放射能対策: 2013年1月アーカイブ

2013年1月28日

「食べる」 という哲学

 

「逃げられない食生活というものがある」

と明峰(あけみね)哲夫さんは言い放った。 

これは、生きるためにどう食を選ぶのか、という問いである。

被ばくの覚悟を息子にまで強いている狂った親父のようだが、

選んだ私の生き方 (食の選択) をもって子を育てる、

という責任の取り方を表明しているのだとも言える。

それくらい 「食」 は生き方につながっている、と主張しているのだ。

 

これだけ食と農にこだわった親父は、そういない。

日本で有機農業運動が生まれた黎明期の1970年代から、

「たまごの会」 の活動などを通して  " 有機農業とは何か "  を追求してきた

哲人の生き様を、冷静に読み取りたいと思う。

原理主義者の主張は少数派であるがゆえに美しい、とも思いながら。

 ≪ 僕の勝手な歴史年表(記憶) では、「たまごの会」 とは、

   インテリと農民が出会い、一瞬の光彩を放って分裂した、

   まさに運動の卵をどう正しく孵化させるか議論しあった

   時代の申し子のような存在である。≫

 

明峰さんの息子さんはお陰で寿命が多少短くなったかもしれないが、

それは誰も証明できないことだし (そもそも寿命そのものが分からないし)、

別な選択をすればしたで不幸な結果になるかも知れない。

人生の因果は誰にも予測できない 「一発勝負」 なのだ。

ただ 「食」 の大切さが徹底的に刷り込まれたことで、きっと

骨太な人生を生きるんだろうと思う。 明峰さんはそれを望んだのだ。

 

「どんな線量であってもリスクはある」 と小出さんは言う。

しかし同時に (自然放射能の影響は別として)、

「地球上に (放射性物質から) 汚染されてない食べ物などない」 とも言う。

程度の問題だけだ、と。

3.11前にも、米の濃度は 0.1Bq 程度はあった。

ゼロを求めることは不可能、な社会をもう僕らはすでに作ってしまっている。

しかし子供にはできるだけ低いものを与えるべきである、と考える。

こちらも最後は 「生き方」 の問題として語るのである。

みんなそれぞれに、自身の哲学 (あるいは人生観) に帰する。

3.11は僕らに、腹を決めろと迫っているかのようだ。

 

モヤモヤ感を無理やり整理しながらレポートを続けようとしていたところに、

昨年の晩秋あたりから宣告が予告されていた訃報が届いた。

長野のりんご農家、原志朗が亡くなったとの連絡。

 

もう書けないので、今夜はここまで。

明日、告別式に向かいます。

 



2013年1月27日

食べるべきか・食べざるべきか~ の議論はもうやめたい

 

(前回からの続き)

有機農業技術会議代表理事、明峰哲夫さんの論。

「 放射能はどんな線量でもリスクはある(閾値はない)、は前提の話として、

 それでも福島に留まって農業をやる、その意味を考えたい。

 中濃度あるいは低濃度の外部被ばくを受けながら、

 安全な食べ物を作ってくれている人たちがいる。

 そのような農業者の犠牲の上に立っていることを、どう考えるのか。

 

 「危険かもしれないが、逃げるワケにはいかない」

 これは論理的に正しいかどうか、ということではない。

 農地や山林や家畜を担いで逃げることはできない。

 " 逃げられない営み "  によって社会は支えられているのだ。

 それだけに私たちの責任は重たい。

 " 食べない "  というのは、福島から逃げていることと同義である。

 

 " 危険だから逃げる "  でなく、" 大丈夫だと思うから留まる "  でもなく、

 " 危険かもしれないが、逃げるワケにはいかない "

 という第3の道を、圧倒的多数の農業者たちが選択したのである。

 このことの意味を考えなければならない。」

 

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「有機質で腐植が多い肥沃な農地はベクレル数が低い」

ということを経験的に獲得してきた菅野正寿(すげの・せいじ) さんが

その思いを語る。

「 何で逃げないのか、とヨーロッパの記者に聞かれたが、

 3500年続いてきた稲作文化を支える農耕民族として、

 逃げるワケにはいかなかった。

 この土地でどうやって生きるか、が問題だった。

 

 昔から  " 良い田んぼ "  と言われた田んぼの米はゼロ Bq だった。

 ゼオライトより、良い堆肥を施した方がよいとさえ思う。

 地形も土壌の性質も知っているのは農家自身。

 農家と科学者が一緒になって取り組む必要がある。」

 

小出裕章さん。

「 苦悩の中で逃げずに、生産している人たちがいることは理解している。

 その人たちとどう連帯するかが私の課題である。

 しかし  " 逃げたい "  という人たちに対しては国が支援しなければならない、

 ということははっきりと言っておきたい。」

 


「第3の道と言われたが、むしろそれこそ第1の道なのかもしれない」

と中島紀一さんがフォローする。

「 自給率の高い地域というのは、

 ある意味でもっとも人間らしい生活をしてきた地域でもある。

 そこでは、その土地で暮らすことは本来の暮らし方そのものであって、

 簡単に逃げられるものではない。

 むしろ人類固有の価値だとも言える。」

 

しかし小出さんは 「子どもを巻き添えにしてはいけない」 という。

今たたかっているのは放射能である。 放射能には勝てない。

特に子どもは一手にそのダメージを引き受けている。

大人が留まると、子どもも留まらせてしまうことにつながってしまう。

その考え方には、私は躊躇せざるを得ない。

 

「私は食べる」 と言い切る小出さんは、

親と子で食事を分けることもやむを得ないと考える。

これに真っ向から反論、いや 「もう一つの視点もあるのではないか」 と

問題提起するのが明峰さんである。

「 子どもを守ろう、には異論を挟む余地はない。

 しかし、それも程度の問題ではないか。

 子どもだけを特別扱いにしてよいのだろうか。

 子どもにも 「一緒にたたかおう」 と言うのも、親の責任ではないか。

 チェルノブイリの時も、私は子どもと一緒に食べた。

 " オレを恨むな、ゲンパツを恨め " と言いながら。

 

 逃げられない食生活があることも知るべきだ。

 食をともにすることは子育ての大切なファクターであり、

 健康のために分けることが唯一の選択ではない。」

 

暴論と叩かれるのは覚悟の上で、

言っておかなければならないと思ってきたことだと吐露しながら、

小出さんというより会場に挑みかかってくる明峰哲夫だった。

重たい意見だ。。。

いやしかし、この対立にはどこか違和感が残る。。。

 

小出さんが最後のほうで漏らした。

「 農民の土地に対する執着は理解できる。

 様々な生き方があって、私から一概にこうしろとは言えない。」

 

住民の暮らしを守るために、取るべき国の責任は明確にしなければならない。

しかし個々の生き方まで強制的に縛ることはできない。

というのが本来のありようかと思うが、

強制すべきレベルを議論しなければならないほどに、

罪なことをしてしまったということか。

この議論は決着がつかない。

避難したいのにできない、あるいは避難所から次の暮らしの見通しが立たない、

という人たちがいる、放置されている現状がある。

そのことを議論した方がいいんじゃないか。

 

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休憩後、質疑があり、コーディネーターの大江さんから、

福島県産の物流状況はどうか、とコメントを求められたのだが、

違和感を引きずってしまっていて、

頭の中が未整理のままマイクを握ってしまった。

以下のような主旨の発言をしたつもりなのだが、

まとまっていただろうか、とても不安。。。

 

福島は、私たちにとって大切な一大産地である。

明峰さんは 「 " 食べない " は福島から逃げる行為」 と言われたが、

大地を守る会を含め、産地や農民との関係を大切にしたいと考えた組織の多くは、

取り扱いを継続した。

お店でいえば、「たとえ売れなくても、棚からは外さない」 という姿勢を示したのだ。

売り場から外すことは、関係を断ち切ることである。

棚があることで、情報は流れ、支援の道筋も作られる。

しかしそれを維持するには、測定結果の開示は必須条件だった。

菅野さんの二本松東和にはカタログハウスさんが、

私たちは須賀川にと、測定器を送って支援するという形がつくられた。

測定器は、生産者の対策を検証する道具にもなった。

関係は以前よりも強化された、とも言えるかもしれない。

 

とはいえ、福島産の農産物に対する拒絶反応は今も根強くある。

測定結果を示しても、そう簡単には拭えない不安が存在している。

徐々に、少しずつ回復している (時間がかかる)、

というのが私の現状認識である。

 

討論を聴いての感想をひと言でいえば、

「正解はない」 ということだろう。

科学者はそれぞれの信念や科学的根拠に基づいて語っていただければよい。

余計な政治的配慮などが伴ったりすると、かえって不信感を醸成させる。

あとはそれぞれ個々の判断ということになるのだろう。

避難すべき、食べるべき、と  " べき論 "  だけで論争しても相互理解に進まない、

人それぞれの思いや世界観・人生観があるのだと思う。

 

私たちがとってきたスタンスは、

" そこに仲間がいて、たたかっている以上、支援する "  である。

これまで私たちの食卓を支えてくれた人を裏切るわけにいかない以上、

それしかない。

そして、測定結果を伝え、自分たちの基準値を示して、

食べてほしいと伝えるのみである。

 

「60歳以上は食べよう」 という小出さんの論を借用させてもらったこともあるが、

そう簡単には受け入れられなかった。

また小出さんの主張される

「60禁(60歳未満は食べるのを控える)・50禁・40禁~」

というような基準設定は、

全般的にかなり低い水準に落ち着きつつある現状を考えると、

非現実的というか、設定そのものが不可能だと思う。

 

土を回復するために人智を尽くす、その作業を支えるのは

今に生きるものの義務だと思っている。

(もちろん  " 支える "  とは、食べることだけではない。)

放射能とたたかっている人は、未来社会を築いている人たちだ。

私たちが直面している生存の危機は、

エネルギー・資源問題、温暖化、生物多様性の喪失などたくさんあるが、

総合的に対処する力を持っているのが有機農業だと信じている。

そういう観点からも、福島のたたかいを受け止め、

粘り強く、人をつなげていきたい。

 

・・・・・と、そんなことを考えたのだが、

喋れたのはおそらく半分くらいだったような気がする。

 

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最後に、福島から来られた方々が紹介され、

代表して山都(喜多方市) に住む渡部よしのさんが、

これまでの苦しみや現状を語ってくれた。

よしのさんは新規就農者ではないが、

「あいづ耕人会たべらんしょ」 のメンバーとして、会津ネギなど

地域で育まれてきた在来野菜を作り続けてくれている。

 

閉会後、小出さんに挨拶する。 

実は小出さんも、昨年の放射能連続講座に呼ぼうとして、

どうしても都合が合わなかった方の一人だ。

「まだ諦めてませんから」 と伝えると、

「いやあ、大地を守る会に僕が貢献できるものはないよ」

と言われてしまった。 

改めて小出さんを呼ぶかどうか、正直言って、僕は迷っている。

" 食べる・食べない "  をべき論で区分けしたくない。

小出さんにはやっぱり、食品をどうのではなく、

原発そのものを語ってもらった方がカッコいいと思う。

 

討論会報告は以上。

疲れた。。。

 



2013年1月26日

復興の道は、どっちだ? 

 

このブログを書くのは、だいたい夜になる。

しかし今週は頭から 3 連荘(レンチャン)。。。

夜が潰れると、どうにも書くようにならない。

 

日曜日(20日) は、池袋の立教大学にて、

日本有機農業技術会議と有機農業学会、出版社コモンズの共催による

原発事故・放射能汚染と農業・農村の復興の道

と題した公開討論会が開かれ、

終了後、関係者の方々と一杯やってしまう。

月曜日(21日) の夜は、丸の内・地球大学に参加。

火曜日(22日) は岩手・陸前高田のお醤油屋さんである、

八木澤商店代表・河野通洋さんが来社され、

夜、震災後の復興への取り組み等について

社員向けにお話しをしていただく時間が設けられた。

お話の後、これまた軽く一杯。

で、昨日(25日) は他団体の方からお誘いがあり、情報交換を兼ねて一席。

 

とまあそんな調子でネタがどんどん滞留してきて、気は焦るも筆は持てず。

端折りながらも、順次レポートしていかねば。

 

20日(日) の討論会は、なかなか重たい議論だった。 

放射能による農産物の汚染状況をどう認識するか、

「避難すべきか残るべきか」 「子どもに食べさせてよいか」

といった争点をどう整理すればよいのか・・・、など

何点かの論点をめぐっての本音トークが展開された。

討論者は、以下の4名。

 〇 京都大学原子炉実験所助教 小出裕章さん。

 〇 有機農業技術会議代表理事 明峰哲夫さん。

 〇 茨城大学名誉教授 中島紀一さん(日本有機農業学会理事)。

 〇 福島県有機農業ネットワーク代表 菅野正寿さん。

コーディネーターはコモンズ代表の大江正章さん。

 

走り書きのメモを元に起こしているので、正確な発言とは異なるかもしれない、

と断った上で、以下、レポートしてみたい。

 

トップバッターは、小出裕章さん。

「農業者を前に、避難すべきか、食べるべきか、といった話はとてもしにくい。

 殴られるかもしれないが、私は科学者としての 「原理・原則」 に則って

 語らざるを得ない。」

 

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「 福島原発事故によって放出された放射性物質の量は、

 広島・長崎に落とされた原爆数百発分に相当する。

 しかも大地をなめるように拡がっていった。

 福島県のかなりのエリアが、法律上 「放射線管理区域」 とされる

 4万ベクレル(/㎡ ) を超えて汚染された。

 それは、そこを出る時には必ずボディ・チェックを受け、

 4万ベクレルを超えるものは持ち出してはならないという決まりのある、

 本当なら人間が生むべきではない場所であり、私は専門家として

 「住んでよい」 と言うわけにはいかない。 住んでほしくない。」

 

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一方、原発から 50㎞ の距離にある二本松市東和地区で

有機農業を実践する菅野正寿さん。

「 阿武隈山系のアブクマという言葉は、アイヌ語で  " 牛の背中 "  という意味。

 そんな中山間地の一角で、私たちの住む旧東和町は、

 かつては養蚕を基幹とした村だった。

 一時は養蚕業の衰退とともに桑畑は荒れる一方となったが、

 有機農業をベースに都市の消費者とつながって、

 新しい地域づくりを進めてきた。

 研修生や新規就農者も積極的に受け入れ、いろんな成果が見えてきたところで、

 原発事故というとんでもない災禍に見舞われてしまった。

 いま福島では、16万人もの人が県内外に避難しているという

 異常な事態である。

 

 家に戻り農業を始めてくれた娘は、

 ホールボディカウンターの検査で ND の結果をもらったが、

 それはあくまでも検出下限値以下という意味であり、

 不安が消えたわけではない。

 何Bq(ベクレル) 以下なら大丈夫なのか、明確な基準は存在しない。

 低線量内部被ばくの問題が、住民を不安にさせている。

 政府には、昨年6月に制定された生活支援法を早急に実施してもらいたい。

 学校給食では、昨年12月より地元産米が使われるようになったが、

 野菜については 「ゼロでも使ってほしくない」 という声があって、

 まだ復活できてない。

 

 住宅の除染も始まったが、なかなか思うように進んでいない。

 一ヶ月も経つと (雨や風の影響か) 元の線量に戻ったりしている。

 周辺の森林の除染を進めるべきなのだが、手がつけられていない。

 そもそも大手ゼネコンに丸投げしてしまっている状態で、

 本当は住民の手で進められるようにしたい。

 復興のプロセスに住民を参加させるべきではないか。

 

 森林の除染は難しい問題だが、

 キノコがよく吸収しているのを逆手にとって、

 伐採した木をチップにして敷き詰めて、カビや菌の力を借りて除染できないか、

 目下専門家とともに研究中である。

 

 福島では、出荷制限や自粛などによって耕作放棄地が増えている。

 セイダカアワダチソウの風景が広がっている。

 しかし復興が進んだのは、実は耕して米や野菜を作ってきた農地である。

 米の全袋検査では、99.8% が 25Bq 以下という結果だった。

 野菜ではほとんど検出されていない。

 まさに 「土の力と農人の耕す力で 『福島の奇跡』 が起きた」(中島紀一さんの言葉)。

 ふくしま有機農業ネットワークでは、米と野菜、雑穀については

 40Bq/㎏ 以下を基準にしようと提言している。 

 

 この問題を、ただ 「食べる・食べない」 とか、「逃げる・逃げない」 といった

 狭い議論で終わらせてほしくない。

 ゴミや基地や原発を地方に押しつけてきた日本の構造こそ

 見つめ直して欲しい。」

 

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「住んでほしくない (避難と生活保障は国の責任)」 という小出さんも、

" 食べる・食べない "  については、明快に  " 食べる "  派である。

「 私はとにかく、子どもを守りたいという一心である。

 一次産業も守りたい。 

 だから  " 社会的責任として、大人は食べるべきだ "  と主張してきた。

 チェルノブイリのときも、私は普通にヨーロッパ産のスパゲティを食べた。

 しかし子どもには食べさせなかった。」

 

ここで、小出さんは一つのグラフを示す。

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「放射線ガン死の年齢依存性」。 

1万人の人が1シーベルト被曝した場合が、1万人・シーベルト。

1mSv(ミリシーベルト) だと1000万人として、

それだけ等しく被ばくした場合に、

ガン死者数が何人になるかを年齢別に推計したもの。

左端の棒がゼロ歳児の場合で、15,152人。

右端が55歳で、49人。

全年齢で平均した場合の死者数 3,731人。

ほぼ30歳あたりが平均になる。

それ以上の年齢になると、放射線の影響は段階的に鈍化する。

 

小出さんの言う  " 食べる "  とは、たんに責任や覚悟を迫っているのでなく

(いや、それは相当に迫っているが)、

それなりのデータに基づいてもいる、ということである。

 

中島紀一さんが、現状把握の整理を提示する。

「 現状では、一部の果物や山野草、キノコ、タケノコといったものを除いて、

 ほとんど検出されなくなってきている。

 確率論的には、内部被ばくは相当に低いレベルになっている、と言ってよいだろう。

 

 降下した放射性物質よりもはるかに膨大な量の土が

 放射性物質をつかまえ、固定化させてくれた。

 土は放射線の遮蔽効果も発揮してくれている。

 また粘土だけでなく、堆肥や腐植といった有機物も

 固定能力が高いことが見えてきている。

 当初は堆肥を入れる有機農業のほうが危ないとも言われたが、

 " 土をつくる "  ことの意味がここにもあったということだ。

 そういう視点からも、" 復興の筋道・留まって耕すこと・食べること "

 の意味と価値を捉え返す必要がある。」

 

ここで哲人、明峰哲夫がマイクを握る。

 

あれぇ・・・

端折るつもりが、終わんないね。 それだけ慎重になっているのか。

スミマセン、続く。

 



2013年1月23日

《予告》 「放射能連続講座 Ⅱ」-第2回は児玉龍彦氏

 

2月24日(日)に開催する 「2013年 大地を守る東京集会」 で

放射能講座をやります、というのは昨年末にもお知らせしましたが、

この 「放射能講座 東京集会編」 を、

この間準備を進めていた 『大地を守る会の 放射能連続講座 パートⅡ』

の皮きり、つまり第1回と位置づけて、ここから

第Ⅱクールをスタートさせることといたしました。

 

目下、何人かの方との交渉を進めているところですが、

第2回までは確定したので、

ここで改めて 「予告編」 を挿入させていただきます。

 

一発目は2月24日(日)、

東京集会の会場である蒲田の 「大田区産業プラザ PIO」 にて。

時間は10時半~12時。

講師は、NPO法人市民科学研究室代表の上田昌文さん。

昨年の連続講座第1回に続いて、今回もトップバッターを切っていただきます。

 

e13012300(上田昌文).jpg (上田昌文さん)

 

テーマは、「放射能汚染の現状と課題を整理してみよう」 。

忌わしい原発事故から2年近く経って、今の汚染状況はどうなっているのか。

何がどこまで分かり、何がまだ分かってないのか。

何が大丈夫で、何に気をつけるべきなのか。

被ばくと健康リスクの関係についても未だ意見が分かれる中、

私たちはどう理解して対処すべきなのか。。。

この難題に対して、これまでの厖大な測定データをもとに、

可能な限り整理してもらいます。

 

また全国から生産者が集まってくる、せっかくの東京集会です。

このコーナーのゲストに、生産者を2名お呼びしました。

一人は、「大地を守る会の備蓄米」 でおなじみ、稲田稲作研究会の伊藤俊彦さん。

もう一人は、若手を代表して 「あいづ耕人会たべらんしょ」 の浅見彰宏さん。

この2年の苦闘を振り返りながら、今の思いを語っていただきます。

 

予定は1時間半ですが、時間切れで「ハイ、終わり」 とはせず、

今回は終了後に 「コミュニケーション・タイム」 を設けることとしました。

質問のある方には残っていただいて、できるだけ質問に答えようと、

昨年の反省から考えてみました。

 

続いて第2回は、4月18日(木)に開催します。

講師は、東京大学アイソトープ総合センター長、児玉龍彦教授。

一昨年の7月、国会の参考人に招聘された際に、

政府の対応を厳しく批判された方です。

福島での除染活動の支援も続けられているようで、

夏までの期間で空いているのはこの日しかない、

という日と時間を奪取、いえ、頂戴しました。

ということで、時間は18時半~20時半。

場所は、日比谷公園内にある 「日比谷図書文化館・コンベンションホール」。

 

e13012301(児玉教授).jpg (児玉龍彦さん)

 

お願いしたテーマは、

「改めて内部被ばくの問題を考える ~未来のために正しい知識を~ 』。

児玉さんは新たな視点で内部被ばくの影響や仕組みを研究されています。

その先端の話を伺います。 乞うご期待。

 

実は、昨年も交渉しながら、ついに時間が取れなかったいきさつがあります。

かなり 「執念深いヤツ」 と思われたかもしれません。

もし当日機嫌が悪そうだったら、それはワタクシのせいです。

 

昨年の6回シリーズでは、汚染状況の正確な把握と、

健康リスクに対する知識や判断力の獲得を目指しました。

この第Ⅱクールでは、より明確に

「3.11を乗り越えて、本来の食と、人と社会の健康を取り戻す」

ための道筋を探りたいと思います。

たくさんの方のご参加をお待ちします!!

 



2013年1月10日

手抜き除染・・・

 

年明け早々から腰が抜けてしまいそうになる報道が続いている。

" 手抜き除染 "  だって・・・

除染作業で回収した落ち葉などを、作業エリア外や川に捨てたり、

水をそのまま流したりしていたらしい。

 

もちろんすべての地域 (現在、本格除染が進められているのは4市町村) で

手抜きが横行しているとは思いたくないが、

安心して暮らしたい、あるいは 「早く故郷に帰りたい」 と願う人たちにとっては、

やり切れない怒りを感じていることだろう。

あるいは福島県全体への不信や不安感につながらないかと

危惧する県民もいるかもしれない。

 

この報道で、除染を請け負った企業や作業員のモラルの低さを嘆いた方もいることと思う。

しかしどう考えても、これは構造的な問題である。

除染のガイドラインを示したものの、仮置き場も決められないまま

ゼネコンに丸投げした政府 (環境省)。

元請けゼネコンはさらに下請けに委託し、

下請け業者は作業員を日雇いして作業にあたる。

どの業者も、赤字で受けることはできないと、

作業者に支払われるはずの危険手当て(1日1万円) が抜かれたりする。

 

現場はといえば、ガイドライン通りにやってたらとても期日までに終わらないし、

周囲からの移染もあったりするなかで限定したエリアの作業じゃ

とても完全な除染なんて無理 、とか思いながら作業にあたる。

現場監督に指示されれば、「そういうものか」 とか 「いいのかなぁ」 とか思いながら、

川で長靴を洗ったり落ち葉を捨て流したりする作業員。

ここに住む人たちのことを思いながら真面目に作業にあたった人にとっては、

ゴミ出しのルールを守らない人々と一緒に住んでいる住人

のような感覚に陥ったことだろうか。

 

こうして誰にも達成感は生まれず、形ばかりの実績が積み上げられ、

数千億円の税金が消えていく。

 

ゼネコンを  " 指導 "  するだけではさすがにまずいと考えたか、

環境省は 「除染適正化推進本部」 を立ち上げた。

はたしてどう 「適性化」 されるのか、注視したいところだが、

僕の中にある決定的な疑問は、

どうして現地の業者を使おうとしないのか、ということだ。

できるならその土地に住む人たちも作業計画に関与できる形にすべきだろう。

地元の人たちが納得できる計画を立て、作業員も現地雇用を中心にすれば、

" 私たちの故郷を回復させる "  作業になるし、

それだけで確実に  " 手抜き "  は減るはずだ。 

貴重な税金も地域に還元される。

愛や誇りも取り戻せるかもしれない。

地域が主体となった回復運動を支援することこそが国の役割だと思うのだが、

国が進める  " 除染 "  には、寄り添うゼネコンの姿は見えても、

地元自治体や住民の姿は見えてこない。

このままでは、ただの作業記録以外、何も残らない。

 

震災直後に海外から賞賛されたこの国の民のモラルが、

あろうことか内側から踏みにじられ破壊されていってるように思わされてしまうのは、

僕だけだろうか。

「故郷で死にたい」 と訴えながら仮設で亡くなる人が続いている。

子供を連れ九州に避難した母子が

「帰っても昔のような近所付き合いはできない」 と孤独感を滲ませる。

僕らは今もこんな光景を見せつけられていながら、

一方で 「一丁上がり」 と移動していくゼネコンにお金を吸い取られている。

 

新年にあたり、田中正造の言葉を引いた論説をいくつか見た。

   真の文明は

   山を荒らさず

   川を荒らさず

   村を荒らさず

   人を殺さざるべし

ゲンパツ文明は、見事なくらいにこの真逆の光景を、僕らの前にさらしている。

やめようよ、ホントに。

 



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