雑記帳: 2009年8月アーカイブ

2009年8月29日

四国のみち

 

閑話休題 -四国編 (続き)。

 

四国と言えば空海、そう、弘法大師の国である。

遡ること約1200年前、希代の神童・空海が四国88ヶ所に霊場を開いてより、

これまでいったいどれだけの数の人々が、彼の歩いた道を辿ったことだろう。

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8月末のまだ暑い日差しの残る中、昔からの遍路道を歩く青年を発見。

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同行二人 (どうぎょうににん)。

いつも弘法大師と一緒、という意味。

お大師さんと一緒に寝食をともにしながら、88のお寺を巡礼することによって、

煩悩が消え、願いが叶う。

実際に巡礼で願い事が叶ったという人には、ついぞお目にかかったことがないのだけれども、

それでも、歩けば一ヶ月はかかる道のり。

道々で人に触れ合い、 時に風雨にさらされながら自然と向きあい、

何かを会得しようと、人はこの道を歩くのだ。

この青年もきっと、人生への迷いか、肉食系女子から受けた失恋の深い傷を負って、

ここまでやってきたに違いない。 

ただの観光であっても、そう思ってあげるのである。

 

だから四国の人は、お遍路さんには殊のほか優しい。

さすがに今は、お米(生の米) を上げる人はいないと思うけど

(僕が子供の頃は米が 定番だった)、

5円 (ご縁)玉をいっぱい用意しているお婆ちゃんは、今もいたりする。

 

しかも世情を反映してか、お遍路さんは年々増えている、らしいのである。

人が待ちそうもないバス停に、まだ目新しい屋根がつけられていて、

そこでお遍路さんが昼寝していたのにも遭遇した。

世界がグローバル化する中で、妖しく人の心をつかむ、ただひたすら歩く道。

空海の霊験今なお。  恐るべき資源(?) である。

 


眼下に海を望む山道の中に、こんな祠もある。

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空海42歳の厄年を迎え、訪れたこの地で、

末世の衆生のあらゆる災難を救おうと誓願し、仏像を刻み、37日間の満願の日、

突然山は金竜の形を現わした。 空海、手にした五鈷(ごこ) で祈念するや、

金竜の岩間から浄水が湧き出でた。

以来、四季を通じて枯れることなく霊水を湛え、今も参拝者が絶えない。

-すごい謂われではないか。

そのわりには、なんてことはない、と言わんばかりの素朴な佇まいが、よい。

 

風の強い海沿いの峠には、波切不動明王である。

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唐の修行からの帰路、嵐に巻き込まれた空海を助けたとされる。

よって、旅と交通安全の守護神となる。

人生の長い旅の途上にある悩める青年どもよ、拝めよ。

 

てな感じで、いたるところ空海あり。

散歩がてら、お気楽に写真を撮りながら、ふと

深~く根っこをおろしている精神風土という言葉の片りんを見たようで、

空恐ろしくもなってくるのだった。

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青年・空海は、この砂浜に立ち、空と海に向かって何と叫んだんだろうか。

 

さて、海から一転して山中に入れば、こんな川もある。 e09082820.JPG

 

この川沿いに、数年前、カヌーイストの野田知佑さんが引っ越してきている。

著書でたしか、「こんな自然のまんまの川が残っていたとは」 と感激されていた。

開発からも見放された、いや対象にすらならなかったこの田舎の川が気に入って、

この地に居を構えたらしい。

見る人によっては、これもすっごい宝ものなんだね。

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野田さんについては、僕は何冊かのエッセイを読んだだけの小ファンでしかないので、

用もなく探し訪ねるのは遠慮したが、機会があればお話ししたいと思っている。

しかしどうも、地元の人はあまりご存知ないようだ。 隠遁生活かしら。

自分の古い付き合いネットワークとは世界が違うのかもしれない。

 

自然をビジネスの資源と考えるのは、ある意味で危険な思想である。

下手に場所を教えたり宣伝すると、人がやってきて荒れる、という意見もある。

一方で、その価値を知る人を増やすことが大事なのだ、という主張がある。

守るためには隠してはならない。 呼んで体感させようではないか。

 

僕の記憶が確かならば、野田知佑さんは後者のはずだ。

日本じゅうの川を巡ってきた方と、僕の郷里で、地域の資源について語れるのを、

次の帰省の目標にしたいと思っている。

もちろんお許しいただけるのであれば、の話として。

野田さんとともに長良川河口堰の建設反対でたたかったライターの天野礼子さんが、

先日有機農業推進法関係でお会いした折に

「体調がね・・」 と心配されていたのが、ちょっと気がかりなところ。

 



2009年8月28日

地域資源

 

閑話休題。 

24日から一週間の休暇を頂戴し、2年ぶりに南四国に帰省してきました。

2年前は、ちょっと感傷的な日記を書いてしまったので、

今回はちょっと自慢げに、きれいな南の風景をお届けしたい。 お許しを。

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こんなリアス式海岸の地形。

海と山がくっついていて、入江々々に漁村集落が固まってある。

これだけは子どもの頃から変わらぬ風景です。

 

30年以上も前、高橋和巳という作家がこの地を訪ね、その随筆の中で、

「 ひと口に言えば、豊かな停滞、楽観的非発展性」 と評したけど、

人々は今も見事に、過疎と停滞を嘆きながら、何をするでもなく安住している。

身近な金銭的利益ではけっこうセコく争ったりもしながら。

 

外は太平洋。

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僕はいつも海を眺めながら、水平線の向こうに憧れる少年でした。

 

山の所々に、誰が植えたのか、椰子や蘇鉄が茂っている。

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ここは生物的には熱帯の北限でもあって、これも昔々の話、

ある野心家がパイナップル栽培に挑戦して失敗したという話も残っています。

 

そんな地域で、先日の後継者会議の余韻を引きずりながら、

資源とニーズをマッチングさせるマップづくりを頭の中で描いたりしたのでした。

「地元学」 で言うところの、" ないものねだりから、あるもの探しへ " 。

 


たしかに資源も探せば色々と浮かんではくるが、

どれも海と山からの贈り物ばっかり。

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漁村留学と称して、都会から子どもたちを受け入れて有名になった地区もある。

こんな風景をボーッと見て、磯で遊ぶだけでも、癒しになる?

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2年前も紹介した、僕がひそかに狙っている無人島。 

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後継者会議のワークショップで僕が出したカードは、

なんてことはない、あれ以来ずっと温めているものだ。

 

資源=無人島、ニーズ=生きるための基本技術の習得。

そこで、この島を拠点に 『 未来に生きる、サバイバル塾 』 。

ダメでしょうか。

 

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日和の良い日に、この縁台に腰かけて海を眺めている年寄りたちも、

実はすっごい技を持っていたりするのを、僕は知っている。 

ボケている暇などなくさせてやりたいものだ。 

医療費のかかる厄介者なんかでなく、稼ぎ手に。 しかも楽しく、若者たちに尊敬されながら。

 

漁が年々細くなる、魚がおらんようになった、と嘆く漁師たち。

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僕が今年言えたのは、「海の底は見てるか?」 だけだった。 

でもね、誰も見ていないのですよ。 この海の底で何が進行しているのかを。

 

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今の時代、資源は 「守る意思」 がないと守れない。

海の美しい、豊かに見える漁村でも、その再生産力と持続可能性は、

静かに、そして確実に、痩せていってる。

 

都市のニーズをつかむとか言う前に、

自分たちの暮らしの原資を見つめ直す、大人向けの発見講座が必要か。

子どもたちには、どんどん海に潜らせて、アワビでもウニでも採らせればいいのに。

 

こんな看板が立っていた。

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アカテガニが希少種になりつつあるようなのだ。

僕が子供の頃は、バケツ一杯になるまで取る競争をしていたものだが・・・・・

産業からも見放された漁村で、生きものたちが撤退していってるなんて。

 

くそ! 寂しすぎる、今回も。

 



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