2013年12月11日
桑の葉とオーガニック・コットン
11月21日(金)、
福島・岳温泉での 「第4回女性生産者会議」 を終えた一行は、
羽山園芸組合・武藤さんのリンゴ園でリンゴ狩りを楽しんだ後、
二本松市東和地区にある 「道の駅ふくしま東和 〔あぶくま館〕」 にて、
里山再生計画・災害復興プログラムの取り組みを
学ばせていただく。
旧二本松市との合併に対し、ふるさと 「東和町」 の名を残そうと、
「ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会」 を発足させたのが2005年。
2009年には 「里山再生プロジェクト 5ヶ年計画」 を始動。
その途上で忌まわしい 3.11 に見舞われたものの、
気持ちを切らすことなく、災害復興プログラムへと思いを持続させてきた。
有機農業を土台として、
農地の再生、山林の再生、そして地域コミュニティの再生を謳い、
特産加工の開発、堆肥センターを拠点とした資源循環、
新規就農支援、交流促進事業、生きがい文化事業などを展開してきた。
やってくる若者たちも後を絶たない。
厳しい状況にあっても、たしかなつながりが実感できる、
そんな里山を創り上げてきたのだ。
里山の再生にひと役買ったのは、
自由化によって廃れた桑栽培の復興だった。
桑の葉っぱや実を使った健康食品を開発して、地域を元気づけた。
しかしそれも除染からやり直さなければならなくなった。
やけくそになっても仕方のない話だ。
そこで彼らを支えたものは何だったのか。
仲間と家族の存在? 先祖からの命のつながりを捨てられない思い?
危険だから逃げる・問題ないと思うから残る、ではないもう一つの道
「危険かもしれないけど、(未来のために) ここでたたかう」
を選んだ人たちの話。
僕らは簡単に " 支援 " と言ったりするが、
逆境を大きな力で乗り越えようとする彼らの取り組みからは、
逆に学ぶことの方が多い。
むしろ叱咤されている、とすら思えてくる。
直営店で買い物して、重いお土産も頂いて、解散。
道の駅で、郡山に帰る一行と別れ、
僕は福島有機倶楽部の小林美知さんの車に乗せてもらって、
いわきへと向かった。
そこで次に出迎えてくれたのは、
楚々としたオーガニック・コットンの綿毛だった。
春に小林勝弥さん・美知さん夫妻を訪ねたときは、
やってみようかと思っている、というような記憶だったのだけど、
秋に開果したコットンボールに迎えられると、
種を播くという一歩の大切さと確実さに、目を見張らされる。
いやあ、みんな前を向いて歩いている。
昨年から始まった、ふくしまオーガニックコットン・プロジェクト。
塩害に強い作物である綿を有機栽培で育て、製品化する。
綿の自給率 0 %の日本で、
福島から新しい農業と繊維産業を起こそうと意気盛んである。
栽培自体はそう難しくないようだが、問題はやはり雑草対策だ。
農作業は、JTBがボランティアのバスツアーを組んでやって来る。
小林さんの夏井ファームには、リピーターも多いらしい。
春に苗を定植して、間引きをしながら草を取り続ける。
夏にはオクラのようなレモン色の花が咲く。
花はひと晩で落ち、コットンボールが姿を現す。
やがて成熟してはじけると、中から綿毛が顔を出す。
これをつまみながら収穫する。
綿毛の中には、種が育っている。
綿自体は、この作物が種を存続させるために編み出した戦略のようだ。
これを摘み取って利用したヒトは、さらに綿を効率よく得るために、
長い年月をかけて品種改良を繰り返してきた。
ワタは、ヒトに利用されながら自らを進化させた。
ただしあまりに軽いもので、
単位面積当たりの収穫量と引き取り金額(出荷価格) を聞くと、
とても経済的に合うシロモノではない。
「ハイ、もう趣味の世界ですね」 と美知さんも笑っている。
ふくしまオーガニックコットン・プロジェクトが製品化したTシャツも 3千円台で、
ちゃんと考えて理解しないと、さすがに手が出ない。
でもこれは逆に見れば、世間の綿製品が
いかに安い労働力で出来上がっているかを教えてくれる。
これは、考える素材である。
「儲けなんか考えたら、とてもできないです」
と美知さんは語る。
それでも作ってみようと思うのは、おそらく、未来を見たいのだ。
人と人が信頼でつながって、食や農業を、
生命を大切にする社会が来ることを、信じたいのだ。
訪問の本来の目的は、塩害対策だった。
勝弥さんの春菊畑に回る。
塩分濃度が高く、他の作物がなかなか植えられない。
この少し塩っぱい春菊の出荷が終わったら、
冬の間に土壌改良を行なう。
有機JAS規格でも認められる資材を調べ、調達した。
これが効かなかったら、すべて私の責任である。
小林さん宅に予定通り到着していることを確かめ、
年が明けたら施用前の土壌分析から始めることを話し合い、
小林家を後にした。
ようやく家の建て直しが終わり、
「何とか前を向いて、やって行きます」
と笑う小林夫妻。
東和もそうだけど、なんと強い人々なんだろう。
彼らは、たくさんの人たちの無念を、胸の中で引き受けている。
ここにも、教えられる福島の人がいる。