産地情報: 2011年11月アーカイブ
2011年11月18日
さんぶ野菜ネットワーク、新センター建設
千葉・海浜幕張、通勤途中にある隠れ小路の風景。
冬に向かう時節、枯葉はいろんな情感を誘い出してくれるけど、
今年の落葉はなんだか我々の罪を抱いて落ちてくるようで、
陰鬱とした心境にさせられる。
放射能汚染にTPP・・・
こんな厳しい環境の中でも、敢然と船出する人たちはいる。
千葉・さんぶ野菜ネットワークが新しい集出荷貯蔵施設を完成させ、
昨日はめでたい落成式が催された。
当時の山武農協・睦岡園芸部に有機部会が発足したのが1988年。
2005年に販売部門として独立し、「農事組合法人 さんぶ野菜ネットワーク」 を設立。
そしてついに自前のセンターを完成させた。
国の 「食糧自給率向上・産地再生緊急対策事業」 からの助成があったとはいえ、
約50人のメンバーも出資し合って、借金を背負ってのスタートだ。
挨拶する代表理事・富谷亜喜博さん (大地を守る会CSR推進委員でもある)。
以下、富谷さんの挨拶から-
1988年に、農薬や化学肥料に頼らない農業を実践しようと有機部会が発足して、
早いもので23年。
ますます悪化する経済状況のなかで、少しでも前に進むために、
集出荷貯蔵施設を持ち自立することにしました。
生産者と事務局が一体となり、出荷作業の軽減や貯蔵施設を利用した安定供給を
目指すことにより、取引先との信頼関係をさらに深め、
また新たな取り組みにもチャレンジしていきたい。
本年は、東日本大震災・福島第1原発事故、また相次ぐ台風による被害など、
未曽有の災害が続いた年となりました。
放射能問題は風評被害を呼び、私たちの産地にも大きな打撃となりました。
信頼回復には農産物の検査結果を開示し、時間をかけて取り組んでいくことになります。
また日本政府は今月11日にTPPへの交渉参加を表明しました。
農業は計り知れない打撃を被ることが懸念されます。
私たち自身が大きく農業の変革に取り組まなければなりません。
農業従事者の平均年齢は66歳になり、耕作を断念せざるをえない農家が増えています。
今後、この緑豊かな日本は誰によって守られるのでしょうか。
世界の人口が70億人を超え、食料不足が懸念されるなか、
農業者の果たす役割はますます大きくなると思われます。
この地に生まれ育った農業者と、農業に未来を感じて集まった新規の就農者が
ともに刺激し合い、発足当初からの 「いのちのたべもの」 という合言葉と
顔の見える関係・ネットワーク(つながり)を大切にして、
「魅力ある農業」 の実現に、新集出荷貯蔵施設を基点に進んでいきたいと思います。
振り返れば、このセンター建設を総会で諮ったのが、あの3.11の日。
成田のホテルで、まさにこの議案の審議中に揺れ始めたのだった。
シャンデリアが大揺れする中、それでも決議まで進もうとしていたよね。
「私たちの意思が揺れてはいかん、という大地の怒りでしょうか」
(でしたっけ・・) と言った富谷さんの発言を、
うまいこと言うなぁ~ とか思いながら机の下に潜ろうとしたのを覚えている。
結局総会は中止となり、後日設定された臨時総会で可決された。
4月27日に着工し、10月25日に工事完了・引き渡しとなった。
いわくつきの集出荷センター。 組合員の方々も感慨深いものがあるだろう。
式典のあとは、祝宴。
奥さんたちのグループ 「さんさんママさん」 たちが、
さんぶの野菜でこしらえた手料理がふんだんに振る舞われた。
どれも美味しかったです。 持って帰りたかったです。
ご馳走様でした。
当日パンフレットに抜粋された ≪23年の歩み≫ を見れば、
ホント、ウチもよく付き合ったと思う。
1988年12月 無農薬有機部会 設立総会 -部会員28名-
1989年 5月 「大地」への野菜出荷開始 -雲地幸夫氏のチンゲン菜-
(当時広報だった僕は、雑誌 『クロワッサン』 の記者を、雲地さんの畑にお連れした。)
同年 11月 大地を守る会との収穫交流会
1990年 1月 大地を守る会 「東京集会」 参加。
同年 5月 第1回・大地を守る会 「稲作体験」。
- 稲作体験も今年で22回(年) を数えるまでになった。
・・・・
・・・・
3年前からは、農業の担い手育成を目指し、新規就農者の受け入れを
積極的に進めてきた。
この間、15人が新規組合員となり、6名の研修生が就農を目標に頑張っている。
事務局の人たちの表情も晴れやかだ。
挨拶しているのは福島・熱塩加納村出身の花見博州さん。
ちなみに、花見さんのお父さんは、
熱塩加納村で地元産野菜を使った学校給食を始めようとした際に、
最初に手を上げた農民である。
歩んできた歴史を振り返り、亡くなられた先達の名前も出たりして、
" 鬼の下山 " 常勤理事も感無量か、こんな一瞬も。
怒られるかもしれないけど、、、アップしちゃお。
山武の皆さま、おめでとうございます。
皆さんの挑戦に、腹の底から敬意を表します。
苦難の道になるかもしれませんが、未来への道しるべをつけるべく、
ともに頑張りましょう!!!
2011年11月 5日
米と塩と、酒 -原発を止めた町から
二つのシンポジウムの報告を約束したのだけど、
ベトナムに飛ぶ前にどうしても書いておきたいことが、もう一つ。
10月6日付の日記に書いた一節。
3日に巣作りを終え、4日は高知に飛ぶ。
「放射能対策特命担当」-このミッションを進めるからには、
まずはこの人に仁義を切っておきたかった。
20年以上前に原発計画を止めた男、窪川(現四万十町) の島岡幹夫さん。
15年ぶりの表敬訪問。
僕がこの任務を受けるにあたって、自分に言い聞かせたのは
「希望を示せなければ、全うしたことにはならない」 ということだ。
その意味で、この先駆者を訪ねることは恩師への報告のようなものだったのだけど、
それ以上に、ここは何より、先進地なのである。
この間しつこいくらいに 「備蓄米」 産地 (稲田稲作研究会とジェイラップ) の
取り組みを書いてきたけど、僕にとっての先駆的モデルは、ここにある。
僕と島岡さんとのお付き合いの発端は、原発ではない。
減反政策とのたたかいだった。
米が余っているからと言って、なぜ国から減反を強制させられなければならないのか。
生産調整などというものは、民の力 (主体性) に任せるべきだ。
それぞれの地域づくりと結びつきながら。
減反政策の失敗は、滋賀県の面積相当分の耕作放棄地が示している。
地球人口70億に突入した今日、耕地を荒らす国など、ありえない。
制度を強制しておいて、
荒らしたのは 「公」 じゃなく 「民」 だ、という政治家や官僚が、僕は大嫌いだ。
言っとくけど、社会科学徒の前では通用しないからね。
島岡幹夫にとっては、原発も減反もいらん、この町はワシらの手で作らせてよ、
ということだったんだと思う。
10月4日、秋晴れの日本列島を飛んだ。
あとは、
採用いただいた " 原発を止めた男たちが対案で示したアイテム " 3品
の同時販売にあたって、営業サイドに投げた粗原稿ですませたい。
原発を止めた町から生まれた、米、塩、酒、のコラボに挑戦してみました。
会員の皆様には、メニュー148で同時投入です。
会員外の方は、ウェブサイトで購入できます (近々登場)。
コンセプトは、「原発止めても、楽しう生きとりますきに!」 って感じか。
原発を止めて23年、
美しいふる里づくりは今も続いています。
高知県窪川町(現四万十町) で、
無農薬での米作りに励む島岡幹夫さんのヒノヒカリをお届けします。
島岡さんは1980年代、
町の原発誘致計画を8年かけて止めたリーダー。
原発に依存しない美しい地域づくりを目指して、
いったんは対立した農家も巻き込みながら有機農業の仲間を増やし、
耕作放棄された棚田の再生や森林保全そして自然エネルギーの創造と、
島岡さんの " どこよりも美しいふる里づくり " への挑戦は
尽きることなく今も続いています。
島岡さんたちは今、耕作放棄された棚田を開墾し直している。
この上の山林も手入れして、子どもたちの体験と憩いの森にしたい、と語る。
「ワシらの世代がやれることは、そんなことやろ、エビスダニ君。」
タイの農民自立のための支援活動も長く続けていて、
タイ北部のタラート村で 「島岡農業塾」 を開き、
私財を投じて3つ目の池を完成させました。
村の人々は 「島岡基金」 として大切に運営しています。
「原発に頼らんでも暮らしは守れる!」
-信念の男・島岡幹夫が育てた " 未来への懸け橋 "
のようなお米です。
限定70俵。 ぜひ食べて応援してください!
写真左は、二日間案内してくれた 「高生連」 代表・松林直行さん。
佐賀県出身ながら、高知大学時代に学生運動と原発問題に立ち会うこととなって、
この地に根を生やす羽目になってしまった (と僕は解釈している)。
島岡幹夫・愛直(まさなお) 親子と一緒に、次にに向かったのは
旧大正町にある、無手無冠 (むてむか) 酒造さん。
社長の山本彰宏さんは酔狂な人で、
店をたたんだ銀行の支店を買い取って、こんなふうにしてしまった。
四万十川焼酎銀行・・・
口座を開こうか、とも思ったが先が不安なのでやめた。
店内の中で、山本彰宏・頭取! を囲んで島岡親子。
う~ん、絵としてはどうも・・・ 使えないね。
しかし、山本社長には、こっぴどくやれれた。
「3.11のあと、大地はもっとやってくれると思うとったけど、なんかイマイチや。
もっとガーンとやってくれ!」
人の苦労も知らんと・・・ 高知のクソ親父め。 くやしい。。。
普段は饒舌な島岡さんが、ただニヤニヤと笑っている。
以下、宣伝の原稿より。
「美しいふる里づくり」 を陰で支える
四万十純米酒
高知県窪川町(現四万十町) の島岡幹夫さんが育てた
無農薬米を原料とした、大地を守る会オリジナルの純米酒です。
「その土地の匂いがする酒を醸したい」 をモットーに、
どっしりとした濃醇タイプに仕上がっています。
社名の 「無手無冠(むてむか) 酒造」 は、
一切の混ぜものをしない(「無添加」 から) というポリシーを表わしています。
島岡さんとのお付き合いの中から生まれた、
無農薬栽培を支え、「美しい里づくりに貢献する」 日本酒。
続いて、山間部の大正町から一気に下り、太平洋を望む黒潮町へ。
土佐の海を守らんと生まれた天日・手揉み塩
「美味海(うまみ)」
( 地元の杉を使った手づくりのかん水設備。
海水を何度も循環させ、海水の6倍まで濃縮させます。)
土佐・黒潮町の浜から汲んだ海水を、太陽と風が濃縮させてゆく。
それを手で優しく揉み、音楽を聴かせ、じっくりと結晶させることで、
塩が 「美味海(うまみ)」 になりました。
自然エネルギーの力を最大限に生かして、
ひと粒ひと粒に微量元素(ミネラル) が凝縮された、いのちの母なる塩。
窪川町の原発誘致計画に対して、
「自然豊かな土佐湾には、原発ではなく、天日塩のタワーを!」
という対案によって生まれた塩づくりも、
今では天日塩を振りかけただけの鰹のタタキが静かなブームになるなど、
高知県自慢の特産品へと成長しました。
まろやかで甘味を感じるお塩。素材の味を引き立たせてくれます。
おにぎりに、天ぷらや刺身のつけ塩に、焼き魚に、他なんでもOK。
「海工房(かいこうぼう)」 代表の西隈隆則さん。 1982年「生命と塩の会」設立より、 土佐の黒潮とともに生きてきました。
今宵は龍馬になった気分で、
南国土佐の " どこよりも美しい里 " にかける男たちと
黒潮に思いを馳せながら、
MSC認証・一本釣りカツオに美味海の塩をふって、一献。
-は、いかがでしょう。
ニッポンを洗濯しちゃりたく候。
原発なんかないほうが、豊かになる。
自立心と創造力が、未来を建設する!
以上、提案でした。
では、いざベトナムへ-
戻りは11日・・・の予定です。
2011年11月 2日
この土地は俺たちが守る!
10月30日の朝日新聞主催シンポジウムに続いて、
31日(月) は、食と農の再生会議主催 「福島第1原発事故を考える国民集会」 に参加。
場所は永田町にある憲政記念会館。
ともにちゃんと報告したいと思うが、要点を整理するのは少々骨が折れる。
その前に一報が入ったので、お知らせを。
11月8日(火) 午後7時半~ NHK 「クローズアップ現代」 にて
「大地を守る会の備蓄米」 の生産者である
稲田稲作研究会およびジェイラップの取り組みが放送されます。
自分の土地は自分で守る~
農地の除染に福島の農家たちが立ち上がった。
~ 浮かび上がる真実。 農家たちの格闘のリポート。 -だと。 カッコいいぞ!
10月1日の収穫祭の模様もしっかり撮影されていたので、
少しは流れるのではないかと期待しています。
ただ、僕は残念ながらこの日に見ることができない。
6日から11日まで、ベトナムに行っちゃうんだよね。
いや別に、原発輸出反対とか、貿易交渉に行くわけではありません。
春から頼まれていた仕事で、
ベトナム北部で農民の自立と農村開発の支援活動を行なっているNPOから、
有機農業で暮らしを立て直してゆくために都市(ハノイ)の消費者とどうつながるか、
日本で取り組まれてきた有機農業の事例を農民たちに伝えてほしい、
という話です。
3つの村を回って、ワークショップが計画されている。
行政 (郡の人民委員会) や他の国から来られた方々との会議もあるようだ。
超大国アメリカに蟻のようなたたかいで立ち向かった国。
枯葉剤を浴びながら数百キロに及ぶ地下トンネルで対抗した農民たち。
少年・エビちゃんに強い衝撃を与えた多民族国家 -ベトナム。
最後の日に時間が許されるなら、ホーチミン廟の前に立ってみたい。
歴史に残る偉人の中で尊敬する人物はたくさんいるが、
政治的指導者でのビッグ3は、ガンジー・ホーチミン・周恩来・・・かな。
もし帰ってこれなかったら、
エビスダニは、ベトナムの大地で有機農業運動に殉じた、ということにしてほしい。
退職金は? ...... ほしいに決まってるだろ。
伊藤俊彦がカッコよく映っていることを期待しつつ、
さて、ベトナムに発つ前に、どこまで書けるか。
<P.S.>
「備蓄米」 は予約・登録制ですが、
ネット(ウェブストア) では、稲田米が購入できるキャンペーンを計画中です。
大地を守る会のホームページ でご確認ください。