食・農・環境: 2012年4月アーカイブ
2012年4月30日
須賀川から、新しい社会づくりを-
4月28-29日、福島県須賀川市で開催された
「 第12回 菜の花サミット in ふくしま」 レポートを続けます。
" Energy Rich Japan (エネルギー豊富な日本) "
ドイツでバイオマスエネルギー村を誕生させたマリアンネ教授からの
刺激的な激励メッセージを受けて、
福島県下で取り組まれてきた 4つの事例が報告された。
【報告1】- 「津波塩害農地復興のための菜の花プロジェクト」
東北大学環境システム生物学分野教授、中井裕氏より。
【報告2】- 「菜種に対する放射性物質の影響について」
福島県農業総合センター作物園芸部畑作科主任研究員、平山孝氏より。
【報告3】- 「菜の花の栽培技術について」
株式会社エコERC代表取締役、爲廣正彦氏より。
【報告4】- 「須賀川市菜の花プロジェクトの取り組みについて」
株式会社ひまわり総務部長、岩崎康夫氏より。
4つの報告を僕なりにまとめて要約すれば、以下のようになるだろうか。
1.この1年、各地で試験されたナタネやヒマワリ、エゴマ等による
「(放射性物質の) 除染効果」 は必ずしも高いとは言えないが、
搾油した油にはほとんど移行しないため、
畑の有効活用とエネルギー自給への取り組みとしては高い有用性がある。
塩害農地対策としての効果を上げるには、耐塩性品種の選抜が課題のようだ。
2.ナタネ栽培を起点として、「食」 と 「エネルギー」 生産のサイクルを、
地域の多業種が連携することで実現できれば、
持続可能な新規の環境産業の創出 が期待できる。
3.須賀川市で展開されている菜の花プロジェクトは、以下の点で特筆される。
A) 耕作放棄地を再生させる効果がある。
B) 搾油された油を学校給食で使用 ⇒ 使用済み油を回収 ⇒
バイオ燃料(BDF)に精製 ⇒ 軽油の代替燃料として活用する、
という地域循環が成立している (回収には地元スーパーも参加)。
これによって、震災直後に石油燃料が途絶えた時も、須賀川市では
ゴミ収集車3台がいつもと同じように回ることができた!
C) 菜の花の種まきを子どもたちが行なうことで環境教育に役立っている。
3.課題は、品種選定から安定生産、燃料の品質向上など様々に残っているが、
とにかくポイントは、生産(製造・再生) と消費(活用) のリンクである。
地場生産された菜種油には、油代以外の多面的な経済価値が含まれている。
そのことをどう伝えていくか(=消費の安定的確保) が重要だと思えた。
続く第3部では、ジェイラップ代表・伊藤俊彦さんと
「NPO法人チェルノブイリ救援・中部」 理事・河田昌東さんによる対談が組まれた。
対談テーマは、「福島の放射能と食の安全」。
伊藤俊彦さん
- 間違いなく、「この一年、放射能について最も勉強し、たたかった農民」 の代表だろう。
共同テーブルで実施した学習会(白石久仁雄氏、今中哲二氏) や
専門家ヒアリング(菅谷昭・松本市長) にも食らいつくように参加してきた成果が
資料によくまとめられ、また発言の随所に活かされていた。
伊藤さんは断言する。
「汚染されない農作物をつくるための生産技術の研究と革新に向かうか、
ただ手をこまねいて国の基準値内に収まるのを待つか。
これによって我々(福島) の農業の未来は明暗を分けることになるだろう。」
放射性物質の性質や挙動を学び、
土壌の力を分析し、食物の機能から鉱物資材の専門書まで読み漁り、
理論的根拠を忘れることなく対策を組み立ててきた。
その執念にずっと付き合ってきた専門家が、河田昌東さんである。
チェルノブイリの経験から得た知見をもとに、
ジェイラップ(稲田稲作研究会)の試行錯誤を支えてくれた。
いま伊藤さんが考えていることは、
食物の力が最大限に活かされるための生産技術の確立である。
例えば、玄米には、ペクチンやセルロース・ヘミセルロース、フィチン酸など、
内部被曝対策に有効とされる機能性要素が豊富に含まれている。
自らが生産する " 安全で機能的な玄米 " で孫を守って見せる。
汚染されない稲作技術を確立させ、詳細な分析に基づく安全確認を経て、
玄米の機能性を最大限に生かした " 放射能対策食 " を目指したい。
例えば、黒米にある抗酸化物質(ポリフェノール、アントシアニン) や
アミノ酪酸(ギャバ)、赤米に含まれるタンニンの金属イオン結合効果。
例えば、インゲンやサヤエンドウはカリウムの吸収量が多く、
したがってセシウムが移行しやすい作物であるが、一方で
セシウムの排泄機能に長けるペクチン含有量が高いという特性もある。
汚染されない栽培技術が確立されれば、
インゲンやサヤエンドウは放射能対策の極めて有効な作物になる。
勉強し、挑戦し続ける百姓でありたい。
そして、福島の人のほうが健康だと言えるまでにしたい!
伊藤俊彦渾身のプレゼン。
売ってみせないと、合わせる顔がない。。。。
一日目の最後に、
岩瀬農業高校の生徒たちによる 「サミット宣言」 が読み上げられた。
私たちは福島が大好きです。
福島はステキなところです。
私たちはあきらめません。
日本の再生を、この福島から始めましょう。
夜の歓迎レセプション、交流会。
河田昌東さんと談笑する二本松有機農業研究会・大内信一さんがいた。
ツーショットの一枚を頂く。
夜は、伊藤さんと二人で、須賀川の夜をはしごする。
この人とは、なんぼ話しても話し足りない。
二日目は、
分科会① - 「農地の放射線量低減対策と食の安全確保について」 に参加。
ジェイラップの対策事例から学ぼうというグループ。
詳細なデータMAPを示しながら、
昨年の成果と今年の対策を語る伊藤俊彦さん。
僕は、ところどころで補完する係として一番前に座らせられる。
伊藤さんの指示は、次のひと言をガツンとやれ、というものだった。
「 国の基準以内に収まればいいということではない。
常に安全な農産物生産に向けてたたかう姿勢を見せること。
消費者の信頼は、それによって帰ってくる。」
言えたかどうかは、どうも心もとないけど。。。
最後のまとめは、菜の花プロジェクト・ネットワーク代表、藤井洵子さん。
二日間にわたる盛りだくさんのプログラムをやり切ってくれた
須賀川市のスタッフたちの頑張りに感謝しつつ、
「今日の成功をバネに、全国の仲間とともに、新しい社会づくりに踏み出していきましょう」
と力強く締めくくられた。
「エネルギー自給へのイノベーションを、須賀川から発信したい」
と熱く語る伊藤俊彦。
彼との付き合いも、米から始まって、酒、乾燥野菜ときて、
さらに深みに向かう予感を抱きながら、須賀川を後にしたのだった。
2012年4月29日
全国菜の花サミット in ふくしま
いま私たちが望む復興・再生とは、単純に3.11以前に戻すことではない。
様々な反省をテコにして、新しい持続可能な社会へと転換させることだ。
そのための道筋を切り拓いていきたい。
福島・須賀川には何度も足を運んでいるけど、
田植え前のこの時期に来ることは少なかったように思う。
ましてや街の風景を眺めることなど、なかったね。
桜並木に鯉のぼりがはためく爽やかな一日。
今回はジェイラップにも寄らず、
昨日から二日間にわたって開催された大きな大会に参加することになった。
『 第12回 全国菜の花サミット in ふくしま 』
よみがえれ ほんとうの空
おきあがれ 明日への大地
~ 「菜の花プロジェクト」 と 「食の安全」、放射能に負けない福島の姿 ~
会場は、一日目(昨日) が須賀川市文化センターでシンポジウム。
二日目の今日は、福島空港ビルで3つの分科会と3コースに分かれての現地見学
というプログラムで行なわれた。
時間を調べずに向かったら、郡山から在来線への連絡がとても悪く、
やや遅れて到着してしまった (怒!)。
主催者や来賓の挨拶など開会セレモニーが行なわれていて、
何とか基調講演の開始には間に合ったようだ。
講師はドイツから招いたお二人。
放射能に負けない、未来の福島の姿を描くために、
ドイツのバイオエネルギー村の成功事例から学ぼうという設定である。
地域再生の方向性を示したいという、主催者の強いメッセージが読み取れる。
ドイツにおけるバイオマスエネルギー村の取り組み。
講師は、ゲッティンゲン大学教授、マリアンネ・カーペンシュタイン・マッハンさんと、
コンサルティング会社社長、ゲルド・パッフェンホルツさん。
チェルノブイリ原発事故をきっかけに、
再生可能エネルギーへのシフトが着実に進んできたドイツ。
2020年には再生可能エネルギーのシェアを20%に、
2050年には50%にする目標が設定されている。
福島原発事故の後には、2022年までに原子力発電を全廃することが合意された。
再生可能エネルギーには、風力・ソーラー(太陽熱)・地熱など様々な形態があるが、
現在、ドイツでのエネルギー供給量に占める再生可能エネルギーの割合は12.2%で、
うちバイオマスが8.2%だという (再生可能エネルギーの67%)。
地域の農業と共生でき、地域内で資源を調達できるバイオマス・エネルギーは、
目標達成のために、ますます重要な役割を果たすことが期待されている。
わらや腐葉土、肥料、有機性廃棄物など、たくさんのバイオマスのタイプが
エネルギー単体として使用することができる、とマリアンネさんは強調する。
地域内資源を活用し、再生可能エネルギーで100%まかなう集落
「バイオマスエネルギー村」 が誕生したのは今から10年前のこと。
ゲッティンゲン大学の科学者チームによって始められたプロジェクトは
「灯台プロジェクト」 と名づけられた。
ゲッティンゲン地域で集中的な広報活動が行なわれ、17の村が興味を示した。
それぞれの村で、すべての居住者を招待しての説明会や意見交換が行なわれ、
アンケート調査によって、実現可能性の高い4つの村が選定された。
そのなかで住民の参加意欲や諸条件(農園の態勢が整っている等) によって、
ユンデという村が最初に選ばれた。
取り組みの意義や成果が村の人たちに浸透していくために、
大学のチームと村長をはじめとする村の人々による
計画推進のための核となるチームが、村内に結成された(村民の満場一致によって)。
そこで、発電所の場所、大きさ、バイオマスに支払われる価格、熱エネルギー価格などが、
住民合意のもとで決定されていった。
そしてすべてのプロジェクト参加者が発電所の株主となった。
2005年、発電所が完成し、発電と供給が開始された。
ユンデ村での導入後、ゲッティンゲン地域で4つのバイオエネルギー村が誕生し、
ドイツ国内に波及していった。
現在では国内の68集落にまで広がりを見せているという。
初期投資にはドイツ政府の補助金もある。
このプロジェクトを成功に導いた要因として大事だと思ったのは、
地元住民の " 気づき " とともに歩む姿勢である。
マリアンネさんは語る。
民主主義社会において、人々を強制しては何の意味もなさなくなる。
農村地区のプロジェクト参加はボランティアでなければならず、
したがって灯台プロジェクトの最初の壁は、技術的なものではなくて、
社会的改新 (意識改革?) をしなければならないことであった。
バイオエネルギー村の導入によって、無数の変化が人々に起きた。
村はエネルギー供給者と受給者としての社会的役割を受け入れ、
彼ら自身のエネルギー需要に取り組むことになる。
たくさんの最先端の知識が必要で、
たくさんの新しい役割が関係者に課せられた。
そのプロセスは大学のチームによってまとめられた。
成功したコミュニティのリーダーにインタビューして成功の要因を見つけ、
整理し、他に適用させていった。
潜在的なリーダーを見つけ出すことに、村の個々人とコンタクトを作ることに、
すべての人に中立的な科学情報を提供することに、
批判を言う者に対して適切かつ丁寧にふるまうことに、
公共のメディアとの良好な関係を作ることに、
コンセプトを広めるために、お祭りや、既存のネットワークを活用して
新しいモデル資産になるものを発掘していくことに。
日本で、バイオエネルギー村は可能だろうか?
マリアンネさんの答えは明確である。
- バイオエネルギー村は、どこでも可能です。
あるいは太陽・風力・地熱とバイオマスを組み合わせた " 自然エネルギー村 " は、
とてもいいソリューション(解答) です。
日本に対するドイツの見解は、
" Energy Rich Japan (エネルギー豊富な日本) " です。
それらは気候、資源、そして環境保護に貢献します。
エネルギー供給と独立した安全保障に貢献します。
再生資源はきれいで、人体や環境に害を及ぼすこともなく、
廃棄物が出ないため、ゴミの問題がありません。
バイオ・自然エネルギー村は、それらの地域や村の農業、工芸品や軽工業を
ともに行なう魅力的な場所に (再び) なることで、
人々のアイデンティティを強化します。
ドイツからの刺激的な基調講演を受けて、
3.11後、福島で取り組まれた事例報告が行なわれた。
すみません。続く。