱え、仕事もできず、どうしたらいいのかわからない

  若者が増えている。 でもその反面、確かな目的を持って、元気いっぱいに突き進む

  若者たちが急増している。 本当の豊かさとは? 幸せとは何か? 

  自分にとって無駄なものをそぎ落としていったところに満たされるという価値が存在すること。

  「楽しくなければ人生じゃない」 と言った父の言葉は、今輝きを帯びて、

  私たちの心に語りかけてくる。

 

お父さん (藤本敏夫さん/大地を守る会前会長) の志を受け止め、

歌いながら鴨川自然王国で農を実践する、まったく強き女性になった。

 

こちら 「種まきファーマーズ・マーケット」 の風景。

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大地を守る会も祭典に参加。

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青森・新農業研究会のリンゴ、長崎有機農業研究会のミカン、

沖縄・畑人村の無農薬バナナ、関東各地からの無農薬野菜などをブースに並べ、

生の人参試食やリンゴジュースの試飲でPRする。 


 

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千葉・さんぶ野菜ネットワークもブースの一角に陣取って、

野菜ミックスジュースの販売で協力してくれた。

 

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埼玉から応援に来てくれたのは、本庄の瀬山公一くんとゆみさん夫妻。 

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「借金知らず」 とかいう品種の枝豆を茹でて持参してくれた。

「大地さんに食べてもらおうと思って・・・・・」  -クゥッ!...ありがとう、グスン。

美味しかったよ。

 

今回、大地を守る会ブースを華やかにしてくれたのが、

タレントやモデルさんたちで結成された 「メルマガ農業部」 の方々。 

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山武の畑で農業を実践するニューウェーブの芸能人たちだ。

手前の方が MEGUMI さん。 母になって食べものの安全性に目覚めたとか。

真ん中の麗しき娘さんが、モデルの KANA さん。

後ろにいる鈴木克法!(山武の生産者です)  鼻の下が伸びてないかぁ。

さんぶ野菜ネットワーク事務局の花見博州(写真左) も、

心持ち、いつもより気合いが入っているような・・・。

 

この少女もタレントさんだとか。

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たしかに、ジュース販売では一番の稼ぎ手だったような気がする。

「お願いしま~す」 なんて元気よく声出して。 僕も思わず買っちゃう!

 

こちらもタレントの愛川ゆず季さん。

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別世界の方々だと思っていたモデルさんやアイドルさんたちが、

畑仕事に精を出し、野菜を売る。 この現象は何なんだ?

農家のこせがれ諸君! 農業はカッコいい!んだって。 本気でつかむか、時代を。

 

彼女たちがデザインした麦わら帽子はすぐに売れちゃったようだ。

これは軍手。

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なんだか使うのがもったいないようなデザイン。

フィットしたので僕もひとつ、買ってしまう。

 

トークステージでは、「列島縦断農家トーク」 が行なわれていた。

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ゆっくりとは聞けなかったけど、

秋田・花咲農園の戸澤藤彦、山形・庄内協同ファームの富樫俊悦、

千葉・さんぶ野菜ネットワークの鈴木克法、愛媛・無茶々園の宇都宮俊文、

長崎有機農業研究会の溝田督史・・・いずれも有機農業の次代を担う面々。

それぞれに農業にかける思いや消費者へのメッセージを語っていた。

若者らしく、軽~い辛口批評も交えながら。

 

全国有機農業推進協議会が用意した就農相談コーナー。 

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けっこうな手ごたえだったようだ。

イベントの終盤、慰問に覗いた私に、" ちょうど良い客 "  が来てしまった。

「農家を継ぐだけじゃなくて、自分で会社を興して " 売り "  もやりたいんっすよね」

とかのたまう若者登場。

担当者 - 「そんな相談には乗れないわ。 この人に聞いて」 と俺に指を指す。

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若者相手に偉そうにブっているエビがいた。

 

今回は全体を見て回る時間が持てなかったが、かなりな人が入った模様である。

噴水広場のビッグ・ステージ前の芝生は、後ろの方まで全体に人が入っていて、

くつろぎながらステージの音楽を楽しんでいた。

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このあと、Yaeちゃんの母、加藤登紀子さんも登場したようだが、お会いできなかった。

昔、お登紀さんちに配達してたなんていっても、もう覚えてないだろうなぁ。

雪の日に飯を食わしてもらった 記憶 は、僕の原点のように刻まれているのだけど。

 

あれから20数年。 

ヒトは意外と滅びへの道をただ走ることなく、しぶとく  " 農  "  に回帰し始めているよ。

どうもそれは、知識や理屈というより、

DNAに導かれているようにも思えたりするのだった。

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藤本さんが残した言葉  - 楽しくなければ、人生じゃない。

究極の命題のような気がする。

 



2009年8月23日

『未来の食卓』 -地元での自主上映はいかが?

 

天下無敵の百姓さん。

いつもコメントを寄せていただき、有り難うございます。

映画 『未来の食卓』 の地方上映なんて、採算合わなくて無理だろうなあ、

とは誰でも思うところですよね。

でもしかし、ところがいや待て、ホームページをよく見てみると、

自主上映の申し込みについてのページがあります。

  ↓

http://www.uplink.co.jp/film/howto.html

 

これによれば、なんと5万円 (+消費税) で上映が可能です。

最悪の場合、一人5万円、10人寄れば一人5千円の自腹を切る覚悟があれば、

上映できます。 50人が千円出せば、劇場で見るより安い勘定です。

もちろん、会場の確保から人集め、宣伝 (ポスターやチラシの配布など)、

といった多少の追加経費と労力が必要になりますが、

やる気になれば、手の届かない話ではありません。

黒字にさせることだってできるかもしれませんよ。

 

実は僕も何か考えたいとは思っているところです。

大地を守る会の生産者が中心になって、各地で自主上映が展開される、

てのはどうでしょうかね。

 

いずれにしても、周りの人に考えていただく素材として

充分使えるツールであることは間違いありません。

 



2009年8月18日

未来の食卓

 

2回にわたって久しぶりに言いたい放題書いてしまったけど、

ぼくのカリカリした言葉よりも、もっと説得力のある映画が

タイミングよく上映されているので、紹介したい。

 

ジャン=ポール・ジョー監督  『未来の食卓』 。

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村内のすべての学校給食と、高齢者の宅配給食をオーガニックに切り替えた

フランスの小さな村の話。

1年にわたって村の変化を追った作品である。

 


舞台は南フランス、ラングドック地方。

ワインの産地でもあるガール県バルジャック村。

牧歌的な風景に教育番組的なストーリーが展開されるのかしら、

などと予断をもって劇場に足を運んだのだが、

ところがどうして、かなり刺激的な映画ではないか。

 

フランスで公開されたのは昨年11月。

当初20館で上映されたのが、56館まで広がり、

ドキュメンタリーとしては異例のヒット作になった。

 

学校給食をオーガニック (+地元の野菜) に切り替えたのは、

ショーレ村長はじめ10数人の村議会議員たちの決断だった。

当然、村内は賛成・反対入り乱れた議論が起こる。

特に一般栽培農家には面白くない事件に映ったことだろう。

しかし子どもたちの評判はいい。 もちろん 「嫌い」 という男の子もいるけれど。

 

村長が自信をもって村民に語りかけている。

「オーガニックに費用がかかる? 

 しかし代わりに払わされているものがあるんじゃないか。

 大事なのは人の健康である。 相談相手は、自分の良心だ。」

オーガニック農家と一般栽培農家を同じテーブルに招き、話し合いをさせる。

病気対策、害虫対策・・・・・オーガニック農家は代案を示してゆく。

「大事なのは土だ」 と。

対立ではなく、選択肢を示し、対話で進める。

 

農家の奥さんの証言が生々しい。

「農薬散布は夫の仕事だけど、撒いたあとに鼻血が出るし、排尿ができないの。」

農村でガンが多発するのを眺め、自身の体の不調が農薬によるものだとも感じながら、

生活のために 「やるしかない」 と思っている農民たち。

子どもがガンに侵され、悔いている母親。

 ・・・隣で観ていた女性の席から、微かに鼻をすするのが聞こえてしまった。

 

調理員たちの労働時間は増えた。 しかし、これからも続けたい、と語る。

「もう加工食品の缶詰は開けたくない。 後戻りはしたくないんだ。」

村長は、そんな彼らを教育者だと称えている。

ここでの給食の風景は、誰もがいいなぁと思うだろう。

 

そして映画の冒頭に出てくるのが、前回紹介したユニセフ会議のシーンである。

記者からの質問に対するガン研究者の答えがすごい。

「 (化学物質が病気の原因である) 証拠はあるかって?

 証拠は科学誌を読めばいい。 今は一刻も早く対策が必要な時なのだ。」

 

「小児ガンが確実に増えている。

 親よりも弱い子どもたちが増えている。 これは人類史の危機である。」

 

フランスは殺虫剤の使用量が世界一だという紹介がされていた。

しかし単位面積当たりの農薬の総使用量は日本の方が多いはずだ。

けっしてよその国の話ではない。

 

映画が上映された後、バルジャック村には全国から共感の声が寄せられ、

視察が殺到しているそうだ。

村役場では映画の反響に対応する担当者を置かなければならなくなったとか。

村の人々に先駆者としての誇りが生まれ、

オーガニックに転換する農家も現れてきている。

変えることは可能なのだと、この映画は教えてくれている。

「オーガニックは、環境のすべてだ」 -なんてカッコいいセリフだろう。

 

ちなみに映画の原題は 『 NOS ENFANTS NOUS ACCUSERONT 』

 " 子供たちは私たちを告発するでしょう "

そうならないためには、

私たちは 「未来の食卓」 を今から作り直さなければならないってことだ。

 

映画  『未来の食卓』 は現在、シネスイッチ銀座、渋谷アップリンクで上映中。

詳細は、下記ホームページで確認できます。

  http://www.uplink.co.jp/shokutaku/

映画のチラシを持参された方には、割引もあります。

地方の方は、ぜひ地元での上映の声を!

 



2009年6月23日

八百屋塾

 

6月21日(日)は、キャンドルナイトの前に、

午前中もうひとつの集まりに参加した。 

「八百屋塾」 という。

都内の八百屋さんたちが有志で結成した野菜の勉強会。

事務局は秋葉原の 「東京都青果物商業協同組合」 のビルの中にあり、

月一回開かれる勉強会もこのビルの会議室で行なわれる。

 

いつもは我が農産グループの職員が勉強がてら参加しているのだが、

今回はみんな都合が悪いとかいうので、自分が参加することにした。

まるでグループ長が一番ヒマみたいな話だけど、

一度出てみたいと思ってはいたのだ。

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今月のテーマは、茄子(ナス) 。

いろんな茄子とともに、時節柄、これから入荷が増えてくるハウスみかんなどが

部屋に並べられている。

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今回の参加者は約60人くらいか。

ほとんどが、八百屋で働く店主さんや店員さんだが、

スーパーのバイヤーさんや野菜ソムリエの女性なども参加しているようだ。

 

この塾を仕掛けたのは、野菜の先生の先生、八百屋の師匠

といわれた故・江澤正平さんである。

野菜の消費が減っているのは、野菜を売る連中が野菜を知らなくなったためだ。

見た目や値段や薄っぺらな栄養学知識だけで野菜を売るのでなく、

野菜ひとつひとつに秘められた文化や魅力、食べ方を語れなければならない。

量販店ではできない、街の八百屋こそ野菜の魅力を伝える使命がある。

江澤さんはよくそんなことを言っていた。

ここは江澤さんの遺志をついで勉強を続ける八百屋さんたちの集まりである。

 

八百屋塾実行委員長の杉本氏から、ナスについての講義が始まる。

 

野菜がどんどん画一化されているなかにあって、

ナスは各地に数多くの品種が残っている面白い野菜である。

ナスは大きく分けて長ナス、丸ナス、その中間の卵型ナスがあるが、

その他にも、青ナス、白ナス、ヨーロッパ・ナスがある。

ナスは1300~1400年前に中国から渡来した。

台湾から九州に入ったのは長ナス系統、朝鮮経由で東北に流れたのが丸ナス系統。

原産はインド東部からバングラデシュあたりで、したがって高温多湿を好む。

西洋にも流れたが、乾燥地帯では定着せず、アジアで品種が多様化しながら育ってきた。

まさにアジアの野菜なのである。

 

長ナスには、熊本の大長ナスや赤ナスがある。

大長ナスは皮が薄く、焼きナスに適している。 赤ナスも柔らかい。

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写真の左が赤ナス (品種名=肥後むらさき)、右が大長ナス (同=黒紫)。 

大長ナスは輪切りにしてドレッシングで食べる。

しかし棚持ちが悪いので、売るには気合いが必要だ。

フランスパンみたいに並べて、「何、これ?」 と聞かれたら、こっちの勝ち。

ホットプレートを置いて、オイル焼きして食べてもらえば、ゼッタイに買ってくれる。

 

丸ナスは、新潟の長岡と山形が品種の宝庫だ。 伝統ナスが残っている。

長岡にはナスを蒸す食文化がある。

梵天丸という品種があって、非常にウマい。

味噌炒めがいい、と言ってピーマンやパプリカも一緒に売ろう。

山形には伝統品種、固定種が残っている。 こういうのも売ってやりたいね。

 

奈良の大和丸ナスは、京都に流れて賀茂ナスになった。

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賀茂ナスは京野菜のブランドになったが、こっちのほうが断然ウマい。

 

泉州(大阪)の水ナスは浅漬け。

朝に漬けて夕方には漬け上がるので、店頭に出して食べてもらう。

 

今はまだハウスなので価格は高めだが、ナスは成り始めると止まらない。

" 親の意見とナスの花は無駄がない "

と言いますよね (すみません。知りませんでした)。

八百屋の腕の見せ所はこれからだってワケだ。

 

見た目だけで売っていては、いいものが来なくなる。

味が伝えられなくなる。

俺たちが卸しにプレシャーをかけないとだめなんだ。

関東の主流は皮の固い卵形。 これは黙っていても売れる。

もっと個性的な売り方を考えないと、こんなに魅力的な野菜を八百屋がダメにしてしまう。

 

・・・・・こんな感じで講義とやり取りが続く。

野菜が好きで、野菜をもっと食べてもらおうと勉強する八百屋さんがいる町は

かなり楽しいはずだ。 ただ有機についての知識はイマイチの感がした。

いつか、こういう人たちとも繋がっていきたいものだと思う。

 

後半は、食べ比べ。

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実は、僕はこれが苦手なのである。

匂い・肉質・味・総合評価、こういう感じで微妙な差異を表すのは難しい。

実際に参加者の感想も、全く逆の意見が出たりする。

きっと、それぞれの育った食環境の影響なのだろう。 それは自然なことである。

僕の今回の最高点は、山形の小ナスの塩もみ。

皮が柔らかく、シャキシャキ感があって香りもよく、美味しかった。

次は愛媛の絹皮ナスってのが印象に残った。

大和丸ナスが試食できなかったのが残念。

 

ハウスみかんについては割愛するが、ひとつだけ面白い質疑があった。

「みかんのワックスって何なんですか?」

「ワックスはワックスだろ。 ・・・油だよ。」

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写真を撮ってみたが、照り加減の違いがお分かりいただけるだろうか。

左がワックスがけしたもの。

これはフルーツワックスと言って、食品添加物である。

鮮度保持被膜剤とか、フルーツコーティング剤として、お菓子 (チョコレートなど) や

錠剤医薬品などのコーティングに使われているものである。

こういう知識だけは八百屋さんより詳しいというのも、

いびつな生き方をしているようで、なんだかヤだね。

 

みかんの皮自体にもワックス成分はあるのだが、

選果の過程で洗ったり、ブラッシングされて天然のワックスが剥がれ、

水分が蒸発して、瑞々しさが失われる。

八百屋さん曰く - ワックスがけしたミカンは萎びない。 しなびる前に傷むんだよね。

そんなレベルで終わっていいのか、と思うが。

 

大地のみかんはもちろんワックスがけなどしていないが、

それは一般市場出しのような作業を必要としないからでもある。

しかし選果は甘くなる。 この辺をちゃんと語る必要があるということか。

いろいろ考えさせられ、勉強になりました。

 

ま、それはそれとして、失礼ながら最後に興味を引いたのが、

このビルである。

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ヨドバシAkiba ビルにへばりつくように建っている。

このビルの中に全国中央市場青果卸協会や全国青果卸売市場協会の本部がある。

 

ここは1989年に太田市場ができるまで、神田青果市場があった場所である。

神田市場跡地とJA (旧国鉄) 所有地の再開発計画の過程では、

第2東京タワー建設の案も出たところだ。

そこにヨドバシカメラ進出の話が出て、電気街が騒然となったという歴史がある。

もしかしてこの建物は、地上げに一人で対抗する地権者のような

八百屋のたたかいがあったのではないか・・・・・

なんて勝手に物語を想像しながら、増上寺に向かうこととする。

今日は長い一日になるんだよね、雨なのに、とか思いつつ。

 



2009年6月12日

コモンズ -小さな出版社に伝統の賞

 

コモンズ」という名の出版社がある。

1996年創業で、12年間に発行した書籍は150点というから、

まだ若い小さな出版社である。

代表は大江正章さん。

コモンズを設立する前には 「学陽書房」 という出版社に勤めていて、

15年くらい前だったか、大地を守る会の歴史と活動をまとめた

『 いのちと暮らしを守る株式会社 』 を出版していただいた。

それ以来のお付き合いである。

コモンズの本は当会でも何点か販売してきたので、馴染みの方も多いかと思う。

 

そのコモンズが、「第24回梓会出版文化賞」 の特別賞を受賞した。

といっても出版業界に縁のない方には、ほとんど知られてないのではないかと推察する。

梓会は専門書系の出版社100数社で運営されている社団法人で、

「出版ダイジェスト」 という情報紙を発行している。

今でも気の利いた本屋さんでは無料で配布しているんじゃないかな (-ちょっと自信ない)。

その梓会が、文化的に価値のある出版活動を行なっている出版社を表彰するのが

「梓会出版文化賞」 というわけ。

作家や作品を表彰する賞はいくつもあるが、これは日本で唯一、出版社を表彰するものである。

綱渡り的な経営で生き延びている中小出版社にとって、この受賞は誉れなのだ。

 

ということで、昨日の夜、関係者が集まって、ささやかな祝賀会が開かれた。

秋葉原の居酒屋で、というのが、この人たちの日頃の生態を表しているように思う。

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参加者の多くは同業者たちだが、著者や市民運動関係者の顔もある。

環境・食・農・アジア・自治、をテーマに、腰をすえて一点一点大切に本を出してきた

大江さんの姿勢を尊敬する人たちだ。 

みんなで大江さんを称える。

同種の出版活動を行なっている人たちにとっても嬉しいことであり、

かつ相当な励みになったようだ。

 

大江正章。

編集者でありながら、古くから有機農業運動に関わり、

自らも茨城県八郷町で田んぼを耕している。

昨年自ら著した岩波新書の 『地域の力』 がけっこう売れていて、

講演依頼も増えていると聞く。

照れ屋のくせに、喋りだすと意外と饒舌で、熱い男である。

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彼と僕とは同世代で、学部は違うが同じ大学出身で、

何と、かなりご近所に下宿していたことが、昨日飲んでいて初めて判明した。

西早稲田の、神田川にかかる面影橋の近くの、あの銭湯、あの質屋・・・・・

分かる、分かる、エビちゃんがいた下宿屋、ほぼ分かる。

あの運動、あの集会・・・・・え? エビちゃんは〇〇派だったの?

いや、周りはそう思っていたようだけど、俺はただ学生の自治を守ろうとしただけだ。

そんな話で盛り上がる。

すみません、ワタクシ事でした。

 

大江さんが皆さんに僕を紹介してくれる。

「この人が、かつて 『大地を守る出版社の会』 をつくったエビちゃんです。」

すっかり忘れていた。 そうだ、そんな会をつくったことがあった。

大地も伸び盛りになって、いろんな出版社の営業を受けるようになって、

僕はただ良書を紹介して売る、というのが面白くなくて、

あるとき、出版社の方々に集まってもらって、

" 同じ思いを持った出版社であることを表現したい "  という提案をしたのだった。

今はもう取引先の数はそれどころではなく、時代も変わったけど、

「大地を守る出版社の会」 が、大江さんにとっての戎谷であることに、

僕は絶句し、静かに反省した。

 

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大江さんにエールを送っているのは、『大地を守る手帖』 を出していただいた、

築地書館の土井二郎さん。 一昨年の宇根豊さんの集まりで会って以来か。

「手帳ではお世話になりました。 けっこう (制作上) 厄介な注文だったんじゃないですか」

「いや、それはプロですから。 それに苦労したのは印刷・製本屋さんですから。

 それより、あの手帳で使った写真。 何点か大胆なのがあって気になりましたけど、

 会員さんからハレーションは起きなかったですか?」

さすが編集者である。

「ありましたよ。 違和感を感じた方からは強い拒絶反応を頂きました。

 ただあの手帳のコンセプトに統一感を持たせる以上、我々の既成感覚では手を入れない、

 ということに担当は徹したようです。 僕らの感覚であれやこれやと切り刻むと、

 本来の狙いも成果の検証も不透明になってしまうことが過去には随分とあってね。

 これも挑戦だと思ってます。 不愉快な思いをさせてしまった方には申し訳ないですが。」

隣で聞いていた女性のライターの方が、そこらへんは本当に難しいところですね、

と相槌を売ってくれて、ちょっと救われる。

 

あ、また脱線してしまった。

脱線ついでに言うと、僕は大地を守る会に就職する前は、

実はこの業界、しかも同じようにこだわりだけは強い弱小出版社にいたもんで、

いろんな人と懐かしい昔話などもできたのだった。

 

業界内では 「本が売れない」 というのが挨拶代わりなんだそうだ。

しかしそんな話は、僕がいた時からあった。

実際には、膨大な量の新刊本が発行されて、あっという間に消えてゆく様を見ていると、

「売れない本」 を作りすぎる、というほうが真実だろう。

そこには出版流通業界の危険な商慣習に依存する体質も見え隠れしている。

その洪水の中で、本当に読みたい本は駅前の本屋さんにはなかったりする。

その辺が課題だと、僕がいた頃も言われていた。

四半世紀経っても、何だかあまり変わってないようだ。

いや、それでもこいつら生き延びているんだからスゴイ、とも言える。

 

ここに来た人たちのつくった本が続々と売れていくような現象が生まれたら、

それはそれで怖い社会のような気もするしね。

だから大江さん、および志を同じくする皆さん。

貧しく、粘り強く、信念に従って、頑張ってください。

引き続き (できる範囲で) 応援しますので。

貧しい仲間同士で意地を張って生きていくのは、楽しい。 また飲みましょう。

 



2009年4月29日

森林浴に谷津田の話など

 

大地を守る会にはいろんな通信物が送られてきていて、

そこで目にとまった情報をもうちょっと掘り下げて分析できれば、

面白いネタは尽きないだろうに、なんて思うことがある。

しかし、それがなかなかできない。

たとえば、北里大学学長室から発行されている通信 『情報:農と環境と医療』

というのが送られてきていて、最近届いた号を開けば、こんなトピックが紹介されている。

 

つくばにある独立行政法人 「森林総合研究所」 が発刊する 「森林総研」 第3号で、

 『森林浴が働く女性の免疫機能を高める』 という記事が掲載された。

森林浴によって、女性の抗がん免疫能が上昇し、その効果が持続し、

さらにストレスホルモンが低下する、という研究結果が出たのだそうだ。


 

研究内容はこのようである。

東京都内の大学付属病院に勤める女性看護士13名が、

長野県にある森林セラピーに滞在し、ブナやミズナラの落葉広葉樹林や、

スギ人工林などのセラピーロードを、森のガイドと一緒に二日間ゆっくり散策する。

森林浴の翌朝8時に採血し、

がん細胞やウィルスを殺傷するNK (ナチュラル・キラー) 細胞の活性や、

NK細胞が放出してがん細胞を攻撃する抗がんタンパク質の量を測定する。

また血液や心拍数を上昇させる副腎の分泌物であるアドレナリンの尿中濃度を測定する。

さらに森林浴の持続効果を調べるために、

森林浴の一週間後と一ヵ月後に同様の測定をする。

 

その結果-

東京在住の時に比べ、被験者のNK活性は、二日間の森林浴によって38%高まった。

活性値は一週間後も33%の高い値を維持した。

また免疫能は一ヵ月後でも10%高く持続した。

尿中のアドレナリン濃度は、森林浴一日目で57%に、二日目で68%も低下した。

   ・ ・ ・ 

森林浴には免疫機能を高める効果がある、とはよく聞くが、

裏づけとなる科学的データを得ると、それは自分の中でも客観的真実に近づく。

しかも、この数字は、かなり高い。

すると、こんな話も紹介してみたいな、とか思うのだが、

しかしトピック記事を読んだだけで (これはまた聞きのようなものだから)、

何かを語るのは憚られる。 ちゃんと原典となる試験報告書にもあたってから、

なんて思うのだけど、そうすると書けなくなる。

このブログではこの手は使わないと決めていたのだが、と思いつつ-

上の話に関心を持たれた方は、(独)森林総合研究所のHPにアクセスしてみてください。

 

自分の話にまるで責任のない、ただの紹介ですましちゃうわけだけど、

調べようとして、結局紹介もできないのでは、宝の持ち腐れになってしまうし・・・

こんな日があってもいいでしょうかね。

こういうのならなんぼでも書けるのだが、でもなんか、つまらない。

 

もうひとつ、こんなのもある。

こちらはつくばからの直接情報。 独立行政法人 「農業環境技術研究所」 から、

研究トピックスをまとめた 「農環研ニュース」 というのが送られてくる。

だいたいが解説も困難な小難しい研究をやっているのだが、3月号には、

「谷津田が植物の多様性を高めるしくみを解明」 というレポートがあった。

 

農村地域には、肥料源や飼料を採取するために、定期的に草が刈られる

「半自然草地」という場があった。 「あった」 というのは、今はほとんどなくなりつつある、

という意味で、多くは草刈りもされずに放置されていっている。

では放置 (ある意味で自然化) された場所には、動植物が増えるかというと、

実は逆で、畑の放棄地や造成跡地に見られるススキを主体とした植物群落では、

草原性の動植物がいないと言われる。

つまり、ヒトが手入れしていた場所がいったん放棄されると、

生物多様性が減退する、という現象が生まれるのだ。

 

その比較調査が試みられている。

ここで選ばれたのが谷津田 (やつだ:山や丘陵に囲まれた谷底にある水田) で、

水田を取り囲む斜面林の下部は、田面が日陰になるのを防ぐために

定期的に草刈りが行なわれる場所 (裾刈り草地) である。

そこで、植物社会学の手法を用いて、裾刈り草地における植物の多様性が、

造成跡地や放棄畑、過去に調査された半自然草地と比較された。

その結果-

谷津型と松林型 (主にアカマツ林の林床タイプ) では、ワレモコウなど

在来の多年生草本植物の多様性を示す値が高いことが明らかになった。

秋の七草の一つであるフジバカマなど多くの希少植物も見られた。

これによって、谷津田での農作業の一つである隣接斜面の定期的草刈りが

植物の多様性を維持していることが明らかになった、というワケだが、

この研究レポートには、もうひとつ解析が加えられていて、

関東地方東部 (千葉~茨城) の台地地域を調べたところ、

水田と森林が接する部分が長い場所の減少が顕著に見られた、とのこと。

つまり谷津田の耕作放棄が進むことによって、

その地域の植物の多様性が失われていっている、という結論である。

 

田んぼの生物多様性の話をするときに、

「中規模かく乱説」 というのをもち出すことがあるが、この研究は、

適度に人の手でかく乱したほうが多様性が増す、という説を裏づけたことになる。

これは、放置すると優勢種の天下になる、ということも表わしていて、

草を刈る (撹乱する) とは、実はその場での強きをくじいている作業でもあるワケだ。

 



2009年4月15日

PARC自由学校

 

もうひとつ、募集のお手伝いを。

NPO法人 アジア太平洋資料センター (PARC) という団体がある。

知る人ぞ知る、なんて言っちゃうと、かえって失礼にあたるかも。

 

世界経済のグローバル化が一気に進み、貿易の構造も変質して、

いわゆる 「南北問題」 がクローズアップされてきたのが、

1960年代の終わり頃から70年代だったろうか。 その頃からずっと

南と北の経済的不平等の問題に取り組んできた団体である。

世界各地のNGOとネットワークし、様々な情報を集め、発信するとともに、

今では民衆交易の支援なども行なっている。

東チモールでの、現地の人たちの自立を助けるコーヒー栽培には、

大地を守る会も販売に協力している。

 

そのPARC (通称:パルク) が、1982年から始めたのが 「自由学校」 だ。

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パンフレットの紹介文から引用すると-

 「私たちが生きている世界のこと、そしてその世界の一部としてある日本社会のことを

  知りたい。 より豊かな暮らし方や、いきいきできる生き方のヒントがほしい。

  表現するための技術を身につけたい。 そんな人たちが出会い、学びあうのが

  自由学校です。 新しい視点や新しい知識に出会うと、発想が変わります。

  すると、これまで思っていたのとは違う世界や社会が見えてくるかもしれません。

  ~ 自由学校はそのきっかけとなる場でありたいと考えています。」

 


今年のプログラムは、全部で26 (+特別講座がひとつ)。

Ⅰ.ことばの学校

  「英語で憲法9条を語ろう」 や 「海外NGO資料から世界を読もう」 など6講座。

Ⅱ.世界の学校

  「一杯の紅茶から見る世界」 「映像で出会うアフリカ」 など6講座。

Ⅲ.社会の学校

  「社会的起業!-わたしの思いをカタチにする」 「人の移動から見る近・現代史」 など4講座。

Ⅳ.環境・暮らしの学校

  「麻ではじめる自然生活」 「オルタナティブ健康術」 など6講座。

Ⅴ.表現の学校

  「金村修の写真教室」 「ムーブメント三線」 など4講座。

 - とこんな感じだ。

 

だいたいが、5月から始まって、11月から来年の1,2月あたりまで、

隔週くらいのペースで開講される。

僕も毎年パンフレットを見るたびに、「ああ、これ出てみたいな」 と思いつつ、

いつも忙しさに負けていた。

 

それがなんと、今年のプログラムのひとつで、講義の依頼が入ったのだった。

受けたのは 「環境と暮らしの学校 - エコを仕事にする!」

12回シリーズの最終回、11月28日に

 「有機農産物を通して生産者と消費者を結ぶ」 というテーマで、

弊社の物流センターを見ていただきながら、お話をすることになった。

 

ここだけの話だけど、実は、僕はパルクの会費が払えず、脱会した人間なのよね。

スミマセンでした。 今回の講師料 (出るのかどうかも怪しいけど) は

過去の延滞した会費に充当していただけると、救われます。

 

ま、そんな話はともかく、エビからの今回のおススメをひとつ。

世界を知る学校 - 食糧危機がやってくる !? 」 だ。

経済がグローバル化して、人は食い物を奪い合わなければならなくなった。

ヘンな話である。 21世紀に入って、いったい誰がシアワセになったのか・・・・・

5月から12月まで14回の講座が組まれている。

敬愛する出版社・コモンズの大江正章さんのオリエンテーションから始まり、

古沢広祐さん (国学院大学教員) の世界食糧争奪戦争の構図解説へと続き、

不平等を生み出す食糧政策の問題から遺伝子組み換えの問題まで考えつつ、

日本と世界の食の未来を構想しようというプログラムになっている。

 

本音を言えば、こっちでやらせてよ、という気分である。

講師陣の一人、大野和興さん (農業ジャーナリスト) とは、

いつか本気でバトルしてみたいと思っている長~い関係だしィ。。。

 

僕たちは、「なぜ世界の半分が飢えるのか」 (スーザン・ジョージ) という

1970年代の問いを、ずっと超えられずに今日の 「貧困」 問題まできたのだけれど、

その内部的問題も切開してくれるに違いない・・・・・期待しています。

 

講座は夜です。 

関心ある方、ぜひパルクのHPにアクセスしてみてください。

 ⇒ http://www.parc-jp.org

 



2009年3月17日

ap bank fes ワークショップ

 

大地を守る会の広報担当・ U からの指令により、ある会合に出席させられる。

ここは渋谷のとある公共の会議室。 

会議名は、「 ap bank fes 飲食出店ワークショップ (第1回) 」。

 

ap bank   については、皆さんご存じのことと思う。

音楽プロデューサー小林武史さんと、Mr.Children の櫻井和寿さん、

音楽家の坂本龍一さん、という超ビッグ・ネームの3人が設立した、

環境に関する様々なプロジェクトに融資を行なう非営利組織である。

その ap bank が、5年前から静岡県掛川市の 「つま恋」 で開催している

野外音楽イベントが 「 ap bank fes 」。

毎年、7月の海の日前後の3日間にわたって開催され、

ミス・チルを中心に、大物と言われるミュージシャンが続々と友情出演し、

また食や環境にかかわるたくさんの団体や市民グループが出店を出して盛り上げる、

一大イベントである。 昨年の入場者数は、なんと2万7千人( × 3日)。

大地を守る会も第1回目から協力して出店してきた。

 

その fes の今年の出店募集がすでに始まっているのだが、

主催者から、飲食関係の出店者を集めてワークショップをやるので出て来い、

との連絡が事務局にあって、なぜか 「エビスダニという者を出させます」 となって、

フラれたのだった。 だいたいこういう時は、面倒な話なのだ。

「俺だって、ヒマじゃない」 とか言いながら、結局出かける。

 


この日の参加者は30名ほど。

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今年も fes の出店に名乗りを上げているグループの人たち。

さてそこで、何やるの?

主催者 ( ap bank 運営事務局) の言うには、こういうことだった。

 

 ap bank fes では、05年に開催してより、

 " 体にも環境にも負荷の少ない素材を使った食事や消費のあり方を通して、

  「おいしい」から感じるエコを提案したい " との想いから、飲食出店の皆様にも、

 オーガニック純度の高いメニューの取り扱いを推奨してきました。

 そこで今年は、新たな試みとして、「オーガニック」素材を扱うことへの意識や、

 「食」だけではなく、ごみや環境のことといったイベント全体の趣旨・想いなどを

 より深く共有すること、また出店者同士のつながりや情報交換の場として機能する

 ことを目指して、出店者説明会とは別に、ワークショップをすることにしました。

 いま一度、「オーガニック」について正しく理解することと、ap bank fes における

 オーガニックフードの提供に関して、活発な意見交換と情報共有の場となるべく

 開催いたします。

 

要するに、これまで 「オーガニック」 な食材を基本姿勢としながらも、

出店内容 (の素材) や出店者の理解の仕方に多少の温度差があったようなのだ。

また思いはあっても、相手する(用意すべき) 数、規模があまりにも大きくて、

手当てしきれない、という現実もあったようだ。

「やりたくても、カレーの具を全部有機で揃えきれないよ」 というわけだ。

そこでまずは、オーガニックについての基本的なところから共通認識をつくりあげ、

このネットワークで可能な限りオーガニックの純度を上げるようにできないか、

というねらいかと理解した。

そもそも 「オーガニック」 (有機) とは何なのか、

それを fes で音楽を聴きに来た人たちに伝える意義とは何か、

を語り合おうというわけだ。

 

生産者の立場から、流通の立場から、小売りの立場から、それぞれに思いや実情、

悩みなどを語り合う場となって、僕もいろいろと喋らされてしまった。

 

「オーガニック」 というより、僕は 「有機」 という言葉を使うが、

それはたんに 「無農薬・無化学肥料」 の栽培技術だけを指しているわけではない。

人と人の有機的つながりや、有機的社会づくり、という視点も含まれている。

栽培技術の側面からいっても、それはただ農薬をふらない、ということではなく、

農薬を必要としない土づくり、という観点が土台になるし、

その土台づくりは必然的に周囲の環境との調和を求めるようになる。

つき詰めていけば、大根一本から世界が見えるようになる。

その世界を有機的な関係で築き直していきたいと思う・・・・・。

ここでは、厳格な定義を示してガイドラインを設定したりするより、

まずは ap bank の基本精神に共感して出店するということを強く自覚して、

一歩でもその純度を上げるために取り組んでいる自分を表現する、

ということではないだろうか。

 

ちょっとテキトーな発言だったか・・・・

まあ、こういうコミュニケーションを重ねることで、fes (の真意) との一体感を

つくり上げていきましょう。

 

司会進行をされた南兵衛さん。

何の準備もせずぼんやりと出てしまってすみませんでしたね。

もし次の機会が頂けるなら、もう少し整理して臨むようにします。

とりあえず主催者の想い、は受け止めさせていただきました。

ただし、モノの流通(ネットワーク) は、そう簡単なものではなさそうなので、

慎重に考える必要があると感じました。

 

過去4年間は、別な予定があったりして、fes には出られなかったけど、

今年はこういう所に顔を出してしまった以上、出させていただきましょうかね。

あっつ~い 「つま恋」 体験をしてみたいなぁ。

 

今年の ap bank fes  は7月18(土)・19(日)・20(月)、です。

チケット入手はお早めに。

 



2009年2月11日

地球の目線

 

大地を守る会とは古くからのお付き合いであり、

100万人のキャンドルナイトの企画・運営でもご一緒している

文化人類学者の竹村真一さんが本を出された。

このブログでも、大手町での 「地球大学」 などで何度か紹介させていただいた方。

本のタイトルは 『地球の目線 -環境文明の日本ビジョン-』 (PHP新書、760円)。

地球大学で展開されていた竹村さんの視野と構想が凝縮されたような内容である。

昨年末に頂いて、すぐに読んだのだが、

ちゃんと紹介したい思いがあだになってか、遅れてしまった。

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地球温暖化対策が叫ばれて久しくもなりつつあるのに世界はまだ綱引きが続いていて、

一方で未曾有の世界同時不況が一気に襲ってきている時に、

混沌は希望への道筋と言わんばかりの、大らかな未来ビジョンが描かれている。

この時代に出るべくして出た、と言ってもいいだろう。

とにかく、いま私たちが持つべきセンスが開かれたという意味で、

この本の登場は世界にとってもシアワセなことではないかと、素直に思うのである。


たとえば、こんな書き出し。

 

水に祝福された惑星 

 アル・ゴアの 『不都合な真実』 は、地球環境の危機に注意を喚起することで、

 逆にあたりまえすぎてだれも注意を向けなかったこの惑星の 「好都合な真実」 に

 多くの人々が気づくきっかけを与えてくれた。

 

あるいは、こんなふうな語り。

-本来、地球という惑星に " エネルギー問題は存在しない " 。

-石油の枯渇や高騰などに振りまわされないおおらかな文明を子どもたちにプレゼントする

  準備はすでにできているのだ。

- " 京都の失敗 "  にこだわるより、中東の石油に過剰依存した現在の経済構造を

  一刻も早くリセットして、石油・資源価格の乱高下から自由になるための道を

   (地球の公益・共益として) プロデュースしてゆくという、

  はるかに大きな政治・外交的な課題がいま目の前にある。

-地球はつねにダイナミックに変化している!

-宇宙に浮かぶ無数の球体のひとつに過ぎない地球、しかし同時にきわめてレアな

  進化の実験を行う  " ありがたい "  球 (Globe) としての自己認識 -こうした宇宙的な

  Globalism に立脚して、新たな文明観と社会デザインを構築すべき時だろう。

 

そんな感性と知力をもって、エネルギー・資源問題や気候変動のとらえ方、

食と自給の問題 (日本の食糧自給化が地球を救う)、多様性の意味、

都市設計のビジョンからグローバル社会でのヒトとⅠTの関係性のデザインのありよう、

などなどが小気味よく、具体的事例も提出されながら語られてゆく。

いま目の前にある危機は、文明が進歩しすぎたからではなく、

私たちの社会デザインがまだ未熟であるゆえであって、私たちが進むプロセスは

 「新たな人間の発見」  「 " 地球世代 " の新たなコモンセンス」

の獲得へとつながっている・・・・・

 

まったくこの、地球民の想像力を持った大胆な楽観主義者にかかれば、

日本の森は宝の山であり、危機は創造へのバネでしかないようだ。

 

   そんな困難だけれどワクワクするような新たな地球デザイン、国家デザインの道

   -人類が 「若年期」 の資源とマネーの暴飲暴食から、人間としてのクリエイティビティを

   真に発揮しうるような成熟した段階へと移行するための 「自己変革」 の旅路が、

   いよいよ始まろうとしている。

 

そのおおらかな希望には、ケチの一つもつけたくなる向きもあるかもしれない。

甘い分析だと笑うネクラの政治学者もいるかもしれない。

 しかし、未来は人の知力を信じる者たちによって切り拓かれるのだ。

自分の感性に何がしかの新しいセンスが与えられたような、刺激的な本である。

まったく、学ぶことは喜びだ、と思える。

 

読んで損はない。 今年のおススメ第一号は、かなりイイはず。

 

ちなみに、大手町カフェでの連続セミナー 「地球大学」 は今、

東京駅前・新丸ビル10階、ECOZZERIA (エコッツェリア) というスペースで、

丸の内地球環境倶楽部」 として発展してきています。

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竹村さんが開発した 「触れる地球」 も体験できます。 

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東京駅で少しの時間ができた際には、ぜひ。

 

竹村さんの地球大学セミナーを紹介したアーカイブ、参考まで。

  2007年10月4日   2008年3月15日

 



2008年12月24日

私の 「水俣」

 

さてさて、またもや数日の時間がたってしまったが、水俣での話に戻りたい。

生産者会議解散後、僕は一人てくてくと、ある場所を尋ねた。

財団法人 「水俣病センター相思社」。

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今ではほとんどお付き合いはなくなってしまったけど、

かつて、ここで1982年から10年ほど続いた、

水俣病と有機農業を学ぶフリースクール-「水俣生活学校」 というのがあって、

僕はその学校設立にあたっての出資 (債権) 者の一人だった。

大地を守る会に入る前の話である。

出資金額はたかが一口5万円だけど、まだペエペエの自分には、

とてもきつい、決意のいる金額だったんだ。

 (今でもしんどい額だけど。 いや、今なら出さないかも・・・セコクなったねぇ)

閉校になった後、出資金は返せないと言われてしまった。

 

というわけで、この地に来た以上、外すわけにいかない表敬訪問だったのだ。

べつに借金の取り立て、とかの意味ではなくて。

 


上の写真は、相思社のなかにある 「水俣病歴史考証館」 という建物。

水俣病の歴史を語る資料が展示されている。

元は、水俣病患者さんたちの自立を支援するために建てられたキノコ工場である。

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水俣病の歴史を解説するのは、ここでは省きたいが、

チッソ水俣工場から工場排水と一緒にメチル水銀化合物が水俣湾に流されたのは、

1932 (昭和7) 年から始まっていること、

その後不知火海 (八代海) 一円で水俣病が発生し、風土病とか言われながら

患者さんおよびその家族は婚姻などで差別された歴史があったこと、

水俣市が公式に水俣病を 「確認」 したのは1956 (昭和31) 年、

国がチッソ株式会社の排水による公害病として認定したのが1968 (昭和43) 年、

という時間があったことは押さえておいてほしい。

「水俣病」 が世に知られてから、すでに半世紀の歳月が流れている。

 

公害病と認定されるまで、いや認定されてからも、

日本の化学・軍需産業の発展を担った " 天下のチッソ " の城下町として栄えた

この町で、チッソと喧嘩することがどんな苦しみや迫害を伴ったか、

想像するだに辛いものがある。

そして悲劇は、より残酷な現実を世に送り出した。

母の毒を一身に引き受けて、母を救うために生まれたような

 「胎児性水俣病」 という病名を背負った生命の誕生である。

 

僕が初めて水俣病を知ったのは、中学生の頃だったか。

NHKの 「新日本紀行」 とかの番組で、水俣で奇妙な病気が発生している、

という報道だったように記憶している。

それが企業の排水による公害だったということになって、チッソの株主総会に

「怨」 の字を縫い付けた法被を着た漁民たちが攻め込んでいた。

僕も四国の片田舎で毎日海を見ながら生きていた者である。 連帯感を感じたものだ。

くわぁーっと胸が熱くなって、「よし、弁護士になってやる!」 と決意した。

いっぱい勉強しないとなれないと分かったのは、高校生になってからだったかな。

正義の味方だと胸を張っても、近道はないのだった。

諦めも早かったなぁ。 何たってテキは社会悪の前に、 「ベンキョー」 だったから。

 

ま、そんな与太話はともかく、

相思社を訪ねれば、「もうその頃のスタッフは残ってませんねぇ」 とか言われながら、

でもさすがに、元生活学校の債権者という威力だろうか。

栃木出身の高嶋由紀子さんという若い女性が丁寧に応対してくれた。

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患者さんたちの位牌を預かっているというお仏壇に、お線香を上げさせていただく。

この儀式は、今の自分への改めての問いかけである。

 

歴史考証館を見学させていただいた後、

水俣の今を案内してもらった。

 

ここは最も水俣病の発症が多かった茂道という地区。

当たり前のように佇む、海。

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海の神さんや山の神さんらと楽しく共存していた無辜な漁労の民が、

近代化という遠い雷鳴のせいで、なんで生きて地獄を見なければならないのか。

切なさが込み上げてくる・・・・・悔しいなぁ。

 

港々のいたるところにエビス様が、鎮座している。

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 エビス様は、漁師の安全と豊漁祈願の神様である。

僕の田舎では、エベっさんって言われてるけど-。

高嶋さん- 「はい。 こっちでもそうですよ。 エビスダニさんて、もしかして由緒ある・・?」

・・・・・いえ。 えべっさんとは呼ばれてたけど、べつに、ただの貧しいウチです。

ハァ・・・(つまんない) 。

 

ここが元工場の百閒 (ひゃっけん) 排水口。

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昭和の初期から30年以上にわたって、

70~150トン、あるいはそれ以上の有機水銀が垂れ流された。

堆積した水銀汚泥は、厚さ4メートル以上になっていたという。

1977年、県は汚泥除去をかねた湾の埋め立てを行なった。

工事期間14年、総工費485億円、失われた海58ヘクタール。

水銀ヘドロとともに、汚染された魚もドラム缶に詰められ、埋められた。

結局、誰が儲かったのか。 誰が負債を請け負っているのか・・・・・

 

その土地は現在、公園になっている。 公園に立つ記念碑。

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ここで2004年8月、石牟礼道子さんの新作能 「不知火」 が上演された。

台風も一日待ってくれた、とか。

その埋め立てられた海の上に立って、はからずも泣きそうになる。 

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この足の下に・・・・・もう、なんも言えねぇ。

 

高嶋さんはよく気のつく方で、「ガイア水俣」 にも立ち寄ってくれた。

大地を守る会では、乾燥アオサをいただいている。

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患者さんたちがつくった甘夏栽培の会 「きばる」 の事務局を務めながら、

いろんな水俣産品を販売して水俣の再生と活性化に尽力している。

右が藤本としこさん。 水俣市初の女性議員となった方。

隣のお二人は、高橋昇さん・花菜さん親子。 東京・世田谷から水俣に移り住んだ。

水俣は、ただの悲劇の街ではなく、その歴史ゆえに、

希望の意味を深く考えさせる力を持っているのかもしれない。

 

  「一生かかっても、二生かかっても、この病は病み切れんばい」

  わたくしの口を借りて、そのものたちはそう呟くのである。

  そのようなものたちの影絵の墜ちてくるところにかがまり座っていて、

  むなしく掌をひろげているばかり、わたくしの生きている世界は極限的にせまい。

 

  年とった彼や彼女たちは、人生の終わり頃に、たしかに、もっとも深くなにかに到達する。

  たぶんそれは自他への無限のいつくしみである。 凡庸で、名もないふつうのひとびとの

  魂が、なんでもなく、この世でいちばんやさしいものになって死ぬ。

 

  祈るべき天とおもえど天の病む

                         - 石牟礼道子 『不知火』 (藤原書店刊) より -

 

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2008年12月21日

現代の種屋烈士伝 -野口種苗研究所

 

さて、水俣の話を続ける前に、今日のちょっとした出来事を挟ませていただきたい。

 

埼玉県飯能市に、小さな種屋さんがある。

飯能の市街から名栗村 (現在は飯能市に合併) に向かう県道沿いの

小瀬戸という地区、並行して流れている入間川 (名栗川とも呼ぶ) との狭間に

その種屋さん、「野口のタネ・野口種苗研究所」 はある。

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玄関で出迎えてくれるのは、なぜか手塚治虫のキャラクター、

アトムくんにウランちゃん、そして火の鳥。

何を隠そう、ここのご主人、野口勲さんは、

手塚治虫が創設したアニメ制作会社 「虫プロダクション」 の元社員で、

手塚治虫担当の編集者だったという経歴の持ち主なのである。

ちゃんと手塚先生お墨付きの看板というわけだ。

 

で、日曜日になぜここを訪ねているかというと、

とある出版社の編集者とライターさんが、野菜の品種改良の世界についての実情を

知りたいということで問い合わせがあり、野口さんを紹介したというワケ。

そのライターの方とは6年前に米のことで取材を受けてからのお付き合いで、

今回久しぶりに仕事がらみでの連絡、「面白い人を知りませんか」 となったのだ。

 

とっておきの面白い人、知ってますよ。

大手の種苗メーカーに行く前に、この方の話を聞いておいて損はないはずです。

-ということでご案内したのだった。

しかもウチはここから少し奥に行ったところの、ご近所みたいなものなので、

自分でご案内しないことには面子が立たない、という事情でもあった。 


店内に並べられているタネの数々。

しかしこれらは、そこら辺のお店に並んでいるものとは、決定的に違う。 

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いわゆる固定種、つまりタネが自家採取できる品種が集められているのだ。

店主・野口勲さんが自称する 「日本一小さな種屋」 で、

細々と (失礼) 、しかし確固たる哲学を持って集められ、販売することで守られてきた、

文化の集積である。 どっかの研究所の冷蔵庫ではない。 農家に使われながら、

生き続けてきたタネである。 

「伝統野菜」とか言われて、ちょっとしたブームになっている地方品種もある。

それらが、野口さんがパソコンを駆使して自らデザインしたタネ袋に納められている。

 

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野口さんのタネは、ネットで購入できます。

家庭菜園されている方には、ぜひこういう個性的な品種にチャレンジしてみて欲しい。

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ご案内した編集者、ライターの方を前に訥々(とつとつ) と、時にちょっと短気に、

品種改良の歴史を語る野口勲さんである。

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話の内容は取材者のものなので、関係上、ここで解説するのは控えたい。

今日は大地を守る会でのタネを守るプロジェクト企画-「とくたろうさん」 の担当・秋元くんにも

同行してもらったので、エッセンスは 「とくたろう」 ブログでも語られることだろうし。

要するに、品種改良の歴史や科学的解説は、ややこしくて面倒くさいのである。

 

野口さんは、今年の8月に本も著している。

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発行は、創森社から。 定価は 1,500円+税。

 

取材インタビューの途中、中座して、タネ袋を眺めていると、先代 (二代目) の

庄治さんが声をかけてくれた。 大正3年生まれ、94歳。

目も耳もしっかりしていて、いろいろと解説してくれる。

その中で注目したのは、これだ。 発芽試験器-『メネミル』 。

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戦後の混乱期、不良品のタネが出回る中で、

仕入れたタネがちゃんと発芽するものかどうかを確かめるために、

庄治さんが考案した  " 芽と根を見る "  道具。 特許品である。

今も業界内で売れていると言う。

地方の小さな種屋さんが、農家や、自給菜園で食いつなごうとする人々のために

考え出した道具。 

どんなにシンプルなものでも、新しい道具というのは、

強い動機がないとなかなか生まれるものではない。

もちろん、自身の商売の信用維持ということもあっただろう。

ホームセンターも多いこの町で、

「タネは野口から買え」-そんな地元の声が今もあることを、僕は知っている。

 

庄治さんには、さらにもうひとつの  " 顔 "  がある。

詩人・野口家嗣。

若い頃には、西条八十に師事し、数多くの詩を残している。

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一年365日を、その時期々々の花や野菜や植物を題材にして詩を編んだ。

あるいは全国都道府県の花や木をテーマに歌を書いた。

「世界の花言葉を見るとね、その花に寄せた思いは実は同じものがあるんですね」

なんてすごいことを、さらりと解説してくれる。

地元の同人から出したものだろうか、簡易印刷で綴られた詩集も取り出してくれた。

『 野菜畑の詩集 -野菜作りも楽しい詩作り  』 

-めくってみれば、こんな詩がある。

 

  らっきょうの夢

    畑のへりの らっきょうも

    時を重ねて その根には

    ひとひら毎に 思い出の

    小さな夢も 秘めている  ...............

 

この人、なんか、すごくない?

帰ってから調べてみると、野口家嗣作詞の童謡がいっぱい検索された。

ただもんじゃなかった・・・・・た、大変失礼しました。

 

戦後の混乱期に、種屋の二代目を継いだ詩人。

発芽試験器なんぞを考案しながら、植物や花を愛で、旅をし、詩を詠んできたんだろう。

そして、人の営みと一緒に育くまれていく、文化としてのタネを売ることに

矜持 (きょうじ) をかけているかのような三代目。

 

すっかりF1品種に支配された時代、遺伝子組み換えまで来てしまった21世紀に、

庶民の手で受け継いでゆけるタネが維持されていることは、希望である。

思い切って、種屋の 「烈士」 と呼ばせてもらおうではないか。

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  (右端は勲さんの奥様、光子さん)

 

ちなみに、野口さんは、先日紹介した 『自給再考』 を編纂された

山崎農業研究所から、今年、山崎記念農業賞を受賞されている。

 

研究所の横にちょっとへんなバナナが植わっているのを、

僕はいつもこの前を通りながら見ていた。

今日は思い切って、聞いてみる。

これもきっと何か、研究目的があって・・・・・とか?

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野口家嗣翁、僕を静かに見つめて、曰く。

あなた、これはバナナではありません。 バナナはこの辺では・・・ (フッ)

これは、芭蕉です。 観賞用ですな。

それにそこは、お隣の庭です。

あっ......す、スミマセン・・・・・

 



2008年12月16日

「自給率」の前に、「自給」の意味を

 

先日、一冊の本が送られてきた。

他のを読んでいた途中だったので、しばらく置いてしまったのだが、

なかなか刺激的で、日曜日に一気に読み切った。

本のタイトルは

『 自給再考 -グローバリゼーションの次は何か- 』

山崎農業研究所編。 発行元は農山漁村文化協会 (略称:農文協)。

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送っていただいたのは、その研究所の編集委員会代表の田口均さん。

田口さんは、当会も古くからお付き合いのある農文協の

出版物制作部門の会社にお勤めである。

田口さんとは、本ブログでよく登場する宇根豊さんが主宰する 「農と自然の研究所」

の会合などでもお会いしていて、何と、この日記もチェックされているとのこと。

嬉しいような、怖いような。

 

本書のテーマは、まさに書名の通り。

自給率向上が喧しく唱えられる時代であるが、ただ数字だけで何かを語るのでなく、

そもそも 「食の自給」 とはどういうことなのか、その意味を再考し、

ただしく捉え直してみようという試みである。

執筆陣は10名。

いずれも僕が尊敬し、あるいは注目している方々というのが、何より嬉しい。


まずは巻頭に西川潤氏 (早稲田大学名誉教授) を据えて、

世界の食料危機の背景を整理されている。

この半世紀での爆発的な人口増加とグローバリゼーションの進展は、

新興国の肉食化やアメリカのエネルギー戦略の変化、投機マネーの穀物への流入、

さらに世界的な農畜産業の工業化と生態系の悪化、気候変動の激化、

新しい感染症の発生・・・などなどと相まって、

グローバルに貧困を拡大させ、各地で暴動が起きるまでに至ってきている。

そんな世界的に食料危機が常態化しつつある時に、

わたしたち (日本) の食と健康はますます多国籍企業の影響にさらされていて、

「まことに憂慮すべき (心寒々とする) 状態にある」 。

しかしそれでも、地域自立を目指した動きがあちこちで始まっていることに、

希望をつなごうとしている。 もちろんその中に有機農業もある。

 

西川先生の国際経済論の講義は実は僕も受けたことがあって、

まったくお世辞でなく、僕が真面目に受けた数少ない授業の一つだった。

今なお一線でご活躍され、何よりです。

 

さて、すべての論考を解説してしまうととても長くなるし、

解説して読まれたような気になられると田口さんに叱られるので、

以下、タイトルと論者を列記することでお許し願いたい。

 

『貿易の論理、自給の論理』 -関 廣野

『ポスト石油時代の食料自給を考える』 -吉田太郎

『自然と結びあう農業を社会の基礎に取り戻したい』 -中島紀一

『 「自給」 は原理主義でありたい』 -宇根豊

『自給する家族・農家・村は問う』 -結城登美雄

『自創自給の山里から』 -栗田和則

『ライフスタイルとしての自給』 -塩見直紀

『食べ方が変われば自給も変わる』 -山本和子

『輪 (循環) の再生と和 (信頼) の回復』 -小泉浩郎

 

どの論も簡潔で、小気味よく、気合いが入っている。

関廣野さん (本当は「廣」の右に「日」偏がつく) の文章は久しぶりだけど (スミマセン)、

やっぱ名調子だなと思う。

  「世界貿易の課題は相互に必要な物資の交換でなく市場の無限の拡大にある」

  「対等な交換の見せかけをした恒常的な略奪」

  「食料危機は重大な問題ではあるが世界の現状は悲観すべきものではない。

   コロンブスの航海に始まる世界貿易の時代は終わりつつある」

  「貿易と自給をめぐる議論は最後には民主主義の再定義という問題に行きつく」

 

人類史の視点から自給を考えた吉田太郎さんも面白い。

  (いまの)米国農業は、収穫される食物1カロリーに対して、機械・肥料その他で

  2.5カロリーの化石燃料を燃やし、加工、包装、輸送も含めると、

  朝食用の加工品3600カロリーを作るのに1万5675カロリーを使い、

  270カロリーのトウモロコシの缶詰一個を生産するのに、2790カロリーを消費している

  「世界で最も非効率な農業」 だと・・・

 

吉田さんがこの論考で引っ張ってきている人類学という学問は、

「原始時代と現代とで、はたしてどちらが幸福か」 という問いを現代人に与えた。

僕もかつて読んだことがある。

  現代の進歩として考えられているものの大部分は、実は、先史時代に広く享受されていた

  水準の回復なのである。 石器時代の人びとは、その直後に続いた時代の人びとの

  大部分より健康な生活を送っていた。

  おいしい食べ物、娯楽、美的よろこびといった生活を快適にするものについても、

  初期の狩猟民や植物採集民は、今日のもっとも裕福なアメリカ人にしかできない贅沢を

  享受していた。 森と湖ときれいな空気の中で二日間過ごすために、現代では

  お偉方たちでさえ五日間働くのである。 当節は、窓の外にわずかな芝生を眺める特権を

  得るために、家族全員が30年間こつこつと働き貯蓄をする。

            ~ 『ヒトはなぜヒトを食べたか ~生態人類学から見た文化の起源~』

               マーヴィン・ハリス著、鈴木洋一訳 (1990年、早川書房刊) から

 

人類学とは、まったく嫌な事実を発見するものである。

しかし、石油のピーク・アウトが現実のものとして視野に入りつつある今、

次の 「どうやって食うのか」 は、とても切実な課題として迫ってきているわけで、

人類学の各分野から示されてきているヒト史からの教訓は、

大事な基礎データであることは疑いない。

 

そして、中島紀一さんへ。

  有機農業技術は、単なる無農薬無化学肥料栽培のための技術的ノウハウでも、

  有機JAS規格クリアのための技術集積でもない。

  有機農業の技術形成とは、近代農業からの転換を踏まえ、自然と共生する農業を

  それぞれの現場で創っていく過程だという理解である。

  有機農業のこうした新しい展開が、日本農業の未来にどのような現実を拓くことになるのか。

  取り組みはまだ端緒の段階にあり、その具体的未来像はまだ見えてきてはいない。

 

その未来像を生産者とともに切り拓くために、

僕は僕なりに、大地を守る会の新しい監査システムを指向しながら、

まずは有機JAS規格の向こうを目指したく思っています。

 

他にもいろいろ紹介したいところがあるのだけれど、

あとは、もしよかったら、書店かネットでお買い求めください。

グローバリゼーションがもたらした世界をわが暮らしとも関連づけて見つめ直し、

「自給」 という言葉を自分のものにするために、人が動き始めている。

そんな確信をもたらせてくれます。

 

気になったのは、各地で盛んになっている 「直売所」 を、

地産地消の成功モデルとして無造作に礼賛し過ぎていないか、という一点だろうか。

 



2008年11月12日

"ニッポンの食の安心" を考える工務店

腰痛も時折の衝撃程度に治まってきた先週末、

今度はパソコンがいかれてしまった。

何とか代替機にデータを移し変えて作業を復旧したところである。

すっかりコンピューターに支配されてしまって、しかも手も足も出ない我が身の情けなさよ。

一方で、こういう時のシステム担当の方が神様・仏様に見えてくる。

拝み倒しながら、腹の中では 「忌々しい時代になったことだ」。 ブツブツ・・・・・

 

-とか何とかボヤイたところで、お構いなしに働かされ続ける私。

先週の土曜日(11月8日)には、東京・中野サンプラザの研修室にて、

自然住宅でお付き合いいただいている河合工務店さんが主催する

「暮らしのセミナー」 で講演したのだが、タイトルが恐ろしい。

『日本の食の安心、安全を目指して-』

ニッポンの~ かよ。

この不安渦巻くご時勢に、よくぞまあ、こんな大胆なタイトルの講演を引き受けたものだ。

-と日が近づくにつれ緊張も高まり、直前ギリギリまで

パワーポイントでの講演用スライド資料づくりにかかったのだった。

自分のノートパソコンを使って。

もったいないので、このネタで一本書き残しておきたい。

 


話した内容を自分で解説するのはさすがに恥ずかしいが、

要約すれば、こんなことをお話させていただいた。

 

今の食べ物生産をめぐる状況は、グローバリズムと低価格競争のなかで、

モラル・ハザード (危機) が激しく進行している。 危機というより崩壊に近いかもしれない。

正直にモノをつくることができなくなってしまったのだ。

また食は環境と密接につながっているのだけれど、

これも今一瞬の利益確保のために後回しにされ、

私たちの命を支える地球の生態系は、その生命力の土台ともいえる多様性を失いつつある。

そして消費者には食についての正確な情報が遮断されてしまっている。

" つくる人 " と " 食べる人 " の分断が、 " 安心の喪失" と " 安全の後退 " を

ひたすら深めてきたと言えるのではないだろうか。

私たちは誰 (何) とつながるのか、衣・食・住の観点から見つめ直す必要があるのではないか。

そして暮らしのネットワークを築き直したい。 それは私たちの手でできることである。

作り手の誇りや責任感やモラルを支える消費があって、

暮らしを支え合うネットワークの中でお金も一緒に回れば、

エンゲル係数は上がるけれども、安心は揺るがず私たちの中にいてくれるはずだ。

それはまた未来の環境を守ることにもつながっている (無駄な税金も要らなくなる)。

 

土曜日の夜に100人近い人たちが集まってくれて、

最後までしっかり聞いてくれて、終わった後も懇親が続いて、

お別れしたのは11時を回っていた。

腰痛も忘れさせてくれた、けっこう熱いセミナーだったなぁ。

こういう人たちをつなげている主催者、河合工務店さんのポリシーにも唸らされた。

「地元 (何かあったらすぐに駆けつけられる距離) の方からしか注文を受けない」

地産地消の工務店なんだという。 名刺には 『我が街と共に歩む』 と刷られている。

こうやって暮らしのネットワークが、ひとつまたひとつとつながり、広がっていくことに、

「希望」 という言葉を重ねたいと思うのだった。

 



2008年9月24日

汚染米緊急集会

 

久しぶりに爽やかな秋晴れの朝を迎えたのに、

気分はブルーグレーのような雲のなかにあって、

午後、永田町の衆議院議員会館に向かう。

 

『汚染米 農水省追及緊急集会』 というのが開かれたのだ。

全国43の団体が呼びかけ人になって、100人近い人が集まっている。

議員会館の会議室もいっぱいで、座ったが最後、席を立つのも息苦しいような雰囲気で、

この事件に関する農水省とのやり取りが始まる。

e08092401.JPG

現場では気づかなかったけど、追及の及の字が違ってるね。

ま、そんなことは許容範囲として、

許し難い事態となってしまった責任を農林水産省がどのように受け止めておられるのか、

確かめたくて参加したのだが、

結果はさらに虚しく、喩えようのない複雑な怒りを抑えながらの帰途となってしまった。

 


農水省へのこちらからの質問は事前に提出してあって、

回答は文書で出して欲しい旨伝えてあったのだが、紙は一枚も用意されず、

すべて口頭での回答となった。

 

質問は多岐にわたった。

以下、いくつかピックアップしてご紹介する。 ( )内は私の解説。

ちなみに、会場の人たちは 「汚染米」 と言い、農水省は 「事故米」 と言う。 

前提から、認識というか視点の違いが存在する。

 

★汚染米の転用や処理については、どのような法律に基づいて、どのような基準で、

 どのような用途・方法がとられるのか?

  -物品管理法に基づき国が管理。 事故米は食用不適と判断し、用途を決定して

   指名競争入札にかける (少量の場合は相対で売買契約もある)。

   用途を決めるのは農政事務所の判断 (要するに人による現場判断か)。

   「事故米」とは、水に濡れたり、カビたり、袋が破けたり、基準値以上の残留農薬が

   あったもの、など (数字から見ても、とても杜撰な管理体制のように思える。

   政府米倉庫ってちゃんとしたものだったと記憶しているのだが・・・)。

★ミニマムアクセス米 (MA米:最低限の輸入義務量-正確には「輸入機会を与える」量-)

 の輸入開始以来の年ごとに、輸入量、購入総額、事故米発生数量、事故の内訳、

 処分方法、処分先の業者名を明らかにされたい。

  - (ばあ~っと直近5年間の数字が報告される。

    処分先の業者については、この間公表された企業名が列挙されたのみ。

    「事故米」の数量と残留基準を超えた米の数量の計算が合わず、質問したところ

    「2年後、3年後に再検査して発見されたものが追加されているので、

    年度ごとでの数字は合わない部分もある」 との事。 これまた釈然としない。) 

★汚染米の輸出国への積み戻しはどうしてできなかったのか?

  -相手国の港を出た時点で契約は成立するため、返却は困難。

★こちらの検疫検査で引っかかって積み戻す事例はたくさんあるはずだが?

  -MA米については現地で (委託された商社による) 検査・確認がされ、

   現地で契約となっている。

★アフラトキシン汚染米の動物飼料への転用はあったか?

  -それはない。 焼酎に使われた2.8トン以外はすべて在庫を確認している。

    (検査で発見された数量に関しては、ということで、見つけられなかった汚染米

     も相当あるのではないか、との疑問も出されたが、

     さすがに、見つかってないものを 「ある」 とは言えず、ここまで。)

★汚染米を海外援助にまわしたことはないか?

  -ない。

★(MA米でない) 国内産の事故米の実績と処分方法を明らかにされたい。

  -(年度ごとの数字が読み上げられ、処分方法についてはMA米での回答と同様。

    ということは、国内産の事故米についても疑惑が残る。)

★カドミウム検査で基準を超えたものはどのように処理されているか?

  -ゴミ処分場で出た焼却灰といっしょに固めて人工骨材になるものと、

   合板用の糊の増量剤として使われている。

   米は粉砕し、(転用されないよう) 着色した上で、

       国が直接、合板用糊の加工業者に販売するので、トレースもできている。

   (カドミウム米と事故米を処理する部署は同じ 「総合食料局」 内にあるのだが、

    連携はもちろん、情報交換もまったくされていない。 我々には理解不能。)

★非食用とした米の入札に、なぜその用途先の専門業者に限定せず、

 穀物業者を参加させていたのか?

  -そういった加工用の販売先を持っている業者なので・・・・・

★そもそも業者に対してどんな検査をしていたのか? 96回も行って、なぜ見抜けなかったのか?

  -検査はしていた。 していたが見抜けなかったということ。

   (具体的にどんな検査方法をとっていたのかは結局不明のまま。

    これでは 「ただお茶飲んで出された饅頭でも食ってたのか」 と罵られても仕方ない。)

★汚染米を工業用糊に回したというが、具体的に何に使われたか?

 使ったメーカーまで確認しているか?

  -糊といっても普通の一般的に使われている糊ではなく、合板用の接着剤である。

   販売先については、現在調査中である。

     (絶句! 調査中なのに何故用途先が明言できるのか。

     そもそも最初の発表からもう20日も経ってしまっている・・・イライラが募る。)

   調査の結果はお渡しする (ことをしぶしぶ約束)。

 ★汚染米はトレース可能な処理方法が必要だ。農水省の対応策を明らかにされたい。

   -これまではちゃんとした検査のマニュアルがなかったので、早急にマニュアルを

    作成するとともに、検査にも専門知識を持った者をあてるなどの対策をとりたい。

 

!!! ついに怒り爆発。 ぶち切れ状態で質問する。

それはいったいどんな専門知識のことを言っているのか?

では過去96回も出向いた職員は、なんの知識を持って出かけていたのか?

そもそもこの問題は、特別な専門知識やマニュアルを必要とするレベルではない。

売った先を確かめ、そこでの処理と内容を作業記録等で確認しながら

末端まで辿ってゆく、という真面目な人なら誰でもできる作業である。

それをしていたのではなかったのか。

私の団体は、農水省から監査を受ける立場にある有機農産物の認定事業者であるが、

もうやってられない!

 

ここでようやく 「申し訳なく思っています」 の発言を引き出す。

 

目の前の個人を責めているのではないのだが、あまりにも情けない公僕の姿ではないか。

トレサビリティの問題ではなく、国民に対する責任感の問題である。

リスク・コミュニケーションの問題ではなく、正直であろうとする姿勢の問題である。

 

誇り高き和菓子職人が頭を抱え、

事故米の食品転用に手を染めてしまった仲介業者の経営者が自殺し、

数多くの食品会社が経営の危機に瀕するような事態を、誰がつくってしまったのか。

そこで働く従業員やその家族らがどんな思いで日々を過ごしているのか、

思うことはないのだろうか。

これは 「事業者か、消費者か」 というような二者択一の問題では決してない。

食のサプライチェーンをしっかり見ることで、

事業者と食べる人の間に信頼を確保し、ともに守ること、それが国の責任だろう。

 

出口が見えない。

 



2008年9月20日

底なしの汚染米

 

いったいどこまで落ちていってしまうのか......底なし沼の汚染米問題。

「農水省に責任はない」 とか開き直っているうちに、

とうとう仲介業者の経営者に自殺者が出て、

コンビニおにぎりが10万個、学校給食45万食......もはや言葉が見つからず、

何も書けずに嘆息ばかりしてたら、何と!大臣&次官の同時辞任ときた。

 

一週間前に、この大臣には退陣願いたい、と書いたけど、

今度は、ホンマに辞めてどないすんねん! の心境である。

もう一度書くけど、

「私の責任にかけて、問題を切開し、徹底的に改善措置をとる」

 と、どうして言えないのだろうか。

これじゃ、敵前ならぬ国民からの逃亡ではないか。

就任したのはつい先月のこと。

「私を選んだのは正解です」 と胸を張ったのは、あんたですよね。

こうなったら言い放ちついでに、

どうせならその胸のバッジも外すべきじゃないか、くらいは言わせてもらおうか。

 

その間にも、米国産豚肉に中国産松茸と、国産に化けていた話が

ちっちゃく報道されてたり、かたやウナギ業界にも自殺者が出たり、

報道の裏で相当な数の食品会社が潰れていってるんじゃないか、

なんて考えこんでしまう。

 

・・・・・・・・・・だめだ。 何も書けない。 頭の中が、まだ整理できないでいる。

「劇場政治」 の舞台裏は、堕落と絶望で渦巻いているようだ。

 

   現実が信じ難いものである一方、

   偽善と妄想はいちばんしっかりした真実として重視される。

    ( ヘンリー・ソロー 『WALDEN:森の生活』/真崎義博訳  より)

 

一世紀半も前の言葉である。

 



2008年9月13日

ああ、怒り収まらず・・・・・

 

事故米(汚染米と言いたいが) をめぐって次から次へと出てくる事実は、

これまでの自分の知識なんか関係なく世の中が流れていたのかと思い知らされているようで、

もういっぺん頭をニュートラルに戻して、この問題を俯瞰し直す必要がある。

この国は相当な病いに侵されているか、

ちょっとしたカラクリに振り回されて泥沼に陥ったか、見極めもつかないまま、

誰も彼もテキトーな論評でお茶を濁していて、どれも納得ゆかない。

 

少し冷静になろう、と思っている自分がいるんだけど、

それでもやっぱり、沈黙に入らせてくれないのが、つまらない政治家ってヤツだ。

すみません、政治に立ち入ってしまいますが、

太田農水大臣には退陣願いたい、というのが今の私の切なる願いです。

 


「体に影響ないことは自信を持って申し上げられる。 じたばた騒いでいない。」

おそらくは国民を落ち着かせようとしての発言なんだろうが、

決定的にポイントを外している。 たまたま見ていた報道番組でのインタビューでも、

「消費者の立場だけじゃなくてね、たくさんの事業者の立場もありますから。」

-これはダメよ、あんた。 すべての被害は消費者に行き着くんだから。

" (消費者も事業者も含めた) すべての人のために、

  問題を切開して、制度をつくりかえる " 

と断固表明してほしいものだ。

「やかましい消費者」 には笑ったけど (つまり、当座は許そうと思ったんだ)、

ここまでくると、もう君の寄って立っている位置が透けて見えてしまっている。

 

いっとくけど、

1.メタミドホスもアセタミプリドも、残留数値からいって、すぐに健康被害が起きる

  ということはないだろう。 

  しかし、それが学校給食や老人ホームのお赤飯 (-というのが哀しい) にも、

  和菓子や米菓子にも、色んなルートに広く流れる構造が出来上がっていることに

   (私の想像では、レトルト・惣菜・外食・・・となるが) 危機感を抱かない者に、

  食の監督長は任せられない。 

   「すぐに健康危害はなく」 っても、 基準値を超えて食用に回さないと決めたものが、

  今日食べた食材の何品に入っていたのか分からない、という生活は

  君だって耐えられないでしょうが。

2.カビ毒のアフラトキシンB1。 これはダメです、ということがどうもお分かりでないようだ。

  これは遺伝毒性のある発がん物質であり、

  許容値も定められてない 「検出されてはならない」 ものだということを。

  しかもこの物質は、日本国内には存在しなかったものであるゆえに、

  検疫の検査でもきっちり食い止める必要がある、と認識されていたものだ。

  この汚染がこれからどこまで広がるのか、あまり危険を煽りたくはないが、

  検疫チェックに携わる方々の苦労は、この大臣のお陰で報われなくなるかもしれない。

  焼酎だけなら恐れることはないかもしれないが、

  それで済ませられると思っているなら、その椅子に座る資格はないです。

 

今日はせっかく、能天気で、でもほのぼのとして、かつ嬉しい

ケント・ロック (米国・ノンGMコーンの生産者) からの手紙が届いたので、

紹介したいと思ったのに、

これだけは言っておかないと気がすまない状態になってしまった。

で、もう疲れました。 明日は稲刈りだし。

 

汚染米の問題は、ちょっと頭を冷やして、

脳みそか胸の奥に引っかかっているものをつきとめたく思ってます。

 



2008年9月12日

糊(のり) に米は使われてないって?

 

書けば書くほど腹が立ってくる事故米の話なんかはやめて、

西オーストラリアのGMOの続編をお伝えしなければ、と思ったりしてたところ、

この問題はさらに恐ろしい扉を開いたようで、

もはや論評だけではすまなくなってしまった。

 

今朝、提携米研究会 (以前の 「提携米ネットワーク」 ) 事務局の

牧下圭貴さんから緊急メールが届き、驚愕する。

 -とんでもないニュースがネットで配信されている。

おとといの驚愕とは比較にならない驚愕である。 なんて言えばいいんだ。

 

工業用糊に米は使われていない!!! -農水省は知っていた?

 


え? ええ? ・・・・・・・絶句する。

 

J-CASTニュースというネット専門のサイトで、昨日流れた情報。

農薬やカビ毒に汚染された「事故米」が食用として出回っている事件で、

農林水産省は 「糊など工業用に限定して販売を許可している」 と説明していたが、

実は国内では、接着剤などの原料に米を使用することはほとんどないことが判った。

くだんの三笠フーズの場合も、「工業用糊加工品」 に用途を限定して販売したとされているが、

J-CASTニュースが取材したところ、糊メーカーの大手3社 (ヤマト、不易糊工業、

住友3M) は、いずれも 「米を原料にしている製品はない」 という回答だったという。

また

「米を原料に糊を作っているメーカーがあるという話は聞いたことがない」 と。

澱粉糊の原料は米ではなく、タピオカやコーンスターチだと。

また同ニュースは森林総合研究所にも取材をしており、

合板をつくる際や修正材に使う接着剤の原料も、

小麦を使う例はあるものの、米を使ったものは見たことがない、とのこと。

 

これが本当なら、農水省の説明の大前提が崩れることになる。

使い道のない米を、穀物業者に引き取らせていた・・・・・

もう少し調査の経過や報道を待つ必要があるが、

色んな疑問に、それぞれうがった推測が可能になってくる。

農政事務所の検査で販売先までの追跡 (トレース) をしなかったのは、

裏の事実を知っていたからか。

なぜ汚染や事故米を輸出元に返さず、国内で処理しようとしてきたのか。

なぜ 「工業用原料に限定」 された米の入札に

(食用の)穀物業者だけしか参加していなかったのか。

なぜ糊加工のメーカーや業界は、国の誤った説明や、

みんなが鵜呑みにしていた"  常識とされていた非常識  "  に対して、

今までコメントを出さなかったんだろうか。

そして、同様に説明されていた過去のカドミウム汚染米は、どこへ行ったんだろうか。

 

事故米は、販売過程で相当広範に混ぜられて流通されていたことも判明してきている。

給食にまで流れていたとか。 

毒は長~い流れのなかで薄まりながら、広く行き渡っていったみたいだ・・・・・

家畜の飼料にまで。

 

想定範囲以上に、知らずに混ぜられた原料を購入している可能性まで出てきた以上、

こっちはこっちで、足元からその先まで見直す作業を

改めてやらなければならなくなってしまった。

今までの確認でOKだと認識している、では済ませられないだろうから。

 このエネルギーは、どこにも転嫁できない。

 

食に関わるあらゆる企業がとばっちりを受けている。

もう農林水産省なんて解体してもらっても構わない、という心境である。

 



2008年9月10日

汚染米転売-これもグローバリズムが生んだ悲劇か・・・

 

本ブログの画面を開いて、オオーッ!と声を上げる。

先週お詫びしたばかりのカレンダー機能が、さりげなく顔を見せているではないか。

内心ではもう諦めていたのだが、ちゃんと気をつけてくれてたのね、管理人さん。

ありがとうございます。

お怒りのメールを頂戴したTさん、いかがでしょうか。

 

管理人さんへのお礼に、幕張界隈で見つけた秋の訪れを感じさせる画像を。

 

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なにこれ? すみません。 石榴 (ザクロ) を見つけたんですよ。 

熟したら生で食えますよ。 どうぞ。

よかったら柿もあります。 こちらもまだ早いですが。

 

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彼らも必死で、自然の摂理を読み取りながら都会の中で生きてます。

 

ゲリラ豪雨の波状攻撃が去って、蝉の声も消えたと思ったら、

夜はいっせいに鈴虫が鳴き始めていて、だんだんと秋の風情ですねぇ・・・

しかしそんな爽やかさも束の間のようで、台風と熱帯低気圧がやってきてます。

日曜日の稲刈りが心配。

 

さてと。 実をいうと、私の気分は全然爽やかでなく、

先週末からの怒りが、収まるどころか、さらにヒートアップしてきているのであります。

三笠フーズによる輸入汚染米の食用転売事件について。

 


おとといの日記で、農水省はいったいどんな調査をしたのだろうか、と書いたけど、

今日の新聞では、さらに驚愕の事実が明らかにされている。

調査は2回の立ち入り調査だけではなかった。

過去5年間で計96回、粉にする加工の立ち合いをやっていたというのだ。

 

昨年1月の 「告発」 を受けての調査では、

『 -700トンが未開封のまま在庫としてあるのを確認しただけ。

 担当者は 「二重帳簿になっていて不正を見抜けなかった」 と釈明。』 

加工の立ち会いでは、

『偽の帳簿を疑わず、出荷先に本当に納品されているのか、裏付けをとることは一度もなかった。』

三笠フーズの社員は、

『現物は確認されないし、粉にした後に 「すぐに出荷して、物はありません」 と言えば済んだ 』

と語っている。

 

要するに、現物も作業現場も確認せず、

トレース (追跡) もまったく取らなかったわけね。 サイテーじゃない?

これでは何もしなかったどころか、

結果からみれば、完全な行政の業務怠慢による犯罪幇助ではないだろうか。

彼らの 「立ち会い」 とは、事務所でお茶を飲むことか。 迷惑千万な話である。

不祥事は企業だけでなく、国の監督省にまで及んでいた、ということだ。

これまでの数々の違反事例とは様相を異にするものとして、

"  食の安全を脅かした事件史  "  を堂々と塗り替えたと言えるだろう。 

 

また新聞記事によれば、農水省幹部が、

「疑ってかからないと検査にはならない」 などと偉そうに語っている。

まるで他人事のような発言もしゃくにさわるが、

その姿勢そのものが、決定的に間違っていると思う。

疑う前に、適切なトレースを怠った足元を見よ、と言いたい。

 

トレーサビリティの意味は、「疑って調べる」 ではなくて、「信頼の補完」 である。

まずは、伝票や作業記録をたどって、モノの流れがきちんと追える体制ができていることを

確認する。 管理体制に不備があれば改善をうながす。

その上で、処理や作業が適正になされたこと (不正がないこと) を確かめる。

裏付けのトレースも含めて。

この作業をていねいに進めることで、企業への信頼を守ってあげることなのだ。

企業からすれば、検査があることで自分たちの管理状況のチェックができ、

信頼が担保されることにつながる。

その関係があってこそ、あるがままを見せようという姿勢も生まれる。

疑う者と疑われる者の関係では、お互いの手口が巧妙になっていくだけだ。

そんなことに税金をかけないでもらいたい!

商道徳を守る健全な企業を育ててほしいのです!

 

農政事務所の立ち会いと調査・確認行為が適切になされていたら、

ここまで傷を深めることなく、立ち直りの可能性もあったかもしれない。

『 農水省とは共存共栄でやってきた... 』 と語る三笠フーズの

社員の方々は全員解雇されたらしい。 哀しい話だ。

ここで農水省はどんな内部治療をしてくれるのか、注視したい。

 

この一件によって、輸入汚染米を工業用途として引き取る業者もいなくなるように思われる。

保管料が1トンにつき年間1万円。 焼却処分にも1万円。 プラス運搬費。

糊に活用されることもなく、膨大な税金とエネルギーだけが無駄に消費されることになる。

 

そして、思えばこれも、ミニマムアクセス (輸入義務) というグローバリズムの裏で

翻弄されている現場の悲劇、と言えなくもないような気がしてくる。

みんなで損をしながら義務米をお金に換えようとして、そこに

マネー・ロンダリングのような悪魔の技が見事にはまってしまったような。

 

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これも幕張周辺で拾った一枚ですが、花の名前が分かりません。

どなたか教えていただけますでしょうか。

 

街路樹のマテバシイ。 どんぐりも、いつの間にか成長している。

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みんなたくましいね。

 



2008年5月 6日

水路は未来への財産だ!

 

昨日 (5月5日) から全身が痛い。

腕も太モモも尻の筋肉も張って、おまけに腰までキツイ。

日頃の怠慢がタタっている。 加えて数ヵ所、虫に刺された痕がカユい。

 

世間はゴールデン・ウィークのまっただ中という5月4日、

わたくし、エビは予告通り、真面目に

会津・喜多方、旧山都町での棚田の水路補修のお手伝いに行ってきたのでした。

 

日本百名山にも数えられる霊峰・飯豊 (いいで) 山の登山口もある山都町、

早稲谷 (わせだに) 地区。

清流が当たり前のように流れる谷筋の里の風景。

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ここは、飯豊山系の雪解け水がブナの原生林に蓄えられたあと、

最初に溢れ出て形成される早稲谷川の最奥の集落である。

それは最も汚染のない上流部でもあるわけで、この水系で育まれる稲はシアワセである。

と同時に、この水系を最初に利用する地域の人々が手作業で守ってきた水路 (本木上堰) は、

麓の人たちにとっても、貴重な財産なのである。

 

その地域がいつの間にか 「限界集落」 と言われるような過疎の地となり、

堰の維持が困難となってきた。

その堰の補修作業に、都会からのボランティアを募る提案をしたのが、

11年前に入植した浅見彰宏さんである。

2000年。 地元の方の不安も漂う中で初めてボランティアを受け入れたときは、

おそらくは浅見さんが全責任を追うような格好だったのではと想像する。

それが今や違和感なく、喜んで受け入れてくれるまでになった。

' 新規就農者の鏡 ' と言えば簡単だが、苦労もあったことだろうと思う。

 

今年も20人を越えるボランティアが集まって、総勢50人くらいで清掃作業に入る。

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この堰の特徴は、すべて山の中にあることだ。

水系の最も上流部にあり、しかも流末までの標高差が少ない。

つまり、なかなか高度が下がらず、ずっと平行とも思えるような水路が延々と尾根伝いに続いて、

里に水を供給する緩やかに長く続く水路。

それによっておそらくは周囲からの湧き水を集めることで水量が確保され、また温み、

あるいは逆に厳しい雪や大雨に耐えることができる。

これは高度な技術であり、システムなのだ。

したがって、なくなることは災害のリスクを高めることにもつながるだろう。

 

しかし、であるが故にか、作業は結構つらい。

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コンパクトカメラのレンズのカバーに泥でもかかったか、下の部分が開ききってない。

 

本木上堰の長さは6キロ。 最上部から下る班と、下から登る判に別れ、

双方から、落ち葉や土砂をすくいながら前進してゆく。 出会うまで終われない。

体はなまくらなくせして、地元の人に舐められたくないと、意地も張ってしまう。

 

写真を撮るのもためらわれるが、突如、こんな光景にぶつかったりする。

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万年雪と落ち葉が重なり合って水路に迫っている。

この地の冬の厳しさが推測される。

 

ちょと開けた所から、里を眺める。

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水路を守り、水路に抱かれて暮らしがある。

 

写真には収められなかったけど、途中で色んな小動物にも出会う。

驚いて逃げはするも大人しく手に乗るアカガエル、水路の真ん中で動かない交尾中のヒキガエル、

名前も同定できない小さな魚......、サンショウウオもいるらしい。

不思議なことに、放置するよりも中規模の撹乱があった方が、

生物の多様性は高まるのだ。

 

休憩風景。 ちょっと疲れが見えてきている。

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江戸時代に掘られたという手掘りのまま残っている所もあれば、

大雨や融雪で決壊したりするたびに修復を繰り返してきたなかでコンクリが打たれた箇所もある。

たたかいの跡が偲ばれる。 

 

こんな水路が、日本列島に40万km。 地球10週分。

これはとんでもない歴史遺産ではないか。 遺産にしてはいけないが。

 

お昼を食べた後、木陰の草むらでダウン。眠りこける。

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これは労働なのか、癒してもらっているのか......

 

朝の8時半から始動して、作業が終わったのは午後3時半頃。

公民館の庭で慰労会が開かれる。

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地元の人から感謝されるのが面映い。

この日は夜も交流会が予定されていたのだが、翌日に仕事もあって、

後ろ髪を引かれる思いでおいとまする。

 

去年からまだ2回の参加ではあるけど、この水路から

営々と暮らしを築いてきたヒトの歴史や文化というものの奥深さを思った。

見極めることはできないかもしれないが、漠とした感傷で評価するだけでなく、

突き止めたいと思うのである。 この意味を。 

未来を考える上でも、遺跡にしてはならない。

 

帰りの山都駅まで 「俺が送っていく」 と申し出てくれた地元のUさんが、

車の中で語ってくれた。

「こういう出会いを大切にしたいと思ってる」

「浅見さんには本当に感謝してるんだ」

 

新規就農者だからできること、はある。

未来をつくることは、面白いのだ、やっぱり。

 

 

最後におまけ。

5月3日の行きの途中。 幸運にも、会津若松からSL列車に乗ることができた。

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「SL ばんえつ物語」 号。 観光客が大勢来ている。

しばらく懐古趣味に浸る。

 

列車から見た飯豊山系の姿。

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何度見ても、懐の深い山並みである。

 

喜多方から山都に向かう途中で見えた、

我らが純米酒 『種蒔人』 の蔵元、大和川酒蔵店の飯豊蔵 (いいでくら) の佇まい。

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パトカーが出ているのは、けっして大和川酒造を見張っているのではなく、

SL を撮影したりする沿道の観光客の監視と思われます。

 



2008年3月16日

東京の水のデザイン (続)

 

まったく、IT社会はストレス社会だ。

一瞬のキーボードのタッチミス (のよう) で、書いたものが全部、パッと消えてしまった。 

原稿用紙ならこんなことはゼッタイに起きない。

しかも、それが2度も続くと、脳みその血管が切れそうになる。 

しかも、だいたいノッてきた時とか終了間際に起きたりするんだよね、これが。

原因がつかめないまま、気を取り直して3度の書き直し。

チマチマと保存しながら、結局疲れ果てて、途中でアップする。

そんでもって、消えた原稿の方がよかったと思ったりする。

トホホ.........(って、なんかほのぼのする表現だよね。人に優しくなれそうな。)

 

さて、改めて続けたい。

第3部-「東京の水のデザイン~数百年の計で考える」

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 ではこの都市に暮らす私たちは、何をどうすればいいのか。 どんな方法があるのか。

具体的な実践例や提案を出せ、ということで前に立たされた、いや、座らされたお三方。


写真右が 「ドクター雨水」 こと村瀬誠さん。

中央がワタシで、左は法政大学教授の陣内秀信さん。

 

村瀬さんは、墨田区の雨水利用システムを編み出して、一躍有名になった方だ。

「すべての水は天が大本」 「下流に小さなダムを」 と、雨水を貯める 『天水尊』 を地域に広めた。

東京の水需要が20億トン。 一方で東京には、実は25億トンの雨が降っている。

その雨はコンクリートの地面では地下に貯えられることなく、海に流れるだけである。

水循環を支える天水を受け止め、暮らしに活かし、あるいは地下水に貯える、

それは東京に住む人間が考えなければならない義務ではないか。

利根川に依存し、上流にたくさんのダムを造って東京に回す前に、

ここに暮らす者どもとしてやることがあるだろう、というわけだ。

 

僕が村瀬さんと知りあえたのは、1995年、

水俣病の映画を撮り続けたシグロという映画会社が制作した 『続・あらかわ』 という

ドキュメンタリー映画がきっかけだった。

ウチは荒川の支流になる入間川の上のほうで、

家庭排水を浄化する 「ニイミ・システム」 というのを取り入れたことで取材を受けたのだが、

そんな一軒のささやかな取り組みと違って、

村瀬さんは海抜ゼロメートル地帯で家庭サイズのダム (天水尊) を普及するという

面的な展開をつくった、ある意味で革命的な行政マンとして映画に登場していた。

荒川の源流・甲武信ヶ岳から東京湾まで、

水と共生する営みを追いながら川を下り、墨田区に辿りつく。

映画の副題は 「水の共同体を求めて」 。 いい作品だった。

 

久しぶりにお会いしてみれば、村瀬節はますます磨きがかかっていた。

 

さて、そんな村瀬さんの、実践に裏打ちされた話を受けて、

ワタシに与えられた課題は、「東京の水循環と農業」 -である。 難しい。

で、こんな話をさせてもらった。

 

食料自給率1%の東京で、目先の安さを求めて、供給地 (依存先) との距離を

どんどん離れさせてきた。 そのツケが回ってきたひとつの事例がギョウザ事件であり、

税金を使った検査体制の強化である。 自治体の赤字はそれによって膨らんでいる。

そもそもモノの流れのなかで、最下流での監視やチェックというのは、

もっとも効率が悪い作業であり、それによって "安全・安心" を担保するのは不可能である。

検査や分析とは、ある行為の裏づけや結果を確かめるのに有効なものなのであるからして。

暮らしの安心をちゃんと確保したいなら、食べものの距離を縮めることだ。

それによって、生産と消費を信頼 (モラル) でつなぐ  "顔の見える関係"  も築くことができる。

一個や一本の単価は上がっても、安心の基盤が確保され、社会全体のトータルコストは下がる。

その方が環境にも良い。 つまり永続的であるということになるはずだ。

したがって、都市にこそ周辺に農地が必要なのだ。

農地という地べたはまた、水を地下に染みこませてくれる。

 

最も安く、効率の良い貯水装置は、水田である。

千葉県市川市では、つい10数年前まで、つまり平成の時代に入ってもなお、

真間川洪水対策のために水田を残そうとしてきた。

農政課とかではなく、土木課が、大雨の時に水を張ってもらう約束をして、

農家に補助金をつけて米を作ってもらっていたのだ。

利根川と荒川に挟まれた危険な街・埼玉県草加市もそう。

こちらはせんべい屋さんと連携して、地元のせんべい屋さん用に出せば補助金をさらに乗せる、

という手法だったと記憶している。

地場産業と田んぼを一緒に保護しながら、治水対策に懸命になっていた。

今はもう、そんな制度はともになくなったようだ。

洪水の記憶はどこかに消え、土地はお金に変わった。

 

では地価の上がってしまった東京で、周辺に農地といったって無理、なんだろうか。

ビルの屋上を、ただの緑化ではなく、田んぼにしてはどうか、と思う。

30センチの畦をつくって雨水を受け止めれば、1haで3000トンの水が手に入る。

ビル内のトイレの水の相当量が自給できるのではないか。

みんなで米をつくる、社会的食育活動にも活かせば、

農水省も文科省も喜んでくれるように思うのだが。

東京は肥料源の宝庫でもあるし。 食品残渣がゴミでなく、資源になる。

人も多いので、当然、無農薬でなければならないね。

一ヶ所に集めてアルコール燃料 (バイオエタノール) にすることもできる。

屋上緑化から  『屋上田園』  へ。 屋上を地べたに!

みんなで 東京田園構想 をつくりませんか。

 

時間も押していて、腹も減ってたし、かなり早口で一方的に喋っておしまい。

でも、これはただの思いつきではない。 実現可能なことだと思っている。

これまで、こんな話を農業論や都市論や環境論の観点でやっても、

なかなか真剣に聞いてくれることはなかったのだが、

僕にヒントと勇気を与えてくれたのが、実は 『Water展』 だった。 

つまりデザインの力で、美しく、魅力的に表現することができるのではないだろうか。

 

東京湾アオサ・プロジェクトのPRもつけ加えておいた。

生活のありよう、その内実を受け止めている海。

そこでの循環は、生命の浄化機能だといえる。

海と陸の窒素循環を再生させるには、やはり近隣に農地 (土) が必要である。

 

さてさて、また長くなってしまいました。

最後にご紹介。

こちらが、地球大学のホスト役、竹村真一さん。 文化人類学者であり、京都造形芸術大学教授。

2年にわたって、毎週々々、時代のテーマを取り上げては、

新しい文明ビジョンのコンテクストに組み込んできた。

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間違いなく、

21世紀の 「知」 を切り拓いている

一人である。

こういう人が大地の会員であることに、

僕はふるえる。

 

ところで- 

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 環境を意識して設計され、

グッドデザイン賞まで受賞した

この 「大手町カフェ」 が、

ビルの都合により

4月いっぱいで閉鎖されるとのことである。

 

それまでにもしお時間があれば、一度覗いて見られることをおすすめしたい。

 

カフェは閉鎖されるが、地球大学でつながったネットワークは、

とどまるところを知らず、刺激的にパワーアップされていっている。

 

『 水をキーワードに、東京をリデザインする 』

 

次なるイメージの爆発を、楽しみに待ちたい。

いや乗り遅れないよう、こちらも仕込みも忘れず、だ。

 

『地球大学』 セミナーのアーカイブは、こちら (←) でご確認できます。

 



2008年3月15日

『地球大学』-東京の水のデザイン

 

東京・大手町の大手町ビルにある 「大手町カフェ」 で

毎週開催されている環境セミナー 『地球大学』 。

昨夜( 14日 )、番外編の企画が組まれた。

テーマは 「東京の水のデザイン ~利根川から考える~ 」 。

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 夕方5時半から始まって、終了は9時半過ぎ。 長丁場のセッションとなった。


プログラムは3部構成で、ゲストが10人という贅沢な仕掛け。

これまで行なわれてきた水をテーマにしたセミナーと、

六本木 「21_21」 で開催した 『WATER』 展までの中間総括として、

足元・東京の水について整理しておこうというねらいで企画された番外編。

多彩なゲストも皆、手弁当での参加である。

 

第1部-「なぜ 『利根川』 なのか?」

まずはホストの竹村真一さんが、利根川水系を源流 (群馬と新潟の県境・大水上山) まで

辿ってきたフィールドワークをベースに、概略を説明する。

 

首都圏2500万人の水を支える利根川。

戦後、急速に経済発展と人口増加を遂げた東京は、

1964年の水不足 ( " 東京砂漠 " という言葉を生んだ) と東京オリンピックを境に、

水道水の8割を利根川に依存するようになった。

しかし治水と利水の観点から眺めれば、極めて脆弱な基盤の上に成り立っている。

竹村さんは、源流から河口までの地勢と水循環を、立体視地図を駆使して示しながら、

東京の潜在的リスクの可視化を試みる。

 

国交省の河川調査官・渡邊泰也さんが、

家康の時代から今日までの江戸-東京の治水の歴史を、災害の歴史と重ね合わせて、

竹村さんが示唆したリスクを裏書きしてくれる。

しかも、世界平均の倍の雨が降る日本でも、

首都圏の一人あたりの降水量にすれば世界平均の4分の1となり、

一人あたり 「貯水量」 となると、ニューヨークの10分の1しかない。

今進んでいる温暖化は、さらに激しい洪水と渇水の繰り返しを予測させていて、

水利用率の急激な低下が、近未来の現実のものとして想定されてきている。

 

法政大学エコ地域研究所の神谷博さんは、「源流からの眺め」 と題し、

やはり立体視地図を使って、地球史の流れから 「東京水圏」 を再現させる。

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 キーワードは、「東京水圏」 と 「古東京川」 だと。

縄文海進で関東平野が水浸しになる前には、東京には古代の川があった。

利根川と荒川と多摩川は一つの河川・流域であった。

その時代、人は源流の高みから関東の地勢・地形を見通していただろう。

 

そうか......僕らは今、コンピュータのお陰で新しい視点を発見したような気になっているが、

実は失ったまなざしであったのか。

 

そこで第2部、「利根川の可視化、可触化」 のためのワークショップへと進む。

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京都造形芸術大でデザインを学ぶ上林壮一郎さんの仕掛け。

関東平野に注ぐ河川をテーブルの上で立体化する。

そこに色をつけた水を源流から流して、関東平野から東京が浸食される動きを感じ取ってみる。

 

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 コーヒーや洗剤や雑排水が混じり溶け合いながら、暮らしを支える水系を染めてゆく。

これが今の私たちの暮らしの様子、ということか。

 

東京芸術大学の川崎義博さんは、源流から拾ってきた音を天井のスピーカーから再現する。

目を閉じて耳を澄ませば、冬の水音に混じって、鳥の声が採取されていたりする。

何より、水の息づかいは、動物の心を癒す。

" 生きられる安心 " 感は、すべて水によって与えられているのだ。

 

さて、第3部・・・・・ワタシの出番なのだが、すでに相当に時間が押している。

竹村さんも少し気が急いてきて、3部のゲスト3人を前の椅子に座らせる。

 

(すみません。 作業中に瞬間的にデータが飛んで消えてしまうという現象が何回も続いてしまって、

 疲れてしまいました。 もう耐えられません。 続きは明日にします-)

 



2008年3月10日

自給率とメタボリック?

 

内心、過剰反応だったかしら、などと思い返しつつも、数日たってもやっぱり気持ちは変わらない。

農水省と全農の新聞全面広告のことだ。

 

日本の農業(食料) を守る手立ては、生産と消費を健全につなぐ作業にかかっていて、

そこにこそ想像力を働かせたい。 それが常に僕の関心事でもあって。

しかも、これからの物資の高騰に耐えるのは、消費者である。

ここでの 「消費者」 には当然生産者も含まれるから、要するに国民すべてか。

ならなおさら、具体的施策が欲しい。

 

で、周辺に目をやれば、もう一人、自給率にハマッたヤツがいた。

とくたろう」 ブログ - 農産の仕入担当・朝倉裕が2回にわたって書いている。

大地公認のブログ2本が、こんな調子になっちゃっていいのか、という不安もよぎるが、

なんかこう、そんな "流れ" になっちゃったんだよね。

 

彼の論考は、自給率の低下からメタボへとつながっている。


たしかに、この半世紀近くで決定的に増えたのは、肉と油脂の消費量で、

また米以外の穀物もほぼ外国に依存するかたちになってしまった。

それが自給率の低下と相関関係にあるわけだから、

結果としてのメタボリックと言えば、言えなくはない。 いや、その通りだ。

ま、私としても、型どおりの 「日本型食生活を見直そう」 より、

「メタボ不安からの脱却のために」 とか言われた方が、真剣になるような気もする。

 

ちなみに、コレステロールを心配するのも、実は現代の欧米食生活特有のものであって、

ヒトの普遍ではない。

これは文化人類学者・竹村真一さんが明快に語ってくれているので、お借りする。

 

 「たまたま現代の先進国のような肉食中心の飽食社会では、  " (コレステロールが) 溜まりにくい "

  遺伝子のほうが良いように思われるが、人類は何万年も肉食が日常ではあり得ない環境に暮らして

  きたし、これから地球は再びそうした時代に逆戻りするかもしれない。

  家畜を育てる飼料の穀物をそのまま人間の食糧にすれば10倍の人が食べられるのだから、

  食糧危機の時代にはそんな非効率を許す余裕はなくなり、

  肉食は年に数回の贅沢となるかもしれない。

  そんな時代には、コレステロールという人体に必須の要素が溜まりにくい体質の遺伝子は

  不利になるだろう。」 (『Voice』 08年3月号 「地球文明への条件」 より)

 

加えて、米の生産量が800万トンあたりの国に、生ごみ (食品残渣) が2000万トンとは、である。

(2150万トンという数字もある。 家庭からの排出量計算の誤差と思われる。)

国土はヒト以上に超メタボ状態である。 そのほとんどは輸入農産物、でなかったら計算が合わない。

自給率39%の国で、輸入超過でメタボ。 これがこの国の自画像だ。

これに対する医療費はどう考えたらいいんだろう。 絶望する方が楽だと言えるくらいだ。

でもって、ついつい、税金の使い方が気になってしょうがない。

 

また新規就農の斡旋や単純な規模拡大論では自給率は向上しない、のもたしかである。

「とくたろうさん」 の結論

 -「自給すべき品目に対しては、どうしても適切な補助、支援が必要だ。」 に同意しつつ、

「健全な食」 を維持するために、補助金 (税金) をどう健全に回すか。

食べ物を作ってない我々消費者こそ、考えるべき時が来ているんだと思う。

 

幕内秀夫さんの 『粗食のすすめ』 じゃないけど、

「食生活は豊かになったのではなく、でたらめになっただけ」 なんだろう、たしかに。

でも・・・価格の安さである程度の (贅沢ともいえない)  "豊かさ"  を手に入れようとしてきたことも、

今の僕らの暮らしの側面でもあって、

偉そうに否定したからといって、簡単に乗り越えられるものでもない。

であるからこそ、これからの苦しい消費生活の先に、希望の有効打を打ちたい。

 

僕の、かの全面広告に対するイラ立ちとは、実は、

自分への焦りなのかもしれない。

 



2008年3月 7日

新聞の全面広告 -怒りがおさまらん・・・

 

夕べは、外を眺める余裕を失っていた自分に愕然となって、

独り手酌酒の挙句に、ヘンな境地にハマってしまった。 反省・・・

 

気分を変えて-

実は先週、東京集会後の溜まった新聞を見ていて、どうにも違和感を感じたものがある。

癪(しゃく) に障る、と言ってもいい。 しかも連続攻撃で見せられたから、たまらない。

 

ともに朝日新聞から。

まず2月27日付朝刊。 32面に全面広告が出ている。

 

刺身にたけのこ煮、納豆、しょうゆ、白菜の漬物、ご飯に味噌汁の写真。

キャッチコピーはこう。

「和の食材だから日本産、というのはほぼ思い込みです。」

 


まあ食材の出所に関心のある方なら、だいたい、あるいは薄々とでも知っていることではあると思う。 

はて、どこが出したのかと眺めれば、「農林水産省」 とある。

 

  いま、私たちが口にする食料の6割を海外から輸入していることをご存知でしょうか。

  私たちの食卓は、洋風化が進み、国内で賄えるごはんの消費は減り、

  輸入に依存する肉や油の消費が増えてきました。

  また、古くからある身近な食材まで輸入に頼ることも多くなってきました。

  ~(中略)~

  海外への依存度合いが高いほど、海外の需給動向の影響を強く受けます。

  海外に多く依存する私たちの食卓のリスクを少なくするために、日本にある食材を

  見直してみませんか。

 

こういった解説とともに、日本の食料自給率の推移がグラフで示されている。

昭和40 (1965) 年には73%あった自給率が、平成18 (2006) 年には39%となっている。

そして、「食べることで自立する、日本の食」 だと。

 

思うに、日本の自給率を下げた根本的な背景は、国策である。

労働力を農村から都市に移動させ、工業製品を売って稼ぐ。 

一方で、食は安い海外から持ってくる。

そうやって国民の消費力を向上させてきた。

食の洋風化もまた、かなり意識的に誘導された結果である。

 

胃袋 (生命線) を世界にさらしてきた結果、「食べることで、食の自立は失われてきた」 のである。

今や耕地まで荒れさせている。

農水省は何をしてきたのか。 自らを省みず、とはこのことではないか。

 

しかも、セコイことを言わせてもらえば (いやけっしてセコくはないと思うが)、

この広告代が何百万円 (制作費も含めればもう一桁上か) かかったのかは知らないが、

これは農水省が稼いだお金ではない。 我々の税金である。

 

世は中国産ギョウザの一件以来、一気に国産回帰の勢いだが、

値段も必然的に上がっている。

穀物や燃料や資材の高騰であらゆる食材が値上がりするなかで加速されたこの状況は、

台所には、かなりきついボディブローである。

 

健康や環境のために、

「まずもって、食べることこそ、大事にしよう」 と大地は訴えてきた。

「国産のものを食べよう」 とも言い続けてきた。

この30数年、僕らはどれだけ農水省に喧嘩を売ってきたことだろう。

あんたたちは買ってもくれず (ぐやじい!)、無視してきたんじゃないか、こういう主張を。

 

私は言いたい。

この広告を出す金があるなら、ずっと国産の食べものにお金を払い続けてきた消費者に、

キャッシュバックすべきだ。 あるいは、国産消費特別控除みたいなことをやれ。

国産野菜は消費税カット、はどうだ。

だって、「国産を支援する消費」 を訴えるためにこんなに税金を使ってるんだよねぇ。

消費者にヒイヒイ言わせて、自分たちは、そんな彼らから徴収した税金を食いながら、

平然と 「もっと高いものを食べましょうよ」 キャンペーンをしようとしている。

なら答えはこうならざるを得ない。

私たちは国産のものを食べる。 その分、税金を減らすか、農水の経費削減をお願いしたい。

これは感情的な怒りではない。 経済の理屈である。

 

・・・ああ、だめだ。

「やっぱり書いておこう」 が、書けば書くほど、また腹が立ってきた。

 

もう一つが、二日後の2月29日。

今度はJA全農、つまり農協の元締めが全面広告を出したのだ。

「安心して食べられる国産農産物を守るために。」 ~

ううう・・・モノ言いたいが、ひと言だけ。

こちらの経費は、農民から吸い上げたものだ。

 

どうも、どちらもギョウザを "追い風" と見たか。

これだけ中国に依存してきて、

一元 (中国の通貨単位) しか出さないくせに百元の管理を求めてきて、

中国バッシングでは一転して、ここぞとばかり国産キャンペーンか。

 

もう止めよう。 終われなくなる。

今日の結論。

高みからのキャンペーンよりも、腰を低くしてのお願いよりも、

いま必要なのは、消費 (者) を具体的に支援することだ。

目線を台所に置いてみれば分かることだ。

農林予算を、消費 (国民経済) 支援に回せ!

 

 

※ 昨日の日記は、書き出した時にはすでに日付が変わっていましたが、

   ワタシ的には昨夜なので、無理やり6日に変更しました。

   基本的には、書き出した日時で表示されてますので、写真の貼り付けが遅れたり、

   中断しているうちに1日、2日と経ってしまったりして、なかなか手際よくできません。

  ブログって難しいですね。 というよりむしろ、怖いです。

 



2008年1月21日

水の世紀と日本文明

 

先週の1月17日(木)夜、久しぶりに大手町カフェでの 『地球大学』 に参加する。

毎週々々、環境に関連していろんな面白いテーマが採り上げられ、

ついに80回を数えた。

 

今回のテーマは、「水の世紀と日本文明-100年を見通して-」。

講師は、立命館大学客員教授で日本水フォーラム事務局長の竹村公太郎さん。

 

今回もなかなか刺激的な話が聴けた。

数日経ってしまったが、聴きっ放しで済ませてはもったいないと思い直して、

以下、ざっくりとメモを辿ってみたい。


今から6000年ほど前の縄文前期。

最終氷河期が終わって、世界は温暖化のピークを迎えていた。

平均気温は今より2℃ほど高く、海面水準は5メートル上にあった。

いわゆる縄文海進というやつ。

日本で真っ平の所(平野部) はほとんど海の底だったのだ。

 

つまり日本の沖積平野というのは、水はけの悪い元海底であり、

東京もまた途方もない湿地帯だった。

そこでの昔の稲作というのは(実は半世紀くらい前まで)、

胸まで水に浸かったりしながらの作業だったが、

しかし日本人はそこから膨大な富を得てきた。

 

有史以来、日本にとってもっとも重要なエネルギー資源は森林だった。

権力者は建造物を建てるのに材木を伐り集め、

すでに戦国時代には近畿地方一帯は禿げ山と化していた。

秀吉は日本中から木を集めた。

家康は崩壊した関西の森を目の当たりにして、

江戸に拠点を築く決意をしたのだ (これは講師の推論)。

1600年のころの江戸は100戸くらいしかなく (ホント?)、

周囲はエネルギーの宝庫だった。

 

ちなみに近畿地方の山並みは、明治以降の植林によるものである。

 

幕府が江戸に移って心血を注いだのが、治水である。

生活用水を確保するために虎ノ門辺りにダムを造り水を貯めた。

(現在の「溜池」という地名が、その名残りだそう。)

そして東京湾に注いでいた利根川の大改修をやって、

言ってみれば洪水(のリスク) の70%を銚子に流したのだ。

 

その国土の10%しかない沖積平野に、

50%の人口と75%の国家資産が集中している。

温暖化で5メートル(2℃分) 海面が上昇すると、そのかなりが水没する。

しかし、森林を中心とした90%の国土は残る。

日本列島の土地利用を見直すべき時に来ている。

 

温暖化で、日本の降水量は年々バラつきが激しくなってきている。

干ばつと集中豪雨が繰り返される(=落差が激しくなる)。

そのときに必要なのが、雨を集める装置=森である。

ピーク時に水を抱える力は限られるが、森があることによって土の崩壊が防げる。

森が崩れるとすべてが崩れる。

 

このまま温暖化が進むと、100年後には、

北海道は関東の気候に、関東は台湾の気候に、九州が亜熱帯地方になる。

これは極めて劇的な変化である。

冬の雨は一気に海に流れ、'春の雪解け水' はなくなる。

春から水不足の不安が生まれ、水田稲作はこれまでのような形では維持できない。

 

エネルギー源では、石油はあと43年とか言われているが、

石油はたくさんの製品の原料としても使われている。

その需要と供給のバランスで価格が暴騰してゆけば、

もっと早くに(エネルギー源として)「燃やす」ことができなくなるかもしれない。

 

水は太陽エネルギーそのものなのだ。

各地に自給型の水車を提案したい。

太陽光や風力、水力などによる分散型のエネルギー政策が必要。

そして次に期待できるのは、水素だ。

日本列島を、「水と水素の国」 にしよう。

 

そのためにも、日本は大急ぎで山のメンテナンスをはからなければならない。

すでに熱帯林の値段が上がってきている。

日本の山村を 「限界集落」 とか言って嘆いているうちに、

中国資本が買い占め始めている (これも本当だろうか?)。

地方とどうタイアップするかは、都市の問題なのだ。

 

食料自給率はカロリーベースで40%を切ったが、金額ベースでみれば70%である。

肉さえ諦めれば自給できる。 日本型食生活を見直しませんか。

またリン鉱石が今世紀中に枯渇する。これは化学肥料がなくなるということだ。

いまアメリカが買い漁っている。

リン鉱石の大もとは、鳥のフンである。

糞のリサイクルを考えないと、食料生産はおぼつかなくなる。

 (つまりは有機農業ってことね。しかも糞のリサイクルを考えるなら、実は


  自給型畜産=肉も重要な位置になる。そこは分かって欲しいところだ。)

 

また海が荒れている。

近海資源(=沿岸の保全) を早急に立て直さなければならない。

どこでも獲れていたアサリまで輸入されているが、

近海の魚介類資源を維持・再生させなければならない (アサリは海の浄化者だしね)。

 

最後に、日本本来の特徴は、Small is Beautiful だ。

地域の多様性を守り、文化の多様性を守る、新しい社会モデルをつくろう。

それをつくれるのが日本だと思う。

 

......と、そんな話でした。

 

日本には資源がある。

日本に生まれてつくづくよかった、と思えるようにしたいものですね。

 



2008年1月19日

食料の安全保障について考える(続)

 

(昨日から続く)

 

あの年(93年)、冷害によってコメは歴史的な不作となった。

作況指数はたしか75だったか。

 (あの冷害でも75%の収穫があるコメの強さと、

  それだけ日本の環境に適した作物である、という視点もあるが、ここではおいといて)

 

国の備蓄もなく、年末には緊急輸入となって、

タイ米をめぐる恥ずかしい騒動なども起こしつつ、一気に市場開放へと進んだ。

86年から続いた市場開放論争が、

一度の凶作という事態で、あっという間に方をつけられた格好になった。

 

翌年の豊作の声が聞こえ出した頃には、

実はコメ(の在庫) はあったことに気づかされるのだが、

ま、それもおいといて、

そんな騒ぎのさなかでの、深夜の討論会だった。

『コメをどうする?』 みたいなタイトルだったが、

だいたいあの番組(「朝まで生テレビ」) は、人数が多いこともあってか、

討論というよりは、だいたいがぐちゃぐちゃの喋くり合いで終わる。

あの時もそんな感じだった。

 

もう15年も前の話なので、

その時の市場開放派の論調をここで解説するのは省かせていただくが、

昨日書いたグローバリズム推進派の論点と、土台はほとんど一緒である。

 

わたし的に共通点を整理すれば、こうなるだろうか。


まず、食料は金さえ出せばいつでも手に入るし、日本には買う力がある、

という前提がある。

それが貧しい国から食料を奪うことにつながっていることは、あえて無視するか、

「別な形で援助すればよい」 という論理にすりかえられる。

93年の日本の緊急輸入がコメの国際価格を高騰させ、

コメが食べられなくなった人々がいたことは見ようとせず、

したがって心が痛むこともない。

 

自国のことしか考えてないことを、見事に表現してないだろうか。

 

『すべての人々が、健康に暮らせるために必要な量の、

 安全で栄養のある食料を、手に入れることができること』

 

これが 「フードセキュリティ」 の国際的な共通概念なのだが、

自国の農地を改廃させて、他国から買い漁る国は、

実は極めていびつで、世界標準から大きく逸脱しているとしかいいようがない。

 

それはまた、輸出力(国際競争力) のある産業がこの国を守っている、

という強烈な固定観念にもよるようだ。

工業を優先して、その貿易を守ることが日本の豊かさを守っている。

食料(農業)の保護主義は捨てろ!むしろキケンだ、という信念のようなものがある。

 

しかし、こんな国運営をしている国は、実はどこにもなくて、

あの手この手で国内の食料生産力を守ろうとしているのが、万国共通政策である。

食料の安定的確保は、貿易のみで保証されるものではない。

極めてリスキーで、食の安定はどの国においても「国家の基本施策」 である。

昨日紹介した、日本を揶揄したブッシュさんの演説が象徴的だ。

 

要はバランスの問題であることを、すっかり忘れてしまっている。

いや、特定の利益を守ることを最優先したいがために'仕立て上げられた'論、

そのお先棒を担がされていると言えば、言いすぎだろうか。

 

15年前の「朝生」討論で、こんな発言があった。

「コメも自由化して、海外からの圧力によって、日本の農業の甘さを立て直しましょう」

 

あの頃よく使われていた言い方である。

こんな無責任な亡国の論を到底許すわけにはいかないと常々思っていた。

本音は '農業は潰れてもいい' に近い。

自分でも分かるくらい興奮して、必死で叫んでいた。

 

「そんなのは、政策でもなんでもない!

 他国の力を借りてこの国の農業を立て直すなんて、暴論を通り越して

 ただ無責任に国(民)を放り投げようとしているだけだ。

 僕たちの食料と農業と環境をどうつくるのかは、僕たちの手でやらなければならないことだ」

 

番組終了後、テレビ局の方から、あなたの発言が一番良かった、と

言ってもらえたのを、今でも覚えている。

 

経済(数字) だけで国力を語るなら、次のことを考慮に入れる必要がある。

外部経済という観点だ。「外部不経済」 の観点といってもいいか。

 

そのモノがつくられることによって、タダで得られているものがあるとすれば、

そのモノの価格には、お金に換算されてない別な価値が潜んでいる。

その価値を 「経済」学として捉えてみれば、

その価格で買うことによって守られている価値が見えてくる。

逆にそのモノがつくられなくなったら、潜在的に保証されていた価値も消える。

 

たとえば、ある製品が環境を汚染して、

その汚染を除去するのに税金が使われたとするなら、

それはその製品の外部不経済部分として検証される必要がある。

 

農業こそ、外部経済の視点も含めてで捉えなければならない典型産業だと思う。

水田によって保たれている環境や生物の多様性の世界。

その地域に適切に農家が存在することによってタダで保証されてきた森や水系からの恵み。

(もちろん、農薬による地下水汚染といったリスク-不経済部分-もある。)

 

食料貿易の議論では、なぜか自由化推進派はこの論を意図的に排除する傾向がある。

食料と環境の結びつきは、市場の論理と相容れない要素を強く持っているのである。

 

フードセキュリティに環境の視点を含めると、

さらに'世代間の公正さ'(数世代後の人たちも同等な安全が保証されるか)

という視点も生まれてくるが、

そこまでいくと話が終わらなくなるので、ここでは触れずに、置きたい。

 

要するに、どう考えても、まず '市場開放ありき' なのだ。

なににつけても、'ためにする'論構成は、やっぱヤバイ。

 

最後に、4月から農水省に設置される 「食料安全保障課」という部署。

これにかかる費用も税金である。

外部経済(不経済) の観点から検証してみたいものだ。

 



2008年1月18日

食料の安全保障について考える

 

正月明けから穀物やら環境やらと、しんどい話題を続けてしまって、

少々心苦しいところもあるのだけれど、

その後も追い討ちをかけるような情報ばかりが入ってくる。

 

やっぱ、これは俺のせいじゃない。

 

小麦の値上げからフードセキュリティ論まで、一気に進めてみたいと思う。


 

今日の新聞報道によれば、

製粉最大手の日清製粉が、3月からパスタを値上げすると発表した。

業務用パスタが30~40%、家庭用パスタが15~20%の値上げ幅である。

 

昨年11月にも値上げしたばかりだが、

その後も原料のカナダ産小麦の高騰が続いているため、とある。

カナダ産デュラム小麦の国際価格は、昨年8月からすでに倍以上になっている。

 

業界2位の日本製粉も、3位の昭和産業も

「日清さんと同程度の値上げを検討している」 と。

どこも状況は同じであるからして、

まるで申し合わせたかのように、と言っては失礼なのかもしれないが、

業界内のバランスが図られているようではある。

 

いずれにしても過去最大の値上げ幅である。

 

カナダ産の小麦が高騰する背景には、

EUでのデュラム小麦の不作、バイオ燃料原料への転作、ロシア・中国などでの需要増

などが挙げられている。

奪い合いになっているわけだ。

 

一方で、中華麺や餃子の皮に使われるオーストラリア産小麦は、

2年連続の干ばつに見舞われている。

こちらは、06年度に28万トンあった輸入量が、今年は1万トン程度になる見通し。

 

そしていよい