2013年1月28日

「食べる」 という哲学

 

「逃げられない食生活というものがある」

と明峰(あけみね)哲夫さんは言い放った。 

これは、生きるためにどう食を選ぶのか、という問いである。

被ばくの覚悟を息子にまで強いている狂った親父のようだが、

選んだ私の生き方 (食の選択) をもって子を育てる、

という責任の取り方を表明しているのだとも言える。

それくらい 「食」 は生き方につながっている、と主張しているのだ。

 

これだけ食と農にこだわった親父は、そういない。

日本で有機農業運動が生まれた黎明期の1970年代から、

「たまごの会」 の活動などを通して  " 有機農業とは何か "  を追求してきた

哲人の生き様を、冷静に読み取りたいと思う。

原理主義者の主張は少数派であるがゆえに美しい、とも思いながら。

 ≪ 僕の勝手な歴史年表(記憶) では、「たまごの会」 とは、

   インテリと農民が出会い、一瞬の光彩を放って分裂した、

   まさに運動の卵をどう正しく孵化させるか議論しあった

   時代の申し子のような存在である。≫

 

明峰さんの息子さんはお陰で寿命が多少短くなったかもしれないが、

それは誰も証明できないことだし (そもそも寿命そのものが分からないし)、

別な選択をすればしたで不幸な結果になるかも知れない。

人生の因果は誰にも予測できない 「一発勝負」 なのだ。

ただ 「食」 の大切さが徹底的に刷り込まれたことで、きっと

骨太な人生を生きるんだろうと思う。 明峰さんはそれを望んだのだ。

 

「どんな線量であってもリスクはある」 と小出さんは言う。

しかし同時に (自然放射能の影響は別として)、

「地球上に (放射性物質から) 汚染されてない食べ物などない」 とも言う。

程度の問題だけだ、と。

3.11前にも、米の濃度は 0.1Bq 程度はあった。

ゼロを求めることは不可能、な社会をもう僕らはすでに作ってしまっている。

しかし子供にはできるだけ低いものを与えるべきである、と考える。

こちらも最後は 「生き方」 の問題として語るのである。

みんなそれぞれに、自身の哲学 (あるいは人生観) に帰する。

3.11は僕らに、腹を決めろと迫っているかのようだ。

 

モヤモヤ感を無理やり整理しながらレポートを続けようとしていたところに、

昨年の晩秋あたりから宣告が予告されていた訃報が届いた。

長野のりんご農家、原志朗が亡くなったとの連絡。

 

もう書けないので、今夜はここまで。

明日、告別式に向かいます。

 




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