あんしんはしんどい日記: 2008年3月アーカイブ
2008年3月31日
部署再編-しばしお休み、のご連絡
先週はついに一本しか日記を更新できなかった。
いろいろとネタはあったんだけど。 クソッ!
実は、実は、この年度末の日に突然なんですが、
社内の部署の再編成が行なわれまして、ワタクシ、新しい部署に異動になります。
明日、4月1日付けです。
新しい部署といっても、
これまで 「生産グループ」 に所属していた農産物の仕入れ部署-「農産チーム」 と、
農産物の栽培内容の確認 (トレーサビリティ) と審査を担当してきた
安全審査グループ所属の 「有機農業推進室」、
そして農産物の発注を担当する 「農産発注チーム」 が合流して、
新たに 『農産グループ』 として統合されたのです。
つまり、農産物に関連した部署を一ヵ所にまとめたってワケです。
そのグループ長に横すべりとなります。
仕事では深く関連しながら、しかし微妙に立場が異なるがゆえに
時に喧嘩もしがちな3チームを、これから取りまとめていかねばなりません。
はたして身が持つか、不安先行の春であります。
ちなみに、従来の安全審査グループに属していた
「品質保証チーム」 と 「環境食料分析室」 は
そのまま 『品質保証グループ』 と名称を変えて存続します。
そんなこんなで、今月中旬あたりから、
ワサワサと書類の整理やら業務の引継ぎやらレクチャーやらと、
気持ちの落ち着かない日々に入っていました。
それもまだまだ終了しませんが、明日から肩書きは 「農産グループ長」 になってしまいます。
というワケで、まことに唐突ですが、
「安全審査グループ長」 としての日記は、これでおしまいとなります。
でも管理人さんからは、引き続きやれ、との温かいお言葉を頂戴しましたので、
ちょっと立場は変わりますが、ブログは継続します。
内容もさほど変わらないと思うし、しんどさは増しそうなので、
タイトルもこのままでいきます。
しばし、看板のリードの張り替えにお時間をいただき、
その間にせっせと新しい部署の業務の組み立てをして、
中旬くらいには再会できるよう、頑張ります。
安全審査グループを立ち上げてより5年、
すべてのジャンルの取り扱い基準を見直し、それに基づいた審査と
トレーサビリティの体制を強化して、
それなりに 「大地」 の信用確保に貢献できたか、とは思っています。
明日からは、その体制を基盤として、
さらに、さらに、農産物の安全性や品質の向上などなどに尽力する所存です。
引き続き、ご愛顧のほど、よろしくお願い申し上げます。
はなはだ簡単ではございますが、1~2週間ほどお休みを頂戴します、のご連絡まで。
2008年3月18日
3月18日。 忘れないと決めた日。
3月18日がやってきた。
忘れない、忘れてはならない、と決めた日である。
3年前のこの日、千葉県市川市塩浜にあった大地の物流センターで
火災を起こしてしまった日だ。
職員にとっては、二度と見たくない画像だけど、
あの日の、あの思いを、今日は振り返って、反省の日としたい。
以下、手元の記録から-
2005年3月18日(金) 12時15分頃、物流センター資材保管倉庫にて火災発生。
物流センターでの金曜日は、世間でいえば土曜日にあたり、
人が少なく、発見が遅れてしまった。
延焼面積はセンター全体の5分の1ですむも、
隣接する区分けラインおよび冷蔵・冷凍設備が使用不能となる。
緊急対策会議で、21(月) ~22(火) の二日間の配送停止と、突貫での再建作業に入ることを確認。
人海戦術開始。
生産者への連絡。 会員への緊急連絡文書を作成し、発送。
19日(土)、消防署・警察による現場検証。 「漏電の可能性」 の指摘あるも、原因は特定できず。
倉庫での作業再開には消防署の許可に時間がかかると判断し、代替倉庫の手当てに入る。
20日(日)、埼玉県和光市に代替倉庫を確保。 水曜日からの野菜セットのお届けを手配。
21日(月)、代替倉庫の調査継続。 常温・冷凍・冷蔵の区分けを分散しても行なうことを決定。
22日(火)、和光センターにて野菜セットの作業開始。 会員からの問い合わせ1000件を超える。
23日(水)、ベジタ、緊急野菜セット、卵の配送再開。 南船橋に冷蔵・冷凍用倉庫確保。
至急設備とライン設置に入り、28日より品目限定ながらも配送再開を決定。
24日(木)、八王子のマゴメさんからの米の直送に社員応援派遣。
物件交渉継続しつつ、区分け再開の準備を進める。
27日(日)、一部常温品・冷蔵品・雑貨の区分け再開。
28日(月)、配送開始。
・・
・・
その後、順次、品目を拡充しながら、復旧を進めていったのだった。
仕入、物流、会員対応など、必死の作業が続く。
しかし、毎夜の緊急会議で状況を確認しつつも、
動きが早まるほどに、社内の認識に誤差が発生し、不安や苛立ちの空気が流れ始める。
社長に呼ばれ、各所の情報を整理して全体化するように指示される。
徹夜でまとめ、気力を無理やり前面に出した社内報を出す。 3月25日(金) になっていた。
『 大地復活!情報 ‐今こそ見せよう!大地の底力‐ 』
ここで俺たちの底力を見せなかったらどうする。
多大な迷惑をかけているにもかかわらず、心配し、励ましてくれる生産者や消費者に、
やっぱり大地は頑張ってくれた、と言わせてみせる。
そんな決意をひとつにしなければと思った。
会社の方針や他部署の動きを批判した後輩を叱ったこともあった。
その部署で今働いている人は、
たとえ自分がそこにいてもそれ以上にはできない、それだけのことをやっているのだ。
そう信じて、自分もやれるだけのことをしよう。 指示を待てと言われれば待つ。
ここでの信頼は無条件である。 個人的な行動は慎め。
今思えば、僕もフツーじゃなかった。
「復活情報」 で、社長の心情を伝えた。
-本当に申し訳ないという、心からのお詫びの気持ちで再出発しよう。
我々の責任を自覚し、お詫びの心で、全力で復旧にあたって欲しい。
その夜、寝不足なはずなのに眠れず、寝床でやたら泣いてしまった。
なんだか、やけに悔しくなってしまったのだ。
日々欠かすわけにはいかない食べものを運ぶのが僕らの任務なのに、
運べない悔しさが、腹の底から込み上げてきたのだった。
こんな職業意識が自分にあったんだろうか、と思ったとき、思い出したことがあった。
大地に入って最初の冬だったか、2度目の冬だったか......82年か83年のことだ。
神奈川の葉山方面に配送に出た日、とんでもない雪に見舞われた。
葉山といえば、高台である。
巻いたチェーンも利かず、高台の下で立ち往生して、ついに登れなくなった。
手に息を吐きながら、これは無理だと観念したとき、
この山の上で、「今日はあるものですませましょ」 と話している家族がいることを想像してしまった。
しばし思案したあと、ここは根性だよね、と
一回に20~30キロくらいの荷物を担いで、山の上まで往復した。
共同購入のステーションが2ヶ所あったから、10往復はしたと思う。
あの時の決意は、職業意識というより、今ここにいる自分への意地のようなものだった。
荷台にあの家族の食い物を積んだまま、おめおめと帰れるか。 ゼッタイに届けてやる。
黒澤明の映画 『天国と地獄』 、あるいは八甲田山死の行軍のような気分でもあったけど......
最後の配達先である鎌倉の会員さん宅に着いたのは夜の11時を過ぎていた。
ドアを開けた奥さんの、まるで亡霊でも見るような眼差し。
常識はずれのことをしている自分を悟ったのだった。
会社に戻ったのは日付が変わって1時くらいだったか。
それでもみんな待っていてくれて、また僕より遅く帰ってきたトラックもあった。
皆、やり切った満足感があった。
非常識だったかもしれないけど、それでも運んだのだ。
しかし今回は、火災の二文字に、手も足も出ない。
こんなことは二度と起こしてはならない。
「大地復活!情報」 は火災から1ヵ月後、4月18日発信でその任務を終了した。
最後は、火災の一週間前に地鎮祭を行なった習志野市茜浜のセンターの建設が
急ピッチで進んでいる報告で締めさせていただいた。
今思い返しても、あれ以上に早くはできなかったと思う。
しかし、事前のリスク対策が弱かったことも、たくさんのお叱りも受けたことも、
忘れてはいけない。
昨日、僕は宮城に出張していなかったけど、
習志野の物流センターでは、防災訓練が行なわれた。
忘れないようにしよう。
あの悔しさを。 そして人の優しさにたくさん感謝したことを。