戎谷徹也: 2011年8月アーカイブ

2011年8月31日

自戒をこめて-「メルトダウン後の世界を結い直す」

 

   原子力利用の長い道のりは、目前の目的のためにあせればあせるほど、

   ますます遠い見果てぬ夢となっていく。

    原子力はまだ人類の味方でなく、恐ろしい敵なのである。

 

武谷三男編 『原子力発電』(岩波新書) の冒頭の一節である。

発行されたのは1976年2月。

変色してカビ臭い新書本の序文の最初の2行に、赤線が引いてある。

振り返れば、四国の漁村から上京して、

住み込みで新聞配達をやりながら浪人生活を送っていた頃に、

僕はこの本に出会っている。

郷里が原発誘致計画で揺れていたこともあって、本屋で手にとったような、

今となれば微かな記憶しかない。

3.11を経て、5月に入ったあたりから、

合い間をぬって高木仁三郎さんや武谷三男さんの著書を読み直していて、

僕は30数年ぶりに、忘れていた言葉に再会した。

 

僕には武谷三男という巨人を語る資格は一片もないが、

この頃の武谷さんは、核兵器に反対しながらも、

その平和利用の可能性は否定していなかった。

しかし、であるからこそ、原子力の怖さや技術的・社会的問題点を訴えなければ、

という意思に溢れていた。

この問題点をクリアできなければ、原子力発電は人類の敵のままであると。

以下、いくつか言葉を拾ってみたい。

 


   私は許容量概念を根本から考え直すべきことを主張した。

   許容量とはそれ以下で無害な量ということではなくて、

   その個人の健康にとって、それを受けない場合もっと悪いことになるときに、

   止むをえず受けることを認める量であり、人権にもとづく社会的概念であることを

   明らかにして闘った。

 

   絵に書いたモチを現実のものと見あやまる歴代の原子力委員長のならわしが

   ここにはじまった。

 

   初期にはエネルギーは厄介な副産物として、大気中や川の水の中に棄て去られていた。

   エネルギーが注目されるようになったのは、原水爆の軍備が肥大化して、

   材料生産が過剰になったあとのことである。

 

   この高レベルの廃液が、原子力発電のもっとも頭のいたい存在なのである。

   それをどう始末すればよいか、まだ解決は得られていない。

   ......このいずれをとるにしても、固形化した死の灰をどこにどのようにしまっておけばよいか、

   数百年、数千年に耐える方法は全く誰にも知られていない。

 

   ......現実の日本の社会は、地域的な、あるいは階級的ないくつかのグループに

   分かれていて、リスクを受ける人々とベネフィット(利益) を手にする人々が

   別々である場合が少なくない。

   私たちが当面している原子力発電と放射線障害の場合もまさにそうである。

 

   公共の名を利用して社会全体として利害のバランスが成立すると主張している。

   こういう錯覚から開放されることが必要なのである。

   どのくらいの害なら受け入れられるか、それを決めるのは、被害を受けつつある

   あなた なのである。

 

   ......つまり、大型原子炉は人里遠く離れた所におくほかはない。

   距離というものが何よりの安全装置なのである。 

   こうして、発電炉の立地条件がもっとも信用のおける安全装置として登場してくる。

 

   高速増殖炉が成功しなければ、核分裂エネルギーは 「未来」 のエネルギー資源とは

   なりえないのだが、以上のような現状は、原子力全体がまだ

   工業実験をも含む開発研究の段階にあるということを示している。

   ......生産されたプルトニウムを燃料として還流するのはまだ試験的な段階で、

   それは将来に期待して倉庫につみ上げられている。

 

   国民の主要な蛋白源を漁業に依存しているわが国にとって、

   原子力施設と漁業との関係を、従来のように前者による漁業権の買取り、

   したがって漁業権の消滅といったやり方で処理してきたことは大きな間違いである。

   ......再処理工場には同等な環境基準が何ももうけられてないといった

   明らかな矛盾は放置しておくべきではあるまい。

   

   燃料にするためのウラン濃縮はすべてアメリカに依存している。

   ......これほど外国依存度の高いエネルギー源は他にない。

 

   現在の日本の原子力行政を最も毒しているのは、原子力基本法に盛り込まれた

   三原則の存在にかかわらず、「公開」 の原則を無視した極端な秘密主義である。

   

   基本的に 「公開」 「民主」 「自主」 の三原則を忠実にまもる以外に、

   日本の原子力の将来はなく、住民に納得される道もありえない。

 

実に長々と引用してしまったが、すべてが腑に落ちないだろうか。

しかしこれらの問題提起は、今日まで何ひとつ解決されなかったばかりか、

原発の 「安全神話」 は逆に強固に築かれていった。

スリーマイル島やチェルノブイリを経験しながら、

日本では 「もんじゅ」 や東海JCOの事故を経験しながら、

みんなの税金は湯水のごとく使われて・・・。

武谷さんが35年前に伝えた 「つきまとう死の灰」 「プルトニウム社会のゆううつ」 は、

現実の恐怖となって飛び散ってしまった。

僕らは10万年後の子どもたちからも 「責任」 を問われることになったのだ。

怒っているだけではすまないよね。

 

今からでも、ひとつずつ創り直してゆきたい。

こういうセンスから再出発してもいいか、という導きの本が出された。

脱原発社会を説く30人の提言集。

 

e11083102.jpg 

 

懲りずに引用したくなる言葉があちこちにあるけど、

それはこの先、小出しに使わせていただくとして、

執筆人の名前だけでも列記してみれば (敬称略)-

作家・池澤夏樹、音楽家・坂本龍一、ジャーナリスト・池上彰、アーティスト・日比野克彦

社会学者・上野千鶴子、写真家・大石芳野、世田谷区長・保坂展人

城南信用金庫理事長・吉原毅、文化人類学者・上田紀行、映画監督・纐纈あや・・・

有機農業者では、山形県高畠町の星寛治、福島県二本松市の菅野正寿

そして、生産者会議でお呼びした篠原孝さんも、飯田哲也さんも、

大地を守る会会長・藤田和芳も寄稿している。

 

これだけの忙しい人たちを集めて緊急出版に漕ぎ着けた

大江正章さん(コモンズ代表) の力技にも敬服するしかない。

大江さん自ら書いたまえがきには、 「メルトダウン後の世界を結い直す」 とある。

 

そうだね。

これから10万年後に向けての再出発を。

結い直しましょう。 自戒をこめて。

 

そして、僕が身の丈を怖れず挑戦したいと思うのは、

引用した一節 -

「許容量とは・・・止むをえず受けることを認める量」 という、

武谷三男が提唱した 「がまん量」 の 限界を超えたいということだ。

 



2011年8月28日

みんなの力で 「第4の革命」 を進めよう!

 

8月18日(木)、

「脱原発と自然エネルギーを考える全国生産者会議」。

二人目の講師は、飯田哲也 (てつなり: 環境エネルギー政策研究所所長) さん。

用意されたタイトルは-

 

     -3.11フクシマ後のエネルギー戦略-

  自然エネルギーによる「第4の革命」

 

e11082801.JPG

 

テレビの討論番組などで、すっかりお馴染みの顔となった飯田さん。

論点は一貫している。

- 今は日本近代史における第3の転換期。 人類史での第4の革命が始まっている。

- 世界は大胆に自然エネルギーにシフトし、世界市場は急拡大しているのに、

  かつての自然エネルギー技術先進国・日本は取り残され、逆にシェアを縮小させてきた。

- 自然エネルギーは唯一の 「持続可能なエネルギー」。

- 自然エネルギーは豊富すぎるほどある(1万倍以上)。

- 「自然エネルギー100%」 は、すでに 「if」(仮定) ではなく、

  「when,how」(いつまでに、どのように) の議論になっている。

- 自然エネルギーは普及すればするほど安くなる。

  かたや原子力・化石燃料コストはどんどん高くなっている。

- ポイントは 「全量買取制度」。 当面の 「負担」 は 「将来への大きな投資」 となる。

- 東北は自然エネルギーの可能性に満ちている。

  東北での 「2020年に自然エネルギー100%」 は可能だ。

- 新しい 「エネルギーの地域間連携」 で、地域でお金が回るようにしよう。

  地域のオーナーシップを発揮させ、便益は地域に還元する。

  自然エネルギーの雇用創出力は原子力よりはるかに高い。

- 無計画停電から戦略的エネルギーシフトへ。

  持続的な 「地域エネルギー事業」 を推進するときが来ている。

 

e11082103.JPG

 


お二人の講演を受けて、戎谷より、

大地を守る会のこれまでの活動報告とともに、

次の展開に向けての野望も提出させていただく。

 

「 ここからは、我々が考える時です。

 大地を守る会の生産者・メーカーの総力を挙げて、

 脱原発と自然エネルギー社会を創造していくことを、この場で確認したい。」

無理矢理(?)、拍手で確認。

 

食の安全確保に向けて、水際でのチェックも放射能除染対策も、

我々の手でやれることはすべてやろう。

そして、データを蓄積するとともに、国の暫定基準をどう決着させるか、

という議論に入っていきたい。

できるならば、かつて、1970年代に原子力発電の危険性を訴えた物理学者、

武谷三男さんが唱えた 「がまん量」 の考え方も思想的に超えたい。

 

夜は大地を守る会の生産者たちの食材とお酒で語り合い、

翌日は、各地での実践例を出し合い、議論を深めた。

 

e11082106.JPG

 

「放射能除染対策から地域再生へ」

事例1-岩手県久慈市(旧・山形村)、JAいわてくじ・落安賢吉さん。

      日本短角牛の里で取り組む除染対策。

事例2-福島県須賀川市、ジェイラップ・伊藤俊彦さん。

      水田での様々な除染試験から総合対策へ。

事例3-福島県二本松市、ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会・佐藤佐市さん。

      動き出した 『里山再生・災害復興プログラム』 構想。

 

【資源循環・エネルギー自給に向けて】

事例4-山形県高畠町、米沢郷牧場・伊藤幸蔵さん。

      「自然循環・リサイクルシステム」 からの展望。 

e11082107.JPG

 

事例5-宮城県大崎市、蕪栗米生産組合・千葉孝志さん。

      「冬みず田んぼに太陽光発電」 から次の課題を考える。

事例6-群馬県高崎市、ゆあさ農園・湯浅直樹さん。

      ここまできたエネルギー自給農園。

 

意見交換では、互いの知恵を共有し新しい試験もやりたい、という提案も出され、

おそらく皆、希望と勇気をもらったのではないだろうか。

司会をしながら、少し熱くなる。

「私たちは今、先端の場にいて、未来を共有しているのです。」

 

午後はオプションで、希望者による習志野センター見学。

放射能測定の説明をするのは、品質保証グループ長・内田義明。

e11082108.JPG

 

ここにガンマ線スペクトロメータが4台。

現在、週120検体のペースで測定を続けている。

さらには現地(福島県須賀川市) に1台。

こちらでは、ジェイラップががんがんデータを取ってくれている。

そして月末には、ゲルマニウム半導体検出器がやってくる。

 

ただ到着した食品の安全性を確認するためだけではない。

生産者にとっての安心と、意図しない2次汚染を防ぐためでもある。

各種の試験データは次の有効な対策につながるだろう。

帰りがけに、伊藤幸蔵さんが言ってくれた。

「こういう体制を作ってくれるのは、本当にありがたいです。」

試行錯誤だけれど、一緒に前を見る仲間がいる。

こんな嬉しいことはない。

 



2011年8月26日

10万年の想像力を持って・・・

 

経済産業省原子力安全・保安院 (「不安院」 などと呼ぶ人もいる) が

今日発表したところによれば、

福島第一原発の事故によって大気中に放出されたセシウム137の量は、

広島型原爆の168.5倍に相当するという。

原爆168発分。。。

僕の軽薄な想像力は、読んだ時点ですでについてゆけない。

調べた人や発表した人は、どれだけ心を震わせたのだろうか。

 

ついてゆけないといえば、こんな数字もある。

「高レベル放射性廃棄物も含めた原発ゴミは、10万年にわたって管理しなければならない。」

10万年!!! 僕の文科系脳みそでの計算では、3000から4000世代・・・

今から10万年前といえば、

我々ホモ・サピエンスの大先祖がアフリカを出て長い旅を開始した頃だ。。。

今、ヒトは現実の話として、

10万年という時間を、この呪縛に囚われて生きなければならなくなっている。

僕らは、絶えることなく、後々の世代に

間違いのない指示書を受け継がせなければならない。

いつか、「あの山には鬼が出る。入ったら末代まで祟(たた) られる」 とか、

「ゼッタイにこの封印を解いてはならない」 とか、

恐ろしい伝説と化して語られることになるのだろうか。

ならば、子どもが一生忘れられないような怪談話を用意しなければならない。

それは今進んでいる、現在進行形の姿をどう語り継ぐか、なんだけど。

それぞれの言葉で、それぞれの実感を胸に刻みながら、

新しい人類の旅を始めるくらいの決意を持って。

 

しかし、、、別な意味で想像に苦慮するのは、

家やご先祖の墓や故郷と引き裂かれた難民ともいえる人々が目の前で叫んでいる

今この期に及んでもなお、原発輸出の途を残そうとする政治家や、

既得権益にしがみつく電力会社や大企業が、巌に存在することである。

彼らはどこを向いて、何を見ているのだろう。

それは人々を救う道につながっているのか。 誰か教えてくれ。

 

「核時代の想像力」 「想像力に試練を与えよ」

 - 僕がまだ青二才の頃、作家の大江健三郎さんが問うた言葉だが、

今を真剣に見つめ、語り継ぐこと以上の文学があるか。

 

そんな憂鬱にさいなまれながら、

「脱原発と自然エネルギーを考える全国生産者会議」

のレポートをしなければならない、と自らに課してしまっている、心安まらない週末。

 

e11082501.JPG

 


まもなく 「元」 となる農水副大臣・篠原孝氏の講演。

「土壌における放射能汚染の除染とチェルノブイリの現況」

と題してお願いしたのだが、ま、何と言うか、

篠原さんは講演どころではなかったのだろう、とご同情申し上げるしかない。

期待はずれと感じた生産者の方には、私からのお詫びでご容赦願いたい。

この政局の中、「大地を守る会の生産者の集まりに行く」 を優先してくれたことを、

素直に感謝しましょう。

 

e11082601.JPG 

 

農林水産省職員の頃から有機農業を提唱してこられた稀有な方である。

その視点から原発にも強い疑念を持ち、

槌田敦・劭兄弟から室田武、高木仁三郎、内橋克人、小出裕章・・・等々の著作を読み漁り、

これらの方々と知己を広げ、3.11直後から連絡を取り合い、

できるだけの対策を取ってきたとの自負がある。

 

国に、食品での放射性物質の残留基準値がない中で、

「危険なものを流通させてはならない」 との思いで暫定規制値の設定を急いだこと。

(注......それまでは、チェルノブイリ事故後に設定した輸入食品を規制する370ベクレル

 という規制値があったが、それは当時の自給率などを勘案してつくったもので、

  今日の基準とするには改めて精査し直さなければならない。)

また、米の作付時期に入り、土からの吸収率の過去のデータを元に

作付制限の指標を示したこと、などの経緯が語られた。

 

未曾有の事態が進む中で、篠原さんなりに頑張ったのだ。

しかし、静岡のお茶からも検出され、牛肉からも検出され、、、

「農水省だけが悪いのでしょうか」 という本音まで吐露された。

この集まりだから、と少し気を許して喋ってくれた感がある。

 

もちろん、篠原さん個人を指弾するつもりは毛頭ない。

除染についても、僕らにとって目新しい情報は示されなかったけど、

すべてはこれからの作業の積み重ねが勝負なんだよね、

との思いを改めて強くしたのだった。

10万年の想像力を持って、今から・・・

 

これからの食品の流通判断に関しては、

ベラルーシやウクライナの、「経過観察に基づいた」 きめ細かい食品の基準値設定

の手法が参考になる、という示唆は、こちらも思うところである。

ただし、高濃度のミルクを低濃度のものと混ぜてリスクを下げるという提案は、

いただけない。 それはダメです。

 

「原発は害毒である。 脱原発は独、伊、スイスよりも日本が先頭に立つべきだ。」

「食べものもエネルギーも、地産地消を進めなければならない。」

「 (いま流通されているものは) 50歳以上は食べても大丈夫です。

  食べて (この国の農業を、つまり食生産の基盤を) 支えてもらいたい。」

 

個人的には賛同できます。

篠原さんも、是非頑張っていただきたい。 

多忙な中、ありがとうございました。

 

次に、昨今メディアから引く手あまたの飯田哲也(てつなり) さん。

 

e11082104.JPG

 

スミマセン。 今日はここまでで。

 



2011年8月24日

千葉さんのディズニーランド計画、実現

 

生産者会議の報告の前に、もうひとつ。

 

震災で亡くなられた宮城県南三陸町のエリンギの生産者・千葉幸教さんが、

春休みに家族旅行を計画されていた、という話を以前書いたけど、

「落ち着いたら招待したいね」 が、実現しました。

 

申込金をお返ししたいのだが、と千葉さんの消息を尋ねてきた旅行代理店

の方と相談し、職員中心にカンパを募り、

同じような旅行パッケージを奥様の茜さんにお届けしました。

 

そして夏休み最後の週となった22日 (地元小学校の夏休みは25日まで)、

二人のお嬢ちゃんはしっかり宿題も終えて、お母さんと3人で

元気にディズニーランドにやって来てくれたのです。

 

この夏休みは学校のプールに行っただけ、とお姉ちゃんの ゆか ちゃん。

今日(22日) は朝5時前に起きた、と妹の みお ちゃん。

ケータイ写真を奪い合ったり、仲良く笑いながら走り回ってくれて、

僕らのほうが救われたような気持ちになりました。

 

2泊3日というささやかな日程。

3人は、ディズニーランド、ディズニーシーと目一杯楽しんで、

今日、志津川へと帰られました。 

 

e11082401.JPG

前のブログでは、中学生と小学生と書いてしまいましたが、

僕の思い込みによる間違いでした。

ゆかちゃんが5年生、みおちゃんが3年生です。

 

まだ仮設住宅だけど、助け合いながら、元気に暮らしています。

皆さんに、心から、「有り難うございました!」 

(千葉あかね・ゆか・みお さんより)

  



2011年8月23日

脱原発と自然エネルギーを考える・・・前に

 

立秋を過ぎて、やけに暑くなったり、一転して涼しくなったと思えば

また暑くなったり、、、ゲリラ豪雨に泣いている産地があるかと思えば、

北海道からは昨年以上の不作が伝わってくるこの頃。

皆様、体調のお加減はいかがでしょうか。

千葉・幕張でクマゼミを見る前に、埼玉・飯能でヒグラシの合唱を聞かされるという、

不思議な夏です。

 

今日も習志野物流センターに駆り出されて、テレビの取材を受けました。

日本テレビで平日の夕方に放送されている 「News every.」 という報道番組。

例によって放射能測定体制と、「子どもたちへの安心野菜セット」 について。

 

シンチレーション・サーベイメータによる入荷した野菜全ロットの一次検査、

ガンマ線スペクトロメータによる二次検査、

そこで 「不検出」(検出限界値・10Bq以下) を確認した野菜で構成される

「子どもたちへの安心野菜セット」。

しかし実際は、今やほとんどの野菜が 「不検出」 になってきていることも

付け加えながら説明させていただいた。

 

事故渋滞等で取材班の到着が遅れ、取材自体も少々長引いたこともあって、

農産グループ内の会議をパスして、対応する。

本職がおろそかになっていないか・・・・・と自問しながら。

 

放送は25日の夕方とのこと。

今回はパワー不足だったかも。。。

 

さて、8月18日(木)から19日(金)、

千葉・新習志野にある幕張セミナーハウスにて

「脱原発と自然エネルギーを考える全国生産者会議」 を開催したので、

その報告をしなければならない。

この会議には、けっこう気合入れたつもりである。

 

僕らが25年前から主張し続けながら、止められなかった原子力発電。

みんなが大切に育んできた田畑にも放射能は降り、

もっとも恐れていた事態が現実のものとなった。

その度合いと体への影響については様々な議論があるところだが、

はっきり言えることは、放射線の影響は限りなくゼロであることが望ましいこと、

そしてやっぱり、こんな厄介なものと未来永劫にわたって共存することはできない、

ということだ。

 

そこで改めて、大地を守る会の生産者の総意として、

きっぱりと脱原発社会を目指すことを宣言しようではないか。

しかもただ  " NO!"  の意思表示で終わることなく、

分散型・地産地消型の自然再生エネルギー社会を、みんなの力で推し進めよう。

我々の  " 提案型運動 "  として。

 

e11082101.JPG

 

集まった生産者・メーカーは全国から約150名。

1日目は講演を中心にした勉強会。

2日目は各地で取り組まれている実践例をもとに生産者同士で意見交換を行なう、

という設定。

 

お願いした講師は、農林水産副大臣の篠原孝さんと、

NPO法人・環境エネルギー政策研究所の飯田哲也(てつなり) さん。

ともに3.11以降、精力的に政策提言を行なってこられた方である。

 

e11082102.JPG

 

篠原孝さん。

「元」 副大臣と紹介しなくてすんだようだが、政局騒々しい中、

本当に来れるのか、随分と気をもませられた。

 

概要の報告は、ゴメン、、、次回に。

忙しい々々、を口ぐせにしながら、夜は都心での会合に出かけ、

またついつい飲んじゃったのでした。

 

お二人の講演内容は、USTREAM でもアップしたので、

きっちりと聞いてみたい方は ↑ で。

取り急ぎ動画のご案内で、今日のところは・・・ スミマセン。

 


 



2011年8月15日

西からも東からも、応援し合う関係を築くこと

 

東京の夕空に、ゴジラ参上。 

e11081501.JPG

10日の午後から夏休みをもらって、帰る途中に発見。

似てない? 似てるよね。

この頭に乗って進軍してみたいものだ。

しかし、ゴジラが邪悪な都市に怒りをぶつけにやって来たというニュースは、

残念ながら聞かれなかった。

 

11日から3日間という慌しい日程ながら、

郷里に帰って墓参りをしてきました。

e11081502.JPG

 

南四国の東海岸。 太平洋を臨む、国道も通ってない小さな漁村。

この海から直線で15kmくらい北の岬に

原子力発電所を建設するという計画が持ち上がって、

住民の激しい反対にあって白紙撤回されたことがあった。

普段は政治のことなど話題にもしない漁民たちがハチマキ締めて

県庁まで抗議に出かけたりしたんだよね。

僕の家の戸口にも 「原発反対の家」 のステッカーがしばらく貼られた。

35年も前のことだ。

もし建っていたら、そろそろ寿命期に入る原発を、

この地の人々は眺めることになる。

 


前にも書いた気がするけど、

極めて保守的なこの地の漁民たちが猛烈に原発に反対したのは、

まだあの頃は漁業で暮らしてゆける自信があったからだ。

海はかけがえのない暮らしの源であり、

大らかに宝ものを与えてくれるみんなの財産だった。

それがもう、この海の豊かさを自慢する人たちはすっかり高齢化してしまって、

町自体が萎んできた感じである。

今なら、もしかしたら、海を売っちゃうのだろうか。。。

原発と一次産業は、どうしても負、いや反の関係にある。

お金といのちは両立しないワケではないはずなのだが、

おそらく両極に位置するからか。

 

9日、長崎で開かれた平和式典で、

田上富久市長が読み上げた平和宣言の一節が、頭の中でダブってくる。

 

  「ノーモア・ヒバクシャ」 を訴えてきた私たちが、どうして

  再び放射線の恐怖に脅えることになったのでしょうか。

  自然への畏れを忘れていなかったか、

  人間の制御力を過信していなかったか、

  未来への責任から目をそらしていなかったか・・・、

  私たちはこれからどんな社会をつくろうとしているのか、

  根底から議論をし、選択する時がきています。

  たとえ長期間を要するとしても、

  より安全なエネルギーを基盤にする社会への転換を図るために、

  原子力にかわる再生可能エネルギーの開発を進めることが必要です。

 

守らなければならないものは何なのか、本当に今、考えなければならない。

そして、行動すべき時は、敢然と動きたい。

あの頃の漁師のおっちゃんや母ちゃんたちのように。

賢治も書いている。

 - なぜやめたんですか。

    ぼくらならどんな意気地ないやつでも

    のどから血が出るまでは叫ぶんですよ。 (『セロ弾きのゴーシュ』) 

 

e11081504.JPG

 

あちこちに祀られている神仏に手を合わせて、

肝心のウチの仏さんを見送ることもせず、とんぼ返りする。

 

14日、途中で奈良に迂回して、五條市にある王隠堂農園さんを訪ねた。

6月から取り組んだ企画 - 「西から応援野菜セット」 へのお礼を伝えたかったのだ。

 

e11081505.JPG

 

作業場では、まさにセット組の最中だった。 

お盆の真っただ中であるにも拘らず、

作業ローテーションを組んで出勤してくれた女性陣に、深く感謝したい。

 

e11081506.JPG

 

実に手際よく箱詰め作業が進んでいく。 

 

e11081507.JPG

 

野菜の状態もチェックしているのだが、

時に流通過程で溶けたり傷んだりしたものも発生した。

小売店なら入荷した時点で検品して、バックヤードではじけばよいのだが、

産地から家庭まで、そのまま運ぶものはやはり一定のリスクを伴う。

 

もし傷んだものが入っておりましたら、ご一報ください。

返金処理とかはもちろんのこと、産地へも情報をフィードバックし、

改善に役立てていきますので。

先週はよかったのに、今日は・・・ということもありえます。

一般では隠れて見えなくなる青果物流通の実態が

そのまま届いたりするのが、この流通の妙味です。

どうか温かい目で・・・ と言うと、甘い!と叱られるのではありますが。

 

e11081508.JPG

 

王隠堂さんがつなぐ生産者たちの野菜で構成された 「西から応援セット」 も、

来週をもっていったん終了となります。

このあと、王隠堂さんたちの野菜で継続されるものは、

「子どもたちへの安心野菜セット」 に吸収されることになります。

引き続き、「子どもたちへの~」 をご利用いただけたなら幸いです。

 

応援セットは終了しても、それで終わりではない。

これからの有機農業の全国的発展、次世代育成をにらんで、

関係を強化するための作戦会議も開いて、おいとました。

 

吉野の里のお米も、登熟期に入ってきた。

e11081509.JPG

 

この国の大地を守るべき主体を育て、ネットワークする。

それは原発に頼らない社会を再建するための地盤となるはずだ。

「西から応援~」 は、消費者の不安に応えた側面もあるが、

食べることで輪がひとつ大きくなったことはたしかである。

 

原発問題は、福島だけではない。

これから全国の原発が、廃炉の時代に入っていく。

西からも東からも、里からも海からも、応援し合うつながりを築いていきたい。

未来のために、教訓は今から形に、である。

 

渋滞のピークを避け、深夜の中央道を走りながら、

明日からの作戦を思い巡らせている。

これで夏休みも終わる。 病気だね、まったく。

 



2011年8月 9日

ヒマワリをシンボルに、里山再生を誓う

 

だれのために 咲いたの それはあなたのためよ ♪♪

                           (伊藤咲子 「ひまわり娘」)

 

  いえ、未来の子どもたちのために 咲かせたの。

  祈りながら 蒔いたの ヒマワリの種を。

 

e11080701.JPG

 

須賀川・ジェイラップで測定器の作動とこれからの測定計画を確認した

翌7月30日(土)。

郡山から二本松市に移動して、 

「ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会」 代表の大野達弘さん、

副代表の佐藤佐市さんと会い、今後の除染計画について情報交換を行なう。

 

協議会では 「里山再生・災害復興プログラム」 が策定されていて、

いくつかの民間団体の基金からの助成も準備されている。

茨城大学や新潟大学の先生たちも連携したプロジェクトがようやく形となって、

動き始めているのだ。

 

会員の農産物や畑・里山の放射能測定によって実態をつかみ、

測定マップに基づいてく対策を立てる計画だが、

そのひとつに 「SVO」(ストレート・ベジタブル・オイル) 構想がある。

 

農地にヒマワリやナタネを植えて土壌改善をはかり、

収穫した種を搾油して、その油を飲食店、豆腐屋さん、一般家庭などで使い、

使用済み廃食油を回収-濾過して車や農機具の燃料として使用する、

エネルギーの自給と循環の仕組みづくりを目指すものだ。

 


ここは協議会前代表の菅野正寿さんのヒマワリ畑。

 

e11080702.JPG

 

地域農業の再興とエネルギー地域循環のシンボルとして、

見事に咲いたヒマワリたち。

 

e11080703.JPG

 

しかし、すべてのプログラムに要所要所で立ちはだかるのが、

放射能の移行や挙動である。

測定は福島に設置された市民放射能測定室が連携することになっているが、

測る検体の数はおそらく相当な数になるだろう。

大地を守る会でつくってきた測定体制も必要に応じて協力する旨をお伝えして、

お別れした。

 

農水省を退職して東和に就農して5年。

決意も新たにしている関元弘さんのヒマワリ畑も見て、引き返す。

e11080704.JPG

 

郡山に戻り、今度は福島わかば会と打ち合わせ。

こちらでも今後の対策と測定計画を話し合う。

どこもかしこも、あれもこれも、と測定の要望が高まる中で、

ちゃんと計画と目標を立てて取り組まないと、

ただ右往左往する結果にもなりかねない。

みんなの努力が最大限の成果につながるよう、

しっかりとサポートしなければならない。

やらなければならないことを指折りながら、深呼吸をひとつ。

 

e11080705.JPG

 

涙なんかいらない いつでも微笑を ♪♪

 

すべての予定が狂ってからもう5ヶ月。

僕はいま、フクシマを回っている、向日葵に勇気づけられながら。

この時間の意味を腹に刻み込んでおくこと、だ。

 



2011年8月 6日

ガンマ線スペクトロメータ、稲田で始動

 

7月29日(金)、

専門委員会・おさかな倶楽部を中心に、生産者・消費者・職員20数名による

「三陸応援炊き出し隊」(吉田和生隊長) が元気よく出発したこの日、

僕は僕で東北新幹線に乗り、福島県須賀川に向かった。

「大地を守る会の備蓄米」 の産地、稲田稲作研究会の生産者を束ねる

ジェイラップ(伊藤俊彦代表) に、測定器 「NaI(TI) ガンマ線スペクトロメータ」

を設置するためだ。 

 

わざわざ貴重な測定器を現地に据えるのは、

ただ我々にとっての大事なブランド産地を守りたいだけではない。

測定器を駆使して様々な除染試験データを取るためである。

光合成細菌、乳酸菌、海藻粉末、天然軟質多面多孔性凝灰岩、貝化石・・・・

賛否両論あるEM菌も、ごちゃごちゃ言い合っている場合ではない。

しっかり第3者の目で検証してみようじゃないか。

また稲の生育過程でのデータも、できるだけたくさんのほ場で取る予定でいる。

歴史的にも貴重なデータの集積になると思う。

我々なりの、明日につなげる挑戦である。

 

測定器メーカーのEMFジャパン代表、谷口明さんから説明を受ける伊藤俊彦さん。

右端は当社品質保証グループ長・内田義明。

e11080601.JPG

 

その光景を撮影しているのは、海外のTV局。

なんとあの、中東の 「アルジャジーラ」 の英語放送のスタッフである。

取材依頼のタイミングが合って、飛んできたのだ。

e11080604.JPG

 

我々の取り組みはインターナショナルに注目されている、

と偉そうに言っておきましょうかね。

 


ま、そんな話はともかく、

デスク左脇にこじんまりと、台車に乗っかるように置いてあるのが測定器。 

意外と小さいと思われるかもしれない。

しかしこれで、重さ200kgある。 

e11080602.JPG

 

このステンレス・カバーの内側に、厚さ50mmの鉛+無酸素銅3mmから成る

鉛シールドがブロック状に張り込まれ、外部環境からの放射線を遮断する。

そして中心部に、直径3インチ・長さ3インチのNAI(TI)シンチレータが格納される、

という構造になっている。

台車には4輪とも自在形のキャスターが付けられていて、免震機能を果たす。

 

組み立てて、PCやプリンターを接続させて、調整すること約4時間。

次に測定方法、データの読み方などを細かくレクチャー受ける。

 

器械が正常に働くことを確認したところで、早速、試験をしてみる。

試料 (検体) は、田んぼからとってきた稲。 

e11080603.JPG

 

手前の円筒型ポリ容器(330mℓ) に試料を詰める。

従来タイプだと、試料用容器はマリネリ容器と呼ばれる1または2リットル容量の

特殊容器が使われているのだが、体積(=検体の必要量) が大きすぎるのと、

移し替える作業に手間がかかったりする。

このポリ容器だと、土なんかを現地で詰めて持ち帰り、そのままセットできる。

器械を汚す心配がなく、そのまま保存しておいて

翌年同じ場所で採種したサンプルと比較することもできる。

 

本器械での定量下限は、15分測定で20Bq/kg、10分だと25Bq/kg。

定量下限や検出限界というのは測定時間によって変わることは知っておいて欲しい。

もし何かの検査結果を確かめるときには、

検出限界値と測定時間を確認しておくことは必須です。

大地を守る会では、この機器で1検体2時間かけている。

そこでの限界値は、セシウム134、137など核種それぞれで10Bq/kgである。

 

さて、結果やいかに。

稲田稲作研究会では、土壌に残留しているかもしれないセシウムを

稲に吸収させないために、ほ場全部にカリウムを投入した。

その成果は---、セシウム定量下限以下!

まったくキレイなのだ!

しかも、カリウムはしっかりと捉えている。

カリウム施肥の成果が数字になって現われた瞬間に、皆の目が輝いた。

 

ようし。 これでガンガン測っていこう。

伊藤さんの気合いが、さらに高まった。

 

ただこの試料はちょっと量が少ないです。

もっと小さく刻んで一定量をきちんと入れないといけません。

 - と、そこは冷静に抑えにかかる内田・品質保証グループ長。

 

アルジャジーラから取材を受ける伊藤さん。

e11080606.JPG

 

フクシマの農家の苦しみ、悔しさを語りつつも、

不安を抱いたままじゃない、出来る限りの手を尽くして前に進みたい、

と希望を語ることを忘れない。

ニッポン農家は、負けてない、と伝えてくれ。 

 

検査用サンプルを取る伊藤さん。

e11080605.JPG

 

この取り組みは、稲田だけで終わらない。 須賀川市全体に刺激を与えつつある。

俺たちの仕掛けは、まだまだ続くのだ。

見てろ!

 



2011年8月 3日

いつか孫に褒めてもらえる仕事をしたい

 

7月23日のレポートを書いている間にも、そしてその後も、

日々めまぐるしく動きはあるのであって、

もうこんな日記の調子ではとてもついてゆけない。

でも、どうにもスタイルを変えられないでいる。

つらいつらいと言いながら、まだこだわりが残っているか。。。

ま、取り急ぎ、この間の行動を振り返ってみよう。

 

7月26日(火)、東京・竹橋で開催された

「2011夏期学校給食学習会」 の模様を覗かせていただく。

「全国学校給食を考える会」 と 「東京都学校給食栄養士協議会」 の主催で、

毎年夏休み期間に、全国から栄養士さんや調理師さん、教員が集まって

開かれている学習会である。

 

今年は 「震災・津波・原発事故後の学校給食を考える」 というテーマで、

講演や実践の報告会、そして意見交換会が展開された。

 

e11080101.JPG

 

僕がこの学習会に久しぶりに (10年ぶりくらいか) 参加することになったのは、

3名の方の報告を聞くためであったが、最後に行なわれた意見交換会では、

実に重たい話が語られていた。

 

福島の方からの報告。

人の転出・転入が続いていて、学校は今も落ち着かない状況である。

福島県では来年は教員採用がなくなったそうだ。

給食現場では、放射能 「検出せず」 の野菜を選択したいが、

自主的な判断はできない。

子どもの被曝検査は県内でできず、県外の病院に頼んだが断られた。

みんな風評被害を恐れていて、

余計なことはするなという雰囲気になっている。

 

そんなつらい空気を吹き飛ばすかのような発言をしたのが、

ジェイラップ (稲田稲作研究会/福島県須賀川市) の伊藤俊彦さんだ。

 


「安全」 を語るには科学的根拠が必要になっている。

徹底的に現状を調査して、必要な除染対策を立て、前に進みたい。

目標があれば頑張れる。

幸い大地を守る会から高精度の測定機を貸し出してくれることになったので、

できることなら全部の田んぼと米を測りたい。

自分の子供に食べさせたくないものは、消費者にも届けたくない。

「こういう人が作ったものなら安心だ」 と言われたいし、

いつか孫に褒めてもらえるような仕事をしたい。

今の現実から、新しい、福島ならではのイノベーションを起こしたい。

 

今年の 「大地を守る会の備蓄米」 は、

こんな伊藤さんの思いがぎっしり詰まったものになる。

食べてほしいなぁ、たくさんの人に。

 

続いて、千葉・さんぶ野菜ネットワークの下山久信さん。

この日は 「食と農の再生会議」 事務局長の肩書で登場。

 

将来を見据えながら、この3年で15人の新規就農者を育てた。

しかし、これから秋冬の作付が始まる中で、

取引先から計画の20~30%減という販売予測が伝えられてきている。 

このままでは希望を持って就農した若者たちもやっていけなくなる。

いま野菜を測ってもほとんどND (検出せず) なのだが、

降った放射能は土壌には残っている。

我々も、ポイントを決めて、毎月土壌検査を始めている。

 

e11080102.JPG

 

茨城県八郷町(現石岡市) から来られた 「提携米研究会」 代表、橋本明子さん。

23年前に東京から移り住み、仲間とともに地域の有機農業を育ててきた。

原発事故は自分にとって、そんなこれまでの時間をすべて呑み込んだ大津波だった。

深い絶望で農作業ができなくなった。

それでも食べてくれる人の励ましと、若者たちの農業継続の意思に勇気づけられた。

この先、放射能汚染がどうなっていくのか、何も分かってないが、

みんなの力を信じてやっていこうと、ようやく心が定まってきた。

健康なくして教育はあるでしょうか。

子どもたちの健康を守る学校給食を、どうか築いていっていただきたい。

 

切実な現場報告に、全国から集まってきた栄養士さんたちも

最後まで真剣な面持ちで意見交換が行なわれていた。 

 

すでに私たちは地球が汚染されてしまった時代にいて、

ある種の覚悟が求められている。

福島だけが当事者ではない。 

原発は各地にあり、老朽化が進んでいるのだ。

みんなの力で、原発は止めるしかない。

子どもたちの未来のために、それぞれの現場で、やれることを進めましょう。

 



大地を守る会のホームページへ
とくたろうさんブログへ