2010年5月 6日

堰が人をつないでいる

 

さて、堰浚いを終えて、夜の 「里山交流会」 までの時間を使って、

チャルジョウ農場 を訪ねる。

 

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元は福島県農業試験場の指導者だった小川光さんが、

中央アジア乾燥地帯での農業指導を経て、

山都町に入植して自ら有機農業の実践に入った。

そして彼独自の技術と理論によって、東北の雪深い山間地の潅水設備もない環境で、

ハウス施設を使っての無農薬栽培の技術を確立させたのだ。

以来、たくさんの若い研修生を育てては、就農の斡旋まで引き受けている。

 

堰浚いボランティアの呼びかけ人である浅見彰宏さんも

小川さんの世話で当地に入植した一人である。

農場の名前は、小川さんが惚れたトルクメニスタン国・チャルジョウの町名に由来する。

 

この日、光さんは新しく借りてほしいという西会津町の畑を見に行って留守だった。

耕作放棄という言葉を許すことができない、一直線の農業指導者なのだ。

" 山都町の空き家情報を最もよく知る人 "  とも言われる。

 

一昨年から小川さんとこの農場の研修生たちの作った野菜をセットにして販売している。

研修生たちが名づけたグループ名は 「あいづ耕人会たべらんしょ」 という。

 

堰浚いに参加された当会の会員の方と、

埼玉県小川町の金子美登さんの農場で研修された二人の若者もお連れする。

実は小川光さんのご長男、未明(みはる) さんも

金子さんの 「霜里農場」 で勉強した経験を持っている。 

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なかなかイイ男だと思うのだが、いかがでしょうか。 

独身です。

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この日はやや遅れ気味であったミニトマトの定植作業に追われていた。

今年、小川さんが引き受けた研修生は10人。

堰浚いにも何人か参加してくれた。

 

楽しそうに、農作業にいそしんでいる。

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農作業は楽しいと、彼らは一様に言う。

しかし、それで生活するとなると、途端に厳しいものになる。

佐賀の農民作家・山下惣一さんのセリフが思い出される。

「農作業は楽しい。 しかし  " 農業 "  となると一転して腹が立つ。」

 

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この農場で育てるミニトマトの品種は 「紅涙(こうるい)」 という。

光さんが育ててきたオリジナル品種。 

水がやれないため逆に味が濃縮される。 酸味もしっかりあって実に美味い。

今年は 「たべらんしょ」 の野菜セットの他に、

庄右衛門インゲンなどが 「とくたろうさん」 で取り扱える手はずになっている。

 

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若者たちの息吹が、そう遠くない将来、

この山間地の環境と暮らしを支える担い手になることだろう。

彼らを応援することで、この国は豊かになる、と僕は思っている。 

 

温泉に入って、公民館に戻る。

夜の 「里山交流会」 の開催。 テーブルには山菜料理が所狭しと並べられる。

里山の自然の恵み一覧のようだ。

心地よい疲れもあって、皆早く 「乾杯!」 といきたいところなのだが、

今年はその前にお勉強会の時間が設けられた。 

せっかくの機会をただの飲み会にするんじゃなく、

堰の大切さや農業のことなども学んで意見交換の場にしたい、

というのが浅見さんのねらいである。

それはまことに結構なのだが、その一番バッターに指名された者は可哀想だ。

浅見さんから出された宿題は、「食と農と堰のかかわりについて」。

しかもお酒を前にしての講演なんで、30分くらいで- だと。

 

みんなの視線が厳しいなあ、と感じながら話をさせていただく。

僕なりに考えた堰の価値と、将来にわたる大切な役割について。

地球規模で進んでいる生物多様性と水の危機という視点を盛り込んで考えてみた。

 

堰自体はその地域の方々のものだけれど、自然環境と水を巧みに生かしながら

食と農を支えてきた水路は、貴重な国民的資産でもある。

それはとても税金で賄えるものではない。

ボランティアはよそ者だけれど、未来の食と環境と、その土台技術を守る仲間として、

この堰が人を呼び、つないでいるとも言えるのではないだろうか。

 

堰を守ることは根っこのところでは食糧安保の問題でもある、

とまとめたかったのだが、時間が気になって言い忘れてしまった。

実にプレッシャーのきつい講演だったよ、浅見さん。

 

多くの方に褒めてはいただいたものの、出来のほどは自分では分からない。

あとはひたすら飲み、たらふく山菜料理を味わい、語り合い、

深夜まで至福の時を過ごさせていただいた次第。

カンパで持参した 「種蒔人」 は、瞬時に空いてしまった。

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翌日、小川未明さんから連絡あり、後のほうの記憶がない、とのこと。

「何か失礼なこと言いませんでしたか?」

もったいないことに、当方も、ただただ楽しかった、という残像のみである。

 

小川光・未明父子や若い研修生たちとの出会いも、堰がくれたものだ。

自然は折り合いさえつければ、たくさんの恵みを与えてくれる。 しかも無償で。

腰は痛いけど。

 


Comment:

毎年、この堰のブログを、来年こそは、と思いながら何年見送ったか・・(そんなにないか)

でも、丁度子供の誕生日。

元気なうちにいきたいなあ。

でも、ずっと続いていくから、そのうちいけますよね、戎谷さん!

from "てん" at 2010年5月14日 21:53

てんさん。

もちろんですよ。予告編のコメントへのお返事でも書きましたが(返事が遅くてスミマセン)、山でのお誕生会というのはいかがでしょう。きっと記憶に残るのでは。

堰さらいはずっと続くでしょうが、できれば僕の腰が続いているうちにお願いします。

from "戎谷徹也" at 2010年5月16日 17:28

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