食・農・環境: 2008年3月アーカイブ

2008年3月16日

東京の水のデザイン (続)

 

まったく、IT社会はストレス社会だ。

一瞬のキーボードのタッチミス (のよう) で、書いたものが全部、パッと消えてしまった。 

原稿用紙ならこんなことはゼッタイに起きない。

しかも、それが2度も続くと、脳みその血管が切れそうになる。 

しかも、だいたいノッてきた時とか終了間際に起きたりするんだよね、これが。

原因がつかめないまま、気を取り直して3度の書き直し。

チマチマと保存しながら、結局疲れ果てて、途中でアップする。

そんでもって、消えた原稿の方がよかったと思ったりする。

トホホ.........(って、なんかほのぼのする表現だよね。人に優しくなれそうな。)

 

さて、改めて続けたい。

第3部-「東京の水のデザイン~数百年の計で考える」

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 ではこの都市に暮らす私たちは、何をどうすればいいのか。 どんな方法があるのか。

具体的な実践例や提案を出せ、ということで前に立たされた、いや、座らされたお三方。


写真右が 「ドクター雨水」 こと村瀬誠さん。

中央がワタシで、左は法政大学教授の陣内秀信さん。

 

村瀬さんは、墨田区の雨水利用システムを編み出して、一躍有名になった方だ。

「すべての水は天が大本」 「下流に小さなダムを」 と、雨水を貯める 『天水尊』 を地域に広めた。

東京の水需要が20億トン。 一方で東京には、実は25億トンの雨が降っている。

その雨はコンクリートの地面では地下に貯えられることなく、海に流れるだけである。

水循環を支える天水を受け止め、暮らしに活かし、あるいは地下水に貯える、

それは東京に住む人間が考えなければならない義務ではないか。

利根川に依存し、上流にたくさんのダムを造って東京に回す前に、

ここに暮らす者どもとしてやることがあるだろう、というわけだ。

 

僕が村瀬さんと知りあえたのは、1995年、

水俣病の映画を撮り続けたシグロという映画会社が制作した 『続・あらかわ』 という

ドキュメンタリー映画がきっかけだった。

ウチは荒川の支流になる入間川の上のほうで、

家庭排水を浄化する 「ニイミ・システム」 というのを取り入れたことで取材を受けたのだが、

そんな一軒のささやかな取り組みと違って、

村瀬さんは海抜ゼロメートル地帯で家庭サイズのダム (天水尊) を普及するという

面的な展開をつくった、ある意味で革命的な行政マンとして映画に登場していた。

荒川の源流・甲武信ヶ岳から東京湾まで、

水と共生する営みを追いながら川を下り、墨田区に辿りつく。

映画の副題は 「水の共同体を求めて」 。 いい作品だった。

 

久しぶりにお会いしてみれば、村瀬節はますます磨きがかかっていた。

 

さて、そんな村瀬さんの、実践に裏打ちされた話を受けて、

ワタシに与えられた課題は、「東京の水循環と農業」 -である。 難しい。

で、こんな話をさせてもらった。

 

食料自給率1%の東京で、目先の安さを求めて、供給地 (依存先) との距離を

どんどん離れさせてきた。 そのツケが回ってきたひとつの事例がギョウザ事件であり、

税金を使った検査体制の強化である。 自治体の赤字はそれによって膨らんでいる。

そもそもモノの流れのなかで、最下流での監視やチェックというのは、

もっとも効率が悪い作業であり、それによって "安全・安心" を担保するのは不可能である。

検査や分析とは、ある行為の裏づけや結果を確かめるのに有効なものなのであるからして。

暮らしの安心をちゃんと確保したいなら、食べものの距離を縮めることだ。

それによって、生産と消費を信頼 (モラル) でつなぐ  "顔の見える関係"  も築くことができる。

一個や一本の単価は上がっても、安心の基盤が確保され、社会全体のトータルコストは下がる。

その方が環境にも良い。 つまり永続的であるということになるはずだ。

したがって、都市にこそ周辺に農地が必要なのだ。

農地という地べたはまた、水を地下に染みこませてくれる。

 

最も安く、効率の良い貯水装置は、水田である。

千葉県市川市では、つい10数年前まで、つまり平成の時代に入ってもなお、

真間川洪水対策のために水田を残そうとしてきた。

農政課とかではなく、土木課が、大雨の時に水を張ってもらう約束をして、

農家に補助金をつけて米を作ってもらっていたのだ。

利根川と荒川に挟まれた危険な街・埼玉県草加市もそう。

こちらはせんべい屋さんと連携して、地元のせんべい屋さん用に出せば補助金をさらに乗せる、

という手法だったと記憶している。

地場産業と田んぼを一緒に保護しながら、治水対策に懸命になっていた。

今はもう、そんな制度はともになくなったようだ。

洪水の記憶はどこかに消え、土地はお金に変わった。

 

では地価の上がってしまった東京で、周辺に農地といったって無理、なんだろうか。

ビルの屋上を、ただの緑化ではなく、田んぼにしてはどうか、と思う。

30センチの畦をつくって雨水を受け止めれば、1haで3000トンの水が手に入る。

ビル内のトイレの水の相当量が自給できるのではないか。

みんなで米をつくる、社会的食育活動にも活かせば、

農水省も文科省も喜んでくれるように思うのだが。

東京は肥料源の宝庫でもあるし。 食品残渣がゴミでなく、資源になる。

人も多いので、当然、無農薬でなければならないね。

一ヶ所に集めてアルコール燃料 (バイオエタノール) にすることもできる。

屋上緑化から  『屋上田園』  へ。 屋上を地べたに!

みんなで 東京田園構想 をつくりませんか。

 

時間も押していて、腹も減ってたし、かなり早口で一方的に喋っておしまい。

でも、これはただの思いつきではない。 実現可能なことだと思っている。

これまで、こんな話を農業論や都市論や環境論の観点でやっても、

なかなか真剣に聞いてくれることはなかったのだが、

僕にヒントと勇気を与えてくれたのが、実は 『Water展』 だった。 

つまりデザインの力で、美しく、魅力的に表現することができるのではないだろうか。

 

東京湾アオサ・プロジェクトのPRもつけ加えておいた。

生活のありよう、その内実を受け止めている海。

そこでの循環は、生命の浄化機能だといえる。

海と陸の窒素循環を再生させるには、やはり近隣に農地 (土) が必要である。

 

さてさて、また長くなってしまいました。

最後にご紹介。

こちらが、地球大学のホスト役、竹村真一さん。 文化人類学者であり、京都造形芸術大学教授。

2年にわたって、毎週々々、時代のテーマを取り上げては、

新しい文明ビジョンのコンテクストに組み込んできた。

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間違いなく、

21世紀の 「知」 を切り拓いている

一人である。

こういう人が大地の会員であることに、

僕はふるえる。

 

ところで- 

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 環境を意識して設計され、

グッドデザイン賞まで受賞した

この 「大手町カフェ」 が、

ビルの都合により

4月いっぱいで閉鎖されるとのことである。

 

それまでにもしお時間があれば、一度覗いて見られることをおすすめしたい。

 

カフェは閉鎖されるが、地球大学でつながったネットワークは、

とどまるところを知らず、刺激的にパワーアップされていっている。

 

『 水をキーワードに、東京をリデザインする 』

 

次なるイメージの爆発を、楽しみに待ちたい。

いや乗り遅れないよう、こちらも仕込みも忘れず、だ。

 

『地球大学』 セミナーのアーカイブは、こちら (←) でご確認できます。

 



2008年3月15日

『地球大学』-東京の水のデザイン

 

東京・大手町の大手町ビルにある 「大手町カフェ」 で

毎週開催されている環境セミナー 『地球大学』 。

昨夜( 14日 )、番外編の企画が組まれた。

テーマは 「東京の水のデザイン ~利根川から考える~ 」 。

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 夕方5時半から始まって、終了は9時半過ぎ。 長丁場のセッションとなった。


プログラムは3部構成で、ゲストが10人という贅沢な仕掛け。

これまで行なわれてきた水をテーマにしたセミナーと、

六本木 「21_21」 で開催した 『WATER』 展までの中間総括として、

足元・東京の水について整理しておこうというねらいで企画された番外編。

多彩なゲストも皆、手弁当での参加である。

 

第1部-「なぜ 『利根川』 なのか?」

まずはホストの竹村真一さんが、利根川水系を源流 (群馬と新潟の県境・大水上山) まで

辿ってきたフィールドワークをベースに、概略を説明する。

 

首都圏2500万人の水を支える利根川。

戦後、急速に経済発展と人口増加を遂げた東京は、

1964年の水不足 ( " 東京砂漠 " という言葉を生んだ) と東京オリンピックを境に、

水道水の8割を利根川に依存するようになった。

しかし治水と利水の観点から眺めれば、極めて脆弱な基盤の上に成り立っている。

竹村さんは、源流から河口までの地勢と水循環を、立体視地図を駆使して示しながら、

東京の潜在的リスクの可視化を試みる。

 

国交省の河川調査官・渡邊泰也さんが、

家康の時代から今日までの江戸-東京の治水の歴史を、災害の歴史と重ね合わせて、

竹村さんが示唆したリスクを裏書きしてくれる。

しかも、世界平均の倍の雨が降る日本でも、

首都圏の一人あたりの降水量にすれば世界平均の4分の1となり、

一人あたり 「貯水量」 となると、ニューヨークの10分の1しかない。

今進んでいる温暖化は、さらに激しい洪水と渇水の繰り返しを予測させていて、

水利用率の急激な低下が、近未来の現実のものとして想定されてきている。

 

法政大学エコ地域研究所の神谷博さんは、「源流からの眺め」 と題し、

やはり立体視地図を使って、地球史の流れから 「東京水圏」 を再現させる。

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 キーワードは、「東京水圏」 と 「古東京川」 だと。

縄文海進で関東平野が水浸しになる前には、東京には古代の川があった。

利根川と荒川と多摩川は一つの河川・流域であった。

その時代、人は源流の高みから関東の地勢・地形を見通していただろう。

 

そうか......僕らは今、コンピュータのお陰で新しい視点を発見したような気になっているが、

実は失ったまなざしであったのか。

 

そこで第2部、「利根川の可視化、可触化」 のためのワークショップへと進む。

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京都造形芸術大でデザインを学ぶ上林壮一郎さんの仕掛け。

関東平野に注ぐ河川をテーブルの上で立体化する。

そこに色をつけた水を源流から流して、関東平野から東京が浸食される動きを感じ取ってみる。

 

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 コーヒーや洗剤や雑排水が混じり溶け合いながら、暮らしを支える水系を染めてゆく。

これが今の私たちの暮らしの様子、ということか。

 

東京芸術大学の川崎義博さんは、源流から拾ってきた音を天井のスピーカーから再現する。

目を閉じて耳を澄ませば、冬の水音に混じって、鳥の声が採取されていたりする。

何より、水の息づかいは、動物の心を癒す。

" 生きられる安心 " 感は、すべて水によって与えられているのだ。

 

さて、第3部・・・・・ワタシの出番なのだが、すでに相当に時間が押している。

竹村さんも少し気が急いてきて、3部のゲスト3人を前の椅子に座らせる。

 

(すみません。 作業中に瞬間的にデータが飛んで消えてしまうという現象が何回も続いてしまって、

 疲れてしまいました。 もう耐えられません。 続きは明日にします-)

 



2008年3月10日

自給率とメタボリック?

 

内心、過剰反応だったかしら、などと思い返しつつも、数日たってもやっぱり気持ちは変わらない。

農水省と全農の新聞全面広告のことだ。

 

日本の農業(食料) を守る手立ては、生産と消費を健全につなぐ作業にかかっていて、

そこにこそ想像力を働かせたい。 それが常に僕の関心事でもあって。

しかも、これからの物資の高騰に耐えるのは、消費者である。

ここでの 「消費者」 には当然生産者も含まれるから、要するに国民すべてか。

ならなおさら、具体的施策が欲しい。

 

で、周辺に目をやれば、もう一人、自給率にハマッたヤツがいた。

とくたろう」 ブログ - 農産の仕入担当・朝倉裕が2回にわたって書いている。

大地公認のブログ2本が、こんな調子になっちゃっていいのか、という不安もよぎるが、

なんかこう、そんな "流れ" になっちゃったんだよね。

 

彼の論考は、自給率の低下からメタボへとつながっている。


たしかに、この半世紀近くで決定的に増えたのは、肉と油脂の消費量で、

また米以外の穀物もほぼ外国に依存するかたちになってしまった。

それが自給率の低下と相関関係にあるわけだから、

結果としてのメタボリックと言えば、言えなくはない。 いや、その通りだ。

ま、私としても、型どおりの 「日本型食生活を見直そう」 より、

「メタボ不安からの脱却のために」 とか言われた方が、真剣になるような気もする。

 

ちなみに、コレステロールを心配するのも、実は現代の欧米食生活特有のものであって、

ヒトの普遍ではない。

これは文化人類学者・竹村真一さんが明快に語ってくれているので、お借りする。

 

 「たまたま現代の先進国のような肉食中心の飽食社会では、  " (コレステロールが) 溜まりにくい "

  遺伝子のほうが良いように思われるが、人類は何万年も肉食が日常ではあり得ない環境に暮らして

  きたし、これから地球は再びそうした時代に逆戻りするかもしれない。

  家畜を育てる飼料の穀物をそのまま人間の食糧にすれば10倍の人が食べられるのだから、

  食糧危機の時代にはそんな非効率を許す余裕はなくなり、

  肉食は年に数回の贅沢となるかもしれない。

  そんな時代には、コレステロールという人体に必須の要素が溜まりにくい体質の遺伝子は

  不利になるだろう。」 (『Voice』 08年3月号 「地球文明への条件」 より)

 

加えて、米の生産量が800万トンあたりの国に、生ごみ (食品残渣) が2000万トンとは、である。

(2150万トンという数字もある。 家庭からの排出量計算の誤差と思われる。)

国土はヒト以上に超メタボ状態である。 そのほとんどは輸入農産物、でなかったら計算が合わない。

自給率39%の国で、輸入超過でメタボ。 これがこの国の自画像だ。

これに対する医療費はどう考えたらいいんだろう。 絶望する方が楽だと言えるくらいだ。

でもって、ついつい、税金の使い方が気になってしょうがない。

 

また新規就農の斡旋や単純な規模拡大論では自給率は向上しない、のもたしかである。

「とくたろうさん」 の結論

 -「自給すべき品目に対しては、どうしても適切な補助、支援が必要だ。」 に同意しつつ、

「健全な食」 を維持するために、補助金 (税金) をどう健全に回すか。

食べ物を作ってない我々消費者こそ、考えるべき時が来ているんだと思う。

 

幕内秀夫さんの 『粗食のすすめ』 じゃないけど、

「食生活は豊かになったのではなく、でたらめになっただけ」 なんだろう、たしかに。

でも・・・価格の安さである程度の (贅沢ともいえない)  "豊かさ"  を手に入れようとしてきたことも、

今の僕らの暮らしの側面でもあって、

偉そうに否定したからといって、簡単に乗り越えられるものでもない。

であるからこそ、これからの苦しい消費生活の先に、希望の有効打を打ちたい。

 

僕の、かの全面広告に対するイラ立ちとは、実は、

自分への焦りなのかもしれない。

 



2008年3月 7日

新聞の全面広告 -怒りがおさまらん・・・

 

夕べは、外を眺める余裕を失っていた自分に愕然となって、

独り手酌酒の挙句に、ヘンな境地にハマってしまった。 反省・・・

 

気分を変えて-

実は先週、東京集会後の溜まった新聞を見ていて、どうにも違和感を感じたものがある。

癪(しゃく) に障る、と言ってもいい。 しかも連続攻撃で見せられたから、たまらない。

 

ともに朝日新聞から。

まず2月27日付朝刊。 32面に全面広告が出ている。

 

刺身にたけのこ煮、納豆、しょうゆ、白菜の漬物、ご飯に味噌汁の写真。

キャッチコピーはこう。

「和の食材だから日本産、というのはほぼ思い込みです。」

 


まあ食材の出所に関心のある方なら、だいたい、あるいは薄々とでも知っていることではあると思う。 

はて、どこが出したのかと眺めれば、「農林水産省」 とある。

 

  いま、私たちが口にする食料の6割を海外から輸入していることをご存知でしょうか。

  私たちの食卓は、洋風化が進み、国内で賄えるごはんの消費は減り、

  輸入に依存する肉や油の消費が増えてきました。

  また、古くからある身近な食材まで輸入に頼ることも多くなってきました。

  ~(中略)~

  海外への依存度合いが高いほど、海外の需給動向の影響を強く受けます。

  海外に多く依存する私たちの食卓のリスクを少なくするために、日本にある食材を

  見直してみませんか。

 

こういった解説とともに、日本の食料自給率の推移がグラフで示されている。

昭和40 (1965) 年には73%あった自給率が、平成18 (2006) 年には39%となっている。

そして、「食べることで自立する、日本の食」 だと。

 

思うに、日本の自給率を下げた根本的な背景は、国策である。

労働力を農村から都市に移動させ、工業製品を売って稼ぐ。 

一方で、食は安い海外から持ってくる。

そうやって国民の消費力を向上させてきた。

食の洋風化もまた、かなり意識的に誘導された結果である。

 

胃袋 (生命線) を世界にさらしてきた結果、「食べることで、食の自立は失われてきた」 のである。

今や耕地まで荒れさせている。

農水省は何をしてきたのか。 自らを省みず、とはこのことではないか。

 

しかも、セコイことを言わせてもらえば (いやけっしてセコくはないと思うが)、

この広告代が何百万円 (制作費も含めればもう一桁上か) かかったのかは知らないが、

これは農水省が稼いだお金ではない。 我々の税金である。

 

世は中国産ギョウザの一件以来、一気に国産回帰の勢いだが、

値段も必然的に上がっている。

穀物や燃料や資材の高騰であらゆる食材が値上がりするなかで加速されたこの状況は、

台所には、かなりきついボディブローである。

 

健康や環境のために、

「まずもって、食べることこそ、大事にしよう」 と大地は訴えてきた。

「国産のものを食べよう」 とも言い続けてきた。

この30数年、僕らはどれだけ農水省に喧嘩を売ってきたことだろう。

あんたたちは買ってもくれず (ぐやじい!)、無視してきたんじゃないか、こういう主張を。

 

私は言いたい。

この広告を出す金があるなら、ずっと国産の食べものにお金を払い続けてきた消費者に、

キャッシュバックすべきだ。 あるいは、国産消費特別控除みたいなことをやれ。

国産野菜は消費税カット、はどうだ。

だって、「国産を支援する消費」 を訴えるためにこんなに税金を使ってるんだよねぇ。

消費者にヒイヒイ言わせて、自分たちは、そんな彼らから徴収した税金を食いながら、

平然と 「もっと高いものを食べましょうよ」 キャンペーンをしようとしている。

なら答えはこうならざるを得ない。

私たちは国産のものを食べる。 その分、税金を減らすか、農水の経費削減をお願いしたい。

これは感情的な怒りではない。 経済の理屈である。

 

・・・ああ、だめだ。

「やっぱり書いておこう」 が、書けば書くほど、また腹が立ってきた。

 

もう一つが、二日後の2月29日。

今度はJA全農、つまり農協の元締めが全面広告を出したのだ。

「安心して食べられる国産農産物を守るために。」 ~

ううう・・・モノ言いたいが、ひと言だけ。

こちらの経費は、農民から吸い上げたものだ。

 

どうも、どちらもギョウザを "追い風" と見たか。

これだけ中国に依存してきて、

一元 (中国の通貨単位) しか出さないくせに百元の管理を求めてきて、

中国バッシングでは一転して、ここぞとばかり国産キャンペーンか。

 

もう止めよう。 終われなくなる。

今日の結論。

高みからのキャンペーンよりも、腰を低くしてのお願いよりも、

いま必要なのは、消費 (者) を具体的に支援することだ。

目線を台所に置いてみれば分かることだ。

農林予算を、消費 (国民経済) 支援に回せ!

 

 

※ 昨日の日記は、書き出した時にはすでに日付が変わっていましたが、

   ワタシ的には昨夜なので、無理やり6日に変更しました。

   基本的には、書き出した日時で表示されてますので、写真の貼り付けが遅れたり、

   中断しているうちに1日、2日と経ってしまったりして、なかなか手際よくできません。

  ブログって難しいですね。 というよりむしろ、怖いです。

 



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