放射能対策: 2012年9月アーカイブ

2012年9月27日

国境を越える情熱を

 

昨年11月、ベトナムで農村の自立支援活動を行なっているNPO団体

Seed to Table」(代表:伊能まゆさん) に招かれ、

ベトナム北部の農村を訪ねたことは昨年 3回(2011.11.12 ~15) にわたって報告したが、

その伊能まゆさんが、内閣府国家戦略室が主催する

世界で活躍し 『日本』 を発信する日本人プロジェクト

に選出されたとの一報が入った。

海外で、様々な分野で活躍するアーティストや研究者、技術者、料理人、

アスリート、地域開発に取り組むNPOの代表など、

" 「国境を越えた情熱」 をもって頑張る日本人 "  63人の一人として選ばれたのである。

なかには、なでしこの沢穂希さんやプロゴルファーの石川遼くんの名前などがある。

 

伊能さん、おめでとうございます。

これは現地の人たちに評価されなかったら得られない栄誉でしょう。

まさに孤軍奮闘で頑張ってきた汗が、みんなに伝わっていたということです。

「これからNPOを立ち上げる」 と言って、

幕張の事務所を訪ねてこられて3年、いや4年か?

ベトナムへの思いを熱く語っておられたのを思い出します。

ほんのちょっとしかお手伝いできてないけど、こちらまで誇らしい気分になります。

これからもっと大変になるような気もしますが (ますます足抜けできないか)、

体に気をつけて、できれば楽しく、現地の人たちを励ましながら、頑張ってください。

発表されていたのに気づかず、失礼しました。

 

僕も感慨に耽っている場合ではない。

昨日は、ジャパン・タイムズという英字新聞の取材を受けた。

 


昨年も大地を守る会を取材された方だが、

その後の放射能対策の推移と消費動向などについて聞きに来られた。

そこでこれまでの様々な取り組みを説明したのだけど、

最後に、今までにない視点からの質問を受けた。

日本で暮らす外国人の間では、

未だに福島県産の農産物は拒否されているというのだ。

もうほとんどの農産物から放射性物質は検出されなくなっているというデータを示しても、

「信じられない」 という反応が返ってくるのだとか。

そもそも彼らは日本の政府を信用してない、と。

「どうしたらいいと思われますか?」

 

この問いには一瞬戸惑ったが、結局のところ、

日本の姿そのものが信用されてないということなのではないか、と答えざるを得なかった。

外国人とどうコミュニケーションするかの前に、

僕ら(日本人) 自身が、一体感を持って復興に向かう形をつくれていない。

政治は絶望的なくらいに健全じゃないし。。。

 

僕らとしては、「食の安全」 確保のために、

生産者とともにできる限りの手を打って前に進むしかない。

そう思ってやってきた一年だった。

国に文句言うだけでなく、やるべきことを見せてやるくらいの気持ちで。

この流れを支援してくれる消費者を増やしてこそ、確信を持って語ることができる。

「信頼される社会」 をそれぞれの立場から提案し、

嘘や詭弁や骨抜きや先送りなどの政治的打算ではない議論をたたかい、

築き直してゆくことが、

この国に留まってくれた人々の信頼を取り戻す作業にもなるのではないだろうか。

 

思いを受け止めてくれたのか、今日記者さんから

「福島で頑張っている生産者の声を聞きたい」 との連絡をいただいた。

それも電話取材ではなく、現地に行ってくれるという。

福島は今は収穫の真っ最中だ。

迷惑なことだろうとジェイラップの伊藤俊彦さんに電話すれば、

「エビちゃんが受けろと言うなら対応しないわけにいかないしょ」 と笑ってくれる。

 

東北各地で様々にたたかっている人がいて、

彼らこそがこの国を再建する希望でもあることを、伝えてもらえたら嬉しい。

 

国際社会で評価される日本人たちは、いま僕らをどんなまなざしで見ているのだろう。

日本に住む外国人からも信頼され、賛辞が発信される国にしたい。

外交とは吠えることではない。

日々の営みから、境界線を超えてゆきたい。

 



2012年9月18日

肥田舜太郎の " 生きる力 " -連続講座・第5回(Ⅱ)

 

『大地を守る会の放射能連続講座』 第5回。

肥田舜太郎医師との質疑応答の録音を改めて聴いて、

ヒロシマを医者として経験したことから生まれた強い使命感が、

この方を生きさせたのだと、強く感じた。

ピックアップして記しておきたい。

僕の解釈で要約したりしているので、ポイントがずれている可能性もある。

文責は、あくまでも戎谷であることをお断りしてきたい。

 

コーディネーターは吉度日央里(よしど・ひおり) さん。

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【質問】

子どもに被ばくの影響が出ないか心配している。

今の段階で子どもに出るとしたら、どんな症状があるのか。

【肥田】

広島・長崎では、原爆の力があまりに強大だったために、多くは死んだ。

遠くにいた人や後から爆心地に入った人の間で内部被ばくの影響は出たが、

大人への対応が精一杯で、子どもを対象にした組織的な調査ができなかった。

しかも子どもの健康への影響は放射線だけでなく、その後の生活状態も関係する。

したがって小児科の医学的知見として明解な答えはない。

 

福島でも医療相談などにあたってきた経験も含めて言えることは、

直後から1ヶ月の間でよく見られた症状は、下痢・鼻血・口内炎。

これらは今はだいたい治まってきていると思う。

これらは (放射線影響による) 急性症状のごく軽い症状として出るものではあるが、

これが子どもに定型的に現われるという知見はまとまってないし、

特に子どもの場合は、他の要因も考えられるので、

その子のその症状が放射線の影響であると断定することは難しい。

 

放射線による影響は千差万別で、〇〇病とか決まって出るものではない。

学童期に成績が悪くなる、というデータもアメリカにはあって、

頭脳の発育に何らかの悪影響があることも考えられる。

 

心配だと思う方は、どんな軽い症状でも医者に相談し、医者の目を通して記録すること。

専門の小児科医に診てもらい、日常の変化を記録していくことが、

子どもの健康を守る上で大切なことであり、将来につながる。

 


【質問】

血小板数値が下がって血が止まりにくくなったという人がいるが、放射線の影響か。

【肥田】

その現象は (広島でも) たくさんの大人に発生した。

放射線影響の特徴の一つだが、

医者としてそれがすべて 「放射線の影響だ」 と断定することはできない。

 

【質問】

(放射線に対する) 感受性が高いとか低いとか、免疫力が強いとか弱いとか言われるが、

どう考えればいいのか。

【肥田】

同じ条件下でも、ある人は長生きし、ある人はすぐに死んでしまう、

という例をたくさん見てきた。

放射線による被害というのは、そこにいた人の健康状態と、放射線の質と量の兼ね合いで、

一人一人違ってくる。

 

【質問】

先生ご自身が被ばくしながらも、とても健康で元気でおられる。 その秘訣は?

食事はどんなものを?

【肥田】

親が丈夫な体に産んでくれた、ということがあるかもしれない。 長命の家系だったし。

被ばく影響でいうと、何回か死にそうになったが、

いい助言をしてくれた人(医者?奥様?・・・不明) がそばにいたことも幸いした。

しかし何より、僕の仕事は 「被ばく者を長生きさせることだ」 と思ってやってきた。

それができれば勝利だと、自分に強く言いきかせて生きてきた。

自分は誰かのために生きなければならない、

ニッポンの医者として世界から笑われないようにしなければならない、

という使命感で生きてきた。

それが今の結果につながったのではないかと思う。

 

食事はほとんど和食。 肉はたまに食べる。 魚では、サンマやイワシは大好き。

平凡な家庭料理です。

 

【質問】

米では放射性物質はヌカ部分に溜まると聞いた。 ぬか床は作らない方がいいか?

【肥田】

私は気にしないで食べている。 ぬか漬けは大好き。

醗酵するものは特によい。

ジイさんしか食べなくなったようなものは、だいたい体にイイものです。

(戎谷の感想・・・玄米でも検出されてない米を選べばよいのでは。)

 

【質問】

日本食ではないが、醗酵食品であるヨーグルトなどは?

【肥田】

よいと思う。 チェルノブイリでも薦められたものである。

 

【質問】

水やミネラルウォーターは大丈夫か?

【肥田】

今は問題ないと思っている。 むしろ(放射線よりも) 化学的な処理のほうが問題だ。

 

【質問】

親族に、背中の皮膚がエクボのようにへこんだ人がいるが、放射線の影響か?

【肥田】

見てないので分からない。

皮膚にもいろんな症状が出るが、ひどくなるものは少ない。

皮膚病は、放射線の影響であろうが別な原因であろうが、甘く見ると慢性になる。

皮膚の病気は本人の暮らし方が大きく影響する。

途中で治療をやめる人が多いが、バカにしないできちっと治すこと。

長引かせると、一生もんになる。

 

【質問】

3歳半の息子。 よく外で遊んでいたが、咳き込むようになり、一時北海道に移った。

そこで回復したので戻ってきたら、また咳き込み始めた。どうすればいいか。

【肥田】

うまい方法はない。

離れてみるのはひとつの方法だが、「ねばならない」 とは思わない。

経済的な負担もあるし、それによって生活が不便することも、よくない。

(戎谷の感想・・・最初の質問に対する答えに尽きるような気がします。)

 

【質問】

職場で色々と苦しんでいるが、先生はどうやって自分の気持ちを支えてこられたのか。

【肥田】

放射線とたたかう、という一心で生きてきた。

よく、自然放射線と比較して 「同じ」 という人がいるが、

自然放射線と人工放射線はけっして同じではない。 惑わされないこと。

 

【質問】

「核」 は何のためにあるのでしょうか?

【肥田】

「核」 を持って何らいいことはない。

「核の抑止力」 という論があるが、大きな間違い。

こちらも持てば相手も持つ。 両方が研究すればするほど、新しいものがつくられ、

核が増えていく。

それによってウランの採掘から始まり、あらゆる行程で被ばくが生まれる。

" 持っている "  ことで人を殺しているのが、「核」 である。

全部、止めましょう。

 

肥田さんの主張や論は、科学的視点からは、ときに乱暴に聞こえるものがある。

危険性を煽っていると批判する科学者もいることだろう。

しかし、「どこに逃げたって同じ」 と言われながら、

僕らは肥田さんの言葉から  " 勇気 "  をもらうのである。

安心させようとして 「大丈夫」 と言われて不安になるのとは逆に。

リスク・コミュニケーションとは、テクニックではないのだ。

 

肥田さんは、「大丈夫、大丈夫」 と言って批判されたある医師を、

政治的な立場や判断によるものだと指弾された。

その背景には巨大な権力構造があり、奥で控えているのはアメリカであるとも言った。

発言の腹の底には、戦後の調査によるデータや資料が日本側には秘され、

患者を救うために使われることなく、つまり見殺しにされたまま、

自国の核兵器開発のために利用されていったことへの

絶対的反発があるように思えた。

政治的判断で語る医者への嫌悪も、その文脈で理解したい。

 

「僕は殺されても被ばく者の立場に立って追求していきたい」

という執念とも言える使命感が、肥田舜太郎の全身を貫いている。

それだけたくさんの命を背負って、生きてきたのだ。

僕らが肥田さんから勇気を与えられるのは、そこに倫理の筋が通っているからだと思う。

多少乱暴な言質はむしろ、我々を冷静な判断へと指向させてくれる。

 

講演終了後も、海外メディアからの取材を受け、

また 「どうしてもお聞きしたいことが・・」 といって残られた方からの質問に答え、

握手だけでもという要望にも笑顔で応える肥田舜太郎、95歳。

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生きる力をもらった、という感想をいただいたことに、

今回の目的が何であったのかを、我ながら気づかされたのだった。

 

最後に、無事自宅まで送り届けたことを報告しておきたい。

 ↓ 証拠写真。 

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左は、送迎の助っ人を引き受けてくれた業務部長・奥田健司。

 

連続講座の流れ的には、違和感を持たれた方も多かったけど、

これは必要な一歩だった。 

僕としては、よかったでしょ、と言いたい気持ち。

 

なお、農林水産省に勤める中田哲也さんが参加されていて、

ご自身が運営されているブログ・サイト (フード・マイレージ資料室)

でもレポートしてくれたので、紹介しておきたい

 ⇒ http://foodmileage1.blog.fc2.com/blog-entry-116.html

こういうつながりは大事にしたいと思う。

有り難うございました。

 

次回は10月6日(土)、最終回。

テーマはまさに 「低線量内部被ばくを考える」。

このリスクを厳しく見ながらも、放射線治療の最前線でたたかう

北海道がんセンター院長の西尾正道氏をお迎えします。

場所は、水道橋・YMCAアジア青少年センター 。

9階の国際ホールを予約していたところ、定員を大幅に超える申し込みが来て、

急きょ、もうひと回り大きい地下の 「Yホール」 に借り換えた次第です。

そのホールが空いていたこと自体が超ラッキー! で、

この講座には運があるのかも・・・

 

最終回で、予算も尽きたので、コーディネーターはお招きせず、

戎谷が最後まで進行させていただきます。

どうかご了承ください。

 

《 9月21日・追記 》

肥田舜太郎さんのスタッフの方から、

大地を守る会HPでの動画アップの許可をいただきました。 感謝します。

中継を見れなかった、もう一度聞いてみたい、友達にも聞かせたい、などなど、

ご要望に応えてアップです。

こちらをどうぞ ⇒ http://www.daichi-m.co.jp/cp/renzokukouza/

 



2012年9月16日

自分を大切に生きよ!-連続講座・第5回

 

『大地を守る会の 放射能連続講座』 をやるからには、この人を入れたい。

この人が入ることで一本の骨が通る、と思っていた。

この人の体験、人生、そして願いを、腹の底に記憶させて、

" 3.11後 "  を生きるんだ。

それによって歴史ともつながることができる。

 

昨日開催した 「連続講座」 第5回の講師は、

肥田舜太郎医師、御年95歳。

肥田さんを支えるスタッフと相談しつつ、ここは自分で行こうと決めて、

埼玉県にある自宅まで車でお迎えに上がり、

会場である日比谷図書文化館までお連れした。

こんなに慎重に首都高速を走ったのは初めてだ。 安全運転はけっこう疲れる。

 

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歴史の証言者、肥田舜太郎。

20代に軍医として広島陸軍病院に赴任。

8月6日は、爆心地から6キロ北にある村の農家の子供の診療に出たお陰で、

原爆の直撃を免れた。

しかしすぐにかけ戻って、自らも被ばくしながら、

ワケの分からない症状の患者さんたちを治療しては、看取り続けた。

その体験を、肥田さんは生々しく伝えるのだった。

時に哀しいジョークも交えながら。

 

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治療を続けるうちに肥田さんは、

ピカ (原爆) に遭っていないのに、被ばくした人と同じ症状が出て死んでいったり、

とにかく体がだるくて仕事ができないとか、

不思議な症状を訴える人々と相対することになる。

彼は後者の症状を 「原爆ぶらぶら病」 と名づけた。

それらの原因を突き止めるのに30年。

「内部被ばく」 と「晩発性障害」 という厄介な世界にたどり着いたのだった。

昨年は、5年越しの作業のすえ、

 『人間と環境への低レベル放射能の脅威』(あけび書房刊) という

低線量内部被ばくをテーマにした画期的な翻訳本も出版された。

 

肥田さんの経験譚は、とても再現できない。

腹に受け止めて、前に進むしかない。

 

フクシマ後をどう受け止めればいいのか、肥田さんは言う。

 - どこへ逃げたって同じ。 厳密に言えば、日本にはもう安全な場所はない。

    何を食べても同じ。 みんな被ばくしているんです。

 

僕としては、それはちょっと暴論では、、、とは思う。

被ばくはしていても、同じではない。

事実を知り、対策を学び、冷静に選択し、たたかうことで、

その後の生き方も結果も違ってくると思っている。

ここでの肥田さんの本意は、うろたえるな! ということか。

 

『 肥田舜太郎医師による、3.11 以降を生きるための7箇条 』

というのがある。

1.内部被ばくは避けられないと腹を決める

2.生まれ持った免疫力を保つ努力をする

3.いちばん大事なのは早寝早起き

4.毎日 3 回、規則正しく食事をする

5.腸から栄養が吸収されるよう、よく噛んで食べる

6.身体に悪いと言われている事はやらない

7.あなたの命は世界でたったひとつの大事な命

  自分を大切にして生きる

   (『311以降を生きるためのハンドブック』/発行:アップリンク より)

 

今の僕にはなかなか厳しい7箇条である。

社長の命令を 「身体に悪いですから」 と断ってみたい誘惑にはかられるけど・・・

せめて、肥田先生のような胆力を身につけたいと思う。

 

肥田さんの結論。

自分こそが自分の命の主人公。

親からもらった免疫の力を守り、健康に生きるよう、必死に努力すること。

人間は放射線を安全に操作することはできない。

原発も核兵器もなくして、「安全な地球」 を孫たちに残すこと、

そのために頑張り抜きましょう。

 

終了後のアンケートに、「椅子を用意すべきだ」 という意見があった。

たしかに90分立ちっ放しはきつかったかもしれない。

でも実は、肥田さんにきっぱりと断られたことを、釈明しておきたい。

 

さすがに質疑応答の時間は、座っていただけた。

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左はコーディネーターをお願いした

オーガニック・ジャーナリストの吉度日央里(よしど・ひおり) さん。 

たくさんの質問がペーパーで寄せられたが、

落ち着いててきぱきとさばいて頂いた。 

 

質疑の再現は、改めて録音を聞いてから、間違いのないようにお伝えしたい。

スミマセン、今日はここまで。

 

<お詫び>

なお、講演は USTREAM で中継しましたが、

ネットでのアーカイブ公開はスタッフの方から 「お断りしている」 とのことで、

アップできません。

悪しからず、ご了承ください。

 



2012年9月 8日

しつこく、食の安全基準とは-

 

今週もいろいろあって、2本はアップするつもりだったのだが、書けず。

しょうがないのでまとめて報告としたい。

 

9月4日(火)、PARC (パルク/アジア太平洋資料センター) が主催する

「自由学校」 に呼ばれる。

「どうする日本の食と農」 という講座の第6回、

「消費者と生産者をつなぐ現場の模索と苦闘」 というタイトルをつけてもらって、

3.11以降の放射能対策の取り組みから、食品の基準の問題、

これからの方向について考えていることなど、お話しさせていただいた。

 

この講座。 僕の前に福島の生産者が二人、講師を務めている。

一人は浅見彰宏さん(喜多方市山都町 「あいづ耕人会たべらんしょ」) 。

もう一人は、二本松市 「ゆうきの里東和」 の菅野正寿さん

彼らのあとというのは少々やりにくい。

講座のレベルを下げてなければよろしいのですが・・・

 

その夜は受講者や出版社・コモンズの大江さんたちと一杯。

懐かしい方にもお一人再会して (昔、配達していた自然食レストランの方) 、

楽しい時間を過ごさせていただく。

 

翌5日(水) は、

自分で印刷・帳合いした資料を300部担いで、朝から千葉に出向き、

「千葉県の食べもの・飲みもの、給食の安全性 放射能は大丈夫?」

という長いタイトルのシンポジウムにパネリストとして参加する。

コーディネーターは、オーガニック・ジャーナリストの吉度日央里さんと

歌手の加藤登紀子さん。

パネリストには 「さんぶ野菜ネットワーク」代表の富谷亜喜博さんのお顔もあった。

 

このふたつの機会で、僕が強調させていただいたことは、

食品の安全基準 (規制値) とは何のためにあるのか、

という点において日本の行政は根本的な過ちを犯しているのではないか、

ということ。

 


前にも書いたことだけど、

食品の基準とは、「食べる人を守る」 ためにある。

これは揺るぎない大原則である。

しかしこの国のやり方は、ともすると産業を守るために機能させようとしていないか。

農産物で言えば、生産者・メーカーの経営を守ろうとして

「これ以上厳しくすると生産者がやっていけない」 と言わんばかりに

最初の基準が設定された感がある。

このような目線だったとしたら、そこから公正な行政は生まれない。

 

消費者は 「食べる」 という命がけの行動をもって、

選択した生産物と生産方法、ひいてはその生産者を支援することになるわけだが、

汚染を負担する(身体で引き受ける) ことはできるものではない。

しっかりと 「食べる人 (特に感受性の強い子ども) を守る」 ための基準を設定して、

基準への信頼を確保し、生産者もそれを指標として生産に取り組むことで、

生産と消費の信頼関係は担保されることになる。

「基準を超えるものは流通させない。 生産者にはきっちりと補償して対策を支援する」

と宣言し、指導を徹底する必要があったのだが、

どうも見ている方向が違っていたとしか思えない。

その後は、ボタンのかけ違いのように進み、国民は国の基準を信用しなくなった。

「これくらい食べても大丈夫」 と識者が語る一方で、

「基準は厳しくしてもらわないと、俺たちまで信用されなくなる。

 かえって風評被害を生むことになるんじゃないか」 と

危機感を募らせた生産者が多くいたことを、中央の人たちは誰も気づかなかった。

 

国の基準は 「最低限の安全保障」 として、一定の信頼が確保されなければならない。

公的基準が信用されない社会は不幸としか言いようがなくなる。

また、その基準をより高めていくために民間の努力が存在するワケだけど、

この国の行政は、どうもそういう民間を排除しようとする。

 

食べる人を守るために基準を設定し、厳しく運用する。

そのために生産者を支援する - というのが本来の理屈でなければならない。

したがって、基準が守られていることを保証するための体制は、

流通段階での測定よりも、(モノの流れの)上流でのモニタリング体制が重要となる。

生産地でしっかりモニタリングして、不安のあるものは出荷しない、

というモラルを持って取り組まれることが、生産への信頼を向上させる。

それをサポートするのが行政の役割である。

その意味において、2台の測定器を生産地に無償で貸し出していることを、

僕はけっこう誇りに思っているのである。

 

振り返れば農政は、だいたい 「農林水産業」界のために動いてきた。

結果はほとんど失敗の連続だったように思われるが、

問題の根源は、政策の大元が

「国民の健康を守るために、農林水産業をどう健全に保つか」

という道筋になってないからじゃないかと思う。

自分たちの健康を維持するための施策なら、消費者は 「支払う」 用意がある。

アルバート・ハワード卿(英国) の60年以上も前の言葉、

「国民が健康であること、これは平凡な業績ではない」 (『ハワードの有機農業』)

は、今もって未達の教訓である。

 

「基準」 によって生産と消費が対立してしまった不幸を、まずは修復する。

次に、測定によって 「基準が守られている」 ことを担保する。

そして生産者の取る対策をサポートする。 ゼッタイに切り捨てない。

その上で、汚染と不安の元凶を取り除くために、

" ともに "  支えあい、たたかう連帯感を産み出したい。

 

千葉でのシンポジウムでは7人のパネリストがいて、

トップバッターで指名されて、つい早口で喋ってしまった。 

少しでも真意が伝わったなら嬉しいのだが。。。

 

シンポジウムのあとは、関係者と連れ立って、

近くの自然食レストランで昼食を共にする。

ここでお登紀ぶし炸裂。

「私たちはみんな、食といのちのもとである  " 農 "  とつながらなきゃいけないの。

 " 農 "  とつながって、生きることの意味を見つめ直すなかで、

 本モノの社会を変える力が培われてゆくのよ。 革命を起こしましょう!」

ちょっと記憶が怪しいが、そんな感じで、みんなの感動が伝わってくる。

「登紀子さ~ん、千葉県知事になってください!」

という声が飛び出して、さすがの加藤登紀子も面食らう。

「いや、あの・・・そういう人生設計は立ててないので・・・」

と笑って取り繕うしかない。

 

さて、5日はその足で中野まで移動。

駅でジェイラップの伊藤俊彦さんと落ち合い、

環境エネルギー政策研究所(ISEP) にて、

稲田での自然エネルギー構想についての作戦会議。

脱原発社会への次なるステージを用意する、そのための準備を急ごう。

 

6日(木) は、今度はこちらの放射能連続講座の打ち合わせで、

吉度さんとミーティングを実施。

7日(金) は、この間の土や水の測定結果を持って茨城に。

今のところ不安なデータは示されてないが、油断せず、

継続して水系などの調査を進めることを確認した。

 

" 生産と消費のつながりを取り戻す " なんて簡単に言ってるけど、

これは容易なことではないし、しかも一つの施策で片づかない。

いろんな課題がつながっていて、

僕らは否応なく大きな社会システムを作り直す作業に向かっている。

やっぱこれは  " 革命 "  という言葉こそ相応しい。

 



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