2013年9月18日アーカイブ

2013年9月18日

" 日本一まっとうな学食 " と佐藤佐市さん

 

放射能連続講座Ⅱ-第 6 回 を終えた翌日(9月 1日)、

僕は佐藤佐市さんをエアコンの壊れた愛車に乗せて、

都内のホテルから埼玉県飯能市へと向かった。

 

二人で訪ねたのは、「自由の森学園」。

飯能市街から旧名栗村に向かう途中の

小岩井という地区の山の上にある私立の中高一貫校で、

明星学園小中学校の校長だった故遠藤豊氏が中心になって、

1985 年に創立された。

点数序列主義を排し、自由・自立・豊かな表現力を理念として掲げる。

理論的な柱となっているのは、数学者・遠山啓の教育論である。

その校風によってか、芸術家や芸能人家庭の子が多いようで、

元俳優(現在・農業) の菅原文太さんが 90 年代に理事長を務めたことでも

話題になったことがある。

生徒たちの自主活動・自主運営を重んずるがゆえに、

時に  " 自由とは何か "  で批判の的にされることもある、

まあ個性派の学校としては横綱大関級だろう。

 

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そんな指導方法や校風もさることながら、

実はホンモノの横綱級と評されているのが、食への取り組みである。

食材の安全性へのこだわりは調味料にまでおよび、

農産物は各地の生産者から直接仕入れ、

天然酵母でパンを焼き、麺も自家製麺、漬物や梅干しも自家製と、

手づくりを徹底する。

それを全国から集まった寮生たちのために 1日 3食こしらえる。

提供する場はたんなる 「食堂」 ではない。

栄養士と調理師さんによって運営される 「食生活部」 という

食を学ぶ部として存在するのだ。

 

「自由の森学園食生活部」 の 28 年の軌跡には

相当なご苦労があったようだが、そのへんのところは

学園の卒業生(2 期生) である  " やまけん "  こと山本謙治さんの編著

『日本で一番まっとうな学食』(家の光協会) に詳しいので、譲りたい。

学校給食に関心ある方はぜひ。

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さて、この自由の森学園に佐市さんをご案内したのは他でもない。

学園では3.11前まで、佐市さんたち東和の有機農産物を

直接取り寄せていたのだが、原発事故によってそれが途絶えてしまったのだった。

 


育ち盛りの中高生を預かる学校としては、

それは致し方ない判断だった。 

佐市さんも 「仕方ねえな」 と無理やり自分に言いきかせたようだ。

そしてその後も再開には至らずにきていたのだが、

管理栄養士の N さんが大地を守る会の会員で、

3 月に開かれた 学校給食全国集会 に呼ばれた際にお会いして、

実はずっと佐市さんのことを気にかけている、ということを知らされた。

(上記のやまけんの本は、その時に N さんから頂いたもの。)

 

今回の講座で佐市さんをお呼びすることが決まった時、

僕は真っ先に N さんにメールでお知らせして、描いていた計画を提案した。

「佐市さんを自森にお連れしましょうか。」

佐市さんも大変喜んで、二つ返事で 「一泊する」 と答えてくれた。

あとは N さんのご尽力で、話はトントン拍子に進んだ。

講座にも、学園から鬼沢真之理事長や食生活部の泥谷(ひじや)千代子さんら

6 名の先生方が参加してくれた。

これは僕にとって思いもかけない共鳴だった。

 

学園は夏休み中にも拘らず、

先生や関係者の方など 10 名の方が集まってくれた。

前日の講座に続き、

この 2 年半の二本松での出来事や、

生産者として取り組んできたことを話す佐藤佐市さん。

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放射能の質問にも答え、

彼ら福島の有機農家は本当によく学んだなあ、と感心する。 

 

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アットホームな感じで質疑や意見が交わされ、

この間の時間の重さを共有しながら、

ゆっくりと失いかけていたものをお互いに取り戻す。

 

お昼は食堂に招かれ、

休日のはずなのに厨房を稼働させて作っていただいた食事を頂戴した。

どれも美味しい。 優しい感じがする。

野菜も自然な味わいがあって、癒されるようだ。

僕は例によって 「食う」 に集中して、写真撮るのをすっかり忘れる。

 

食堂では、明日から新学期が始まるということで、

帰ってきた寮生が集まってくる。 

送ってきた親たちも一緒になって、バーベキューが始まりだした。

おそらく学園の卒業生と思われるお母さんと先生が、

友人同士のような感じで会話が交わされるのだった。

 

散策がてら学園内を案内していただく。

遠征用のトラック発見。 

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「自由の森学園サンバ音楽隊」 は2000 年夏、

高校生チームとして初めて浅草サンバカーニバルに出場した経歴を持つ。

人力飛行機部は、鳥コン

(人力飛行機による飛行時間・距離を競う 「鳥人間コンテスト選手権大会」)

にも出ている。 実力のほどは知らないけど。

郷土芸能部は、地元の祭りなどにも積極的に参加している。

ユニークな部活動が生徒たちの発案で生まれ、

一般の学科授業とは違う目線で学びを体験し、

表現力やコミュニケーション力が培われていくのだろうか。

 

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生徒たちがつくったツリー・ハウス。

思春期の貴重な時間に自然を体感できることは、大切なことだ。

 

実はこの 3 月まで 26 年間、

我が家は自森より 2 ㎞ ほど先(奥) の地区にあった。

平日はほとんど帰らなかったけど、まあご近所だと言っていいだろう。

自由の森学園の歴史を地域の目線で眺めていた者にとっては、

正直言って評判は芳しいものではなかった。

川の調査をしていても、また授業をサボって河原で遊んでる・・・

とか理不尽な噂もたてられたりしていたようだが、

そう言われてもしょうがないような・・・ところもあった。

設立して 28 年。

ユニークすぎるだけに、地元に根づくにはまだ時間がかかる。

 

生徒たちが 「米を作ってみたい」 と言って始めた、

という田んぼも案内してもらった。

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いやはや、草が多過ぎる。

イノシシ対策にと電気柵を張ってはいるが、畦も草ぼうぼうで・・・

案の定漏電して利かなくなっていて、すでにイノシシに荒らされていた。

夏休み中、サボったね。

農を甘く見てはいけない、 汗をいっぱい流さないと。 

もう少し地元農家の教えを乞うた方がいいのでは・・・とは、

帰り途の佐市さんとの会話である。

 

栄養士の N さんが撮ってくれた写真が送られてきた。

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イイ感じですね。

佐市さんもさりげなく V サインなんか送っちゃって。

右から二人目が鬼沢理事長。 

左端が、ビオトープ作りや、ニホンミツバチの飼育、

焼き畑によるソバ栽培試験区などを案内してくれた理科の伊藤賢典先生。

 

放射能連続講座がくれたご褒美のような、感動の一日だった。

こういう想定外の喜びがあると、やることも無駄ではない、と思えてくる。

 

別れ際、生徒たちの東和ツアーをゼッタイに復活させます、

と N さんは嬉しそうに語る。 

あまり急がず、じっくりとね、と答えた。

ふたたび冷房の利かない車に乗せて、

それでも楽しくお喋りしながら佐市さんを大宮駅までお送りした。

 

お土産に頂いた天然酵母パンとクッキーを大事に抱えて、

佐市さんは二本松・東和へと帰っていった。

その背中を見ながら、僕は確信する。

佐市さんと自森の関係は、3.11前よりずっと深いものに育ってゆく。

間違いない。

 



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