2008年12月16日アーカイブ

2008年12月16日

「自給率」の前に、「自給」の意味を

 

先日、一冊の本が送られてきた。

他のを読んでいた途中だったので、しばらく置いてしまったのだが、

なかなか刺激的で、日曜日に一気に読み切った。

本のタイトルは

『 自給再考 -グローバリゼーションの次は何か- 』

山崎農業研究所編。 発行元は農山漁村文化協会 (略称:農文協)。

e08121601.JPG

送っていただいたのは、その研究所の編集委員会代表の田口均さん。

田口さんは、当会も古くからお付き合いのある農文協の

出版物制作部門の会社にお勤めである。

田口さんとは、本ブログでよく登場する宇根豊さんが主宰する 「農と自然の研究所」

の会合などでもお会いしていて、何と、この日記もチェックされているとのこと。

嬉しいような、怖いような。

 

本書のテーマは、まさに書名の通り。

自給率向上が喧しく唱えられる時代であるが、ただ数字だけで何かを語るのでなく、

そもそも 「食の自給」 とはどういうことなのか、その意味を再考し、

ただしく捉え直してみようという試みである。

執筆陣は10名。

いずれも僕が尊敬し、あるいは注目している方々というのが、何より嬉しい。


まずは巻頭に西川潤氏 (早稲田大学名誉教授) を据えて、

世界の食料危機の背景を整理されている。

この半世紀での爆発的な人口増加とグローバリゼーションの進展は、

新興国の肉食化やアメリカのエネルギー戦略の変化、投機マネーの穀物への流入、

さらに世界的な農畜産業の工業化と生態系の悪化、気候変動の激化、

新しい感染症の発生・・・などなどと相まって、

グローバルに貧困を拡大させ、各地で暴動が起きるまでに至ってきている。

そんな世界的に食料危機が常態化しつつある時に、

わたしたち (日本) の食と健康はますます多国籍企業の影響にさらされていて、

「まことに憂慮すべき (心寒々とする) 状態にある」 。

しかしそれでも、地域自立を目指した動きがあちこちで始まっていることに、

希望をつなごうとしている。 もちろんその中に有機農業もある。

 

西川先生の国際経済論の講義は実は僕も受けたことがあって、

まったくお世辞でなく、僕が真面目に受けた数少ない授業の一つだった。

今なお一線でご活躍され、何よりです。

 

さて、すべての論考を解説してしまうととても長くなるし、

解説して読まれたような気になられると田口さんに叱られるので、

以下、タイトルと論者を列記することでお許し願いたい。

 

『貿易の論理、自給の論理』 -関 廣野

『ポスト石油時代の食料自給を考える』 -吉田太郎

『自然と結びあう農業を社会の基礎に取り戻したい』 -中島紀一

『 「自給」 は原理主義でありたい』 -宇根豊

『自給する家族・農家・村は問う』 -結城登美雄

『自創自給の山里から』 -栗田和則

『ライフスタイルとしての自給』 -塩見直紀

『食べ方が変われば自給も変わる』 -山本和子

『輪 (循環) の再生と和 (信頼) の回復』 -小泉浩郎

 

どの論も簡潔で、小気味よく、気合いが入っている。

関廣野さん (本当は「廣」の右に「日」偏がつく) の文章は久しぶりだけど (スミマセン)、

やっぱ名調子だなと思う。

  「世界貿易の課題は相互に必要な物資の交換でなく市場の無限の拡大にある」

  「対等な交換の見せかけをした恒常的な略奪」

  「食料危機は重大な問題ではあるが世界の現状は悲観すべきものではない。

   コロンブスの航海に始まる世界貿易の時代は終わりつつある」

  「貿易と自給をめぐる議論は最後には民主主義の再定義という問題に行きつく」

 

人類史の視点から自給を考えた吉田太郎さんも面白い。

  (いまの)米国農業は、収穫される食物1カロリーに対して、機械・肥料その他で

  2.5カロリーの化石燃料を燃やし、加工、包装、輸送も含めると、

  朝食用の加工品3600カロリーを作るのに1万5675カロリーを使い、

  270カロリーのトウモロコシの缶詰一個を生産するのに、2790カロリーを消費している

  「世界で最も非効率な農業」 だと・・・

 

吉田さんがこの論考で引っ張ってきている人類学という学問は、

「原始時代と現代とで、はたしてどちらが幸福か」 という問いを現代人に与えた。

僕もかつて読んだことがある。

  現代の進歩として考えられているものの大部分は、実は、先史時代に広く享受されていた

  水準の回復なのである。 石器時代の人びとは、その直後に続いた時代の人びとの

  大部分より健康な生活を送っていた。

  おいしい食べ物、娯楽、美的よろこびといった生活を快適にするものについても、

  初期の狩猟民や植物採集民は、今日のもっとも裕福なアメリカ人にしかできない贅沢を

  享受していた。 森と湖ときれいな空気の中で二日間過ごすために、現代では

  お偉方たちでさえ五日間働くのである。 当節は、窓の外にわずかな芝生を眺める特権を

  得るために、家族全員が30年間こつこつと働き貯蓄をする。

            ~ 『ヒトはなぜヒトを食べたか ~生態人類学から見た文化の起源~』

               マーヴィン・ハリス著、鈴木洋一訳 (1990年、早川書房刊) から

 

人類学とは、まったく嫌な事実を発見するものである。

しかし、石油のピーク・アウトが現実のものとして視野に入りつつある今、

次の 「どうやって食うのか」 は、とても切実な課題として迫ってきているわけで、

人類学の各分野から示されてきているヒト史からの教訓は、

大事な基礎データであることは疑いない。

 

そして、中島紀一さんへ。

  有機農業技術は、単なる無農薬無化学肥料栽培のための技術的ノウハウでも、

  有機JAS規格クリアのための技術集積でもない。

  有機農業の技術形成とは、近代農業からの転換を踏まえ、自然と共生する農業を

  それぞれの現場で創っていく過程だという理解である。

  有機農業のこうした新しい展開が、日本農業の未来にどのような現実を拓くことになるのか。

  取り組みはまだ端緒の段階にあり、その具体的未来像はまだ見えてきてはいない。

 

その未来像を生産者とともに切り拓くために、

僕は僕なりに、大地を守る会の新しい監査システムを指向しながら、

まずは有機JAS規格の向こうを目指したく思っています。

 

他にもいろいろ紹介したいところがあるのだけれど、

あとは、もしよかったら、書店かネットでお買い求めください。

グローバリゼーションがもたらした世界をわが暮らしとも関連づけて見つめ直し、

「自給」 という言葉を自分のものにするために、人が動き始めている。

そんな確信をもたらせてくれます。

 

気になったのは、各地で盛んになっている 「直売所」 を、

地産地消の成功モデルとして無造作に礼賛し過ぎていないか、という一点だろうか。

 



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