雑記帳の最近のブログ記事

2014年1月14日

" 脱原発 " は争点じゃない?

 

元首相の細川護煕氏が東京都知事選への出馬を表明した。

脱原発を争点にたたかうという。

加えて、小泉元首相が支持を表明したことで一気にメディアも騒然となっている。

このタッグは強力だ。

かたや政府首脳および自民党筋から聞こえてくるのは、

「殿、ご乱心」 とか 「原発は地方自治体選挙の争点ではない」 とか。

 


ここで細川氏を応援するつもりはない。

しかし 「争点ではない」 とは、どういう刷り変えのおつもりか、

とは言っておきたい。

" 脱原発 "  は、まあ一つのスローガンではあるけれど、

基本的にはエネルギー政策の転換を求める意思の表明である。

エネルギー源を地方に委託し続けてきた東京が、

どんなエネルギー政策を目指すのかは、極めて重要な争点であろう。

これは暮らしの根幹の一つだからね。

エネルギー源は原発だけではない。 たくさんある。

何をどう選ぶかは、真剣に議論してほしい。

「他に (エネルギー源が) ない」 もすでに神話だ。

もう2年にわたって東京は原発に依存してはいないのだし、

新しい選択を目指すのは時代の流れである。

" できない、できない " はやる気のない人間の台詞だというのは、

企業人なら一度は受けた説教だろう。

 

もちろん争点はそれだけではない。

雇用・経済・格差問題、福祉、医療、防災(インフラ)、教育・・・・・

課題は山積している。 加えてオリンピック招致もある。

あれやこれやも含めて、候補者にはしっかり論戦してほしいと思う。

そもそも、ここで脱原発を争点にさせたのは誰なのか。

国民に約束した  " 脱原発依存 "  を破り捨てた者こそが主犯ではないか。

 

小平の川里賢太郎君の映画取材があって、

谷川俊太郎さんの詩を改めて覗いて再発見した、

「生きる」 という詩の一節がある。

 

  生きているということ

  ・・・・・・・・・・

  すべての美しいものに出会うということ

  そして

  かくされた悪を注意深くこばむこと

 

選挙の投票率が落ちていくのは、政治が醜いからではないだろうか。

言葉(約束) が軽すぎる。 腹の底が透けて見える。。。

 

養殖の話を続けるはずだったのだけど、今日はこの報道で

胸がザワザワして、書く気にならない。

明日から3連荘の飲み会になるというのに・・・ 

 

申し訳ありません。

 



2013年4月 7日

フラーの言葉

 

前回の日記で、

" 「子どもたちの姿は、私の未来」-そんな台詞を残したのは ~ "

とテキトーな記憶で書いたのが気になって、確かめたくなった。

記憶の原文は、こうだった。

バックミンスター・フラー著、芹沢高志訳、

『宇宙船地球号 操縦マニュアル』(ちくま学芸文庫、2000年10月発行) から。

 

  太陽から貯めるのに何十億年もかかった化石燃料を燃やして、

  そのエネルギー貯金だけに頼って生きるのか、

  あるいは地球の原子を燃やして私たちの資本を食いつぶして生きるのか、

  どちらにしても、それでは後の世代の人間たち、そして彼らの前に広がる日々に対して、

  まったく無知、そして完全に無責任というものだ。

  私たちの子供たち、そして彼らの子供たちが、私たちの未来なのだ。

  全生命を永遠に支えることができる私たちの潜在的な能力を包括的に理解して、

  花開かさなければ、私たちは宇宙のなかで破産する。

 

数年ぶりにパラパラと読み返してみて、

工学者としての理系の解説は相変わらず難しいままだが、

たくさんの啓示的な言葉に再会する。

 


  おとなになるにしたがって生まれてくる偏狭さとは反対に、

  自分たちが抱えているできるだけ多くの問題に対して、

  できるかぎりの 長距離思考 をつかってぶつかっていくということに、

  私はできれば 「子供じみた」 最善を尽くしたい。

 

  絶滅は過度の専門分化の結果である

 

  進化は、無数の革命的な出来事からなる。

 

  宇宙船地球号はあまりにも見事にデザインされた発明なので、

  知られている限りで200万年はこの船の上にいるというのに、

  私たち人類は船に乗っていることに気づきさえしなかった。

 

  宇宙船地球号に関してはとりわけ重要なことがある。

  それは取扱説明書がついていないということだ。

 

  私が描く今日の人類の姿とは、まさに一秒前に殻を破って、

  外に歩みはじめたというところ。

  無知や試行錯誤を許してくれた栄養もすでに尽き果てた。

  私たちは宇宙とのまったく新しい関係に直面している。

  知性の翼を広げて、飛び立っていかねばならず、

  さもなければ死んでしまう。

 

  私たちは 「どれだけ大きく考えられるか」 と問うべきだ。

 

  宇宙はシナジェティックだ。 生命はシナジェティックだ。

 

  即刻解決しなければならないそのような問題の典型は

  一般的な意味での汚染であり、

  つまり空気とか水の汚染だけでなく、

  私たちの頭のなかにたまった情報の汚染をも含めた汚染なのだ。

  これでは冥王星(プルート) じゃないが、

  この惑星を 「汚染(ポリュート)号」 と名付けなおす日も近い。

 

  マクロには包括的に、ミクロには先鋭的に、

  その解決を図っていけば、そんなに費用がかかるものではない。

 

  人間は富とはなんであるのかわかっちゃいない

 

  富とは未来に向かってエネルギーの再生がうまくいくようにする私たちの能力

 

  私たちのメイン・エンジン、つまり生命の再生プロセスは、

  風や潮汐や水の力、さらには直接太陽からやってくる放射エネルギーを通して、

  日々膨大に得られるエネルギー収入のみで動かねばならない。

 

まだあるけど、これくらいで。

「現代のレオナルド・ダ・ヴィンチ」 といわれ、ノーベル平和賞候補にも挙がった

フラーは、19世紀末に生まれ、1983年に亡くなっている。

彼が初めて 「宇宙船地球号」 と呼んだのは 1951年 のことだ。

「原子力発電なんて馬鹿げている」 と見抜いていた稀代の発明家。

3年後のチェルノブィリ原発事故を目にしていたなら、

彼の 「地球号」 メッセージと予言は、どんな怒りに変わっただろうか。

あるいは悲哀に満ち満ちたものになるか。。。

あれから四半世紀が過ぎてなお、惨劇は繰り返され、

僕らはまだ翼を広げて飛び立てないでいる。

 

外は強風が荒れ狂っている。

どうやったら飛べるのだろう、僕たちは。

書を捨て、この風に叩かれてみるか。

 



2012年12月26日

日本が住みにくく ・・・

 

ところで、来年の 「大地を守る会のオーガニックフェスタ」 でお呼びする

細川モモさんを紹介した6月27日の日記に、

今月に入ってこんなコメントが寄せられている。

投稿の主は、「せめて洋服を欧米並みサイズに」 さん。

 

女性にとっては 「ああ、この悩みを持つ人多いのよね」 かもしれないけど、

この世界にまったく無知 × 鈍感なるワタクシには、驚きの大発見!

みたいな話で、本編でも紹介させていただくことにしたい。

 ↓ (以下、コメント)

低体重児の割合が増加しているため、

長期的視点からみると日本人の身長は縮むと予測する学者もいるようです。

大きな問題は、アパレル産業のつくる女性の服が小さすぎることではないでしょうか。

私自身、日本製品は小さすぎて

来春からはアメリカ製を買うことにしようと決断しています。

しかし考えれば不便な生活で費用もかかります。。。。。

服のサイズの小さい日本を出られたらどんなにいいことでしょう。

服がより取り見取りのアメリカ、北欧は本当に素晴らしい。。。。

 

よく食べて運動しているとこういう不自由な思いをするのです。

ですので、便利にすごすためには

他人と同様にミニチュアサイズになることが必要なのです。

スポーツ選手、楽器演奏者は日本が住みにくく我先に脱出しているのです。

その理由の一つに、日本の社会にいると

良い食事指導やトレーニングが受けられない、

一般人の体格や文化的土壌が貧弱であり、

周囲のライバルに後れを取ってしまうという環境的な要因があります。

日本では文化的に華奢な体型が好まれるとしても、

せめて売る側の服飾産業は消費者のためにも

女性の服のサイズを大きく作ってくれないものでしょうか。

 
 

う~む・・・・・

と鈍感オヤジが思案したところで何も出てきやしないけれども、

「文化的土壌の貧しさ」 には考えさせられる。

しかも、我々の鈍感さ、あるいは価値観が

不幸な社会形成にひと役買っているとしたら、

「縮み指向の日本人」 とか批評している場合でなく、

また 「もっとサイズを増やせばいいのに」 という

単純なニーズやマーケティング議論でもない気がしてくる。

 

「日本が住みにくい・・・」

 - これって、アブナい話じゃないか。

 

多様性が認められる社会は、発想が豊かになり、

イノベーション(技術や組織の革新) も生まれやすくなる。

結果的に  " 人に優しい "  ロバスト(強健) な社会になると、僕は思う者である。

例えば、前にも書いたような気がするが、

放射線の被ばくにとてもセンシティブになっている人を排除したりシカトしたりせず、

そういう人たちを受け入れ、暮らしやすい地域社会を育てた方が、

自分にとっても、子どもの将来にとっても安心度は増すし、

この町に住みたいと思う人が増えるほど、

町のクオリティもバリューも上がるはずだ。

逆にはたらくと才能は流出し、発想は硬直化し、差別も生まれやすくなる。

つまり貧しさと危険度が増してゆく社会になる。

 

洋服だけの話なら、「ユニクロさん、お願いしますよ」 ですむかもしれないが、

これも社会を映している鏡なのか・・・と思った次第。

 

「せめて洋服を欧米並みサイズに」 さん。

モモさんは欧米事情にも詳しいでしょうから、

ぜひ 「オーガニックフェスタ」 にお越しいただき、

思いをぶつけてみてはいかがでしょうか。

 

日本は住みやすい国じゃない、か。 悲しいね。

 


 



2012年12月17日

危険なオセロゲーム

 

あれやこれや終わりの見えない課題のプレッシャーに耐えながら、

どうしてもひとつ年内中に仕上げたい仕事があって、焦る日々。

12月はまたこれが逃げるように早くて、先週は書く余裕もなく過ごしてしまった。

 

いやあ・・・ それにしても、

オセロゲームのように丸ごとひっくり返ってゆく光景・・・

小選挙区制というのは、つくづくアブナイ制度だと思うのであります。

しかもこの10年、回が進むにつれ振り子幅が大きくなっていってるような。。。

とても危険な臭いを感じるのは僕の鼻だけじゃないですよね。

 

野田さんは党内の議員たちが第3極に流れ出していく動きに恐怖を感じて、

一気に解散に打って出たのかもしれないけど、

第3極に態勢づくりの時間を与えなかった以上に、

自らの崩壊を招いてしまった、ということなのでしょうか。

結果的に国民が支持してしまった方向は、

増税、社会保障の削減、格差社会の拡大(それは自己責任)、

復興は公共投資優先、憲法改正、国防軍、目くらまし戦法でのTPP参加、

そして原発再稼動。

選挙用にいったん羽織ったモラトリアム的  " 先送り "  の上着も、もう必要ない?

 

まあ事前の報道である程度想像はしていたものの、

なんと言ってもショックは戦後最低の投票率、でした。

とくに福島の低さが気になるところです。

これからの全体的な空気を象徴しているような、そんな不安を覚えました。

ふるさとを追われた方々がこの結果をどう受け止められたのか、知りたい。

 

僕の大事な一票は、

今回は死に票になったかもしれないけど (まあ大体いつもそうだけど)、

全体的な波はけっして消えてない。

私は私の希望に向かって、進むしかない。

 

この間キャッチしたいくつかの放射能関連での情報や

私の動きも報告したいのですが、

気持ちを切り替えるスイッチがほしくて、

今夜はこんな一文でお許しを。

 

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12月8日(土)、東京・府中にある東京農工大学のキャンパスにて。

合い間を縫っては情報収集に出かけるのですが、

僕の心に快晴の青空はまだやってきません。

 



2012年11月16日

白神トレッキング

 

ブナの植林を終え、温泉に浸って、

ライスロッヂ大潟 (気兼ねなく自由に滞在してもらおうと黒瀬さんがつくった宿泊所)

にもう一泊させてもらって、

4日(日) は白神山地まで足を伸ばした。

 

こういう日程が組める曜日回りは6年に1回しか巡ってこない。

駆け足での遠征ではあるけれど、

担当事務局・西田が希望者のために用意してくれた

「白神山地トレッキング 貸し切りタクシー8時間フリープラン」

に便乗させていただくことにした。

10人乗りのガイド付きタクシーだ。

 

選んだのは秋田県八峰町の留山~薬師山散策コースと、

青森県深浦町の十二湖散策コース。

まずは、留山のブナ天然林を歩く。 

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ここからはもう解説はなし (正確にできないし)。

下手な写真でも、僕にとっては貴重なオプション・ツアーだったので、

雰囲気くらいは残しておきたいのであります。

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樹齢200年だったか300年だったか・・・

ガイドの方の解説に耳をそばだて瞬間理解してもメモを取るわけでなく、

僕はただただ感心して見とれるだけ。

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熊の爪痕。

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その熊が必死で木をよじ登ってでも食べたいのが、

ブナの実。

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硬い殻を剥いて齧ってみる。

さっぱりとした甘さがあって、美味しい。 子供の頃食べたシイの実に近いか・・・

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ブナってやっぱ、寓話的想像をかき立てる樹だよね。

人と森の物語を・・・

 

留山コースを降りて、青森に向かって海岸線を北に走る。

途中立ち寄ったイカ料理のお店で昼食をとる。

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ここから青森、十三湖めぐり。

 

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ブナの森に囲まれて、こんな湖沼が13、じゃなくて本当は33ある。

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平成の名水百選に選ばれたという

「沸壺池の清水」。 優しい水! 本当にウマかった。

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少しの汗をかいただけで、

旨い酒を頂戴しながら楽しい夜を過ごし、

たっぷりと紅葉の森林浴に浸って、

山と海の壮大なスペクタルに思いを馳せ、、、

植林の手伝いとか言いながら、まったく

自分をリフレッシュさせるために来た3日間だった。

渇望してたんだな、きっと。 森の精霊のパワーを。。。

 



2012年9月30日

見よ 月が後を追う

 

今日は月歴八月十五日(十五夜)、仲秋の名月なのに、

台風17号のせいでお月見どころではない。

各地の被害状況を報道で確認しながら、産地へと思いを馳せる。

必死で耐える果樹、収穫最盛期に入った東北の田んぼ、

雨に撃たれ泥水が流れ出す畑、揺れまくる雨除けハウス・・・

 

未明にかけて激しさを増してくる風雨に誘発されたか、

月と言えば、、、と孤高の作家・丸山健二の毒に満ちた散文詩小説

『見よ 月が後を追う』 を久しぶりに取り出してしまう。 19年も前の作品。

 


  稼働してまもない、とかく風評のある、元凶の典型となったそいつ、

  人命など物の数ではないといわんばかりに、一意専心事に当たるそいつ、

  桁外れの破壊力を秘めながら、普段は目立たない汚染を延々と繰り返すそいつ。

 

  そいつは暗々のうちに練られた計画に従って、高過ぎる利益を生み出している、

  そいつは進取的な素振りを見せながら、旧弊家どもの手先として働いている、

  そいつは昼夜を問わず制御棒をぶちのめす機会を虎視眈々と狙っている。

 

3人目の主人に拾われ、ポンコツから蘇った

「私は理知によって世界を知ることができる、誇り高いオートバイ」 が、

「動くものとなれ」 と挑発する。

 

舞台はどうも福島原発のあたり。

かなりヤバそうな犯罪に手を貸し現ナマを手に入れて帰ってきた娘と、

余計な野心を持たない腹のすわった青年を背に跨らせ、

都会に向かって突っ走りながら、「見よ、月が後を追う」 と歓呼する。

ゲンパツとそれがもたらした退廃に毒づきながら。。。

 

  この海岸線一帯には、濃縮ウランの思い上がりや財界の内幕の汚臭が漂っている、

  浅見を恥じない人間にはちょっと無理かもしれないが、私にはそれがよくわかる。

 

  これが人畜はむろん草本植物にも影響はないとされている危険の量だというのか、

  邪知に富む御用学者が強引に弾き出したペテンの数値、

  嗜虐趣味の風と波とが、その数値を絶え間なく変化させている、

  ごうごうたる非難を巧みにかわすための常套手段がそこかしこに見受けられる。

 

  原子力発電はすでに、活殺自在の力を持つ、破格の昇進を遂げているのだ。

 

これ以上引用するのはやめよう。

純米吟醸酒まで毒に変わってきそうだ。

日曜日の夜にこんなクセのある古い小説を手に取らせたのは、

実は月でも台風の力でもなく、メディアから流れてくる欺瞞のせいかもしれない。

 

原発ゼロ%を目指すと宣言しながら、財界やアメリカのほうを向いては

真逆の態度を示す。 そして、大間原発は建設するという。

誇りだけはやけに高い骨董品のオートバイが20年前に見抜いたとおりの世界が、

いま目の前で展開されている。

 

「動くものとなれ」

この物語の青年とバイクのように破滅的に飛翔することなく、

未来に向かって動くものに。

そのビジョンはすでにあちこちから明示されてきているのだから、

動くとは、「やればできる」 を出現させることだろう。

 

月(チャンドラ) よ 離れずに見てろ。

 



2012年9月 3日

昔、原子力に夢を見た男のひと言

 

おまけ話をひとつ、お許しを。

8月24日(金) の、その後のこと。

お巡りさんに地下鉄の入口まで見送ってもらって、

高校時代の仲間との飲み会に顔を出した。

田舎の高校を出て、それまでの人生の倍の時が流れたというのに、

電話やメール1本で関東在住の同級生が11人、集まった。

なかなかの結束力だと思う。

 

皮膚ガンの権威と言われるまでになった医者もいれば、

会社の社長に昇りつめたヤツもいれば、

女子の心をくすぐる心理テストの本など出している作家女史もいれば、

リストラに遭って何とか再就職した者もいれば、

競艇でスッてしまって夏は郷里に帰れなかったという破滅型のオヤジもいたりする。

もうそれぞれの地位など誰も気にしなくなった。

「 50を過ぎての同窓会は、楽しい 」

とフォーク・シンガーの高石ともやさんが言ってたけど、

その年齢になって本当にそう思う。

 

そんな輪の中に、若い頃に原子炉の設計に携わった男がいて、

こんなことを漏らすのだった。

「 もともと原発は、30年持たせる、という前提で作ってたんよ。

 それでもカンペキなものは作れんかった。

 それが40年に延長するという話になってきた時に、これはアカンと思た。

 そのうちにエライ事故が起きてしまうんちゃうかと言うとったら、

 ホンマに起きてしもた。 まあ、これは人災やな。 」

元柔道部の猛者。

原子力船 「むつ」 に乗りたくて、夢を抱いてその世界に入ったという男。

彼は今、塾の講師をしている。

 

事故後の元同僚とのやりとりなど、いろいろと出てくる生々しい話。

「 原発はやっぱりアカンかった。 辞めてよかったと思うとるけんど、

 ほんなことより、これからの子どもが心配やな 」

のひと言が、他の人とはひと味違った真実味をもって響いてきたのだった。

 

「エビっちゃんは今でも反体制か」 と問われ、

「アホか、今でも正義の味方よ」 と返す。

「よう頑張っとんな」

 ・・・・ こんなふうにサラッと褒められると、かえってうまく切り返せない。

うろたえながら、「まあ、、、しんどいけどな」 が精一杯。

 

深夜の電車で一人になって、

僕らは本当に、未来に大きな負の遺産を残してしまったんだと、

あの男のセリフを反芻しながら、改めて深く思った次第である。

 



2012年9月 1日

今年も飯豊山に登れず・・・

 

9月に入った途端にコオロギが一斉に鳴き始めたと思ったのは、

自分が気がついてなかっただけなのか。

まだくそ暑いのに、コオロギが鳴くと、秋になったような気になって、

心持ち涼しくなったような錯覚を覚える。

部屋のどこかに潜むゴキブリどもも、鈴虫のような音色を奏でてくれれば、

彼らに対するヒトの激しいまでの偏見も生まれなかったのではないか。

いや、、、家の中で夜中に我がもの顔に鳴かれたら、

かえって全滅させられたか。 相当にわびさびの精神がないと・・・だね。

生物学者の福岡伸一先生が述べておられる。

「 ゴキブリが害虫扱いされる理由はありません。

 ~ 彼らはこの地球の先住民です。

 ~ 分解者として環境を浄化する一方、

 他の生物の餌となって地球の動的平衡を支えています。

 もしゴキブリがいなくなったら地球の動的平衡はたちまち崩れ、

 人間を含めたすべての生物の生存も危うくなることでしょう。」

   ( 『遺伝子はダメなあなたを愛してる』 より)

 

しかしそう言われてもね、、、

とにかく、パニクってこっちに突進してくるのはやめてもらいたい。

ちなみに、ゴキブリを殺すなら、キンチョールより合成洗剤である。

僕はもっぱら新聞だけど。

 

くだらない話はともかく、今日は9月1日。

早朝から、大和川酒造店の佐藤工場長はじめ、

酒と山を愛する愉快な連中たちが、酒を担いで

飯豊(いいで) 山に登っているはずだ。

今頃は切合小屋で、酒も飲みほしてシアワセな寝息を立てていることだろう。

夜の風は少し寒いくらいか。。。

くそ~~ッ。 佐藤さんとも約束してあったし、

今年はゼッタイに登ろうと決めていたのに、ついに4年連続の 「エビ欠品」。

なんで仕事してんのよ~、こんな日に。。。

 

悔しいので、写真を載せる。 6年前の雄姿!

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(真ん中がワタクシです。)

 

一週間前の、種に関するセミナーの報告をしようと思ったのに、

気が散って、どうにも書く気になれない。

潔く諦めて、「種蒔人」 かっくらって飯豊山の夢を見よう。 スミマセン。

 


 



2012年8月15日

『 故郷 』

 

11日の夜に帰って14日の朝には発つという、中二日の里帰りを敢行。

墓参りをして仏さんをお迎えして、

お坊さん(地元では  " おじゅっさん "  と言う) を呼んでお経をあげてもらって、

仏さんをお見送りすることなく、いわんや阿波踊りに興じることもなく、帰ってきた。 

まったく親不孝モンである。

 

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9日に行なわれた農林水産省の 「地域食文化活用マニュアル検討会」 では、

自己紹介がてら、こんな軽いエピソードを披露してしまった。

 僕の田舎は南四国の小さな漁村で、

 この時期の食卓は毎日のように、カツオの刺身だった。

 高校生の時、そのことを仲間にぼやいたら、

 「エビんちに行くとカツオがたらふく食べられる!」 というので

 友達が何人も遊びに来てしまった。

 お袋は気合いが入って、「今日は料理をしなければ」 と、肉を買ってきた。

 (僕はそれ以来、友達を呼ぶと肉が食える、という公式を覚えた。)」

 

自慢話ではなくて、哀しいオチのつく話である。

あの頃の海は豊饒だった。

漁師たちには自信がみなぎっていて、

だから原発建設の計画が持ち上がった時も、一気呵成に潰したものだ。

今はそんな勢いなど見る影もない。

 


地元の漁協(自宅の隣にあった) に勤めていた母は、

漁師から毎日のように漁の残りものをもらって、お陰で魚に困ることはなかった。

「またカツオか・・・」 とぼやく、飢えたおぼっちゃま3人を横目に、

母は持ち帰ったカツオをさっさとさばいて、スダチをふんだんに絞って、

「これ食べとき」 と大皿を置いて、また浜(港の仕事) に戻っていった。

おそらく、ただ切るだけの刺身は、「料理」 の範疇ではなかったのだ。

一方で僕が一番好きだったのは、

金にならない雑魚をすりつぶして揚げた、この地方でいう 「天ぷら」、ざこ天だった。

おやつは何と言っても、磯もん(磯遊びで取ってきた小さな巻貝) である。

僕たちの 「食文化」 は、海とともにある暮らしそのものであり、

その文化をゲンパツに売り渡すことなど、到底考えられることではなかった。

 

しかし、、、今なら売るかもしれない。

海は誰のものでもなく、未来から預かっている永久資産のはずなのに。

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食文化マニュアル検討委員会で、中田典子委員から、

福井県小浜市での食を基盤にしてのまちづくりや食育活動についての

素晴らしいプレゼンを聞かされたあとに、

しぼんでゆく我が故郷を目の当たりにしながら、浮かんできたのは

小浜に隣接する大飯 (現:おおい町) 出身の作家、故・水上勉の

 『故郷』 という作品の一節だ。

 

  「 成長やないぞ・・・・・魚もすまん磯に荒廃させといてなにが成長かいな。

   これは退化や。 せやよってに、フィリピンから、兵隊で死んだ人らの

   生まれ変わりの娘さんらがはるばるやって来て、

   村を立て直すために肥えくみはじめとる・・・・・そんなことわからんのかいな 」

 

「食文化」 を、特産品のカタログのようなものにしたくない。

生命の湧く海や大地とともにいることの 「誇り」 を蘇らせるような、

そんな力を吹き込ませたいものだ。

『故郷』 にはこんな親子の会話の場面も出てくる。

 

   < あれは文明のお化けだよ。 何も年とってからお化けの棺桶のそばへ

   眠りにゆかなくてもいいじゃないか >

   ハドソン河畔のマンションで、子供らは、富美子の故郷移住をそのようにいって

   反対したのだ。

   ・・・・・・・・・・

   原発銀座と人もよぶような所へ、わざわざ、老後になって帰ってゆかなくても、

   と息子たちはいうのだが、富美子はこの意見をまともにうけとれない。

   「 謙ちゃんにかかるとママの故郷は二束三文になっちゃったけどね・・・・・

   ママには、この世にたった一つしかない故郷なの 」

   「 そこが原発の巣になっちまってるんだよ。 ぼくは、異常だと思うよママの故郷は」

   異常か。 ほんとうに異常なのだろうか。 富美子は自問自答して、考えこむ。

   そして、少しまをおいてから息子たちにこういうのだ。

   「 日本はいま、世界一のお金持ちになれた・・・・・

   その原動力を国に提供しているのが若狭なのよ。 ママの故郷なのよ。

   ママの故郷のお爺さんやお婆さんがいなければ、

   日本の今日の発展がなかったかもよ。 そんなに、ママの故郷をいじめないでよ。

   山も海もきれいなところなんだから・・・・・

   あなたたちだって海水浴にいって、大喜びで、いくらむかえにいっても

   晩まで帰ってこなかったじゃない。 すてきな村だいってたくせに・・・・・ 」

   そういっているうちに、富美子は心で泣くのだ。

   どうして、外国へきてまで、こんなことを言いあわねばならないのだろう。

   夫はだまって、聞いているだけだった。

   もちろん、この議論に勝負のついたためしはない。

 

水上勉さんは、故郷・若狭を深い愛をもって描きながら、

原発が人の心や暮らしの底にあった 「安定した重し」 のようなものを壊していく様を、

人それぞれの言葉や情感から表出させていくのだが、

つい自分の故郷の風景をダブらせてしまっている自分を、悔しいと思いながら読んだ。

なお、この作品は1980年代のものである。

 

こちらに戻ってくる前の晩、

漁の減ったカツオを調達してきた老母のセリフが、腹が立つ。

「 この子らは、カツオ切ってやっとったらええんでな、楽な子やった 」

反論は、やめた。

ま、僕の体の素は、海の命でつくられたようなものだ。

「食文化」 の再発見には、山の神さんや海の神さんも動員したい。

怒り来たれ、八百万の神々よ。 

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2012年7月15日

麗しの山河と 時間を返してくれ!

 

久しぶりに日曜日らしく、奥武蔵の川辺から。

 

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今年も河鹿蛙(カジカガエル) の美しい鳴き声がこだまして、

わずかだけれどホタルも確認できた。

もう少ししたら梅雨が明けて、

夕方の陽射しが少し柔らかくなったかと思う頃になると、

蜩(ヒグラシ) の合唱に覆われる。

そんな森と川から涌いてくる生命の鼓動に包まれながら長湯するのが、

僕にとってのささやかな、かつ最高の癒しのひと時になっていて、

勤務地がどんなに遠くなっても、この時間は捨てられない。

 

この癒しタイムが減ってしまったのは、ゲンパツのせいだ。

お願いだ。 慰謝料は請求しないから、時間を元に戻してもらいたい。

 


 

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おとといも首相官邸前には行けなかった。

報道によれば、唱歌 「ふるさと」 を合唱する人たちがいたという。

日の丸と一緒に 「子どもたちの命と麗しき山河を守れ」 と掲げた一団もあったとか。

 

兎追いしかの山、小鮒釣りしかの川  ・・・

風呂場で口ずさんでみても、心は晴れない。

どうにも消すことのできない汚らしい塵をかぶってしまった山河。

ホタルの光に向かって、すまないねと詫びる悔しさ。

腹の底から憎むぞ。

 

「脱原発依存」 というヘンな言葉が生まれた。

その依存度が何%かで有識者の意見は分かれるのだそうだが、

冷静に分析していると思われている方々には、

以下の疑問を解いていただきたい。 お願いです。

 

 1.問題は、何基まで減らしたか(何基稼動させるか) ではないでしょう。

   リスクは稼動数ではなくて、「稼動」 そのものにあると思うのですが、

   リスク対策はさて、どのように前進したのでしょうか。

   事故が起きないという保証は、この1年でどのように確立されたのでしょうか。

   福島の苦しみを想像しながら、お答えいただきたい。

 2.すべての産業の努力も、未来への保証システムも水の泡になるような、

   そんなリスクを背負える者はいない。

   だれも責任など取れないと思うのですが

   (それを証明しているのが今の状況でしょう)、いかがでしょう。

   「首相の責任」とは、誰に対するどのような責任を言っているのか、

   正直にご説明いただきたい。

 3.廃棄物管理まで含めた原発の経済収支を、

   その業務が終わるまでの年月で計算して明らかにしてもらえませんか。

   それは国民が、何百世代ローンみたいに払い続けることになるわけですから。

   中途半端に継続することのメリットがあるのか、知りたいです。

 

依存率を下げても、危険度は変わらない。

依存率を下げても、将来へのコスト・アンバランスは (原発の数だけ)上昇する。

依存率を10%とか25%の水準に維持するというのは、

「推進する」 ということ以外の何ものでもない (でなければ10%ですら維持できない)。

というのが僕の認識ですが、間違っていますか。

 

世界が自然エネルギーのイノベーション競争に入っているのに、

いったい何を脅えているのか、と思う。

昨日までの 「推進派」 が、隠れ蓑に使っているかのような 「脱・依存」 には

思想もビジョンも、計画もないように見える。

なんと腰の据わらない言葉だろうか、と思う。

いや、言葉のカラクリのなかに 「推進」 を潜り込ませたのだ。

ま、首相の 「決断」 は、「脱・依存」 などという弱腰ではない、

という本音を露わにさせたもの、とも言えなくもないような。。。

 

・・・とか考えてしまうこと自体、腹が立つ。

貴重な日曜日、今このひと時の、優しかった時間を返してくれ~

と叫びたくなる。

ゲンパツってまるで、

エンデの小説 「モモ」 に出てくる灰色の男 (時間泥棒) みたいだ。

いや灰色の泥棒なんかじゃない、強盗に近い。

しかも大事な、秘密の部屋まで荒らされて。

 



2012年5月22日

「農水省からの通知」 てん末

 

2012年5月21日(月)、月暦 四月一日。

草木が青々と繁り天地に生気が満ちてくる 「小満(しょうまん)」 の日。

午前7時36分、

関東では173年ぶりという 金環日食 を拝む。 

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こんなふうに撮ったヤツもいる。 

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こちらの撮影は、農産チーム・市川泰仙くん。

 

世間では、この瞬間に人生をかけた勝負に出た人もいるようだ。

ま、問題はプロポーズから先の長い人生だからね、

とか野暮なことを言うのはやめて、どうぞ、おシアワセに。

 

ものぐさ人間は、少々のことでは 「見る」 という目的のためだけに

無理して遠方まで足を運ぶ、という行動はとらないので、

間違いなく一生に一度の 「体験」 のはずなのだが、

あっさりと見終えて会社に向かう。

もっと世界が暗くなって、ざわざわと不気味な風が吹いてきたりする

のかと思い込んでいたワタシ。。。  小学生以下?

 

こんな特別な日に、千葉・幕張の事務所までやって来られたのは、

農林水産省の方2名。

食品流通業界を回っているのだと言う。 正確には、

「食品での放射性物質の基準値を独自に設定し、自社測定を実施している団体」

を回っているようだ。

 

用向きは2点。

1.4月からの新基準は、十分な科学的根拠をもって設定したものなので、

  その旨ご理解いただきたい。

2.自主検査に当たっては、信頼できる分析に努めていただきたいこと。

 


これは4月20日付で、農林水産省産業局長から

「食品産業団体の長」 宛てに出された通知に基づいたもので、

これによれば、以下の2点が強調されている。

 

1.食品産業事業者の中には、食品中の放射性物質に係る自主検査を実施している

  事業者も見られるが、科学的に信頼できる分析結果を得るためには、別添の

  「信頼できる分析の要件」に沿った取り組みを行なっていることが必要である。

2.食品衛生法に基づく基準値は、コーデックス委員会の指標である

  年間1ミリシーベルトに合わせる一方、算定の際の一般食品の汚染割合を50%として、

  コーデックス委員会ガイドラインより厳しい前提が置かれ、

  さらに特別な配慮が必要な飲料水や乳児用食品等を区分して、

  長期的な観点から設定されたものですので、

  過剰な規制と消費段階での混乱を避けるため、自主検査においても

  食品衛生法の基準値(一般食品:100ベクレル、等) に基づいて判断するよう

  周知をお願いします。

 

この通知による波紋は、農水省担当部局にとってまったく想定外だったようで、

翌21日からマスコミはこぞって、国が流通サイドの 「自主基準」 を潰しにかかった、

といった調子で書き立てた。

大地を守る会にも各社から問い合わせがあり、

僕が対応せざるを得ない羽目に陥ったのだが、

そもそもこちらは21日の新聞記事で知ったばかりなので、

間の抜けた対応にならざるを得ない。

こんな感じ。

「大地さん、農水から来ましたか?」

「いえ、何にも。 通知はHPで見てますけど、ウチには届いてないので、

 対象外なんじゃないですか?」

「あれぇ、おかしいですね。 なんで大地さんに送られてないんですかね?」

「さあ、私に聞かれても・・・」

「大地さんに行ったら、騒ぎが大きくなるからですかね?」(どうゆう意味じゃ)

「さあ、どうでしょうかね」

「来たら、どうします? やっぱ返り討ち、ですよね?」(嬉しそうに言うな)

「さあ、どうでしょうかね」

「そもそもこの通知、どう思います?」

・・・と突っ込まれて、吐いたコメントがあちこちに掲載されてしまった。

 

 自主基準を槍玉に挙げられた民間側の怒りは収まらない。

 厳格な独自基準を設ける生鮮宅配大手の大地を守る会で放射能対策特命担当を

 務める戎谷徹也氏は 「国の検査体制に、消費者が相当な不信感を持っているから

 自主基準を設ける流れになった。 自主基準を控えろ言うなら、

 信頼されるものを作ってほしい」 と憤る。 - 『日経ビジネス』 5月7日号-

 

 新基準施行後すぐに 「勝手なものさしで測るな」 と 「指導」 されたことに

 反発は続出した。

 「国に押しつけられる筋合いのことなのか。 ~中略~

 指導の前にやるべきことがあるのではないか」 (大地を守る会、戎谷徹也) 

  - 朝日新聞 「AERA」 5月14日号-

 

などなど。 こんなにきつく言った覚えはないのだが (だいたい通知も貰ってないし)、

いろんな人から 「気合い入ってますねえ」 と冷やかされる始末。

 

ちょっと本気になったのはマスコミ取材がひと通り終わった数日後、

農水省から電話をもらってからだ。

いきなり 「文書が届いているかと思いますが・・・」 ときた。

「いや、何も受け取っておりませんが・・・」

「あれえ、、、〇〇〇〇(ライバル会社) さんには送ったんですけどね」

カチン!!!!

スイッチ入っちゃったよ、もう。

「どうせ、うちは弱小団体ですから」 とスネオ調から始める。

 

とまあ、そんな経過があって、来訪となったのだが、

いざ合えば、僕も紳士である。

・放射性物質には安全のしきい値がなく、流通サイドとしては消費者の健康に配慮して

 予防原則の観点を捨てるわけにはいかないこと。

・生産者サイドでも、できるだけ低減させる努力を必死でやっているワケで、

 その努力が報われるよう、信頼を得られるための水準を示していくのは当然のこと。 

・こういった自主基準の設定で消費が混乱しているという事実はない。

・消費の混乱を招いたのは、むしろ国の対応によるところが大きい。

 我々は消費者の期待を一身に受けて、検査体制を構築し、情報公開に踏み切り、

 生産者の除染対策を支援し、ここまで来たものである。

といった主旨でお話しをさせていただいた。

 

農水省の方も、けっして (報道されているような) 自主基準をどうこうしろと言うつもりは

まったくない、との説明。

「なら、なんでこんな報道先行になっちゃったんですかね」

「出し方もよくなかったかと反省しているところです」

 

この通知と報道は、

この一年で全国各地に設置された市民測定所の方々にまで動揺を与えた

こともお伝えした。

提示された 「要件」 は、ひとことで言って 「市民測定所潰し」 に見えましたよ。

「いや、そんなつもりは全くない。 あくまでも商売としてやっている方々へのお願いです」

という答えだった。

 

国はもっと民間を信用して、生産現場での対策や測定などで

連携することも考えるべきだ、と付け加えた。

規制するばかりと思われているから、こういうことになるんじゃないだろうか。

「私たちもそういう方向で考えていきたい」

とは言ってくれたが、さてどうだろうか。

 

説明に来られた方は実に物腰の柔らかい方で、

終始穏やかに話し合えたのだが、結局のところ、

今回の動きの背景と本音はこうである。

- 「検出されたものは販売しない」 と宣言している小売店があるが、

  あの表示は優良誤認を招いていると思われる。 指導されたし。

という要望がどこからか出されたのだろう。

農水省としても動かざるを得なかったということか。

だったら、いろいろ歩き回るより、直球勝負でやってもらいたい。

そのほうがずっと業界にインパクトを与えるというものです。

 

今日も新聞社の記者がやってきた。

ひと通り説明したけど、本件はもうあんまり報道価値はないように思う。

僕の怒りは、むしろ先日書いた 菅野正寿さんの訴え である。

こういう問題をこそ取材してもらいたい、と切に願う。

 



2012年1月 7日

紅白餅占い

 

皆様、お正月はお餅をたくさん召し上がられたでしょうか。

今はおいしい食材がたくさんあるので、餅の消費も減っているのでしょうか。

でも、正月に餅は欠かせませんね。

 

さて、これはなんでしょう。

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左は玄米餅。 いえいえ、何をおっしゃる。

一回限りで、しかも地域限定となった、当社オリジナル謹製-紅白餅です。

産地で少々余ってしまった長人参 (栽培期間中農薬不使用) を引き取って、

ジェイラップでパウダーにしてもらって、紅色を期待して使ってみたところ、

こんな色合いになっちゃいました。

お口の中でほんのり人参の香りがして、お正月らしい気分に、、、

なるかどうかは分かりませんが。

 

この 「紅白餅」 は、震災復興基金から被災地向け用に作ったもので、

岩手の仮設住宅でお正月を迎えられた方々に送らせていただきました。

ヘンな餅やわぁ、人参の香りがするわ、紅ゆうには無理があるんちゃうか、

人参も無農薬やて・・・ とかかんとか (関西弁ではないでしょうが)

すこしでも団欒のお役に立てたなら嬉しかとです。

 

では、この餅を使って、正月恒例の餅占いを。

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さあ、焼けてきました。 人参餅のほうが火の回りが速いですねぇ。

オオーッ! 紅が差してきたではないか。 何と神々しい。

しかも、おやおや、、、どうしましたか?

 

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ううむ、これは、いったい何という神の思し召しだ。

裏返したら、何とこれまた・・・おお、マイ・ゴッド!

 

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今年は、欲張った上昇志向ではなく、横のつながりを大切にすることが吉、

と出ました。

愛ですね、愛。

 

なお、これはエビちゃんではなく、岩手に行くはずがサンプルで抜かれてしまった

神聖な餅様がそう言っているのであって、

ワタクシは一切の責任を負うものではありませんので、お間違いなく。

 

お屠蘇気分で書いた与太話で、捨てようかと思ったけど、

アップさせていただきました。

さあ、元気出して、いきましょう!

 



2011年12月16日

カキの鉄人に学ぶ

 

NHKで放送されている人気番組 『プロフェッショナル 仕事の流儀』

今週12日の放送は見なくちゃと思いながら、仕事が終わらず見逃してしまった。

録画もしてなくて、昨夜、深夜0時15分からの再放送を見る。

今回の登場は、カキの巨人、気仙沼の畠山重篤さんだ。

題して 「それでも、海を信じている」 。 カッコいいね。

 

" 森は海の恋人 " 

世紀をまたいだ最大のコピーだと思っている。

畠山さんの紹介は不要だよね。

気仙沼湾に注ぐ大川の上流部に木を植えて23年、その数2万本。

気仙沼の海とカキを再生させた男の物語はあまりにも有名だ。

僕が訪ねて行ったのは17~8年前だったか。

アポとって行ったのに、畠山さんは小学校の講演が入っていて、

お陰で校長室での挨拶まで付き合わされた思い出がある。

 

そして今年、震災で壊滅したカキ養殖復活の一章が加えられた。

この章は始まったばかりだ。

 

畠山さんはこの震災で、苦しい時から支え続けてくれた母、小雪さんを失っている。

小雪さんの言葉- 「自分の信念をつらぬきなさい」 に泣けてくる。

 

畠山さんの物語を解説する資格はないので、一冊の本を紹介してすませたい。

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『鉄は魔法つかい』 (小学館刊、本体価格1,300円) 。

小学校高学年なら読めると思う。

命と地球をはぐくむ 「鉄」 のすごい世界が、

カキ再生にかけた男の道のりとともに語られている。

上梓間近で震災に遭って、

でも気を取り直して出版させた力は、お母さんの言葉と、自然の力だったんだと思う。

 

テレビ放送を楽しみにした理由はもう一つあって、

僕はこの番組に一枚の画像を提供してあったんだよね。

畠山さんに 「鉄の力」 を教えることになった松永勝彦さん (当時北海道大学教授) の写真。

なんと 2年前のこのブログ から見つけてくれた。

登場したのは一瞬だったし、「写真提供」 のクレジットも記してくれなかったけど、

まあちょっと、誇らしい気分になったのだった。

 

今日はもう一つ。

二日前に藤田社長が安受け合いしちゃったもんだから、

午後、国会議員の先生の部屋に行くことになった。

 


食品の放射能測定の現状とか、情報公開の問題点とか、課題などについて

レクチャーしてほしいいうことらしい。

と言うわりには永田町の議員会館まで来いと・・・。

「え、え、え、え、、、」 と 「え?」 を5回くらい言っただろうか。

「それって、、、命令ですか?」

「命令じゃないけど、エビスダニってやつを行かせると言っちゃったし・・・」

という感じ。

大地を守る会もいろんなセンセーから声はかかるけど、

特定の政党を支持することはないので、ここでは政党名は伏せておきたい。

 

で、衆議院第一議員会館まで足を運んで、

測定というものの実情と課題に始まって、情報公開の意味とリスク、

我々が生産者と一緒に取り組んだ対策などなど、一所懸命語ってきた。

先生は、聞きたいところだけを急ぎ足で確認していたみたいだけど、

低線量内部被曝への関心を高く持っておられたこと、

除染が有効に働いているか、今後の食の汚染がどうなっていくかなどに

強い懸念を抱いていることは、ありがたいことだと思った。

情報公開(表示) の充実に関して、国会議員はまだ懐疑的な人が多いことを嘆いていた。

「国民が政治を信頼してないんじゃなくて、政治が国民を信頼してない」 と。

 

流通の末端(小売店等) での測定の体制強化よりも、

上流 (生産現場) でのきめ細かい検査と情報公開、

そして結果的に濃度が高かった地区の対策の徹底こそが、

消費を安定させる基本であることを訴えてきた。

公と上流がきっちりと責任もってやっている、という形づくりが必要なのだ。

ありとあらゆるものが流れてくる下流(小売現場) で

 「全品検査」 をすべてに徹底させることなど不可能であるし、

トレース(産地を遡る) ができない場での対策は、形だけの 「撤去」 しかできない。

産地での予備検査がおざなりであったことによって

福島県産米全体に影響を与えたことをもって知るべし、である。

 

福島の 「やまろく米出荷協議会」 の佐藤社長が嘆いていた。

今年は本当に美味い米ができたのに・・・ この悔しさはいかばかりか。

 

その先生は、「せっかくだから」 と他の議員の秘書さんも呼んでくれたりした。

共同テーブルで出した厚生労働省への質問書にも賛同してくれた。

頑張ってほしい。

 

無駄ではなかったみたいだけど、

お陰でワタクシは残業なのである。

何人かが楽しげに飲みに行ってる。 ああ、この世は不条理に満ちている・・・

 

でも、カキの鉄人を見た後だから、頑張れる。

「鉄」 のような流通者になりたい。

 



2011年9月 3日

夏の終わりに

 

夕べは、

やんごとない事情により郷里の高知に帰ることになった広報時代の後輩の

送別会が開かれた。

台風に気をもみながら、一次会、二次会、そして足を失った連中と朝までカラオケ。

ずいぶん歌ったなぁ、久しぶりに。

カラオケは、もとい、声を張り上げて歌うことは、カラダにイイ。

ストレス発散にもなるし、免疫力も高まるのだと聞いたことがある。

しかし・・・こんな朝の迎え方は、よろしくない。

もうやめようよ、若くないんだし。。。 サル以下の反省しきり。

M へ。

四国・高知をフィールドに、思いっきり駆け回ってくれ。

そして発信してほしい、地方の豊かさを。

僕はやれるところまで 「大地」 で頑張るけど、

その先にまだ人生が許されるなら、最後の野望がある。

四国独立宣言! 

美しくも淀んでしまったこの国を、ハッとさせてやろうじゃないか。

楽しく、精一杯、がんばろう。

 

彼が勤めることになった出版社はこちら。

 ⇒ http://minaminokaze.co.jp/index.html

 

 

電気が足りない、という脅しも乗り切って、暑かった夏が過ぎようとしている。

節電も頑張ったね。

僕は去年から、このシーズンは水シャワーだ。

海に行った気分を無理矢理引き出したりしながら。

 

そしてもうひとつ、この夏にハマったものがある。

ぬか漬け。

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米ぬかは契約栽培のもの。 塩はシママース。

 


と偉そうに言ってみたが、

マルイ漬物さんが 「大地の野菜」 で捨て漬けまでやってくれたもので、

「すぐに漬けて、食べられます」

のひと言に、オレでもやれそう、とつい注文してしまったものだ。

それからというもの、キュウリとナスが欠かせなくなった。

放射能の時代には、乳酸菌と銘酒 「種蒔人」!

などと一人ごちながら、ささやかな夜を楽しんでいる。

 

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ただ、毎日かき混ぜる、というのが少々難儀で (出張などでいない日もあるし)、

ついつい2日、3日と置いてしまうのだけど、

冷蔵庫の中でしっかり息づいてくれていて、頼もしい。

 

こんな怠け者でも、ちまちまとぬか床を混ぜていると、

ふと、もっと自然に近づきたい、という憧れが募ってきたりする。

 

「土も草も無縁になった荒寥(こうりょう) の都会人に、このよろこびはないかもしれぬ。

 だからこそ、人々は、土がほしい土がほしいと叫んでいるのではないか。」

「人は、手でつくることにおいて、はじめて自然の土と共にある。」

 (水上勉 『土を喰う日々』/新潮文庫)

 

こんな台詞を、いつかさらりと吐けるようになりたい。

放射能を片づけられたなら、少しは余裕も生まれるのだろうか。

社長の顔が浮かび、「いや、無理だな」 と腹の中でつぶやく。

まあしょうがないか。。。

この荒寥の都会で矢尽き、果てたなら、最後の野望は M に託そう。

いやなに、物騒なことをお願いしてるわけじゃないのよ。

竜馬になれって言ってるわけでもない

(ま、土佐には、自称 「平成の龍馬」 がいたるところにいるらしいけど)。

 

あのタイトルで一冊本を出してくれればいいの。

コンセプトは、もう分かってると思っているので。

風を吹かせて、攻めてこい。

 



2011年8月15日

西からも東からも、応援し合う関係を築くこと

 

東京の夕空に、ゴジラ参上。 

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10日の午後から夏休みをもらって、帰る途中に発見。

似てない? 似てるよね。

この頭に乗って進軍してみたいものだ。

しかし、ゴジラが邪悪な都市に怒りをぶつけにやって来たというニュースは、

残念ながら聞かれなかった。

 

11日から3日間という慌しい日程ながら、

郷里に帰って墓参りをしてきました。

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南四国の東海岸。 太平洋を臨む、国道も通ってない小さな漁村。

この海から直線で15kmくらい北の岬に

原子力発電所を建設するという計画が持ち上がって、

住民の激しい反対にあって白紙撤回されたことがあった。

普段は政治のことなど話題にもしない漁民たちがハチマキ締めて

県庁まで抗議に出かけたりしたんだよね。

僕の家の戸口にも 「原発反対の家」 のステッカーがしばらく貼られた。

35年も前のことだ。

もし建っていたら、そろそろ寿命期に入る原発を、

この地の人々は眺めることになる。

 


前にも書いた気がするけど、

極めて保守的なこの地の漁民たちが猛烈に原発に反対したのは、

まだあの頃は漁業で暮らしてゆける自信があったからだ。

海はかけがえのない暮らしの源であり、

大らかに宝ものを与えてくれるみんなの財産だった。

それがもう、この海の豊かさを自慢する人たちはすっかり高齢化してしまって、

町自体が萎んできた感じである。

今なら、もしかしたら、海を売っちゃうのだろうか。。。

原発と一次産業は、どうしても負、いや反の関係にある。

お金といのちは両立しないワケではないはずなのだが、

おそらく両極に位置するからか。

 

9日、長崎で開かれた平和式典で、

田上富久市長が読み上げた平和宣言の一節が、頭の中でダブってくる。

 

  「ノーモア・ヒバクシャ」 を訴えてきた私たちが、どうして

  再び放射線の恐怖に脅えることになったのでしょうか。

  自然への畏れを忘れていなかったか、

  人間の制御力を過信していなかったか、

  未来への責任から目をそらしていなかったか・・・、

  私たちはこれからどんな社会をつくろうとしているのか、

  根底から議論をし、選択する時がきています。

  たとえ長期間を要するとしても、

  より安全なエネルギーを基盤にする社会への転換を図るために、

  原子力にかわる再生可能エネルギーの開発を進めることが必要です。

 

守らなければならないものは何なのか、本当に今、考えなければならない。

そして、行動すべき時は、敢然と動きたい。

あの頃の漁師のおっちゃんや母ちゃんたちのように。

賢治も書いている。

 - なぜやめたんですか。

    ぼくらならどんな意気地ないやつでも

    のどから血が出るまでは叫ぶんですよ。 (『セロ弾きのゴーシュ』) 

 

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あちこちに祀られている神仏に手を合わせて、

肝心のウチの仏さんを見送ることもせず、とんぼ返りする。

 

14日、途中で奈良に迂回して、五條市にある王隠堂農園さんを訪ねた。

6月から取り組んだ企画 - 「西から応援野菜セット」 へのお礼を伝えたかったのだ。

 

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作業場では、まさにセット組の最中だった。 

お盆の真っただ中であるにも拘らず、

作業ローテーションを組んで出勤してくれた女性陣に、深く感謝したい。

 

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実に手際よく箱詰め作業が進んでいく。 

 

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野菜の状態もチェックしているのだが、

時に流通過程で溶けたり傷んだりしたものも発生した。

小売店なら入荷した時点で検品して、バックヤードではじけばよいのだが、

産地から家庭まで、そのまま運ぶものはやはり一定のリスクを伴う。

 

もし傷んだものが入っておりましたら、ご一報ください。

返金処理とかはもちろんのこと、産地へも情報をフィードバックし、

改善に役立てていきますので。

先週はよかったのに、今日は・・・ということもありえます。

一般では隠れて見えなくなる青果物流通の実態が

そのまま届いたりするのが、この流通の妙味です。

どうか温かい目で・・・ と言うと、甘い!と叱られるのではありますが。

 

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王隠堂さんがつなぐ生産者たちの野菜で構成された 「西から応援セット」 も、

来週をもっていったん終了となります。

このあと、王隠堂さんたちの野菜で継続されるものは、

「子どもたちへの安心野菜セット」 に吸収されることになります。

引き続き、「子どもたちへの~」 をご利用いただけたなら幸いです。

 

応援セットは終了しても、それで終わりではない。

これからの有機農業の全国的発展、次世代育成をにらんで、

関係を強化するための作戦会議も開いて、おいとました。

 

吉野の里のお米も、登熟期に入ってきた。

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この国の大地を守るべき主体を育て、ネットワークする。

それは原発に頼らない社会を再建するための地盤となるはずだ。

「西から応援~」 は、消費者の不安に応えた側面もあるが、

食べることで輪がひとつ大きくなったことはたしかである。

 

原発問題は、福島だけではない。

これから全国の原発が、廃炉の時代に入っていく。

西からも東からも、里からも海からも、応援し合うつながりを築いていきたい。

未来のために、教訓は今から形に、である。

 

渋滞のピークを避け、深夜の中央道を走りながら、

明日からの作戦を思い巡らせている。

これで夏休みも終わる。 病気だね、まったく。

 



2011年7月19日

粋に夏をやり過ごしましょう。

 

エ~ン (泣) ・・・

昨日、おめでとうと言ったばっかりなのに、師・魁皇関が引退しちゃったよ。

でもまあ、数年前からこの日が来ることは覚悟していた。

大横綱の誇り高き引退もカッコいいが、

ボロボロになっても体の続く限り土俵に上がる意気地にも美学はある。

「魁皇としての人生は最高でした。 すべての人に感謝したい」

のコメントも泣かせる。

ファンに 「しょうがないね。 長い間、本当にお疲れ様でした。 ありがとう」

と言わせる引退が、優しい魁皇らしい。 

僕が愛した相撲取りは、大鵬と張り合った柏戸から始まり、

悲運の横綱・玉の島、小兵の貴乃花(若貴兄弟のお父さん)、

歴史的大横綱になるなんて思ってもみなかった千代の富士、

そして魁皇、となっている。 次は、、、まだ現われてこない。

 

しばし感慨に耽らせていただき、満足したところで、

リクエストがあったので、気をよくして写真を披露させていただきます。

  > 四国人の私は、丸亀の団扇にこだわっている。

  > 粋なうちわ、というのもあるのである。

 に対して。

 

会社で愛用しているのが、これ。

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こんなのもあります。

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これは携帯用。

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ちゃんと布のケースに入ってます。

 

全部手づくり。

四国は竹林が多ございまして、これも風土が産んだ大切な伝統工芸品なのです。

もしいつか四国・丸亀(香川県) にお立ち寄りの際は、

一枚でもお土産にお買い求めいただけますと、嬉しゅうございます。

 

夏は暑いのが当たり前。

粋にやり過ごしたいものですね、粋に。

アジア・モンスーンと共存してきた文化はまだまだ健在で、

資源は身近にこそあり、です。

 

団扇をあおぎながら、

僕の日本酒の原点、福島・仁井田本家謹醸 「鳳 金寶 (きんぽう)」 の、

ミーハー向けレーベル 『穏 (おだやか) 発泡うすにごり酒』 に、

福島わかば会のトマトを冷やしていただいていたら (このところ福島がんばろう暮らしで・・)、

台風6号は我が郷里のあたりに上陸した模様。

実家に連絡すれば、老母健在。

「なんちゅうことないな。 心配せんといて。

  昔、原発の計画止めたん覚えとうけ。 感謝しいよ、地元の人に。」

 

司馬遼太郎を真似て言うなら、

この列島はまことに繊細かつ剛毅ななでしこ精神文化を醸成してきたものである。

ちょっと・・似てないか。

 



2011年7月18日

なでしこに感謝

 

なでしこ、おめでとう!

なんという精神力。

ドイツ、スウェーデン、アメリカと、でかい強豪を相手に2試合が延長戦という

タフな試合を走り抜いた。

しかも何度やっても勝てなかったアメリカに対して、

追いついて、延長でまた追いついて、最後はPK戦で勝利をもぎ取った。

ドラマチック過ぎる。 泣いちゃいましたよ。

しかも被災への友情に感謝するあの横断幕。 世界中が喝采している。

僕も腹の底から、ありがとう! と叫びたい気持ちになった。

それにしても澤選手の、あのゴールは何だ? すご過ぎないか。

 

ついでに、魁皇さんにも、おめでとう!

65点人生を歩むワタクシにとって、貴方は人生の師です。

今場所はホントにつらそうだけど。

 

わが社にも慎ましながら、記録がひとつ。

幕張本社の6月の電気代が、何と前年比63%!という数字が出たのだ。

蛍光灯を半分に減らし、なおかつ自然光でやれる間は我慢する。

電気ポットを撤去し、冷蔵庫もサンプル保管用に限定した。

空調も時間短縮で、残業には昭和の頃のように団扇 (うちわ) が必須となっている。

最近は扇子の絵柄もいろいろ出てきてなかなか面白いけど、

四国人の私は、丸亀の団扇にこだわっている。

粋なうちわ、というのもあるのである。

 

べつにこれまで自堕落に電気を浪費してきたわけではないと思うのだが、

テッテー的にやってみようとトライしたら、37%減の達成。

電力は足りている、という計算もあるけど、

やれるだけのことはやってみよう。

この夏を豪胆に乗り切る、と宣言したのだ。

いざやってみれば、発見もある。

感動は与えられなくても、楽しく汗をかいてみよう。

ここで気持ちが前向きになれるのも、なでしこ効果か。

 



2011年7月 3日

ウェザーニューズさんの 『栽培天気』

 

6月25日付日記でお詫びした 「たんぼスケープ」 への投稿について、

管理者のアラカワケンスケさんから、

ⅰPhone からのメール投稿にも対応したとのコメントが入っています。

@i.softbank.jp の方はOK とのこと。

もしその他にお使いのスマフォで投稿できない場合は、

お使いのスマフォの機種を教えていただければ大変助かります。

すみません。 私が最新動向についていけてなくて。

 

また最初に 「投稿できない」 の連絡を頂いた Y さんこと

ゆきんこ@ゆいまーる さん。

通常のケータイからエラーの返事もなくアップもされないというのは

何か不具合があるのかもしれません。

引き続き調べておりますので、時折でも投稿してご確認いただけると、

これまた大変助かります。

 

横浜の舞岡公園をフィールドに活動を行なっている

ゆいまーる さんも、今年の米作りには格別の思いを抱かれたようですね。

HPで書かれていた言葉には、深く共感を覚えました。

 

  みんな生きなければならない。

  その場所で今もなお暮らしていくことを決めている以上は、

  土(大地)とのつながりを、断ってはいけない。

  この自然とのつながり、営みは続けなければいけない。

 

実り多い一年になりますよう祈念しております。

 

さて、先週の金曜日(1日) のこと。

大地を守る会と同じ千葉・幕張テクノガーデンに本社を置く

世界最大の気象会社 「ウェザーニューズ社」 の方がお見えになり、

新しくオープンした 『栽培天気』 なる携帯サイトの紹介と説明を受けました。

実は、農業や栽培に関連した気象関係の部署の方とは、

たまに情報交換などさせていただいているのです。

 


この 『栽培天気』 なるサイト。

農業を営む方や、家庭菜園を楽しむ方向けに作られたもので、

次のような機能があります。

 

1.作物の生育状況を写真付きで報告して(栽培レポート)、

  ご自分専用の  " 栽培日誌 "  を作成できる。

2.そのレポートや日誌を全国の利用者と共有し、

  栽培のノウハウや面白さを伝えあうことができる。

3.作物を自然災害から守るため、強風や豪雨、霜など、

  作物に影響を与える悪天候が予想される場合に、事前に

  利用者の携帯メールにお知らせするサービスも利用できる (月額315円)。

4.栽培で困ったことが起きた場合に、" 助けてボタン "  を利用すると、

  それを見た方 (プロ農家など) からアドバイスを受けることができる。

  また逆に、自分のノウハウを伝授することもできる。

 

詳細は、ウェザーニューズ社のプレスリリース (上記の 『栽培天気』 をクリック)

を見ていただくとして、要は

作物の栽培に携わるいろんな人たちとつながることで、さらに栽培が楽しくなり、

また田畑を自然災害から守り、イイ作物づくりにも貢献できる、

というコミュニティ・サイトとしてつくられたものです。

 

本サイトご担当の方の話によれば、6月20日にHPでリリースしてより、

毎日100名強くらいのペースで登録者が増えており、

予想以上の手応えだと。

ただし、、、これがなんと 「たんぼスケープ」 と同じで、

まだ通常の携帯 (フィーチャーフォン) しか対応できない、というのです。

フィーチャーフォンとスマートフォンは構造がかなり違っていて、

世界のウェザーニューズ社をもってしても、

いま急速に普及してきているスマフォにも同時対応する設計は困難だったようです。

「ようやくスマフォ対応のノウハウが蓄積されてきているところです。」

 

へ~え、そういうものなのか・・・・・

知識のない僕は、アラカワ君に 「早く何とかしてよ~」 とか言っちゃって、

きっと腹の中で、チッ、ど素人が・・・ とか思われたんでしょうね。

アラカワ様、大変失礼いたしました。

 

ウェザーニューズ社の方とは、このサイトをネタに

色々と情報交換をさせていただいたわけですが、

プロ農家にとっても有用なサイトに発展させるために、

お役に立てればいいなと思った次第です。

 

生産者の皆様、家庭菜園を楽しむ皆様、あるいは

ゆいまーるさんのように田畑をフィールドにして活動されている方々も、

一度アクセスしてみてはいかがでしょうか。

そして、ご意見いただけると嬉しいです。

 

おそらくスマフォ対応が完成するのは、

「たんぼスケープ」 も 「栽培天気」 も同じ頃になるような気がします。

 



2011年5月19日

「種蒔人」が飲める、街の小さなフランス料理店

 

先週、13日(金) のこと。

 

JR中央線・東中野駅東口を出て、

様変わりした旧日本閣のビルを右手に眺めながら神田川を越え、

ごくフツーの住宅街に入ってお米屋さんを左に曲がった

通り過ぎてしまいそうな一角に、

小さなフランス料理のお店がある。

お店の名前は、「ソレイユ」。 フランス語で太陽を意味する言葉らしい。

 

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店主の樋口陽子さんは、フランスで修行を積んでこられた方で、

パーティ用料理のケータリングを主として、料理教室を開いたりする傍ら、

この瀟洒なお店を切り盛りしている。

 

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フランス料理を語れるわけでもないワタクシがこの店を紹介するのは、他でもない。

大地を守る会オリジナル日本酒 「種蒔人」 が飲めるフランス料理店!

だからであります。

 


いや、実はそれだけではなくて・・・

料理に用いる野菜や果物は、直接お付き合いのある農家から取り寄せるもの以外は、

基本的に大地を守る会の野菜を利用していただいているのです。

 

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しかも今、お店では、

福島や北関東の野菜を使うことを 「了解」 していただけたなら、

その料理の代金の一部を震災復興支援に回すという、

ささやかな行動を続けてくれている。

 

『 当店は茨城、福島県の野菜を応援しています。

  緑字のメニューを食べていただきますと、売り上げの中から ¥100 を募金とし、

   大地を守る会を通して 現地の復興に役立てます。 』

メニューを見れば-

『 今週の野菜

    サニーレタス   さんぶ野菜ネットワーク 千葉県

    蕪          三枝晃男 埼玉県

    ズッキーニ    瀬山明グループ 埼玉県

   胡瓜、根三つ葉  福島わかば会 福島県

   ベビーリーフ   大和田 忠 茨城県  ~  』

といった具合に大地を守る会の生産者の名前が並んでいる。 

 

「ホントにちょびっとずつ、なんです。 申し訳ないくらい。」

と言いながらも、樋口さんは大地を野菜を褒めてくれる。

ありがたいなぁ、と思う。

大地を守る会の生産者の皆さん!

こういうお店があることを、覚えてほしい。

 

根三つ葉とアサリの炒め物。 茎立菜も入っている。

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本日の主采は、鶏の香草焼き。 

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一緒に行った上司・長谷川満 (弊社取締役) と、

ただただ 「美味いね、美味いね」 としか言えない我々。 

とにかく品が良くてパクパク進む、というのがワタクシ的には最高である。

 

普段は口にすることのない甘味も、同じく。

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ここに来てまで飲むのはどうかね、とか言いながら 「種蒔人」 を一杯やって、

樋口店長おススメのワインをいただく。

国産ワインの課題などを語り合いながら。

 

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皆様もよろしかったら、東中野にお越しの際は、ぜひ。

大地を守る会的には、

ポレポレ東中野 」 で映画を見た後、「ソレイユ」 で友人とゆっくり語り合う、

という感じは、いかがでしょうか。 

 

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いい日本酒はフランス料理にも合う、

ということを 「種蒔人」 が証明してくれます。

 

ほぉっとした一夜、の話でした。

 

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2011年4月20日

穀雨の日に

 

4月20日。 旧暦では3月18日、辰の月の中気。

二十四節気では 「穀雨」 の日。

どんよりとしつつもこの時季の雨は、

万物の生育を促し、百穀を潤すと言われてきた。

 

昔の人はこうやって季節と付き合ってきたのだが、

いま、僕らの心は若葉にすら心弾む余裕を失ってしまっている。

それどころか、雨は目に見えない放射能への不安を含有させて降ってくる。

 

穀雨を経て、気分は田植えへと高揚していくはずなのだけれど、

東北・北関東は作付そのものすらおぼつかない様子が伝えられてくる。

放射能による土壌汚染の程度によって、

米の作付を見合わせる (米を作るな) 、という指導がされ始めている。

 

この判断は、いいのか? 逆じゃないのだろうか?

 

また震災復興に向けて諮問機関 「復興構想会議」 が設置されたかと思えば、

議長からいきなり 「震災復興税」 が提案された。

僕だって国民として負担する気持ちはやぶさかではないが、

復興のビジョンや青写真もないところで、責任の論議もないまま、

いきなり  " 財源は国民負担で "  から始めるなんて、おかしくないだろうか。

 

整理して語りたいが、今日は気力がない・・・ 

ちょっと、このギスギスした心境を落ち着けたいと思う。

 

こういうときに、思い出す心象風景がある。

4年前の年末にも紹介した、

渡辺京二著 『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー) に描かれた世界。

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かつて明治維新という名の社会革命が起きたとき、

ジパングという国がいかに文明の劣った国かと思ってやってきた西洋人が、

この国の美しさに驚愕した。

人々は小さいが、ぜい肉はなく、男たちは美しい体躯をしている (ただし足が短い)。

生活は質素だが、とても清潔で、礼節があり、家に鍵をかける習慣がない

(ただし男たちがふんどし一丁で歩くのだけは野蛮だ)。

子どもたちはとても大切にされ (甘やかし過ぎているきらいもあるが)、

ふくよかでいつもニコニコして、人なつこい。

少女が赤子を背負ってあやしながら、本を読んでいる!

庭や田園はきめ細やかに手入れされ、見事に調和を保っている。

何と美しく、豊かで、パラダイスのような国。

 

日本を賛美した西洋人たちはまた同時に、

西洋列強にひたすら追いつこうとする国の行く末を見つめ、

その美徳が近く滅ぶであろう予言と哀しみも語っている。

 

こんな時代がたしかにあった。 

僕が育った四国の小さな漁村では、それは昭和の風景としてあった。

 

いま真に未曽有の危機の中にあって、

諸外国から称賛される日本人の和の力が本当だとしたら、

消えた風景とは別に、

まだこの国の精神文化は滅んでいなかったのかとも思い直したくなる。

ならばその心をけっして捨てずに、

21世紀の社会革命に向かいたいものだ。

 

みんなの力で復興に向かおうというときに、

国民に肩代わりさせることを真っ先に考えるなんて、野卑だ。

それとも真っ先に守りたいものを視野に入れているのか・・・

ビジョンから行こうよ!

それから設計図、そして見積りの提示、じゃないのか。。。

 

今年の 「穀雨」 は冷たく、暗すぎるね。

 

いやそれでも、光はないわけではない。

復興構想会議の委員の一人に、本ブログで何度も登場いただいている

竹村真一さん(京都造形芸術大教授、ELP代表) が入ったことだ。

あまり期待が過ぎると本人もつらいかもしれないが、

精一杯応援したいと思う。

 



2011年2月24日

『種蒔人』 新酒、発売開始!

 

大地を守る会のウェブストア担当から連絡あり。

大地オリジナル純米吟醸酒 『種蒔人』

2011年産新酒の絞りたて " あらばしり " 

のネット販売を24日から始めますので、よろしく、と。

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今年は取り扱いが早いね。

東京集会の鏡割りでお披露目して、翌日から配送とは-。

大地を守る会の会員の方々にはすでに今週配布の注文書に載っていますが、

会員以外の方でも、「大地を守る会のウェブストア」 でご注文できます。

 

水と田んぼを守りたい、の願いを込めて造られたお酒です。

よろしかったら。

https://store.daichi.or.jp:443/GoodsDetail/index/itemCode/44001188

 

ご注文期間は、本日2月24日(木)午後1:30~3月3日(木)お昼12:30

の1週間のみ。

あわせて稀少な 「種蒔人の酒粕(板粕)」 も同時発売。

https://store.daichi.or.jp/GoodsDetail/index/itemCode/06301667

 

ぜひご利用ください。

めったにやらない宣伝、でした。

 

新酒完成を見届け、安心したところで、

ワタクシはまだ暫く、昨年絞りの在庫処分にかかります。

こういう気分も、まあ悪くないものです。

 

<注-上の写真ラベルは絞ったときの急造品ですので、お届け商品とは異なります。>

 



2010年9月27日

ダントツ、ピカピカ、マイトコーネ、、、アニキはやめろ~!

 

ミツバチの話から、カメムシ、ヨトウムシと気分の重い話に展開してきたので、

こうなったら、たまにはくだらな~い話題で、デカダンな一夜を。

 

何日か前、グレーな気分で 「日本農業新聞」(農家が購読している日刊紙) を

何気にめくっていると、目に飛び込んできた広告があった。

「チョウ目害虫におすすめ!

 つよい、やさしい、たのもしい。 害虫防除の強力な味方、アニキ乳剤 新登場!」

イメージキャラクターは、アニキくん  だと。

 

思わず、やめてくれ~~! と心の中で叫ぶ。

わが阪神タイガースの神聖なる呼称を汚すもの以外の何ものでもない。

しかもアニキに 「くん」 付けとはなんだ。 日本語をもコケにする気か。

これは我々固有の領域に対する明確なる侵犯行為と判断せざるを得ない。

僕は次の基準検討会議で、断固、使用禁止農薬にするよう提案したいと考えている。

理由は、名前が許せない、という非科学的情念の根拠をもって。

ジャイアン、なら笑って許してもいいが・・・。

 

そこで改めて眺めてみると、どうも農薬の商品名はダジャレ系の命名が多いね。

列記してみようか。 かなり不謹慎な世界が垣間見えてこないか。

 


まずは除草剤から。 オヤジ・ギャグ系オン・パレードの世界である。

 クサトローゼ (※)

 バッサ

 ピカピカ (※)

 ビシット

 マイター

 マルガリータ

 ラクサー (※)

 ザッソージ (※)

 テマナックス (※)

 ネコソギ (※)

 トビキリ (※)

 クサトリキング (※)

 クサゼロイッキ (※)

オヤジの願望 (あるいはコンプレックス) を刺激するような勇まし系もある。

 テンカムテキ

 草闘力

 用心棒

 サムライ

 サンダーボルト

 

殺虫剤・殺菌剤ではこんなの。

 オオナタ

 トレトレ

 ナメトックス (ナメクジ退治用)

安心・安全と思わせるような心地よいのも ・・・

 花ベジタ (※)

 プロポーズ (※)

 野菜ひろば (※)

 安全スネック (※)

アニキに類するものとしては、

 ガンバ

 ダイマジン ・・・・・・

 

ちなみに上記の (※) は、当会基準で 「使用禁止」 農薬にあたるものである。

(注・・除草剤は、米穀類以外は使用自体が禁止です。)

新たに 「できるだけ使用を控える」 農薬としてランク・アップされた

カメムシ防除の 「ダントツ」 というのも、まあダジャレ系に入れてもいい感じか。

 

色々あるが、ここでワタクシの性格的独断に基づいて横綱の栄冠(?) を与えたいのは-

 マイトコーネ (殺虫剤) だね

思わず、撒いとこうか、という気になる。 ならない? ならいいんだけど。

 

極めて不謹慎な話をしてしまいました。

僕はただ、全国津々浦々に張り巡らされた1億2千万 (希望的推定値) の

阪神タイガース・ファンの農家が、ヨトウムシ対策に思わず アニキ!

を買っちゃうんではないかと、心の底から心配するのであります。

そういう輩が多いのを、どうも否定できないので。。。。

ま、いずれにしても、これだけダジャレ系が多いということは、

オヤジたちは名前で買っちゃっているんだろ。 バカにされてないか諸君!!!!!

 

ちなみに 「アニキ」 はその魚毒性(水質と魚介類に対する影響) から、

「使用にあたって注意を要する農薬」 に相当することもお伝えしておきたい。

注意書きをよく読みこんでいただきたい。

蚕に対する、またミツバチに対する配慮の必要が書かれていますから。

 

怒りの矛先が変わりそうなので、ここまでに。

 



2010年7月 9日

六本木農園での再会

 

驚くべき再会、というのが人生には間々あるね。

今回の再会は、記憶の片隅にあった人が、突然輝いて目の前に登場した、

そんな驚きである。

 

昨夜、当会六本木会議室で専門委員会 「米プロジェクト21」 の定例会を行なった後の、

暑気払いも兼ねての一席。 

メンバーの方の提案もあって、訪れたのが 「六本木農園」 というお店。

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ホームページには " 農業実験レストラン " と謳われている。

すべて生産者の顔が見える食材。

秋の 「土と平和の祭典」 にも出店されている 「農家のこせがれネットワーク

とも連携していて、スタッフはみんな農家出身の人たちだとか。

生産現場に足を運び、農作業もやっている。

 

ここでお会いしたのが、グランシェフ・舘野真知子さん。

実は、1997年に大地を守る会が主催した 「カナダ先住民族ツアー」 で一緒だった。

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写真左が舘野さん。 13年ぶりの再会。 お懐かしい・・・

カナダ・ツアーのときは管理栄養士の仕事をされていたか、

英語の勉強をしていた時だったかと思う (記憶が曖昧で、すみません)。

その後、アイルランドで料理の修業をされて、立派なシェフになられた。

料理学校も主宰しているらしい。

「料理の原点は素材を生かすことだと学びました」

素晴らしいね。 

こんなふうに、10数年ぶりでの成長した姿との再会なんて、感動モノだ。

内心、自分がフケたことも実感させられるけど。

 

ちなみに、写真右は 「園長」 の堀田幸作さん。

カンペキな農的お名前だが、こちらは銚子の漁師さんの息子だとか。

 


これが当時のツアーの写真。 

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前列左でしゃがんでいるのが舘野さん。

その後ろの赤いジャケットが僕。

少人数のアットホームなツアーで、ロッキー山脈の自然を満喫しながら、

ネイティブたちと楽しい時間を過ごした。

 

さて、店内には生産者の写真が貼られ、畑のビデオが流されている。

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料理は野菜中心。

素材の滋味を目いっぱい楽しむ。 

夏の " 特集農家 "  さんのウェルカム・ベジタブル。 

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添えられたソースも上品な味わいで、

塩や醤油 (ひしお-古代の醤油) も選び抜かれている。

 

三種のお惣菜。

白ゴマとコンニャクの根菜シャキシャキ・サラダに

蒸し新じゃがのルッコラ・セサミペースト和え。 カップにあるのは茶碗蒸し。 

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ありが豚 ( " ありがとう " からもじった豚肉) のさっぱり梅ハーブ鍋。 

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酒も、ワタシ的には文句なし。

みんな満足な様子。

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お店の隣には、ミニ農園が設えられている。 

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品種選びにもスタッフたちのこだわりが表現されている。 

 

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大地を守る会と直接の関係はないけど、

こういうお店が増えて、食べる人の関心も高まっていければ、嬉しいことだ。

一緒に食文化と農業を支えていければいい。

 

すっかり振り返ることもなくなっていたカナダ・ツアーの、

最後の夜のことを思い出した。

オーガニック農業 (というより自給的農業に近い印象だったが)

を営むネイティブの農民が、遺伝子組み換えを激しく批判していた。

「種を奪われることは、自分たちの自立を失うことだ。 種は命だ 」 と。

そして、自分が守ってきた野菜の種を日本に持って帰って蒔いてくれ、と

僕らに種を渡そうとした。

そこで参加者の一人が 「種を持ち帰ることは法に触れる」 と怒ってしまって、

とても気まずい空気になったのだが、

とっさの判断でなんとか取りつくろったのだった。

「この種は、あなたたちにとって大切な種です。 どうぞここで育ててください。

 僕らは、あなたのその心を種としていただいて、日本に帰って蒔くことを約束します 」

 

舘野さんはあの時もらった種をしっかりと蒔いている。

僕もただ 「種蒔人」 を飲むばかりじゃなく、

あの夜の約束を忘れずに生きてゆかなければならない。

 

「六本木農園」 での再会に感謝。

ごちそうさまでした。

野菜もさることながら、最後にいただいた土鍋ご飯が最高でした。

 



2010年5月10日

プージェー

 

たまには個人的な関係の話題もお許し願いたい。

プージェー 』 という長編ドキュメンタリー映画の話をしたくて。

 

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探検家であり医師の 関野吉晴 さんをご存知の方は多いと思う。

約800万年前、アフリカ大陸エチオピアからタンザニアにいたる大地溝帯

(グレート・リフト・バレー) の東側で誕生した人類 (ホモ・エレクトス) が、

ユーラシア大陸からベーリング海峡を越え、

南米の先端まで到達したのが約3万4000年ほど前だと言われる。

その距離およそ5万3000キロ。

 

関野さんは1993年、その逆をたどる旅を始めた。

南米の最南端チリ・ナバリーノ島から人類誕生の地タンザニア・ラエトリまで、

8年3ヶ月の年月をかけて踏破した。

動力は一切使わず、自らの腕力と脚力を頼りに遡行したその旅は

 「グレートジャーニー 5万キロの旅」 と名づけられた。

テレビカメラも同行して特番で放送されたり、記録本も何冊か出版されている。

 

その旅の途中、モンゴルの大草原で、関野さんは一人の少女と出会った。

6歳にして自在に馬を操り家畜を誘導する少女、プージェー。

映画は、その関野さんとプージェー一家との、5年間の交流の記録である。

2006年に完成し、EBS国際ドキュメンタリー映画祭グランプリなど数々の賞を獲得した。

 

監督は山田和也さん。

フジテレビでの 「グレートジャーニー」 を制作したテレビ演出家でもあり、

最近の作品では、先月NHK・BSハイビジョンで放送された

「世界の名峰グレート・サミッツ クリチェフスカヤ ~火と氷の山~ 」 がある。

ロシア・カムチャッカ半島に聳える、5千メートルに近い氷河に覆われた火山と

ツンドラの厳しい自然を撮った、恐るべき映像マン。

こういう人がいてくれるから、僕らは世界の最高峰や秘境を茶の間で見ることができる。

 

僕が山田監督と出会ったのは5年前の9月。

大和川酒造の佐藤和典工場長たちと飯豊山に登った時に一緒だった。

その登山で、僕は何と登山靴の靴底を剥がしてしまい、

帰りの途中から監督の靴を借りて下山したのだった。

監督は山小屋に置き忘れられていた室内シューズで事もなげに下られた。

全然レベルの違う方だった。

それ以来、細々ながらもお付き合いさせていただいている。

 


さて、『 プージェー 』 はロードショーで一度観ていたのだが、

山田監督から、久しぶりに東京で上映会をやります、とのメールを頂戴した。

案内を見れば、関野さんと二人でトークも予定されている。

5月9日、場所は中野の 「なかのZERO」 小ホール。

 

映画の上映のあと、お二人のトークが行なわれる。

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お二人は 『プージェー』 を撮ったあとも、家族との交流を続けていたのだ。

その話はとても哀しくて、うまく説明できそうにない。

社会主義から市場経済に移行してから人々は現金を求めて都市を目指すようになり、

08年からの世界的な金融危機はモンゴル経済にも大きな影響を与えているようだ。

遊牧民に対する国の助成も皆無に近くなって、

誇り高きモンゴルの遊牧民は激しく減少の一途をたどっている。

今回の上映会は、

草原に戻りたいというプージェーの家族への支援も兼ねて開かれたのだった。

 

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右が関野吉晴さん、左が山田和也監督。

トークでは、モンゴルの社会状況に加えて、プージェーの同級生たちに会ってきた話、

親友だった女の子から 『プージェー』 を観ていただいた日本人へのメッセージの朗読

などが披露された。

そう・・・・・プージェーは交通事故で亡くなったのだ。

家畜の世話をしっかりやりながら、学校で勉強できる喜びを全身で表現していた女の子。

大きくなったら先生になる夢を語っていた女の子が、関野さんとの交流で、

「日本語を学んで通訳になりたい」 と言うようになった。

「じゃあ、通訳になって日本に来てね」 と語りかける関野さんに、

恥ずかしそうに頷いたプージェー。。。 映画の残像が消えない。

 

お二人とも、とても優しいまなざしと語り口である。

探検家というのは、かくも穏やかに落ち着いているものなのか。

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生きて感じ取ってきたものの質が違うんだ、きっと。

僕が地球の鼓動と一体になれるのは、、、最後の時だけかな。

 

『 プージェー 』 上映会は、あと一回、

5月16日(日) にもあります。

場所は同じ 「なかのZERO」 小ホール(JR中野駅南口から徒歩8分)。

山田監督のトーク 「プージェー家族のその後」 も予定されています。

春風亭昇太さんがゲストとのこと。

夜ですが、もしお時間ある方はぜひ。

詳細は 「プージェー」 公式サイトにて http://puujee.info/index.htm

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2010年3月20日

梅の花が下向きに咲けばね・・・

 

・・・なんなの?

いや、だからさ。 梅の花が下向きに咲いたら、その年の稲は不作だと、

昔の人はよく言ってたって話さ。

ふ~ん。 で、今年はどうだったの?

う~ん・・・ 見てねぇ。

なんで?

いや、だからさ。 見たくねぇからだっぺよう。 下向きに咲いてんの見てみぃ?

ヤだろが。

ふ~ん、なるほど・・・・・・

 

いつの年の春だったか、

さんぶの 「ゴローちゃん」 (田中邦衛さんが演じたTVドラマ 「北の国から」 の主人公) こと

千葉・山武の稲作体験で20年お世話になっている佐藤秀雄さんと交わした

なんとも微笑ましい会話である。

 

意外にも、この話がずっと記憶の片隅から消えないでいた。

なぜ長く言い伝えられたのか。 そこには何がしかの真理があるのではないか。

しかも今だに、現代人の心にわずかながらも影響力を残して語り継がれている。

今の僕らに、このような発見はあるだろうか。

自然や生命に対する観察眼の決定的な違い。 それは、現代人の衰え、と言えないか。

 

本気で検証しようと思ったのは、ご想像の通り、

宇根豊の 「風景論」 からの刺激 + 「田んぼスケープ」 の実現、に他ならない。

ゴローちゃんに、写真を撮って、とお願いするのも気がひけたので、

千葉・幕張周辺で撮ってみることにした。

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                                          (撮影日:3月11日)

ここの梅はダメだな。 みんな横か下向きで、参考にならない。

3ヵ所くらい回ったが、幕張周辺は環境がよくないんじゃないか・・・

見たくなかったぞ。

 

でもきっと昔の人は、そんなふうにただ一喜一憂するのでなく、

冷静に、今年の対処法に思いを巡らせたのだろう。

 


ま、ヤな気分は気分として、これも一つのデータにしておこうと、

 「田んぼスケープ」 に送ることにしたのだが、

しかしこれが、どうもまだアップできないでいる。

サイトの制作者・アラカワ氏もかなり苦心している様子である。 

画面から、少しずつ改善されていっているのが伝わってくるのだが、

技術的問題についてはお手上げなので、お任せするしかない。

 

他にもアップを待っている方もいるかもしれないですね。

すみません、もうちょっと待ってください。 お願いします。

現時点では、ケータイからの投稿は正常にアップされるのだけど、

パソコンからの投稿では、ソフトによって反応できてないものがあるようです。

でもいちおう、そこまでは来ています。

 

ここをクリアできれば、もう一歩前に進める。

みんなにとっての  "  梅の花  "  (のような話) を集めたいと思うのです。

 

また例えば、会津・喜多方の人が飯豊山を眺めながら語っていた、

「あそこの雪の形が、種を蒔く翁の姿になると、米づくりの準備に入る」

 - そんな自然と暮らしのつながりも、集めてみたい。

 

遊びか? と言われれば、遊びかもしれない。

でもこれは、車のブレーキペダルに備えられているのと同じ、

" 社会の安全 " のために必須の機能を取り戻す作業でもあると、僕は思っている。

梅の花を愛で、その年を占う余裕くらいはあったほうがゼッタイにいいし、

食べものへの 「まなざし」 も、少しはゆとりのあるものに変わるかもしれない。

なによりも、「この国は美しい!守りたい!」 という共感をつくり出したいじゃないすか。

自給率論より激しく心を揺さぶる力は、そこ (現場) にあるはずなのだ。

 

竹村真一さんからも、メールが入ってくる。

京都で開かれたケータイ国際会議(?) で、

ケータイの新たなソーシャルウェア(社会的活用法)の事例として

 「田んぼスケープ」 を紹介したら、大きな反響があったよ!

だから ヨ・ロ・シ・ク! みたいな感じでハッパをかけている。

この感じ・・ ウチのF社長にも似た血を感じさせる。

頑張ろうね、アラカワさん。 幕張の梅の花も、ヨロシク。 

落ち着いたら 「種蒔人」 持って慰問に行くから。 慰め合おうか。

 

そのうち、積極的に投稿してくれている生産者たちと、

セッションする場を持ってもいいかもしれない。

・・・などと、設計者の苦労を横目に、イメージを広がせている。

 

予告した東京集会から遅れ、まだ若干の不具合を残しているところは、

ただ頭を下げるしかないけど、

この画期的な道具をつくり上げようとしてくれている仲間には、

どうか励ましの気持ちを持って、エール (投稿) を送って欲しい。

 



2009年10月25日

「病気」 の週末

 

朝起きたら、頭が痛い。 割れんばかりに、ってほどではないけど。

二日酔い? 違う。 二日酔いの症状なら、骨身に染みて分かっている。

夕べの量では、こうはならない。

どことなく間接がだるく、微熱がある感じ。 風邪の初期症状に似ている。

もしかして・・・最近流行りの新型・・・・・

ここは大事を取ったほうがいいかもしれない、と思って職員の U に電話を入れる。

「悪いけど、今日はパスさせてほしい」

頭痛だけだと疑われるかもしれないが、最近、「微熱」 の威力はとみにスゴい。

「来なくてよい」 の返事である。 


 

以上は、昨日の話。 

実はこの土・日は職員の合宿が予定されていて ( U はその幹事)、

業務と事情のある者以外は基本的に参加が鉄則である。

僕も20数年間、仕事以外で合宿を欠席したことはない。

しかし、この時期の 「微熱」 はシャレにならないよね。

合宿でインフル●●●を撒き散らしたとあれば、クビではすまない重労働が待っている。

 

観念して、ひたすら寝ることにした。

今回の合宿地は、静岡県函南町。 大地牛乳のふるさと・丹那で、

ああ今頃、奴らは丹那断層や紅葉の山道を散策しているのだろうか、

そろそろ生産者と一緒にバーベキューが始まっているのだろうか、

とか想像しながら眠ったのだったが、

午後2時頃にもなると寝ようにも眠れず、ふと気がつけば、

頭痛が治まってきているではないか。。。??? 熱も下がっている。 

オイオイ、これじゃ仮病か、突発性出社拒否症 (という症状が正式に認められているか

どうかは知らないが、世の中にはたしかに存在する) だと思われてしまうよ。

 

しょうがないので会社に出て (こっちのほうが病気か?)、

多少の仕事をやっつけ、お陰で溜まっていた二日間の日記もアップできたのだった。

 

そんでもって、地球大学の日記をアップして、反省モードに入っている。

話の中で、日本は 「水の料理」 文化だというスライドを入れた。 

これは私の言葉ではなく、高名な料理家の話から頂戴したものだ。

日本の料理は、蒸す、煮る、炊く。 要するに油を使わない。

日本の 「食」 は水との付き合いです、というような話だった。

 

その根幹こそ、ご飯だろう。

そして油の消費を減らせれば、自ずと自給率は上がるのである。

自給率を下げている大きな要因に畜産 (の餌) と油脂があり、

日本食を見直すだけで、自給率は健全な方向に向かうはずだ。

かといって、ご飯をもうひと口食べれば1%上がる、という論に僕は与しない。

米で上げたいのなら、消費者に要求する前に、ミニマムアクセスを問題にしたい。

 

地球大学で出された料理は、蒸し料理だった。

島村奈津さんの語ったスローフードの世界を思った場合、

日本では 「水との付き合い」 こそキーワードになるだろう。

田んぼの多様性や日本列島に張り巡らされた水路の偉大さなんかも偉そうに喋ったが、

そうか。 もっと豊かで、リアリティのあるセッションに膨らませることができたんだよな・・・

そんなふうに考え始めると、またしても後頭部が熱くなってくる。

 

若い頃に読んだ 『パパラギ』 って本にあったな。

南の島の酋長が、日本人を観察して、言った。

   - 彼らは、考えるという重い病気にかかっている。

 

どうせなら、ちゃんと風邪を引いてくれた方がありがたかった、と思う日曜日である。

 



2009年8月29日

四国のみち

 

閑話休題 -四国編 (続き)。

 

四国と言えば空海、そう、弘法大師の国である。

遡ること約1200年前、希代の神童・空海が四国88ヶ所に霊場を開いてより、

これまでいったいどれだけの数の人々が、彼の歩いた道を辿ったことだろう。

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8月末のまだ暑い日差しの残る中、昔からの遍路道を歩く青年を発見。

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同行二人 (どうぎょうににん)。

いつも弘法大師と一緒、という意味。

お大師さんと一緒に寝食をともにしながら、88のお寺を巡礼することによって、

煩悩が消え、願いが叶う。

実際に巡礼で願い事が叶ったという人には、ついぞお目にかかったことがないのだけれども、

それでも、歩けば一ヶ月はかかる道のり。

道々で人に触れ合い、 時に風雨にさらされながら自然と向きあい、

何かを会得しようと、人はこの道を歩くのだ。

この青年もきっと、人生への迷いか、肉食系女子から受けた失恋の深い傷を負って、

ここまでやってきたに違いない。 

ただの観光であっても、そう思ってあげるのである。

 

だから四国の人は、お遍路さんには殊のほか優しい。

さすがに今は、お米(生の米) を上げる人はいないと思うけど

(僕が子供の頃は米が 定番だった)、

5円 (ご縁)玉をいっぱい用意しているお婆ちゃんは、今もいたりする。

 

しかも世情を反映してか、お遍路さんは年々増えている、らしいのである。

人が待ちそうもないバス停に、まだ目新しい屋根がつけられていて、

そこでお遍路さんが昼寝していたのにも遭遇した。

世界がグローバル化する中で、妖しく人の心をつかむ、ただひたすら歩く道。

空海の霊験今なお。  恐るべき資源(?) である。

 


眼下に海を望む山道の中に、こんな祠もある。

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空海42歳の厄年を迎え、訪れたこの地で、

末世の衆生のあらゆる災難を救おうと誓願し、仏像を刻み、37日間の満願の日、

突然山は金竜の形を現わした。 空海、手にした五鈷(ごこ) で祈念するや、

金竜の岩間から浄水が湧き出でた。

以来、四季を通じて枯れることなく霊水を湛え、今も参拝者が絶えない。

-すごい謂われではないか。

そのわりには、なんてことはない、と言わんばかりの素朴な佇まいが、よい。

 

風の強い海沿いの峠には、波切不動明王である。

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唐の修行からの帰路、嵐に巻き込まれた空海を助けたとされる。

よって、旅と交通安全の守護神となる。

人生の長い旅の途上にある悩める青年どもよ、拝めよ。

 

てな感じで、いたるところ空海あり。

散歩がてら、お気楽に写真を撮りながら、ふと

深~く根っこをおろしている精神風土という言葉の片りんを見たようで、

空恐ろしくもなってくるのだった。

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青年・空海は、この砂浜に立ち、空と海に向かって何と叫んだんだろうか。

 

さて、海から一転して山中に入れば、こんな川もある。 e09082820.JPG

 

この川沿いに、数年前、カヌーイストの野田知佑さんが引っ越してきている。

著書でたしか、「こんな自然のまんまの川が残っていたとは」 と感激されていた。

開発からも見放された、いや対象にすらならなかったこの田舎の川が気に入って、

この地に居を構えたらしい。

見る人によっては、これもすっごい宝ものなんだね。

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野田さんについては、僕は何冊かのエッセイを読んだだけの小ファンでしかないので、

用もなく探し訪ねるのは遠慮したが、機会があればお話ししたいと思っている。

しかしどうも、地元の人はあまりご存知ないようだ。 隠遁生活かしら。

自分の古い付き合いネットワークとは世界が違うのかもしれない。

 

自然をビジネスの資源と考えるのは、ある意味で危険な思想である。

下手に場所を教えたり宣伝すると、人がやってきて荒れる、という意見もある。

一方で、その価値を知る人を増やすことが大事なのだ、という主張がある。

守るためには隠してはならない。 呼んで体感させようではないか。

 

僕の記憶が確かならば、野田知佑さんは後者のはずだ。

日本じゅうの川を巡ってきた方と、僕の郷里で、地域の資源について語れるのを、

次の帰省の目標にしたいと思っている。

もちろんお許しいただけるのであれば、の話として。

野田さんとともに長良川河口堰の建設反対でたたかったライターの天野礼子さんが、

先日有機農業推進法関係でお会いした折に

「体調がね・・」 と心配されていたのが、ちょっと気がかりなところ。

 



2009年8月28日

地域資源

 

閑話休題。 

24日から一週間の休暇を頂戴し、2年ぶりに南四国に帰省してきました。

2年前は、ちょっと感傷的な日記を書いてしまったので、

今回はちょっと自慢げに、きれいな南の風景をお届けしたい。 お許しを。

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こんなリアス式海岸の地形。

海と山がくっついていて、入江々々に漁村集落が固まってある。

これだけは子どもの頃から変わらぬ風景です。

 

30年以上も前、高橋和巳という作家がこの地を訪ね、その随筆の中で、

「 ひと口に言えば、豊かな停滞、楽観的非発展性」 と評したけど、

人々は今も見事に、過疎と停滞を嘆きながら、何をするでもなく安住している。

身近な金銭的利益ではけっこうセコく争ったりもしながら。

 

外は太平洋。

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僕はいつも海を眺めながら、水平線の向こうに憧れる少年でした。

 

山の所々に、誰が植えたのか、椰子や蘇鉄が茂っている。

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ここは生物的には熱帯の北限でもあって、これも昔々の話、

ある野心家がパイナップル栽培に挑戦して失敗したという話も残っています。

 

そんな地域で、先日の後継者会議の余韻を引きずりながら、

資源とニーズをマッチングさせるマップづくりを頭の中で描いたりしたのでした。

「地元学」 で言うところの、" ないものねだりから、あるもの探しへ " 。

 


たしかに資源も探せば色々と浮かんではくるが、

どれも海と山からの贈り物ばっかり。

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漁村留学と称して、都会から子どもたちを受け入れて有名になった地区もある。

こんな風景をボーッと見て、磯で遊ぶだけでも、癒しになる?

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2年前も紹介した、僕がひそかに狙っている無人島。 

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後継者会議のワークショップで僕が出したカードは、

なんてことはない、あれ以来ずっと温めているものだ。

 

資源=無人島、ニーズ=生きるための基本技術の習得。

そこで、この島を拠点に 『 未来に生きる、サバイバル塾 』 。

ダメでしょうか。

 

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日和の良い日に、この縁台に腰かけて海を眺めている年寄りたちも、

実はすっごい技を持っていたりするのを、僕は知っている。 

ボケている暇などなくさせてやりたいものだ。 

医療費のかかる厄介者なんかでなく、稼ぎ手に。 しかも楽しく、若者たちに尊敬されながら。

 

漁が年々細くなる、魚がおらんようになった、と嘆く漁師たち。

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僕が今年言えたのは、「海の底は見てるか?」 だけだった。 

でもね、誰も見ていないのですよ。 この海の底で何が進行しているのかを。

 

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今の時代、資源は 「守る意思」 がないと守れない。

海の美しい、豊かに見える漁村でも、その再生産力と持続可能性は、

静かに、そして確実に、痩せていってる。

 

都市のニーズをつかむとか言う前に、

自分たちの暮らしの原資を見つめ直す、大人向けの発見講座が必要か。

子どもたちには、どんどん海に潜らせて、アワビでもウニでも採らせればいいのに。

 

こんな看板が立っていた。

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アカテガニが希少種になりつつあるようなのだ。

僕が子供の頃は、バケツ一杯になるまで取る競争をしていたものだが・・・・・

産業からも見放された漁村で、生きものたちが撤退していってるなんて。

 

くそ! 寂しすぎる、今回も。

 



2009年6月18日

ハマダぁ! 今度オレとやろう!

 

「ブログは苦行だ」 なんて台詞を吐くことが多くなった。

でも、そんなときに反応があると、嬉しくなって、「やっぱ続けよう」 と思う。

コメント投稿でも、直接の感想やメールでの励ましでも、嬉しい。

仲間とのつながりを実感すると力が湧く。

ヒトであろうが他の動物であろうが、これだけは普遍的にある性の本能なのだろうか。

・・・・・とか言いつつ、お詫びの本題に入るのは、かなり卑怯な手法だ。。。

では、「すみませ~ん」 を挨拶代わりにする種族らしく-

 

てん様、あやこん様、それから花咲農園の戸澤様。

コメントを頂戴しながら、この間、まったくお返事ができておりませんでした。

この場を借りてお詫び申し上げます。

とりあえず直近の 「総会後の弱音」 に対するコメントにはお返事を書かせていただきましたが、

それ以前は、今さら感もあり、このお詫びにてお許しを願うものであります。

 

で、お詫びがてらに、と言ってしまうと失礼な話ですが、

今日はお二人の生産者のブログを紹介させていただきます。

 


まずは、花咲農園・戸澤藤彦様。

戸澤さんのブログも時々は拝見させていただいております。

アファス認証センターによる有機と特栽の監査も無事終了したようで、お疲れ様でした。

それにしても " 天下無敵 " のタイトルは、天下を怖れぬ面の皮の厚さ、と言えます。

僕以上にやり続けるしかありませんので、どうかへこたれないように。

まだ見たことのない方は、どうぞ下記をクリックして、励ましてやってください。

 ⇒ http://www.hanasaka-nouen.com/

 

それから、ここでもう一人、ご紹介させていただきます。

茨城県行方市の平飼卵の生産者、濱田幸生さん。

大地を守る会の機関誌 『NEWS大地を守る』 で、減反問題について書いたところ、

「さすが大地を守る会!」 と、エールのブログを書いてくれました。

 ⇒ 「農と島のありんくりん」 http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/

 

5月13日の日記なので、アーカイブで検索してもらうことになりますが、

その前から、そしてその後も、実に熱く減反政策を語っておられる。

僕も時々 「熱いですね」 とか言われることがあるけど、

濱田氏のブログを読むと、その称号は返上しなければならないと思う。

「熱い」 を通り越して、執念のような凄みすら感じさせるブログなのであります。

しかも、この方にはブログなんて苦行でもなんでもないようで、

その筆力たるや・・・・それにしても、長すぎるよ。 俺が言うのもなんだけど。

 

濱田さん。

この場を借りて、格闘技でよくやる挑戦状の手法で返礼とさせていただきます。

8月22日(土)に、六本木で減反問題の勉強会をやるので、ぜひご乱入願いたい。

リングの上から先輩に向かって、人差し指立てて、

 「ハマダぁ! 今度、俺とやろう! かかって来い!」

 -ちゅう感じで、どうでしょう。

 

ところで、濱田さんはロック歌手・忌野清志郎さんとも交流があったんですね。

「私は今日、キヨシローという最良の同時代人を失った」 (5月4日付)

 -ちょっとグッときました。

大地の休憩スペースには、5年前のキャンドルナイトの増上寺のイベントで、

清志郎さんが大地を守る会・おさかな喰楽部の法被を着て、

歌ってくれた写真が飾られています。

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                                 (撮影:大地のカイザー兄)

 

そして今日、随分以前に多少のお付き合いをさせていただいた出版社のK氏が

お見えになられ、一冊の本をプレゼントしてくれました。

『忌(いまわ) -忌野清志郎は生きている!』  (第三書館編集部編)。

たくさんの人たちの、清志郎さんへのメッセージ集です。

一ヶ月で仕上げた、できたてのホヤホヤ。 これから読みます。

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濱田さんなら、こんな軽い言葉を並べて -と言うのかもしれない。

 

ぼくら夢を見たのさ

とってもよく似た夢を (『スローバラード』)

 

そうじゃない。 ぶっ飛ばそうよ、こんな夜。

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来るよね、8月22日。

 

 



2009年5月28日

泉岳寺に良志久庵 (らしくあん)

 

話は前後しちゃうのだが、5月22日(金) 。

大地オリジナル純米酒 「種蒔人」 のふるさとである会津・喜多方の

大和川酒造店の見学蔵- 「北方風土館」 内で営業されている

蕎麦処 「良志久庵」 が、東京・港区泉岳寺にお店を出した。

その情報は得ていたのだが、なかなか行くことができず、

この日にようやくその機会を得ることができた。

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誘ってくれたのは、飯豊山登りや山都の堰浚いでご一緒させていただくことの多い

「のめまろ会」 というグループからだ。

山登りと日本酒を愛する、いや、それで生きているんじゃないかと思えるような

楽しい人たちである。 なんたって " 飲め麻呂 (飲む我) " っていうくらいだからね。

彼らは大和川酒造さんで、自分たちの酒づくりをやらせてもらっている。

体験というような生易しいものではない。

それは原料米の栽培から始まるのだ。

そして出来上がったひと樽分の酒をメンバーで買い取る。

通うこと年に何回になるのだろう。 とても高い酒になる計算だが、もろともせず飲む連中。

メンバーの正確な数も、誰もよく分かってないようだ。

職種もまちまち。 大地を守る会の会員の方もいる。


そんな 「のめまろ会」 の方と、5月4日の堰浚いでの別れ際、

今度は泉岳寺の良志久庵で一杯、の約束をしたのだった。 

それで一気に日程が設定されるところが、この人たちの " 飲み " に対する

ただならぬ行動力である。

 

蕎麦処というより、落ち着いた飲み処の風情だ。

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素材は基本的に会津・喜多方から取り寄せる。

国産素材割合の高さをPRする 「緑提灯のお店」 なんて、メじゃない。

この日は、うるい、わらび、こごみ、こしあぶら・・・・と山菜料理三昧。

 

飲め麻呂にかかれば、あっという間に一升瓶が空いてゆく。 

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「エビちゃん! ダメじゃん。 種蒔人を入れなきゃ!」 なんて叱られる。

-スミマセン。

 

 クマさん、お願いできますか。

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店長の熊久保孝治さん。

「いいよ。 エビちゃんから (大和川酒造)工場長に言っとけばいいじゃん。」

要するに営業できてないオイラが怠慢だったんだ。

 

場所は、地下鉄泉岳寺駅A2出口から5分くらい。

NHK交響楽団のビルのちょい先。

港区高輪2-16-49 カムロビル1階。

この看板が目印。 

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ちょっと見上げる場所にあって、その手前の階段を上がって右手になります。

 

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料理はその日会津から届いたもので考える。

量もわずかだったりするので、お品書きにはシンプルな定番モノしか書かれていない。

「今日は何か入ってますか?」 と聞くのがポイント。

大地を守る会の会員だといえば、もしかしたら・・・・・

 

お近くにお立ち寄りの際は、ぜひ!

 



2009年4月29日

森林浴に谷津田の話など

 

大地を守る会にはいろんな通信物が送られてきていて、

そこで目にとまった情報をもうちょっと掘り下げて分析できれば、

面白いネタは尽きないだろうに、なんて思うことがある。

しかし、それがなかなかできない。

たとえば、北里大学学長室から発行されている通信 『情報:農と環境と医療』

というのが送られてきていて、最近届いた号を開けば、こんなトピックが紹介されている。

 

つくばにある独立行政法人 「森林総合研究所」 が発刊する 「森林総研」 第3号で、

 『森林浴が働く女性の免疫機能を高める』 という記事が掲載された。

森林浴によって、女性の抗がん免疫能が上昇し、その効果が持続し、

さらにストレスホルモンが低下する、という研究結果が出たのだそうだ。


 

研究内容はこのようである。

東京都内の大学付属病院に勤める女性看護士13名が、

長野県にある森林セラピーに滞在し、ブナやミズナラの落葉広葉樹林や、

スギ人工林などのセラピーロードを、森のガイドと一緒に二日間ゆっくり散策する。

森林浴の翌朝8時に採血し、

がん細胞やウィルスを殺傷するNK (ナチュラル・キラー) 細胞の活性や、

NK細胞が放出してがん細胞を攻撃する抗がんタンパク質の量を測定する。

また血液や心拍数を上昇させる副腎の分泌物であるアドレナリンの尿中濃度を測定する。

さらに森林浴の持続効果を調べるために、

森林浴の一週間後と一ヵ月後に同様の測定をする。

 

その結果-

東京在住の時に比べ、被験者のNK活性は、二日間の森林浴によって38%高まった。

活性値は一週間後も33%の高い値を維持した。

また免疫能は一ヵ月後でも10%高く持続した。

尿中のアドレナリン濃度は、森林浴一日目で57%に、二日目で68%も低下した。

   ・ ・ ・ 

森林浴には免疫機能を高める効果がある、とはよく聞くが、

裏づけとなる科学的データを得ると、それは自分の中でも客観的真実に近づく。

しかも、この数字は、かなり高い。

すると、こんな話も紹介してみたいな、とか思うのだが、

しかしトピック記事を読んだだけで (これはまた聞きのようなものだから)、

何かを語るのは憚られる。 ちゃんと原典となる試験報告書にもあたってから、

なんて思うのだけど、そうすると書けなくなる。

このブログではこの手は使わないと決めていたのだが、と思いつつ-

上の話に関心を持たれた方は、(独)森林総合研究所のHPにアクセスしてみてください。

 

自分の話にまるで責任のない、ただの紹介ですましちゃうわけだけど、

調べようとして、結局紹介もできないのでは、宝の持ち腐れになってしまうし・・・

こんな日があってもいいでしょうかね。

こういうのならなんぼでも書けるのだが、でもなんか、つまらない。

 

もうひとつ、こんなのもある。

こちらはつくばからの直接情報。 独立行政法人 「農業環境技術研究所」 から、

研究トピックスをまとめた 「農環研ニュース」 というのが送られてくる。

だいたいが解説も困難な小難しい研究をやっているのだが、3月号には、

「谷津田が植物の多様性を高めるしくみを解明」 というレポートがあった。

 

農村地域には、肥料源や飼料を採取するために、定期的に草が刈られる

「半自然草地」という場があった。 「あった」 というのは、今はほとんどなくなりつつある、

という意味で、多くは草刈りもされずに放置されていっている。

では放置 (ある意味で自然化) された場所には、動植物が増えるかというと、

実は逆で、畑の放棄地や造成跡地に見られるススキを主体とした植物群落では、

草原性の動植物がいないと言われる。

つまり、ヒトが手入れしていた場所がいったん放棄されると、

生物多様性が減退する、という現象が生まれるのだ。

 

その比較調査が試みられている。

ここで選ばれたのが谷津田 (やつだ:山や丘陵に囲まれた谷底にある水田) で、

水田を取り囲む斜面林の下部は、田面が日陰になるのを防ぐために

定期的に草刈りが行なわれる場所 (裾刈り草地) である。

そこで、植物社会学の手法を用いて、裾刈り草地における植物の多様性が、

造成跡地や放棄畑、過去に調査された半自然草地と比較された。

その結果-

谷津型と松林型 (主にアカマツ林の林床タイプ) では、ワレモコウなど

在来の多年生草本植物の多様性を示す値が高いことが明らかになった。

秋の七草の一つであるフジバカマなど多くの希少植物も見られた。

これによって、谷津田での農作業の一つである隣接斜面の定期的草刈りが

植物の多様性を維持していることが明らかになった、というワケだが、

この研究レポートには、もうひとつ解析が加えられていて、

関東地方東部 (千葉~茨城) の台地地域を調べたところ、

水田と森林が接する部分が長い場所の減少が顕著に見られた、とのこと。

つまり谷津田の耕作放棄が進むことによって、

その地域の植物の多様性が失われていっている、という結論である。

 

田んぼの生物多様性の話をするときに、

「中規模かく乱説」 というのをもち出すことがあるが、この研究は、

適度に人の手でかく乱したほうが多様性が増す、という説を裏づけたことになる。

これは、放置すると優勢種の天下になる、ということも表わしていて、

草を刈る (撹乱する) とは、実はその場での強きをくじいている作業でもあるワケだ。

 



2009年4月18日

カフェ・ツチオーネ ...嬉しい悲鳴とお叱りの声

 

4月1日、自由が丘 (最寄り駅は九品仏:くほんぶつ) にオープンした

カフェ 「ツチオーネ」 。

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開店以後、お陰さまで順調、いえ、予想以上のご来店や反響で、

「嬉しい悲鳴ですう!」 との報告もあって、喜んでいたところ、

一方で厳しい指摘やお叱りの声も頂戴してしまった。

 

実はスタッフには、開店前からかなりの過重労働を強いる日が続いていて、

だいぶ疲労困憊な状態が見えたため、13日(月)に臨時のお休みを設定させていただいたところ、

その日に来られた方々から、「どうなってんのよ!」 の声である。

中には横浜から友人を誘って来ていただいた会員さんもあったとのこと。

わざわざ自由が丘まで電車を乗り継いでこられた方には、当然の怒りだと思う。

HPでお知らせしていた、という言い訳は通用しない。

私のブログにも、「開店早々に臨時休業するような店で長続きした試しはない!」

の厳しいコメントが寄せられた。

O様、申し訳ありません。 スタッフになり代わりお詫び申し上げます。

O様のご指摘はちゃんと管理者に伝えましたので、ご容赦ください。

スタッフは実は少ないくらいで、ローテーションなど落ち着いてくれば、

だんだんと良くなっていくことと思います。

この場を借りて、お詫びとともに感謝の気持ちをお伝えさせていただきます。

これに懲りず、またお時間あるときにお立ち寄りいただけますと嬉しいです。

 

なお、カフェ ツチオーネ自由が丘店のブログ  が開設されました。

早速、貸切やGWのお休み日程などがアップされています。

行かれます折りには、チェック願えますでしょうか。

また何かありましたら、ご指摘ください。

今後とも、どうぞよろしくお願いします。

 

ふう~(汗)。

しんどいでしょうが、ものすごい期待ですよ。 たのんますね、お店の皆さん。

 



2009年3月31日

九品仏で 「吉」

九品仏 (くほんぶつ) では、淨眞寺にも参ってきた。

せっかくなので、写真もアップしておこう。

「淨眞寺をお参りして、ツチオーネでひと休み」

 -九品仏駅界隈の新たな定番コースのご紹介にもなるかと。

 

なんたって、若者に人気のお隣・自由が丘も、

昔は 「九品仏前駅」 という駅名だったわけだから、阿弥陀如来に手を合わせるのは、

仁義の基本っつうもんだよね、とは強引すぎるか。

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参道から総門を入って進めば、仁王門にぶつかる。

別名、紫雲楼 (しうんろう) とも呼ばれ、仁王像と風神・雷神が迎えてくれる。

 

一番奥に、九躰の阿弥陀如来が安置されている三つのお堂がある。 

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 手前から、下品(げぼん) 堂、上品(じょうぼん) 堂、その向こうに中品(ちゅうぼん) 堂。


それぞれに3躰ずつおわせられる。 こんなふうに。

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上品堂の真ん中におられるのが上品上生仏、右が上品中生仏、左が上品下生仏。

中品堂、下品堂も同じで、したがって上品上生から下品下生まで九つの名があり、

手の位置も異なる。

これは信心の深まりと、念仏によって浄化される心の段階を表しているのだそうだ。

念仏を唱え、精進することによって、身と口と意(こころ) の三つが浄化されてゆき、

「生けらば念仏の功つもり 死なば浄土にまいりなんとてもかくてもこの身には、

 思い患うことぞなき」 の境地に至るのである。 (「九品仏縁起」 より)

参拝客は、窓に顔をつけて覗き込み、手を合わせ、寄進する。 

すっかり汚(けが) れつくしたワタクシの口と意も、

いつかは下品(げぼん、ですよ) の境地まででも辿りつくことができるだろうか。

大地諸君も、ここでちゃんと身を清めてからツチオーネに寄進すること。

 

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天然記念物のイチョウの樹。 

 

句碑もさりげなく。

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しづかなる 力満ちゆき 螇蚸とぶ    加藤楸邨 

               ※ 螇蚸......はたはた。バッタの異称。

 

他にもいろいろと鑑賞できます。

参道の桜はまだだったけど、境内の中は満開。  

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ヒヨドリは花蜜も吸うんですね。

 

ちなみに、我が家の杏の花。 樹齢25年。頑張ってます。

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奥武蔵もようやく春らしくなってきました。

しかし、4月に入れば、また仕事が増える。 どこまで続く何とやら・・・・

ふと、運勢など試したくなって、おみくじを買ってみる。

「吉」......時が来れば思うままになります。鏡のかげにしたがう様に心正しく

      行いをすなおにしないと家の内に不和が起って災いが生れます。

      特に男女の間をつつしめ。

・・・これって、吉かよ。 かなり凶に近くないか。

 

こういうときは、カフェ・ツチオーネで生ビールにかぎる。

 



2009年1月14日

ニッポンの食はオレたちがつくる! ときた。

 

予告した手前、12日朝のNHK成人の日番組を録画とっておいて、

遅ればせながら改めて見る。

 

『あしたをつかめ スペシャル

 -農業漁業はオレに任せろ! 期待の20代大集合- 』

 

おおッ! カッコいいねぇ。

北海道から鹿児島まで、農業や漁業に新規就農(漁) した若者に、

「農業をやりたい!」 とハッキリと意思表示する東京農大の学生たち。

いやあ、実に頼もしい。

 - と言いたいところだが、サーフィンもできる場所を探して来たとか (ま、いいけど)、

売上500万 (利益-手取り-はその半額、しかも根拠の薄い皮算用) で

 「将来はリッチ・ファーマーかな、アハハ」 と屈託なく笑う若夫婦を見て、

不安に思った方もいるのではないだろうか。

しかも 「ゆったりとした老後を送りたいので」 とか言われた日にゃあ、

その前のキビシ~イ人生がすっ飛んでんだろ! と叫んでしまったりして、

汗出てきちゃったよ、まったく。

「子どもの養育費が必要になったときとか、苦しいよね」 なんて諭されながら、

それでも 「なんとかなるかなぁって」 といえる豪快さ、

いや、文字通りの底抜けの明るさに、脱帽である。


まあ何と言うか、これが若さの強みってやつなんだろうか。

僕にも、身に覚えがないワケでもなく・・・・・

でもさすがに老後云々てのはなかったなぁ、と思う。

そもそも自分は啄木(26歳) や中也(30歳) のように夭折すると信じていたし、

あるいはチェ・ゲバラのように-。

嗚呼いつの間に、世間の垢に汚れちまったか・・・・・

 

そんな中で登場した、「株式会社 ゆうき」 の若者たち。

安原義之さんの息子さん、裕也くん(27歳) 。

栽培から営業へと、仕事を覚えようと懸命である。

神社の境内での青空市で声が出ない  - 僕も思い出すことがある。

大丈夫、これは慣れだから。 見せてやりたいなぁ、いまの恥知らずのオレの売り子姿。

 

高卒後、鉄工所勤めを辞めて裕也君の誘いで入社した高橋智和。

「農業を一生の仕事にしたい」 と。

田中亜矢子さんは、新潟っぽい仕事をしたくて、公務員の職を捨てて帰ってきた。

夏は米づくり、冬は酒づくり、楽しそうである。

 

ま、いいか。 成人の日に、

「ニッポンの食はオレたちに任せろ! 私たちがつくる!」

と気勢を上げる若者たちに、僕らは未来を託すことになるのだ。

精一杯応援してあげなければ、と思う。

街に解雇された人々が溢れ、世界のトヨタも操業を縮小するという状況をもろともせず、

農業・漁業に 「面白い! 楽しい!」 といって乗り込んでいく彼らの瞳が、

淀み壊れないように祈りたい。

いや、俺たちの責任だけでもまっとうしなければ、か。

 

それにしても、屈託なく夢を語り合えているニッポンの成人式の日にも、

地中海に面した街では子どもたちが逃げ惑い殺されているこの世界の今ってのは

何なんだ、と考えてしまう性 (さが) がある。

やっぱり考えたい、と思うのである。 

経済がグローバリゼーションなら、僕らの思考も地球規模で働かせなければならない。

新しいカタチで人はグローバルにつながる必要がある。

そうやってこの時代を創造的に超えないと、

わたしやキミの気楽な老後なんてありえないんだって。

振り回され、収奪されながら、しかも元金を失っていくようなこんな世界、

変えようよ! と言ってみないか、その清新なセンスで。

 



2008年12月30日

では、良いお年を。

 

皆さま。

色々と書き連ねてきましたが、今年はこれにて終了とさせていただきます。

今年も拙い、遅れ遅れのブログを呼んでいただいて、有り難うございました。

 

振り返れば、会社からの 「やりたい奴、手を挙げろ」 の呼びかけに、

「思いっきり硬派のブログに挑戦してみたい」 と言ってしまったのが昨年の春。

6月末からスタートして、あれから色々、

日々の出来事を中心に、思いつくままに書いてしまいました。

偉そうに喋りすぎたという反省もあれば、想像以上の過分な評価も頂いたりして、

つくづくと、やってみた者しか感受できない境地を得たような気がします。

 

今年の4月には新しい農産グループに配属となり、

さすがに無理かとも思ったのですが、周囲の方々に励まされ、続けることができました。

わずかでも与えられた正月休みに少し省みて、

また再開したく思います。

 

しばらく前に届いた、「上堰米」 。

福島県喜多方市山都町の山間地を流れる水路維持の作業ボランティアの

お礼にと送られてきたお米。

今年は若者たちの野菜セットにもつなげられて、よかったです。

 

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ピカピカのコシヒカリ。 棚田に感謝しながら、頂戴します。

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仕事始めは1月5日からとなります。

有り難うございました。

では皆さま、どうぞ良いお年をお迎えください。

 



2008年12月13日

酒まみれのなかで、「光をつかむ」を考える

 

長いぬかるみ道のような一週間が終わった。

体は宙に浮いているようで重くもあり、記憶もどこか断片的に抜け落ちた感じ。

火・水・木・金と4連荘(レンチャン)で、忘年会や飲み会が続いたせいだ。

大人気ない飲み方と言われればそれまでだけど、

火曜日は後輩 (自分か?) のストレス解消に付き合ってカラオケまで行っちゃって、 

次の日は部署間の関係改善に気を使い、

その翌日は・・・・・東京での集まりにやってきた生産者に呼び出された。

「エビは俺たちの誘いを断るってぇの。 いつから何様になったんの?」

それは有機農業運動の黎明期を牽引した傑物の一人である

山形・米沢郷牧場の元代表、故伊藤幸吉さんを偲ぶ会に集まってきた

古手の生産者たちの夜の飲み会の席である。

ちなみに彼らオッチャンたちは、偲ぶ会と称して昼間から飲んでいる。

これが一番の供養よ、とか言いながら。

僕はさすがに仕事を優先させていただいたのだが、脅しに屈して、

夕方になって千葉から都心までのこのこと出かけたのだった。

 

飲んでるうちに藤田会長までが生産者を連れて合流してきて、

逃げるに逃げられない状態になってしまった。

みんなして、次は誰とか、あんたの弔辞は俺が読むとか言い合って騒ぐ始末。

僕も調子に乗って、前に藤田会長から言われた台詞を暴露してやった。

「エビスダニが死んだら、さすがに俺も泣くかもな」

・・・・・え? !! ええと・・・順番が違うような気がするんですけど。

泣くのは僕のほうでしょうよ。

これだから、団塊ってヤーね、つうの。 面の皮が厚すぎるんじゃない? とか何とか。

しかし、目の前にいたのはみんな団塊の方々だった。

お前には一生負けない、とか言われた。 一生っていつまでよ。

 

とまあ強がってみても、添加物世代とか言われた我々。

もしかしたら本当に泣かれたりして。 笑い事じゃないね。

 

そんな馬鹿な酒を飲んでしまって、翌日は、大地を守る会の農産物の栽培管理体制

についての監査を、吐きそうになりながら受けたのだった。 

 


まあ監査自体は、ジタバタしてもしょうがない。

普段の管理状態をそのままに見ていただくだけだ、と開き直りは早い。

監査に立ち会った認証機関のWさんも昨日の偲ぶ会には出ていたようで、

ちょっと辛そうな感じもしないでもなかったが、それ以上のコメントは

認証機関の名誉のために控えておきたい。

検査員さんはちゃんとチェックされていたことだけは補足しておくとして。

 

そんでもって、監査終了の開放感で、会社の忘年会に合流。

種蒔人を飲んで、一週間を終える。

 

いや本当は終わってないんだけど、宿題が色々と残ったのを気にしつつも、

今日はシラっと気分転換の日にさせていただくことにしたのだった。

こういう時も必要だよね。

 

今週一番の早起きをして、上野の東京都美術館まで。

明日で終わりとなる 「フェルメール展」 を観に行ってきた。

ずっと行きたいと思いつつ諦めかけていたのだが、やっぱり意を決して出かけた。

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9時半頃に到着した時点で約50分待ち。

出てきた時は2時間待ちという長蛇の列になっていた。

 

光を描いた天才画家、フェルメール。 実物の絵は、深遠で謎めいていた。

描かれた題材は、普段の生活の一片を切り取った、いわば 「風俗画」 なのだが。

人に揉まれながらイライラしたりして、

でもようやく正面に立った時は、周りも忘れて見入ってしまう。

 

絵画論には入らないのかもしれないけど、僕にとって出色のフェルメール論は、

別な視点からこの意味を語った分子生物学者、福岡伸一さんだろうか。

素人のつまらない感想など割愛して、紹介したい。

 

  人間の思考は、たった3歳の子どもでも、鼻というもののまわりに輪郭を作り出してしまう。

  つまり、私たちの思考というのは、人間の身体を、あるいは生命現象を切り刻んで

  「部分」 というものを取り出しているのです。

  しかし、「部分」 というものは生命現象にとって幻想でしかないのです。

  「部分」 を切り取るということは、関係を切り取るということで、

  それは動的平衡状態にある生命現象を破壊するということです。

  という意味で、生命というものに部分はないのです。

  そして全体として動的平衡状態を維持するための時間がそこに折りたたまれていく

  ということです。 だから、ここで私はあえてそれを個別には批判しませんが、

  ES細胞が、あるいはⅰPS細胞が、あるいは遺伝子組み換え操作が、

  どこかおかしな操作、その操作が美しくないというふうに思える根拠は何かというと、

  それはそこに非常に人工的な部分というものを想定して、それを切り出しているから。

  そして、そこに流れている時間というものを無視しているからではないかというふうに

  私は思えます。

  1660年頃にフェルメールという有名な人が描いた 「真珠の耳飾りの少女」、

  あるいは 「青いターバンの少女」 と呼ばれている絵があります。

  フェルメールには鼻に輪郭を描いていません。

  あるいは、顔や服にも別に黒い線で輪郭を描いていません。

  すべてが光の粒の出入りで描かれています。

  今から350年前、フェルメールは、現在私たちが生命を見ているのと違う見方で、

  より生命をきちんと理解していたというふうにも考えられるわけです。

       -日本有機農業研究会報 『土と健康』 08年6月号所収の講演録より-

 

光の粒とは、すべての生命循環の根源=太陽エネルギーである。

光の粒が、少女の微笑や日常の空間を、

まるですべてに意味があるかのように表現して、永遠の生命力を与えている。

光の粒が・・・・・

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午後は、やっぱり宿題が気になって会社に急いだ小心者だけど、

まあ、いい休養の時間をいただきました。

 



2008年11月30日

六ヶ所を思いながら、河原のお掃除

 

今日は、東京・上野の水上音楽堂で、

『 STOP再処理工場 LOVE六ヶ所村 

  放射能を海に大地に捨てないで!  秋の大収穫祭 

というイベントがある日なんだけれど、

僕は、埼玉の奥武蔵の一角で、地元の人たちと地域の一斉清掃に出たのでした。

普段まったく地元に貢献できてないものだから、

こういう作業日は大事にしないといけなくて、

しかも今年は、自治会の班長さんにもなっているので、立場上、外すワケにはいかない。

どうか許してほしい。

 

たくさんのアーティストや著名人も集まって、賑やかに行なわれることだろうか・・・

とか想像しながら、せっせと草取りやゴミ拾いに精を出す。

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河原の清掃は、男たちの仕事。

今日は高校生の若者 (写真右端) も手伝ってくれて、

ご近所のお父さんたちの表情も何げに明るい感じがする。

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こういう作業もやってみれば、地域の自然や環境への愛も生まれたりする。

 

集会にもパレードにも参加できなかったけど、

これでも連帯しているつもりなのであります。

 

今日は人がうるさく動いたもんだから、ダイサギも何処かへ飛んで行ってしまった。

そんな師走前の一日でした。

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2008年9月 5日

ブログ画面上のお詫び

 

3日前の日記の文中で、過去の日記を参照と書いた箇所があって、

しかしその部分に該当日のものをリンクさせるのを失敗していて、

アップしてしばらくたってから気がついて、慌てて貼り付けました。

そこで改めてバックナンバーをいろいろと見てみたのですが、

当初アップした状態と画面の状態がかなり違ってしまっています。

写真と文章の空き具合とか文字の詰まり具合とか・・・。

7月にバージョンアップした際に、ズレが生じたものに違いありません。

 

まあ、古い日記をひも解いていただくほど大したものでもないのですが、

過去のレポートとか経過とかを振り返ってもらおう、なんて思ったときには、

少なからず気になる状態ではあります。

今から全部を手直しすることはちょっとできそうにないので、

バックナンバーでお見苦しいところがありますこと、ここでお詫びさせていただきます。

 

もうひとつ。

バージョンアップした際に、トップ画面にあったカレンダーがなくなりました。

管理人に言わせると、このバージョンにはその機能がなくて、

フリーのものを入れても、動作が保証できない、とのことです。

わたし的には、あの日付数字が白いままだと、それだけでプレッシャーになり、

逆に色が変わって(更新されて) いる日付が多いと、なんか満足感を抱いたりして、

あれだけで一喜一憂させる力を持った機能でした。

しかし今あらためてバックナンバーを検索してみると、

あの機能は実に使い勝手のイイもんだったと思うところです。

今の画面だと、月別のアーカイブをクリックして、

ズ~~っとスクロールしなければなりません。

長々とまあ書きやがって、とか思ってしまったりして。

実際に、これは相当なストレスだ、カレンダーを復活しろ、との厳しいご指摘も

メールで頂戴しました。 まったくですね、と自分でやってみて思います。

 

しかし、私の力ではどうすることもできず、スミマセンと謝るしかありません。

管理人がこのバージョンに合う機能を見つけてきてくれるのを待つばかり、なのです。

ということで、今さらながらの、

自分のブログの状態についての恥ずかしいお詫びでした。

 



2008年8月23日

今年の夏休みもバタバタと...

 

15日から6日間、夏休みを頂戴してました。

かっ飛びで里帰りして、

東京のヒートアイランドとは決定的に違う日差しの暑さと、

せわしないクマゼミの声に迎えられて、

墓参りにお寺へのお礼と、お盆の後始末だけは何とか手伝ってきました。

そんでもって職場に戻れば、例によって溜まった大量のメールに、宿題の数々。

辟易しながら、でもしょうがない。 やっつけてます。

 

この日記も10日以上空いてしまって、

気がつけば、夜には涼しげな風も吹きはじめ、

季節の変わり目は、いつも焦りを感じてしまう自分がいます。

いま僕は、何に人生の時間を費やしているのだろうか・・・なんて。

 

休み中に新聞記事で知らされた訃報が、少しそんな気分に拍車をかけたかもしれない。

自然農法の先駆者、福岡正信さん (愛媛県伊予市) が、

ついに逝ってしまったとの記事を、田舎で発見して。

 


8月16日午前10時15分、老衰とのこと。 95歳の大往生。

会社にも連絡が入っていて、弔電の手配などしたとのこと。

それほどの深いお付き合いがあったわけではないのだけれど、

僕らには、意識の底で常に存在する名前でした。

 

四国・愛媛の伊予に生まれ、若い頃は大規模農業に憧れ、

高知の農業試験場勤務時代には病害虫防除の研究に時を費やし、

戦後、伊予に戻って

「耕さない、除草しない、肥料も農薬もやらない」 自然農法を確立させた。

団子にした土に幾種類もの種を混ぜた 「粘土団子」 をあみ出し、

アジア・アフリカ各地での砂漠緑化に貢献した。

 

哲学や思想家の人として語る人もいるけれど、

僕のなかで記憶にある評は、「篤農技術の最高水準での完成形」 というものだ。

農業を愛し極めれば辿りつけるのか、僕には全然分からないけど・・・・・

福岡さんの思想や実践は、僕の日常からは整理しきれず、

これにのめり込んだら自分がおかしくなってしまうかもしれない、と思うほど

怖く、また魅惑的なものであるがゆえに、棚上げにせざるを得ないものだった。

 

   一年目は人間が種を蒔き、

   二年目は鳥が種を蒔き、

   三年目には、風や自然が種を蒔きなおしてくれる。

   そして、自然はおのずから完成されていく。

     ( 『 わら一本の革命 -総括編- 粘土団子の旅  』 より)

 

   農業は自然に即する営みである。

   そのためには、一本の稲を見つめ、稲の語る言葉を聴かねばならない。

   稲の言うことがわかれば、稲の気持ちに合わせて育てていけばよい。

     ( 『無Ⅲ 自然農法 (実践編) 』 より)

 

美しい到達の世界である。

しかし農民でもない自分が、こんな境地を生産者に強要してはならない、

と常に自戒もしていて、

僕のやっている仕事は、煩悩とたたかいながら日々を過ごす人たちと一緒に生きながら、

どこまで至れるか、が勝負なんだろう・・・と高慢な言い訳を用意しつつ、

いつか、素直な気持ちで、福岡正信師の園地を訪ねてみたいものだと思っていた。

 

そんな感慨を抱きながら、休み中に一本の原稿を書く。

千葉の 「さんぶ野菜ネットワーク」 から依頼された、設立20周年記念誌への寄稿。

振り返ってみれば、20年という時間は、やっぱり大変なものだ。

色んなことが思い出される。 稲作体験も、彼らとともに19年。

延べにして2千人を超える消費者を山武の田んぼにお連れした勘定になる。

僕自身にとっても、それだけのめり込めるフィールドが与えられたことは、

きっと幸せなことなのだろう。

山武の 「だっぺよ~」 軍団に感謝しつつ、書かせていただく。

 

それから、借りたまんまだったDVDを、ようやく観る。

6月に、遺伝子組み換えナタネの問題で西オーストラリアを訪問した職員の

社内報告会の模様を録画したもの。

7月29日の夜に行なわれたものだが、

その日は急きょ千葉の生産者のお母様のお通夜に出かけて、聞けなかった。

この話を、次にしたい。 

 



2008年8月 3日

棒の嶺トレから飯豊山へ-水に感謝する山登り

 

棒の嶺 (みね) トレ? -何それ。 

そうなんです。 その季節がやってきたんです。

 

埼玉の、奥武蔵と言われる地域の一角に、棒の嶺はある。

公式名は、棒ノ折山。 標高たかだか969m。

 

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東京湾に注ぐ、かつて暴れ川と呼ばれた荒川の支流・入間川を遡ってゆくと、

そこは名栗村 (現・飯能市)、有間ダムの建設によってつくられた名栗湖に辿りつく。

その湖に注ぐ白谷沢という一本の沢筋を登ると、棒の嶺がある。

 

この登山道。 実は私のトレーニング・コースとなっていて、

要するに、自分で秘かに名づけた自主トレってわけ。

また、その季節がやって来たのである。

 


この沢筋、侮るなかれ。 たかが半日 (5時間程) で往復できる山だけど、

途中、多少平坦な道はあるものの、

ほとんど一直線で登り、一気に下るような感覚で、甘く見ると痛い目にあう。

この道を、休憩は水補給と呼吸を整える程度にして、

できるだけ同じペースで登り、降りてくる。 結構きつい。

 

こんな沢を駆け上がってゆく。

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両側に岩壁が狭まったゴルジュ (細い谷) を登ってゆく。

 

途中、滝もある。

藤懸の滝、天狗の滝、白孔雀の滝、と続く。

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沢や滝を楽しみながら登るには、かなりおススメのコースである。

自分にとっては、これで足腰や体力の状態をはかるつもりなのだが、

結局かなり情けない自分を見つめ直すことになるのである。

 

頂上からの眺めも、まあまあ、である。

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天気がよければ、赤城から榛名山系まで見通せる。

山の天っ辺に立つと、あらゆるストレスが馬鹿ばかしくなるような気分になるのが、嬉しい。

 

そしてやっぱり、こういう沢筋道の捨てがたい魅力は、水の豊かさである。

眼下の街はすっかり日照り続きで熱帯夜のなかにあるというのに、

山の上では、涼しげに岩肌のあちこちから水が溢れ、集まり、流れ続ける。

この不思議感。 このみず道に導かれる歓び。

汗をボタボタと流しながら、水が枯れないことのシアワセをつくづくと感じるのだ。

 

-この星に水があることの奇跡、

と語ったのは、文化人類学者の竹村真一さんだが、

すべての生命の源でもあり、つねに生命は水の変様態であるという感覚を、

僕は山で学ぶ。 あるいは海で。

水はすべてを受け止め、地球の隅々まで伝播させてゆくがゆえに、

やっぱり水は汚してはならないのだ。

 

足腰や体力のトレーニングだけでなく、こんな感覚を新たにするための、

儀式としての、私の 「棒の嶺トレ」 。

これはまた、今年も来てしまった 「飯豊山」 行のための準備なのである。

 

大地を守る会オリジナル純米酒 「種蒔人」 が企画した 「種蒔人基金」 。

「種蒔人」 一本につき100円を積み立て、酒の元である米と水を守る活動に充てる。

いわば " 酒飲みが米と水を守る " 宣言である。

それでもって、飯豊山まで登る羽目になってしまった。

原因は自分の口だったんだけどね。

1995年だったか96年だったか、

毎年2月に行なわれる蔵元・大和川酒造店 (福島県喜多方市) での交流会で、

僕は酔っ払って叫んでしまったんだ。

「この酒を担いで、俺は飯豊山に登る! 頂上で、水への感謝の気持ちを捧げたい!」

 

というわけで今年、4回目の飯豊山行である。

日程は、8月29日(金)~31日(日)。

今回は、山小屋泊ではなくテント持参で、大日岳まで足を伸ばす計画が立てられている。

昨年、すっかり藪に埋もれていたのを修復した 「種蒔山」

三角点までの道の手入れもしなければ、と思っている。

酒をたんまり積んで山に登るというのはいかがなものか、という声もあろうが、

そこは大和川酒造の佐藤工場長はじめ、健脚かつ酒豪たちの飯豊山詣、

ということでご了承願いたい。

ベテラン登山家たちのお陰で、自分はいつも楽をさせてもらっているくらいなのだ。

 

そんな山登り。

もし希望者がおられましたら、ご一報ください (コメント非公開とします) 。

飯豊山で飲む 「種蒔人」 は格別! です。 求む、健脚。

 

そこで、これまでで一番気に入っている絵を。

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この星と水に感謝する登攀。

飯豊 (いいで) 山は、今でも修験者たちを受け入れてくれる山です。

 

 



2008年7月13日

村の小さな夏祭り

 

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昨日(7月12日)は、地元にある小さな神社の夏祭りがあって、

朝から準備に駆り出される。

本音を言えば、専門委員会・おさかな喰楽部が主催する、三浦での海の交流会に

出たかったんだけど、なんせ今年は自治会の班長さんという大事な役目が回ってきていて、

地域の重大行事を放ったらかして出かけるわけにはいかないのである。

一山美秋さんのマグロ漁船大航海時代の話を聞きたかったなぁ・・・・・

なんて思いながら。

 

ま、それはそれとして、

規模は小さくても、地元の人たちがずっと大切にしてきた祭りである。


男どもがざわつきながら集まってきて、準備に取り掛かる。

幟 (のぼり) を立て、テントを張り、演芸会のステージをつくり、

まわりに飾り物などをつけてまわる。

全部、自治会の手づくりである。

寅さんみたいな人が来て屋台を出してくれるわけでもなく、

出店も子ども会の方々を中心に、カキ氷やらポップコーンやらを準備したりして

運営してくれる。

 

不思議というか、面白いと思うのは、

毎年こうやってみんなで準備しているのに、いつも設営の段取りでもめることだ。

「そうじゃねぇだろ!」 「何やってんだ、ァ~ん!  こっちが先だんべぇよ!」

果ては、「誰だぁ、こんな結び方したんは!」

とか罵って、せっかく縛ったロープをほどいてしまう古株まで登場して、

ワイワイガヤガヤ、右だ左だ、何とかかんとか......

とても新住民が手を出せる、いや口を挟める余地などない。

(こう見えても、もう20年になるんですけどね~え... やっぱり新住民...)

 

要するに、みんな祭りの段取りでは誰にも負けたくないんだね。

八坂神社祭典のことなら、俺は子どもん頃から知ってんだ、という自負が、

この喧騒を生んでいる。 

しかも、彼らにとっては、ここからもう祭りは始まっているのだ。

 

準備が整ったあたりから、だんだんと人がやってくる。

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これでも行政区としては 「市」 に入るのだけど、

どう見ても、「村の小さなお祭り」 と表現するのがふさわしいような風景だね。

 

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神社本殿では、「かしこみかしこみ」 と神主さんのお祓いが行なわれ、

氏子総代や自治会の役員の方々、それに

各班から選出された 「灯ろう番」 さんたちが、祭典終了までご神体の番を務める。

 

祭りの定番、お神輿の登場。

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この神社には、大人が担ぐ神輿はなくて、子ども神輿だけ。

しかも練り歩くのは境内の中だけ。 寂しくもあるが、これでも

子どもたちに 「祭り」 というものを実感させてあげたくて、こしらえたものだ。

子どもたちも、それなりに一生懸命になって 「ワッショイ、ワッショイ」 と担いで歩く。

 

やっぱり祭りには、子どもの姿が必要だ。

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子どもたちが、地元の行事に親しんで、喜んでくれている顔が、

親父たちをシアワセな気分にさせ、そして準備の段取りを仕切りたがらせる。

 

日が暮れれば、大人たちは飲む。 飲ん兵衛は飲み続ける。

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地元集落総出で夏祭りを盛り上げる。 こんな風習は、ここいらでもだいぶ廃れてきた。

祭りすらなくなってしまった神社もあると聞かされた。

 

『奉納 演芸大会』 -要するにカラオケ大会なんだけど、

オヤジの下手なコブシより、やっぱこういう風景こそ、お祭りですよね。

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最後は、盆踊り。

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朝の9時から準備。

午後3時から八坂神社祭典。

午後5時から飲み出す。

演芸大会終了後、午後10時から打ち上げ -という名の飲み会。

翌日の今日は、午前9時から片付け -準備と違ってさっさと進む。。。

午後3時から役員会の反省会 -という名の飲み会。

普段飲んでるのとは違う日本酒に、最後はついにフラつく。

 

「祭り」 というハレの日。 

心のどこかで 「今年も守ったぞ」 の気概が渦巻きながら、男たちは飲み、騒ぐ。

子どもたちに、ふるさとの記憶を持たせたくて、

またこの土地を少しでも愛してくれたら、という思いも多少はあって、

そんでもって、「来年は...」 の話をもうしてる。

どうせ来年も喧嘩するくせに。

 

どうあがいても新住民の僕は、

「ホタルが、この20年でずいぶん減ったですね」 とか言ってみたりしている。

俺だって、この地で、大事にしたいものはあるのだ。

 



2008年5月11日

日曜日-河原のゴミ拾い

 

私だって、地元に貢献する日もあるんです。

と、たまにはワタクシ事も。

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家の下の河原。

ここの草を刈ったり、ゴミ拾いをしたりする。


でも自主的にやったのなら、まあちょっとは威張ってもいいかもしれないが、

実は自治会の班長という職務が今年回ってきていて、

今日は自治会上げての地域の一斉清掃日だったのが、

あいにくの雨で延期となりまして、

でも午後には雨が上がってくれたので、今年はここもやってくれと頼まれていた河原

の清掃だけでもやっておこうかと、夫婦で降りてきた次第なのです。

班員の中には、蛇が出るとかで怖がる人もいたので、ええいやってしまえと、

そこはまあ、班長としての自覚がなさしめた、とは言えるでしょうか。

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草を刈りながらゴミを拾っていく。

集めてみればけっこうな量です。

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道路からぶん投げられたと思われるコンビニの袋やら空き缶・空き瓶・ペットボトル、携帯ガスボンベ、

はては......

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草むらに埋まった自転車。 ウンザリだね。

 

山から流れてくる沢には、クレソンとか芹とかが自生しているのです。

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ここに越してきた20年前は、ホタルの乱舞が見られた川だったのだが、

最近は、ポツポツと発見できるていど。 今年はどうなることか...

 

この水は荒川に合流して、都心を潤して、東京湾へと下ります。

 

こういう場所にゴミを捨てる人たちは、きっと川と水の恩恵にあずかってない方々なのね。

怒りというより空しさのようなものを感じつつ、

それでも終わってみれば、少しはきれいにしてあげられたかと安堵する。

自分で自分を褒めてやった一日。

 

休日、観光客がテントを張ったりバーベキューを楽しんだりする河原は、

ここからさらに下流なのであります。

 



2008年4月28日

ネットでつながる

 

昨年の6月末からこのブログを始め、何度かヘタリそうになるたびに

嬉しいコメントが届いては、励まされてきた。

ヘンな迷惑メールもままあるけど、それ以上の喜びもあって、

つくづくとインターネットの力のすごさを実感させられている

昨年からの 「わたしのブログ体験」 である。

 

程度が知れることを告白すれば、

外国からの反応が、突然パソコンのメール受信箱に飛び込んでくるのに驚いたりしている。

 

3月18日の、センター火災を振り返った日記には、イギリスから投稿があった。

英国に住んで11年。 元・大地の会員さん、いや今も株主という方である。

 

『イギリスの有機宅配で、パンの配り忘れが続いていて、ふと大地が懐かしくなって...』

 

"英国の有機宅配" に親近感を感じてしまった私。

ミスの連発で懐かしく思い出してもらった大地。

微笑ましくも、かなりトホホな話ではないか。 大地諸君! ガンバロー。 -なんてね。

はつみ様、すみません。 また楽しいお便りください。

 

その前は、ベトナムから反響があった。


ちょっと前の話になるけど、合鴨水稲同時作について書いたところ (3月12日)、

ベトナムで農民の自立支援のボランティア活動をしている方から投稿である。

 

合鴨農法も万能ではなく、問題点もある、というような一文に、

どういうことかという質問だった。

短いコメントではすまなくなって、直接メールでお応えしたところ、

実はその方は、合鴨ではなくアヒルを活用した米づくりに農民と一緒に取り組んでいる、

ということだった。

問題点は共通していた。 しかしこの水鳥を使った農法の可能性もお互い分かっていて、

話がはずんで (という言い方もヘンだけど)、先週、

一時帰国した際に会う約束までしたのだが、どうしても都合が合わずに流れてしまった。

I さん、スミマセンでした。

次の帰国の際には、また是非ご連絡ください。

色々とやりたいことが山ほどあるようでしたが、あまり無理をなさらずに、お元気で。

 

想定外の人とのつながりが、ある日突然生まれる。 これは感動もんだ。

いつも食のグローバリゼーション (結果としての支配や均一化) を批判しつつ、しかし

その上を行く (次の時代を拓く) ためには、コミュニケーションのグローバリゼーション (ネットワーク)

をモノにしなければいかん、と思う次第である。

 

油断ならないのは、アメリカのアイツだ。

昨年10月にノンGMコーンの視察で出会ったケント・ロック氏が、

どうも時々私のブログをチェックしていて、

カーギルジャパンのF氏に質問をしたりしているようなのだ。

彼は日本語が分からないので、またMr.エビスダニは英語ができないので、

直接の投稿は控えてくれているのだが (有り難い)、

興味を引いた写真を見ると、「なんて書いてるんだ?」 とF氏にメールが入るらしい。

Fさん、ケントの旺盛な好奇心に振り回されているらしい......

 

ケントは今年もノンGMコーンの作付けをしてくれた。

相場がどんどん上がって、GM (遺伝子組み換え作物) の圧力も強い中で、

「でもケントさんは今年もセンチュリーコーン (ノンGMの品種) を植えます」

といったジョークまじりのレポートを寄せてくれている。

反応しなければいけないのは、オレのほうだった。

 

Fさんから、そのケントが6月下旬に日本に来る、という連絡である。

歓待しないとね。

そしてたくさんの人に紹介したいと思っている。

 



2008年3月20日

人気の 『手づくりソーセージ教室』 -WEB募集!

 

さて、この絵はなんでしょう。

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う、ううっ、カ、カワイイ・・・・・

僕にもこんな時代があった・・・いや、ないな。 もっと飢えた少年 (ガキ) の風体ならあったが。

 

これは大地でもチョーがつく人気企画の一つ、

「中津ミートさんの手作りソーセージ教室」 の一コマ。

毎回申し込みが多くて、2回に分けてもなお抽選となってしまうほどの盛況ぶりなのだ。

 

そんなに楽しい企画なもんで、追加公演! が企画されたのだが、

紙媒体での全体告知ではだいぶ先になってしまう。

ここは何とかゴールデンウィークに合わせたいという担当の強い希望もあり、

手っ取り早くホームページのみでの募集でいってみることになった。


そこでさらに検討の結果、ネットでの募集ということなら、

会員以外の方も受け入れるべきじゃないか、という話になった。

 

人気企画といえども、ネットのみでの募集は初めての試み。

担当も不安なようなので、エビ・ブロでもちょっと宣伝に協力して恩を売ることにした。

しかしこのところの記事内容からして、こっちでの効果は、はたして・・・

・・・・・ワタシのほうが不安になってきたりして。

 

ということで、抽選となる可能性大ではありますが、

ご興味ある方は、こちらにどうぞ。 会場は川崎です。

⇒ http://www.daichi-m.co.jp/company/topics/080317/index.html

 

大地にソーセージ類を提供いただいている中津ミートの松下憲司社長自ら、

ソーセージ作りを手ほどきしてくれます。

また松下さんの、ソーセージ作りや養豚へのこだわりからこれからの夢など、

楽しい会話に発展することもあるとか。

食に関する不安な話題も多い中、作り手のポリシーを確かめる機会にもなるでしょう。

 

それにしても可愛い、いい子たちだね。 (うちの子も昔は可愛かったが・・・)

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 この子たちの未来が、明るいものとなりますよう。

いや、それは俺たちの責任だ。

 

いつも最後は記念撮影。

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輪の中央、エプロン姿が松下さんです。

忙しい中、今回もお引き受けいただき、有り難うございます。 どうぞよろしくお願いします。

 

なお、エビ・ブロを見た、と言っても優先されるとは限りませんので、念のため。

選に漏れた場合は、どうかご容赦ください。

 



2008年3月 6日

啓蟄

 

気がつけば、梅が咲いていた。

 

通勤途中の民家の庭。 一枚撮らせていただく。

日々見ていたはずなのに、ここまで咲くまで全然気がつかなかった。

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時節はもう 「啓蟄」 である。

大地が温もってきて、冬眠していた虫たちが起き出してくる。

 

私たちの住む位置では、太陽の日差しが最も弱くなる冬至から2ヶ月後が一番冷える時で、

それから上がったり下がったりしながら、だんだんと暖かくなってゆく。

それが太陽(日差し) だけでなく、大気と水と土壌の作用によってなされる仕組みのようで、

ヒト以外の生命体は、基本的にそのリズムに合わせて生きている。

 

時は正確に刻まれ、季節は確実に移ろっている。

自然 (生物)  は、スゴイ。

ヒトの営みだけが、とても貧相になっていっているような気がする。

 

いや、生意気な物言いはやめよう。 

貧しく急(せ) いているワタシがいるだけなのだ。 そう思ったほうが方針と対策が明確になる。

 



2008年2月12日

予告! 「よみがえれ ニッポン」

 

突然ですが、予告です。

 

今週の土曜日、2月16日(土)。

CS放送 「朝日ニュースター」 というチャンネルで放送される

『よみがえれ ニッポン』 という討論番組(?) に出演します。

時間は夕方の4時半~6時。 生番組です。

 

テーマは、「食べることを考える」。

中国産の餃子中毒やら偽装やらと、食品に関する事件が騒がれる中、

改めて私たちの食のあり方について考えたい、

ということでお声が掛かりました。

メインキャスターは、放送ジャーナリストのばばこういちさん。

 

といっても 「朝日ニュースター」 は、

スカイパーフェクTVとかケーブルTVで放送されるニュース専門のCSチャンネルなので、

契約されている方しか見ることができません (実は私も、です)。

 

ご契約されている方、

あるいはご友人とかで契約されている方がおられましたら、

録画とかでもご覧になっていただけると嬉しいです。

 

何を喋るの? ッて、

このブログをチェックいただいている方には、だいたいご推察の通りです。

上手に話せるといいんですが......。

 

うまくいったら、まあいかなくても、レポートはしたいと思います。

 



2008年2月 4日

お詫び

 

先々週の末から、管理人さんがブログのメンテナンスとバージョンアップに

取りかかってくれたのですが、かなりてこずった模様で、

何とか記事をエントリーできる状態までに戻りました。

ソフトの問題やらサーバーのシステム上の問題とか言われてもよく分からず、

私はただ手をこまねいて見ている (いえ、ただ「復旧しました」の連絡を待つ) のみ。

管理人さんは土日も頑張ってくれたようです。お疲れ様。

 

そんなわけで、だいぶ間が空いてしまいましたが、

溜めてあった3本を順次アップしましたので、

お時間あるときにでも読んでいただけると嬉しいです。

 

ただ、まだ画面表示などで気になるところも残っていたり、

また編集機能や操作も変わったところがあって、

しばらくは落ち着かない画面になるかもしれません。

一日も早く使いこなせるようにしますので、ちょっとの間、

その辺のドタバタ模様も楽しんでいただければ、と思います。

 

しかし、本当の問題は、

メンテナンス中はエントリーできないと言われて、

「そういうことなら」 と徐々に書き溜めることも怠けてしまう自分の性根です。

先週1週間のあれこれは、明日にでもダイジェスト風に流してみたいと思います。

 

そんななかでメンテナンスに助けられたのは、「中国製冷凍ギョウザ」 でしょうか。

30日の夕方に第一報に接してから、31日からのパニック的現象、

それからだんだんに「事件」性が見えてきて、いよいよ不気味な話になってきました。

一度は書いてみたものの、翌日には書き直して......アップできなくて、良かったかも。

しかし、この問題は避けて通るわけにはいかないですね。

歴史に残る事件かもしれません。 自分なりに何とか整理するつもりです。

 

取り急ぎ、お詫びと状況報告まで。

 



2008年1月10日

OHッ!コータローじゃないか!

 

今週発売されたコミック誌

『ビッグコミック スピリッツ』 (№6・7号/小学館)。

 

広報から情報が入り、コンビニで入手。

TVドラマにもなった超長寿連載漫画 「美味しんぼ」 を開く。

 

オオー!なんと、遠藤幸太郎じゃないか!

 


以前は愛読書といってもいいくらい毎週買ってたんだが、

ここ数年、ほとんどコミック誌は見なくなっていた。

 

久しぶりの 「美味しんぼ」 は、こんな展開になっていた。

 

(あらすじより)

中国産食品の安全性について話題になったのがきっかけで、

山岡たち究極のメニュー取材班は現代日本の「食の安全」について取材することに。

<中略> 壊れつつある日本の食事情を知った一同は大きな衝撃を受ける。

見かねた山岡は、明るい未来を感じる現場に飛沢たちを案内するというのだが......

 

ということで、

「救いと希望の決定版」 として-有機農業に転進した若者たちを訪ねる。

 

場所は長野県佐久市。

有機農業を営む生産者のもとで修行を積む若者の一人、遠藤幸太郎さん登場。

実名である。

 

何を隠そう、元大地の社員である。

入社した時から、農業がやりたい、とほざいていた。

 

「じゃあ、何か? 大地は腰掛けなのか? ああん? 」

-とか先輩にいじめられながら5年、頑張った。

 

そして、社内で彼女をゲットし、結婚して退職。

いや違った。

彼の退職後も、仕事のできる彼女の方は必死で引き止めて、

半年くらい働いてもらったのだ。

-今思えば、これ自体そうとう面白いネタだな。

 

その間、彼は農業研修の旅、である。

大地の生産者もよくしてくれた。

何度も登場する埼玉の金子美登さんのところでも学んだ。

 

そして今、長野にいる。

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 (注:編集部からの許可を頂いております)

 

彼女は隣町のプルーン農家で研修中。

独立後は、二人でトマトとプルーンを育てるのだそうだ。

 

取材班が聞いている。

「面白いですか?」

 

「ええ。毎日が日曜日みたいです」

 -オイオイ、やめろよ、そういう回答。 「しんどいけど楽しいです」 が定番だろ。

 

そういう奴だ。

 

漫画では、

食の取材で未来に絶望を感じた(らしい) 若い担当記者が、

「食の安全に取り組む人たちに協力し、さらに増やすこと」

に希望を見出して、第588話-完、となる。

 

生き生きと頑張ってる後輩を見るのは、嬉しいものだ。

しかも職場で出会った男女が、未来に希望を持って修行している。

 

なんだか、こちらの存在価値まで認められたような気分になる。

 

それにしても、「有機農産物を宅配する会社」 の絵。

段ボール箱の団体名が微妙に野菜に隠れている。

 

 『●地を守る会

   株式会社 大● 』 と読める。

 

う~ん、ナイス。 -と言っておこう。

 



2008年1月 4日

仕事はじめ

 

正月休みもあっという間にあけて、今日から仕事再開。

また慌しい一年が始まりました。

 

テレビも新聞も、メディアは正月から、かなり意識的に環境問題を取り上げていましたね。

世界各地で進行する、温暖化によると思われる異変。

CO2 排出量をめぐる攻防、など。

 

普段からそんな情報ばっかり食わされてきた者には、

正月くらいはゆっくりさせてもらいたく、正直見きれませんでしたが、これも

世界が尋常ではなくなってきていることの証しなのでしょう。

 

一方で、原油や穀物はすっかり投機の対象になって、

あらゆるものの値上げが避けられない情勢です。

 

誰かが、人々の生存条件を儲けの対象にしている。

'お金が神様' になった社会の、究極の有り様に向かっているような...

 

「日本人は、資本主義も使えないまま、大地も海も使い捨てようとしている」

というような意味のことを言ったのは故・司馬遼太郎さんですが、

どうも世界全体が、資本主義というか、自由主義経済そのものを

コントロールする能力を失いつつあるのかもしれない、とそんな気分にすらなった

正月でした。

 

じゃあ、お前はどうするんだよう?

 

-ですよね。

 

やれるだけのことはやりたい。

ただ、厳しいです。

「生産者にも、消費者にも喜ばれる流通システムを」

ではなくて、
おそらく一緒に耐えながら 「守り合う」 ことは可能か、

ということへの挑戦になることでしょう。

 

みんなで環境と暮らしを守りあう。

そのためには、新しい 「経済圏」(システム) づくりに向かうしかないのではないか。

それは可能か?

 

それが今年からの、私のテーマです。

 

アメリカの作家、ノーマン・メイラーが、

新聞のインタビューに応えて、こんなことを語っています。

日付も書き忘れた切り抜きですが-

 

  民主主義とは大きな賭けであり、非常に珍しい政治体制だ。

 

  次の世代のために、毎日の小さな変化を積み重ねていくのが民主主義のやり方だ

  その退屈さに耐えるには、判断力と意識をもった人々がいることが前提になる。

  民主主義は常に育てていくものであり、再生させていかなければならないのだ。

 

次の世代のために、毎日の小さな変化を-

耐えられるだけの判断力と意識を-

 

そのことを忘れずに、今年も働きたいと思います。

 



2008年1月 2日

謹賀新年

 

皆様 あけまして おめでとうございます。

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初詣に行ってきました。

地元・飯能(埼玉県です) の山の上にある 「天王山 竹寺」 というお寺。

正式の名は、「医王山 薬寿院 八王寺」。

 

天安元年(857年)、慈覚大師が開いたとされる古刹です。

天台宗3代座主・円仁ですね。

 

上の写真は、ここの名物・茅の輪。

心身の清浄、無病息災を祈願して、くぐります。

標高490mに立つ本殿。

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9年前に焼失したものの、飯能市民はじめ多くの方の寄進もあって、

4年後に再建されました。


本尊は 「牛頭(ごず) 天王」。

インド祇園精舎の守護神で、なおかつスサノオと同体ともいわれる、恐るべきお方。

なんか無茶な設定のような気もするが...とにかく

病難消除、除災招福、出世開運の「天王さま」であられるのです。

 

境内に立つ 「牛頭天王」 のブロンズ像。

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中国人民有志から寄贈されたもの、とか。


たしかに牛の角がある。斧なんか持っちゃって、コワいですね。

 

本殿の中で護摩祈祷が行なわれている様子を窓越しに覗きながら、

賽銭を捧げ、今年一年の家族の健康と、仕事での目標達成を祈願。

 

今年の目標-

「新しい道を一本、何としても切り拓きたいのです。牛頭さま、どうかお力を」

 

あわせて、瑠璃殿という本地堂で、「薬師如来さま」にも祈願。

 

竹で作られた鳥居をくぐり、山道の別な石段を登ると、「医王稲荷」がある。

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押し合い圧し合いしている狐軍団さまにも、お頼みする。

 

弁天さまにも、観音さまにも、祈願。

 

そうなんです。

ここは、明治維新の神仏分離の難を免れた、

東日本で唯一の神仏習合の姿をとどめるお寺さんなんです。

 

しかし、こんなに欲張ってお願いしていいのか?

いいんですよね。ここでは。

本殿からさらに山道を登ると、頂上に鐘楼殿がある。

鐘を撞いて、拝む。

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ここからの眺めが、まことに良い、のです。

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奥武蔵の山並みの向こうに、都心が一望に見渡せる。

左手には筑波山も見える。

今年も一丁やったろうか、という気分になる。

下りてきて、甘酒をいただく。

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ご馳走さまでした。あったまりました。

フィリピンに落とされた爆弾を鋳り直してつくられた鐘。

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平和も祈る。

竹寺には、竹の道。

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境内のあちこちに句碑があり、また句を詠んだ短冊が木々に飾られている。

ここは俳句寺でもあるのです。

 

   竹寺の竹の時雨に合ひ申す

   竹寺は薬師の浄土風光る

 

では、皆様にとっても、良い一年となりますよう。

本年も、どうぞよろしくお願いします。

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2007年12月23日

飯能焼

 

自宅から車で10分少々のところに陶芸の窯がある。


「飯能窯」 と称し、地元飯能の山の土で焼く。

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江戸時代、天保年間から明治時代にかけて焼かれたようだが、廃れてしまった。

それを1975(昭和50)年、

虎澤英雄さんという陶芸家が土岐のほうからこの地に入り、

100年ぶりに飯能焼を復活させた。


 

実はその程度の知識しか持ってないのだが、

たまに何かの折に覗きに来る。

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飯能焼体験教室なども開いている。

この日も軽い、失礼、明るい若者たちが来ていて、楽しそうにやっていた。

 

展示室がある。

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鉄分の多い飯能の土100%で焼く。

それに白絵土による "イッチン"描きの絵付け、これが特徴である。

和紙などで筒をつくって釉薬や泥将を入れ、

指で押し出しながら陶磁器の肌に盛り上げの文様を描くやり方。

 

へえ。エビにそんな素養があったの?

いえ。説明にそう書いてあります。

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加えて 「翠青磁」 と名づけられた独自の青磁釉の技術を持つ。

国際陶芸展はじめ、数々の賞を受けた深い色合い。

青でもなく、碧ともちがう、これが翠と表現される色なのか

-といつも見入ってしまうのである。

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今回覗きにやって来たのは、

20年以上も大地で勤めてくれた女性が退職されることとなり、

どうしても送別会に出られない事情もあって、

何か用意したくなったから。

色々と眺め、二つの展示室を行ったり来たりして、迷うこと小一時間。

ずっと目から離れない一品-「やっぱりこれ」。

 

思い切って、翠青磁のぐい呑みをひとつ、求める。

 

その方は、杉並区永福町のセンターから始まって、

調布センター、そして幕張まで付き合ってきてくれた。

大地にとって、この年月は大きい。

酸いも甘いも......と言ってもいいだけの時間を共有した、

まあ僕にしてみれば、"同志" のようなものだ。

 

勤務が幕張に移ってから、体調もあまりすぐれず、退社となった。

 

ちょっと抜け駆けの感もあるが、20数年来の仲間ということで、

許していただきたいと思う。

 

陶芸家・虎澤英雄さん自ら箱の蓋に一筆したためてくれて、

嬉しい気分で窯をあとにする。

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窯の裏手にある東屋と雑木林が、なんともいい佇まいである。

 

この盃に我が銘酒 「種蒔人」 をつけて贈ることにする。

 

じゃあHさん、これからの人生も楽しくありますように -乾杯!

 



2007年11月 1日

お詫び

 

いま、島根に来ています。

 

加工品と乳製品の生産者会議が、

アイスクリームで好評いただいている木次乳業さん(雲南市)のところで

開かれたのです。

全国から35社ほどのメーカーが参加してくれました。

 

会議後は日本一小さなワイナリー、奥出雲葡萄園で懇親会を開いて解散。

でもその後、出雲駅前のホテルに宿を取った何人かともう一軒。

これがまたちょっとくせのある、いや失礼、ハートのあつい連中。

 

日本中が神無月となり、出雲だけが神有月となる10月も終わり、

参集されていた八百よろずの神さんたちもご機嫌で去った出雲の地で、

出雲の酒に酔って、結構あつい語り合いの夜を過ごしてしまいました。

 

でもって明日は、このまま羽田経由で秋田まで飛びます。

 

大潟村の生産者たちと山に登って、ブナの植林です。

こちらも暑苦しい生産者に囲まれることかと。

 

そんなわけで、パソコンを持参したにもかかわらず、続きは書けずじまい。

おそらくは明日も無理でしょう。

 

スミマセンが、連載は一時中断でご容赦ください。

 



2007年10月 9日

秋の通勤風景から

 

閑話休題

 

秋ですね。

埼玉の奥武蔵から、千葉の埋立地・幕張まで。

ちょっと気恥ずかしいですが、通勤途中で見た秋の風景をお届けします。

 

こんにちは。

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ときどき叔父さんや叔母さんが手を合わせてるのを見かけます。


ヒガンバナ(曼殊沙華)、満開です。

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この紅。どんなDNAが潜んでるのか・・・
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コスモスも満開。

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ミツバチもせっせと働いてます。

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童心に帰って、がんばれー、バイバ~イ。

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車中、懐かしいテープを聴きながら行く。

俺たちの世代らしく、今日はこれ。 吉田拓郎-「元気です」

 

  どれだけ歩いたか 考えるよりも

  しるべなき明日に 向かって進みたい

  あなたの人生が いくつもの旅を経て

  帰る日来れば 笑って迎えたい

 

 

  私も今また 船出のときです

  言葉を選んで 渡すより

  そうだ 元気ですよと こたえよう

 

ひと雨ごとに涼しくなっていく時節。

どなた様も、お風邪など召されませぬよう、お気をつけてお過ごしくださいませ。

 



2007年9月29日

映画監督 佐藤真さんの思い出

 

こんなタイトル自体、おこがましいのかもしれない。

会ったのは2度だけだから。

 

ドキュメンタリー映画監督、佐藤真(まこと)さん。

9月4日、49歳の若さで逝ってしまった。

 

訃報はすでに報道で知っていたが、

今日(9/28)の朝日新聞夕刊の 「惜別」 欄を見て、書きたくなった。

 

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佐藤さんの監督第1作は 『阿賀に生きる』 (完成1992年)。

89年から3年がかりで、新潟水俣病の老人の日常を淡々と追ったドキュメンタリー。

佐藤さんはスタッフとともに現地で共同生活をしながら、カメラを回し続けた。

芸術選奨文部大臣賞新人賞など、いくつもの賞をとった、彼の記念碑的作品である。

 

でも僕の思い出は、その前の助監督時代の作品

『無辜なる海-1982年水俣-』 (1983年)になる。


水俣病に関するドキュメンタリー映画では、

70年代からの土本典昭さんの一連の作品 (たとえば 『不知火海』 ) があるが、

この 『無辜(むこ)なる海』 は、

水俣病の原因が明らかになり、たたかいから補償へと移る時代にあっても、

なお苦しみ続ける住民の暮らしを綴ったものだ。

 

苦しみを埋めて暮らすしかない日常を写し取りながら、私たちに問いかける「何で?」。

 

83年に映画が完成したあと、佐藤さんは映画の上映活動に奔走する。

社会派のドキュメンタリー映画というのは、制作費用を工面しながら作り上げ、

そのあとはスタッフ自らフィルムを持って行脚するような世界である。

 

佐藤さんが、水俣病支援などで関係があった大地を訪ねてきたのは、

大地の配送センターが杉並区から調布市深大寺に移転して間もない84年だったが、

季節の頃は -思い出せない。

 

僕も若かった。

新しいセンターで、まだ敷地にも余裕があった。

この広い倉庫を活用して、地域の人たち向けに何か文化的な催しを開くのはどうか、

なんて同僚と飲みながら話し合ったりしてたのだ。

 

僕は佐藤さんと会い、話を聞き、すぐさま企画書を書いた。

 

   -第1回 深大寺文化フォーラム-

       『無辜なる海』 上映会

     &佐藤真助監督と語る夕べ!

 

社長の決済は簡単だった。 「いいよ。やればいい。でも金はない」

 

フィルム・機材持ち込みで佐藤さんに払った謝礼は、足代も込みで、

......たしか2~3万円程度だったと思う。

それでもおそるおそる会社に稟議を上げたのを憶えている。

 

手描きのチラシを作って、敷地内に併設したお店に置き、近隣にまいたりした。

 

来場者は -10数人だった。

(お茶とお茶菓子までつけたのに...)

 

それでも佐藤さんは映画を回してくれ、上映後も撮影秘話などを語ってくれた。

「水俣病は終わってないんです」......参加者と親密な懇親会となった。

 

それ以来、佐藤さんと何度か電話で話すことはあったが、

会うことはついになかった。

 

風の噂で、ふたたび阿賀に入ってカメラを回していると聞いてはいたが、

2004年に完成した 『阿賀の記憶』 は、まだ観ていない。

 

惜別の記事によれば、

「仕事場には、本や映画の批評や著書の構想などを記した膨大なメモが残されていた」

という。

「戦後日本を問いたい」 とも話していたそうだ。

 

切ない...

 

彼はずっとあれからも、食えないドキュメンタリーの世界で、

原点にこだわり、たたかい続けていたのだ。

 

僕の企画書-「深大寺文化フォーラム」は、たったの2回で終わっている。

 

ほんの一時(いっとき)とはいえ、心を通わせた同世代の者として、

このままでは終われない。

 

ご冥福を祈りつつ-

 



2007年9月18日

磯辺行久と男鹿和雄と-『明日の神話』(続)

 

岡本太郎作 『明日の神話』

 

高さ5.5m、全長30mの巨大壁画。

この絵のコーナーだけは写真撮影が許可されている。

 

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この壁画は1969年、メキシコで制作された。

翌年開催される大阪万博のモニュメント 『太陽の搭』 制作と同時並行して作られたという

天才・タロー力技の作品である。

 

メキシコ・オリンピック景気をあて込んで建設されていたホテルの

ロビーに飾られる予定だったが、ホテルは建つことはなく、

絵は各地を転々とするうちに、ついに行方不明となってしまった "幻の大作" 。


 

発見されたのは、34年を経た2003年9月。

メキシコシティ郊外の資材置き場で、崩壊寸前の姿で眠っていた。

再会を実現させたのは、行方を捜し続けた太郎のパートナー岡本敏子さんの執念である。

 

敏子さんは、その後1年がかりの交渉で壁画を入手し、直後、急逝する。

 

再生を託されたプロジェクト・チームによる修復作業が始まる。

 

そして昨年6月、 『明日の神話』 は見事に蘇った。

 

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原爆が炸裂した瞬間。

きのこ雲の増殖。 燃え上がる骸骨。 逃げまどう無辜の生きものたち・・・・・

 

壁画の再生を信じて逝った敏子さんは、語っている。

 

   これはいわゆる原爆図のように、ただ惨めな、酷い、被害者の絵ではない。

   燃え上がる骸骨の、何という美しさ、高貴さ。

   巨大画面を圧してひろがる炎の舞の、優美とさえ言いたくなる鮮烈な赤。

  

   外に向かって激しく放射する構図。強烈な原色。

   画面全体が哄笑している。悲劇に負けていない。

   あの凶々しい破壊の力が炸裂した瞬間に、

   それと拮抗する激しさ、力強さで人間の誇り、純粋な憤りが燃え上がる。

 

   その瞬間は、死と、破壊と、不毛だけをまき散らしたのではない。

   残酷な悲劇を内包しながら、その瞬間、誇らかに 『明日の神話』 が生まれるのだ

   岡本太郎はそう信じた。

 

   21世紀は行方の見えない不安定な時代だ。

   テロ、報復、果てしない殺戮、核拡散、ウィルスは不気味にひろがり、

   地球は回復不能な破滅の道につき進んでいるように見える。

   こういう時代に、この絵が発するメッセージは強く、鋭い。

 

   負けないぞ。絵全体が高らかに哄笑し、誇り高く炸裂している。

 

                            <昨年の初公開でのパンフレットから>

 

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完成して37年、太郎没後10年を経て、蘇った壁画は、

この 「時代」 への、太郎と敏子の "執念のメッセージ" そのもののようだ。

 

負けないぞ!

僕にとっては一年ぶりの再会。もういちど炎をもらう。

 


男鹿和雄展は観れなかったけれど、満足とする。

 

それにしても、ひしめき合う行列に、男鹿和雄 (とジブリ) の力を思う。

トトロの森に誘われて集まる人、人、人。

この半世紀の間に、私たちが捨て去ってきた世界が、実に大切なものであったことを、

我々に思い知らせている。

「男鹿和雄展」入場者は、この日で20万人を突破したそうだ。

 

時間を超え、空間を超えて迫る、3人の巨匠が、ゲージュツの力を教えてくれた一日。


さて、深川めしでも食べて帰るとしようか。

深川江戸資料館のある資料館通りでは、「かかしコンクール」 開催中。

 

いまふうのかかし。

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カゴの中のお札は、盗まれそうで心配です。

 

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これじゃ、かえって鳥の巣になるんじゃない?

 

通りもけっこう楽しめる。

 

しかし・・・・・もう午後3時近いのに、

資料館通りにある深川めし屋さんもまた、行列だらけ。

 

あきらめて帰る。

やけにクソ暑い、9月中旬の日曜日でした。

 



2007年9月17日

磯辺行久と男鹿和雄と-『明日の神話』

 

9月16日。

9月に入って初めて得た休日。しかも連休。

ずっと行きたいと思っていた場所に向かう。

江東区・深川にある東京都現代美術館。

 

会員の方にはしばらく前にチラシを配布させていただいた、

トトロの森を描いた人-ジブリの絵職人 『男鹿和雄』 の絵画展が開かれている。

 

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でもお目当てはこれだけではない。

同時開催されている 『磯辺行久展』 に加えて、

岡本太郎の幻の大作壁画-『明日の神話』 が観れる。

 

休日の男鹿和雄展は2時間待ち、という情報は入っていたが、

「今日しかない!」と決意して出かける。


地下鉄・清澄白河駅を出て、資料館通りから三ツ目通りへ。

人が多い。この流れは・・・どうやら目的地は同じようだ。

美術館に入る前に、行列が見える。 すでに「こら、あかん」の心境。

 

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ひと目見ただけで、へたる。

 

あっさりとあきらめて、長蛇の列を横目に「磯辺行久」展に。

こちらは落ち着いて観れる。

 

磯辺行久-美術家にして環境計画家、72歳。

青年時代の作品から最近作まで半世紀の作品が展示されている。

 

正直言って、前半期の前衛芸術は私の感性では理解不能。

「50年代の抽象と、日常的なイメージをコラージュする60年代のポップアートをつなぐ作家」

(チラシより)とか言われても、私にはその基礎知識もない。

 

ワッペンのようなものを並べたレリーフは、「意味分かんないよぉ」。

意味を考えること自体がすでに失格なのだろうが、とにかくお手上げ。

 

でも、初期の油彩や版画の数点と、昔の箪笥を使った作品は、何とな~く、気にいる。

この骨董品の引き出しを開けて、飛び出してくるものを、子供のように想像したりする。

200年くらいの時間の間隙が同居する感覚。

逆にここに潜ったら、僕は 「今にも」 江戸時代の子供たちと出会えるのかもしれない。

こんなふうに観ていいのかどうなのか、分からないけど。

 

磯辺は65年に渡米し、環境計画を学ぶ。

70年に製作された 『アース・デーのためのエア・ドーム』 が再現されている。

巨大なビニール・ドームの中に癒しの音楽が流れる、不思議な空間。

1970年、このさらに巨大版の中でコンサートや集会が開かれた。

 

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<チラシより>

 

『EVERYDAY IS EARTHDAY 』(毎日がアース・デー)のポスターもこの人の作品。

 

2000年には「越後妻有アート・トリエンナーレ」なる芸術イベントにて、

『川はどこへいった』 という作品に挑戦する。

 

ダムで直線化する前の蛇行していた川の流れを、全長3.5kmにわたって、

田んぼの中に黄色い旗を立てて示す。

 

3年後の同イベントでは、

数万年前の信濃川が今よりも25m(だったか)高い位置に流れていたことを示す作品

『天空に浮かぶ信濃の航跡』 を製作。

 

これらは地元住民との協同で行なわれた。

 

しかしとても美術館に収まるものではない(というより、本物は 「その場」 でしか観れない)

ので、展示されているのは当時の写真と映像とデッサンである。

これはどうしても現場でないと感じ取れない。

 

しかし、芸術家なる人たちの空間的かつ時間的想像力の広さは、やっぱり違うのだ。

その地の地形全体を舞台にして、見る人の想像力を何万年も前の 「ここ」 に運ぶ力。

 

いつかこんなスケールで 「環境」 を表現してみたいものだ、と夢見る。

芸術作品を見る目はないけど、こういう刺激が嬉しい。

 

さて次は-『明日の神話』。

去年の7月に初公開された時は、汐留(日テレプラザ)で並ばされたが、

今日は、こちらも人は思ったより少なめ。

 

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《すみません。今日はここまで。続く》

 



2007年8月14日

田舎から

 

夏休みをいただいて、帰郷しています。

つまらない絵で恐縮ですが、私の田舎の風景です。

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高校卒業と同時に上京して●●年。帰るたびに町が小さくなっていく気がする。

町のサイズ自体は変わってないのだけれど、

どうも活気というものが次第に薄れて、

寂れてゆくさまが町全体を縮ませているように思えるのだ。

それでも、懐かしさと愛おしさのようなものは年々強くなってくるから不思議である。

 

港に立つと思い出す、中原中也の詩の一節。

 

  これが私の故里(ふるさと)だ

  さやかに風も吹いてゐる

       心置きなく泣かれよと

       年増婦(としま)の低い声もする

              (「帰郷」-『山羊の歌』所収)


 

玄関を出ればすぐにも海が見渡せ、

夕暮れ時は漁師たちが土手に座って、海を眺めながらたむろする。

 

家の裏に回れば、屋根の縁まで崖が迫っている。

裏庭(崖の下)はいつも水が滴っていて、そこはガマガエルやカニやトカゲらの世界だったが、

10年くらい前に防災上の理由からコンクリート壁になってしまって、姿を消した。

子どもの頃は屋根の上からびょんと裏山に跳び移って遊んだものだが、それもできなくなった。

 

またその屋根にはなかなか立派な青大将が棲んでいて、

「家を守っとる」とか言って大事にしていたが、とうにいなくなったようだ。

 

毎年いくつもの台風がやってきて、

漁師の息子がロープを咥え、荒海の中を泳ぎながら自家の船を避難場所まで曳航するのを

じっと見ていたことがある。

風の強い日には、海鳴りがゴウゴウと、山の上から聞こえてくる。

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手前の浜は、昔は造船所があったところ。

常時新しい漁船が建造されていて、大漁旗をなびかせてはこの浜から下ろされたものだ。

今は見る影もなく、朽ち果てた漁船が一艘、わずかに往時を偲ばせている。

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港の突端の赤い灯台から外海に出ると、

ひょっこりひょうたん島みたいな無人島が鎮座していて、

その島まで泳いでわたるのが少年の密かな目標だった。

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この島はかつて夏のキャンプ場として子どもたちを楽しませたのだが、

いつの頃からか、キャンプする風景は見られなくなった。

浜で泳ぐ人の姿もなく、

子どもたちは、笹川財団が建ててくれた近くのプールに行くのだそうだ。

その方が安全で助かると大人も言っている。

 

この島や浜が、年寄りを除いてみんなの視界から消え去られたのなら、

俺が買い取って、サバイバル体験基地にしてやろうか。

-なんてことを夢想したりする。

 

30年以上も前、

この地方に原発建設の話が持ち込まれた時、町を挙げて反対運動をした。

我が家も玄関に「原発反対の家」というステッカーを貼った。

原発の危険性を学んで反対したわけではない。

「そんな面倒なもん、ここにはいらん」というシンプルな理由で、町はひとつになっていた。

あの頃は、町全体に自信があった。

「海さえこのままであれば」、漁業で充分暮らしてゆけたから。

 

粗野だけど強くてカッコよかった漁民たちは、どこかへ消えてしまった。

子どもたちを海や山に連れ出しては色んな遊びを教えてくれた大人もいない。

人はいなくなり、なぜか漁獲も減る一方で、山は鬱蒼と暗さを増していく。

 

でも、帰るたびに愛おしさは募る。

年のせい? それだけなのかなあ・・・

 

冒頭の中也の詩の最後-

 

  あゝ おまえはなにをして来たのだと......

  吹き来る風が私に云ふ

 



2007年8月 1日

8月の祈り

 

8月に入りました。

時候の挨拶としては、『残暑お見舞い申し上げます』 なのですが、

気象庁は今日ようやく、

関東甲信越地方が「梅雨明けしたとみられる」との発表。

-何かさえない夏の到来ですね。

 

四季の変化が美しいと言われる日本で、

ここ数年、というか年々、季節がその季節らしくなくなり、

農家も「過去の経験でやれなくなっている」と嘆くことが多くなっています。

どうか、夏らしい夏であってほしいものです。

 

梅雨明けから約1ヶ月は、太陽の光輝く、言わば日本の乾期。

稲(米)も一気に成熟期へと進みます。

 

稲ではこの時期、晴天だと、一日で1haあたり約100kgの体をつくるそうです。

約170kgの二酸化炭素が、大気から作物に吸収される計算になるとか。

 

CO2削減にもっとも貢献するのは、健全な自然のバランス、ということでしょうか。

 

関東以北の水稲も、今のところすこぶる順調の様子。

でもこういう時はかえって不安になったりもします。

 

切ない'収穫の秋'にならないことを祈りたい。

 

2007年8月1日、梅雨明けの日の感想でした。 

 



2007年7月13日

Yaeちゃん

 

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昨日から今日にかけて、青森で行なわれた 「第11回全国米生産者会議」。

昨夜は会議のあと、同じ会場で1時間ほど歌手・Yae さんのライブが開かれた。

 

父(大地の初代会長・藤本敏夫さん) が亡くなって5年が経ちました。

私がデビューしたのもちょうど5年前。

ここで、こうして大地の生産者の前で歌えるなんて、

お会いできて嬉しいです。

父もきっと喜んでくれていると思います。

 

ボクはもうすでにウルルン状態。

立派になって.........

ボクがまだ新米配送員だった頃、25年前の冬の雪の日。

夜の9時くらいだったか、飯も食えずにたどり着いた最後の配達先で、

めずらしく家にいたお母さん(加藤登紀子さん) が、

 

「あなた、何も食べてないの? 食べてく? 娘の残り物だけど」

 

八恵ちゃんたちが食べた後の少しの残り物にがっつく野良犬野郎。

呆れた感じで眺めながら、お登紀さんは言ったんだ。

 

「大地を、辞めないでね」


そう、あの頃は仕事がきつくて、おまけに給料が安い。


人が次々と入っては辞めていくという時代だった。

お登紀さんも心をいためてたのかな。

 

何をいただいたのかまったく思い出せないけど (意外と質素な食事だったような)、

腹の底から温まった気がして、こんな雪ごときでビビッてんじゃねえよ!

なんて気合い入れながらトラックを走らせたんだよ、八恵ちゃん。

あれから間もなく25年。頑張ったよなぁ、と自分に言い聞かす。

 

「今日は何だか話が長くなってます」 と笑いながら、

Yae さんは語った。

父から教えられたこと。 鴨川の農場で夫と一緒に農業の修行をしていること。

子供が生まれて、食というものの大切さを実感していること。

日本の美しい風景は長い時間をかけて人の手でつくられてきたことに心から感謝したいと、

つくづく思っていること。

 

そしてうたうYae-

 

   やさしい薫り やさしい花 やさしい鼓動

   耳をよせて

   400年も昔から聴いていた この唄を

 

   深い深い 森の奥に聴こえてくる この唄

   かけがえのない この唄 ~

                 (400年も昔から)

 

生産者も嬉しそうだ。ウルウルしてるオヤジもいる。

いつにも増してウカレて飲んでしまったような気がする。

ツーショットにも応じてくれて、

Yae ちゃん、ありがとう。 の一夜でした。

 

      e07071302.JPG

(注:ちゃんとアップの許可をいただいております)

 



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