食・農・環境: 2010年10月アーカイブ

2010年10月31日

世界のシェフ・三國清三、「フランス共和国農事功労章」 受章

 

同い年の友人が一人、逝っちゃった。

いつもブログを読んでくれてたヤツ。

西洋医学を拒否しながら生き、ついに議論を尽くせないまま旅立ってしまった。

どんなに後悔しても帰ってくるわけではなく、茫然自失している暇もなくて、

昼間は仕事で気を紛らわせながら、でも夜になると、

無理矢理ヤツを枕元に呼んでは対話を試みたりして。

 

「いつも楽しみにしているから」 と言ってくれてたのを思い出し、

おとといの夜も夢の中で急かされてしまったので、ようやく気を取り直して、

命日(23日) の日に途中まで書いて放ってしまった日記をアップする。

これからも遅れ遅れしながら、日々の  " しんどい "  を綴っていこうと思う。

読んでくれよ、とヤツの目を意識しつつ。

 

さて、二つの臨時総会をやって夜は35周年記念パーティという、

昨日の長~い一日の話はあと回しにして、この一枚から。

ヤツが亡くなる前夜だということが、今となってはとてもつらいのだけど、

僕はあるパーティに呼ばれて、楽しい時間を過ごしていたのだ。

 

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このところ、丸の内での取り組みなどでご登場いただいている

東京・四谷 「オテル・ドゥ・ミクニ」 オーナーシェフ、三國清三さんが

フランス共和国から 「農事功労賞オフィシエ」 なる素晴らしい栄誉を授与された。

フランス食文化の普及に大きな功績を残した、と認められた人にのみ与えられる勲章である。

そこで22日、 「オテル・ドゥ・ミクニ」 の25周年とあわせての祝賀会が催されたのだった。

 

祝賀会の呼びかけ人代表である大御所・服部幸應さんも入ってくれて、

記念の一枚を頂戴する。

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胸の勲章が光っている。

サイズにも美というものがあるのだと思った。

食育の提唱者である服部さんからは、大地を守る会への熱い期待も頂き、身が引き締まる。

 


会場となったレストラン 「ミクニマルノウチ」 には、

たくさんの料理人や食に関係する専門家、メディア関係者が参集された。 

 

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お歴々の会話にさりげなく登場する人物の名前もスゴイのだが、

僕がただ尊敬するのは、地元・東京野菜に光を当てようとしてくれる

三國さんの姿勢である。

 

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今日も並べられた東京野菜。

小平・川里さんの名前も登場する。

 

料理の写真はあまり撮らないので (表現も下手なので) 控えるが、

味の素晴らしさはいうまでもなく、

肉も魚も果物も、東京産で披露されたところに、

三國シェフの強い意識が感じられる。

フランス食文化の真髄は、調理への探求だけではない。

どんな国際交渉にも毅然と対峙できる  " 我が文化への誇り "  を持て、ということだと

僕は感じてしまうのだった。

 

そしてまたしても、恐るべきサプライズ! に立ち会うことになる。

「今日はもう一人、お客さんが来ています」 と三國さんに呼ばれて登場したのは、

なんと、世界の巨人! ではないか。

 

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20世紀最高の料理人と謳われる

  " フレンチの神様 "  ジョエル・ロブションさん。 生で見る神様。

どんな挨拶をしたのかは覚えてない。

ただ江戸野菜のカブや大根を生でかじって、

頷きながらコメントをしていた姿だけを記憶している。

 

北海道増毛町の貧しい半農半漁の家に生まれ、

中学卒業と同時に料理の世界に飛び込み、" 世界の食 "  の頂点まで登った男、三國清三。

記憶の底にあるのは、働き者の母の、台所での包丁の音だという。

 

帰りに頂いた一冊のレシピ本。

飾らない、でも極上の  " 家庭でフレンチ " 。 僕でも出来そうなレシピが嬉しい。

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(小学館刊。 1300円+税)

 

この夜、僕が三國さんと語り合ったのは、来年から本格的にやりたいと言う

 「味覚の一週間」 である。

 

そして僕の脳裏に浮かぶのは、たとえばこんな言葉である。

「 運よく豊かな食物とともに生きることになった私たちにとって、問題は移り変わっている。

 大昔からの料理への依存を、より健康的なものにしなければならない 」

  ( リチャード・ランガム著 『火の賜物 -ヒトは料理で進化した』、NTT出版)

「 おそらく食は、グローバル化が脅かす様々な価値、たとえば地域特有の文化や

 アイデンティティ、そして風景や生物多様性の存続を力強く象徴するものなのだ。」

「 アメリカ人が自分をトウモロコシの民族だと考えないことは、

 想像力の欠如か、資本主義の勝利、あるいはその両方を少しずつ意味する。」

「 まっとうなことをするのは、最も楽しいことであり、

 消費という行為は、引き算ではなく足し算的な行為なのだ 」

  ( 以上、マイケル・ポーラン著 『雑食動物のジレンマ』、東洋経済新報社) 

 



2010年10月23日

オヤジを越えて進もう -『土と平和の祭典2010』

 

良い酒は悪酔いしない。

それは個人差と飲む量による、とまあもっともな反論はあろうが、

それでも、多少の無理を押して断言しておきたい。 良い酒は悪酔いしない!

それに良い酒は、人を、またその場を、幸福にする。

酒呑みの自己弁護と言われれば、その通り、と答えるしかないけど。

 

10月17日(日)、純米大吟醸の余韻も冷めやらぬ朝の6時に喜多方を発ち、

シアワセに爆睡して、気がつけば郡山、そして東京。

フラフラと日比谷公園にたどり着けば、今日も楽しいお祭りである。

大地に感謝する収穫祭、

種まき大作戦 ~土と平和の祭典2010~

 

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先代の会長、故藤本敏夫さんの遺志を受け継いで、

娘の八恵(歌手名:Yae ) ちゃんが実行委員長を務める

次代の食と農を開拓する者たちの祭典。 

食や環境問題に携わるたくさんの市民団体やお店、生産団体、ミュージシャンたちが

手弁当で集まって祭りをつくり上げる。

 

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僕は二日酔いだからということではなくて、

昨年、野菜をたたき売って顰蹙(ひんしゅく) を買った反省から

売り子に立つのは自粛させられて、

小音楽堂でのトーク・セッションの司会というおつとめを仰せつかったのだった。

 

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「土と平和の有機農業セミナー」 と銘打ってのセッション。

開始前に簡単な打ち合わせをして、ぶっつけ本番。

 

実行委員長・八恵ちゃんの開会の挨拶に続いて、

  " 有機農業のカリスマ "  埼玉県小川町・霜里農場、金子美登(よしのり) さんの

基調講演が行なわれる。

金子さんはNPO全国有機農業推進協議会の理事長でもある。

 

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有機農業を始めて40年になる。

30軒の消費者を探すのに数年かかり、30年経って村も動くようになった。

今では行政の支援で地元の学校給食に使われるだけでなく、

加工も含めた食の地域循環を進める  " 有機農業の里 "  として、

小川町は全国に知られるまでになっている。

研修生を受け入れるようになって31年。

育てた100数十人の研修生の9割が非農家というのも、霜里農場の特徴である。

 

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農民が元気になったら、美しいムラになる

と金子さんは語る。

食の自給だけでなく、タネの自給、エネルギーの自給、

そこから見えてきた平和で安定した社会・・・

40年の実践を経て到達した金子さんの世界は深く、重みがある。

 「いのちが見えない文明に未来はない

この国の農をつくり直す起爆剤は、非農家かもしれない。

 

--と基調をつくってもらって、北海道から九州まで7人の若者たちが登壇。

 

北海道瀬棚町から参加してくれた元ミュージシャンの富樫一仁さん。

ギターを鍬に持ち替えて10年。 農業に転身した理由は、自身の重いアトピーから。

" 自然の摂理に従った農業 "  をモットーに、20haの農地でコメや大豆などを栽培する。

食べ物で健康を保てることの喜びを一人でも多くの人に伝えたいと語る。

 

秋田県大潟村から、入植2世の武田泰斗さん。 有機稲作をベースに80頭の肉牛を飼う。

こちらも就農して10年。 悩みは家畜の世話で休みが取れないことと草取りの人材確保。

親と対立することもしばしばあり、正直やめたいと思うときもある、とこぼす。

でも親と対立するのは自信がついてきた証拠だし、経営に悩みを持つのは

それだけ真剣に生きているってことだよ。 発展途上の33歳である。

 

山形県鶴岡市、庄内協同ファームの小野寺紀允(のりまさ) さん。

横浜でサラリーマンをやっていたが、

「やっぱり山形が好きだから」 1年前に帰って就農した。

父の農業、母が経営する農家レストランを手伝いながら、

食の都・庄内を農業で活性化させたいと夢を膨らませている。

 

神奈川県愛川町に新規就農して1年という千葉康伸さん。

8年間東京のど真ん中でサラリーマン生活を続けるも、

「都会に飼われている」 と感じて、都市を見切って転進を決意した。

高知の土佐自然塾・山下一穂さんのもとで 「お金を払って」 勉強して、

ようやく販路も見つかってきて、今はまだ 「どうにか食べていける」 状態だけど、

自分の足で立っている、生きている実感があると言う。

就農を希望する人へのアドバイスは - 「行動すること」。

 

千葉県匝瑳市,佐藤真吾、29歳。 就農して7年。

米は有機でやれるようになったが、ピーマンなど施設(ハウス)での野菜栽培は

特別栽培レベル。 もう新規就農者というより落ち着いた農業者の姿を醸し出しつつある。

 

米どころ新潟からは、農業生産法人 「いなほ新潟」 の社員として働く関徹さん。

実家は米農家だが、ストレートに家には入らず、他流試合で学ぼうとしている。

腹の中で実家の田んぼを気にしながら。

「子どもの頃から田舎の風景が好きだった。 耕作放棄の田畑を見ると胸が痛みます。」

田んぼを残したいと語る27歳。 僕らはこういう人に近未来の食を依存することになる。

 

最後に長崎有機農業研究会の松尾康憲さん。

親が有機農業の世界に入り、自分も当然と思って就農したが、

今ではとにかく親父と対立する日々だと言う。

 

どうしたらオヤジを乗り越えられるか・・・

会場からも質問が出たが、答えは簡単なことだ。

納得させられる結果を残すこと、それしかない。

そのためには、オレの (やりたいようにやれる) 畑を持たせてもらうことも必要だけど。

否定される理由にはその上を行く理論武装も必要だ。

「分かってくれない」 だけでは子供のまんまとしか思われないからね。

 

7名の若者たちを眺めながら思ったことは、みんなカッコいい! イケメン揃いだということだ。 

顔立ちだけじゃなく、爽やかな感じがとてもイイ。 内面の強さや誇りも顔に出ていて、

すべてを前向きにとらえている。 語る言葉は甘いが、捨てたもんじゃない。

司会をやってたもんで、写真をお見せできないのが悔しい。

 

最後は金子さんと、歌手の加藤登紀子さんにも上がっていただき、まとめをお願いする。

お登紀さんが、司会を無視して仕切り始める。

「ここにこそ希望がある」 でまとめさせていただくことにする。

 

与えられた仕事が終わった途端に、気が抜けた。

大地を守る会のブースでは、さんぶ野菜ネットワークのお母ちゃんたちが

人参ジュースの販売に精を出してくれている。

埼玉から助っ人に駆けつけてくれたのは、志木の三枝さん。

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川越の吉沢重造さん。

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 ダブルの上着にシャレた帽子。

ゼッタイにウケをねらってきたとしか思えない。

でも男なら、似合っていようがいまいが、死ぬまでダンディズムを枯らせてはいけないのだ。

それが藤本さんの教えだったしね。

 

出店でご協力いただいた生産者の皆さん。有り難うございました。

このイベントの総括は、もう僕の守備範囲を超えているので、割愛させていただきます。

 

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2010年10月19日

子どもたちを救え! 『味覚の一週間』 日本上陸!

 

さて、昨日の夜、新丸ビル 「エコッツェリア」 で開催された

地球大学アドバンス 第35回

 TOKYOから提案する新たな 「地球食」 のデザイン 』 。

ゲストは 「オテル・ドゥ・ミクニ」 オーナーシェフ・三国清三さんと、

金沢工業大学産学連携室コーディネーターで

「都市の食」 ビジョン・ガイドライン検討委員会の座長を務められた小松俊昭さん。

ナビゲーターは、いつもの竹村真一さん(京都造形芸術大学教授、ELP代表)。

竹村さんは、この日名古屋で開幕した

COP10 (生物多様性条約第10回締約国会議) の会場から駆けつけられた。

 

100年前に17億人だった地球の人口が、1970年に35億人になり、

まもなく70億人に到達しようとしている現在(いま) 。

穀物の生産量は頭打ちになり、表土の劣化が進み、

多様性の喪失が重要な地球的課題となって、まさに今日から国際会議が始まっている。

 

「 私たちは20世紀的な 「豊かさ」 の概念を超えて、

 宇宙船地球号の食のあり方=「地球食」 の リデザインを

 根本から行なうべきギリギリの地点に立っています。 」

 

そんな問題意識のもと、 

 " 日々地球を食べる "  巨大な胃袋=日本の首都・TOKYOで示すべき

新たな 「地球食」 のモデルとは・・・・・

そこでゲストのお二人から、「都市の食」 ビジョンの構想や、

丸の内シェフズクラブで取り組む食育活動がプレゼンされる。

 - というのが事前にインフォメーションされた内容だったのだが、

ここで三国さんはご自身の話の前に、超ビッグなゲストを登場させたのだった。

 

親子三代にわたって三ツ星シェフを獲得という栄光を持つ、

フランス料理界が世界に誇る アン=ソフィー・ピック シェフ。

 

フランスで、1990年から毎年10月に開催されてきた

ラ・スメーヌ・ドゥ・グ (「味覚の一週間」) 』 という国民的イベントを、

日本でも来年から本格的にやろうということになって、

その日本展開 「大使」 として来日された。

ピックさんの日本での活動にはテレビ局が帯同し、この会場にもカメラが入った。

お陰で、参加者は写真撮影禁止! (ということで今回は画像はなし)

「味覚の一週間」 日本展開も、19日午前11時の公式発表まで

「公的な場やネット上でのおしゃべりなどは控えていただきたい」 と。

 

味覚の一週間 -とは何か?

 ( ↑ ピックさんのお姿は、ここからご覧になれます。) 

 


(以下、パンフレットより引用しつつ構成)

美食の国フランスで20年以上続いてきた、国民的な食のイベント。

次代を担う子どもたちにフランスの食文化をきちんと伝えたい、

という思いにかられた一人のジャーナリストとパリのシェフたちが集まって開いた

「味覚の一日」 というイベントに端を発する。

今や全国民がフランス料理という国家遺産の素晴らしさを再発見、再学習する場として、

一週間にわたって様々な催しが企画されているのだという。

フランスの、国を挙げた 「食育」 というわけである。

始まった90年当時、フランスですら、子供たちを取り巻く食の乱れが

深刻な問題になっていたというから、食の簡便化というか商品経済の力というのは

いずこにおいても魔力なのかと思ったりする。

(ちょっと安心したりする自分を感じるのが恥ずかしいけど。)

 

「味覚の一週間」 では、三つの柱で企画が展開される。

まずは 「味覚の授業」。

料理のプロがボランティアで小学校に出向き、味覚が発達する大切な時期である

子どもたちに、味の基本を教える授業を展開する。

「しょっぱい」 「酸っぱい」 「にがい」 「甘い」 の4つの味を五感を使って学び、

食べることの楽しさを体験する。

味覚の違いを覚えれば、その違いを話すことができ、それを伝えることができるようになる。

また子どもだけでなく、教員や給食・食堂の責任者に対しても同様の授業が行われる。

学校は 「味わう」 感性を目覚めさせる役割を果たし、

子どもたちは文化としての 「食」 の継承者となり、また良質の作物を作る助けとなる。

今ではフランス首都圏の98%の教育機関が 「味覚の授業」 を支持しているという。

 

次に 「味覚の食卓」。

料理人たちは、期間中に特別なメニューを発表する。

料理人の技量、創造性、旬の食材の利用法、前例のない食材の組み合わせなどを競って

コース料理を用意するのだ。

素晴らしい! と思ったのは、そのオリジナル・メニューを普段の価格で出すだけでなく、

学生には30%の割引価格で提供していることだ。

学生証を見せるだけで、学生には縁遠い一流レストランの食を味わうことができる。

そこでシェフの料理に対する思いを学生たちも知ることになる。

" 我がフランスの食 "  に対する誇りもいや増すというものだろう。 ニクイ手だ。

これはシェフズクラブの方々も、すぐにでも取り入れてほしいと切に願う。

 

三つめが 「味覚のアトリエ」。

期間中、様々な味覚体験のイベントがフランス各地で繰り広げられる。

シンポジウム、農園体験、フードマーケット、食の屋台イベント、

青少年対象の料理教室、味覚ワークショップなどなどが、

市役所や市民団体、商工会議所、学校、協賛企業などによって実施される。

 

そしてついに、この素晴らしい食育イベントが日本でも始まろうとしている。

昨日、日仏のシェフ (ピックさんと三国さん) による、

日本で初めての 「味覚の授業」 が、目黒区の小学校で実施されたのだ。

 

ピックさんは20歳のときに来日して、日本文化にカルチャーショックを受け、

日本人の繊細さ、慎み深さが好きになったという。

そんな彼女の授業の感想が、嬉しい。

「子どもたちの反応は、フランスの子どもたちとまったく一緒でした!」

 

三国さんは 「食育とは、子どもたちの味覚を守ることだ」 と言う。

子どもたちを救わなければならない! と熱く語る。

味覚を覚えるとは、「よく生きる」 ことにつながっている。

食とは、栄養を摂るだけでなく、頭、精神を活性化させるものだから。

味を知る、楽しむ、味わう喜びを知って大人になってほしい。

そのためにも、味蕾(みらい) が形成される12歳までに伝えなければならないのだと。

 

三国さんは、こうも語る。

自然の食材は薄味だから、味蕾を増やして感じ取ろうとする。

味が濃いと  " 感じ取ろうとする努力 "  をしなくなり、鈍感になる。

また 「噛む」 ことの退化は、味覚の刺激による喜びを感じなくさせてしまう。

「食べる」 ことの意味を考えなくなり、

多様で個性のある地域の文化や宝物を見失わせてしまう。。。

 

文明の根幹は 「食」 (とどうつながるか) にある。

「食」 をしっかりと リデザインすることで、地球の文明を立て直そう。

大袈裟な話ではあるが、

世界とのつながりを築き直すための、私的で具体的なアクションのひとつ

であることは間違いない。

 

「味覚の一週間」

 - 日本をしびれさせるようなイベントに育てたいと思う。

   曲がった背筋を伸ばしつつ・・・・

 



2010年10月18日

イタリアンの国産米粉パスタ饗宴-東京野菜で応援!

 

東京駅前・丸ビル1階にある 丸の内カフェ ease (イーズ)」 にて、

今日から始まった食のイベントをご案内させていただきます。

 

4名のイタリアン・シェフが、

国産(新潟産)米粉と東京野菜・東京魚を使ったオリジナル・レシピで競演する

 秋の情熱 ご馳走パスタ

米粉にアモーレ!

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期間は本日18日から31日までの2週間。

前半(~24日)が、「イル ギオットーネ」 笹島保弘シェフによる

「金目鯛と東京野菜のもっちもち米粉タリアテッレ」、

そして西麻布 「アルボルト」 片岡譲シェフによる

「米粉のスパゲティ ~フレッシュトマトソース、伊豆七島のイサキと共に~」 の2品。 

後半(25~31日)が、「アンティカ オステリア デル ボンテ」(丸ビル36F)

ステファノ・ダル・モーロ総料理長による

「米粉のタリアテッレ ~豆乳スープ仕立て、金目鯛と東京野菜のメリメロ~」、

そして「Essenza」(丸ビル5F) 原田慎次シェフによる

「チェリートマトと水菜の米粉ペンネ、イサキのカリカリポワレ添え」 の2品。

いずれもミニサラダ、米粉のシフォンケーキ、ドリンク付きで1,000円。

ランチ企画なので時間帯は11:30~14:00まで。

 

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丸の内を舞台に展開されている 「食育丸の内」 のランチ企画第3弾となった本企画。

今回のテーマは、「都産都消」 そして 「食料自給率UP」。

いずれもそうそうたるシェフのオリジナル・レシピに、

東京有機クラブ(阪本啓一、川里賢太郎、藤村和正) の水菜と小松菜で参画しています。

 

夕方、「丸の内カフェ ease」 を訪ね、望月料理長から初日の反響をお聞きする。

反応は上々で、想定した二日分くらい出ちゃったとのこと。

「モノも良かったですよ」 にホッとする。

 


「食育丸の内」-

「大人の食育」 を掲げ、 まずは大人から食に対する知識を持つこと、

そして生産者・消費者・レストランの連携によって、

" 心身ともに健康になる社会づくり "  を目指して活動を展開しようというプロジェクト。

 

 

旗振り役は、丸の内エリアに出店しているレストランの

オーナーシェフたち26名で構成する 「丸の内シェフズクラブ」。

会長は大御所、服部幸應さん。

ジャンルを超えて情報交換をしながら、食に関する新たな提案を仕掛けている。

 

「食育丸の内」 活動の推進母体である 「丸の内地球環境倶楽部」 では

「都市の食」 のあるべき姿をビジョンとガイドラインにまとめようとしていて、

僕もその検討委員会に参加させていただいている。

東京のど真ん中で提供する 「食」 とはどういうものであるべきか。

そのビジョンとモデルづくりは、けっしてモノが集中する都市の我がままではなくて、

東京だからやらなければならない責任の表わし方にもなるだろう

と思って、参加してきたつもりだ。

おいしい食、安全・安心な食、身体にいい食、自然とつながる食、

人とつながる食、地域とつながる食、本物を知る食、創造力を育てる食、

世の中を変える食、自分でつくる食・・・・・と、ようやく

  " 10のビジョン "  としてまとめられようとしている。

 

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ビジョンは言葉で終わるものでなく、それに基づいた行動指針が策定され、

生産と消費をつなぐ魅力あるプランを、具体的に創出させていかなければならない。

国産の食材を大切にする、食の安全性や環境にも配慮する、は当たり前の柱として。 

 

今回のランチ企画に合わせてくれたのか、

今日、ネット・マガジン 「丸の内ドットコム」 に、

シェフご推薦の東京野菜生産者として、川里弘・賢太郎親子がアップされた。

こだわり食材と出会える 「青空市場 × 丸の内マルシェ」 のコーナー。

「シェフをうならせる東京の食材の実力」 -小見出しも嬉しい。

よかったら覗いてみてください。

 

先月、取材の記者さんをお連れした時の様子。

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8月のミクニマルノウチでの試食会で好評を得た川里さんの島オクラ。 

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実は9月にシェフズクラブのレストランからリクエストが入ったのだが、

「もう終わりなんです。 残っているのも 『山藤』 の契約分のみしかありませ~ん」

ということで、来年に向けての応相談となった。

トップ・シェフが 「採用しよう」 なら、こっちは 「じゃあ作ってやろう」 である。

美しいビジョンを実現させるにも、この人たちをつなげなければならないわけだ。

流通者(ネットワーカー) の苦労は、そのためにある。

 

 

さて、その足で新丸ビル10F-エコッツェリアに向かう。

夜は 丸の内地球環境倶楽部 主催 『地球大学アドバンス・第35回』

 - TOKYOから提案する新たな 「地球食」 のデザイン。

 今回のゲストは、丸の内シェフズクラブのコーディネーターであり、

都市の食ビジョン・ガイドライン検討委員でもある、

「オテル・ドゥ・ミクニ」 オーナーシェフ・三国清三さんだったのだが、

すっご~いサプライズ! つきのセミナーになったので、明日はその続きを。

 



2010年10月15日

5年間で22%の農民がいなくなった・・・

 

農林水産省が5年おきに行なっている農林業の動態調査

-「農林業センサス」 の2010年版が、先月発表された。

すでにチェックされた方も多いと思うが、改めてこの衝撃を記しておきたいと思う。

 

まず、農業就業者人口は260万人。 5年前に比べて75万人! 減少した。

5年間で22.4%、およそ島根県の人口相当の農業者が消えたのである。

平均年齢は65.8歳。 2.6歳上昇した。

これは平均年齢だから、70代あるいは80になっても頑張ってくれている人がいる、

ということを表している。 5年後ははたしてどうなるんだろう。

 

耕作放棄地の面積は、5年前の39万ヘクタールから40万ヘクタールに増えた。

埼玉県の面積に匹敵する面積が耕作放棄されている、と言っていたのが

これからは、滋賀県の面積、ということになった。

 

たった5年間で22.4%の減少。 埼玉県から滋賀県へ。

しつこく言いたい。 たった5年間での変動である。 

歴史的視点で見れば、崩壊現象の真っただ中に入ったとしか思えないのだけど、

相変わらず対岸の話のように語られてないだろうか。

これは子供たちの未来への不安という話でなく、

いよいよ目の前に迫ってきた食の危機を語っているはずなのに・・・

 

農業への補助が必要なのか、国民の食選択への支援策が必要なのか、

本当は同義であるべきはずなのだが、相変わらず分断したままの生産と消費。

様々な農業政策の結果がこうである。

もう農林水産省なんて要らないんじゃないの、とまで言いたくなる。

 

唐突な事例かも知れないけど、

たとえばイースター島の文明の崩壊はなぜ起きたのか。

生態系が痩せていく中で、島民はなぜモアイ像にこだわり最後の木を切れたのか。

謎と言われたその答えは、いま目の前で進行している状況にありはしないだろうか。

 

センサスの数字は、予測していたとはいえ、いざ目の前に示されると、

背筋が震えるような近未来的現実を想像せざるを得ない。

僕はこのブログという手法を使って、

現代の 「希望」 を伝えたいと思ってやってきたのだけど、

いま進行形の事態は、農地の集約化とかいう話ではすまない、

この国を支えた共同体(経済) の崩壊まで予測させるものだ。

崩壊は、5,4、3、2・・・ という形で進むわけではない。

だって、だいたい経営の破綻というのは、6、5 、4 → -X であるから。

 

農林業センサスとは、食と暮らしのセンサスなんだけど、

だれもそんなふうに伝えてくれない。

危機感を持たなきゃいけないのは、農民より、

食べ物を作れない僕ら消費者のはずなのに。

目の前で繰り広げられる責任転嫁政治と、

静かに進行する集団的想像力疾患にめげることなく、

僕らのたたかいはいよいよ本物の正念場に入りつつあるように思う。

 



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