あんしんはしんどい日記: 2010年11月アーカイブ

2010年11月25日

晩秋の紅

 

呑気に振り返っているうちにも、秋はどんどん深まっていく。

(ホントは焦ってんだけど・・・)

 

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山は紅く 紅く色づいて

すすきが風に 風にゆれている

朝はとても冷たい もうすぐ冬が来るね ♪   (岡林信康 「26ばんめの秋」)

 

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田んぼスケープ に全国各地の田んぼ風景をアップしてくれている田んぼリポーターさんも、

深まりゆく秋の画像を投稿してくれている。 

 

新潟県十日町の棚田。

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あたり前のように調和した風景。

田んぼ一枚一枚が、水を貯える装置になっている。  

 

島根県安来市の田んぼにはハクチョウがやってきている。 

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いのち育む田んぼ。

今の米の値段には、それやこれやの価値は考慮されない。

米づくりが放棄された途端に失われるものの大きさを、この国は顧みようとしない。

 


さて、振り返りを続ける。

 

16日(火)、六本木で行なわれた 提携米研究会 の定例会議に出席。

米をめぐる厳しい情勢に対する分析も大事な議題だが、

今回もっとも時間を割いたのが、

TPP (環太平洋戦略的経済連携協定。環太平洋パートナーシップ協定とも) である。

問題の論点整理を慎重に検討した。

このテーマは、いずれきっちりと。

 

夜はみんなで一席。

庄内協同ファームの佐藤和則さんが、自身で育てた無農薬米 「いのちの壱」 を原料にした

日本酒を持参されたので、いただく。

純米酒 「龍鯉伝説」。

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大切にされた鯉が死後、龍になって主人の窮地を助けたという中国の故事だが、

日本にも龍鯉の伝説は各地に残っているらしい。

和則さんはこの酒に、一昨年に亡くなった師匠・斉藤健一さんの姿をダブらせている。

いつか約束した 「雪の大地」 の復活に向けて、彼の決意は熱いままだ。

 

続いて18日(木)、

大地を守る会の消費者会員が主体となって運営する大地サークルのひとつ、

「港北大地サークル」 の集まりに参加する。

「" 大地を守る会を知ろう "  シリーズ-農産グループ編」 の第2回目。

1回目は7月1日に行なったのだが、大地を守る会の農産物の話となると

1回ではすまず、「もう一回」 の要望が上がったのだった。

 

場所は川崎の武蔵小杉。 

10数人で輪になって (正確にはテーブルを四角にして)、

和やかに、かつ真剣に (ほとんどこっちだったか)、意見交換を行なう。

話題は、現在検討を進めている野菜セット 「ベジタ」 の改定について、

新しく商品開発した乾燥野菜 「はたまる」 を育ててほしいこと、

そして今年の北海道の玉ねぎの大不作と厳しい供給対策の話、などなど。

最後は交流局のNが 「もう一回やりたいねぇ」 と、ニヤリとする。

こちらはもちろんいつでも受ける用意はある。

いや、ちょっと、考えさせてくれ・・・・・ けっこうしんどいんだよね、こういうのも。

 

やるなら、日本の食と農業の行く末を語り合いたい、と思う。

 

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この国の里の秋の風景だって、タダじゃない。

地方にごく少数の大規模農家が残ったとしても、

景観や水系、要するに環境は、維持できないのだ。

そのツケはいったい誰が払うことになるのか。

子供たちに残すはずの保険すら、この時代は切り崩している。

晩秋の紅が、何かを訴えているようで、切ない。

 



2010年11月19日

金沢-内灘の干拓地に立つ

 

もたもたと振り返っている間にも、時間は矢のように過ぎてゆく。

すっ飛ばしたくもなるが、たまにはこんな感じで、

この間の出来事を流してみることにする。

 

11月3日、秋田行きを断念してコモンズ主催のシンポジウムに出かけた日。

別働隊はしっかりとブナの植林に汗を流してきてくれた。

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冷たい雨の中での作業になったようだ。

去年はたしか雪の中での植林だったね。

 

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本当に寒そう。

でも、この粘り強い森づくりが、生命の水源を豊かにしてくれるはずです。

皆様、お疲れ様でした。

 

翌4日(木) は、農産グループの歓送迎会が開かれる。

優秀な中堅職員が2名、会員からの質問やクレームに対応する部署に異動して、

代わって物流センターの業務を長くやってきたスタッフが移ってきた。

こうやって地道に組織力を高めていくのだ。

 

7日(日)、埼玉県熊谷市(旧妻沼町) の岡村グループ元代表、

岡村雅夫さんの奥様、良子さんの告別式に参列する。

「とにかく働きまくり」 と言われた雅夫さんがちっちゃくなった感じがして、つらい。

この男にこの妻ありと言われた豪快な奥さんだった。

この時代、69歳という若さでの逝去はこたえる。

岡村さんから頼まれたので、指名焼香(会長指名の代理で) を受ける。

 

9日(火)~10日(水) は、石川県金沢市に出張する。

NPO法人有機農業技術会議 主催 「第8回有機農業公開セミナー」。

今回のテーマは 「大規模稲作を考える」。

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大面積を経営する稲作農家にも、有機農業は可能である。

有機農業技術会議代表理事の西村和雄さんが水田雑草の諸問題を整理し、

栃木・民間稲作研究所の稲葉光圀さんが、

いかに作業効率よく有機稲作を実践するかのモデルを提示された。

地元・石川県や滋賀県の実践農家の発表があり、

僕は流通の立場から、

有機JASの認証以上の価値を創造しなければならない時代に入っていることを

訴えさせていただいた。  

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生産者の間では、農業政策へのビジョンが示されないままでの

TPP(環太平洋パートナーシップ) への不安やら

販売側からの値下げ圧力なども相まっての不信の声ばかりが聞こえてくるが、

「ここに有機農業がある価値」 をこそしっかりと捉え直したいと思うのである。

 

二日目は、金沢市有機農業推進協議会代表の井村辰二郎さんのほ場と

農産加工場などを視察する。

 

石川県中部・金沢平野にある河北潟の干拓地で、

父の代から麦と大豆の二毛作に取り組む。

初めて訪れた河北潟干拓地。 ここも戦後、政治に振り回された土地だ。

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朝鮮戦争の最中、米軍の試射場に指定されて激しい反対運動が起きた。

「内灘闘争」 と呼ばれ、五木寛之の小説 「内灘夫人」 の舞台にもなった場所。

干拓して多くの農民が大規模稲作を夢見て増反した後、

減反政策によって 「米をつくるな」 となってしまった。

冷たい風と刺すような雨に、ここでの農業の厳しさを想像する。

井村さんは耕作放棄地を見ると我慢できない、と言う。

条件の悪いところでも耕作を引き受け、また農産加工にも取り組んでいる。

大規模は大規模で、自立した経営を目指すことはなかなか試練の道だと思うが、

強い意志と持続するパワーには脱帽である。

 

森を育て、耕作放棄地を耕しながら農産加工に取り組む農民たち・・・

いまこの国の食と農業の土台部分を鍛え直しているのは、有機の世界である。

間違いない。

 

小松空港と会場の行き帰りの足は、

小松市の有機米の生産者、橋詰善庸さんにお世話になってしまった。

セミナーのプログラムに僕の名前があったのを見て、送迎を買って出てくれたのだ。

橋詰さん、お気遣い有り難うございました。

 



2010年11月17日

昔、芸術家やヒップな奴らがいた時代

 

さて、振り返り-その3。

35周年のパーティ終了後も、生産者は大人しく帰るわけではなく、

2次会-3次会、最後はカラオケへと突入する。

そして少々だるい体を引きずりながら、

11月1日(月)の夜は、懐かしい顔ぶれと飲むことになる。

 


四半世紀も前。 本部が調布市深大寺にあった80年代中頃の話。

調布センター敷地内の一角につくったお店に、アルバイトでありながら店長のような顔をして、

きわめて自然に馴染んでいた芸術家の男がいた。

たしかアルバイト中に何とかという新人の登竜門的な賞をとったはずだ。

名前は落合滋規、 " おっちゃん "  と呼ばれてお客さんからも愛されていた。

いつの間にか音信も途絶えてしまったのだが、

彼が亡くなったという知らせを受けたのが一年前のこと。

遅ればせながら、久しぶりにおっちゃんを偲んで集まるか、ということになった。

藤田会長以下、" おっちゃんと過ごした "  記憶を持つ仲間たちで。

35年という感慨も、その気にさせたのかもしれない。

 

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場所は 「山藤」 広尾店。

呼びかけ人はやはり同時代にアルバイトで店番をやってくれていた版画家

" チカちゃん " こと後藤千香子さんと、長谷川満取締役 (おっちゃんの写真を掲げる二人)。

チカちゃんは今、大分・湯布院に根づいて芸術活動の日々を送っている。

 

集まってくれたのはこんな連中。

インドやら南米やらを旅していたヒップなヤツ。

その風貌から、みんな敬意をもって " 和尚 " と呼んでいた。

デラシネ(根なし草) のように生きていくのかと思っていたら、

意外や故郷の神戸でパソコン教室など開いている。 「わしは何もできへん」 と言いながら。

震災に遭ったときに、調布センターそばに住まわれていた会員さんから

激励のカンパをもらったという。 神戸で--そうか神戸で、腹を括ったか。

二人一緒に大地を辞めて、長野に移り住んだ男と女。

いろいろやった末に、自称・自然農を営みながら木工やらなんやらで生きている。

今もアルバイト生活をしながらライブにかけているという半アーティストは、

スキンヘッドになっちゃっている。

僕と同時入社だった女は北海道で助産婦さんだ (僕は彼女の補欠合格だった)。

ダンナ (ほぼ同期の配送員) は未だに厳しい北海道の農民になり切れない様子なのだが、

それでも不思議に仲良く暮らしている。

などなど、当時の若手(僕らの世代) も50を越えて相応に老けてしまったが、

意外にも風貌や醸し出す空気はそのままだった。

 

貧しくてもなんだか楽しくて、汚くてもやけに明るくて、

世間知らずだから怖いもんなしで、せわしなく騒ぎながら夜中まで働いていた。

夢を語り合っているうちに、いつも喧嘩になって、

そして誰かがギターを弾き出して、よく歌った。

おっちゃんは売れ残った野菜でエスニックなスープなどを作ってくれたりした。

 

調布センターに移った頃、僕は広い倉庫に感激して、

ここを拠点に文化運動をやろう、なんて青いことを提案した。 

つけたタイトルが 「深大寺文化フォーラム」。

一回目は水俣の映画上映会。 監督にも交通費程度で出張ってもらって、

今思えばかなり贅沢な企画、、、いや冷や汗が出る思いだ。

おっちゃんに描いてもらったチラシを近所に配って回ったりした。

そんな調布センターも、みるみる狭くなっていった。

大地を守る会はしっかりと高度成長期に入っていたのだ。

モンペ野郎が汚いトラックで食べものを運ぶ良き時代は終焉に向かっていた。

そんな時代を生きた者たちの、昭和チックな同窓会となった。

おっちゃん、ありがとう。

 

晩年、おっちゃんが俳句を詠んでいたことを知らされる。

 

  酒一生 とりちがえたる 虎魚(おこぜ) の身

                                    - 落合六歩 -

 

35周年をおっちゃんが見たら、何と詠むだろう。

時代や立ち位置は変化しても、流されていることに気づかなかったり、

自分の中にある大切なものを知らずに失うことだけは、絶対に戒めたいと思う。

 

怖れなければならないのは、かつての時代を共有した奴らから、

いつか・・・「オレのほうが真剣に生きたよ」 と見つめられることだ。

 



2010年11月14日

35周年-" 新たな挑戦の時代 " が始まっちゃったよ!

 

" しんどい "  日記を表題に掲げてきた我がブログとしては、 

この一日をスルーさせるわけにはいかない。。。 しんどいけど。

10月30日(土)、加工食品製造者会議の翌日、

NGO大地を守る会の臨時会員総会と (株)大地を守る会の臨時株主総会をやって、

35周年記念パーティへとなだれ込んだ長~い一日の話。

 

会場は千葉・幕張、アパホテル&リゾート東京ベイ幕張。

朝10時から午後2時までNGOの総会、午後3時から株主総会。

議案は他にもあったが、議論はほぼこの一本に絞られている。

NGOと株式会社の合併である。

 

ともに時間をオーバーして審議いただいた。 

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最終的に承認をいただいたものの、

現時点ではまだ合併後のかたちが見えないことが、

会員の不満や不安を激しく募らせたように思う。

特にNGOで展開してきた運動面がどのように組織内に位置付けられ、

会員の活動が保証されてゆくのか。

35年続いてきた、" 運動体と事業体を車の両輪として展開させる " 

という組織論の発展的転換。 

これを進化と言われてもイメージできない、というのも尤もなところだと思う。

 

組織論というのは、未来永劫にわたってこれこそが正しいと言い切れるものはなくて、

社会状況とともに変化させることも必要になる時がある。

NGOと株式会社が時に別々に切り分けられて語られることに対する漠とした不安は

僕らの中に常にあったし、この組織において、NGOだけが美しく存在し続けることは

実態としてあり得ない。 

大地を守る会は  " 無農薬の大根一本を、つくり、運び、食べる "  運動から始まったのだし、

会員は生産者と消費者 (と事業体の社員) なのだから。

一方でひとつになればなったで、

事業体が持っている宿命的な業(ごう) に運動面が引きずられ、

その健全性が維持できるかという不安も生まれる。

 

だからこそ2年前、僕らは会社の定款に

「 『自然環境に調和した、生命を大切にする社会』 の実現を目指す社会的企業」

であり続けることを、憲法の前文のように付記した。

" 設立時の理念を本業のなかに血肉のように浸透させ、たたかい続ける企業となる " 

宣言である。

とは言ったって、どんな形にしても、要(かなめ) は構成員の意思の持続性にかかっている。

 

加えて、将来的に会社の上場を目指すという大胆な表明もあり、

両総会は合併と上場論議とが交錯しながらの進行となった。

「今はまだ、(上場は) 少年が東大に入ると宣言したようなものですから・・・」

という会長説明もなかなかだけど、

こういう事業にこそ社会は投資すべきではないか、

と言い続けられる事業が展開できたなら、それはそれで挑戦に値する、という思いはある。

これは囲碁や将棋でいうところの、驚くべき次の一手、新手である。

 

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この 「承認」 は期待の大きさとともに、責任の重大さの自覚が求められた決議であることを、

僕らは肝に銘じなければならない。

35周年宣言の起草に関わった者が言うのも恥ずかしいが、

自分の現役中にここまで来ようとは、とても思わなかった。

時代の変化はスピード感を増している。 

それだけ大きな社会的期待を受け止める決意表明をしたわけだ。

社会変革を目指す運動論をエンジンに据えた事業体を、

僕らはビジョンとモラルを持って走らせなければならない。

世界を席巻するグローバリゼーションを前にして。

 

35周年。 

よくぞここまで、で終わるわけにいかない。

新たな時代を拓く、厳しい船出を、とりあえずみんなで励まし合う。 

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ご参加いただいた皆様、有り難うございました。

 

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生産者を代表して、設立時からお付き合いいただいたお二人から

ご挨拶をいただく。

 

静岡県浜松市のお茶の生産者、樽井ちえ子さん。 

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北海道江別市、じゃがいもの生産者、金井正さん。 

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そして、加藤登紀子さんはビデオ・レターでメッセージを送ってくれた。 

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藤本敏夫・登紀子夫妻の遺伝子を受け継いだ、八恵ちゃんが謳ってくれた。

 

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彼女を見ると、配送員時代 を思い出してしまう。

オレも頑張ったよ、と言いたくなっちゃうのだ。

 

記念のケーキを用意してくれた、ムーラン・ナ・ヴァン の加藤パティシエにも感謝。

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最後は、職員が並んで皆さんをお見送り。 

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感謝と、次の時代への決意を込めて。

ガンバローね、みんな。

 



2010年11月13日

「はたまる」- " もったいない " 以上の価値を創造したい!

 

遅れ遅れでも書き綴っていこう、なんて殊勝なことを言いながら、

どうにも手が回らなくなってしまっている。

近しい人の不幸もまだどっかに引きずってしまっているのか、

モヤモヤした疲労感も消えない。

しかしこのままだとまったく書けなくなるので、

この間の出来事をざっくりと、細切れ的にでも振り返る形で近況報告に代えたいと思う。

一件一件それぞれに書き応えのあるネタなんだけど、

抱えてしまうとなかなか前に進めないし。

マージャンで言うところの、一役(イーハン)下げて上がれ、って感じで。

 

さて、話の前後はかまわず、途中端折ってしまったこのあたりから。

10月29日(金)、大地を守る会の臨時総会&35周年記念パーティの前日。

千葉・幕張で加工品製造者会議が開かれる。

僕は農産担当なので関係ないように見えるが、

実は加工品の原料供給という形で深い関わりがある。

当会の加工食品は原料から  " 顔の見えるもの "  を目指しているので、

当会生産者会員のつくった農産物を使用していただいているものが数多くある。

 

そこで会議の途中に割って入ってPRしたのが、

いよいよ新製品が登場するはこびとなった 「はたまるプロジェクト」 による乾燥野菜である。

畑で発生する規格外の野菜や傷がついてしまった果物から新しい価値が生まれる、

あるいは豊作時の余剰対策としても活用する強力な武器に育てたい。

ここにどうしても登場いただかなければならないのが、加工のプロの技である。

農業生産と食品加工が力強く連携して、魅力ある食品を開発してもらえないか。

" もったいない "  以上のものを!

 

15分のプレゼンだったが、意気に感じてくれた、あるいは面白がってくれた方々から、

200件を越えるサンプル依頼が、一週間で入った。

これは僕らのネットワークの威力を表現するものにもなるはずだ。

 

さて、はたまるプロジェクト第1弾の開発商品は3品。

生姜とワサビのパウダー、そしてトマトのスライス。

関係者でハイタッチしたくなるほどのオーダーをいただいたのだが、

なんと・・・・・本番になって原料供給が間に合わず、

一部の方々には一週遅れのお届け、となってしまった次第。

先週はそのフォローでウロウロしてしまったのだった。

しかし、これはけっしてズッコケなんかじゃない!!!!

規格外品と付き合うというのは、こういうことなのだ。

僕らは誰もやらなかったことに挑戦しているのだ。

 " 産みの苦しみ "  と言い訳させてもらいたい。

---と、すぐに開き直るのが我々の青臭いところなんだけど。

 

( 勤務時間を度外視して作業にあたっていただいたジェイラップの皆様。

  深く感謝します。 )

 

ところで、製造者会議ご担当の方々。

記録写真ぐらい撮っておいてもらいたいです。

 

画面が寂しいので、ブナの絵でも-

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        (11月3日、「秋田・ブナを植える集い」 から。撮影:西田和弘)  

 

では次。 大地を守る会の歴史的一日となった10月30日。

さて、、、どうまとめればいいのかしら ・・・

 



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