食・農・環境: 2011年3月アーカイブ
2011年3月31日
人類はアブナイものをつくり過ぎた
3月31日。
年度末という日程も完全に無視。 2トントラックをレンタルして、
「大地を守る会の備蓄米」 の産地、福島県須賀川市・ジェイラップに
お見舞いもかねて救援物資を運んできました。
救援物資といっても偉そうなものじゃなく、水とお茶約1.5トン+ α 程度で、
地震前から予定していた仕事の用件もあって、、ということなんだけど。
それでも皆さん、恐縮するくらいに喜んでくれたのでした。
(右から、ジェイラップ・伊藤大輔さん、同・関根政一さん、左が弊社農産チーム・須佐武美)
この日の報告は追ってしたいと思いますが、その前に
この間届いている、放射能汚染に対する生産者からの様々な声も紹介したいし、
ずっと当社で放射能測定を依頼してきた 「放射能汚染食品測定室」 の話もしたいし、、、
という感じで、お伝えしたいことがどんどん溜まっていきます。
まったく前代未聞の非日常の連続の中で、いろんな仕事を散らかしたまま、
とうとう年度を越してしまう事態となってしまいました。
そこで、モロモロの報告は次に回させていただき、
ここは、忘れもしない歴史的コピーを改めて蘇らせることで、
新しい年度へと、気持ちをつなげたいと思う。
人類はアブナイものをつくり過ぎた
これは、1988年に行なわれた " いのちの祭り シンポジウム "
で使われたキャッチ・コピーである。
コメの市場開放が争われる真っただ中で、
" 日本の食と農業を守ろう " のスローガンのもと、
全国農業協同組合中央会(全中) と自治労などの労働組合、
そして有機農業団体や市民団体が初めて手をつないで開催された、
画期的な集会だった。
会場はなんと、これまた特例中の特例として解放された 国技館 である。
会場のど真ん中に土俵があり、米俵が積まれ、
発言するパネラーの表情が、でかいスクリーンに映し出された。
大地を守る会の藤田和芳会長はこのシンポジウムの実行委員として参画し、
農協や労働組合のトップたちを前に、
「 食と農業を守るためには、環境を守る農業に転換しなければならない。
加えて安全な食や環境と相いれないものとして、原発がある。
農民も、労働組合も、原発に反対してほしい! 」
と壇上から訴えた。
司会は作家の立松和平さんだった。
このシンポジウムの冠コピーを書いてくれたのは、
コピーライターという職業をブレイクさせた筆頭格、仲畑貴志さんだ。
この方の作品で僕が一番好きなのは、
反省だけなら猿でも~ ではなくて、
「荒野に出ることだけが 冒険じゃない」 かな。
上がってきた原稿を見て、 オオーッ! と叫んだのを覚えている。
人類はアブナイものをつくり過ぎた
- これから農業
チェルノブィリ原発事故から2年。
昭和から平成に移る直前の、今思えば、
食や環境の安全が一部の人の関心事ではなく、
国家的に議論しなければならない時代に突入していることを、
社会的に提示した " 事件 " だったと言える。
実はこのシンポジウムは前哨戦で、これを皮切りに各地で機運を盛り上げていって、
翌年には代々木公園を借り切っての大きな " 祭り " 本番に突入するという構想だった。
大地を守る会はこの大ムーヴメントの事務局構成メンバーとなり、
僕は生け贄として赤坂の事務所に出向させられた。
全国から農民が、労働者が、そしてたくさんの市民団体や消費者が
代々木公園に結集して、
日本の農の大切さを、そして食の安全を守ろうと謳い上げる、
という壮大な仕掛けが進んでいた。
すべてが信じられないくらい、うまくいっていた。
しかし・・・ " 祭り " は実現しなかった。
昭和天皇が危険な容態となって、農協がギリギリになって自粛を判断した。
労働組合は怒り狂った。 全国からバスを仕立ててやってきた闘士たちを前に、
僕はスタッフの一人として公園の入口でひたすら頭を下げ続けた。
引き返す際に浴びせられた数々の罵声は忘れられない。
「本当にすごいことが起きると、ワクワクしてきたのに- 」
「これがどんな意味を持ってんのか、知ってんのかッ! 」
「 何とか皆を説得して農協と組むのを承認させたんだ。 オレの首も飛ぶよ。 」
これだけの規模と質を獲得した国民運動は以後、つくられてないよね。
その年の暮れに昭和は終わり、あれから22年。
今こうして アブナイ が本当に目の前に繰り広げられる現実のものとなって、
空も大地も水も人々も、行き場のない哀しさと怒りで充満している。
震災だけなら、むしろ人をつなぐ力にもできる。
しかし目に見えない放射能という恐怖は、分断させるばかりだ。
生命をつなぐはずの貴重な収穫物が、
生産者のまったく関与していない理由で " 危険 " のレッテルが貼られていく。
この原因は誰がつくったのだろう。。。
" 誰でもない、みんな です " という声も聞こえてくる。
それぞれに己れがたどってきた生き方を振り返ることが求められているのだろう。
2011年3月31日。
とっ散らかったまま来てしまった年度末を、
改めて引っ張り出したこの言葉で締めて、明日に向かいたい。
人類はアブナイものをつくり過ぎた
-これから農業
大地を、社会を、立て直す力は、有機農業にこそある。
いや正確には、数え切れない微生物も含めた " いのち " の共同作業が、
誰を恨むなんて感情をもつことなく、せっせと壊れたつながりを修復させ、
地球を安定化させていくのだ。
その " つながろうとするエネルギー " と、連帯したい。
2011年3月20日
畑にも被害が及び始めました。
厚生労働省は昨日(3月19日)、
福島県産の原乳と茨城県産のホウレンソウから、
食品衛生法に基づく暫定規制値を超える放射線量が検出されたと発表しました。
ともに県が実施したサンプル調査によるものです。
原乳は福島県川俣町で採取されたもので、
1キロ当たり932~1510ベクレルの放射性ヨウ素が検出されました。
ホウレンソウは茨城県の高萩市や日立市など6市町村のもので、
6100~1万5020ベクレルのヨウ素が、
また524ベクレルのセシウムが検出されたとのことです。
なお同時に分析されたネギは規制値以下の結果でした。
食品衛生法に基づく暫定規制値というのは、
今回の福島原発の事故を受けて急きょ設定されたもので、
この規制値を超える飲料水や生鮮食品については出荷させないように
(正確には 「食用に供されることがないよう販売その他について十分処置されたい」)、
という通知が都道府県に出されています。
牛乳の規制値は、放射性ヨウ素=300ベクレル、同セシウム=200ベクレル。
野菜は、ヨウ素=2000ベクレル、セシウム=500ベクレルとなっています。
いずれも 1㎏あたりの量です。
ただし規制の範囲は定められておらず、
これを受け、茨城県では県内の露地栽培のホウレンソウの出荷停止を各市町村に
要請しました。
この要請にともない、大地を守る会においても、
茨城県産ホウレンソウの流通をいったん停止しました。
再開は未定です。 今後の情勢により判断、という形にならざるを得ません。
とうとう畑や家畜にも影響が出てきました。
メディアでは、「食べてもただちに健康に影響が出る値ではない」
「野菜は洗ったり、茹でたりすれば、相当量が除去される」 と報じています。
それはそうなのですが、とはいえ、
これ (放射能) ばっかりは、どこまでが 「安全」 と言い切れるものはありません。
残念ながら私たちにも、断定できる閾値は設定できません。
大地を守る会は、25年間にわたってそう主張してきました。
社会を変えるまでに至らなかった非力さを、無念や悔悟とともに深く自省しつつ、
しかしけっして諦めることなく、
未来のために、為すべきことを為したい、と自らに念じています。