食・農・環境: 2009年11月アーカイブ

2009年11月29日

エコを仕事にする ~物流センターからカフェ・ツチオーネまで~

 

PARC(パルク : アジア太平洋資料センターという団体が主宰する

自由学校については、以前(4月15日)に紹介した経過があるので

説明は省かせていただくとして、

その  " オルタナティブな市民の学校 "  のひとつの講座 「エコを仕事にする」

の最終回に、11月28日-「大地を守る会の物流センターを訪ねる」 が設定された。

というわけで昨日、

5月から有機農業や林業や環境NGOの現場をあちこち歩いてきた生徒さんたち

20名強が、千葉・習志野物流センターの見学に集まってくれた。

午前中、三番瀬を回ってきたとかで、靴にアオサなんかをくっつけている。

 

「エコを仕事にする」 と言われると、正直戸惑うところがある。

僕らは 「エコを仕事にしてきた」 のだろうか ・・・

 

有機農業はエコか。 エコと呼んでいいだろう。 " 環境保全 " 型農業の牽引者として。

有機農産物を食べることはエコか。 エコな暮らしのひとつの要素だろう。 

しかしその畑と台所をつなげることを生業(なりわい) にするとなると、

これは生々しく  " 物流 "  の世界となる。

モノが食べものであるがゆえに、エコな無包装より食品衛生を優先する。

温度管理のためにはエネルギーも使う。

何よりも、宅配とはエコな物流と言えるだろうか・・・

僕らの仕事は、エコの観点からいえば、矛盾と悩みに満ち満ちているよ。

 

物流センター内を見学して回る生徒さんたち。 年代もまちまちだ。

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入荷-検品から、保管-仕分け-包装-出荷までの流れを見ていただく。

 


青果物の保管には、温度管理は欠かせない。

保管倉庫だけではなく、センター内全体が温度管理されている。

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有機JASの認証を受けた農産物は、小分けする際に他のものが混ざらないよう、

また一貫して 「有機性」 が保持されるよう、ラインが分けられている。

その管理体制全体が有機JASの認定を受けないと、JASマークは貼れない。 

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「この物流センターは、有機JASの認証を取得したラインを持っています。」

説明する、物流グループ品質検品チームの遠田正典くん。

 

宅配用のピッキングのライン。 

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参加者には想像していた以上の規模や設備だったようだ。

「エコか」 と問われれば、ひるむところも多々あるけど、 

それでも3年前にこのセンターを建設した際には、

壁の材質から接着剤を使わない工法など、可能な限り環境には配慮したつもりだ。

配送車は順次、天然ガス車に切り替えてきたし。

言ってみれば、「エコを仕事にする」 というより、

「仕事を一つ一つ、粘り強くエコ化させていく」 という感じかな。

 

センター見学のあと、大地を守る会の概要や活動の沿革、仕事の中身などを

説明させていただく。

歴史を辿りながら、僕らは本当に仕事をつくってきたんだなぁ、と思う。

1975年、創設時のスローガン-

 「こわいこわいと百万遍叫ぶよりも、安心して食べられる大根一本を、

  つくり、運び、食べよう」 ・・・ウ~ン、大胆なコピーだ。 実に具体的である。

オルタナティブなんていうシャレた日本語がまだなかった時代から、

「生命を大切にする社会」 づくりに向けて、そのインフラをエコシフトさせるための

" もうひとつの道 "  を提案し、模索し続けてきた。

消費者のお宅に運ぶだけでなく、学校給食に乗り込み、卸し事業を始め、

食肉や水産物の加工場を建設した。

今では、自然住宅からレストラン、そして保険の提案まで。

今でいう  " 社会起業 "  の先頭を走ってきたという自負が、ある。

 

最終回の講座を終えて、

「エコを仕事にする」 参加者一行が、懇親会に選んでくれたのが、

カフェ・ツチオーネ自由が丘店。 新習志野から駅を乗り継いで九品仏へ。

 

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最後はエコな空間で、エコな食事とお酒で、楽しんでいただく。

半年に及ぶ12回の講座をともに学んできた人たちは、

すっかり仲間の雰囲気になって話が弾んでいる。

 

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シンプルだけど、体が美味しい!と反応してくるような食事。

ダシを変えるなど、ベジタリアンにも対応している、とか。

 

ツチオーネだったら行く! と、

この講座のコーディネーターの大江正章さん(コモンズ代表、PARC幹事) も遅れて登場。 

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 ご機嫌で、ひと演説。

 

すごくいい店! 野菜もお酒も美味しい!

 -でしょう。 こっちもいい気分になって、「種蒔人」を振る舞わせていただく。

 

最後にみんなで記念撮影。

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すみましぇ~ん。 酔っ払っちゃってま~す。

 

僕らは、農民でも漁民でもなく、製造者でもない。 林業家でも大工でもない。

ただひたすら人をつないで、仕事を作ってきたネットワーカーだ。

それはそれで、誇りにしたいと思う。 

 

僕らはたしかに、ここまでは来た。

 



2009年11月15日

舟の森を訪ねて -打瀬舟から山武杉の森へ(続)

 

我々 「打瀬舟の森を訪ねる」 一行は、舟の原木の森を目指し、

東京湾岸の浦安から北総台地へと入り、東金にある千葉県木材市場にやってきた。

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県内各地から、スギ、ヒノキ、サワラ、サクラ、ケヤキ、・・・・・いろんな原木が

集まってきている。

 

スギの大木が並んでいる。

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これで200年くらいですか。 -いやァ......150年くらいかなぁ。。。

ちょっと定かではなかったが、150年とすれば江戸末期である。

動乱のさなかに木を植え続けた先祖たちは、今の山の様子をどう見ることだろうね。

 

職員の方に話をうかがう。

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山武杉とは、山武地方(旧山武郡一帯) で育てられてきたスギで、れっきとした品種である。

挿し木技術によって17世紀後半から発展してきた。

その特徴は、幹がまっすぐで形や色艶がよい。

材質は硬くて丈夫。 柔軟性もあり、建築材や建具材に適している。

特に赤身は油分が多いので、水に強く腐りが遅い。 船材には最適である。

花粉が少ない、という特徴もあるんだとか。

 

今はもう山は荒れていく一方です。 

赤身だけでなく、白身も源平(赤・白の混在した材) も、節有りも、

用途によってちゃんと使えるんですよ。 国産材をもっと利用して欲しいですね。

 

さて、天気も良くなってきたし、実際の山武杉の山を見に行きましょう。

よく手入れされた山も、ちゃんとあります。 

山武郡芝山町というところにご案内します。

 


芝山町といえば、大地の生産者も何人かいる地域である。

成田のそばで、ちゃんと山を管理している林業家もいるんだ。 偉いですね。 

とか参加者とお喋りしながら、ついていく。

 

さて、こちらです。 

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ちゃんと下草も刈られ、枝打ちもし、等間隔で、まっすぐに伸びている。

入れば土の柔らかいこと。 スポンジの上を歩いているような弾力があって、

参加者からも感嘆の声が上がる。

 

上の木で、45年。

下の木で、90年になります。

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説明する市川の大工さん、大屋好成さん。

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ここは三ノ宮さんという方の山です。 ちゃんと杉の手入れをしてくれています。

え??  三ノ宮さん?  すみません、下のお名前は・・・・・

「ヒロシさんと言いますが・・」。 三ノ宮ヒロシ。 ここは芝山町菱田。

もしや三里塚の三ノ宮廣さんでは--- 

「ええ、ええ、そうです。 有機農業やってる方です。」

三里塚農法の会 - 三ノ宮廣! 

この名前をここで聞くとは。

僕は三ノ宮さんが山武杉を育てているとは、まったく知らなかった。

不覚なり!である。

それでも逆に、なんだかとても嬉しくなって、きれいな杉林を360度見回して、

" ああ、来てよかった "  と心の中で叫んだのだった。

 

三ノ宮廣さん。 

成田空港建設に反対して農民たちがたたかった  " 三里塚闘争 "  については、

僕は学生時代のただのシンパでしかなく、とても語る資格は持たない。

水俣とともに日本の戦後史上最大の悲劇といわれ、今もなお決着はついていない。

廣さんは、闘争の中で亡くなったお兄さんの後を継いで農業の道に入った方だ。

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これは、七つ森書館から出版された

『生命 めぐる 大地』 (地球的課題の実験村編、2000年刊)

の中に掲載されている廣さんの写真。

仲間と一緒に楽しく語り合っている、とても穏やかに。

 

兄の文男さんは、1971年、

自らの体に鎖を巻いて抵抗した大木よねばあさん宅への

だましうちといわれる強制代執行に抗議して、自死した。

「この土地に空港を持ってきたやつが憎いです」 という言葉を残して。

 

廣さんが大事に育てている森。 ここの杉は45年前に植えられた。。。

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「いいでしょう」(大屋さん)。 「いいです。 とてもいいです 」(エビ)。

 

こういう木で、打瀬舟を復活させて、東京湾を走らせたい。

その日はきっといい風が吹いて、海と森のつながりの復活を宣言する帆が

パァーっと踊るように舞いながら、掲げられるのだ。

 

東京湾に打瀬舟を復活させる協議会(打瀬舟の会) では、一口船主を募集中です。

URLはこちら ⇒ http://utase.yokochou.com/

 



2009年11月14日

舟の森を訪ねて -打瀬舟から山武杉の森へ

 

かつて東京湾には、昭和40(1965)年頃まで、動力ではなく、

帆(風) で走りながら漁をする打瀬舟(うたせぶね) の姿があった。 

 

その東京湾に、打瀬舟の復活を! 一口1万円の船主募集!

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そんな呼びかけのパンフレットをもらったのは数ヶ月前のこと。

くれたのは、大地を守る会理事の遠忠食品(株)専務・宮島一晃さん。

見れば、発起人代表に木更津の漁師・金萬智雄(きんまん・のりお) さんの名前がある。

NPO法人 盤州里海の会代表で、アサクサノリの復活にも挑んだ方だ。

「へぇ~、金萬さん、また酔狂なことを始めましたね。」

これが最初の感想だった。

「で、いくら集めるんですか?」 - 「目標2千万だって。」 ウ~ン・・・

 

興味は抱きつつも、話はそのままで終わったのだが、

今月に入って、おさかな喰楽部 (大地を守る会の専門委員会) のメーリングリストに、

金萬さんから案内が入ってきた。

11月14日開催  『打瀬舟建造プロジェクト 舟の森を訪ねて』

の参加申し込み締め切り日を過ぎましたが、まだ多少の空きがあります。 よろしかったら-

 

" 舟の森 "  -の言葉に響くものがあった。 そうか、そういうことか、みたいな。

打瀬舟を育てた千葉・山武杉の森を訪ねる。 これは行くしかない。

 


11月14日(土) 9時30分。 集合は東京駅鍛冶橋駐車場。

ここからバスに乗って、浦安から山武まで見学コースが組まれていた。

 

一行はまず、浦安市郷土博物館 に到着する。

ここで、本日のガイド役として大屋好成さんが合流する。

地産地消型の家作りを謳い、数奇屋建築や社寺建築を得意とする市川市の大工さんである。

打瀬舟など和船の建造技術にも詳しい。

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背中の壁には、古き良き時代の浦安風景を描いたレリーフが飾られている。

海苔や魚の干し台が並び、女たちが元気よく働いている。

小舟(ベカ舟という) の向こうには打瀬舟も見える。

 

打瀬舟にも、千葉の検見川型とか浦安型、神奈川の子安型といったタイプがあったそうだ。

小型のものは干潟のアマモ場での 「藻エビ漁」 などで活躍したが、

干潟の干拓や埋め立てによって藻場は消え、

この伝統漁法もついに博物館に眠ることになった。

打瀬網漁は、今では北海道・野付湾での北海シマエビ漁に残るのみとなっている。

(熊本・芦北の不知火海では観光船として操業されている。)

 

展示されている舟や漁具の数々を、駆け足で見て回る。 

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窓越しに撮影。 向こうからマキ船 (その中にベカ舟)、打瀬舟、小網船。

船大工道具なども展示されている。

 

「仮屋」 と称する木造船の製造場も。 

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ここでベカ舟製造の実演が見れる。

ベカ舟とは、一人乗りの海苔採り用の船で、東京湾では一番小さな船だったらしい。

遠浅の海で漁を営んだ浦安を代表する漁船として親しまれたのだろう。

山本周五郎の 「青べか物語」 も読んでみたくなった。

 

これらの木造船の本体には、房総の山武地方で古くから育てられてきた山武杉の、

赤身 (芯の部分。赤くて油分が多く、腐りにくい) が使われたのだそうだ。

金萬さんのねらいが、いよいよ見えてくる。

 

当時の浦安の風景が再現されている。

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館内には干潟のジオラマなどもあって、

今度は時間をとって、じっくりと見に来ようと思う。

 

途中、浦安市内を流れる境川沿いを歩く。

朽ちてゆく打瀬舟が佇んでいたりする。

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まだ使える状態の舟がつながれてあった。

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金萬さん-「形も美しいだろ。 オレ、こいつを狙ってんだよね。」

これは子安型なのだという。

 

金萬さんたち 「東京湾に打瀬舟を復活させる協議会」(略称:打瀬舟の会) は、

打瀬舟復活の意義を、次のように考えている。

〇 かつて東京湾に広範に存在していたアマモ場などの生物生息地の再生と、

   自然と人々とのかかわりの復活を象徴するものとして、打瀬舟を復活させる。

〇 日本の伝統である木造船技術を持つ舟大工の技術を継承する。 

   それは単なる復元ではなく、最先端の技術 (知恵) を取り入れながら発展させる

      ためにも必要なことである。

〇 木造の舟をつくるには、手入れされた森が必要である。

   打瀬舟の建造を通じて、東京湾とその流域のつながりを取り戻したい。

〇 自然エネルギーを利用した漁法の見直しと、漁業資源との共生を考える素材とする。

〇 子供たちへの打瀬漁体験などを通じて、森林と海のつながりや藻場干潟の大切さを

   学んでもらい、藻場の再生から豊穣の東京湾再生へとつながることを期待したい。

 

森は海に栄養を届け、その木材は魚貝類を取るために用いられ、

漁獲は海に流れた栄養を陸に返す。 

そんな循環を取り戻すための、打瀬舟の復活、ということか。

 

東京湾で生きてきた漁師の胸には、打瀬舟に対する深い郷愁もあるのだろう。

あの頃はみんな活きていた、みたいな。

その心に、" 東京湾 "  と聞くと血を騒がせてしまう人たちが共鳴しているわけだ。

遠忠食品・宮島一晃さんもその一人として、協議会の監事に名を連ねている。

みんな、熱いね・・・・・とか思いながら、

ウトウトとバスに揺られながら、山武杉の森へと移動する。

雨模様だった天気も回復してきた。 森も見られそうだ。

 

そして - 

山武杉の森で、僕は思わぬ人の名前を聞くことになったのだった。

                              (すみません。 明日に続く、で。)

 



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