「有機農業」あれこれ: 2009年12月アーカイブ

2009年12月25日

有機農業と生物多様性

 

有機農業の意義 について話をしてほしい。 

しかも生物多様性の視点を絡めての論点整理を。

 

こんな依頼が1ヶ月ほど前にあって、例によって安請け合いしてしまう。

依頼を頂戴したのは、第二東京弁護士会から。

ちょっと敷居が高いような・・・という気もしないではなかったが。

 

きっかけは10月19日の 「地球大学」 だった。

参加者の中に弁護士さんがいて、「弁護士会でも話をお願いできないか」

なんて言われて、イイ気になってしまった。

 

第二東京弁護士会には 『環境保全委員会・食と環境部会』 という部会があって、

食の安全や環境問題などで政策提言をまとめたり意見書を出すなどの

活動を行なっている。

その部会でいま有機農業について勉強会を始めたところ、

生物多様性の観点も必要だ、ということになったらしい。

弁護士さんも有機農業について勉強をしてくれているんだ。 嬉しいね。

「私なんぞでよければ、喜んで」 という気にもなろうというものだ。

 

そんなわけで、午後、霞ヶ関の弁護士会館までいそいそと出かけたのよ。

クリスマスなんて言葉に何の期待も感慨も抱かなくなった自分を発見しながら。

 


集まってくれた弁護士さんは10人ほど。

多いのか少ないのかは考えないこととして、

「地球大学」 で使ったパワーポイントを再編集して、

「有機農業の意義」 について、生物多様性の視点を絡めながら喋らせていただいた。

 

僕は有機農業の生産者ではないし、専門の研究者でもない。

一介の流通者でしかないので、「有機農業とは-」 といった理論の面では、

すでに何回かの勉強会を重ねてきた弁護士さんたちには、

当たり前の話しかできなかったかもしれない。

それでも、生産と消費をつなぐという 「現実」 と日々格闘している者として、

有機農業の今日的な意義と課題については、

誰よりも  " 生のもの "  として捉えているつもりである。

 

近代農業に対するアンチ・テーゼとしての有機農業から、

もっとも持続性・安定性のある農業としての役割が求められてきていること。

そして 「有機農業推進(法)」 の時代を迎え、その向こうには、

国民の健康と環境政策・国土保全政策から地域経済、エネルギー、教育など、

すべての政策とリンクした、持続可能な社会のための 「基盤としての有機農業」

の確立が待たれていること。

生物多様性は、そこでの重要なキーワードのひとつであり、

有機農業はまさに、生存の基盤を育む生産技術と思想として進化しつつあること。

 

政策提言の観点でも、いくつかの考える素材を提供させていただいたつもりであるが、

さて、自分の言葉にどれだけの力があったのかは、分からない。

反省だけは怠らないようにしたい。

 

帰りの道々、思い返しながら気になったのは、

弁護士さんたちはどうやら、有機農業に対する批判や懐疑論を検証したいと

思われていたフシがあって、そのことに時間がさけなかっただけでなく、

僕の説明にも不充分な点があったことだ。

いずれちゃんと整理して、お返ししなければならない。

 

やっぱ講演というのは、自身の底力が反映するものである。

何度やっても、怖い。

 



2009年12月17日

育成・・・はマニュアルではないけれど。

 

ただ働かせてばかりで、全然教えてくれない。

 Vs.せっかくチャンスを与えているのに、聞いてこない。 勉強もしてない。

 

ここには受け皿が整ってない。

 Vs.無理してでも用意してやろうかと思ってたけど、これじゃ面倒見れない。

 

・・・え?、ウチの話かって? ・・・おタクもそうなの?

 

どこの職場にもありがちで、身につまされるような会話がなされている。

働かせてるって、教えてるってことなんだけどねぇ・・・。

 

何の話かって?

有機農業推進のために設置されたモデルタウンから聞こえてくる話である。

新規就農希望者のための門戸(支援策) を開いたまではいいが、

育てる側と育てられる側に、どうもやはり、温度差がある。

「条件整備ができてない。」

 Vs.「条件が整っている産地なんてあるわけないだろ。 自分で切り開くんだよ。

    その手助けはするって言ってんだよ!」

 

門戸は門戸、である。 それが開かれただけでも画期的だと思う。

双方のストレスは、現段階での登竜門的課題を表しているとも言えるし、

実はあらゆる世界で連綿と続いてきた、後進育成の宿命のような気もしたりする。

成長すればいいのだ。

-なんて思っていたら、例の 「事業仕分け」 で有機農業推進事業は 「廃止」!だと。

これでさらに混乱が増している。

 

そんなめんどくさい情勢下ということもあって、

このところ名ばかりの幹事になってしまっていた千葉・山武有機農業推進協議会の会議に

久しぶりに顔を出すことにした。

仕事を途中で切り上げ、山武での夜の会議に遅れて参加する。

 


こちらも、こと研修生に関しては似たような状況である。

親の心子知らず・・・みたいな。

相手が 「やる気を持って来てくれた」 はずの人、という思いが強いほど、愚痴も強くなる。

これを解決するには、最初の面接段階での  " 合意 "  というプロセスをつくることが必要では、

と提案する。 オリエンテーションが大事なんじゃないだろうか。

受け入れ側の現実と、入る側のど素人さゆえの妄想とのマッチングは難しい。

厳しさと優しさの使い分けなんかも、そんなに賢くできるわけないし。

 

また、カリキュラムを作れば人は育つ、というもんでもない。

農業は特に。

教習所の優しい教官みたいな生産者は少なく、だいたいがトラック野郎みたいな連中だ。

自然相手の仕事はマニュアルだけでできる世界ではない。

ただ、自己満足の事業ではないのだから、

自分たちはここまでは教えてやる (あとはお前がつかめ)、

という育成のプログラムは分かるようにしておく必要があるだろう。

 

こんな議論をしながら、たとえ今年失敗しても、来年また失敗しても、

出会いはたくさんあったほうがいい、と僕はまだ秘かに楽観的である。

補助金がなくなったって、元々なかったんだから、くらいの気持ちだし。

 

有機農業は推進する、という気概は衰えない、ということだけは示していこうよ。

人はゼッタイについてくる。

 

ま、そんな感じで、少なくとも山武は

右往左往しながらも、真面目に話しあってます。

 



2009年12月 4日

「有機農業をはじめよう」 就農ガイド

 

昨日は人間ドックのため休みを頂戴していたのだが、

「検査の前で酒休んだんなら、今日は飲みたいっしょ」

「オレがさ、わざわざ青森から来てやったっていうのに、逃げるわけ」 と、

青森・新農業研究会会長の一戸寿昭さんが脅しをかけてくる。

もちろん仕事があっての来訪で、ちゃんと担当が対応してくれているのだが、

ま、しょうがないので、夕方出社する。

「まだバリウムが残ってるよ~」

「じゃ、水分補給でしょ。」

それって、ここでいう 「水分」 じゃないと思うんですけど・・・

 

こんな感じで、いよいよ今年も師走、" 飲み "  のシーズンに突入である。

(いつも飲んでるけど、師走は別・・・・・ガンバロー!)

忘年会から新年会へ- 頼むから今年も持ってね、この体。

というワケで、だいたいこの時期に人間ドックを入れる。

検査の結果は数週間先になるが、今回の自慢は、骨密度かな。

「年齢平均の125%です。 上がってますねぇ」 と看護士さんから褒められた。

「ま、当然ですね」 に、ハア? とバカにした表情。 笑ってほしかったのに。

そんなことより問題は、肝機能だよ、君。

 

一戸さん来会で、若い職員も何人か集まって、一席。

話題はもっぱら景気の悪さ。

農家への戸別所得補償など政治の話については、生産者もまだ様子見の状態。

あんまりここで披露できる話はなくて、スミマセン。

 「あるのはカラ元気と意地だけよ」 と、励まし合ったのだった。

結局、休みだっちゅうのに事務所に泊まってしまったアタシ。

嫌な予感のする、師走への入りだなぁ・・・・・

 

ま、そんな話はともかく、今日は午後から東京に出かけたので、その話を。

有機農業で就農を考える人たち向けのガイドブックをつくるという話があって、

その編集会議に呼ばれたのだ。

 


ガイドブックを制作することになったのは、NPO法人 有機農業技術会議

" 農を変えたい!全国運動 " から生まれ、

有機農業技術の研究開発・体系化と、農業者の育成を目指して設立された団体。

有機農業推進法による助成を受け、有機農業への参入支援にも取り組んでいる。

その一環として、有機農業を志す人々を手助けするガイドブックを作ろう、

ということになった。 

集まった編集委員は、「有機農業技術会議」 から元京大教授の西村和雄さん、

茨城県・石岡市(旧八郷町) で有機農業推進モデルタウンの代表をされている柴山進さん、

埼玉県小川町で有機農業を営みながら多数の研修生を育ててきた田下隆一さん、

愛知県で有機農産物の生産から流通まで手がける池野雅道さん、

出版社・コモンズ代表でジャーナリストの肩書きも持つ大江正章さん、

そして私の6人。

この編集会議にお声かけ頂いたのは、技術会議の事務局で

(財)自然農法国際研究開発センターの藤田正雄さんからであった。

 

要は、「有機農業をやりたいけど、どう動いていいのか分からない」 という若者たちを

ガイドする冊子をまとめるということなのだが、そういうのって、もうあるんじゃないの?

と思った方は、有機農業に馴染んでおられる方々か。

メディアでも取り上げられることも多くなった有機農業だが、

扉はいっぱいあるようで、どこから入ればいいのか、伝手(つて) のない方にとっては

あればあるだけ不安も涌いたりするものである。

就農相談の窓口も今では全国の自治体にあるが、有機農業をサポートできるかと言うと、

だいぶ温度差がある。 あるようでない、ないようである、という感じなのだ。

戸惑っている人も多いと聞く。  

せっかく有機農業をやる気になった人たちが失敗しないよう、

入口としての適切な手引書を作っておきたいという気持ちは分からなくもない。

 

事業仕分けの影響は大丈夫ですか? と意地の悪い質問を投げてみる。

「国がどう変わろうと、有機農業推進は推進、モデルタウンはモデルタウンである、

 という考えもあります。」

なるほど、力強い。 

 

一気に構成を組み、執筆者や取材先を決め、取りかかることになった。

欲を出せば、あれもこれもとなるが、計画はA5版32ページという小冊子なので、

ポイントを絞り、どこまで削るかのほうが議論になる。 これがけっこう難しい。

 

就農者で成功した実例も掲載しておきたい、という話にもなって、

ここで大地を守る会の元職員の名前が複数上がった。

嬉しいものだね、こういうの、ほんとに。

その中で1名、北海道という厳しい土地に就農した事例として執筆依頼が決定した。 

富良野に行った君。 そう、君のことです。 あとで連絡するから、書くように。

嫁さんに書いてもらってもいい (たぶんそうなるだろうが)。 

これは先輩としての使命、ミッションだからね。

" ワシは、こんなとこ、来とうはなかった! "

  - は、無しでお願いしますよ。 多分ここではウケないと思うので。

 

しかしここで、いちおう念のために。

流通の仕事を経て就農、というのをモデル・コースのように思われては困ります。

「ウチは腰掛け先ではありません!」

結果として、夢を持って巣立つのは、許すが・・・・・

 

僕が引き受けた原稿は、有機JASの解説。 なんだかね。

 



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