あんしんはしんどい日記: 2012年4月アーカイブ
2012年4月20日
近未来の90億と、100,000年
ブログをサボっている間にも、桜は満開の一瞬を過ぎてしまって、
春の枯葉が街路を舞い始めたかと思っていたら、
樹々は早くも鮮やかな新緑を用意してきている。
( 4月8日(日)、飯田橋・逓信病院の桜。
元大地牧場社長・道場公基さんのお見舞いにて。 前の土手は花見客だらけ。
みんな一気に飛び出してきたって感じだ。)
4月が新学期というのは日本だけだと聞いたことがある。
ホントかどうか調べてないけど、この慣わしは捨てがたい。
心身をリフレッシュさせて新たな成長に向かう節目といえば、やっぱ春だよね。
- とか言いながら、枯葉を眺めて複雑な心境になってしまうのは、
去年の秋とまだ変わっていない。
ブログをサボっていたのは、
今年度の新しい計画の仕込みに追われていたこともあるけど、
気分としては、一本の映画と一冊の本、そして政治のせいでもある。
映画は、デンマークのマイケル・マドセン監督によるドキュメンタリー作品、
『100,000年後の安全』。 遅ればせながら観ました。
本は、オーストラリアの科学ジャーナリスト、ジュリアン・クリブ著 『90億人の食糧問題』
(片岡夏実訳、柴田明夫解説、シーエムシー出版)。
この2点。 ちゃんとノートしておかなきゃ、と思いつつも、
近未来に迫ってきている生存の危機と、
どんな人類が住んでいるかも分からない10万年後にまで、
厳しい管理を伝え残さなければならない私たち世代のツケ(核廃棄物) の重たさに、
言葉を失っていた、というのが本音。
一方で、腰が抜けるような言葉を聞かされ続けてきた。
大飯原発再稼動に向けての、責任ある立場の方々の発言の軽さときたら。
「(対策は) おおむね妥当である」
「(安全に制御できると) だいたい確認できた」
「(機能を保持できる状態) と推定された」
これらの言葉の意味は、課題が残されているということだ。
自らの甘さを堂々と見せながら進められる政治的 " 見切り発車 " からは、
この一年間の人々の苦しみへの配慮は欠片(かけら) も感じられない。
これはさすがに、醜い。
この電車には、乗るワケにはいかない。
果ては、「(全停止は) 集団自殺」 「(原発が) 一瞬、ゼロになります」・・・
桜吹雪を背中に彫って、乗り込んでいきたくなる。
軽くても、この花びらには " いのちのつながり " に対する美学があるというものだ。
福島第1原発1~4号機の 「廃止」 が決定した。
今さらって感じだけど、これで日本の商業用原発は 「50基」 となった。
「廃止」 になっても、 「廃炉」 までの道のりはまだまだ長い。
悔しいけど、僕は結末を見届けることはできないだろう。
核燃料処分のコスト試算も発表された。
2020年までに原発をゼロにして、再処理しないで地下に埋設処分したほうが、
原発エネルギー35%を維持させながら再処理に回すより、27%安いという。
しかしそれだって、いつまでのコストなんだろう。
僕らはすでに、「10万年後の安全」 に向けて、
国民的議論に入らなければならない局面にある。
いろいろと腹に溜まったものを吐き出したところで、
サボり期間中の諸々からいくつかピックアップして、報告しておかねばと思う。
新たな計画もお伝えしたいし。
日々少しずつ小刻みに、
しかも順不同のレポートになると思いますが、ご容赦を。