2008年11月26日

遺伝子組み換え(GM) 論争の隘路

 

いつもコメントを寄せてくれる てん さんへ。

 

いつも拙いブログを読んでいただき、有り難うございます。

実は・・・・先だってのパソコンの故障と代替機へのデータ移管のドタバタで、

一件のコメントが入っていたのに気づかず(11月3日付記事)、

確認とアップがたいへん遅れてしまいました。 申し訳ありません。

この場を借りてお詫びいたします。 お返事も書きましたので、ご確認ください。

こちら、まだ代替機のままで仕事をつないでおります。

 

てんさんには、10月16日付の日記 (「遺伝子組み換えで食糧増産というロジック~」)

についても、貴重なコメントを頂戴していましたね。

インドでのGM綿花栽培で起こった出来事、それによって農民の暮らしが奪われたこと。

ベトナムでもインドの事例が伝わればいいのに、という感想でした。

僕はてんさんへのお返事の中で、ベトナムのⅠさんには、

インドの物理学者、ヴァンダナ・シヴァさんと接触してみてはどうかとメールしたこと、

またⅠさんもシヴァさんのことはご存知で、お会いできる機会を見つけたいと仰ってたことを、

お伝えしました。

 

さて、その後ですが、

先日Ⅰさんから送られてきたベトナムでのニュース・サマリーによれば、

残念ながらベトナム政府は、やはり本気でGM作物を推進したいようです。

サマリーは英語なので読むのに時間がかかりましたが、

GM品種によっていかに農民が儲かるか、というような政府機関(研究所?)の試算が

出されていました。 導入が企図されている作物は、大豆、とうもろこし、綿花です。

そしてここでも、推進理由は収量の増加と " お金 " です。


除草剤を撒いても枯れない種、害虫が食べたら死ぬ種、

特定の企業の特許品となった種を、特定の企業の除草剤と一緒に買い続ける。

これが農民にとっての遺伝子組み換え作物栽培の宿命になりますが、

それで本当に農家の暮らしが豊かになるのかは検証されることがなく、

たまさかの経済性と安全性でしか語られることがありません。

その作物は、種自体が食用に回るものなのに。

 

そしてその種は、生態系からの免疫反応 (抵抗性の獲得) に応じて

(技術革新の名で) リスクを高めてゆく技術でもあって、

誰も未来を予知することができない種に、未来を託そうとしていると言えます。

種というのは生命の根源です。

また「未来」 とは空想の時間ではなくて、私たちの子や孫の暮らしのことです。

 

つくづく思うことは、この論争には 「中立的科学」 が存在していない。

推進派の論理はいつも、「安全である」 と

「生産コストが下がる」 「生産量が上がる」=儲かる、に尽きるといってもいいでしょう。

加えて 「食糧危機や飢餓を救う」 という暴論がくっついたりします。

交雑による生態系への影響や生物多様性の問題は、

「実質的に同等なんだから」 これまでの品種交配と同じ、とかたづけられます。

一方で反対派の論は、

「安全とは言い切れない(将来的にはリスクは増す)」 であり、

「実質的同等性」 は科学とは言えない代物で、

「種子の交配による生態系のかく乱は環境や食糧生産の不安定化をもたらす」 であり、

「多国籍企業による種子支配による農民の隷属化」 (飢餓の拡大) です。

 

私は紛うことない反対派の人間で、上記の論点に加えて、

「人々の、そして地域の主体性や文化の喪失(=暮らしの不安定化)」

といった観点も大事にしたいと思っています。

 

食べ物の安全性というのは実験室で証明できるものではない、と思っています。

人類の長い歴史のなかで検証され、日常の食としてその地域で選択されたもの、

それは最も実直な 「科学」 的土台に基づいていて、

しかも地域の環境や風土にマッチした 「食文化」 として存続してきたものです。

科学的立証というのは、生態系 (生物) を相手にした場合には、

時間のかかるものだと心得るべきです。

しかし今、GM食品はまるで短兵急な人体実験にかけられているも同然の状態です。

実験なら追跡調査が必要ですが、それはまったくもって不可能です。

 

例えば、ロシアのエルマコバ博士のラット実験 (GM大豆による死亡率の増大) や、

ブシュタイ博士の実験は、弾劾されこそすれ、再試験は行なわれていません。

一方で審査に出されるデータは推進企業のものだけで、

時に不都合なものは伏せられていたことなども、後になって発覚したりします。

民主主義を標榜するアメリカでも、批判的なデータを提出した学者は、

その後研究費も出なくなり、左遷されたような話が聞こえてくる。

こと遺伝子組み換えに関して言えば、科学は健全に機能していない。

正確には、中立的に科学的判断をする機能がないのです。

推進しているのは施政者と企業、反対しているのは農民と消費者という図式のなかで、

科学者のどの論を採用するかは、まるで自己責任の世界。

結果的に、すべてのリスクは消費者がかぶることになります。

議論の最初から隘路(あいろ) に入り込んだ、不健全なテーマとしか言いようがありません。

 

有機農業を推進する立場からは、もうひとつの論があります。

「そんなうっとうしいものは、不要である。 頼る必然性もない」

-要するに 「なくても問題ない」 。 これが僕の結論です。

 

話が長くなってしまったついでに、他の海外の情報もお伝えしておきましょうか。

韓国では、消費者の知る権利および選択権の保障強化のために

GMOの表示対象を拡大して、GM農産物を使用したすべての加工食品に表示を義務化する

表示改定案が出されています。 11月まで意見を募集して最終決定するとのこと。

韓国のほうがずっと骨太の感あり、です。

また以前にお伝えしたオーストラリア・西オーストラリア州の、

9月に行なわれた州議会選挙は、なんと

GMモラトリアム継続を公約にした与党・労働党と、野党・自由党が

議員を半々に分け合うという結果になりました。

厳しいつば競り合いをやる国は、最後にしたたかな戦略を作り上げたりします。

健全な論争が必要なのです。

こういった動きは、ほとんど報道されませんね。

 

そういえば先般来日して温暖化対策を訴えた英国のチャールズ皇太子も、

8月に 「GM食品は史上最悪の環境災害を招く」 と発言して、

英国内での論争に一石を投じました。

その後の経過は知りませんが、こういうのこそ民主主義の底力なのではと感じたものです。

チャールズ皇太子はご自身の農場で有機農業を実践しているとか。

GM問題に対する判定は社会あるいは未来に委ねたいと思いますが、

今どっちを選択するかは、ギャラリーが多いほど適切な方向に向かうはずです。

 

冒頭に紹介したインドの物理学者で環境活動のリーダーでもある

ヴァンダナ・シヴァ博士は、こんなことを語っています。

 

   遺伝子組み換え作物と食糧をめぐる対立は、「文化」 と 「科学」 の間での対立ではない。

   それは二つの科学文化の間の対立である。

   ひとつは透明性と公的説明責任と環境と人々に対する責任に基づく科学であり、

   もうひとつは利潤の問題と、透明性と説明責任と環境と人々に対する責任の欠如に

   基づいている科学である。

 

   遺伝子工学が解決策を提示している多くの問題に対する答えは、

   すでに生物多様性が提供している。

 

   農民は何を栽培するかを選択する自由を奪われ、

   消費者は何を食べるかを選択する自由を奪われる。

   農民が、生産者から、企業が持つ農業製品の消費者に変身させられる。

                                  (『食糧テロリズム』/明石書店刊より)

 

   たとえば社会が環境問題に直面するにつれて、疫学、生態学、進化生物学、

   発生生物学が必要となる。 生物多様性の衰退の危機に対応するためには、

   微生物、昆虫、植物などの特定の分類集団についての専門知識が必要である。

   有用なもの、必要なものを無視し、利益をもたらすものにしか目を向けなくなった瞬間、

   わたしたちは知的多様性を創り出す社会的条件を破壊しつつある。

 

   農民の利益は人びとの生存のためだけでなく、国家の生存のためにも必要である。

   農業共同体が種苗の遺伝子資源に主権を持たなければ、

   国家が主権を持つことはできない。

 

   生物が本来的に持っている創造性。

   それが生物を進化させ、英気を養わせ、再生させる。

                     (『生物多様性の保護か、生命の収奪か』/明石書店刊より)

 


Comment:

ひさしぶりにのぞいたら!
こんなあつい内容が載っていてびっくりです。
でも、本当に、「中立的な立場」で試験してほしいと思います。
本当に影響がないのか(ないわけないと思っていますが。)どうか、そういう審査をしないで、農水省も請求がきたからと、適当にパブリックコメントだけ聞いて、(要は手続き上、必要と決まっていることをお役所仕事的に済ませて)適当にOK出さないでほしいです。
綿なんか、ほとんど組み換えばっかりになっていますよね。
口に入らないから、自分が着ている服が組み替えかどうかまで、食品ほど血眼になってチェックしていませんが、環境への影響は、食品同様もしくはそれ以上ですよね。(消費量も考えると)

誰かや何かを犠牲にしないと生きていけないから、と、この議論を知り合いとしていたら、言われました。でも、ちょっと違うと思う。
そりゃあ食べなきゃ生きていけないから、他の生き物の命を奪っていきているとは思うけど、それとこの話をごっちゃにしないで、と思ったのですが、1円でも安ければ、どこまででも、自転車をとばしていく人々に、そういう話はもっと違うところから入らないといけないと、そのときは止めました。

農水の勲章までもらった研究者の知り合いも、バリバリの推進派でした。「科学の進歩に必要だし、それに異を唱えるのはナンセンスで、一般の素人には重要性がわかるはずもない。」とのコメントでした。
科学の進歩のためには何をやってもいいのか、その程度の倫理観というか、考えでそんな立場になれるのかと、正直がっかりしました。

素直におかしいですよね。GM技術って。
入りえない遺伝子を無理やり突っ込んで、それが前と一緒、何にも変わってない、だから大丈夫!っていうんですから。
しかも、特許というひも付きでさらに事態をややこしくして。

また、この続きはこんどにします。
(ねむたくなってきたので。)

from "てん" at 2008年12月 5日 00:21

てんさんも、だいぶアツいですね。
研究者も推進派ばかりではないです。有名なところでは養老猛司さん、福岡伸一さんなどは、かなりバッサリやってくれてます。研究者もGMの危うさは知っているはずなのですが、ポジションやら研究費やらが絡むと動けないようなことも聞かれます。こうなると政治ですね。もう少し幅広いネットワークにしたいものです。
また書きますので、よろしく、です。

from "戎谷徹也" at 2008年12月 7日 17:39

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