2011年6月 5日アーカイブ

2011年6月 5日

美しい村々に降った放射能 -福島行脚その⑥

 

改めて振り返るまでもなく、

原子力発電という技術は、実に事故やトラブルとのたたかいの歴史だった。

" 一歩間違えば大惨事 "  という事態を繰り返しながら、

世界に誇るニッポンの技術者たちは、

" 未来の国産エネルギー "  に途方もない夢を賭けて未知の領域に挑んできた。

 

しかしこの技術は、放射能を発散するという宿命により、

不幸な足かせも必要とした。

" 事故は起きない "  という神話を前提にしなければ、

一歩も前に進めなかったのだ。

技術革新にとって失敗とは、物語に感動を加える絶妙なダシのようなものなのに。

 

安全神話は、国を挙げて、極めて強固に築かれていった。

放射能漏れや隠蔽・改ざんをさんざん繰り返しながら。。。

「こんな危険なモノとは共存できない」 「事故が起きてからでは手遅れになる」

という反対論は、その神話の壁と政治力、そしてマネーの力を崩すことは出来なかった。 

地震との関連でも、その危うさはつとに指摘されてきたにも拘らず、

「明日起きても不思議ではない」 という主張は、

危険人物の煽動的発言であるかのようにシカトされた。

そうして虚しくモロかったはずの  " 安全神話 "  は、いつしか

リスクを最も理解し警戒していたはずの科学者や技術者の頭をも支配してしまった。

それこそが最強のリスク因子であることに気づくことなく。

 

まあ、しかし、、、そう批判したところで、我々だけが逃げられるワケではない。

この責任は、賛成論者・反対論者を問わず、

現代社会を生きるすべての大人が背負わなければならない。

 

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・・・ そんなことをボンヤリと思いながら、景色を眺め続ける。

 

遺留品の保管所を示す墨で書かれた張り紙が静かに立っている街を後にして、

視察団一行は、浜通りの南相馬から再び内陸へと踵を返した。

何台もの自衛隊の災害救助車両とすれ違いながら、

20km も南に下れば、原発事故によって

行方不明の家族を捜すことすら許されなくなった町があることを考えようとするが、

僕の想像力はとてもついてゆけない。

 

二本松市・旧東和町に向かう途中、飯館村を通過する。

 

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「日本でもっとも美しい村」 のひとつ -福島県南相馬郡飯館村。

原発から約40km離れた地で、全村民が避難を余儀なくされてしまった。

放射能の影はどこにも見えないけど。 

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この田畑も、間もなく放置される。 酷い話だ。

 

夕方、二本松市・旧東和町にある 「道の駅 あぶくま館」 に到着。

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 ここで、有機農業をベースに、

地域の自立と自然循環のふるさとづくりに取り組んできた

生産者たちとの意見交換会を持つ。

 


東和の町づくりを担ってきたのは、

NPO法人 「ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会」。

 

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二本松市に合併された2005年、

それまで築いてきた 「ゆうきの里づくり」 を継承しようと設立された。

かつて県内屈指の養蚕地帯といわれた山村に広がる耕作放棄地を再生させ、

桑を使った特産品を開発し、新規就農者を受け入れ、

「里山の恵みと、人の輝くふるさとづくり」 に邁進してきた。

その実績が評価され、一昨年、過疎地域自立活性化優良事例として、

総務大臣賞を受賞した。

大地を守る会の生産者団体でもあるが、彼らの基本はあくまでも 「地域」 である。

僕はその精神を気高いと思う。

 

95%が東和町の産品で並べられているという直売所。

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壁側の棚には、生産者たちの栽培履歴のファイルが並べられている。

それがトレーサビリティの証明である。

 

協議会理事長の大野達弘さん。

以前は 「福島わかば会」 のメンバーで、前日の福島での会議でも一緒だった。

今は地元・東和の、有機農業の指導者として若者たちを育てている。 

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里山再生を掲げ、復活させた桑園は60ヘクタール。

仲間と一緒に 「桑の葉パウダー」 や 「桑茶」 、そしてジャムから焼酎まで、

次々とヒット商品を開発してきた。

育てた新規就農者は16組20人を数える。

新しいふるさとづくりに手ごたえを感じ取ってきた。

そこに起きたのが、原発事故である。 

「山がどうなるのか、心配で途方にくれている状態」 だと語る。

「でも、みんなで頑張って乗り切ってゆくしかない。 この地で踏ん張っていきたい。」

 

副理事長の佐藤佐市さん。

こちらも元 「わかば会」 のメンバー。

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家庭菜園用の苗も作っていて、園芸福祉も取り入れたいと抱負を語る。

しかし・・・地域資源を循環させることが 「有機」 だと信じてやってきたが、

今は落葉の汚染を心配しなければならなくなった。

悩みは尽きないが、有機農業の 「ゆうき」 は 「勇気」 でもあると思って、

頑張っていきたい。

 

山の落葉、しいたけの原木・・・ 山は資源の宝庫なのに、

今はそれを心配しなければならなくなってしまった。

「使っても大丈夫でしょうか」

実態が正確に分からない以上、明解に答えられる専門家はいない。

 

県は野菜の分析で手一杯なのだという。

「民間の検査機関に出せ」 と言われて問い合わせたら、

バカにならない検査費用だった。

ガイガーカウンターも買ったが、どうやって再生につなげたらいいのか・・・

 

意見交換会を終え、夜には懇親会が持たれたのだが、

山都での堰浚いから福島での生産者との厳しい会議を経て、今日の体験・・・

正直言って、ひどく疲れた感が襲ってきて、

自分でも信じられない。 得意の 「飲み」 に付き合えない。

 

愛媛大学の日鷹一雅さんと溜池や水系の除染についてしばし話し合って、

みんなより早く休ませてもらった。

東和の若者たちと語り合おうと思っていたのに。

 

・・・ああ、終われないね。 続く。

 



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