2008年8月31日
飯豊山登攀、断念
さすがにここまでくれば、私の日頃の行ない、という問題ではないよね。
日本列島を見事に串刺しにしたように横たわった停滞前線は、
全国的に記録的な集中豪雨と洪水被害をもたらして、
28日(木)夜半には福島県会津地方にも激しい雷と雨を運んできた。
我々の飯豊山登山計画は、いとも簡単に潰されてしまって、
29日(金)は終日、各地の被害状況を聞きながら空模様と天気図を眺めるという、
待機の一日となってしまった。
わずかの時間、雲の合い間に現わしてくれた飯豊連峰の姿。
ああ。あの雲の向こうの頂きに、僕らは立つはずだったのに。
麓 (ふもと) の川の濁流の様子から見ても、
あそこに至る溝のように掘られた登山道もまたきっと
滝の川になってしまっていることだろうか。
昼間は一時晴れたものの、山並には次々に積乱雲が発生して、
夕方から再び雷が鳴り始める。
「大気の不安定な状態はまだ続き、猛烈な雨が局地的に降る恐れあり」
との気象予報が続く。 土砂災害にも注意が必要だと。
一日待ったが、仕方がない。 今回の登攀は断念する。
しかし決して、それで素直に帰るほどヤワではない。
北北西の飯豊山系から、東の裏磐梯の方角に計画を変更して、
我々 「種蒔人登攀隊」 は雄国 (おぐに) 沼湿原へと向かったのであった。
これが雄国沼。
尾瀬の風景にも似た湿原地帯が標高1,000mの地帯に存在する。
8月30日(土)。 一行は二泊三日分の装備を背負ったまま雄国へと入る。
今回の同行は6名。
皆それぞれに大和川酒造の酒を愛する、酒豪かつ健脚の面々。
(+足腰に不安抱える大地職員1名)
彼らには朝の散歩にも等しいような山道を歩いて、雄国沼に到着。
天地が水蒸気に満たされた、幽玄な風景にしばし見とれる。
これはこれで満足したりする。
最近オリンピックが開催されたお隣の国では大河が途絶えたりしているというのに、
この国はしょっちゅう水浸しになる列島である。
お陰で、水に対する感謝の念が薄い。
逆に暴れる水には、諦めが先にたったりする。
お天気のお陰でか、小屋も独り占めときた。
しょうがないので、夕方の早いうちから食事を始める。
何たって食料は余っているし、酒もまあ、不謹慎ながら充分ある。
夜になっても、各自のリュックから何がしか出てくるもんだから、
終わらない。 というより酒がある限り・・・・・
小屋が貸切状態なのに気をよくして、ついに唄が始まる。
出るわ、出るわ。
山の歌、ロシア民謡、そして60年代70年代のフォークソング。
私の国には、山がある。 おいで一緒に、私たちと。
私の国には、川がある。 おいで一緒に、私たちと。
...............
このたたかいは、きびしいだろう。 けれどあなたは行くだろう。
この生きかたは、きびしいだろう。 けれどあなたは行くだろう。
...............
苦しみばかり続くとも、おいで一緒に、私たちと。
私とおなじ、あなたたち。 おいで一緒に、私たちと。
( 作詞:パブロ・ネルーダ、訳詩:笠木透 「おいで一緒に」 )
いい歳して、よくもまあ、朗らかに歌えるものだと我ながら感心する。
昔話なんかも出ちゃって、皆けっこうロマンチストだったりして。
思いもかけなかった、酔っ払い中年たちのキャンドルナイト。
翌朝は、湿原の散策。
謙虚な気持ちになれたでしょうか。
トリカブト発見。
飯豊山登攀は断念するも、こういう非日常の時間と空間を体験することは、
忘れていた原点を思い出させてくれたりする。
これも 「種蒔人」 がくれた時間なんだと、感謝しよう。