2009年1月27日
「流通の大義」・・
「人と人のネットワークという流通の大義」
なんて、昨日は簡単に書いてしまったけど、これには注釈が必要だったと反省する。
もともと交易は、物質的欲望によって生まれ発展してきたたとも言えるわけで、
それ自体は、善とか悪とかで考えても仕方がないと思っている。
流通それ自体は、社会のニーズという " 見えざる手 " に誘導される側面を
宿命的に持っている。 大地を守る会の宅配もその呪縛から逃れられるものではない。
でも、ですよ。 今こそ、この意味をようく考えなければならない時なのではないか
とも思っているのです。
原始の時代から交易の進化とともに等価交換ツール (お金) が発明され、
それによって欲望もまた拡大して、
そのツールの意味をよく理解したほうに差益 (儲け) が集中していって、
圧倒的優位性を持った動力 (エネルギー) を獲得する力まで得るに至って、
他人の土地や文化を勝手に収奪したり、植民地的支配や差別・格差も拡大した。
(資本主義の教祖-アダム・スミスも泡吹いて倒れそうな今の投資スタイルは
その究極の姿だと思う)、
結果として今日ある姿は、市場のグローバリゼーションという名での奪い合いであり、
「儲ける (何にでも交換できるお金を持つ) が勝ち」 の価値観に世界が蹂躙される
ところまで来てしまった。
みんなが等しく享受すべき 「幸せ」 までわずかな人の懐に集金されていっている。
しかも生命を支え続けた元金 -資源の再生産と循環システム- は失いつつ・・・
これを 「自由」 と呼んでいいのだろうか。
- というような感じで (ざっくりといえば) 僕は今、世界を解釈しているのです。
多様な生物 (人の多様性も含めて) が生きるのが、この星の生命維持システムの
根源である以上 (これは世界共通認識になりつつある)、
今を支配しているグローバリゼーションに対するアンチ・テーゼ (対置する論理)
もまた、必然的に発展する。
新しい、オルタナティブな (替わり得る) 交易が用意される必要がある。
それは資本主義とか共産主義とかいうような既存の論理の向こうを指向していて、
その世界観に基づいた感覚で、僕は自分の仕事である 「流通」 というものを、
" 人と人を (その価値を守りあうものとして) つなぐ
=自分の持っている資源 (流通力) を使ってネットワークする=社会的基盤を変換する "
そのような使命を果たすことによってこそ意味がある、
というふうに置き換えて働いてみたい、とずっと思ってきたのです。
僕にとっての " 流通の大義 " とは、その価値に対する、油を使うものの仁義、
のようなものとしてあります。
右でも左でもなく、俺たちは前に進む。 そのために。
で? ・・・・・すみません。 疲れてきました。
以上を前文として、福島からの帰りにもうひと仕事した話をしたかったんですが、
それは、また明日に。 寝ます。