産地情報: 2011年3月アーカイブ

2011年3月26日

感謝と誤報のお詫び。そして願わくば 「希望の米」 へ。

 

地震と津波による大災害が起きてからの日記で、

この間コメントをお寄せいただいた

大豆 さん、ゆう さん、竹田由美子 さん、天下無敵 さん、フカヤ さん、谷川 さん、

小黒江利子 さん、農民たかはし さん、ソレイユ さん、MO さん、ゆかり さん。

お返事も書けずにいまして、すみません。

皆さんの温かいひと言ひと言に、けっこうグッときてました。

皆さんの期待に応えられるよう精一杯やらねば、と読ませていただいておりました。

この場を借りて御礼申し上げます。 有難うございました。

小黒さん、お久しぶり。 元気でボランティアに参加されている由、頑張ってください。

 

また潮田さんには、本当に申し訳ありませんでした。

私自身、無事の一報を得て舞い上がってしまいました。

かえってつらい思いをさせてしまったかと、深く後悔しております。

 

他にも何人か安否確認でお問い合わせを頂戴し、

個別にお返事させていただきました。 

このブログも少しはお役に立てたようで、嬉しいです。

 

第一報ということでは、もうひとつ誤報を出してしまいました。

被害の状況をお伝えする中で、

福島県須賀川市・ジェイラップ (生産団体名=稲田稲作研究会) の

 「備蓄米の貯蔵タンク」 が損傷を受けた、とお伝えしましたが、

正確には 「精米ライン内のタンク」 でした。

地震後の数日、ほとんど連絡が取れない中、

当社職員の携帯電話で幸運にもつながった際に 「タンクが破損」 との報告を受け、

すっかり貯蔵タンクかと思いこんでしまったようで、

そのまま 「被害情報」 として流してしまいました。

正確な確認がなかなかできない状況下で、

いち早くお知らせしたいという思いであったとはいえ、

不正確な情報を流してしまいました。

たくさんの心配の声が寄せられ、感謝とともに、深く深くお詫びする次第です。

 

本日、ジェイラップの関根政一さんから

籾(モミ) 貯蔵タンクの写真が届いたので、アップします。

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写真に張り付けられたコメントは以下の通りです。

 

大地を守る会 備蓄米登録会員様へ

  3月11日に発生しました 「東北地方太平洋沖地震」 にて

  大地を守る会様より 「籾貯蔵タンク」 が破損したとの発表がありましたが、

  安否及び被害状況確認時の情報に行き違いがあり、大変ご心配をおかけしましたが、

  ご覧の通りビクともせず無事ですので、ご安心いただきたく思います。

  この度は、皆さまよりご心配や励ましのお言葉をいただき、

  誠にありがとうございました。

                                 平成23年3月26日

                                   稲田稲作研究会

 

ジェイラップの、その後の驚異的なスピードでの復旧努力については、

お伝えした通りです。

ただ、もっと深刻なのは、実は今年の、これからの米作りです。

須賀川では、新聞等でも報道されましたが、藤沼湖という農業用ダムが決壊し、

用水路や送水ポンプにも被害があり、農業用水の確保が困難なほ場が

多数発生しているという状況です。

それでも稲田稲作研究会では、可能な限り諦めないで作付を行なうこと、

目標、希望、農地を捨てず、前向きに進む決意を確認し合い、

今日から、23年産米の作付に向けて、種籾の温湯消毒を開始しました。

「どの程度の数量が確保できるかは分かりませんが、精一杯頑張ろうと思います」

と関根さんは力強く語ってくれています。

 

しかし、追い打ちをかけるように、福島原発事故の影響が、

日を追って深刻になってきています。

福島第一原発から西南西に70㎞という距離があっても、

福島県内というだけですでに風評被害の影響も受けています。

 

震災や冷害など非常時にこそ力を発揮する 「備蓄米」。

外部からの汚染に対して最も安全で、しかも食味や品質を損なわない 「モミ貯蔵」。

未来への永続性を見据えながら、環境を守る稲作技術を進化させてきた生産者たち。

20年かけて築いてきた最強布陣のシステムも、

もしこのまま放射能問題が長期化すれば、どうなるだろうか。。。

 

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「 見えない先を恐れて、何もしないで立ち止まれば、目標も希望も失ってしまいます。

 私たちはとにかく、安心して食べてもらえる米作りに、ひたすら取り組むのみです。

 いま私たちが作業を始めなかったら、来年のお米がないわけですから。 」

 

「 色々な困難が待ち受けていると思いますが、とにかく前に出るのみです。

 頑張りますから。」

 

ジェイラップ・関根政一さんの言葉は、けっして彼だけのものではなく、

想像を絶する震災に遭いながらも、

いま田んぼに立っている、すべての農民共通の思いに違いありません。

 

ただ前を見るしかない。

秋に見せてくれるであろう黄金色の稔りに希望を託して-

そんな思いで今年の米作りをスタートさせたすべての農民に、

心からエールを送りたい。 そして祈ります。 

 - 雄々しいタンクの写真と関根さんの言葉を見つめながら、そんな思いです。

 

なお、大地を守る会のHPでは、

「大地を守る会の生産者の被害状況」

が一覧にまとめられていますので、どうぞご確認ください。

 



2011年3月21日

みんな頑張っている

 

とてもつらい訃報の悲しみにひたる間もなく、

津波のように追い討ちをかけてくる福島原発事故の影響。

 

避難所では笑顔で励ましあっている人たちがいて、

ボランティアで東北に向かう人がいると思えば、

放射能汚染から逃れるために東京から避難する人も現われてきた。

 

原子力発電所では、50メートルまで近づいて放水を続ける人たちがいる。

彼らの胸の中にあるのは家族と子供の笑顔だろうか。

それとも一人の、孤的な美学がその行動を支えているのだろうか。

一方で、ホウレンソウはどこであっても要らない、という小売店まで現われた。

 

天使の心を発揮する人もいれば、悪魔の言葉を増殖させる人もいる。

僕はこの現実を冷静に受け止められず、翻弄されている。

ただただ判断を誤らないことを願いながら。

 


青森・新農業研究会の一戸寿昭会長から電話が入る。

青森とあって、何か起きたかと一瞬不安がよぎったが、用件は逆だった。

「大地から震災に対する方針が届いてこないんだけど、どうなってんの?」

 

倉庫や冷蔵庫が壊れたにもかかわらず、

「こっちの被害なんてどうってことないんだからさ。 支援の要請をよこしてよ。」

この程度じゃ被災だなんて言ってられない、支援させてほしいのだと言う。

91年の19号台風以来、被害への支援を受けた感謝を忘れない人たち。

この底力。 また涙が出てくる。

 

どこもみんな、建物や設備の損壊はある。 しかしそれで弱音を吐く人がいない。

たとえば本ブログにも時折登場する宮城の大豆生産者、

高橋伸さんのブログ  を見れば、大変な被害だったんだと改めて思う。 

これからの復旧資金は、どれだけの重荷になるだろうか。

でも彼は、心配する僕らに対して、「こっちは大したことないから」 と言ってくれる。

人への思いやり、あるいはへこたれない意思表示として。

 

たとえばこの間報告した福島県須賀川市・ジェイラップ。

驚異的な復旧で、今週末には米の供給を再開させるところまできた。

この程度で泣きごとを言うわけにはいかないという意地もあれば、

求めてくれる消費者に一日も早く届けたいという義務感もあれば、

励ましたいという願いも、やったぞと胸を張りたい男気も、あるのだろう。

みんな、強い。

 

須賀川で起きた農業用ダムの決壊など、

これから見えてくる影響については、改めて記したい。

この地震の影響は、まだまだ想像の範囲を超えて現われてくるだろう。

もうすでに今年の米作りの準備に入っていなければならない時期に

来ていることを想像してみてほしい。

 

ともすれば暗くなる気分をふっ飛ばすかのように、

岩手から突っ走ってきた奴がいた。

「総合農舎山形村」 の所長、木藤古修一さん(下写真の右) と大向さん(同左)。

 

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(写真提供:吉田和生)

 

18日夜20時30分に岩手県久慈市山形村を出発し、不眠不休で国道4号をひた走り、

翌19日朝10時過ぎには習志野物流センターに到着した。

宅配の注文品や東京駅エキュートの商材を、自ら運んできたのだ。

 

翌日の製造業務もあり、昼飯を食って、

集まっていた救援物資を積んで、とんぼ返りした。

帰りはさらに相当な、いや見事な荒業を駆使して走ったようだ。

 

職員中心に、急ぎ集めている救援物資。

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岩手県久慈市に引き取ってもらい、

各被災地にも振り分けてもらうようお願いしている。

 

各地の生産者から支援の申し出が続いている。

速やかにすべての愛に応えたいと思うのだが、

一方で原発事故は、未経験領域の  " 責任の取り方 "  の判断を迫ってくる。

 

この経験を、ひるまず力にしなければならない。

希望を信じて、覚悟を決めて、前に進むしかない。

 



2011年3月20日

悲報

 

コメントにて消息を尋ねられ、

いったんは無事避難されているとの情報をお出しした、

宮城県南三陸町のエリンギの生産者、千葉幸教さん (志津川アグリフード) ですが、

津波による遭難でお亡くなりになったことが判明しました。

 

地震後の第1派では、ご家族と一緒に避難されたのですが、

作業場に取り残された従業員の方を探しに戻られた際に、

第2派の津波に襲われたとのことです。

生存者名簿に記載されていたことや、ホテルに避難されたとの情報も、

おそらくはその時間差によるものかと思われます。

作業場で従業員の方と一緒に発見され、

18日、仙台にお住まいの千葉さんのお姉さまが

南三陸町の遺体が安置されている施設でご確認されました。

なお、奥さまやお子様はご無事です。

 

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(撮影:須佐武美) 

 

千葉さんは、当会との取引が始まってより、

地域で仲間や栽培品目を増やしていきたいと、夢を語っておられました。

残念でなりません。

千葉幸教さんのご冥福を衷心よりお祈りいたします。

 

また情報が錯綜してしまいましたこと、深くお詫びいたします。

 

 



2011年3月18日

心をひとつにして

 

また聞きながら、どっかの会社の社長さんが、ブログで

「今が稼ぎ時」 みたいなことを書いて、バッシングを浴びているという話を聞いた。

物資不足にめげず、厳しい環境下でもみんなが一つになっていたわり合い、

支え合おうとしている中で、

なんという心ない、悲しい発言だろうかと、ブチ切れそうになった。

でも、そう考えている人は多いのかもしれない。

商売自体は何も悪いことではない。

必要とされるモノが人の間をうまく流れることで、人々の暮らしが安定するわけだから。

しかしお金というとても怖い両刃の剣を手段として手に持つ以上、

商いには礼節と仁義を欠かせてはならない、ゼッタイに。 

弱みや混乱に乗じて儲けるのは " 悪徳 "  である。

今だけは、せめて今だけは、この国でそんな姿は見たくない、

聞きたくないと思っていたのだったが。

怒りというより、悔しいと感じてしまうのは、

美しい国であってほしいと思う心根が、僕にもまだ多少は残っているからか。

 

備蓄米の精米ラインに損傷を受けたジェイラップ(福島県須賀川市) の

伊藤俊彦さんからメールが届いた。

 

大地震の後の余震も徐々に減りつつあるようです。 

精米工場の修復も本日(17日) までに一応の対策を完了しました。

明日いっぱいかけて試運転を行う予定です。

埼玉のエンジニアリング会社が、今日で四日目の作業を行なっております。

会社事務所に断熱材を敷き、風呂もシャワーも無しの3泊です。

真っ先に駆けつけ、ひたすらメンテナンスに当たっている姿に

手を合わせたい心境です。

家内の有り合わせ料理を 「おいしい」 と言ってくれる気持ちにも、ただ感謝々々です。

 

自分のことを後回しにして、頑張っている人がここにもいる。

みんなが言い始めている。 「ニッポンはまだ捨てたもんじゃない」。

それにしても猛烈なスピードでの復旧である。

鬼の形相でメンバーを鼓舞する伊藤俊彦、

「こんなのでツライなんて言ってたらバチがあたるぞ」 とか言っているのだろう。

「分かってますよ」 と歯を食いしばって働くメンバーたち。 彼らの顔が見えるようだ。

手を合わせたいのは我々の方である。

 

福岡県久留米市の石橋製油の上野裕嗣さんからも、

ダミ声ながら勢いのある電話がかかってきた。

「 油は油でもウチの油は、今のところあんまり必要ないようなので、

 水とお茶を習志野センターに送りますんで、使ってやってください!

 飛んでいきたいのはやまやまなんですが~、これくらいしかできませんで、

 ホント、なんかですね、お役に立たんといかんと思って、いてもたってもおれませんわ。

 お願いします、使うてください! お願いします! 」

数を聞けば、重量にして約 1.5トン ある。 参ったね。

被災地に届ける約束をして、有り難くお受けすることにした。

 

午後3時、本社にいた社員が集められて、

藤田社長から檄が飛ばされた。

 

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歴史に語り継がれることになるだろう未曽有の大惨事が進行している。

わが社も物流センターに多少の被害が発生したが、

東北で被災した方々に比べれば、何ほどのものでもない。

義援金や救援物資なども含めた被災者支援も最大限行ないたい。 

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福島原発では、暴走を食い止めようと必死で頑張ってくれている人たちがいる。

我々はずっと原発には反対してきた立場ではあるが、

今は政府や電力会社を批判している場合ではない。

私たちはもはや、命がけで作業にあたっている自衛隊や東電の社員さんたちに

かけるしかなくなっている。 彼らの頑張りに心から感謝し、応援したい。

事態は刻一刻と変わっていっているが、

各員、自分の持ち場で全力を尽くし、みんなの力でこの難局を乗り切りたい。


畜産水産グループ長の吉田和生からは、

義援金や救援物資といった一時的なモノだけでなく、

大地を守る会らしい、生産者のネットワークの力も活かした支援を考えたい、

という決意が語られた。

 

考えなければならないことは色々あるが、やってみようか。

鈴木康弘へ。 呼びかけは、お前の一文でいきたい。 受けるよね。

 



2011年3月17日

つながりと支援の輪を形にしよう

 

インターネットの検索から、お二人の方がこのブログにたどり着き、

生産者の安否を尋ねて来られた。

南三陸町の千葉幸教さんと、奥松島 (東松山市野蒜須崎) の二宮義政さん。

僕らももっとも連絡に苦慮した二人だった。

無事をお知らせして喜んでくれるのが、こちらにとってもこんなに嬉しいことかと、

不思議な気持ちになったりしている。

(まだ予断を許さない状況ではあるけれど。)

 

改めて書くと、二宮さんからの一報を受け取った

吉田和生 (畜産水産グループ長) からの報告は、こんな感じだった。

 

  帰れずに会社近くのホテルに泊まっていた3月14日(月) 朝7時前、

  二宮さんから携帯に電話が。

  「生きてたか!」 思わず叫び声を上げてしまった。

  二宮さんの家は、200人の遺体が発見された野蒜海岸、

  そして家の前がそのまま海という場所なので、

  はっきり言ってダメかなという思いが頭をよぎっていたのも事実。

  聞いてみると、地震があった瞬間に車で逃げたが、

  津波に追いつかれ、飲みこまれ、流され、電信柱にぶつかって止まった。

  しかし、窓ガラスが割れ、濁流が。 必死に脱出し、奇跡的に逃れた。

  その後は着のみ着のまま、10ヵ月になる孫の悠斗君を抱え、さまよい続け、

  3日目の夜に利府の親戚にたどり着き、ようやく畳の上で休めた。

  途中、孫は低体温で真っ青になり、

  孫だけは生きて欲しいと、必死にさすりながら、彷徨ったと。

  家も船も流され、孫のミルクにも不自由しているが、

  生きていて良かった。 本当に良かった。。。

 

隣で聞いていた N によれば、あのコワモテ、暴走族上がりの吉田が泣いていたという。

地獄のような惨劇のなかにあっても、

人はつながりと  " 愛 "  によって希望を持つことができる。

TV では子どもたちの健気なボランティアが大人を励ましている。

忘れないようにしよう、この心を。

 

石巻の 「高橋徳治商店」 社長、高橋英雄さんは、

孤立状態だった避難場所で、最後まで残って130人の避難民を誘導したという。

塩釜の 「遠藤蒲鉾店」 遠藤栄治さんは、

従業員全員で高台に避難して、家族も従業員も事なきを得た。

心配していた工場も奇跡的に大きな被害はなく、水道とガスはまだ開通しないが、

今も近隣では遺体が発見される日々だという。 心情は言葉に表せない。

 

あらゆる事態に圧倒される。

どんな言葉も軽くて軽くて、この無力感がやり切れない。

 

ベトナムの農村で地域開発に取り組むNPO団体の Ⅰ さんから

13日に届いたメール。

 

  日を追うごとに被害の状況がわかるようになり、

  ハノイで大変せつなく哀しい思いをしております。

  在ハノイ日本人の中にも東北にご家族がいらっしゃる方が大勢おり、

  未だに連絡が取れず、焦りを感じておられます。

  

  ベトナムのニュースや新聞では、困難な状況の中で、

  日本の皆さんが迅速に冷静に組織的に救援活動を開始し、

  秩序を保って行動していることが高く評価されています。

  私たちにとって、とても辛く厳しい状況ですが、日本の和の精神を大切に、

  この困難と悲しみを力を合わせて乗り越えていきましょう。

 

そして元大地を守る会の職員で、群馬県倉渕村(現高崎市) に入植した

「くらぶち草の会」 の鈴木康弘が、

いてもたっても・・・という心情がにじみ出たプランを送ってよこした。

 


被災者(特に農家がいれば) を受け入れるファームスティの

農家ネットワークを組織してほしいと。

 

  自分たちは農家です。

  ボランティアに行きたくても、自分の持ち場(畑) から離れることはできません。

  しかし一時的な避難先として受け入れることは可能です。

  部屋と食事を提供することぐらいはできます。

  特に農家の方などは、農作業をしながら故郷の再生の時に備えることは

  体育館や仮設施設でもんもんと過ごすより

  精神的にも良い部分が多いのではないかと考えます。

  受け入れ側も農作業をお願いしやすく、強力な助っ人になるでしょう。

  ぜひ、大地の方々や生産者理事の方などで話し合ってもらえればと思い

  メールしました。

  こみ上げてくる悲しみ、悔しさ、そして無力感。 そんな気持ちが

  心の底から湧き上がってくるやる気、使命感に変わってきています。

  それぞれが自分の持ち場で最高の仕事をするしかないと

  みんなが気づいてきているように思います。

  それでは。 畑へ急がねば・・・。

 

分かった。 時間もないけど、精一杯考えてみよう。

 

徳島県阿南市の武田水産・武田輝久さんからも同様の電話が入ってきた。

「 漁師は陸(おか) に上がっても何もでけん。

 三陸の漁師の技術(うで) を徳島で活かしてくれるんやったら、

 何人でも受け入れたるぞお。 」

 

吉田和生もその気になってきた。

大地を守る会のネットワークで、一次産業の懐の深さを、

そこに農や漁があることの有り難さを、みせてやろうか。

 

支援物資や義援金の問い合わせもたくさん入ってきて、

準備も一気に進んできた。

会員の皆さま、生産者の皆様、来週にもご案内を差し上げますので、

ご支援ご協力のほど、お願い申し上げます。

 

物流は、とにかく油、燃料とのたたかいになってきている。

モノがあっても届けられない。

それでもなんとか、同種の代替品を入れさせていただいたりして、

注文の8割強は供給できている感じだろうか。

習志野物流センターのライフラインはまだ修復しないが、

みな気合いで頑張ってくれている。

 

今も余震は続いている。 今日は静岡でも地震があった。

制御不能に陥った福島原発は、大暴走を食い止めるべく必死の防戦を強いられている。

真綿で首を絞められるかのように進むクライシスが、

人々の不安と恐怖を増幅させている。

 

夜、前回の日記で紹介した茨城の濱田幸生さんに返事を出す。

もう気休めの言葉は書けない。

 - 生きましょう。 生きて、この腐れ社会を立て直しましょう。

 



2011年3月15日

安否確認

 

昨日の日記へのコメントを通じて、

宮城県南三陸町のエリンギの生産者、千葉幸教さん (「志津川アグリフード」) の

消息をたずねてこられた潮田沙織 様。

仕入担当・須佐があちこちアンテナを張って調べていたところ、

ようやく 「無事のようです」 の情報提供を得ました。

直接本人と会ってないので、まだ確定とは言えませんが、

ご本人とご家族は近くのホテルと小学校に避難されているようで、

南三陸町の生存者名簿にも記載されているとのことです。

お体の様子がつかめませんが、とりあえずひと安心、というところでしょうか。

よかったです。

 

これで農産関係の生産者はほぼ無事が確認ができました。

「ほぼ」 というのは、団体のメンバー全員の確認まではまだやり切れてない、

という事情です。

 

弊社・幕張本社と習志野物流センターは、

計画停電情報と交通機関の混乱に振り回されながらも、

何とか人の手当てから臨機応変な業務オペレーションまで、

やりくりしながらつないでいます。

昨日は職員の送迎で、京葉線・海浜幕張から総武線・西船橋間の

ピストンもやりました。 車に自転車まで積まされたのは参りましたが。。。

 

配送も遅れ遅れながら、頑張ってくれています。

ただ産地からの物流が、道路事情だけでなく燃料の確保がままならず、

随所でストップしている状態です。

茨城県行方市の卵の生産者、濱田幸生さん (キジムナー農場) が

彼のブログ 「農と島のありんくりん」 で、

あまり報道されない茨城の状況を伝えています。 ぜひ読んでみて下さい。

 

亡くなられた方やご家族の方々には本当に申し訳ない言い方ですが、

大地を守る会の生産者は皆さん、何とか無事で、頑張って生きてます。 

気持ちを切らすことなく復旧に入られた方々には、本当に頭が下がる思いです。

 

いろんな食材が欠品になっています。

それでも他の生産者・メーカーさんのもので代用できるものは

手当てさせていただいています。 

食べていただければ、生産者にとっても嬉しい限りです。

どうか事情ご理解くださいますよう、お願いします。

 

地震に加えて、原発の状況がますます緊迫してきています。

ヘンな情報も乱れ飛び始めているようです。

冷静に判断しながら行動しなければならないですが、

とはいえ最悪の事態になったら・・・ 身も震えてきます。

大地を守る会は、86年のチェルノブイリ事故以来、ずっと原発に反対してきました。

その力が足りなかった悔しさに歯ぎしり噛んでいますが、

しかしここはとにかく、一人でも多くの人を救いたい、その思いに集中したい。

日々のつなぎ (物流と情報の流れ) に汲々としながらも、

やれることはやりきろう、と鞭打っています。

 



2011年3月14日

東日本大震災

 

ため息や涙も飲み込んでしまうような事態が進行していますね。

刻一刻と情勢が変化するなか、情報収集や物流関係での判断等に追われて、

なかなかブログまで手が回りませんでした。

 

まずはとにもかくにも、

被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げるとともに、

一人でも多くのご無事と一日も早い復旧を願わずにはいられません。

 

大地を守る会の公式情報は、HPを見ていただくとして、

取り急ぎ、3月14日午前11時時点での状況です。

 

生産者関係では、これまでのところ、「人」 は無事です。

なかなか安否確認できなかった宮城・岩手・福島方面もようやく連絡が入るようになり、

順次、無事を確認しています。

一番心配していた奥松島の二宮さん(カキ) からも今朝連絡があり、

地震直後に車で逃げたが、津波に追いつかれ、

電柱にぶつかりガラスが割れたので車から脱出、

家族全員で歩いて親戚宅までたどり着いたとのこと。 まさに奇跡の生還!です。

塩釜の遠藤さん(練り物) も、高橋徳治商店さんも、元気です。

 

農産関係で被害が大きかったところでは、

福島・須賀川、ジェイラップの備蓄米の精米ラインが損傷を受けました。

各所に地割れが発生して、メンバーの家屋も相当な被害が出ているようですが、

それでも 「津波や大火に見舞われた方々に比べれば」 と

伊藤俊彦代表の陣頭指揮のもと、気を取り戻して復旧に入っているとのことです。

 

とにかくライフラインがメチャメチャです。

ヤマトの集出荷も止まっていて、モノが届きません。

「ガソリンの確保もままならない」 といった連絡も相次いでいます。

弊社・習志野物流センターの状況はというと、

地震当日は停電と地盤の液状化現象によって避難指示を受けましたが、

12日から早々に業務を再開。

今も断水の状態が続いていますが、今日からの宅配はしっかり走らせています。

ただし時間はお約束できません。

モノも相当量が欠品になってますが、どうかお許しください。

順次回復してゆければいいのですが、計画停電の影響が読めません。

 

以上、取り急ぎ、です。

下の写真は、地震翌日12日の午後の、海浜幕張駅周辺の様子。

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相当な液状化現象があったようです。

というのも、僕は前日は成田で足止めを喰らって会社に戻れなかったのでした。 

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駅は通行止めです。

 

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11日は電車がストップして、

大地を守る会の職員も100人ほどが、幕張テクノガーデン・ビルに泊まったとのこと。

窓から市原のコンビナート炎上を眺めながら。

キノコ雲が上がったのを、呆然と見つめたらしい。

 

同じテクノガーデンに本社がある気象会社、ウェザーニューズ社でも、

2階フロアを開放して、帰れなくなった避難者を受け容れたようです。

ウェザーニューズのUさんから送られてきた様子。

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こういうときに必要なのは、とにかく助け合い、ですね。

みんなで励ましあい、難局を乗り切りましょう。

 



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