2008年12月 3日

土と緑と太陽と -有機20年

 

千葉のJA山武・睦岡支所園芸部内に 「有機部会」 が設立されて20年になった。

いつも 『稲作体験』 シリーズなどで登場する 「さんぶ野菜ネットワーク」 は、

この部会を母体に独立した形で結成されたものだ。

メンバーの生産者たちは今も部会員として組織を支えている。

そこで、設立20年を記念して小冊子がつくられた。

しばらく前に届けられていて、すぐにも紹介したかったのだが、

なにぶんにもモタモタと続けるのがやっとのブログで、遅れてしまった。

 

『土と緑と太陽と』 -有機部会設立時からのキャッチフレーズだね。

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大地からも、藤田会長はじめ何人か (僕も) 寄稿させていただいた。

提供した写真も随所に散りばめられている。

 

20年を振り返った年表を眺めながら、しばし感慨にふける。

それは、楽しいことばかりではなかったし。


設立されたのが1988年12月8日。 部会員28名でスタートする。

初代部会長、槍木行雄さんは今年の5月に逝ってしまわれた。

当時の様子をリーダーの一人であった綿貫栄一さんが書いている。

   今をさかのぼる20年前当時の睦岡は人参が主力作物で、DD (土壌消毒剤)

   を使わないと作れない思いがあった。

   「DDは作業中にガスを吸い込むと人体に害を及ぼす危険性の高い薬剤」

   これを使わずに作れないものかと、ときの園芸部長・今井征夫さん(故人)、下山所長、

   麦組合の面々、他に関心ある方々で話し合いがなされた。 そこで私がDDを使わずに

   人参作りができたことを報告。 それは麦を作り、そのあとに播く。

   話し合いの中で強く意を持っていた槍木行雄さん(故人)、「やってみよう」

   話が決まり、これですすめよう。 これが有機部会のはじまりでした。

   そして槍木さんは初代の有機部会長となられました。 ......

 

文中に出てくる今井征夫さんは、90年、僕らに田んぼを貸してくれた

『大地の稲作体験』 の初代地主さんである。 

無農薬で米を作る、しかも消費者が入る田だから・・・と、

毎日朝起きては欠かさず、田の様子を見に行ってくれた。 

その様子を知る人から、 「自分の畑より大事にしてたよ」 とあとになって教えられた。

その今井さんの遺稿が、記念誌のなかで紹介されている。

有機部会が12月に設立され、明けて89年1月1日、

支所の広報 『マル睦だより』 での新年の挨拶である。

   現在の農産物の流通機構は、大きく分けて二つの流れがあります。

   一つには市場流通の流れであり  ~ (略) 、消費者ニーズに合う農産物と言っても、

   直接消費者の顔は見えません。 もう一つの流れは、まだ小さいうねりかもしれないが、

   有機栽培を手がけるグループと安全な農産物を求める消費者グループとの 「産直」

   あるいは 「宅配」 といった流通方法をとり、生産者と消費者がお互いに交流し合い、

   提携しながら相互理解して、販売価格も双方話し合いで決めるといった、密接な心の

   つながりがあります。

   現在、脚光を浴びブームともいえる 「有機農業」 ですが、今回の交流集会に参加し、

   全国の有機農業の先覚者の苦難、苦闘に充ちた体験発表、資料に接して、

   そこに共通しているものは、「食べ物」 は安全でなければならない → 安全な農産物を

   生産する土地も健全でなければならない = 土作りから始める......

   という考え方であり、様々な試行錯誤を繰り返しながら技術の向上を図り、

   10年~15年の永い年月の努力を続けて消費者の信頼を得たものであり、

   彼らが変人でも奇人でもなく、真剣に農業に取り組んでいる姿勢に感動した次第です。

 

設立直後のメンバーの不安感に、今井さんは力強く応えようとしている。

「彼らが変人でもなく奇人でもなく・・・」 あたりに、当時の雰囲気が伝わってくる。

えらい人たちと付き合ってたんだなぁ、と改めて思い知らされる。

今井さんは翌90年の11月、

大地の山武農場 (この土地も今井さんから借りた) 開所式の翌日に急逝した。

「我事に於いて後悔せず」

これが今井さんの口ぐせだったと、下山久信さん (睦岡支所長:当時) がコメントを記している。

 

有機部会最初の出荷は89年5月21日。 雲地幸夫さんのチンゲン菜が大地に届けられた。

あれから怒涛のごとく交流やったね。 そして稲作体験の始まり、と続く。

幸夫さんの奥さん、弘子さんも書いている。

   おもしろかった。 消費者との交流。 みんなでワイワイ各種のイベント。

   東京へ野菜を売りに行くのもおもしろかった。

   子育てと共にあった20年。 いや、はじまりはもっと前の、農協の2階で行なわれた、

   夜の勉強会。 下山さんが若いお母さん達を集めて、食品添加物についての勉強会を

   開いてくれた。 折しも私は、有吉佐和子の 「複合汚染」 を読んだショックで、

   頭がガンガンしていた頃だったので、幼な子2人を家人に頼み、信者のように

   勉強会に通った。 私の人生の、大きな転換点となった。

   そして有機部会ができ、大地山武農場が建設され、一風変わった若者が

   とっかりやっかりやってきて、有機栽培の夢と希望に溢れた話を楽しげにし、

   酒を酌み交わし、私のとーちゃんをとりこにした。

   ついでに幼稚園児だった娘も、農場のヘラクレスのようなテシさんが大好きで、

   おやつを持ってせっせと通っていった。

   今井征夫さんが急逝したのは、今から、これからというプロローグの時だった。

   大きなショックに誰もが言葉を無くした。

   20年目の今年は、槍木行雄さんが逝ってしまった。 転換期を迎えた部会の節目に、

   大事な人をなくしてしまった。 悲しい.........。

   さて、これから。

   おもしろくもない世を、いかにおもしろく農業をやっていこうか。

   小さい頃 「ぶっつめ」 をかけて遊びほうけていたわがとーちゃん。 山野をかけめぐって

   遊んだ基礎体験は、作物の栽培にも、天敵利用の農法にも随所に生かされていて、

   「おっ、おもしろい」 と思えることが多い (私は、こっそり尊敬している)。

   そんなとーちゃんと仲間達とぼちぼちやっていこ。

 

一風変わった若者がとっかりやっかりやってきて ~~ か。

すみませんでしたね。 でもひと言言い訳させていただくと、

もっと飲むっぺよぉ! って僕らは飲まされてたんですからね、とーちゃんたちに。

帰る途中、軽トラで追いかけられたこともあったんですよ。

「逃げんのかー、こらぁぁぁぁ!」 って。 楽しかった、ホントに。

 

すみません。 この冊子から、もう一回話を続けさせていただきます。

...眠くなってきたし。

 



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