2012年11月13日アーカイブ
2012年11月13日
ブナ1本で 一反の田を
森は此方に海は彼方に生きている 天の配剤と密かに呼ばむ (熊谷龍子)
- 『森は海の恋人』 より -
11月3日、5年ぶりの参加となった秋田でのブナ植栽。
(大地を守る会としては第3回から連続で参加している。)
前日、畠山さんのお話を聞いた後だけに、
彼方の海を思い浮かべながら、源流の森へと入ってゆく。
いや河口の村から水のふる里に、今遡っているのだ。
まだ目新しい、キレイな看板が立っている。
今日のために立てたのかしら。
ネコバリ岩以外は、今しがた通ってきた場所の案内だ。
「三平の家」 とは、映画 「釣りキチ三平」 のロケに使われた茅葺の家のこと。
それにしてもスタッフの方々は大変だ。
わずかな事故も一人の怪我人も出さないよう、よく気を配られている。
ネコバリ岩の下に橋をかけ、落ちないように人柱で立って。
ここの水は冷たいし、今日は水量も少々多い。 通るのが申し訳なく思えてくる。
2005年から拠点にしている第3植栽地の集合場所。
見慣れた横断幕が掲げられている。
南秋田郡五城目町の役場から出発すること約一時間。
八郎潟に注ぐ馬場目川の上流部にやってきた。
源はこの先にある標高1037 m の馬場目岳である。
今年の参加者は150人くらいか。
大地を守る会からは、過去最高の18名が参加。
諸注意を受け、班分けして、鍬と苗木を担いで、出発。
我々は5班にあてがわれる。
少し登って、着いてみれば割と平坦な場所で、気持ち的には楽勝って感じ。
いざ作業開始。
黒瀬友基くんもスタッフ仕事の合間に、木を植える。
子どもたちの未来のために-
親父の正さん。 大地を守る会会員の方と一緒に。
黒瀬さんにとっては、減反政策とのたたかいも、
水源の環境維持も、おそらく同義である。
ともに食の基盤を守る作業であり、農の自立と直結した営みなのだ。
自立した農民でありたいからこそ、未来を見据えて木を植え、
将来の水を担保させる。
これは 「当たり前の値段でお米を買い、食べ続ける」 ことが、
すなわち水を守ることにもつながっている、ということでもある。
だから僕は前から機会あるごとに、
こういう米には消費税はかけないで、それによって消費を応援すべきだ
(食べることで国土が守られている=税金を軽減させてくれてるんだから)、
と主張しているのだが、誰も耳を貸してくれない。
消費は何でも同じではないのに。
安全な食の安定供給と環境を支える力は、税金に頼る前に、
こういう作業を当たり前のようにやる農林漁業の存在であり、
「食べる」(=買い支える) ことで彼らとつながる消費 (者) の存在である。
一次産業の環境保全機能を維持させる 「生産と消費のつながり」 は、
社会の基盤づくりでもあるのだ。
思いっきり鍬を振る。 意思を込めて。
20年続けてきて、ほぼ予定の植栽地は植え終わったということらしい。
今年はいつもより本数が少なく、思ったより早く終了。
5 班の方々、お疲れさまでした。
20年間で、植えた広葉樹が15,130本。
持続こそ力、だね。
今年も変わらず、美味しい水だった。
永遠に涸れることなく、田畑を潤し、海の森も育ててくれ。
作業後は、里に下りて、廃校となった小学校の校舎で交流会。
毎年のように来てくれるソプラノ歌手、伊藤ちゑさんの
「ぶなっこコンサート」 も開かれる。
(顔が暗くなっちゃって、スミマセン。)
オー・ソレ・ミオ、少年時代、もみじ、ハレルヤ、、、、
そして 「ふるさと」 やテーマソングである笠木透の 「私の子供たちへ」 を、
みんなで合唱する。
交流会後、オプションで始めた頃の植栽地を訪ねた。
今も残る、第1回(1993年) の時の看板。
しっかりしたブナの森に育ってきている。
その陰には、夏の下草刈りなどの管理作業も欠かさない
生産者たちの汗がある。
カモシカのフン、発見。
しかしよく見ればあちこちに、いやけっこう至る所に、落ちている。
野生動物も増えているらしい。
森は生き物たちと一緒に包容力を増してきている。
植えて19年目を迎えたブナに抱きつく黒瀬正。
「よう生きてくれたわ。 こいつは大きゅうなるでぇ」 と破顔一笑。
古くから、「一尺のブナ一本で 一反の田を潤す」 と言われる。
約 30 cm のブナ一本で 10 a の田を、
反収 8 俵強とするなら約 500 ㎏ (玄米換算)
= 3世帯ほどの一年分の米を、育てる計算である。
この森が、海の魚も増やしているとしたら、、、
僕らはやっぱり 「生産性」 という概念の捉え方とモノサシを
根底から変えなければならない時に来ているのではないか。
「馬場目川上流部にブナを植える会」 の活動は、
今後は植林より山の管理作業が中心になっていく。
来年も植えるかどうかは未定、とのこと。
それでも、できることならこれからも来たいと思う。
断続的とはいえ18年、眺め、歩き、木を植えさせてもらった山である。
自身の心にも木を植えてきたと言えるなら、その育ち具合を見つめ直すためにも。