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2014年6月15日

有機の拡大と脱ネオニコへの道筋(続き)

 

6月8日(日)、

一般社団法人 アクト・ビヨンド・トラスト」 主催による

「ネオニコチノイド系農薬を使わない病害虫防除を探るフォーラム」

の第 3回。

場所は品川区にある小山台教育会館。

このシリーズの最終回ということもあって、午前10時から16時半という

ほぼ一日かけてのワークショップとなった。

 

昨年 11月に開催した 第 1回 は報告済みだけど、

今年 1月に行なわれた第 2回は、

いろんな宿題が集中して、整理できずにきてしまった。

第 2回のテーマは 「稲作育苗箱への浸透性農薬施用について」 で、

僕は NPO法人民間稲作研究所の稲葉光圀さんや

庄内協同ファーム・小野寺喜作さんとともに

発題者として発言させていただいた。

 

稲作における省力化(コストダウン) のひとつとして、

ネオニコ系農薬をはじめとする浸透性農薬の育苗期での施用が増えている。

浸透性が高く、効果が長持ちするので、

本田移植(田植え)後も殺虫効果を発揮する。

一方で、日本各地で赤トンボが減少している原因のひとつとして

指摘する調査結果なども現れてきている。

また堅い籾がらに守られている子実(コメ) では、

農薬が検出されるケースは少ないのだが、

ネオニコ系農薬では白米でも検出されることがある(玄米はもっと高い)。

こういった問題の解決策は何か。

有機・無農薬でのコメづくりを実践しながら、

減農薬のコメでもネオニコを排除した庄内協同ファームの

小野寺さんはあのとき、こう問うた。

「ネオニコが悪いからといって、他の農薬に変えればそれでいいんですか?」

 

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答えは、有機農業を支援する、ということに尽きるだろう。

高齢化とともに農業者の減少が激しくなる中で、

コストダウンも強いられる生産者たち。

残効性の高い農薬で省力化をはかろうとする農家を悪者扱いしても、

問題の解決にはつながらない。 

 

さて、最終回。 発題者は6人に及んだ。

 ・稲葉光圀さん (民間稲作研究所)

 ・大野和朗さん (宮崎大学准教授)

 ・後藤和明さん (らでぃっしゅぼーや農産部長)

 ・徳江倫明さん (FTPS代表、生きもの認証推進協会代表)

 ・冨井登美子さん (栃木よつば生協理事長)

 ・山田敏郎さん (金沢大学名誉教授)

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午前中は、その6人によるプレゼンテーション。

稲葉さんは第 2回に続いて、「脱ネオニコ稲作の確立」 について。

本質的には、ネオニコ系農薬という限定されたものではなく、

「有機稲作の技術」 は確立されてきているのだ、というお話。 

 

大野さんは第 1回に続いて、「環境と人に優しいIPMの展開」 について。

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天敵の有効活用による実践的な減農薬技術を説く。

しかも大野さんはたんなる農薬削減にとどまらず、

モノカルチャー(単一作物栽培) の生産様式から、

生態系を整えることで農薬を必要としない体系の確立へと向かおうとしている。

脱ネオニコを考える上で、

ここには大きなヒントが隠されている。

 

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徳江さんは、認証という手法を使っての

「ネオニコ・フリー」農産物の普及を提唱した。

しかし正直言って、僕はこの手法には

何か大事なものが欠けているような気がしてならない。

 

そして流通・消費の立場からは、お二人が発表。

全国組織(らでぃっしゅぼーや) と地産地消を大事にしてきた生協さん。

どっちが良いとかではなくて、テーマに対して其々の役割がある。

よつば生協さんが提携生産者とともにネオニコ・フリー米を宣言すれば、

必然的に我々も取り組みをスピードアップしなければならなくなる。

僕らが競いながら、生産現場での技術進化には連帯する形こそ、

あるべき姿である。

そのことによって多様に消費者を守る陣形ができる。

パイを奪い合うのではなくて、みんなの力でパイ自体を大きくすること。

これが僕らが 80年代から模索してきたネットワーク理論であり、

多様な人々を巻き込んでいく革命論である。

 

その意味でも今回、長野から 「農事組合法人 ましの」 の寺沢茂春さんが

参加されたことを、僕は嬉しく思った。

「ましの」 さんからはリンゴや洋ナシをいただいている。

懸命に減農薬での果樹栽培に取り組んできた生産者である。

しかし彼のリンゴはネオニコ・フリーではない。

「今日勉強しにきたことがまあ、おいらの第一歩ということで・・・」

恥ずかしそうに語る寺沢さんだったが、

こういう人を応援しなければ、目標は達成されない。

 

6番目の山田敏郎さんの発表は、

ネオニコ系農薬の蜂群への影響についての長期野外実験

についての報告であったが、

この試験は正直言って ? マークをつけざるを得ない。

まずもって、ネオニコ系農薬ジノテフラン(商品名「スタークル」「アルバリン」等) を、

10倍、50倍、100倍と、あまりにも高濃度で使用していること。

もしこの濃度で農家が使用したなら、間違いなく農薬取締法違反に問われる。

薬を原液 (に近い濃度) で投与して、死んだから影響あると言われても、

薬というものを知る専門家は相手にしないだろう。

 

蜂群崩壊症候群についての認識不足もあるように思われたし、

有機リン系のほうが安全かのように言われては、ちょっと採用できない。

山田さんは元々工学系の学者で、趣味で蜂を飼っていたということだが、

研究結果について養蜂や農薬の専門家と情報交換していただけないかと思う。

理系の研究者なんだから、本当にこれでいいのか

という疑問は払拭していただきたい。

予防原則の立場に立つ者としても、

専門家から足元すくわれるようなデータではたたかえないし、

対立を深めるのに掉さしたくない。

 

そもそもミツバチの世界に起きている現象はけっこう複雑で、

おそらくこれは、複合汚染である。

ネオニコ系農薬だけに焦点をあてて、

それだけを排除すれば済むという話でもないと思っている。

関係機関から農家まで、総力を挙げて調査しなければならない筈なのに、

こんなレベルでいいのだろうか、と思った次第である。

 

加えて、やれることもある。

前にもどっかで書いたと思うけど、

ハチにとってイネはけっして美味しい作物ではない。

なぜ田んぼにやってくるのか。

周辺に花粉・蜜源が減ってきているからである。

たとえば周りに耕作放棄地があれば、荒れさせるのではなくて

みんなで花を咲かそうではないか。

モノカルチャーと経済の呪縛を乗り越えて、

生態系を整える、ということだ。

それは農業者でなくてもできるはずだ。

 

午後は、6つのテーブルに分かれて、

脱ネオニコへの道筋を語り合い、ロードマップを作成するという

ワールドカフェ方式でのワークショップ。 

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メンバーを入れ替えながらまとめ上げ、

テーブルごとに発表する。

 

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様々な意見を交差させていくことで、この場に集まった人たちの総意が

ある方向に収斂されていく。

バランスに健全さを求める方に行き着いたか、

あるいは先鋭な運動こそ必要と動いたか、

どちらが良いという正解は、ない。 

 

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いずれにしても、目指す方向はこれだろう。

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ネオニコチノイド系農薬 「を含め」 と進んだことに、

僕はコミュニケーションの力を感じた。

いいまとめだね、これ。

 

語り合えば健全な方向に行く (ことは可能である)。

そのために僕らはもっとウィングを広げ、

コミュニケーション力を高めなければならない。

その時に大切なのは、否定に終わらず提案に結びつけること、

そして批判にも 「愛」 が必要だ。

甘いかもしれないけど、捨てたくない。

それが今、この星に求められていることではないだろうか。

 

有機農業が世界を救う。

このテーマを与えられたことを、幸せに思いたい。

 



2014年6月14日

有機の拡大と脱ネオニコへの道筋

 

コメ展でのトークセッションを終えて生産者たちと一杯やって、

翌 6月6日(金) は農水省に出かけた。 

相手は 「生産局農産部農業環境対策課有機農業推進班」 で、

有機農業の拡大を推進していくためにどのような施策が有効か、

内部の勉強会を開くので来いという。

いろいろと各分野の意見を聞いているようだ。

 

その姿勢は評価しようということで、

有機農産物の流通状況と抱えている課題など、

僕なりに整理してお話させていただいた。

また要望や提案もいくつか提示したのだが、

さてどのような形にまとまっていくか、今後の動向に注目したい。

 

空振りだったのは、

生産者支援だけを考えるのでなく、消費(食べる) を応援する施策が必要だ

と訴えたのに対して、

生産支援の視点で進めるのが部局の立場である、

という回答が返ってきたことだ。

有機農業の推進とは総合施策のはずなのだが、

生産振興-販路拡大を後押しすると言いながら、

消費(者) に目を向けられないというのは、我々には不思議な話である。

「作る」 には 「食べる」 がセットされないとうまく回らないのに。

六本木でコメ展が開かれているのを知っているか、

の問いに 「いや・・」 と首を振られたのも、ガクッて感じ。

 

まあ失望していても始まらない。

聞く姿勢は持ってくれているので、

生産-流通サイドからもっと具体的な提案を、

つまり企画書を持ってぶつけることが必要なのかもしれない。

 

続いて 6月8日(日)。

「ネオニコチノイド系農薬を使わない病虫害防除を探るフォーラム」

第 3 回ワークショップ 「脱ネオニコチノイド系農業への地図を描く」。

 

ごめん。 一回でまとめるつもりだったのだけど、

続きは明日。

 



2014年3月13日

農地除染から地域の再生へ-語り続ける伊藤俊彦

 

3月11日夕方、オーストラリアからやってきた

IFOAM (International Federation of Organic Agriculture Movements、

アイフォーム:国際有機農業運動連盟) 理事長、アンドレ・ロイ氏ご一行と

須賀川駅で合流。

夜は、ジェイラップ代表・伊藤俊彦さんが気を利かして手配してくれた

豆腐の懐石料理を楽しんでもらう。 

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過去何度か来日経験のあるロイ氏。

和食は大好きだそうで、昨日は納豆も食べたそうである。 

四国出身のワタクシが慣れるのに十数年かかったあの醗酵食品を!

 

昨年12月、「和食」 がユネスコの無形文化遺産に登録された

風土と人の技で磨き上げてきた絶妙なバランスと美、

しつらえとおもてなしの心が失われつつあると言われる中で、

世界の人々が注目し絶賛しているというのも皮肉な話である。

「日本人の心のやさしさは日本食にあるのではないか」

と語ったのはかのアインシュタインだが、

その精神世界を置き忘れ、日本人はどこに向かって突っ走っているのか。

・・・と偉そうにのたまわってみるが、

自分自身底が知れていることも充分承知している。

 

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食材をひとつひとつ確かめながら、

very good! を連発してくれるミスター・ロイ。

ああ、もっとちゃんと日本の伝統を解説できるようになりたい、

とつくづく思う。

お隣は、通訳も兼ねて同行された IFOAMジャパン 理事長の村山勝茂さん。

もちろん話は食に留まらず、有機農業の世界へと広がってゆく。

同行されたのは他に、オーガニック認証機関である

(株)アファス認証センターの渡邊義明さん、渡邊悠さん。

自然農法の団体 「秀明自然農法ネットワーク」 の手戸伸一理事長と、

福島県石川町の小豆畑(あずはた)守さん。

小豆畑さんは 「種採り百姓人」 を自称する自然農法実践者である。

ジェイラップの次の視察先になっている。

 

さて翌12日、一行は朝からジェイラップの事務所を訪問する。

伊藤さんたちが必死の思いで取り組んできた放射能対策についての

聞き取りと質疑が始まる。

このやり取りがまた、簡単に終わらないのである。 


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農地とくに水田での放射性物質の動きをひとつひとつ検証し、

データを蓄積させてきたこと。

そのデータを基に、さらにはチェルノブイリから学び、

研究者を尋ねては吸収しまくって、

米の安全性を確保するために取ってきた数々の対策。。。

伊藤さんが順を追って説明していくのだが、

節々でロイ氏からの質問が飛び出す。

村山さんが通訳し、伊藤さんが説明し、時々僕も割って入らせてもらったりしながら、

少しずつ少しずつ議論が深まっていく。


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専門用語も繰り出されたりするので、

村山さんも時々辞書を開いたりして、大変だ。 


伊藤さんとしてはもっともっと説明を掘り下げていきたかったことと思われる。

ロイ氏もまだまだ聞きたいことがある、といった面持ちなのだが、

何しろ午前中しか時間がない。

ひと通りのところで説明を切り上げ、施設を案内する。


米の全袋検査に使った測定器を見る。

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これは福島県の持ち物で、

ジェイラップは県からの委託で全袋検査に携わった。

ベルトコンベア式で 30㎏の米袋(玄米) が通過し、

国の基準値である 100Bqを超える可能性があると判断されたものは、

ゲルマニウム半導体検出器での精密な測定に回される。

厚生労働省が定めるスクリーニング法では、

基準値 100 未満であることを担保するためには、

その半分の 50Bq を正確に測定できる精度が必要とされている。

つまりこの機械で仮に 50 をわずかに超えるレベルで検出された場合は、

わずかではあれ 100 を超える可能性が残る、と判断するわけである。

そこで県の検査では 「25Bq 未満」 を測定基準として実施された。


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この検査器が県内 173カ所に計 202台配備され、

検査された昨年産米が 1081万 8127袋(× 30㎏≒32万4544トン)

うち 99.934 %の米が 25 Bq未満、

国の基準である 100Bqを超えたのは 28袋のみ、という結果である。

かかった費用は昨年で約 70億円 (一昨年は90億) とか。

これもまったくゲンパツ事故によって国民に課せられた負債である

自然再生エネルギーでは電気代が上がる、

なんて言ってる場合ではないと思うのだが。


続いてジェイラップの検査室を覗く。

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大地を守る会とカタログハウスさんが貸し出した

同じ型の測定器が仲良く並んでいる。

彼らはこの 2台を駆使して測定し続けた。

そして今でもデータ取りに余念がない。

「もう大丈夫」 の先まで続けないと、カンペキとは言えないのだ。


倉庫や加工場の屋根に設置された太陽光パネル。

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脱原発を宣言した県の一員として、

未来を創造する始まりの土地として、やれることはすべてやる。

そんな意思が、パネル一枚一枚に託されている。


農地再生のために導入した大型トラクター。

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これで反転耕(プラウ耕) をやって、

表面の凹凸を横回転ロータリーで踏圧、均平にして、

さらにロータリー耕で表層を固めて、レーザーレベラーで繰り返し均(なら) す。

これを地域全体で徹底させるために、

彼らは農閑期を返上して作業委託を請け負っている。

農地だけでない、これはコミュニティ再生の事業でもあるのだ。


最後に記念写真を。


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時間切れとなって、分かれる前にロイが言うのだ。

「今年の秋の世界大会で、ぜひ発表してほしい。」

日本での放射能対策を、特に福島の農民が報告することは、

とても意義のあることだと。

聞けば開催は10月、場所はトルコ・イスタンブールだと言う。

忙しい収穫時期にトルコまで、しかも渡航費の支援等はないと言う。

いくらなんでも福島の農民にトルコまで自費で行けとは、さすがに言えない。


もっと君たちと話がしたい。

大地を守る会についてももっと知りたいし、

今後の展開について意見交換したい。

そう言いながら、ロイ氏は次の視察先へと向かわれたのだった。

握手して、カッコよく 「イスタンブールで会おう」 とは言えず。




2014年2月20日

有機農業の明日を語る

 

さてと、レポートを急がなければ。

とりあえず書き出したものだけは、仕上げたい。

鮮度は落ちるけど、それぞれに大事な私の歩みなので。


1月24日(金)、

群馬県新年会の帰り、栗田さんご家族から頂いたトマトを抱いて、

霞ヶ関の参議院議員会館に向かった。

地下鉄丸の内線・国会議事堂前駅からの道路は、

秘密保護法案反対を叫ぶ人々でごった返していた。

差し出されるビラやチラシを受け取りながら歩く。

運動のリーダーか著名人だろうか、TVカメラが迫ってインタビューしている。

「他人事じゃないんですよ!」

と言わんばかりの目線の連なりにちょっと詫びを入れながら、

午後1時半、議員会館に入る。

 

「NPO法人 全国有機農業推進協議会」 主催

『有機農業の明日を語るつどい』。 集まったのは約 150人くらいか。


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「明日を語る」・・・

振り返れば2006 年、議員立法の形で 「有機農業推進法」 が成立し、

全国各地に有機農業推進協議会が設立されていった。

国が有機農業の拡大を後押しする時代に入ったわけだが、

しかしその協議会も、例の 「事業仕分け」 によってしぼんでしまった。

この間、マーケットは拡大したか。 

したとも言えるし、していないとも言えるような、伸び悩み感は否めない。

有機農業を目指して新規就農した人たちも、販路の確保に苦しんでいる、

というのが実情だろう。

そこには、栽培技術の不安定さや認証制度の仕組み・コストの問題などなど

あるのだろうが、問題の根本は生産環境を育てるための

構造的な推進体系が築かれてないことにある、と僕は思っている。

心身がアンバランスなまま大人への道を歩んでいるような・・・

そして我々流通サイドもまた、模索の中にある。


つかみ切れないジレンマを抱えながら、

国は 「有機農業推進基本方針」 の見直しをはじめ、

2014(平成26)年度には、有機JAS 認定農産物の生産量を 50%増加させる、

という政策目標を掲げた。

しかしそれがリアリティのある数値だとは、どうも感じ取れない。


さて、これからどう進むべきか。

ここで自由に意見を出し合おう、という場が用意されたワケなのだが、

いろいろと意見は出ても、散発な印象は拭えない。

「明日を語る」・・・ か。

僕らはずっと有機農業の未来を描きながら、

しかし未だ、そのロードマップを定められずにいる、ということを

このタイトルは物語っているように思えてくるのだった。


呼びかけ人の一人、埼玉県小川町の金子美登(よしのり) さんが、

小川町での有機農業の社会的広がりを、事例として提示された。


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それは素晴らしい成功事例なのだが、

続く事例が現れてこないのは何故なのだろう。

もっと掘り下げたい。


福島県二本松市から参加した菅野正寿さんも発言。

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有機農業運動を長く 「産消提携」(生産者と消費者の直接的結びつき)

の形でやってきたが、原発事故によって多くの消費者が離れてしまった。

いま私たちは、有機農業運動の質そのものを、もう一度見つめ直さなければならない。

そして、有機農業と原発は絶対に相容れないものであることを、

しっかりと宣言してもらいたい。 拍手


実は、主催者からの報告や呼びかけ人の基調発言のあと、

会場からの発言を~ となった際に、いきなりこんな質問が飛び出したのだった。

「 昨年、大地を守る会とローソンが事業提携した。

 これをどう理解すればいいのか、説明してほしい。」


司会を務めたのが、大地を守る会の来島(きたじま) 職員。

  - え~と、それについてはですねぇ、私は司会なのでちょっと、ハハ・・・

    ここに生産部長の戎谷が来てますので、戎谷から答えさせましょう、ハイ。

しょうがないので、立つしかない。

僕なりの背景分析から、率直に語らせていただいた。

根本的な要因は、人口減(&少子高齢化) が進んでいることではないか。

そして、消費者の健康を応援する、は社会の必須項目になってきていること。

一方で有機マーケットの閉塞感を突破したい、という意識が我々サイドに働いたこと、など。

これからどう進むかはまだ予断を許さないけれど、

有機農業を支え、推進するための大きな仕組み作りを目指したいと思っている。。。


マイクを握ったついでに提案を一本、させていただいた。

有機農業の価値というものを、ここで改めて棚卸ししてみる必要がある。

そして政策的につなぎ直してみてはどうか。

政策交渉の相手は、農水だけではなくなるだろう。 

環境省からも文科省からも経産省からも予算を引っ張り出させるような、

横断的な国づくりの方向が示せるのではないだろうか。


理解いただけたかどうか、どうも心許ない感じがしたので、

「これはお願いしているのではなく、私自身の宿題として自覚している」

つもりである、と納めさせていただいた。

だからローソンとの提携なんだ、とはさすがに言えなかったけれど、

いずれやることになるであろう実験のひとつなんだ、という思いはある。

明日に向かって、語るだけではない。 

無謀に走ったり、先陣切って仕掛けたり、そういう役割もまた

大地を守る会には課せられていると、僕は思っている。




2013年12月11日

桑の葉とオーガニック・コットン

 

11月21日(金)、

福島・岳温泉での 「第4回女性生産者会議」 を終えた一行は、

羽山園芸組合・武藤さんのリンゴ園でリンゴ狩りを楽しんだ後、

二本松市東和地区にある 「道の駅ふくしま東和 〔あぶくま館〕」 にて、

里山再生計画・災害復興プログラムの取り組みを

学ばせていただく。

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旧二本松市との合併に対し、ふるさと 「東和町」 の名を残そうと、

「ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会」 を発足させたのが2005年。

2009年には 「里山再生プロジェクト 5ヶ年計画」 を始動。

その途上で忌まわしい 3.11 に見舞われたものの、

気持ちを切らすことなく、災害復興プログラムへと思いを持続させてきた。

有機農業を土台として、

農地の再生、山林の再生、そして地域コミュニティの再生を謳い、

特産加工の開発、堆肥センターを拠点とした資源循環、

新規就農支援、交流促進事業、生きがい文化事業などを展開してきた。

やってくる若者たちも後を絶たない。

厳しい状況にあっても、たしかなつながりが実感できる、

そんな里山を創り上げてきたのだ。

 

里山の再生にひと役買ったのは、

自由化によって廃れた桑栽培の復興だった。

桑の葉っぱや実を使った健康食品を開発して、地域を元気づけた。

しかしそれも除染からやり直さなければならなくなった。

やけくそになっても仕方のない話だ。

そこで彼らを支えたものは何だったのか。

仲間と家族の存在? 先祖からの命のつながりを捨てられない思い?

危険だから逃げる・問題ないと思うから残る、ではないもう一つの道

「危険かもしれないけど、(未来のために) ここでたたかう」

を選んだ人たちの話。

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僕らは簡単に  " 支援 "  と言ったりするが、

逆境を大きな力で乗り越えようとする彼らの取り組みからは、

逆に学ぶことの方が多い。

むしろ叱咤されている、とすら思えてくる。

 

直営店で買い物して、重いお土産も頂いて、解散。

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道の駅で、郡山に帰る一行と別れ、

僕は福島有機倶楽部の小林美知さんの車に乗せてもらって、

いわきへと向かった。

そこで次に出迎えてくれたのは、

楚々としたオーガニック・コットンの綿毛だった。

 

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春に小林勝弥さん・美知さん夫妻を訪ねたときは、

やってみようかと思っている、というような記憶だったのだけど、

秋に開果したコットンボールに迎えられると、

種を播くという一歩の大切さと確実さに、目を見張らされる。

いやあ、みんな前を向いて歩いている。

 

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昨年から始まった、ふくしまオーガニックコットン・プロジェクト。

塩害に強い作物である綿を有機栽培で育て、製品化する。

綿の自給率 0 %の日本で、

福島から新しい農業と繊維産業を起こそうと意気盛んである。

 

栽培自体はそう難しくないようだが、問題はやはり雑草対策だ。

農作業は、JTBがボランティアのバスツアーを組んでやって来る。

小林さんの夏井ファームには、リピーターも多いらしい。

 

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春に苗を定植して、間引きをしながら草を取り続ける。

夏にはオクラのようなレモン色の花が咲く。

花はひと晩で落ち、コットンボールが姿を現す。

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やがて成熟してはじけると、中から綿毛が顔を出す。

これをつまみながら収穫する。

 

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綿毛の中には、種が育っている。

綿自体は、この作物が種を存続させるために編み出した戦略のようだ。

これを摘み取って利用したヒトは、さらに綿を効率よく得るために、

長い年月をかけて品種改良を繰り返してきた。

ワタは、ヒトに利用されながら自らを進化させた。

 

ただしあまりに軽いもので、

単位面積当たりの収穫量と引き取り金額(出荷価格) を聞くと、

とても経済的に合うシロモノではない。

「ハイ、もう趣味の世界ですね」 と美知さんも笑っている。

ふくしまオーガニックコットン・プロジェクトが製品化したTシャツも 3千円台で、

ちゃんと考えて理解しないと、さすがに手が出ない。

でもこれは逆に見れば、世間の綿製品が

いかに安い労働力で出来上がっているかを教えてくれる。

これは、考える素材である。

 

「儲けなんか考えたら、とてもできないです」

と美知さんは語る。

それでも作ってみようと思うのは、おそらく、未来を見たいのだ。

人と人が信頼でつながって、食や農業を、

生命を大切にする社会が来ることを、信じたいのだ。

 

訪問の本来の目的は、塩害対策だった。

勝弥さんの春菊畑に回る。

塩分濃度が高く、他の作物がなかなか植えられない。

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この少し塩っぱい春菊の出荷が終わったら、

冬の間に土壌改良を行なう。

有機JAS規格でも認められる資材を調べ、調達した。

これが効かなかったら、すべて私の責任である。

小林さん宅に予定通り到着していることを確かめ、

年が明けたら施用前の土壌分析から始めることを話し合い、

小林家を後にした。

 

ようやく家の建て直しが終わり、

「何とか前を向いて、やって行きます」

と笑う小林夫妻。

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東和もそうだけど、なんと強い人々なんだろう。

彼らは、たくさんの人たちの無念を、胸の中で引き受けている。

ここにも、教えられる福島の人がいる。

 



2013年8月22日

有機農業の普及支援における " 販路 " とは-

 

今日は、茨城県つくば市にある農林水産省の研修所 「つくば館」

まで出向いた。

各県の農業改良普及センターで環境保全型農業や有機農業の普及に携わる

指導員を対象に、4日間のプログラムで開かれた 

「有機農業普及支援研修」 。

ここで、「有機農産物の販路拡大について」 というテーマでの講義を

依頼されたのだ。

タイトルは変化しつつ、今年で3年目になる。

 

農業指導員を相手に何を偉そうな、と思われるかもしれないが、

官製の農業指導には有機農業のプログラムはない、

いや正確には 「なかった」。

その基本思想や技術の概論から始まり、実践者から学ぶ。

教えるのは、現場で闘ってきた者以外にいないのである。

現場研修先に選ばれるのは、だいたい埼玉県小川町の霜里農場・金子美登さんだ。

そして3日目の最後のあたりに入れられるのが、

有機農産物の流通事情と課題。

技術を農家に伝えても、それはどこにどうやって売るのか、と問われる。

実はそれだけ、まだマイナーな世界だということだ。

しかもここ数年、有機JAS認証を取得した有機農産物は、

けっして順調に伸びているとは言えない。

 

したがって僕の話も、バラ色の世界は描けない。

むしろ、なぜ有機農業なのか、どういう農業経営でやるのか、

についてしっかり考えないと、

販路というターゲットは見えてこない、という話になる。

 

有機農産物が法律上 「有機JASマーク付き農産物」 に限定されたことで、

その内容はわりと明確になって、

まがい物を排除する役割は果たしたと言えるが、

一方で有機農業を語る表現力は貧弱になったような気がする。

JASマークに頼らず (ただし栽培内容を正しく説明できる体制は必要である)、

" 私の有機農業は- "  を語れる農業者を育ててほしい。

地元の子供たちが  " それって面白い、素晴らしい、私もやるなら有機農業 " 

と感じ取ってもらえるような農業を。

だって有機農業は、その地の環境を守り、資源やお金の地域循環を促し、

未来の地域社会を支えるもののはずだから。

大地を守る会やらでぃっしゅぼーやさんやオイシックスさんに営業に行く前に、

大事な地域は足元にあり、

食べてほしい人は目の前にいるんじゃないのか。

 

逃げを打ったわけでもなく、煙に巻いたわけでもなく、

有機農業に関わった30年余の経験から学んだ、僕なりの有機農業論を

語らせてもらった。

流通現場にだって哲学は存在するのだ。

キモのところだけでも受け止めてくれたなら、幸いである。

 



2012年12月18日

有機農業学会・第13回大会

 

昨日、 「僕の一票は死に票になったかもしれないけど・・・」

と書いてしまった自分を、少し恥じている。

大地を守る会代表・藤田がツイッター でつぶやいた言葉に諭された。

「 私が投票した人は当選しないかもしれない。

 しかし~ これは種まきなのだ。 私は結果に失望することはない。」

 

そうだよね。 希望を語りたかったんだから、

「この一票は断じて死んではいない!」 と言い切るべきだったか。

今日の報道では、自民党の得票数自体はけっして伸びてないとか。

バランスを欠いているのは制度であって、人心に失望してはいけない。

 

投票に行かなかった息子に向かって、

「オレはお前たちの明日のために投票してるんだ!」

と叱ったオヤジの話を聞いた。 「情けねぇ」 と。

しかし、怒るだけでなく、大事なものをどのように伝えるか、

もっと自分たちを鍛えなければならないということだ。

歩みを止めず、しっかり前に向かって進んでゆきたい。

 

さてと・・・積もる話がいろいろとあるんだけど、とりあえずここから。

選挙を一週間後に控えた12月8日(土) と 9日(日)、

東京・府中にある東京農工大学で開かれた 「日本有機農業学会」 の大会に参加した。

研究者でもないのに、僕はこの学会の設立(2000年) 当初からの会員である。

 

有機農業は、農薬や化学肥料に依存した近代農業に対する

批判や反省をもとに広がってきたものだが、

栽培技術においては実に多様な考え方や理論(あるいは世界観)

によって営まれ、進化してきた。 今もそうだ。

しかしその多様性ゆえに、

また微生物を含めた生態系との相関関係が複雑極まりない世界であるがゆえに、

この世界はまだまだ科学的に未解明な部分が多い。

 

有機農業を、高付加価値農業とか、特殊な生産様式に終わらせることなく、

社会のスタンダードにするためには、

もっともっと総合科学的な研究が必要である。

そんなものは不要だ、という方もいるが、

有機農業をあたり前のものにしたいと願う者としては、

やっぱり一定の普遍性は必須だと思うのである。

生産と消費を 「健康」 でしっかりつなげるためにも。

ここで 「有機農業学」 を進化させてくれる研究者の集まりができたのなら

会費くらいは払って応援しよう、 

いつまで続くか分からない貧しい学会のようだし・・・ 

そんな思いで参加してきた。

 

去年 は北海道大学で開催され、

場違いながら放射能対策についての発表をさせられたのだが、

今年は気楽な見物客気分で、国立大学の門をくぐる。

 

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( 創設者は大久保利通。

 東京帝国大学から独立した際のいわくもあるらしい、歴史ある大学。) 

 


今回の全体セッションは3構成。

全体セッション1 : 有機農業推進法成立からの6年を振り返る

全体セッション2 : 有機農業現場における新技術利用の可能性

                          - 農業現場と研究機関のコラボレーション -

全体セッション3 : 耕す市民を育てる現場から

 

1 はどうも学者というより運動家の論を聞かされているような気分だったが、

2 では、有機農業の現場としっかり組んで技術的な発展に貢献しよう

という姿勢が汲み取れた。

 

一番面白かったのは、東京農工大大学院・藤井義晴教授が発表した

「アレロパシーを利用した有機農業、特にヘアリーベッチの利用について」。

ヘアリーベッチはマメ科の牧草で、

そのアレロパシー(多感作用、他の植物の生長や動物の侵入を防いだりする効果)

の物質はシアナミドであることをつきとめた。

シアナミドとは化学肥料である石灰窒素の有効成分であるが、

天然の植物が合成してくれるということは、

これで雑草や病害虫の発生を抑制し、かつ地力も上げることができる。

初夏に咲く花はミツバチの蜜源にもなる。

自然に枯れて敷きワラ状になることでカバークロップとしても利用できる。

「これは現場で使えそうだ。 生産者にも伝えよう」

と思えるような研究発表に出会えることが、楽しい。

 

3  は東京での開催を意識してのセッション。

都市住民に農への関心を呼び覚ますために様々な仕掛けをしている

都市農家やレストランの若い経営者が登場して、思いを語り合う。

 

その他に個別調査や研究報告が24。 

会場も分かれるので聴けたのは半分弱だったが、

まだまだ調査・研究の途上らしきものが多く、

先輩先生からの問題点の指摘やアドバイスを後ろから聞いたりしながら

その研究意義などを理解させていただく。

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原発事故以降、あちこちで出会い、親しくさせていただくことになった

新潟大学・野中昌法さんも、二本松での調査経過を報告。

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1mおきに測定データを取っていくという相当に詳密な線量マップを作り、

生産者と対策を話し合ってきた。

この1年半で見えたことは、土の力と、

手を打ったところには成果がついてくる、ということだ。

 

個別発表の紹介は割愛するが、

こうやって有機の力や課題が 「見える化」 され、

新しい発見が現場で活かされ、成果が蓄積されてゆくことで、

有機農業の世界が豊かになっていくことを信じたい。

 

こんなことも考える。

たとえば、福島の生産者たちが必死で取り組んできた放射能対策は、

今や400を超える原発が存在してしまっているこの地球で、

人々を救う技術として、ちゃんと残しておくべき 「成果」 だろう。

これは研究者たちのバックアップがないとできないことだ。

(使うことがあってはならないものだけど、原発事故はいつ・どこで起きるか

 分からないものだから、備えはなければならない。)

いざという時に、しっかりと応援できる国でありたいし、

同様の意味で、日本は廃炉技術の先進国にならなければならない、今すぐから。

 

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二日目の朝には、学会の総会があって、

こちらは運営に関する会議なので自分には関係ないと思っていたのだが、

なんと前日の夕方に、議長を頼まれてしまった。

いつも厳しいご批判を頂戴する沢登早苗会長(恵泉女学園大学教授) から

頭を下げられたのは、初めての経験。

ま、つつがなく運営はできたと思うけど、

去年と言い、今年と言い、この学会には調子よく使われている感がある。

 

ま、ワタクシなんぞでよければ、それくらいはお手伝いしましょう。

諸君らには、しっかり有機農業の発展に尽くしてもらいたい!

なんたって、この国の、いや世界の未来がかかっているんだから。

 



2012年9月20日

有機農産物はニーズではなくて、未来を育てる食

 

今日は茨城県つくば市にある農林水産省の施設

「農林水産研修所つくば館」 まで出かけて、久しぶりに有機農業の話をしてきた。

農水省が実施している 「農政課題解決研修」 の一環とやらで、

全国の農業改良普及センターの普及員を対象とした

4日間の 「有機農業普及支援研修」 プログラムの一枠での講義を依頼されたのだ。

与えられたテーマは 「有機農産物の消費者ニーズとソーシャルビジネスの展開」。

実は 昨年 も同様のテーマでお話ししたもので、

もう依頼は来ないだろうと思っていたら、「今年もぜひ」 との要請を受けた。

去年の話がどんな評価を受けたのかは分からないけど、

どうやら  " 講師選定のミス "  という判定にはならなかったようである。

 


そもそも有機農産物を  " 消費者ニーズ "  という視点で捉えると本質が見えなくなる。

食品に対するニーズは多種にわたる。 価格・味・規格・鮮度・・・

有機農産物のそれは 「安全性」 ということになるのだろうが、

考えるべきことは、その要求の根底にある 「安全性への不安」 に対して、

生産現場に関わる立場としてどう応えるか、である。

「農薬は安全です」 と説得にかかるか、

「農薬を使わず (あるいは、できるだけ減らして)、安全性だけでなく、

 環境汚染や生態系とのバランスも意識しながら育てる」 かで、

消費(者) との関係の結び方は決定的に変わる。

 

去年のブログにも書いていることだが、

大地を守る会は、消費者ニーズを感じ取ったからこの事業を始めたわけではない。

有機農産物の普及・拡大によって、食の安全=人々の健康、そして地球の健康を、

将来世代のために保証する社会を作りたくて始めたのだ。

それは必然的に生産と消費の関係を問い直す作業でもあり、

ソーシャルビジネスという概念は後から追っかけてきたものでしかない。

これは僕らにとってミッション (使命) そのものである。

 

" 次の社会 "  の答えは、「有機農業」 的社会しかないだろう。

特に3.11後、強くそう思う。

食 ・ 環境 ・ エネルギー・・・ 領域を越えてビジョンをつなげ、

次の社会の姿を示すことが、今まさに求められている。

有機JASマークは、生産者の努力と行為を証明するものではある。

しかしそのマークでブランド競争ができるものではない。

マークの裏にある 「誇り」 を、価格よりも 「価値」 を、伝えられる有機農業を

育成することが皆さんのミッションではないでしょうか。

 

気持ちはあるのだが、さてどこから手をつけたらいいのか・・・

という悩みが、参加された方から出された。

便利な手法や近道は、ないように思う。 僕には見つけられない。

「まずは地元の発掘から始めてはどうか」 とお伝えした。

生産者がいて、販路に苦しんでいるなら、地元の学校給食に提案してみては。

母親たちに 「価値」 が認められたなら、次の道が見えてくる。

・・・・・ま、言うだけならなんぼでも言える。

いざやるとなると、それはそれはしんどい作業になるかもしれない。

でも誰かのために苦労を背負ってみる、それはチャレンジする価値のあることだと思う。

人と社会のイイつながりを創り出せたなら、それは自分にしか味わえない喜びにもなるし。

 

僕にとって今日の話は、農水省の 「地域食文化活用マニュアル」 検討会にも

しっかりとつながっている。

委員を引き受けた本意というか、腹の底に潜ませている期待は、

「地域を育てる食」 はきっと 「有機農業」 的世界につながっている、という予感である。

その発見と発展にわずかでも貢献できたなら、喜びだよね。

 

検討会では、地域食文化による地域活性化を形にした事例調査をやることになって、

僕は岩手県山形村(現・久慈市山形町、我らが短角牛の郷) と、

島根県隠岐郡海士町を推薦させていただいた。

候補地は事務局や他の委員からも多数出され、

嬉しいことに山形村が  " 深掘りすべき事例 "  のひとつとして採用された。

 

久しぶりに山形村に行ける立派な理由をこしらえることができた。

ついにこのブログでも、山形村を紹介する日がやってくる。 

待ってろよ、牛たち。

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2012年9月 2日

有機の種は増やせられるのか-

 

気を取り直して、

8月24日の報告を記しておかなければ。

 

アイフォーム (IFOAM/国際有機農業運動連盟)・ジャパンのセミナー。

永田町の憲政記念館にて。

テーマは、有機種苗をどう広めるか。

一見地味な話のようで、とても重要な課題なのである。

 

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有機農業の基本精神に則れば、

種や苗そのものが有機栽培されたものであることが望ましい。

法律である有機JAS規格においても、それは規定されている。

ただし、「有機栽培された種の入手が困難なときは」、

やむを得ないものとして一般栽培の種を使うことも許容される。

現状は・・・・・今の有機農産物のほとんどは

「やむを得ない」 状況になってしまっている。

しかしこれが、なかなかに高いハードルなのである。

 


 

基調講演は、市民バイオテクノロジー情報室代表・天笠啓祐さんによる

「種子メーカーの世界戦略」。

 

いまスーパーやホームセンターで売られている種のほとんどは

海外で生産されている。

京野菜の種子はニュージーランド産、大根は米国産、という具合。

日本独自の野菜と思われているものでも、

種の生産は海外に頼っているのが現状なのだ。

 

理由の一つは、種子の生産では、その品種の形質を守るために、

他の品種の花粉が飛んで来ない場所が求められること。

それを種子会社にとって必要な量を安定的に (+低価格で) 確保するためには、

条件の合う一定の面積を確保もしくは農家と契約することが必要となり、

必然的に海外に生産基地を求めるようになる。

 

このウラには、企業による種子生産が主流になったという構造的変化がある。

種を自身で採る農家はすでに稀少な存在になってしまった。

この変化を牽引してきたのが、F1(雑種一代) と言われる品種開発である。

病気に強いとか、収量が多いとか、味の特徴とか、

それぞれの特徴を持った親同士を掛け合わせると、

一代目の子は両親の強い特質を受け継いだ形で現われる。

しかしその品種で種を採った場合、孫以降は形質がバラけてくる。

このメンデルの法則を利用して、

企業は優れた品種をもたらしてくれる親をしっかり確保して、

掛け合わせ続けることで、ある優位性を持った品種を独占することができる。

これによって農家は毎年企業から種を買うようになっていった。

 

その上に、企業の多国籍化と寡占化 (大手企業による種子会社の買収等)

が進んできたのが今日の様相であり、

GM(遺伝子組み換え)作物が開発されるに至って、

その種子は 「特許品」 となり、独占がさらに進むこととなる。

現在すでに、世界の種子の半分近くが

米国・モンサント社、米国・デュポン社、スイス・シンジェンタ社の

GM種子開発企業3社によって占められるまでになった。

 

タネとは、生命の土台である。

そのタネがわずかの多国籍企業に独占されるという状況は、極めて危険なことだ。

しかしこの状況をもって、農家を責めるわけにはいかない。

土地土地の気候風土に適応し、農家が種採り更新していくことで

種の多様性が維持され、暮らしの安定を支えてきた筈なのだが、

今では農家の経営も市場の価値観に縛られているのである。

花を咲かせ、種を育てる時間的・空間的余裕も失われてきている。

 

かつてあった世界を取り戻す可能性があるとしたら、

それは有機農業が引っ張るしかない。

とはいえ、このハードルは高い。

 

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パネルディスカッションでは、

一貫して自家採種を続けてきた千葉県佐倉市の有機農家・林重孝さんや、

自然農法国際研究開発センター(長野県松本市) の品種育成の取り組み、

自家採種できる伝統品種を守ろうとしている野口勲さん(埼玉県飯能市・野口種苗研究所)

からの問題提起などが語られた。

司会は、大地を守る会の取締役であり、

埼玉県秩父市で有機農業を実践する長谷川満が務めた。

 

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今回の特徴は、「サカタのタネ」 と 「タキイ種苗」 という日本の2大種苗会社が

パネリストとして参加したことか。

両社は世界のトップ・テンに名を連ねる種子企業である。

種子生産は海外に依存しているが、

天笠さんはこの2社にも、GM作物に対抗するポジションにある存在として

エールを送ることを忘れないのだった。

 

GM作物も、殺虫成分に対する耐性を持った虫が現われるなど、

生物の生き残り戦略とのイタチごっこの世界に入っている。

除草剤耐性を持った大豆というのは、

モンサント社のラウンドアップをかけても枯れないということだが、

それはラウンドアップという除草剤の使用を前提とするもので、

単一の薬剤に依存しては、いずれ雑草に乗り越えられる。

GM作物の開発は、すでに8種類の遺伝子を組み込むまでに進化(?)

してきている。 いや、せざるを得なくなっている。

どんどんスピードアップする開発コストを回収するには、

モンサント・ポリスと言われる調査員を駆使して、

勝手に種を採って播いた農家だけでなく、

自然に花粉交配した畑の持ち主まで、特許侵害として訴える。

これはもはやファシズムと言わざるを得ない。

 

幸い日本では、まだGM作物は商業栽培まで至っていない。

スーパーで売られているお豆腐などに 「有機大豆使用」 と謳われたものがあるけど、

それらの多くは外国産のオーガニック大豆が原料として使用されている。

しかし僕としては、海外産オーガニックより、「国産大豆」 を選択することをお願いしたい。

食材の選択は、投票と同じ行為なのです。

願わくば、大地を守る会で地方品種や自家採種野菜をライン・アップさせた

とくたろうさん」 にもご支援を。

 

さて、セミナー終了後、懇親会に誘われたのだが、

この日の夜は以前から高校時代の仲間と飲む約束をしてあって、

辞退して引き上げた。

地下鉄に向かう途中、毎週金曜日の恒例となった

首相官邸前デモに集まってくる人たちに遭遇する。 

警備もバッチリ?

 

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(交差点の向こうにあるのが首相官邸。)

 

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僕は 「地下鉄に乗る」 と言っているのに、なぜかお巡りさんがついて来る。 

問い質せば、「いえ、駅もいろいろ分かれてまして、間違えないかと思って・・・」 と、

実に優しいのだった。

地下鉄に乗って、ハタと気づいた。

僕はこの日、ゲバラ (キューバの革命家) のTシャツを着ていたのだった。

 



2011年12月20日

大豆・ひまわり・菜の花プロジェクト

 

さて、改めて

栃木県上三川町・「民間稲作研究所」 の稲葉光圀さんが取り組んできた

「大豆・ひまわり・菜の花プロジェクト」 の報告を。

 

稲葉さんが完成させた有機栽培による米・麦・大豆の輪作体系については

過去にも紹介しているので、こちらをご参照願いたい。

 2009年1月29日  2010年6月10日

大地を守る会では、麦の利用先をつなげることで、ささやかながらこの循環に協力してきた。

現在、稲葉さんたちの有機小麦は

香川県小豆島の 「ヤマヒサ」 さんという醤油屋さんが使ってくれている。

 

しかし放射能は、有機だからと配慮してくれるわけではなく、

あの時紹介した、稲葉さん自慢の貴重な有機による米の種モミ生産ほ場にも

約1,000ベクレルのセシウムが降ってしまった。

 

しかしそれを乗り越える根性を持っているのが有機農業者たちでもある。

稲葉さんは、除染作物としてナタネとヒマワリを選択し、それを輪作の中に組み込んだのだ。

 


稲葉さんが南相馬市で実施したヒマワリでの除染効果試験では、

ヒマワリ一本で約500ベクレルのセシウムを回収した。

周りの土壌濃度が4,090ベクレルで、これと比較すれば0.123の移行率となる。

ヒマワリ栽培跡地の濃度は2,590ベクレル。

 

もともとのカリウム吸収力からみて、ヒマワリに高い除染効果はないと判断していたものの、

この結果は稲葉さんをかなり勇気づけたようだ。

ところが、稲葉さんが発表した直後に、農水省は飯館村での実験結果により

「ヒマワリには除染効果なし」 と発表した。

農水省他7つの独立行政法人と11大学、6県の農業試験場、1財団法人、3民間企業が

協力して実施した試験での移行率は、0.0067と出た。

 

この違いはヒマワリの採取日にある - と稲葉さんは主張する。

稲葉さんの試験では8月29日の成熟期に刈り取ったのに対して、

農水の試験では8月5日、つまり開花期の言わば 「青刈り」 である。

「これじゃあ、やっても意味がない。 市民レベルの研究を抑える腹なんじゃないか」

と稲葉さんは憤っている。

 

もともとのねらいが、単純な除染目的ではない。

ナタネや大豆も組み合わせて、長い年月をかけて除染を続けながら、

かつ食用作物への吸収を抑える。

ヒマワリやナタネはちゃんと実を熟させて、油を絞って収入源をひとつ確保する。

大豆油も菜種油も圧搾法で絞ることでトランス脂肪酸を含まない油が手に入る。

油にはセシウムは移行しないことが分かっている。

油脂類の自給率向上にも寄与できる。

搾油後の残渣はメタン発酵させ、消化液からセシウムを回収し、残りは有機液肥にする。

メタン・ガスは各種の燃料として利用する。

食用に用いた植物油の回収ができれば、廃油を精製してディーゼル発電機や

トラクター・コンバインの燃料にも活用できる。

 

循環のなかでの食料&エネルギー創造と 「放射能封じ込め」 の体系づくりへの挑戦。

僕らはやっぱ、こういう人たちに救われることになるのだろう。

各作物の活かし方は、たくさんの試験を蓄積させながら議論してゆけばいい。

 

稲葉さんの熱い報告の後は、

パネルディスカッションや質疑応答などが翌日11時まで繰り広げられた。

二日目の、農水省生産局の方からの報告-「有機農業の今日的課題と展望」 については、

申し訳ないが、ほとんど記憶に残らなかった。

 

集会終了後、オプションで企画された民間稲作研究所見学に参加する。

作付けされたナタネの畑。

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完成した搾油所 (写真手前の建物)。

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初めて来たときには更地だったところに、

技術支援センター、パン工房、搾油工場と、来るたびに建物が増え、人が集まり、

稲葉さんの言う 「エネルギー創造型有機農場」 が形作られてゆく。

 

これが中の装置類。

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この日は、有機農業推進フェアと称しての交流イベントが行なわれていて、

有機農産物の直売コーナーや地ビールの販売テントが並び、餅がつかれ、

手打ち蕎麦、トン汁、パン工房で焼いたピザなどが参加者に振る舞われた。

 

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こちらも地域でナタネを栽培し、搾油まで計画している

庄内協同ファームの菅原孝明さん(左) と、熱心な意見交換をする稲葉さん。

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福島県・二本松有機農業研究会の大内信一さんの姿も見られた。

彼らは本当に研鑽を欠かさない。

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「いや~、大地さんの今年のキュウリの注文には助けられた」

と言われたのには、こっちが感激しちゃった。

「 来年の早いうちに福島の生産者で集まって、今年の成果と課題を共有して、

 次につなげていきましょう。」

「そうだね、そうすべ。 頼むよ、大地さん。」

 

解散前に、会議室で最後の確認会。 

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完成した油を手にする稲葉さん。

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稲葉光圀試算。

ひまわり油 - 300 cc ・ 800円。

いかがでしょうか。

 

やあ、お久しぶり。  元気そうで、よかった。 

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ただ・・・君たちは、草食うからなぁ。 何が起きたかも分からずに。 

昨今は素直な動物を見るのが切ない。

腹の中で謝るしかない。 ごめん、本当に。

 



2011年12月19日

地域に広がる有機農業 関東集会

 

12月17日(土)、

野田首相が 「原発事故収束を宣言」 したという記事を読みながら、

栃木・那須塩原に向かう。

本来の 「冷温停止」 ではない 「冷温停止状態」 で 「事故収束」 とは・・・・

炉内の状態も分からず、

今も6千万ベクレル/時の放射性物質が放出されているというのに。

危険な政治的判断というしかない。

「事故収束」・・・ この言葉が意図して選ばれたのなら、

何か重大なものがひとつ、切り捨てられたような気がしてならない。

 

那須塩原で開かれたのは、

『 地域に広がる有機農業 関東集会

 消費者・生産者が共に創る有機農業  - 震災・放射能汚染を乗り越えて 』

という集まり。 一泊二日で催された。

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記念講演に呼ばれたのは、前福島県知事・佐藤栄佐久さん。

「たたかう知事」 と言われ、政府の原発政策にも対立姿勢を見せ続けた方だ。

" 収賄額ゼロの収賄罪 "  という不思議な罪で知事を追われた。

 

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有機農業の推進も強く進め、福島は有機農業の先進県と言われるまでになった。

国に臆することなくモノを言い、たたかってきた思いが、発言の端々に感じられる。

特に佐藤さんが強調したのは、

2006年5月に、ストラスブール欧州地方自治体会議に出席して、

チェルノブイリ20周年を記念して採択された 「スラヴィティチ宣言」 の5原則だった。

政府と地方自治体の役割を示し、

「地域住民の連帯」 と 「透明性と情報」 を謳ったこの原則を、覚えておいてほしいと。

 

3.地域住民の連帯

チェルノブイリの惨事が白日の下にさらしたのは、

核の事故が地方・国・世界の地域の境界にとどまらないという現実である。

原子力の安全は国の政治・行政上の制限によって縛られてはならない。

国の縛りを越えて関係諸地域すべてをイコールパートナーとする

真の地域住民の団結と越境的協力体制が必要である。

 

4.透明性と情報

広範で継続的な情報アクセスが確立されなければならない。

国際機関、各国政府、原子力事業者、発電所長は、偽りのない詳細な情報を

隣接地域とその周辺、国際社会に対して提供する義務を有する。

この義務は平時においても緊急時においても変わることはない。

 

「 『緊急時においても』 ですよ、皆さん。 私はこれを強く国に主張したいです。」

辞任後から3.11、そしてその後の福島の惨状は、

佐藤さんにとって 「悔しい」 などというレベルではないだろう。

でも今や彼方此方から講演に呼ばれるようになってきて、

ここで再度、出番が来たようです。 頑張っていただけたら、と思う。

 

続いての基調講演では、

栃木県上三川町・「民間稲作研究所」 の稲葉光圀さんが取り組んできた

「大豆・ひまわり・菜の花プロジェクト」 の報告。

 

この話は・・・ 少々ややこしいので、すみません、次回に。

栃木から福島・ジェイラップを回って帰ってきたところで、ちょっと頭を冷やしたいし。

 


 



2011年12月14日

ゼロ・ベクレルを目指して -続き-

 

放射能に関しては、食べものの安全性を保証する閾値はない。

これが大地を守る会の、また基準を検討する 「共同テーブル」 の前提である。

であるならば、「(余計な人工放射能は) ゼロを目指そう」。

これを生産者と消費者の、いやすべての人の共通認識にしたい。

不可能だから無理、ではなくて 「目指す」 努力を続けることで道ができる。

「元を絶つしかない」 を共通の土台に据えて。

 

生産者には、「基準値未満なんだから食べてくれ」 ではなく、

ゼロを目指す姿勢を示し、そのプログラムを持つことが大事である。

「食べる人」 を守るべき 「作る側の責任」 を放棄しない、と言おう。

それが 「美しい国土を取り戻す」 のは誰の手によるのか、のメッセージになる。

「この船に乗らずしてどこへ行く」 くらいの台詞を言い放ってみようじゃないか。

 

そして、有機農業から脱原発社会のビジョンづくりへと進みたい。

これが質問を受けたふたつめの視点 - 『有機農業が創出するイノベーション』 だ。

有機農業が貢献する資源循環機能や環境・生物多様性保全機能は、

放射能対策にも有効であることが証明されつつある。

たとえば、土壌の団粒構造、腐植、菌根菌や微生物の力。

有機農業学会では、除草剤散布は菌根菌の発達を阻害することが分かっている、

という研究者にも会った。

僕らが見ているのはけっしてゼオライトだけじゃない。

 

有機農業の 「総合力」 を解き明かしたい。

その力には農業と一次産業が潜在的に持っているエネルギー生産力も含まれる。

 

20年以上も前に 「水田は地球を救う」 と説いた方がいた。

なんと通産省のお役人だった(本田幸雄さんという方で、一度講師に呼んだことがある)。

エネルギー危機と食糧危機は必ずやってくる。

減反などという愚かな政策はやめて、日本人の高度な生産技術と手段(農地) を使って、

食糧備蓄とともに、エネルギー (バイオエタノール) を生産すべきだと。

この主張はしかし、当時はほとんど相手にされなかった。

 

今こそ農業(一次産業) の持っている多様な生産力を花開かせたい。

有機農業が未来を築く! と宣言しようではないか。

そこから新しい仕事も生まれるはずだ。

「若者よ、来たれ!」と発信できる日をたぐり寄せたい。

 


そして消費者には、連なってほしい。

安全な食生産の回復と、安心して暮らせる社会づくりを同時に目指す

「この道のりを食べる」 ことで。

 

あんたは生産者よりだ、とよく言われる。

言われるたびに、そんなこたあない、と反論する。

消費者を、子どもたちの未来を、しっかりと守れる生産者を育てていくこと、

これがどうして生産者よりなんだろうか。

ただそのプロセスにも付き合ってくれないと道が開けない、と訴えているだけなのに。

 

放射能は拡散し循環し始めている。

今も大気や水系への汚染は続いている。

ゼロを達成することは困難なことだと思う。

そもそも放射能汚染はフクシマで始まったわけではない。

チェルノブイリ原発事故が起きた25年前、

セシウムの大気中濃度は通常の4500倍に上昇した。

日本人の平均放射能量は50ベクレルまで上がったと言われている。

さらに遡れば、大気圏核実験が盛んに行なわれていた時代、

日本人成人男子の放射性セシウムの量は730ベクレルにまで達していた

というデータもある(1964年10月)。

 

それでも皆フツーに生きていた、という論で終わらせる人たちがいて、

この数字を出すのは少々ためらうのだけれど

(ガンの増加との因果関係は証明できないし)、

とはいえこの事実とゼロを求めることの困難さは知っておいてもらいたいし、

数字に冷静に向き合う意識は持っておきたいと思う。

その上で、だからこそ、もうこれ以上はゴメンだといいたい。

  " ゼロを目指そう "  とみんなで叫びたい。 

いま元を断たないと、未来はひたすら暗いと思わざるを得ないのだ。

農から進撃したい。

脱原発と (技術とシステムの)イノベーションをセットにして。

 



2011年12月11日

有機農業で希望のシナリオを-

 

北国の冬はホンマに天気の変化が激しい。

夕べから降り出した雪が朝になってさらに激しくなったかと思えば、

お昼前には青空が見え始めた。

灰色の世界に、一気に光が射してくる。

これが夕方にはまた灰色の空に変わっているのだ。

 

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雪に翻弄される暮らしが4~5ヵ月も続いて、

春になれば南国人の感覚だと3か月分相当の花が一斉に咲き乱れ始める。

気候風土はきっとそれぞれの色で人々の精神性を育て、

その土地の文化を形成するのだろう。

この島国の人たちは包容力と忍耐をもって自然に対応し、

何というかマンダラ的な調和をはかる感性があるように思う。

善良かつ気まじめに異文化を受容しながら、作り変えてゆくしたたかさも秘めて。

 

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クラークさんの前をおばちゃんが通り過ぎてる・・・

僕はやっぱりこの国が好きだな。

 

地域や仲間を守る際の自治意識とまとまりの強さは世界が認めるところだ。

この国の統治は、中央集権に見せかけながら

しなやかに地域の知恵や主体性を活用するのがいいんじゃないか。

3.11以降、その思いはますます強くなった気がする。

 

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学園の樹々に鳥たちが平和に巣をつくっている。

その下を忙しなく歩き回る人々。 なぜか微笑んでしまう。

 

校舎に入れば、二日目は個別の研究発表会。

ふたつの教室に分かれて、各種の調査・研究報告が20分間隔で組まれている。

5分刻みで鈴が鳴り、みんな時間をきっちりと守ってプレゼンが展開されてゆく。

院生に発表させるケースも多くあった。 教授が生徒の側に座って聞いていたりする。

学会とはトレーニングの場でもあるんだね。

 


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発表された調査・研究成果の数は27。

「合鴨農法における野生鳥獣害の現状」 とか、

「植物共生微生物相の解析による有機栽培作物の特性評価の試み」、

「不耕起・草生栽培における物質循環・養分動態の解明」

といった具合に、20分刻みで発表が進められる。

 

僕が注目していた発表のひとつが、

「原発事故による放射性汚染農地対策にゼオライトは有効か?」。

発表者は東京農業大学応用生物科学部の女子学生。

師匠は、大地を守る会の生産者会議に何度かお呼びした後藤逸男教授。

僕も研究室に一度お邪魔したことがある。

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さすがに学者なので、結論は軽々に出さないが、

ゼオライトには 「可能性がある」 との明確なメッセージが出されていた。 

火山の多い日本に潤沢に存在する鉱物資源であることも有り難い。

 

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別な教室では、ポスターによる発表が12例、掲示されていた。

 

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やや雑駁というか、まだ手探りだね、という内容のものもあったが、

こういう積み重ねが有機農業の奥行きを深めていってくれるはずだ。

有機農業の研究に予算がつくようになって、

いろんな視点での研究が広がってきている。 

ひとつひとつ、生産現場で実証されてゆく日が来ることを願う。

 

さて、一日目の報告をひとつ追加しておきたい。

全体セッションの 2 は 『北海道における有機農業の多様な展開』

と題して行なわれた。 

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発表者に、石狩市(旧厚田村) の長良幸さん(写真右から二人目)、

当麻町・当麻グリーンライフの瀬川守さん(左から二人目)、

北海道有機農業協同組合代表の小路健男さん(左端)と、

大地を守る会の生産者の方々が顔を並べていた。

それぞれに辿ってきた道のりと現在の課題を語る。

コーディネーター(右端)は、農業活性化研究所・菊地治己さん。

7月に旭川で開催した 米の生産者会議 で講演をお願いした方だ。

 

「今年はどうだったですか?」

「今年も、ダメ、ダメ!」 と長さん。 

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そう言いながらも、しっかり息子も継いだようだし、

有機農業塾も始めて地産地消の拠点づくりに頑張っている。 

 

全体セッション 3 - 『日本国内における有機畜産の可能性と課題』 がまた

大変に面白かったのだが、いずれ機会があれば報告したい。

 

中島紀一さん(茨城大学) が語っていた。

地域経済の循環は、農の営みを継続することによって取り戻すことができる。

耕作の努力によって、その地域で安心して暮らせる体制の再構築も可能となる。

地球的破滅の方向でなく、未来に向かって希望のシナリオを描くこと、

それが有機農業の役割だ。

 

生産者を支え、励まし、希望と勇気を与えてくれる学問であってほしい。

お願いします。

 



2011年12月10日

日本有機農業学会・大会-「有機農業と原発は共存できない」

 

Boys,be ambitious! 

少年よ、大地を、じゃなかった、大志を抱け!

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北海道に来ています。

夕べのうちに札幌に入り、今日は朝から北海道大学に。

子どもの頃、大志を抱かないといけないんだ~、という脅迫観念を抱かせてくれた恩師、

ウィリアム・スミス・クラーク博士にいちおう仁義を切って、

敷居の高い場所に足を踏み入れる。

「すみません。 ワタクシの大志は、今も迷いのなかにあります。」

 

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北海道大学農学部。

ここで 「第12回 日本有機農業学会 大会」 が二日間にわたって開催され、

参加することになった。

 

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なんでエビが 「学会」 なんてお堅い場に?

そうなのよね。 およそそんな世界には無縁だったのだけど、

この大会の全体セッションの一つで発表を求められたのである。

放射能のせいで。

 

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集まったのは、全国の大学や研究機関から、

各分野で有機農業を研究対象とする先生や学生たち、150人くらいだろうか。

道内の生産者の顔もチラホラ見られた。

 


開会の挨拶などがあった後、

全体セッション1。

テーマは 『 東日本大震災・原発災害に有機農業は何を提起できるか 』。

 

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コーディネーターは、谷口吉光さん(秋田県立大学) と古沢広祐さん(國學院大學)。

このお二人とも古い付き合いになった。

古沢さんから4つの論点が示される。

第1に、有機農業の視点から原発をどうとらえるか。

第2に、食品における 「放射能リスク」 にどう対応するべきなのか。

第3に、放射能低減という課題に、どう貢献してゆくか。

第4に、地域と農業の復興をどう進めるか。

 

発表者は4名。

日本大学生物資源科学部・高橋巌さんは、原発事故を国家的犯罪と断罪する。

どうあがいても人間は自然の摂理と 「循環」 から逃れて生きることはできない。

その 「循環」 の中に放射能が入ってしまったわけだが、だからこそ

「有機農業ならではの脱原発」 の方向性を検討しなくてはならない、と強く訴える。

 

新潟大学農学部・野中昌法さんは、1960年代に行なわれた核実験による

「死の灰」 の農業に対する影響を調べた膨大なデータをもとに、

4月の段階で重要な提言を発表した方だ。

 -土壌の汚染は表層約 5cm に留まっている。

 -汚染の程度は地形・気候条件・栽培方法・施肥管理で異なってくる。

 -したがってきめ細かな土壌汚染地図と、程度に応じた対策が必要である。

 -国は責任をもって事故以前の優良な農地に戻し、農産物の安全性を保証しなければならない。

 -風評被害を防ぐための農業再生の工程表を作成して、国民への理解を求めよ。

 -平成24年度の作付に向けた汚染程度に応じた農業復興計画の提示を。

どれも適切な指摘である。

しかし3番目からの提言は、

適切に実行されたとは言い難い (その結果が、今の福島米の混乱である)。

 

実行したのは、営農の継続を決意した生産者たちだった。

二本松市 「ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会」 と、

彼らの支援にあたった野中先生と茨城大学のグループ。

そして須賀川市・ジェイラップと大地を守る会&カタログハウス。

フォローしてくれたのは四日市大学の河田昌東さん(チェルノブイリ救援・中部理事) だ。

データから明らかになってくる汚染の実態、そして対策。

見えてきた世界は、土の力であり、

植物とともに浄化に向かうのが王道であり近道であろう、ということだった。

「有機農業による耕作が被害の拡大を防ぐ (可能性が見えてきた)」

 

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高橋さんも過激だが、野中さんもなかなか熱い方だ。

福島の有機農家の、こんな言葉を紹介している。

「 一生懸命春の太陽光で生育した春野菜が土壌汚染を防いでくれた。

 したがって鋤き込まないで、一本一本、ありがとうという言葉をかけて、手で取り、

 影響のない場所に穴を掘り、埋めた。」

 

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「本来の農学」 を追究する研究者がいてくれること。

これが今、たたかう陣形に欠かせない、必須の兵站部隊なのだ。

依頼を受けて一介の流通者でしかない僕がわざわざ北海道まで出向いたのは、

この一点の思いに尽きる。

 

続いてエビスダニ氏。 学会で流通者が発言する。

持ち時間は15分。 冬の苦手な男がこのために北海道までやってきた。

原発事故からの対応を辿りながら、僕なりに思いを凝縮させたつもりだった。

早口に、とちりながら、、、5分のオーバーを、谷口さんが許してくれた。

 

話すと長くなるので、提出した 「発言要旨」 をここに記したい。

少しでも行間を読み取っていただけると嬉しい。

①福島第一原発事故後の対応から

 - 風評被害(?) と生産者対応から

 - 測定体制の強化・構築と情報公開の意味

 - 消費者の声と流通団体の対応軌跡

 - 生産者の除染対策支援

②食品における放射性物質の規制値(基準) について

 - 国の暫定基準値はなぜ信頼されなかったのか

 - 基準乱立から、市民の手による共通指針(基準) づくりへ

    ~ 我々は 「暫定基準」 を超えられるか・・・

③ゼロリスク議論から思うこと

 - " ゼロリスクを求める "  を否定せず、本能と受け止めたい。

   ⇒ しかし " 選ぶ・探す " 行動だけでは排除と分断につながる。 誰も救えない。

 - " ゼロリスクを目指す " ための思想と戦略(政策) の再構築こそ求められている。

   > 放射能に向かい合うための 「食の総合力」 を提案したい。

     放射能対策は総合力。 それを提示できるのが  " 有機農業 "  ではないか。

      『 有機農業運動が創出するイノベーション 』 に向かって進む。

     その戦略(政策) に 「脱原発社会の実現」 を明確に組み込む。

④生産者・国土を見捨てない思想の獲得へ

 - 生産者の除染対策支援から見えた世界

   " たたかう生産者 "  の姿勢を見せ続ける!

 - 生産と消費の対立を超える思想を掴みとる、その最大の機会ではないだろうか。

 - 流通が果たす役割とは

  > 「食へのリテラシー」 を育てるのが流通の役割

  > 新しい文化を創り出す、価値創造の競い合いをしたい!

   ⇒ その一歩としての 『共同テーブル』 でありたい。

 

いっぱい補足したいし、その後のセッションも紹介したいのだが、、、

夜の懇親会に、さらに大学前の居酒屋で関係者と一杯やってしまって、

もうここまで。

" (放射能に対して) ゼロ・リスクを求めるのは (利己主義でもあるが) 本能である " 

それを認め合うところから、たたかいの戦略を組み立てたい。

ここで 「脱原発」 は共通の前提となる。

このたたかいは、生産と消費がつながってこそ、勝利する。

流通者として立てた、必死の戦略論である。

幸いたくさんの方から評価をいただけたようなので、今日は良しとしたい。

 



2011年12月 3日

有機農業40年、次の時代を拓くのは誰だ!

 

お前ら、甘ったれてないか!

腹の中で、そう言いたくなった。

 

昨日は終日、蒲田。 

12月2日(土)、アイフォーム (IFOAM,国際有機農業運動連盟)・ジャパン

第1回セミナー は、円卓会議という形で行なわれた。

会場は 「大田区産業プラザPIO」 コンベンションホール。

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この国で、有機農業が運動として展開されるようになって40年の月日が流れた。

大地を守る会が設立して36年。

有機JAS制度がスタートして10年。

有機農業推進法が成立して5年。

国が表示規制だけでなく、有機農業の旗を振るようになって、

全国各地に有機農業推進協議会が発足し、

有機農業を目指す若者たちが増えてきたにもかかわらず、

どうも有機農産物の普及が進展しない。

しかも原発事故-放射能汚染というとんでもない世の中になって、

地域資源の循環を担うはずの有機農業が  " かえって危険 "  とか言われてしまう、

そんな状況が生まれてしまった。

この未曾有の事態を、有機農業はどう乗り切れるのか-

 

この40年の発展を各ステージで牽引してきた団体のお歴々が一堂に会して、

過去の失敗から現在の課題までを共有して、次代に向けての展望を語り合う。

そういう趣旨での招聘(しょうへい) なのだろうと受けとめて、パネラーを引き受けた。

-というより押しつけられた。

でもまあ、慣れてる。 僕はずっとこんな役回りだったし。

 

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居並ぶ先達たちの御説はすべてごもっとも、である。

後継者育成が急がれる、有機農業の技術的課題の克服、

認証制度の問題点と新たな視点への模索、裾野を広げるための戦略、、、

僕は 「放射能汚染への対応」 というテーマで7分の時間を与えられたが、

喋っている途中で制止された。

 

午後からの、会場と一緒になった質疑で、

どうも消化不良な感じで聞いていたのだが、頭にきたのが、次世代からの発言だった。

甘えてないか、お前ら! と思ったのだ。

 


曰く-

「 有機農業で研修中だけど、貯金を食いつぶしている。

 もっと有効な助成制度がないと自立も難しい。」

「 これまでの40年は普及できなかった時代。 問題はロジスティック(物流) です。

 これからは農協や一般マーケットにも買ってもらうための販売を考えたい。」

「 若手の就農者としては、今日の参加費は何だったのか、という気持ちになる。

 誰にどう普及しようとしているのか、何も見えてこない。」

 

聞いていて、思う。

その通りだ。 その通りだけど、いい加減にしろ。

このテーマは、みんなに、つまり自分にも、問われていることなのだ。

僕も若い頃から生意気な口をきいてきたけど、

結局は自分で切り拓かないといけないテーマだと思ってやってきた。

そう思ってやればやるほど、先輩の苦労が分かってきたものだ。

まだ苦労が足りん。

 

思わずマイクを取って語ってしまったけど、はたして理解されただろうか。。。

 

僕が大地を守る会に入社したのが1982年。

あの時、おふくろは電話の向こうで、こう言って泣いた。

「ほんな仕事させるために大学にやったんとちゃうわ! 帰ってきい、親不孝もんが!」

僕自身、ドロップアウトしちゃったかもしれない、と正直ふるえていた。

あれから29年、四国の片田舎で、母は息子を誇りに思ってくれている。

 

歴史的に見れば、間違いなく有機農業は拡がったのだ。

然るべき発展を辿ってきた、と言い換えてもいい。

しかしそれは平坦な右肩上がりではなかった。

壁にぶち当たっては新たな仕掛けをして、大きくしてきたものだ。

「普及できなかった40年」 といった I 君へ。

君がここに来れたのは、君のお父さんが大変な苦労をしてレールを敷いてくれたからだ。

そのことが分からないヤツに、正統な戦略は降りてこない。

 

85年、夜間の宅配を始めたときのことを思い出した。

これは組織の命運がかかっていると思ったものだ。

昼間の共同購入の配送から帰ってきて、トラックを掃除して、また夜に配達に出た。

会員を増やすために、当時の調布センターから周辺の住宅をくまなく回って

訪問営業した時期もある。 あれは辛かったな。

こんなに知られてないのかと思った。

「大地を守る会」 と名乗って、不動産屋に間違われたり、

ヤバイ宗教団体と思われて百10番されそうになったこともある。

まあ、知らない人にとっては、そんなものだろう。

(「大地を守る会」で不動産屋を連想した人は、いま思えば、とても 「いい人」 だと思う)

 

当時、宅配を始めた 「大地」 は潰れる、と噂されたものだ。

しかし、その3年後に誕生した宅配組織 「らでぃっしゅぼーや」 とともに僕らは急成長した。

「らでぃっしゅぼーや」 さんの農産物は、当初はすべてこちらから手配した。

なんでライバルのような会社の設立を支援するのか、、、

ほとんどの人は理解できなかったように思う。

でもこれによって有機農産物市場は拡大し、生産者の増加を牽引したことは間違いない。

運動は 「食のスタイルの提案」 と言われるようになった。

これには、したたかな戦略と運動の結実があったのだ。

 

当時の仕掛け人、徳江倫明さん。 今日は司会役である。

入社当時、理不尽にシゴいて下さった一人。

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助成金制度がほしい。

なんで農協や一般市場を巻き込めなかったのか。

新規就農者はこんな会議に出たくても出られない。。。

 

文句ばっか言ってんじゃないよ。

今は、有機農業推進法で生産能力が高まって、

成長のバランスが並行して進んでない時期に入った、ということなのだ。

(あるいは、マーケットが、いや相手が見えなくなったか・・)

次の戦略は---当然、新しい人たちが切り拓くのだよ。

まったくのゼロから、しかも世間から白い目で見られた時代から築いてきた先達の前で、

言う台詞ではない。

新しい言葉と戦略を、創り出そう! 

この課題は、次の走者が引き受けるべき襷(たすき)、バトンなんだよ。

 

80年代に僕が励まされた言葉がある。

「カネはないけど創造力がある。 創造力が枯渇したら、オレたちは終わる。」

「右でも左でもなく、オレたちは前に進む。」

「未来開拓者になろう。」

 

吉田拓郎も歌ってたじゃないか。

 ♪ 古い船をいま動かせるのは、古い水夫じゃないだろう。

 

それくらいの気概を持って進もうじゃないか。

僕もまだ若いつもりだ。

地平はそこに、目の前に広がっている。 いや、待ってくれている。

 

で・・・えと、なんだっけ。

ま、いいか。 極めて個人的な、集会感想ということで。

 



2011年11月15日

有機農業で街を救う日を -ベトナム体験記③

 

本ブログにコメントを寄せていただいた千葉県佐原市の K さん。

アップするにはちょっと悩む部分があり、保留になってます。

記されていたアドレスにお返事を書いたのですが、エラーで返ってきました。

できましたら再度アドレスをお知らせいただけますでしょうか。

それにしても、懐かしいお名前にビックリしましたよ。

K さんに読んでもらっていたとは、とても嬉しいです。

 

コメントによれば、職場で TPP 問題で議論になったとのこと。

「考え方の合わない人との議論は疲れる。」

お気持ちはよく分かります。 

でも論争って、論破しようとすればするほどかみ合わなくなりますよね。

根本的な違いがどこにあるのか、双方で突き止めていこうという合意がないと、

なかなか生産的な議論になりません。

そういう自分も、すぐに否定から入ったりするんですけど。

先に大人になる必要があるのでしょうが、これが難しいです。

お互いまだまだ精進ということで。

 

さて、ベトナム体験記を終わりにしないと。

 

ホアビン省タンラック郡ナムソン村では、

ルンさんという副村長さんのお家に泊まらせていただいた。

伝統的高床式住居。

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といっても土台はコンクリだし屋根はトタンなので、

昔のまんまということではないと思うのだが、正確には分からない。

熱帯モンスーンの湿度対策が生んだ建築様式、

といったうろ覚えの知識しかないくせに、

床の下で犬や鶏が家族のように振る舞っている風景に懐かしさを覚えたのは、なんでだろう。

 

ここはムオン族という少数民族の地域。

若者は今もわりと残っていて家族農業を営んでいる。

 

客人が来た時に、おもてなしの料理を作るのは

若者男子の仕事なのだそうだ。 

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ルンさんが気を揉んで、調理場と待っている我々の間を行ったりきたりする。

「暗くならないと鶏をつぶせない (捕まえられない) もんで・・・」

これが本当なのか冗談なのか、確かめられなかった。

 

料理は辛い味つけを想像していたが、意外とほどよく、

どれもこれも口に合った。

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ただ生野菜のなかに 「ウッ・・・やられた!」 みたいに苦いのがあった以外は。

その一つはよく知っているドクダミってやつだ。 初めて生で齧った。

そこら辺の草なら何でも食べられるような気になってくる。

 

宴会風景。 

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焼酎をお猪口に注いで、一気飲みで乾杯!

これを延々と強要された以外は、言うことなし。

 

寝袋で寝ようとすると、奥さんが蚊帳を吊ってくれた。

これまた懐かしさが込み上げてくる。

夜は何度となく、激しいスコールの音に起こされる。

まったきアジアの一夜。。。

 

その間、僕のワーク・ブーツが犬たちにしゃぶられていたのを知るのは、朝のことだった。

靴紐がち切れて散乱していた。

ルンさん家の犬は僕のことが大好きになって、帰したくなかったんだと思う。

翌日のワークショップではこう言って笑いを取るしかなかった。

多少フォーマルな席があることも意識して選んだつもりだったが、

ベトナムの農家に泊まる場合は、革はやめておこう。

 

朝の散歩で見た風景。

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一見すれば、伝統的パーマ・カルチャーの世界。

しかしここに広がってきているのは、換金作物としてのさとうきび栽培だ。

農薬が当たり前のように撒かれるようになった。

 

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こちらはホアビン市での夜。 

ベトナム各地から集まってきた農家と農業専門機関・行政の職員たちと交流する。

 

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愛媛・中島のレモン農家、泉精一さんみたいな闊達で笑顔のおじさんが来て、

しきりと日本を褒めてくれる。

「中国と日本を選べと言われれば、ワシは間違いなく日本を選ぶ。」

いやいや・・・仲良くやりましょうよ。 「いや、日本が好きじゃ」 てな感じで。

このおじさん、人民委員会でのプレゼンでは、じっと僕を見て、

通訳のたびにウンウンと頷いてくれる。 特にベトナム戦争のくだりのあたり。

 

ベトナムでの米の有機栽培では、アヒル農法が広がっているようで、

日本の合鴨農法の権威、福岡の古野隆雄さんも指導に来られたのだとか。

どうやら、このおじさんたちの心を掴んだ日本人は古野さんと読んだ。

 

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有機農業はどこも元気だ。

加えて僕としては、熱心に聞いてくれた女性たちに期待したい。

 

ハノイに帰ってきて、

ふたたびこのエネルギーに巻き込まれる。

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伊能さんにわがままを言って、

ホーチミンの遺体が安置されているホーチミン廟と、

その隣にある 「ホーおじさんの家」 を訪ねさせてもらった。

 

ホーチミン廟。

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ここで、ホーチミンは宣言した。

「独立と自由ほど、尊いものはない!」

 

今やすっかり賄賂社会と言われ、開放経済にひた走るベトナム社会主義共和国。

観光名所となったホーさんの家も塗り替えられ、

きれいなウッディハウス調だ。

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期待した感慨は涌いてこず、夢の中に置いておけばよかったかしら。

 

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ハノイ市街の真ん中にあるハノイ大聖堂。

その下を、バイクと自動車が叫びながら駆け巡り、人は平然と横切っている。

 

いつか有機農業がハノイに向けて進軍してくる。

たたかう聖母の衣をまとって。

彼女たちは宣言するだろう。

「命を守るものはお金ではない。 いのちは、食べものにある!」

再び彼らと会えることを思いながら、玉石混淆の熱いベトナムを後にする。

 

最後に、プレゼンのスライドには 「原発に反対し・・・」

という文言も入れてあったのだが、宴席等でも質問はまったくなかった。

日本から輸出されようとしていることがどの程度伝わっているのか、分からずじまい。

ま、これは我々のほうの問題だけど。

 



2011年11月13日

食を守るとは- ベトナム体験記②

 

一週間ぶりに自宅に帰り、

録画してあったNHK 「クローズアップ現代」(11月8日放送) を観た。

放射能対策に挑む福島の農民リーダー、二人。

NHKなので団体名は出なかったけど、ジェイラップ(須賀川市) の伊藤俊彦さんと

「ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会」(二本松市) の菅野正寿さんだ。

このブログにも何度か登場している二人。

う~ん、頑張ってるねぇ。 こっちまで自慢したい気分になってくる。

備蓄米収穫祭の映像も冒頭で、橋本直弘君の「カンパ~イ!」 の一瞬が映された。

予告通り、ホント一瞬だったね。

直弘君のお父さん、文夫さんが

長年かけて作ってきた土を慈しみながら涙をこらえる姿がたまらなく切ない。

彼らの必死のたたかいを支えられる我らでありたいと思う。

 

さて、ベトナム体験記を続ける。

 

ベトナム独立の英雄・ホーチミン像や、マルクス・レーニンの絵を背にして、

大地を守る会を一つの事例としながら、有機農業というものの力と、

生産と消費のあるべき関係作りについて、発表させていただく。

大地を守る会のたどってきた歴史や企業理念に自身の経験をかぶせながら、

僕はどこかで、自分が追っている夢も語っていたかもしれない。

 

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  (それにしても社会主義国というのは偶像崇拝が過ぎる。

   ホーチミンさんははたしてこんな国の形を望んだのだろうか。。。)

 

4ヵ所でのプレゼンは、まずは感謝の言葉から始めた。

 - 3.11震災に対する世界中からの温かい支援に対して、

  日本人の一人として、心から御礼申し上げたい。  

拍手をいただけたことで、少しは心が通じたように思う。

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(フーヴィン村でのミーティング風景)

 

大地を守る会の話をする前に、押えておいてほしい時間がある。

日本で農薬・化学肥料が大量に使われるようになったのはたかだか50年前、

1960年代からのこと。

そして10年もしないうちに農家の健康被害が顕在化し始め、

「農薬公害」 と言われる言葉が生まれ、

70年には有機農業運動が全国的に広がる時代に入っていたこと。

それは有機農業を認めない市場流通のあり方に対する批判から、

生産者と消費者の直接提携という形で発展した (したがって 「運動」 と呼ばれた) が、

運動のエネルギーは必然的に 「社会化」 も求め始める。

大地を守る会が誕生した1975年とは、そんな時代だったこと。

それは生産からでもなく、消費からでもなく、

「生産と消費を健全な形でつなげる」 必要を感じとった若者たちが始めたもので、

新しい仕事スタイルの創出でもあった。

 

そして若者たちを突き動かした動機のひとつに、

ベトナム戦争で撒かれた枯葉剤の衝撃があったことも、ぜひ付け加えておきたい。

 


大地を守る会の企業理念の説明では、

「安全な食」 と言わず 「第一次産業を守る」 と掲げている意味について。

ソーシャルビジネス (社会的企業) としてのミッションでは、

社会への批判で終わらせない、オルタナティブを提案する行動原理を取っていること。

たとえば遺伝子組み換え食品に反対する一方で、

地域の風土と文化に育まれた種 (品種) を、販売を通じて支えようとしていること。

 

大地を守る会の事業概況や歴史をたどりながら、理念を重ね合わせる。

食を運ぶとは-

" 安全・安心 "  への責任を自覚する生産者と消費者をつなげ、

支え合う  " 関係を育てる "  仕事であること。

価格の前に  " 価値を伝えられる流通 "  でありたいと思い続けていること。

たとえば、無農薬の米とは、水系を守ってくれている米である、みたいな。

したがって生産と消費の交流・触れ合いは欠かせない運動であり、事業の一環である。

またグローバル化する世界にあって、

私たちもまた同じ思いで歩んでいる世界中の人たちとつながる必要がある。

 

生産者にその思いさえあれば、流通は作れる。

道に迷っている若者を数人たぶらかせば、いや、その気にさせればいいのです。

 

最後の、郡の人民委員会でのプレゼンでは、特に気合いを入れた。

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日本で今、新しい農業者を育てているのは、有機農業です。

消費者に安心を与えているのは、有機農業です。

有機農業とは、国土と、国民の健康を守る運動なのです。

食を守ることは、国の自立に関わる重要な課題なのです!

 

日本では5年前にようやく国が有機農業の価値を認め、

有機農業を推進する法律が成立しました。

有機農業運動の萌芽期から35年かかりました。

この時間と経験を参考にしていただけるのなら、喜んで協力したい。

(枯葉剤と戦い抜いた) 皆さんの強い意志とエネルギーをもってすれば、

10年もかからず成し遂げられるんじゃないでしょうか。

 

日本からの、もう一人のプレゼンテーター、

京都・太秦(うずまさ) で有機農業を営む長澤源一さん。

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この方もやはり農薬禍によって体を壊し、有機農業に転換した。

まったく収穫できなかった暗黒の時代から20年。

今では京都・嵐山の吉兆や、一流といわれるレストラン・卸から引き合いがある。

「値段はすべて自分がつけます。 それだけのものを作っているという自信があります。」

強気の関西弁が少々憎たらしい。

長澤さんは、同志社大学で有機農業塾を開講する先生でもある。

僕の言う 「次世代農業者を育てているのは有機農業である」 は、間違いない。

 

カンボジアで有機農業者をネットワークし、

有機米を海外に輸出するまでに成長しているCEDAC(シダック) 

という団体のダルンさん。

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エリート家庭の御曹司らしいが、

この仕事にやりがいを感じて、" こっち "  の世界に来てしまった。

カンボジアでもソーシャル・ビジネスが生まれ、成長している。

 

有機農業で野菜や米を作るティブさん。

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少し照れながら、しかし堂々と、いろんな苦労話を笑顔で語る。

気品を感じさせる、素敵な女性だった。

 

タイからの報告者は洪水で欠品となったが、

こうやってアジアの有機農業団体をつなげ、コーディネートする

伊能まゆさんの馬力には脱帽させられた。

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自ら動き、プレゼンし、通訳から解説まで、一人でこなした。 

成果が見えてくるには、まだ時間がかかることと思うが、

体に気をつけて頑張ってほしい。

 

この風景の裏にも様々な悩みが隠されているのだが、

未来に幸いあれ、と願わずに入られない。

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2011年11月12日

ベトナム-その凄まじい現実に立ち向かう女たち

 

11日、北ベトナムの土に漉き込まれることなく、無事帰還しました。

少し仮眠を取って都内での会議に出席し、夜は新しい事業戦略部の飲み会に合流。

でもって今日は、5日分のメールにため息をついている始末。

ベトナム熱を早く冷まさなければ・・・ と思いながら、

気がつくと頭の中で再現されてたりして。 この体験、さてどう整理しようか。

 

憧れのベトナムは、喧騒とジレンマに満ちた国だった。

全開の欲望、ギラギラした個人主義が突っ走っているような街と、

静かに矛盾を深めつつある農村。

 

首都ハノイの街は、まるで無政府状態のようだった。

バイクと車が朝から晩までクラクションを鳴らしあいながら、

日々のたたかいを繰り広げている。

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一方でハノイから100数十キロ離れた農村部には、

時間が止まったような光景が残っている。

 

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こんなのどかな山村で、農薬の問題を話さなければならないというのは、

実に罪な世の中だと思う。

 

今回、訪越の機会を与えてくれたのは

 「Seed to Table」 という日本のNPO団体。

代表の伊能まゆさんは元JVC (日本国際ボランティアセンター) のスタッフで、

2年前にベトナムでの環境保全型地域開発を支援するためにNPOを設立された。

その活動のなかで、伊能さんはいよいよ

有機農業で都市と農村をつなげるステップに入ろうと、

今回のワークショップを企画されたようだ。

 

ハノイから西北約120kmに位置するホアビン省タンラック郡の

3つの村と郡の人民委員会(行政機関) を回って、

日本での有機農産物流通の発展事例として大地を守る会の話をしろ、というミッション。

しかもこれは、

「有機農産物の品質・生産技術の向上および市場アクセスの改善を通じた

 小規模農家の生計改善事業」 という、

ちゃんとした外務省の助成によるプログラムである。

 


「キックオフ・ワークショップ」 と銘打たれて、

ナムソン村 - ディックザオ村 - フーヴィン村 と巡回する人使いの荒い行程。

日本からは、京都で有機農業を営む長沢源一さんと僕の二人だったが、

カンボジアから、有機農業の支援とネットワーク作りを展開しているCEDACという団体の

ダルンさんという若者と農家のティブさんという女性が参加された。

他にタイからも来られる予定だったが、洪水の影響で断念されたとのこと。

 

各村に建てられた公民館(?) はどれもステレオタイプだ。

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ワークショップでは、まず村の偉い人からの挨拶があり、

続いて伊能さんが今回の意義を伝える。

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ベトナムで広がる経済格差。

開発による農地収用で職を失う農家。

生産コスト増で借金を膨らませる農家。

物価は上昇しても農産物価格は低いままである。

都市化と工業化の進行、旱魃や洪水の多発化、森林の減少と土壌流出。

化学肥料と農薬への依存が強まる一方で病虫害は増加するという悪循環が進行している。

 

都市では大気や生活用水の汚染が進んでいる。

食の欧米化と 「顔の見えない農産物」。

そんななかで、健康志向と食の安全を求める声が高まってきている。

 

地域の自然を守り、安全な食べもの生産・持続的農業を拡げ、

都市の消費者とつながることで、環境を壊さず食糧確保と生計向上を図る。

そのために協力できることがある。

 

なかなかに力強いプレゼンである。

この主旨に沿って、日本での事例を語れということなのね。

 

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各村とも参加者は圧倒的に女性が多く、しかも熱心に聞いてくれる。

ベトナムは女が強い(実はどこもなんだけど) と聞いていたが、これは本当だ。

手前の、缶コーヒーのBOSSの宣伝に出てきそうなお父さんより

ずっと頼もしく感じられた。

 

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じゃあ、一丁やったろか、と気合も入る。

すみません、今日はここまで。 続く。

 



2011年9月 8日

有機農業のニーズとソーシャルビジネス・・・

 

北海道に降り続いた大雨で、富良野は3年続きの水害。

またしてもニンジンが大打撃。

札幌・大作幸一さんの玉ねぎも雨続きで収穫に入れないとの連絡。

今年も大不作となること必至の状況。

物流は延々と綱渡りの日々が続く。。。。。

 

そんな穏やかならぬ心境を押さえながら、今日はつくば(茨城) まで出かけた。

農水省が主催する 「平成23年度農政課題研修-有機農業普及支援研修」 で

講師を依頼されたのだ。

3ヶ月前に約束してしまったものなので、行くしかない。

 

対象は、各地の農業改良普及センター等から集まった普及指導員の方々。

つまり農業指導を仕事とする公務員の方たちである。

与えられた課題は、

「有機農産物の消費者ニーズとソーシャルビジネスの展開」。

3泊4日のカリキュラムで、10講座の一コマを与えられた。

 

20年前ちょっとには有機農業そのものを認めなかったお国から、

このテーマでお声掛けいただける時代になったとは、実に感慨深いです。

-と冒頭でお礼を申し上げる。

 

しかし、こういうタイトル自体に、私は違和感を感じるものである。

-と続いてジャブを打たせてもらう。

 

僕らは消費者ニーズをつかんで有機農産物の流通を始めたわけではない。

「こういう食べ物こそ当たり前に流通されなければならない」

という思いからスタートしたものである。

有機農業の生産者と出会い、彼らの生産物を街に運ぼう、

東京のど真ん中で 「有機農業」 の存在とその意味を  " 可視化 "  させよう。

これは1960年代から急激に進みだした生産現場の変容が、

食の安全 (=人の健康) を脅かしつつあることを伝えることでもあり、

「食」 から社会を見つめ直す作業にもなった。

 

そして大地を守る会の活動は、幸か不幸か 「仕事」 として成立してしまった。

 


「ソーシャルビジネス」(社会的企業) なる言葉は

ここ数年で広がってきた概念のように思うが、

我々にとっては、1975年に誕生した時点から、

「仕事を通じてどう社会に貢献するか」 は生きる前提のテーマだった。

そもそも、およそすべての仕事はソーシャルビジネスの側面がある筈で、

そうでなかったら存在価値がないと思うのですが。。。

「皆さんの仕事だってそうですよね」 と問うてみれば、多くの方が頷いてくれる。

それだけ 「お金」 を生むことのみを追い求める世の中になったってこと

なんでしょうかね。

 

そんなワケで、僕の話は必然的に大地を守る会の歴史から始まる。

ニーズをつかむではなく、「発見」 を伝え、「喜び」 を届けたいと

ひたすら歩き回ってきたこと。

「食の安全」 という当たり前の価値を守るために、

やらなければならないと思ったことをやってきたこと。

「お金」 がついてこないことも、随分とやってきた。

大地を守る会が自らに課したミッション(使命・任務) について、

歴史を辿りながら、テーマの本質に向かう。

 

僕らが考える流通とは何か。

そして現在の、有機農産物をめぐる制度や市場(マーケット) の動向を、

どう眺めているかについての私見を述べさせていただく。

要するに  " 有機農業 "  はいまだ未成熟なのである。

農業技術を指導する人たちに求められている社会的使命が、

すでに見えてこないだろうか。

 

いま目の前に直面している事態をひとつの事例として出させていただく。

原発事故と放射能汚染に対して取ってきた行動について。

生産現場に300万円の放射能測定器を貸し出した意味から

次のステップをどう考えているか、などについて。

 

最後に、大地を守る会が進めている挑戦について。

CSR (企業の社会貢献) を事業の本業に明確に位置づけたこと、

投資社会の姿を変えたいと、夢のようなことを考えていること、など。

「ソーシャルビジネス」 なんて言葉は、早く死語にしたい。

 

有機JASマークを超えるのか、それとも進化させるのか。 

この問いはいずれみんなの手で決着させなければならないことだが、

有機農業が社会に広がり育ってきた背景を理解して、

それぞれの立場に与えられたミッションを忠実に 「仕事」 とすることで、

社会は変わってゆくのだと僕は信じていて、

制度も含めた到着点は、

私たちの仕事をどういう質で積み重ねていくかにかかっている。

 

例によって喋りまくった1時間半。

学校みたいにチャイムが鳴っても質疑応答が続き、教官を困らせてしまった。

 

もしかして多分に自慢話に聞こえたかもしれない。

ただ僕は、「大地を守る会」 という組織が、現代という社会を語るに、

いろんな意味でとても面白い題材であることに、夢中になってしまうのである。

けっしてサクセス・ストーリーではなく、チャレンジ・ストーリーとして。

 

普及員の方々が、有機農業を始める若者たちに向かって、

JASマークに頼る前に自分の言葉で自分の農業を語ることが大切だと、

伝えてくれることを願っている。

 



2011年1月30日

リフレッシュ研修・・・

 

1月28日(金)、有機JAS等の認証機関であるアファス認証センターによる

リフレッシュ研修会というのが開かれた。

毎年この時期に開催され、有機JAS制度の最新情報や

有機農業全般についての動向・留意点等についての報告がある。

 

大地を守る会には有機認証を受けている生産者も数多くいて、

また本体の物流センターも有機の小分け事業所として認証を受けている。

そんな関係上、最新情報には常にアンテナを張っていなければならない。

生産者から使用する資材についての情報を求められたり相談を受けたりもするし。

 

我々は、かつて表示規制のために作られたという側面を持つ有機JAS制度には、

批判もしてきたものだ。

" 有機JASを乗り越えよう "  とも言ってきた。 その気持ちは今も変わらない。

しかし嘘のない有機農産物の証明として主体的に認証に取り組んだ生産者の

その努力については正当に評価したいと思っている。

したがって有機JASマーク付で入荷したものは、

ただしく分別・小分けして (これを有機性の保持という)

消費者あるいは店頭まで届ける義務がある。 小分け業務に瑕疵(かし) があってはならない。

制度の動向や変更点は正確に把握しておく責任がある。

 


ということで今回の研修会。 レクチャーの主なポイントは、以下のようである。

ひとつ。 有機JAS規格の改正検討が進んでいる。

すでに改正原案が作成されていて、今年の夏か秋には確定する見通しである。

細部の報告は割愛するが、

遺伝子組み換え技術を規制する項目が各所に散らばっていたのを一箇所にまとめるなど、

全体の構成が変更されるほか、いくつかの有機資材の判断(条件など) が

明確に、あるいは追加される予定である。

合わせて有機加工食品、有機畜産、有機飼料のJAS規格も改正されることになっている。

検討過程が気になる方は、農林水産消費安全技術センターの

下記HPを参照されたし。

 ⇒ http://www.famic.go.jp/event/kentouiinnkai/kekka.html

 

考えてみれば、GM(遺伝子組み換え) 技術の利用を明確に規制している法律は、

有機JAS規格だけである。 これはこれで大切にすべきものか。

 

次に、資材判定の共通基盤がつくられてきている。

世にはいろんな資材が出回っていて、有機栽培に使ってもよいものかどうか、

認証機関によって異なる判定が出されるケースがあった。

有機JAS制度がつくられてから、ずっと生産者を悩ましてきたものだ。

僕が3年前に委員として参加した 「有機JAS規格の格付方法に関する検討会」

でも議論された課題である。 

それがようやく 「有機JAS資材評価協議会」 の設立という形で実を結んできた。

有機JASの認証機関すべてが参加するわけではないようだが、

大きな一歩前進として評価したい。

わが農産グループ・有機農業推進室でも、

生産者に使用実績のある資材のデータを認証機関に提供したりして、

業界全体に文句も言いながら待っていたものだ。

これが 「有機生産にあたっての認定資材リスト」 として完成されれば、

また認証機関の間で判定が共有されるようになれば、

生産者の判断ミス (というより情報収集の限界による事故) も

かなり減らすことができるようになるだろう。

ただし、購入資材に頼りすぎた栽培方法は有機農業の基本技術ではない、

という有機農業の根本思想は忘れないようにしたい。 

 

他にもいろいろあったけど、こんなところにして、

研修終了後、残った生産者と懇親会を持つ。

毎年律義に参加される福島・やまろく米出荷協議会さん(福島県福島市)

と今年も席を一緒にさせていただく。

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写真右の方が、昨年も全国食味コンクールの有機米部門で金賞を取った岩井清さん。

「食味と収穫量をいかにバランスよく保てるか」 に長いこと格闘してきた。

 だんだんと技術にも確信を持てるようになってきた反面、

今後の気候変動が気になるところではある。

写真左は、やまろく米の生産者を束ねる 「やまろく商店」 の跡取り、佐藤康毅(こうき) さん。

お父さんに変わって、今年初参加。 元気っす。

 

嬉しかったのは、秋田・大潟村の阿部淳さん(下の写真左) とご一緒できたことだ。 

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「ライスロッジ大潟」 メ ンバーで、「秋田・ブナを植えるつどい」 を毎年開催する

「馬場目川上流部にブナを植える会」 の事務局長。

二人で勝手に盛り上がった話は、有機JASでも、米の値段でも、TPPでもなかった。

生産者も消費者も一緒になって、" 新しい経済の仕組みをつくらないか "  という

夢のような構想である。

いや、夢なんかじゃない。 地域通貨などで、現実に取り組まれてきた世界である。

みんなの  " 生産 "  あるいは  " サービスや知識 "  など

持っているものを納得し合う等価でひろくネットワークして、

協働の社会システムをつくりたいもんだね。

この輪に参加すれば飢えることがない、安心して暮らせる、格差(搾取) もない、

アーティストは米一年分で村のコンサートに来る、地域資源で家も立つ、

誰だって生きている間は何かの役に立てる、みんなで政治もする、 

そんな社会は、いや可能である。。。

阿部さんが 「物々交換の社会にしたいよ~」 と言ったことがきっかけで、

ついに社会革命の話にまでなっちゃった。 ストレス溜まってるね、お互い。

 

そういえば最近、地域通貨の話題をあまり耳にしなくなったけど、健在なんだろうか。

 

最後にこの方。

株式会社アファス認証センター社長、渡邊義明さん(左)。 

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(右は新潟の米生産者で、清水さんと仰った。)

 

どうもこの方とは肌が合わない。

どっちも素直に謝らない、言われたらやり返さないと気がすまない。

去年も一戦やっちゃったし、

" ああ言えば こうゆう関係 "  とでも言おうか。

歳が離れているのだから、僕が敬意を表しなければならないことくらいは

重々分かっているんだけれども、どうも抵抗したくなっちゃうんだよね。

すみません、いつも生意気で。

 

ま、資材協議会のたち上げまで行ったことで、

今回は素直に拍手を送らせていただくこととします。 敬意をもって。

 

最後は、大潟村・花咲農園の戸澤藤彦に力づくで引きずられ、 

寒風に身を刺されながら、どっかの酒場の片隅に流れる。

リフレッシュ研修 ・・・ な一日のはずだったのだが ・・・爽やかには終われず。

なんでこうなるんだろう、いつもいつも。

 



2010年11月 4日

『有機農業の技術と考え方』 出版記念シンポジウム

 

11月3日は文化の日。

明治天皇の誕生日(昔の明治節) で、日本国憲法が公布された日。

(参考情報・・・ 憲法の施行は翌年の5月3日。 憲法記念日はこの日に設定。

 ちなみに昭和天皇の誕生日である4月29日はいったん 「みどりの日」 として設定されたが、

 2005年から 「昭和の日」 となり、「みどりの日」 は5月4日に移動。

 GWを充実させることは、お金がたくさん動くために、いやモトイ! 国民の憩いのために

 政治的にご配慮いただいたものなのです。 おウチでゴロゴロしてはいけません。)

 

日本国憲法の精神を尊び、「自由と平和を愛し、文化を薦める」 この日は、

僕にとっては 「ブナを植える日」 になっている。

しかし、、、「仕事」 という現実は、個人の憲法精神など容赦しない。

このブログで 「今年は行かなくちゃ」 宣言をしたにも拘らず、

前日のうちに現地 (秋田県大潟村) に入ること叶わず、

ついに3年連続での 「エビちゃん、欠品」 となってしまった。

「ライスロッヂ大潟」 代表・黒瀬正さんも残念がってくれながら

「仕事か。 ほら、しゃあないなぁ。 まあ無理せんと・・・」 と慰めてくれた。

しかし本音は 「もうちっと働いて、米売ってよ」 に違いない。 

 

でもお陰で、空けてあった3日は別のほうに無理を働かせて、

参加を断念していた都心でのシンポジウムに出ることにした。

この夏、出版社 「コモンズ」 から上梓された

『有機農業の技術と考え方』 の出版記念シンポジウム

 - 「生命(いのち) を紡ぐ農の技術(わざ) -第Ⅱ世紀有機農業技術の展望-」

 

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有機農業推進法が成立して4年。 待望の書、である。

編者は中島紀一・金子美登・西村和雄の各氏。 編集協力=有機農業技術会議

17人の執筆者による、有機農業の初の体系的技術書と銘打たれている。 

 

シンポジウムの会場は神田・総評会館。

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100席ばかりの会議室が定員オーバーとなって、椅子席が追加された。

「こんなに来てくれるとは思わず・・・」

と、コモンズ代表の大江正章さんが頭をかいている。

それだけ本書の刊行は喜ばれたともいえるし、

期待が高かったぶん実践者からは手厳しい不満も提出されるという、

期待以上にエッセンスの効いたセッションになった。

 


この本を料理するのは難しい。

編者および大江さんの力量がなければまとめられないだろう、かなりイイ

 「有機農業の総合的入門書」 になっている。

有機農業が創り出してきた、そして未来への豊かな可能性も執筆陣から伝わってくる。

中島紀一さんが当初目指した 「スタンダードなテキスト」 としても

一定の成功を果たしていると思う。

 

ただ・・・・まだ 「有機農業の体系」 には至っていない、というのが率直な感想である。

これはけっして批判ではなく。

 

各論に噛みついたのはこの人である。

福島県喜多方市山都町、 「チャルジョウ農場」 小川光 。

まったく遠慮を知らない、直球しか投げられない実証主義者。

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今の食生活を現実的に支えている施設栽培について、まったく触れられていない。

ハウス栽培での有機農業は可能だし、トマトの連作も可能である。

私はそれを実践によって証明してきた。

栽培技術もまだ近代農業の理論や考え方を引きずっているところがある・・・・・

 

そして、僕にはこの人の言葉がこたえた。

福岡から参加された八尋幸隆さん。

- 有機農業の社会的側面をもっと表現すべきである。

  有機農業推進法が制定されたことは画期的なことではあるが、

  有機農業が真に社会に受け入れられるためには、そのための具体的な働きかけが必要である。

  「有機農業に対するニーズは増大しているのに生産現場がそれに対応しきれていない

  ではないか、もっと頑張れ」 と尻をたたかれても、中央ではいざ知らず、

  地方では 「どこにそんなニーズがあるの」 という感じである。

  消費の現場での建前と本音があまりにかけ離れた現状で有機農業生産のみ推進すれば、

  地方では小さなパイを奪い合うことになりかねない。

  社会にどう働きかけてそのパイを大きくしていくのかについての

  方法論が必要なのではないかと考える。

  これから参入しようとする若い新規就農者のためにも。

 

有機農業推進法で加速された生産促進は、

あっという間に生産と消費のアンバランスを露見させた、ということである。

でもそこに入り込むと技術論をはみだして編者が気の毒にも思うのだが、

有機農業は必然的に社会の価値観 (流通のあり方から食べ方、ライフスタイルまで)

の転換も求めるものである以上、流通論は避けて通れないテーマではあるのである。

「有機農業運動」 論はずっと、その生々しい現実論を避けてきた。

 

そこで想定外に発言を求められたりするのだが、

「有機農業第Ⅱ世紀」 を展望するなら、単に 「流通」 という枠ではなく、

「社会ビジョンづくり」 の一環として構想したいもんだと思う。

「我々にはその用意がある!」 と肝心なことを言うのを忘れた。

 

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シンポジウムの後の懇親会で僕が漏らした不満は、

果樹栽培へのアプローチがまったくないこと、だった。

 

ま、そんなこんなも含めて、『有機農業の技術と考え方』 として、

構想から5年にしてまとまった労作に、ひとまず拍手を送りたい。

栽培者でなくても、安全な食べものを求める人には、ぜひ読んでほしいと思う。

有機農業が到達した地平の 「今」 が語られているから。

細かい話は頭に入らなくてもいい。 現場での技術論はもっともっと多様なので。

その多様な世界をまとめるのは、次の課題である。

 



2010年7月29日

有機農業推進 はどこへ行く?

 

26日(月)、夕方6時前に仕事を中途で切り上げて、千葉・山武まで車を飛ばす。

約1時間遅れで、山武市有機農業推進協議会(以下、山有協) の会議に出席する。

名ばかりの幹事と言われないためにも。

 

有機農業推進法によるモデルタウン事業が、事業仕分けによって

形を変えて生き残った話は以前にしたけど、

山有協も計画書を出し直して認可されたものの、予算は大幅に削られてしまった。

 

「これじゃ何にも出来ねえな!」 と、

さんぶ野菜ネットワーク専務理事・下山久信が何度も吐き捨てている。

たしかに、何に使うにもあまりに中途半端な額で、

この2年、精力的に取り組んできた新規就農者受け入れ体制も、

かなり自力運営に近い形で修正せざるを得ない。

なおかつ 「収益力向上」 の実績をつくらなければならない。

その目標ラインは5%。

収益を上げてこそ、でしょ。 - と言われる農業。 

食と国土を支える農業とはそういうものなのか。。。

 

ひっきょう、いろんな費目への予算を削って販売促進の計画を練ることになるのだが、

国庫補助がなかったら有機農業の拡大ができないとは

僕は意地でも思ってないので、

これはこれで産地の  " やる気 "  が試される試金石だと考える。

下山さんのパフォーマンスも、実はみんなの志気を鼓舞しているのではないか

と思ったりもする。

 

「言ってやるか。 言うしかねぇか」

下山さんが気合を入れている。 二日後の農水省での会議に、である。

 

そして昨日の午後、農水省7階の講堂で、

「有機農業の推進に関する全国会議」 が開催された。

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会場は満席どころか、追加の椅子が用意され、

参加者は全国から500名くらい集まっただろうか。 

 


しかしながら、会議は1時半から6時近くまで及んだのだが、

ほとんど報告の時間で終始した。

農林水産省からの全体的な経過報告。

地方自治体から選ばれた4道県の取り組み報告。

産地協議会(モデルタウン) からの報告が5産地。

有機農業技術会議や有機農業研究会など団体の報告が6件。

 

会議の途中、駆けつけました、という感じで

篠原孝・農水副大臣からのスピーチが入る。 

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農水省の役人時代から有機農業の推進を唱えてこられた、

筋の通った有機農業派である。 

日本で最初にフードマイレージの概念を紹介した方としても知られる。

何度かの左遷を味わいながら(本人の弁)、政治家に転身し、副大臣となった。

時代が変わったと感じさせる象徴的政治家ではないだろうか。

いや、もっとも象徴的なのは、なんといっても菅さんか。

四半世紀以上も前、市民派政治家として期待を浴びながら、

若さを売りにしていた菅さんの事務所に

電話一本で宣伝カーを借りたりしてたことを思えば・・・・・

「ちわぁ。 鍵借りまぁす」 なんてね。 オンボロの宣伝カーだったなぁ。

デモの途中でエンストして、運転手の僕は意図的に停車したと疑われ、

もうちょっとで 「公務執行妨害」 で逮捕されるところだった。

「スミマセン。 押してもらえますか」 

- キ、キサマぁ!  ほ、ほ、ほ、本官を! と叫んだかどうかは覚えてないけど、

「逮捕するぞ!」 と恫喝されたのは、はっきりと記憶している。 

漫画のような光景だったね。

 

菅直人首相に、篠原孝副大臣。

いろいろと問題はあるようだが、たしかに変わってきた、それは実感である。

しかし今日はどうか。

有機農業を力強く推進していきたい、というような決意表明はあったが、

現在の政策については明快なコメントは聞けなかった。

 

産地からの報告では、先日一緒に飲んだばかりの 「かごしま有機生産組合」代表、

大和田世志人さんが発表している。

ここでの肩書きは、「かごしま有機農業推進協議会 総括責任者」 である。 

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有機農業への参入促進では、技術支援センターを立ち上げ、

新規就農希望者の見学会などを企画して呼び込んできたこと。

消費者への普及啓発・交流事業では、

有機をテーマにしたイベント 「オーガニックフェスタ」 を開催したこと、などが報告された。

有機農業と学校給食についてのシンポジウムも開いて普及に努め、

県内20の学校で有機野菜が導入されている、とのこと。 

立派な成果だ。

 

しかしうまく進んでいるところばかりとは限らない。

正確には、少ない、と言うべきか。

昨年度にモデルタウンとして取り組んだ地区は59まで増えたが、

「産地収益力向上支援事業」 になって、43地区に減った。

これまで取り組んできた全地区の概要を、頁をめくりながら眺めても、

2年で飛躍的に有機が拡大したとは言い難い。

悪口を言っているのではない。 そんなものなのだ。

 

それがたった2年で営業成績評価のようなものに変わった。

主旨変えに反発した地区、収益向上という具体的目標設定に断念した地区など、

理由や実情は微妙に異なるが、全体的に士気が落ちた感は否めない。

 

各種の報告が続く中で、なんとなく会場全体がうっ屈しているように思えたのは、

僕の心境がそうだったからだろうか。

わずかに与えられた質疑の時間も、どうにも消化不良だ。

下山さんも手を挙げる気にならなかったようだ。

 

最後に登壇した金子美登さんがただ一人、

「ただ収益を追う制度でなく、有機農業の本来の意義に沿って発展させていってもらいたい」

とコメントされたのが、救いのように残った。

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" これでいいのか " 感は払しょくできないが、

しかし国の助成は税金である以上、中途半端でも無駄にするわけにはいかない。

有機農業が地域の発展を牽引するものであることを示す、

自分たちにとっての確かな指標を持って進めたいと思う。

 

そんな晴れぬ思いが尾を引く中で、

今日、さんぶ野菜ネットワークから2名の入会登録申請が上がってきた。

研修を経て山武に入植した方だ。

「大地を守る会」 生産者会員としての登録希望である。

そのプロフィールのなかで、

「生産物のもつ 「商品」 以外の価値も共有できる関係を望みます」

のコメントが輝いているじゃないか。

 

ガタガタ言いながらも、しっかりと育ててきたね。

「やることやってっからよ」 - 下山ボスのしたり顔が浮かんでくる。

「登録承認」 で回す。 

やるべきことをやっていくだけ、だね。

 



2010年7月23日

鹿児島で 有機農業フォーラム

 

鹿児島に行ってきました。

昨日から今日にかけて、

かごしま有機生産組合主催による 「第5回有機農業フォーラム」 が開催され、

そこで1時間ほどの講演を依頼されたのです。

 

会場は薩摩川内市、 「湖畔リゾートホテルいむた」 。

ラムサール条約にも登録されている藺牟田(いむた) 湖畔にある。

ベッコウトンボの生息で有名なんだとか。

 

僕に与えられた課題は、

「首都圏における有機農産物の販売動向」。

生産者にはとっても気になる話題だが、語る側にはちょっとつらいテーマである。

 


首都圏での 「有機農産物」 の販売動向といわれても、

販売に関する正確なデータがあるわけではない。

あるのは、有機JAS制度で認証(格付) された農産物の数量データのみである。

しかも存在するデータから読み解こうとすると、

有機農業で頑張っている生産者にはとても厳しい現実を語らざるを得なくなってしまう。

 

たとえばこんな数字がある。

有機農産物の生産量 (「有機」と格付された農産物、ここではすべてこの数字)

の統計が取れるようになったのは、有機JAS制度ができた2001年からであるが、

その年の国内総生産量に占める 「有機農産物」の割合は、0.10%だった。

そして直近のデータである08年には、0.18%になっている。

7年間での伸び率は、0.08%。

数量でいえば、約3万4千トンから5万6千トンで、66%増加となる。

これをどう評価するかは、意見の分かれるところだろうが、

まあ伸びていることは事実である。

とりあえずこれを 「地道に」 と表現させていただく。

 

しかし国民的目線でこのデータを見たときに、

驚かなければならないのは、むしろ国内総生産量の減少ではないかと思う。

7年間で94%に落ち込んでいる。

つまり、分母が6%減ったとろこでの 0.08%増、というわけだ。

分母の数量は、約3,220万トンから約3,024万トンへ。

約200万トン落ち込んだところに、「有機農産物」 が2万トン伸ばした。

衰退していくなかでの 「希望の星」 か、もしかして生き残りをかけての 「有機」 か。

 

憶測で語るのはやめて、もうひとつのデータを提示させていただく。

外国産有機農産物の数字である。

2001年に格付された外国産有機農産物は9万4千トン(すでに今の国内産の倍近い)。

それが08年には、約200万トン。

7年間での伸び率は、2125%(約21倍)。 野菜だけでも730%、米で780%。

まるで国内生産量が減った分を、外国産有機農産物が補ったかのような数字だ。

だとするなら、この数字は絶望的ともいえるし、ある意味での希望ともいえる。

 

こんな数字を示しながら、「有機農産物の販売動向」 をどう語るか・・・

複雑なる心境がご理解いただけるだろうか。

「有機農産物」 マーケットは、間違いなく成長しているのである。

食の自給とは関係なく。

そこで、外国産有機農産物の圧倒的な増加をもって、

結局、有機JAS制度は外国産有機を後押ししただけだと批判する向きがある。

僕の考えるところは、最後の結論まで待ってほしい。

 

個人的感覚だけで喋ってはいけないので、もうひとつのデータを参考に挙げる。

農水省からの委託で、NPO法人 日本有機農業研究会が行なった、

「有機農業に関する消費者の意識調査」 である。 昨年の3月に発表されている。

 

このレポートから炙り出されてくる、消費の像とはこんな感じだ。

・ 「有機農産物」というものの存在については、ほとんどの消費者が知っている。

・ 「有機農産物を一度でも購入した」 経験を持つ人は約6割に達しているが、

   「有機JASマーク」 を理解しているのは1割程度である。

・ 「有機」への理解は 「安全性」 や 「環境にやさしい」 というイメージ。

・ 不満は、圧倒的に価格の高さ、である。 続いて供給の不安定さとまとめられるか。

・ 一方で有機をプラスに評価する人の、価格容認幅は +1割~2割高 くらいまで。

 

他にもいろんな傾向が読み取れるが、まあだいたい想定範囲内である。

こういった調査結果を参考指標にしつつ、

その上で、僕が現実から感じとっている消費と社会的な動向について

触れさせていただいた。

大地を守る会は卸し事業もやっているわけなので、

データだけでお茶を濁しては、石を投げられちゃうだろうし。

 

結論。

有機をめぐる市場は広がりを見せつつも、まだまだ未成熟なのだ。

人々の関心や社会的トレンドは、間違いなく 「有機」 への期待を高めている。

しかしマーケットは動いたが営業メリットは発生せず、

JASマークへの不信感が残る一方で、マーク以上の信頼のツールを編み出せていない。

 

僕は有機JAS制度ができた時から、「JASマークを乗り越えよう」 と

呪文のように唱え続けてきた。

認証やそのマークは自身の営農結果の 「証明書」 である。

それが時代の求めるものであるならば、数々の問題点はあっても、

避けずに正面から突破したいと思ったんだよね。

しかし規格に適合したという 「証明」 をもって、それ以上の価値を、

たとえば自身の食や農業に対する思いを語るものには、けっしてならない。

それ以上の価値は、自らの力で築いていかなければならない。

 

有機JAS制度と表示は、発展への過渡期的必然だったのだ。

結果として外国産有機農産物が氾濫したとするなら、それは制度ではなく、

我々の未熟さの問題である。

 

バカにならないコストと手間をかけて認証に取り組んだ者だからこそ

進むことのできる  " 次のステップ "  がある。

「有機農業」 が目指した社会に向けての、次の一歩に。

 

大地を守る会の最近の動きを紹介しつつ、感じている世の中の変化を伝え、

僕らなりの挑戦の方向を述べさせていただく。

" マーケットの拡大 "  というと商業用語になっちゃうけど、

それは経済の流れとも、人々の意識ともつながって動的なものだし、

なにより生産はそれを強く求めていると思うので、ここでは憚らず使わせていただく。

量だけでなく質の深化も目指して、何を語り、どのようなくさびを打ち込めるか。

証明から価値観を動かす力へ-

 

肝心なことを言い忘れたけど、かごしま有機生産組合は、

実は 「有機的社会」 づくりに向けて、すでに舵を切っているのである。

都市の団体や流通に依存するだけでなく、地域に広がるためのお店を増やし、

直営農場を持ち、農業技術センターを設立させて、

有機農業技術の確立と新規就農者の育成に取り組んでいる。

JASの認証にも取り組んだからこそ、制度に対してモノ申す権利も、

大胆にいえば否定する説明力も持ったことになるワケで、

次の展開への踏み台は、もう足元にあるわけです。

どこよりも活力あるかごしま、を建設してほしい。

 

フォーラムでは、

NPO法人 有機農業技術会議の事務局長・藤田正雄さんの講演もあった。

以前、新規就農者のためのハンドブック-『有機農業をはじめよう!』

の編集で一緒に仕事をさせていただいた方。

藤田さんの講演タイトルは、「土の生き物からみた土づくり」。

多様な生物を活かしながら土をつくる技術。

有機農業の持っている、もっとも根源的な力だ。 化学肥料では土は生産できない。

 

分散会では有機認証のための記帳の煩わしさやコストが語られ、

理想論とは別に、現場でのしんどさは続く。

組合員数が150人にも達すると、組織をまとめるにも相当な苦労があることだろうが、

これからの方向を考えるキーワードのひとつが 「地域」 だとするなら、

自分たちはすでに一つの条件をクリアしつつあることに、どうか自信を持って欲しい。

 

今日の夕方には幕張に戻らなければならない都合があり、

ここでもとんぼ返りになった。

たまにしか来ることができない地方出張なら、

遠方ほどじっくりと見て回って相互理解を深めたいものだが、

現実がなかなか許してくれない。 歯がゆいものだ。 

 

大暑の日のうだる移動に、希望も萎えそうになる。

 



2010年6月27日

有機農業が中山間地活性化の鍵となる、か?

 

ジェイラップさんのお荷物になって、新潟から福島県猪苗代に。

昨日の (株)大地を守る会の株主総会も、

今日の 「大地を守る会の稲作体験」 の草取りもパスして、

こちらでの集会に参加させていただく。

「日本有機農業学会」 公開フォーラム

 - 『有機農業を基軸とした中山間地活性化 -福島県会津地域の事例- 』 。

 

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中山間地は農業者の高齢化、後継者不足、耕作放棄地増大など、

多くの課題を抱えている。 

福島県会津地方において、有機農業を基軸として活性化を図っている事例から学ぶとともに、

今後の方向性について検討するフォーラム。

 

6/26(土)、一日目は2つの基調講演と5つの実践報告が行なわれた。

基調講演1-「農山村活性化のためにどのような視点が必要なのか」

演者は、宇都宮大学農学部の守友裕一さん。

中山間地対策に係わる施策の変化と課題について概括するとともに、

" 豊かさ "  という概念の捉え直しと、

地域が内発的に発展していくためのいくつかの視点が提出された。

 

基調講演2-「中山間地域と有機農業」

演者は、日本大学生物資源学部の高橋巌さん。

これまで調査に歩いてきたいくつかの事例から、有機農業が高齢者の生きがいを刺激し、

あるいは新規就農の動機となり、山間地の活性化に結びつく効果がある一方、

販路確保の問題、加工も含めた6次産業化の方向、都市に対する情報発信の大切さ

などが課題として語られた。

 

分析や課題抽出が中心なので、致し方ないことなのだけれども、

いまひとつ、ピリピリするような刺激がほしいところだ。

自分の意識が分析より新しい  " 仕掛け "  を志向しているからかもしれない。

 

次に実践報告。 ここから僕は、応援団だ。

トップバッターは、本ブログでも常連になった感のある浅見彰宏さん。

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千葉県出身。

東京の大学を出た後、4年間、鉄鋼メーカーに勤務。

95年に退職し、埼玉県小川町の金子美登さんのところで1年、有機農業の研修を受け、 

96年から山都町に移住した。

耕作できなくなった田んぼや畑を頼まれたりしながら増やしてきて、

現在は田んぼ1.5町歩 (150 a)、畑5反 (50 a) を耕すほか、

採卵鶏150羽を飼い、鶏肉ソーセージや味噌、醤油などの加工もやっている。

 

山間部の堰の清掃(堰さらい) に都会のボランティア受け入れを始めたのが2000年。

この活動によって集落全体による都市との交流が始まり、

11年目の今年は41名のボランティアが集まった。

僕は地元の人から、「浅見君には感謝している」 という言葉を何度も聞かされている。

 

浅見さんは冬になると、喜多方・大和川酒造で蔵人となる。

僕らは、大和川酒造での 「種蒔人」 の新酒完成を祝う交流会で出会い、

4年前から堰さらいに参加するようになり、

山都に足を踏み入れたことで、このあとに登場する小川光さんとの交流が生まれ、

山の中で働く研修生たちともつながったのだった。

 

2008年、浅見さんと研修生たちとで 「あいづ耕人会たべらんしょ」 が結成され、

彼らの野菜セットが大地を守る会に届けられるようになった。

この野菜セットは、山都に定住した人だけでなく、この地で学ぶ

就農意欲のある若者たちも含めて応援するというコンセプトであるゆえに、

人が変わっても継続される。 

いわば  " 就農へのプロセスを含めて支援する "  という特殊なアイテムであり、

僕らの山間地有機農業との付き合い方の姿勢も表現するものだ。

まだわずかな数だけど、限界集落とまで言われる山間地の維持を、

これから長く担うことになる彼らの  " 夢 "  をつなぐものだと思っている。

 

山間部は、少数の大規模専業農家で維持できるものではない。

自給的・小規模農家がたくさん存在してこそ、地域の環境や農地そして文化が守られる、

と浅見さんは考えている。 まったくそのとおりである。

そういう意味で有機農業は、中山間地の価値をよく表現できる思想であり技術である。

 

続いては、熱塩加納村(現在は町) のカリスマ、小林芳正さん。

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農協の営農指導者だった時代、1980年から村全体での有機米作りに取り組んだ。

僕らは、反農協の農協マンと呼んで注目した。

熱塩加納村は 「有機の里」 と呼ばれるようになり、地元より先に首都圏で評価を獲得した。

そして1998年から村内の学校給食に導入され、無農薬野菜の供給へと続く。

給食関係者や消費者団体の間で 「熱塩加納方式」 と注目を浴び、全国区の村となった。

 

画期的だったのは、2001年、それまで特例として認められていた自村産米の使用が

特例期間終了をもって廃止されようとした時の父兄の行動である。

県への請願や村の成人90%におよぶ署名活動も認められなかったのだが、

そこでPTAは臨時総会を開き、

「父兄負担がかさんでも、かけがいのない子どもたちに、

 村産の安心できる米を食べさせたい。 米飯給食の補助金がなくとも継続する 」

と満場一致で決議した。 

食においては自立した村であろう、という宣言である。

戦後日本の食の歴史に残しておいていいくらいの事件だと思うのだが。

 

2007年には構造改革特区の認可を受け、

喜多方市内3小学校に 「農業科」 が設置された。

熱塩小学校では、学校の周りの農家から、13a の畑と 6a の水田を借り受け、

小林さんの指導で野菜や米作りを学んでいる。

できた野菜はもちろん給食の食材として利用される。

食農教育の成果が見えてくるのはこれからである、とまとめたいところだが、違う。

鈴木卓校長によれば、「他の教科の学力も上がっています」 - のである。

 

余談ながら小林さんは、村が喜多方市と合併した際に、

喜多方市熱塩加納町という住所になったのが気に食わない。 

村を 「村」 として愛するがゆえにたたかってきた反骨の士としては、

いきなり 「町」 に変わってしまったことで、

自分の誇りが軽いものなってしまったような悔しさを覚えているようだった。

 

3番めの実践報告は、「会津学を通じた地域の再発見」 と題して、

「会津学研究会」 代表、昭和村の菅家博昭さんの報告があった。

子どもたちが、家に残る古い写真を題材に、

お爺ちゃんやお婆ちゃんから昔の暮らしを聞き取りして、残している。

地元の文化や自然・環境との関わりあいを再発見する地元学の取り組みである。

それにしてもご自身の住所に、「福島県  " 奥会津 "  大沼郡~」 と書くあたりに、

会津人の心奥が覗いている。

司馬遼太郎さんの 『街道をゆく -奥州白河・会津のみち- 』 にも、こんな一節があるね。

 

   「福島県人ですか」

   というと、

   「会津です」

   と答えた。 その誇りと屈折は、どこか大ドイツ統一以前のプロイセン王国に似ている。

   

さて、4番バッターは、小川光さんだ。 

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福島県の園芸試験場などの研究職員を辞して、山都に入り、

灌水設備も整えられない山間部で、ハウスを使った有機栽培技術を確立させた。

それを惜しげもなく若者たちに伝えることで、

環境保全と耕作放棄地の解消、そして山間地の活性化をはかろうとしている。

研修生には経営能力も身につけさせたいと、

一人13a 程度の農地を割り当てて、そこで収穫・販売したものは自身の収入になる、

という方式をとっている。 もちろん畑づくりやハウスづくり、苗作りなど

共同で行う作業をベースにしながらであり、これを小川さんは 「桜の結」 と名づけている。

 

しかし人の育成というのは生易しいものではない。

毎週木曜日には 「ゼミナール」 を開講し、農業の基礎を学んだり、

農家や鍛冶屋などの技術者を訪問して話を聞くといった機会をつくっている。

悩みも多々あるようで、

「作物を粗末に扱う者を見ると腹が立つ」

「道具や部品がしばしば紛失したり壊れたりする。 それはすべて私が買ったもので、

 無償援助の資材が粗末に扱われるのはODAと同じだ。 できれば本人に買わせたい」

「この方式は儲からない、という人に限って、その人のハウスには

 熟しすぎて割れたトマトが大量に成っていたりする」

などなどなどなど・・・・・

いやいや、額に♯を浮かばせた小川さんと呑気な研修生たちのやり取り風景が、

微笑ましく (失礼) 浮かんでくる。

そんな愚痴をこぼしつつも、小川さんが育てた研修生はすでに100人に達する。

小川さんの世話で山都に定住した数40世帯90人、地元で生まれた子供が22人!!

活性化の課題?  - この人を見よ、って感じか。 

 

こんな功績が認められ、小川さんは今年、歴史ある 「山崎農業研究所」 による

山崎記念農業賞」 を受賞された。

授賞理由-

「省力的で経費のかからない合理的な栽培技術の追求と中山間地への就農支援を

 結合させた小川さんの取り組みは、過疎化にあえぐ中山間地の農業・農村に

 希望を与えてくれるものといえる。 

 このことを高く評価し、第35回山崎記念農業賞の表彰対象に選定する。」

 

小川さんには晴天の霹靂のような連絡だったようだ。

何を隠そう、選考にあたっては、わたくしのブログも少し参考に供されたようで、

ちょっとプチ自慢したいところである。

山崎農業研究所の説明は、HPを見ていただくとして、

僕が研究所の存在を知り、関係者の方と知己を得たのは、

発行書籍 『自給再考 -グローバリゼーションの次は何か 』 を

偉そうに論評してしまってからである。

 

小川さんの授賞式は7月10日(土)にあり、

なんとお祝いのスピーチをしろ、という要請を受けてしまった。

オレなんかでいいのかと戸惑いつつ、

こちらにとってもありがたい栄誉なのだと思って、出かけることにしたい。

 

ちなみに、小川さんは第35回の受賞だが、

小林芳正さんは第8回 (1982年) の受賞者である。

他にも、敬愛する福岡の宇根豊さんが第11回(1985年)、

一昨年の第33回には野口種苗研究所の野口勲さんが、そしてなんと、

先だっての後継者会議レポートの最後に紹介した宮古島の地下水汚染対策で、

土着菌と地域資源を活用した有機質肥料を開発した宮古農林高校環境班が、

第28回(2003年) の受賞者に名を連ねている。

こういう団体の存在は、貴重だ。

 

 

ここんところ、ネタそれぞれに深みがあって、

どうも長くなりすぎてますね。 スミマセン。

今回も終われず、「有機農業を基軸とした中山間地~」 をもう一回、

続けさせていただきます。 

 



2010年6月12日

モデルタウンから収益力向上へ・・・

 

千葉・さんぶ野菜ネットワーク事務局の川島さんから、

「山武市有機農業推進協議会」 の緊急幹事会を開くという招集がかかっていて、

今日は夕方6時からの会議に出向く予定にしていたのだが、

やんごとない事情が発生して欠席させていただくことになった。

 

緊急幹事会とは、いったいどういう事態になっているのかというと、

2年間続いた有機農業推進法によるモデルタウン事業が

昨年の事業仕分けの対象になって、それが議論の末、どういうわけか

「産地収益力向上支援事業」 という

新しく設定された枠のなかに組み込まれたのだ。

 

有機農業ををどう地域に広め定着させてゆくか、だけでなく

有機農産物の産出額を増やし、収益力を高め、所得を向上させる、

その目標(額) の設定と事業計画が求められた。

 

そこで山武市有機農業推進協議会としては、

ここ2年で進んだモデルタウン事業を後退させるわけにはいかないと

改めて事業計画書をつくり申請したのだったが、

想定外の部分で修正を要求され、申請書を書き直さなければならなくなった。

ついては急だけど、というのが川島さんからの連絡なのだった。

 


農政局からいちゃもんつけられたのは、

主に新規就農者のための研修にかかる事業予算のところだったらしい。

研修生のための宿泊施設への助成は出せない。

研修生を指導する農家への謝礼は減額せよ、とか。 

 

山武では研修生用に空き家を一軒借りている。 もはや 「いた」 と言わなければならないか。

今年も3名の研修生がいて、2人が遠方のため利用しているのだが、

それも使えなくなるとのことで、1人は山武に就農した元研修生宅に居候することになり、

さてもう1人は・・・思案中だとか。

「受け入れ農家も増えなくなる可能性がありますねぇ・・・」

と川島さんは心配している。

 

一昨日の日記で紹介した栃木の 「民間稲作研究所」 の稲葉光圀さんも、

研修所は建てたが、これからは自力運営だと腹を決めている。

 

茨城県行方市で協議会をつくってやってきた卵の生産者、濱田幸生さんからは

先日、「新予算はとらない」 とのメールが入ってきた。

「ソフト予算に費用対効果を数字で求めるような非常識なものを取ってしまうと

 身動きがとれなくなります」 とある。

「旧予算の仕分け時にはたいへんにご尽力いただきましたが、残念な結果になりました。

 有機農業支援法をつくる段階から6年、

  ~~ もう国になにも期待するものはありません。 従来どおり勝手にやるだけです。」

 

一昨日も書いたとおり、自力運営はもとより僕の支持するところだが、

有機農業者の育成という、手間のかかる部分を加速させてくれたエンジンが

モデルタウンの側面でもあった。

 

それが一気に減速して、収益の向上計画に変えて申請せよ、とは。

たった2年で似て非なる支援事業に様変わって、

計画の修正、途中断念が相次いでいる。

 

有機農業推進法の歴史的評価はまだ早すぎるけど、

法の理念を体現するべき事業 (税金の使い方) の変質が

法で目指した目標にどんな影響を与えるか、の格好の事例を見せられているようだ。

 



2010年4月30日

有機農業をはじめよう!

 

報告が遅れてしまったけど、

以前お伝えした有機農業での就農を支援するガイドブックが完成した。

発行元はNPO法人 「有機農業技術会議」 。

「農を変えたい!全国運動」 から生まれ、

有機農業の技術的進化と若者たちの就農支援の窓口的役割を果たしている。 e10041201.JPG

編集委員は、元京都大学の西村和雄先生、茨城・JAやさとの柴山進さん、

埼玉・小川町 「風の丘ファーム」 の田下隆一さん、出版社 「コモンズ」 の大江正章さん、

自然農法国際研究開発センターの藤田正雄さん、そして私。

昨年の12月から月一回程度の編集会議でトントンと作業が進んで、

3月末に完成した。

執筆いただいた各氏の迅速なご協力に感謝するとともに、

スムーズに完成まで漕ぎつけられたのは、

事務局を務められた藤田さんおよび編集スタッフの方々の尽力によるものである。

 


巻頭はコモンズ・大江さんの執筆。 

有機農業こそ本来の農業であると、

これから有機農業を始めたいと考えている若者たちにエールを贈っている。

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元大地職員、富良野に行った君(徳弘英郎・京子夫妻) も、成功事例として登場。

先輩たちに恵まれた幸運もあったが、

親身に世話していただけたのも本人たちの努力が評価されてのことだろう。 

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 「分かっていないということが分からないなど、知っていれば10分で行ける道のりを

 1時間かけて歩くような苦労はたくさんありました。」

そして最後に、

「農業収入で生計を立てることは、小規模であろうとも 『起業』 です。

 『とりあえず』 的な考えは禁物 」 と後輩へのアドバイスもビシッと決めている。

 

他にもいろんなパターンでの事例や、有機に関する各種情報、

就農する場合の道すじなど、まあまあコンパクトに収められたと思う。

パンフレットご希望の方は、有機農業技術会議にお問い合わせください。

  http://www.yuki-hajimeru.or.jp

 



2010年3月 4日

オーガニック応援隊

 

今年の 「2010だいちのわ ~大地を守る東京集会~」 では、

共通テーマとは別に、もう一つの目玉として、

生産者・メーカーさんたちによる就農相談・求人コーナーが設けられた。

その数14ブース。

チラッとしか覗けなかったのだけど、反応はどうだったのだろうか。

 

奈良・王隠堂農園御浜天地農場さん。

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千葉・さんぶ野菜ネットワークさん。

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山形・おきたま興農舎さん。 

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熊本・肥後あゆみの会さん。 

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・・・などなど。

 

結局販売ばっかりだったというボヤキも一部で聞かれたりしたが、 

就活中の学生も来たようで、全体的にはそこそこの相談があったとのこと。

さて具体的な成果のほどとなると、相談された方自身の

次のアクション次第ということになるのだろう。

 

大地を守る会としては初めての試みだったのだが、

これはけっして一度っきりのイベント的な試みではない。

産地での就農者募集と若者たちの就農希望をつなぐパイプづくりを、

これから積極的に進めてゆこうという、我々の意思表示でもあったのだ。

 

その本気度を表すものとして、

今回の東京集会の開催に合わせて、新しいサイトをひとつオープンさせた。

名づけて ~大地を守る求人情報~ オーガニック応援隊  』

 


現在のところはまだ、東京集会に合わせてのプレ・オープンとして、

出展していただいた団体の情報しか掲載できてないけど、

これから本格的に産地・メーカーの就農・就職 (就漁も就林業も) から

研修生・アルバイト募集などの情報を充実させていく計画である。

 

高齢化や耕作放棄地の増大といったニュースが流れる一方で、

本屋さんには 「農業は儲かる!」 みたいな本が並ぶ奇妙なご時世だけど、

要するに、一次産業が滅ぶことは、実はないのだ。

未来は、環境と調和した農林水産業の担い手たちの手にかかっている。

それは間違いない。

 

昨日は、前にも報告した 「NPO法人有機農業技術会議」 による

就農支援ガイドブック制作のための、最後の編集会議が開かれた。

ガイドブックのタイトルは 「有機農業をはじめよう!」。

有機農業の解説からはじまって、就農までのステップ、

先輩たちの具体的事例やアドバイス、有機に関するQ&A、

情報収集のためのINDEXなど、コンパクトにまとまったように思う。

ガイドブックは今月中にも完成する予定である。

 

風を吹かし、場や情報を提供し、橋をつけ、

山から海までをネットワークしながら、仕事を創り直していきたい。

そうやって時代を変えてゆければいいと思う。

 

近いうちに、本格的に求人情報の受け付けを始めます。

乞うご期待!

 



2009年12月25日

有機農業と生物多様性

 

有機農業の意義 について話をしてほしい。 

しかも生物多様性の視点を絡めての論点整理を。

 

こんな依頼が1ヶ月ほど前にあって、例によって安請け合いしてしまう。

依頼を頂戴したのは、第二東京弁護士会から。

ちょっと敷居が高いような・・・という気もしないではなかったが。

 

きっかけは10月19日の 「地球大学」 だった。

参加者の中に弁護士さんがいて、「弁護士会でも話をお願いできないか」

なんて言われて、イイ気になってしまった。

 

第二東京弁護士会には 『環境保全委員会・食と環境部会』 という部会があって、

食の安全や環境問題などで政策提言をまとめたり意見書を出すなどの

活動を行なっている。

その部会でいま有機農業について勉強会を始めたところ、

生物多様性の観点も必要だ、ということになったらしい。

弁護士さんも有機農業について勉強をしてくれているんだ。 嬉しいね。

「私なんぞでよければ、喜んで」 という気にもなろうというものだ。

 

そんなわけで、午後、霞ヶ関の弁護士会館までいそいそと出かけたのよ。

クリスマスなんて言葉に何の期待も感慨も抱かなくなった自分を発見しながら。

 


集まってくれた弁護士さんは10人ほど。

多いのか少ないのかは考えないこととして、

「地球大学」 で使ったパワーポイントを再編集して、

「有機農業の意義」 について、生物多様性の視点を絡めながら喋らせていただいた。

 

僕は有機農業の生産者ではないし、専門の研究者でもない。

一介の流通者でしかないので、「有機農業とは-」 といった理論の面では、

すでに何回かの勉強会を重ねてきた弁護士さんたちには、

当たり前の話しかできなかったかもしれない。

それでも、生産と消費をつなぐという 「現実」 と日々格闘している者として、

有機農業の今日的な意義と課題については、

誰よりも  " 生のもの "  として捉えているつもりである。

 

近代農業に対するアンチ・テーゼとしての有機農業から、

もっとも持続性・安定性のある農業としての役割が求められてきていること。

そして 「有機農業推進(法)」 の時代を迎え、その向こうには、

国民の健康と環境政策・国土保全政策から地域経済、エネルギー、教育など、

すべての政策とリンクした、持続可能な社会のための 「基盤としての有機農業」

の確立が待たれていること。

生物多様性は、そこでの重要なキーワードのひとつであり、

有機農業はまさに、生存の基盤を育む生産技術と思想として進化しつつあること。

 

政策提言の観点でも、いくつかの考える素材を提供させていただいたつもりであるが、

さて、自分の言葉にどれだけの力があったのかは、分からない。

反省だけは怠らないようにしたい。

 

帰りの道々、思い返しながら気になったのは、

弁護士さんたちはどうやら、有機農業に対する批判や懐疑論を検証したいと

思われていたフシがあって、そのことに時間がさけなかっただけでなく、

僕の説明にも不充分な点があったことだ。

いずれちゃんと整理して、お返ししなければならない。

 

やっぱ講演というのは、自身の底力が反映するものである。

何度やっても、怖い。

 



2009年12月17日

育成・・・はマニュアルではないけれど。

 

ただ働かせてばかりで、全然教えてくれない。

 Vs.せっかくチャンスを与えているのに、聞いてこない。 勉強もしてない。

 

ここには受け皿が整ってない。

 Vs.無理してでも用意してやろうかと思ってたけど、これじゃ面倒見れない。

 

・・・え?、ウチの話かって? ・・・おタクもそうなの?

 

どこの職場にもありがちで、身につまされるような会話がなされている。

働かせてるって、教えてるってことなんだけどねぇ・・・。

 

何の話かって?

有機農業推進のために設置されたモデルタウンから聞こえてくる話である。

新規就農希望者のための門戸(支援策) を開いたまではいいが、

育てる側と育てられる側に、どうもやはり、温度差がある。

「条件整備ができてない。」

 Vs.「条件が整っている産地なんてあるわけないだろ。 自分で切り開くんだよ。

    その手助けはするって言ってんだよ!」

 

門戸は門戸、である。 それが開かれただけでも画期的だと思う。

双方のストレスは、現段階での登竜門的課題を表しているとも言えるし、

実はあらゆる世界で連綿と続いてきた、後進育成の宿命のような気もしたりする。

成長すればいいのだ。

-なんて思っていたら、例の 「事業仕分け」 で有機農業推進事業は 「廃止」!だと。

これでさらに混乱が増している。

 

そんなめんどくさい情勢下ということもあって、

このところ名ばかりの幹事になってしまっていた千葉・山武有機農業推進協議会の会議に

久しぶりに顔を出すことにした。

仕事を途中で切り上げ、山武での夜の会議に遅れて参加する。

 


こちらも、こと研修生に関しては似たような状況である。

親の心子知らず・・・みたいな。

相手が 「やる気を持って来てくれた」 はずの人、という思いが強いほど、愚痴も強くなる。

これを解決するには、最初の面接段階での  " 合意 "  というプロセスをつくることが必要では、

と提案する。 オリエンテーションが大事なんじゃないだろうか。

受け入れ側の現実と、入る側のど素人さゆえの妄想とのマッチングは難しい。

厳しさと優しさの使い分けなんかも、そんなに賢くできるわけないし。

 

また、カリキュラムを作れば人は育つ、というもんでもない。

農業は特に。

教習所の優しい教官みたいな生産者は少なく、だいたいがトラック野郎みたいな連中だ。

自然相手の仕事はマニュアルだけでできる世界ではない。

ただ、自己満足の事業ではないのだから、

自分たちはここまでは教えてやる (あとはお前がつかめ)、

という育成のプログラムは分かるようにしておく必要があるだろう。

 

こんな議論をしながら、たとえ今年失敗しても、来年また失敗しても、

出会いはたくさんあったほうがいい、と僕はまだ秘かに楽観的である。

補助金がなくなったって、元々なかったんだから、くらいの気持ちだし。

 

有機農業は推進する、という気概は衰えない、ということだけは示していこうよ。

人はゼッタイについてくる。

 

ま、そんな感じで、少なくとも山武は

右往左往しながらも、真面目に話しあってます。

 



2009年12月 4日

「有機農業をはじめよう」 就農ガイド

 

昨日は人間ドックのため休みを頂戴していたのだが、

「検査の前で酒休んだんなら、今日は飲みたいっしょ」

「オレがさ、わざわざ青森から来てやったっていうのに、逃げるわけ」 と、

青森・新農業研究会会長の一戸寿昭さんが脅しをかけてくる。

もちろん仕事があっての来訪で、ちゃんと担当が対応してくれているのだが、

ま、しょうがないので、夕方出社する。

「まだバリウムが残ってるよ~」

「じゃ、水分補給でしょ。」

それって、ここでいう 「水分」 じゃないと思うんですけど・・・

 

こんな感じで、いよいよ今年も師走、" 飲み "  のシーズンに突入である。

(いつも飲んでるけど、師走は別・・・・・ガンバロー!)

忘年会から新年会へ- 頼むから今年も持ってね、この体。

というワケで、だいたいこの時期に人間ドックを入れる。

検査の結果は数週間先になるが、今回の自慢は、骨密度かな。

「年齢平均の125%です。 上がってますねぇ」 と看護士さんから褒められた。

「ま、当然ですね」 に、ハア? とバカにした表情。 笑ってほしかったのに。

そんなことより問題は、肝機能だよ、君。

 

一戸さん来会で、若い職員も何人か集まって、一席。

話題はもっぱら景気の悪さ。

農家への戸別所得補償など政治の話については、生産者もまだ様子見の状態。

あんまりここで披露できる話はなくて、スミマセン。

 「あるのはカラ元気と意地だけよ」 と、励まし合ったのだった。

結局、休みだっちゅうのに事務所に泊まってしまったアタシ。

嫌な予感のする、師走への入りだなぁ・・・・・

 

ま、そんな話はともかく、今日は午後から東京に出かけたので、その話を。

有機農業で就農を考える人たち向けのガイドブックをつくるという話があって、

その編集会議に呼ばれたのだ。

 


ガイドブックを制作することになったのは、NPO法人 有機農業技術会議

" 農を変えたい!全国運動 " から生まれ、

有機農業技術の研究開発・体系化と、農業者の育成を目指して設立された団体。

有機農業推進法による助成を受け、有機農業への参入支援にも取り組んでいる。

その一環として、有機農業を志す人々を手助けするガイドブックを作ろう、

ということになった。 

集まった編集委員は、「有機農業技術会議」 から元京大教授の西村和雄さん、

茨城県・石岡市(旧八郷町) で有機農業推進モデルタウンの代表をされている柴山進さん、

埼玉県小川町で有機農業を営みながら多数の研修生を育ててきた田下隆一さん、

愛知県で有機農産物の生産から流通まで手がける池野雅道さん、

出版社・コモンズ代表でジャーナリストの肩書きも持つ大江正章さん、

そして私の6人。

この編集会議にお声かけ頂いたのは、技術会議の事務局で

(財)自然農法国際研究開発センターの藤田正雄さんからであった。

 

要は、「有機農業をやりたいけど、どう動いていいのか分からない」 という若者たちを

ガイドする冊子をまとめるということなのだが、そういうのって、もうあるんじゃないの?

と思った方は、有機農業に馴染んでおられる方々か。

メディアでも取り上げられることも多くなった有機農業だが、

扉はいっぱいあるようで、どこから入ればいいのか、伝手(つて) のない方にとっては

あればあるだけ不安も涌いたりするものである。

就農相談の窓口も今では全国の自治体にあるが、有機農業をサポートできるかと言うと、

だいぶ温度差がある。 あるようでない、ないようである、という感じなのだ。

戸惑っている人も多いと聞く。  

せっかく有機農業をやる気になった人たちが失敗しないよう、

入口としての適切な手引書を作っておきたいという気持ちは分からなくもない。

 

事業仕分けの影響は大丈夫ですか? と意地の悪い質問を投げてみる。

「国がどう変わろうと、有機農業推進は推進、モデルタウンはモデルタウンである、

 という考えもあります。」

なるほど、力強い。 

 

一気に構成を組み、執筆者や取材先を決め、取りかかることになった。

欲を出せば、あれもこれもとなるが、計画はA5版32ページという小冊子なので、

ポイントを絞り、どこまで削るかのほうが議論になる。 これがけっこう難しい。

 

就農者で成功した実例も掲載しておきたい、という話にもなって、

ここで大地を守る会の元職員の名前が複数上がった。

嬉しいものだね、こういうの、ほんとに。

その中で1名、北海道という厳しい土地に就農した事例として執筆依頼が決定した。 

富良野に行った君。 そう、君のことです。 あとで連絡するから、書くように。

嫁さんに書いてもらってもいい (たぶんそうなるだろうが)。 

これは先輩としての使命、ミッションだからね。

" ワシは、こんなとこ、来とうはなかった! "

  - は、無しでお願いしますよ。 多分ここではウケないと思うので。

 

しかしここで、いちおう念のために。

流通の仕事を経て就農、というのをモデル・コースのように思われては困ります。

「ウチは腰掛け先ではありません!」

結果として、夢を持って巣立つのは、許すが・・・・・

 

僕が引き受けた原稿は、有機JASの解説。 なんだかね。

 



2009年11月27日

『有機農業で世界が養える』-か? (続き)

 

有機農業で世界が養える! 

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足立恭一郎さんが手にしたデータとは、

米国ミシガン大学のキャサリン・バッジリー助教ら8名による共同研究チームが

2006年6月に発表した 「有機農業と世界の食糧供給」 と題する調査レポートのことで、

一昨年5月にローマで開かれたFAO(国連食糧農業機関) でも報告され、

検証されている。

僕が以前(8月16日付) にちょこっと触れたFAO情報の元データということになる。

 

このデータを解析するにあたって、足立さんはまずもって丹念に計算し直している。

そしてデータをただ礼賛するだけでなく、批判や反論も取り上げながら、

慎重に詳細に反証を試みていく。 

大切な恋人を汚さぬよう、一片の傷も見落とさぬよう、視野脱落を恐れつつ......

まさに 「30年来恋い焦がれ」、待ち続けた宝ものを確かめるがごとくに。

足立さんはきっと、書き上げた原稿を何度も読み返したに違いない。

そして速攻で上梓まで仕上げたコモンズの大江さんの力技に讃辞を送りたいと思う。

 

足立さんの論考をここで詳述して本が売れなくなってはいけないので、

深入りはやめておきます。 

関心を持たれた方はぜひ書店に、あるいはネットでご購入ください。

 

ただ、ここだけは紹介しておきたいと思う。

昨日の冒頭で紹介した 「有機農業で世界は養えない」 の主張に、

この調査データを重ねると、次のようになる。

 


農産物の単収(単位面積当たりの収穫量) 比に関する

53カ国293の標本から導かれた結果は-

A) 先進国においては、「有機農業は慣行農業より単収比が7.8%少ない」。

B) 途上国においては、「有機農業は慣行農業より単収が80.2%多い」。

C) 世界全体では、「有機農業は慣行農業より単収が32.1%多い」。

 

つまり、有機農業では単収が落ちる=人口扶養力が低い、というのは

先進国のデータでしかない、というわけだ。

上の3行だけでは、おそらく様々な疑問が湧いてくることかと思う。

途上国は農薬や化学肥料を買えないので単収が低いのではないか、とか・・・・

そう思われた方は、ぜひご一読の上、検証いただきたい。

農薬や化学肥料に頼るより合理的な形の提示も、足立さんは忘れていない。

 

また上記のデータは、研究者時代の足立さんを苦しめた次のセリフに対しても、

回答を指し示している。

「生産性が低く、価格の高い有機農産物は、金持ちの国や個人にしか買えない。

 有機農業は 『地球環境にやさしい』 かもしれないが、『貧乏な国や人には冷淡』 だ。

 結局のところ、『貧乏人は食うな』 ということか?」

答えは逆だよね。

有機農業は金持ちのための生産方法ではなく、お金を持たない人々でも実践できる

生産技術であり、考え方である、ということだ。

農薬や化学肥料で途上国の単収を上げる、という道筋ではなくて、

農薬などを買うためのお金を必要とせず、

地域資源を活用して生産を安定させることの方が、環境も暮らしも安定する。

それには途上国が換金作物の生産に依存しない社会へと進む必要があるけど。

いずれにせよ、足立さんの 「有機農業はけっしてぜいたくな農業ではない」 の主張を

僕は全面的に支持するものである。

 

現状ではまだ突っ込まれる部分もある有機農業だけど、

いつもはにかんだような優しい笑顔を投げてくれた足立さんの溜飲がもっと下がって、

喜び讃え合える時代が、そう遠くない将来、来ることを信じたいと思う。

 

『 民主主義の真の温床は肥沃な土壌であり、

 その新鮮な生産物こそ民族の生得権なのである。 』 

    -アルバート・ハワード著 「ハワードの有機農業」上巻(農文協刊) より-

 



2009年11月26日

『有機農業で世界が養える』-か?

 

「有機農業では世界の人口を養えない」 

 - このセリフは長らく、有機農業を批判する際のお決まりの主張のひとつだった。 

しかしこの論には陥穽(かんせい、≒罠) が潜んでいて、

現在の農薬・化学肥料による単位面積当たりの生産量と、有機農業によるそれとを

単純に比較して結論づけただけのお手軽な仮説でしかないのに、

不思議に " 世界の常識 "  のように言われるのだ。

有機農業だと生産性が落ちるので世界の胃袋は満たせられない、と。

現場から離れた学者ほど、この論にはめられる傾向がある。

この計算根拠のミソは、" 現在の "  にある。

 


そもそも、農薬と化学肥料で世界じゅうを養えたという歴史的事実はないし、

農薬・化学肥料がない (つまり有機農業が当たり前の) 時代から

農薬・化学肥料がもてはやされるようになった時代までひっくるめて、

世界の食料需給は行ったり来たり (養えたり養えなかったり) してきたんじゃない?

地球上での飢餓の存在は、むしろ今日の方が恒常化している、ってことはないでしょうか。

「飢餓は生産方法の問題ではなく、分配(奪っている) の問題である」

という主張のほうが、僕にはずっと腑に落ちるのである。

いやいや、今日の穀物生産を支えているのは農薬・化学肥料じゃないか

(現状ではそうは言える)、と仰る向きには、

それはたしかにグローバリズムと食料の低価格化に貢献したとは言えますね、

と評価してお返ししたい。

もしかしたら飢餓にも貢献しているかもしれない、と思ったりもするのだが。

 

しかしこの議論をする際にもっとも重要なことは、現代の有機農業が、

農薬・化学肥料に依拠した近代農法への反省から生まれ(というより、復活し、か)、

今日さらに発展してきているという 「事実」 である。

その反省とは、近代農法による人の健康への影響に対する反省であり、

生態系バランスの衰退(環境汚染) への反省であり、地力の減退への反省であり、

農産物の生命力(安全性・栄養価・味等も含まれる) の減退への反省、等々である。

それらは見事に近代農法の不安定性を表すものであるし、

一方で有機農業によって地力が回復・向上することで収量が " 安定する " 

という世界が証明されてきているとしたら、さてどちらが将来の人口を養う力があるのか、

どちらに未来の生命を委ねるべきなのかが、見えてこないだろうか。

だからこそ、有機農業の技術体系の確立を急ごう! なのである。

 

とどめは、有機農業の資源はなくならないし、どこにでもあるが、

化学肥料の資源は有限である、という 「事実」 だろうか。

 

いま目の前にある数字で未来まで占って、

環境への負荷や健康リスクのほうを選択するわけにはいかないでしょう。

「世界を養えるかどうかは、近い将来、実力で示すことになるであろう」

という宣言で、この論争は終わりにしちゃいたい、というのが僕の感覚だった。

 

ところがしかし、ここにきてにわかに、

終わるわけにいかない事態へと進んできているのである、このテーマが。

論争が、新たなステージに移った、といってもいいだろうか。

科学的専門領域から、新しいデータが出されてきたのだ。 

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足立恭一郎さん。

農林水産省の研究所に勤めながら、ずっと有機農業の可能性を説き続け、 

それゆえにいじめられ続け、冷や飯を食らわされながら、3年前、退官された。

大地を守る会には、いつも温かい眼差しを送ってくれた方である。

その足立さんが、ついに念願の、いや悲願のデータを手にされた。

あとがきによれば、

「30余年の長きにわたり、恋い焦がれてきた恋人に、ようやく出逢えた」

と、その喜びを率直に語っておられる。

『有機農業で世界が養える』 -出版は畏友・大江正章さんのコモンズから。

統計データを扱う際の足立さんの真摯さと、執念がにじみ出た論考である。

 

スミマセン。 今日はここまで。 明日、もうちょっと解説を。

 



2009年10月 1日

有機農業推進と有機JAS規格(続)

 

偉そうに長々と書いちゃった手前、自分の有機JASに対する評価と、

大地を守る会が進めようとしている " 監査 "  の考え方について、

触れないわけにはいかなくなってしまった。

まあ別にモッタイつけるほどのものでもないし、もう進めているものでもあるので、

話の流れ上、記しておくことにする。 各方面からのご批評を賜れば幸いである。

 

まず有機JASについて。

僕の認識をひと言で言っちゃえば、こういう感じかなぁ。

「有機JAS規格と認証制度は、自己を証明するひとつのツールであって、

 それ以上でも以下でもない。」

 


自身が持っている栽培基準が有機JASの規格に等しい、あるいはそれ以上だと考えるなら、

それを誰に対しても証明できる管理体制を整え、第3者の監査も受けてみることは、

決して悪いことではない。

むしろ他流試合を挑むくらいの気持ちでトライしてみるといい。

自分の思い込みや甘い部分が指摘されたりして、自己診断や改善にもつながる。

大地を守る会でも独自に産地の監査を実施しているが、

第3者の認証機関やオーガニック検査員の視点を盛り込んで進めている。

そこでは、有機JASの認定を受けている生産者は管理の基本ができている、

というのが我々の評価である。 したがって証明も早い。

もちろん文書管理は増え、認証費用もかかることになるのだが、

このご時勢、コストや労力がかかりすぎるからという理由で、

栽培履歴が証明できない (=トレーサビリティの体制がない) では、次に進めない。

 

一方で、有機JASなんか不要だ、という頑固な生産者もいる。

農薬・化学肥料は有機JASで許容されているものですら一切使わないし、

国のお墨付き (JASマーク) もいらない、という方々だ。

これはその人の考え方や哲学のようなものなので、それはそれでよし、とする。

しかし、大地を守る会の監査は受けてもらう。

そこでは、有機JASの監査で要求される管理の仕組みは、

ひとつのスタンダードとして活用する。

つまり 「有機JAS農産物」 は認証の結果による表示であって、

それだけが 「有機農産物」 なワケではない。

 

もうひとつの動きとしては、新たに有機農業にチャレンジする生産者には、

有機JASはひとつの登竜門的機能を果たしてもいる、ということもある。

そこは生産者の努力の結果として正当に評価しなければならないだろう。

 

したがって当然のことながら、

大地を守る会の監査の対象は、当会に出荷する農産物すべてが対象となる。

監査が自己証明の手法であるとするならば、

農薬を使用せざるを得ない場合も同じであって、

記録や資材管理は有機JASの認証を受けた方々と同じレベルを要求することになる。

有機JASの認証を取得して、その後 「大地の監査でいい」 とJAS認証を撤退した

誇り高き生産者を、僕は知っている。

 

したがって、有機JAS制度が有機農業の推進を阻害している、とは

僕らの感覚では正確な分析ではない。

「有機農産物」 と表示した国内の農産物が増えてないだけなのだ。

批判するにせよ評価するにせよ、有機JASに執着すればするほど、

呪いにかけられたように表示規制に呑まれてしまうような気がする。

これは常に戒めなければならないことだし、僕らは

有機農業の世界を豊かに進められているかどうかをこそ、検証しなければならない。 

 

そのために必要なことは、自らの 「基準」 に有機農業の推進を据えられるかどうか、だろう。

基準とは、自らの生き方の指針でもあり、監査の 「ものさし」 ともなるものだから。

「ものさし」 が単純な資材の使用可否や文書管理のマニュアルでしかないのなら、

それだけの監査しかできない。 

有機JAS制度を批判ですますことなく、

実体をもって進化させられるかどうか、ではないだろうか。

 

豊かな認証制度をつくるには、有機農業の基準と物差しが進化しなければならないのだ。

国も認めざるを得ないような物差しが欲しい。 

僕が感じている課題は、前回書いた通りである。

 

ただし各種の研究をただ待ってもいられないわけで、

僕らは僕らで、自分たちの基準 (ものさし) に従って、監査を進化させなければならない。

栽培にあたって行なわれた行為を確認するだけでなく、

生産者個々の課題への取り組みや、それによってどんな価値が生まれたかを

監査できるシステムをつくりたい。 その手法はまだ手探りだけど、

いつか生産者とともに誇れるようなモデルをつくりたいと思うのである。

それは監査を続けるなかでしか獲得できないだろう、そう思って模索を始めている。

そのために、有機JASの認証機関や検査員の力もお借りする。

彼らが、海外のオーガニック農産物の認証で生計を立てるのではなく、

しっかりと国内での有機農業の推進のために仕事ができる、

そんな環境づくりにもつながるものとして。

 

有機JAS制度が海外のオーガニック製品の流入を後押ししたとかいって批判しても、

実にせんない気がする。

自分たちの力の弱さだと自己批評しなければ、運動は発展しない。

 

さて、前回の冒頭の話に戻れば、

農水省の有機農業推進班の方々が意識しつつある課題は、

有機農業推進法の制定とモデルタウンの進捗によって、生産が拡大するとともに

販路の確保が重要になってきている、ということ。

「大地さん、何かいい知恵はないですか。」

どーんとこい、と言い切れないところが弱いところだが、

僕の答えは、この2回の話に尽きる。

鍵を握るのは、消費者の理解なんだけど、

そのためにはそれぞれの立場で  " 創造的な "  仕事を進めなければならない。

創造を伴わない批判は、その運動の質も停滞させる。

 

運動家なら、創造に賭けよ。

研究者なら、真実を探求せよ。

耕作者なら、土をこそ守ろう。

流通者なら、健全な人々のネットワークに心血を注ごう。

監査や認証は、そのためのツールである。

 



2009年9月30日

有機農業推進と有機JAS規格

 

有機農業推進法や有機JAS規格については、これまで何度か書いてきたけれど、

先日、農水省の有機農業推進班 (正確には農林水産省生産局環境対策課)

の方と話をする機会があった。

話題は、今後の  " 推進 "  について。

有機農業推進モデルタウンの進捗によって生産が拡大してくれば、

それに応じた販路の確保が各産地の課題となってくる。

この流れに対して制度はどう対応していけばよいのか--

というのが話の主たるテーマだったのだが、

必然的にというか、当然のことながらと言うべきか、

有機JASとの関係やJAS規格そのものの問題点にも、話は及んだのだった。

 

有機農業の 「推進」 と、 JAS規格に基づいた監査・認証制度という名の表示 「規制」。

この二つがずっと不幸なねじれ関係を残したまま、今日まで至っている。

もういいかげん整理しなければならないよなぁ、と腹に溜めてきたが、

農水の方々と話をして機を感じたところもあり、

この際、思うところを一気に書いてみようかと思う。

 


有機農業推進法は、その名の通り  " 地域での有機農業の広がりを支援する " 

ということである。 そのための実践地区(モデルタウン) が全国各地に生まれ、

それぞれに栽培試験や土壌診断の活用、研修制度の充実と新規就農者支援などの

取り組みが進んでいる。 もちろん苦戦している地区もあるが。

 

一方で、生産者や畑が増えたとして、それを 「有機農産物」 と称して販売するには、

有機JAS規格に則っていることが第3者認証機関から認定されなければならない。

それには余計な手間とコストがかかる、ということで生産者からは極めて不評である。

しかもこの規格は、国際的な整合性を持たせる (国際基準と同一水準にする)

ことを前提としたために、国内の推進とは逆に

「お墨付きの輸入オーガニック食品の拡大」 へとつながったとの批判も根強い。

今では  「有機JASが、国内での有機農業の広がりを阻害している!」 

との論が、有機JAS批判の基本論点のひとつになってしまっている。

有機JASの認証取得生産者や認証機関は、この議論にうまくかめないでいる。

 

その批判の典型とも言える集まりが、さる9月5日にあった。

「日本有機農業学会」 が主催した 「社会科学系テーマ研究会」 。

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有機農業を総合的に研究し、その健全な育成と発展の道筋を提示しようという、

日本学術会議にも登録されているれっきとした学者・研究者主体の 「学会」 である。

とはいえ有機農業の研究というわけなので、生産者も入っていたりする、

そういう意味では開かれた学会と言える。 何を隠そう、私も会員の一人。

 

さて研究会の有機JAS論はというと、上記の批判的論点が基調になっている。

すなわち-

1.まがいものや不正を排除しようと制度の運用が厳しくなればなるほど、

  当の生産者にとっての手間やコストは増大する。 このコストは誰が負担するのか。

2.JAS規格そのものが欧米基準の押し付けになっている。

  欧米以外の地域の自然や環境条件に配慮した基準になっていない。

  WTO体制によるグローバリゼーションに 「有機」 までも

  (共通の基準・ものさしをつくるという名目で) 組み込まれてしまった。

   ・・・・・まるで、「してやられた」ってことか。

3.規格・基準が単純な 「無農薬・無化学肥料」 主義でしかなく、

  有機農業の意義や本質が反映されていない。

  (使用が許される農薬も設定されていて、いわば 「何を使う・使わない」 という

   投入資材の基準でしかない、という意味での批判である。)

4.不正表示の防止が最優先され、有機農業の推進という視点がまったくない。

  生産現場の技術水準や感覚とかけ離れた監査・認証となっていて、

  生産者は単なる取締りの対象の如くである。

 

などなど。

このような論点をベースにして、これからの基準・認証の方向性が理念的に語られ、

また第3者認証によらない形が欧米でもつくられてきている動きなども紹介されたのだが、

しかし、先生たちの主張を拝聴しながら、つくづくと思わされたのである。

有機農業を研究する学会においても、「有機JAS制度と認証制度」 については、

悲しいくらい深化できずにいる。

学者には、この制度の歴史的なけじめのつけ方 (消滅させることではなく) の

方向性が見えてこないようだ。 これはそもそも、大学の先生や研究者たちが

取り組むべき " 社会科学的 "  研究テーマなのだろうか・・・・・。

これは学問的なテーマというより、むしろ生々しい現実との向かい合いの中で

昇華 (より高い次元につくり変え) させてゆくしかないものなのではないか。

しかもこの論理には、手間とコストをかけて有機JAS認証を取得した生産者に対する

公正な評価が微塵もない。

彼らはまるで、市場で付加価値を狙うだけの、あざとい農民であるかのようだ。 

 

僕はけっして学会諸先生をただ批判しているのではない。

学会での分析は分析として受け止めつつ、我々はどう認識し、

現実の仕事の中に組み込むか、なんだと思っている。

そもそも学会が方向を指図するものではないのだし、現場仕事を通じて、

ちゃんと " 現実 "  のものとしてあげる、くらいの意思は持っているつもりだ。

 

とはいえやっぱ、学会の諸先生には 「してやられた」 感のような発言はしてほしくない。

これはグローバリゼーションの時代に起こった必然的現象であり、

有機農業にとっては次の時代に向かうための試練であった、

くらいの歴史認識に立つのが社会科学的というものではないだろうか。

どうもこの学会の先生たちは、半分運動家のような方々である。

 

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そこで僕が思う、学会にお願いしたい学究的テーマとは、

有機JASなんていう欠陥含みの制度論争ではなく、むしろ次の課題である。

1.有機農業の技術体系の確立。

  このテーマは有機農業推進法も支援しているもので、それに対応して

  「有機農業技術会議」 もできたので、こちらに期待することにしよう。

2.有機農産物の栄養的側面と人の健康との関係。

  栄養については、個々の成分比較という検証にとどまらず、

  食べ物のもつ本質的・総合的な価値という観点に立っての、

  人の健康との関連での疫学的検証はできないものだろうか。

  (この観点は、8月1516日付で書いた問題意識ともつながっている)

3.有機農業が果たしている環境への貢献の  " 見える化 "  をどう表すか。

  地域に有機農業が拡がってゆくことでどんな貢献ができているのかを示す、

  生産者が自分で確かめられる手法と社会的なスタンダードが欲しい。

  田んぼの生き物調査や、宇根豊さんたちの作業が先駆として生きてくる、

  そんな大きな体系を僕は夢見ているのだが。

4.外部経済効果の検証。

  上記3とも共通することだが、有機農業がもたらすであろう社会的・経済的利益を

  公益的観点で洗い出し、整理してもらいたい。

  分かりやすく言えば、水田の多面的機能は5兆8千億円分の社会資産価値がある

  (日本学術会議試算)、みたいな形での検証ができないだろうか。

 

これらが整理され可視化できたなら、

生産者も有機農業を実践することで生み出された食べ物以外の価値を検証できる、

豊かな監査体系を作り出すことができる。

そして、一方で税金を払い (徴収され) ながら、もう一方で食べることを通じて

多様な社会資産を支えている消費者 (国民) の溜飲も、下がるというものだ。

僕はひそかに、税金の使い方まで議論できるものになるのでは、と思っている。

そのような社会提言をまとめてほしいと切に願うものである。

 

有機農業の世界を理論的に追求した始祖とも言える

アルバート・ハワード卿の、70年も前の言葉を借りれば、

「国民が健康であることは、平凡な業績ではない。」 ( 『ハワードの有機農業』より )

有機農業がこの業績を支える基盤であることを、可視化したい。

 

さて、偉そうに喋ってるけど、じゃあお前さんは

有機JASについてどんな整理をしているというのだ。

-という声が聞こえてきそうだ。

大地を守る会が目指している監査体系を、お伝えしなければならないか。

まだまだ過渡期とはいえ、方向は間違ってないと自負するものである。

では次回に-。

 



2009年8月16日

「有機農産物=安全」 は間違い? (Ⅱ)

 

天下無敵の百姓さん。

早々と力の入ったコメント、有り難うございます。

ではこちらも気合を入れて、続けますね。

 

「有機農産物=安全」 は間違いだという 「根拠」 についての

個別論点に対する反論は書いたとおりだが、

この方の論拠の大モトは 「農薬は適正に使えば (残留も基準内に収まり) 安全」

という考えにある。

だから有機と言えども 「安全性の面では一緒」 ということになるのだが、

欠落している視点がいくつかあるので、提出しておきたい。

 


1.まず、農薬はそれ自体が病原菌や虫を殺傷する効果を持つもので、

  必然的に 「毒性」(リスク) が存在する。 したがって 「毒性物質」 に対しては、

  たとえその残留が基準値以内であったとしても、

  「できるだけない方が良い」 という観点の方が大切だと思うのである。

  そのための栽培技術を追求しているのが有機農業であり、

  有機農業の技術が安定し、社会的にも供給体制が広く整うならば、

  それは 「より安全」 な食生活を支えるものとなるはずだ。

  未来の子供たちのためにも支援していただきたい。

 

2.「基準値以内であれば健康への影響はない」 と断定するのは、

  ある意味で健常者の発想で、ここには残留農薬にアレルギー反応を示す方や

  化学物質過敏症の方への配慮がない。

  この筆者にすれば、体の反応と農薬の間に因果関係が科学的に証明できないと

  「非科学的ないいがかり」 ということになるのかもしれないが、

  実際に食事を無農薬野菜に切り替えたことで体調が好転されるという事例は多く、

  また食と健康のつながりを重視するお医者さんが増えてきていることを、

  筆者はどう捉えておられるのだろうか。

  どうか科学者には  " いま現実に起きている・進行している "  事態にこそ

  探究心を持っていただきたいと切に願う次第である。

 

3.この方の文章からは、農薬の複合汚染的観点が見受けられない。

  農薬一つ一つをとれば、それなりに厳しい基準値が設けられている。

  ( 試験結果から一日の許容摂取量がはじき出され、それに100倍をかけるなどの

   工程を経て、基準値は設定される。)

  しかし同じ農薬でも作物によって随分と基準値が違うものがあるし、

  なおかつ農産物に使用される農薬は一種類だけではない。

  何種類もの農薬を、微量とはいえ同時に (しかも毎日) 摂取し続けた場合の影響は、

  科学的には立証不能である。

  「農薬が色々と使われている農産物による健康への影響は、正確には分からない。

   ただ、数が増えれば増えるほど、またその摂取回数に応じてリスクは高まる 」

  というのが正しい科学的立場ではないだろうか。

  

  ついでに言えば、農薬使用を指導される方々はよく

  「正しく使えば安全だから心配いらない」 といって農家の不安を取り除こうとするが、

  本来は 「農薬は危険なものだから、安全使用基準をしっかり守って、慎重に

  取り扱わないと消費者の信頼を得られませんよ」 と言うべきなのだ。

  これこそが、あるべきリスク・コミュニケーションだろう。

 

4.実はぼくが最も強く主張したいのは、「農薬は生産者の健康を損ねる」

  という点である。 当会の生産者の中にも、本人あるいは家族が

  農薬によって体を壊した経験を持たれている方が大勢いる。

  「農薬は危険なモノである」 は科学的に自明なことなのに、この筆者には

  残念ながら実際に使っている農家の健康は視野に入ってないようである。

  「消費者が (外見などを) 求めているから、つらい農薬散布も我慢してやってるんだ 」

  -そんな方々を前にしたとき、私たちはどんな仁義を切ればいいのだろう。

  「だから感謝して食べよう」 -でよいのか。。。

  生産者の健康を考える配慮を、科学ライターなら持ってもらいたい。

  あえて標題に重ねて言うなら、

  「有機農業=安全な農業」 であり、それを目指す農と消費の連携運動である。

  したがって 「有機農産物と安全」 は多様な意味合いで語られなければならない。

 

5.土壌への残留による問題は前回書いたとおりである。

  繰り返しになるが、農薬・化学肥料への依存は環境汚染を招き、

  生態系のバランスを失わせてきている。

  土壌の劣化、農薬による大気汚染、河川や地下水(=水)の汚染、

  生物相のバランスの喪失、こういった側面を科学的に捉えるなら、

  「(科学的に) 安全性の優劣はない」 といった安易な記事は書けないはずだ。

  何かを守ろうとしている、としか思えない。

  だとするならこれは 「科学」 ではなくて、政治的配慮というヤツである。

  PRTR法 (特定化学物質の環境への排出量の把握及び管理の改善の促進に関する法律)

  などによって多くの農薬が適正管理を求められている今日の状況を、

  「科学」 は自問しなければならない。

 

この記事で筆者は、最後に以下の点について触れておられる。

1.有機農業は生産性が高くないので高価になる。

2.地球上の農業をすべて有機農業に切り替えると、肥料が足りず

  病害虫の被害も大きくなり、世界の人口の3分の1から半分程度の人しか養えないだろう、

  というのが科学者らの一致した意見である。

 

これについては、次のように言っておきたい。

1.有機農業では、たしかに当初は、一般栽培に比べて単位面積当たりの収穫量は

  落ちる傾向がある。 しかし農薬・化学肥料に依存した農業では、

  長く続けることによって、土壌の疲弊も含めて生態系のバランスが悪化することで

  逆に病害虫の発生が抑えられなくなり、生産力が落ちてくると言われている。

  そうなるとさらに農薬と化学肥料に依存しなければならなくなる。

  安定的で持続可能性が高いのが有機農業であり、かつ土と生物相のバランスが

  整ってくれば病虫害は減少する、というのがぼくの知る有機農業の原理である。

  価格についてはいずれ整理したいと思うが、

  むしろ今の安い農産物の価格が何によって支えられているのかが問題だ。

 

2.これはすでに遅れた知見である。

  記事にも出てくるFAO (国連食糧農業機関) が一昨年に出したレポートでは、

  「有機農業の方針にしたがえば、地球における耕作可能な土地すべてを利用することで、

  全人類に食料を提供することが可能である」 と報告されている。

  森林破壊や砂漠化が進むなか、

  土地土地の資源を大切に循環させる有機農業

   (この意義は筆者も認めておられる。 肥料は足りなくはならない )

  こそが地球を救う、とぼくは信じるものである。

  これ以上耕地を失わないこと、そして地域と食のつながりを大切にする

  社会づくりが必要なことではあるが。

 

  むしろ、化学肥料の原料であるリン鉱石が枯渇しはじめ、アメリカに買占めされて

  いるといった情報こそ、ライターには追っかけてもらいたいところだ。

  世界は無気味に動いている。

 

書けば書くほど、言いたいことが募ってくるが、この辺で終わりにしておきたい。

間違いがあれば、ご指摘願いたい。

 



2009年8月15日

「有機農産物=安全」 は間違い?

 

川里賢太郎から送られてきた写真が嬉しくて、つい、はしゃぎ過ぎたか。

賢太郎くん、ごめんね。 ほんと、嬉しかったんだよう。

 

さて、前回予告した「記事」 について、話をしてみたい。

掲載された媒体は未確認なので 「不明」 とさせていただくとして、

会員さんから 「こんな記事を見て驚いている・・・」 とコピーが送られてきたものだ。

 

『食卓の安全学』 と題して連載されているもので、

この号では 「有機農業の本当の意義」 というタイトルで語られている。

筆者は科学ライターの方で、我々の業界ではよく知られた方である。

冷静な分析をされる方だと、ぼくも思っていた。

しかし、この記事について言えば、どうにもいただけない。

 

こんな出だしから始まる。

「 有機農業で育てられた農産物は安全・・・。

 そう信じていませんか?

 科学的にみると、それは間違いです。 」

 


え?? じゃあ、危険なの? という短絡的な反応をしそうになったが、

真意はというと 「一般栽培との安全性上の優劣はない」 である。

要するに、 「安全性はどれも一緒」 と言いたいわけなのだが、

「 『有機農産物=安全』 は間違い」  とはちょっとイヤらしい小見出しだ。

 

ま、それはともかく、「間違い」 の根拠は次のようなものである。

1.有機農業で利用される有機質肥料やたい肥は、土壌中の微生物などで分解されると

  化学肥料と同じ成分になるので、化学肥料と変わらない。

2.有機農業でも使われている農薬はある。

3.一般の農産物でも、農薬は残留していない場合が多く、また残っていても

  基準値を下回っていれば健康への影響はない。

  したがって一般の農産物と有機農産物の安全性に優劣はつけられない。

4.日本だけでなく、国連食糧農業機関(FAO) や諸外国でも

  「有機農産物=より安全」 とは認めていない。

 

これが 「科学的」 根拠だというわけだ。 

う~ん・・・・・科学者の皆さん、これでいいのでしょうか。

 

筆者はその上で、有機農業の意義とは、

石油などを使って作られる資材を極力使わず、周辺にある家畜糞尿などの「資源」を用い、

多品種を少量で、なるべく旬の時期に栽培することで、

大地や自然の持つ力を最大限に引き出し、環境負荷が低い生産を目指している

という点にある、と説かれている。

 

この意義についてはまあ良しとして (北海道など多品種少量とはいかない地域もあるが)、

上記の 「間違い」 の根拠については、やはり反論しておかなければならない。

以下、順番に私の見解を会員サポート職員に伝えた次第である。

1.たしかに 「有機」 から 「無機」 に (分かりやすく言えば元素に) 分解されれば、

  化学肥料と同じ成分ではあるが、植物は有機の状態でも吸収していることは

  すでに科学的研究でも明らかになってきていることだ

   (先日の米の生産者会議のレポートでも触れた)。

  また筆者が言う 「意義」 として書かれている資源循環の側面は化学肥料にはなく、

  化学肥料は即効性が高く、余分な肥料分による地下水や河川の汚染を招いている

  との批判もある。

  そもそも有機肥料の役割は、単なる栄養分の補給といった化学肥料的役割だけでなく、

  土壌の物理性(排水性、保水性、根の伸長性など) の改善、養分保持力・供給力の向上、

  土壌の生物相の向上など、多面的な効用がある。

  つまり、その施用の意味から環境への影響まで含めて考えるのが 「科学的」 見方

  というもので、分解されたら化学肥料と同じという当たり前の理由だけで同一とは、

  あまりにも有機農業を理解されてない発言である。

2.「有機農産物のJAS規格」 において使用を認められている農薬はたしかにあるが、

  数は限定されており、相対的に安全性の高いものと言える。

  またその使用にあたっては 「あくまでもやむを得ない事情による場合」 に限る、

  とされており、けっして 「有機農産物も農薬を使用している」 わけではない。

  しかも有機農業=「有機JAS規格に則ってつくられた農産物」 というわけでもない。

  日本の有機農業はすでに40年に及ぶ歴史があり、2000年にJAS規格がつくられる

  以前から、化学合成農薬を使わない、というのが有機農業の基本姿勢である。

  やはり有機農業の世界をあまりご存知ない、と言わざるを得ない。

  ついでに言えば、減農薬栽培の方々の間でも、農薬を選択する際には

  できるだけリスクの低い有機JAS許容農薬を選ぶ、という現象も生まれている。

3.「農薬が残っていても基準値を下回れば健康への影響はない」 については、

  あとで見解をまとめさせていただくとして、困ったことに、基準値を上回る農産物は

  今でもしばしば発生している。 それらは消費された (食べられた) 後に判明する。

  この方のような立場からいえば、それは使用基準を守らなかった例外的ケース、

  ということになるようなのだが、実際には一般的防除 (農薬使用) を前提にした栽培

  が常に抱えているリスクであろう。

4.たしかに、各国の公的機関の文書で 「有機農産物=より安全」 と明記したものは、

  ぼくも見た記憶はない。 どの国も農薬や化学肥料の使用は認めているし、

  その安全性評価は、この方同様 「基準値未満であれば安全(健康危害はない)」 という

  前提に立っているのだから (その意味で基準値がある) 、

  特段に 「有機の方が安全性が高い」 とは公式的には謳えないだろう。

  この観点から言えば、「どちらも安全」 なのだ。

  

  しかし有機農業(オーガニック) は、日本だけでなく世界の各地で推進されている

  のも事実である。 そこでは 「土壌の保全」、「環境汚染の低減」、「生物多様性の保全」

  といった観点から有機農業の優位性が語られている。

  つまり農薬と化学肥料に依存した農業は、その逆の負荷をかけているわけであり、

  土壌・環境・資源・生物多様性を守る農産物と、どちらが 「より安全」 かは、

  推して知るべし。 本音はちゃんと語られているのである。

  食は環境の賜物だと考えないとするなら、 

  要するに、「安全性」 に対する考え方の幅が違う、ということになろうか。

 

  また、単純に 「食品への残留と健康への影響」 という観点からのみ考えたとしても、

  土壌に蓄積されていく農薬は、将来にわたってその 「安全」 を保証するものと言えるだろうか。

  この単純皮相的な 「安全」 視点には、時間の座標軸がない。

  有機農業には、未来の子供たちの健康を守るためにも、という観点が土台にある。

 

  「科学的」 を重視されるなら、2004年のユネスコ会議で出された

  「パリ・アピール」 についてはどうなんだろう。

  ここで市民だけでなく多くの医者や専門家ら20万人に及ぶ署名が提出され、

  「化学物質による環境汚染が人体に悪影響を及ぼしている」 と宣言された。

  署名した専門家は、ガン研究者や細胞生物学研究者、医学博士、環境衛生学、

  食品衛生学など幅広い分野の科学者たちであり、

  彼らは 「早急にオーガニックへの転換が必要である」 と主張しているのだが。

  

長くなってきたので、今回はここまで。 

続く、とさせていただきます。

 



2009年7月21日

全国モデルタウン会議

 

霞ヶ関・農林水産省の7階に、定員200席ほどの講堂がある。

ここで今日、初めての 「全国有機農業モデルタウン会議」 が開催された。 

 

有機農業推進法ができ、全国各地にその推進モデルタウン地区が生まれた経過は

これまでも書いてきた通りだが (たとえば6月8日付日記)、

今回は、全国47地区のモデルタウンの関係者を一堂に集めて、

それぞれの進捗や課題を共有し、推進力をアップさせようという狙いで開催されたものだ。

これ自体は農水担当部局の意欲の現われと評価してよいのかもしれない。

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モデルタウンの主体である関係者に各県行政の職員たち、農水本省や農政局職員、

流通 (大地を守る会はこの範疇に入れらている)、一般参加者など、

合わせて300名近い参加者となって、パイプ椅子が増設されるほどの盛会となった。

これを有機農業の発展が加速されている証しとして語ることもできようが、

その実、地区によって進捗にかなりの差があり、現場の悩みもけっこう深いものがあって、

むしろ他地区の状況に対する関心の強さをうかがわせるものだと感じた。 

要するに皆、真面目に取り組んでいるのである。

 


農水省からの経過と全体の進捗報告から始まり、

5地区の活動事例報告がある。

 

上の写真は、山形県・鶴岡市有機農業推進協議会の会長である

庄内協同ファームの志藤正一さんが発表しているところ。 

農民運動からスタートして30有余年、

彼ら自身ずっと反体制で生きていくのかと思っていたことだろうが、

今や農水省の講堂で先進地としての事例発表者である。

志藤さんからは、米を有機栽培するだけでなく、そのタネ自体も有機栽培されたもの、

というレベルへと進もうとしていることが報告された。

有機JASの 「調達が無理な場合は (一般の種子でも) 許容する」 という

「規定」 を守ればよい、ではなく、有機農業者自身の手で水準を上げていくという意思。

言われなくてもやる。 これぞ有機農業の主体思想だね。

 

福島・喜多方市・環境にやさしい農業推進委員会からは、

実績ある旧熱塩加納村での学校給食への地場野菜の供給の歴史をベースに

発表されたが、なかなかそれ以上の展開はできてない様子。

 

大地を守る会も構成団体になっている

千葉・山武市有機農業推進協議会 (以下、山有協) も事例発表者として指名された。

発表者は、さんぶ野菜ネットワークの事務局・川島隆行さん。

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山武市の紹介から始まり、当地での有機農業の歴史、そして山有協の結成から

本格的に新規就農支援の体制を作ってきたことが報告される。

1年目の昨年は、1週間から3ヶ月の短期研修が2名、3ヶ月以上の長期研修が7名。

そのうち新規就農が2名、研修継続が3名。

そして今年は、研修期間を6ヶ月として4名の受け入れを決定した。

1名の方が昨日より研修をはじめたそうだ。

課題は、独身者の新規就農の難しさ (金銭面や労力面、そして地域との関係作りなど)、

行政の推進体制の未整備、地域農家の問題意識の低さ、

住居の確保の難しさ(作業場つきの空き家がない)、といったところが挙げられた。

 

関与している者から見れば、地道な歩みとしか言えないのだが、

それでも会場から、研修生の宿泊とかはどうしているのか?

(答えは、山有協で空き家を借りて研修施設をつくった) など

基本的な質問が出るところを見ると、もっと苦戦しているところも多いようである。

研修を継続している3名の方が就農すれば、

初年度受け入れ者から5名の農業者が誕生したことになる。

これって、なかなかの数字なんだと、改めて思うのだった。

 

会場からは、農水省の予算の下ろし方への不満から、

有機農業をやっているがゆえに受けられない助成制度があることへの抗議のような発言、

さらには  " 減農薬推進にとどまってないか "  といった手厳しい批評まで挙がり、

有機農業者たちの気骨を感じさせる一方で、

どこか補助金に頼る傾向も生まれてきているなあ、などと感じた次第である。

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いずれにせよ、全国各地で有機農業を推進するための協議会が結成され、

それらが一堂に会して課題を語り合ったわけだ。

有機農業推進委員会会長の中島紀一さん(茨城大学) の言葉を借りれば、

これが 「コミュニケーションの皮きり」 となって発展させられるかが鍵である。

 

これまで生産者と消費者の輪の力で進んできた有機農業が、

推進法によって地方公共団体の役割が明記され、

行政と民間団体の共同によって推進する形がつくられてきている。

80年代から語られてきた " (有機農業を) 地域に広げる " という課題が

ここで一気に前進し始めたのだ。 法律というのはやっぱバカにできない。

 

若者の目も有機農業に注がれてきている。

一般の農家とも " 農業の未来 " を語り合える時代になってきた。

しっかりと着実に、次の担い手を育ててゆきたい。

 



2009年7月 3日

有機農業は進化する -米の生産者会議から(Ⅱ)

 

すぐに続きが書けなくて、間に一本挟ませていただいて、

遅ればせながら米の生産者会議の話、続編を。

 

福島県農業総合センターの実験ほ場を見学する一行。

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「福島型有機栽培技術実証ほ」 を見る ( 「ほ」 というのは 「圃場」、田畑のこと)。

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「福島型」 といっても特別に新しい技術を開発しているわけでなく、

様々な技術や理論を組み合わせながら、この地域に最も合った有機栽培技術を

確立させたいという、公僕たる研究者たちの実直な意欲が表現されたものである。

彼らなりに県の有機農業のレベル向上に貢献し、誇れる 「福島」 にしたいんだ。

前回も書いたけど、時代はようやく

研究者たちがこぞって 「有機栽培技術の実証」 を競うステージに入ったのである。

 

上の写真は、大豆との輪作を試みているほ場。

こちらは同じ条件下で、肥料を変えてみたほ場。

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他にも、小さく区切りながら色んな組み合わせを試験している。

温暖化対策という位置づけで、メタンの発生を抑制する試験ほ場なんてのもあった。

まあしかし、法律ができただけで有機農業が先端産業になったかのように

研究が盛んになるってのも、どうよ、と言いたいところもあるよね。

本当にやりたかったんだったら、もっと早くから取り組めよ、と

へそ曲がりの私は言いたい。

 

しかし農民は、そんな僕なんかよりはるかに現実派である。

研究ほ場は 「ふんふん」 という感じで、隣の人と喋くり合っているかと思えば、

興味を持ったものには、我先にと飛びつく。

 

試験場をあとにして、実際の " 現場 " (やまろく米出荷協議会の生産者の田んぼ)

に入るや、またたく間にみんなで取り囲んだモノがあった。

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いま、有機稲作でホットな話題となっている民間技術、チェーン除草機があったのだ。

 


 

「まあ、ちょっと私らなりに工夫して作ってみたんだけども・・・」 と、

ちょっと自慢したいげの佐藤正夫・やまろく社長。

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生産者の手づくりである。

これを人力で引っ張って進み、雑草を浮かせる。

こんなふうに。 

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「やって見せて」 という声が挙がって、実演してくれたのは山形の方。

「じゃあ、俺がちょっと見せっぺ」 と言う間もなく、裸足になって田んぼに入った。

実演してみる、じゃなくて、自分の体でこっちの性能を確かめたかったのではないか、

と我々は推測するのだった。

面白いねぇ・・・・・みんなの目の色が変わる民間技術での競い合い。

研究者は、まだまだ当分、後追い実証に追われることだろう。

 

けっして研究を揶揄しているワケではない。

これから続々と出てくるであろう研究成果は相当な力になるに違いない。

でもやっぱね、やっぱりホンモノの田んぼのほうが面白いのだ。

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しんどい、しんどい、と言いながら意地で有機に取り組んできた、岩井清さん。

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昨年は、全国食味コンクールで金賞を受賞して、

いよいよ 「有機で美味い米をつくる」 自信がみなぎってきた感がある。

やり続けてきた甲斐があったね。

 

岩井さんの田んぼに掲げられている看板。 もう10年経った。

 

みんなも負けてはいない。 内心は 「俺こそが一番」 と思っている。 

笑顔で語り合う中にも、百姓の矜持 (きょうじ) はぶつかり合い、

腹ん中で火花を散らせ、「よし、早く帰らねば (愛する田んぼが待っている) 」

と思うのだ。

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ということで、公園の木陰で解散式。

 

研究者にも期待はするけど、

現場で日々新しい工夫に挑戦し続ける彼らによって、有機農業は進化する。

明日の暮らしの土台を、弛 (たゆ) まず耕し続けてくれる人々である。

 



2009年6月26日

有機農業は進化する -米の生産者会議から

 

昨日から2日間、今年で13回目となった 「全国米生産者会議」 を開催する。

大地を守る会の米の生産者たちによる、年に一回の技術研修と交流を兼ねた集まり。

今回の開催地は福島。 幹事はやまろく米出荷協議会さん。

まずは郡山にある福島県農業総合センターという県の研究拠点に集合する。

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「金かけてるなあ...」 といった声もあがるほど立派な研究施設だ。

福島は有機農産物の認証費用を助成する制度をいち早くつくった県で、

このセンターにも 「有機農業推進室」 というどっかで聞いたような部署ができ

 (ウチに挨拶もなく・・・ )、

有機農業の先進県たらんとする意気込みは出ている。

 

幹事団体として挨拶する、やまろく米出荷協議会会長、加藤和雄さん。 

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やまろくさんとのお付き合いも20年近くなる。

" 平成の大冷害 " と言われた1993年。 米の価格が一気に暴騰した時、

これまで支えてくれた取引先や消費者こそ大事だと、

周りの価格に惑わされず我々に米を出し続けてくれた気骨ある団体。

そういう意味では、大地の生産者はみんな強いポリシーの持ち主たちで、

これは我々の誇りでもある。

 


今回は、お二人の研究者に発表をお願いした。

一人は、福島県農業総合センターの主任研究員、二瓶直登さん。 

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テーマは、「アミノ酸を中心とした有機態窒素の養分供給過程」。

 

植物生長に欠かせない成分であるチッソは、硝酸やアンモニアなど無機態チッソ

となって吸収される、というのがこれまでの一般的な理論である。

有機栽培で投入される有機質肥料は、土壌中で微生物によって分解されるが、

多くは腐植物質やタンパク質、アミノ酸態となって存在していて、

これらは無機態チッソへと進まないと植物には吸収されない、と思われがちだった。

化学肥料 (化学的に合成された無機肥料) なら速攻で必要な養分供給ができる。

と考えるなら、化学肥料でよいではないか、となるのだが、

では化学肥料より有機栽培の方が強健に育つという現象があるのは、何によるのか。

実は作物は有機態チッソも直接吸収しているわけなんだけど、

二瓶氏はこの実態をきちんと突き止めようとしたのである。

 

二瓶氏は、有機態チッソの最小単位である20種類のアミノ酸を使って、

それぞれの吸収過程を解析することで、

「アミノ酸は作物の根から、たしかに吸われている」 ことを証明して見せたのだ。

特にグルタミンの吸収がよく、無機態チッソ以上の生育を示したという。

 

これは、これまで有機の世界で語られていた次の理論を裏づける

一つの研究成果となった。

すなわち、植物は、光合成によってつくられた炭水化物と根から吸収された無機態チッソ

を使ってアミノ酸を合成するが、アミノ酸そのものが根から吸収されているとすれば、

植物体内でアミノ酸をつくるエネルギー消費が省略でき、

それによって生育が旺盛になると考えられる。 

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この研究は、これまで農家の経験の積み重ねをベースに進んできた

有機農業の理論を、確実に後押しするものと言える。

そんなことも分かってなかったのか、と思われる方もおられようが、

「植物は基本的に無機物を吸収して育つ」 という原理を

リービッヒというドイツの化学者が見つけて以来、約170年にわたって、

農業科学は無機の研究と化学肥料の開発に力点が注がれてきたのである。

 

ともすると観念論的に見られた有機農業の深~い世界が、

研究者たちが参画してきたことによって、ようやく謎が解かれ始めている。

有機農業理論は、これから本格的に花が開く段階に来たんだと言えるだろうか。

二瓶氏は、「この研究成果は、科学的根拠に基づいた有機質肥料の施用法に向けての、

まだ端緒でしかない」 と語る。

さらなる研究に期待したいところである。

 

続いては、東北農業研究センターの長谷川浩さん。

専門家たちが中心になって結成した 「有機農業学会」 の事務局長も務める研究者だ。

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テーマは、「水稲有機栽培における抑草技術について」。

 

健康な作物づくり、安定した生態系の構築、を土台として

有機栽培技術の基本構成要素を整理して、それぞれでの研究を進め、

自然を生かす総合技術体系として確立させたい。

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湿田では湿田の、乾田では乾田の管理の考え方と技術がある。

これまで様々な対策理論や民間技術が生まれてきたが、

それらをきちんと検証しながら、多様な気象、土壌、地形、水利条件に対応した

抑草技術にしていかなければならない。

雑草対策だけの話ではなく、有機農業の総合理論の中で考えるという、大きな話になった。

 

4年前に有機農業推進法ができてから、

全国で100人を超す研究者が有機の研究に入ったと言われる。

今回のお二人の講演は、有機農業学がこれから一気に深化するという勢いを

感じさせてくれるものだった。

オーガニック革命は、いまも目の前で進んでいるのだ。 

研究者諸君、税金の無駄遣いとか言うのはしばらく控えるので、頑張ってくれたまえ。

 

続いて現場に、なんだけど、講演の話を予想外に長く書いてしまった。

疲れたので、この項続く、とさせていただき、今日はここまで。

 



2009年6月 8日

有機農業推進委員会

 

東京・九段下にある農水省の分庁舎まで出かける。

ここで農水省が主催する第4回 「全国有機農業推進委員会」 が開かれる。

大地を守る会会長の藤田が委員になっている会議だが、

この日は出られず、また代理出席の予定だった野田専務理事も出られなくなり、

代理の代理というお役目。

官庁はクールビズだろうと思ったけど、普段する機会があんまりないこちらは、

逆に気分を変えて、ネクタイを締めて行く。

 

農水省の生産局農業環境対策課や消費・安全局の方々に、

大臣官房審議官が事務局として出席し、

生産者、消費者、流通者、学者、認証団体などから選出された委員が15名。

座長は茨城大学の中島紀一教授。

埼玉県小川町の金子美登さん、茨城県八郷町の魚住道郎さん、

高知・土佐自然塾の山下一穂さん、ノンフィクション作家の島村菜津さんらの顔ぶれが並ぶ。

かつてアウトサイダーと言われ、存在さえ無視された有機農業者や我々のような団体を、

国が招いて有機農業の推進を謳う時代になった。

去年は有機JAS制度の見直しの検討委員会に出させていただいたが、

今回席に座って、顔ぶれを眺めながら、改めて時代の変化を感じさせる。

 


まずは事務局 (農水省) からの報告を聞く。

農水省が立てた有機農業推進の政策目標によれば、

平成23年までに全都道府県で推進計画が策定されることになっているが、

現時点で策定されているのは30都道県。

残りの17府県も、23年度までには策定予定で進められているとのこと。

さらに市町村レベルでは、50%以上で推進体制がつくられることを掲げているが、

23年度までに推進体制を設立する予定にあるのは、

すでに設立済みを含めて148で、全市町村の8%という厳しい数字である。

そこで農水省は新たに、有機農業推進のモデルタウン地区の増設や

技術支援の拠点整備のために2億円の予算を追加した。

 

また昨年度から始まったモデルタウン事業で助成を受けた45地区を対象に

アンケートを実施したところ、有機農業者数は18%増加。

慣行栽培からの転換は顕著に進んだが、

新規就農者の伸びは前年比+24名に留まっている。

有機栽培面積は40地区で増えたが、減少した地区が2件あった。

有機農産物の地元学校給食への導入は18件で増え(2件で減少)、

モデルタウンの一定の効果が見て取れる。

学校給食への導入推進については、第2回の検討会議で野田代理が主張している。

子どもたちに安全な食材を供給するだけでなく、食育の推進や、

地域の理解を深める、あるいは自給率の向上にもつながるものだ。

そして爆発的に増えているのが、新規参入に関する相談件数と研修参加者である。

これは今の閉塞した社会情勢も影響しているのだろう。

 

委員からの意見は多岐にわたった。

新規就農支援は、入口はできつつあるが出口が整備できていない (山下委員)。

つまり研修生を育てても、就農先が見つからない、あるいは条件の悪いところに限られる。

村の閉鎖性に縛られるなど、簡単に就農できない仕組みがある。

しかも先達が成功して地元から信頼されていることが鍵になっている、

という状態は変わっていない。

加えて、せっかく就農できても販路が見つからなくて苦しんでいる。

有機農業の技術の確立も急がれる。

各地に有機農業の普及員を養成する必要がある (魚住委員)。

 

流通側からは、有機農産物を増やせない生々しい実情が語られた。

小売店での消費動向は、安全性よりも価格、という潮流に一気に変わってきている。

外食では、品質の安定が優先だ、と。

 

僕は3つのことを主張させていただいた。

モデルタウンは有機農業団体に自治体やJAなども含めた地域での協議会の設立

が条件になっているが (たとえば千葉・山武では、さんぶ野菜ネットワークを中心に、

山武市・山武郡市農協・ワタミファーム・大地を守る会で構成されている)、

協議会を作れない個人や団体への支援の仕組みも必要ではないか。

僕がイメージするのは、喜多方市山都の小川光さんと若者たちである。

山間地に暮らし、水路 (=水源) を守り、子どもを産んで活性化の役割も果たしている。

彼らには有機農業推進事業からの助成は一切ない。

なくったってやることはやるのだが、制度の課題ではあるだろう。

 

もうひとつは、有機農業の持っている社会的価値 (外部経済) の整理が必要だ。

有機農業の拡大とともに販路が求められるが、流通・小売の現場は価格圧力が厳しい。

地域で有機農業が広がることによって支えられる価値、貢献しているものがある。

それは環境や水系の保全であったり、生物多様性の安定であったり、

食育や健康や自給力への貢献であったりする。

それらを含めての  " 値段 "  というものを、

説得力のある形で消費者に伝えられなければならないと思う。

(僕の本音は、そういう貢献が認められるものには消費税を免除しろ=その分の

 税金は消費者が負担している、なんだけど・・・まだ言えないでいる。)

 

三つ目は、遊休地 (耕作放棄地) 対策と就農支援のリンクである。

時間がなくて本意をちゃんと話せなかったが、

農水省内には、有機農業推進事業とは別に、

耕作放棄地対策、農村活性化人材育成派遣事業 (『田舎で働き隊』 事業という)、

里地環境づくり、農地・水・環境向上対策事業、などがそれぞれに動いている。

農林水産省生物多様性戦略なるものもあって、こちらは環境省が全体をとりまとめる

形になっている。

これらをもっとうまくつなげて、総合的な施策・ヴィジョンとしてまとめてはどうか

と思うのだが、いかがなものだろうか。

現状では、それぞれの部署が同じような理念を掲げて予算を奪い合っている

(結果として膨れ上がっている) としか思えないのだ。

国の財政はすっかり破綻しているというのに。

 

ついでに言えば、

経済産業省には 「農商工等連携対策支援事業」 というのがある。

その目的は、「企業と農林漁業者が有機的に連携し、それぞれの経営資源を

有効に活用して、中小企業の経営の向上および農林漁業経営の改善を図る」

というものだ。

農村の活性化や環境対策にいったい全部でいくらの税金が投入されているのだろう。

それらは本当に効果を上げているのだろうか。

 

有機農業の推進はよしだが、

使うなら最も有効な形で使ってもらいたいと願うばかりである。

 



2009年5月10日

危ない? 有機野菜

 

大地を守る会でゴミ・リサイクル問題に取り組む専門委員会 「ゴミリ倶楽部」 が、

その通信で、家庭で出る生ゴミのコンポスト (たい肥化) を推奨したところ、

会員さんから質問が寄せられて、担当事務局員から相談が回ってきた。

質問の内容はこういうものである。

「大地を守る会の生産者で、生ゴミたい肥を使っている方はいますか?

  『本当は危ない 有機野菜』 という本を読んで不安になりました。」

 

彼らにとっても想定外の質問だったのだろうが、

回答の骨子を農産 (私の部署) で用意しろ、ということになると、

まったく面倒なことを、とかグチグチ言うことになってしまう。

でも、用意しなければならない。

 

単純に質問の答えでよければ簡単である -YES。 それが何か?

しかし、疑問に思われた背景が気になって、

その本にもあたってみようかと思って、取り寄せた。

 

二日後に届いて、読みながら、後悔する。 というより、腹が立ってくる。

これで私の大事な日曜日は潰れたのであった、みたいな・・・・・

 

でも僕らは、 「ほっとけ、そんな奴」 と言い放てる生産者でもなく、

「議論する価値もない論評」 とか言って平然と構えられる学者でもなく、

一人の会員からの質問である以上、応えなければならない。

ある本を読んで不安になった消費者がいる、という現実。

流通という立場にある者が、時に感じる孤独である (愚痴ではなく)。

 

・・・・・で、この本 ( 論 ) を、僕なりに読み解き、見解案をまとめる。

やるとなったら、手抜きはできない。

 

こんな感じでまとめてみたのですが・・・と思い切って公開したい。

これぞ 「あんしんはしんどい」 の事例として。


本の内容の詳細な解説は省きたい。 

会員さん向けに書いた回答で、概略的に読み取っていただけることを期待する。

 

  まずご質問に対する回答としては、当会の生産者会員の中には、地元スーパーや

  外食などの店舗から出る食品残渣 (いわゆる生ゴミ) をたい肥原料として引き受け

  ている農家はいらっしゃいます。当会でも、そのことを否定するものではありません。

  ただしその活用にあたっては、充分な醗酵を経て完熟たい肥にすることが前提で、

  生産者もそのことはよく承知していて、時間をかけて良質のたい肥作りに努めています。

  また田畑へのたい肥の施用にあたっては、土壌のバランスに配慮して、「過度な投入

  は行なわない」 というのは、有機農業を実践される農家には基本のこととして理解され

  ています。

 

  ご質問のなかで触れられている書籍も念のために確認いたしましたが、著者の基本的

  な問題意識は共鳴できるものの、「有機農業」 に対する認識には、はなはだしい誤解と

  論理の飛躍が多分に見受けられます。

  

  本書の論点を整理すれば、以下のようなものかと理解します。

  1.1970年代より輸入農産物や輸入飼料が急増し、結果として大量の生ゴミが発生する

    ようになった (自給率の低下も招いた)。

  2.焼却や埋め立て処分で間に合わなくなってきた食品残さ (著者は意図的に 「生ゴミ」

    と呼ぶようですが) を有機質肥料として資源化し、再利用 (リサイクル) させようとして、

    「食品リサイクル法」 ができ、かつそれを 「有機農業推進法」 が後押ししている。

  3.そこで 「生ゴミ」 をどんどん  " 生あるいは未熟なままで "  田畑に投入する

    「リサイクル有機農業」がもてはやされるようになってきたが、とんでもない誤りである。

  4.家畜フン尿や生ゴミ、下水汚泥 (ヒトのし尿) を使ったたい肥の野放図な放出は、

    輸入農産物や輸入飼料、あるいは効率重視・薬剤依存の家畜を経由して、病原菌

    (薬剤耐性菌) やウィルス・原虫・カビ毒・重金属等による汚染リスクを拡大し、

    硝酸態窒素の増加や水の汚染まで招く結果となっている。

  5.このような 「リサイクル有機農業」 は環境汚染や感染症の拡大を招くものである。

    間違った 「有機神話」 を捨て、落ち葉や植物性由来のたい肥を基本とした、ただしい

    有機栽培の野菜を選択すべきである。

 

  要するに、行き過ぎた 「リサイクル有機農業」 (という農法は聞いたことがありませんが)

  に対して警鐘を鳴らしているものと理解しますが、私たちの知る限りでは、

  有機農業を実践する農家には 「家畜フン尿をどんどん土地に投入しろ」 とか

  「生ゴミを入れる」 とか 「入れれば入れるだけよい」 といった考え方は存在しません。

  まさに著者が本書の中で書いている通り、

  「たい肥作りはそんなに単純ではない (中略) 私は大事な畑に使いたくないですね

  ~~これが専業農家の一般的な、生ゴミ由来のリサイクル肥料に対する評価だ」

  は、有機農家にとっても当たり前の感覚なのです。

  

  察するに著者は、「有機農業」に対する世間の一知半解な知識のはびこりと、

  「農業現場での生ゴミ・リサイクル利用」 を推奨する風潮を批判したいあまりに、

  「有機農業=危ないモノを平気で投入する農業」 という図式を、

  無理矢理つくってしまっているように危惧します。

  著者が批判したい本当の本質は、農産物の大量輸入 (そのゴミ化→国土の富栄養化) や、

  輸入飼料と薬剤に依存した 「近代畜産」 だと理解します。

  しかし批判したいあまりに、

  現状への反省なく法律 (食品リサイクル法) までつくってゴミ問題を片づけたい行政と、

  「有機農業推進法」 をセットにして論じられてしまっていることは悲しいことです。

  有機農業推進法が目指す方向は、自給を基本とした自然循環型の農業の復権であって、

  著者が結論づけておられる 「ただしい有機栽培」 と何ら対立するものではありません。

  有機農業には、本来の健全な (自給飼料を基本とした薬剤に頼らない) 家畜生産と

  リンクした 「有畜複合」 (健全な畜産と連携した資源循環型の農業) という考え方もあり、

  そういう意味でも、著者が主張する

  「家畜フンを利用するなら薬を使っていないものを」 を常に指向してきたものです。

 

  こういう認識の混乱による批判になってしまったのも、本書で述べられているように、

  「有機農業」で語られる世界が広すぎることにも起因するのかもしれません。

  しかし出版物として世に著す以上、ただ 「たい肥を入れる農業」 といった

    表面的な認識で語るのではなく、40年以上にわたって技術進化させてきた

  有機農業運動の歴史をしっかりと見つめ直してほしかったと思わざるを得ません。

  そういう意味で、底の浅い 「告発本」 に堕してしまっていることを残念に思います。

 

「エビスダニ君。 こんな本の相手をすることはないんだよ」

という声も聞こえてきそうなのだが、冒頭で書いたとおり、

僕は生産者でも評論家でもなくて、

一人のネットワーカー (つなぎ手) でありたいと思っている以上、

こういう情報によって消費者が混乱されることには我慢ならないのである。

 

多少は想像いただけただろうか。

結局、貿易の問題も、ゴミ問題も、家畜生産の構造的矛盾も、

なんら解決策を提示することなく、

「落ち葉たい肥で作られた野菜が本物である」

というところに落ち着かれても、

あなたが提起した問題は何ら解決されることはないのである。

 

こんな本のお陰で大切な休日を奪われることは耐えられない、

とか言いながら夢中に書いているワタシ。

有機農業運動は、まだまだ稚拙なのかもしれない。

しかし、大きな視野は失ってないつもりだ。

寄生虫が増えるだとか、逆にアレルゲンが増大するとか、

いろんな論が出るたびに、もぐらたたきをしながら、僕らも鍛えられている。

グローバリズムと耐性菌の強化という、空恐ろしい時代に入ってきた中で、

有機農業が提起し、切り拓いてきた地平は、

誰も矮小化することはできないだろう。

 



2009年4月30日

さんぶで有機農業研修説明会

 

「さんぶ野菜ネットワーク」 (以下 「野菜ネット」 ) や山武市、JA山武郡市、

ワタミファームさんと一緒に大地を守る会も構成団体となっている

千葉の 「山武市有機農業推進協議会」 (略称:山有協) が、

新規就農希望者を対象に説明会を開催した。

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昨年度から始まった有機農業推進法によるモデルタウンに選定されてから、

山有協では、HPの立ち上げ、池袋で開かれた 「新農業人フェア」 への出展など、

精力的に新規就農者受け入れの活動を行なってきた。

現在まで4人の研修生が、野菜ネットの生産者のもとで有機農業の研修を受けている。

一人は茨城の農家出身で、警察官の職を投げうって生産者・岩井正明さんから

研修を受け、実家に帰っていったという。

実家は有機ではなく慣行栽培だが、近隣で耕作を託された農地が発生して、

「そこで有機でやってみたい」 と決意してのUターンだと岩井さんから聞かされた。

山有協の通信には、その若者 (26歳) のコメントが残っている。

(実家は慣行なのに、なぜ有機を? の問いに)

「有機で作ったほうが人に喜んでもらえるし、畑も長持ちする。

 感動したのは、岩井さんとこの人参。 すっげーうまかった! 味がぜんぜん違う。」

畑が長持ち! 有機がうまい!

 -こじつけた理屈で有機を批判する評論家に聞かせたい言葉だ。

 

素直に有機に感動した青年がこれから歩む道が、どんな苦労に満ちているか、

私には分からない。 ただ成功を祈るのみである。

 

さて本日の、山有協が初めて正式に開催した研修希望者向けの説明会である。

平日にもかかわらず、東京から、千葉から、埼玉から、さらには宮城から、

12名という想定していた以上の参加があった。

受け入れ予定人員は4名、なんだけど。 


研修希望者を前に、野菜ネット代表の富谷亜喜博さんが、

山武での有機への取り組みの歴史や、さんぶの優位性などを説明する。

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50名近い有機農業の実践者(=アドバイザー) がいること、

そしてJA山武有機部会時代から開拓してきた豊富な販売先の存在は、

研修希望者にとってかなり心強い説明だったのではないだろうか。

 

続いて野菜ネット常勤理事の下山久信さんから、

現在の日本農業をめぐる厳しい状況や農地法改正の動きなどのレクチャーがある。

「大変な状況なんです、日本農業は」

「だからこういうこともオレたちはやっているわけ。分かりますか? 」

まるで恫喝 (どうかつ:「おどし」より怖い感じ。団塊世代の左翼が好む言葉)

のような説明。

また農林振興センターの方から千葉県での新規就農支援制度の概略が説明された。

新規就農者にとって、最も悩ましいのは資金と就農後の経営である。

就農してすぐに収入が見込めるほど農業は甘くない。

生産者は若者の就農を期待するが、若者であるがゆえに手持ち資金は少ない。

「1千万ぐらいは持ってこないと」 なんて言われたって、腰が引けちゃうよね。

持っているのは、会社の重役経験者、つまり定年帰農のような方々である。

実際に 「ぜんぜん資金がない者はどうすればいいんでしょう」

なんて素直な質問も飛び出す。

ワタミファームの竹内社長の答えは、もはや説教である。

「いいですか。 農業をやるってことは、経営者になるってことなんですよ」

計画なしに農業を始めたいという甘っちょろい考えではダメなんだ、と。

恫喝のシモヤマ氏は 「ごちゃごちゃ言ってないで、やる気あんなら、やれば?」。

間をとって解説する私。 何なんだ、この説明会は。

やらせたいのか、やめさせたいのか・・・・・まあ、どっちでもいいけど。

「マニュアルがない」 には、さすがにこちら全員、内心ぶち切れたか。

「マニュアルは農家の体にある。 だから実地研修なのです」 -オレってけっこう冷静?

 

説明会と質疑を終えた一行は、

野菜ネット前代表・雲地康夫さんのほ場を見学する。

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人参畑で説明する雲地さん。

 

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後ろにいるのが、研修中の千葉さん。

千葉・検見川からバイクで通っているとか。 

 

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千葉さんは、すでにこの地で農業をやろうと決めているようだ。

法人化までプランを練っている。

聞き入る説明会参加者たち。

 

帰る前に書いてもらったアンケートでは、

ほとんど全員が 「研修を希望したい」 と書かれていた。 すごいね。

自己資金はゼロから一千万まで。 これから悩ましい選考である。

ちゃんとやれるのだろうか。 ワタミの竹内さんが頼りか・・・ 

 

説明会後は、山有協の総会。

今年も事業の継続が認められたが、助成額は少し減った。

だんだんと地域の力が求められてくる。 研修制度の充実に注力しよう。

稲作体験への助成は 「なくて結構」 とした。

元々から税金をアテにしてやってきたわけじゃないし。

 

体験田は、もう田起しがすんでいた。 秀雄さん、ありがとう。

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新しく増えたもう一枚の田んぼでは、畦が塗り直されていた。 直樹さん、ありがとう。 

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今年の米づくりも、着々と進行している。

 

畦に咲くヒメジョオン。

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これも北アメリカからやってきた帰化植物で、農業の概念では強害草だが、

ハチにとっては、ただ蜜源のひとつであり、共生する仲間なのである。

 



2009年1月26日

東北から、「農を変えたい!」

 

書く時間がなくて・・・という言い訳の前に、書くことも忘れてしまっていた日々。

気がつけば、もう10日も更新していない。

その間に、パレスチナの惨劇は新しいアメリカ大統領の就任に合わせるかのように

一時停戦となり ( この影響はいつまで尾を引くことだろう )、

そのアメリカは新大統領のパフォーマンスとケネディばりの演説に熱狂して、

いっぽう国内といえば元気が出るような話題に乏しく、

そんな世情を横目に、僕はただひたすら宿題に埋没させられていたのでした。

こう見えても、来期の事業計画や予算など真面目に考えたりしてるんです。

 

1月から2月初旬は、産地での新年会が各地で開かれる時節でもあって、

そこには行ける限り顔を出す。 みんな手ぐすね引いて待っている。

僕らはそれを  " 死のロード " と呼んだりしている。

もちろんただ飲むだけでなく、農業の未来や野菜の品質のことなども語り合うわけで、

日々ネタは尽きないのに書けないという

情けないドロドロ状態にはまってゆく、そんな期間でもある。

 

いろいろあったけど、しょうがないので途中はぶっ飛ばして、

直近の話題で再開させていただくと-

22日(木) に泊りがけで福島わかば会の新年会があり、

23日に帰ってきて仕事して、

24日(土) には再び福島に行って、

『 農を変えたい!東北集会 in ふくしま 』

という集まりに顔を出す。

「農を変えたい」 運動は、有機農業推進法を成立させたパワーを土台として、

有機農業の発展だけでなく、環境保全・地域の活性化までを視野に入れた全国的な運動

となって展開されている。 

 " 農 "  のありかたそのものを考え直そうという思いも込められている。

 

行けばそこには大地を守る会の生産者もいっぱい参加していて、

一人ではけっこうしんどい。

夜の懇親会で出たお酒が、大和川酒造に仁井田本家 (金寶) とくれば、

必然的にボルテージも上がって深夜まで。 結局は自業自得、身から出た錆・・・・

 

とりあえず、脳を変えたい、じゃなくて、「農」 を変えたい!集会の写真で

ごまかしておきたい。

いやいやどうして、すごい集まりになったんです。

会場は福島大学。 大学で一番大きな教室に人が溢れたんですから。

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東北全県を中心に全国各地から、約450名の参加。 いやもっと多かったか。

 


今回の集会実行委員長は、旧熱塩加納村 (現喜多方市) の有機農業指導者、

小林芳正さん。

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有機農業運動、地域自給運動の世界ではつとに知られたカリスマの一人。

熱塩加納村を有機米の一大産地に育て上げ、

補助金を蹴ってまで村の米や野菜を地元の学校給食に導入した。

「食べものとは  " いのち "  である」 

こんなセリフが似合う人は、実はそうはいない。

大地を守る会が最初に開発したオリジナル純米酒 「種蒔人」 (当時の名は 「夢醸」 ) の

誕生を支えてくれた大恩人でもある。

大病もあって心配した時期もあったけど、

コバヤシ・ホウセイ完全復活!を宣言したかのような力強い実行委員長挨拶だった。

 

そして次世代のリーダーとして登場したのが、

このブログでも何度か紹介した、山都町 (こちらも現喜多方市) の浅見彰宏さん。

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もう紹介は省きたい。

大和川酒造で出会い、棚田を守る水路の補修手伝いから、若者たちの野菜セット企画

へと、僕らの関係は年々深まってきている。

 

次世代リーダーのリレー・トークでは、

山形県高畠町・おきたま耕農舎の小林温(ゆたか) さんも登壇。

耕農舎代表・小林亮さんの農業を継いだ和香子ちゃんの旦那、つまり婿どの。

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大学の哲学科を中退して、自分探しの旅を経て、農の世界に行き着いた。

「まあ、彼女が有機農業をやっていた人だったってことなんですけど・・・」

なんて照れながら、今の様子と将来の希望を語る。

 

「ホントはやる気なかったんだけど、じいちゃんがずっと守っていた田んぼを

 荒らしちゃいけないと思って帰ってきた」 なんていう若者の発言もあったりして、

なかなか当代の若者も捨てたもんでもないなあ、とか思わせる。

 

自由交流会では、新規就農相談コーナーも設けられた。

相談に乗る小川光さん (喜多方市山都町・チャルジョウ農場)。

積極的に研修生を受け入れ、育ててくれている。

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・・・・右の君、ちょっと態度悪いよ。

 

こちらは宮城の石井稔さん (無農薬生産組合)。

米の栽培技術では名人といわれる生産者の一人。 大地ではニラも頂いている。

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相談員は他にも、山形・庄内協同ファームの志藤正一さんや、

秋田県大潟村の相馬喜久雄さん、今野克久さんなど、

大地でおなじみの生産者が顔を揃えていた。 

 

夜の懇親会で、実行委員会を代表して挨拶する渡部よしのさん。

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「山都の若者たちの野菜セット」 企画では、

チャルジョウ農場の研修生たちの野菜で賄えなかった分を補ってくれた。

渡部さんからは、それとは別に米も頂いている。

 

大学の生協食堂を借りて行なわれた懇親会も人で溢れていた。

食材は、磐梯はやま温泉 「ヴィライナワシロ」 総料理長・山際博美氏による

徹底的に地元産にこだわったメニューで並べられた。

とにかく予想外の賑わいで、写真も撮れず (料理を取るほうに精一杯で・・・)。

 

二日目は、5つの教室に分かれて分科会が行なわれた。

テーマは-

○ 学校給食・地域内自給

○ 耕作放棄地・ムラの再生

○ 農産物マーケティング

○ 有機農業(技術)と生物多様性

○ 農産加工・地域産業再生

 

ここでの注目は、「マーケティング」 という観点での分科会が用意されたことだ。

それだけこの世界が拡がってきたことを物語っている。

パネラーの一人に、伊藤俊彦さん(福島県須賀川市) の名前がある。

大地を守る会の 「備蓄米」 や 「稲田米」 の生産者だが、

生産集団の組織化から米の集荷・精米、さらには農産物の販売会社の運営まで

事業規模を発展させてきた起業家でもある。

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変化を洞察し、変化に挑戦し、変化を創造する -(伊藤さんのレジュメから)

カッコ良すぎ、です。 

 

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有機農業は第Ⅱ世紀に入り、ほんとうに点から面へと進んできたと実感する。

個と個のつながりから、地域を変えてゆくための連携へと進む、

その道筋がリアリティをもって語られるようになってきた。

僕もまた、彼らとともに未来開拓者の一人でありたい。

欲望の交易手段としてでなく、人と人のネットワークという流通の大義をかけて。

 



2008年9月26日

有機JAS検討会、終了

 

おとといは農水省を追及したと思ったら、今日は省内での会議に参加する。

「有機JAS規格の格付方法に関する検討会」 -最終回の審議である。

 

2月から始まって、今回まで6回。 

各2時間、述べにして12時間強の会議で、有機JAS制度の改善の方向性をまとめる。

前回も書いたけど、1回の会議で発言できる機会も少なく、

もう 「とりまとめ」 か、というもどかしさがついに抜けないまま来てしまった。

力不足の点を反省しつつ、でも少しは意見を反映させることができたようにも思うし、

複雑な心境、便秘気味の 「検討委員会」 体験だった。


検討会で出された意見は幅広く、ともすれば拡散する傾向があった。

特に、有機JAS制度の正確な運用のための見直しという観点と、

「有機農業の発展のために」 語られる視点との微妙なズレが印象に残った。

流れとしては、検討会のそもそもの開催目的が、認定機関や認定事業者

(認証を受ける生産者・製造者等) に違反が後を絶たないことに端を発していることから、

 " 制度をどう信頼されるものにするか " の観点での見直しに絞られていった。

 

時間をかけて論議されたテーマには、次のようなものがあった。

1)登録認定機関 (第三者認証団体) の判定のバラつきをどうするか。

2)生産者にとって有機JAS規格が求める規程や文書管理は煩雑で、負担が大きく、

  このままでは有機JAS生産者 (=有機農産物) は増えない、という懸念について。

3)様々な農業資材が有機JAS適合品とか称されて販売される現象があり、

  生産者にその適否を判断させるのは困難な面もあり、対策が必要ではないか。

 

1)については、検討会の途中で、認定機関の委員より

『登録認定機関の業務運営に標準をつくるために』 という

いくつかの認定機関が共同で作成したマニュアル文書が出されたことによって、

これを各認定機関も参考にしながら、意見交換を進めて改訂・発展させ、

認定業務のバラつきを解消していくことを望む、という方向で整理された。

 

2)については、さすがに検討会で具体的な手法までは討議できず、

「効率的な記録の取り方を認定事業者自ら工夫するのはもとより、登録認定機関においても

認定機関同士の情報交換を行なうことなどにより、認定事業者のミスを防止したり、

合理的な記録方法を工夫し、認定事業者へ情報提供することを期待したい。」

というような表現でまとめられた。

何も書いてないに等しい、と感じる向きもあるかもしれない。

ただ少なくとも、認定機関にも、生産者の負担を軽減するための情報交換・情報提供を求める、

との認識が示されたわけだ。

認定機関に禁止されているコンサル業務との兼ね合いが気になるところだけれど、

このテーマは国に期待することではなく、我々自身の手で

(認定事業者と認定機関の日々の創意工夫で) 進めることとして、僕は了解した。

 

3)については、誰もが容易に資材の適否を判断できるような表示方法や制度を求める

声も強かったが、とりまとめでは、

「有機JAS適合培地など資材メーカーが、曖昧な根拠で表示をすることについての

表示ルールについて、何らかの規制を行なうべき」 の文言にとどまった。

個人的には農業用資材も農産物と同様に 『有機JAS』 の対象にすれば事足りるのでは、

と思うところであるが・・・。

 

「検査員のレベルアップのための研修システムの構築」 も盛り込まれた。

" (検査業務だけでは) 食べられない " 現状が委員から強く訴えられた経過もあったが、

「その状況が改善されることが優秀な検査員を生む土壌として必要」

という指摘までで終わらざるを得なかった。

 

総じて、生産者・メーカー、消費者、流通、研究者という各立場から出された様々な意見を

上手にまとめてくるあたりは、さすが官僚の方々、と感じ入るところだが、

やることはと言えば、すべてこれからである。

生産者と話し合い、認定機関ともやり取りしながら、改善を重ね、

信頼を確保するとともに、どう 「有機農業の発展」 につなげてゆくか (つなげられるか)

にかかっている。

 

半年強で6回の審議、という限界を感じつつ、農林水産省の会議室をあとにする。

鹿児島から毎回参加された生産者、

今村君雄さん (姶良町有機農法研究会会長、大地を守る会会員でもある) と、

別れ際に交わした、何ともいえない複雑な苦笑いが、残像として残った。

 

今村さんは、最後の最後に手を挙げ、こう言ったのだ。

「食べものを大切にすることが、すべての根幹ではないですか!」

 

「とりまとめ」 の文章は、保田茂座長 (兵庫農漁村社会研究所代表、元神戸大学教授)

が最終調整し、各委員との確認後、農林水産省消費・安全局長に答申として提出され、

すべての認定機関に配布されることになる。

パブリックコメントにもかける、とのことである。

 



2008年8月 8日

「有機JASをやめる」 と阿部ちゃんは言う。

 

「今年で有機JASの認証をやめようと思う」

茨城県石岡市(旧八郷町)の生産者、阿部豊さんがそんなことを言ってます

 -との報告を担当から受けたのが一ヶ月ほど前。

 

阿部ちゃんが・・・・・予感は、なくはなかった。 

とにかく会って話をしようよ。 ということで、やってきた。

 

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右が阿部豊さん。 八郷で有機農業を始めて20年。

左は新しい仲間、桑原広明さん。 この地に入植して4年。

今年から二人で 「阿部豊グループ」 として野菜を出荷している。

二人とも有機のJAS認定農家だ。

特に阿部ちゃんは、有機JAS制度がスタートした最初の年 (2001年)

から認証を取得してきている。

 


その阿部ちゃんが語る。

「有機JASには、意義を感じられないんだ」

 

俺は付加価値を得たくて有機の認証を取ってきたんじゃない。

自分がやっていることを明らかにして、消費者との信頼関係を維持するためだ。

変更したって自分のやることは何も変わらない。

記録や書類の管理などトレーサビリティの体制はこれからもちゃんとやる。

しかし結局、お金をかけてまでの認証には意味を見出せなかった。

有機JASは国内の有機を増やせてないし、輸入のものばっかりが増えている。

もうやめる。

大地を守る会がこれからやろうとしている監査の方がいいと思ったんだよね。

有機認証の経費をそっちに回しても、その方がいい。

 

どうも阿部ちゃんをその気にさせてしまったのは、私の文書のせいでもあったようだ。

月に一回生産者に送っている 『お知らせ』 で、6月7月と連続して、

僕は今期からの新しい監査の仕組みについて書いた。 

(5月には社内での勉強会も開催した。)

会員に届ける野菜が大地を守る会の生産基準に合致していることを確認する

だけにとどまらない、生産者が取り組む様々な努力の過程を大切にして、

その進化を評価し、支援できる監査システム。

僕はこれを勝手に 『大地を守る会の有機農業運動監査システム』 と呼んで、

そんな体制づくりに向かいたいというような話を書いたのだ。

 

エビちゃんの文章を読んで、そうしようと決めた、なんて言われてしまう。

しかし僕に、このような面倒くさい仕組みに進ませた原動力は他でもない、

阿部豊の叱責である。

「有機農業推進室は、有機農業を推進しろ!」

もう何年も前のことだが、この台詞はずっと腹のどっかに刺さったままである。

 

おととい開かれた農水省の有機JAS制度の検討会で、

生産者の委員から一貫して出されていたのは

 「記帳やら文書管理やらが煩わしすぎて、このままではやる人は増えない」

という意見だが、この本音は、たんに 「負担が重い」 ということよりも、

おそらくは 「苦労が報われない」 感があるのだ。

さすがに阿部ちゃんは 「負担が重い」 とは言わないが、この報われない感

は共通するところのように思えた。

 

有機の認証を取ったから値上げしてくれとは言わない。

しかしトレーサビリティの作業は相当なコストになっていることは、分かってほしい。

とも阿部ちゃんは言う。

 

私の答えは、

「いま構築しようとしている監査体系がもう少し整理されるまで待ってくれ。」

 

阿部ちゃんは、有機JASを卒業したがっている。

そんな彼の期待に対応できるシステムに進化させることができるか。

有機JASに対する評価も含めて整理が求められていて、さて

僕と阿部ちゃんのこれからのやり取りは、どの辺に着地するだろうか。

 

阿部豊のナス畑には、ウグイスが巣を作っていた。

巣の中には2個の卵があった。

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ウグイスは、ここが安心できる場所だと思ったのだろうか。

阿部ちゃんには、有機JASマークよりもずっと自慢したいことのようだった。

 



2008年8月 5日

有機JAS制度の検討委員会 ‐第5回

 

今日は、5回目となった有機JAS制度の検討委員会。

正式名称は 「有機JAS規格の格付方法に関する検討会」 という。

霞ヶ関・農林水産省第2特別会議室。

開会前なら撮影OK、ということで一枚撮らせていただく。

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12名の委員が、アイウエオ順に座らされる。 私は写真右端から切れた手前の席。

正面の傍聴席は、認証団体や生産者、関係業界の方などでいつも一杯になっていて、

それだけ関心の高さが窺える。

 


この検討会も2月から始まって5回目となり、全体の意見集約の段階へと進んできた。

しかし、たった5回×2時間程度の審議で、もう 「とりまとめ」 である。

毎回ペーパーの説明時間などもあり、発言できる機会は1~2回程度で、

この点はあとで言わせてもらおうなんて考えようものなら、

ついに機会を逸してしまったりして、相当にストレスの溜まる会議ではある。

民間から委員を集めて開かれる検討会というのも色々あるが、みなこういうものなんだろうか。

 

ここでは審議の詳細な説明は省かせていただくが、

感想をひと言で述べよと言われたら、

どうも原則論 (あるいは理想論) と現実論のキャッチボールで推移してきている、

という印象になろうか。

 

たとえばこんなふうに。

① 生産者の文書管理や記帳などの負荷が重過ぎる。 これでは有機の (認証を取得する)

    生産者は増えない。 もっと作業やコストを軽減できる手法を考えるべきだ。

→ ハードルを低くすると制度の厳正さが失われ、社会的評価が得られなくなる。

  また認証機関や検査員が生産者に管理手法の改善をアドバイスするのは

  「コンサル」 業務にあたり、公正さが保たれなくなるので許されない。

 

② 認証機関の判定や判断にバラつきがありすぎる。 たとえばある資材について、

  有機に使っていいものかどうかを判断する際に、認証機関の見解がまちまちでは、

  生産者は混乱する。

→ 資材の調査と判断は、あくまでも生産者の自己責任で行なわれるべきものである。

  また同じ資材なら、どこでも誰でも無条件に許容されるものではない。

  あくまでも、それを使わざるを得ない個別事情を勘案する必要があり、

  そこから下される判定は一律なものではない。

→ 「やむを得ない事情」 を判断できるのは生産者であって、

  待ったなしの状況で、認証機関が本当にそんな事情を判定できるのか。

  その資材の 「原材料と製造工程」 から、その資材が 「有機性を損なうものではない」

  という、有機JAS規格に対する客観的な適否判定をすればよいことではないか。

 

③ 有機農業を広げてゆくためにこの制度があるはずだが、その視点なく、

  ただ制度の細かい見直しをしても意味がない。

→ 有機認証制度とは、あくまでも公正で客観的な審査・認証の仕組みであって、

  有機農業の推進は 「有機農業推進法」 の枠でやるべきことだ。

 

あるいは、これは生産者のためにあるのか、消費者保護のためにあるべきなのか・・・

 

そもそもが、2000年から始まった認証制度で、

監査 (検査) および認証 (判定) は民間機関に委ねられたため、

いろんな立場から認証機関が林立する状況が生まれ、

認証する方もされる方 (生産者・メーカー) も、認識やスタンスに誤差があって、

「意図せざる規格違反」 や 「業務改善命令」 が後を絶たない。

そこで今回の制度運用上での見直しとなったわけなのだが、

委員それぞれの 「立ち位置」 によって、改革の視点も異なれば、

「正論」 も微妙に温度差のようなものがある。

誰が 「原則」 派で、誰が 「現実」 派などと簡単な色分けもできず、

譲れない原則と見つめなければならない現実を、それぞれが抱えているような

「もどかしさ」 が続いている。

一方、であるがゆえに、ただ理想論を偉そうにぶつだけの意見は、

逆に鼻白むだけであったりする。

 

会議の途中から雷が鳴り始めた。

( この局所的集中豪雨によって、下水道工事現場で作業員の方が亡くなられたと

 知ったのは夜のニュースだった。 )

 

問題の根っこを探らないと有効な解決策は見い出せない。

幸い、認証機関側から相当に練った 「改善のためのプラン」 が示されてきて、

まあ何とか落としどころが見えてきた感がある。

 

あと一回で、この検討会としての意見の 「取りまとめ」 に入る。

これまで出されたいろんな視点に対しての意見や 「まとめ」 への見解は、

自分なりにちゃんと整理して提出しなければならない。 ただ口で言うだけでなく。

「もどかしい」 とかなんとか不満を言うヤツには、その義務があるんだよ。

というのが自分のスタンスだったしね。 

 

生産者の不満やストレスは一向に解消されないかもしれない。

ただこの委員会で、何かひとつは、前進したものがあったと言わせなければと、

焦り始めている。

 



2008年7月16日

無農薬野菜の方が危険?

 

-そんな話を聞いたが、本当か?

という質問が会員さんから寄せられ、会員サポートチームのS君が相談にやってきた。

質問の内容を見ると、ご家族がラジオか何かで

「植物は、病原菌や害虫に遭うと抵抗物質を出す。 その物質が原因となって、

 食べた人にアレルギー症状を引き起こすことがある。

 無農薬野菜はアレルギー物質が多く含まれることになり、かえって危険である」

というような話を聞いたというのである。

 

この情報源なら知っている。 近畿大学の研究グループの試験結果だ。

発表されたのはたしか2年前のことで、

これはもしかしてひと仕事増えるかも・・・・と受け止めた記憶があるが、

その後は大きな話題にはならなかったようで (少なくとも我々の周辺では)、

なぜ今になって・・・・と思っていたら、

数日後に別な会員さんからも同じような質問が寄せられた。

どうやらこの試験結果を元にして、所々で 「無農薬野菜は危険」 といった話が

語られているようなのだ。

 


市民レベルから反応が上がるようでは看過できない、ということで、

僕なりに見解を整理して会員サポートチームにお返ししたところである。

いつもバタバタしてて、まとめるのが遅れてしまってゴメンね、Sくん。

 

あくまでも私の調べた範囲内での整理であることを断りつつ、お話すると-

私たちが食べている野菜や果物には、

カビや病虫害の被害から自身を守る " 免疫 "  のような働きをする物質が含まれている。

「生体防御たんぱく質  ( 感染特異的たんぱく質 ) 」 と呼ばれるものだ。

人が野菜や果物と一緒にこの物質を摂取した際に、それが原因で

まれにアレルギー症状を引き起こすことがある。

これは以前から分かっていたことで、慌てることではない。

 

近畿大学の試験とは、それをリンゴを使って検証したもので、

無農薬・減農薬・一般栽培の3パターンで育てたものを比較したところ、

感染特異的たんぱく質は無農薬りんごに最も多く含まれ、

続いて減農薬、一般栽培の順であった、という結果が得られた。

ちなみに、無農薬リンゴは3種類の病害を受けていて、

一般栽培のものには病気は出ていない。 減農薬の状態はその中間。

これによって研究グループは、

「他の無農薬栽培の野菜や果物も、病気や害虫の被害に遭うことで、

 感染特異的たんぱく質が増加する」 と結論づけた。

 

もう少し正確にお伝えすると、この試験は、

3種類のリンゴからたんぱく質を抽出し、リンゴ・アレルギー患者の血清に結合する

たんぱく質 (アレルゲン) を検出して、その反応を調べたものである。

その試験の背景には、野菜・果物のアレルギーの多くが、

花粉症の抗原 (花粉) と構造的に似ている抗原を摂取した時に発生している、

という現象があり、今回の試験で使われた血清も、花粉症を併発している方々の

ものであった。 

ここから、野菜・果物によるアレルギーが増えてきていることと、

花粉症罹患者が増えていることとの関連性も指摘されている。

 

この研究結果は、ある意味で当然のことと言える。

植物には、病原菌や害虫の影響を受けると、それに対する防御物質をつくる力がある。

それらの物質は 「生体防御たんぱく質」 と呼ばれ、感染特異的たんぱく質のほかに、

ファイトアレキシンと呼ばれる抗菌性物質がある。

ファイトアレキシンは、いわば植物が自ら生み出す殺菌剤のようなものだ。

 

いずれにしてもまだ未解明な部分が多く、研究途上の分野であるが、

それぞれを物質単独で毒性を見た場合、「何らかの有害性を持っている」

と考えることができる。 菌や虫に対抗しているわけだから。

中にはそれによって苦味やえぐみとして感じられるものもあるようで、

物質によって、あるいは個人によっては、アレルギー反応を導く場合もあると思われる。

念のために言っておくと、ここで言うアレルギー反応とは、

舌がしびれたとか、どこかが痒くなったといったレベルも含まれる。

 

しかしながら、だから何よ。 というのが私の本音である。

これは植物が本来持っている力に起因するもので、

農薬が開発される遥か以前から備え持ってきた機能であって、

人もまた当たり前のようにそれらを食べ、かつ共生してきたものだ。

したがって、あらゆる食品に内包するものだと言えるだろう。

たとえば蕎麦やバナナでアレルギー症状が出る人がいるからといって、

蕎麦やバナナに毒があるとは言わないように、植物には必然的に備わっているもの、

と冷静に受け止めるべきものではないだろうか。

 

またこの実験結果によって、

「無農薬栽培だと増大する」 あるいは 「農薬を使うとこの種の物質は作り出さない」

などと簡単に決めつけられるものでは、決してない。

この研究で言えることは、あくまでも

「病原菌や虫の攻撃を受けると植物は防御物質を作り出し、

 それは場合によって人のアレルゲン物質になる可能性がある。

 病虫害の被害に遭うほど、そのリスクは高まる」 ということであって、

「無農薬野菜の方がアレルギー物質が多い」 というのは、

実際の生産状況を知らない、あるいは関心ない人の言うことである。

 

無農薬だから病虫害に侵されるとは限らない。 

ましてや 「普通栽培だから病虫害に侵されない」 となれば、

それは相当に予防的な防除 (病気に罹る前に薬を打つ)

をしなければならなくなるだろう。

生産者が有機農業に転換する際の理由や動機の多くが、

自分や家族そして畑の健康のために農薬を撒きたくない、という

現場での経験や実感から生まれていることを、

「無農薬はかえって危険」 と簡単に語る人たちは知らなければならない、と思う。

 

そして、こういうことを語る人に共通しているのは、「無農薬=虫食い」 という認識である。

もちろん自然の中で作物 (植物) を育てる以上、

天候などの影響も受けながら常に病害虫とのたたかいになるので、

「無農薬」 を前提にすれば、リスクは当然高くはなる。 虫食いも発生する。

しかし、有機農業を実践する人たちが考える基本は、

健全な土作りをベースに、天敵も含めた生態系バランスに配慮することによって

 「農薬を必要としない」 健康な作物を育てる、というものである。

だから必死で勉強しているわけだし、

多少の虫食いや変形も許さないという感覚は、国際的にはスタンダードではない。

日本ほどに農薬を使ってない国 (世界のほとんどの国) の、

普通の野菜の方がアレルギー物質を多く含むなどと言ったら、

どんなふうに受け止められることか。

 

また、仮に百歩譲って、無農薬野菜の方がアレルギー物質の含有が多いとしても、

農薬を使用したほうが安全などとは、とても言えるものではない。

「農薬」 とは、そのほとんどが化学合成物質であり、

その微量な残留でアレルギー反応を起こす化学物質過敏症の人もいる。

ここでは、食べた野菜の残留農薬による影響を受ける人と

野菜自体に含まれるアレルゲンによる影響を受ける人の数を比較するのは

あまり意味のないことで、決定的に違うことは、

野菜や果物の残留農薬というのは、

バナナ・アレルギーの人がバナナを避けるように対処できる問題ではない、

ということだろう。

そもそも、この試験結果によって、

リンゴ・アレルギーの人が、一般栽培だから食べよう、などと思うことはあり得ない。

 

農薬の問題について、まとめて整理すれば-

1.農薬は、作物への残留問題だけでなく、使用する生産者の健康被害のリスクを高める。

2.農薬は、地下水や環境を汚染するリスクを高める。

  昨年、ある地方で、水田で使われた除草剤が河川を辿り、シジミに残留が検出されて

  シジミの出荷が止められた、という事件があった。 上流の米は当たり前に売られた。

  その違いは、ただ残留基準の差によるものだが、こういうことが起こりえる、

  ということである。

3.農薬の使用は、土や生態系のバランスを崩すために、使用後に病虫害が発生した場合、

  かえって被害が甚大になることがある。

  また病原菌や害虫が農薬に対する耐性を獲得することで、

  さらに強い、あるいは新たな農薬に頼るなど、農薬依存を強めてしまう。

  これは農薬という毒性をもった化学物質が、広く自然界に拡散してゆくことを意味する。

4.そして、作物自体への残留のリスクは常に減ることはなく、存在し続ける。

 

要するに、農薬の問題は 「人の行ない」 に起因していて、

かつ負の連鎖のように問題が深まり、拡がるわけで、

人工の問題は、人の手で乗り越えなければならない。

「自然界の掟」 に起因する問題とは、質が異なるものなのだ。

 

どうも、 「無農薬=虫食い」、

 あるいは生体防御たんぱく質の増大という問題をもって、 「無農薬はかえって危険」

といった主張をされる方々は、そのほとんどが有機栽培に対する偏見をお持ちか、

よくご存じない、あるいは対極にあるもの (農薬) を擁護することを前提にしておられる

ように見受けられる。 また、だいたいそういう方は、

" 消費者は 「無農薬=安全、農薬=危険」 という非科学的な判断をしている "

と考えていたりする。  「消費者は理不尽に農薬を悪と決めつけている」 と。

そして、「農薬は、安全だ」 ということを科学的に語ろうとする。

しかしその 「安全」 とは、

「ちゃんと規則どおりに使えば、人体に影響を及ぼすほどの残留は残らない」

という意味であって、それは同時に 「リスクが存在する」 ということも表現していることに

気がついていないように思える。

 

そもそも農薬の安全性を主張するのに、アレルギー物質を引き合いに

「無農薬も危ない」 と語るのは正当な手法ではないし、いわんや、

いま業界で流行 (はやり) のリスク・コミュニケーションの観点からしても、

ダメなやり口と言わざるを得ない。

 

大地を守る会の生産者も農薬を使うことがあるが、私たちは、

よく考えて農薬を選択し、使用は最小限に抑えよう、別な対策や技術を取り入れられないか、

というスタンスで話をする。

農薬を推奨する方々も、農家に 「これは安全だから」 と安易に勧めるのではなくて、

「これは危ないものだから、説明書きにある通りに使わないといけないし、

 ちゃんと鍵をかけて保管するように」 と語ってほしい。

そういった指導が必要な 『薬』 なのだから。

 

食品が持つリスクをどう選択するかは、消費者一人一人の判断であり、権利である。

しかし太古から獲得してきた植物の力に潜まれているリスクと、

化学物質の野放図な環境への放出という問題を比較して云々というのは、

相当に文化や生きる力を貧しくしていないか、と思うのである。

私は、農薬への依存から脱しようと努力する人のものを食べることの方が、

未来の安心を築く選択である、と信じる立場である。

 

最後に、くだんの実験から指摘されたところの、

野菜・果物アレルギーと花粉症の増加の関連については、その背景に

『現代人の免疫バランスが変わってきている』

という深刻な問題があることを伝えておきたいと思う。

たとえば、有機野菜に切り替えたらアトピーが治ったとか、

無農薬の玄米に切り替えたら米アレルギーが軽減された、といった事例を

「非科学的」 と排除して済ませてよいだろうか。 まだまだ分からないことが多いのだ。

自然界に放出される化学物質の増大が、人の免疫システムの変化に、

何がしかの形で作用していないかという危惧の方にこそ、

科学者はその本能的関心を寄せるべきではないだろうか。

 

二日前の日記の最後で、

小賢しい科学技術論で重箱の隅をつつきあうような論争~

などと書いてしまったのは、このテーマが頭から離れなかったことによると思われる。

 



2008年6月30日

有機農業第2世紀の宣言

 

6月28日(土)、29日(日)の二日間にわたって、

有機農業の広がりを目指した集会が催された。

 

国が有機農業の発展を支援するという、ひと昔前にはとても想像できなかった法律

「有機農業推進法」 が施行されたのが一昨年の12月のこと。

昨年4月には推進のための国の基本方針が告示された。

そして今年4月から、有機農業の普及啓発や参入促進事業に加えて、

45ヵ所の地域が有機農業推進のモデルタウンとして指定された。

まだ形ばかりとはいえ、

農水省の担当部局 (環境保全型農業対策室) もやる気になっている。

 

そこで、これからの時代を 『有機農業第2世紀』 と位置づけて、

新しいスタートの宣言をしようというわけだ。

 

28日(土)、大手町・JAビルで開かれた 「地域に広げる有機農業フォーラム」。

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この日は、モデルタウンに選ばれた、あるいは選に漏れた人たちによる

情報交換と交流の場として呼びかけられ、全国から約100名の参加者があった。


上の写真は、コモンズという出版社の代表をされている大江正章さんによる

「地域の力 -食・農・まちづくり」 と題しての記念講演。

大江さんとは、彼が以前に勤めていた出版社時代からの古い付き合いだが、

実は今年の2月、演題と同名の著書が岩波新書から出されて、

この手の本では異例の売れ行きを示しているという。

 

地方が疲弊していっている、と言われて久しい中で、

地元企業と住民と自治体が共同で知恵を出し合って、

活気ある地域づくりを進めている町や村がある。

そんな事例を紹介しながら、地域の力を引き出してきたポイントと、

有機農業の果たす役割について、大江さんは語ってくれた。

講演で紹介されたのは、以前(12月2日)このブログでも紹介した木次乳業のある町、

島根県雲南市と、徳島県上勝町、そして東京・練馬での都市農園の実践例。

「 畑は地域のカルチャーセンターであり、コミュニティセンターである 」

の言葉が印象に残った。

ここでの説明は簡単に済ませて、ぜひ本を読んで欲しいと思う。

あっちこっちの地域おこしの現場をていねいに取材して、

大江さんらしい温かい目で語られている。

これは読みようによってはヒントの宝庫のような本である。

地域の環境や資源を見直し、また地域福祉を考える上で。

あるいは、社会起業や転職を考える人にもおススメです、とも言ってみたくなる。

そして何よりも、有機農業の今日的な力を感じ取れる格好の手引書になっている。

オマケに大地を守る会の関係者もチラホラとお目見えしてくれるし-。

『地域の力-食・農・まちづくり』 (岩波新書)、値段は700円 (+消費税) です。

 

後半では、各地からの有機農業推進事業 (モデルタウン) の取り組みが発表された。

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助成対象となった45のうち、17ヵ所の方々からの報告を聞いたが、

やはりまだ、どこも器をつくったばかりで、これからの方向性を模索中といったところだ。

出た不満は、行政の知識と理解のなさである。

いかに地方行政が有機農業を無視してきたかを、つくづくと感じさせる。

でも、我々は今、たしかに機運をつかんでいる。

この5年間でどれだけ形あるものにするか、地域を変えられるか、

みんなの知恵と想像力を結集させて、未来を切り開いて見せたいものだ。

立派な形は残せなかったとしても、

大江さんの本の中で紹介されている、80歳でもみじの種を播いたという

徳島のおばあちゃんの台詞のように進んでみたいと思う。

「生きとるうちには採れんかもしれんけど、これは私の夢を播っきょんじゃあ。

 子や孫が継いでくれることを信じてな」

 

二日目は、場所を隣のサンケイプラザに移して、

『 有機農業宣言 東京集会 ~みんなで広げる有機農業~

  食・農・環境の未来を 「ゆうきの一歩」 から 』 という長いタイトルの集会。

 

午前中には観たいと思っていた映画 「土の世界から」 が上映されたのだが、

間に合わず、午後からの参加となる。

予想以上の参加者にびっくりした。 400人は入っている。

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                        (ここ数年、大地を守る会の東京集会で使っている会場)

 

シンポジウムでは、全国有機農業推進協議会代表の金子美登さんはじめ

5人の方が、それぞれに有機農業の未来像を語った。

-有機農業の土作りは温暖化対策としても有効である。

  家庭から出されている年間5トンのCO2 は、3haの農地で吸収できる。

  消費者と生産者のつながりこそが環境を守り、

  再生産できる (作り続けることができる) 関係は、村を元気にさせる。

  元気になった村は、美しくなる。

-食の地域自給にとどまらず、エネルギーの自給も考えたい。

  日本という国は、草・森・水・土・太陽というエネルギー資源の宝庫である。

  資源を使いこなせず、どんどん痩せていっている・・・・・

 

今年の5月25日、G8環境大臣会合に対応した形で、

「環境と農業にかんする国際シンポジウム」 が神戸で開催された。

そこで採択された 「神戸宣言」 が会場で読み上げられ、

この宣言を洞爺湖でのG8首脳会議に反映させるよう、福田首相宛に届けたい

とのアピールがあり、拍手で確認される。

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1.生産者・流通・消費者が連携する適正な規模の有機農業を推進すること。

2.農・食・環境を基本とする地域と生物多様性を育む政策を実現すること。

3.地域農業・食糧自給重視の地球環境保全型貿易ルールを確立すること。

4.自然循環・生命環境を基礎とした循環型・協同社会を形成すること。

 

続いて、4つの部屋に分かれて分科会となる。

第1分科会-有機農業への参入促進 「私も有機農業で生きたい!」 に参加する。

ここでパネラーで呼ばれたのが、

宮城県大崎市 (旧・田尻町) で有機米を生産する 「蕪栗米出荷組合」 代表、千葉孝志さん。

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千葉さんが米を作る蕪栗沼周辺は、

渡り鳥の貴重な飛来地・休息地であり餌場として、

世界で初めて田んぼも含めた地帯がラムサール条約に登録されたところ。

 

そこで有機栽培を始めたきっかけや、一般栽培から有機に転換する際の心構え

などを千葉さんは語った。

そして、リップサービス?

「私が取引している団体は、日本でも一番、農薬とか環境にうるさい組織だと思っている。

 だから絶対に間違いを起こさないように、有機JASも取って、仲間にもうるさく言っています」

・・・・・・・さすがに恥ずかしくなって、ついうつむいてしまう。

     でもちょっと、胸を張りたくなる。 生産者に言ってもらえるのが、何より嬉しい。

 

新規就農への支援はあちこちで取り組まれるようになったが、

忘れてはいけない問題は、今いるプロの農業者をどう導くか、である。

しかしそこで千葉さんが語ったことは、自分の問題だった。

「 自分たちが有機農業でやれるんだということを見せて、認められることかと思ってる。

 それ見たことか、と言われないためにも、意地でもやり続けるしかないです 」

他人の問題ではなく、自身の実践にかかっていると考える千葉さん。

よかったですよ。

 

国までが動くようになって、若者もたくさん参加してくるようになって、

本当に有機農業は 「第2世紀に入った」 と言ってもいいようだ。

しかし、思想と哲学、意地と根性で育ててきた第1世紀を経て、

今度は崖っぷちに立たされた地域と農業の再建を託されているわけで、

これはこれで、容易ではない。

 



2008年5月22日

新しい大地オリジナル監査システムを築く! 宣言

 

昨夜 (21日) の話です。

 

勤務時間も終了した、18:30。

お昼の弁当を食べたりする休憩室に、

仕事を終えた (あるいは抜け出してきた) 職員が、パラパラと集まってくる。

その数、60数名。 数ヵ所に点在する社員全体の3分の1に相当する。

どうしちゃったの、こんなに。 みんな暇なのか。

などと私が言ってはバチ当たりも甚だしい。

 

みんな、私の話を聞きに来てくれた人たちである。

話は、今期から取り組もうとしている、新しい農産物の監査システムについて。

会員さんからの問い合わせやクレームに日々対応している会員サポートセンターのN君が

呼びかけて、開いてくれた。

ホワイトボードには、「エビちゃんが熱く語る ~ 」 などと書かれている。

オレはどうも、そういうヤツと思われているらしい。

 

内輪の勉強会だし、ここで報告するのはちと早い気もして、写真も撮らなかったけど、

終わってみれば、やっぱり少し記しておこうかと思う。


大地では、この5年間、「大地こだわり農産物認証」 と勝手に呼んでいる

独自の農産物の監査・認証に取り組んできた。

有機農産物のJAS規格制度 (以後、有機JASと書きます) の認証機関に依頼して、

大地で取り扱う農産物すべてが、大地の生産基準に合致していることを認めてもらう、

という手法である。

 

そのために、認証機関から毎年いくつかの産地がサンプリング指定され、

そこに有機JASの検査官が派遣されて、栽培内容の記録から各種伝票類まで確認される。

私がテレビ番組 『カンブリア宮殿』 でやっていたのとはひと味違う、

外部の検査官による監査であり、生産者は税務署がやってきたような気分になる。

また大地内部のデータ管理の体制から、物流センターでの小分け業務まで審査され、

最終的に、大地が流通する農産物がすべて大地基準に反してないものであることが判定される。

有機JASの認証を取得している生産者は、すでに有機で審査を受けているので、

この監査の対象からは除外 (免除) される。

つまり、これによって大地の契約生産者は、すべて第三者認証の監査対象となる。

 

この作業に5年間取り組み、ずっと 「合格」 の判定を頂いてきた。

最初の頃は、いくつか管理体制での改善点を指摘されたりして、

それはそれで自己検証を積み重ねて、精度を上げてきた。

そして昨年度、ついに 「改善指摘事項なし」 での合格判定となった。

 

私はこの時を待っていた。

これで内部管理体制は、一定の完成度に達したと言える。

監査を受けていただいた生産者には、改めて、この場を借りてお礼を言いたい。

しかし、これはあくまでも、農産物のその時の 「結果」 に対する判定である。

今日届いた大根は大地の基準に沿ってつくられたものと認められる、ということでしかない。

 

この5年の蓄積を土台にして、その向こうに行きたい。

監査・認証という冷たいシステムに、いよいよ血を通わせるのだ。

結果に対する 「基準適合」 だけでなく、

生産者が日々取り組んでいる努力の過程そのものを認め、評価する体系に進みたい。

年度が変わる前の3月、私はそんな提案を会社に提出した。

 

基本方針は承認されたものの、さて、どんなふうに進めるんだ?

ということで、今回の 「勉強会」 という名目での呼び出しとなった次第である。

 

具体的手法については、たいしたことではない。

いや、難しいようでそうでもない、簡単なようでそうでもない、という感じか。

まずは、今までやってきた手法にちょっとした手を加えるだけなんだけど、

問題は、この 「手」 をうまく自分たちのモノにできるかどうか、である。

生産者の、その作物の栽培内容だけでない、様々に取り組まれている様々な 「努力」 と

お金に換算できない 「価値」 を正しく評価して、前に進んでゆくための制度。

それによって未来をつくる力がここにあることを、私は立証して見せたいと思うのである。

大地独自の有機農業推進法であり、有機農業運動監査システムだと言ってみたい。

 

なんだか抽象的な話のようだけど、

この夜の話では、それなりにリアリティをもって語れたとは思う。

 

終了後、少しハイな気分になって、15人ほどで一杯やる。

軽くのつもりが、とうとう深夜3時まで喋くりあってしまった。

 

これは、「監査」 というものを自分たちの本当の力にするための作業でもある、と思っている。

農産物の世界なので、成果はすぐにはお見せできないけど、

数年後には、こういうことだったのね、と言っていただけるように、やってみたい。

仮にズッコケても、ゼッタイに何かは得られるはずだ。

 

有機JAS制度ができた時から、エビは 「有機JASを超える!」 とか

偉そうに吹いてたけど、忘れてはいなかったんだね。

 -当ったり前っすよ。 ずっと悩んでたんですぅ、今もですけど。

 

さて、ここまで言ってしまうと、もはや絵に描いた餅ではすまない。

でも、あまり期待されても困ります。 少しずつですよ、少しずつ、一歩前に・・・・・

 



2008年5月10日

環境保全型農業

 

つい先日 (4月23日) に、

有機農業総合支援対策事業 (モデルタウン) の実施地区に選ばれたと

紹介したばかりの千葉 「さんぶ野菜ネットワーク」 さんが、

今度は、

「環境保全型農業推進コンクール」 で農林水産大臣賞を受賞した。

 

5月8日、そのお祝いの一席が開かれ、出席させていただいた。

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成田のホテルで、立派な祝賀会である。 

 

振り返れば、10年前にも同じ賞を取っている。

当時は、JA (農協) の有機部会という組合員の組織という立場だった。

それが10年経って、独立した農事組合法人としての受賞である。

集まった人たちを眺めれば、農水省の担当官から千葉県庁、県議会議員、

地元山武市のお歴々に加えて、取引先も多彩になっている。


ここ山武で有機農業が始まったのは、ちょうど20年前。 1988年のことだ。

 『大地低温殺菌牛乳』 の生産地である静岡県函南町で開催された

全中 (全国農協中央会) 主催の 『有機農業全国農協交流集会』 に

3名で参加したことがきっかけだった。

 

「これからは有機農業の時代になる」

当時のJA山武睦岡支所長・下山久信さんは、この集会で決意したのだという。

帰ってから、すぐさま支所内に有機部会を結成して、生産者に呼びかけた。

山武の特産でもある人参に発生していた連作障害に悩んでいたこともあって、

29名の生産者が集まった。

 

函南町での集会では、

地元にある大地の農産加工メーカー・フルーツバスケットの代表、加藤保明が講演し、

有機農業運動から低温殺菌牛乳開発、そして農産加工場設立と、

生産者と歩んできた発展の経過が話された。

 

下山久信さんは、かつての 「三里塚闘争」 (成田空港建設に反対する農民運動) の支援学生で、

大地の初代会長・藤本敏夫さんや、現会長の藤田のことも知っていたようだ。

そんなこともあって、彼は部会結成後、真っ先に生産者を連れて大地の事務所に訪ねてきた。

今はない武蔵境の事務所だったと記憶している。

 

翌89年4月、部会員・雲地幸夫さんのチンゲン菜が大地に初出荷される。

『クロワッサン』 なんて雑誌の取材が入ったりした。

 

当時、米の輸入自由化反対運動に関わっていた僕は、

もっと "お米について知ろう" という専門委員会を結成したばかりで、

消費者と一緒に米づくりを体験できる場をつくれないかと率直に下山さんに打診したのだった。

それが90年、『大地の稲作体験』 の始まりだ。

最初に田んぼを貸してくれたのは有機部会結成時のリーダー、今井征夫さん。

同じ年、大地の農場建設にも土地の提供から何から尽力してくれ、

そして何と、その農場開きのお祝いをした翌日に亡くなられた。 暮れのことだった。

今思い出しても、言葉がない。 大地と山武の熱い一年、だったなぁ。

その 『大地実顕農場』 は、今はない。

計画の甘さというより、当時の力量では早すぎたのかもしれない。

 

91年には地元の小学校の給食にも供給が始まった。

そして97年、第3回の環境保全型農業推進コンクール・農林水産大臣賞を受賞した。

 

2000年、有機JAS制度発足と同時に認証を取得する。

当時の部会員50名、有機認証圃場12ha。

 

2005年。 部会員46名で、農事組合法人 「さんぶ野菜ネットワーク」 を設立する。

そして今年、 「有機農業総合支援対策事業」 の指定産地として採択され、

自治体やJAなども巻き込んで、「山武市有機農業推進協議会」 を設立する。

 

......と、こんなふうに紹介すると順風満帆の勢いのようだけど、

歴史をつくる作業って、並大抵のものではないのだ。

20年前のトップランナーは、今日の受賞や助成の恩恵にはあずかってはいない。

開拓者の矜持 (きょうじ:誇り) が報われた、と言えば簡単だけど、

その喜びは、その人にしか分からない孤高のものだ。

 

祝賀会。 藤田会長に挨拶の指名が-

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出席されていた先達に労をねぎらったあたり、さすが。

 

挨拶に立った 「さんぶ野菜ネットワーク」 代表の雲地康夫さん。

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前日の断続的な地震で、あまり寝てないらしい。

厳しい農業環境の中でも、新しい取り組みにチャレンジしながら未来を切り開いてゆきたいと、

舌をかみながら挨拶。 微笑ましい。

 

結婚式も行なわれる会場で、懇親会。

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藤田と下山さん(写真右)。 左は元有機部会長・富谷亜喜博さん。

今期から、大地を守る会生産者理事に名乗りを上げていただいた、

これからのリーダーの一人である。

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面白い一枚をいただきました。

「オレたちゃ相棒だからよ」 と気軽に藤田会長の肩を抱ける数少ないお人、

生産者・越川博さんとのツーショットです。

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越川博さんと僕は、モデルタウン事業での、

消費者との交流事業推進担当という同じ立場である。

「エビちゃんよぉ、今度じっくりと飲むだんべな」

 

博さんと飲むかどうかは別として (アンタと飲むと翌日使い物にならなくなるから)、

とにかくおめでとうございました。

長いこと有機農業を無視し続けてきた国からの賞なんて、

ホントは片腹痛いという気持ちではあるけれど、

現場で天候や病害虫や周りの視線とたたかいながら実践してきた生産者にとっては、

やっぱり、それはそれで嬉しいのである。 地域を開拓したことには違いないからね。

 

これから先のしんどい道々も思いながら、今日はひたすら生産者の労をねぎらう。

 



2008年4月23日

有機農業推進のモデルタウンづくり

 

有機食品の認証に対するまっちゃん (お茶の松田君) の疑問と苛立ちは、

どうやら僕が想像してた以上に深そうだ。

コメントに返事を書いても、どこか自分の言葉が白々しくも感じたりして-

 

そんな折、ひとつの会合に出席した。

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4月21日(月)。 ここは千葉県山武市、JA山武郡市睦岡支所の会議室。

集まったのは、生産者団体 「さんぶ野菜ネットワーク」 から選出された8名に、

地元・山武市およびJA山武郡市 (の職員)、地区内で有機野菜の農場を運営するワタミファームさん、

そして大地を守る会から私。

 

実は農水省の公募事業によって、

有機農業の総合支援対策事業の実施地区 (これを 「モデルタウン」 と呼ぶ)

の候補として指定されたことで、

その推進母体となる 「山武市有機農業推進協議会」 を共同で設立する、

その総会が開かれたのだ。

殺風景な、どうってことない会議のようにしか見えないけど、

このご時勢に国から400万 (×5年) ほどの助成がおりる事業を進めるための

キックオフの会議である。


国は、2011 (平成23) 年までに、

有機農業を推進する体制が整備されている自治体 (市町村) の割合を50%以上にする、

ということを政策目標に掲げている。

知ってた? まっちゃん。

これが、我々が相当なエネルギーをかけてやった

「有機農業を広げるための政策をこそ、つくろう」 という運動の、ひとつの成果でもあるんだ。

 

有機農産物が 「JAS規格」 に収まってから、

これだけではダメだと言いながら、

何とか実現にこぎつけた、便秘の処方箋 (のひとつ) のようなものかもしれない。

いや違う。 本来の政策要求だ。

 

しかしこの補助事業は 「地域での推進」 が前提であるために、

まっちゃんのような個人農家がすぐに助成対象になるわけではない。

地元の行政がその気にならないといけない。 国には 「公共性」 という前提が必要なのだ。

逆に言えば、全国各地の有機農業者たちが行政を動かした所だけに

国の法律による支援が下りてきている、ということでもある。

 

有機農家が国の補助金なんかを求めてやっているわけではないことくらいは、重々知っている。

でもかつて、その存在すら認めなかった 「有機農業」 を法律で定め、

振興策までつくらざるを得なくなったことを、

僕はけっこう、運動の力以上に、世の流れと受け止めている。

だって、今の 「食」 の世界がそれを求めている、と思わざるをえないじゃないか。

 

公共性さえ担保できれば、「有機農業」 の振興を国が支援する、というところまではきた。

もちろん農業全体は、それどころではないくらい危機なんではあるけど。

 

で、山武の話だが-

この事業計画が、なんというか、まだ稚拙なのである。

計画策定に気楽に付き合ったつもりが、いやいや、大地の役割は重い。

これから意外な話に展開していく予感がする。

 

まあ、この地で有機農業をスタートさせる時から関わってしまった因果なのかもしれない。

ちゃんと結果を出せば、この何回かで書いてきた日記の答えにもなるだろう。

答えは数年後になるけど...... 

 



2008年4月20日

有機農業者の悲鳴?

 

4月5日と8日の日記で紹介した "まっちゃん" こと松田博久君から、

日記を読んでくれてのコメントが届いたのでアップした (8日付へのコメント)。

苦しい胸のうちが語られている。

 

  安全を担保するには、 "しんどい"  は避けられないことか?

  ただでさえ難しい有機農業に、しんどい作業がついて回ると、

  これから有機農業に取り組む人が減りはしないかと心配になります。

 

まっちゃんの言う通りなんだよね。

実際に、有機の認証を取っている生産者の多くが悲鳴を上げている。


三日前の4月17日、

農水省による3回目の 「有機JAS規格の格付方法に関する検討会」 が開かれたが、

生産者サイドから選任された二人の委員が、1回目から共通して訴えているのは、

記録や文書管理のわずらわしさであって、栽培の大変さではない。

(ちなみに二人とも、奇しくも大地の生産者会員である。)

 

「もっと記録とか管理の仕組みを簡便化しないと、やる人は増えない」

  (山形・庄内協同ファーム、志藤正一さん)

「実際に現場では、高齢の生産者などは脱落していっている。

 このままではいったい誰のための、何のための有機認証制度なのかと思う」

  (鹿児島・姶良町有機農法研究会、今村君雄さん)

 

しかし消費者サイドから出る意見は、検査の厳格さを求めるものだ。

そうでなければ制度への信頼性が薄れる、と。

 

国もまた、これが検査-認証の制度である以上、

農家が悲鳴を上げたからといって緩めるわけにはいかない。

しかも有機JASは国際基準との整合性を求められているのだ、との論理が立ちはだかる。

 

認証機関も同様である。

有機農業者は増えて欲しいが、生産者に甘い検査をしては自らの信用に関わる。

加えて、監査-認証には 「公正さ」 が求められるため、

監査の過程でのアドバイスや指導は許されない。

それでいて、認証機関の不適切業務が時折発覚したりするものだから、

彼らはますます襟を正して、厳格になろうとする。

 

生産者の憤懣は募る一方だ。

いったい誰のための......これでは 「制度のための制度」 ではないか......

 

検討委員を引き受けた以上、偉そうに制度を否定するだけではいけないことは分かっている。

ただ何とかして、みんなで手足を縛り合っているような、この閉塞感を突破したい、と思うのだ。

 

僕がこの委員会で仕事をしたと言えるかどうかは、

あと2ヵ月くらいの思考の整理にかかっている。

 

まっちゃんのお茶 (「松田さんのお茶」) でも飲んで、もう少し苦しんでみるか......

 



2008年3月25日

第2回有機JAS制度の検討会

 

今日は、霞ヶ関の農林水産省に出向き、

第2回有機JAS制度に関する検討委員会に出席する。

 

先月の顔合わせと課題認識から始まり、ようやく審議が序盤から本番へと入ったような印象で、

まだ詳細を報告できる段階ではないが、期限は10月までの、あと半年である。

どこまでできるか、まだ分からないけど、この期間のうちに

できるだけの提案を提出したいと思っているし、

僕なりに有機農産物の認証制度の方向を見極めたいと思っている。


制度の問題はいくつもあるが、

根本的には、この制度が有機農業の推進につながるか、にかかっている。

つまりこの制度が有機農業に取り組む生産者の励みになり、生産者が増え、

安全な農産物が消費者に供給される道が広がり、環境も守られる、

そんな道筋に貢献できるかどうかである。

 

生産者の委員からは、

認証を受けるための生産管理記録の大変さとコスト負担のつらさが訴えられる。

今のままでは高齢の方は続けられないし、有機認証を取得する生産者は増えない、と。

 

しかし検査を甘くするわけにはいかないし、

検査員や認証機関が、認証のための指導 (コンサル) をすることは禁じられている。

しかし、とは言っても、2,3年で規定 (法律) の解釈が変わったりする制度を

生産者が正確に熟知するためには、情報提供やフォローのシステムが必要なのだが、

そこは国が何かを用意してくれるわけではない。

農薬を使わないために、補完的に使用される資材でも、選択を誤れば有機取り消しになるが、

生産者が判断材料を正確に入手できなかったりする。

そして認証機関の有機の適合判定能力にも、まだバラつきが見受けられる。

 

要するに、まだまだ育てる気持ちでの検証と改善が必要なのだが、

消費者の目は、どんどん厳しくなってきている。

 

この検討委員会もまだ手さぐり的で不安もあるが、

2回の会議を経て、ようやく自分なりの立ち位置も見えてきたように思う。

次回から少しずつでも具体的な報告ができるよう、自分なりに頑張ってみるつもりだ。

 

そして、お国の検討委員会とは別に、大地は大地として、

有機農業運動の広がりのために、新しい取り組みも考えている。

この運動を担ってきた一翼であるという自負をかけて、限界を突破してみたい。

その辺の秘策もまた、準備に取り掛かっているところである。

 

会議を終えて外に出れば、国会議事堂の前の桜が、もう満開になっていた。

都心の温度はやっぱり高いと思った、「ホントに春だね」 の一日でした。

 

職場に戻れば、今度はテレビ局からの取材の依頼に対応する。

 

実は、この年度末、

社内では部署の一部再編成と、それに伴う人事異動が発令されていて、

ワタシはその渦中にあって、個人的にはそれどころじゃないって感じなんだけど、

対外的要請に対しては、そんなことは関係なく誠実に対応する、という社是にしたがって、

何だか今まで以上にとても忙(せわ)しない、春の始まりである。

 

年々忙しさが募りながらも、それなりに生きているというのは、

能力が上がっているのか、手抜きが上手になったのか、その辺は定かではないが、

判断に多少の自信と、腹が据わってきたのは確かなような気がする。

 



2008年2月 6日

有機JAS制度の検討委員会

 

昨日(2/5) は久しぶりにネクタイ締めて出かける。

行く先は、霞ヶ関の農林水産省4階特別会議室。

 

農水省による 「有機JAS規格の格付方法に関する検討会」 の第1回目の会合。

わたくしエビちゃんが、この検討会の委員に選ばれたのである。

 

農水省から打診があったのは一ヶ月ほど前。

「有機JAS制度の運用や格付の現状を見直す必要があると判断して、

 委員会を設置することになりまして。ついてはエビちゃんに...」  との、突然の電話である。

ま、いきなり 'エビちゃん'  というのは冗談だけど。

 

これは断ってはならない、と即断した。

これまで散々言いたいことを言ってきた以上、

この制度の改革に関われるのなら、逃げるわけにはいかないよね。

私は私なりの筋を通して、やってみたいと思ったわけです。

 

午後1時前、会議室に出向くと、TV局のカメラが数台入っていて、

用意された40席の傍聴席もほぼ埋まっている。

この委員会の重さを改めて自覚して、円卓テーブルの指定された椅子に座る。

やってやるか、という気になる。

 


まあ一回目は、事務局 (農水省 消費・安全局 表示・規格課) からの説明と

委員の紹介、顔合わせ的に問題意識の出し合い、というあたりで終了する。

 

選出された委員は12名。

有機JASの認証を取得している生産者が2名 (なんと、二人とも大地の生産者会員だ)。

認証機関から2名、検査員の代表が1名、NPOから1名、

輸入・加工・流通・販売に関係する業界から3名 (内1名が私)、

認証機関や認定事業者 (有機の認証を取得した生産者や事業体=大地も認定事業者)

を審査する機関の方が1名、そして学者・研究者から2名。

 

今回は有機農産物の認証制度をめぐる現状認識と課題を共有するまで。

もっとも切実だと思ったのは、生産者お二人から出された意見。

認証取得のための書類作成の面倒さである。

「このままでは生産者は増えるどころか、減っていくでしょう」

 

これから1ヶ月に1回程度の検討会を重ね、約1年の論議ののちに、

委員会としての意見をとりまとめ、農水省(国) に提出することになる。

 

思えば昨年は、有機JASの違反がいくつも発生した。

認証機関が 「一時業務停止」 の措置を受けたケースもあった。

「有機農産物」 としては規格上認められなくても、

農薬を使用してないお米として立派に販売できるはずの米が、

有機JAS規格に反したばっかりに、犯罪者扱いされた生産者もいた。

いわゆる 「無農薬米」 が、素性不確かな米よりも 「悪人」 扱いされて、市場から排除されたのだ。

原因はほとんどJAS規格に対する認識不足である (中には '確信犯' もいたが) 。

 

この制度は、まだまだ問題が多い。

生産者が誇りをもって取り組め、消費者が信頼をもって受け止められる。

結果として '食の安全と安心' を保証する、そんな社会づくりに必要な制度になりえるか。

 

僕は僕なりに、いくつかのカードを用意するつもりではいる。

そのためにも、ここで生産者の皆さんにお願いです。

有機JAS制度に対して言いたいこと、改革案、何でもいいです。 寄せてください。

皆さんの意見をできるだけ反映させたいと思ってます。

どうぞ、エビを利用してください。

ただし、身勝手で甘えた意見は、却下します。

制度を骨抜きにすると、結果的には信頼を失いますから。 イヤなら堂々と撤退しましょう。

 



2007年12月18日

有機農業-時代の握手

 

先週は二つの集まりに加えて、二つの忘年会。

毎晩のようにボロボロになって帰る。

どうしてこんなに飲んでしまうんだろう......

しょうがないでしょ。付き合わざるを得ないんだからさ。

 

でも仕事はちゃんとしたんですよ。他の原稿も二つ書いたし。

 - と相変わらずの言い訳人生。

とまあそんな感じで、ドヨ~ンとした体調で今週の仕事を開始したら、

前回の記事への涙の出るようなコメントが届いていて、一気に元気回復。

気を取り直して、ブログ再開。

 

では、この写真から見ていただきましょうか。

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なんだ、このイッちゃったようなオッチャンは?

失礼ですね。

今回も、これまた伝説の人、登場!なのです。

(どうもこの世界は枯れない人が多い・・・) 

 


左は、これまで何度か名前が登場した埼玉県小川町の金子美登(よしのり)さん。

全国有機農業推進協議会代表。

今や押しも押されもせぬ有機農業運動の旗手である。

 

そして右の御仁は -金子さんがまだ若かりし頃の村長さんである。

 

といっても行政区の話ではなく、

杉並区は西荻窪にある 「ほびっと村」 の初代村長、シンヤさんだ。

 

ほびっと村-

1976年、つまり大地を守る会設立(75年)と同時代に生まれた。

たしか元郵便局かなんかの建物だったと思うが、

1階が有機の八百屋 「長本兄弟商会」、

2階がカフェ・レストラン 「BALTHAZAR(バルタザール)」

 (昔はほんやら洞とか満月洞という名前の食堂兼居酒屋だった)、

3階が本屋 「ナワ プラサード」(こちらも昔はプラサード書店と言っていた) と

フリースクール 「ほびっと村学校」 がある。

 

いわばカウンターカルチャーの先がけ、メッカ的存在だった。 いや、今も健在である。

シンヤさんは76年から10年ほど、この砦の村長として君臨した。

今は茨城・笠間で唄を歌ったり、焼き物を焼いたりしている。

 

その元村長さんと金子さんが握手している。

 

これは一昨日の日曜日(16日)に開催された、

『有機農業推進法施行一周年記念集会』 の集会後の、さらに二次会でのひとコマ。

小さな居酒屋で、昔話などしながら、互いの健闘を称えて手を握り合っている。

 

金子さんが農業大学校を卒業して、実家で有機農業をスタートさせたのが71年。

当時23歳。

ほびっと村創設が76年。シンヤさんは当時40歳。

ちょうどひと回り違う年齢で、場所も立場も異なるが、

有機農業運動草創期の時代を走った二人だ。

異端児とか反体制とか言われながら-

 

それが21世紀に入り、'有機農業の推進' が国の法律となった。

 

これから実体づくりの法律とはいえ、世の中、変わったねぇ。

まさか国が有機農業を認めるなんて、当時は想像もできなかったよ......

 

二人には、まだまだ言いたいところが一杯あるだろう。

でもまあ、多少は感慨深いところもあったのでは。

こんな光景に立ち会えたこと、つまりここに一緒にいることを、

さらに '遅れてきた世代' として、光栄に思う。

 

昼間の集会の風景。

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国会議員の挨拶なんかは置いといて、

シンヤさんはここにゲストとして招かれ、ギター弾きながら楽しく歌ってくれた。

 

   歩いても 土の上~

   飛び上がっても 土の上~

   なにをやっても 土の上 ~  とかそんな歌詞だった。

 

金子さんがよく言う台詞

 - この国は、根がなく、土と離れた切り花国家だ。

 

焼け跡派と団塊のコラボレーションとなったか。

 

クリスマス前の、冷たい風の吹く青山・表参道の日曜日の夜。

'おかしな青年集団' がビル街を跋扈しながら散っていった。

 



2007年8月 7日

「農と自然の研究所」東京総会(続き)

 

昨日は宇根豊という人物についての紹介で終わっちゃったけど、

総会の内容にも、ちょっと触れておきたい。

 

ひとつは、この総会に農水省の役人が来たことだ。

少し頼りない感じの若い方だが、報告した内容は無視できない。

 

7月6日、農水省が出した「農林水産省生物多様性戦略」について。

 

「安全で良質な農林水産物を供給する農林水産業及び農山漁村の維持・発展のためにも

 生物多様性保全は不可欠である」

 

どうも役人の文章は好きになれない。あえて分かりにくくさせているようにすら思える。

という感想はともかく、

第一次産業という人の営みが生物多様性を育んできたことを農水省も認め、

それを高く評価して、

安全な食べものを供給する上で、生物多様性の保全は欠かせない「戦略」である、

と言ってくれているのだ。

 

農水省が、農業生産と生きものの豊かさの間に重要なつながりがあることを認めた、

という意味では、画期的なことと言える。

 

しかし・・・・と思う。


君らが推進してきた'農業の近代化'こそが、生物多様性(生態系)を壊してきたんじゃないか。

反省はあるのか、こら!

 

それが、あるんだ。いちおうは。

 

「しかしながら、不適切な農薬・肥料の使用、経済性や効率性を優先した農地や水路の整備、

 生活排水などによる水質の悪化や埋め立てなどによる藻場・干潟の減少、

 過剰な漁獲、外来種の導入による生態系破壊など

 生物多様性保全に配慮しない人間の活動が生物の生息生育環境を劣化させ、

 生物多様性に大きな影響を与えてきた。」

 

そう進めてきた張本人のわりには、何だか客観的な言い方が気に入らないが、

生物多様性の保全のための具体的な取り組みとして挙げてきた内容は、

ほとんど我々の陣営から育ってきた主張が並んでいる。

有機農業の推進も盛り込まれている。

 

それもそのはず、宇根さんはこの「戦略」作りの委員だったのだ。

 

里地・里山・里海の保全、森林の保全、地球環境への貢献......と

総花的内容にどこまで期待できるかはともかく

(いずれにしても具体化や予算化はこれからだし)、

よくぞここまで書かせたものだと、脱帽するほかない。

 

説明する農水の若手役人も、「やります。本気です」と言う。

省内では色々な突き上げもあったようだが、

昨年の「有機農業推進法」といい、

農水省内部も変わりつつあることは確かなようだ。

 

有機農業運動にとって、宇根豊という思想と個性を得たことは、

これで運動に血が通ったような幸運すら感じさせる。

時代を変えるパワーの発信源のひとつであることは間違いない。

 

生産者の方は、この「戦略」をどう読み、活かすか、ぜひともご一読を。

            (↑この2文字をクリックすると見えます)

 

総会の後半では、

これまで宇根さんと関わりの深い出版社の編集者が呼ばれ、

『農の表現を考える』と題してのセッションとなる。

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ここまで獲得してきた世界を、その価値を、どういう全体像に現わしていくか。

ただの観念論に陥ることなく、「科学」(的視点)もしっかり取り込み、

新しい'表現'をつくりあげたい。

 

宇根さんは、もう次に行こうとしている。

 

そして、このタイミングで、宇根ワールドの現在の地点を示す書が出された。

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尊敬する出版社のひとつ、コモンズから。

渾身の1冊!である。

この書の意味は、実に深い。うまく整理できれば、改めて。

 

「農と自然の研究所」の活動は、あと3年。

きっちりと、ついていってみたい。

 



2007年7月26日

トレーサビリティの根幹に思想はあるか

 

今日の夕方、関西のある消費者団体の若い職員の方が、大地を訪ねてこられた。

その団体の代表の方とは古くからのお付き合いである。

 

聞けば、

その団体でも農産物の栽培情報のデータ管理(コンピュータ管理)を進めているのだが、

どうも相当難儀しているようなのだ。

そこで大地ではどんなふうにやっているのか見てみたいと、

ここ千葉・幕張の事務所までやって来られたのだった。

 

我々に教えられるものがあるのかどうかはさておき、

そういう相談を受けること自体、大地が評価されているとも言えるし、

双方内輪の実態を明かすような話なので、大地が頼みやすかったのかもしれない。

信頼されているというのか、友だちっぽい気安さがあるのか......

 

ま、それはともかく、暑い中ようこそ、ということで、

東西の情報交換などしながら、大地のシステムについてお話させていただいた。


具体的なデータ管理の説明はここではし切れないので省かせていただくとして、

その前提となる大事な部分を丁寧に伝えるように意識した。

 

そもそも、大地の今のシステムも昨日今日で出来上がったものではありません。

91年に農水省が有機農産物の表示ガイドラインを制定したときに、

私たちは

「ただ表示を規制するのではなく、食の安全のために有機農業を支援する政策こそ

 必要なことではないか」

と主張し、先頭きって反対の声を上げました。

この主張は、昨年の有機農業推進法によってやっと'一歩前進'した形になりましたが、

実はあのとき、ぼくらは同時に自分たちの足元の見直しも進めたんです。

 

これからはきちんとした情報の管理、今でいうトレーサビリティの体制が求められる

(それによって我々の「表示」の確かさが裏打ちされる)

と思いつつ、僕らが最初にとりかかったのは、データの管理方法ではなくて、

根本的な「基準の見直し」でした。

 

自分たちはどういう生産者や農業を支援するのか、

その上でどういう農産物を扱うのか、という土台の思想といえる部分を改めて整理する、

という作業でした。

そこで整備されたのが「大地を守る会有機農産物等生産基準」なんです。

 

「基準」というものをつくれば、必然的に、

大地で扱う農産物が基準どおりに作られていることを保証する体制が求められます。

それは事務局だけでなく、生産者自身にもその仕組みがないと成立しません。

つまり基準ていうのは、そもそも生産者のものでなければならないし、

「トレーサビリティの体制」づくりもまた、生産者とともに築かれなければなりません。

それによって基準に示された理念や思想も共有されるし、そうでないと意味がない。

一方的な規則・制度の強要は、虚偽や違反を生むことにつながります。

 

データ化とかシステム化というのは、その証しを残すための手段ですが、

どのような情報をどこまで、どういう形で残すかは、

将来どう役立てるかの視野も持った上で設計しておく必要があります。

「内容の確認」だけだったら紙(文書)保管だけでもOKなんですから。

多大なコストやエネルギーをかけてやるには、そのための構想の整理が必要です。

他団体の仕組みを真似たところで、本当の目的は達成されません。

 

土台が整理できれば、生産者に書いてもらう栽培情報の書式にしろ、

あとはある種の必然性によって築かれていきます。

しかし土台が曖昧だと、内部議論もうまく進みませんし、

生産者に対する説得力も生まれません。

大地も、これまでの10数年の経過のなかでは、

生産者から強いアレルギー反応を起こされたことも多々あったんですよ。

こちらに一貫した'意思'が形成されないと、システム化なんて貫徹できないです。

迷ったときは、土台へと向かうことです。

 

どうも先輩くさい話ばかりで、偉そうに聞こえたかもしれない。

でも、ただパソコンの画面を見せながら説明しても、本質が伝わらないような気がして、

ついつい喋ってしまった。

 

でも、これはこれでわが身を振り返る時間にもなって、

まだできてないことや課題も反芻しながら、関西の後輩を励ましていたのである。

 

偉そうなこと言ったって、僕らの基準も完成されたものではない。

生産者と歩むものである以上、いつまでも過渡期である。

毎年々々基準を見直し、修正すべきところを修正し、少しずつでも'進化'させていく。

それに応じて管理項目が増えたり、データ管理手法も修正される。

要は、自分の中の根本の'ものさし'が必要なシステムを導き出すのだと思う。

 

それにしても、できてない部分を'進化させる'という言葉に置き換えるのは、

究極の言い訳のようでもあるけど、

その自覚こそがこの組織を成長させたと、僕はけっこう恥じらいもなく思っている。

だからこそ、情報管理やトレーサビリティというやつは、

己の思想を守るために存在させないと、意味がない。

 

分かってくれただろうか......。

 



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